説法明眼論
優婆塞 童 圓通 述
・著衣品第一
柔和忍辱心ヲ著如来衣ト名ク。和忍ハ障幣ノ用ナリ。
譬エヘハ法服ヲ著ルガ如シ
・人道場品第二
如来ノ室二人ルトハ、大悲ヲ名けテ室卜為ス、能ク大悲心ヲ発スヲ如来ノ室ニ人ルト為ス。
・礼三宝晶第三
本妙心、報化ト住持仏、一切ノ法宝ノ蔵、聖几和合憎二帰命シ上ル。
・焼香品第四
至心二香木ヲ焼ケバ天魔及ヒ波旬、香ヲ聞テ失心シテ退クコ
ト楢シ死門二入 . . . 本文を読む
第一〇課 人格完成
私たちは誰でも、人格完成の種子たねを、生れながらに持っている(一切衆生ことごとく仏性ぶっしょうあり〔涅槃経ねはんぎょう〕)と仏教は説くのであります。人格完成と言っても、ただの人格完成の程度でなく、あらゆる美徳、技能、智識を備えた円満無欠の人格者になる種子であります。それは賢人、愚人、善人、悪人、男性、女性、大人、子供の差別なく、みな平常に持っている種子であります。これ . . . 本文を読む
782、勝道、日光二荒山頂上に三社権現を祀る。勝道上人は、天応2年(782年)10月、ついに男体山の頂を極め念願を果たした。この時、上人は山頂で男体山の神・大己貴命(おおなむちのみこと。大国主命)と、その妻子である女峰山の神・田心姫神命(たごりひめのかみのみこと)と太郎山の神・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)に会い、二荒山神社、山頂の奥宮、中禅寺湖畔の中宮祠を建てた。そして 勝道上人は . . . 本文を読む
第九課 人生の広い道
私たちの持っている人間性、これを刈り取ってはいけず、さればと言って、伸び放題うっちゃって置いてもいけない、なかなか難しいことになりました。しかし、こう押し詰めて行って、よく考えてみると、そこに一筋通れる道が残されているのが判ります。否、そこを是非通って貰いたいとて実は人生の本道が広く道を真中に開いて待っているのでありました。それは言うまでもなく、前に述べましたように . . . 本文を読む
今日はお釈迦様入滅の日です。
1、 二月十五日、釈尊入滅の日の月が曇って
いることを題材にして、氏良(伊勢神宮禰宜)が西行に贈った歌があります。
「深く入りて
伊勢にて神主氏良が許より、二月十五日の夜、
曇りたりければ申し送りける 氏良(伊勢神宮禰宜)
今宵しも月のかくるる浮き雲や
昔の空のけぶりなるらむ
かへし(これに対し西行がかえして . . . 本文を読む
今朝理趣法を修していて、ふとこういうことが心にうかんできました。文字にすると感動が薄れますがとりあえず記録しておきます。
「曼荼羅は悟りの世界を現しているというが、本当は衆生が大日如来様の命をうけて各自曼荼羅のどの仏様の働きをするために生まれてきているのかを覚らせるためにあるのではないか。結縁灌頂などで投華得佛するのはその人が樒の葉を落として縁を結んだその佛様の働きをせよとの大日如来様のお示しな . . . 本文を読む
第八課 あまり放縦でも困る
前述の方法とちょうど正反対の方面があります。何でも、あるがままがよいとして、食べたい放題、遊び放題、無理の言いたい放題、不義理のし放題――それを、また世間でも、磊落だとか無邪気だとか言って買い被り、苦笑しながらも黙って見ているようなことがあります。もし世の中が、あるがままがいいということになったら、人生は骨折りも努力もいりません。
千の与四郎というのは茶道の . . . 本文を読む
テレビで、北関東・茨城県を中心に快進撃中のファミレスチェーン「ばんどう太郎」の青沼社長を紹介していました。「ばんどう太郎」の経営理念は「親孝行」ということです。効率や利益よりも客の幸せを追求する“非効率経営”を掲げて勝ち続けています。
社長の青谷は貧しい農家の出身、中学を卒業後、蕎麦屋に弟子入りし24歳で独立したが売上第一主義の経営で退職者が続出して労務倒産の危機に陥ったといいます。追い詰めら . . . 本文を読む
「修行和讃」
有難や高野の山の岩陰に
大師のみ跡を慕わいつつ
諸国をめぐる修行者の
長き旅路の友となり
野をも山をも厭ひなく
雨の降る日も風の夜も
行者の身ををば守りたまふ
実にありがたや千代へても
利益あらたの生き仏
大師はいまだおわしますなる . . . 本文を読む
Q,分家でも仏壇で先祖の位牌をおいていいですか?
A,仏壇の起源は日本書紀に「天武天皇十四年(六八五)三月壬申【二十七】》◆壬申。詔。諸国毎家、作仏舍。乃置仏像。及経。以礼拝供養。(詔していわく、諸国の家ごとに佛の舎を作り、仏像及び経を置け、以て供養礼拝せよ)」にあります。仏様を供養するために各家に仏壇をおけという国の命令であったわけです。この趣旨からも、仏様を礼拝するのに長男も次男もありませんか . . . 本文を読む
第七課 性質を矯め過ぎるな
人生の使い方に二とおりあります。そのいずれへも極端にかたより過ぎると、結局その人の生涯が駄目になってしまいます。今、極端に性質を矯ため過ぎる方を述べてみます。
私たち活花いけばなを活けるときによく経験することですが、一本の枝を取ってみて、この枝振りも面白くない、あの枝振りも面白くないと言って切り捨ててしまいます。枝ばかりでなく、花も同じことです。だんだん鋏み . . . 本文を読む