日本紀略 / 延喜九年(909)正月廿一日条
「廿一日 止内宴 依去年諸国損也」
天皇は醍醐天皇。前年に起こった蝦夷征伐の「巣伏の戦い」で多くの人々が犠牲になり疲弊していたのを天皇が心配されたと思われます。 . . . 本文を読む
今日は白楽天の生まれた日です。白居易(白楽天)は大歴7年1月20日(ユリウス暦772年2月28日)生まれとされます。白居易は仏教徒としても著名であり、晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号し、馬祖道一門下の仏光如満や興善惟寛らの禅僧と交流があったということです。『景徳傳燈録』巻4では、鳥窠道林(741年 - 824年、禅僧)との『七仏通誡偈』に関する問答が見られます。「元和中白居易出守茲郡。因 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・20
二には縁覚身
三に聲聞身。佛の説法の聲を聞いて得道するが故に名く。
「應以聲聞身得度者。即現聲聞身而爲説法」
釈迦一代の舎利佛目蓮等の内秘外現の聲聞等の類なり。或は蔵通の聲聞となり、或は五味に随って次第に轉じて終に法華一乗に會する聲聞と成るなり。
「而爲説法」とは四諦の法及び人天乗の法なり。人は五戒、天は十善及び四禪四無色定。 . . . 本文を読む
今日弘仁十四年823正月廿日は大師(50歳)が「酒人の内公主がための遺言」を代筆された日です。この酒人の内親王(光仁天皇の王女)はなかなかさばけた人で、すでに逆修をおわっているので 簡素にせよ・・といっています。いまでも大変参考になる遺言です。「酒人の内公主がための遺言(酒人の内親王は光仁天皇の王女。天長六年八月に薨ぜられたので大師が遺言を代筆されたもの)」われ式部卿と大蔵卿と安敕(あと・桓武天皇 . . . 本文を読む
・宝亀十一年780一月二十日、僧侶の荒廃を戒める詔勅が出されています。(続日本紀に「宝亀十一年一月丙戌,詔曰:「朕以,仁王御曆,法日恒澄,佛子弘猷,惠風長扇.遂使人天合應,邦家保安,幽顯致和,鬼神無爽.頃者,彼蒼告譴災集伽藍.眷言于茲,情深悚悼.於朕不德,雖近此尤,於彼桑門,寧亦無愧.如聞,緇侶行事,與俗不別,上違無上之慈教,下犯有國之道憲.僧綱率而正之,孰其不正乎.又諸國國師,諸寺鎮、三綱,及受 . . . 本文を読む
「年中行事覚書・柳田国男」
「だまり正月(正月二十日)
正月の二十日には、土地によっていろいろの名がある。骨ほね正月という語は近畿地方から、九州にかけて最も広く行われているが、これは正月用意の懸けの魚ももう終りになり、この日はいよいよその骨を卸おろして食べてしまうからの名と解せられている。実際骨叩き・骨おろし・骨くずしなどと名づけて、残りの魚を入れて雑炊ぞうすいを作ったり、大根などと . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・19
二には縁覚身
「應以辟支佛身得度者。即現辟支佛身而爲説法」
「應以」等は菩薩の意業に機を見て、此の者は縁覚の身を以て説法せば度すべしと知るなり。
「即現辟支佛身」とは、身業の利益なり。
「而爲説法」は口業の利益なり。此の中に辟支佛とは華厳経音義に曰、辟支は梵語なり。具には畢勒支底迦(ひつろくしちきゃ)と云。此れは各々独行と云。 . . . 本文を読む
今日は覚如忌
観応二年1351正月十九日は本願寺第三世覚如の遷化の日。覚如は親鸞の外曽孫。興福寺で受戒し関東・奥州に行化。各地に分立していた 親鸞の門徒を本願寺に帰らせ、宗権確立をはかった。本願寺の事実上の創始者と言われる。著作に「拾遺古徳伝」「親鸞上人絵伝」「報恩講私記」
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今日1月19日は明恵上人御入滅の日です。
高山寺では 明恵上人命日忌法要が行われます。
「栂尾明上人伝記」には「同じき十九日(寛喜4年(1232年)1月19日)『今日臨終すべし』とて・・『於第四兜率天四十九重摩尼殿、昼夜恒説不退行、無数方便度人天』(「彌勒講式」の一節)と誦し、そののち又、『稽首大悲清浄智、利益世間慈氏尊 灌頂地中佛長子 隋順思惟入佛境(大方廣佛華嚴經卷第三十四 入不思議解脱境 . . . 本文を読む
妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・18
一には佛身。
「佛告無盡意菩薩。善男子。若有國土衆生應以佛身得度者。觀世音菩薩。即現佛身而爲説法。」
「佛告無盡意」等の十六字(佛告無盡意菩薩。善男子。若有國土衆生)は総じて十九説法(説法の第一が佛に。説法の第二が辟支仏に。第三は声聞に。説法の第四~第九が、梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天。説法の第十~第十四は、小 . . . 本文を読む
「すべて手を挙げるのも、足を動かすのも、物を見るのも、考えるのも、ことごとく「生」そのものの動きであり、働きであるとともに、それは常に上下とか、高低とか、前後とか、左右とか、進退とか、遅速とか、さては見るものと見られるもの、考えるものと考えられるものとうように、いずれも矛盾対立(不条理)を離れることはできない・・・この天地間のありとあらゆる一切のものは、何一つとして、矛盾対立を包蔵して居らぬものは . . . 本文を読む