
「この大川に撫愛される沿岸の町々は皆、自分にとって忘れがたい懐かしい町である。
ああその水の聲のなつかしさ、つぶやくやうに拗ねるやうに舌うつやうに、
草の汁をしぼった青い水は、日も夜も同じやうに両岸の石崖を洗っていく」
(大川の水)

築地で生まれ、両国で育った作家芥川龍之介は、時に触れ折に触れ、隅田川の流れとともに日々の生活を育んできた。
それだけに。この川に寄せる思いは格別のものだった。
また、彼一人だけでなく、江戸・東京で生まれ育った人々、他県から上京して東京に住んだ多くの人々にとっても、大なり小なり隅田川との触れ合いを経験したことがあるに違いない。

東京と切っても切れないこの川の橋を1つ1つ歩くことによって、東京という街のある側面が見えるかもしれない。
そんな思いからこの橋歩きを始めてみた。
1590年、徳川家康は江戸に居を定め都市造りを開始したが、敵の進入を防ぐという観点から隅田川や多摩川など江戸市街の境界となる河川には、基本的に橋を設けなかった。

(歌川広重 「千住の大橋」)
しかし、例外的に1つだけ設けた橋が千住大橋。家康が江戸に入って4年目の1594年のことだった。
以来約420年、千住大橋から東京湾河口まで、現在は鉄道橋などを除いた、人の通れる橋は19に上る。
その中には国の重要文化財が3橋(勝鬨橋、永代橋、清州橋)、都の歴史的建造物指定が7橋(蔵前、厩、駒形、吾妻、白髭、両国、言問)と、まるで橋の博覧会のような場所になっている。
そんな隅田川の橋を、下流から順に遡って行こう!