この街には美しい装飾に彩られた劇場があると聞いて出かけてみた。
街の北東部、インフォリオーレ湖のすぐ近く。到着したらまだ開館前だったので、散歩で時間を過ごそうと湖畔に行ってみた。
土曜の朝、何かのイベントがあるのか若者たちが集合中。
緑の湖畔は、深呼吸すると体の中に大きな風の道が開いたかのように、スーッと心地よい涼しさが染み通る。
湖周遊の遊覧船がスタンバイし、その手前では釣り人たちが糸を垂れている。のんびりした、いかにも週末の朝といった雰囲気だ。
さあ、もう開館時間、劇場に戻った。建物自体には特別な特徴は見られないようだ。
ところが、内部に足を踏み入れると、目もくらむような遠近感に満ちた構造ときらびやかさにビックリしてしまった。
オレンジの基本色に4階まで連なる観客席を仕切る黄と白との色彩が混じりあい、
舞台中央に立つと、その空間の最奥まで吸い込まれてしまいそうな、立体的な造形に目を見張ってしまう。
1769年12月、アントニオ・ビビエーナによって設計された。正式名称もテアトロ・アカデミア・ビビエーナと、作家名が入っている。バロック式劇場の傑作といわれるにふさわしい美しさだ。
正面から見た形状が釣り鐘のように見えることで、その独特のスタイルを特徴付けている。
天井のカーブを描くデザインも独特だ。
2階に上ってみた。ここからの眺めもなかなか。
このように舞台を見下ろす形になる。
ローマ時代の詩人ヴェルギリウスもこの街マントヴァの生まれで、劇場内に彼の肖像が置かれ、彼に関わる資料も保存されていた。
この劇場には今も語り伝えられるエピソードがある。劇場完成後わずか1か月後の1770年1月、オーストリアの1人の少年が招かれてこの地にやってきた。少年の名はアマデウス・モーツアルト。
まさに、劇場のこけら落としともいうべきモーツアルトコンサートによってこの劇場の歴史のページが開かれたのだった。
その時父レオポルドは、国に残してきた妻に宛てて「私の人生の中でこれ以上の美しい劇場は見たことがありません」と綴っている。