明けましておめでとうございます。2023年のスタートは、中断していた「上野歴史散歩」の再開です。東京国立博物館は昨年、創立150周年を迎えて、同館所蔵の国宝89点を展示する記念展覧会を開催していました。今年は新たな出発となるわけで、再開ブログの1回目もこの博物館から始めたいと思います。
東京国立博物館は元々寛永寺の本坊があった上野公園の中心地に建てられている。上野戦争で廃墟となった上野の地に落ち着くまでにはいくつかの経緯があった。
国立の博物館はまず、殖産興業を目的とした内国博覧会を開催し、その収集物を基として博物館に発展させようというものだった。ただ、1872年の政府主催の最初の博覧会は上野ではなく、神田・湯島聖堂の大成殿だった。
しかし、翌年に上野の森が日本初の都市公園として指定され、同年にオーストリア・ウイーンで開催されたウイーン万博参加のために全国から多数の出品物が収集された。この資料が本格的博物館の実現を推進する動機となり、広大な敷地が確保できる上野の地がターゲットとなった。
1881年の第2回内国勧業博覧会開催に合わせて、ジョサイア・コンドル設計の博物館新館が竣工、翌年にこの建物が正式に国立博物館となり、上野の博物館・美術館がスタートした。
博物館の名称も変遷した。湯島聖堂での開催時は「文部省博物館」だった。それが1889年には「帝国博物館」となり、1900年には「帝室博物館」と改称、この名前が戦後の1947年まで続いた。
この間「帝室」時代の1917年から1922年にかけての5年間、博物館の総長を務めた有名人がいる。
森鴎外。鴎外は既に作家として有名だったのに加えて、直前まで陸軍軍医総監医務局長も務めていた。それでこの就任は大きな話題となり、「お医者もやれば小説も書く。そのうえ博物館まで手を出すなんて。ほんに気(木)の多いお人なことよ」といった戯れ句も作られたという。
鴎外の本名は「森林太郎」。名前の中に木が5つもあることと掛けた言葉だった。