昨年暮れにパリを訪れた時、ちょうど燃料税値上げに端を発した大規模デモ騒動に直面した。中心部の主な美術館や公共施設、店などが全面休業となり、地下鉄も中心部には止まらないという状態。そんな中で出来ることを検討した結果、パッサージュ巡りを思いついた。
パリ市内にある多くのパッサージュはそれぞれ独特の雰囲気を持っており、その面白さを探ってみようというのが狙いだ。
最初に入ったのはパッサージュ・ジェフロワ。中心部に直には行けなかったので、周辺部を回ってグランブールバール側から歩き始めた。
モンマルトル大通り側の入口を探すと、装飾の付いた派手な入口があり、これかと思ったら実は違う入口だった。こちらはクレヴァン蝋人形館入口だ。
その隣に人形館のものよりは少し地味目な入口があった。
実は、270年ほど前、1850年代には、ここは連日あふれるほどの人でごった返していた。このパッサージュが出来たのは1847年。パリの主なパッサージュの中では最も遅い時期だ。
パッサージュは1800年から造り始められていたが、約半世紀を過ぎて建築資材が進化してきた。
そこでパッサージュの特徴でもあるガラス屋根が、丸みを帯びた広い面積をカバーできるように進歩した。また、道幅も広くなり、新パッサージュはより開放感にあふれる通りとして人気になっていた。
ここはその当時の姿をほぼそのまま残した数少ないパッサージュだ。
ここの目玉の1つは先ほども触れたクレヴァン人形館。内部の通りにも場所を示す大きな指の標識。
奥に進むと人形の群衆のような看板が壁面に大きく掲げられている。ただ、こちらは蝋人形館の出口だそう。1882年から興行を続ける老舗だ。
手前から見ると階段の上に看板があり、劇場効果が演出されている。
通路に木馬が置いてあり、少年が乗って遊んでいた。
この店は「パンデピス」という老舗のおもちゃや子供服の店。
鹿の角のようなものがぶら下がっている。
古本屋も多い。古いパリのファッション雑誌が並んでいた。
ポスターも面白い。
ギャラリーも健在だ。
ステッキや万年筆などいろいろな専門店もあって、マニアにはたまらない空間だ。
ポスターなどを見ていると、パッサージュが繁栄していた頃のざわめきが感じられるような気がしてきた。
奥まった所にホテルがあった。「ホテル ショパン」。
いい名前。ショパンも1810年に生まれ、1849年に死亡している。まさにパッサージュの繁栄時代に生きた音楽家だ。
歩き始めて感じることがあった。つまりパッサージュは、19世紀前半の「時代」をそのまま封印した‟タイムスリップ体験”をさせてくれる貴重な場所なのではないだろうか。
写真に撮りたくなるような空間です。
パリのどの辺にあるんですか?モンマルトル?
パリ市内には10数か所もいろいろなパッサージュがあります。主要なものはほぼ中心部に集まっています。
ルーブル美術館付近からオペラ・ガルニエに通じるオペラ大通りの1つ東側に並行していくつものパッサージュがあります。
みなパリが大改造される直前の1800年代前半に出来たものなので、レトロ感満載ですよ。