隅田川大橋の上流は清州橋。
優雅な橋桁のアーチを持つ吊り橋だ。現在の橋は1928年に完成した。
男性的な永代橋とは対照的な女性らしい柔らかさを備えており、ここも永代橋、勝鬨橋と並んで国の重要文化財に指定されている。
ドイツ・ライン川に架かるケルンの吊り橋がモデルになっており、「ケルンの眺め」の標識も作られていた。
2015年にケルンに行ったときに撮影したケルン大聖堂近くの橋を見直してみたが、どうもこれではなさそうだ。
そこで、改めて調べてみると、手本とした橋はヒンデンブルグ橋。第二次世界大戦で破壊され、今は全く別のタイプの橋に架け替えられて入りという。
清州橋東詰を少し南下すると、読売ビル玄関の前に平賀源内の碑が建っている。1776年長崎から持参したエレキテルの実験を、ここで行ったとされてる。
橋に戻ると、夕日が橋桁に差し込み、橋の上にストライプを描いていた。
そんな夕陽は吊り橋の高い部分から差し込み、光と影の強烈なコントラストを演出する。
川面が暗くなり、橋全体が影になった一瞬、橋は透き通ったブルーに変身した。ほんの数十秒間の幻のようなメタモルフォーセスだった。
さらに黄昏が進むと、点で結ばれた照明が点灯し、
スカイツリーを背景に、女王のような優美な姿に移行していった。
ところで、「東京スカイツリーが江戸時代の浮世絵に描かれていた」として話題になったことがある。
その絵が歌川国芳の「東都三つ股の図」。
確かに左後方にスカイツリーのような塔が建っている。調べてみると、この絵が描かれた場所は、タイトルにある「三つ股」。これは日本橋中洲を指し、今の清州橋西詰あたりになる。
とすると右側にある大きな橋は永代橋であることが解っている。永代橋は下流にあるので、この絵は中洲から北ではなく南方向に向いて描いたことになる。
従ってこの塔はスカイツリーとは反対方向。当時の井戸掘り用に造られた櫓だった
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