ある早春の土曜日、友人と夕食の約束をしていたが、夕方まではたっぷり時間がある。そこで、ふと思いついて「東京三大たい焼き巡り」を実行することにした。
かねて評判の高い老舗の3つのたい焼き店、人形町の柳屋、麻布十番の浪花屋総本店、四谷のわかばを一日で巡り、味比べをしてみようという、何ともまあミーハーなプランだ。
まず目指すは人形町。自宅からの電車の都合で半蔵門線水天宮駅で降り、街路にある火の見やぐらを模した「人形町からくり櫓」を眺めながら歩く。
歌舞伎や火消衆をデザインした洒落たやぐらだ。
甘酒横丁を右に曲がるとすぐに、目的の柳屋が見えてきた。というより、たい焼きを求めて並ぶ行列が見え、それで柳屋とわかった。土曜日の午後、意外に列が短い。有り難い。
とはいってもたい焼きを焼く職人さんは1人だけ。大きな焼き器で一気に10数枚も焼く形式と違って、鯛の型に1つ1つ小麦粉と餡を詰めて焼き上げる作業なので、なかなか進まない。
長い柄のついた鋳物の先に一匹分のたい焼き型があり、その型に生地を敷き、上に餡を入れてさらにその上から生地をかぶせる。それから焼いてゆく。これを通称「天然もの」と称して、大量生産の焼き器に生地を流し入れて製造する「養殖もの」とは区別されるのだそうだ。
巡回しようとしている三店はいずれも「天然もの」の店だ。
それでも待つこと約30分。どうにかゲットすることが出来た。すかざず尻尾からガブり。焼きたてとあって、皮がパリパリとして香ばしい。餡は甘さが抑えられている感じ。店の前で何人もがたい焼きにかぶりつく風景が、横丁の風情に似合っている。
柳屋から人形町の交差点を渡り、親子丼で名高い「玉ひで」の先に、谷崎潤一郎出生の地がある。そこをちょいとのぞいて、次に麻布十番を目指した。
また、水天宮の建物を眺めながら地下鉄へ。永田町乗換で麻布十番に到着。人形町がそこはかとなく江戸の香りを残した土地だったのに比べて、こちらはまさに都会の街並み。
駅から3分も歩けば浪花屋総本店に到着する。この店の創業は1909年と、3店の中でも最も古い。創業者が大阪出身だったので、浪花屋という屋号にしたのだという。
あれ、行列が出来ていない! 「よかった」と思ったのもつかの間、ここでは「今だと1時間半かかります。よろしければ予約を」と機先を制された。こうして行列で通行人の邪魔をしないように配慮しているらしい。それで、早速予約を完了、待ち時間の間に四谷へ向かうことに。
四谷へは南北線で4駅先。四谷は学生時代,クラブ活動の合間に友人たちとたい焼きの食べ比べをした懐かしい場所。四谷見附橋を渡って数分歩き、左に曲がれば店が見える。
ところが、こちらは大行列。写真だとよくわからないが、店の角を曲がった所からさらにずらりと人が並んでいた。
昔の、行けばすぐに買えたイメージが残っていたのだけれども、もう時代は変わっていることが実感できた。
ここも一枚一枚手焼きで製造する形。2人の職人さんが働いていたが、列の長さに加えて一人で何十個も大量に購入する人も目立ち、結局ここだけで1時間30分もかかってしまった。
早速店頭でかぶりつく。餡の厚みがずっしりとしており、塩の隠し味が効いているのか甘味の奥深さが伝わってくる。うまい。学生時代がふんわりと蘇る瞬間を味わった気がした。
さあ、急いで麻布十番へ。予約した時間はもう過ぎてしまっている。でも、店ではちゃんと対応してくれて、滞りなく3番目のたい焼きをゲットすることが出来た。
ここは、昔大ヒットした子門真人の「およげたいやきくん」のイメージの源となった店。老舗らしい貫禄十分の店構えだ。
こちらのたい焼きは他の2店よりわずかに小ぶり。味は、小豆を8時間かけて炊き上げた餡の甘さと皮の張り具合のバランスが、さすがと思わせるものだった。
店からほんの数十mのところにある広場に、小さな女の子の像があった。この子は野口雨情の詩で有名な「赤い靴」の女の子「きみちゃん」の像だ。
歌詞では、赤い靴を履いた女の子は海外に行ってしまったことになっているが、実はきみちゃんはアメリカ人宣教師夫妻の養女になったものの、夫妻が帰国する際、結核に侵されていて、長い船旅には耐えられないと、麻布にあった孤児院に引き取られ、そこでわずか9年の生涯を閉じてしまった。そんな縁からこの麻布に像が建てられたという。
作詞者の野口雨情も・生後わずか7日で長女を亡くした経験があり、そんな思いをきみちゃんに重ねながら詩を作ったのかもしれない。
「赤い靴 履いてた 女の子 」
まだ たい焼きの甘味を残した口許できみちゃんの歌を口ずさみながら、友人の待つ店に向かった黄昏だった。