原爆資料館から南に向かってゆくと山王神社がある。その2番目の鳥居が、全体の三分の一だけ残った形で立っている。1945年の原爆投下時に、この鳥居だけが爆風にも耐えて生き残り、今までその姿をとどめているという。「無残」とも、「よくぞ」とも感じられる姿だ。
神社の階段下には「浦上街道の碑」があった。この街道は西坂から時津村までの12キロの道のりで、二十六聖人が刑場となった西阪に向かうときに歩いた道でもある。
鳥居を陰から見ると、また違った印象深い雰囲気が漂う。
神社境内にはクスの木がある。このクスの木も爆風と熱線によって大打撃を受けた。ところがこのクスは強かった。枯死もせず、逆に2か月後には新芽を芽吹くというたくましさで、市民たちに生きる勇気を与えたという。
近年、老化もあって弱っていたが、大規模な蘇生策によって今も命を繋げている。
七五三木が渡された、いわば神木だ。
松山町電停から高台の平和公園へは、長いエスカレーターを利用すればすんり到着できる。
正面奥に平和祈念像。高さ9・7mと威圧感たっぷりだが、長崎出身の彫刻家北村西望作の像には様々な想いが込められている。
垂直に上がった右手は、原爆の脅威
水平な左手は、平和
横になった足は、原爆直後の長崎の静けさ
立てた足は、救った命
閉じた目は、冥福を祈る姿
それぞれに思いが表現されているという。1955年8月に完成した。
「のどが渇いてたまりませんでした」。平和の泉には、9歳の少女の手記を取り入れた碑があった。
平和記念像を中心にして広々とした公園の各所に世界各国から贈られた像が立っている
男の子を抱き上げる女性像「人生の喜び」は、チェコスロバキアから。
「Aコール」。平和と調和を求めて戦う女性像。ブルガリア。
ハトと少女の「乙女像」。中国。
こちらは動員学徒の碑。他にもいろいろの像やモニュメントが立ち並んでいた。
この公園敷地は、原爆投下時長崎刑務所浦上支所があった所。被曝によって収容されていた受刑者や看守など134人全員が死亡したと、記録されている。
ご指摘ありがとうございます。確かに1000人以上もの受刑者を収容するほどの大きな刑務所ではありませんからね。
完全なケアレスミスでした。早速訂正しました。本当にありがとうございました。