新イタリアの誘惑

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階段紀行・西日本 長崎編  急階段の先にマリアが出迎える大浦天主堂、花で飾られた平和公園への階段

2021-07-06 | 階段紀行・西日本 

 長崎市の大浦天主堂は、幕末の開国に伴って造成された長崎居留地に、外国人居留者の礼拝のために建設された。ゴシック様式の教会堂だ。

 1864年に竣工。その翌年に潜在キリシタンの訪問によって「二百数十年ぶりの信徒発見」の舞台となった場所だ。

 正面には2段階の階段が設置されている。この斜度は結構急に出来ている。それだけに階段下から眺める聖堂は、高々と天に向かって伸びていように感じられる。

 建設を主導したのはイエズス会から派遣されていたプチジャン神父。彼はフランス人で、パリのノートルダム大聖堂を始めフランス各地に建てられていたゴシック様式の教会を見ており、その高々とした尖塔を持つ教会が脳裏にあったことは間違いないだろう。

 ただし、わが国ではその当時それほどの高さの建築は不可能。そのため、真下に急な階段を設けることによって教会の崇高さを一段アップさせようとしたのかもしれない。

 階段の途中左側の小公園には、信徒発見の模様を描いたレリーフが掲げられている。

 そして、階段を上り切ると、正面入口で純白のマリア像が出迎えてくれる。

 

 長崎は坂の街。至る所に坂がある。その中でも味わい深いのが天主堂裏の細い坂道だ。天主堂の屋根越しに長崎港と海が臨め、しかも街中と違って観光客などはほとんど足を伸ばさない閑静な場所。

 カトリック信者である遠藤周作も、長崎を訪れた時はこの辺を散歩することが好きだったという。

 別の場所へ移動しよう。平和公園へはこんな花で飾られた階段を昇って行く。

 平和祈念像は北村西望作の青銅像。天を指した右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和を象徴しているという。

 この旅の時にはあまり階段探索はしなかったのであまり写真はないのだが、オランダ坂(ここは階段の無い坂)の脇道に見えた階段。

 また、原爆資料館近くの山王神社は、階段を昇った2番目の鳥居が全体の3分の1だけ残った状態で立っている。これは、1945年の原爆投下による被害。残された部分は今も大事に守られている。

 この街には全国的に有名な橋がある。眼鏡橋。橋の入口は小さな階段になっていた。

 その眼鏡橋の1つ手前を楽しそうに走って渡る中学生たちが、妙にまぶしく見えた。

 最後に、全国的にこれも有名になった稲佐山からの夜景をどうぞ!

 


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