新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩㉜ 東博の珠玉の作品群。江戸以降は新たな絵画や彫刻作品が彩り豊かに揃う

2023-01-14 | 上野歴史散歩

前回に続いて東博の所蔵品いろいろ。江戸時代以降の作品を見てみよう。

「親指の聖母」17世紀 江戸時代

 当時禁教だったキリスト教を布教しようと来日し、幕府に捕らえられた宣教師ジョヴァンニ・シドッチが持っていた絵画。この絵はイタリア・フィレンツェで活躍したルネサンス時代の画家カルロ・ドルチェの作品(すぐ近くの西洋美術館所蔵の「悲しみの聖母」)とよく似ている。

 シドッチは江戸で新井白石の取り調べを受けたが、白石は彼の知識や人柄を高く評価したと伝えられている。

 「能面 長霊べし見」 17世紀 江戸時代

 口を閉じた鬼の面。能の「熊坂」などに使われる異相の武者を表現している。まさにくっきりはっきりの顔をした典型的な能面だ。

 「八橋蒔絵螺鈿硯箱」18世紀 江戸時代

 漆工作品の中でも最大の評価を得ている国宝だ。名工尾形光琳の作品。伊勢物語がモチーフで、きらきら光るカキツバタの花びらは、あわび貝を打ち欠いて張り付け、質感を見事に表現している。

 「浮世絵 市川蝦蔵の竹村定之進」1794年 江戸時代

 当代随一の名優と言われた役者の堂々たる風格を表現した浮世絵だ。未だにこの人物が誰なのか論争が絶えない作者、写楽の傑作。1794年5月から10か月間、140点ほどの作品を発表して突如姿を消した謎の絵師の一枚だ。

 「日本の婦人像」1881年 明治時代

 ヴィチェンツォ・ラグーザの作品。彼は明治初期に来日し、西洋彫刻の技法をわが国に初めて伝えたイタリアの彫刻家。

 この作品は、たすき掛け、手ぬぐいを頭にかぶった当時の日本女性の姿を掘り出したもので、日本人の骨格、表情を的確に表現している。

 彼は滞在中日本人女性と結婚、イタリアに帰国後は夫人(ラグーザお玉)も画家となって活躍したことでも知られる。

「老猿」1893年 明治時代

 つい今まで格闘して捕らえた鷲の羽を左手に握りしめ、前方を見据えた老猿の力感と重厚さを見事に表現している。

 光太郎の父として知られる高村光雲の気迫が感じられる作品だ。この作品は1893年にシカゴで開かれた万国博に出品され、優秀賞を獲得している。

 「舞妓」1893年 明治時代

 ヨーロッパから帰国した黒田清輝が京都を訪れた際、出会った舞妓の可憐な姿に新鮮な感動とともに描き上げた作品。川の流れの光から陰になる舞妓だが、外光派らしくその表情をしっかりと描き上げており、清新な美しさを湛えている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野歴史散歩㉛ 東京国立博物館の傑作を見る。紀元前の「豪快な装飾」から16世紀の「水墨画の神髄」まで。

2023-01-10 | 上野歴史散歩

 現在東博の総所蔵作品数は約12万件、うち国宝89件、重要文化財でも648件という、国内でも質量ともにトップの作品数を誇っている。

 あまりにも多いのでまずは目についたものを時代順にさらりと見て行こう。

 「火焔型土器」紀元前3000~2000年 縄文中期の作品。

 土器ではあるが、その力強さ、豪快さの上に装飾性も伴っていて、縄文人のセンスまで感じられる逸品だ。

 「みみずく(土偶)」紀元前2000~1000年、縄文後期。

 まるで現在の人形としてもおかしくないほどのユーモラスでかわいい土偶。耳に張り付けた円板は大きめのピアスみたいだ。

 「銅鐸」1~3世紀 弥生時代。

 弥生時代を特徴付ける日本特有の青銅器。祭りの鉦として生まれたが。次第に装飾性の強いものになっていった。

 「埴輪・正装女子」6世紀、古墳時代。

 有力者の墓に添えられる副葬物だが、華やかに着飾った姿。全身が表現されていてとっても愛らしくほほえましく感じてしまう。

 「扇面法華経冊子」 12世紀 平安時代。

 ぐっと時代は過ぎて平安時代になると、非常に繊細な作品が登場する。模様の入った扇型の紙面に貴族や庶民の暮らしの様子が描かれ、さらに法華経の経文が書かれている。貴族の美意識に高さがうかがわれる国宝だ。

「源頼朝坐像」13~14世紀 鎌倉時代。

 いわずと知れた鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の像。鎌倉・鶴岡八幡宮に伝来されていたものという。この大胆な足の組み方がすごいなあ。

 「松林図屏風」 16世紀 安土桃山時代。

 今回の最後は、近世水墨画の傑作として国宝指定された長谷川等伯の作品。遠くからだと一見して全体がぼんやりした感じに見えるが、近づくと荒々しいとさえ思える力強い筆致に驚く。一瞬の永遠という言葉が浮かんでくる。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野歴史散歩㉚ 時代を反映した帝冠様式の東京国立博物館本館。大階段は圧倒的な重厚感だ

2023-01-06 | 上野歴史散歩

 上野の東京国立博物館は現在、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5館で構成されている。その中から、まずは本館を見て行こう。

 前回紹介したように、スタート時はジョサイア・コンドルによる建物だったが、これは1923年の関東大震災によって大きな損壊を被り、改めて新館が建設された。

 鉄筋コンクリート造で、設計は渡辺仁。彼は横浜のホテルニューグランド、東京丸の内の第一生命館などを設計した建築家だ。完成は1937年。まさに第二次世界大戦の足音が忍び寄る時代だけに、日本の独自性を強調した造りになっている。

 頭上に和風の屋根を載せた帝冠様式で造られており、てっぺんには鬼瓦、下に格子と「和」を並べた玄関アーチが特徴的だ。

 中に入ると、まず目を見張るのは堂々と広がる中央階段。

 モザイクタイルの床から持ち上がる視線を奥の壁に移すと、中心に時計が飾られる。その模様は牡丹や蓮華などを組み合わせた想像上の花である「宝相華紋」風のレリーフによって飾られている。

 階段踊り場にはステンドグラス。アールデコ調のデザインは宮内庁技師が手掛けたものだという。

 照明も丁寧なしつらえとなっている。

 ちょうど正月時期の訪問では、中二階正面に華麗な生け花が飾られて、華やかな雰囲気が広がっていた。

 上から見た下り階段の流線形も見飽きない。

 特別企画として、貴賓室も開放されていた。椅子には鳳凰と龍が一体化した吉祥模様が配されて重厚な趣だ。

 もう1度階段を見下ろしながら一階に降りて、今度は収蔵作品を鑑賞してゆくことにしよう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野歴史散歩㉙ 東京国立博物館は創立150年。歴代総長の中には森鴎外もいた!

2023-01-03 | 上野歴史散歩

 明けましておめでとうございます。2023年のスタートは、中断していた「上野歴史散歩」の再開です。東京国立博物館は昨年、創立150周年を迎えて、同館所蔵の国宝89点を展示する記念展覧会を開催していました。今年は新たな出発となるわけで、再開ブログの1回目もこの博物館から始めたいと思います。

 東京国立博物館は元々寛永寺の本坊があった上野公園の中心地に建てられている。上野戦争で廃墟となった上野の地に落ち着くまでにはいくつかの経緯があった。

 国立の博物館はまず、殖産興業を目的とした内国博覧会を開催し、その収集物を基として博物館に発展させようというものだった。ただ、1872年の政府主催の最初の博覧会は上野ではなく、神田・湯島聖堂の大成殿だった。

 しかし、翌年に上野の森が日本初の都市公園として指定され、同年にオーストリア・ウイーンで開催されたウイーン万博参加のために全国から多数の出品物が収集された。この資料が本格的博物館の実現を推進する動機となり、広大な敷地が確保できる上野の地がターゲットとなった。

 1881年の第2回内国勧業博覧会開催に合わせて、ジョサイア・コンドル設計の博物館新館が竣工、翌年にこの建物が正式に国立博物館となり、上野の博物館・美術館がスタートした。

 博物館の名称も変遷した。湯島聖堂での開催時は「文部省博物館」だった。それが1889年には「帝国博物館」となり、1900年には「帝室博物館」と改称、この名前が戦後の1947年まで続いた。

 この間「帝室」時代の1917年から1922年にかけての5年間、博物館の総長を務めた有名人がいる。

 森鴎外。鴎外は既に作家として有名だったのに加えて、直前まで陸軍軍医総監医務局長も務めていた。それでこの就任は大きな話題となり、「お医者もやれば小説も書く。そのうえ博物館まで手を出すなんて。ほんに気(木)の多いお人なことよ」といった戯れ句も作られたという。

 鴎外の本名は「森林太郎」。名前の中に木が5つもあることと掛けた言葉だった。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする