極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

より高きをめざし

2014年01月12日 | 近江歴史回廊

 

 

 


【フード・ファントム・メナス(7)】


 マグロ(鮪)

 ●太平洋でない海域で獲れたものを選ぶ

  マグロは、泳いでいないと酸素を取り込めないので、常に泳いでいる回遊魚だ。
 日本の近海だけを回遊するマグロもいるが、太平洋を横断するマグロもいる。した
 がって、獲れた海域だけで放射能汚染のレベルを推定すると、マグロでは間違いが
 起こる。それでも、マグロを買うときの情報は、獲れた海域、マグロの種類、赤身
 かトロか、天然か養殖か、生か解凍か、消費期限ぐらいしかないから、これらをも

 とに安全性の高そうなマグロを選ぶしかない。
  最も避けるべき魚は、福島県沖からハワイ沖にかけての桁違いに放射能レベルが
 高い海域を泳いでいた「太平洋産」のマグロだ。残念ながら、ここで多く獲れるの
 がクロマグロ(本マグロ)だ。

  2011年8月に、米サンディエゴ沖で獲れたクロマグロ15匹のすべてから、
 セシウム134とセシウム137が検出され、平均10ベクレル/㎏だった。
  幸いなことに、北太平洋以外の海域で獲れるマグロが多い。
  南太平洋には、1940年代から50年代にかけて核実験が行われた海域が多く、
 「バヌアツ産」のような放射能を連想させるマグロもある。しかし、もう放射能は
 拡散しているだろうから、気にしても仕方ない。
  チェルノブイリ原発事故は一1986年に起こり、今でもヨーロッパから輸入さ
 れるベリー類から放射能が検出されている。その地域の放射能が流れ込む地中海は、
 安全性がワンランク下がる。しかし、地中海産のマグロから放射能が検出されたと
 いう報告はないので、気にしない方がいい。
  ミナミマグロはインドマグロともいわれるように、インド洋で獲れる。インド洋
 では核実験の回数が少ないから、放射能の心配はまずない。天然の冷凍マグロで安
 心度が高いのは、「インド洋産」「ケープタウン産」「大西洋産」などだ。
  養殖マグロは、国内なら「和歌山県産」「奄美大島産」「沖縄県産」「長崎県産」
 だが、どれも、放射能汚染海域からは外れているので、放射能の心配はない。

  輸入の養殖物なら、南オーストラリアの海で畜養した「ミナミマグロ」や、「地
 中海産」「メキシコ産」などがある。もちろん安心して食べていい。
  天然の生マグロは、日本海側で獲れたものが売り出されたときに買おう

  
 天然ブリ(鰤)

 ●日本海産と瀬戸内海産は大丈夫

  ブリは季節によって生息域を変える回遊魚で、夏は北の海域で過ごし、冬は南下し
 て暖かい海域で過ごす。太平洋側と日本海側のブリは、回遊ルートが異なっているの
 で、選ぶときの目安にできる。
  日本海側で獲れる天然ブリは、東シナ海から日本海を北上し、北海道沖まで行くル
 ートを回遊している。夏を北海道沖で過ごし、冬になると南下して束シナ海に行く。

  日本海を南下するときに、富山湾の定置網にかかったのが、最高級とされる氷見の
 ブリだ。日本海と瀬戸内海のブリは放射能の心配はない。

  夏の間に、一部のブリは津軽海峡を通って太平洋に出るが、そのブリが日本海に戻
 ってきたとしても、放射能汚染度の低い海域を短い間、泳いでいただけだから、これ
 も心配はない。
  2011年9月、岩手県宮古市沖で獲れたブリから105ベクレル/㎏の放射性セ
 シウムが検出されている。やはり太平洋で獲れたものは避けた方がいい。太平洋産の
 ブリをいつから食べるかは、今後のデータを見ながら判断していくことになる。


 養殖ブリ・ハマチ

 ●刺身は1~2枚までにしよう  

 ブリの稚魚を養殖したものを、市場ではハマチという。だから、スーパーやデパー
 トで売られているハマチは、ほぼすべて養殖魚である。
  ブリ流通量の三分の二は養殖物。養殖は、暖かい海で行われている。最大の産地は
 鹿児島県、続いて、愛媛県、大分県、長崎県、宮崎県で多く生産されてたりの放射能
 汚染はたいしたことがないので、もう心配はない。

  ただし、エサの放射能汚染が不明なので、ここに不安がある。
  ブリの養殖には、配合飼料が用いられている。かつては魚粉が主成分だった。19
 90年代に入ると、イワシが獲れなくなったため、穀物の配合割合を増やした配合飼

 料が開発され、これで、養殖魚に特有の魚臭さがなくなった。
  それまで養殖魚は、魚臭さが嫌われていたのである。
  さらに、血合いの色が薄くなるように飼料成分の配合が変えられた。ブリの切り身
 には赤い血合いの部分が付いているが、この色が変色しやすいので、変色が目立たな
 いように最初から色を薄くしたのである。
  微量栄養素をおろそかにしている現代人より、養殖ブリの方が、きちんと栄養が摂
 れている。成長に合わせてビタミンやミネラルの必要量が計算されているのだが、早
 く太らせて重くするために、ブリが大きくなるにしたがって、油の多いエサを食べさ
 せる。魚体が大きくなってからは、配合された成分で一番多いのは「油脂」になる。
 それなのに、いけすが狭くて運動ができないので、養殖ブリは天然ブリよりはるかに
 太ってしまう。
  だから、脂がのって、身が柔らかく、味は薄い。生産者と販売者の都合に合わせて
 栄養がコントロールされているからだ。
  脂がのりすぎという批判に応えて、「脂肪分が少なく、身の締まりが良「仕上げ用」
 の配合飼料も開発されている。そういう飼料を用いても、天然ブリと比較して食べる
 と味の差は歴然としている。
  スーパーでは、養殖ブリしか手に入らないのが普通だから、養殖ブリはよく焼いて
 脂肪を落として食べよう。
  刺身用の養殖ブリは、1~2枚しか食べられないように、少量パックを買おう。少
 量なら、養殖ブリも美味しく食べられる。


 養殖タイ(鯛)

 ●瀬戸内で養殖するから、放射能の心配はまずない

  養殖タイも、ビタミン・ミネラルの要求量が研究され、成長時期に合わせて最適の
 栄養が配合飼料で供給されている。それどころか、天然ダイのきれいな赤色にするた

 め、藻類・酵母・バクテリアなどによるアスタキサンチン色素やカロチノイド色素を
 合む「色上げ用飼料」が開発され、光をさえぎって黒色色素を減らして、明るい赤色
 の天然ダイと大差ない色にできるようになっているのだ。
  養殖タイの国内生産の半分以上を占めるのが、愛媛県産だ。瀬戸内で養殖するから、
 放射能の心配はまずない。
  瀬戸内海・小豆島の小さな魚市場で天然のマダイを見かけたので、値段を聞くと、
 養端物と同じと言う。漁獲量が不安定で流通量が少ないから、島では値段が安かった
 のだ。
   ところが、流通のいい港に天然ダイが揚がると、値段は跳ね上がる。マダイの天
 然物はタイ流通量の二割に満たないので、都会の高級料亭や、ネタにこだわる寿司屋、

 高級居酒屋が高くても買うからだ。運良く寿司屋に天然ダイがあったので、食べてみ
 ると、旨味の濃さに驚かされた。

 カツオ(鰹)

 ●汚染水域で脂がのったカツオは食べない方がよい

  暖かい海にすみ、南洋では一年中獲れるが、日本近海では太平洋側の黒潮に沿って

 春に北上し、黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖あたりまで行って、秋には黒潮にの
  って南下する。



  その年に初めて水揚げされる「初ガツオ」は、放射能の蓄積が少ない。「もどりガ

  ツオ」は、汚染水域で脂がのったので、美昧しくてもリスクが高い。
  千葉県勝浦市沖で獲れたカツオから2011年9月に11ベクレルノ㎏の放射性セ
 シウムが検出されている。高齢者でも、この汚染レベルのカツオを食べ続けると、体
 のあちこちが痛くなる可能性がある。
  太平洋産のカツオを、妊婦や子どもは、食べてはいけない。
  放射能の心配がほとんどない南洋で獲れたカツオは、冷凍して運ばれ、静岡県と鹿
 児島県で水揚げされる。
  カツオ節の原料になるのは、このカツオだ。それを三枚におろして、約一時間水煮
 してミネラルなどを抜いている。だから、カツオ節は、放射能の心配をするより、ミ
 ネラル不足にならないように料理を工夫することの方が重要だ。
        
                    小若順一 著 『食べるな危険!』、PP.26-34

 

 

【薄雪の法要記】

過日、寒波打ち寄せ雪がちらつく朝から、所用・諸事のため父親の十七回忌の供養を宗
寺で行う。いつものごとく奥の間に通され待機し、太鼓・木魚が敲かれる中本堂で竹
内禅
禅真住職の読誦に一時包まれた。最後に住職から「迷信」を排し「信」を極めるこ
とこそ
救済されるという説法を頂き、法要供養を終え、母のいる特別養護老人ホームさ
ざなみ苑
家族で見舞いに立ち寄り帰ってきた。


※『滋賀県百科事典』によると、「彦根市本町2丁目にある浄土宗の寺。弘誓山天白院
宗安寺(ぐせいざんてんびゃくいんそうあんじ)と称する。上野国(こうづけのくに)
箕輪において、井伊直政の室、東梅(とうばい)院のため成誉典応禅師を開山として建
立したが、井伊氏が1600年(慶長5)佐和山に封ぜられたとき、ともに移転した。さら
に、彦根城築城のさい、現在地にうつし、東梅院の父母の法名の一字ずつをとって宗安
寺と命名したという。以後井伊家内室の菩提寺としてつづく。将軍のかわるごとに朝鮮
より祝賀の使節一行数十名が来朝したおり高官の彦根宿泊はこの寺にきめられていたと
いう。また墓所には大坂夏の陣で戦死した木村長門守重成(ながとのかみしげなり)の
首塚がある。

※ 中陰法要(忌明け)後、命日から百日目に「百ヶ日」の法要が行われるが、この「
百ヶ日」と「一周忌」「三回忌」の三つの法要は、中国の儒教の祭祀の影響により加え
られたもので、これは、亡者が「初七日」「七七日(四十九日)」と「百ヶ日」を含め
た八つの忌日
と「一周忌」「三回忌」の二つの年忌の、合計十度の時点で、冥界の十人
の王に審判を受けるという「十王信仰」に基づいている。この、十王信仰は、仏教が伝
来した後に、中国で生まれた信仰であり、道教とも共有しているものである。その審判
の時に、遺族による追善供養による功徳で、亡者の審判に資することを期すのが、忌日
と年忌の法要の持つ意味合いとされる。また、神道では三十三回忌をもって荒御霊が和
御霊(祖霊)になるとするため、三十三回忌を区切りとし、日本の仏教の一部では、神
仏習合の影響により、三十三回忌・五十回忌をめどに「祖先神」として一体化すると考
えられている。さらに、上記以外の年忌も含め三ないし七にて勤めるのは、一般的に儒
家の三魂七魄に基づき、「十三回忌」は、十二支が一巡する事をもとに勤めると考え、
「二十五回忌」は十二支が二巡したとも五十回遠忌の半分とも考える。そして、普通五
十回忌からは遠忌(おんき)といわれる。


ところで、住職から頂いた法話は『選択本願念仏集』の「三心」に該当するのではと家に
帰り考えた。
 

 『観無量寿経』にのたまはく、「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三
 種の心を発して即便往生しなん。なんらをか三となす。一には至誠心、二には深心、
 三には回向発願心なり。三心を具すればかならずかの国に生ず」と。

                            法然『選択本願念仏集


法然上人は、念仏行者は必ず三心を具足していなければならない言う。三心を具足すると
いうことは、要は、深心すなわち本願を深く信ずる心がなければならない。この信心の有
無により、悟りの世界に入るか、迷いにとどまるかが別れると教える。そこで「信」「不
信」
の地平を往還する――西行、親鸞、良寛等の日本仏教思想を現代的な視座で論じ考察
た吉本隆明著『の構造Ⅰ』を思い出す。


 


 つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 

 回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相とは、おのれが功徳を
 もつて一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生
 せしめたまふなり。

 還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死
 の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。もしは
 往もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためにしたまへり。このゆゑに「回
 向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり」と。

                               親鸞『教行信証


吉本隆明の解釈によると、親鸞の教えの特徴は、(1)修行したら浄土、天国には行けな
いと言ったことにあり、(2)「浄土」、つまりキリスト教で言う天国は、実体としては
ないと言
ったことにある。つまり、ほとんど無信仰に近いところまで仏教を持っていき、
戒律もすべてやめた。ある意味で仏教にとどめを刺した。「善人が天国にいけるなら悪人

はなおさら行ける。だったら悪人になればいいじゃないか」。それに対し、親鸞は「じゃ
あ、いい薬があるからといってわざと病気になったり怪我をしたりするか。心ならずも悪
ことをしてしまったとか、ひとりでにこうなってしまったから悪人は必ず救われる。一
人のときにはたった一人も殺せないのに、戦争になると百人、千人殺すことはあり得る。
それはその人自身が悪くなくても、機縁によって千人も殺すということはある。だから、
悪だから救われない、善だから救われるという考え方は間違いだ」という思想を見いだす。
そこから、吉本にとって、最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひら
くのではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもなく、頂きを
極め、そ
のまま寂かに向って着地することができればというのが
最後の課題であると導きそう説
いている。


さらに、法然と親鸞のちがいは、(「御計(おんはからひ)」をどう処理するかの一点に
あり、法然には成遂できなかったが、親鸞には成遂できた思想がの放棄の仕方に
あり、
然の教義をつきつめていけば、現世をいとい来世をもとめるという思想を徹底
化してゆく
よりほかはない言っている。熱心に原書を読んだことがないので、滑ってし
まうのが落
ちだが、例えば、法然がマルクスだとすれば、親鸞はレーニン、トロツキーの
ような立ち
位置に考えてみたことがある。余談だが、それじゃヨシフ・スターリンは誰だ
と言えば、
造悪論の立ち位置には麻原彰晃が該当するだろうか?もっとも、吉本は麻原彰
晃は持ち上
げたが、スターリンは酷評した。さてもこの様に、宗安寺本堂で貴重な経験を
し「信仰」
という行為を考えることとなった。





【今年の登山計画】

ことしの百名山踏破は次の五山とした。より高きをめざせと。

大峰山、甲斐駒ヶ岳、木曽駒ヶ岳、月山、霧ヶ峰 

 

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