極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

夢だけでは終わらない

2017年07月24日 | 神道物語

 

            

                         宣公三年(- 606) 鼎の軽重  / 楚の荘王制覇の時代 


                                                

   ※ 楚の荘王はすでに内乱を静め外患を除き、まさに朝日の昇るがごとき勢い。晋兵を北
     林に敗って、鄭を服せしめ、今また陸渾の戎を伐った余勢を駆って、周の円筒近くで
     観兵式を行なった。彼の眼中にはもはや周の王室もない。
     【経】 三年、春、楚子、陸渾の戎を伐つ。

   ※ 陸即地方(河南俗談邱県)の戎を伐った楚の荘王は、そのまま軍を洛水のほとりに進
     め、周の国境でこれみよがしの示威を行なった。周の定王は大矢玉孫満を使者として
     差しむけ、その功をねぎらわせた。その会見の席上、荘王は眉王室に伝わる鼎のこと
     を話題に持ち出し、その大小、縦貫をたずねた。

     「鼎の価値は、所有者の徳しだいで決まるのであって、鼎自体の大小、言言とは無関
     係であります」と、使者の王孫満はきり返した。「むかし、夏王の徳治が天下に行き
     届いていた時代、遠方の諸国に令じてその地に摺息する怪物の類を描いた模様を献上
     させたことがありました。夏王はこの献上物が届くと、さらに九州の長官に兪じて鼎
     の材料を集めさせ、その材料でこれらの怪物をかたどった鼎を鋳造させたのです。こ
     うして人民にありとあらゆる怪物の姿をあらかじめ示すとともに、その魔性の恐ろし
     さを周知徹底させたおかげで、人民は沼沢山林に踏み入っても、魔物にも逢わず、山
     川の悪病神にとりつかれる心配もなかったのです。かくて夏王の徳は上下をしっくり
     と一致させ、天佑をさずけられました。

     しかるにその夜桀王が現われて無道を行なったため、この鼎は夏から殷に移りました。
     さらに六百年たち、紂王が現われて暴言にふるまうと、この鼎は殷から周に移ったの
     です。つまり、鼎の軽重は所有者の徳しだいで決まります。鼎自体は小さくとも、所
     有者が明徳の持ち主であれば、鼎はどっしり腰を据えて、いくら他へ移そうとしても
     移せません。反対に、鼎自体は大きくとも、所有者がよこしまであれば、それは軽々
     と他へ移ってしまいます。

     明徳の持ち主が授かる天佑にも、おのずから限度があります。かつて或王がこの鼎を
     郊鄩(こうじょく)周邦の雒邑(らくゆう)に安置して、周の将来を占ったところ、
     三十世、七百年は続くという託宣でありました。これが天の定めた限度であります。
     してみれば、今日、周王の徳は衰えたりとは申せ、天命はまだ改まったわけではあり
     ません。したがってまだ鼎の軽重を問われるときではないと存じます」

   ★ 威勢赫々たる荘王にぐうの音も出させなかった王孫満。周の王室衰えたりといえども、
     なお人ありというべきである。二十年前の靉の戦いの直前、秦軍の敗北を予言した王
     孫肩は「年なお幼かった」から、この時まだ三十歳にも副たぬはずである。
      



● 7・30 大橋悠依選手パブリックビューイングで応援

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』      

     第42章 床に落として割れたら、それは卵だ  

  「ひとつ君に頼みたいことがあるんだ」と私は雨田に言った。そろそろ話を切り上げて、寝支度
  をしようかという頃だった。時計の針は11時前を指していた。
 「おれにできることならなんでも」
 「よかったら、君のお父さんに会ってみたいんだ。その伊豆の施設に行くときに、ぼくを一緒に
  連れていってもらえないかな?」
  雨田は珍しい生き物を見るような目で私を見た。「うちの父親に会ってみたい?」
 「もし迷惑じゃなければ」
 「もちろん連惑なんかじゃないよ。ただね、今の父親はもう、筋の連った話ができる状態じゃな
  くなっている。混沌とした、ほとんど泥沼みたいなことになっている。だからもしおまえが何か
 そういう期待を待っているのだとしたら……つまり雨田典彦という人物から何か意味のあるもの
 を受け取りたいと望んでいるのだとしたら、がっかりするかもしれない」
 「そういうことは期待していない。ぼくとしてはコ皮でいいから君のお父さんに会って、しっか
 り顔を見ておきたいんだ」
 「どうして?」

  私は一息ついて、居間の中を見回した。そして言った。「もう半年この家で暮らしている。お
 父さんのスタジオで、お父さんの椅子に度って緒を描かせてもらっている。お父さんの使ってい
 た食器で食事をし、お父さんのレコードを聴かせてもらっている。そうやっていると、実にいろ
 んなところに彼の気配みたいなものを感じるんだ。だから雨田具彦という人物と、コ皮でもいい
 から実際に顔を合わせておかなくてはという気がしたんだ。たとえまともに話ができなくても、
 それはかまわない」
 「ならいいんだ」と雨田は納得したように言った。「おまえが行ったところで、うちの父親はと
 くに歓迎もしないし、いやがりもしないよ。誰が誰だかもう見分けがつかなくなっているからさ。
 だからおまえを一緒に連れて行くことには何の問題もない。近いうちにまた伊豆高原の施設に行
 くことになると思う。もうあまり長くはないだろうと、医者に宣告されている。いつ何かがあっ
 てもおかしくはない状況だ。おまえの予定がなければ、そのときに一緒に連れて行くよ」

  私は予備の毛布と枕と布団を持ってきて、居間のソファに寝支度をととのえた。そして部屋の
 中をもうコ皮ぐるりと見回し、騎士団長の姿が見えないことを確認した。もし雨田が夜中に目を
 覚まし、そこで騎士団長の姿を飛鳥時代の衣裳に身を包んだ体長六十ンチの男を目にしたら、き
 っと肝を潰すだろう。自分がアルコール中毒になったと思い込んでしまうかもしれない。`
  騎士団長のほかに、この家の中には「白いスバル・フォレスターの男」がいた。その絵は人目
 につかないように裏向きにしてある。しかし真夜中の暗闇の中で、私の知らないあいだにどんな
 ことが持ち上がっているか、ちょっと見当もつかない。

 「朝までぐっすりと眠れるといいんだけど」と私は雨田に言った。それは本心からの言葉だった。

  私は雨田に予備のパジャマを貸してやった。だいたい同じくらいの休型なので、サイズに問題
 はなかった。彼は服を説いでそれに着替え、用意した布団の中に潜り込んだ。部屋の空気は少し
 冷えていたが、布団の中はじゆうぶん温かそうだった。

 「おれのことを怒ってないか?」と最後に彼は私に尋ねた。
 「怒ったりしていない」と私は言った。
 「でも、少しくらいは傷ついているだろう?」
 「かもしれない」と私は認めた。少し傷つくくらいの権利は私にもあるはずだ。
 「でもコップにはまだ水が十六分の一も残っている」
 「そのとおり」と私は言った。

  それから私は居間の明かりを消し、自分の寝室に引き上げた。そして少しばかり傷ついた心と
 共に、ほどなく眠りに就いた。

    第43章 それがただの夢として終わってしまうわけはない

  目を覚ましたとき、あたりはもうすっかり明るくなっていた。空は灰色の薄い雲にくまなく覆
 われていたが、それでも太陽はその恵み深い光を、地上に談く静かに往いでいた。時刻は七時少
 し前たった。
  洗面所で顔を洗ってから、コーヒーメーカーをセットし、そのあとで居間の様子を見に行った。
 雨田はソファの上で布団にくるまって深く眠っていた。目を覚ます気配はまったく見えない。そ
 ばのテーブルの上には、ほとんど空になったシーヴァス・リーガルの瓶が置かれていた。私は彼
 をそのままにして、グラスと瓶をかたづけた。

  私にしてはかなりウィスキーを飲んだはずだが、二日酔いの気配はなかった。頭はいつもの朝
 のようにすっきりとしていた。胸やけもしていない。私は生まれてから二日酔いというものを経
 験したことがない。どうしてかはわからない。たぶん生まれつきの体質なのだろう。どれだけ飲
 んでも、一晩眠って朝を迎えれば、アルコールの痕跡はすっかり消えてなくなっている。朝食を
 とって、すぐさま仕事にとりかかることができる。

  トーストを二枚焼いて、卵二つの目玉焼きをつくり、それを食べながらラジオのニュースと天
 気予報を聴いた。株価が乱高下し、国会議員のスキャンダルが発覚し、中東の都市では大がかり
 な爆破テロ事件があって多くの人が死んだり傷ついたりしていた。例によって、心が明るくなる
 ようなニュースはひとつも聞けなかった。しかし私の生活に今すぐ悪い影響を及ぼしそうな事件
 は起こっていなかった。それらは今のところどこか遠くの世界の出来事であり、見知らぬ他人の
 身に起こっている出来事だった。気の毒だとは思うが、それに対して私に今すぐ何かができるわ
 けではなかった。天気予報もまずまずの気候を示唆していた。素晴らしい日和とも言えないが、
 それほどひどくもない。一日中うっすら曇ってはいるものの、雨が降るようなことはないだろう。
 たぶん。でも彼人たちは、あるいはメディアの人々は利口だから、「たぶん」というような曖昧
 な言葉は決して用いない。「降水確率」という便利な(誰も責任を負う必要のない)用語がその
 ために用意されている。

  ニュースと天気予報が終わると私はラジオを消し、朝食に便った皿と食器を片付けた。そして
 食卓の前に座って、二杯目のコーヒーを飲みながら考えごとをした。普通の人なら配達されてき
 たばかりの朝刊を広げて読むところだが、私は新聞をとっていない。だからコーヒーを飲み、窓
 の外にある立派な柳の木を眺めながら、ただ考えごとをした。

  私はまず、出産を控えている(という)妻のことを考えた。それから彼女はもう私の妻ではな
 いのだということにふと気づいた。彼女と私とのあいだには、もはや何の繋がりもない。社会契
 約上も、また人と人との関係においても。私はもうおそらく彼女にとっては何の意味も持たない
 よその人間になってしまっているのだ。そう考えるとなんだか不思議な気がした。何ケ月か前ま
 
では毎朝一緒に食事をし、同じタオルと石鹸を使い、裸の身体を見せ合い、ベッドを共にしてい
 たというのに、今ではもう関係のない他人になっている。

  そのことについて考えているうちに次第に、私自身にとってすら私という人間が意味を持たな
 い存在であるように思えてきた。私は両手をテーブルの上に置き、それをしばらく眺めてみた。
 それは疑いの余地なく私の両手たった。右手と左手が左右対称にほぼ同じ格好をしている。私は
 その手を使って絵を描き、料理をつくってそれを食べ、ときには女を愛撫する。しかしその朝は、
 それらはなぜか私の手には見えなかった。手の甲も、手のひらも、爪も、掌紋も、どれもこれも
 見覚えのないよその人間のもののように見えた

  私は自分の両手を眺めるのをやめた。かつて妻であった女性について考えるのもやめた。テー
 ブルの前から立ち上がり、浴室に行ってパジャマを説ぎ、熱いシャワーを浴びた。丁寧に髪を洗
 い、洗面所で髭を剃った。それから再び、子供を私の子供ではない子供をやがて出産しようとし
 ているユズのことを考えた。考えたくはなかったけれど、考えないわけにはいかなかった。


  彼女は妊娠七ケ月くらいになっている。今から七ケ月前というと、だいたい四月の後半になる。
 四月の後半に私はとこで何をしていただろう? 私か一人で家を出て、長い一大飯に出だのは三
 月の半ばだ。それからずっと年代物のプジョー205を運転して、東北と北海道をあてもなくま
 わっていた。旅行を終えて東京に戻ってきたのは、五月に入ってからだ。四月後半といえば、北
 海道から青森に渡った頃だ。函館から下北半島の大間まで、移勣にはフェリーを使った。

  私は飯のあいだつけていた簡単な日記を抽斗の奥から出して、その頃自分かどのあたりにいた
 かを調べてみた。私はその時期、海岸から離れて、青森の山の中をあちこち移勤していた。もう
 四月も半ばを過ぎていたが、山間部はまだまだ冷え込んで、雪もしっかりと残っていた。どうし
 てわざわざそんな寒いところに行こうと思ったのか、理由はよく思い出せない。正確な地名はわ
 からないが、湖の近くの人気のない小さなホテルに何日か続けて宿泊していたことを覚えている。
 素っ気のないコンクリートの古い建物で、食事はかなり質素だったが(でもまずくはない)、宿
 泊費は驚くほど安かったからだ。そして庭の隅には一日中入れる小さな露天風呂までついていた。
 春の営業を再開したばかりで、私の他に泊まり客はほとんどいなかったと思う。

ここはコメントなしで次回へ。

                                      この項つづく
 

      
● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり   

         第2章 「日本の年金制度がつぶれない」これだけの理由

     賦課方式は、ずっと制度が続くことを前提にしていますので、「負債」と「資産」は
   必ずバランスするよう計算されなくてはいけませんし、債務超過は発生しません。
    ところが、「日本の年金は積立不足だ」と指摘する人がいます。なぜでしょうか。そ
   れは、バランスシートを途中で区切って見ているからです,

    未来永劫合わせた年金資産と年金負債でバランスシートをつくれば、「保険料」=
   「給付額」という式から、資産と負債は必ず一致しますが、どこかの時点で途中で区切
   ると、負債のほうが大きくなります。
    年金がスタートした時点のことを考えてみると、その理由がわかります。
    昭和三十六年に国民皆年金がスタートしましたが、スタート時点で、すでに高齢者に
   なっている人もたくさんいました。
    仮に積み立て方式でスタートしたとすると、二〇歳の人は六〇歳まで四〇年間積み立
   てて、六〇歳以降は自分の積み立てた分をもらえますから、何の問題もありません。四
   〇歳の人も二〇年くらいは積み立てることができます。将来受け取る額は少なくなりま
   すが、四〇歳の人もそれほど問題はないでしょう。
    しかし、六〇歳の人、八〇歳の人は、すでにリタイアしていますので、積み立てるこ
   とができません。「あなたたちは、一円も積み立てていないから、もらえませんよ」と
   政治家がいうのはまず無理です。

    国民皆年金を積立方式でスタートさせることは難しいため、結果的に、現役世代の保
   険料を老齢世代の給付に充てる賦課方式にすざるをえなくなります。
    最初のうちは、保険料を一円も納めていない人にも給付をせざるをえません。「保険
   料を納めていないのに、給付を受ける人」が出てきます。単年でバランスシートをつく
   れば、必ず赤字になります。その分は、税金などで補填するしかおりません。
    しかし、制度が長く続いていくと、「納めていないのに受け取る人」が減っていきま
   すから、赤字がなくなってバランスしてきます。ものすごく長い目で見ると、保険料と
   給付はきちんとバランスします。

    最終的には必ずバランスして、不足はなくなりますが、どこか途中でバランスシート
   を切り取ってしまうと、保険料を納めずに受け取っていた人の分かおりますから、債務
   超過になります。

    ・未来永劫すべて合わせたバランスシート↓「資産」と「負債」が一致
    ・ある時点で切り取ったバランスシートー↓「債務超過」になる

    日本は人口が多く、加入音数が膨大です。保険料を払わずに年金を受け取った人もた
   くさんいますので、その人たちの分を全部足すとかなり大きな額になります。人数が多
   いので額も大きくなるのです。
    制度が成熟するにつれて、保険料と給付が一致してきますから、不足分は解消されて
   いきます。不足額が大きいからといって、不安になる必要はありません。不足額が年々
   増えているのであれば問題ですが、少しずつでも減っているのであれば問題はありませ
   ん。時間はかかるかもしれませんが、いずれは解消されます。
    額の問題ではなく、増えているのか減っているのかが重要です。減っているのであれ
   ば、どのくらいのスビードで減っていくのか。制度改正によって、保険給付を抑えた
   り、保険料率を高めたりすれば、減っていくスピードは上がります。

               第2章11節 年金は、なぜ「積立不足」といわれるのか?


     制度設計が正しくても、「経済政策」が悪いと絵に描いた餅になる

    政府は、5年に1回「財政検証」というものをしています。「財政検証」は、人ロや
   経済の実績を織り込んで、公的年金財政の健全性を検証するものです。
   「財政検証の前提条件となっている数字が実態と違いすぎる」という批判がよくありま
   す。
    平成21年(2009年)の財政検証では、平誠二十八年度(2018年度)以降の
   運用利回りを名目4・1%(経済中位ケース)としていました。物価上昇率は1%実
   質賃金上昇率は1・5%という想定でした。これに対して「4・1%の利回りの想定が
   高すぎる」という批判がありました。
    しかし、名目成長率を四%にできれば、長期金利が四%になることは普通のことです
   から、それほどおかしな数字ではありません。
    名目成長率が4%というと、「実態とかけ離れているのでは」と感じる人もいるかも
   しれませんが、2%近辺のインフレ率を達成できれば、リーマンショック級の経済苦境
   さえなければ、4%程度の名目成長率は、けっして夢物語ではありません(図6参照)。
   むしろ十分に達成しうる目標値です。



    思えば、2009年はリーマンショックの翌年でした。そのころの経済状況から見る
   と、途方もない数字に見えたのでしょう。その年に民主党に政権交代しましたが、民主
   党政権金融政策にまったく疎く、インフレ目標の設定なども、もちろんなされません
   でした。
    当時は、マクロ経済政策をきちんとしていなかったため、現実と想定との乖離がいっ
   そう大きくなりました。政府が経済政策をきちんとしていなかったのですから、「想定
   数字が甘い」と批判を受けるのは無理もありませんでした。

    しかし、安倍政権へ交代したあとの経済指標を基準にすれば、当時の想定数字はそれ
   ほどおかしなものには映りません。政府日銀のマクロ経済政策ができていないと、理想
   的すぎる想定に見えますが、マクロ経済政策ができていれば、想定が間違っていたとは
   いえなくなります。
    合計特殊出生率の見積もりが甘いという批判もよくありますが、経済政策がきちんと
   できていれば、多少の少子化はカバーできます。繰り返し述べているように、納付され
   る保険料は、「人数」×「所得」で決まります。人数だけの問題ではありません。
   要するに、「財政検証」の想定に問題があるのではなく、「マクロ経済政策の良し悪し
   の問題」なのです。「経済政策の問題」を「年金の問題」と混同してしまってはいけま
   せん。

    平成二十六年(2014年)の財政検証ではケースAからケースHの8ケースが想定
   されています。ケースAの想定は、物価上昇率2・0%、実質賃金上昇率2・3%、実
   質運用利回り3・4%、実質経済成長率1・4%です。まったくおかしな数字ではあり
   ません,
    重要なことは、名目成長率四%くらいになるような経済環境をつくることです。経済
   政策ができていないと、どんなにすばらしい年金制度をつくっても、行き詰まります。
   経済政策が良ければ、年金制度はきちんと回っていきます。
    アベノミクスでは、雇用を増やしましたが、これは非常に重要なことです。私の勤務
   している大学では、就職内定率が九五%を超えました。「大学の進路指導が良かった」
   といいたいところですが、そうとばかりはいえません。他の大学も軒並み就職内定率が
   上がっていろからです。

    ここまで就職内定率が高くなったのは、経済環境のおかげです。

    アベノミクスの金融政策を批判する人がいますが、そもそも金融政策というのは、
   用拡大のためにやるものです。アメリカの中央銀行は「雇用の最大化」を政策目標とし
   て明確化しています。「雇用拡大は金融政策で実現すべき」というのは、日本以外の
   ではもはや常識なのです
    そこに目をつぶってアベノミクスの金融政策を批判するのは自由ですが、では、その
   ような論者が考えている政策で雇用拡大はなしえたのでしょうか? 民主党政権前後の
   経済政策を考えれば、およそそのような政策に見込みがないことは明白ではないでしょ
   うか,

    まずは職があること。そのうえで、賃金が上がればさらによしです。学生が卒業して
   職に就けなければ、将来を見通せなくなります。年金保険料も払うことができず、将来
   の年金額は少なくなってしまいます。仮に内定先の給料が低いとしても、それでも、と
   もかくまずは職を持つことが重要です。
    若者の年金を心配するなら、雇用を増やす経済政策をすることです。


      第2章12節 制度設計が正しくても、「経済政策」が悪いと絵に描いた餅になる


      公的年金を「税方式」でやったほうがいいか?

    社会保障には、「保険方式」と「税方式」かおるといわれます。日本の場合は、本書
   でこれまで見てきたとおり、「保険方式」です。
    一方、税方式でやっている国は、ニュージーランドなどいくつかの国しかおりません。
   社会保険料は、英語では「ソーシャル・セキュリティ・タックス」と呼ばれており、税
   金と同じタックスの扱いです。しかし、ほとんどの国では、年金制度自体は「税方式」
   ではなく、「保険方式」で運営されています。

    保険方式の場合は、保険料の支払いに応じて給付が行なわれます。負担と給付の関係
   が明確ですから、管理する際には、誰がどれだけ保険料を納めたかという個人ペースの
   徴収履歴を残しておかなければなりません。ニュージーランドが税方式にしていたのは、
   コンピュータ化が進む前は、個人の徴収履歴を紙で管理するのが大変だったという理由
   もあります,              

    税方式の場合は、一律に給付が行なわれますから、誰がいくら払ったのかという個人
   ベースの記録を残す必要はありません。税金を納めていない人にも、一律に年金は支払
   われます。
    アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど主要先進国の制度はすべて保険方式です。
   それは、負担と給付の関係を明確にするためです。

    公的年金制度を実現する際には、負担と給付の関係を明確にしなければ不公平感が生
   まれて、国民の納得を得られません。税方式は、たくさん負担した人も、負担しなかっ
   た人も、もらえる額は一律になり、不公平感が生まれます。
    保険方式にして「保険料を多く納めた人には、保険料をあまり納めなかった人よりは、
   給付を多くしてあげます。だけど、本当に貧しい人は、国が代わりに保険料を払っ
てあ
   げて年金をもらえるようにします」というのであれば、国民が納得しやすくなりま
す。

    厚生労働省も次のような論点を挙げて、保険方式のほうがすぐれていると主張してい
   ました。

    ①自助と自律の精神を基本としている

    ②保険料の納付実績が記録され将来の給付の根拠となるため権利として年金を主張で
     ざるという安心感がある
    ③基礎年金の給付費は今後巨額に達する見込みであることから社会保険方式を基本と
     した悦財源との組み合わせが、もっとも安定的な運営方法である
    ④
主要先進国でも公的年金はほぼ例外なく社会保険方式を採用している

    先進国では保険方式を採用したあとで、税方式に変えた国はありません。途中から税
   方式に変えた場合、それまでにたくさんの保険料を納めていた人と、納めていなかった
   人の扱いが同じになってしまいます。保険料をたくさん払った人は納得しないでしょう。
    保険料を納めていた人が全員死亡するまで、30年も40年もかかりますから、税方
   式の移行には、膨大な時間がかかります。さらにいえば、移行期間は保険方式と税方式
   が併存するため、混乱が生じかねません。
    すでに保険料が法的には税とされていることと、長い年月と多額のコストをかけてま
   で移行するメリットはないことから、どの国もずっと保険方式のままです。

    《年金の二つの方法》

    ・保険方式→負担と給付の関係が明確 →個人別記録が必要
    ・税方式 →負担と給付の関係が不明確→個人別記録は不要

    保険方式を維持しながら、「賦課方式」から「積立方式」に変えたほうがいいという
   意見もあります。
    しかし、賦課方式を積立方式に変更するのも、かなり大変です。現役世代が支払った
   保険料はすでに老齢世代に支払われてしまっているのですから、積立方式に変更すると、
   今後、現役世代は「自分の分」と「老齢世代の分」の両方を支払わなければいけなくな
   ります。
    二重の負担は大変ですから、他の国でも、賦課方式から積立方式に変更された年金制
   度はありません。実例がないから、どうやっていいのか、誰もわかりません。
    賦課方式から積立方式への移行は、移行期間を100年くらいにすれば、理論的には
   可能かもしれません(検証したことはありませんが)。ただ、制度が完全に移行するに
   はかなり時間がかかるはずであり、現実的な方法といえるかどうかはわかりません。

    ただし、賦課方式では世代間の不公平はどうしても避けられません。すでに保険料を
   払っていない人が年金をもらっている(第1章や本章で触れたように年金制度発足時に
   高齢者だった方々です)ので、その穴埋めを後世代はするだけであり、先の世代の人ほ
   ど有利ともいえます。
    世代間不公平を本当に解決したいなら、積立方式が望ましいです。この意味で、政治
   的な挑戦はありだと思っています。

               第2章13節 公的年金を「税方式」でやったほうがいいか?

                                    この項つづく
 July 23, 2017

● 南イタリアのカンピ・フレグレイ 噴火目前の臨界状態 ?!

世界でも指折りの危険な火山として知られています。そのカンピ・フレグレイ(イタリア語で「燃え
盛る畑」を意味する平原――火山の大部分は地中海の下に隠れており、海中には24個のクレーター
からなる大火山となる)が、約5百年の休止状態を終えて、ついに噴火目前の臨界状態に近づいて
いる兆候が見られると科学者が警告している(上/下図ダブクリ参照)。この研究チームによると、
1950年代、1970年代、1980年代にそれぞれ2年間の不安定な状態が続いたが、これらの時期は噴火に
必要なエネルギーに達していなかったが、今回はエネルギーが十分衣に蓄積していると指摘。イタリ
ア国立地球物理学研究所(NASA)の研究チーム(2016年12月)のカンピ・フレグレイの噴火を引き起こ
す可能性があるマグマガスの臨界圧力に近づきあるとの研究成果を裏付けるものになる。イタリア政
府は2016年12月時点で噴火の警戒レベルを「要警戒」に高めており、火山活動に注意するよう呼びか
けているが、カンピ・フレグレイがいつ噴火するのかを事前予測――カルデラ中央の表層から地下に
3キロメートル下ったマグマが今後数十年間にどのように振る舞いに依存――できるかは不明であると
している。

尚、20万年前の噴火によって約3.7兆リットルの溶岩が噴出し火山が崩壊するとともに巨大なカル
デラが形成されたが、その大噴火によってネアンデルタール人が絶滅したとする説が、2010年に発表
されている。                                                                        
                                                                                           

  May 15,2017                                                                                              

 

 

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石庭に隠されたメッセージ

2016年09月03日 | 神道物語

 

    グローバルとはなにかというと、昔のものとか、今のものとか、新しい技術とか関係
    なく、いいものをいいと、直感的に本質を見抜く力、これに尽きると思うんですね。

                                          松山大耕 妙心寺退蔵院副住職

                                                 

                                               Daikou Matuyama 1978 -

        ※ 普遍性の獲得。

   
2016年台風12号(ナムセーウン|NAMTHEUN

4日(日)から5日(月)にかけて、強い台風12号が九州北部に接近し上陸するおそれがある。西日本
を中心に、暴風に厳重な警戒が必要なほか、高波、低い土地の浸水、土砂災害、河川の増水や氾濫に
要警戒。3日午後11時には鹿児島県枕崎市の南の海上にあると見られ、1時間に約10キロメート
とゆっくりとした速度で北上、中心の気圧は965ヘクトパスカル、中心付近の最大瞬間風速は、
50
メートル。

 

【石庭に隠されたメッセージ】

禅宗の奥義は、四つの特徴教義――「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」から構成さ
れ、「心の名である」と言われ、本当のありのままの
姿――ひとつの相にこだわらない無相。一処に
とどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼ぶ、ほとけの心のことを「禅」
という言葉で表現される(「禅とグ
ローバリゼーション~本質を見抜く力~日本の価値観が世界で求
められるわけ」松山大耕 妙心寺退蔵院副住職, 2016.07/クロシング
)。

これは、慶應義塾の社会人教育機関、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が主催する夕学五十
講(せきがくごじゅっこう)の講演での松山大耕講師の記事で、偶然にネットで遭遇し興味を惹く。
禅宗との関わりなく、お向のお家が曹洞宗の門徒ぐらいで、社内研修での禅修行、座禅瞑想や東近江
市の臨済宗永源寺(京都では竜安寺:上図)程度。

松山大耕は、禅を漢字の構成から
「シンプルであることを示す」とし、その実態は次に「座って半畳、
寝て一畳」であり、自分のプライベートスペースは、この畳一畳分だけ、そのなかで寝もし、坐禅も
し、おまけにプライバシーがない。また、例えば、朝早く、お祈りの時間があり、食事は静かにとる
ことはカソリックと似てるところがあると話し、龍安寺の石庭に移る。この庭は、綺麗だけでなく、
「教え」つまり、石庭のなかの15の庭石が縁側から見るが、どこに行っても15個全部見えない
必ず1~2個隠れて見えないように設計されている。これは設計者の意図が解釈され、「15」とい
う数字の意味には「完全」を表すす。例えば七五三、全部足したら15になるという数字にまつわる
神秘性の表出が、本堂の周りの真砂は光を反射し照明の機能をもたせたという意図(=教え)がある
から美しだけでなく350年間保存継承されてきた解釈する。

次に、人間の能力は自身では測れず、自分たちがわからない限り、客観的な分析はできないので、自
分自身、心をおいた研究ができず、本当に客観的な学問だと思われていた数学や物理の分野でも、心
は今や大事な論題となってきている科学と禅宗に話題が移る。

● 「無意識の意識」の会得修行

座禅体験で1週間寝ないで極限状態で坐禅修行する意味を、伊藤穰一MITメディア・ラボ所長に温ね
ると2つ意味があると言い、1つ目が、「同じ体験をしないとその気持ちがわからない」「だから仏
陀と同じことをやるんだ」と体験が大事ということ。もう1つは、「無意識の意識」つまり、人間を
本当の無意識のレベルから正していかない限りダメでそのために、修業をやる意味があると教えられ
る。MITでも、「無意識の意識」というのはホットな話題の1つで、ある文章をレコーダーで被験者
の声で録音。同じく、日本人の同い年の男性百人に同じ文章を録音し、あとでその録音された声を聞
き、それが果たして自分の声なのか、人の声なのかを判断する実験を行ったところ、
人の声を人の声
と判断できる場合もあるが、けっこうな割合で、人の声なのに「自分の声だ」と言ったり、自分の声
なのに「人の声だ」と言ったりするという報告がある。つまり、自分たちの記憶はあてにならという
ということを実証。そこで、比較対象として、
同時に、手の甲にある特殊なセンサーを付けて、その
皮膚の反応を調べると、自分の声を聞いたときと人の声を聞いたときと百パーセント正しく判断して
る。
つまり意識のレベルでは間違ってるのに、無意識のレベルだと完全に正しく判断できてていると
いう



Kei Nishikori vs Nicolas Mahut: Online Live

人間が自分で意識できてると思っているのは、自分たちの能力のうちの、氷山一角でにすぎず、水面
下の大半の部分が無意識界。
人間がその極限までいくと、この無意識レベルが低下していく。人間の
本質を変えていかない限り、水面上の部分まで変わらない。そこで、テニスの錦織圭選手は、相手の
サーブを打ってから反応していては絶対にレシーブできないが、彼は
サーブの来る場所がだいたいわ
かる達人域、
第六感でわかるとのこと。直感が働く。これは、トップアスリートのたちは完全に禅の
心理状態にまで到達している語る。例えば、このように考えていくと、「グローバルとはなにか?」
というと、昔のものとか、今のものとか、新しい技術とか関係なく、いいものをいいと、直感的に本
質を見抜く力
、これに尽きると語り、日本では、宗教が違うからといって争いとか揉めごとは一切起
らず、世界で見れば奇跡的なことで、日本人はもっとそれに誇りをもつべきで、世界は
この宗教観に
非常に
関心を寄せいる現実があり、真剣にこれからの世界では日本の宗教界がリーダーシップを取れ
るんじ
ゃないかなと思っていると結ぶ。 



「不立文字」と「悪人正気」。一見する二律背反、懐の深さを競い合うのが宗門の業なれど、「弥陀
仏の御ちか
ひのもとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへん
とはからはせたまひ
たるにより」(自然法爾章)も「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏の
いへになげいれて、仏のかたより
おこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こ
ころをもつひやさずして、生死をはなれ仏とな
る」(正法眼蔵・生死)も仏法で一つとなり、「如来
は我なり、されど我は如来に非ず。如来、我となりて我を救
いたもう」(曽我量深)と「悟上に得悟
する漢あり、迷中又迷の漢あり」(現成公案)で「他力」と「悟り」がクロス
オーバーすることを、
拝観者への「龍安寺の石庭」のメッセージであり、衆生の人類界は、「無意識の意識」を探る時代、
言い
換えれば、第5次産業の萌芽を告げているのである、と。わたし(たち)は解したい。


【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】 

 

  ● 又吉直樹 著 『火花』10 

  永福町でまた人が降りた。乗ってくる人はいなかった。開いたドアから流れてきた冷たい風が
 足元に纏わりついた。動き出した窓に、僕と神谷さんの神妙な顔が映っ
た。

 「神谷さん、真樹さんと付き合ってるんですよね?」
 僕は気持ちを変えようと、前から気になっていたことを聞いてみた。
 「いや、家に住ませて貰ってるだけやで」
 「そうなんですか」

  初めて真樹さんに会ってから、神谷さんに呼ばれて真樹さんの家にお邪魔することが頻繁にあ
  った。外で三人で食事をして一緒に帰ることも多かった。真樹さんは、神
谷さんに対して献身的
  だったし、僕にも優しくしてくれた。今日、知らない女性達と
呑んでいる時にも、僕は真樹さん
  のことが何度か頭を過ぎった。真樹さんと三人で呑
む方が楽しい。僕が真樹さんを好きな理由の
 一つは、神谷さんの才能を認めているこ
とにあった。神谷さんがなんと言おうと、真樹さんは神
 谷さんに心底惚れ込んでいる。ということが同じ空間にいてわかった。

 「彼女さんやと思ってました」と僕が言うと、
 「そうやんな」と冲谷さんは気のない返事をした。
 「好きじゃないんですか?」
 「お前と喋ってると学生時代思い出すわI
 「僕、大学行ってたら、まだ四年生の歳ですからね」
 「それは知らんけど。いや、家賃も入れてないし、こんなけ色々やって貰ってるから、ちゃんと
 したいねんけど、俺なんかと本気で付き合ったら地獄やでI」
 「そうですね」
 「否定せいよ」と神谷さんは前を見たまま淡々と言った。
 「あいつな、徳永君と行くんやったらIJaうて、いつも金持たしてくれんねん。だから、俺、
 毎日お前と遊んでることになってる]
 「一緒に住んでて、付き合うという話にならないんですか?]
 「何回かなったな。ちゃんとした彼氏作り、って言うた」

  終点の占祥寺を告げるアナウンスが流れる。電車は遠慮気味にブレーキ音を立てて速度を落と
 す。

 「真木さんは、なんて言うんですか?]
 「わかったって」
 「なんか、嫌です」

  真樹さんは吉祥寺のキャバクラで働いていると聞いたことがある。神谷さんが転がり込んだタ
 イミングで、カラオケのバイトを辞めて、改の仕事を始めたらしい。電車は吉祥寺に到着した。
 渋谷よりも更に温度が低いような気がしたが、僕の身体が芯から冷えているだけかもしれなかっ
 た。改札を抜けて北口へ出る。この街の風限は優しい。ようやく緊張感から解放される安堵が全
 身に広がっていった。

 「ハーモニカ横丁行こか?」
 「仔きましょか」

  路傍の吐鴻物さえも凍える、この街を行く人々は誰も僕達のことを知らない,僕達も街を行く
 人のことを誰も知らない,




    ※

  子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報が報じられた。底抜けに明るくなくとも、早口で
 なくとも、図抜けた声量がなくとも、誰にも真似出来ない漫才が実現出来ることを証明してくれ
 た偉大な漫才師だった。もちろん、実際に漫才の世界に入ってみると、強烈な個性と印象でネタ
 を引っ張るのではなく、純粋な話芸だけで漫才を成立させることがいかに難しいことであったか
 思いしらされもした。だが、漫才とは二人で究極の面白い会話をするものであるという根本に立
 ち戻らせてくれる、貴重な存在だった。

  訃報を聞いてから、僕はいてもたってもいられなくなり、高円寺の自宅から程近い公園に相方
 の山下を呼び出した。すぐにネタ合わせがしたくなったのだ。ネタを考えながら口で合わせる時
 は新宿の喫茶店。実際に立って合わせる時は、この公園が多かった。相方は僕の衝動に同調する
 タイプではなかったので、突然呼び出した理由には触れなかった。古い自転車のブレーキをキー
 キー響かせ到着した時から相方の機嫌はよくなかった。暇さえあればネタ合わせをやりたい僕と
 違い、相方は直近にライプがない時のネタ合わせは気が乗らないようだった。取りあえず、次の
 オーディションでやる予定のネタを合わせてみたが、あまり上手く行かない。繰り返し何度もや
 ってみたが、いつも以上に噛み合わない。お互いのテンポがまるで合っていないのだ。相方は僕
 の言葉を聞いていない。耳で聞いていないから、トーンが合わない。僕は相方の言葉を聞いてか
 ら次の言葉を話すので、一瞬の間が空いてしまう。日常の会話なら気にならない程度の間ではあ
 るが、相方の話す速度の中では、その間が異様に際立ってしまう。

  もっと僕の言葉を聞いてから反応するようにと相方に要求すると、「何回もやってるネタで、
 聞いてくれって言われても」と返ってきた。反射的に殴りそうになった。こいつは何もわかって
 ない。新ネタなどは毎日でも作れる。漫才はそういうことではないのだ。そんな感覚でやってい
 るから、いつまで経っても僕達には自分達のリズムというものが見つからないのだ。ベンチに座
 り、無言の時間が暫く続いた。陽が傾き始め、すぐ裏の純情商店街からは惣菜の匂いが漂ってき
 ている。部活帰りの女学生達が笑いながら僕達の座るベンチの前を横切っていく。それぞれ、何
 か細長い物体に黒い布を披せたものを持っている。あれは弓だろうか、あるいは薙刀か、いずれ
 にせよ武器の類だろう。

 「ネタ合わせ大事なんはわかるけど、俺にも予定はあるし急はやめてや」と相方が言った。

  漫才をやるために上京して来た僕達に、漫才よりも優先するべきことなどないのにだ。

 「ほな、来る前に言えや!」
  珍しく怒声を上げた僕は、その叫んだ勢いのまま帰ろうと、咄嵯に立ち上がった瞬間、強烈な
 力によってベンチヘと引き戻された。デニムのバックポケットに入れていた財布とベルトループ
 に付けていたウォレットチェーンがベンチの溝に挟まっていたのだ。怒って帰ったはずの僕は、
 元通り相方の横に収まっていた。相方が俯き笑いを噛み殺していた。

  僕は、ゆっくりと両手を使い鎖が切れないように、ウオレットチェーンをベンチの溝から外し
 た。その一部始終を相方に見られていた。そんな不惘で憐れな僕の横で、
相方は作り物の平然面
 を浮かべていた。

  血が昇った頭を鎮めるためトイレに行った。僕達はネタのことになると揉めることが度々あっ
 た。それは方向性の違いというよりも、意識の違いによるものだった。僕
は.人で焦り過ぎてい
 るのかもしれない。だが、紬‥谷さんは毎日のように大林さんと
ネタハnわせをしていた。その
 姿勢を見ていると、それは若手芸人にとって常識的なこ
とのように思われた。トイレを出て相方
 の方には戻らず、仲谷さんに電話をかけた。

  ネタハロわせをしていて、相方と揉めたことを簡潔に話した。ウォレットチェーンの件は敢え
 て話さなかった。腹の立つ話が、面白い話になってしまう可能性があったから
だ。感情的には後、
 二、三日寝かさなければならない。

 「殴ったろうかなと思ってるんです」

  そう言葉にしてみると、実際に自分がそうしたいように思えてきた。僕達は殴り合いの喧嘩を
 したことがなかった。それをすることによって、何かが変わるかもしれない。

 「殴ったら解散やで。だから、手は出したらあかん」と神谷さんが優しい声で言った。

  その神谷さんの後ろで、誰かの話し声と笑い声が幽かに響いている。

 「腹立つんです」と僕は子供じみたことを言った。
 神谷さんが何かを飲み、グラスをテーブルに置く音が聞こえた。
 「ネタ合わせ終わったら、家おいで。一緒に飯食おうや。お前、一番好きな食べ物なんや?」と
 神谷さんが言った。御馳走してくれるのだろう。

 「焼き肉です」

  僕は正直に答えた。

 「違うやん。お前一番好きな食べ物なんや?」と神谷さんが同じ質問を繰り返した。
現実的に家
 で食べられる物を言えということだろうか。


 「お前の一番好きな食べ物なんや? って聞いとんねん」

 「鍋です」

  そう僕が答えると、神谷さんは黙りこんでしまった。神谷さんの沈黙の奥から、大勢の笑い声
 が響いている。


 「な、鍋?」


  ようやく、神谷さんが言葉を発した。

 「はい、鍋です」
 「あんた鍋食べんの?」
 「いや、よう一緒に食べてますやん」
 「えらい丈夫な歯しとんねやな」
 「いや、違いますやん」「僕は歯が弱いからあかんけど、鉄の鍋と土鍋とどっちがいいの?」
 「何を言うてますの」

  神谷さんが急に馬鹿になってしまった。

 「どちらが、囓りやすいの?」
 「いや、鍋って、鍋そのものは食べないんですよ」
 「お前、鍋食うって言うたやないか?」
 「言いましたけど、鍋の中身を食べるんですよ」
 「鍋の実かいな?]
 「そうです」
 「鍋の実?鍋の、どこ剥いたら実が出てくるの?」
 「果物みたいに言わんといてください。だから、水炊きとかキムチ鍋とか、散々一緒にやってる
 でしょ」
 「つまり、鍋料理のこと言うてんの?]
 「そうですよ。なんで急に阿呆になったんですか? しつこくて、ちょっと怖かったですよ」
 「ほな、牛の牛肉買っとくわ」
 「牛肉は牛です,阿呆やなあ」

  僕が失礼な物の言い方をすると、神谷さんはクククと一人で笑い、

 「難しいな、ほな今夜はジンギスカンにしよ」と言った。
 「余計、難しいです」
 「お前、あのジンギスカン用の鍋持ってるか?」
 「持ってるわけないでしょ」

  相変わらず、話し声と笑い声と大きな拍手が聞こえてきた。テレビを流しながら酒を存み、適
 当に話していたのかもしれない。
  電話を切り、話し込んでしまったことを後悔しながら、相方の所に戻った。神谷さんと話した
 ことにより気持ちは充分過ぎるほど落ち着いていた。相方は携帯の画面を見つめ、ベンチで足を
 組み、片方の汚れた黒のジャックパーセルを空中で揺らしていた。
  相方は、突然「三つ謝るわ」と言った。相方に謝られたことなんて今までにない。
  もちろん、僕も相方に謝ったことなどない。説明は難しいが、コンビというのは、そういう独
 特の関係性なのだ。ましてや、僕達は中学からの同級生なのだから、少々揉めたぐらいで謝罪と
 いう習慣はない。

 「まず、一つはネタ台わせより大事な予定があるみたいに言うてもうたこと」

  本当に、三つ謝るようだった。

 「もう一つが、ネタ考えてるのはお前やのに、ありネタのこと言うてもうたこと」

  しっかりと謝ってくれている。急に恥ずかしくなってきた。 

 「もう、一つが」

  そう言ったまま相方は黙ってしまった。最初は感情が昂ぶって言葉にならないのかと思ったが、
 表情を見る限り、そうではないようだ。同じ場所に繰り返し唾を叶いて
地面を湿らせている。こ
 れは、困った時によくやる相方の癖だった。なぜ、二つしか
謝ることがないのに、三つ謝るなど
 と言い出したのだろう。おそらく、何を言うのか
途中で忘れてしまったのだろう。相方も、それ
 なりに阿呆なのである。買い物袋を持
った人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切
 っていく,僕達はベンチに
腰掛けたまま、夜の気配に言葉を溶かし、あらゆることを有耶無耶に
 して何事もなか
ったかのような顔でいた。 

今夜は、スパークスの乞うご期待と言うことで、次回に。
                                                           この項つづく 

 

 

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凌霄花と静かなる革命

2010年07月12日 | 神道物語



庭先に 粛々と 枝延ばす 凌霄花 吾を叱咤す


 Campsis grandiflora

【明確な意思表示】

  
            さるすべり                のうぜんかずら
この時期に咲いているのは百日紅またひとつ落つ凌霄花

蟻の巣で傷んだ庭の木を一本伐採した跡に今
年で三年目の凌霄花(のうぜんかずら)が、
小雨降るなか花をつけ美しいく咲いている。
今朝は参議院選挙と知事選挙とW杯の優勝に
けりがつき大きな話題となっている。滋賀県
は政府民主党の優勢はびくともしなかったが
全国ではブログ掲載した危惧が的中してしま
った(『スジアラと脱役人天国』『インドゴ
ムノキと不知哉川の雪
』『南阿蘇と未来志向
型総括
』『消費税いわゆる財政健全化論』)。
それはそれで良いが、今回の話題の中心は後
者は「占い蛸の完全なる的中率」、前者は「
みんな党の躍進」だ。^^;

 

その「みんなの党」には共有できる政策も多
々あるが、そのバックボーンである「トリク
ルダウン理論
」は所得格差拡大による流動性
不全
がある。いわゆるレーガノミックスの「
小さな政府」は「軍事ケインズ主義」で支え
られながら→クリントン流「住宅資本主義」
を踏まえたブッシュ流「米英金融資本原理主
義」の破綻は記憶に新しい。その根底には経
済格差拡大と「社会倫理の欠落」(浮益追求
)があり、ギリシャ財政破綻の裏側には「米
英金融資本原理主義」の歓迎されざる復活が
見え隠れする。

 渡辺喜美

それともう1つ、研究はこれからだが先進国
での第三次産業生産高比率の推移が気になる。
勿論、高齢(医療)、少子(教育)、環境(
全産業)、画像(技術)、金融、公的サービ
ス等のソフトサービスの拡充で膨張傾向(景
気変動誤差を差し引き)にあるのだが-この
産業の画像(技術)部門が第4次産業にやが
て切り離される分、縮小するが-『デジタル
革命』の影響甚大でデフレの嵐をまともに受
けこれが縮小傾向を助長し、このことが<不
景感>を永続させる可能性がある。



従って、わたし(たち)の成長戦略は所得格
差の是正とデフレ克服の2点を重視するため
「行政改革」「財政改革」「地方分権促進」
の3つの基本政策以外で、また、米国はこれ
から「ホテル・カルフォルニア条項」が実施
されるが、日本の状況はそれより前にあると
いう状況認識でも彼らとは異なる。「さらば
小泉!鞭声粛々と、静かなる革命は進む」と。






【もっと色素の研究を】

 Cell Energy

生物の色彩は決定的に重要因子。色素の代表
が光合成色素での葉緑素(クロロフィル)で
あり、太陽光の中から赤から近赤外の光エネ
ルギを効率よく吸収する色素
である。その上、
光エネルギの収集効率を上げるためわずかに
極大吸収を変えた複数の色素が配置し、中心
の色素分子に光エネルギが集中するようにな
っている(集光性アンテナ色素タンパク複合
体(LHC))。

 Light harvesting complex
Atomic-level structural and functional model of  
bacterial photosynthetic membrane vesicle  

ここで、集光性蛋白質複合体(light-harvesting
complex: LHC
)は、光エネルギを化学エネル
ギに変換する光合成色素を含んでいる。代表
的な光合成色素はクロロフィル。マグネシウ
ムーポルフィリンを基本骨格とし、LHCと同
様に色素を利用して光エネルギを電気エネル
ギに変換する次世代電池として、色素増感太
陽電池が注目されいる。色素増感太陽電池の
性能は、光エネルギを電気エネルギへの変換
する光電変換効率に依存しており、この光電
変換効率は用いる色素によって大きく変わる。
高性能の色素増感太陽電池の開発には、高い
光電変換効率を持つ色素が前提となる。



クロロフィル類以外にもカロテノイドやフィ
コビリンなど多種多様な光合成色素が知られ
ている。色素が光シグナルを受容する重要な
役割を果たしている。その代表はヒトの色覚
を担うロドプシン類である。植物では、日長
を測定し開花を調節するなどの役割をもつフ
ィトクロムがよく知られている。また紫外線
によるDNA損傷を防止するメラニンの機能も
色が生物学的機能を持つ例
だろう。動物の色
覚に対応して進化した植物の花弁や果実の色
や動物の体色なども能動的な機能では無いも
のの、自然淘汰により増強された色素のもつ
生物の1つの機能とも言える。



しかし、色素の持つ色彩以外の機能の方が重
要な場合も多い
。代表的な例としてヘム鉄が
挙げられる。ヘムの中心金属が鉄であるヘモ
グロビンとミオグロビン、あるいは金属が銅
であるヘモシアニンとが存在する。前者2者
は赤色で、後者は淡青色であるが、生体内で
は酸素の運搬に関与する重要な色素で、色と
その能力に直接的な関係は無い。



色素を光電変換体の機能に注目すればペンキ
のように印刷や塗装で表面を覆えば効率よく
エネルギが取り出される。つまり生物の光合
機能を薄膜内に閉じこめることでエネルギ
問題は解決できる。勿論、バイオマス光エネ
ルギ環境システム工学
でも可能だがより完全
光エネルギ環境システム工学をめざすので
あれば前者の確立が重要だ。この場合、色素
がすべてではなく光電変換機能を保持するも
のであれば透明でも黒体でも可能だ。そのた
めには基礎研究やナノレベルのネオコン技術
の実用研究に拍車を入れる時だ。


  Joseph Campbell

【ルーカスとキャンベル】



 the power of myth

神話学者のジョゼフ・キャンベルと、ジャー
ナリストのビル・モイヤーズの対談集『神話
の力』(早川書房)から。

 モイヤーズ なぜ神話は夢と違うのでし
 ょう。

 キャンベル ああ、それはね、夢は私た
 ちの生活を支えている、あの 深くて暗
 い基礎についての個人的な経験であるの
 に対して、神話は社会の夢だからです。
 神話は公衆の夢であり、夢は個人の神話
 です。

                    『神話の力』

「スターウォーズ」(『スターウォーズとと
もに33年
』)の魅力を探るため原作者ジョー
ジ・ルーカスから神話学者のジョゼフ・キャ
ンベルなどを駆け足でネット・サーフし欧米
中東の神学観に触れるとともに、一神教に至
る道の微かながらも手がかりを得ることがで
きたように思う。

  “ God is Love”

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スターウォーズとともに33年

2010年07月11日 | 神道物語


列伝の 英雄達に 憧れて R2と 書斎をワープ    




32年前「エピソード4」をはじめて梅田の
「OS劇場」で観たが迫力満点のシーンの連
続で日中合作の国家プロジェクトの仕事疲
れなどで途中気分が悪くなり一時退席した
記憶が残っているが前後して同じ劇場で観
た黒沢明の「影武者」と同様に素晴らしい
映画だった。




辻褄の合うてしまふが悲しかりスターウォーズは完結したか

                      小林信也

 George Walton Lucas Jr

ジョージ・ルーカスジョージ・ルーカス(George W-
alton Lucas Jr、
1944年5月14日生まれ )は、米
国映画監督、脚本家、映画プロデューサー、
実業家。『スター・ウォーズ』や『インデ
ィ・ジョーンズシリーズ』などの世界的大
ヒットシリーズの製作。スティーヴン・ス
ピルバーグと並んで最も商業的に成功した
映画作家だ。カリフォルニア州モデストに
生まれた。少年時代は、テレビで放映され
たかつての映画の「連続活劇」やコミック
ブックに、高校時代は自動車レースに熱中。
この時代の経験がのちにの『アメリカン・
グラフィティ』に描かれる。1962年、高校
卒業の直前に自動車事故で奇跡的に死を逃
れ、自分の人生を考え直したという。

カリフォルニア州におけるスタニスラウス郡(右図)およびスタニスラウス郡におけるモデストの位置の位置図Modesto

1960年代の間、フィルムに関する専門学科
を早くから設けたロサンゼルスの南カリフ
ォルニア大学(USC)で映画の勉強。そこで
彼はたくさんの短編を制作し『電子的迷宮/
THX 1138 4EB
』は数々の賞を受ける。この
時代の仲間にジョン・ミリアス、ダン・オ
バノン、ハワード・カザンジアン、ハル・
バーウッド、マシュー・ロビンズ等がいた。

 American Graffiti

卒業後、ワーナーのスタジオでの研修中『
フィニアンの虹』を撮影中のフランシス・
フォード・コッポラと出会って意気投合し、
ハリウッドのシステムからの独立をめざし
たしたアメリカン・ゾエトロープ社に副社
長として参加。ルーカスは自らの映画制作
会社ルーカスフィルムを設立し、制作・監
督した『アメリカン・グラフィティ』(『
ゴッドファーザー』で一流監督の仲間入り
をしていたコッポラをプロデューサーとし
て迎え入れる)が大ヒット。

 Industrial Light & Magic

20世紀フォックスに企画を自ら持ち込んで
『スター・ウォーズ』の制作を始めるが、
コッポラが自分の企画に介入することを阻
止するために、温めてきた『地獄の黙示録』
をノンクレジットで渡してしまう。そのか
わり『スター・ウォーズ』をコッポラの影
響なしに制作することができた。

 LucasArts

『スター・ウォーズ』製作時、監督の収入
は当時の日本円にして約5千万円で、FOX
が監督料の上乗せをしようとしたが、ルー
カスはこれを受け取らない代わりにマーチ
ャンダイジング
(版権商法)の権利を20世
紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。
この収益は『スター・ウォーズ』全6作(特
別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりもはる
かに上回る結果となった。

 episodⅣ

その『スター・ウォーズ』公開時、興行的
な失敗による身の危険の可能性を考慮して
オーストラリアに潜んだ。初めは監督より
編集者として活躍し、早くからフィルムを
カットの従来の方法ではなく、ビデオ利用
の電子編集を導入し、世界最初のノンリニ
ア編集システム「editdroid」の開発をも支援
した。

 Non-linear editing

『スター・ウォーズ』第1作で既にドルビー・
ステレオを導入していたルーカスは、映画
館の音響設備が整備されていなかった高水
準の音響設備や上映環境を整えるためTHX
プログラムを1980年代に立ち上げた。ルー
カスフィルム傘下で高品質の音響製作を行
うスカイウォーカー・サウンドの音がその
まま映画館でも再生出来るよう意図したも
のである。

 Lucasfilm Animation

さらに、映写システム調整用のテスト素材
TAP の供給も開始。これによって上映環境
が画も音も改善され、ドルビーのサラウン
ドシステムの進歩も促した。THX では上映
フィルムの品質管理も行うようになり、レ
ーザーディスクやDVD、Blu-ray Disc など家
庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製
品がある。映画上映の環境改善、ビデオや
音響システムのデジタル化に伴った製作か
ら家庭までの再生環境の向上に、ルーカス
THXは絶大な影響を与えた。

 Skywalker Sound

『スター・ウォーズ』新3部作では、まず扮

装したスタッフに構想した場面を演じさせ、
視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面
の尺、編集のタイミングを見通した上で俳
優を起用した撮影に入る、という撮影前に
編集するプロセスを採る。その時の映像を
撮影前に俳優に観せる事により、後でCGを
はめ込むため、撮影中は周りの風景が見え
ないブルースクリーンの中でも、より演技
しやすい環境を作った。

『スター・ウォーズ』第1作のために、ルー
カスフィルム傘下に立ち上げたSFXスタジオ、
ILMに、80年代初頭にCG部門を開設してピク
サーの母体を作り、逸早くHD24Pを導入し配
給の経費削減にも貢献するデジタルシネマ
構想など、映画製作のデジタル化推進の急
先鋒であるにも関わらず、当の本人は至っ
てアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部
作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で
書いている
というが、絵コンテは直筆で書
くのが自然なので『デジタル革命』がそこ
まで実現するにはもう少し時間がかかるだ
ろう思っている。^^;

 Lucas Licensing

1991年には長年の功績を称えられ、アカデ
ミー賞のアービング・G・タルバーグ賞を受
賞。製作総指揮を手掛けた作品も多い。監
督としての作品は6作品と多くはないが(う
ち4作が『スター・ウォーズ』)。『スター・
ウォーズ エピソード4』(77年)を製作中
のストレスが甚大で糖尿病を患っており肉
体的負担が強かったとされる。『エピソー
ド5』『エピソード6』では製作総指揮に回
り、次の監督作『エピソード1』まで22年間
の空白が出来る。

【現代国際政治としての長編寓話】

 『千の顔をもつ英雄』

ストーリは、遥か彼方の銀河系の一つの国
家である数十万の星々より構成された銀河
共和国という巨大な共同国家体が存在した。
しかし、時が経つにつれ、政治の腐敗が生
じ、統治秩序は崩壊、共和国は分裂の危機
を迎えようとしていた。こうした中、古代
より共和国の秩序を陰で支えてきたジェダ
イと呼ばれる騎士団が、共和国の秩序を回
復させるために奮闘する。だが、彼らの前
に、数千年も前に滅びたといわれる悪の力
を信奉するシスが現れる。彼らの理想はジ
ェダイの排除と、強力な秩序を持った「帝
国」という形での銀河の支配。そんな中、
辺境の惑星である一人の少年がジェダイと
して導かれるというもの。つまりは、聖書
とアーサ王物語にロボットとクローン技術
が融合展開する現代国際政治の長編寓話と
して「スペース・オペラ」は情操教育の教
材としても貴重だ。



エピソード1から6まで続き“クローン・
ウォーズ
”が加わった。現在NHKのハイ
ビジョン放送でこの「クローンウォーズ」
が放映されており楽しんでいる。またこの
CG作品を鑑賞し『デジタル革命』の象徴
的な画期的な作品であることを改めて確認
した感じだ。もう少し言うと、新産業論(
第4次産業「画像産業」)のモデルとして
ルーカス・フィルム先行しているが日本に
も集団主義的(アジア的)だが企業がある。
それは日本放送NHKだ。これはこの連続
アニメ放送をみていて閃いたことだ。そし
て、日本のアニメ産業は遅れは大きい。こ
れをデジタル産業環境システム論から考察
したいが容量の都合上後日に記載する。

               



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鮎魚女と月の文化

2010年03月13日 | 神道物語


ハクレンの 白き訪れ 待つはずが 胃薬の数 また増えている   





 月をめぐる神話でもっとも重要なのは変容神話
 である。古代人は月の満ち欠けを天の生き物が
 成長して死ぬ現象ととらえ、死のあとには新月
 として再生すると考えた。月の諸相が繰り広げ
 る絶え間ないドラマは、人間や動植物の生のみ
 ならず、死後の生という考えも含めて、生のパ
 ターンを考察するモデルになった。月は古代人
 にとって時間のイメージだけではなく、永遠の
 イメージも担っていたように思われる。人々が
  本能的にみずからを月と同一視したのは、月の
  再生を、衰えて死ぬ自分たち人間にも同じ運命
  を約束するものと解釈していたことにほかなら
  ない。こうして月は見ることのできる希望のシ
 ンボル、人間の心の間を照らす光となった。

      ジュールズ・キャシュフォ-ド著 
            
『月の文化史/上』

「本書では、旧石器時代の動物の角や骨に刻まれた
最古のしるしから、今日の技巧をこらした詩にいた
るまで、月に霊感を受けた神話や象徴、あるいは詩
的イメージについてさまざまな角度から探究を試み
た。人間の考え方がどう変化してきたのか、その歴
史を探るためにまず目標とするのは、月をめぐる物
語が人間の思考方法に及ぼした影響を見いだすこと
である
」(同書序文より)というふうに分厚く重層
な博識への旅立ちを語り、次のように月の物語を結
ぶ。

 
Jules Cashford

 キーツの詩『エンデュミオン』では、羊飼いが
 〈詩のミュしス〉としての月と恋に落ちる。
 すなわち心にとりついて離れない光は、「美の
 形象」のように、「われわれの暗く沈んだ心か
 ら闇の帳」を上げて、「つねにわれわれととも
 にある。そうでなければ、われわれは死んでし
 まう」。「赤いケシの花でおおわれた魔法の臥
 所」で彼は月の幻影を夢に見る。

    「するとどうだろう! 雲の裂け目からう
  っとリするほどに美しい月が 顔を覗かせ
  たのだ。海神の酒盃となる貝を……」


      ジュールズ・キャシュフォ-ド著 
            『月の文化史/下』

 John Keats



ともあれ、『月の文化史/下』、第11章「月と太陽
の聖なる結婚」では「永遠」(太陽)と「時間」(
月)は、このようにめでたく融合するのである。

「太陽と月の結婚は-目に見える場合は、反対顔の
地平線上にある対等なものとして、見えない場合は、
暗い夜の闇のなかで結合するものとして、それ以上
に見えない場合は、人間が想像する調和のとれた関
係にある存在として-古代世界の多くの人々にとっ
て、永遠と時間の奇跡的な結合を意味した。月の光
の方が弱くなったとき、月は時間の役割を、太陽は
永遠の役割を担うことになった。この両者の結合、
あるいは再結合という概念のなかで、永遠の存在の
輝く光である太陽は、有限の時間の照らされる光で
ある月と一つになる。永遠の生命と時間的生命は、
これにより根本的に対立するものではなく、二重の
局面に現われるひとつの本質から成ることが明らか
にされる」と。

クリックすると新しいウィンドウで開きます  



 月光菩薩@薬師寺

ツクヨミは、月の神とされているが、その神格につ
いては、文献によって様々な相違がある。『古事記』
では伊邪那伎命が黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした
時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生
まれた天照大御神
、鼻から生まれた建速須佐之男命
と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方『日
本書紀』ではイザナギとイザナミの間に生まれたと
いう話、『古事記』とは逆に左目から生まれたとい
う話
、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話
もあり、支配領域も天や海など一定しない。

 月讀、ツクヨミノミコト





日本神話において、ツクヨミはアマテラス・スサノ
オと並ぶ重要な神とされているにもかかわらず『古
事記』『日本書紀』の神話にはあまり登場せず、全
般的に活躍に乏しい。わずかに『日本書紀』第五段
第十一の一書で、穀物の起源が語られているぐらい
である。これはアマテラスとスサノオという対照的
な性格を持った神の間に何もしない神を置くことで
バランスをとっているとする説もある。同様の構造
は、タカミムスビとカミムスビに対する天之御中主
神、ホオリ(山幸彦)とホデリ(海幸彦)に対する
ホスセリなどにも見られる。これを日本神話の中空
構造と言う。さて、月の神話は太陽より先んじるこ
とは現代では常
識とされる。月の属性を神話・伝説・
イメージ(図像及び詩)を駆使し多面的に網羅した
文化論。まとめて読み抜くには散漫に終わり悔いが
残った。





【勇敢な鮎魚女】



姿がアユに似ている為、「鮎なみ」が転じてアイナ
メになったと言う説。鮎と見た目が似ているからで
はなく、鮎のように縄張りを持つ習性のため、「鮎
のような魚」と言う意味で「鮎なみ」転じてアイナ
メになったとも言われる。アイナメは北海道ではア
ブラコ、東北や関西ではアブラメなどとも呼ばれ愛
媛では「モミダネウシナイ」という面白い呼ばれ方
もする。アブラコ、アブラメは身に脂がのっている、
また、体表のヌメリが油の様だから。「モミダネウ
シナイ」は、この魚をおかずにすると、種モミまで
食べてしまうほど美味いからとか、むかし、ある百
姓がこの魚の美味さにひかれ、モミ種の金まで使い
果たしたから・・・。などの逸話が残されているほ
ど美味しい魚。



アイナメ(鮎魚女、鮎並、学名 Hexagrammos otakii
は、魚類カサゴ目アイナメ科の1種。日本沿岸の比
較的塩分濃度の低い岩礁域に広く生息する底生魚で、
食用にもなる。全長30cm~40cmほどだが、60cmを超
えるものもいる。カサゴ、メバル、カジカなどと同
じカサゴ目に分類されるが、アイナメはひれの棘条
(とげ)が発達しないこと、背びれが1つに繋がっ
ていること、体高が高いこと、鱗が細かいことなど
が特徴である。これらの特徴はクジメやホッケなど
他のアイナメ科の魚にも共通する。冬から春にかけ
ての寒い時期が旬。学名の「otakii」はシーボルトの
愛妾、お滝に由来する。産卵期にはオスが縄張りを
持ち、メスに求愛運動をし、岩礁域の窪みなど潮通
しのよい場所(縄張り)に産卵させ、産卵後はオス
が卵を保護する。この縄張りを持つ産卵期にオスは
婚姻色の鮮やかな黄色になるがこの時期の雄は戦闘
的で侵入者に対し攻撃をしかけ、卵を守る習性があ
る(逆に卵を好んで食べる)といわれる。




防波堤や岩場からの釣り魚として親しまれる他、底
引き網、刺し網、籠漁等でも捕獲される。最盛期は
晩秋から冬。釣りの場合は「ブラクリ」という特殊
な動きをしながら落下する錘を使用する事が多い。
身は脂肪の多い白身であり、そのことから「あぶら
め」とも呼ばれる。季節により寄生虫がいることが
あるので刺身などの生食は注意した方が良い。刺身、
煮付け、唐揚げ、潮汁、焼き物、味噌汁、干物、み
りん漬け、粕漬けなどで食べられる。



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ミニシクラメンと神性の発揮

2009年12月20日 | 神道物語



寒風の 店舗に並ぶ 花の杜 継続こそは ミニシクラメン



 

【文化の深層:鎮魂とはなにか】



鎮魂(ちんこん→天皇に対して行われる場合は、た
ましずめ、たまふりと呼ぶ)とは、人の魂を鎮める
ことである。今日では「鎮魂」の語は死者の魂(霊)
を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で
用いられる。元々「鎮魂」の語は「(み)たましず
め」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める
儀式を指す。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮
魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の
二つの儀が行われている。神道では、生者の魂は不
安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考え
る。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たまし
ずめ」である。「たまふり」は魂を外から揺すって
魂に活力を与えることとする





宮中では、新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式が
宮中三殿に近い綾綺殿にて行われ、これを鎮魂祭と
いう。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」
「みたまふり」と言う。太陽暦導入後は11月22日。
この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であ
り、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の
魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられて
いる。



また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に
臨む天皇の霊を強化する祭でもある。第二次世界大
戦以後は皇后や皇太子夫妻に対しても行われている。
鎮魂の儀では、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を
伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回
突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の
岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊っ
たという伝承に基づくとされている。『古語拾遺』
に「凡(およ)そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡(あ
と)なり」とある。かつてこの儀は、天鈿女命の後
裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」
とも呼ばれていた。鎮魂の儀の後、天皇の衣を左右

 

に10回振る魂振の儀が行われる。これは饒速日命が
天津神より下された十種の神宝を用いた呪法に由来
するとされる。『先代旧事本紀』には、饒速日命の
子の宇摩志麻治命が十種の神宝を使って神武天皇の
心身の安鎮を祈ったとの記述があり「所謂、御鎮魂
祭は此よりして始(おこ)れり」という。




 本田親徳

これは宮中神道儀礼で興味が薄い。寧ろ、本田親徳
が遺した鎮魂法なるもので、鎮魂修法者の自己の魂
(弁証法的な?「内なる他者」=「大いなる外」)
を鎮魂石に鎮まる神霊、精霊に預けることで、成就
と共に霊肉分離し自己の魂が神界出入が自在の境地
に至ることができ、幽冥界の真実を探索する端緒に
もなり、言い換えれば「鎮魂は真実の自分に出会う
」ということでもあるという(渡辺勝義『日本精神
文化の根底にあるもの(七)』)ことに惹かれる。




鎮魂石による鎮魂-神性発揮の行法】



それでは、その奥義とはなんだろう。要点をまとめ
ると次のようになる。

(1)鎮魂石の準備→五分大ぐらいの清浄な黒い石
(2)鎮魂印づくり
(3)鎮魂石のつり下げと正座づくり
(4)修法の衣、場所、時間の設定
(5)修法の空間条件(光線)の設定
(6)修法の次第
(7)実修中の諸現象と注意事項
(8)鎮魂法の極意

最初のうちは日々の「考える」という惰性習慣が、
次々に雑念となり、捕われ鎮魂を修していることを
忘失してしまうが、ひたすら専修し積み重ねていく
こと、日々楽しみながら修することこそが鎮魂上達
の道であるととする。鎮魂の法は頭で、目で、身体
で行うものではなく、自己の真魂で修するものを旨
とし
、本田親徳は、その著「神伝秘書」に自修の要
(下記、要点の八番目の「極意」に該当)として次
のように記している。

(1)身淋衣服を清潔にす可し。
(2)幽遼の地閑静の家を撰む可し。
(3)身肺を整へ瞑目静坐す可し。
(4)一切の妄想を除去す可し。
(5)感覚を蕩尽し意念を断滅す可し。
(6)心神を澄清にして感触の総に擾れざるを務む
  可し。
(7)一意に吾が霊魂の天御中主大神の御許に至る
  事を黙念す可し。

この極意で、邪念を排し無の境地に入り「悟る」と
いうが、これは自ら体験体得し悟るより他なく、文
字や言葉に表現するにはどうしても限界があること
は仕方のないとし、渡辺勝義は、この鎮魂石を用い
ての鎮魂法の良好な状態はどのようなものか、後学
の参考のため敢えて一例を紹介している。

 石の前に座っただけで、にわかに周囲の、部屋
 全体の雰囲気がサッと一変する。石を見つめて
 いると徐々に統一が深くなり、石自体が白銀色
 に光り始め光芒を放ってくる。我が魂が石を押
 し、石が我が魂を押しするうちに石に包まれ、
 引き入れられるように感じる。段々我が身体が
 小さくなる、あるいは、また反対に我が身体が
 徐々に大きくなったりする。目を閉じると魂が
 というべきか、身体がというべきか大小を感じ、
 魂が身体から抜け空中に至る、また雲を抜けて
 別天地に至り(別世界が開けてくる)、天地と
 の一体感、その悠大さを味わう。その澄清さの
 素晴らしさは何に例えようがない。眼前に光り
 の玉がありこれに入っていく(真幽界・神界)。
 
さて、「本当の自分と出会う」ということの意味を
問うことは、実は人が「何故、修行をするか」の意
味を問うことでもある。「本当の自分が開かれて外
にある」ということをどうやって知らしめるか?自
分はこんな人間だと大抵の人が最初から諦めている
が「私が私として完結している」というのは人間す
べてが共有している妄想でしかない。「大いなる外」
という、目に見えない神の存在を受け入れる必要が
あり、本当の自分は無限に大きいのだということを
知っておく必要があるのであると渡辺はいう。精神
分析や深層心理学の駄目な点は所詮無意識という形
で自分の身体の中に閉じこもっていて、
西欧の近代
科学合理主義的世界観にドップリ汚染されてしまっ
ており、自分という本質がこの肉体の中に自己完結
して閉ざされていると錯覚している。つまり、個と
して閉じてしまうということの間違いが全く分かっ
ていないのである。何故、人が修行することによっ
て自己の霊魂が現象を自由自在に見晴らせる。



「私の中の魂が抜け出て外にさま迷う」亡骸(抜け
殻)となったた身体は仮死状態となるといった素朴
な民間信仰があるが、この観念は浅薄な現象理解の
上に成り立っている。真の修行者は瞑想して世界の
隅々を見渡している時、この身体は光り輝くほど充
実しているのであって決して仮死状態にはならない。
否、もし人類が進化して精神力を測定する装置が開
発されたとしたら、多分、その機械は圧倒的な力
を受けて瞬時に消滅するほどのものであろうとまで
いってのける。その状態こそ、その人の身体は宇宙
全体と同じ内容を秘め、この輝ける身体に存在する
のが内なる他者(=神そのもの)で、それ故にこそ、
人は宇宙全体に遍満・偏在出来るのであり、無限の
過去から無限の未来に至るまで、どの時間、どの空
間にも同時に無限の場所にわが身(魂)を置くこと
が出来ているとする。実はその私こそ「真の私」な
のであり、私の本質なのである。真の私はかくして
「外なる私」という本質を露わにするのである。こ
の話は本質的に語ることは難しく、修行を通して体
験体得した者のみが知悉し得る最高の境地なのであ
ると括る。



さて、宇尾白山神社の宮世話二年、ブログ一年の活
動の中、神社神道の本質とその背景(文化深層)及
び年中行事などの儀礼などを大急ぎで考察してきた。
伝統的な保守主義に依るなら、日本の原始的宗教→
古神道→神仏習合→国家神道→皇室・神社・教派三
神道の流れのなかで、渡辺勝義著『神道と日本文化』
などを教材し、「鎮魂とはなにか-神性の発揮」を
その括りとして、即興的に選んだことは、偶然にし
ろ間違いなかったと思いつつある。



つまりは、鎮魂こそが神道の中核で、行法中の超常
体験(憑依など)は、瀕死体験(吉本隆明著『死の
位相学』)によく似てはいるが、神道の意味すると
ころは、「大いなる外」(真幽界・神界)への通過
ゲートで鎮魂修法により自由自在に往来できるとい
う<確信>が本質であるが(→これを救霊プロジェク
トまでに高めたのが「
スピリチェアリズム」と解釈
している)、この修法過程は非常に厳しく危険で、
仏教でいう修行での「在家」では難しく「出家」す
るのと同じではないか等といろいろと考えさせられ
た。この行法を実践も視野に入れながら、神社神道
のコアなるものが氏神=郷土或いは集落の活性化(
=神性の発揮)と定めて了とする。


 Cyclamen Flower Blooming Time lapse

シクラメンはサクラソウ科シクラメン属に属する多
年草。学名 Cyclamen persicum Mill. 地中海地方原産で、
花期は秋から春。冬の花として有名。和名は「豚の
饅頭(ブタノマンジュウ)」と「篝火草(カガリビ
バナ)」の二種類がある。前者の『豚の饅頭』は、
ある植物学者がシクラメンの英名(雌豚のパン sow
bread
)を日本語に翻訳した名である。後者の『篝火
花』のはシクラメンを見たある日本の貴婦人(九条
武子だといわれている)が「これはかがり火の様な
花ですね」と言ったのを聞いた牧野富太郎が名づけ
た。前者は球根を、後者は花を見て名づけている。
尚、現代ではシクラメンに対しては滅多に和名を用
いる事が無い。シクラメンは元々地中海沿岸、トル
コからイスラエルにかけて原種が自生している。名
前は花茎がはじめ丸まった状態で発生することから
「サイクル(Cycle)」から命名された。 古来は花
ではなく、塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体
を含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」な
どの美称があり、食用とされていた。大航海時代以
後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用
にする習慣はなくなった。


 music

気候変動、大不況、大不安渦巻く今年一年やったと
ガーデニング用の草花を物色していると、小さなシ
クラメンが飛び込んできた。創意工夫を凝らせば未
来は明いとなぜか元気になる。そんな世相を歌う。
従来、鉢で育てる室内観賞用のシクラメンが一般的
であったが、原種との交雑により、1996年(平成8年
)に埼玉県児玉郡児玉町(現本庄市)の田島嶽氏が屋
外に植栽可能な耐寒性のあるミニシクラメンの系統
を選抜し「ガーデンシクラメン」として売り出した
のがこの種類のシクラメンの始まりである。 この「
ガーデンシクラメン」は、高度成長期頃によるガー
デニングブームの波に乗り流行し、全国で生産が始
まり、瞬く間に普及した。鉢植えの「シクラメン」。
花言葉は「はにかみ」「理解」。

 

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ランタナと大道無門

2009年12月19日 | 神道物語



一面の 白いランタナ 敷き詰めた 丘をゆっくり きみは登りゆく



【新政権短評:高速道路無料化】



フェリー海運業者が高速道路無料化の署名を集めている報道
が流れていた。ブログでも再三掲載してきたが、(1)道路
建設の一括的要請速度が低下しているなか、高速、低速で道
路を分け隔てする税制及びそこで発生する既得権益構造の見
直しは必然(2)産業の物流コスト逓減、消費活動の自由度
の逓増は成長戦略の肝(3)ディーゼルエンジン及びガソリ
ン車の排気などの<国民益>と<地球益>対策経費として環境税
への全面切り替え(4)競争力の劣るフェリー海運業界等の
対応は障害緩和費で(5)局所地域で発生する“交通渋滞”
は個別対応(一部では有料化対応案が浮上しているが、当該
自治体の自由裁量とし調整)。成長戦略『双頭の狗鷲』の道
路政策は、“すべての道は世界に通ずる”「大道無門」を旨
とするというのが国民の<核心>だというのがわたし(たち)
の確信なのだ ^^;。




【のだめカンタービレ】



終始笑い放しだ(迷惑だったかな)。コミカル、大仰で、シ
ュールな演技。大胆なアニメションの挿入、意欲的で絶妙な
特殊撮影と視覚効果技術を折り合わせフォルテピアノ、ピア
ノフォルテをてんこ盛りにし、時折、グラシアでマエストー
ソに進行していく。日本の劇画(アニメ)は映画の絵コンテ
として欠かせない程、成熟し世界をリードしている。これは
実感。二ノ宮知子の筆力に脱帽だ。

Tchaikovsky, 1812 Overture (Finale)                                                                         






【文化の深層:正月の聖霊の訪ひとはなにか

 

正月とは、文化的に旧年が無事に終わった事と新年を祝う行
事である。正月行事を行ったり正月料理を食べて、盛大に祝
う。旧暦(日本では天保暦)の立春前後、グレゴリオ暦(新
暦)での2月頃は旧正月と呼ばれ、中国、韓国、台湾、ベト
ナムでは、新暦の正月よりも旧正月の方が重視され、お年玉
もこの日に渡される。中国では「春節」「過年」「農暦新年」
といい、ベトナムでは「テト」といわれる。テトとは「節」
という漢字のベトナム語読みに相当する。



正月は日本人の文化的宗数的心意が、その本質が一番濃厚に
現れる月で、
歳神迎えするために家中大掃除をし、正月飾り
が作られる。松迎えといって、年末27日前後に年神の
依代
ある門松や飾り松を北の方角から山から迎えてくる
門松は
神の宿る依り代であり、常緑樹であれば榊でも栗でも楢でも
使われた
。佐藤幸治は門松について、門松の習慣こそ、正月
の祖霊供養側面を持っていたとする。すなわち、日本人は死
んだのちに山中他界へ出向くと信じられ、山の象徴である常
緑樹を正月に飾ると祖霊となった山の神が訪問しやすいと考
え、松飾り、注連飾りは暮れの24、25日頃から注連縄ないが
始まり、大晦日で終らせる。暮れの27日から30日までに鏡餅
を搗き(29日はクンモチといってこれを嫌い、また31日に搗
くことを避ける)、これを神棚に供え、おせち料理を準備し、
 
1・・・天照皇大神宮
2・・・氏神神社神札
3・・・崇敬神社神札


一家や地域の人々が神を迎えるための潔斎忌み籠りに入る。
大晦日の夜には全国的に新しい火を焚く習慣があり、正月は
元日の朝に始まるのではなく、大晦日の夜に始まると言うこ
とが出来る。暮れの31日をトシトリ(年取り)、トシヤ(年
夜)、オオドシ(大年)と呼び、年取りの膳につく。かって
は年取りの夜の宮参力、宮龍りはごく自然な風景であった。
また、地域によっては、昔から菩提寺の先祖墓にまず新年の
挨拶をするという伝統を保っているところもある。昔は「年
を取る」どいう意味も、現在のような個々人がそれぞれの誕
生日に年齢を加えるという満年齢とは連った感覚であり、正
月には同一地域に住む同年者たちが一斉に年を取るといった
数え年の感覚(同齢感覚)があって、家人や隣人とが相互に
繋がりを持ちながら共に変化を続けるという意識がその根底
にはあった。



オツイタチ(元旦)には若水汲み水垢離、初火、宮参り(
初参り、若宮参り)、歯固め、雑煮餅、年始回りと一連の行
事が続く。宮参りから帰ってくると、歯を丈夫にし健康増進
と長寿の願いを込めて正月棚に供えてあるイナダキ(干し柿、
栗など)を一ロずつ食べて歯固めをする(正月三が日に鏡餅、
栗、豆などを食べる行事)。これら年末年始の儀礼を含んで
「正月」に行う様々な儀礼が意味するものは強いて言えば「
神と人との関係性の更新、強化」であり、私たちが知って知
らずに犯した様々な罪、穢れを綺麗に清めて、或いは氏神さ
まのもとで忌み籠り慎み、心身ともに清浄潔白な状態となっ
て、地域住民や一族一家の幸せの元である「年神(歳徳神、
正月様)」をお迎えし、真心込めて饗応する儀式だとされる。



民俗学者小野重朗によれば、正月と盆とは半年を間に置いて
対応して、互いに良く似た共通した要素が見られるが、正月
には年棚を作って供え物をするのに対して、盆は精霊棚を設
けて供え物をする。また正月には門松迎えやトンドや鬼火と
いった火祭りがあるのに対して、盆には盆花とりがあり、迎
え火、送り火、柱松といった火焚き行事があるといった具合
いだが、正月は、季節転換、農耕予祝、祖霊の祭りと総合的
機能的性格を持つが、盆は祖霊・精霊祭の単一機能的性格で
異なるとする。大晦日の夜に訪れる例や、六日年、七日正月
に訪れる神たちの例が国の南の端にあるだけでなく、能登半
島にもみられ、それらはみな怖ろしい姿をして訪れ、それで
一家の主人が襟を正し羽織袴の正装で家ごとに酒食を用意し
て迎え来訪神を殊の外丁重にもてなし、その家族はまるで一
時も早く嵐が過ぎ去るのをただ何事も無く来訪神が帰りいた
だくことを願い、その家族や地域に新しい年一年間の幸せと
豊穣が約束されるとする儀礼を紹介。

エミール・デュルケーム(Émile Durkheim) Émile Durkheim

これは、E・デュルケムの儀礼論(消極的儀礼・積極的儀礼
)は聖なるものは超自然的な恐るべき力を有し
、そのため普
段の時は不用意に近付くと危険な聖との接触を禁じていると
いう。聖にも俗にも様々なタブーがあり、聖と俗の不用意な
接触や混交を戒め、きちんと分離されるという点に消極的儀
礼の本旨があり、聖なるものの持つマナ的な力に預かるには、
神社に籠もり、水垢離をとったり、火や塩で清めたりして、
俗界の埃を払拭し、穢れを祓い清めた後に接触する事すると
いう。正月儀礼を見直せば「古事記」の伊邪那岐命は妻に逢
いたい一心で黄泉の国を侵犯し伊邪那美命と接触したばかり
か見るなのタブーを犯したため悪霊邪鬼に襲われ危機な目に
遭い、逃げ帰って黄泉比良坂に千引石を引き塞いだ後、筑紫
の日向の橘の小戸の阿波岐原で身に受けた穢れを必死に禊ぎ
祓いて清浄の極みに達した時、天照大御神以下いわゆる三貴
子の誕生をみた。



即ち、元の
世界秩序が回復し、伊邪那岐命はそれまで以上に
世界をより活性化させ、新しく世界を創造する力を得たとす
る「復活劇」が、正月に訪れる神は私たちに聖なる力、即ち
一年間の新しい生命の息吹(年魂)を授けるためにやってく
るが普段は私たちが絶対に接触してはならない恐るべきマナ
力を持ったものであり、新しく迎えた年の聖なる幸せ(豊
穣)と活性化(健康・繁栄)を約束する新しい生命(年魂)
を賜ったので、元日の朝はものみな新しく心身ともに清めら
れた新鮮な感じがし、世界のすべてが瑞々しい生命の躍動に
満たされていることを感じ、祖霊も共に新年を寿ぎ、喜びを
分かち合うと考えると、遠い昔から今に至るまで『古事記』
神話に語られている神的秩序世界の再現を長い歳月、繰り返
しているのだと解説する(渡辺勝義『日本神道の秘儀』)。



ところで、E・デュルケムは(1)消極的儀礼(タブー)積
極的儀礼の二類型を提示している。消極的礼とは「何々して
はならない」という否定的禁止を中心とした、聖と俗との分
離を重視した儀礼のことであり、これにも(イ)聖からの分
離、すなわちうっかり近付くと危険な聖との接触を禁止する
ものと、(ロ)俗に対する禁止、つまり聖との結合を前提と
しての俗との接触を禁止するものとの二種がある。それに対
し、積極的儀礼は、積極的に聖と俗の結合を図ろうとする儀
礼であり、俗なるものが聖なるものに接触して自ら聖化され
ることを意図した儀礼である。E・デュルケムはこの代表的
なものとして供犠を挙げている。
供犠は神に供物を捧げる奉
献と、その供物を神からのお下がりものとして皆が共に分け
合って食べる共餐の二つの契機から成り
、それによって聖な
る幸せに預かるとするもので、
神と人、また共同体成員同士
間に血の絆が生まれ社会的連帯
が生まれるが、これは双方両
義礼を兼ね備えた、つまり、それがお正月だと解説する。



Lantana.jpg

ランタナ(Lantana、学名:Lantana camara)はクマツヅラ科の
常緑小低木。中南米原産。観賞用に栽培される。和名はシチ
ヘンゲ(七変化)。赤、橙、黄、白など鮮やかな色の花をつ
け、また花の色が次第に変化することに由来する。多数の小
花からなる散形花序をつける。開花後、時間がたつと次第に
花色が変わるため、同一花序でも外側と内側では花色が異な
る(内側が新しい)。果実は黒い液果で有毒といわれるが、
鳥が食べ種子を散布する(種子を噛み砕く可能性の強い哺乳
類には有毒だが鳥類には無毒という液果をもつ植物は多い)。
暖地では戸外でもよく育ち高さ1.5mほどになる。



疲れが蓄積して悲鳴を上げているが、老々介護の時代やね。
母の不在にゆっくり休んで下さいよと自己中なイメージトレ
ニングで慰めている自分を幽体分離した絵を描き歌う。ラン
タナ属は中南米や南欧原産の約150種の低木または多年草を
含む。花には多くのチョウが集まり、見応えがある。ランタ
ナの他に、小型で地面を這い赤、紫などの花をつけるコバノ
ランタナ(Lantana montevidensis)、あるいはこれらの雑種が
ある。熱帯アメリカ原産の「ランタナ」。花言葉は「厳格」。


                             
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パイナップルと御霊信仰

2009年12月18日 | 神道物語



ルッコラに リンゴと胡桃 サラダ添え パスタ差し出し パイナップルかな


 屈葬

【文化深層:霊魂とはなにか】

霊魂とは、人間(あるいは生物)が生きている間は
その体内にあって、生命や精神の源とされている存
在や概念で、当初は動物の内臓を指していたが、
以外の部分の、人格的・非肉体的な存在を言い表
す表現でと同一視される事もある。「生/死」の
意識化なのだが、御霊(みたま)とは、キリスト教
の新約聖書・福音書の中にでてくるギリシア語の神
の霊をさす単語プネウマの翻訳語で聖霊ともいうが、
人が死ぬと(→神をつかさどる精気を指し、肉体を
つかさどる「魄」と対比されている)が、
霊(
ぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様
な意味を持っている)として、肉体を離れるという
考え方は、全世界共通で、日本においても、縄文期
に見られる屈葬に対する考え方の一つのように、原
始からその考え方は存在していたとされる。尚、「
霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概
念を指し用いられ、通常は、個人の肉体および精神
活動をつかさどる人格的な実在で、感覚による認識
を超えた永遠の存在
を意味している。そして人間だ
けでなく、動物や植物にまで拡大して用いられるこ
ともある。


Homo erectus tautavelensis.jpg Homo erectus tautavelensis

話しは換わるが、人類誕生以来、「霊魂」という概
念をいつごろから持つようになったかははっきりわ
かっていない。ホモ・エレクトス以前の古人類には
死者を埋葬した証拠がない。ネアンデルタール人は、
死者を埋葬し花を供えるなどの宗教行為を思わせる
遺跡があり、原初的な死生観を持ちえていた可能性
がある。クロマニヨン人などホモ・サピエンス段階
になると、より手の込んだ埋葬方法や墓制の存在が
あり、原始的な宗教観念と霊魂への慕情や恐れの観
念が明確だと思われる。

 「死者の書」

多くの宗教は、人は死んでも意識或いはそれに近い
ものは霊魂となり残ると説く。霊魂は生前暮らして
いた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう
世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、規範などと
結びつけて語られ、キリスト教が説くように、生前
の行いに応じて天国や地獄の選別があり、あるいは
ヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて
すると説く宗教も有る。仏教大乗仏教でも、
の間を輪廻すると説いている。



「たましひ」の語源はどのように解されようか。そ
の語源説は『日本国語大辞典』によると、なんと13
種もあることがわかるが、西宮一民氏は次の三説、
つまり①「玉奇日」説(契沖『和字正監要略』)②
「玉之日」説(谷川上清『和訓栞』、③「活用する
力こ働いてゐる力」説(折口信夫「霊魂の話」)を
列挙してこれに批判を加え、結局、西宮氏は「たま
しひ」を「たま」+「しひ」(甲)の語構成で考え
るのが最も自然であるとして「しひ」に注目した。


「シヒ」は『和名抄』を見ても「盲、米之比・聾、
美美之比・瘤、之比祢」とある等、すべて「痺ひ」、
即ち「しびれるよ機能を失う」の意であるところか
ら、たましひを「魂痺」の意と解した。金田一法則
では、複合語についてはアクセントは先部要素で考
慮するべきであって、後部成素をもっては論証不可
であるとされている。ところが西宮氏は「タマシヒ
」や「メシヒ」「シヒネ」「シヒナセ」などの「シ
ヒ」、いねば後部要素の検証を以てアクセントの面
からも問題なしとし、結局は「令集解」(令釈)の
鎮魂解釈と結びつけて「クマの麻燦」とは「あるべ
き場所(身体の中府)に魂魄がゐなくなってしまふ
」「まともな魂魄でなくなってしまふ」=「遊離魂
」であるとし、「タマ」と「タマシヒ」とは魂魄の
在り万に基づく命名で、両者には差があるのだとい
う。「クマ」と「タマシヒ」はそもそも語形が違う
のであるから「両者には差がある」という点には異
論はない。だが、「痺ひ」(「しふ」は四段動詞で



連用形は甲類=感覚・機能を失ふ)たる「タマ」の
状態・ことを意味するのであれば、「シヒタマ」あ
るいは「シフタマ」というのが自然であろう。「多
麻之比は朝夕に多麻布礼どあが胸痛し恋の繁きに」
(萬三七六七)の「タマシヒ」は「メシヒ」や「ミ
ミシヒ」などの所謂サマ名詞・コト名詞ではなく、
モノ名詞と解されるからである。「タマシヒ」を「
クマ」+「シヒ」といった語構成で捉えるのは現代
人の語構成意識であって、問題がない訳ではない。
筆者は「たましひ」の語構成は「クマ」+「シ」+
「ヒ」であると考え、『神道大辞典』第二巻の「タ
マシヒ」の項にあるように「言語的には魂之霊であ
らう」と解する。西宮氏は取り上げなかったが「魂
之霊」(タマシヒ)の「霊」(ヒ)は甲類であり、
「多麻之比」の「ヒ」が甲類であるのと一致する。



では「たま」(魂)と「たましひ」(魂の「霊」)、
即ち「たま」と「ひ」とはどのような関係にあるの
であろうか。本質論としてはこの両者は決してハツ
キリと切り分けられるものではないが、表現形式と
しては明確に「自己(ひ)」対「他者(たま)」と
して語られ、他者としての「たま」を鎮めることで

自分の「ひ」が顕われる、つまり自己が絶対的な秩
序の中に位置づけられるという関係にあるというこ
とができる
。「たま」を鎮めることによって、同時
に「ひ」の本来の能力を発揮・活動を開始するとい
う関係である。既に述べたように「たま」は集合表
であるが、「たましひ」は個体表象であるといえ
よう。「たま」は総称的単数であるが、個々人は「
ひ」という固有名をもって存在しており、この「ひ
」はそれぞれの自己においては「たましひ」という
存在形態でしか存在し得ないのである。個々人が互
いに正しく「ひ」を保ちあっている時、つまり各自
が世界の秩序の中で「与えられた能力」を十分に発
揮している状態にある時に、世界は目的と意思を持
った有機的秩序と見なされ、この状態が「弥榮」と
いう状態
であるということができよう。

          渡辺勝義『神道と日本文化』


┌─祭り型神道┬─宮中神道→宮中の祭祀
|       ├―
神社神道→通常の神社の祭祀
|       ├―民間神道→道祖神・田の神など
|       └―陰陽道系→土御門神道など
└-教え型神道┬―学派神道┬―復古神道
     |    ├―
理論神道→伊勢神道など
     |   ├―神仏習合

   |    └―神儒一致系
     └―
教派神道―-┬―山岳信仰
          ├―霊示系→天理教など
          ├―伝統神道系→出雲大社教など
          └―新思想系→
神道天行居など


渡辺勝義は「霊魂の行方」について、本田親徳の教
え(→古代に存在したとされる帰神-人に神を降ろ
す法-の復元を図り、鎮魂帰神を中核とする本田霊
学、①神や霊を人に降ろす方法である「帰神法」、
②帰神を実現するための精神統一の修行法である「
鎮魂法」、③鎮魂で得た力の応用としての「禁厭」
から構成)を紹介しつつ「葬送儀礼は死体から死者
を分離し、生者のカテゴリーに組み入れる行為」と
して、肉体は<亡骸>だからといって生ゴミとして処
分してはいけないと解説するが、「霊魂の行方」の
死後の参考文献がないとしながらも、本田親徳に習
い、それが如何に困難な道行きであろうとも、幽冥
貫徹せずんば止まずとの強固な覚悟と信念・情熱を
持って、優れた師に就き、自ら日夜の厳しい行を積
み、倦まず弛まずの霊的修行・鍛錬を経て後、霊肉
分離の高き境地を体験自得し、瞬時にこの現象世界
を離れて己が霊そのものと成りきって実存(存在・
神霊)世界に入り得てこそ、霊は霊に通じ、今まで
は到底わかり得なかった幽冥の事情もよりよく了解
し得ると括るが、ここでも重い言葉を残し終わる。
明日は、正月儀礼と訪(おとな)ひについて考えて
みる ^^;。





昨日のパスタを家で再現しようと彼女が腕を振るう。
アンチョビとオーリーブ、そしてガーリックにえぇ
~っと、なにか足りないというので、ジェノバ風味
がしたので松の実を入れてみてはと返事すると、そ
れはないとの返事。早速頂く。おぉ~っ、最高だと
歌う。パイナップル(学名:Ananas comosus 英:pin-
eapple
、中:鳳梨、菠蘿)は、熱帯アメリカ原産の
パイナップル科の多年草。単にパインと略して呼ば
れることもある。また、果実だけをパイナップルと
呼び、植物としてはアナナスと呼ぶこともある。名
前の由来は、果実の形が松かさに、味がリンゴに似
ているのでパイン(松)+アップル(リンゴ)とい
う説のほか、パインは松かさを意味するが、アップ
ルはリンゴではなく単に果物という意であるという
説がある。果物の「パイナップル」。花言葉は「あ
なたは申し分ない」。

 

パイナップルは多年草であり、実を収穫後、根茎か
ら再び芽を出し、これが成長すると先端部に結実す
る。しかしながら、収穫ごとに実が小さくなってい
くため、株を3年以上用いることは少ない。パイナ
ップルの果実といわれる食用部分は伸長した花序の
軸の周りに排列した小果実の付け根の部分が軸もろ
とも融合肥大し、多量の汁を含むようになったもの
で、真の果実は表面へ螺旋状に並んだ、硬化して食
べられない疣状の部分から果肉の表層までの部分で
ある。多くの市販品を生産している農園では遺伝的
に同一個体のクローンである同一品種ばかりを植え
るので、自家不和合性によって受精が、ほとんど起
こらず、果実内に種子ができていない。

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アンスリウムと「媚中派 vs. 媚米派」

2009年12月16日 | 神道物語


強烈な アッパーフック 躊躇なく アンスリウムは 打ちすえ砕く 





【平成天皇と東アジア共同体】

「日中両国の交流は、二千年の歴史を誇っておりま
す。1972年、私が師と仰ぐ先達の方々のご協力によ
って、念願の日中国交正常化がなされて以来、両国
の関係は、隆々と発展の一途を辿っており、誠に喜
ばしい限りであります。とりわけ、日米関係のさら
なる発展と並んで、日中両国の平和友好は、アジア
の安定と、世界の平和の為に、極めて重要な意義を
持ちます。2007年12月、日中国交正常化35周年を記
念して、民主党の「(日中)交流協議機構」と日中
至誠基金の「長城計画」の合同で「(日中)交流協
議機構大長城計画方中団」派遣が決行されました。
第1回長城計画は、1986年中華全国青年連合会、日中
中国青少年交流協会の協力を得て開催されました。
本年、第16回目を迎える「長城計画」が、一昨年に
続き民主党の「(日中)交流協議機構」との合同で
さらに日中の裾野を深めることができるに至り、感
無量です。日中両国に平和と友好の為の、永遠の『
長城』が築かれんことを切に願い、皆様と共に参加
するこの「(日中)交流協議機構・長城計画」が両
国民の心と心の交流を、さらに深めていく大切な役
割を果たすものと確信しております」(『
(日中)
交流協議機構・長城計画」訪中団のご案内
』)

 


国事行為の政治的中立性をめぐり、保守派と保守派
が小競り合いを展開している。前者
から見れば小沢
一郎は「土下座外交」(=
冊封外交)のように映る。
後者からすると「
白村江の戦い」から「支那事変

のトラウマの 派の反動と映る違いな
い。その意味
では谷垣自民党総裁の言うように、象
徴天皇のポジ
ショニングは微妙だ  ^^;。




「韓国は米国とのFTAを強く望んできたが、米議
会の反対でまだ実現していない。
米韓より先に中韓
のFTAが締結されると、韓国は経済面で対米従属
を離れ、東アジアに統合される傾向が強くなる
。来
年は、日中韓の東アジア3ヵ国間の協調関係が強ま
りそうだ。6カ国協議が進展すると、日朝問題でも
何らかの動きがあるだろう。ボズワースは訪朝帰り
に東京で『北朝鮮は拉致問題などに関する日朝対話
に前向きだ』と言っている」と「媚中 vs. 媚米」の
構図と関係なしに世界は動いていると田中宇は解説
している(『
強まる日中韓の強調』)。それが正し
いなら日本の保守政治委員は時代の流
れから取り残される格好になるが。

※いわゆる、
昭和維新派の硬直したものでなく、象
 徴天皇を含めた広範な天皇親政を是とする
 をここでは意味する。



【文化深層:ご託宣とはなにか】

さて、昨日のブログのつづきを。

託宣の「託」字は日本最古の漢和辞書である『新撰
字鏡』によれば「伊乃留。又久留比毛乃伊不。又口
波志留。」とあり、即ち「祈る。また、狂い物言ふ。
また、口走る」との意であるというのである。森田
康之助博士はこの『新撰宇鏡』をもとに、「神を祈
る」と「神に祈る」のその違いについて次のように
述べておられる。

 祈ることによって、神霊は活動を開始するので
 ある。その活動が「狂ひて物いふ」とか「口ば
 しる」として把握されているのであって、狂っ
 て物いったり口ばしるということは、神霊や精
 霊が人に憑依して自己の意思や思考を表明して
 人に伝えている状態を指しているのである。で
 あるから、神を祈るということは、神の意志や
 思考を表明して人に伝えている状態を指してい
 るのである。であるから神を祈るということは、
 神の意志や思考を実際にその眼で見、その耳で
 聞いて確認しようとすることであって、今日わ
 れわれが神に祈って拝礼したとしても、実際に
 神の意志や思考を確かめることができず、おそ
 らくはたぶん聞き届けてくださるのだろうと自
 ら慰めるのとは、ここに大きな差違のあるのを、
 見てとらねばならぬと思うのである。

 
単に助詞「を」と「に」の一字の違いなのであるが、
神を折る」という場合には神霊の降臨を乞うとい
うこと、姿なき神霊の顕れますのをひたすらに願う
ということであるが
、「
神に祈る」の場合には対象
的・具象的に既にそこに坐ます神に祈ることになり

神とは「我に対する汝」というように人に相対して
存在する
...という考えとなり 両者のその意味内容
は大いに相違する、と森田博士はいわれるのである。
仏教渡来以降、神の社殿が営まれるようになって以
後、神はいつも社殿に鎮座されているのだと考えら
れるようになったというのであり、これは、それ以
前とは異なって、新しい考え方というべきであり、
ここに神霊と人との関係に大きな変化が生じたとい
うべきであろう。『万葉集』には「神を祈る」とは
あっても「神に折る」という例は見出せないからで
ある。

          渡辺勝義『神道と日本文化』

 

神懸りによって神霊の託宣を乞う宗数的儀礼の背景
には、《世界の実存的開示》という状況が存在する。
素人がたまたまこれに修行もなく、万が一にも不用
意に直に触れるとすれば、恐らく発狂するか死んで
しまうかもしれない
。「託宣」とは実存的世界の開
示の場面に出会うことを指しており、これは
極めて
危険なのだということを知っておいて欲しい
。従っ
て、実際は神霊は人を選んで現れるものなのであり
なによりも自らの真正なあり方を見分ける力を持つ
仲介の人(メディア)を通して、神霊の意向を伝え
ようという人に立ち顕れてくる
。その人自身はそれ
が真正のものであるかどうか判断がつきかねること
がある。それを判断する立場の人を「
審神者(さに
)」と呼ぶ。幕末から昭和期にかけて起こった民
間宗教の世界においてさえ、例えば天理教の中山み
き女や大本数(現、大本)の出ロナヲ女のように、

 

当初、己に憑依した官物が何者なのか、果たして狐
か狸か神か、神ならば正神であるのか邪神であるの
か、優れた審神者無きためにその判別に苦慮したこ
とが知られている。出ロナヲ女は自分に憑依した霊
物の正体を知ろうとして、天理教や金光教の教会な
どを訪ねている。自分の身に起こったことについて
知ろうとして、如何に真剣に悩み抜き且つ混乱状態
にあったかがわかる。常に人は良き師を求めねばな
らない。なによりも疑ってかからねばならないのは、
例えば優れた師を持たずに滝場などで修行している
うちになんらかの憑き物が憑依した時に、それが果
たして真正な神霊か、妖魅・邪霊の類か、死霊かそ
の判断もつかないのに、勝手に神仏の言葉と称して
その憑き物のことばを語ることであり、それは悲惨
な結果しかもたらさない


最後の括りは重く感じて受け止める。
オウム真理教
の麻原彰晃などとダブらせて理解した。
 
さて、古典を真面目に研究した者ならば、神道にと
って「
神懸り」が如何に重要且つ不可欠のものであ
るかがわかる筈であるのに、賀茂真淵や本居宣長な
ど国学者らが古訓の解釈のみに終始して、肝腎の神
懸りに対しては手も足も出なかったのは、既に彼ら
が人間主義的合理主義に侵されていたからだと...
葦津翁は重大な指摘をされた。神道の真髄は、国学
者らのように単に理による解釈では到底わかり得ず
身自ら行法を実践して神霊に直接する道を体験・体
得する以外にないのである
。だが実は葦津翁よりも
ずっと以前に同様の指摘をしている者がいた。幕末・
明治の優れた神典学者であり、また霊学中興の祖と
して、神道行法の達人として宗教集団(大本教、三
五数ほか)や神道界はじめ、その道を志す者に今日
においても少なからず影響を及ぼしている本田親徳
翁(薩摩藩士。通称九郎。文政五年正月十三日、鹿
児島県川辺郡加世田郷武田村生まれ)その人である。
彼は、その著『難古事記』に次のように述べている。

 此の神懸りのこと本居平田を始め名だたる先生
 達も明らめ得られざりし故に、古事記伝、古史
 伝ともに其の説々皆誤れり。親徳拾ハ歳皇史を
 拝読し、此の神法の今時に廃絶したるを慨歎し、
 岩窟に求め草庵に尋ね、終に三拾五歳にして神
 懸三十六法あることを覚悟り、夫れより幽冥に
 正し現事に徴し、古事記日本紀の真奥を知り、
 古先達の説々悉く皆謬解たるを知り弁へたりき。

幽冥に正し、神霊の教えを受けなければ、『古事記』
や『日本書紀』の深奥は決してわかるものではない
...と本田親徳翁はいうのである。残念ながら 本田
翁が古典を元にして生涯賭けて苦心の末に再興した
ところの神霊と直接し神教を受けるためのすぐれた
皇法と霊学(鎮魂法・帰神術)は今日、神社界では
全く知られていないというか、無視されているとい
うのが現状
である。古神道行法を身を以て実践し、
真にその奥の堂に入るためには、すべてを投げ打っ
て徹底して神界への奉仕者たらんとする覚悟はもと
よりの事、専心何十年という長期の(生涯をかけて
の)積み重ねの修行と「霊学は浄心を以てもととな
す」といわれる如く、世俗の名利等一切に囚われな
い徹底した「浄心」の持ち主でなければならない。
神界に己が真心を捧げ且つ認めて頂くためには、こ
うしたことが必須の条件であるために、並みの者で
は到底動まらず、従って誰もが何もなし得ずに終わ
ってしまう(後略)。

          渡辺勝義『神道と日本文化』

簡潔に要約すれば、ご託宣を得る資格、厳しい修行
を経なければ無理だし、中途半端では破滅するとい
うことになるが、幽体分離の語り(「実存的不安と
託宣」P.90)など、凡庸なわたしなど理解もできな
い世界が解説されていて、少々閉口気味に消化する
こととなる(→「正木ワールドへようこそ」の「
二部 不思議な現象
」に幽体分離が紹介されている
)。きょうはこんなところで終わるとしよう。
                    




アンスリウム(Anthurium) は、サトイモ科アンスリウ
ム属の非耐寒性多年草です。作りが、造花のように
見えますが、生花です。緑色の葉はサトイモの葉に
似ています。 花色は、赤や、桃、白、緑、茶色。
これは本当は花ではなく、ぶっぽうえん(仏炎苞)と
呼ばれるもの。苞は、カラー(Calla)や、スパティフィ
ラム(Spathiphyllum)に似ている。


 播州ラーメン

数年前、開発試作品の検収で西脇に出張した折、長
谷川穂積の応援横断幕を見て興味が惹かれ、それ以
来、彼のボクシングに余り熱心ではないファンでい
た。「この男はいずれ世界一になる」と。もう、と
うに消えた情熱を呼び戻すかのように即興歌を詠む。

アンスリウム属(Anthurium)とは、サトイモ科の属
の一つ。ベニウチワ属ともいう。熱帯アメリカ原産
で六百種以上ある。葉や苞(花に見える部分)が美
しいものや、観葉植物として栽培されるものがある。
別名ベニウチワの「アンスリウム」。花言葉は「熱
情」。

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シュロに慎重と大胆の冠を

2009年12月15日 | 神道物語



拝殿に 打ち揃いては  高々と 柏手響き 棕櫚を固める


Samuelson1950.jpg Paul Anthony Samuelson

ポール・サミュエルソン(Paul A. Samuelson, 1915 年 5
月15日~ 2009年12月13
日)がなくなった。米国を代
表する近代経済学者で、ケインズ経済学と新古
典派経済学を総合する新古典派総合の理論を確
立する。1970年代のスタグフレーションフレ)
に、サミュエルソンは有効な対策を提唱できず、
マネタリストのミルトン・フリードマン、合理
的期待形成学派のロバート・ルーカス、成長論
のロバート・ソロー、「赤字財政の政治経済学」
の著者ジェームズ・ブキャナン、ポストケインジ
アンのジョーン・ロビンソン等から批判を浴び、
急速にその影響力を喪失させることとなる。



昨年、8月「日本経済の再生」(日経ビジネス)
のインタビューで、1990年のバブル経済が崩壊
した後、日本は「失われた10年」と呼ばれる長
期の不況に陥りった時のように悲観的な見方が
広がっている。
確かに世界経済を取り巻く環境
は厳しさを増し、金融市場の混乱は収まってい
ないし、原油価格が1バレル当たり百ドルを超
えるなど原材料価格の高騰も続き、
少子高齢化
に伴なう労働人口が減少で、将来に対する懸念
が強まるのも無理はないのかもしないと前置き
し、「
ですが、私は日本が将来に対してそれほ
ど悲観的になる必要はないと思います。なぜな
ら、こうした困難な状況を打開してより豊かな
国になる方策が日本にはいくつも残されている

からです」と指摘する。



そのインタビューで印象に残った発言をピック
アップすると次のようになる。

(1)研究開発に注力して独創的な製品やサー
  ビスを生み出すこと(「既に、日本から独
  創的なものは生まれ始めている。例えば、
  生物学分野のクローニングのうち最も重要
  なものは、恐らく日本の科学者の手になる)。
(2)日本貯蓄運用が下手だ。少子高齢化では

  個人も政府も資産を賢く運用する。
(3)輸出主導型の成長に固執をやめ、内需を
  拡大することも必要。
赤字国債の発行によ
  って財政支出を増やすとともに減税を実施
  する。
(4)日本銀行は金利を引き上げる。長期政府
  が財政再建を優先し、消費税の税率を引き
  上げた。その代わりに金利の引き下げによ
  って景気を回復したが、金融政策の効果が
  失われる「
流動性の罠」に陥った(日銀は
  政策の誤りを認めず、ゼロ金利政策を取り
  続け、不況が長期化した)。
(5)日本政府は、経済成長させ、国債の残高
  について心配するのは、その後でいいとの
  ように反論すべきで、世界経済が失速し始
  めているなら
財政支出の拡大と減税によっ
  て景気を刺激すべきです。増税による財政
  再建は今なすべきことではない
(5)
もっとも、公共投資には注意すべき点が
  あり、日本では建設業界の影響力が強く、
  公共投資の多くが道路の建設に使われる恐
  れがある。
共投資が不必要なインフラの
  建設費用
に使われないようにチェックする。

(6)
少子高齢化に伴う労働人口の減少は日本
  にとって重大な問題で、定年退職しなけれ
  ばならない年齢を引き上げて、高齢者を活
  用する
寿命が延びて健康な高齢者が増え
  ている。
(7)
米国のようになれとは言わない。今の米
  国は市場に対する適切な規制がなくなり、
  金儲け優先になりすぎている。こうした姿
  勢がサブプライムローンを生み出し、現在
  の金融不安を招きました。今の米国に見習
  うべきことはない
(8)
経済成長率は高くなくても国民一人ひと
  りが豊かなデンマーク、スイスといった小
  国にこそ学ぶべき点が多い。これらの国で
  は市場メカニズムを重視しながらも、適切
  な規制を行っている。

そして、日本の成長潜在力は捨てたものではな
いし、もっと自信を持ちなさいと激励する。首
をかしげるようなところもあるが、概ね賛同で
きる。ユダヤ人でジョン・F・ケネディ大統領の
ブレーンだった秀抜の経済学者の死を悼む。

                   合掌



【文化深層:祭りとはなにか】

祭もしくは祭りとは、神霊などを祀る儀式や神
事のこと。祭礼もしくは祭祀とも呼ばれる。ま
た、それに伴う催事を含んで「祭」と呼ぶ場合
もあると素っ気ない括りなる。



「私たちが普段、うれしいとか悲しいとかいっ
ては喜び、悲しむ、この個として持づている自
分の感情や生理的反応・価値判断などは、実は
無意職種に社会制度の枠によって規定されてい
るということを知らねばならない
。私たちが帰
属する社会集団には、その社会の絶対的な価値
秩序の構造(価値の中心)があり、この価値の
構造は無意識に個人の感情生活と対応しており、
これによって私たちは泣いたり、笑ったり、怒
ったりしているのである。より正確にはこの価
値の構造によって泣かされ、笑わされ、怒らさ
れているというべきかも知れない。私たちは価
値の世界に生きているということをあまりにも
当然のこととして忘れてしまっているが、個人
の感情はこの価値から出てくるのであり、感情
そのものが制度なのであるといえる」。

        渡辺勝義『神道と日本文化』


そうか、社会の絶対的な価値により感情は規定
されるのか。とするなら「共同幻想」の絶対的
価値共有のための集団演劇とするなら、それは
文化の深層まで届いていくのだろうかという疑
問が残る。

「まつり」はその社会の絶対的価値秩序の構造
(価値の中心)を、これを共有する人々が祭り
の時に全員で各々役割分担して、約束事として
決められた通りに少しの狂いもなく身体で演じ
分けているのである。帰属する社会集団の価値
秩序の中心(あるべき秩序・あるべき生き方)
はここなのだということを、誰にもわかるよう
に、ハッキリと可視的・意識的に表現するので
あり、誇張されて過剰にリアルに演ずる必要が
あるのである。日々の「生の充実感」というも
のは、「まつり」によって開示される
、その社
会の絶対的価値秩序の体系によって支えられて
いるのである。「まつり」の時には、個人の主
体的意識や感情は極度に落とされ(無化され)、
ないかの如くにされ、あらゆる意識としての充
足は排除される(自我の完全な疎外)。そして、
普段、無意識に社会制度によって規定されてい
る個人的感情を逆に意識的に義務として決めら
れた通りに行う(演ずる)ことを強制される。
価値の中心(秩序)を描くために、厳しいルー
ルが強制され、意識的に様式化した定型的行為
を決められた通りに行うところに価値があるの
である。価値の中心を描くために「周辺部分」
を描く場合もあるが、そこに価値があるのでは
ない。そこでは一見特殊に見える構造を採るこ
とがあり、例えば地位が逆転して見えたりもす
るが、それは逆転ではなく、「強調」なのであ
り、全てが集団化・意識化されているのである。
              
        渡辺勝義『神道と日本文化』





【文化深層:穢れとはなにか】

黄泉の国から戻ったイザナギ伊邪那岐)は 禊
をしている。これは、黄泉の穢れを払う行為で
あり、その最中に何柱もの神々が誕生した。

貴子
など。また、祓われた穢れそのものからも
神が誕生した。スサノオがアマテラスの屋敷に
天斑駒を乱入させた故事に於いて従女の死であ
る「死の穢れ」が初出であるとされる。

 
つまり、ひとたび分離された聖なるもの同士、
つまり伊邪那岐命(の世界)と伊邪那美命(の
世界)が再び出会い、接触することの危険性を
「ケガレ」
といっているのであり、私たちはそ
れを現実に「汚いもの」「よごれたもの」「怖
ろしいもの」として認識することで「避ける」
という行為を生み出しているのである。
千引石
によって明確に分離されなければならない両者
が、千引石を越えて伊邪那岐命の世界へ、ある
いは伊邪那美命の世界ヘ一方から他方へと侵入
し現れてくるのを「ケガレ」と呼んでいるのだ
と解するのである。

        渡辺勝義『神道と日本文化』




なんだ、混沌としたものから秩序を打ち立てた
のに、再び、混沌とした
状態に戻すようなこと
を「穢れ」といい、これを正し本来のあるべき
状態に戻すことを意味すしているのかと新鮮な
印象持ち、咀嚼解釈することに。

「死」そのものがケガレであるとか、「死体」
そのものがケガレであるとか、あるいは「黄泉
国」や「伊邪那美命」そのものがケガレである
というものではない。そうした理解しかできな
いのは『古事記』神話の構造を掴んでいない
らである。伊邪那岐命が黄泉国から自分の世界
に戻っての喫ぎ祓いの果てにその本来に復し、
後に高天原の統治者となる天照大御神ほか三貴
子の誕生を見た、即ち世界を動かす力を創造し
たということは、そこに再び世界の秩序が現れ
たということなのであり、伊那那岐命と伊邪那
美命の両世界が、そして全体世界がその本来の
伏態に復したことを如実に示すものである。伊
邪那岐命の世界と伊邪那美命の世界とが千引石
によってシッカリと閉じられ、互いに領界を侵
犯しあわず、おのおの世界を分担し保ちあって
いることが即ち、生成化育の産霊の神業が未来
永劫に亘って絶えることなく不断に行われてい
ということをなにより示しており、私たちの
この存在世界は弥栄(安泰)であるという訳な
のである。そして喫ぎ祓いこそはその本来のあ
るべき秩序を回復し、世界の秩序を顕わにする
重要な手続きなのだという
ことができる。

        渡辺勝義『神道と日本文化』


そして、渡辺勝義は、私たちは肉体あるが故に、
どうしてもこの肉体の中に「私」という本質(
本当の自分)が自己完結してあるものと錯覚し
ている。本来の私は決して私自身(個人)の中
に閉ざされて存在しているものではなく、むし
ろ「外なる私」として世界に開かれて存在して
いる
のである。然るに肉体の感覚だけに頼って
生きていると、この世界に開かれた外なる私の
存在に永遠に気づかない状態に陥る。この状態
を所謂「疎外」という。疎外を自覚できないま
まのあり方では、「私」は生命の泉を断たれた
状態になって枯渇していくしかないとし、つま
りは、そのことに対する漠然とした畏れ(不安)
から逃れるために、必死で「内なる私」にしが
みつき→その補償行為として外的刺激を求める
行為が(益々真の私を枯渇させる)、誤った生
き方がケガレの本質で、本来の道筋に立ち帰る
ために、枯渇への道(キエルケゴール流にいえ
ば「死に至る病」)を断ち切る祈りこそが祓い
の本質であり、それは疎外されているという人
間本来のあり方を踏まえた上での、存在への回
帰への真摯な祈りであるといえよう。私が外に
あるということは殆んど誰も気づいていないが、
『古事記』や『日本書紀』に実に見事に描かれ
ているというが、このつづきは後日に。  



TrachycarpusFortunei.jpg


東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
 
                                   柿本人麻呂

シュロ(棕櫚、棕梠、椶櫚、学名Trachycarpus
fortunei
は、ヤシ科の常緑高木。庭園で装飾樹と
して用いられる事が多い。樹皮はシュロ縄とし
て古くから利用されている。排水良好な土地を
好み、乾湿、陰陽の土地条件を選ばず、耐火性、
耐潮性も併せ持つ強健な樹種である。生育は遅
く、管理が少なく済むため、手間がかからない。
心配された天気も上々で式典も無事終わり安堵。
静かな境内に、長達の柏手が響き、こころを棕
櫚のように固め合ったと大祓の光景を詠む。南
九州原産の「シュロ」。花言葉は「不変の友情」。

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胡椒木のネオコンとお初穂

2009年12月01日 | 神道物語



褪めやすい こころが醒めて 愚痴了い ひとつ握る 胡椒木の実 



Icon of Shinto.svg

【神道の心髄】


今更に 何をか思はむ うちなびき 心は君に 寄りにしものを

                                         安倍女郎/万葉集 



師走に入り、白山神社の行事も残すところ1ヵ月。大
麻頒布とお初穂料の寄進・徴収することとなったがそ
の意味合いが宮世話に確かなものとして伝わっていな
いという弱さがあると世話役から声が上がった。とは
いえ、
エドマンド・バークの保守思想がそうであるよ
うに、
記憶にもない、記録にもない、祖先から相続し
た古来からの“制度”を絶対的に擁護し、それを子孫
に相続していくを範
とするなら、不確定で曖昧模糊で
あってもそれを善しとすることになんの誹りがあろう
と開き直ることもできる。できるが、そこはその伝統
継承の組織化にパワーが注がれ、例えば<宮>運動と、
そこにある継承相手との意思疎通を通して「聖霊→神」
と切り結ぶ三位一体、無限遠点への螺旋的発展の宇宙
を形成する、最初の一歩は、神への畏敬、敬虔からく
る慈愛、尊重を源(→
岡倉天心は「わび」「さび」を
imperfect”と翻訳)とした「謙虚」を教義の導きとす
ると、ちがうか!^^;。



【大麻】

もともと、大麻、大幣(おおぬさ)とは、神道の祭祀
において
に使う道具の一つ。榊の枝または白木の棒
の先に紙垂(または麻苧をつけたものである。白木の
棒で作ったものは祓串(はらえぐし)とも言う。「大
麻」(おおぬさ)という言葉は、本来は「ぬさ」の美
称である。「ぬさ」とは神への供え物や、罪を祓うた
めに使用する物のことであり、主として麻や木綿(ゆ
う)、後には布帛や紙が使われていた。そこから、神
事に使う布帛や紙のことを大麻と呼ぶようになった。





それ以外に、伊勢神宮から頒布される神札のことも大
麻(神宮大麻。この場合は「たいま」とも読む)とい
う。大麻は、祓う対象となる人や物に向かって左・右・
左と振って使用し、これによって大麻に穢が移ると考
えられている。かつては、人に対しては祓を受ける人
が大麻を手で引いて穢を移していたが、後に人に対し
ても大麻を振るようになった。大麻で祓った後に、小
さな榊で塩湯を撒く(振りをする)場合もある。
大麻
自体を塩湯が煮え立った釜に入れて振り、無病息災を
祈る祭事もある事から、本来は実際に体を洗うブラシ
のような使い方をしていたと考えられ
る。




ところで、神札は、神名や神社名・天照皇大神宮(こ
うたいじんぐう)また神を象徴する物を紙、木札、御
神砂、御神水、金属片などに記したものである。通常、
年末に神社が頒布(神宮大麻、氏神大麻、竈荒神札、
大歳神様、戸口・柱・天井の関札など)し、各家庭で
神棚に納める。また、門や柱に貼ることもある。一年
の家内安全・無病息災などを祈った。これらは、聖霊
Holy Spirit)は目に見えないが神自身と同じ性格をもつ
人格的なものであり、キリスト教のような神と人とを
繋ぐとりなし手として、人間が内面から刷新されるこ
とによって「善良な行い」を聖霊のみちびきによりな
されるという確固たる存在ではなく、自然崇拝・聖霊
崇拝(アミニズム)を内包する移し身の媒体、「依代
(よりしろ)」としてある
。したがって毎年、神札は
取り替えられることを前提としているため、古くなっ
た神札、お守りは燃やす等して廃棄され新しいものと
取り替えられる。

【初穗】

初穂(はつほ)とは、日本において秋の稲の収獲に先
立って神に献じる熟した稲穂のことである。早穂(は
やほ)、先穂(さきほ)、最華(さいか)などとも言
う。古代においては、祭祀を主導した豪族がその費用
や供物とするために支配民から徴収したものが初穂で
あったという。後に豪族の政治・宗教権限がヤマト王
権に剥奪されて律令政府が確立されると、
初穂は律令
政府を代理する国府に納められる田租(「租」)
へと
転換して、後の租庸調制を構成する1つとなったとさ
れている。

エドマンド・バーク「崇高と美の観念の起源」

今日、伊勢神宮では神嘗祭に先立って抜穂祭が行われ
ており、その他の神社や一部地域の民間でも秋の収獲
祭より以前(八朔、重陽など)に抜穂の行事を行う所
がある。これが初穂の元来の形と考えられる。
元々は
文字通り稲(を含む穀物)の穂であったが
後に穀物
以外のものにも拡大され、その年初めて獲れた野菜や
海産物、狩の獲物を神仏に供えるものも初穂と呼ぶよ
うになった。さらには、そのような初物の代わりとし
て献じられる金銭をも指すようになった
。今日、神社
に納める金銭のことを「初穂料」と呼ぶのはこれに由
来する。米を納める場合でも、稲穂が米粒に代わり、
「散米」と称して撒いたり、白紙に包んで「おひねり」
として供えたりした。さらには、炊いた飯や餅として
供えるものも現れた。このような、その年初めてのも
のを神に供えるという初穂の習慣が、後に、「初物」
と呼んでそれを貴んだり、近隣や知人の間で初物を贈
りあったりする習慣に発展したされる。



エコガラス

複層ガラスとエコガラスの違い

板硝子協会による、平成20年度の新築一戸建及び共同
住宅における、複層ガラス及びLow-E 複層ガラス(エ
コガラス)の普及率アンケート調査の結果、透明ペア
ガラスの一戸建の普及率は3年連続90%台となり、さ
らに断熱・遮熱性能の高いエコガラスの一戸建での普
及率が2年の間に10%増えて約40%に上昇したという。
この数字を見て、成長戦略『双頭の狗鷲』構想が閃い
た。これについては明日、ブログに掲載するが、<文
質淋淋>の成長戦略(『ユーカリの蝉と内御飯時代』)
の1つの顕れだろう。因みに、同協会の滋賀一般住
宅の試算結果
では、年間のCO2 排出削減量は527.9kg
(ぶなの木48本分相当)、冷暖房削減額が、52,247円
となる。工事費は約15年で償却還元できる(=7,797kg
CO2 排出削減→日本人ひとり当たり95,000kgCO2 排出)。



原理は至って簡単で、酸化スズ、酸化亜鉛、酸化銀な
どの赤外線吸収薄膜をガラス表面に塗布し、光の透過
率を高めるという矛盾に満ちた工法で、これを実現可
能とするのが「ネオコンバーテック」(通称、ネオコ
ン、『秋の麒麟草と食欲』)である。
イメージ ID=000007

特許:P2008-222507A「複合ガラス」

イメージ ID=000002

特許:P2001-28793A「ガラス複合体」



ピンクペッパー
ピンクペッパーはスパイスで、ピンクペッパー・ホー
ルはポァブルロゼと呼ばれたりする。語源のひとつは、
胡椒の赤く熟した実の塩漬け→緑色の果実を塩漬け→
グリーンペッパー。もう一つは、コショウボクの熟し
た果実をピンクペッパーと呼ぶ場合だ。種子や果肉に
は苦味とともにこしょうのような味がし、やはり熟す
ると赤色でぶどうのような房状になる。ミックスペッ
パーと称し、ホール状のブラック、ホワイト、グリー
ンペッパーとともに、ブレンドして、色どりや風味を
楽しんだりする。メキシコでは果実を飲み物に用い、
種子をコーヒーの混ぜものに使かう。さらに西洋ナナ
カマド(七竈
)の果実をピンクペッパーとして用いる
場合があり、この実には酸味があり、適度な渋味と苦
味をもつことから、肉料理に使われる。

 

黒コショウ、白コショウといえば、コショウ科のコシ
ョウ(Piper nigrum)の果実。前者は熟する前の果実を
乾燥したもの、後者は熟した果実を水につけた後、外
皮(果皮と果肉)を取り除いたもの。ピンクペッパー
とよばれている赤いコショウは、コショウの果実では
なく、シヌス(Schinus)とよばれるウルシ科のコショ
ウボク(Schinus molle L. (Anacardiaceae/ウルシ科) の
果実、あるいはロワン(Rowan)と呼ばれるバラ科の
セイヨウナナカマドの果実。



コショウボクは南米ペルーのアンデス地方原産の常緑
高木。15~41枚の小葉をもつ複葉のついた枝を、垂れ
広げ、街路樹に利用される。この樹からは白色の樹脂
がとれ、薬用にしたり、ゴムをとってチューインガム
に使うという。ピンクペッパーは林檎とルッコラと胡
桃の緑風サラダによく似合う。今晩も寄り合いで帰り
愚痴がでた。体調が悪い彼女の精神的な負担にならぬ
よにと気がつき押し留める。これは胡椒が効いた振る
舞いの現れだと詠う。白い花咲かす「コショウボク」。
花言葉は「熱中」。


 坂本冬美&ビーリーバンバン「また君に恋している」

日本レコード大賞候補が出揃った。依怙贔屓(えこひ
いき)だが坂本冬美の「また君に恋している」は文句
なく一押しだ。歌詞がたまらないですね。君とは、そ
この君だ、そこの、そこの君だ ^^;。

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藪欄と日本の洗濯

2009年08月12日 | 神道物語


朋友を待ち 朋友を呼びて 盃を交わす 楽座に咲く話と藪蘭 


ヤブラン

ヤブラン(藪蘭)とは、ユリ科(最新のAPG植物分類体
ではスズラン科)の植物の一種。別名リリオペ、サマ
ームスカリ。学名
Liriope muscari多年草で開花期は夏~
秋。花は紫色の小さいもので、穂状に咲く。葉は細長く、
先は垂れる。葉は斑入りのものがあり、庭の木陰で栽培
される。園芸品種には葉に斑入りのものがあり、花期以
外にも鑑賞される。

山菅の実ならぬことを我に寄せ 言われし君は誰けとか寝むらん

                      大伴坂上郎女


山菅(やますげ)は、実の枕詞。現在スゲといえば、か
やつりぐさ科のスゲ、平安時代にはジャノヒゲやヤブラ
ンなど、ゆり科のものを「やますげ」としている。『万
葉集』では、かやつりぐさ科のスゲと、ゆり科のやます
げを歌からは判別できなという。実の葉が四方に広がっ
て乱れている様子から、乱れや思い乱れの枕詞になって
いる。ヤブランは古名を山菅と言い、ゆり科の常緑多年
草で、林床など日陰に生える。ユリ科の多年草「ヤブラ
ン」。花言葉は「忍耐」。


オランダの国章

インターネットは軍事技術の民需転換ではあるが、サイ
バーテロに対する国際協調は進んでいないようだ。目を
転じ国内でも、AIU、Yahoo、三菱UFJ等個人顧客
情報漏洩事件ですら絶えないし、米国防省への北朝鮮か
らのサイバーテロなど特定組織(国・営利企業・非営利
組織)のテロも起きている。当然、個別組織(国家・共
同体・組織)自身による対応も可能ではあるが、国内及
び国際な法整備の整備や対策等の情報共有と協働整備と
して国家機関同士の法・規範の整備(例えば「情報通信
安全保障大綱」等)を緊要とする。


 

同様に、国際間の物流過程に対しても「貿易安全保障大
綱」等の制定など必要だ。例えば、ソマリア沖海賊対策
は格好の具体例となり、国際機関による警察活動(或い
は軍事活動)がそれに当たり、国連機関への加盟各国か
らの当該スタッフの徴募と国連機関での一元管理を行う
(制服及び所属旗章及び行動要綱は統一)。勿論、民間
当事国レベルでの個別対応時(傭兵雇用配置)は適用外。




民主主義とは忍耐だとつくづくと思う。国家単位の単独
主義は「百害あって一利無し」はこれからも実証されて
いくだろうがそう思う。話しは飛び国政について。ふと、
龍馬ならいま何に熱中しているのだろうかと。彼なら外
に飛び出し、宇宙船に乗って無重力状態下の様々な実験
に勤しんでのだろうと。いや、「いま大切なのは、景気
対策じゃない。未来に開かれた社会政策の構築なのだ」
といいつつ行動しているだろうと。


     カバラ

先シュメール文明に戻ろう。その前に、時代が遠のく程、
「神秘主義」が蔓延り、誇大妄想が膨らむ。古代人が過
去になしたように、その誇大妄想を遺跡として顕す歴史
的必然性の追体験の「錯誤の樹海」から脱出不能症候群
の情報がネット上に溢れている。ならば、高度文明は情
報容量の少ない粘土板を何故必要としたのかと。

  アフロアジア語族が話されている範囲(黄)




ファイル:Map-of-human-migrations.jpg

Open the sesame !

レバント。肥沃な三日月地帯の西半分にあたるレバント
で、最初の農耕が始まった。シリアのテル・アブ・フレ
イラ遺跡
(紀元前9050年頃)で、最古級の農耕の跡(ラ
イ麦)が発見されている
。先史時代の百世紀前となるとな
る。例えば、三千年の循環周期で考えても約3、4回となる。

 

何が言いたいかといえば、中国の長江文明(中国長江流
域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明
の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろか
ら紀元前1000年頃までが範囲)やインドのインダス文明
(紀元前2600年頃より、インダス川流域にインダス文明
が栄えた。民族系統は諸説あるが、紀元前3500年頃に西
アジアから移住してきたとの説もあるドラヴィダ人によ



 Mitochondrial Eve

るものという考えが有力)などの神話伝説(三皇五帝)
やインド神話は、紀元前数百年から千年と西アジアやレ
バントより比較的新しい時期に形成されており、ミトコ
ンドリア・イブ(世界祖語)に収斂するということに行
き着き、人類の意識の古層としての神話は地域により多
少の差異は認められるものの共通点が多い。「日本人シ
ュメール起源説」「シュメール幻想論」「江戸川乱歩も
驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎」や「シュメ
ール文明と宇宙人」の論
議とは無縁に『ラッキーマザー
説』に集約されるという結論で終わりたい。



B'z LIVE-GYM Pleasure 2008-GLORY DAYS-

突き詰め歩み続けるB'z 20年目の『ACTION』   突き詰め歩み続けるB'z 20年目の『ACTION』
突き詰め歩み続けるB'z 20年目の『ACTION』

HOT FASHON』とは強烈な出逢いだった。それ以来の
付き合いで、カーナビのオーディオの定番。夏の強烈な
太陽とカークーラの効かない間は彼らの楽曲をバンバン、
ボウズを効かせ飛ばす。どう見ても還暦とは思えないなぁ。
    
                             突き詰め歩み続けるB'z 20年目の『ACTION』

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布袋葵とギリシャ神話

2009年08月10日 | 神道物語



土用干し精も根も尽き果たし 濠に濡れ光る布袋葵


ファイル:Orthos Staatliche Antikensammlungen 2620.jpg

オルトロス(Orthros )あるいはオルトス(Orthos)は、
ギリシア神話に登場する双頭の犬。名前は「素早く」、
「速く飛ぶ者」の意。テュポーンエキドナの子。
ルベロス
を兄に持つ。 姿は黒い双頭の犬で、鬣(た
てがみ)一本一本と尻尾が蛇になっている。性格は落
ち着き無く、せっかちである。クレータ島またはゲー
リュオーン
の雄牛を守っていたが、ヘーラクレース
殴り殺された。また、エキドナと母子婚をし、ネメア
の獅子
パイア、ギリシア型スピンクス(♀)を産ま
せる。

Agios Pavlos(クレタ島の南岸部) クレータ

St Piran's Flag of Cornwall Cornwall

地中海沿岸の都市国家時代に至るまでの地方の自然現
象や口承或いは記録歴史(物語)を有する共同体の擬
人化、擬態化がギリシャ神話で出てくる神々、半神や
英雄とすれば話しが簡単となる。ゲーリュオーンには
スペインはイベリア半島のタルテッソス(古代王国)
で牧羊で生計を立てていたという説があり、その牧羊
犬がオルトロスというわけだが、タルテッソスは「錫
の島」(英国コーンウォール)と独占的交易していた
とされるから青銅器の製造や貿易で栄えた古代王国と
考えられ、ヘーラクレースに象徴されるギリシャの都
市国家と交戦し征服されのではと憶測される。


 オルトロスの犬 『ヒカリひとつ』

TBS「金曜ドラマ オルトロスの犬」が放映されて
いるが、このドラマの展開が読みづらいところにある。
ギリシャ神話の顛末ではオルトロスはへーラクレーに
よ殺されるというが、第3話では、竜崎臣司自身の疾
病や怪我は治せないという意外なシーンがあったのは
何を意味しているか、損な立ち回りの碧井涼介はこの
まま竜崎の脇役にして終わるわけないだろうし、仮に、
双生児とするとその水先案内人、二宮健は彼らの生い
立ちの謎のなにを開示させるのか?

File:Gustave Moreau 003.jpg Polycephaly


シュメールSumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポ
タミア
(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの南
半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフ
ラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメー
ル人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支
配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニ
アがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。

ファイル:Hop2.jpg

シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前三千
五百年頃とされるが、小アジアのトロイア周辺に青銅
文明を持つトロイア文明が栄えたのが紀元前二千六
百年
頃だから先行すること千年となる。



ファイル:Noah's Flood.jpg 聖書『ノアの箱舟』で描かれている大洪水

バビロニア神話は、メソポタミアのあたりに伝わる神
話・伝説のことである。世界で最も古い神話とされて
いる。これは『二つの川の間』という意味のメソポタ
ミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話。その中
には一部、旧約聖書の創世記モデルとなるような部分
が存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノア
とノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説も
ある)この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄
ギルガメシュの冒険などが挙げられる。現在知られて
いる神話の形に成るまで三つの段階がある。

ファイル:Shorja samawa.jpg Uruk

最初にシュメール人が考えたシュメール神話である。
これは楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話
とされる。次にシュメール人を支配したアッカド人が
継承したアッカド神話である。アッカド神話は大きく
バビロニア神話とアッシリア神話に分かれるが、これ
は言語の違いだけであり、内容にほとんど差はない。
その大部分はシュメール神話に類似、或いはそのまま
の状態で継承されている。特に神々の名前など、シュ
メール神話同様のものが扱われる。

 

そして、この段階でほぼ現在に知られている古代メソ
ポタミア地域の神話は確立した。これらを総称してメ
ソポタミア神話、あるいは古代オリエント神話とも呼
ばれている。ただし、オリエントというとカナンのカ
ナン神話の系統(ウガリット神話、フェニキア神話)
や、ヒッタイト神話、エジプト神話なども含む場合が
あるという。このようにシュメール文明は多くの遺跡
から世界文明・文化の先駆的地域としていまでは考え
られており、従って、神話の歴史的展開のプロトタイ
プも当然含まれていると考えられる。

 Sumer

容量も尽きてきたが、シュメール人は広範に征服民か
移住民であると信じられ、地理的な起源がどこかを正
決定するのは難しく、一部の考古学者はシュメール人
が実際はメソポタミア平原の出自とする。他の学者は
単に言語学的な概念であり、シュメール語のみ適用さ
れ、民族集団として分離できないという。この時、シ
ュメール人は「カンガ人」と規定される。




ホテイアオイ(布袋葵、学名 Eichhornia crassipes (Martius)
Solms-Laubach)は、単子葉植物ミズアオイ科に属する
水草である。南アメリカ原産で、水面に浮かんで生育
する。花が青く美しいので観賞用に栽培される。別名
ホテイソウ、ウォーターヒヤシンス。水面を覆い尽く
すことから、在来の水草を競争で排除する事態や水生
動物への影響も懸念される。また、アレロパシーも有
する。米国原産で観賞用の「ホテイアオイ」。花言葉
は「好意」。




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赤熊百合とギリシャ神話

2009年08月09日 | 神道物語



水を切り泳ぎ進むも 変わらずは吾の贅肉 トリトマに誓う


田母神氏講演、予定通り開催 広島原爆忌 地元紙に意見広告  田母神氏「核廃絶が即、平和につながるわけではない」

広島原爆の日に、
日本会議広島が主催する「『ヒロシマ
の平和』を疑う」と題してた
田母神俊雄前航空幕僚長の
核武装論の講演会が開催されたというが、この種の論争
は決着はついている。産業革命以降の国家間戦争の最大
の特徴は「国家総力殲滅戦争」であり、当事国国民の総
消耗戦であり、その総生産力の象徴が核兵器であり、核
熱戦争の不可能性であった。簡単にいうと「核はもはや
軍事手段として使えない」と言う了解である。「核使用
前の緊張は最高権力者の内部崩壊を強いる」ということ。
今後、使用される希な例として想定できるのは、テロ組
織による行使ぐらいである。


POLA 大原麗子


「少し愛して、なが~く愛して」のCMの大原麗子は、
僕らのアイドルだった。そして、彼女の
孤独死は時代の
象徴でもある。話しは飛躍するが、義理の兄が炬燵内で
顔を伏せるように息を引き取り、10日程してから発見
された。この時、突然死乃至は突然死に近い近親者の現
場の目撃経験のないひと(高齢者はなおさら)は目撃し
ない方が良い。酷いケースではその時の心的衝撃で鬱状
態に陥り自殺に至ることが考えられるので老婆心まで。
大原麗子、享年62歳。合掌。


 麻薬


酒井法子、押尾学と芸能有名人が、麻薬及び向精神薬取
締法
違反で相次ぎ事件化している。直感的にこれは『デ
ジタルな時代のサプリメント症候群』という言葉が頭に
浮かんだ。要するに、
ベトナム戦争のLSDや新自由主
義時代の抗鬱剤などと個人が簡単にサプリメント(「ダ
イエットサプリメント」から「インナートリップサプリ
メント=麻薬・向精神薬」の広範囲)を服用できる時代
の誤用問題として研究されるべき課題であるとともに、
この過剰な商品社会での「自堕落」(
不修多羅)の意味
が反問されている。

ファイル:MDMA-enantiomers-3D-balls.png MDMA



ファイル:Werke und Tage.jpg  「仕事と日々」

さて、『ギリシアの古代の神話は非歴史的にキリスト教
の進歩主義・歴史主義を乗り越える契機として存在して
ある』に収斂する歴史哲学を問うのがこのブログのもう
1つの目的であるが、ここは「ギリシャ神話の影響」を
考えてみたい。

 
ギリシアの劇場の遺構
エピダウロス


ギリシア神話 岩波文庫

日本への影響は、アポロドーロスの『ギリシャ神話』の
まえがきで訳者の
高津春繁が記しているように、オウィ
ディウス
の『変身物語』から取られた話が主に紹介され
て来た。神話比較の図表化したものとして『
おりえんと
ひすとり
』を参考にさせてもらったが、
ユングいうの集
合的無意識という点で「唯DNA主義」ならぬ人類の共
通の無意識の顕れる或いは神の造形ははあらゆる民族に
共通する「欲求」にもとづくという(ジュセフ・キャン
ベル)。

 Joseph Campbell

ギリシャ神話は、「世界の起源」「神々の物語」「英雄
たちの物語」の3部構成で、ギリシア暗黒時代にホメー
ロスの頃に出現する英雄崇拝は、ギリシア神話では、

ーシオドス
が語る五つの時代の最後の時代、現在である
「鉄の時代」の前に、「英雄の時代」があったとされる。
神学者ジョセフ・キャンベルの『
千の顔をもつ英雄』で
英雄とは「生誕の再現」を繰り返す人間であり、その生
命の啓示がカトドス(上り道)とアノドス(下り道)の交差
の上に幾度となく成立するような人間のことであり、「
自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のこ
ととする。



ファイル:Pandora.jpg Pandora

ここで崇拝される英雄は「力に満ちる死者」で、その儀
礼は、親族の死者への儀礼と、神々への儀礼の中間程度
に位置した。祀られる英雄ごとで様々な解釈があり、祭
儀のヘーロース(英雄)は、都市共同体や個人を病や危
機から救済し恩恵をほどこしたた理解され、崇拝の対象
が叙事詩に登場する英雄に比定され、ときが経てへーロ
ースの範型に該当すると判断された人物、神への祭祀を
創始した者や、都市の創立者などには、信託に基づいて
英雄たる栄誉が授与され「英雄」と見なされたという。

ニュンペー 

ところで、金の時代と銀の時代に続く青銅の時代、これ
に続く英雄(半神)の時代と鉄の時代は、人間の技術的
な進歩の過程を跡づける分類であり、歴史的な経験知識
に基づく時代画期と考えられているが、金・銀の時代が
架空だとしても、「青銅-英雄(半神)-鉄」の歴史順
序の形成がいかになされたのかという疑問が生じたとこ
ろで今日はこの辺で。




トリトマ(Tritoma)の和名はシャグマユリ(赤熊百合)。漢
字で赭(赤)熊百合と書く。名前の由来は、花の形が、
赤く染めたヤクの尾の毛に似ているので、その名がつい
たという。別名は松明に似ているのでタイマツユリ(松
明百合)。英名は「Torch lily (トーチ リリー)」と呼ばれ
ており、長く伸びた花茎に咲く細長い筒状の花を、松明
が燃えているように見立てた。 和名が赤熊百合の「トリ
トマ」。花言葉は「恋慕」。
              




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睡蓮とギリシャ神話

2009年08月08日 | 神道物語



睡蓮の水面に浮かぶ白き華 小夜更けきみは褥に浮つ 


 Gorgōn


一つ松 幾代か経ぬる吹く風の 声の清きは年深みかも   市原王           

ところで、人間の起源について古代ギリシア人は神々が
存在した往古より人間の祖先は存在していたとする考え
を持っていたとされる。他方、『仕事と日々』は構成的
には雑多な詩作品を蒐集したといい、当時の農民が抱い
ていた世界観や人間観が印象的な喩え話のなかで語られ
ていた。ギリシア人は「人は土より生まれた」との考え
を持っていて、元々はすべて「大地(
ガイア)の子」で
あり、人間はガイアを母とする。異なるのは、神々は不
死にして人間に比べ卓越した力を持ち、神々は貴族であ
り人間は庶民とする。



新しく勃興したキリスト教は、神話を否定した
プラトー
ンの思想の延長上にあり、千年以上にわたって続く西欧
精神のなかで、ギリシア神話はもはや宗教ではなく、こ
の神話に登場する逸話や神々を、自然現象の寓意とも娯
楽のための造話とも見なされた。

ファイル:JamesGeorgeFrazer.jpg Sir James George Frazer

ジェームズ・フレイザーはフイードリヒ・ミューラー
同じく自然神話学を唱えたが、彼は『
金枝篇』で王の死
と再生の神話を研究し、神話は天上の自然現象の解釈で
なく、地上の現象と社会制度の反映であるとし、神話は
呪術的儀礼を説明するために生み出されたと主張した。
ミューラーの解釈では、ゼウスは太陽の象徴で神々の物
語も、太陽を中心とする自然現象の擬人的解釈であるが、
フレイザーでは、「死して蘇る神」の意味解明が中心主
題だとする。エレウシースの秘儀がこのような神話であ
り、
ディオニューソスもまた死して後、ザグレウスとし
て復活する。

ファイル:Eleusis.JPG エレウシースの秘儀

彼らは多様な神話の
比較神話学で、何が神話の神髄要素
を抽出する作業とも言えるが、20世紀には、
ジークム
ント・フロイト
が代表者とも言える無意識の発見と、深
層心理学の諸理論であり、いま一つは、
ソーシュール
共時的言語学、すなわち
構造主義言語学である。19世
紀の比較神話学派と20世紀の構造的な神話解釈派の間
に立つのが、
ジョルジュ・デュメジルで「三機能論」を
唱えたとされる。




ソーシュールの構造の概念を適用したレヴィ=ストロー
は、例えばオイディプースの悲劇を「神話的思考」(
野生の思考)の存在を提唱した。神話の目的は、現実の
矛盾を説明し解明するための構造的な論理モデルの提
供にあるとした。オイディプースの神話の背後には様々
な矛盾対立項があり、例えば、人は男女の結婚によって
生じるという認識の一方で、人は土から生まれたという
古代ギリシャの伝承の真理は、この矛盾を解決する構造
把握を神話であるとした。

 Ferdinand de Saussure

フロイトの深層心理学の理論は、歴史的に現れる現象と
別に時間を超えて普遍的に存在する構造の存在を教える
とし、カール・ユングは、普遍的・無時間的な構造の作
用として元型概念を提唱する。ケレーニイとの共著『神
話学入門』においては、童子神の深層心理学分析は、コ
レーや永遠の少年としてのエーロスが太母(地母神)の
デーメーテールなどとの関係で出現する元型であり、「
再生の神話」と呼ばれるものが、無意識の構造より起源
する自我の成立基盤であり、自我の完全性への志向を補
完する普遍的な動的機構であるとした。

 Carl Gustav Jung

ユングの心理学(分析心理学)や元型概念に強く影響さ
れた
ミルチア・エリアーデは歴史に対し否定的な態度か
らその理論を出発させる。エリアーデは前近代社会と近
代社会を対比させ、後者は歴史的・世俗的な現実のあり
ようを重視し、人間の立ち位置を社会の歴史的位置付け
把握する。他方、前者の古代社会は、歴史とは無縁な社
会であり、寧ろ歴史を意図的に軽視する社会で、人間は
近代社会の歴史性にある限り、存在根拠が定かでなく、
絶え間ない不安にある存在とする。



しかし古代社会では、世界と人間の起源が神話によって
説明され、人間の存在意味や社会の安定は、起源神話へ
の依拠、起源神話の作用として実現しているとした。起
源神話は、この20世紀でも、世俗的な歴史的社会と異
なる次元で並列して存在し、神話は人の実存的な存在に
根拠を与える。西欧はキリスト教の神話で覆われながら、
異教的要素が存在し、ギリシアの古代の神話は非歴史的
にキリスト教の進歩主義・歴史主義を
乗り越えるとされ
るとまとめ、今日はこの辺で。




スイレン属(学名:Nymphaeaは、水生多年草。単にス
イレン(睡蓮)と呼ぶことが多い。日本ではヒツジグサ
(未草)の1種類のみ自生。日本全国の池や沼に広く分
布している。白い花を午後、未の刻ごろに咲かせる事か
らその名が付いた。長く添ってきたものの、時として、
心静かで深く、愛おしい夜もあったよと幻想的に歌う。
水面に白、赤、紫の花咲かす「スイレン」。花言葉は「
信仰」。



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