極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

シールズの晦日旋風

2015年08月31日 | 時事書評

 

 

            

             愛国心は、ならず者達の最後の隠れ家である。     

                            サミュエル・ジョンソン 

 

    ● 安保法案、全国一斉デモ

 

【超高齢社会論 11: 下流老人とはなにか】 
 

秋葉原通り魔事件が "ワーキングプアー"に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理が
もたらす格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が
下流化する。本書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびそ
の恐れがある高齢者」である。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。


この存在が、日本に与えるインパクトは計り知れないと指摘したように、神奈川県小田
原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺した事件――71歳の林崎春生容疑者による「
下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載(極東極楽 2015.07.02 )。『下流
老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護基準は、144,430円
(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準における家賃上限】
)である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事実だとす
れば、年金支給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。

要するに、生活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされて、足りない生活保護費と
各種減免が受けられた可能性がある。月額2万円
程度、生活費が足りない(家賃や医療
費などの支出の内訳にもよる)。生活に不安を抱えどうした
らいいか途方に暮れる男性
の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO!ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困
問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」2015.07.02)を受け、藤田 孝典著
『下流老人』の感想を掲載していく。

  【目次】

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに   

  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府

  ここからは下流老人に対して、日本の各種社会保障や社会システムがどのように
 支援を行っているのか、あるいはどのような不備があるのか
を批判的に検証してい
 きたい。
  
批判的に検証する理由は、端的に言って、現在のシステムが下流老人を生み出し、
 社会の隅に追いやっている事実があるからだ。下流老人が
個人の努力でどうにかな
 るレベルではないことは、これまでにも指摘し
てきた。そのような状況において、
 社会保障制度や社会福祉制度の役割
は極めて重要だが、下流老人の発見や支援、生
 活改善にどれだけ寄与で
きているかは疑問と言わざるを得ない,

  現在のような「経済優先・弱者切り捨て」の原則に基づいた社会システムである
 以上、下流老人の問題に特効薬はない。仮に経済成長を遂げ
ても、下流老人の問題
 は.向になくならないだろう。経済以外にも、広
範な部分にメスを入れる必要があ
 る。


  では現在の制度やシステムには、どんな問題点があるのだろうか。

  
流老人を取り巻く社会状況を8つの視点から検証してみたい


 《1 収入面の不備-家族扶助を前提とした年金制度の崩壊》

  家族機能の低下は、下流老人の問題を加速させた。歴史的にも、家族はさまざま
 な面で家族員に無償で福祉を提供してきたと言っていい。家
事や保育、扶養、介護
 介助、しつけや生活習慣の訓練、金銭や精神面
での相瓦扶助など、家族機能が果た
 してきた役割を挙げればキリがな
い。家族がお互いに助け合うことで豊かな暮らし
 を営んできたのが、こ
れまでの日本社会と言えるだろう。

  しかし、その家族機能が崩壊してきている。すでに一人暮らしや高齢者夫妻のみ
 の二人暮らしは珍しくない。家族員が減れば減るほど、家族
機能が弱くなることは
 明確である。

  厚生労働省によれば、2013年は一人暮らし高齢者のうち、半数近くが年間収
 入150万円未満であり、高齢夫婦のみの世帯でも7世帯の
うち1世帯は、年間収
 入が200万円未満である(「朝日新聞』201
5年3月23日朝刊)。

  以前はこれくらいの収入でも、それを補う現役世代の子や孫がいることで不自由
 なく生活
できた。しかしそれも遠い昔の話だ。そもそも年金制度は、老後に家族扶
 助を受けられることを前提に創設されている。だ
から、あくまでも生活費を補完す
 る収入に他ならない。子の収入、預貯
金、株式や民間保険、就労収入、持ち家など
 の不動産に、上乗せして年
金があるというしくみだろう。

  しかし、子や孫が高齢者を支えられないのは、少子化問題や若者を取
り巻く環境
 について見てきたとおりである,この年金制度の立て直しや
役割の見直しを図らな
 ければ、下流老人の問題は永遠に解決の道筋が見
えないと旨っても過言ではない。
 第7章でも述べるが、年金制度の今後
の建て直しについては、最優先で議論しなけ
 ればならない課題である。


  《2 貯蓄・資産面の不備-下がる給与と上がる物価》


  年金制度が十分に機能しなくなっているからこそ、わたしたちは老後
の生活資金
 を自分たちで形成しなければならない。だがそれもじつに危
うい状況にある。
  国税庁の「平成25年分民間給与実態統計調査」によると、先述したとおり、給
 与所得者の一人あたりの年間平均給与は414万円,同調査の
平成9年の年間平均
 給与が467万円だったので、この約15年間で50万
円以上も年収が減ったこと
 になる。この減少傾向は、非正規雇用労働者
の増加と相まって、今後も続いていく
 と予想される。


  その一方で、物価は上昇し続けている。厚生労働省が2015年4月3日に発表
 した「2015年2月の毎月勤労統計調査(速報)」によれば、物価の変動を考慮
 した実質賃金は、前年比2・8%減で、マイナスは22か月連続であった。また物
 価上昇と同時に、消費税など低所得者層ほど負担の増える逆進性の高い税金も段階
 的に上昇する見込みだ。

  要するに、物価や消費税は上がっても、それに追いつくだけの賃金の上昇が見ら
 れない。現役時期の年収は老後の年金収入に直結するため、現在の労働者の実態を
 見れば、下流老人の予備軍が相当に広がっていることになる。
  下流化を予防するには、高齢期に入る前から一定の資産を形成しなければならな
 い。しかし、このような現状から十分な貯蓄をすることができないまま高齢期を迎
 え、下流老入になだれ込んでいく人は、後をたたないだろう。企業側の都合で不安
 定な雇用形態をさらに広げる、あるいはブラック企業の対策を行わないまま、若者
 の労働環境が劣悪になることを放置すれば、必ず下流老人は増加する。


  《3 医療の不備―"医療難民"が招く孤立死》

  医療の側面から見ても、下流老人への対応はいたるところに不備が見られる。
  全国では、孤立死する高齢者が後をたたない。わたしも孤立死の現場をいくつも
 まわり、アパート内の布団の上、浴室内、玄関先で亡くなられている遺体と接して
 きた,それらの現場で感じることは、「本当にこのような最期を望んでいたのか」
 という疑問である。

  はっきりと言えば、彼らは「医療難民」だ。下流老人は、病気になっても重篤化
 するまで、あるいは命が脅かされるほど重い症状になっても病院の窓口に現れない。
 医療アクセスを妨げる幾重もの障害があるためだ。医療費の問題、窓口負担の問題
 健康保険料の未納問題などさまざまである。

  これらの現場に立ち会うなかで、わたし自身は、孤立死はあるべき人間の死に様
 ではないと感じている。孤立死した高齢者の多くは、最期のときを一人で苦しみな
 がら終えていく。ある高齢者は、心筋梗塞で手術を繰り返し、退院後も継続した通
 院治療が必要だった。しかし経済的な理由から、自分で受診や服薬を控えるように
 なった。その矢先に心筋梗塞に再び襲われ、帰らぬ人となった。苦痛で表情が歪み
 酸欠により真っ黒に変色したその死に顔は、孤立死が穏やかな死とはほど遠い場所
 にあることを物語っていた。

  孤立死する高齢者は、概ね何らかの病気、それも心筋梗塞や脳梗塞な
どに発展し
 かねない生活習慣病を有している。しかし治療が必要である
にもかかわらず、経済
 的困窮から未治療だったり治療を中断するケース
が多い。なかには健康保険証すら
 持っていない高齢者もおり、病気や介
護度が深刻化しても周囲に助けを求めようと
 しない。

  だからわたしは、孤な死を尊厳のある死だとは見ていない。もっとはっきり言え
 ば、病死、あるいは「放置死」である。高齢者が経済的な理
由から、必要な治療や
 受診を控えるようなことがあってはならないの
だ。

  この事態に、全国の病院も民間レベルでは危機感を持ち始めている。
  近年、「早期発見・早期治療」につなげるため、無料または低額な料金で診療す
 る施設として届出を行う病院も増えてきた。いわゆる「無料低額診療施設」である。
 この届出がある病院に低所得の患者が受診すると、無料または低額で診察してもら
 える。その診察数に応じて、病院も税制上の優遇措置があるという社会福祉法の制
 度があるのだ,

  しかし、このような病院があることを多くの人々は知らない,政府もこれらの福
 祉施策を広げたり、率先して情報提供を行ったりしていない。今後はさらに制度を
 使いやすく拡充し、病院数も増やしていく試み
が求められる。

  早めに医療に結びつけないと、社会保障費のコストも増大する。生活保護費の全
 体予算は約4兆円だが(2014年)、そのうち約半分の2
兆円は医療扶助費だ。
 医療費を抑えるには初期治療が欠かせないが、先の理由から下流老人は通院できず

 に市販薬などで我慢してしまうため、最終的に重篤化してから病院を受診すること
 に
なる。その際にかかる莫大な入院費やf術費は、生活保護費の予算から捻出しな
 ければな
らない。utめに医療機関に結びつけなければならないのは、そういった
 理由
もある。

   いくつかの自治体では、健康保険料を支払えない市民から、健康保険証を取り上
 げたり、短期資格証を発行していったん窓口で10割負担を求
めることもある。こ
 れらの対応は愚かであろう。医療にアクセスできな
い人々は生活保護を受ける対象
 として、重篤化して帰ってくるだけである。

 
 自治体職員や医療・福祉関係者がまずやるべきことは、生活に困っていないか聞
 き取りを行い、各相談窓口へ誘導したり、早い段階で社会保
障を受けるように促す
 ことだ。間違っても健康保険証を取り上げてはい
けない。医療費が支払えないのは
 何らかの支援を必要としている証拠で
あり、市民を間接的に殺害することになるか
 もしれないからだ。

 《4 介護保険の不備-下流老人を教えない福祉制度、ケアマネジャー》

  これまでの事例で見たように、下流老人のなかには住宅を失うほどの
ひどい貧困
 のもとで生活している方もいる。ではこれほど厳しい貧困に
陥ってしまった彼らを
 救済する手立てはあるのだろうか。結論から言
ば、残念ながら現状の福祉制度は非
 常に弱く、どのような救済方法で支
援がなされるかはJタ次第であると言わざるを
 得ない。

  このような福畦の不備を補完し、あるいは福祉では踏み込めない領域まで支援す
 るために介護保険制度があるが、この介護保険にしても必要
十分とは言い難い。た
 とえば、住まいを失った下流老人の頼みの綱とも
いえる養護老人ホームにしても施設
 数が圧倒的に不足しており、片や民間の有料老人ホームは富裕層しか相手にしていない
 ことなどは、第3章でも指摘したとおりである。

  また、介護保険サービスが各家庭の経済状況を加味したうえで設計されていない
 という問題もある。介護保険サービスの提供を決定するうえで
主軸となる職種に「
 ケアマネジャー(介護支援専門員)」がいる。彼
らは要介護高齢者や介護予備軍に
 ある高齢者を対象として、支援計画
(いわゆるケアプラン)を立てて、支援の方法
 や内容を決定していく。


  しかし多くの場合う、そのケアマネジャーが立てるケアプランがひどい。

  要介護高齢者の介護の必要性はアセスメント(評価)するが、貧困を構造的に理
 解してケアプランを立てていないのだ。

  たとえば、貧困ゆえにサービス利用料が支払えない高齢者がいても、収入を上げ
 るために、社会保障や生活保護制度の活用を検討することは
少ない。専ら少ないサ
 ービス利用料の範囲内で組めるケアプランしか立て
ないケアマネジャーのいかに多
 いことか。要介護高齢者のなかには
低年金などのため、十分な介護サービスが受け
 られない人々もいる。そ
れであれば、生活保護制度の活用も視野に入れた支援を行
 うべきであろ。

  要するに、日本のケアマネジャーは介護保険制度についてはある程度熟知してい
 るが、こと生活保護制度などの他の社会保障制度について
は、極めて弱い,高齢者
 の介護と貧困問題が切り離せなくなってくる今
後、介護保険の制度改革とともに、
 ケアマネジャーの質を上げる取り組
みが求められる。


「物価は上がるものだ」という先入観は現代のグローバルな高度消費社会段階(前社会
主義社会段階)では通じないことは、「ピラミッドの経済学」「ポスト・ケインズ主義」
「デジタル革命渦論」「成長戦略――双頭の犬鷲』などとしてブログで掲載してきたが、
まずそのことを前提として読み進めてきている。次回も第5章。

                                この項つづく
 


  がんはがん細胞の増殖によって生ずる病気で、がん細胞は無秩序な分裂増殖と不
 死化を特徴とする。がんの原因は、細胞分裂を制御して
いる遺伝子や、DNAの修
 復に関与している遺伝子、変異を起こし
て 正常に機能しなくなることにある。
  発がんに関与する遺伝子のタイプは大きく分けて3つある。

 ●ひとつ
は外部からの絃胞増殖因子に応えて、細胞を増殖させるためのシグナルを
 出す遺伝子である。このタイプの正常な遺伝子は原がん遺伝子と
呼ばれ、正常な細
 胞の増殖に関与している。これががん遺伝子に変異
すると、増殖因子の有無にかか
 わらず、増殖シグナルを出し統け、細
胞は暴走と不死化を起こすことになる。
 
 ●ふたつめのタイプの遺伝子は、がん抑制遺伝子と呼ばれ、たとえひ
とつめのタイ
 プの遺伝子が変異を起こしたとしても、がん化を抑える
遺伝子である。このタイプ
 の遺伝子はバラエティに富んでいて、DN
Aに損傷が起きた細胞を自殺に追い込む
 遺伝子や、細胞の複製に必要
なDNAの合成を制御して、細胞を分裂・増殖させな
 い遺伝子などが
ある。このタイプの遺伝子の異常とひとつめのタイプの遺伝子の異
 常
が重なると、細胞はかん化を抑えることができなくなる。

 ●3つめのタイプはDNA修復遺伝子である。細胞のDNAは、様々な発がん物質
 や紫外線といった変異原により損傷を受けるばかりでな
く、細胞分裂の際のミスコ
 ピーにより異常になる。これらを修復する
遺伝子はいくつもあるが、修復遺伝子自
 体が異常になると、修復機能
が不全になり、ひとつめのタイプやふたつめのタイプ
 の遺伝子が変異
しやすくなって発がん確率が高まる。

  これらの遺伝子のどれかが.あらかじめ異常な形で、親から子へ遺伝されると、
 全部正常な場合に比べ、発がん確率は増大する。このよ
うな意味で、がんになりや
 すい体質は遺伝するといえる。またDNA
の突然変異を誘発する物質にさらされる
 とがんになりやすく、
その意味では、がんは生活習慣病ともいえる。
  がんの原因が遺伝子の異常であるならば、その治療もまた遺伝子治療によるのが
 王道であるように思われるが、この方面の研究はまだ
についたばかりで、顧著な
 成果をあげるに至っていない

                    池田清彦 著『新しい生物学の教科書』




素人のわたしが考える癌治療工学の現状を正確に言えるはずがないが、著者が「著につ
いたばかりで、顕著な成果をあげるに至っていない」との結論と大きくズレていること
に、なるほどと納得しながらも、自己否定もせず、むしろ、これまで失敗を重ねてきた
たことを――ときには「盲蛇に怖じず」と揶揄されても――その都度めげずやってきた
ことを振り返える余裕に驚く自分がいる。



ところで、個人に適した医療を提供する個別化医療や予防医療に注目が集まっている。
このために、詳しい全遺伝情報(ゲノム)を知ることが必要で、東北大学東北メディカ

ル・メガバンク機構は千人規模で日本人のゲノムを解析したデータベースを作成、日本
人によるゲノムの基盤情報が医療研究を大きく進展させるものと位置つけられる。そこ
で、東北大学東北メディカル・メガバンク機構ゲノム解析部門の長正朗教授、河合洋
介講師らは、日本人集団のもつSNPsingle nucleotide polymorphism:一塩基多型のこ
と)を高精度で取得できる全ゲノム領域を網羅する、日本人に最適化されたSNPアレ
イ「ジャポニカアレイ®」の設計に世界で初めて成功する。



ジャポニカアレイ®の設計は、東北メディカル・メガバンク計画のコホート調査に協力し
1,070人分の全ゲノム情報を活用し、独自のSNP選択アルゴリズムを開発・実装し、
スーパーコンピュータ上で解析することで実現された。遺伝子型インピュテーション技
を用いることで約66万個のSNPを搭載したジャポニカアレイ®から最大2千万SN
Pが取得可能。また、ジャポニカアレイ®は既存の同等数のSNPが搭載されているアレ
イと比べインピュテーションの精度が10%以上向上し、また、3倍以上の数のSNP
が搭載される既存のSNPアレイとほぼ同等またはそれ以上の性能を発揮する。

この研究は、日本人に固有な体質・疾患の関連遺伝子を大規模に探索研究する為の基盤
解析ツールであり、日本人の個別化予防・医療研究を加速する重要な成果とされ、この
研究成果の詳細は、15年6月25
日(英国時間)Journal of Human Genetics誌のオンラ
イン版で公開されている(下図クリック)。

doi: 10.1038/jhg.2015.68

具体的に、同研究チームは健常な宮城県民1070人のゲノムデータから構築したDB
「全ゲノム
リファレンスパネル」を作成。DNA配列の1塩基の違い「1塩基バリアン
ト(SNV
)」について、集
団内での出現頻度0・1%以上の2120万個を発見、カ
タログ化した。また日本人のゲノム中に
ある2万個以上の遺伝子について重複や欠損な
どの詳細データもDB化した。同パネルを利用
し、遺伝性の希少疾患患者のゲノムデー
タと比較し、疾患原因の解明につなげる使い方などを
想定している。日本人特有のゲノ
ムに基づく疾患リスクの診断や創薬のための基盤情報として
役立つ可能性もある。研究
チームは13年に日本人1070人分のゲノム解読を完了。14年8月
に出現頻度5%
以上のSNV情報をウェブサイトで公開する。今回、出現頻度0・1%以上のSN
Vを
90%以上網羅し、パネルを高精度化している(関連特許:下図2例)。この事例から、
以下の成果利用が導出される。

(1)希少疾患の原因変異かどうかの推定
(2)遺伝子の機能に関わる個人差の原因となる変異の探索
(3)日本人特有のゲノムに基づくリスク診断・医療・創薬のための基盤情報整備

 

 

 

   

       ● 今夜の一言


「戦争に行きたくないのは身勝手」と批判した武藤貴也自民党衆議院議員(滋賀4区)
に、三日月滋賀県知事が「殺さず、殺されず、殺させない」と批判した発端が「シール
ズ」にあったとは、えらい、すいまへんでした。^^;。

※ シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s 

 

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再エネ ステージアップ

2015年08月30日 | デジタル革命渦論

 

            

             死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、
             この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね。     

                                      オットー・ペテルソン 

 



少し天気が悪そうだが、彼女が出かけようというので車を「ラコリーナ」まで走らせる。
オープンから三度目だが、屋根の芝の緑が美しくなっているだろうと期待していたが、
写真のように鮮やかな緑の屋根に変っていた。そして、夏の日差しを浴びた芝屋根から
水が滴り、ほどよく建屋内が空調されている。前庭一面のいまは小さいおかめ笹は、次
にきたときには、どれほど成長しているだろうか? 刈り込み長はどれほどなのか?と
想像しながら帰ってきた。

 

 

 


● 羽根のない風力発電 EWICON

Dutch Windwheel   の形はちょうど“羽根のない扇風機”のように立った2つの輪を重ね
たような形で、真ん中が空洞になっている。先進技術 「EWICON」(下図特許図参照)
により、その空洞部分を通る風を生かして発電し、百%再生可能エネルギーでの運用。
外周側のリングには、レールで動く観覧車を用意。30人乗りの40のキャビンを搭載
され、30分で一周回する。ゲストはロッテルダムの風景をこの巨大なコースター上で
くつろぎ、内側のリングでは、パノラマレストラン、スカイロビーやホテル、商業施設
などが入居できる――こんな計画が、オランダのロッテルダム市の――特殊な形状のク
リーンエネルギービル「Dutch Windwheel」が注目を集めている。この仕組みは、まずプ
ラスに帯電した水を空気中に放出する→プラスに帯電した粒子は陰極側へ移動→風によ
り陰極側への移動が妨げられ、むしろ離される動きが発生→電気的な位置エネルギーが
増える→増加した電気を集めることで発電するという形だ。既に小型のものは実証実験
で成果が得られている(下動画クリック)


尚、この先進的な風力発電機構は、発電に機械の可動部が不要となるため、機械の摩耗
が少なく、メンテナンスコストや騒音、移動影の影響なども低減することができるとい
う利点を持つ。

  US 4433248

【要約】帯電エアロゾル風電変換発電装置帯電した水滴がの流れに分散する。25
~35ミクロンのオリフィスの15psig(約0.1MPa)の水圧ジェットで分散孔径が25
~50ミクロンの水滴をつくり、キロワットからメガワット級の電変換発電装置のた
めに複数のオリフィスを配列する。このシステムは、外部電力を用いず、太陽光とまた
は重力で水回収と圧力再生を行なえる。

 

  US 4206395

【要約】この新規考案は、熱電変換発電装置である。特に、無羽根風力発電装置は、荷
電水滴を介し電力変換し、荷電水滴電極とグランド間の電気負荷として回路形成させる。
このように、風力発電は荷電水滴の電熱力学プロセス変換で、風力流体で高電圧で大電
力を発生させることが出来る。

   US 8067878

【要約】この風力発電システムは、モジュール電源ユニット(110)から構成され、各
モジュール式電力ユニット(110)は、36のエアジェットトンネル(106)から構成さ
れている。また、各エアジェットトンネル(106)は、フレーム(104)のウィンドウの
端に一方の端部に取り付けられたカンチレバー(102)とカスケード接続フレーム(104)
に取り付けられたカンチレバーアレイで構成されている。

さらに、カンチレバー102)は2つ層間にはさまれた真鍮層(130)で構成され、それ
ぞれの層(126)は、電極
ポリビニリデンフルオライド(PVDF128)の層に取り付
け、
モジュール式電力ユニット110)は、ケース108取り付け、ケースセッ
トは、
台座116に取り付け、パネル114に取り付けられた上、カンチレバーアレ
イ(
117)が強風電力変換する電気調整回路と一体配線される

  US 4523112

【要約】この新規考案は、電熱力力学(ETD)また帯電エアロゾル、熱電発電装置とし
て公知されている。(1)亜音速流れの中に円錐状に広がる超音速ジェットを備えた
流体
混合流の境界層で分離させ、少なくとも百、オリフィス断面のオリフィス下流
帯電させたエアロゾル形態――荷電エアロゾル電荷密度が、ジェット軸線に沿い
少し行き
運動量全て電力変換される。(2)この方法で、超音速ジェットが配列
されている。(3)「対流セル」は対流提供する分離ダクト壁なしの超音波ジェット
配列方法である。(4)単一処理の超臨界ランキンサイク法である


※ 8907504 Molecular mill method and apparatus for its use 
   8067878 Bladeless wind power generator 
      4523112 Electrothermodynamic (ETD) power converter with conical jet 
      4433,48 Charged aerosol wind/electric power generator with solar and/or gravitational regeneration 
      4395648 Electrothermodynamic (ETD) power converter 
      4206396 Charged aerosol generator with uni-electrode source 

● 太陽光から水素へ変換効率22%!

モナシュ大学(Monash University)の研究チームによって、新たに開発された水素の生
成装置は、従来のエネルギー変換効率の世界記録である18%を突破し、22%を達成
した公表。周知の通り、再生可能エネルギーを利用した発電が普及するにつれ、その発
電量の不安定さや変動幅の大きさが注目され、そのための「エネルギーの貯蔵」がテー
マとなっているが、蓄電池は蓄電容量に対しコストが高いが、太陽光発電などで得たエ
ネルギーを「水素」変換し貯蔵するエネルギーを水素として保存する「Power to Gas」が
注目されている。この方法の利点は、エネルギー密度の高さや大量に貯蔵できる点、長
期保存してもエネルギーが減ることがない点、使用時に排出されるのが水だけでクリー
ンな点である。一方で、変換効率や利用効率の低さが課題となっている。今年4月には
理研がエネルギー変換効率15.3%を実現している。

 

※ Renewable fuels from concentrated solar power: towards practical artificial photosynthesis,
   Energy Environ. Sci., 2015,8, 2791-2796

 


● 色素導入高分子太陽電池に光明!

高分子太陽電池に高い濃度で導入できる色素を開発した。色素を導入すると可視光領域
外の近赤外領域の太陽光を吸収できるようになり、エネルギー変換効率が約3割向上し
単セル素子で変換効率15%の、印刷技術で大量に生産できる高分子太陽電池の実用化
につながると期待される。

DOI: 10.1002/adma.201502773

変換効率の向上には高分子材料とフラーレン(炭素原子の構造物)の層の界面に沿って
近赤外領域を吸収する色素が分布する必要がある。だが、色素を高濃度で導入すると界
面以外の場所に散らばり発電効率が低下する。京都大学大学の伊藤紳三郎教授らの
研究
グループは、せっけんなどの界面活性剤が水と油の界面に自発的に集まる原理に着目し
た。高分子材料とフラーレンそれぞれに親和性を示す二つの性質の色素を作製。従来の
3倍の濃度を界面部分に安定的に導入できたことで変換効率が向上した(2015.08.28)。

このように、メインテーマの高変換効率太陽電池開発に併走するかのように、高分子系
太陽電池開発も実用段階に突入する「ネクスト・ステージ」にわたしたちはいる。

  

【超高齢社会論 Ⅹ: 下流老人とはなにか】 
 

秋葉原通り魔事件が "ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理が
もたらす格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が
下流化する。本書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびそ
の恐れがある高齢者」である。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。
この存在が、日本に与えるインパクトは計り知れないと指摘したように、神奈川県小田
原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺した事件――71歳の林崎春生容疑者による「
下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載(極東極楽 2015.07.02 )。『下流
老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護基準は、144,430円
(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準における家賃上限】
)である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事実だとす
れば、年金支給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受
けられた可能性がある。月額2万円
程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出
の内訳にもよる)。生活に不安を抱えどうした
らいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮
かぶ」と語っている(YAHOO!ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防
止策は 「貧困対策」ではないか!?」2015.07.02)を受け、藤田 孝典著『下流老人』
の感想を掲載していく。   
 

  目 次     

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに   

 第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日 

   「真に」救うべき人間など1人もいない
 
  そうはいっても、日本にはお金がない。周知のとおり、国の借金は1千兆円を突破
 した。だから少ない財源をもって「どこから救済して
いくか」という政策の議論にな
 る。
そうなると、次にはじまるのが「高齢者のなかでもより困窮しているのは誰か」
 という順位づけだ,みんな困窮しているにもかかわらず、最
も困窮している人々の救
 済がなされるまで我慢を強いられることになる。

  現実問題として、緊急度に応じてある程度の優先順位づけがなされることは仕方が
 ないだろう,しかしこの論理が非常に危険なのは「あの人は大変。でもこの人はまだ
 我慢すべきだ」という価値の押しつけ合いが始まることだ。要するに、「みんな大変
 なんだから、お前も我慢しろ」という横並び意識を助長しかねない。

  あるいは高齢者より、一生懸命働いても貧しいシングルマザーや子どもの貧困を救
 うほうが先だと思うかもしれない,最悪の場合、子どもと高齢者のどちらを救うべき
 か、といった命の軽重を天秤にかけるような議論の在て方になりかねない。じつは貧
 困問題を扱う支援団体や福祉行政では、このような少ない予算をめぐって、すでに奪
 い合いが始まっており、各領域でその領域のみの主張が見受けられる。

  子どもの貧困対策を進めたい支援団体は、子どもの予算を手厚くしろと主張し、障
 害者団体は障害者の貧困対策を求める。もちろん母子世帯の貧困対策も若者の貧困対
 策も同じである,このようにそれぞれの分野に主張が暖小化され、双方とも困窮して
 いるにもかかわらず、争いが生じることとなる。
  他の分野も同じである。生活保護受給者に対し、「もらいすぎだ」とバッシングす
 る年金受給者や低賃金の労働者がいる。これらの人々の主張は、生活保護をもらいす
 ぎというよりも、自分たちの待遇や生活環境を先に改善しろというものではないか。
 
  これらの議論は、本質的には間違いであるが、もっともらしく聞こえるため一定の
 理解を得てしまう,このような不tな議論は終わりにしたい。
  わたしが言いたいのは、「真に」救うべき人間など1人もいない、ということだ.
  困っている者は、みな.様に救うべき者なのだ。それは財源が豊富にある場合の理
 想論だと言われるかもしれないが、その理想を追求するのが政治、そしてわたしたち
 の役割であろう。子ども、若者、高齢者と「連鎖」していくのが貧困問題であり、そ
 れゆえに教育、福祉、介護と、賢なる分野が連携して横断的な施策を打ち出さなけれ
 ば、本質的な解決は見込めない。

  あたかも真に救うべき人間(とそうでない人間)がいるような論理を通用させては
 ならないのだ。


ここでも、政府の"借金"
に自縛され、社会福祉政策が萎縮していることがうかがる。何度
も掲載してきたが、(1)有効な需要があり(2)十分な生産力がある限り、"借金"など
という幻想は、著者がここで展開されているように政治問題(共同幻想)としてしか存在
せず、そこに残されているのは(1)の有効需要に対する政策の国民への「合意形成」だ
けであり、また(2)については、教育訓練などを含めた労働力のミスマッチの解消法と
有効需要を実現する供給力の調整方法と、それに対する信用担保(貨幣)であり、税制で
の裏付け、さらには、応能税(=所得税及び法人税)の見積・徴収担保であり、総合的に
は、(1)と(2)のバランス(経済目標としては「2~3%のインフレ目標」あるいは
「目標雇用率」)調整が残されいるだけである。

さて、次回は「第5章 制度疲労と無策が生む下流老人-個人に依存する政府」。

                                 この項つづく

 

 

 


                       

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因果報応の季節風 Ⅱ

2015年08月29日 | 時事書評

 

             
                      原因と結果は、空間的にも時間的にもかけはなれている。病気
                        や死亡の原因をつきとめようと思えば、見た目には関係もない、
                        いろんな分野の研究成果を集めて、はじめてわかることが多い。
                       
                                            レイチェル・カーソン 


  January 6, 2015

● シェールガス採掘禍!? 地震多発と健康被害

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州当局は、州内フォートセントジョンで14年8月に観測さ
れたマグニチュード(M)4.4の地震について、シェールガスの採掘で用いられる「水圧破砕法(
フラッキング)」によって引き起こされたとの見解を示した(時事通信 2015.08.27)。 水圧破砕
法による地震として世界最大級だった(下写真クリック)。同
州の石油・ガス委員会は、採掘して
いたのはマレーシア国営石油会社ペトロナスのカナダ子会社プログレス・エナジー。現地では14
年7月にもM3.9
の地震が起きている。 水圧破砕法は、砂や化学物質を混ぜた超高圧の水を地下
の岩盤に吹き付けて砕き、中にあるガスを抽出する方法。米国では広く用いられている。環境保護
団体は地下水汚染や地震発生につながる恐れがあると主張、欧州の一部諸国では禁止されている。 

   Aug 27, 2015

また、米ペンシルベニア大学などのチームは、シェールガスの採掘に用いる「水圧破砕法(フラッ
キング)」により、近隣住民の入院率が高まり、がんの発症リスクも増加するとの研究結果を報告
している(2015.04.17)。2007~11年、米北東部ペンシルベニア州で坑井の集積度と健康リ
スクの関連性について検証。フラッキングが行われている場所の近くでは、掘削作業が全く実施さ
れていない場所より心臓病、神経疾患、皮膚の異常やがんなどで入院する人の割合が高いことが判
明したとするものである(下グラフをクリック)

  2015.07.15

これに対し、米国・環境保護庁の調査報告で健康被害は認められないとしたため、シェールガス採
掘推進サイドと環境保護サイドとの対立が激化する模様だ(下グラフをクリック→記事が批判する
「フォーブス」にはなぜかオノ・ヨウコの名前が掲載されている。黒幕に英米系金融資本?)。

 2015.08.28

 ● 人食いバクテリア・新型ノロウイルス・手足口病旋風?!

 


彼女が、最近 知り合いの旦那さんが 「人食いバクテリア」と呼ばれ、手足の壊死(えし)や意
識障害を起こして死に至ることもある「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」で切断した片足を焼却し
墓入れしたと話すのでなるほど人ごとでないだと驚き下調べする。そすると上のグラフをみて11
年の震災以降増加していることが気になった。放射能汚染で、ウイルスやバクテリアなどの微生物
に異変が起きているのではないか、あるいは、食物連連鎖による内部被爆禍が静かに進行し免疫力
抵抗力が低下てきているのでは老婆心がもたげる。

「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」に話を戻そう。一通り目を通してみたが、菌そのものはペニシ
リン系抗生物質(アレルギーのある患者さんに対しては、マクロライド系薬)を10日間程投与す
ればおさまり、予防には、手洗い・うがいの励行で防げるというのだが、「感染して発症すると、
筋肉や脂肪を短時間で浸食して、死に至らしめる(高率)」 というのがピンとこない。風邪の初期
状に似ているというから、わたしなら「ベンザブロックL」を2錠飲み諸症状緩和させているか
ら、緩和しない場合以降の2・3次アクションが遅れれば致命傷となる。さて、どうすればいいの
か?過剰プロテクトしか手がない。怖い話だ。

2015.07.06

しかし、これだけではない。昨冬にアジアで流行したノロウイルスが世界的に流行しつつあるもよ
うであることが、日本の国立感染症研究所などの研究員らがまとめた調査で明らかになったという。
 中国南部で検出された新型ノロウイルス「GII.17」は、まだ免疫を持つ人がいないと思わ
れ、広く流行する恐れがある。米国でのノロウイルスによる死亡者は年間で平均約800人。食品や人
を経由し感染力が高く、世界中で数億人規模に広がる可能性があるという(上図クリック)。



そうかと思えば、過去10年で2番目の大きな流行となっている――手や足、それに口の中に発疹
ができるウイルス性の感染症で、幼い子どもを中心に感染し、まれに脳炎などの重い症状を引き起
こす「手足口病」もある。ただ直近の1週間の患者数が1万8千人と、2週続けて減少し、国立感
染症研究所は流行はピークを過ぎたとみられるが、依然、半数以上の自治体が警報レベルを上回っ
ていて、引き続き注意が必要だというのだが(上写真クリック)
、これも劇症型溶血性レンサ球菌感
染症とおなじく、大人が感染した場合には子供よりも症状――大人が罹患すると、3割ほどの方が
40度近い高熱になり、さらに指先へ発疹やかゆみが生じることで、1~2ヶ月後に爪が剥がれて
しまう――が重くなる場合がある。さらに、手足口病には治療薬や予防薬が存在しないため明確な
治療法は存在せず、基本的には症状を抑える対症療法を行い、自然治癒しかないのだとある。

やれやれ、心配事がつきないようが、これでも因果報応の季節が吹き込んでいるというのだろうか。

 2015.07.09

 

 

【超高齢社会論 Ⅸ: 下流老人とはなにか】 
 

秋葉原通り魔事件が "ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたらす
格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本書で
いう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」である。
そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパクトは計
り知れないと指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺した事件――
71歳の林崎春生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載(極東極楽 
2015.07.02 )。『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護基準は、144,
430円(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準における家賃上限】)
である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事実だとすれば、年金支
給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生活保護を福祉課で申請す
れば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受けられた可能性がある。月額2万円
程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。生活に不安を抱えどうした
らいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO!ニュース「新幹線火災事件
と高齢者の貧困問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」2015.07.02)を受け、藤田 孝
典著『下流老人』の感想を掲載していく。    

  目 次     

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに   

 第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日  

                     ひっそりと死んでいく下流老人たち

  下流老人や生活困窮者に対する批判がなくならない背景には、多くの人が貧困に対して現実
 感を伴ったイメージができていないこともある。

  それは第3章で述べたように、大多数の人がいまだ中流のイメージを引きずっていることか
 らも明らかだし、日本社会の貧困そのものが見えに
くい(見えにくくされている)こともある。
  たしかに日本は物質的には豊かな国だ。それは間違いない。だがそれは世界規模のマスで見
 た場合の話だ。


  たとえば、少しアンテナを張って、周囲を見渡してみてほしい。あな
たの家の隣の住人はど
 うだろうか。隣の隣の家のおじいちゃんは孤立死
していないだろうか。向かいにあるアパート
 や公営住宅で一人暮らしを
している高齢者はいないだろうか。ゴミ屋敷化している家はないだ
 ろう
か,昔お世話になったおじいちゃんやおばあちゃんを最近見かけたことはあるだろうか。こ
 これら身近な人の状況を現実感として自分の中に取り
込むことが、まず必要なのだと思う。
 

  貧困と関連する出来事や事件は、今も身近で起こっている。にもかかわらず、貧困は見えに
 くい。それはメディアが積極的に報じようとしな
いという面もあるが、何より下流老人たち当
 事者が、自分からは声を上
げられない状況にあると考えてほしい。「助けてくれ」と、声を上
 げる
人々が身近にたくさんいたら、政治や政策の優先課題として議会や町の会合でも話題とな
 り、今よりももっと対策を講じやすい土壌が生まれて
いくことだろう。しかし、そうなってい
 ない。


  基本的に、貧困状態にある高齢者は「静か」だ。「こんな老後を迎え
たのはやっぱり自分に
 も責任がある」と自分を責める人々が多く、それ
ゆえに本人や周囲の一部の問題として貧困が
 内在化されてしまう。ま
た、本人が今の状況を恥ずかしいと思う気持ちも強い。そして誰にも
 相
談できないまま、周囲が気づいたときには手遅れになっているケースがどれだけ多いことか。
  わたしたちが貧困の存在を認識し、身近な下流老
人に気づかない限り、支援や制度的な救済
 には結びつかないのが現状な
のだ。

  先述したが、わたしたちが暮らす資本主義社会は、そもそも一定の貧困層を生み出すしくみ
 になっている。失業者がいない国もないし、貧困に’占しむ人がいない国もない。だからこそ、
 あらかじめ失業や貧困に至る人々がいることを想定して、社会保障制度などを確立してきた。
  豊かに暮らせる人々がいる一方、貧困に苦しむ人も一定水準いるのなら、後者に対しては救
 済を行い、助け合いながら社会を維持・存続させていこうという意識があったはずだ。

  だから、下流老人の問題は、そもそも社会保障制度や社会システムの不備であり、周囲のわ
 たしたちがどう手を差し仲べるか、という問題でもある。繰り返しになるが、この問題は、本
 人や家族だけの問題ではないのだ。

                     言われなければ助けないという制度設計

  とはいえ、下流老人の問題に対応する社会保障や社会福祉制度がまったく整っていないわけ
 ではない。日本の社会保障制度は使いにくいものが多いが、それでも本人が声を上げれば使え
 るるものがある。少子高齢化社会に伴い、支援してくれる公的機関や福祉関係者も増えている。
  全国的に公務員削減の潮流にありながら、福祉事務所のケースワーカーなどは、貧困の拡大
 とともに急増中である。声さえ上げれば、助けてくれる人々はたくさんいるのだ。

  ただ、問題はそう単純ではない,先述したとおり下流老人が見えにくい原因には、下流老人
 の側も姿を見せない上うにして隠れているという理由がある。とくに一定の年代より上の人々
 は「オカミの世話になりたくない」という意識が根強くある。実際に、わたしも相談を受ける
 なかでよく聞く旨菓だ。支援が必要にもかかわらず、自ら積極的に救済を求めないという特徴
 が下流老人にはある。

  これを聞いて「じゃあほっとけば?」と思われるだろうか。本人が支援を受けたくないと言
 っているのだから、救う必要はないのだろうか。
  わたしは、そうは思わない。下流老人たちが支援を拒むのは、いわば、"結果論"なのだ。そ
 の上うな考えに至ってしまった過程にこそ目を向けなければ、問題の本質を見誤ったままであ
 る。

  事態をより悪化させている原因のひとつに、支援施策のほぼすべてが「申請主義」を採用し

 ている点がある。申請主義とは、本人が相談や申請の意思をもって、所管する窓口に現れなけ
 れば、その施策を利用できないというものだ。行政がこの申請主義を採用する理由として、国
 民には社会福祉制度を利用する権利があるのと同時に、利用したくないという権利にも配盧し
 なければならないという説明がある。つまり制度を半ば押しつけることで、国民の選択の自由
 を奪わないようにしようというわけだ。

  だが、はっきり言ってこれは脆弁であろう。なぜならほとんどの高齢者が、選択肢があるこ
 とすら知らないからだ,社会福祉制度は専門家ですら全容を把握しきれないほど、広範かつ複
 雑にできているが、国民に対してそれを知らせたり、学習機会を与えることを国はしていない。
 「ホームページを見れば潜いてある」というのは知らせることにならないし、その情報にたど
 り着けるほどITリテラシーの高い高齢者がどれほどいるだろうか。

  これは選択の自由以前の問題だ,いわばルールを教えずにワンサイドゲームを行うようなも
 ので、申請主義の本質は社会福祉制度の利用抑制にあると指摘する専門家もいる。これを個人
 の「無知」で片づけるのは、到底承認できない。生活保護に対する偏見や差別、無理解は、こ
 うした行政の「言わなければ何も教えないし、助けないIというスタンスが招いていると言っ
 ても過言ではないだろう。

                          絶対的貧困と相対的貧困の違い

  先ほど「下流老人が支援を拒むのは結果論である」と述べたが、その理由もここから説明で
 きる。つまり下流老人は「声を上げてくれない」のではなく、「声を上げられない」のだ。
  それは下流老人が社会に助けを求めるという発想自体を持てないということでもあるし、生
 活保護に対する無理解から声を上げにくい雰囲気が醸成されてしまっていることもある。実際、
 貧困に対する社会的な理解は、日本では相当に遅れている。貧困の構造理解が足りないため、
 なぜ貧困に陥る人々がいるのか、正直わからないという人々が多い。

  たとえば、アフリカのいくつかの国や発展途上国、内戦を経験した国々においては、子ども
 たちが飢餓に苦しむなど、救済の必要性が非常にはっきりとした形で目に見える。メディアが
 報じる彼らの姿を見て、わたしたちが「かわいそうだから何とかしなければならない」と思う
 のは当たり前の感情だろう。これは「絶対的貧困」と呼ばれ、誰がどう見ても肉体や生命の維
 持に必要な状態が欠けていると理解されやすい。

  一方で下流老人の問題は、絶対的貧困も含むが、相対的貧困が主体であるため、貧困が見え
 にくい,第1章でも触れたが、相対的貧困は、共
同体の大多数と比べて著しく生活水準が低く
 必要なものが足りないと
いうことだ。この「共同体」という枠組みが大切で、国が違えば、物
 価
も貨幣価値も、生活に必要な物量もまるで違う。そのあたりの理解がないと、相対的貧困に
 苦しむ下流老人に対しても、「雨風をしのげる家が
あるだけマシ」と過度な我慢を強いてしま
 ったり、「2食でも食事がと
れているなら充分」と問題を安usにしか捉えられなくなる。
  しかし本来、絶対的貧困と相対的貧困は比べようがないはずだ。世界
の難民や孤児のような
 次元の異なる貧困をもち出して、下流老人を「大
丈夫」というのは見当違いであろう。


             生活保護パッシングに見る「甘え」を許さない社会

  このようなわたしたちの貧困に対する無理解を象徴するものとして「甘え」というキーワー
 ドが挙げられる。目本では、他者や制度に依存
することは「甘え」であり、それを罪悪と捉え
 る風潮がある。

  この「甘え」というワードは、インターネット掲示板の書き込みなどを中心に現在でも頻繁
 に見られる,たとえば「就職できないのは甘え」
{会社が辛いというのは甘え」「貧乏なのは
 甘え」という具合だ。ネット
胆界において、なかばぶ直行り言葉〃化している向きはあるが、
  しかし
この落葉には日本独特の横並び意識が色濃く反映されているように思う。

  では、貧困になるのは甘え、なのだろうか。生活保護を利用するのはぼえ、なのだろうか。
  もし本当に甘えなのだとしたら、食事も満足にと
らず、病院にも行かず、日に日に衰弱しな
 がらそれでも歯をくいしばっ
て何も診わずに死を迎えることが、人間として立派な姿とでも言
 うのだ
ろうか。
  実際に生活保護を利用している人は、今の日本にどれくらいいるのだろう。それを示す指標
 として、「捕捉率」という数値が発表されてい
る。これは保護が必要な人々が実際に生活保護
 を利用している割合を示
すものだ.

  時明によっても差があるが、厚生労働省などの調査によると、現在の捕捉率は概ね15~3
 0%前後であると言われている。捕捉率の実態が30%
だと仮定しても、全体の3分の1程度
 しかいない。このことは下流老人のなかにも生活保護で救われる人々がまだ大量に残されてい
 ることを物語っている。

  少し海外に目を向けてみよう。他の先進諸国では、生活保護やそれに準じる制度の捕捉率は、
 日本よりも高い,たとえば、ドイツでは60・6%、フランスでは91・6%であり、日本と
 は比較にならないくらい多くの人々が、ごく当たり前に生活保護を受けている(生活保護問題
 対策全国会議監修『
生活保護「改革]ここが焦点だ!』あけび書房、2011)。一概には言
 えないだろうが、他の先進諸国では社会保障を受けることが甘えではなく、「権利」として浸
 透していることも大きく影響しているだろう
  権利として社会保障を受けるべきだという意識が広がっていれば、貧困に陥っても死に至る
 確率は小さくできるし、自分や周囲を責めずにすむ,

  もちろん、「生活保護には頼らない」というブライドがあってもいいと思うが、それが邪魔
 をして、必要な保護を受けられない日本の下流老人の姿は、どこか異様に思えてしまう。そこ
 までの忍耐や我慢をして命を削ることを美徳として捉えるわけにはいかない。そしてまた、そ
 のような忍耐の美徳を他の生活保護受給者や下流老人に押しつけて、「甘えはダメだ」と思わ
 せてもいけない,

                            自己責任諭の矛盾と危うさ

  そしてこのような甘えとセットで論じられるのが「自己責任論」だ生活保護 に関して言え
 ば、「貧困に陥ったのは自己責任。だから生活保護を受給するのは「甘ええ」という論調だ。
  この「自己責任」というワードも、あらゆる問題の原因を包括してしまうじつに不思議な魔
 力を持っている。2015年初めに起こったIS(イスラム国)による日本人人質殺害事件で
 も、自己責任論が大きく取り沙汰された,「勝手に危ない地域に行ったやつのために、なんで
 自分たちの税金を使われないといけないのか」という主張もあった。冷静に考えれば、拉致さ
 れた「被害者」であることは明らかなのに、なぜか「日本国民に迷惑をかけた]と批判の矛先
 が弱者に集中してしまう。

  この理屈が、生活保護批判と類似していることは言うまでもない。結局、下流老人を含めた
 貧困も「自己責任だ」で片づけられ、社会的な解決策を講じることを否定する人は、周囲にた
 くさんいる。
  それならばわたしたちが支払っている税金とは、一体何のためにあるのだろうか。税金を、
 株式か何かの投資と同様に捉えてはいないだろうか。つまり、たくさん納税をしている人(株
 式をたくさん買っている人)こそ、より多くの利益を還元されるべきだし、納税をしていない
 人やまして国(会社)に損害を与える人間は死んで然るべきだ、といった恐るべき思考に陥っ
 てはいないだろうか。

  端的に言えば税金とは、「国民の「健康で豊かな生活』を実現するために、国や地方公共団
 体が行う活動の財源となるもの」である,それに照らせば、生活保護による国民の救済は、ま
 さに税金の使い道として本義といえよう。
  先に挙げたような思考は、応益課税方式(公共サービスの受益量に応じて課税を行う方式)
 の逆転的発想といえる。税による公共サービスを消費活動と同じ次元で捉えているため、どう
 しても資本主義的な自己責任諭が出てきてしまう。しかし、税の第一義的役割として富の再分
 配が掲げられているとおり、税金を多く支払ったからより手厚い公共サービスが受けられるわ
 けではないし、最低限の税金しか払っていないから最低限の公共サービスしか利用してはなら
 ないという考え方は、そもそもおかしいのだ。

  本来「責任」と「権利」は別次元のものである。たくさん働いて金持ちになるか、ほどほど
 の生活でいいのかは、個人の責任に応じた自由だ。しかし「健康で文化的な最低限度の生活を
 営むこと」や「個人の生命が守られること」は、すべての人に与えられた「権利」である。そ
 れを守るために税金の存在意義があるということを、わたしたちは理解しなければならない。
 わたしたちの税金をたくさん使う者は「悪」であり、容認しがたいという意識を根本から変え
 なければ、社会保障の意義自体を失うと言ってもいいだろう。

当面、もって回った言い方が続きそうだ。差別意識にからむ人権問題のその心根は、洋の東西を
問わずつきまとうものだが、欧米では上図のように規制(=法制)――裏を返せばそれほど厳し
い現実が存在する社会諸国という証でもある――が進んでいるように、権利意識が日本より高い
ということになる。つまりは、個々人の独立心(寛容さ・器量)の大きさにかかわる問題と考え
ている。


                                     この項つづく

  

 

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折々の読書 『火花』 3

2015年08月28日 | 時事書評



 

             
                      時をかけて―それも何年とかいう短い時間ではなく何千年
              という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環
              境の均衡ができてきた。時こそ、欠くことのできない構成
              要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時
              そのものが消えうせてしまった。
                       
                                           レイチェル・カーソン 

 

● 折々の読書 『火花』3 又吉直樹 著


  「なんでも好きなもん頼みや」

  その人の優しい言葉を聞いた瞬間に安堵からか眼頭が熱くなり、やはり僕はこの人に怯えて
 いたのだなと気づいた。

  「申し遅れたのですが、スパークスの徳永です」とあらためて挨拶すると、その人は「あほ
 んだらの神谷です」と名乗った。
  これが僕と神谷さんとの出会いだった。僕は二十歳だったから、この時、神谷さんは二十四
 歳のはずだった。僕は先輩と一緒にお酒を呑んだことがなく、どうすればいいのか全然わから
 なかったのだが、神谷さんも先輩や後輩と呑んだことが今までにないようだった。

 「あほんだら、って凄い名前ですね」
 「名前つけんの苦手やねん。いつも、親父が俺のこと、あほんだらって呼ぶからそのままつけ
 てん」
  瓶ビールが運ばれてきて、僕は人生で初めて人に酒を注いだ。
 「お前のコンピ名、英語で格好ええな。お前は父親になんて呼ばれてたん?」
 「お父さん」
  神谷さんは僕の眼を見たままコップのビールを一気に空け、それでもまだ僕の眼を真っすぐ
 に見つめていた。
  数秒の沈黙の後、「です」と僕はつけくわえた。
  神谷さんは黒眼をギュウと収縮させて、「おい、びっくりするから急にポケんな。ボケなん
 か、複雑な家庭環境なんか、親父が阿呆なんか判断すんのに時間かかったわ」と言った。

  「すみません」
  「いや、謝らんでええねん。いつでも思いついたこと好きなように言うて」
  「はい」
  「その代わり笑わしてな,でも、俺が真面目に質問した時は、ちゃんと答えて」
  「はい」
  「もう一度聞くけど、お父さんになんて呼ばれてたん?]
  「オール・ユー・ニード・イズ・ラブです」
  「お前は祖父さんをなんて呼んでんの?」
  「限界集落」
  「お母さん、お前のことなんて呼ぶねん?」
  「誰に似たんや」
  「お前はお母さんを、なんて呼ぶねん?」
  「誰に似たんやろな」
  「会話になってもうとるやんけ」

                                       又吉直樹 著『火花』(文藝春秋)


主人公は神谷に弟子にしてほしいと申し出る件で、会話を漫才そのものとして描写することで、大
阪のありふれた人情を醸し出している。と同時に、何の脈絡もなく、「ここは四天王寺なのだ」と、
折口信夫の短編小説『身毒丸』(しんとくまる)とがクロスオーバーする。

                                     この項つづく



 

【超高齢社会論 Ⅷ: 下流老人とはなにか】 
 

 秋葉原通り魔事件が "ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたらす
格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本書で
いう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」である。
そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパクトは計
り知れないと指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺した事件――
71歳の林崎春生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載(極東極楽 
2015.07.02 )。『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護基準は、144,
430円(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準における家賃上限】)
である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事実だとすれば、年金支
給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生活保護を福祉課で申請す
れば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受けられた可能性がある。月額2万円
程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。生活に不安を抱えどうした
らいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO!ニュース「新幹線火災事件
と高齢者の貧困問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」2015.07.02)を受け、藤田 孝
典著『下流老人』の感想を
掲載していく。
    

  目 次      

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに  

 第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン 

  【近い未来編】

                  独居老人予備軍を増やす、未婚率の増加

  最後につけ加えておけば、若者世代の未婚率の増加も、将来の下流化リスクを高める。
  国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2014)」によれば、1965年の「
 生涯未婚率」は男性が1・50%、女性が2・53%
と極めて低かった。ところが、2010
 年には、男性が20・14%、女性
が10・61%にまで上がっている。もはや男性は5人に
 1人、女性は10人
にI人が結婚をしない時代になっている。

  生涯未婚率の高まりは、経済的な理由から、結婚しない(できない)
人々が増えていること
 も表している。「もう俺(わたし)には結婚は無理だ]と、家族をもつことをあきらめている
 若者も少なくない。
  また、結婚しても、長時間勤務で低賃金、あるいは将来が不安となれば、喧嘩やストレスが
 絶えず、離婚してしまうケースも増えるだろう。

 【現状編】で、認知症高齢者の孤立がいかに危険かを述べたが、家族をつくらないということ
 は、老後に社会的孤立のリスクが高まるということでもある。
  そして、そもそも生涯.人で暮らす人々がここまで増える社会をわれわれは想定していない。
  社会福祉や社会保障は、世帯単位であらゆる制度が構築されてきたし、家族がいる前提では
 じめて十全に機能する。独居老人となったときに、これまでの制度でケアしきれるのか、はな
 はだ疑問である。


  〈コラム2‥親が残した不動産に殺されるり‥(空き家問題)〉

  親が子に残した住宅や上地などの固定資産が、逆に子どもの生活を苦しめることもある。地
 方に住んでいた両親が死亡または施設入居して、実家が空き家状態になるケースだ。
  この手の相談は増えている。平成25年現在、全国の空き家数は約820万戸、空き家率は
 13-5%になる,これは20年前と比べて約370万戸の増加、倍近くに増えている計算に
 
なる(総務省統計局調べ)。

  実家は、誰も住んでいないからといってお金がかからないわけではない。管理・維持費およ
 び固定資産税で年間50万~60万円ほどの出費が生じてしまう場合がある。放っておくと、
 草だらけになったり害虫が発生したりして、隣近所に迷惑をかけかねない。そこで、いっそ取
 り壊そうと思っても、数百万円の解体費を用意できず、工事に着手できない。

  また、解体できたとしても、更地にした場合は固定資産税の負担が増える。さらに更地にし
 たところで買い手が現れるとも限らない。結眼、そのまま放置せざるを得ない状況になってし
 まう。こうした固定資産は「負動産」とも鄭楡され、実際に、子どもの生活や精神をぼ迫する
 という現象が起こっているのだ。

  手放したくても手放せぬ「不良資産」利用していない上地の維持費用を毎年支払えるほど、
 経済的余裕のある附帯は少ない。一方で、先祖代々受け継いだ土地を自分の代で手放すことに
 強い抵抗感や精神的な負担を感じる高齢者は多い。


  また、この問題が根深いのは「(生活に使用していない)家や土地を一応でも保有している
 と生活保護
 を受けづらくなる」という点だ。
  生活保護制度には、たとえ生活に困窮していても、土地や資産があるならばまずはそれらを
 活用してから、という補足性の原理があ
る。要するに、上地などを売却して、それでもなお生
 活困窮するよ
うなら、生活保護制度を利用できるということだ。

  福祉事務所に同行して生活支援をしているわたしは、地方に土地
や建物を保有していて、固
 定資産睨などを滞納している高齢者や子
どもによく出会う。かつて高値で売買された土地であ
 っても、現在
は地価が相当下がっている。二束三文の値段でさえ、買い手がつかずに土地を手
 放せないケースが存在する。


  たとえば、わたしが生活保護の申請に付き添った68歳の男性は、
「鹿児島県に小さい土地を持
 っているんだけど、それが価値あるものだったらいいんですけれど、空き家ってこともあり、
  処分するに
 もどうしようもない。草がぼうぼうに生えてるから、業者を呼ぶんだけど、草取
 りにお金がかかるだけの家」と表現する。

  男性が亡くなった後は、甥や親族に相続させる予定だったという。
  こうした「不良資産一ともいうべき問題は、これからますます表面化していくことが想定さ
 れる。

  これからはかつて「資産」と考えていたものが「負債」になるかもしれないということを、
 頭に入れておくべきであろう。

  救貧法


 第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日

                               放置される下流老人

  日本ではこれだけ高齢者の下流化が進んでいることは詳述してきた。
 そして、これからも増え続けることは明らかだ。
  それにもかかわらず、なぜ何の対策も講じられていないのか,
  その背景には、わたしたちの「無自覚」の問題がある。
  たとえば、「自立していないこと」「他者や地域に依存すること」を"悪"だとみなす意識は
 ないだろうか。そしてすべての人に下流老人の
リスクがあるなかで、「自分は大丈夫だ」と思
 っていないだろうか。こ
のようなわたしたちの意識が下流老人の問題を悪化させ、より先の見
 え
ない状態へと追い込んでいく。
  本章の結論を先に述べれば、下流老人の問題を改善するには、わたしたち自身の考えや価値
 観を変える必要がある。わたしたちの言動が、無
意識に下流老人を社会の隅へと追いやってい
 ることに自覚的でなければ
ならない。




                  努力できない出来損ないは、死ぬぺきなのか? 

  生活困窮者の支援活動を行うなかで、わたしのもとには日々さまざま
な意見や反響が寄せら
 れる,「生活困窮者を減らすための画期的で素晴
らしい活動である」という賞賛や「本来は政
 府や自治体が行うべき事業
を民間で行っていて感心する」などの励ましの声にはとても勇気づ
 けら
れ、日々感謝している。また、相談支援に関わった当事者の方たちから直接感謝の言葉を
 いただいたときは、支援活動をしてきたことの喜びや
醍醐味を感じる瞬間である。

  しかし残念ながら、「生活困窮者を救うべきなのか」「そのような支援活動は必要なのか」
 といった否定的な意見、あるいはもっと直接的に支
援活動をやめるように促す意見をいただく
 こともある。むしろ反対意
見、否定的意見の方が圧倒的に多い。それが生活困窮者支援の現状
 だ。

  たとえば、否定的な意見のなかで一番多いのが「生活困窮に至った理由は、本人の責任なの
 だから救済する必要などない。税金のムダ使いで
ある}というものだ。この意見は活動を始め
 たときからずっと、聞かな
かった年はない。さらにひどい場合は、「こういう人間は安楽死さ
 せた
らよい」「収容所へ押し込めて強制労働に従事させればいい」というような基本的人権や
 生命を無視した暴言もある。こうした意見を言う人
は、相当な努力をし、高い年収を勝ち得た
 人だけかと思いきや、決して
そうではない,あきらかに"明日は我が身"な人も多いのだ,

  はじめに強調しておくが、いかなる理由があれ「死んでいい人間など一人もいない」。貧困
 が理由で社会に命を奪われるいわれはないし、強
制労働に従事させる正当性もない,当たり前
 だが、貧困は罪ではないの
だ。

                      イギリス、恐怖の「貧困者収容所」法

  じつはイギリスでは、17世紀から19世紀にかけて改正救貧法やワークハウステスト法な
 どが施行され、多くの貧困状態にある市民が収容所(ワークハウスなど)へ送られた歴史があ
 る。収容所に送られた人々は劣悪な環境のなかで強制労働に従事させられた。十分な医療ケア
 が受けられず、病気が蔓延して亡くなる方もいたそうだ。
 
  要するに、生産性のない人々は社会のお荷物であり、邪魔な存在であるということを政策と
 して伝え、罪人のように扱っていたのだ。
  はじめはこれらの収容所へ送られる人々は少数であったが、だんだんと収容基準に該当する
 人々が増えていった。人々が労働によって得られ
る賃金の多寡は、その時々の社会情勢によって
 大きく左右される。当然、不は気な時期や失業率が高い時期は、多くの人々が貧困に陥ってしまう。

   それにもかかわらず、国が一方的に定めた貧困の基準は変えられることがなく、次々と基準
 以下の
 人々を収容所へ送っていったのだ。これによりワークハウスは「恐怖の家」と呼ばれ
 当事者を中心に
 不当な施策に対して抗議や異論が噴出した,そして長い議論を経て、強制収
 容所を含むこれらの施策
 はようやく廃止されたのである。
  たとえば、このような前近代的な施策が日本で実施された場合、どうなるだろうか。
  相対的貧困率が高く、ワーキングプアが増加し続ける現代において、貧困が罪のように扱わ
 れるならば、多くの人々が収容所へ送られてしま
うかもしれない,生活困窮者に対して批判的
 な意見を展開する人々も決
して例外ではないはずだ。

  行政は原則として公平性を重脱する。だから例外は基本的に認めない。あなたが「自分は収
 容所に行きたくない。他の方法はないか]「自
分の息子や親族だけは止めてほしい」とそのと
 きに直訴しても遅いの
だ。少し想像するだけで、大変恐ろしい,生活困窮者に対してさまざま
 な角度からの意見があるのはもっともだが、少なくとも強制労働派は自分たちや友人、周囲の
 親しい人々を巻き込む権利侵害につながるような
提案をf然と述べていることを自覚すべきだろう。


                                下流老人を救済することは税金のムダ?


  他方では「国に金がないのだから高齢者に我慢してもらうしかない」という意見も聞かれる。
 たしかにある一面では、高齢者に負担を強いる
ことがやむを得ない場合もあるし、すでに膨張
 し続ける医療費をまかな
うため後期高齢者医療制度を実施したなどの先例もある。しかしこの
  主
張が問題なのは、「誰かを生かすために、別の誰かは死ぬべきだ」といったような.腫の選
  民的思想に基づいていることだ。

  たとえば、子育て支援や経済成長、医療や年金など、人々の最大の関心領域はそれぞれ違う。
  当然、多くの人々が自分の関心領域にこそ支払
った悦が適正に配分されることを願う。だか
 らこそ、政治家の汚職にわ
たしたちは怒りを露わにするし、生活保護の不正受給ひとつとって
 も相
当な批判を展開してきている。それ自体は率直で理にかなった言動であるかもしれない。

                    (中略)
 

  要するに、この国が抱える腫々の社会問題、こと貧困に関しては蜘蛛の巣のようにあらゆる
 方面にリンクしているのだ。そこで「下流老人に対する支援より、子どもの支援を充実させる
 へきだ」とか、「他に重要な政策があるのだから、我慢してもらうしかない」といった一面的
 な感情に肌づいた二者択一論は、意味をなさないどころか、社会全体に貧困のほころびを拡大
 させる恐れすらある。

  わたしは他の政策が重要ではないと言うつもりはない。他の重要な政策とも優先度を冷静か
 つ客観的に比較しつつ、「では下流老人の対策をどうするのか」を考えなければならない,配
 られる牌には限りがある。
  しかし別のどこかから根こそぎ牌を奪えば、ゲーム自体が成立しなくなってしまう。予算を
  どのように、どんな規模で役人して、どんな解決案を講じて取捨選択していくか。その道の
 りは険しいが、根気強くシミュレーションしていくほかにない。


          全体像が把握できないと下流老人は差別されて見殺しにされる

  「自分はこんなに頑張って働いているのに賃金が安い。だから、働いていない人々には我慢
 してもらいたい]という意見を拝聴することもある。この主張はとくに生活保護受給者に対す
 る批判に多いようだ。自分が毎日死にそうなくらい必死に働いて何とか給料を得ているにもか
 かわらず、そこから納めた税金で何もしていない人間を養う必要などないというのが、大方
 の本音であろう。その気持ちは、一面では理解できなく
もない。だがこれは後述するが、その
 発想は税金のあり方を見誤ってい
るし、やはり「個人的感情」に立脚しすぎている。

  誤解をおそれずに言えば、自由経済社会において貧困は"宿命"と言える。富める者がいれば
 相対的に必ず貧する者が生まれる,どんな社
会であろうと常に働ける人々ばかりではないし、
 失業率がOになること
はない。働けない人々は、個人の能力や努力に関係なく、いつの時代の
 
どの社会にも必ず存在するのだ。

  賃金労働と社会保障の水準を同列に議論することは誤りだと思うが、
あえてその議論をする
 ならば、働けない人々に対して支払う保障はどの
程度が妥当なのか、という論点は重要だろう。
 言うまでもなく、日本国憲法第25条は「健康で文化的な最低限度の生活を国民に保障している。
  それよりも下のラインでの救済は原理的に
認められていない。このラインを下回る場合、生
 存権を侵害することに
なる,どんな人々も、生活レベルが一定の水準を下回った場合は救済が
 
必要であり、我慢の限度があると国が提示している。生活保護基準とは、いわばそれを明文化
 したものだ。


  しかし「いまの生活保護基準は高すぎる。それよりも低い水準での救
済で十分だ」という声
 は、いまだ絶えることがないばかりか年々強まっ
てきている。
  この言葉の裏圈には明らかな人権侵害が含まれており、無意識のうちに貧困の人々に対する
 差別を助長する恐れがある。実際、生活保護基準
は段階的に引き下がっており、日本国憲法が
 要請する「健康で文化的な
最低限度の生活」を生活保護受給者が送れていないケースも増えつ
 つある。

  近年、これら生活保護受給者の原告から提起されている生活保護裁判は、過去に例がないほ

 ど異常な多さだ(全国で提訴されている生活保護故判の動向については、「全国生活保護裁判
 連絡会」のホームページ」ば、生活保護を受給しても、人間らしい最低限度の生活を送ること
 が困難
な状況になりつつあり、下流老人を含めた救済策が憲法上、危機的な状況にあると」言
 える。(後略)




ここまで、事例研究が記載されてきた。第4章から政策論に入る。ここで少々先走るようだが、政
策基本である社会保障制度の財源(=税制)は、わたし(たち)は応能税(=所得税)を原則とす
る。次回も、第4章を読み進める。

 
                                                         この項つづく

 

 

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青森→新潟沖の洋上風車

2015年08月27日 | 環境工学システム論

 




 

    
         
いまでは人工的に遺伝そのものがゆがめられてしまう。まさに現代の脅威
       といっていい。私たちの文明をおびやかす最後にして最大の危険なのだ。


                                  レイチェル・カーソン

 

 

● 秋田県沿岸洋上から12万世帯分の電力を供給

秋田県の2つの港に建設する洋上風力発電所の開発計画が動き出す。まず、環境影響評価の手続き
を開始する。計画では能代港と秋田港の港湾区域に合計で最大34基の大型風車を設置して170
メガワットの発電能力を発揮。21~22年の運転開始を目指す。洋上風力発電所を建設する場所
は、秋田県の北部にある能代港と中部にある秋田港の2ヵカ所。いずれも秋田県が管理する港湾区
域の中で、陸地から2キロメートル以内の範囲。

能代港と秋田港は年間の平均風速が毎秒6.5~7メートル以上になり、風力発電に適した場所であ
ることがわかっている。洋上風力発電の設備利用率(発電能力に対する実際の発電量)は標準で30
%程度、170メガワットの発電設備の場合には年間の発電量4億4万キロワットアワー)を見込む。
一般家庭の使用量(年間3600キロワットアワー)に換算して12万4千世帯分に相当

発電設備の設置方法は海底に固定する着床式で、基礎構造はモノパイル式とジャケット式の2種類を
検討(上図)。モノパイル式は水深が330メートル以内の砂質の海底に適している一方、ジャケッ
ト式は50メートル程度の水深まで対応できて泥質や岩質の海底にも設置することができる。


 
能代港の対象区域の水深は最大で20メートル程度、秋田港でも30メートル程度で、海底が砂質で
あればコストが低いモノパイル式を採用する可能性が大きいが、コストを除けば、施工や撤去の容易
さや環境影響の点では2つの方式で一長一短がある。
環境影響評価は5段階。完了までに3年程度を
要して、順調に手続きが進めば18年に工事を開始し、21~22年に運転開始する。

規模は新潟は村上市沖合の220メガワット44基18万世帯(24年度稼働予定)
に続く(2015.02.
09)。

※ 出典:スマートジャパン 2015.08.26「最大34基で170MWの洋上風力発電所、環境影響評価が秋田
  県で始まる」

 

【超高齢社会論 Ⅶ: 下流老人とはなにか】 
 

 秋葉原通り魔事件が "ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたら
す格差
拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本
書でいう下
流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」で
ある。そして今、
日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパ
クトは計り知れないと
指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺し
た事件――71歳の林崎春
生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載
(極東極楽 2015.07.02 )。
『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護
基準は、144,430円(生活
扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準に
おける家賃上限】)である。資産の状
況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事
実だとすれば、年金支給額だけでは暮らし
が成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされ
て、足りない生活保護費と各種減免が受けられた
可能性がある。月額2万円程度、生活費が足りない
(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。
生活に不安を抱えどうしたらいいか途方に暮れる男性
の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHO
O!
ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防
止策は 「貧困対策」ではないか!?」
2015.07.02)を受け、藤田 孝典著『下流老人』の感想を
掲載していく。   
 

  目 次     

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに 

 第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン 

  【近い未来編】

                       「一億総老後崩壊」の時代


  ここまでは現状に即して高齢期における下流化のリスクと、そのパターンを解説してきた。
 しかし、下流化は、高齢期あるいは高齢明間近の歳になってはじめて起こり得る問題ではな
 い。わたしが本書を執筆しようと思った理由にも
つながるが、現在少しずつ顕在化してきた
 高齢者の下流化は、これから
はじまるであろう地殻変動の序章にすぎない。
  だから、ここからはむしろ「これから」に焦点をあてる。現在働いている方にとっては、
 むしろこちらのほうが「自分事」として重要なパ
ートかもしれない。

  若年期もしくは青年明においても、下流化の芽はいろいろなところに見ることができる。
  超高齢社会を迎えているわが国において、多くの人
がイメージしている「穏やかな老後」
 はごく一握りの人にしかやってこ
ないかもしれないことを、わたしたちは知っておく必要が
 あるだろう。

  ここからは高齢者照代ではなく現役世代に焦点を移し、「近い将来」多くの人が下流老人
 になる危険性について解説していく。今働いている
現役照代は、さらに過酷である。

                           もらえる年金が減るおそれ


  まずは、年金の問題だ。高齢者になり会社を退職すれば、収入は自ず
と「年金」に頼らざ
 るを得なくなる。では実際に、どれほどの金額がも
らえるのか。
  内閣府の「平成26年版高齢社会白書」によれば、自分たちが将来世帯で受け取れると思
 う年金額は「月額10万~20万円]だと思っている人々
が多い。「10万円くらい」が
 19・8%と最多で、次いで「15万円くら
い」が19・1%、「20万円くらい]が16・
 2%となっている。


  これらは概ね妥当な回答であり、実際に20万円以下で暮らさざるを得
ない高齢者世帯が
 多数を占める。つまり、現在の働く世代が高齢者にな
った際、大部分の人が「相対的貧困」
 層か生活保護基準レベルの年収し
か得られないのだ,
  たとえば、現在(2015年時点)65歳の人で20歳から60歳まで40年問(480か
 月)厚生年金保険料を払ったとする。仮に、年収が(現在の給与所得者の平均年収である約
 )400万円を超えており、平均月給与が38万円だったとしても、年間の合計支給額は約
 198万円で、月に直すと約16万5000円しかもらえないことになる。

  あるいは、そこまでの収入がない場合はどうだろう。40年間の平均給りが月25万円だ
 った場合、年間の支給額は約157万円であり、月額約13万円にしかならない(日本年金
 機構の基準により著者が概算)。要するに、一般水準の給与をもらっていても「老後にもら
 える年金額は月20万円を下回る」ということだ。しかも忘れてはいけないのは、年金受給
 者には課税や保険料徴収がある。実質の手取り金額は数万円減少することが確実である。
 
  人によっては「一人暮らしなら月に14万~15万ももらえれば十分だ」と思われるかも
 しれない。しかし、20代の15万円と70代の15万円では、まるで重みが違う。高齢に
 なるほど、いかに想定外の問題に見舞われるリスクが高まるかは、これまでに説明したとお
 りだ。

  また今後、年金制度を維持するために今よりも受給額が減る可能性も高い。
  それにもかかわらず、いまだこの国の「年金信仰」は堅く、厚い。「平成26年版高齢社
 会白書」によれば、高齢期の生計を「公的年金」で、支えようと思う人は約8割を超えてい
 る。次いで「貯金または退職金の取り崩し」が46・2%であり、「自分の給与に関する収
 入」が45・6%、「民間の個人年金」が15・2%である。年金への依存度が非常に高い
 のが現在の日本社会の特徴である。


  だが実際には、第2章で見たようにすでに年金だけでは暮らせない人々から、たくさんの相
 談が寄せられている。

  高齢者の貧困は、死に直結する。1日に2食しか食べられず、栄養状態が悪い人は珍しくな
 い。また、病気になった際には、病院に受診する
ことをためらうため、重篤化してからの受診
 になる。そして自宅に訪問
させてもらうと、住宅の補修費が出せないため、壁や天井、窓に穴
 が開
いたまま、すきま風がすごい環境で暮らしている人もいる。繰り返すが、これらの人々は
 決して無年金ではなく、一定金額の年金をもらっ
ている人なのだ,

  もらえる年金の減額もあり得る現役世代にとって、もはや年金だけで十分な生活を維持する
 ことは、ほぼ不可能と言っても過言ではないだろ。


  年収400万円以下は下流化のリスクが高い(「一億総下流」の時代
 がやってくる)

  1960年代に池田内閣により推し進められた「所得倍増計画」によりどの家庭も一隊に生
 活水準の向上が図られた。1968年には日本の国民総生産(GNP)が世界第2位に達し、
 国民に享受されたのが「1億総中流」社会である。
  当時の社会では、隣の家が持っているものは、自分の家にもあるのが当たり前で、いわゆる
 新・三鮪の神器(カラーテレピ・クーラー・自動巾)が普及した時期でもあった。
  現代において、この1億総中流の「意識」はいまだ崩れていない。2014年6月に実施さ
 れた「国民生活に関する世論調査」(内閣府)では、男女ともに9割以上の人が自分の生活を
 「中流」だと認識しているそうだ。


  だが、あえて断言しよう。それは幻想である。
  これからの日本社会に、もはや中流は存在しない。いるのは「ごくひと握りの富裕層」と
 「大多数の貧困層」の2つであろう。隣の家庭も自分
と同じくらいだから安心、ではない。わ
 たしたちは全員が緩やかに、し
かし確実に貧困に足を踏み大れている。
  自分がどれくらいの生活水準にあるのか。それを測る指標はいくつかあるが、一番わかりや
 すいのが年収だろう,国税庁の調査によると、2
014年時点における日本の民間企業の従業
 員や役員が昨年一年間に得
た平均給与は、414万円とされる(注‥一人あたりの給与であっ
 て世帯
合計ではない)。

  しかし先述のとおり、平均年収400万円では、高齢期に「ギリギ
リ」の生活を強いられる
 ことになる。

  また、これも繰り返しになるが、注意しなければならないのは、年収400万円程度という
 のは平均値であって、中央値ではないことだ。一
部の大金持ちが、平均値を押し上げているこ
 とを忘れてはならない。実
際のボリュームゾーンはこれよりももっと低く、年収400万円以
 下で
暮らしている生産年齢人口はたくさんいるし、むしろそちらが多数派といえる。

                             強烈な格差の行き着く先

  このような上位数%が極めて高所得を得ているために発生する「富の一極集中化」は、日本
 のみならず、どの先進国でも起こっている。
  2014年5月、OECDは「過去約30年間における上位1%の所得割合の推移」を発表し
 た。これによると上位1%の人たちの所得割合は、1981年と2012年で比較したとき、
 アメリカは8・2%から20%に、日本でも7・5%から10%に上昇している。要するにア
 メリカでは、全労働者が得る所得のうち、上位1%の人々がその20%を、日本では10%を
 独占しているということだ。

 
  一方で、アメリカでは、下位10%の人たちの収入額は2000年からの8年間で約10%減
 少したことも指摘されている。つまり、双方向のベ
クトルで経済格差が広がっていることがわ
 かる。

  アメリカほど顕著ではないものの、日本でも今後、経済格差がますます拡大していくことは
 明らかであろう。そしてこのことは、今のような
現役時代の報酬比例で厚生年金を支払ってい
 くしくみや国民年金だけで
は、もはや暮らしが成り立たなくなることを意味する。
  そして、ごく一握りの富裕層と大多数の貧困層に分化しつつある社会において、もはや平均
 年収は自分の生活水準を測るうえで何の意味も持
たない。「普通]だから「安心」とは、まっ
 たく言えないのだから。


                        昔と今の400万は価値が全然違う


  ただ、将来の年金受給額を示されただけではピンと来ない方も多いだ
ろう。現在ごく人並み
 に生活できている高齢者で現役時代に年収400
万円以ドだった人はたくさんいるし、貯蓄だ
 って十分にできているでは
ないか、と思うかもしれない。
  だが、昔と今の「年収400万円」では、意味合いが大きく違ってくる。結論からいえば、
 昔はさまざまな形であった「見えざる恩恵」が、現在はことごとく消滅したというのが、その
 理由だ。

  たとえば第一章でもすでに指摘したが、今後は子どもが親の面倒を見る高齢明の生活を家族
 が扶助することはほとんど絶望的になる。
  先に見たとおり、65歳以上の高齢者の子どもとの同居率は、昭和55(1980)年の約7
 割から平成24(2012)年には42・3%まで下がっている。一方で、高齢者の独居世帯
 は、着実に増加の一途をたどっている。
  高齢の親と一緒に住んでいた経験がある人はとくに、自分の老後に対してもつい同じような
 イメージを抱いてしまいがちだ。しかし、もう老後に子どもと暮らすという選択肢は失われつ
 つある。

  今は高齢者の孤立が拡大する人口にすぎないと言えよう。家族による扶助が見込めないのな
 ら、当然年金とそれ以外の収入や貯蓄で自活する道を探るしか方法はない。
  また「失われた恩恵」のもう一つは、企業の福利厚生の手厚さの違いだ。たとえば昔は、現
 金で支払われる給与以外に住宅補助(社員寮)や各鮪f当をはじめとする補助が、多くの企業
 で用意されていた。そのような手当がなければ、従業員が築まらなかったとも言える,

  ところが昨今の経済不況や雇用環境の変化により、これらの福利厚生はことごとくカットさ
 れてしまったし、ボーナスや退職金の額も著しく減額、もしくは消失してしまった。
  たとえば、東和銀行経済研究所が取引先の中小企業に行ったアンケート調在を見ると、平成
 26年冬のボーナスを「支給しない」と答えた企業は28・4%である。
  さらに、大阪シティ信用金庫の調査では、大阪府内の中小企業で、平成26年屁のボーナスを
 「支給しない一企業は40・6%にのぽった。大多数の労働者が中小企業で働いていることを
 考えれば、この実態は深刻だろ。


                 4割の世帯は、老後の資金がほとんどない

  これらボーナスの消失は、生活に多大な影響を及ぼす。
  ひとつは貯蓄額だ。たとえば平成26年の総務省統計局「家計調査報告(貯蓄・負債編)」
 によると、現在働いている「勤労者世帯(2人以上の世帯)」の平均貯蓄残高は1290万円
 となっている。意外に多いと思われるかもしれないが、これも平均値のトリックであり、中央
 値は741万円だ。
  100万円単位の間隔で見れば、割合としては「100万円未満」が12・4%と最も多く
 「500万円未満」の世帯は全体の39・5%を占める。すでに見てきたように、この数字は
 非常に厳しい。一概には言えないが、仮に貯蓄が500万円未満で、高齢期に突入したら、下
 流化リスクは相当高いだろう。

  昔は給料をすべて使わなくても生活できていたものが、現在はその大半を使わなければ生活
 できなくなっている。加えて、社員寮や住宅手当など、企業による福利厚生が少なくなったこ
 ともあり、生活を維持するためのコストは年々上昇している。
  また、とくに都市部では携帯電話やパソコンがないと不便なことのほうが多くなりつつある。
 インターネットを中心としたインフラも「誰もが端末を持っていること」を前提にシステム化
 されつつある。それらの商品を買わなければ、普通の社会生活を送ることができなくなるよう
 な土台が築かれつつあるのだ。本来であれば、生活の文化レベルが上がっている分、それに比
 例して年収も上がっていかなければならないが、実態は伴っていない。

  さらに、日本銀行資金循環統計(2014年第4四半期速報)によれば、国内の金融資産の
 合計額は1694兆円(2014年)であり、その多くを60歳以上の高齢者が保有している。
 現時点での高齢者は、高度経済成長の追い風もあり、資産形成に有利な条件も整っていたため
 圧倒的に恵まれた世代と言える。つまり、現在の高齢者はこれから高齢者になる青年層に比べ
 て、相当に豊かなはずである。
  それにもかかわらず、すでに、下流化が起こりはじめていることの深刻さを、わたしたちは
 もっと危機感をもって受け止めなければならないのではないか。


                          非正規は下流に直結する

  さらに深刻なのは、非正規雇用者だ。2014年現在、国内の総労働人口に占める非正規雇
 用者の割合は37・4%。20年前が20・3%だったことから見ても、大幅に増えている。
 もともと非正規雇用者は、通訳など高度な専門技術を要する人たちが、フリーランスで仕事を
 請け負っているところから導入された。その
ような極わずかな専門職から徐々に拡大し、現在では
 一般的な働き方として定着してきている。

  とくに広がりを見せたのが、2000年ごろだ。その頃「フリーター」という概念が生まれ
 新しい雇用形態として一般に広まっていっ
た。当時は自由で新しい働き方として「かっこいい
 」というようなプラ
ス評価をする風潮もあったが、実態は企業側の人件費のカットに貢献し
 ているだけで、格差拡大の要因になったことは誰もが知るところであろ。

  これは多くの人がすでに実感として持っていると思うが、非正規雇用者の最大のリスクは、
 厚生年金や社会保険に加入していないなど、福利
厚生が弱いことだ。そのため、非正規雇用を
 続けていた場合、老後に受
給できるのは、基本的に国民年金だけという場合も少なくない。そ
 れに
加え、正規社員のようなボーナスや昇給、退職金もない。「稼いだ給料」―「現在の生
 活費十老後資金」であるため、極めて下流に直結しや
すい。


                  非正規は正規の3分の1しかもらえない

  たとえば同じ「年収400万円」でも、厚生年金をかけている場合と、国民年金だけの場合
、受給額にどれくらの差が生じるのだろうか。
  実際にモデルを立てて計算してみると、非正規雇用者の場合、国民年金部分の釣78万円し
 か支給されない。第1章で、首都圏で暮らす一人暮らしの高齢者の生活保護費が概ね年額釣1
 50万円と述べた。約78万円で1年間を過ごすことは、多くの場合、不可能である。

  そして正社員(厚生年金加入者)と比較した場合、老後の年金は1年間で約110万円の差
 が生まれる。仮に、65歳から20年生きるとしたら約2200万円、30年なら約3300万円
 もの差が生じる。
  同じ年収でも厚生年金に加入しているか否かで、老後の年金受給金額には、相当な違いがあ
 る。逆に言えば、厚生年金に加入していない場合、現役時にそれだけ多くの貯蓄をつくらなけ
 ればならないことを意味する。

  平均年収を得ている正規雇用者であってもリスクが高いのだから、非正規雇用者の下流化の
 リスクがどれだけ高いかは、語るまでもない。
  非正規雇用者が40%前後の社会において、このような収入格差は、もはや「自己責任」で片
 づけていい問題とは言えないだろう。そして、このような雇用問題を改善する手段として、と
 かく「さらなる経済成長」が叫ばれがちだが、経済が成長すれば、非正規雇用が減り、劇的に
 正社員が増えてみなが幸せになる、ということもない。皮肉にも、国の資料がそれを証明して
 いる。

  財務省「法人企業統計調査」によれば、企業の利益剰余金(狭義の内部助田保を指す)は増
 加傾向にあり、1988年に100兆円を超え、2004年に200兆円、そして12年には
 300兆円を突破し、14年9月では過去最高の324兆円を記録している。
  景気の浮き沈みに関係なく、一貫して企業は内部留保を蓄え続けているのだ。企業が保有す
 る現預金も相変わらず多い。これでは利益が投資や人件費などに還元されず、一部の人や企業
 にしかお金が回っていかな 「富裕層がさらに豊かになれば、貧困層にも富が自然としたたり
 落ちる」と言われる、いわゆるトリクルダウン政策も、貧困問題の改善に寄与していない。今
 後も企業が得た利益は、内部留保の拡充になるだけであろう。

  しかし実際には、企業は人件費に利益を配分できるはずだ。だからこそ、労働条件や賃金の
 向上が一向に図られないことについて、そろそろ、正規雇用や非正規雇用など雇用条件に関係
 なく、一枚岩となって、企業や経営陣に改善を要求しなければならないだろう。
  退職後、高齢者になったときに「さて、これからどうしていくか」と考えてもすでに遅い。
 今のうちから声を上げ、少しでもより良い環境に変えていくことが急務である。


では、格差をなくし、経済成長する方法ないのか?この項おのおわりで問いかけているが、答えは
簡単だ。所得格差をなくし、有効需要を拡大すれば良い。出口は見えている......


                                     この項つづく

 

 

● "レジデンス強化"の公共事業の全国展開を急げ!

台風15号は25日、熊本県荒尾市付近に上陸後、九州北部を縦断し、日本海へ抜けた。熊本県水
俣市の男性1人が行方不明になったほか、強風で転倒するなどして九州・山口各県で少なくとも計
55人が負傷し、24日の沖縄県内の軽傷者10人を含め、台風15号によるけが人は65人とな
った。
気象庁によると、最大瞬間風速は、鹿児島県枕崎市45.9メートル/鹿児島市45メート
ル/長崎県雲仙市43.5メートル/熊本市41.9メートル。長崎県雲仙市では観測史上最大の
1時間あたり134.5ミリ、福岡市早良区や佐賀市三瀬村でも解析雨量で約120ミリの猛烈な
雨を観測。

これほどの規模で、死者が出なかったことは「台風の防災システムの充実」がうまく機能したのか
もしれないが、大規模な土砂崩れがなかったことの影響したのかもしれないが、人為的な地球温暖
化による影響の大きさは序の口にすきない。さて、上の写真のように、被害地での電信柱が倒壊を
目にする回数が増加するばかり。「ライフラインの埋設化」をこのブログでも指摘・掲載してきた。
「地方創生」などといったチマチマとした政策など後回しにして、"レジデンス強化"の公共事業を
実行に移せとここで主張したい。"人命は地球より重し"である。

 



● 非シリーズ的日本近現代史雑感: 満州事変から日中戦争

三橋貴明などの若い評論家の発言を目耳していると、日本の近現代史の認識があまりにも煽情的な
ので、いまさら近現代史のお温習いでもないが、サクサクっとネットからピックアップ(下図)。
山形有朋のが発案した天皇と直結した統帥権がひとり歩き、ウルトラナショナリズムに変貌し、国
家官僚(武官)――これをわたし(たち)は"征韓論遺制"と呼んでいる――が暴走した。と、いう
ことになる。

  

    

コメント
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時代は太陽道を渡る Ⅸ

2015年08月26日 | デジタル革命渦論

 




 

      自然界の保全について、われわれが慎重を欠い
                 ていた事を未来の世代は決して許さぬだろう。

                       レイチェル・カーソン

 

 

● 世界初 熱電素子でファンを駆動するカセットファンヒータ

岩谷産業株式会社が、電気も電池も不要 ! カセットガスで発電し、部屋全体を暖める世界初の
『カセットガスファンヒータ』を販売する。その
特長は、外部電力や乾電池を使わず、機器内の
発電でファンを回転させ、温風で部屋全体を暖める点。高性能な「
熱電発電モジュール」と「カ
セットガス」の組み合せで、世界初のカセットガス式コードレスフ
ァンヒータ。軽量・小型で、
燃料の購入や交換も手軽な暖房機器。希望小売価格は3万円(消費税
別)。

① 高性能な「熱電発電モジュール」と「カセットガス」の組み合わせにより、電池も電源コード
 もガスホースも使わないコードレスファンヒータ。
② カセットガス式なので燃料の入手や交換が手軽で、面倒な燃料補給の手間もかからない。
③ 最大出力は2.0キロワット(1,720キロカロリー/時相当)、温風の吹き出しは点火後約
 50秒で、カセットガス1本で素早くムラなく部屋を暖める。万一の停電時、非常時に有用。
④ カセットガス1本の連続燃焼時間は、標準モードで約103分、弱モードで約138分。
 暖房のめやすは、コンクリート集合住宅が7畳まで、木造戸建住宅は5畳までとなっている。
⑤ 本体は、約4.7キロで軽量、掃除の時も楽に移動でき、また別の部屋に移動し使え便利。 

 
この原理は、カセットガスの燃焼によって加熱される部分(A)と加熱されない部分(B)の間に、
熱電発電モジュール(半導体によるゼーベック効果を利用)を配置→
点火するとAとBの間に温
度差が生じて起電力が発生、ファンを起動→ファ
ンが回転するとB部分が空冷効果で冷却され、
Aとの温度差がさらに広がる→
大きな温度差が継続することで安定した発電が行われ、駆動ファ
ンから温風を送る。



このように、環境リスク本位制時代にあっては、『デジタル革命渦論』とエネルギー供給装置工
学の
相乗効果で、「自律化」と「ダウンサイジング」がシンクロナイズし「省エネ」を推し進め
る。という事例としてここにある。

【時代は太陽道を渡る Ⅸ:高速道路に4300基のソーラー街灯】

京セラとKyocera Solarは15年8月20日、ブラジル・リオデジャネイロの高速道路に約4千3
百基のソーラー街灯を納入したと発表。京セラ製の太陽電池モジュールを搭載した独立型の街灯
で、リオデジャネイロの主要な高速道路を結ぶ「Arco Metropoliano do Rio de Janeiro」に設置した。

リオデジャネイロ州政府の公共事業の一環として、ブラジルのSoter社が設置を行った。高速道路
の全長145キロメートルの約半分以上に当たる約73キロメートルにわたってにソーラー街灯
を計画していた。


街灯に搭載された太陽光発電システムの出力は合計で3.2メガワット。高速道路に設置された太
陽光発電システムではブラジル最大。年間発電量はブラジルの一般家庭約1527世帯の消費電
力量に相当する合計2.8ギガワットアワーを見込む。これにより1583エーカー(約640
面平方キロメートル)分の森林が吸収するのと同量の二酸化炭素排出量を削減できる。

このように、太陽光で電力を賄うことで、送電網を持たなかった地域の高速道路の電灯へ電気を
供給可能にとなった。ちなみに、国際エネルギー機関が発表した13年の「世界のエネルギー見
通し」によれば、ブラジルの一次エネルギー需要の45%近くが再生可能エネルギーで賄われて
いる状況で、ブラジルは再生可能エネルギーの利用は、水力発電とバイオマス発電がその大部分
を占めている。(スマートジャパン 2015.08.24)

 

The Econmic Times 2015.08.18

● インド コーチン国際空港 世界初の完全ソーラー空港完成

また、インド南部のケララ州にあるコーチン国際空港が、『世界初の完全ソーラー空港』になっ
たと発表している。一日あたりのエネルギーを45エーカー(約18万平方メートル)に4万6
千枚の太陽電池パネル(22メガワット)でまかなう。このことで25年間で、3万本の植林と
同等の30万トンの二酸化炭素排出量が削減できるが、これは、7.5億マイルの航空距離のエ
ネルギー消費量に匹敵する規模である。

尚、13年3月に到着ターミナル屋上に小さい太陽光発電アレイを導入し、コーチン国際空港は
既に再生可能エネルギーへの完全切り替えを開始している。


 

【超高齢社会論 Ⅵ: 下流老人とはなにか】 
 

 秋葉原通り魔事件が、"ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたら
す格差
拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本
書でいう下
流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」で
ある。そして今、
日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパ
クトは計り知れないと
指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺し
た事件――71歳の林崎春
生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載
(極東極楽 2015.07.02 )。
『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護
基準は、144,430円(生活
扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準に
おける家賃上限】)である。資産の状
況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事
実だとすれば、年金支給額だけでは暮らし
が成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされ
て、足りない生活保護費と各種減免が受けられた
可能性がある。月額2万円程度、生活費が足りない
(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。
生活に不安を抱えどうしたらいいか途方に暮れる男性
の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHO
O!
ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防
止策は 「貧困対策」ではないか!?」
2015.07.02)を受け、藤田 孝典著『下流老人』の感想を
掲載していく。    

  目 次    

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに

 第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン 

  仕事一筋できたならば、夫は妾に逃げられてはいけない

  わたしが今まで見てきた経験上からも、妻は月15万円の生活費でも暮らしていける方が多
 いが、夫の場合はほとんど絶望的と言ってもいい。

  とくに団塊の附代よりも上の層の日常生活力の乏しさには驚くべきものがある。
  じつは家庭科の授業が男女共修になったのは、中学校で1993年、高等学校では199
 4年である。つまり、それ以前の人、とくに男性
は、家庭科における家事や調理技術を学ぶ
 機会が公的になかったと言え
る。そのため、いまだに「家事は女性がするもの」という発想
 が抜け切
れない男性高齢者も多いのだ。

  だからヘルパーが自宅に生活支援にきても、まるでメイドか何かのよ
うに小間使いにして
 しまう男性もいる。それはそのまま今まで妻にやら
せてきたことでもあるのだろう。
  家事や炊事など日常の生活能力が低いというのは、単に「料理が下手」とか「洗濯物がた
 ためない」というレベルの問題ではない。自炊で
きなければ、出来へ目いの惣菜を買うか、
 外食することになり、当然栄養
は偏る。また、掃除もできないので生活環境が不衛生になり
 やすい。


  そんな状況が続けば、当然病気になりやすく、医療費がかさむ。加えて節約意識もないた
 め光熱
費もバカにならない。つまり、一人暮らしになって生活能力がない場合、夫婦で過ご
 していたときと同
 じくらい、あるいはそれ以上の食費や光熱費、医療費を支払わなければ、
 生活を維持できなくなってしまうのだ。


  このような事態に陥らないためには、まず離婚しないこと、されない
ようにすることだ。
 とくに仕事一筋できたならば、なおさらだ。

  男は金さえ稼いでくればいいという昔ながらの考え方を捨て、家庭における男性の役割を
 変えていかなければならない。高齢期になる前から、
少しずつ仕事から家庭のほうに重点を
 シフトさせ、精神的にも経済的に
も「一緒に暮らしていく」ことを妻とよく相談して決める
 ことが重要で
はないだろうか,このあたりの意識は、若者世代では徐々に浸透しており、家
 事や育児の役割分担は、夫婦生活の維持にとって欠かせないことになっている。
 
  離婚が双方の下流化の人目になるケースは増えつつある。
  他者とのつながりが希薄になった現代だからこそ、パートナーがいることの価値を、ここ
 で再度確認する必要があるように思う。


  
《パターン5 認知症でも周りに績れる家族がいない》

  現状編の最後は、認知症の問題である。
  現在は高齢期が長くなっているため、認知症にかかるリスクも相対的に高くなってきてい
 る。
認知症と聞くと、家族など"介護する側"の負担がはじめに思い浮かぶかもしれない。も
 ちろんそれも大きいが、認知症の高齢者が一人暮ら
しを余儀なくされた場合、まったく別次
 元の脅威にさらされることにな
る,詐欺などの犯罪だ。

  最も典型的なのが、いわゆる「オレオレ(振り込め)詐欺」である。
  警察庁によれば、2014年の特殊詐欺被害の総額は約559原円であり、2013年比
 で約14%増加している。5年連続で増加しており、
その被害余額は過去最悪の水準を更新
 している。特殊詐欺防止のための
対策を各地で講じ、犯行グループなどの検挙が進んでいる
 にもかかわら
ず、一向に歯止めが効かない。

  振り込め詐欺の被害が減らないどころか年々増加しているのは、詐欺の手ロが巧妙化して
 いるだけでなく、背景に認知症高齢者の増加があることを見過ごしてはならない。
  厚生労働省の発表によれば「誰かの見守りや支援が必要な認知症高齢者数]は、平成22
 年(2010)時点で、約280万人。まだ気づかれていない軽度の認知障害の方も含めれ
 ばさらに数は増える。今後も、2020年は約410万人、2025年には約470万人に
 まで膨れ上がることが予想されている。 

  高齢者の認知症でとくに問題なのは、自分では症状に気づきにくいということ。
  初期の認知症高齢者は、医師や社会福祉の専門家が見ればすぐに判別できるが、本人が自
 覚できることは稀だ,周囲に助ける人がいても、物忘れがちょっと多い程度では、症状に気
 づけないこともある,だから、一人暮らしともなればなおのこと事態は深刻である。

  実際、相談に来られた認知症の方のほとんどが、病院で検査し医師から結果を示されても、
 「認知症なんてとんでもない。わたしはしっかりしている」と言い張る。
  そこにつけこんでくるのが、先ほどの振り込め詐欺などの犯罪グループだ。巧みな理由を
 つけて、息子が困っていると信じさせ、高齢者はいとも簡単に資産の一部、あるいはすべて
 を奪われてしまう。「振り込む前に本人確認を」などとよく言われるが、その注意自体を忘
 れてしまったり、そもそもそのような発想すら持てないのが認知症なのだ。

  とくに高齢者自身が金銭管理をしている場合は注意が必要になる。振り込め詐欺以外にも
 宗教の勧誘や、高額な布団や化粧品などの訪問販売、リフォームなど、さまざまな方法で高
 齢者から搾取しようとする企業や犯行グループは山ほどある。気づいたときには、もう資産
 がほとん
どないという事例もよくあることだ。




                 認知症+一人暮らし+悪徳業者H→下流老人

  わたしが実際に見たなかで、一面ゴミだらけの部屋のなかに新品の羽毛
布団が3枚も4枚
 もうずたかく積まれていた高齢者の家があった。明
らかに認知症の独居高齢者をターゲット
 とした悪徳業者のしわざだ。

  認知症高齢者への詐欺事件が悪質なのは、理解力の低下だけでなく、高齢者の寂しさや自
 尊心を校滑に利用していることだ。たとえ営業だろ
うと、孤独な生活のなかで話しかけてく
 れる人がいたら、それだけで嬉
しいだろう。日中誰とも話さずテレビを見ている高齢者も多
 い。親族が
訪ねてくるのは年に数回という家も珍しくない,悪質な訪問販売は、そのような
 心の隙間につけこみ、必要のない、ときにはまったく同じ商品
をいくつも高齢者に買わせて
 いく。


  販売員も部屋の状況を見たり、高齢者と話せば、認知症であることは
ある程度わかるはず
 だ。それにもかかわらず、金がなくなるまで商品を
売りつけ資産を吸い尽くそうとする者が
 後をたたない,このような業者
は必ず「本人が良かれと思って買ったのだからいいだろう」
 と言うが、
本人に正常な理解力がないことは明白だし、それが見てわからないなどというこ
 とはあり得ない。

  さらに事態を複雑化しているのは、高齢者自身が「(たとえ瞞す目的だったとしても)話
 を聞いてくれる人がいただけで嬉しいから」と、被
害があっても許してしまい、被害届や権
 利救済を申し立てない事例もあ
ることだ,
  ドラマみたいな話だと思われるかもしれないが、福祉現場からすれば、これはごくありふ
 れた話であり、これが現実である。

  このように認知症が恐ろしいのは、単に記憶があやふやになるという症状だけでなく、「
 認知症+一人暮らし」だったり、「認知症+悪徳業者」のようなコンボで、予想外の事態が
 いくらでも起こり得る点にある。

   当然だが、加齢とともに脳機能は誰でも低下していく。認知症の有病率を年代別に見ると、
 74歳までは10%以下だが、85歳以上で40%超になるという調査結果まで出ている(
 厚生
労働省研究班代表者・朝田隆筑波大教授「都市部における認知症有病率と認知症の生活
 機能
障害への対応」2013)。
  つまり、長生きすれば、遅かれ早かれみんな認知症になり得る。そのため資産をちゃんと
 分割しておいたり、容易に契約を結んでしまわないようなシステムをあらかじめつくってお
 くなどの対策が必要になる。

 「誰もが認知症になる」ことを想定したうえで、高齢期の準備を講じなければならない。
  このように、自分では気をつけているつもりでも、犯罪や消費者被害に巻き込まれて下流
 化してしまうパターンもあるのだ。



 
〈コラム: カネの切れ目が延命装置のスイッチも切る!?〉

  1972年に、有吉佐和子氏が『恍惚の人』を発表したことで、認知症や介護福祉の問題

 がクローズアッブされた。当時の高齢化率は約7%程度であり、高齢化社会に突入し始めた
 時期でもあった。
  ただ、そのころの平均寿命は70~75歳程度(1970)で、寝たきりになったら、す
 ぐ に亡くなってしまうケースも多かった。

  しかし現在は、高度医療化もあり延命措置も一般化してきた。また、日本の高齢者の寝た
 きり寿命は海外に比べ長く、男性は約9
年、女性は約12年であるという報告もある。ピン
 ピンコロリとはな
かなかいけず、医療費がかさむというのが実状だろう

  なかでも、悩ましいのが「延命治療」を続けるかどうかの決断だ。
  たとえば、植物状態になった高齢者に収入や貯蓄がなく、民間の保険にも入っていなかっ
 た場合、たとえ高額療養費制度を利用したとしても、際限のない医療費負担が家族にのしか
 かっ
てくる。本人が医療費を払えない場合には、どこまで延命するのかの判断は、残された
 家族に委ねられるのだ。


  医療費が支払えないという現実的な問題が、直接的に命の問題と
して降りかかってくる。
 資産の有無によって、高齢者が生きられる
か、死ななければならないのか、選択を迫られる
 事態がますます増
えていくに違いない。

  本来、命の選択は資産に関係なく、本人や家族が丁寧な議論を重ねたうえで、決定すべき
 だと思うし、そうならなければいけないと
も思っている,しかし、「もうお金がないので治
 療をやめてください」と一河わざるを得ない時代がくるかもしれない。 

                                   この項つづく

 

 

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因果報応の季節風

2015年08月25日 | 時事書評

 




 
                   春が来ても、鳥たちは姿を消し、鳴き声も聞こえない。
             春だというのに自然は沈黙している。
      
                    レイチェル・カーソン 『沈黙の春』

 



● リチウムイオン電池リサイクル工学

リチウムイオン二次電池は、アルミ箔にリチウム、コバルト、ニッケルなどを塗布した正極材、銅箔に黒
鉛などを塗布した負極材、電解液、セパレーターなどから構成されている。このようにリチウムイオン二
次電池には、リチウム、コバルト、ニッケル、銅などの有価物が含まれているため、使用後廃棄された
リチウムイオン二次電池からこれら有用物質を回収することは重要である。
廃棄リチウム電池からの有価物の回収方法には、焙焼、破砕、粉砕、篩い分け、選別などの分
離回収方式が知られている。回収過程の中で焙焼処理工程は、電解液に含まれるプ
ロピレンカ
ーボネート、エチレンカーボネートなどの有機溶媒、六フッ化リン酸リチウムの支
持塩、ポリ
エチレンやポリプロピレンなどのセパレーターを熱分解し、除去を目的とする。こ
の工程の後
に、篩い分け、選別等の分離回収工程が続き、有用物質が回収される。


例えば、使用済みリチウムイオン二次電池を焙焼し、次に破砕した後、破砕物を篩分けして篩
下を回収し、使用済みリチウムイオン二次電池からの有価物の回収方法
がある。また、大気雰
囲気、酸化雰囲気、不活性雰囲気、還元性雰囲気などが挙げ
られる。
 廃棄リチウム電池を、
有価物の回収を目的として焙焼処理する際、発火等による焙
焼炉の腐食・損傷を防ぐ方策とし
て、(1)棄リチウム電池を処理すの焙焼装置で、廃棄
リチウム電池を載置するための炉床を
備える焙焼炉と、焙焼により燃焼しない無機化合物でなる粉
体で上記炉床に載置された廃棄
チウム
電池を被覆する粉体供給手段と、粉体で被覆された廃
チウム電池を焙焼できる温度
にまで焙焼炉内を加熱する手段とを備えることを特徴とする。

廃棄リチウム電池の焙焼装置。ここで、上記焙焼炉内を加熱する手段は、熱ガス供給手段、例
えばセメント焼成装置であることが好ましい。また、上記粉体は、炭酸塩を含む粉体、例えば、
石灰石を粉砕した炭酸カルシウム、または、石灰石と珪石と粘土等を混合粉砕したセメント原
料であることが好ましい。

(2)廃棄リチウム電池を処理する焙焼方法で、廃棄リチウム電池を載置するための炉床を備
える焙焼炉を使い、焙焼により燃焼しない無機化合物から成る粉体で上記炉床に載置された廃
リチウム電池を被覆することと、粉体で被覆された廃棄リチウ電池を焙焼できる温度にま
で焙焼炉内を加熱することを特徴とする、廃棄リチウム電池の焙焼方法。 ここで、上記焙焼
炉内を加熱することが、熱ガス、例えばセメント焼成装置の排ガスから分取された熱ガスを
焼炉に供給することにより成されることが好ましい。また、上記粉体は、炭酸塩を含む粉体、

例えば、石灰石を粉砕した炭酸カルシウム、または、石灰石と珪石と粘土等混合粉砕したセメ
ント原料であることが好ましい。

 

 

※ 緊急署名:復水器への海水混入トラブル~川内原発1号機を停止させ、 徹底的に原因を究
  明する
こと。

  

● 現代大量虐殺史 Ⅷ

【縮原発論 24: 核ごみ廃棄処理のススメ 
 

 目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 
  

  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体   

                食品業界のトップがIAEAの正体だった

  日本ではフクシマ事故から4年が過ぎた。チェルノブイリ事故の大被害が表に出はじめた

 のが、その"事故故発生から4年後"の1990年のことであった。白ロシア(現・ベーフル
 ーシ)の首都ミンスクで、15歳以下の子供だけで70人が白血病の治療を受け、夥しい数
 の白血病が顕在化し、子供たちがバタバタと倒れはじめたのだ。その時、食卓にあがる肉や
 野菜の放射能の平均値は、食品「1キログラムあたり370ベクレル」という高い値である
 ことが、白ロシアの放射線学の専門家ヴァシリー・ネステレンコによって告発された。

  しかしチェルノブイリの事故直後、ヨーロッパで乳幼児に与えられる乳製品も含めて、食
 品のぶ安全基準が、EC(ヨーロッバ共同体)によって定められた時、その値がちょうどこ
 れと同じ、きわめて危険な370ペクレルであった。実は、このEC基準には、なにひとつ
 医学的な根拠がなかったのである
  なぜ370ベクレルという数字が出てきたかという経過は、こうである。
  人体の細胞に対する人工放射線の影響は、医学的に10ピコキュリーの単位からはじまる
 と考えられている。ピコキュリ1は"1兆分の1"キュリーというきわめて微量の単位である。
 1キュリーは370億ペクレルであるから、影響が出る10ピコキュリーは、0・37ベク
 レルである。

 1キログラムあたり3・7ベクレルの食品を100グラム食べると、その0・37ベクレル

 が体内に入る。では人間が、その100倍の濃度370ベクレルの汚染食品を10倍量1キ
 ロ
グラム食べるとどうなるか? 分りきったことだが、かなり危険な領域に入ってくる。乳
 幼
児から青少年に至る育ち盛りの世代にとって、1年間に食べる量は1キログラムどころで
 は
ない。そこで追い詰められたヨーロッパ食品業界が主導して、「えいやっ」と100倍に
 決
めたのが、先の危険な数字であった。

  では、その数字に誘導した食品業界の犯人はどこにいたのか?

  実は、IAEA議長をつとめたロスチャイルド家のベルトーフン・ゴールドシュミット
 共
に、IAEAでNo.2の事務局"次長"としてこの国連組織を育てあげたのがパウル・ジョレ
 スであった。その男が、チェルノブイリ事故が発生したとき全世界の乳製品メーカiに君臨
 するネスレ(ネッスル)の会長であったのだ。現在の日本が、フクシマ事故直後に500ベ
 クレル、翌年から100ベクレルとして、ほとんどの国民がそれを安全だと信じているので
 ある。このような猛烈に高いIAEA基準に従う日本政府の基準を日本人は信じて大丈夫か?
 なぜ1キログラムあたり1ベクレル単位を目指さないのか!



※ チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染


                       原爆と原発は。双子の悪魔

  このIAEAが、ウクライナの首都キエフに"全ソ放射線医学総合センター"を設立させ、

 全ソすなわちソ連(現在の汚染地ロシア・ウクライナ・ベラルーシ)全土の被害データを統
 
括することになった。そして、このセンターのコンピューターによってチェルノブイリの大
 被害を完全に統轄し、同時に不都合なデータを抹消するようになった。当時その様子が1時
 間にわたって衛星放送で放映された時、彼らの姿は無気味であった。

  IAEA曰く、「動物の異常はない……もともとウクライナの汚染はひどい……子供の異

 常すべてストレスによるもので放射能は関係ない……キューバに行ったチェルノブイリ被
 災地の子供たちは保養に行っただけだ……妊婦の異常は鉄分が不足したための貧血症と恐怖
 症によるものだ」……こうして、想像を絶する言葉が次から次へと口をついて出た。キュー
 バヘ治療に行った子供たちが病院で白血病に苦しんでいると現地で報告されている時に、こ
 れらの暴言が発せられたのである。

  ウクライナのキエフ小児科産婦人科研究所の女医イリーナ・ゴルディエンコを招いて、
 ソ連では何の被害も起こっていない」と語らせたのである。すでに白血病と甲状腺障害の

 め子供たちがバタバタと倒れはじめた時に、逆証明を試みようとしたのだ。ところがその

 組が、IAEAと原子力産業の構造を逆証明することになった。同じ研究所から来日した

 健省の医師アンドレ・ヤコブレフが、すでに明らかな嘘を語りまくって帰ったあとだった

 らである。


  キエフの同じ研究所から来日したこのふたりに共通していたのは、全世界のジャーナリズ

 ムが取材した"チェルノブイリ同盟"という市民グループと深く係わり、IAEAと絶えず
 触してきたことであった。


※ 「年1ミリシーベルト」で避難の権利~チェルノブイリ法

  これ以来、フクシマ原発事故を起こした日本でも、福島県内で"市民グループ"や "大学教
  授" の名を騙って、「放射能と折り合いをつけて生活するにはどうすればよいか」という論
  調で安全論を広めることがIAEAの常套手段となっているのだ。福島県内には、IAEA
  の手先となって、「東日本の復興促進」というエサをぷらさげ "
原発に反対だが、この放射
  能は大したことはないという擬似スタイルで、ますます危険を広げる人間が徘徊しているの
 は有名なことだ。この哀れな大学教授たちの目的は、自分の肩書き(役職)を守ることでし
 かない。

  原爆と原発が、双子の悪魔だったことは、歴史を見た通りである。
  では、全世界の原爆兵器産業と原子力産業は、現状では、どのような関係になっているの
 か? 
 

               広瀬 隆 著『東京が壊滅する日―フクシマと日本の運命』


以上で了となる。著者とは、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故を受け、
大津で自治労主催で緊急集会に参加したとの基調講演で面識させていただいた。話の内容はこの
本やその他の著書と基調は変わっていないが、詳細はうろ覚えとなっているが、「ヨーロッパか
ら輸入されるマッシュルームは汚染蓄積濃度が高いので食べないように」という言葉だけが強く
記憶に残っているが、地震説や安全軽視運転説など事故原因はいまだに確定していない。

チェルノブイリ事故から2011年の「3・11 東日本大震災とフクシマ原発事故」までのそ
の間、何があったのか?あるいはわたしは何をしていたのか?1つは、チェルノブイリ事故の放
射能汚染による癌罹患者数の増大と今なお続く原発事故驚異のの余震であり、2つめは、ソ連と
冷戦の崩壊及びパックスアメリカーナの弱体化という世界政治の激変であり、核兵器の廃絶と核
拡散の同時進行である。3つめは、日本国内では原発依存傾斜であり、ドイツ・米国などの先進
国での原発からの撤退と発展途上国の原発建設であった。個人的には表立った原発建設反対運動
から離れていたが、『デジタル革命渦論』を構想しながら、1995年以降、太陽光発電・燃料
電池を中心とした再生可能エネルギー事業への進出を窺い、2005年より薄膜系太陽電池事業
への研究を開始していた。つまり、原子力発電のコスト神話を覆す好機を確信する(参考:早瀬
修二編集『色素増感太陽電池
の研究開発と最新技術』 技術教育出版社 2005.06.20)。

しかし、企業内部では時期尚早・原子力発電推進論もあり、一旦活動を停止するも、フクシマ原
発事故が発生したことで、状況が一変。これまで原発リスク評価の甘さを深く反省・学習するな
か、ブログで『縮原発論』を展開掲載、本書を通じ、フクシマ原発事故の廃棄物処理は単に日本
国内の問題でなく、米国・ロシアの核大国を中心とした核ごみのグローバル化として全人類に影
響すること、「核ごみの玉突き衝突時代」の幕開けをであることを確認する。さらに、16年4
月から実施される電力の完全自由化により「電力会社が7割の利益を得ていた家庭の消費者」に
も選択が可能に
なり、その家庭の6割以上は、原発でない、圧倒的に安価で安全・クリーンな「
新電力」ヘの契約変更を望んでいる。

裏返せば、著者が「あとがき」で――電力会社は原発に見切りをつけない限り、膨大な数の顧客
を新
電力に奪われ、ますます経営か悪化し、自分の首を絞めて最後に窒息するだけである。そ
ため原発マフィア官僚が、原発に責任のない「新電力」企業に”原発の廃炉コスト”を負
担させ
ようとしたり、高性能の石炭火力の建設を妨害したり、悪辣きわまりない政策を次々
と打ち出し
ていることは、読者ご存知の通りである。電力会社にとっても消費者にとっても、
原発を断念し
て、一旦、特別損失を計上し、身をきれいにしてから再出発すれば未来は美し
くなる――と指摘
する通りである。このように、(1)地球温暖化リスクの脅威が迫る中、再生可能エネルギーへ
の切り替え、(2)宇宙開発用のなどの小規模の原子炉や核融合炉の実験施設を残し、原発の廃
炉などの核ゴミの迅速な処理が最重要テーマである。


                                                          この項了

  



【球界最強打者 山田哲人23歳・5つの大記録】

小学校2年生の時に地元、宝塚リトルリーグの外野手として野球を始める。御殿山中学校時代は
ヤングリーグ・兵庫伊丹に所属で内野手。履正社高校では、1年夏からベンチ入り、2年夏は二
塁手レギュラー。3年春は高い守備力と0・435という高打率をマーク、大阪大会優勝・近畿大
会準優勝。10年のプロ野球ドラフト会議では東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファロ
ーズから外れ1位の指名を受け、抽選でヤクルトに。14年、杉村繁打撃コーチとのマンツーマ
ン指導により打撃が大幅向上。4~9月にかけ、史上初の6カ月連続初回先頭打者本塁打を達成。
監督推薦でオールスターゲームに選出され、本塁打を含む2安打を放ち敢闘選手賞を獲得、8月
はリーグトップとなる41安打を記録し、自身初の月間MVPを受賞。

走攻守いずれもレベルが高く、50メートル走では5・8秒。ヤクルトコーチを務める福地寿樹
は、「単純にスピードはチームで1番速い。自分の現役のときよりも断然速い」と語る。高校時
代の監督からはトリプルスリー――プロ野球で、打者が同一シーズンに「打率3割以上・本塁打
30本以上・盗塁30個以上」の成績を記録――を狙える男とたたえられている。その彼が今年
5つの大記録に挑む。

1.球団58年ぶりの『日本人本塁打王』
2. 史上9人目の『3割・30本・30盗塁』
3.史上8人目の三冠王
4.プロ野球史上初の『本塁打王&盗塁王』
5.プロ野球史上初の『40本・40盗塁』

 



ヨットの帆が競い合う水面を眺めながら、とりとめのない話を時折クリップしながら、バニーニ
とサンムレナにお好みのイクシを挟み、ときおりすれ違いながら、モーニングプレートを楽しむ。
ありふれて、スペシャルなふたりの時間を時の過ぎゆくまま。

パニーニセット・税込み650円、ジュブリのモーニングプレート・税込み1300円。合計、
1950円。


 

彦根市稲枝北小学校では、理科の学習の一環で15年ほど前から、4月下旬に「千成」と「百成」
の苗計12株を24平方メートルの農園に植えた。水やりや草抜きなどをして世話をし、長さは
15~25センチになる校内で育て、ヒョウタンを収穫する野外活動が伝統になっている。



● 因果報応の季節風

最近の国政をみていると、二大政党制による活性化の試みは、大きく頓挫し失望を隠せない。経
済政策の非力な民主党に変えた自民・公明党の経済政策の先行きは誠に暗く、野々村なにがしか
の兵庫県会の保守系デフレ議員のドタバタに続く、国会レベルの不倫騒動の女性維新の党の衆院
議員や武藤なにがしかのサギ欺自民党衆院議員の”お為ごかし”の"志(こころだし)” の低い
ドタバタ劇がつづくことか。かって、"アドホックなキルケゴール"と『デジタル革命論』で表現
したように、独立した個人による自律的な思慮溢るる行動は霧散したかのようにある。しかし、
希望も残っているはず。心当たりのある政治委員なら、それも因果報応と心し、潔く辞任する道
が残されている。

そんなことを吹き飛ばすことが起きるかもしれないことが朝鮮半島で進行している。取り返しの
つかない武力衝突の懸念。そんなことをつらつら考えていると、時代hは"嵐”。人類史に大きな
因果報応の季節風が吹き込んでいる。

 

 

 ● 今夜の一品

 

バックパックとウェストバッグを融合させたバック+ウェストバッグ。


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沈黙の2016年

2015年08月24日 | 時事書評

 

 

 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。

                    レイチェル・カーソン

 

● 最新食品加工々学: カンピョウ麺やパウダーの考案

NHK放送の朝の「うまいッ!」で栃木県は上三川町でのかんぴょう作りとそれを使った料理が
紹介されていた。栃木県では、およそ三百年前から栃木県南東部で作られはじめたかんぴょう。
現在では、国産かんぴょうの98%を占める国産かんぴょうの代名詞的存在とか、実は、滋賀県
の水口市では、水口かんぴょうが約四百年前の桃山時代にまで遡る。あの歌川励重の浮伊絵「東
海道五十三次」水口宿で、かんぴょうを干す風景が映し出されるほど古い。

現在水□地域ては、代々受け継がれてきた種子を使用し、13軒の農家(水ロかんぴょう部会)
がで作付けている。かんぴょうは、夕顔(ゆうがお)の果実(ふくべ)を加工したもの。7月上
旬から8月中旬、早朝に10キロ前後の実を収穫し、すぐに白い実を幅3センチ・長さ3メート
ル・薄さ2~3ミリの帯状に機械で剥ぐ。それを1本1本でいねいに竿にかけ、ムラのないよう
ずらしながら、約1日半、天日干しするのが特長で栃木と同様に消費者から大好評だとのこと。

栃木では、夏場は日本一雷の多い地域として知られ、95%が水分という実の成長を左右し、短
時間に大量の水を供給する雷雨が、水分を含み急激に成長させることで、あまさうまみが貯め
こまれていくという。また、雄花の花粉を雌花の中心全体に受粉させることで、丸く育ち、丸い
実は加工の工程で均一な厚さに仕上がりやすく、コリッとした食感が生れるのが上三川町のかん
ぴょう特徴だという。、

 

番組の中では、みそ汁からバターなどのラクトを使ったフランス料理まで料理の幅は工夫次第で
まだまだ広がっていきそうだとか。因みに、上の写真の「かんぴょうと卵のお吸い物」が紹介さ
れていて、無漂白かんぴょう――亜硫酸ガスで硫黄燻蒸を行う漂白かんぴょうと、燻蒸を行わな
わず、塩もみと下ゆでをして無漂白かんぴょうがある――を使えば、かつお出汁にかんぴょうの
あまみが溶けだしおいしくいただけるという。全国的には、巻き寿司の干瓢巻き(木津巻き、鉄
砲巻き)、巻き寿司の具、ちらし寿司の具、煮物の昆布巻きや揚げ巾着の結束に用いるのが一般
的な用途。産地の栃木県では、この他に、煮物、炒め物、金平、卵入りの干瓢汁、酢の物等にも
用いることが多い。近年では、サラダ材料や揚げ物の衣としての使い方もある。

さらに、上記のように、かんぴょうの特徴は、食物繊維が圧倒的に多く、また、カルシウム、カ
リウムを豊富に含まれているので、整腸作用や体内毒素成分の排出や排便促進の効果が期待でき
そうである。 かんぴょうは昆布じめや巾着の口じめ紐に使用されるように(下図特許装置参照)、
かなり嚼みごたえがあり、特開2006-314234の「かんぴょうの調理方法」の乾物かんぴょうを水
戻ししたものを浸漬後のpHが6~9になるようにアルカリ溶液に浸漬・加熱・水洗いし改善向
上され、調味後もちぎれにくい無燻蒸のかんぴょうの調理方法も提案されているほどだ。


 
特開2011-189979  紐状体に結び目を作る方法及び装置

ここで注目しているのは、むしろ、下図のように、ちぎれやすくし、直径1~数ミリの麺状ににしたり、パウ
ダーに加工する方法に注目し、健康食用として商品開発することを考えている。因みに、下図、特許考案
は、複数の乳酸菌を用いて、植物由来原料を発酵させ→発酵産物を乾燥させ→物質吸着性をもたせた
食物繊維素材を製造する方法が提案され、、大豆だけでなく、豆類では、あずき、えごま、いんげん豆、
ごま、アーモンド、テンペ、ピスタチオ、グリーンピース、おくら。野菜では、しいたけ、ごぼう、ぶなしめじ、
えのきたけ、西洋かぼちゃ、ブロッコリー、舞茸、ほうれん草、こんにゃく及びかんぴょう。穀物では、小麦
胚芽、ライ麦、押麦、アマランサス及び玄米のいずれかに由来する原料、果物では、例えば、柿、プルー
ン、バナナ、アボカド、オリーブ、バナナ、キウイ及びリンゴがその対象とし、乳酸菌は、Lactobacillus
属の菌株――例えば、Lactobacillus curvatus、Lactobacillus casei、Lactobacillus acidop-
hilus、Lactobacillus plantarum、Lactobacillus fermentum、Lactobacillus salivarius、La-
ctobacillus brevis、Lactobacillus rhamnosusを用いる。

特開2010-173984  物質吸着特性を有する食物繊維素材の製造方法

また、パウダーにすることで、数種類食用に任意に加えることで機能性食品としての付加価値を
高める
ことも可能。かんぴょう素麺で猛暑をおいしくいただける日がくるかもしれない。これは
面白い。    
                  

 

  

● 現代大量虐殺史 Ⅶ 

【縮原発論 23: 核ごみ廃棄処理のススメ 

 目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 
 

  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体   

        IAEAがチェルノブイリ原発事故で正体を現わし、大被害を隠した 

  IAEAの軍事組織としての正体が露骨に表面化したのは、1986年4月26日深夜に、
 ソ連のチェルノブイり原発4号機の原子炉を吹き飛ばす最悪の爆発事故が起こった時期から
 であった。
  翌1987~88年にかけて、当時まだドイツが東西分裂していた時代に大事件があった。
  1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東.西ドイツが続合される直前のこと

 である。
  西ドイツの交通事故から、奇妙な事件が発覚した。該物質を輸送していたトラッククが横
 転
し、警察が積み荷を調べたところ、輸送が許可されていない原爆物質が国境を越えて運ぱ
 れ
ていたことが発覚したのだ。


  1988年に、西ドイツの雑誌「シュテルン(Stern)"がこの事件を執拗に追跡したところ、
 驚くべき事実が暴露され
た。この1月21日号の表祇のコラージュは、右側に描かれたジェ
 ントルマンの
シャツのカフスボタンに"AECとIAEAのロゴ"と同じ「原子力の平和利用」
  を示すアトムマークが入っている。

  その背景には原爆が詐裂している写真。そして紳士の手と手のあいだには、ドイツ・マル
 ク
紙幣が交わされている。一体"シュテルン"は、「原子力力の平和利用」と「原曝」と「大
 金」を組み合わせて、何を暗示したのだろうか。


  同誌が事件の関係者を追及すると、西ドイツの「原子力の平和利用」で該物質を扱う化学

 会社ヌーケムが、西側諸国が「テロ国家」と非難するパキスタン、スーダン、リビアの3ヶ
 国に原爆材料のウランやブルトニウムを密輸し、数百万マルクの大金が動いていたという悪
 事が明るみに出たのである。当時の1マルク=80円として、数億円にのぽる核物質の密売
 で
あった。チェルノブイリ原発事故が起こった1986年には、おそるべきことに原爆70
 個分、
その前年には188個分の核物質が西ドイツで行方不明になっていた。1987年7
 月と12
月には、この件で取り調べを受けていた容疑者ふたりが自殺を遂げた。事件の真相
 を解く
秘密の鍵を握っていたそれらの重要な証人は、「事件が発覚したため暗殺された」と
 いう噂
が絶えない。

  密売先の3ヶ国は、どのような性格の国であろう。

  パキスタンは、1998年に"イスラム最初の原爆実験をおこなった国"であった。
  アフリカのスーダンは、エジプトの南に隣接して、ナイル川の上流地帯にある。1998
 年にケニアなどのアメリカ大使館が曝破されたテロ事件のあと、その黒幕としてアメリカが
 テロリストと指弾したウサマービンラディンが関与しているとして、アメリカがミサイル攻
 撃をしかけた国がスーダンである。

  リビアは、これらアメリカのミサイル攻撃に激怒し、カダフィ大佐の先導で痛烈な反米デ
 モをくり広げ、テロ国家に指定されて経済制裁を受けていた国である。
  このような性格の3ヶケ国に、西側の原子力産業が、最も危険な該物質を密売していたの
 だ。

  ドイツの雑誌「シュプーゲル」「シュテルン」がすっぱ抜いた通り、この密売を仕組んだ
 のは、ほかならぬ、リピアとイランを査察してきたIAEA人脈だったのである。「敵側」
 に核兵器の拡散が進まなければ、西側の原子力産業が核兵器を保有する動機づけがなくなる
 からであった。 

 

      原爆と同じ核暴走でプルトニウムを噴出した福島第一原発3号棟

  それだけではない。ここに日本の原子力産業か関与していたのだ。

  西ドイツの原発から発生する使用済み核燃料を一手に引き受けていたのが、この核物質の
 密輸に関与したヌーケム社であった。ヌーケム社の使途不明金が、当時のレートで日本円に
 して十数億円にのぼることが判明した。当時の西ドイツでは、ソ連のチェルノプイリ事故直
 後に猛烈な原発反対運動が起こって、プルトニウムを取り出すヴァッカースドルフ再処理工
 場の建設計画が行きづまり、ヌーケムは苦悩していた。そのため、秘かにベルギーのモルに
  ある国立原子力研究センタ(CES――Center d'Etude de l'Energic)に、原発からでる使用済み
 核燃料を運び込みプルトニウムとウランの抽出(再処理)を依頼した。

  なぜ秘かにおこなったかと言えば、ベルギーの工場は、再処理工場としてプルトニウムを
 
抽出することが許されていない「無法プラント」たったからである。しかしCENは、まる
 でSF映画のように再処理をおこなってプルトニウムを収り出し、閤のなかでヌーケム社に 
 廃棄物と原曝材料を返還した。


 
  このCENに技術的に関与していたのが、同じベルギーにある核燃料製造会社であった。
  それが、東京電力がMOXと呼ばれるプルトニウム・ウラン混合燃料の製造を依頼して問
 題
になった会社(Belgonucleaire)であった。日本ではベルゴ・二ーュークレア社と書かれ
 てい
たが、正しくはベルゴニュクレエールと発音する。

  このプルトニウムMOX燃料を使って運転していたのが、福島第1原発の3号機であった。
  東日本大震災発生から4日目の2011年3月14日、大爆発を起こしたのがその3号機
 で
ある。その2日前に起こった1号機の最初の水素爆発と違って、3号機では核燃料を空高
 く
吹き上げ、次頁の写真のように、その黒いかたまりが空から降ってくる曝発の映像から、
 「
核爆発と推定される」として、多くの日本人に衝撃を与えた原発である。実際、空から降
 
ってきたのは、とてつもない量のプルトニウムを含む燃料であった。

 

※ ベルゴ・二ーュークレア社の再処理工場解体(2014.12.27)上図記事はオランダ語
 

  
3号機では、水素爆発が起こったため、使用済み核燃料プールで冷やしていた燃料棒の集
 合
体が激震を受け、燃料棒と燃料棒のあいだの距離が接近して、原煉と同じ核暴走による爆
 発が
起こった可能性が高いことを、アメリカの科学者で、スリーマイルー島原発事故調査団
 のメンバ
ーだったアーノルド(アーニー)・ガンダーセ 日本はこれまで、フランスに使用
 済み核燃料を輸送して、取り出されたプルトニウムをベ
ルギーに送ってMOX燃料を製造す
 るよう依頼してきたが、そもそも日本とベルギーのあい
だには原子力協定が結ばれていない
 ので、これも国際法に違反する無法な取引きであった。


  ベルゴーニクレエールの子会社にトランスニューベルという会社があり、その昧の20%
 を
保有していたのが、ヌーケムの子会社トランスヌークレアという輸送会社であった。この
 ト
ラフクが、前述の使用済み核燃料とプルトニウム廃棄物を輸送していたところ、交通事故
 を
起こして、とんでもない積み荷であることが露顕したのである。したがって、これらの原
 子
力企業は、ドイツとベルギーにまたがっていなから、ひとつの同じ資本で動かされていた。 

  
事実上の資本は、ヌーケムの味35%を保有するデグサ(ドイツ)、10%を保有するメ
 タル
ゲゼルシャフト(ドイツ)、10%を保有するインペリアル・スメルティング(イギリ
 ス)で
あり、これら合計55%を支配するのが、ロスチャイルド財閥であった。つまりひと
 つの財閥
の傘下にある同族企業グループであった。これら社名などの事実関係は、西ドイツ
 で最も信
頼されている雑誌「シュテルン」「シュピーゲル」が1988年当時、詳細に報道
 した内
容である。

  ロスチャイルド家はユダヤ人財閥であって、ユダヤ人国家イスラエルの建国者である。
 そこから「
イスラムの最も危険なテロリストだ」と彼ら自身が非難している敵国に、自ら原
 爆
材料を横流ししていたことになる。
  やがて、さらに驚愕すべき事実が発覚した。この輸送事件に関与したスイス人のルドルフ・
 ロメッチが、自分の自家用車でプルトニウムを運んでいたことが暴露され、ドイツで大
スキ
 ャンダルとなったのである。というのも、ロメッチは、ば「核兵器の拡散を防止する」国

 原子力機関(IAEA)の幹部であった、そして、チェルノビリ事故直後に、事故の原
因や
 被害を議論した。「IAEA総会で議長」をつとめて被バクの大被害を隠蔽しようとした

 子力マフィアの親分であった。さらに彼は、わが国の科学技術庁(現・文部科学省)とも

 しく、来日して講演した人物であった。

  そのプルトニウムを自家用車で運んでいたロメッチの主導したチェルノプイリ事故直後の
 IAEA総会が、事実上の「原発事故の被害は終った」という国際的な宣言セレモニーとな
 ったのである。


          29年後にも200万人が苦しむチェルノプイリ事故の現実

  ウクライナのヤヌコビッチ大統領が、「現在もチェルノブイリ事故のため、200万人が
 放射能被バクの苦しみにあえいでいる」と題ったのは、事故発生から27年後のチェルノプ
 イリ原発事故記念日、2012年4月26日であった。それはフクシマ事故の翌年にあたる
 現在のことだ。

  チェルノプイリ事故の被害の実情を紹介しておこう。

  フクシマ事故前年のアメリカ小児科アカデミー学会誌2010年3月22日号によれば、
 2000~2006年にウクライナの低線量被爆地券のリウネ(Rivne)地方で生まれた9
  万6438人の新生児の奇形発生率は、珀万人あたり222人で、全ヨーロッパで最も高か
 
った。この地方は、チェルノブイリ原発から250キロメートル以上も離れている。250
  キロとは、東京駅と福島第一原発より遠い距離だ。

    ソ連崩壊後に独立したウクライナとベラルーシ国内の被害は.白血病と小児甲状腺癌だけ

 ではない。失明に至る白内障、心筋梗塞、狭心症、脳血管障害、気管支炎など、数えきれな
  い疾愚か急増している。現在も進行中のこの大被害を"ゼロ"に見せようとしたのが、IA

 Aと日本の放影研一派であった。

  2013年4月26日に出版された『チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店)を開くと、
 ロシア科学アカデミー顧問でECRR(ヨーロッバ放射線リスク委員会)の委員でもあるア
 
レクセイ・ヤブロコフをも高名な著者が「チェルノプイリ原発事故による死者の推計は、2
 004年までにほぽ100万人に達している」という驚異的な医学的データを突きつけ、戦
 
慄すべき事実を実証しているのに、である。同書に対しては、現在もインターネット上で、
 IAEAが国際的な人脈の(日本人を含む)御用学者を動員して、根も葉もない卑劣な中傷
 を続けている。ウクライナとベラルーシの国民が事故から29年後の現在も苦しんでいるの
 だ
から、フクシマ原発事故でも、人口密度がそれよりはるかに高い日本では、同じ規模の大
 被
害が静かに進行しているのである。

  その後も、IAEAは平然と、チェルノブイリ原発事故による健康被告は、きわめて限ら

 れている、という結論をふりまいてきた。だが199年、チェルノブイリ被バク国であるべ
 ラ
フルーシのゴメリ医科大学初代学長の病理解剖学者ユーリ・バンダジェフスキー教授が、  
 「突然死と放射性物質の体内摂取の因果関係」と題して、"セシウム心筋症"が激発している
 という明白な医学的事実を発表した。その直後、バンダジェフスキー教授は故なく汚職容疑
 
で逮捕され、2001年に物的証拠が一切ないまま8年の強制労働の刑が言い渡されたのだ



  勿論、ベラルーシ政府が「少量の放射性物・質であれば安全」としていた政策を、教授が
 完全
に護す論証をしたためのおそるべき冤罪であった。のち6年後にバンダジェフスキー教
 授は、
多くの科学者の千で救済されたが、IAEAは、国際的な連携でおこなったデータ控
 造によ
って、バンダジェフスキーが明らかにした科学的事実を闇に葬ろうとしてきた。

  いま福島県民と、東京など東日本全域の住民のあいだで急速に進行していると言われるの
 が、バンダジェフスキーによって実証された放射性セシウムが筋肉に濃縮して起こる心筋梗
 塞
や狭心症など、つまり心臓に係わる病気である。チェルノブイリ事故のベラルーシ被災者
 
のあいだでは、事故から16年後に、事故前の10倍にも心筋梗塞が増加して、23年後の2
 009
年のベラルーシ全体の死亡原因の54%が心臓病となったのだ。

  この年の死因の13%が癌で
あった事実と比べれば、その影響の大きさは驚異的である。
  そして潜伏期をすぎた事故5年
後から、ベーラルーシの人口の増減は、モれまでのプラス
 から大幅なマイナスに転じて、2010
年までの20年間で7%という人口減少を続けてき
 
たのだ。

  なぜなら、全身に血液を送る「心臓」と、呼吸を続ける「肺」は、人間が生きているあい
 
だは一瞬も動きを止めることができない。心臓と肺は、この生命維持運動のために、筋肉の
 
かたまりでできている。セシウムが最も濃縮しやすいのが、その筋肉であることを、数々の
 病死者の解剖によって実証したのがバンダジェフスキーだったのである。これまで半世紀に
 およぶ放射能障害の研究調査は、主に病気の"症例の発生率"を追跡する疫学的な統計解析に
 頼っていたが、彼は違っていた。特に成人が受けるアルコールやニコチンなどの影響がほと
 んどない子供の心臓の細胞も調べ、放射性セシウムが筋肉細胞と周辺組織を破壊することを
 細胞学的に確認し、セシウムが体内でどのように振る舞うかを解剖学的な所見から初めて実
 証した学者が、彼であった。



  これからの日本人は、心臓病だけでなく、セシウムが筋肉に濃縮して生ずる全身の肉腫も
 非常に気がかりである,
  一方、茨城県鉾田市で、2015年4月10日に、イルカが150頭も座礁して打ち上げ
 られた事件があった。「自然界の異変か」、「地震の予兆か」と騒がれたが、そこは福島第
 一原発からの大量の汚染水が親潮に乗って南下する150キロほど南の海域に面した海岸で
 あった。実は、死んだイルカを解剖してみると、専門家も「見たことがない」と言うほど、
 ほとんどのイルカの肺が真っ白になって、血液が流れていない状態であった。イルカは人間
 と同じように肺呼吸する哺乳類だが、まさに心筋梗塞のような状態だったのである

                                  
ここも、"
事実は小説より奇なりなり?"である。 

                                                      この項つづく

 

 

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新日本列島改造論 Ⅰ

2015年08月23日 | 政策論

 





 恐怖感を持つ人間は、善いことよりも悪いこと
       を信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい。 

                     カール・フォン・クラウゼヴィッツ
                                       

 

日曜の夜、「ヨルタモリ」をみることが"プチ・安息日”だっただけに残念なのだが、昨年10月
にスタートしたタモリ(69)のトークバラエティー「ヨルタモリ」(フジテレビ日曜後11・
15)が9月いっぱいで終了することが21日、分かったという。開始当初から1年契約だった
。タモリの巧みな話術とシュールな世界観を楽しめる番
組として高く評価されていたという。終
日自宅作業に明け暮れていると、時空のめりはりを失調してしまいがち。「ヨルタモリ」は、街
道の一里塚、航海の無事を祈る灯台。そのような"プチ・安息日”を失うのは惜しい。
 


● カメレオンカッタ・シールド工法開発!

飛島建設株式会社が、地中に人が出ることなく安全かつ迅速にシールドマシンのカッタビットの
種類を変更し、土質の変化に応じて常に適切なカッタビットを配置して掘削することができるカ
メレオンカッタ工法を開発。粘性土や砂層では鋭利なカッタを装備して効率よく掘削し、巨礫や
岩盤ではローラーカッタに変更して破砕しながら掘削。これまで不可能だった同一のシールドマ
シンによる粘性土から岩盤に至るあらゆる土質に適応したシールド長距離掘進が可能になる。
いう。

カッタビットには、掘削した土砂を取り込むティースビット、先行して地山をほぐすシェルビッ
ト、礫や岩を破砕するローラーカッタがあり、粘性土から砂礫層までの比較的柔らかい土砂山で
はティースビットとシェルビットを装備し、地山をほぐして削りとるように掘削。巨礫や岩が多
く混入するような硬質地盤では、シェルビットの破損、摩耗を防止するためローラーカッタを装
備。ローラーカッタは、回転する刃先を巨礫や岩に連続的に押しつけて破砕。硬質な地山では不
可欠だが、粘性土や砂層では切削効果が得られないため不要となる。



そこで、地山によって使用するカッタビットが異なる土質変化の著しい工事では交換が不可欠ち
なる。従来工法では地盤改良を行ってから地中に人が出てカッタビットの交換を行っており、水
圧の高い大深度や可燃性ガスが溶存するような地山ではとても危険な作業。また地上部に重要構
造物が存在する場合には地盤改良ができず、早期の交換が不可能。ために機械式ビット交換工法
を用いてシールド機内から安全かつ迅速に全断面に配置されたカッタビットの種類を変更でき、
これにより土質に適応したシールド長距離掘進が可能となるというから感心すると共に、これを
1メートル以下の掘削ロボットに展開できると、自在に地殻掘削でき地震や火山予知や地熱発電、
地下ケーブル敷設、資源探索に役立つ。これは面白い。

  

● 現代大量虐殺史 Ⅵ 

 【縮原発論 22: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

 目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体     


                   日本における被曝隠しの黒幕――医療界と七三一部隊

  その学界の中心人物は、GHQが選んだ茅誠司であった。1949年に日本学術会議が発
 足して、ほとんどの学看が原子力研究に一烈に反対したにもかかわらず、1952年に茅誠
 司はその副会長として「原子力の研究にとりかかるべきである」という提案をおこない、こ
 れと連動して、1954年に中曽根が原子力予算を提出することになりたのである。実はそ
 の年から、茅誠司は日本学術会議の会長となって君臨し、学界の主力を原子力に傾注させ、
 さらに、1957年には東大総長となって、東大そのものを原子力研究の学府として育ては
 じめたのである。

  これと並行して、1956年元旦に原子力委員会が発足し、初代の委員長に、戦前に特高
 警察を動かしてきた内務省警察あがりの正力松太郎が就任した。続いて、5月19日には科
 学技術庁が発足し、初代の長官に、同じ正力が就任した。しかし彼らのあまりに強引で非科
 学的なやり方に、日本人最初のノーベル賞受賞者(物理学賞)・湯川秀樹が原子力委員を辞
 任した。

  茅誠司は、原発至上主義を最初に理論的に構築した第一人者であった。こうなると事実上、
 原子力推進側に日本中の学者を動員することは、きわめて容易であった。いかなる大学でも、
 教授の選任は、主に教授会が決定する。私立大学ではそれほどでもないが、特に国立大学で
 は、その教授会を教授たちが決定する、という相互連鎖反応をもった権力機構になる性格が
 ある。そこに、学者の箔づけ機関として、学術会議が隠然たる力を持っていたからである。

  原子力予算からスタートした政界と、産業界に、さらに学界が提携した日本の原発運転開
 始計画は軌道に乗り、1966年725日には、9電力会社が出資・設立した原子力専門企
 業の日本原子力発電株式会社(原電)によって、わが国最初の商業用原子炉、茨城県・東海
 発電所が運転を開始・・・・・・続いて1970年3月14日に、大阪万博の開会日に合わせて、
 原電の福井県・鶴が原発1号機が華々しく官業運転を開始した。

  同年1970年11月28日に、電力会社の原子炉として最初の関西電力の福井県・美浜
 原発1号機が運転開始・・・・・・続いて1971年3月26日に重星電力の福島第一原発1号機
 が運転を開始した(これが40年後に爆発した原発であった)。
  この時代は、歴史に無知な世代の人間が「高度経済成長時代」と呼んでいるが、実際には
 水俣病と、すさまじい大気汚染公害などによって生み出された、数えきれないほどの被害者
 を踏みつけにして、その内部から原子力発電所が誕生してきた時代であった。現在の中国が
 それと同じである。

  この時期、梅洋邦臣という男がいた。彼こそ、東海原発から、敦賀、美浜、福島、大飯、
 島根、玄海、浜岡、伊方などほとんどすべての厚子力発電所が削両・着工された時代に、科
 学技術庁の原子力局長から事務次官という官僚最高ポストまでのぼりつめ、のちの科学技術
 庁―原子力庁(現・文部科学省)をつぐりあげた生粋の原発キャリア官僚であった。この官
 僚グループが、現在の原発政策を牛耳っているのである。

  彼の長兄・梅沢邦臣は微生物化学研究会の会長となった著名な学者だった。だが、この梅
 沢純夫とともに微生物化学研究会を動かしてきた理事として、ハ木澤行正がいた。ハ木澤は、
 まぎれもなく「悪魔の七三一部隊の植物研究班」班長として満州にいた記録が残っており、
 そのあと八木澤は、梅沢純夫の弟・梅沢浜夫がいる国立予防衛生研究所(予研)に移った。
  さらに八木澤の息子たちが、梅沢浜夫所長の「微生物化学研究所」に勤務した。梅沢兄弟
 が戦時中に”七三一部隊の研究仲間”であったからだ。その予研が、アメリカのABCCを
 受け継いだ重松逸遊~長屋重信の放射線影響研究所の受け皿になったのである。




                   アメリカの首輪をつけた哀れな使用人たち

  こうして、あれよあれよというまに日本の原子力時代がスタートした。だがこれら日本の
 人脈は、すべて日本人の「戦争中の犯罪資料」を樫ったアメリカ(AEC)によって支配さ
 れ、アメリカの首輪をつけた哀れな使用人であった。原子力予算を提出した中曽根康弘も、
 予算提出の前年に渡米して、凄絶なネバダ核実験中のアメリカの原子力研究施設を視察し、
 人体実験に取り憑かれた医師がたむろするカリフォルニア大学を訪れた男であった。

  2000年末に公開された外交文書が物語るように、1969~73年にかけてニクソン
 政権の国防長官をつとめ、アジア人虐殺を展開した残忍無比のベトナム戦争を続行したメル
 ヴィン・レアードが、そうした時期の1970年9月14日に訪米した防衛庁長官・中曽根
 康弘と会談した。そして、「われわれは日米安保条約のもとで、日本防衛のためにあらゆる
 種類の兵器を使用することを公式に約束する」と発言し、日本国民が知らぬところで、はっ
 きりと核兵器の日本(沖縄)への持ちこみを約束していたのである。

  このレアードが、1984年から軍需産業マーティンーマリエッタの重役に就任したのだ。
 同社はロッキードのほか、ゼネラル・ダイナミックス軍用機部門、ゼネーフル・エレクトリ
 ッ
ク航空宇宙部門と合併して、現在世界一の軍需産業ロッキード・マーティンとなっている。
 つまり現在、沖縄県民の激しい怒りを買ってきた辺野古の新基地建設計画や、危険なオスプ
 レイ配備は、これらアメリカの巨大軍需産業がペンタゴンを支配して、指一本で大統領を動
 かし、それをまた、祖父の戦争犯罪をアメリカに握られた安倍晋三が、”駐日アメリカ大使”
 
の役をになって、ホワイトハウスにシッポをふって強行する属国メカニズムを受け継いでき
 たのである。オスプレイの危険性だけに目を注ぐのは間違いで、沖縄や日木全上の空を飛び
 交う米軍の戦闘機・ヘリコプターの墜落事故は枚挙に暇がない。沖縄の地元紙。”琉球新知”
 のカメラマンと共に、沖縄本島北部にある米軍のゲリラ戦訓練場へ調査に入った時 "ラン
  ー”のような米兵の銃に取り囲まれた恐怖を、私は忘れない。

  日々その恐怖に包まれて生きているのが沖縄県民である。、

  話を戻すと、放射能の危険性を追及していた日本放射性同位元素協会が、日本アイソトー

 プ協会と改称して、良心的な科学者を追放(パージ)し、「放射線の有効利用」を看板に、
 原発の推進組織に豹変しはじめたのが、まさに福島第一原発が運転を開始した1971年の
 8月1日のことであった。その中心人物が東大総長の茅誠司であり、彼自身が日本アイソト
 ープ協会の会長K就任し、日本原子力産業会議(現・日本原子力産業協会)の理事となって
 原子力発電を猛烈に推進した。またこの時期から、放射線医学総合研究所(放医研)も原発
 を推進する組織へと豹変しはじめた。

  読者は、2011年にフクシマ原発で未曾有の大事故が起こったあと、ほぼ10日後の3
 月24日に、福島第一原発3号機のタービン建屋の地下室で働いていた作業員3人が大量の
 放射線を浴び、福島県立医科大栄病院に遅ばれ、そこから千葉県の「放医研」に移送された、
 というニュースをど記憶だろうか。ブルーシートに隠されながら歩いていた、あの重度被バ
 クの作業者が、その後、原発推進グループの放医研に運ばれてどうなったか新聞報道がない。
 これまで被パク労働者の多くが放医研に送られているが、放医研がその被バク障害の実態を
 隠しているという疑いが濃厚である

  現在まで、この日本アイソトーブ協会を隠れ蓑にし、原子力産業によって推進された「放
 射線の有効利用」キャンペーンのため、日本はX線CTスキャン(コンピューター断層撮影
 ――Computed Tomography)の検査回数が年間数百万件と世界で飛び抜けた件数を。"誇る"
 異常な病院内の被バク国家となっている。乳房のX線撮影、血管遺影撮影、電子放射断層撮
 影などを含めた放射線Kよる医療被曝が先進国の平均に比べて2倍という高さである。

  これは、日本の医療界が「放射線によると"検査費"が病院の収入を支える」というメカニ
 ズムを生み出し、医療界・医学界、つまり大病院のほとんどの医師たちが、放射線・放射能
 の危険性を主張しなくなったことを意味した。現在のドイツで医師たちが原発反対運動をリ
 ードしてきた動きと正反対なのが日本である、という理由はそこにある。それが茅誠司の狙
 った、医学界を取りこむ日本アイソトーブ協会の目的であった。日本アイソトープ協会の後
 継者が、フクシマ事故の被バク児童を放置してきた長崎大学の長瀧重信である。ここまで述
 べた歴史が、マンハヅタン計画部隊による人体実験と一体化していたのである。

                                  身の毛もよだつ放射性廃棄物の被害

  だが、もうひとつ巨大な問題が、原子力産業の前にたちはだかっている。全世界で処分不
 能となっている放射性廃棄物である。フクシマ原発事故で放出され、東日本全域に今日まで
 放置されてきた恐陶の汚染物がそのひとつであり、福島県内では、フクシマ原発からドッと
 放出された放射監物質が、全域に分厚く降り積もった。県内では、田畑や住宅地に降り険も
 
ったこの汚染物を、土壌の表面だけ取り除き、放射性廃棄物として集めてきたが、地下や山
 林に浸透しているので、事実上、除去することは不可能である。一旦は除染しても、山林か
 ら放射性物質が流れてきて、またすぐ高い放射腺量に戻ってしまうのだ。

※土壌内部に移し替えた耕作地表土はやがて、土壌中の無数の細菌・酵素(補酵素)微生物によ
り凝縮→昆虫などの下等生物が捕食され、魚貝類・鳥類などの順番で捕食凝縮され、数年をかけ
突如として、高濃度の放射線を検出する場所や食用物が出現することは考えられる。


  いま、その表土だけを削り取った除染物が、フレコンバッグと呼ばれる大きな黒い袋に詰
 めこまれて、田や畑の真ん中K、あるいは住宅の前に、至るところで山のように積み上げら
 れてきた。そのフレコンバッグが積まれた場所は、2015年3月までに福島県内で8万ケ
 所を超え、その1ケ所ずつに何百何千というフレコンパツグが積み上げられている。ところ
 が、このフレコンパッグの耐用年数はわずか3年なので、もうすでにそちこちで破れはじめ
 ている。さらに、削り取った土に入っていた草や木の種が、袋の中で勢いよく芽吹いて、プ
 レコンバックの袋を簡嘔に破って外に顔を出しはじめている。それは、身の毛もよだつよう
 な光景である。

  さらに、福島県いわき市の西側にある自然豊かな鮫川村では、高濃度汚染物を住民に無断
 で焼却して放射能ガスをまき敵らすという、絶対にしてはならない無謀な行為をこともあろ
 うに環境を守るべき「環境省」が実施してきたのである”震災復興資金の火事場泥棒”に明
 け暮れてきた官僚の悪質さは限度を超え、もはや狂気というほかない国家だ。。原発事故の
 賠償もまともに受けられず、自宅と土地を奪われ、原発事故の関連死者が1500人を超え
 た福島県民心の不安を払拭しようと、そこにIAEAの手先が進出して、さまざまな“安全
 キャンペーン”が組織的に展開されている。一体、国会は何のためにあるのか!

  そしてついに2015五年5月には、除染も終っていない危険地帯の避難指示をすべて解
 除して強引に帰還させ、「住民への賠償金の支払い打ち切り」という方針を自民党が打ち出
 したのである。路頭にに迷って”死の行進”をさせられてきたこの福島県民が、これに対抗
 するべく、5月24日に「原発事故被害者団体連絡会(略称・ひだんれんごを結成して団結
 したので、日本の全国民も傍観せずに、手をさしのべなければならない。

  福島県以外でも、高濃度の放射能を浴びた宮城県・茨城県・栃木県・群馬県・千葉県や、
 新潟県・東京都・岩手県の一部では、除染した放射性物質が日々増え続けて2014年9月
 末に合計2万4000トンを超え、高濃度の5県では仮置き場がなくなるほどに追いつめら
 れてきた。東京23区の下水処理場で汚泥を焼却した後には、高濃厦セシウムの焼却灰も大
 量発生してきた。その汚染物の運命を教える事件が、アメリカで起こった


 
  ナイアガラの滝は、女優マリリン・モンローが”モンロー・ウォーク”でデビューした作
 品『ナイアガラ』の舞台として使われたが、この滝から15キロほど北へのぽると、ルイス
 トンの町がある。
  この町の環境問題を担当していたのが、カルビン・シュルツであった。彼は父を肺気腫で
 失い、母もまた癌で失ったあと、自分の体にも異常を認めていた。この一帯の調査は、よう
 やく1980年にはじまり、近在の家を調べてゆくと、わずか5軒の家から6人もの癌患者
 が生まれている地帯があり、調査開始後の4、5年で、癌死者はその地域で十数件にものぼ
 っていた。

  ナイアガラはアメリカ北東部にあり、ネバダの核実験場からはるかに離れたところに位置
 している。そこに、セント・ジョージと同じ放射能被バクが起こるはずはない。だが、カル
 ビン・シュルツは、一人ずつ消えてゆく身内を調べながら、葬儀屋エルマー・ピケツトと同
 じ恐怖におぴえていた。
  しかも、ナイアガラがあるニューヨーク州の南には、ペンシルヴァニア州があり、そのキ
 ャノンズバーグでも同じような被害が発生し、さらにその南に隣接するニュージャージー州
 ミドルセックスにも、大被害が認められていた。ここでは、教会の牧師館から異常に高い放
 射能が検出され、肺癌の発生率が300%にもなっていた。

  東部で隣接するニューヨーク、ペンシルヴァニア、ニュージャージ州の三州で、西部三州
 と驚くほど似た状況が生まれていた。ウェスタンからイースタンヘと、呪いが移って、セン
 ト・ジョージの怒りが、首府ワシントンのホワイドハウスヘ迫るような形で、東部を襲って
 いた。被害の形態はセント・ジョージに似ているが、東部三州での奇怪な癌死者激増の”ナ
 ゾ”はまだまったく全体像の掌握されない、パズルの初期段段階にある。被害者の実数か分
 るまでには、これから何年も要するだろう。被害はこれから先、何年にもわたってあるいは
 何十年にもわたって発生し続けると予測されるからである

  現在までに調べがついているのは、これらルイストン、キャノンズバーグ、ミドルセック
 スの三つの町かアメリカの放射性廃棄物の捨て場所だった、ということである。たとえば
 ナイアガーフ近くのルマストンでは、晩業物から発生する手に負えない放射性ガスがコンク
 リートの建物から漏れ出し、あるいは廃棄物そのものが流れ出して、一帯を汚染した。この
 発癌性の放射性ガスは、どのような手段をつくしても、人類には封じこめることかできない。



  このような大量の気体(※ラドンガス)は、最後には漏れ出してしまう。

  ルイストンで放出された放射性ガスは、安全基準値の4万倍に達していた。原子力発電の
 おもな利用者が大都会に集中しているなかで、まだ誰もこの放射性廃棄物の呪いから逃れる
 方法について答を出していない。地球が廃棄物であふれかえる時代へと移りゆく様子を、東
 部の諸州が暗示している。
  日本では、47都道府県のどこに放射性廃棄物を埋めるというのか


ここまで読み終えて、福島第一原発の事故の廃棄物処理は単に日本国内の問題でなく、米国・ロ
シアの核大国を中心とした核ごみのグローバル化として全人類に影響を及ぼすものであことを再
確認することとなった。「核ごみの玉突き衝突時代」の幕開けである。


                                   この項つづく 
 



【新日本列島改造論 Ⅰ: 無線給電ハイウェイ時代をリード】

ブログでも取り上げてきたが、無線給電高速道路(一般道)が、英国で、ワイヤレス給電により
電気自動車やハイブリッド車などに“走るだけ”で電力を給電するための道路の実現に向け、今
年年末より実証実験を開始する。これらの中で、充電インフラについては設置数の拡大が進んで
いる状態で、走行可能距離についても距離の伸長は続いており、問題は解決しつつある一方、最
後まで課題として残りそうなのが充電時間が問題となっている。急速充電器などが徐々に登場し
つつあるものの、電池の構造的に現在のガソリン自動車のような短時間の充電を実現するには、
多くの技術革新が必要となり、現状では長い期間がかかる。

 

英国の交通大臣であるアンドリュー・ジョーンズ(Andrew Jones)は、動きながら充電できると
いう可能性は、低排出ガス自動車に大きな可能性をもたらす。英国政府ではこの技術の実証に5
年間で5億ポンド(約千億円)を用意する。これらの取り組みにより、家庭や企業が低排出ガス
自動車を導入しやすくすると言う。

実験は準備が整い次第、2015年末ごろまでに開始する計画。試験は約18カ月継続し、その結果を
受けて、一般道における試験に移行する。試験では高速道路を完全に複製し必要なワイヤレス技
術や電気自動車などを調達するために最適な事業者を応募する。事業者が全て決まった時に、試
験計画の詳細を公表する。

 

すでに、韓国では一部実用化されているが、ソーラーロード(舗装)構想がオランダで実証実験
が終了し、ドイツではソーラー防音壁の実証実験に入る。すでに、10年前に、構想区道路の防
音壁・舗装・法面をソーラー化する社内でプレゼンした(仮称:「万里の長城構想」)経験もつ
が、そこに、通信及び動力ケーブルの埋設化と、道路(舗装)の凍結防止・融雪の敷設、あわせ
て、蓄電設備の埋設・内包化を行なった上、全国の主要高速道路のリニュア工事を実施する構想
をこのブログで提案してきている。これに、新幹線の軌道基礎部や法面の発電・蓄電機能を追加
して
ここに改めて『新日本列島改造論』として再提案する。

※ 白血病などの腫瘍罹患などの電磁波障害などのリスクを完璧にクリアすることを前提として
  の構想である。






ところで、電力チャージ料金はどうするのか?水素燃料車と併存はどうするのか?と言う疑問が
残ったが、前者は、給電量のカウンタとその使用量の自動申請の通信システムで対応かのであり、
オールソーラシステムが完備すれば、無料化も実現可能だ。後者は、当面、併設で対応すればい
いと考えるが、無料化も自動車税+消費税+所得税+法人税で対応すれば高速道路は解決するだ
ろう。



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澱粉滓からエタノール

2015年08月22日 | 時事書評

 





  どんなに長くても、夜は必ず明ける。  / シェイクスピア  『マクベス』 


 

  

● 川内原発1号機でトラブル 出力上昇延期へ 
 
九州電力は21日、11日に再稼働させた川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)の復水ポンプ
付近でト
ラブルがあり、21日に予定していた出力上昇を延期すると発表した。25日には原子
炉の熱をフル出力
する「定格熱出力一定運転」を予定していたが、遅れる。1号機は現在、通常
の75%の出力で運
転、21日中に95%へ上昇させる予定だった。現在、75%の出力を維持
したままトラブルの原因を調べているが、
復水ポンプは、蒸気が発電タービンを回した後に蒸気
を冷やし水に戻して循環させる装置で、
ポンプの出口で水質を監視する「電気伝導率」の数値が
上昇。伝導率は冷却水に海水などの塩分が混入した場合に上昇すると九州電力は話している(毎
日新聞 2015.08.21 11:00)。

九電によると、20日午後2時19分、発電に使った蒸気を冷やして水に戻す「復水器」と呼ば
れる装置を流れる水に異常があることを示す警報が鳴った。関連する機器や水質を調べた結果、
21日朝、復水器の中の水に微量の海水が混入していると推定したという。
蒸気を冷やすために
取り込んでいる海水を流しているチタン製の細管に小さな穴が開いたため、海水が漏れ出した可能性が
あると説明し、放射能の漏れはないという。

原子炉は、加圧水型原子炉だとすると下図の「復水器」(12)ないの電気伝導度が上昇したと
いうことな
のだが、原理的には一次冷却水系と二次冷却水系間の漏水があれば放射能線量が上昇
すので検知で
きるはずだ。

因みに、二次側圧力は157気圧(320℃)程度だとされる(詳細不明)。報告通りであれば
問題はないが、高圧高温のため、いったん炉心溶融が起これば、配管がその分破れやすく、水を
失うスピードも速く、冷却機能喪失からメルトダウンまでの所要時間が沸騰水型に比べて短いと
されている。どうだろう?
 

  

● ジャガイモでバイオエタノールをつくる

新エネルギー産業総合技術研究機構(NEDO)は、中国・国家発展改革委員会とジャガイモの
でんぷんの残りかすからバイオエタノールを製造する技術の導入に関する基本協定書を締結した
と発表(2015.08.19)。中国政府はガソリン消費量を抑えるため、20年までにバイオエタノー
ルを10%混合したガソリン(E10)を全土に普及させることを目標にしている。その目標達
成に、燃料用エタノール製造の拡大を推進する方針。一方で、米国での事例を踏まえ、食料価格
の高騰を避けるため、トウモロコシなどの食料からのエタノールを生産するプラントを新設させ
ず、非食料からバイオエタノールを製造する。

この実証事業の製造プロセスの特徴は、ジャガイモでんぷん残りかすが、でんぷん質とセルロー
スが複雑に絡み合んだ構造を持ち、一般の酵素では糖化できないのだが、今回実証に用いるアク
レモニウム糸
状菌が分泌する複合酵素で、ジャガイモでんぷん残渣を分解(糖化)するため、エ
タノール製造できる。また、無水化技術は、ゼオライト膜脱水システムなど世界最高レベルの純
度を実現する脱水システム技術を適応する。

※ 特開2011-193773  改変候補遺伝子の探索方法 独立行政法人産業技術総合研究所
※ 特開2014-226574  水溶性有機物の濃縮方法及び水溶性有機物の濃縮装置



日立造船と双日を委託先とし、中国の黒龍江省における「馬鈴薯澱粉残渣からのバイオエタノー
ル製造実証事業」を14年3月まで実施。同実証事業は産業技術総合研究所が保有
するジャガイ
モのでんぷん残りかすの糖化・発酵技術と、日立造船の総合プラントエンジニアリ
ング能力と膜
分離によるエタノール化無水技術、双日総合研究所のバイオマスに関する知
見活用し燃料用エタ
ノールを生産し、これらの実証実験の成果を、ショーケースとし、中国の東北地方をはじめとし
たジャガイモ産地でのバイオエタノール製造技術の普及を広げていくという。これは楽しみだ。

  

● 現代大量虐殺史 Ⅴ 

 【縮原発論 21: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

 目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体                         

                  世界最初の原子力発電がスタートした


  このカルテルには、東西の国境がなかりた。それぞれの国が莫大な国家予算を平和利用名
 目で食い荒らし、暗躍をはじめたのである。ソ連で原子力発電に大きな貢献をしたのが、1
 930
年代のスターリン恐怖政治の主役をつとめたアンドレイ・ヴィシンスキー検事総長で
 あった。”ソ連速建国の父”レーニンの側近としてロシア革命に参加したジノヴィエフやカ
 ー
メネフを、スターリンの大粛清によって処刑に導いたヴィシンスキー検事総長が、外相あ
 る
いは国連の首席代表として世界を動かす一方、ソ連国内では原子力に没頭したのである。

  ビキニ水爆から半年後、1954年9月23日、被バクした第五福竜丸の無線長、久保山

 愛吉さんが急性白血病によって40歳の若さで死亡した。一般に4シーベルトを被バクすれ
 ば
「半数が死亡する」とされるが、久保山さんの推定被バク線量はそれを超える5シーベル
 ト
であった。現在の年間限度1ミリシーベルトの5000倍である。彼の命を奪った最期の
 直
接の死因は肝臓障胃だったが、久保山さんの肝臓障害による黄疸症状は、明白な放射線障
 害
のひとつであった。久保山さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」との遺言を
 残
して、この世を去っていった。この重大事件の波紋が日本全土から世界中に広がって、て
 1
月28日には、原水爆禁止署名運動全国協議会が、「原水爆禁止署名者が2008万人
 超
えた」と発表した。当時日本の人口は8800万人余りなので、国民のほぽ4人に1人
 い
う、今日まで歴史上例のない驚異的な人数であった。




                      核実験で子供の癌死亡率が6倍に


  実は、のち1972年に日本癌学会で東北大学医学部公衆衛生学部初代教授・瀬木三雄
 が発表した次頁のグラフに示されるように、日本全国の5~9歳の子供の癌死亡率が、全世
 界の核実験によって6倍(600%)にも増えていたのである。そしてこの小児ガン罹患率
 は1970年代から2000年代の現在に至っても変らず、今も6倍の高い率が続き、5歳
 以上の子供の病死原因の第一位がガンなのである。大気中の核実験と原発事故によって増大
 した”自然界にあふれる放射能”によって、日本でも子供たちが数えきれないほど癌に冒さ
 れているのだ。

  アメリカとソ運が敵対関係にあった東西冷戦時代に、全世界で大気中の核実験が528回

 おこなわれたと言われるが、アメリカのブルッキングス研究所の分析によれば、その核実験
 の放射能による癌の死亡者の総数は、最高240万人に達する可能性があり、すでにその多
 くが死亡しているという。このようなことを発表しないアメリカのシンクタンクが1998
 年末に明らかにした調査結果だから、数字の信憑性は高いが、その240万人に”原発によ
 る被バク死者”も含むという疑いがある。

                    (中略)

  
中国が、ソ連のスバイだったクラウス・フックスから教えられた技術を導入して原爆実験
 に初めて成功した1964年、スタンリー・キューブリック監督が『博士の異常な愛情―
 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という映画を公開
 した。

  この映画は、アメリカとソ連が、最後に核戦争を起こすまでを、狂気の核戦争を叫ぶ”水
 爆の父”エドワード‘テラー博士をモデルに、徹底的に皮肉った抱腹絶倒のパロディー作品
 であった。テラーはマンハッタン計画に参加したのち、戦後はロスアラモス所長オッペンハ
 イマーをおしのけて水爆開発の中心的存在となった男だった。(後略)




          ついにIAEA(国際原子力機関)が誕生し、WHOを支配した

  かくして、日本から原水爆禁止運動が全世界に広がり、そこにソ連の原子力発電スタート、
 という1一つ目の革命が起こった。そのため、これらの動きを取りこんで、原水爆反対の勢
 いを世界的にコントロールするため、1957年10月26日、アメリカのAEC(原子力
 エネルギー委員会)が主導して、国際原子力機関(IAEA:Intemational Atomlc Energy
   Agency)が、「国連」の自治機関として誕生したのである。「原子力の平和利用を推進し、
  軍事転用を防止する国際機関」という名目で股立されたのだ。
  軍事転用の防止とは、すでに”原水爆を持っているアメリカとソ連とイギリス”(および
 この3年後に原爆を持つフランスと、7年後に原爆を持つ中国)による原水爆の独占、とい
 う意味であった。「国連安全保障理事会の常任理事国以外の国は、原水爆を持ってはならな
 」と。

  これがまさに、ユタ州セント・ジョージで大量の癌死者が発生しはじめた時期であった。
 言うまでもなく、この経過のなかで誕生したIAEAは、国連の安全保障理事会に従属する。
 軍事的心な組織であった。IAEAのロゴが、原水爆実験を繰り返したAECのロゴと同じ
  アトムマークだったことが、その正体を示していた。つまり事実上、第二次世界大戦の戦勝
 国が、資本主義国か、共産主義国か、洋の東西を問わず、核兵器開発を独占するための国際
 シンジケート組織であった。日本で使われている国連(国際連合)という名称は、英語で“
 United Nations” である。本来は第二次世界大戦の連合国という意味であり、国際連合では
 ない。そのため、安全保障理事会の常任理事国とは、その戦勝国のアメリカ・ソ連(ロシア・
 イギリス・フランス・中国のことであり、横暴にも彼らだけが国連の決議に対して「拒否権
 を持っている。

  国連は危機を煽るのが好きであり、彼らは核兵器に異常な愛情を持っている。国連のユニ
 セフは「飢餓児童の救済」キャンベーンをテレビで展開しているが、「こんな偽善の前に、、
 飢餓を生み出す兵器の取り締まりに全力を注ぎげ!」と言いたい。日本の評論家も政治家も
 大体、軍事的危機を煽るのが好きである。そして危機を煽れば煽るほど、冷戦で対立する張
 本人の”米ソの権威が確立される”のである。その彼らにとっては、資本主義も共産主義も
 ない。東西で手を握るべき共通項となる仮面が、いまやIAEAの掲げる[原子力の平和利
 用」という謳い文句であった。


これは以前からわたし(たち)が、既得権益勢力と、これと結託した「国際官僚群」と呼んで
るものであり、5大国主導から参加国の民主的運営主導の「国連改革」が急務だと主張してき
た。
その1つが"国連による刀狩り"、つまり、武器輸出の禁止、核兵器廃絶であり、日本国民は
粘り
強く、ソフト・パワーに依拠した"積極的平和主義"を政府・非政府組織の双方で展開すべき
もの
と考えている。



 

  そして2年後の1959年5月28日、全世界の人類の健康を守る機関であるはずの国連
 のWHO(世界保健機関)が、新組織IAEAと早くも協定を綿んでしまうという于際のよ
 さだった。この協定によって、IAEAが独占的な、原子力の世界的権威と位置づけられ、
 WHOは、実質的に原子力の分野で独立した医学調査を実施することが禁じられたのである。

                    (中略)

  一体、誰が、このようK理不尽なことを仕組んだのか?
  このIAEAの創設を主導したアメリカのルイス・シュトラウス(ストロース)は、マン
 ハッタン計画の残党が集結したAECで、アイゼンハワー政権時代に自らAECの No.1で
  ある委員長に就任し、ネバダの大気中核実験を強行して大量の被パク者を生み出し、西部の
 住民を殺してきた最高責任者であった。その男が、原子力発電の大宣伝に奔走したのである。

  ロスチャイルドー族のマーチャント・バンク「ターン・レーブ商会」でパートナーと呼ば
 れる最高幹部だったのが、そのルイス・シュトラウスであった。
  こうした背景の中で人選がおこなわれ、すでに述べた”殺人人体実験医”ハミルトンと共
 に、1936年に白血病患者に放射性ナトリウムを静脈注射した医師ロバート・ストーンが、
 放射能の安全基準を定めるICRPの幹部となり、国連のWUOで放射能被曝問題の最高顧 
 問となったわけである。

  さらにこれらと連動する形で、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSC
 EAR)が、チェルノプイリ原発事故からフクシマ原発事故の現在に至るまで、世界的な被
 バク容認の組織として機能する母体となってきたのだ。
  こうしてICRPに対する助成金は、IAEAから投入され、さらに経済協力開発機構(
 OECD)の原子力機関をはじめ、WHO、国際放射線防護学会(IRPA-lntemalioul Ra-
  diadon Protection Association
)などの放射線学会、さらにはイギリス、アメリカ、ヨーロッパ
 共同体(現EU)、スウェーデン、日本、カナダなど、各国の原子力マフィアが牛耳る機関
 が拠出して、主に西側諸国が金銭的に支配し、被バクの安全論を普及する広告塔として屹立
 するようになった。
  原子力産業“Atoms‐for‐Peace”とは文字通り核兵器産業であった。 


                   日本における被曝隠しの黒幕――医療界と七三一部隊

  こうして、古い歴史から現状まで見た通り、AEC・・・・・・ABCC……ICRP……IA
 E
A・・・・・・WHO、さらにAECを受け継いだ組織であるNRC(原子力規制委員会)とD
 OE
(エネルギー省)といった巨大組織がアメリカから次々と生み落とされ”放射能の”安
 全性"
を宣伝する活動に「権威」として君臨してきた。

  われわれは、一世紀におよぶ被害者の声から、科学的・医学的に、放射能に安全という言

 葉がないことを、誰もが知っている。ところがこの「権威」たちが、"危険性"を、医学的
 根拠のない"安全性"という言葉で表現することによって、大衆を誘導してきた。それが
日本
 では、テレビと新聞を挙げて、今日も続いているのでおそろしいのである。

  では、そのIAEA-ICRPと組んで"安全性"を頷っている、目の前にある日本の組
 を見てみよう。経済産業省(旧・通産省)は、明白な”原発推進官僚グループ”であるか
ら、
 エネルギー論を前面に打ち出して、産業顕から原子力産業を育成・統括してきた。

  だが、以下の組織虻ついては、あまり広く知られていない。

 「放射線医学総合研究所」(放医研)――
 「日本アイソトープ協会」――
 「日本財団](旧・笹川財団)――
 「放射線影響研究所」(放影研)――
 「文部科学省」――とは何者であろうか。

  どのようにして、日本の原子力産業は、ICRPとIAEAを日本国内に手引きして、彼

 らと同じようなこれらの組織を生み出してきたのだろうか。それを知るには、人間の固有名
 詞を追跡するのが、最も的確な方法である。具体的には、こうである。驚いてはいけない。
  実は、二次大戦中に、日本も原爆開発に取り維んでいたのである。敗戦濃厚だった大日本
 帝国の軍部にとって、原曝開発こそが起死回生の"神風"であり、軍部内で二つの原子爆弾
 発計画か進められていたのだ。陸軍の「ニ号研究」と、海軍の「F号研究」であった。睦軍
 は1941年4月に、陸軍航空本部が理化学研究所(理研)に原子爆弾の開発を委託し、直
 ちに"原子核物理学の父"仁科芳雄に、原爆製造に関する研究を指示した。これが、仁科の名
 を取った「二号研究」であった。理研には、仁科芳誰のもとに、朝永振一郎(のちのノーベ
 ル物理学賞受賞者)たち多数の物理学者が揃っており、東京帝国大学、大阪帝国大学、東北
 帝国大学の研究者も参加したが、マンハッタン計画の45万人に対して、実勅人員はわずか、
 20人余りでしかなかった。1942年ごろから本格的にウーフンの採掘と、濃縮実験やナ
 チス・ドイツヘのウラン輸送依頼などで研究を進めていたが、1945年3月10日の東京
 大空襲で理研が焼失し、すべてが一瞬で泡と消えた。




  海軍では、海軍大臣傘下の艦政本部が、京都帝国大学の教授に「原子爆弾の可能性の研究」
 を委託し、核分裂(fission)に因んで「F号研究」と命名した。京大グループには湯川

 秀樹(のちのノーベル物理学賞受賞者)たちがいた。そしてウランを調達するために、右翼
 
の国粋大衆党総裁・笹川良一(のちのA級戦犯容疑者)の仲介で児玉誉士夫が海軍航空本部
 嘱託となり、上海に軍需物資調達のための組織「児玉機関」をつくり、児玉と関係したアジ
 ア産業が朝鮮でウランに目をつけ、1944年には上海でウランを入手して、これを遠心分
 離機で濃縮を試みたが、最終的に何の実りもなく失敗に終った。

  やがて敗戦から9年後、奇しくも1954年3月1日にビキニ環礁で巨大な水爆が打ち上
 げられた翌日、3月2日に、改進党の代議士・中曽根康弘を中心とする保守三党が原子力予
 算三億円を衆議院に提出して、これが成立した。内訳は、ウラン235の数字に因んだ原子
 炉建設費2億3500万円のほか、ウラン資源調査費、資源や利用開発のための費用などで
 あった。参議院でもこれが自然成立し、これにより日本の原子力開発がスタートしたのであ
 る。国会に初めて原子力予算が上程されたこの古い昔の出来事は、頭から完全に忘れ去られ
 てよいのだろうか。

  この予算成立からわずか4ケ月後の1954年7月1日に、防衛庁(現・防衛省)が設置
 され、戦後の日本に初めて、実質的な軍隊として危険な武器をにぎりしめ、自衛隊が発足し
 たのである。つまり、1946年のチャーチルの”鉄のカーテン”演説享冷戦の幕が切って
 落とされ→南太平洋の原水爆実験開始→1950年の朝鮮戦争開戦→米軍が朝鮮戦争に33
 万の兵を韓国に投入。ネバダの原爆実験開始、という流れに組みこまれ、米軍およびAEC
 (原子カエネルギー委員会)と共に歩む今日までの歴史を刻みはじめた国が「日本」であっ
 た。朝鮮戦争の死者は、数々の推定が出されているが、1953年7月27の休戦までの、
 3年間で100万~500万人という膨大な数であった

  その結果、この累々たる死者を踏みつけにして進められたのが、米軍から日本産業界に発
 注された軍需品の「朝鮮特需」であった。それが戦後日本の経済復興の起爆剤となり、占領
 地・沖縄における米軍基地のすさまじい危険性を放置し、日本自身が山のように近代兵器を
 買い集め、製造し続けることになった発端であった。

  1954年に日本の国会に初めて原子力予算が上程されたその年に、A級戦犯容疑者とし
 て、笹川良一岸信介らと具に巣鴨刑務所に収容されていた正力松太郎が読売新聞社の社主
 に復帰した。全世界で大気中の核実験がおこなわれ、地球全土で核実験反対の猛烈な運動が
 展開されたこの時期、彼らがいっせいに復帰できたのは、占領軍のアメリカが、日本人の戦
 争犯罪者を軍事的に利用する下心のためであった。

  朝鮮戦争の勝利のために全力を注いでいた日本占領軍のGHQ(連合軍本部)は、195
 1年9月8日にサンフランシスコ対日講和条約と日米安全保障条約を締結して、形だけは、
 "日本の独立"と、日本国憲法の。不戦’を認めながら、この安保条約によって米軍が占領地・
 沖縄に駐留できることを日本に約束させ、ここから全世界に出撃できる後方基地を確保した。

  そしてネバダの咳実験と連動しながら、一日本の夥しい数の戦争犯罪者を免責し、一度解
 体した戦時中の軍事財閥を復活させる」という一連の取引きを進めたのである。
  さらにこの取引きに前後して、生きている中国人たちに細菌実験をおこなった石井四郎
 "悪魔の七三一部隊"の犯罪者たちを免責した。アメリカ軍部は、細菌戦争や毒ガスのデータ
 を人手するため、七三一部隊からひそかに聞き出した戦時中の日本の細菌資料をアメリカに
 持ち帰ったのだ。この七三一部隊の残党が原発に関与してくるのである。この戦犯免責の機
 会に力を得た正力は、さらに衆議院議員に転じ、初代の原子力委員長に就任して、戦前の隠
 然たる勢力を回復させることに成功した。日本の原子力開発は、アメリカのAECの息がか
 かったこのような人脈によって急速に進められた。

  そして1954四年に、ビキニ環礁で第五福竜丸被バク事件が起こった翌日、野党・改進
 党の中曽根康弘斎藤憲三の両代議士が学界や世論を無視して、原子力予算案を衆議院に突
 如提出し、与野党三党(自由党・日本自由党・改進党)の共同修正案として衆議院を通過し
 て、日本の原子力開発がスタートを切ったわけである。しかしこの時代はまだ水力発電と石
 炭火力の時代であり、ようやく石油火力に向かおうとしていた時期なので、電力会社は電力
 需要の急拡大をまかなうことに必死で、原子力にはまだほとんど関心がなかった。

  ビキニ水爆実験による「第五福竜丸被バク事件」をきっかけとして、わが国に原水爆禁止
 の大運動が展開された時代……1957年7月に、放射線医学総合研究所(放医研)が設立
 された。「放射線の人体への影響、放射腺による人体の障害の予防、診断と治療、放射線の
 医学的利用に関する研究開発などの業務を総合的におこない、放射線医学に関する科学技術
 の水準の向上を図る」、との名目であった。

  そして、がっては原子力の平和利用を主張していた物理学者・武谷三男氏が『原水爆実験』
 (1957年)、『安全性の考え方』(1967年)などを出版して、アメリカの原水爆実
 験による放射能汚染の放置を痛烈に批判し、さらに『原子力発電』(1976年、いずれも、
 岩波新書)で原発の危険性を論破した。 

  亀井文夫監督が1957年にドキュメンタリー映画『世界は恐怖する――死の灰の正体』
 を描いたなかに、日本放射性同位元素協会の良心的な科学者たちが登場していた。当時これ
 ほど放射能の危険性を全世界に訴えた日本の科学者たちが、中曽根の原子炉予算の国会提出
 後、なぜ突然、原子力に走りはじめたのか?「学者がぐずぐずしているから、札束でほっぺ
 たをひっぱたいてやれ」という中曽根のひとことでメンバーが大幅に入れ換えられ、良心的
 な科学者が学界から追放された、とされている。天才物理学者・武谷三男氏が、この危険な
 暴走する原子力政策に異議を唱えて彼らと訣別したのが、この時代であった。 

  それまで核実験の放射能汚染を追跡してきた科学者集団は、日本放射性同位元素協会に代
 って、1971年に名称が日本アイソトープ協会となり、X線や医療用放射性物質を"善玉"
 として見せることによって.巧みに日本中にバラ色の原子力という夢をまく役割を果たしは
 じめた。この国民洗脳テクニックは、アメリカとヨーロッパで使われて成功した方法そっ
 
くり輸入したものであった。


                                   この項つづく

   ● 今夜の一枚

彦根市の特産「彦根梨」が収穫の最盛期を迎えている。彦根梨は熟した時期に摘み取るため、糖度
が高いのが特徴。市内では21軒の農家が「筑水」「幸水」「豊水」の3品種を栽培。今年は気温が高く、晴
天が続いたため実が多くつき、甘みも十分。
  

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現代大量虐殺史 Ⅳ

2015年08月21日 | 時事書評

 





   永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。  /   中国のことわざ



 

● 日光下でも金属が熱くならない塗料

金属製の屋根に塗ると、日光を跳ね返して屋根が大気と同じ温度に保つたれるシリコン塗料が話
題となっ
ている。また、半導体使われる二酸化ケイ素を使用しているため樹脂などのように紫外
線劣化がなく耐候
性に優れている。シリコン系圧電素子などの製法開発に携わってきた(特許出
願1件)、米ジョンズ・ホプキ
ンス大学応用物理学研究所のジェイソン・ベンコスキは金属面を
岩でコーティングするようなもので、数十
年どころか、数百年もつ可能性があると話す。90%
の太陽光エネルギーを反射するニューヨークで「ホワ
イト・ルーフ・プロジェクト」が進められ
建物の屋根を白く塗ることで、夏期のエネルギー使用量を10〜40パーセント削減する(「温
暖化阻止へ7つの解決策:白い屋根」
)が、この発明品はさらに効率が高く、白い塗料は3年程
度で劣化し反射効率が1/2まで劣化する。

もともと、この開発品は、軍艦の寿命を延ばす目的で米国海軍研究局から委託を受けた軍産共同
開発品。(1)日光を反射し金属面温度を低く保つことで金属腐食
を抑制するだけでなく、(2)
建物のエネルギー削減効果もあるという文字通り一石二鳥となるが、ガラスやコンクリート、岩、
グラスファイバー、さらには樹脂塗装面に断熱効率向上でき、さらに、「エアピュアペイント」」
(下図)のような、ホルムアルデヒドのや光化学物質の窒素酸化物の分解する機能を付加させる
ことも可能だ。



尚、この日本でも類似商品や新規考案(特許)もあるが、この発明品の商品化には5年ほどと話
すが、それ
では遅すぎるだろう。




● ポルトガル共和国で自動ディマンドレスポンス実証へ    

ポルトガルは、再生可能エネルギーの比率31%を目指している。14年の第一四半期には電
需要の約70%を風力発電や水力発電を中心とする再生可能エネルギーが占め
、欧州でも有数の
再生可能エネルギー大量導入国。今後、風力発電・太陽光発電の導入増加を見込む。日本政府

ポルトガルのスマートコミュニティの実証プロジェクト(16~18年度)を共同で推進の基本
協定書締結。
 

この事業では、リスボン市内の公共ビルや一般家庭などで、空調機器を需要に応じ、自動運転管
理することで、快適性を損なわずに電力需給調整(=自動ディマンドレスポンス)を行う。
手動
ディマンドレスポンスでは、電力需給調整量が不確実となるが、自動調節することで確実性を確
保し、再生可能エネルギーの大量導入に伴う電力需給安定化ニーズに応える。
また、電力調達価
格の高い時間帯から低い時間帯へと需要のシフトを行い経済性の確保のシステム化目指す。

 尚、実験委託先には、株式会社エヌ・ティ・ティ・データ、ダイキン工業株式会社、株式会社日
本総合研究所の3社が選らばれ、16年1月まで実証前調査し、16年度から実証事業開始する。


特開2012-235644
電力シミュレーション装置、電力シミュレーション方法、電力シミュレーションプログラム

 

 

   

 【縮原発論 20: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

 目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

 

  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた

                 ソ達の汚染地帯が現在の日本人に教える4つの危険性

  チェリャビンスクー帯の住民にはおそらく、膨大な数の癌患者と白血病患者が発生してい
 たはずだ。アメリカはこの事故を重視して調査をおこない、軍がさまざまの機密文書を握っ
 ていると伝えられる。その中には、。死の部隊〃と呼ばれる囚人がチェリャビンスクに駆り
 出され、惨事の後始末に従事した顛末が記録されているという。
  しかしその囚人たちは、どのような服装で現場に臨み、作業を終えたあと、どのような末
 路をたどったのか。ソ連の科学者は、その姿を見ていたはずだ。アメリカの軍部とCIAも、
 AECも、かなりの事実を握っていたはずだ。しかし、公表されず、西側諸国は、むしろメ
 ドベージェフの推理に激しい攻撃を加えてきた。イギリスの原子力委員会議長のジョン・ヒ
 ル卿は、単なるサイエンス・フィクションだと決めつけ、アメリカのロスアラモス研究所は、
 池に投棄した廃棄物が乾燥して飛び敵ったか、化学反応による爆発だろう、と推論して、メ
 ドベージェフの考えを必死に否定してきた。

  メドベージェフは、ソ連の反体制活動家として母国を追われたが、本人は普通の市民的な
 感情から活動したにすぎない。反体制ではあっても反ソ的な屑を持たない。むしろソ迪を愛
 していた。その科学者が故国の悲劇を伝えようとした時、なぜ西側の原子力関係者がメドベ
 ージェフに攻撃を加える必要があるのだろう。

  彼自身、この疑問に答えていた。

 「東側と西側を問わず、これは都合の悪い事件である。原子力発電の廃棄物が重大な問題と
 なっている時代に、大事故を暴露されてはまずいだろう」
  それを証明する事実として、こういうことがあった。アメリカの大統領アイゼンハワーの
 孫娘スーザンが、ソ連崩壊直前の1990年2月に、ソ連の物理学者ロアルド・サグデエフ
 と結婚した。サグデエフは宇宙計画の専門家を装っていたが、モスクワ大学を卒業してただ
 らにソ連の原爆開発に従事した危険人物で、フルシチョフ~ブレジネフ書記長の冷戦時代に
 10年にわたって超秘密機関のシベリア核物理学研究所で所長の職にあった。特に重要なの
 は、”エリャビンスク40”
で1957年に大爆発か起こり、アメリカでCIAがすぐにこ
 れを知りながら、その史上最大の惨事の真相を何年にもわたって米ソ両国が隠し続けたとき
 の責任者であった。その1957年――それはアイゼンハワーが大統領だった冷戦(ネバダ
 の核実験)時代である。その男が、アイゼンハワー大統領の孫娘と結婚した、ということに
 なる。

  以上すべては、わが図でも訳書が出版されているメドベージェフの著書『ウラルの核惨事』
(梅林宏道訳、技術と入間)に集録されている事実と、それに対する考察である。
            

            CRPが誕生し、放射能の危険性を隠しはじめた!

  自由世界の盟主を自認するアメリカの原爆産業は、このようにソ連の原爆産業と内通しな
 がら、ソ連と敵対するポjズをとってきた。その手前、国際的な立場からは、共産主義国・
 ソ連が一九回九年に最初の原爆実験に成功した重大事に応えなければならなかった。
  そこで翌年の一九五〇年、放射能の危険性を追及してきたIXRPC(国際X線および・
 フジウム防護委員会)が、名称を1CRP(国際放射線防護委員会― Lnkrna6onal Commissi-
     on on Radiologjcal Protection
)に改称したのだった。そして、人間がどれだけ放射縁を
浴びら
 れるかという許容量の値を改定したのである(150頁の「ICRPの沿革」年表を参照
された
 い)。これが、現在まで続く、ICRPの"安全論”が誕生した時であった。


  この改組は、ネバダ州での核実験が開始される「前年」のことである。
なぜこのような組
 織の変更と、許容量の変更が必要であったか?

  南太平洋ピキニの核実験で、大汚染が起こって住民の体にすさまじい大被害が出ており、
 翌年にもネバダで大気中の原爆実験をはじめようとする時期であった。そのため、この時、
 当然のことながら、放射線医学と放射線遣伝学の専門家に被バク問題を任せておくことがで
 きず、AECの原爆開発部隊の下部組織NCRP(アメリカ放射線防護委員会)が、ICR
 Pの委員に続々と加わって、放射線被バクを正当化しよ5とする巨大な軍事勢力が、この委
 員会を完全に乗っ取った。その結果、委員会が『放射能の危険性を隠蔽する組織』へと変質
 したのが、まさにこの時であった。

  分りやすく言えば、NCRPのN(Nation-アメリカ)を、I‐(lntemational ‐国際)
 に取り替えただけの組織が、ICRPであったのだ。
  人体の医療・予防医学より、原爆製造の利権を維持することが主たる目的だったからであ
 る。このICRPが、現在の全世界の放射線”安全基準”の作成者となって、大手を振って
 歩き出したのがこの時代であった。東西の緊張が高まれば高まるほど、核兵器の開発は容易
 になる、

  そして原爆利権が原子力発電の利用へと移ってゆこうとしているなかで、彼らに必要とな
 ったのは、”放射能の安全論”であった。そこで、数々の人体実験をおこなってきた科学者
 が所有しているデータに目がつけられた。
  ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基
 準が設けられ、1954年には暫定線量限度15ミリシーベルト、1958年には線量限度
 5ミリシーペルトを勧告したのも、それが目的であった。一般人に対する基準が新たに設定
 されたことに対して、アルベルト・シュバイツアー博士は、「誰が彼らに許容することを許
 したのか]と憤ったが・・・・・・

  その基準設定に関与した一人、おそるべき主導者となったのがジョゼフ・ハミルトン(Jo-
  seph Gilbert Hamilm
)であった。彼こそ、先に述べたプルトニウム人体実験で中心的な役割
 を果たした医師であった。このフヽルトンが、カリフォルニア大学の放射線医学の権威と
 して、白血病患者に放射性ナトリウムを静脈注射したのは、原爆製造計画が指導するよりも
 3年も前の、1936年のことであった。これが、おそらく「放射性物質を人体に注射した
 世界で最初の出来事」として知られている。

  そして戦時中のオッペンハイマーによる”50万人放射能殺戮計画”では、ハミルトンが
 実作業の中心にあって、マンハッタン計画の研究プロジェクトの主任をつとめた。だが一方
 ハミルトンは、核兵器とは関係のない分野でも、アメリカ国立保健局(NIH)の放射線生
 物研究部長という重要な役職にあって、彼の死後に明らかにされた事実として次のことがあ
 った。

          いつまで殺人医師のデータに子供たちの生命を賭けるのか

  現在チェルノブイリ原発事故やフクシマ原発事故の被害者をはじめ、国際的に問題となっ
 ている原子力発電の放射能被曝量は、ICRPが定めた安全基準、いわゆる閾値と呼ぱれ、
 癌などの発生限界をもとに危険性が議論されてきた。その基礎となりだデータは、「広島・
 長崎で分析された被湯量が大きな算定基準になった」と言われてきたが、実はおそるべきこ
 とに、この人体実験医ハミルトンの指導のもとにカリフォルニア大学クロッカー研究所から
 大半のデータが供出されていた。つまり彼が、核実験を主導したAECと、ICRPの放射
 能許容値データの大半を作成して、放射能の”安全”基準を生み出し、大量の被バク者を見
 殺しにしてきたのである。

  さらに、このハミルトンとカリフォルニア大学バークレー校の同僚で、X線など外部被曝
 の権威であったバートラム・ロウービーアは、ICRPが生まれた1950年には、この分
 野でパイオニアの『放射性同位元素の臨床使用』という本を書いた。この"臨床"(クリニッ
 ク)という医学用語は、患者に対して病床で直接の処置をすることである。
  事実、その執筆の3年前に、黒人患者の病床に彼が突然姿を現わしてプルトニウム注射
 立ち会い、またわずか4歳の少年が彼の手でプルトニウム人体実験にかけられていたのだ。
 そして1951年に隣のネバグ州で核実験がスタートすると同時に、カリフォルニア大学バ
 ークレー校の「放射線安全委員会の初代委員長」に就任し、大量の被バク者を生み出した重
 大責任者が肢であった。

  ハミルトンとともに、1926年に白血病患者に放射性ナトリウムを静脈注射した医師
 バート・ストーンもまた、カリフォルニア大学に放射線科を設立し、「放射線研究所の所長」
 としで1964年まで君臨した重要人物で、「放射能の安全基準を定めるICRPの幹部」
 だったばかりか、「国連のWHO(世界保健機構)で放射能被曝問題の最高顧問一であった。
  勿論、彼も核実験時代KAECの要職にあって、ユタ州住民を殺してきた。
  いま人類は、これらの殺人医師のデータに子供たちの生命を賭けている、ということにな
 る!

 

   第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体

          水素爆弾が生まれ、原子力の平和利用の言葉が登場した

  こうして原爆産業が、あらゆる被バクの実害を隠す努力を続けた時期、戦後7年目に、南

  太平洋の空か大きく燃えあがった。今度は、これまでとはスケールが異なる出来事だった。

  人類最初の『水爆』マイクが1952年10月31日
に南太平洋の島エニウェトクを吹き
 飛ばした
のである。これまでの原爆は、キロトンで爆発力を表現していたが、今度はその千
 倍の「メガト
ン」という言葉が使われた。マイクは、10・4メガトンであった。
  広島原爆のおよそ700発分という驚異的な規模の爆発力であった。
  さらに翌年、独裁者スターリンが死んでから5ヶ月後、1953年8月12日には、アメ
 リカを追っ
てソ達もシベリアで初の水爆実験に成功した。

  アメリカとゾ連が成功した水爆とは、水素爆弾のことであった。
  水爆の爆発メカニズムはさまざま応考えられているが、爆弾の内部で、まず起爆材のウラ
 ン・プルトニウムの原爆を爆発させる。すると、爆弾内部に超高温度の熱が生まれ、同時に
 大量の中性子が飛び出す。これを使って、連鎖的に大量のプルトニウム原爆をつくり出し、
 それらが生み出す2億度以上という高熱で、最終的に「水素の核融合」を同時におこなわせ
 る、というのが基本的なメカニズムであった。これらの原爆→原爆→水爆が一斉に連鎖的に
 爆発するのだから、天文学的なエネルギーを生み出す。

  核融合発電とは、このとてつもない高温で生まれる巨大な核融合エネルギーを、炉内でお

 さえこんで電力を取り出そうというのだから、あり得ないことを夢想しているだけである,
 半世紀たっても成功しないのは当たり前のことだ。水爆は、(無責任に)ただ爆発させるか
 ら、核融合が可能なのだ。



  アメリカでは、マンハッタン計画に参加していたエドワードこアラーが、この水爆開発の
 中心人物となった。ソ逓では、原爆実験の成功後に登場してきたのが、アンドレイ・サハロ
 という若き学者であった。後年、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ・グラスノスチ
 (改革・開放)の動きのなかで民主化運動の英雄のどとく讃えられたサハロフだが、この男
 こそ、水爆という人類最大の凶器を独裁者スターリンに捧げるために骨折った男であった。
  
 
 さて、現代につながる原子力の物語は、いよいよこれからがIAEAの登場する時代――
 本当の幕開けであった。ソ連が水爆
に成功した大事件を受けて、4ケ月後の1953年12
 月8日に、アメリカのアイゼ
ンハワj大統領が国連総会で演説し、「原子力の平和利用(At-
    oms‐for‐Peace
)」を宣
言し、国連を柱にした国際機関の創設を提唱したからである。彼ら米
 ソは、互いに軍
事的な対立を利用しながら核兵器に巨大予算を投じてきたが、今度はもう一
 方の手で、この演説から原子力発電の時代へと急カーブを
切り、さらにモの先にある巨大な
 利隆に食らいついていった。ついに、「原子力発電の時代」に
幕を切って落としたのである。

  それは、マンハッタン計画部隊を引き継いだAECと二大財閥にとって、大量のウランの

 採掘・精錬から、原子力発電所の巨大ブラントを建設する機械・土木ビジネス、さらに電力
 会社が全土から電気料金を吸い上げるエネルギー産業の誕生へと、果てしない利益を約束す
 る輝かしい未来、つまり新たな暗黒時代のスタートであった。


          ビキニで第五福竜丸が被バクした"水爆マグロ”の恐怖!

  このシラジラしい平和演説から3ケ月後、1954年3月1日、マーシャル諸島ビキ二環
 礁でアメリカニ発目の水爆、ブラヴォー実験がおこなわれた。今度は一発目の水爆よりさら
 に巨大で、15メガトン、広島原爆のちょうど1000倍の爆発力であった。
 100万キロワット出力の平均的な原子炉は広島原曝の1000倍の死の灰を一年で生み
 す。その一年分を一瞬で作製させるのが、この一発
のビキニ水爆であった。

  現地マーシャル諸島のロングラップ島の住民は、太
陽のように輝く放射線の閃光を直接に
 浴び、順にドッ
と降り注いだ死の灰によって、大量に破パクした。米軍は、風下にあたるピ
 キニ東方沖にいたアメリカの艦
艇には万全の措置を取って、風ドを避けて80キロメートル
 南に移動するよう勧告していなから、マーシャル
諸島の住民は、何ら警告を受けずに放射能
 雲に包まれ
たのである。そしてすさまじい被バクをしたあとに強制移住を命じられ、避難し
 たのはようやく3月3日のことであった。直接の閃光を浴びて被爆した住民は、その後、飲
 み水と食べ物を通して死の灰を取りこみ、体内被曝を受け続けた。

  それ以降も、この人たちは充分な治療も受けずに、核実験のモルモットとして太平洋を流
 浪させられ、現在まで甲状腺癌など数々の疾病にもがき苦しんできた。
  この水爆は、直径か100キロメートルに達する巨大なキノコ雲を立ち昇らせた。100 
 キロは”東京駅~富士山”の距離なので、われわれにはそのトテツモナイ大きさを想像する
 ことができない。だがそのキノコ雲が空を厦った時、静岡県焼津漁港所属のマグロ漁船――
 第五福竜丸」が南太平洋に遠洋出漁中で、ビキニ環礁の東方160キロメートルの海上とい
 う近い距離にあって、漁船員たちも閃光を受け、霊のように真っ白い死の灰を浴びて、すさ
 まじい放射能に被バクした。

  2週間後2月16日、新聞が「第五福竜丸が水爆の放射能で被災した」というニュースを
 報じた。この日、東京築地の魚河岸で、第五福竜丸から水揚げされたマグロから強度の放射
 能が検出され、マグロはただちに廃棄された。
  このニュース以後、東京と大阪の中央魚市場で、ぞくぞくと多数の魚から放射能汚染が発
 見され、日本全土に「水爆マグロの恐怖」が広がった。北海道最北端の宗谷岬から九州最南
 端までの距離で正方形を描いたほど、太平洋の広大な範囲が”漁業危険海域”に指定された。

  この水温実験当時、ビキニ周辺の海域で操業していた日本の漁船は膨大な数にのぼり、実
 際に汚染が発見された漁船の数は900隻前後とされ、出漁した漁船の水揚げ魚が検査され、 
 廃棄された魚は数百トンに達した。調査分析から、魚の内臓の放射能汚染が顕著であること
 が判明したのである。日本人の主な動物性タンパク源である水産物全体に対して、全国民の
 恐怖心を呼んだこの事件は、食卓が警戒心と拒否反応を起こし、魚鱗が半値以下に暴落して、
 水産業だけでなく、レストランや食堂などの飲食業界に甚大な損害を与えた。その影響は長
 期間におよび、マグロ漁業は壊滅的とも言える被害を受けた。

  アメリカは、AEC(厚子カエネルギー委員会)がこの水爆による放射能大汚染を調査し
 て、翌年に報告していたが、すべて機密扱いとした。それどころかAECは、日本人の反米
 意識の高まりに対して、「廃水の放射能はいずれ無害になる」……「第五福竜丸の船員の皮
 膚障害は、放射能によるものではなく、珊瑚によるものである」……「アメリカでは、太平
 洋から水揚げされた魚で放射能汚染されたものは、一匹も見つかっていない」などと非科学
 的な暴言を次々と発表した。

  ところがアメリカの缶詰輸入業者は、自分の国の政府が大嘘をついていることを知ってお
 り、日本からの輸出マグロに、厳しい検査を要求していたのである。
  この時代に、国際的な組織のICRPと並行して、日本にも各種の放射能研究組織が誕生
 することになった。戦後間もない日本は、ヒロシマーナガサキの被爆国であり、当時はその
 被害のおそろしさが日本人に広く伝えられ、当時私は小学生だったが、その子供でさえ放射
 能の危険性を常識として、アメリカとソ連を憎んでいた。この3年前の1951年5月1日、
 現在の9電力体制が発足したと同じ日に、日本放射性同位元素協会が設立されていた。そし
 て、この協会が、1954年のビキニ被バク事件を受けて、”原水爆実験反対運動”の先駆
 者として活躍し、全世界に先駆けて放射能の危険性を告発したのである。

  さらに1954年5月9日には、東京・杉並区の主婦が中心となって原水爆禁止のための
 杉並協議会を結成し、原水爆反対の巨大な全国署名運動をスタートした。特に、福島県原町
 (現・南相馬市)生まれの亀井文夫監督が、1957年にドキュメンタリー映画『世界は恐
 怖する――死の灰の正体』を製作し、そこに日本の良心的な科学者が登場して警告を発した。

                  世界最初の原子力発電がスタートした

  ところがビキニ水爆と同じ年、1954年6月27日に、ソ連が「世界最初の原子力発電」
 を、モスクワから南西100キロメートルにあるオブュンスク原子力発電所で開始したので
 ある!電気出力は5000キロワットの、現在から見れぽごく小型のものだったが、その意
 味は大きかった。東西の軍需産業が冷戦を利用して、裏で手を組み、原子力発電によるウラ
 ン・カルテルの国際的な巨大利権が動き出したのだ。


水爆実験に成功した情報を入手したとき、最高権力者の心中はいかなるものであっただろう。お
そらく、"無敵幻想"を実感したんだろう? と、その後どう考えたろう。米ソで世界の盗掘手順
を考え、それが冷戦となりオセロゲームが開始され、それに伴い核拡散が始まり、そして核の平
和利用としての原子力発電が建設されていくが、それにつれ使い勝手の悪いものになって行き、
核開発の20世紀の物理学に終焉が告げられる・・・・・・。それでは、次回も第8章。

                                    この項つづく

 

   ● 今夜のアラカルト

おや? これはと目がとまる。キュウリがやすく大量に入手できる季節。一工夫したレシピはない
か思案
していたところ、料理愛好家の平野レミが「きゅうりの冷え冷えパスタ」を紹介していた。
材料一人分で、カッペリーニ/80グラム、きゅうり/2本(200グラム)、あとは、ツナ/1
缶(70グラム)、マヨネーズ/小さじ2、レモン汁/小さじ1、塩/小さじ2分の1、黒こし
ょう/少々、そして、オリーブオイル。つくりかたも簡単。(1)
きゅうりは粗めにすりおろし、軽
く水けをきり、凍らせておき、(2)カッペリーニは袋の表示どおりゆで、冷水にさらし水けをきり、(2)用意し
た材料と、(1)の半量を混ぜ、器に盛り、残り半量のきゅうりをのせ、オリーブ油をかける。というもの。こ
れは、素麺やフォー(米粉麺)でも可。早速、トライすることに。 

● 今夜の一品 こんなの欲しかった

音と振動で周囲の魚を呼び寄せるデバイス「The Fish Call」が、クラウドファンディングサイト
Kickstarterにて登場。電源を入れて水面に投げ込むだけで、魚を呼び寄せてくれて、非常に多く
の魚を釣り上げることができるというすぐれもの。釣りの一大革命だ!

 

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現代大量虐殺史 Ⅲ

2015年08月20日 | デジタル革命渦論

 





 当時は強力に軍拡を推し進めたレーガン政権下。
          プルトニウムの増産が求められ、安全性や環境などはおかまいなしだった。

                                             ケイシー・ルード



 

● スプレー缶・ガスボンベ廃棄禍

札幌市が、ごみとして収集する使用済みスプレー缶などについて、今後は穴開けされていない状
態で回収することが17日、分かった。現在は、ごみとして出す市民に穴を開けるよう求めてい
るが、同市内で穴開け作業が原因とみられる死亡火災が2年連続で発生したため改める。10月
から清田区の一部を対象に試験的に導入し順次、全市に拡大する。同市は、使用済みのスプレー
缶やカセットボンベなどについて、市民に対して穴を開けた上でごみステーションに出すよう求
めている。ごみ収集車の中で圧縮され、残っているガスが火災や爆発を引き起こす恐れがあるた
め。同市内では、昨年3月と今年5月、自宅で行っていたスプレー缶などの穴開け作業が原因と
みられる火災が発生し、計3人が死亡。死亡火災が相次いだことを受け、回収方法の変更を決め
た(北海道新聞 2015.08.18)。



我が家では、使用済みスプレー缶の穴あけ器を常備し、屋外で穴を開け指定の廃棄物集積所へ持
ち運び処理している。ただ、そういう作業に心得のない方は間違いを犯す危険性が大い
あるが、
(1)自治体単位での注意喚起運動、(2)二酸化炭素ガスなど不燃性ガスにす
べて切り替える
法整備、(3)このようなケースのように自治体が回収するなどの3つの選
択肢が考えられる。
ただ、札幌市は対策費のコストを問題にしているが、"は地球より重し"を考慮すればクリア
―――この経費を、民間・民営・官営で行うかは別次元の問題――
できるはずだと考える。それ
でもコスト高で問題だというなら、応益税の消費税を充当――
ただし、地方への税の移譲が進ん
でいない法制度を改正する必要がある。こうのようなきめ
細かな対応能力は日本人の特徴なのだ
が。

 

● 高性能スパコン立国 ニッポン

計算科学センター内に15年6月末までに「Suiren Blue(青睡蓮)」として稼働を開始した国産超
小型スパコン。わずか1.6平方メートル程の非常に小さな室内設置面積に、 超小型の液浸冷却
槽1台と冷媒循環用の配管だけの極めて小規模な構成(「ExaScaler-1.4」)となっている。理論上
の最大演算性能は倍精度浮動小数点演算で428TFlopsである。このスパーコンピュータをはじめ
とした日の丸スパーコンピュータが快挙を果たす。スーパーコンピュータの省エネ性能を競う国
際ランキング「グリーン500」で、上位3位までを日本のスパコンが独占。上位20位に日本
のスパコン8台が入り、日本の省エネ技術の高さが評価された。

 

※  TFlops, GFlops/WFlops Floating-point operations per second の略、1秒間に実行できる浮動小
  数点数演算の回数を示す。1TFlops の場合、1秒間に1Tera(テラ:1兆(10の12乗)の単位
  )回の浮動小数点数演算を行う。また、Flops/W は電力1ワットあたりの演算量(
Flops)を示
  す指標。1GFlops/Wの場合、1Wの電力を用いて、1秒間に1Giga(ギガ:10億(10の9乗)の
  単位)回の浮動小数点数演算が行える。



  
ムーアの法則の進行が鈍化しているのと時を同じくして、データを処理するための需要が過去最
高。世界の全データの90%強が過去2年間に蓄積され、データセンタが米国全体の電力量の2
%を消費。最適温度で大規模サーバーファームやスーパーコンピュータを維持、経済性と環境的
見地から費用がかかる。特に、東日本大震災
後、省エネが叫ばれるなか、東京工業大学は油冷の
"Tsubame KFC"のアイデアが生まれる。スーパーコンピュータは、テキサス州オースティンを拠
点とする"Green Revolution Cooling " によって開発された "CarnotJet"と呼ばれる鉱物油系冷却ソリ
ューションを採用する。一昨年11月 ”Tsubame KFC”
は、引火点が高い、危険物該当外の油で
最もエネルギー効率の高いマシン。旧マシンと比べ50パーセントと高性能である。

 

内部では、システムが丸ごと油に浸かっている状態で油を循環する。システムからの熱を奪った
油は、水冷式の熱交換器で冷やされる。この熱交換器によって水が奪った熱は、屋外の冷却シス
テムで冷却する、という仕組みる。今後、この熱を回生エネルギーとして活用することも考え。
冷却は、外気温や湿度などに影響される。気温26℃
の空冷よりも、28℃の油を冷媒とした方
が冷え、半導体温度が低くなることでリーク電流が減少し、システムとし消費電力削減に繋がる
(東工大、省エネランキング二冠の油浸スパコン「TSUBAME-KFC」を解説-TSUBAME 2.5
年換算1,000万円以上の電気料金削減, PC Watch、 2013.11.25 )。

US 8305759 B2

発表は15年前期の評価で、一定の消費電力当たりの計算性能を比較。1位は理化学研究所が民
間企業と共同開発し、今年6月に試験稼働を始めた「Shoubu(菖蒲)」。2位、3位はいずれも
高エネルギー加速器研究機構などが開発した「Suiren Blue(青睡蓮)」と「Suiren(睡蓮)」だっ
た。搭載されたプロセッサ「PEZY-SC」は、1チップ内に世界最大級の1,024個の演算コアを有す
ことで超並列演算を可能とし、倍精度浮動小数点数演算1.5TFlops の演算性能を実現。PEZY-SC
は、
プロセッサ単体で見た場合の消費電力効率が 25GFlops/Wで世界最高レベルの省電力性能を達
成。スパコン「Shoubu(菖蒲)」は、この「PEZY-SC」を
合計1,280個使用し、システム全体の理論性能として、
2PetaFlops 級の演算能力を有す。

また、今回、省電力性能が高い順に並べ替えたGreen500リスト(8月1日)では、システム全体の
電力効率として 7,031MFlops/Wを記録、世界1位にランクイン。同様に 「Suiren Blue」は 6,842
MFlops/W
で2位、「Suiren」は 6,217MFlops/Wで3位にランクインする。中国製のスパコン「天
河二号」の消費電力は原発1基百万キロワット分に相当するが、世界動向は、「演算能力×低消
費電力=高性能(=日の丸プロセッサ「PEZY-SC」)の競争力に舞台は移っていく。
 

   

 【縮原発論 19: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

  目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた   

               

            チェリャビンスク40番地に起こった凄絶な惨劇

  ネバダの核実験B期間直後の一九六〇年、アメリカの偵察用U2型機がソ連の領空に侵入
 し、いま述べたチェリャビンスク近くの都市で撃ち落とされ、パイロツトのフラフンシス・
 パ
ワーズが捕虜となった。しかし彼は何を調べるため、その都市まで危険な飛行を試みたの
 か。

  1976年11月4日号のイギリスの科学誌”ニュー・サイエンティスト”に発表されヨ
 ーロッパとアメリカに大センセーションを巻き起こした事件があった。これは一人のソ連人
 が報告した、「ソ達における放射能大災害」であった。その後、”ロサンジェルス・タイム
 ズ””インターナショナル・ヘラルド・トリビューン”、”ッガーディアン”、イブニング・
 スタンダード”、”デイリー・テレグラフ”、”ロンドン・タイムズ"、"エルサレム・ポス
  ト"、"タイムズ"
などが、日を追ってこれを克明にレポートした。

  この事件が、現在のわれわれ日本人に重大な警告を与えるのである。

  この事件の真偽については、なぜか敵方のアメリカCIAが、執拗にこの「ソ連の不祥事
 を告発するソ達人」に対してするどい反論を加え、全世界の原発シンジケートが、そのCI
 Aの肩を持ち、それだけにまた欧米のジャーナリストが応酬して激論をたたかわせる、とい
 った図式で大綸争がくり広げられた。だがスリーマイル島原発事故が起こった1979年に、
 このゾ達人が事実経過を1冊の本にまとめて発表し、すべてのデータを突きつけた時には、
 これに反論できる者はいなかった。





  このソ連人は、ジョレス・A・メドベージェフ。

  彼はモスクワの大学で生化学部長をつとめ、放射能と生き物の結びつきを研究していたト
 ップ・クラスの科学者だったが、その事件について事実を知りすぎ、そのほかさまざまの内
 容を地下出版によって報じたため、1970年に”精神病者”として強制収容されたが、作
  家のソルジェニツィンらの必死の救援活動によって20日後に救い出された。しかしその1
 2年後、イギリスヘ渡った時”非国民”としてソ遠の市民権を奪われ、帰国できなくなった。
  メドベージェフが明らかにしたその事件とは、ソ連のチェリャビンスク地域に起こった巨
 大な放射能汚染だった。

  しかし、正確にいつ、どこで、どのようにこの大事故が起こったかを知る者は、ほとんど
 いなかった。かなりの数にのぼる科学者が動員され、動物や植物がどれほど汚染されている
 かを調べる作業にあたったが、調査の結果は最高機密に属し、公表を一切許されなかったか
 らである。
  メドベージェフは、そのチェリャビンスク現地に作られた汚染研究所で、研究室の室長を
 つとめるよう要請された。しかし、”自分がそこで見聞きしたことを誰にも語ってはならな
 い”という秘密主義に不審を抱いた彼は、その要職を断り、本来の研究を続けたのである。
 それでも、その地域の放射能汚染がただごとでないことは、職業がら目を通す文献から感じ
 とることができ、仲間からの秘密の会話を通じて確信できた。

  問題は、何が、いつ、どこで起こったか、である。

  数多くの科学者がひとつの”不思議な放射能汚染地帯”を追い、データを発表しながら、
  それらのデータがすべて「場所」と「期日」について口を閉ざしていた。しかも「実験的
 に放射能で汚染してみたところ、結果は・・・・・・」と言いながら、たとえば巨大な湖を
 汚染させるというような、通常では考えられない出来事が次々と引用されていた。

 「これは、実験ではない。大事故があったに違いない」

  メドベージェフは仕事のかたわら、緻密に科学文献を調べてゆき、この汚染の全容をつき
 とめる作業に精力を注いだ。メドベージェフが握った最初の鍵は、数多くのデータのなかに
 共通するひとつの嘘を発見したことにあった。
  放射能の汚染の単位を、千倍もいつわって小さく書いてきた科学者の一人が、ある時、書
 き替えを忘れたのか、生のデータを提出してしまい、それが公式の文書にプリントされた結
 果、ひとつの仮説を追跡中のメドベージェフによって秘密をあばかれたのである、背後から
 突然、肢がカーテンをまくり上げた時、そこに群を成して事を論じ合っていた異様な科学者
 グループの手には、つぎのようなデータが握られ、まぶしい光を当てられた数字が、いくつ
 もの事実を語り出したのだった。メドベージェフが嗅ぎつけた恐怖の大事件は、ウラル山脈
 のちょうど裏側に位置する、チェリャビンスクの町近くで起こっていた。

                     (中略)

  わが国で言えば栃木県の中禅寺湖ほどの広さを持つふたつの湖全体から、放射性物質のス
 トロンチウム90などがぞくぞく検出され、1000億リットルの湖水がすっかり放射能づけ
 になっていることから、オビ川から北極海に至る数千マイルの河川が汚染されていることも
 明らかだった。
  一帯の動物を捕獲してみると、トナカイ、鹿などの大きなものから、毛皮に使われるイタ
 チ類、野ネズミに至るまで、広大なステップ地帯の生き物が放射能で汚れきり、カエル、カ
 ブト虫、クモの類はほとんど完全に死滅していた。

  湖の鯉、スズキ、カマスからも異常な放射能が出ていたが、戦慄を覚えるのは、湖水のな

 かを普通に泳ぎまわっていた魚の体内放射能が、水中の放射能に比べて平均1300倍の濃
 縮度を示し、最高4200倍になっていた事実である。それでも、地球上で最初の脊椎動物
 として誕生した魚類は、死ななかった。
  さらに、行動範囲の広い鳥類も、カササギ、ムクドリ、スズメ、カモ、ライチョウ、フク
 ロウ、キツツキ、ツグミなどがすべて汚染され、中央ウラルと南ウーフル全域で、鳥の狩猟
 が
何年にもわたって禁止されていた。鳥は風に乗って飛んでゆくが、放射能雲もまた、この
 風
に乗って運ばれる。アメリカで起こったスリーマイル島原発の事故のときには、鳥がバタ
 バ
タと空から落ちた。鳥は、最も被害を受けやすい動物である。
 
  樹木は、ポプーラ、松、モミなどが枯れたり落葉していたが、根さえ残っていれば、やが
 て新しい芽を吹き出す不思議な生命力を見せた。もうひとつの不思議は、蟻が生き残ってい
 たことである。木の根と、蟻、すなわち地中の生物たちが、なにか魔力を秘めているかのよ
 うに地獄のウラルで生き続けたのだった。

  さて、肝心の人間はどうなったのだろう。どこへ消えたのか。

  自由世界へ逃げのびた民間人ふたりの証言によれば、汚染地帯近くの町の病院へ診察を受
 けに行ったところ、医師から聞かされた話は戦慄すべきものだった。”放射能汚染”の犠牲
 者であふれ、モの人たちは特別病棟に軟禁されたまま一歩も外へ出ることを許されず、ほか
 の患者との会話は禁じられ、誰一人その病棟へ立ち入ることも許されていなかったという。
  この証言者の一人は、当時おなかに子供を宿していたが、人工中絶を余儀なくされた。
  それらの病院は大きく、数百のベッドを持ちながらすべて満員で、近在の大都市のあらゆ
 る病院もまったく同様の状況にあり、二年後になっても患者であふれ、やがて、数千人の患
 者のほとんどが死んでいったという

  一帯の強制退去者は数万人におよび、実際の死者の数は、いまだに不明である。
  そこは、かつて風光明媚な土地柄で、ロシア人が愛し、人口流入のはげしい場所だったが、
 ある年から人口が激減し、メドベージェフが収容所に入れられた1970年当時になっても、
 その30数年前の人口より少ない状態であった。周囲の都市では人口が3倍近くに増えつつ
 ある中で、そこだけ人口が減っていた。 

  メドベージェフが解き明かした謎の答とは、1957年秋から冬にかけて、チェリャピン
 スク40番地で、大量の放射能をまき散らす "大爆発”が起こった――というものだった。
  1957年といえば、アメリカではネバダの大気中核実験が終ろうとする時期にあたる。
  メドベージェフがわれわれの前に再現してくれたこの年の地獄のウラルとは、次のような
 ものだったのである。

  二次大戦が終った翌々年(1947年)、ソ連では、プルトニウム生産用の大型原子炉が
 南ウラルで運転を開始したが、ソルジェニツィンの『ガン病棟』(新潮社)に描かれている
 通り、これら原子力施設けすべて囚人によって建設されたものだった。たとえば、放射線生
 物学囚人研究所という無気味な名称の機関もあった。
  この南ウラルが、ソ連で最初の核兵器製造センターとなり、プルトニウムエ場(わが国で
 言えば茨城県・東海村や青森県・六ケ所村にある再処理工場と同じもの)がここに建設され、
 燃料棒から取り出された高レベルの廃棄物がみるみる蓄積していった。
 
  この大惨事について、メドベージェフが下したひとつの推論は、こうである。

  重要なのは、原爆の原料として取り出したプルトニウムではなく、無用の高レベル。液体
 廃棄物だった。これを処理していた時に漏れた液が、わずかずつ地中にしみ込んでいったた
 、その土のなかにプルトニウムの原爆が自然に形成されてゆき、ある日、それが危険
な限
 度を超えたとき大爆発を起こしたと考えられる、と.言うのである。このように荒唐無稽な
 話を誰が信じよう。

  しかし、これは理論的に起こり得る現象である。

  どくわずかのプルトニウムが排水の中に含まれてしまうことは、現在でも技術的に避けら
 れない。近代科学最高水準のテクノロジーをもってしても、”1000分の5”のプルトニ
 ウムは技術者の手から縄ぬけしてゆく。このわずかO・5%のプルトニウムでさえ、わが国
 でも原子力発電の2015年6月現在の出力4220万キロワットから計算して、毎年ナガ
 サキ級原爆を10個つくれるプルトニウムが廃棄物の中に入ってしまう勘定になる。

  その液体が漏れた場合、地面に吸いこまれ、特定の深さのところで、特定の部分に、プル
 トニウムだけが異常に密集してくる現象が起こる。その密集したプルトニウムがひとつの塊
 になり、一定の量(連鎖反応の臨界量4キログラム)に達すれば核爆発を起こすのである。
 プルトニウムが泥のなかに集まってくる……集まれば過熱してくる……過熱すれば濃縮され
 る……濃縮が限度に達し、ついに土中で原爆が作裂し、冬期に50センチもの厚さに凍りつ
 いた土を破って、空中高く噴出した。
 
  これはメドベージェフの仮説のなかの、ひとつに過ぎない。彼はほかにも、さまざまの可
 能性を提唱している。しかし、高レベルの廃棄物が原因であるという主張は一貫して変らず、
 彼はそれを緻密に立証している。 

           ソ達の汚染地帯が現在の日本人に教える4つの危険性

  メドベージェフが伝えた事件は、われわれ日本人に予期しないおそろしさを、いくつも教
 えている。つまりこれらの教えは、フクシマ原発事故があった福島県で、ほとんど同じよう
 な状況があることを感じさせる記録である。
  第一に、放射能の汚染が広がるのを防ぐため、また、事件のパニックを小さくするため、
 あらゆる強行手段が取られ、そのなかに寡黙の被害者(病人の群)がとりこまれ、ソ連では
 ”現地の人間が早く死ぬよな処置”を誰もが祈り、そうした処置が素早く実行されたことで
 ある。

  ――福島県内では、同じようにパ二ックを小さくするため”放射能安全キャンペーン″が
 大々的に展開されてきた。ソ連のチェリャビンスクでは、「ここから30キロのあいだ、絶
 対に自動車をとめず、最高速度で通過せよ万車から外に出ることを禁ず」という立て札があ
 ったが、福島県も同じだ。福島第一原発がある双葉町と大熊町だけでなく、近隣の浪江町、
 富岡町、葛尾村、飯舘村の6町村では6万人を超える全住民がほかへ避難したまま、人はい
 ない。その大汚染した原発敷地のすぐかたわら、数十キロにおよぷ完全な無人地帯のゴース
 トタウンを通過する国道6号線と常磐自動車道の危険地帯が2014年から開通し、そこを
 通過する自動車は、「車からおりてはならない」とされ、おりると警備員が飛んできて警告
 するのだ。半世紀前のチェリャビンスクとまったく同じである。ところが、そこにいる警備
 員本人が一番危ないのに、日本人ドライバーも報道界もそれが異常であると感じないほど、
 徹底した”女全キャンペーン”に麻輝している。これこそまさに近隣住民を寡黙の被害者(
 病人の群)に向かわせる死の行進である。

  第二に、カモなどの渡り鳥をはじめとする動物と、河川が運ぶ水によって、チェリャビン
 スクの汚染を食い止めることは不可能だった。そのため動物たちに数々の異常が発生したの
 である。
  ――福島県内でも、フクシマ原発事故が発生した年の夏頃、ほとんど鳥の姿が見えなくな
 ったと「野鳥の会」のメンバーが語っていた。こうした異常は、鳥の餌となる小さな虫が激
 減したことも原因と考えられるが、大混乱していた事故直後の鳥類に関して正確な統計資料
 はなかった。しかしアメリカのサウスカロライナ大学の生態学者ティモシー・ムソー教授た
 ちは、事故があった2011年の7月から福島県内の放射線量が高い浪江町や飯舘村などで
 調査をはじめ、2013年までに鳥類の数が滅少していることを突き止め、減少の度合いが
 チェルノプイリ汚染地帯の2倍になっていることを明らかにした。

  また琉球大学の調査によれば、沖縄県と比較した場合に、福島県地域でチョウチョ(ヤマ
 トシジミ)に明らかな異常が認められ、放射能の影響が第一世代から第二世代にもおよんで
 いることが陳かめられている。また日本獣医生命科学大学の調査では、福島県内の野生のニ
 ホンザルは、セシウムによる体内放射能が異常に高く、内部被曝しているニホンザルほど、
 赤血球・白血球の数が少なく、免疫力が半減している個体が発見されており、子ザルにまで
 影響がおよんでいた。

  さらに東京農工大学などの調査では、原発から40キロメートルの二本松市のカエルの体
 内放射能は、最高1キログラムあたり6700ベクレルを超えるものが発見された。特筆す
 べきことだが、鳥類やウサギなどを調べてきた福島県猟友会によれば、地中の野菜や小さな
 生物を食べるイノシシは「食物連鎖(生物濃縮サイクル)の上位」にあるので体内放射能が
 突出して高く、それが歳月と典に増え続けて、事故から2年後の2013年には1キログラ
 ムあたり6万ベクレルという驚異的な数字を記録した。こうした自然界の調査は、何十年に
 もわたって続けて初めて結論が出るので、真の恐怖を知る人たちは、次の世代以降である。

 


  第三に、メドベージェフの”爆発仮説”とまったく同じ事態が、アメリカのハンフオード
 再処理工場でも発生し、貯蔵タンクから漏洩したナガサキ原爆100個分のプルトニウムが
 地表に蓄積され、核爆発寸前の危険な状態になっていたことがあった。また1986年9月
 29日には、ハンフォードでプルトニウム臨界事故が起こり、核爆発寸前で食い止めたのだ。

  全世界の再処理工場が高レベル廃棄物を大量にかかえながら、さまざまな未知の危険性と
 隣り合わせに存在しているのである。
  ――茨城県・販海村と青森県・六ケ所村の再処理工場に蓄積されている大量の高レベル放
 射性資質は、フクシマ原発と同様に、大地震などで停電すれば冷却不能となって、水素を発
 生する液体なので、いつ爆発してもおかしくない超危険な状態にある。その不安定な液体が
 かかえる放射能の量は、セシウム換算で、フクシマ原発事故で放出された原子力安全・保安
 院推定量の実に80倍(東海村)と35倍(六ケ所村)である。一挙に日本全土が壊滅する
 「チェリャピンンスクと同じ綱渡り状態」のままなのだ。次の大地震が迫っているというの
 に一体、日本人は何をぼんやりしているのだ。 



  第四に、ソ連のセント・ジョージ、いや、セント・ジョージでさえ比較にならないほどの
 大惨事を起こしたチェリャビンスク40番地だが、ウラルのパズルは解かれない。
  というのは、ソ連では、放射能被バクの遺伝研究が禁止されていたからである、スターリ
 ンと、その後を継いだフルシチョフ首相は、ソ連国内での遺伝学を禁止したのである。遺伝
 学が禁止されたのは、悪名高い農学者ルイセンコの唱えた学説に負うところが大きかった。

  近代遺伝学のなかで世界的に受け入れられていた染色体遺伝の法則に対して、あろうこと
 かルイセンコという男は、それが "ブルジョワのいかさま科学”だと非難し、まともな学者
  を秘密警察に密告しながら、やがてソ連の農業を牛耳る帝王の座についてしまったのである。
 彼のため、多くの有能な科学者が拷問にかけられ、シベリアの収容所で殺されていった。
  ――そしてわが国でも、フクシマ原発事故の被害に関して、遺伝的な影響については、ほ
 とんど禁句となっている。メンデルの遺伝の法則を考えれば、当然世代があとになるほど、
 症状が顕現する比率が高くなるはずだが、その大被害が解明されないまま、被曝地帯の子供
 たちの体内に引き継がれているのである。 


毎日毎日、おびただしい資料に目を通すのは、体力がいると実感しているここ1週間。索引不足
もあり、そこは推論で裏データをとっているが、もうここでやめようと思っている自分を責める
もう一人の自分がいる。"静かなる大量虐殺”という言葉が、ふと浮かんだ。
   

                                        この項つづく
  
 

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現代大量虐殺史 Ⅱ

2015年08月19日 | 時事書評

 




 暴力は嘘によってのみ秘密にすることができる。また、嘘は暴力によってのみ 維持される。

                                            アレクサンドル・ソルジェニーツィン

  


【時代は太陽道を渡る Ⅷ:太陽光連系直流給電システム】

株式会社NTTファシリティーズは、データセンターの省エネ化を実現のため、産業技術開発機構
NEDO)の委託で、米国テキサス大学オースチン校の先端コンピュータセンタに高電圧直流
HVDC)給電システムを導入、省エネ実証事業(15年8月~17年3月)を開始した。これ
により太陽光発電システムとHVDCを連系接続するなど、効率化と二酸化炭素削減に取り組む。
具体的には、(1)太陽光発電システムと高電圧直流給電システムを連系接続し太陽光の発電電
力に応じ、このシステムの整流装置の運転台数を制御し環境負荷を低減し、(2)給電効率を、
15%向上させる。

 

尚、すでに国内では、さくらインターネットが8月10日に同様のシステム(高温超電導ケーブ
ルで直流送電)が稼働している。

以上のニュースを2つの関連技術特許を掲載する。


● 電力変換システム

【概要】

消費電力の低減を図るためには電力変換効率の向上を図るため、交流電源から供給される交流電
圧を第1の直流電圧に変換する電力変換器と該直流電圧を降圧するための降圧手段とを含む電力
変換システム(直流給電システム)として、上図4の交流電源110に接続されたHVDC(hi-
gher voltage direct current高電圧直流給電装置)101及び該HVDC101に接続された複数
の19インチラック102-1~102-N(Nは2以上の整数)を備えて構成し、19インチ
ラックは主としてサーバ装置等の情報通信機器を数十台収納するラックを示している。

HVDC101は交流電源110から供給される交流電圧を第1の直流電圧に変換するAC-D
Cコンバータ106を含む直流電源部105を備えている。 各19インチラック102-1~
102-Nはそれぞれ各サーバ装置103-1~103-Nを備え、 各サーバ装置103-1~
103-Nのそれぞれの構成は全て同じであるので以下ではサーバ装置103-1を例にして説
明する。

サーバ装置103-1は、第1の直流電圧を第2の直流電圧(例えば48V)に変換(降圧)する
C-DCコンバータ(例えば、特許文献1参照)107と、第2の直流電圧の出力のバラツキ
を抑制(定電圧制御)するDC-DCコンバータ108と、第2の直流電圧を第3の直流電圧に
変換(降圧)するDC-DCコンバータ109-1~109-N(Nは2以上の整数)と、DC
-DCコンバータ109-1~109-Nにそれぞれ接続され第3の直流電圧が入力される負荷
110-1~110-N(Nは2以上の整数)とを備えて構成されている。
尚、DC-DCコン
バータ108、DC-DCコンバータ109-1~109-N及び負荷110-1~110-N
はサーバ装置103-1のオンボード104-1を構成。

上記の電力変換システムは電力変換部を備え、交流電源から負荷までの電力変換の変換段数は4
段で、AC-DCコンバータ106の電力変換効率は95%程度で、DC-DCコンバータに1
07の電力変換効率は95%程度で、DC-DCコンバータ108の電力変換効率は97%程度
で、DC-DCコンバータ109-1~109-Nの電力変換効率は91%程度となり、交流電
源から負荷までの電力変換効率は各電力変換効率を乗算すれば、交流電源110から負荷110
-1~110-Nまでの電力変換効率は80%程度。この電力変換手段の変換効率を向上するは
電力変換器の電子部品の材料特性の向上等が必要となりコスト逓増する。



この問題を解決するための電力変換システム(上図クリック)は、(1)入力側が互いに直列に
接続され
た複数の電力変換手段で、その直列接続された入力側全体における一端と他端の間に、
(2)交流電源から供給
された交流電圧が入力され、各電力変換手段がそれぞれ入力電圧を直流
電圧に変換して出力するように構成された、複数の電力変換手段と、(3)入力側と出力側が絶
縁され、入力側が各電力変換手段の出力側にそれぞれ個別に接続されている複数の降圧手段とを
備え、複数の降圧手段の出力が並列に接続されて構成。

ここで、交流電源から供給された交流電圧を負荷が要求する直流電圧に電力変換するという点で
は上記した従来技術と同じだが、交流電源から負荷までの電力変換段数が4段であるのに対し、
複数の各電力変換手段で、分割した交流電圧を直流電圧に変換出力し、直流電圧を電力変換(降
圧)するため、交流電源から負荷までの電力変換の変換段数が2段となる(図1)。

また、従来技術ではが直流電源装置としてのHVDCに接続された構成となる
るのに対し、本発明では直流電源装置が19インチラックに含まれた構成で、19インチラック
内のサーバ装置と直流電源装置を接続するコネクタケーブルの長さを短い。従って、コネクタケ
ーブルにかかるコストを低減できる。

  19インチラック

また、この発明システムは、降圧手段の前段に蓄電池が接続されている。こうするこで、各降圧
手段の前段に配置された直流電源装置の電力変換手段に異常が生じた場合でも、蓄電池から電力
給が継続され負荷への電力供給が停止することがない。以下、このシステムの特許請求範囲。

1.入力側が互いに直列に接続された複数の電力変換手段であって、その直列接続された入力側
 全体
の一端と他端の間に交流電源から供給された交流電圧が入力し、各電力変換手段がそれぞ
 れ入力
電圧を直流電圧に変換して出力できるよう構成し、複数の電力変換手段と入力側と出力
 側が絶縁さ
れ、入力側が各前記電力変換手段の出力側にそれぞれ個別に接続されている複数の
 降圧手段とを
備え、数の降圧手段の出力を並列に接続している。
2.入力側が互いに直列に接続された複数の電力変換手段であって、その直列接続された入力側
 全体の一端と他端の間に交流電源から供給された交流電圧が入力し、各前記電力変換手段がそ
 れ入力電圧を直流電圧に変換して出力するように構成し、複数の電力変換手段と出力側にそれ
 ぞれ個別接続した降圧手段の出力側の複数負荷をもつサーバ装置を備え、複数の降圧手段の出
 力を並列接続している。
3.各降圧手段の前段に蓄電池を接続している。


● 組電池の放電制御システムおよび放電制御方法



使用目的に応じた電圧を得るため、リチウムイオンセルを複数直列に接続してリチウムイオン組
電池を構成し使用する場合、充電は組電池全体に対して行い、各セルの充電電圧を制御できない
ため、直列セル間(同一組電池内のセル間)で充電電圧のバラツキが生じ、電圧が高いセル、つ
まりSOC(充電状態:State of  Charge)が高いセルと、電圧が低いセル、すなわち、SOCが
低いセルとが混在する。
また、セルの製造上のバラツキや、運用時の設置環境などでも、直列セ
ル間において劣化状態のバラツキが生じて、SOCの上限値に差が生じる。

また、組電池では、構成するセルが1セルでも放電終止電圧に到達した場合は、安全性維持のた
め組電池全体の放電を停止する必要がある。例えば図8(上図をクリック)のようにセル210
を複数接続し構成す組電池220の放電時に、コントローラ230が各セル210のセル電圧を
監視し、セル電圧が所定電圧より低いセル210がある場合は、スイッチ240をオフ(開)状
態とし、組電池220からの放電を停止しに制御する。

このため、放電時は、SOCの低いセルが他のセルより早く放電終止電圧に到達し、組電池全体
が放電を停止させボトルネックとなり、組電池の放電容量が低下しい非効率なエネルギーの利用
を引きおこす。こうした問題は、多数のセル(約百個)を接続して構成される高電圧直流(HV
DC)や無停電電源装置(UPS)では顕著になる。この対策に、複数個の単セルが直列に接続
構成した組電池に、負荷に放電する放電線内にスイッチを設置し、組電池内の各セルの電圧をモ
ニタし、セルの電圧に応じスイッチ開閉する制御信号を送出機能をもつ電池監視制御部を設け、
各セルの正・負極端子に接続された充電用配線で、充電を各セルごとに独立に行う方法が提案さ
れているが、セルの製造上のバラツキや、運用時の設置環境の差などで、直列セル間の劣化状態
にバラツキが生じて、SOCの上限値に差が生じる。

上図は、各セル2の電圧を監視する電圧計4と、各セル2に配設され、セル2の電圧を個別に昇圧可能
な昇圧コンバータ3と、各セル2の電圧に基づいて各昇圧コンバータ3を制御するコントローラ5と
を備え、コントローラ5は、一部のセル2の電圧が第1の所定電圧Vよりも低い場合に、一部
のセル2以外の他のセル2の電圧が昇圧されるように昇圧コンバータ3を制御することで、
複数
のリチウムイオンセルを直列接続した組電池として使用する場合に、組電池全体としてより適正
に放電できる特許。

   


 【縮原発論 18: 核ごみ廃棄処理のススメ  
 

  目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき
 

   第7章 国連がソ連を取りこみはじめた

                
 マンハッタン計圖を始動させた黒幕の正体

  ヴィクター・ロスチャイルドは世界最大の金融財閥を生み出したネイサンーロスチャイル
 ドの直系子孫――孫の孫――であり、ロスザヤイルド銀行会長として世界金融の頂点に立ち、
 イギリスBBC放送の”影の総裁”として国際的通信ネットワークを支配し、シェル研究所
 の所長として西側の原爆開発の中枢にあった男だ。
  加えてこのソ連のスパイ、ヴィクタE・ロスチ?イルドの再従妹の夫、フーフンス人ベル
 トラ
フン・ゴールドシュミットは、二次大戦中のマンハフタン計画で開発リーダーとして活
 動したユダヤ人で、後年国連のIAEA(国際原T力機閔)の議長をつとめ、全
世界のウラ
 ン・プルトニウムの原材料部門を動かす「総支配人」であった。

  さらにこのロスチャイルド財閥のアレグザンダー・サックス(ドイツ読みザックス)こそ、
 1939年8月2日に書かれたアインシュタイン書簡を、二ヶ月後にルーズヴェルト大統領
 に直接手渡した人物であった。マンハタッタン計画の起爆剤となったアインシュタイン書簡
 が、
科学者の手で書かれたものとは思われないほど「資金調達」と「ウラン調達」に重点が
 おかれた
れていたのは、ニューヨーク・ウォール街のマーチャント・バンク「リーマン・プ
 ラザー
ス」副社長だったこのサックスが、すべて仕組んだからであった。




  読者は、2008年に全世世界を襲ったリーマンーショツクをど記憶であろう。ウォール
 街の強欲さが招いた世腎的な経済崩壊の源が、この「リーマンブラザース」にあったことを。
  1993年に発刊された『資料マンハツタン計画』(大月書店)という大部の書物には、
 ”資料3-アレギザンダー・ザタクスから大統領にあてた書簡 1939年10月11日と
 して、次のような文面が見られる。

  ――大統領領閣下
    ……アルペルト・アインシュタイン博士の書簡ならびに物理学者の実験K閲する関連
    資料を閣下にお届けする機会を設けていただけるものと存じます。――究極的可能性
    としては、これまでの想像を絶するような力と可能性をもつ爆弾が製造される。閣下
    にお渡しする書面のなかでアインシュタイン博士が述べていますように、「この型の 
    爆弾1個を船で運び、港湾で爆発させれば、それだけで、港湾全体のみならず、同時
    に周辺地域の一部をもたぷん破壊するでしょう。」……ドイツによるベルギー侵攻の
    危険にかんがみ、(ベルギーのてブリュツセルに本社をもつ(コンゴの)ウニオン・
    ミーエール・デュ・オートカタンガ社と協定を結び、なるべくなら外交ルートをつう
    じて、米国が十分なウラン供給量を確保できるようにすることが緊急問題となってい
    ます。……

  これを書いたリーマン・ブラザース副社長サックスは、当時ロシア領だったリトアニア生
 まれのユダヤ人移民のため家系譜の記録は残っていないが、「パレスチナにユダヤ人国家
 イスラエル)を建設する暫定委員会」の設立者であった。ゴールドマン・サックス創業者

 サックス家も、リーマン・ブーフザース創業者のリーマン家もロスチャイル
ド一族の近親ユ
 ダヤ人で、その直系一族と結婚したヘンリー・モルゲンソーJr
マンハッタン計画の全会
 計を掌握するルーズヴェルト内閣の財務長官として
君臨し、イスラエル建国の独立債券発行
 会議議長であった。そうした数々の事実関係から、
このアレグザンダー・サックスがロスチ
 ャイルド家の重要な血族だったことは間違いない。
  ロスチャイルド家がマンハッタン計画を始動させた黒幕たったのだ。


         ソ連の犯罪。カチンの森の虐殺に目をつぶったアメリ力


  ゾ連の犯罪は、ここからが本番である。戦時中の1943年.10月23日から、戦後の
 1946
年1月24日までソ連大使をつとめたアメリカの鉄道王アヴェレル・ハリマンは、
 ロックフェ-フー財閥とモルガン財閥の中枢にあって、海外武器貸与主席行政
官として連合
 国の戦時中における軍事物資のヨーロッパー調達を支配した”死の商人”であっ
た。この鉄
 道王の娘カスリーン・ハリマンが、一次大戦中、ゾ連がポーランド将枚数千人を大量虐殺し
  た歴史上の悪名高い事件”カチンの森の虐殺”の現場に調査団員として派遣され、「これは、
 ナチス・ドイッによる虐殺だ」というソ連の発表した内容の”大嘘”をそのまま全世界に報
 告した問題の人物であった。ここにまで、アメリカとソ連の「連合国」同士の陰湿きわまり
 ないコネクションがあった。

  カチンと呼ばれる淋しい森のなかで起こった虐殺事件とは、今日まで明らかにされている
 限り、次のようなものであった。この経過は、『ロマノフ家の黄金』(広瀬隆薯、ダイヤモ
 ンド社、1993年初版)にくわしく述ぺたが、そこから要点を引用する。

  ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと、ソ連の独敗者スターリンのあいだで、「独ソ不可
 侵条約」(互いに侵略しないという協定)と、「独ソがポーランドを分割して分け合う」と
 いう秘密議定書がモスクワで交され、ソ連外相モロトフとドイツ外相リッペントロップの密
 約が成立したのが、1939年8月23日であった。

  その9日後の9月1日、この密約のもとにソ連の保障をとりつけたドイツ軍が、西側から
 ポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が幕を開いたのだ。
  それを見届けたソ連軍は、ほぼ二週間後の9月17日に、今度は東側からポーランドに侵
 攻していった。つまりこれまで、「ナチスがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじま
 った書かれてきた歴史は、半分が嘘である。ソ連とナチスが”ポーランド分割”の密約を結
 び、独ソ両国が呼吸を合わせて第二次世界大戦をはじめたのだ。このソ連の戦争犯罪は、こ
 れまでほとんど不問にされてきたのではないか?



  この両軍は、ポーランドの首都ワルシャワから西へ170キロのところにあるブレストで
 出会い、ポーランド全土が独ソ両軍の手に落ちたことを祝った。しかしそのままでは、いず
 れも野獣であるドイツ軍とソ連軍が占領地を争い、衝突する危険性があった。そのため11
 日後の9月28日、ドイツ外相リッペントロップは再びモスクワヘ飛んで、両国の縄張りを
 定める会議を開いた。ここにポーランドが公式に東西に分割されたのだ。この時に引かれた
 縄張りの線が、ゾ迪が崩壊した1990年代まで”国境”として残った線である。現在、ベ
 ラルーシ(旧・白ロシア)領で、ボーランドの国境線返くにあるのが、独ソ両軍が進軍して
 出会ったこのプレストであった。

                    (中略)

  1943
年4月、ドイッ軍が最後の決戦のため、やがて春が訪れるのを待っていた時であ
 る。ボーランド将校の音信が途絶えてからすでに三年も経っていたが、凍土がとけるロシア
 の森の中で、ナチスの部隊は大量のポーランド将校か虐殺され、無惨な姿で土の中に埋めら
 れているのを発見した。その森は、カチンと呼ばれていた。おそるべきナチスさえも震えあ
 がらせたこの惨殺の犯人を知っていたのは、身に覚えのないナチスと、手を下したソ連だけ
 であった。

  ドイツは直ちにこれを公表して、ソ連攻撃の材料とするため激しい非難をおこなった。だ
 が、1940年に同じボランドの南部にアウシュヴィッツ強制収容所を建設し、ユダヤ人虐
 殺を展開していたのがドイツだ。全世界を敵にして戦うファシストの言葉を信ずる者はほと
 んどいなかった。ポーランドの亡命政府外相ラチンスキーは、ロンドンでこの報を聞き、直
 ちにそれがソ連の行為であると見抜いたが、すでにソ連が連合国となったこの時点では、ナ
 チスを利するような行動は許されなかった。事情を知る誰もが、ナチスの言葉を聞かなかっ
 たふりをしたのである。 

                    (中略)

  そしてソ連政府は、「カチンの森の虐殺はナチス・ドイツによるものである」という調査 
 結果を発表した。連合軍のアメリカとイギリスもまた、すでにゾ連が犯人であることを示す
 状況証拠をつかみながら、その偽報告を黙認し、アメリカ財閥代表カスリーンーハリマン
 ソ連を支持した(後略)。




                10万の囚人を使ったソ連の原爆開発部隊

  ソ連では、世界大戦が終った1945年から、かつての工業地帯のウラル地方に、新たな
 兵器開発の命令が発せられた。スヴェルドロフスク(エカテリンプルク)とチエリャビンス
 クのありだに位置するキシチムに、ドイツ人スパイのクラウス・フックスが伝えた機密情報
 をもとに、原爆製造工場を建設する極秘計画がスタートしたのである(この地名はロシア語
 でクイシチムだが、一般にキシチムとしてよく知られているので、本書では後者を用いる)。

  南太平洋でアメリカが戦後の原爆実験をスタートした1946年、ソ連ではモスクワの南
 西810キロのオブュンスクに、小型原子炉の建設が囚人の手で進められ、イーゴリ・クル
 チャトフをリーダーとする原爆開発班が組織されていった。物理学者クルチャトフは、スタ
 ーリ
ンの70歳の誕生日、「1949年12月12日までに原爆第一号を完成せよ」という
 命令を
受けて、猛烈な勢いでグループを監督した。大戦から二年後の1947年、キシチム
 に住ん
でいた人びとは、突然に全員が強制移住させられることになった。

  代ってそこに、シペリアなど各地の強制労働キャンプに収容されていた囚人が、10万人
 近
くも送りこまれるという巨大で無気味なプロジェクトであった。およそ10ケ所の収容所
 から、この囚人たちがそっくりキシチムに移動する形で、人生最後の目的地に送りこまれた
 のである。というのは、キシチムに入った人間は、囚人だけでなく科学者や研究者のほぼ全
 員が、一生涯そこから一歩も出てはならないという幽閉状態に置かれたからである。

  このソ連の”マンハッタン計画″の人事を担当して実行に移したのが、秘密警察NKVD
 
(のちのKGB)で最高幹部の長官をつとめたユダヤ人ぺリヤであった。囚人10万人を移
 動し、キシチムの住民を強制退去させてその町を”チェリャビンスク”の暗号名で呼
び、2
 700平方キロメートルという広大な面積を牢獄につくり変える地獄の作業が”粛清人”

 リヤの指令のもとに迎められた。たちまち鉄道が敷かれ、地下数十メートルに巨大な
開発ブ
 ラントが設けられると、シベリアの入口はまさしく人呼んで”シベリアの恐怖の町
と変っ
 た。

 
  キシチムに秘密都市が建設された翌年(1948年)、この軍事センタの原爆用の原子

 がついに運転を開始する日を迎えた。チャーチルから”鉄のカーテン”と非難され、トル

 マンから”冷戦”の宣戦布告を受けていたスターリンは、一刻もいくアメリカと同じ原曝

 自分の枕元に置いて眠りたいと思っていた。



 
  かくして1949年8月29日、シベリアのチェリャビンスクから東南東1400キロ余

 りのカザフ共和国セミパラチンスク核実験場(現・カザフスタンの北東部)において、早朝
 に一発の閃光がひらめいた。ソ連が一初の原爆実験に成功したのである。これは長崎に投下
 されたアメリカのフアット・マンのコピーとして製造されたプルトニウム型厚子爆弾であっ
 た。クラウス・フックスは、翌年にスパイであることが発覚して逮捕された。

  核実験がおこなわれた一帯では、すさまじい数の被バク者を生み出し、セミパラチンスク
 地方では、1990年代に至るまで少万く見積もっても数十万人という人びとが、アメリカ
 のセント・ジョージと同じように死の灰を浴びて殺されるか、激しい放射線障害で半世紀の
 地獄を味わうことになった。セミパラチンスクでおこなわれた核実験は、199年に閉鎖さ
 れるまで合計498回を数え、うち100回以上がネバダと同じ大気中の核実験であり、ソ
 連崩壊後の1993年には、この地方における癌の大量発生が続いている事態と、子供たち
 の中枢神経系の異常疾患が報告された。2002年には、「核実験場周辺の住民の体では、
 DNAの突然変異率がほかの地域に比べて180%になっている」との調査結果を、国際
 研究グループがアメリカの科学誌”サイエンス”に発表した。



                                   この項つづく

 

 ● 今夜の一曲



MIYAVI 石原貴雅:日本人の母親と日本に帰化した元在日韓国人二世の父親の間に大阪市此花
区西九条で生まれ――は、日本のミュージシャン。 エレクトリックギターをピックを使わずに
全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”で世界から注目を集め、4度のワールドツアーに
成功している。ことし4月15日、約2年ぶりのアルバム『The Others』をリリース。グラミー
受賞チーム、ドリュー&シャノンをプロデューサーに迎え、全編アメリカ・ナッシュビルとロサ
ンゼルスで制作。


 

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現代大量虐殺史 Ⅰ

2015年08月18日 | 時事書評

 

 

  犯罪に理由は必要なのか? /  アーサー・ショウクロス

 

   


 【縮原発論 17: 核ごみ廃棄処理のススメ   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 




   第6章 産業界のおぞましい人体実験

           「プルトニウム人体実験」と組織的50万人殺戮計画



  さて再び戦後のABCC誕生の時代に戻らなければならない。その背後で、恐怖の出来事
 が秘かに進行していたからだ……おそらく読者には信じられないだろうが。
  ニューメキシコ州で最初の原爆実験を成功させた’原爆の父”ロバート・オッペンハイマ
 ー
が、あろうことか「放射性毒物兵器による50万人殺戮計画」の書簡を、最初の核分裂連
 鎖反応を成功させたエンリコ・フェルミに対して送っていた。それもマンハッ
タン計画が進
 行中の1943年5月25日付
けでだ。

  機密解除されて暴露されたこの恐怖の殺
戮計画には、以Fのような文面があった。
  ――エンリコ・フェルミ様

  放射能で食品を汚染させる問題について報告します。私はすでにいくつかの作業を進めて
 います。……50万人を殺すのに食べ
物を充分に汚染できない場合には、計画を試みるべき
 ではないと考えます。というの
は、均一に分布させることができないため、実際に被害を受
 ける人間がこれよりはるか
に少なくなることは間違いないからです。 

                            ロバート・オッペンハイマー



  こうしてマンハッタン計画の首謀者たちによって、全米で「プルトニウムを体内に注射す
 る人体実験」がおこなわれたのである。このおぞましい事実については、1994年にピュ
 ーリッツアー賞を受賞した『プルトニウム人体実験』(アルバカーキー・トリビューン編、
 広瀬隆訳・解脱、小学館、1994年)で詳細に報告してある。広島・長崎に原爆が投下さ
  れる5ケ月前の1945年3月、マンハッタン計画の医療担当者がロスアラモス研究所で会
 合を持りた。そこでオッペンハイマーたちが、プルトニウムを
患者に注射する計画への協力
 を依頼したのである。そして翌月(1945年4月10日)、
テネシー州オークリッジのマ
 ンハッタン計画病院で、交通事故で重傷を負った黒人男性にプ
ルトニウムが注射されたのだ。

  この第1号患者以来、おそるべき科学がスタートした,終戦
後の1947年に至るまで、
 末期的癌患者など余命の短いとされる合計18人の一般市民が選
び出され、プルトニウムを
 静脈に注射する人体実験が病室でおこなわれた。被験者はプルト
ニウム注射後、必要もない
 のに内臓を切除されたり、死亡後の遺灰までも研究材料にされ、人間が文字通りモルモット
 の扱いを受けた。


  名もない医師がプルトニウムを注射したのではなかった。医学界の権威とみなされ、当時、

 ヒロシマ・ナガサキABCCを動かして放射能と生体との関係を結論づける委員会などで最
 高指導者のポストにめった人間が、患者たちを病室で担当していたのである。しかも彼らは、
 かなり以前から相互に関係を持っていた。なぜなのか・・・・・・
  というのは、マンハッタン計画には、有名な「原爆開発域」があり、マンハッタン計画と
 言えば、彼らだけしかいなかったと思われてきた。
  だが彼らだけでなく、実はマンハッタン計画の第二部門として、この人体実験に関与した
 「医学班」が存在していたのである。彼らが放射能の危険性を研究した部隊であった。つま
 りマンハッタン計画の従事者たちは、原爆の製造法を研究した時代に、ロスアーフモス研究
 所
で多くの者が重度被曝して、かなりの数の病人や死者を出していたため、放射能のおそる
 べ
き危険性に気づいていた。

 Human Experimentation, Plutonium, and Colonel Stafford Warren

  その医学班の最高責任者で、医療主任がスタッフォード・ウォーレンであり、彼自身が、
 プルトニウム生体実験を認可した当人であった(先に述べたヒロシマ・ナガサキABCC設
 立
設者は、シールズ・ウォーレンであり、同姓だが別人であるので、混同しないように注意)。
  スタッフォード・ウオーレンは、”ニューメキシコ州アラモゴルドでおこなわれた194
 5年7月16日の”最初の原爆実験”で放射性降下物(死の灰=フォールアウト)を観測し
 た。そして、原爆作裂の様子を観察していたかなりの人間が一時的に失明し、多くの者がか
 なり大量に被バクしたことから、「放射性降下物によっできわめて重大な潜在的危険陛が残
 されている』と報告した。
 
  そのときの結果を、原爆実験五日後にウォーレンが指揮官グローヴスに報告したなかに、

 次のような事実が記されていた。

  ――実験当日と翌日の二日間にわたって、放射性物質の降下を観測したが、実験場の周囲
    には、半径120~160キロメードルの範囲にわたって住民のいることが確認され
    た。幸いにも、特に高い放射能が検出されたのは、無人地帯だけであった。
    観測班の人間は危険を承知で作業したが、多くの者がかなり大量に被パクした。
    3・2キロメートル以内で岐バクした人のなかには、死亡者または重症者が出るおモ
    れがある。調査した住宅地域では、場所によっては、放射性降下物によってきわめて
    重大な潜在的危険性が残されている。

  ここで指摘された”重大な潜在的危険性”は、実際、住民に甲状腺癌を含むさまざまな癌

 が発生して裏づけられてきた。その被害について、驚くべきことにたった今、2014年に
 アメリカ国立癌研究所によるてフモゴルド周辺住民の調査かはじまったぱかりである。
  そのスタッフォード・ウォーレンが、やはり原爆投下後の広島と長崎に姿を現わし、のち
 のABCCと共同で被バク者を、モルモットとして観察した人物であった。ウォーレンは、
 日本人が見るのと別の視点で広島と長崎の被バク者を生体研究の対象とし、さらに、南太平
 洋のビキニでおこなわれた原爆実験にも参加した。ここでも、目的は同じ人体の観察であっ
 た。

  スタッフォード・ウォーレンは1981年にこの世を去ったが、しかしモの医学者として
 の生涯履歴には、プルトニウム注射の「人体実験」を認可したことのほかに、なぜか「知恵
 遅れ」の研究について大統領特別補佐官の役割を果たし、「盲人」の研究においても権威で
 あったことが記されている。いずれも代表的な放射能障害である。広島と長崎の被爆者を調
 べ、核実験と人体実験を繰り返すうち、原爆が戦争に使えないほど危険な兵器であることに、
 人体実験医は気づいていたのである。人を殺すことには痛みを感じないが、自分が犠牲にな
 るときには逃げ出す人間たちの科学論が、核実験と原子力の最大の特徴であった。そのよう
 な”ある種の科学者”たちが、マンハッタン計画の原曝開発部隊に集められたあと、兵器開
 発と生体研究のそれぞれの担当者が密接に連絡を取り合って、組織的に殺人計画を実施して
 きた。

  それをわれわが”戦時中の狂気”として納得できないのは、彼らが戦後も核実験と人体実
 験に奔走し、その人脈がさきほど述べたように日本に受け継がれ、原発の放射能無害論を喧
 伝してきたからである。戦後は、同じ人間がさらに危険な冷戦を挑発し、罪もない膨大な数
 の死者を踏み台にして、巨額の利権をあやつってきたのだ。




               ハーヴァード大学でも組織的な人体実験が!

  ニューメキシコ州の地方紙”アルバカーキー・トリビューン”が報じた前述の『プルトニ
 ウム人体実験』のほかに、次から次へと人体実験が山のように報告され、明るみに出てきた。
  1947年9月には、カリフォルニア州スタンフォード大学のウィリアムーグルーリック
 教授が、ABCCと共同作業をするために来日すると、広島、呉、長崎、佐世保で、日本の
 児童、実に1000人にX線を浴びせ、原爆の放射線がどのような影響をもたらすかという、
 おそるべき実験をおこなった。この生体実験をおこなうにあたって、彼はスタッフォード・
 ウォーレンに相談したが、ウォーレンは、「X線の被曝量はわずかだから、よろしい」と許
 可を与えていた(東京新聞2014年8月2日夕刊)。

 
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  そしてABCCのヒロシマ原爆病院の被害者を調べて、陸軍長官直属の放射能被曝専門家

 として活躍していたオースティン・ブルースが、こともあろうにプルトニウム人体実験患者
 の症状を一方で追跡していたのである。
  先に紹介した映画『ラジウム・シティー』によれば、1948年には、原子カプロジェク
 トのため、イリノイ州にシカゴ大学が管轄するアルゴンヌ国立研究所の建設がはじまり、6
  800万ドルが投じられた。そして、かつて1920年代前後から夜光時計の蛍光塗料を塗
 布した被バク女工の”生存者”の追跡調査に着手した。これも一連の放射能の影響調査の一
 環であり、危険性を確かめることが目的だった。AEC(原子カエネルギー委員会)が資金
 を出し、この生存者たちは何の補償・賠償も受けないまま、激しい痛みを伴う骨髄検査にか
 けられ、その臓器や腫瘍などが詞べられたのである。この調査が終了するまでに、オタワ市
 出身の元女工の生存者205人のうち、驚くべきことに80%が癌に冒され、9%が死亡し
 ていた。

  人体実験の患者たちは、戦争が終ってからもプルトニウムを注射されていたが、初期のマ
 ンハッタン計画部隊は、戦後に一体何を考えていたのか。
  スタッフオード・ウォーレンは、1947年にはカリフォルニア大学ロサンジェルス校(
 UCLA)に医学部を創設して、自ら初代の学部長に就任していたのである。
  やがて1950年代に入ると、朝鮮戦争の勃発とともに西部ネバダ州での大気中核実験が
 大規模に開始され、ウォーレンはその全期間にわたって放射能関係の最高責任者をつとめ、
 死の灰について”世界一の権威”として君臨するようになった。そして彼が安全だと定めた
 基準に従って核実験がおこなわれ、死の灰が降りつもる風下地帯のセントージョージなどで
 は、膨大な数の住民がそのなかで生活させられ、殺されたのだ

  さらに1960~72年にかけて、オハイオ州シンシナティ大学病院では、82人の末期
 的とされる沸患者K致死量の放射線が照射されたが、うち61人、実に7割が低所得層の黒
 だった。このグループは、学校に通った平均年数が5年と短く、特異な選択を受けていた。
 200ラド(現単位2グレイ)の被バクで人間が死にはじめるが、患者には250ラドとい
 う強烈なX線が照射され、実験後、25人の患者が60日以内に死亡した。オークリッジの
 国立研究所でも、同様の実験がおこなわれた。この一連の人体実験の主導者となった医師は、
 後述するショゼフ・ハミルトンなので、名前を記憶されたい。

  多くの読者は、末期症状の癌患者に大量のX線を照射したからといって、それは治療の最
 後の手段であり、人体実験ではなかったのではないか、と疑問を持たれるだろう。しかしこ
 の照射室の床は木製で、X腺を容易に透過する構造になっていた。ここを開くとプラスティ
 ックのコードが縦横に走り、これらのコードには、実験用のネズミを入れたカゴが60個も
 ぶら下がっていたのである。患者は治療のためにX線を照射されたのではなく、データを集
 めるために、さまざまの測定器を装備されて寝台に横だわっていた。この人体実験中、医師
 たちは床を開いて被曝したネズミを取り出し、患者のそばを通って運び出しながら、水と餌
 を与えていたのだ。ネズミの糞便が治療室に同居していたのである。

  1992年来、アメリカでは大量の人体実験の記録が暴露されてきたが、特に重大なのは、
 ロスでフモスの原爆製造グループを指揮するグローヴス准将に対して、直接の政治的命令を

 伝える重要組織「国家防衛研究委員会この委員長をつとめていた毒ガス化学者ジェームズ・
 コナントが総長をつとめていた時代のハーヴアード大学における、組織的な人体実験であっ
 た。東部の町では、放射性物質をミルクや食べ物に入れて知的障害児に与える壮大な実験が
 おこなわれたことが明らかになり、ヒアリングが開かれ、全米の人びとを戦慄させた。19
 94年に開かれた公聴会では、ケネディー大統領の弟エドワード・ケネディー上院議員が議
 長をつとめるなか、膨大な数の人体実験が次から次へと明らかにされた。

  1940年代から50年代にかけて、放射性物質による人体実験は、全米で600人を使
 って800回実施されたと言われてきたが、1990年代にはその数が1200人とされ、
 さらに、楽に1万人を超える・フジウム被害者の報告が出された。
  アメリカ航空宇宙局(NASA)もまた、別の人体実験をおこなっていた。1963~7
 1年(もしくは73年)にかけて、ワシントン州とオレゴン州の131人の無期懲役囚にN
 ASAの依頼でAEC(原子カエネルギー委員会)が大量の放射線照射実験をおこなった。
  囚人たちは性器を露出させられ、最高600ラドの照射を受けた。これは局部照射のため
 囚人はただちに死亡しなかったが、全身被バク量が400ラドで半数以上の人か死亡するの
 だから、その1・5倍という想像を絶する大量照射を受けて、そのデータが宇宙飛行士のア
 ポロ計画などに参照されたのである。

  このような実験は、宇宙空間で作業する人間の安全性を調べるためのかなり特殊な分野に
 限られた実験で、医療部門のわずかな人間に責任がある犯罪だという印象を与えてきたが、
 実際に年表を組み立ててみると、弾道ミサイル開発部隊のNASAが、マンハッタン計画全
 体の構造に組みこまれた大がかりな人体実験だったことが明らかになった。

  人体実験は、妄想に取り憑かれた少数の医師の異常さが生み出したものではなかった。マ
 ンハッタン計画に参集した人間が組織的に、というより、むしろアメリカ合衆国の機関が中
 心となって、原水爆利権のために実験を続けてきたものであった。つまり人体実験の目的は、
 彼らが被バクのデータを握ることによって、他者の発言を許さない放射線の権威者となって、
 ”安全基準”を自由に榛ることであった。そのことが実証されたのは、このあとに登場する
 ICRPと国連の組織に彼ら自身が君臨したあとのことであった。

  この世のすべてを疑いたくなる、悪魔の世界が、ここにあった。”権力の回廊を歩こうと
 する人間たち”が、当初のマンハッタン計画の原爆開発の方向を、強引に原子力開発に向け
 直して、AEC・・・・・・ABCC・・・・・・ICRP・・・・・・IAEA・・・・・・WHO・・・・・・NRC(
 原子力規制委員会)……DOE(エネルギー省)といった組織を生み出し、放射能の”安全
 性”を宣伝する活動に一権威」として君臨してきたのだ。
  原爆より前に、一次大戦でコナントが従事した毒ガス兵器の開発があり、両者は本質的に
 同じ殺人計画であった。つまり、「毒ガス兵器」→「原爆製遣マンハッタン計画」→「放射
 性物質による50万人殺戮計画」→「原爆投下」→「広島・畏縮のABCC被バク者調査」
 →「原水爆実験」→「プルトニウム・X線人体実験」という、一連の”同じ流れ”が浮かび
 上がってくる。

  その同じ時代に、失敗したとはいえ、ナチス・ドイツも原曝開発に挑戦していたばかりか、
 アウシュヴィッツ強制収容所などで毒ガスを大量に実用し、”死の天使”と呼ぱれた医師∃
 -ゼフ・メングレらによる恐怖の生味解剖がおこなわれていた。日本人も、七三一部隊が中
 国大陸で生きたままの中国人、朝鮮人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人たち数子人民ペ
 スト、コレラ、チフスなどの細菌を植えつけ、生体解剖をおこなうなど人体実験を実施して
 殺し、これらの重罪戦争犯罪人が、戦後アメリカの占領軍によって免責されたのであった。
  この七三一部隊の残党が、このあと本書に登場する原子力の人脈である。



  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた

            ソ連の原爆開発を成功させた二重スパイ集団がいた


  さて、かくするうち、ソ連も原爆の開発に邁進していた。ここからが本書の重要な点であ
 る。つまり、戦後に発足した国連には、西側の資本主義経済を柱とする自由主義国も、東側
 の国家紋削経済を柱とする共産主義国も、両方が参加していた。そしてその対立する米ソ両
 国とも核兵器を握って、全世界の核兵器保有国が共同で「放射能被バクの危険性」を民衆に
 
対して隠すという時代に突入していったのだ

  東西にまったく違いはなかった。それが、国
連を中心に被バクを放置するIAEA(国際
 原子力機関)を生み出すことになったのである。

  では、ソ連の原爆開発は、誰の手で、どのようにしておこなわれたのか。
  戦後の1946年、アメリカに続いて本格的な原曝の開発に乗り出した戦勝図イギリスは、
 オックスフォードシャーに独自の原爆研究所を開設した。そこで理論物理学の主任として任
 命されたのが、「マンハッタン計画で」すべてを知った男気ドイツの物理学者クラウス・フ
 クスであった。



  フックスの父はドイツの著名な神学教授だったが、ナチスに対して激しい反対運動をおに

 なったため強制収容所に入れられ、娘は夫をドイツから脱出させたあと自殺を遂げるという 
 悲劇を招いていた。それがクラウス・フックスの親と姉妹たちの運命であり、それを目にし
 た彼自身は、ナチス・ドイツからフランス、イギリスヘと脱出して、大戦中の1941年に
 物理学者としてイギリスでバーミンガム大学の原爆研究開発グループK参加した。やがて自
 分がどれほど重大な問題虻取り組んでいるかを知ったフックスは、青年時代に共産主義を学
 んだ自分の姿を忘れず、秘かにソ通の情報機関との接触をはかった。

  この当時、二次大戦中の「アメリカ・イギリス」と「ソ連」は、”連合国”として手を組
 んでいたので、敵ではなかった
  そのため二次大戦中にアメリカがソ連に送りこんだ戦闘機の数は、実にほぼ1万機に達す
 るほど膨大な数であり、イギリスもまた4千機以上を送りこんでゾ遅の軍事技術を支援した
 のである。米英軍から供給されたこれらの一万数千機の実物機体は、ウラル地方におけるゾ
 連の軍需産業にとって、いかなる設計図にもまして、その後の重大な機密資料となった。

  部品の交換や修理・改造を含めて、その内部設計や金属材料、さらには設計技術者の養成
 に至るまで、西側のほとんどの基礎的な技術がソ連の手に涙ったのである。こうして大戦中
 に築かれた情報ルートを通じて、極秘資料がNKGBと呼ばれる国家保安人民委員部(後年
 のKGB)に流入した。
  連合国同士のこのような交流作業が続けられるうち、フックスはやがて、アメリカの砂漠
 の真ん中につくられたロスアラモスの極秘原爆開発センターに、すぐれた物理学者としてイ
 ギリスから派遣され、設計から製造まで一切の機密を知ることになった。その結果、このマ

 ンハッタン計画によってフックスの頭のなかに入ったものが、クレムリン首脳に伝えられ、
 ソ連が原爆製造法の秘密をそっくりつかんでしまったのである。

  やがて、広島と長崎に原爆が投下され……翌年、1946年にフックスがイギリス原爆開
 発の主任となった時点で、ソ連の科学者には、原爆についての技術の基本設計がほとんど分
 っていた。さらに有名な国際的スパイ事件の主役として、イギリスの″ケンブリッジーサー
 クル”と呼ばれる二重スパイのグループがあった。これは、イギリスの諜報組織に所属する
 4人の最高幹部のスパイ・エージェントーキム・フィルピー、ガイ・バージェス、ドナルド・
 マクリーン、アンソニー・プラント――が、名門校ケンブリッジ大学を中心に秘密組織をつ
 くり、ソ連のスパイとして活動していた、という奇想天外な事実であった。4人目の人物ア
 ンソニー・プラントの身許が割れたのは、実に1979年という戦後30年以上もあとのこ
 とであった。ところがこのケンブリッジ・サークルには、”第5の男”が存在している疑惑
 が深まり、1986年には、4人組の全員と親しかったひとりの人間が、国家機密法のもと
 でイギリス議会の査問会に召喚された。



  ロンドン・ロスチャイルド銀行の会長ヴィクター・ロスチャイルド男爵であった。トルー
 マン大統領が、かつて「世界一のスパイ摘発専門家」と絶讃したヴィクター・ロスチャイル
 が、実は。ソ連に内通するスパイであった・・・・・・


「プロトニウム人体実験」についてはわかっていたつもりであったが、目をそらしたくなる状態
が続いた。ドイルの「アウシュビッツ」、日本の「七三一部隊」、そして、米国の「マンハッタ
ン計画」の連関図が明らかになるにつれ、「悪魔の本質・実体・現象学」という言葉が浮かんだ
。これは「愛国心とは悪党どもの最後の拠り所」などを遙かに超えている『現代大量虐殺史』だ。
さて、次回も第7
章のつづき。


                                    この項つづく

 ● 今夜の一曲 


   More than the greatest love the world has known

   This is the love I'll give to you alone
   More than the simple words I try to say
   I only live to love you more each day

   More than you'll ever know my arms long to hold you so
   My life will be in your keeping, waking, sleeping, laughing, weeping
   Longer than always is long long time,
   But far beyond forever you'll be mine

   I know I never lived before and my heart is very sure
   No one else could love you more

   I know I never lived before and my heart is very sure   
   No one else could love you more


                                
More  
 
                                             Music  Riz Ortolani 
                                       
Words Norman Newell

 

 

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時代は太陽道を渡る Ⅶ

2015年08月17日 | デジタル革命渦論


 

  あいつの顔を二度と見たくない。いいか、奴は原爆を作っただけだ。
        しかしそれを爆発させた人間は、この俺なんだ。


                           ハリー・トルーマン

※ 「あいつ」とは、オッペンハイマー博士をさす。
 

 

 【点滴潅漑とソーラーポンプ農法】

省力・軽労化のために、カンキツやその他の果樹栽培に対して、高効率かつ自動化しやすい点
滴かんがいの導入が増えている
。カンキツへの導入は、雨を遮るマルチと組み合わせて緻密な
水分管理を行う「マルドリ方式」での利用などのように、温州ミカンを中心に果実高品質化や
生産効率向上を主な目的として行われ、中晩柑への導入も進みつつある。
しかし、傾斜地では
適切な水源を整備できず、必要な量の水源があっても位置が低いことが多く、ポンプを使うに
も電源がない場合がある。この場面、太陽光発電を用いることで問題解決するシステムが農研
機構が開発(上図クリック)。

農地での小規模な電気機器を利用するのに使いやすい小規模な独立形システムの実用化は少な
い。そこで、
ポンプで点滴チューブに水を送ろうとすると、量と圧力が同時に要求され、消費
電力約1キロワット以上の大きなポンプが必要だが、エンジンポンプでは運転の自動化が困難
で、カンキツ園で点滴かんがいを行う場合、かん水時間は1日に1時間前後で完了する。その
短時間のために大きなポンプの整備は非経済的だ。
分な高さにタンクなどを設置し、小さいポ
ンプで長時間かけて揚水してから、必要なときに落差の力(自然圧)でかん水する方法で、太陽
電池利用ができる。

 

このシステムではライフサイクルコスト(LCC)低減のために、ポンプの間欠運転、つまり、例
えば15分動かしたら30分止めるといった間欠運転で、一気に放電することがなくなり、バ
ッテリー劣化の原因となる低電圧状態が長く続きにくくなるとともに、低電圧状態でポンプを
動かすと生じやすくポンプの劣化につながる、ポンプのオン・オフが繰り返されたり、極端な
温度上昇を起こさないようにする。上図は
、連続運転の場合と間欠運転の場合とのバッテリー
電圧などの変化の模式図。間欠運転とすると、ポンプの寿命が2倍近くに伸び、バッテリーも
電圧が下がりにくくなり劣化が抑制される。

この成果報告をみて、次世代潅漑工学の点滴法は、栽培工程の最適化に汎用性があるものであ
ることを再確認した。これは面白い。

【百パーセント再エネ時代: 時代は太陽道を渡る Ⅶ 】

● オランダで高速道路用太陽光発電遮音壁の実証試験開始

オランダのアインとホーフェン工科大学のマイケル・デバイエらの研究グループは、すべての
高速道路の遮音壁をソーラーパネルに置き換えようと計画している。ことし4月から、同グル
ープは新しいソーラーパネルでオランダの高速道路A2線で2つの実証試験プロジェクトを開
始。パネルは北ヨーロッパの曇り空でも発電可能であり、周辺の半マイル内の50世帯に給電
する。このLSCパネルは、異なった色の半透明のシート状の特大ステンドグラス窓様態の遮
音壁で、両方からの光を発電できる特徴があり、都市部で歩行者やドライバーは騒音を遮断感
を低コストで、感じ取ることができる。

オランダでは、太陽光発電型舗装の実証試験結果報告されており、太陽光発電型高速道路用遮
音壁の実証試験結果が成功すれば、「太陽道構想」は実現することになる。







※ The LSC was first suggested more than 35 years ago. It is a simple device. It usually consists of a
        polymeric light guide that is either filled with luminescent molecules such
as organic dyes and ino-
        rganic semiconducting nanocrystals (quantum dots) or topped
by a thin layer containing these.

※  色素増感型(?)半導体化合系物量子ドット太陽電池。カドミニウム・セレンを含有される
  のでクリアすべき問題が残るだろう。

 
 【縮原発論 16: 核ごみ廃棄処理のススメ   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


   第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈

                         原爆によって天文学的な利益を得た巨大財閥               

  彼ら黒幕にとって、人道上の大きな問題となる”原爆による放射能の肉体的な被害”が
 判
明したあと、絶対に人目にふれないよう、隠されなけれぱならなかったことは確かであ
 る。

  加えて、この裏では、大変な事態が進行していた。IBMの創設者トム・ワトソンが、
 二
次大戦の直前、1937年夏にモルガン財閥によってアメリカ財界代理人としてヨーロ
 ッパ
に送り出され、ドイツの首都ベルリンを訪れた。そこで開催された『国際商業会議所」
 の総
会で彼がNo.1の会頭に選出されたのである。そのあと彼はヒットラーと親しく会談し、
  さら
に当時のドイツエ業界を支配していた「IGファルベン」の社長シュニッラー男爵
 と協力
を約束し合った。ヨーロッバ全土からアウシュヴィッツ強制収容所に送られてくる
 ユダヤ人
を管理し、選別する作業を自ら買って出たIGファルベンは、この虐殺収容所に
 君臨した経
営鴎関のひとつであった。これら会談者のなかにヒットラーの経済相ヤルマー
 ル・シヤハト
の顔も見られた。彼が「モルガン商会」と一次大戦後のドイツ賠償取り引き
 をしたのだ。ワト
ゾンとシャハトの親密さは当時の新聞にくわしく報道されていた。

  ワトソンがヒットラーと会ったこの1937年夏は、前年の1936年10月19日に
 ナ
チスがヨーロッパ全土をドイツの軍隊によって支配する「戦争準備四ケ年計画」を発表
 し、
すでにヨーロッパで大戦が起こることが明らか祀なっていた時期である。その投資総
 額の3
分の1をIGファルペンに割り当て、IGファルベンのナチス化がなされた翌年の
 出来事だ。

  こうしてナチス最高幹部に資金援助を約束したモルガン財閥の代表者が、IBMのトム・
 ワトソンで、この功績によって、ワトゾンはヒットラーから十字功労賃を授けられ、その
 ちょうど一年後にアメリカの自動車王ヘンリー・フオードがヒットラーから十字功労賞を
 受けた。
  彼らアメリカの二大財閥は、アメリカ国民やルーズヴェルト大統領と違って、二次大戦
 が起こっても、1911年末にハワイの真珠湾攻撃が起こるまで、ヒットラーのナチスを
 敵とみなしていなかったのだ。アメリカエ業界は、ドイツエ業界と手を組んでいたのであ
 る!

  なぜか?

  1931年にドイツの選挙でナチスが第一党に躍進した時、この選挙資金を提供したド
 イツのタルト・シュレーダー男爵は、自らナチス党員という肩書きを持ち、ナチスの「突
 撃隊」で幹部をつとめていた。ドイツの工業家を焚きつけて選挙資金を集めた彼は、それ
 をそっくりハインリッヒ・ヒムーフー(後年の秘密国家警察ゲシュタポ隊長)に手渡して
 いた。さらにモのシュレーダーは、アメリカのウオール街にも逸出して支店を開設し、フ
 ソュレーグー銀行一を設立していたが、この銀行の重役がエイプリー”ロックフ予フーで、
 彼此石油王ジョン・D・ロックフ予フーの弟ウィリアムの孫であった。エイブリーはその
 名もフソュレーダー・ロックフエーフー投資商会」を設立して、ナチスと手を組んでいた。

  一方、二次大戦中のIBMすなわち「国際事務機」(lntermtional Business Machine)と称
 す
るこの会社は、米軍が高度な機械戦争に突入したので弾道兵器の設計などで巨額の受注
 が
あって、原爆製造に関してもモルガン財閥の「ベル電話」と共にマンハッタン計画に参
 加
し、兵器会社「レミントン・ランド」と特許を交換し合ったモルガン財閥傘下の軍需産
 業に豹変していた。IBMの売上げは、戦争の幕が切って落とされた
時に4千万ドル足ら
 ずだったのが、幕を閉じた時には1億4000万ドルを超え、35
0%の伸びという驚異
 的な数字を記録した。利益と資産も、ほぼ同じ膨張ぷりを示し、「デ
ュポン」さえ圧倒す
 るほどだった。IBMの社名にある”国際ヒジネス”は、この時代に全
米の産業が取りこ
 まれた戦争だったのである。


  二大財閥にとっては、ナチスによる大戦争がヨーロッパ全域にひろがってゆくと、ヨー
 ロ
ッパに軍需品を送りこむ1941年の武器貸与法の成立によって、アメリカ国内での火
 薬
銃砲、爆弾、軍艦、軍用機、タンク、ジープなどの軍需品生産額が急増し、ますます好
 調に
伸びていたからである。ホワイトハウスの二階にある”リンカーンの間”に泊まり込
 んでいた
モルガンーロックフェラー財閥の代理人ハリー・ホプキンズが、武器貸与調整官
 としてロン
ドンに兵器を送り続けた。ロンドンには、アメリカ大陸を横断するユニオン・
 パシフィック
鉄道の会長アヴェレル・ハリマンが海外武器貸与主席行政官として派遣され、
 この鉄道王はロックフェラーの盟友として大戦を鼓舞し続けた。アメリカニ大財閥の戦争
 目
的は、ドイツ側の勝利でもイギリス側の勝利でもなかった。兵器産業の莫大な収入が目
 
ったのである。


ここで描かれている帝国主義国間戦争とは「総生産力の消耗戦」と一括りにでき、これを回避
する手法(政策・戦略)は「武力戦争を絶対悪」とし、すべての武断戦争に加担する勢力を解
体する「ソフトパワーの結集」の一本道しかないとの再確認を導出させるかのようだ。それは
さておき、読みすすめていこう。

  モルガン、ロックフェラー、デュポンなどの戦争工場は、この二次大戦で果たしてどれ
 ほどの収入を得たのか。
  アメリカの戦費総額は2450億ドル、今日のほぽ122兆5千億ドル(1千5百兆円)
 に達した。二次大戦前の50年間にアメリカ政府が使用した国家予算の総額を超えてしまっ
 たのである。半世紀分を一気に呑みこんたこの総支出の7割近くが、モルガン財閥とロッ
 クフェラー財閥の総売上げだったと見てよい。彼らが両手に握った札束は、この世界戦争
 のために全地球上で使われた支出総額のうち、実に7分の1を占めるものでもあった。


              日本への原爆投下を勧告した人間は誰だったか

  そこで、日本への原爆投下を勧告した委員会のメンバーを見ると、次の6人であった。                    

 【議長】へンリー・スティムソン陸軍長官――彼はマンハッタン計画を担当した大統領補
  佐官でもあった。モルガン商会と、ロックフェラー財閥のチェース・ナショナル銀行を
  上客とする弁護士事務所を経営する有数の資産家であった。
 【議長代理】ジョージ・ハリソン――「ニューヨーク生命保険」の社長で、同社の幹部重
  役オーウェン・ヤングはモルガン商会の特権者であり、1942~45年までモルガン
  財閥のゼネラル・エレクトリック(GE)の会長としてオークリッジ原爆工場を経営し
  ていた。
 【委員】ジェームズーバーンズーモルガン商会の鉱山会社「ニューモント鉱業」の重役で
  あった。同社は「アメリカ金属』系列で、ここがアフリカの鉱山を支配し、重役が初代
  石油王の孫ローランス・ロックフェラー支配下の「カナダ・インターナショナル・ニッ
  ケル」社長であった。この会社が、カナダからウランを調達した。
 【委員】ヴァネヴァー・ブッシューロックフェラー家の「スタンダード石油」とモルガン
  財閥の「ゼネラル・モーターズ」と「デュポン」からの献金によって成り立つ「マサチ
  ュセヅツエ科大学(MIT)」の幹部であった。日本・ドイツ・イタリアが宣戦布告する
    前に原潜開発を始動させた”ウラン委員会”の議長として、マンハッタン計画の企画本
    部をロックフェラー=モルガン連合によって組織した人物でもある。
 【委員】カール・コンブトン――ヴァネヴァー・ブッシュの上司で、「マサチュセッツエ
  科大学」の総長だった。真珠湾攻撃の1ケ月前に”ウラン委員会”に移管された時に委
  員長をつとめ、ロックフェラー=モルガン連合が原爆をつくるように、一切の契約を担
  当した。
 【委員】ジェームズ・コナント――ハンフオード原爆工場を動かす死の商人、モルガン財
  閥のデュポン吐顧問であり、この時は、モルガン家から莫大な資金援助を受け、モルガ
  ン商会を管財人とする「ハーヴァード大学”の総長であった。彼はこの当時、ロスアラ
  モスの原爆製造グループを指揮するグローヴス准将に直接の政治的支援を送る重要組織
  「国家防衛研究委員会」の委員長もつとめていた。            

                    (中略)


  レスリー・グローヴスーマンハッタン計画のリーダーをつとめた准将で、戦後1948 
 年にはレミントン兵器から誕生したトマス・モルガン支配下の軍需産業スベリー・ランド・
 グループの副社長となった。マンハッタン計画の総指揮官としてグローヴスが任命された
 のは、陸軍省の巨大なピルを建設した指拝官としての手腕を買われ、抜擢されたからであ
 った。のちにそれを見て謹もが国防総省をペンタゴン(五角形)と呼ぶようになったビル
 の建設監督、それがグローヴスであった。大戦中の1943年1月に完成したその迪物自
 体が巨大な秘密基地であり、工事費が1ケ月で当時の6億ドルという天文学的な出費の製
 品であったため、軍事予算に関して多くの秘密を握った男であった。

  クロフォード・グリーンウォルトーマンハッタン計画の中心人物となった委員だが、実
 はモルガン財閥のデュポン家マーガレッタ・デュポンと結婚した兵器財閥の御曹司であっ
 た。彼は、戦後Kデュポン社の社長・会長を歴任して、ハンフオードエ楊などでの原爆製
 造で莫大な利益を獲得した。
  これらの人間の肩書きと素性に表われている通り、原爆投下のすべての目的が、財閥が
 得る巨額の収入にあったことは動かし難い事実である

 
   第6章 産業界のおぞましい人体実験

       日本敗戦そして東西冷戦の時代から大々的に核実験がスタート

  1945年8月14日――日本がこの日にポツダム宣言の受諾を連合国に伝えて無条件
 降
伏し、8月15日が終戦記念日となった。しかしこれは日本人の記念日である。アメリ
 カ・
ヨーロッパの軍需財閥にとって、8月15日は格別深い意味を持つ日ではなかった。
  軍需ビ
ジネスは戦争によって工場が肥大化した分だけ、戦後もそれを維持しなければな
 らなかった
ので、一日も休みなく作業を続ける必要があった。核兵器開発はここで終った
 わけではなく、
広島・長崎への原爆投下は、単なるプロローグにすぎなかった。



  歴史を終戦で区切ると、われわれが目撃している彼らの事業の正体を見失うことになる。
  世界大戦の後こそが、彼らの稼ぎ時たったからである。
  終戦翌年の1946年1月1日に、マンハッタン計画部隊をそっくり継承して、原子カ
 エ
ネルギー委員会(AEC――Atomic Energy Commission )の活動がスタートしたのであ
  る
(AECの正式な発足は、アメリカ議会が「原子力法」を成立させた8月1日であった)。
  そ
してこの年に「アメリカ放射線防護委員会」(NCRP――U.SNational Commiltee on
  Rediatjon Protection)が誕生して、AEC傘下の医学部門となった。これがlCRP(国際
 
放射線防護委員会)の前身であった。

  ネバダなどで戦後の核実験を総指揮したこのAECは、一般に日本で「原子力委員会」
 と訳されているが、原水爆の核兵器を統括しただけでなく、名称には”エネルギーE”の
 言葉がすでに使われていた。つまり、のちの原子力発電(平和利用)のエネルギーをすで
 に射程に入れており、AECのロゴは原子核のまわりを電子がまわっている図、のちに”
 原子力の平和利用”のシンボルーマークとして使われたものであった。このあとGE、ウ
 ェスティングハウスの電気製品(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が全世界の憧れとなる時代に、
 莫大な利権を生み出す原子力発電に邁進する組織だったので、本書ではAECを原子カエ
 ネルギー委員会と呼ぶ。

  AECが発足して3週間後の1月24日に、「国連」にAECをそっくりコピーした原
 子力委員会が設置され、マンハツタン計画部隊が要求した通り、アメリカの原爆独占を認
 めたのである。
  この国連草案を起草したアメリカの委員会メンバーは、日本への原爆投下を勧告した委
 員会とほぼ同じで、次の通りである。

                    (中略)

  さらにこの代表団の作業を引き継いだ強力な国連代表が、ロックフェラー財団のNo.1
 事長理
事長ジョン・フォスターダレス、すなわち戦後日本の再軍備を具体化した男であっ
 た。モ
ルガン財閥の鉄鋼トラストとスタンダード石油トラストをつくったのもロックフェ
 ラー財団
ダレスであった。この年、1946年の秋に、ジョン・D・ロックフェラー2
 世が国連本
部のために、ニューヨークの土地を6ブロックも買い取って寄贈し、そこに国
 連ビルが建て
られることになった。

  全世界が焼け野原となった戦後のこの時点で、地球上の経済力の7割
を握っていたの
 がアメリカであり、国連は、こうしてアメリカの二大軍需財閥の資金によっ
てスタートし
 すべての国がアメリカの言いなりになる戦後世界が誕生したのである。

  国連に原子力委員会が設置されて1ケ月余りあとの1946年3月5日、イギリスのウ
 ィ
ンストン・チャーチル首相が、アメリカ大統領トルーマンに招かれ、ミズーリ州フルト
 ンの大学で有名な演説をおこなった。その中で、「バルト海の(ポーランド
の)シュテッ
 ティンからアドリア海の(イタリアの港湾都市)トリエスーアまで、ヨーロッパ
大陸を横
 切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパと東ヨーロッパの歴史ある首都は、
すべ
 てその向こう側にある」と、”共産主義国・ソ連による鉄のカーテン”演説をおこなった。

  今度は「ソ連は敵である」と、爆弾発言を放って全世界を挑発したのだ。
  なぜ”前”首相だったかと言えば、チャーチルの戦争好きは、イギリス国内であまりに
 も有名であった。軍需大臣として戦車という動く兵器を戦場で自ら考案したのがチャーチ
 ルであれぽ、航空大臣としてイギリス空軍の生みの親もチャーチルであり、海軍大臣時代
 には史上空前の海軍予算を使って軍需産業に莫大な金を投じたのもチャーチルであった。
 そのためイギリス国民は、ドイツ降伏後に、「もう戦争屋はいらない」と言って、日本敗
 戦直前のイギリス総選挙で労働党が勝利し、チャーチルが、戦後またしても戦争の火付け
 役として登場したのである。

  これを受けて一週間後の3月13日に、ゾ連の独裁者スターリンが共産党機関紙”プラ
 ウダー記者に「チャーチルは戦争挑発者である」と批判して、「東西冷戦の時代」に突入
 したのだ。
  われわれの時代、1989年11月9日に、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」
 が崩壊するまでのエネルギー委員会(AEC)で生物医学班の、ボスをつとめ、1952
 ~58年にはAECの医学顕問をつとめてセント・ジョージなどでの住民被曝を野放しに
 しおそるべきことに、1955~63年に原爆の放射線影響科学委員会の「国連代表」と
 なる人物であった。

  原爆実験を実施したAECは、マンハッタン計画の参加者をそのまま引き継いだ部隊で
 あり、彼らが、南太平洋と、本書冒頭に述べたネバダ州で、原水爆実験の総監督をつとめ
 たのだ。彼らは、原水爆の実験を大々的におこなう必要があった。
  なぜなら核実験は、二つの目的を持っていた。ひとつは、高度な破壊力のある兵器を作
 るための軍事的開発である。しかしもうひとつは、核爆弾を一発爆発させるごとに大量の
 札束を吹き飛ばす莫大な利益であった。

  1950年1月26日にアメリカは行動を起こし、韓国と軍事協定を結んだ。こうして
 朝鮮戦争の開戦準備ができると、5日後には、トルーマン大統領が水爆の製造を指令して
 新しい産業を始動させ、6月25日に朝鮮戦争が勃発した。1953年7月27日まで、
 日本が巻きこまれる「三年間の大戦争」へが続いたのである。

  AECは頭のてっぺんから爪先まで、ロックフ予フーとモルガンの企業から送りこまれ
 た人材で埋められていた。いま彼らが手に入れようとしていたのは、ソ連(ロシア)の共
 産主義者の危機を煽り立て、それによって国民の懐からペンタゴンに流れこむ国防予算の
 金塊だった。財務長官が原水爆K割り当てた予算は、次の通りで、原水爆業界に流れこん
 だ札束は気が遠くなる金額(1千兆円)であることが分る

                   (中略)              

  しかしこの途方もない金額は、いわゆる一次予算と呼ばれるもので、ここには追加予算
 が含まれていない。それが、年度によって異なるがほぼ2倍から3倍となっていたのだ。
 ここの間、「スタンダード石油」の大株主や「モルガン商会」の投機業者が続々とAEC
 のトップを占めていた。

  人名録に残されたヒロシマ.ナガサキABCC創設者シールズ・ウォーレンの履堅書を
 見ると、彼自身が「広島と長崎の原爆被バク者を調査した」とある。つまり、原爆実験と
 広島・長崎の原爆被バク者のモルモット調査は、同じ人間の手でおこなわれたのである。
  ABCCは、原爆投下から5年後の1950年8月時点での原爆破バク生存者だけを調

 査対象とした。そのため原爆投下から5年以内に死亡した最大の被害者を調査対象から除
 外してしまった! 加えてABCCは、曝心地から2・5キロメートル以内の人だけを被
 バク者として調査し、実際には同様に被バクしている2・5キロメートル圏外の人を原爆
 被バク肴にカウントしなかった。10キロメートル以上でも大量の被バク症状が出ていた
 にもかかわらず!あらゆる手段を使って放射能被害を小さくしてしまったのだ。

  ABCCによる被バク調査における決定的な医学上の間違いは、①広島と長崎の原爆被
 バク考の体内で進行していた内部被曝を無視し、②放射能汚染した地域にある残留放射線
 の影響を完全に無視したことと、③被パクの後遺症を”癌と白血病”だけに限定したとこ
 ろにあった。いや実際虻は、彼らはその調査をしていたはずだが、その結果を一切(意図
 的に)公表しなかったのである。

  さらにシールズ・ウォーレンは、1950年から60年にかけて――全世界で危険な大
 気中の核実験が最も多くおこなわれた時代に――「国連」の放射線科学委員会のアメリカ
 代表をつとめ、そのあとも国連の世界ほ健機関(WHO)の要職にあって”医療者の鑑”
 のような顔をとりつくろってきたのである。なぜ?という数々の謎が浮かんでくる。




  ヒロシマーナガサキABCCを受け繕いだ日本の原子力第二・第三世代


  一方で、広島・長崎の被バク者をモルモットにして観察してきたアメリカのABCC(
 原爆傷害調査委員会)が、1975年4月に日本に受け継がれで改組され、放射線影響研
 究所(放影研)となった。この略称「放影研」は、放医研(放新緑医学総合研究所)とま
 ぎらわしいが、異なるので注意。改組された時代は中東に石油危機が起こったオイルショ
 ック直後であり、全世界に原子力ブームが起こって、いよいよアメリカが日本に大量に原
 子炉を売りつけるチャンスを迎えていた。

  GEが、ウェスティングハウスが、莫大な利益を狙って、ABCCの主導権を日本人に
 持たせる形をとったのである。ここから、日本の原子力第二世代が誕生することになった
 のだ。
  つまりこの時、ABCCの受け皿となったのが、1948年1月からABCCの調査プ
 ログラムに正式に参加していた厚生省(現・厚生労働省)の国立予防衛生研究所(予研―
 ―現・国立感染疸研究所)であった。だが、予研にはなぜか、戦時中の細菌・化学戦研究
 のために生体解剖などをおこなった大日本帝国陸軍の犯罪者”七三一部隊”の残党が大量
 に流れこんでいた。原子力時代を主導した科学技術庁事務次官・梅澤邦臣の次兄・梅沢浜
 夫がいたのが、この予研であった(この関係は、のちにくわしく述べる)。

  このおぞましい殺人部隊の犯罪を、細菌戦資料の提供を交換条件に、東京裁判で免責し
 たのは、戦後の米軍であった。
 また、戦後からすぐ、広島・長崎の医学者と医師の肩書きを持つかなりの日本人か、AB
 CCの調査に協力して、アメリカ人と共同で、悲しむべきことに母国・日本人の被爆・被
 曝の被害者隠しに努めはじめた。それら人間の後継者が、「放射線はこわくない」と言い
 続けある者は長崎大学の教授になっていった。



  1978年に日本の原子力委員会に非公式の「原子力国際問題等懇談会」が設けられた
 席に、不思議な人物ぷ登場した。それが、このアメリカABCCを受け継いで、広島・長
 崎の原爆被爆者の放射線の影響を調査する”日米共同研究機関”――放影研の理事長とし
 て1981年から君臨した重松逸造であった。国際疫学協会理事として、薬害のスモン病、
 カドミウム汚染公害のイタイイタイ病の研究班長となり、驚くべきことに、いずれもこれ
 らの薬害・公害で医学的に明白になっていた原因物質を「シロ」と判定し、被害者の苦し
 みを泥靴で踏みつける重大な疫学犯罪を重ねてきたのが、その重松逸遊であった。

  1986年にチェルノプイリ原発事故が起こると、国際原子力機関(IAEA)が組織
 したチェルノブイリ原発事故の被害を調査する団長となった犯罪者・重松は、チェルノブ
 イリ汚染の被曝現地を訪れながら、1991年にIAEAの”国際チェルノブイリ・プロ
 ジェクト報告書”を国際科学者集団の長として作成し、「住民にはまったく大きな放射能
 被害がない」と報告して、「原因は放射能恐怖症である」とのイメージをふりまき、全欧
 界から怒りを買った。そして現在まで、広島と長崎に研究所を有する放影研が、アメリカ
 から資金提供を受けてきた。

  ICRPの委員でもあったこの重松逸造のチェルノブイリ現地調査を支援したのが、笹
 川財団であった。言うまでもなく、戦時中にウラン調達に暗躍したA級戦犯容疑者であっ
 た右翼の国粋大衆党総裁・笹川良一が、戦後に、満州侵略主導者・岸信介特高警察主導
 者・正力松太郎らの戦犯と共に釈放されたのは、アメリカが彼らを利用しようとする目的
 があったからであり、笹川良一の笹川チェルノプイリ医療協力事業が、重松逸造のパトロ
 ンとなったのは当然であった。笹川チェルノブイリ医療協力事業によるデタラメ検診結果
 の報告書が、WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)に提出され、「高い
 評価]を得てきたのだ。

  AEC(原子カエネルギー委員会)~ICRP~IAEAの長い手が日本に伸びて、原
 子力産業が動かされる姿がはっきりと見えていた。重松逸造は厚生労働省に隠然たる勢力
 を持ち、フクシマ原発事故の翌年、2012年2月6日に94歳で死去した。しかし……
  1995年に笹川良一の死後、笹川財団は、日本財団に改称して曽野核子に継承された。
  その笹川財団傘下で、重松逸遊と組んだのが、チエルノブイリ被曝現地派遣専門家のリ
 ーダーとなった長崎大学の長瀧重信と山下俊一であり、この二人が第1章に述べた通り、
 フクシマ原発事故の放射能被バクを放置したのだ。そして笹川良一の息子・笹川陽平が現
 在まで山下俊一を讃えてきた・・・・・・原子力第三世代の登場である。

  長崎大学の長瀧重信こそ、重松逸遊を継いで放影研理事長となった人物であった。長瀧
 瀧戦後日本の原子力リーダーとなった茅誠司か原子力推進のために生み出した日本アイソ
 トープ協会の常務理事でもあり、ABCCと茅誠司と笹川財団の流れを汲む長薦か、福島
 県内の児童20ミリシーベルト無害論を述べて、原子力安全委員会の決定にお墨付きを与
 え、現在まで東日本の子供の検診を拒否してきたのは、こうした人脈があったからである
 フクシマ原発事故渦中の2011年、まだ事故直後のおそるべき高濃度の放射能が東日本
 全域を襲っていろというのに、4月10日の会議で、原子力安全委員会の久住静代委員が
 東日本全城の高い放射能汚染地域について、年間の積算総量限度をいきなり「20ミリシ
 ーペルト」にしようと提案して、これを原子力安全委員会が決定したことを第1章に
 述べたが、この久住も、放影研で臨床研究部司郎長の時代から重松逸遊の部下であったの
 だ。

次回は、第6章から7章に入る。

                                  この項つづく

 

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