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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

フレキシブルエネルギーフリータイル事業

2017年06月30日 | 開発企画

   

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
  

                             

     ※ 開戦準備完了:楚軍から闘勃(とうけつ:子上)が守戦の使者として、晋の陣
      に派遣された。文公への申し入れの内容はこうである。

      「みなさんとひと遊び始めたいもの。車で見物なさるのもご一興、わたしもお
      供つかまつりましょう」
      文公は欒枝(らんし)に応特させた。欒枝の返答は、
      「わが君は、たしかにお申し入れをうけたまわった。楚君の恩を忘れぬからこ
      そ、わが軍は、ここまで九十里を退いた。大夫である子玉どのが率いる車に、
      これだけ敬意を表したのだ。まして楚君に手向いなどする気はない。しかし、
      そちらからそういわれればいたしかたない。ご面倒でもそちらの面々にお伝え
      願いたい。車の準備を整えるように、心残りなく自分の務めを果たすように、
      そして、あすの早朝、お目にかかろう、と」

      行軍は戦闘態勢にはいった。七百台の兵車が、馬をつけ装備を整え、今やおそ
      しと出陣を待ちうける。文公は有莘(ゆうしん)(古代の川名)の城跡に登っ
      て、居ならぶ軍勢を見わたし、満足げに言った。
      「うむ、これだけ統制がとれていれば、十分戦える」
       そして、あたりの樹木を切って、戦闘の道具を作らせた。
 

  Jun. 23, 2017

● マクロン革命の目玉 フィールズ賞受賞のセドリック・ヴィラニ新議員

ブレクジットに始まる反ユーロ運動の波に飲まれかけたヨーロッパは、既存政党の枠を超えて大統領
に当選したマクロンの政党、「共和国前進」が577議席のうち308議席を獲得したことにより、欧州連
合回帰の政策へ戻ろうとしている。30日に届いた23日号のScienceのメルマガ「A top mathematician joins
Macron revolution
(一級の数学者がマクロン革命に参加)」で
、共和国前進から当選した数学者セドリ
ック・ヴィラニのインタビューを掲載。新大統領は、国内政策の柱の1つに、科学技術予算を2.2%か
ら3%に引き上げ、大学自体の裁量を高める――トランプの反科学(反知性)政策に対抗政策― グロ
ーバルな公約「Make our planet great again」に基づいて、3千万ユーロをかけて外国人研究者を呼び寄
せ、フランスを環境や温暖化問題の中心にしようと意欲的な計画を打ち出す。今回共和国前進の議員
の半数が女性という特徴だがそのなかでも一際目立つのが、フィールズ賞を始め様々な賞を受賞した
トップ数学者セドリック・ヴィラニ(43歳)がし当選する。以下その問答。

Q:議会活動で何を重点的に行いたいか?
A:「フランス人に自信を取り戻してもらうこと」 「競争的研究資金の効率化」 「国と私企業の開
  発コストのバランス」 に重点的に取り組む。

Q:具体的にな何をするのか?
A:研究に専念できるポジションの創設、大学が学生に明確なキャリアパスを示せるようになること
  などをあげた上で、自分の任務はは科学に限らなく、政治に全く科学マインドが見られない現状
  を科学に基づく政治に変える。

Q:マクロンは本当に科学推進派か?
A:科学技術相にフレデリック・ビダルが選ばれたように、基礎と応用を均衡のとれた推進ができる。

Q:議員になることで数学者としてのキャリアは捨てるのか?
A:ポアンカレ研究所の所長になった2009年に自分は研究やめたと明確に答えている。そして今は、
  政治家としての使命の方が大きい。 
 

 Jun. 29, 2017

● プラグイン&ソーラーカーの登場間近 ?

6月29日、オランダのベンチャー企業・
ライトヤー(Lightyear)社(スタートアップ)は、1回の満
充電で500マイル(805キロメートル)の走行距離を持つ電気自動車販売計画を発表。この全エネルギ
ー太陽光型四輪駆動自動車("Lightyear One")は、ソーラーパネルでプラグイン充電なしで数ヶ月運
転できる。「Lightyear Oneは、ソーラーカーと電気自動車の双方の最高の組み合わせ設計した電気自
動車であり、美しい外観と驚くべき効率とを組み合わせ、革新的な一歩を踏み出した」とレクス・ホ
フェスルート(Lex Hoefsloot)最高経営責任者がこのように語る。勿論、晴れた気候では、車は充電
することなく数ヶ月運転できるが、さらに走行する場合は、標準電源プラグで充電できる。
Lightyear
One
は、2018年初めに公開、2019年に米国と欧州で初出荷する予定。価格は
119,000ユーロ(1,152
円)から始まり、ライトイヤーのウェブサイトではすでに予約受付を行っている。



SMC050 - Lex Hoefsloot - The technical side of autonomous vehicles - 27 Februari 2017
 
 Jun. 27, 2017

● 大画面と曲面設計対応、車載用フィルムセンサ

6月27日、日本航空電子工業は、操作/デザインの優れた車載用CID(Center Information Display)装置
などの用途に向ける。大画面化と曲面デザインに対応可能な車載用静電容量式フィルムセンサーを開
発し販売を始める。新製品は、印刷技術を用いてセンサー電極をメタルメッシュ化し、1枚のフィル
ム基板上に形成。これによりこれまで2枚必要だったフィルム基材が11枚で済む。また、軽量化や
薄型化を図るとともに、曲面デザインなどへの対応も可能である。タッチパネルの感度も大幅に向上
する。❶フィルムセンサーの大きさは最大20インチ程度まで対応できる。❷厚みは0.1mmである。❸
動作温度範囲は-30~85℃。❹組み合わせて用いる液晶ディスプレイの高画素化に対しても、メタル
メッ
シュのパターン設計を最適化で、外観品質などを向上、❺液晶表示との干渉対策も施す。なお、
印刷技術を柱としたコンバーティング技術を「FLEXCONVERT」と名付けている。新製品開発の基盤
ともなったコア技術で、今後は同社のインタフェースソリューション事業における新技術ブランドと
して新製品の開発に取り組んでいくとのこと。このブログ掲載している「ネオコンバーテック」のナ
ノテク(生物工学)領域の「可撓機能」に包括されるものである(蛇足/下図参照)。

 

 Jun. 30, 2017

● 世界初の発電型スマートストリート ロンドンで公開

6月30日人間の動を圧電変換素子で発電する道路がロンドンのウエストエンドで設置公開。バード通
には107平方フィート(≒9.9平方メートル)のパヴェンゲン(Pavegen)社の技術で足音のパワーを
電気に変換し発生したエネルギーで、その地域の照明や鳥の音のBGMに供給される。「ワシントン
D.C.とヒースローなどの重要な輸送拠点に設置し、弊社技術が実証できれば、小売店街にも拡販でき
る」とローレンス・ケンブル・クック(
Laurence Kemball-Cook最高経営責任者は話す。また、「この
ようにパヴェンゲン(
Pavegon)社の発電舗装だけにとどまらず、空気から二酸化窒素を取り込み浄す
Airlabs社の「CleanAir ベンチ」やエアライトの空気清浄用塗料なども、
健康的な都市空間の数多く
のショッピングと食事の機会を提供する
バード通りが成功すればロンドンの他の地域にも同しコン
セプトが導入されるだろう」とアレックス・ウィリアムズロンドン交通局長は話す。



  Jun. 29, 2017

●  積水ハウス 全賃貸住宅「ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス基準」達成

6月26日、積水ハウスは全住戸で年間の一次エネルギー消費量がネットでゼロになる「ネット・ゼロ・
エネルギー・ハウス(ZEH)」の基準を満たす賃貸住宅「ZEH21」を石川県金沢市内に建設すると発
表。全戸でZEH基準をクリアする賃貸住宅の建設は「国内初」(政府は2014年4月に閣議決定したエネ
ルギー基本計画の中で、2020年に標準的な新築住宅で、2030年までに新築住宅の平均でZEHの実現を
目指す方針を掲げている。



それに伴いハウスメーカーはZEHの開発に注力しているが、現状そのほとんどは戸建住宅だ。ZEH
準を満たすには、住宅の高断熱化や設備の導入による省エネと、太陽光発電による創エネで、一次エ
ネルギー収支を概ねゼロにすることが必要。集合住宅の場合、一戸当たりの太陽光パネルの設置面積
が不足するため、ZEH基準をクリアすることは難しとされている。このため、国の普及目標でも集合
住宅のZEH化は対象外となっている。積水ハウスが新たに建設するZEH賃貸住宅は、敷地面積792.83
m2
743.03m2、重量鉄骨造の3階建てで全13戸。2017年8月1日に着工し、2018年1月21日に完成予定。
 

 No.39

【RE100倶楽部:環境配慮エネルギー事業篇Ⅰ】

先回の「RE100倶楽部:太陽電池篇」(同シリーズNo.38「
量子ドット工学講座 No.41:量子ド
ットで理論限界に迫る」)で、後5年で「エネルギーフリー社会」段階に突入すると、わたし(たち)
の確信を書いている。どれじゃ、それを担保する事業推進舞台(あるいは部隊)はどうかということ
になる。今回はそのプロジェクトについて素描していくことになる。



● フレキシブルエネルギーフリータイル事業のスタートアップ

 ✔ 事業名称:フレキシブルエネルギーフリータイル事業FEFTP

事業名称をここでは、エネルギーハーベスティング(環境配慮型エネルギー)の光電変換素子・熱電
変換素子・圧電変換素子を組み込んだエネルギー変換システムの製造・販売・保全(+3R/ZW)
を行うこととする。例えば、前出掲載したライトヤー(Lightyear)社の電気自動車では、メーカーに
ルーフトップソーラーを供給し、使用済みあるいは交換用のソーラータイルを供給する。同様に、パ
ヴェンゲン(Pavegen)社の発電する舗装用圧電発電システム(あるいはソーラーシステム)、あるい
は、住宅・ビルディング用光電/熱電/圧電変換システムの供給する。

✔  ソーラータイル(光電変換システム)の仕様

ここでは、「発電する超高層ビルディング」(2017.06.05)、「ネット・ゼロ・エネルギーハウスを、
語る。」(2017.06.19)記載したような例を元に、❶変換効率を20%/30%のタイプ2つに分類、
❷使用環境(温度・湿度)範囲を設定しタイプを低・中・高の2つに分類、❸タイル表面積は、基本
サイズを規定品(数種類)と特注品とに分類、❹耐久性は15年、30年、60年の3つに分類、❺
価格は、面積当たり(平方メートル)と出力当たり(キロワット)で表示し、例えば1キロワット当
たり、10万円以下に設定(ただし、システム込み/出荷ベース)、❻意匠性では、色彩マントの種
類を基本10色、質感パターンは基本10種類とする。


✔ サーマルタイル(熱電変換システム)仕様

※ ソーラータイルを参考に仕様を決定

✔ ピエゾタイル(圧電変換システム)仕様

※ ソーラータイルを参考に仕様を決定

以上のようなイメージで事業開発を行っていくものとする(本件は残件扱い)とする。同志よ雲のご
とく集まらん!

 

 

   

コメント
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彼女たちは素敵だ。

2017年06月28日 | 時事書評


   

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
  

                             

     ※ 決 戦:【経】(二十八年)夏四月己巳(きし)、晋侯・斉の師・宋の師・秦の
      師、楚人と城濮(じょうぼく)に戦う。楚の師敗績す。
    ※ 晋・楚、城濮に対時す 夏四月戊辰の日となった。晋は宋、斉、秦と連合して、
      城原(衛の地、今の河南省陳留県境)に陣をとった。ひきいるは晋の文公、宋の
      襄公、斉の大夫国帰父及び崔夭(さいよう)、秦の小子憖(しょうしぎん)(穆
      公の子)。これに対する楚軍は酇(けい)山を背に陣をしいた。敵が山を背に必
      死の構えを取ったのを見て、文公は攻撃をためらった。思いまどっているとき、
      ふとの歌うはやりの歌の中に、こんな一節があるのを耳にした。

        "丘の畑に 草ぼうぼう
              古い根を抜き 新しい種を播け"

      (茂った草は晋軍の強盛を、古い根は楚への旧恩を意味し、昔の義理を捨てて、
      新規なことをせよ、すなわち、楚と戦えという意を寓する)

      しかし、文公はなお態度を決しかねた。子犯が進み出ていった。「攻撃です。こ
      こで勝てば諸侯をおさえ、回折となることができます。まべたとえ敗れたところ
      で、わが晋は山河にかこまれた要害の地、本国まで失う恐れはありません」
     「だが、楚から受けた恩はどうしたものか」文公がいうと、こんどは欒(らん)子
      が進み出た。「楚は淡水の北一帯の他姓(すなわち文公と同姓)の国々(鄭・衛・
      四‥・随など)をすべて滅ぼしたではありませんか。このような恥辱を受けなが
      ら、小さな恩にいつまでもこだわることはありません。ためらわず攻撃すべきで
      す」その夜のこと、文公は夢を見た。――楚の成王と、とっ組みあって争うち、
      文公は成王に組みしかれ、脳みそを食われた。目見めた文公は、この夢が凶兆で
      はないかとおそれた。「いえ、それは吉兆です」子犯が文公の懸念を打ち消した。

      「下になったとは、言葉をかえれば天をあおぐということ。わが方は天の助けを
      得ることができます。一方、上になった楚は、自らの犯した罪のため、地に伏し
      たのです。また、脳みそを食ったことは、吸った自分がそれだけ弱くなったこと
      を意味します」

      〈脳みそを良う〉 脳みそには、物体を軟かくする性質があると考えられていた。
      猪の脳みそで皮を軟らかくするという記事が『周礼』に見える。
 

  

 【ルームランニング記 Ⅸ】 

 ● 一日3回は無理だ!

「宅トレレシピ」の一日3回繰り返しははやはり無理だと暫定的に2回に変更。その理由は時間のシ
ュアリングからと、負荷強化してから、心臓胸部が妙に不整脈を伴わないが重苦しいものが残ったた
め。これはピッチが速いためと判断(心拍ピーク150超で適正年齢を超えている)。斜度10%*
時速6キロメートルの最大負荷を短くし、平坦歩行時間を長くし1回の歩数を2千5百キープするこ
とに変更。

Q:坂道を走るのは苦手だが、上がり坂、下り坂の上手い走り方は?
A:上り無理せず足を置いていくだけ。下りは腕を少し下げて前傾する。
 

 

 ● 彼女たちは素敵だ。

宅トレ中は42型の大型テレビで録画再生映像を見ながら行うのが普通。トレッキング。登山の番組
だけでなくいろいろ。特に「おとなの基礎英語」は欠かさず録画し再生。歌姫サラ・オレインもさる
ことながら、ニューヨークとロンドンを舞台に物語が展開。世界中から人々が集まる二大都市で、さ
まざまな人々の英語を聞きながら旅先で役立つ英会話フレーズを学ぶのだがストーリー展開がとても
いい。さらにゲストのモデル、女優として活躍する田丸麻紀の感性がいい。勿論、彼女だけでなく、
彼女たちは素敵だ。今週のキーフレーズは "Would you care for some hot chocolate?" 

 

       

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    38.あれではとてもイルカにはなれない

  免色は淡いグリーンのカーディガンを着ていた。カーディガンの下にはクリーム色のシャツを
 着ていた。そしてグレーのウールのズボンをはいていた。どれもみんな清潔でしわひとつなく、
 クリーニングからさっき戻ってきたばかりのもののように見えた。しかしどれも新品ではなく、
 程よく着古されている。でもそのぷん余計に清潔そうに見えた。そして豊かな髪はいつものよう
 に純白に輝いていた。夏でも冬でも、晴れた日でも曇った日でも、時節や天候にはかかわりなく、
 彼の髪は常に白く輝いているのだろう。その輝き方の傾向が少しずつ変化するだけだ。

  免色は車から降りるとドアを閉め、顔を上げて曇り空を眺め、天候についてひとしきり何かを
 考え(何かを考えているように私の目には映った)、それから心を定め、ゆっくりと歩いて玄関
 にやってきた。そしてドアベルを押した。まるで詩人が大事なところに置く特別な言葉を選ぶと
 きのように、慎重に時間をかけて。どう見てもそれはただの古いドアベルに過ぎないのだけれど。
 私はドアを開け、彼を居間に過した。彼はにこやかに二人の女性に向かって挨拶をした。秋川笙
 子は立ち上がって彼を迎えた。まりえはソファに座ったまま、髪を指先にからめていた。免色の
 方をほとんど見もしなかった。私は全員を椅子に座らせた。お茶はいらないかと、私は免色に尋
 ねた。おかまいなく、と免色は言った。首を何度か横に振り、手まで振った。

 「どうです、お仕事は捗(はかど)っていますか?」と免色は私に尋ねた。

  まずまず捗っている、と私は答えた。
 「どう、絵のモデルになるのも疲れるでしょう?」と免色はまりえに尋ねた。免色がきちんと正
 面から目を合わせてまりえに話しかけたのは、私に思い出せる限りではそれが初めてだった。免
 色が緊張していることはその声の響きからわずかに察せられたが、今日の彼はまりえを目の前に
 しても、顔を赤くしたり青くしたりするようなことはなかった。表情もほとんど普段と変わらな
 かった。感情をうまく制御することができるようになったのだ。たぶんそのためのなんらかの自
 己訓練が行われたのだろう。
  まりえはその質問には答えなかった。意味のわからない呟きのようなものを、小さく口にした
 だけだった。彼女の両手の指は、膝の上でしっかり組み合わされていた。
 「でも日曜日の朝にここに来ることを楽しみにしているんですよ」と秋川笙子が沈黙を埋めるた
 めに口を添えた。
 「絵のモデルをするというのはなかなか大変なことなんです」と私もその試みに及ばずながら協
 力した。「まりえさんはずいぶんがんばってくれていると思います」
 「私もしばらくここでモデルをつとめましたが、絵のモデルになるというのはなんだか奇妙なも
 のです。ときどき魂をかすめ取られているような気がしたものです」、そう言って免色は笑った。

 「そうではない」とまりえはほとんど囁くように言った。

  私と免色と秋川笙子は、ほとんど一斉にまりえの顔を見た。
  秋川笙子はうっかり間違ったものを口に入れて、それを噛んでしまった人のような顔をしてい
 た。免色の顔には純粋な好奇心が浮かんでいた。私はどこまでも中立的な傍観者だった。
 「それはどういうこと?」と免色は尋ねた。
  まりえは抑揚のない声で言った。「かすめ取られてはいない。わたしはなにかを差し出し、わ

  たしはなにかを受け取る」
   免色は静かな声で、感心したように言った。「君の言うとおりだ。言い方が単純に過ぎたみたいだ。もち
  ろんそこには交流がなくちやいけない。芸術行為というのは決して一方的なものではないから」 
  まりえは黙っていた。何時間も身じろぎもせずに水辺に立って、ただ水面を睨んでいる孤独な
 
ゴイサギのように、その少女はテーブルの上のティーポットをまっすぐ見つめていた。白い無地
 
の陶器でできたどこにでもあるティーポットだ。かなり古くはあるが(雨田典彦が使っていたも
 
のだ)、あくまで実用的に作られたもので、しげしげ眺めたくなるような特別な趣はそこにはな
 
い。縁も僅かにかけている。ただそのときの彼女には、集中して見つめるべき何かが必要だった
 
のだ。

 夜烏

  部屋に沈黙が降りた。何も書かれていない真白な広告看板を思わせる沈黙だった。
  芸術行為、と私は思った。その言葉には周囲の沈黙を呼び込んでしまう響きが典わっているみ
 たいだ。まるで空気が真空を埋めるみたいに。いや、この場合はむしろ真空が空気を埋めるとい
 うべきか。

 「もしうちにお越しになるのでしたら」とその沈黙の中で免色がおずおずと、秋川笙子に向かっ
 て切り出した。「私の車に一緒に乗っていらっしやいませんか? そのあとまたここまでお送り
 します。後ろのシートは狭いですが、うちまではけっこう入り組んだ狭い道なものですから、一
 台の車で行った方が何かと楽だと思います」
 「ええ、もちろんそれでけっこうです」と秋川笙子は迷うことなく返答した。「免色さんの車に
 乗せていただきます」

  まりえはまだ白いティーポットを眺めて、何かをじっと考えていた。でも彼女が心の中で何を
 思い、考えているのか、もちろん私にはわからなかった。彼らが昼食をどうするのか、それもわ
 からなかった。でも如才のない免色のことだ。私かいちいち気をもむまでもなく、それくらいの
 ことは考えているだろう。
  ジャガーの助手席には秋川笙子が座り、まりえは後部席に身を落ち着けた。大人二人が前で子
 供は後ろ。とくに協議があったわけではなく、自然にそういう席の配置になった。その車が静々
 と坂道を降りて視界から消えていくのを、私は玄関のドアの前に立って見送った。そのあと家の
 中に戻り、紅茶の茶碗とポットを台所に運んで洗った。

 Der Rosenkavalier

  それから私はリヒアルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』をターンテーブルに載せ、ソファに
 横になってその音楽を聴いた。とくにやることがないときに、そうやって『薔薇の騎士』を聴く
 ことが私の習慣になっていた。免色が植え付けていった習慣だ。その音楽には彼が言ったように
 確かに一種の中毒性があった。途切れもなく続く連綿とした情緒。どこまでも色彩的な楽器の響
 き。「たとえ一本の箒だって、私はそれを音楽で克明に描くことができる」と豪語したのはリヒ
 アルト・シュトラウスたった。あるいはそれは笥ではなかったかもしれない。しかしいずれにせ
 よ彼の音楽には絵画的な要素が色濃くあった。私が目指す絵画とは方向性の異なるものではあっ
 たけれど。

  しばらくあとで目を聞いたとき、そこには騎士団長がいた。彼はいつもの飛鳥時代の衣裳を身
 につけて、剣を腰にさげ、私の向かい側の椅子に腰を下ろしていた。革張りの安楽椅子の上に、
 その体長六十センチほどの男はちょこんと腰掛けていた。
 「久しぶりですね」と私は言った。私の声はどこかべつのところから無理に引っ張ってこられた
 声のように聞こえた。「お元気ですか?」
 「前にも言ったが、イデアには時間の観念はあらない」と騎士団長はよくとおる声で言った。
 「したがって久しぶりという感覚もあらない」
 「ただの習慣的発言です。気にしないでください」
 「習慣というのもよくわからん」

  たしかに彼の言うとおりだろう。時間のないところに習慣は生まれない。私は立ち上がってプ
 レーヤーのところに行って針を上げ、レコードをボックスにしまった。
 「そのとおりだ」と騎士団長は私の心を読んで言った。「時間が両方向に自由に進んでいる世界
 では、習慣などというものは生まれっこあらない」
  私は前から気になっていたことを尋ねてみた。「イデアにはエネルギー源みたいなものは必要
 とされないのですか?」
 「そいつがむずかしいところだ」と騎士団長はいかにもむずかしそうな顔をして言った。「どの
 ような成り立ちのものであれ、ものが生まれ、そして存在し続けるためには、なんらかのエネル
 ギーが必要とされる。それが宇宙の一般的な原則である」
 「つまりイデアにもエネルギー源はなくてはならない、ということですか。一般的な原則に従っ
 て?」
 「そのとおり。宇宙の原則に例外はあらない。しかるにイデアの優位な点は、もともと姿かたち
 を持っておらないことだ。イデアは他者に認識されることによって初めてイデアとして成立し、
 それなりの形状を身につけもする。その形状はもちろん便宜的な借り物にすぎないわけだが」
 「つまり他者による認識のないところにイデアは存在し得ない」

  騎士団長は右手の人差し指を空中にあげ、片目をつぶった。「そこから諸君はどのように類推
 をおこなうかね?」
  私は類推をおこなった。少し時間はかかったが、騎士団長は我慢強く待っていた。
 「ぼくが思うに」と私は言った。「イデアは他者の認識そのものをエネルギー源として存在して
 いる」
 「そのとおり」と騎士団長は言った。そして何度か肯いた。「なかなかわかりがよろしい。イデ
 アは他者による認識なしに存在し得ないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在
 するものであるのだ
 「じやあもしぼくが『騎士団長は存在しない』と思ってしまえば、あなたはもう存在しないわけ
 だ。
 「理論的には」と騎士団長は言った。「しかしそれはあくまで理論上のことである。現実にはそ
 れは現実的ではあらない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをや
 めることは、ほとんど不可能だからだ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えのひとつで
 あって、その考えを持っている限り、その何かもまた考えられているからだ。何かを考えるのを
 やめるためには、それをやめようと考えること自体をやめなくてはならない」
  私は言った。「つまり、何かの拍子に記憶喪失にでもかからない限り、あるいはどこまでも自
 然に完全にイデアに対する興味を失ってしまわない限り、人はイデアからは逃げることができな
 い」

 Sleeping with Half a Brain  Scientific American

 「イルカにはそれができる」と騎士団長は言った。
 「イルカ?」
 「イルカは左右の脳を別々に眠らせることができるんだ。知らなかったか?」
 「知りませんでしたね」
 「そんなわけでイルカはイデアというものに関心を持たない。だからイルカは進化を途中で止
 てしまったのだよ。我々もそれなりに努力はしたのだが、残念ながらイルカとは有益な関係
を結
 ぶことができなかった。なかなか有望な種族だったのだがな。なにしろ人間が本格的に登
場して
 くるまでは、哺乳類の中では、体重比でもっとも大きな脳を持つ動物であったから」

 「しかし人間とは有益な関係を結ぶことができた?」
 「人間はイルカとは違って、ひと続きの脳しか持っておらんからね。いったんぽこっとイデア
 生じると、それをうまく振り落とすことができないのだ。そのようにしてイデアは人間から
エネ
 ルギーを受け取り、その存在を維持し続けることができたのだ

 「寄生体みたいに」と私は言った。
 「そいつは人聞きが悪いぞ」騎士団長は教師が生徒を叱責するときのように指を左右に振った。
 「エネルギーを受け取るといっても、それほどたくさんの量をいただくわけではあらない。ほ
 のひとかけら――普通の人間はほとんど気づかないくらいだ。それによって人が健康を損な
った
 日常生活に支障をきたしたりすることもあらない」

 
 「でもあなたは、イデアにはモラルみたいなものはないと言いました。イデアというのはどこ
 でも中立的な観念であり、それを良くするのも悪くするのも、人間次第である、と。だとすれば、

 イデアは人間に良いことをするかもしれないけれど、逆に良くないことをする場合だってある。
 そうですね?」
 「Ε=mc2という概念は本来中立であるはずなのに、それは結果的に原子爆弾を生み出すこと
 なった。そしてそれは広島と長崎に実際に投下された。諸君が言いたいのはたとえばそういう

 ことかね?」

  私は肯いた。

 「それについては私も胸を痛めておるよ(言うまでもなくこれは言葉のあやだ。イデアには肉

 もない、したがって胸もあらないからな)。しかしな、諸君、この宇宙においては、すべてが、
 
caveat emptor なのだ」
 「はあ?」
  「
caveat emptoro カウェアト・エンプトル。ラテン語で『買い手責任』のことである。人の手に
 渡ったものがどのように使用されるか、それは売り手が関与することではあらないのだ。たとえ
 ば洋服屋の店先に並んでいる衣服が、誰に着られるか選ぶことができるかね?」
 「なんだか都合の良い理屈みたいに聞こえますが」
 「Ε=mc2は原子爆弾を生み出したが、一方で良きものも数多く生み出しておるよ」
 「たとえばどんな?」

  騎士団長はそれについて少し考えていたが、適当な例がすぐには思いつけなかったらしく、口
 を閉ざしたまま、両手の手のひらで顔をごしごしとこすった。あるいはそういう論議に、それ以
 上意味を見いだせなかったのかもしれない。
 「ところでスタジオに置いてあったの行方を知りませんか?」と私はふと思い出して尋ねてみ
 た。
 「鈴?」と騎士団長は顔を上げて言った。「鈴ってなんだね?」
 「あなたがあの穴の底でずっと鳴らしていた古い鈴ですよ。スタジオの棚の上に置いておいたん
 だけど、このあいだ気がついたらなくなっていました」
  騎士団長はしっかりと首を横に振った。「ああ、あの鈴か。知らんな。ここのところ、鈴には
 さわったこともあらないよ」
 「じやあ、いったい誰が持って行ったんだろう?」
 「さあ、あたしにはとんとわかりかねる」
 「誰かが鈴を持ち出して、どこかで鳴らしているようです」
 「ふうむ。それはあたしの問題ではあらない。あの鈴はもうあたしにとって必要なきものになっ
 ておる。だいいちそもそも、あれはあたしの持ち物というわけではあらないのだ。むしろ場に共
 有されるものだ。いずれにせよ、消えるからにはたぶん消えるなりの理由があったのだろう。そ
 のうちにどこかでひょいと出てくるかもしれん。持っておるといい」
 「場に共有されるもの?」と私は言った。「あの穴のことを言っているのですか?」

  騎士団長はその問いには答えなかった。「ところで、諸君は秋川笙子とまりえが帰ってくるの
 をここで持っておるのだろうが、まだしばらく時間はかかるぜ。暗くならないうちは、まず戻っ
 てこないだろう」
 「免色さんには何か、彼なりの思惑みたいなものがあるのでしょうか?」と私は最後に尋ねてみ
 た。
 「ああ、免色くんにはいつも何かしら思惑がある。必ずしっかり布石を打つ。布石を打たずして
 は勤けない。それは生来の病のようなものだ。左右の脳を常時めいっぱい使って生きておる。
 れではとてもイルカにはなれない
  騎士団長の姿は徐々にその輪郭を失い、風のない真冬の朝の蒸気のように薄らいで拡散し、や
 がて消えてしまった。私の正面には空っぽの古い安楽椅子があるだけだった。そこに残された不
 在はあまりにも深いものだったので、彼がついさっきまで本当に目の前に座っていたのかどうか、
 確信が持てなくなった。私はただ空白と向かい合っていたのかもしれない。自分自身の声と語り
 合っていただけかもしれない。

  騎士団長の予言したとおり、免色のジャガーはなかなか姿を見せなかった。秋川家の二人の美
 しい女性たちは免色の家で長い時間を過ごしているようだった。私はテラスに出て、谷間の向か
 い側にあるその白い屋敷を眺めた。しかしそこには誰の姿も見えなかった。私は持っている時間
 をつぷすために、台所に行って料理の下ごしらえをした。出汁をつくり野菜を葬で、冷凍できる
 ものを冷凍した。しかし思いつける限りのことをすべてやっても、それでもまだ時間があまった。
 私は居間に戻って、リヒアルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』の続きを聴き、ソファに横にな
 って本を読んだ。

  秋川笙子は免色に対して好意と興味を持っている。そのことはたぶん間違いないだろう。免色
 を見る彼女の目は、私を見るときの目とはまるで輝きが違っている。ごく公正に言って、免色は
 魅力的な中年の男だ。ハンサムで金持ちで独身だ。身なりも良いし、物腰も柔らかで、大きな山
 の上の屋敷に住み、英国車を四台所有している。世の中の多くの女性は彼に興味を抱くに違いな
 い(世の中の多くの女性は私にとりたてて興味は抱かないだろう、というのと同じくらいの確率
 で)。しかし秋川まりえは免色に対して少なからず警戒心を抱いている――間違いなく。まりえ
 はとても勘の鋭い少女だ。免色が何かしらの意図を心に抱いて行動していることを、あるいは本
 能的に察知しているのかもしれない。だからこそ彼女は免色とのあいだに、意識的に一定の距離
 を置いている。少なくとも私の目にはそのように映る。

  ものごとはこれからどう展開していくのだろう? それを見届けてみたいという自然な好奇心
 と、そこにはあまり喜ばしい結果は生まれないのではないかという漠然とした危惧が、私の中で
 せめぎあっていた。河口でぶつかりあい、押し合いをする満ち潮と川の流れのように。
  免色のジャガーが再び坂道を上ってきたのは、五時半を少しまわった頃たった。騎士団長が予
 告したように、そのときにはあたりはもうすっかり暗くなっていた。

長らく登場のなかった騎士団長が再び顕れる展開となり、イデア論をベースに圧巻の会話が交わされ
圧倒される。「第一級の作品」という言葉が頭を過ぎった。次回は「第39章 特定の目的を持って
作られた、偽装された容れ物」へ移る。


                                      この項つづく
● 今夜の短評:森友学園・加計学園

森友学園と加計学園の問題が大きく取り上げられているが、何が問題かすっきりした答えはない。こ
れに、豊洲移転問題が絡めば、モヤモヤは晴れることはない。ただ豊洲は地下水汚染問題を解決すれ
ば、その他の問題は、運用の中で解決(改善費用など)し、築地の再開発は「構想設計」「ロードマ
ップ」へと移るから小池知事の手腕次第ということでケリがつく。従って、前者の2つは何だという
ことになるのだが、2つに共通していることは、新自由主義と開発独裁をミックスした中国の特区構
想をぱっくった「構造改革特区」という法律とその運用にある。このブログでも批判しているように、
地方創生構想を含めた地方分権推進の貧相な政策にあると考える。いや、そもそも、わたし(たち)
構造改革主派ではないのだが、特定の縁故閥、縁故資本が跋扈し、汚職と格差増長させた中国の失
敗を学習し、特区構想を廃止し、不透明で恣意的な「論功行賞的な介入」を是正し、中央政府は法治
主義
に徹すべきであると考える。
 

   

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理論限界に迫る太陽電池

2017年06月27日 | 環境工学システム論

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

     ※ 晋・楚、開戦へ――楚の子玉独走す:中原進出をもくろむ楚に対し晋はた
      くみに諸国をあやつり、連合体制を整えた。楚の成王は戦争回避を考えたが、
      令尹子玉は、あくまで戦おうとした。

    ※ 楚の成王は、いったん宋を攻撃したものの、情勢不利と見て、本国に引きあ
      げ申(し
ん)に落ちついた。そして、斉の毀にあった申侯、および宋に残っ
      た子玉に、兵をまと
めて引きあげるように命じた。「晋軍を深追いしてはな
      らぬ。文公は十九年の亡命生活の末、晋国の主となった人物だ。苦労という
      苦労を嘗めつくし、人民の生活のすみからすみにまで通じている。そのうえ
      かれは天から特別の加護を受けているようだ。その証拠にかれの兄弟はすべ
      て世を去り、かれだけが生き残った。また、かれをつけねらった者どもはす
      べて命をおとしている。文公が付言の位にあるのは、天の配慮といえよう。
      これに軽々しく手を触れることはできない。

         "彼我、兵力互角ならば退却せよ。
          勝てぬと見たら退却せよ。
                 徳ある者を敵にまわすな"

      兵書はこう敢えているが、この三ヵ条はすべて晋についてあてはまる」成王
      はこういったが、子玉は伯棼(子越椒)を使者に立て、成王に戦いの許しを
      詔うた。「手柄を立てたいわけではありません。わたしを無能力者呼ばわり
      した酉貿の鼻をあかしてやりたいのです」成王は、子玉の命令無視に腹を立
      て、ごくわずかの軍勢しかあたえなかった。子玉の指狸下にはいぅた軍勢は、
      成王の西京、太子付の軍、それに子玉一族の手兵六百に過ぎなかった。子玉
      は、まず大夫の宛春を台車の陣に派遣して、次のように通告した。「衛侯を
      復位させ、曹の領地を返還されよ。承知いただければ、こちらは宋の包囲を
      解こう」

            晋の子犯はかんかんに怒って、「何たる無礼。臣下の
分際で一国の君主にむ
      かい、一つをあたえ二つを取ろうというのか。目にもの見せて
くれよう」と、
      いきり立った。だが、先翰(せんしん) はこれに反対した。
「受諾する方
      が礼にかなっています。なぜならば、相手の地位を安定させることこそ
礼の
      眼目だからです。子玉の申し入れの内容は、衛、曹、宋の三国の地位を安定
      さ
せようとするものであり、礼にかなっているといえましょう。わが国がこ
      れを拒否すれ
ば、この三国を不安定な状態に放置することとなります。礼を
      わきまえぬのはわが方
といわざるを得ません。これでは戦いの名目が立たな
      いではありませんか。
そればかりでなく、いま、この申し入を拒むとしたら、
      宋を見捨てることになります。
いったんたすけるといっておきながら、ここ
      で見捨てたのでは、諸侯に対し顔むけができません。
申し入れを拒否すれば、
      結局、楚は三つの国に言を売り、わが晋は逆に三つの国から怨まれること

      なります。敵を有利にしておいて戦うとは、ばかげた話です。
これらの点を
      考えれば、ここはひとまず、千里の申し入れを受諾するのが得策でしょう。
      そうすれば
、曹と衛に言を着せ、楚からこの二国を切り離すことができます。
      こうしておいて、宛春(えんしゆん)をとらえて子玉を怒らせ、戦いを交え
      てこれを打ち破るのです。衛・曹二国の処置は、その後で考えればよろしい
      でしょう」

      文公は、この意見に従って事を運んだ。まず千里の使者宛春を衛に拘禁し、
      子玉には知らせずに、曹と衛とを旧来の地位にもどした。はたして曹と衛と
      は、楚と国交を絶った。これを知った子玉は、烈火の如く怒って晋軍を攻撃
      した。文公はそれに立ち向わず、軍勢を後退させた。「あなたはいやしくも
      晋の君主、子玉は楚の臣下に過ぎません。君主たる者が、臣下ふぜいの率い
      る軍をさけるのは恥と串すべきです。そのうえ、楚の軍勢は疲れきっている
      様子、ここで退却とは納得がいきません」軍目付が文公に不満を訴えたが、
      子犯がこれに反論した。「いや、戦いが長びいたからといって、兵士が疲れ
      るとはかぎりません。戦いの目的が道義にかなていれば、いくら戦っても疲
      れるものではないし、逆に道義にはずれた戦いならばたやすく疲れるもので
      。考えてみれば、楚が亡命中のわが君をたすけてくれなかったとしたら、
      今日の晋はありえないはずいま楚軍に対し九十里を退いたのは、その言返し
      の意味です。恩を仇で返し、約東にそむいて、相手を敵にまわすとしたら、
      道義にはずれるのはわが回、道義にかなうのは楚、ということになります。
      そのうえ、楚章は兵糧のだくわえも十分あり、疲れたとは申せません。

      わが方が退却したいま、子玉が軍を退けばそれまでのことですが、もし退か
      ぬとな
れば、楚は臣下がひきいる軍として、君主のひきいる軍に対し非礼を
      犯すことにな
ります。そのときこそ、わが方は道義的に優位に立つことがで
      きます」こうして晋軍
が九十里退却したので、焚平の内部には進撃中止の意
      見が強まったが、子玉はそれに
耳を傾けようとしなかった。
        
      〈約束にそむく〉 文公は楚に滞在中、成王に、もし戦場で対峙した場合に
      は、自軍を九十里退却
させると約束した (「三舎を辟く」参照)。

 

 No.38

【RE100倶楽部:太陽電池篇】

● 量子ドット工学講座 No.41:量子ドットで理論限界に迫る 

このシリーズでは風力発電のエネルギー変換効率が理論限界に漸近していることを掲載(「リバプー
ル沖に世界最大の風力タービン稼働」2017.05.19)、あるいは、「量子ドット工学講座 No.39」(2017.
05.29)では、「太陽光パネルは、理論限界値に漸近する商用の量子ドット型アルファ器の出現を。
また、蓄電システム池や水電解型水素製造装置は最高品質の商用アルファー機の出現を、同じく、燃
料電池蓄電池やバイオマス発電/ボイラーのアルファ機を、併せて、ゼロエネルギー住宅/高層ビル
や省エネ推進を進める最終段階に入る。後5年もあれば逐次目標をクリアしていくだろう」と大見得
を切っている!?^^;
  今回も、最新の量子ドット技術を俯瞰し今後の見通しを考える。

     


事例研究:特開2017-098496 光電変換置 京セラ株式会社

高効率の量子ドット太陽電池は、量子ドットに特定波長の太陽光が当たり励起される電子とその電子
が価電子帯から伝導帯まで励起されたときに生じる正孔とをキャリアとして利用する。
この場合、量
子ドット太陽電池の光電変換効率は、量子ドット集積部内に生成するキャリアの総量に関係すること
から、例えば、量子ドット集積部の厚みを厚くして量子ドットの集積度を増やすことが発電量の向上
につながり、
量子ドット内においてキャリアは、理論的には、エネルギー緩和が起こりにくく消滅し
難いと考えられていたが、
量子ドットを集積させて形成した場合、量子ドット内の生成キャリアは、
障壁層及び量子ドット集積部内に存在する欠陥と結合し消滅し、電極まで到きる電荷量の低下が起こ
り、光電変換効率を高められなかった。


これに対し、量子ドット集積部内で、キャリアの集電性を高めるための構造が種々提案――例えば、
特表2009-536790の図6(※1)に示すように、複数の量子ドット101が集積された量子ドット集積部
103
内に、ナノロッドと呼ばれるキャリア収集部105を配置させた例が示されている。

※1 説明図の符号番号が謝って記載されていると考えられるので参考として米国特許を参考添付し
   ておく(US 9214590 B2 High fidelity nano-structures and arrys for photovoltaics and methods mark-
     ing the same
 

ところが、これまで開示されたキャリア収集部105は、その形状がシリンダー、カラムおよび線形構造といった
いわゆる柱状体の形状が一般的であり、水平方向の断面(以下、横断面という場合がある。)が円に代表され
るように等方的な形状である。このため、上記した従来のキャリア収集部105は単位体積に対する表面積が
さほど大きくない形状となっている。その結果、従来のキャリア収集部105は表面に接触する量子ドット数が
少ないことから電荷の収集効率が低く、未だ光電変換効率が低いという問題がある(下図参照)。 この対策
として、複数の量子ドットが集積された量子ドット集積部と、該量子ドット集積部内に設けられた複数のキャリ
ア収集部とを有する量子ドット層を備えている光電変換装置であって、キャリア収集部は、量子ドット集積部を
厚み方向に延伸する柱状部を有するとともに、柱状部は、側面に柱状部の長手方向に延伸する凹部を有しす
構造/構成にすることで、
電荷の収集効率が高く、光電変換効率を向上することのできる光電変換装置 を得
るように改良している。

 【符号の説明】

1 光電変換層 3透明導電膜 5ガラス基板 7電極層 9半導体基板 11量子ドット層 13
量子ドット集積部 13a量子ドット 13an n型の量子ドット群 13pn p型の量子ドット
15キャリア収集部 15a(キャリア収集部の)開放端 15s(キャリア収集部の)側面 
15A柱状部
15B基部層 16a光の入射面 16b光の出射面 21導体膜 23マスク 
Cキャリア

【面の簡単な説明】

【図1】本発明の光電変換装置の一実施形態を部分的に模式的に示す分解斜視図
図2】柱状部の幅方向における断面を示すもので、柱状部に形成された凹部の底面が丸くなってい
    る状態を示す模式図。
【図3】基部層側の幅が開放端側の幅よりも広い柱状部を示す斜視図である。
図4】(a)は、量子ドット集積部がn型の量子ドット群とp型の量子ドット群とから構成されて
    おり、柱状部側にn型の量子ドット群が配置され、n型の量子ドット群の周囲にp型の量子
    ドット群が配置された状態を示す断面模式図、(b)は、(a)のA-A線断面図である。
【図5】本実施形態の光電変換装置の製造方法を示す工程図
【図6】(a)は、従来の光電変換装置を示す断面模式図であり、(b)は、(a)のA-A線に沿
    った断面図

【実施例】 

上記した柱状部を有する光電変換層を1層備えた光電変換装置を図5に示した方法により作製し、Voc
を評価。このとき、透明導電膜にはインジウム錫酸化物(ITO)を用い、電極層には金(Au)を用い
る。量子ドットにはPbS粒子(平均粒径:5nm)を用いた。図4に示す光電変換装置を作製する際には、
p型、n型に変成させたPbS粒子を用いた。キャリア収集部および基部層には酸化亜鉛を用いる。半
導体基板としてはシリコン基板を用いる。作製した光電変換装置は、シリコン基板の平均厚みが100μ
m
、量子ドット集積膜の平均厚みが1.2μm、基部層の平均厚みが0.05μm、キャリア収集部の厚み方向の
平均長さ(基部層の表面からキャリア収集部の開放端までの長さ)が1.0μm、電極層の平均厚みが0.1μ
m
、透明導電膜の平均厚みが0.3μm、ガラス基板の平均厚みが100μmであった。次に、作製した光電変
換装置の横断面を走査電子顕微鏡によって観察し、キャリア収集部の形状を確認した。次に、得られ
た光電変換装置の透明導電膜と電極層間にリード線を接続し、I-V特性を測定した。 開放電圧(Voc)
は、従来構造の試料No.50.35Vであったのに対し、図1の構造の試料No.10.36V2の構造の試
No.20.40V
、図3の構造の試料No.30.39V
および図4の構造の試料No.40.42Vであり、柱状部
の側面に長手方向に延伸する凹部を有するようにした試料は、横断面の形状が円形状の試料より高い
開放電圧を示し、電荷の収集効率が高い値を示す。

 

以上のように、量子ドットを集積させて形成する時に起きる量子ドット内の生成キャリアが障壁層及
び量子ドット集積部内に存在する欠陥と結合し消滅回避が着実に実行されている。

 ● 次世代高効率窒化物量子ドットLED実用化に道

6月23日、北大学材料科学高等研究所(AIMR)/流体科学研究所(IFS)らの研究グループは、バイ
オテンプレート技術と中性粒子ビーム加工技術を融合し、世界で初めて高均一・高密度・超低損傷の
直径5ナノメートル(以下、nm)の3次元窒化インジウムガリウム/窒化ガリウムInGaN/GaN量子
ドット(量子ナノディスク構造)を作製することに成功したと公表
。これは、トップダウン加工(ド
ライエッチング)で作製された量子ドットとしては世界最小寸法です。さらにフォトルミネッセンス
法により、量子ドットの発光および発光強度温度依存性を測定したところ、ドライエッチングによる
量子ドットとしては初めて、従来の窒化物量子井戸構造の 100倍の量子効率が確認。作製された高均
一・高密度・超低損傷のInGaN/GaNナノディスク構造は、究極のグリーンテクノロジーと言われる全
波長領域の高効率量子ドットLEDやレーザの実現に向けて大きく前進するための新技術である。



【概要】

化合物半導体量子ドットレーザ/発光ダイオードは、低消費電力光素子/超高速光変調素子として、
飛躍的に高まる通信需要に応えユビキタス情報化社会を支
える重要な技術。これらのデバイスの実現
にはナノメートル単位でサイズや密度、位置などを制御した量子ドット構造の作製が求められている
が、従来のトップダウン型のリソグラフィ技術とプラズマエッチング技術の微細加工技術では不可能
領域である――22nmよりも微細なパターン形成には、技術的・経済的な大きな壁があり、ナノスケー
ル構造形成のプラズマエッチングでは、プラズマ紫外線照射の表面欠陥生成が大きな問題となる。

特に化合物半導体はシリコンに比べ不安定な材料でプラズマに対し脆弱なため、プラズマエッチング
の欠陥のないナノ構造作製が不可能とされてきた一方、ボトムアップ法で量子ドットを形成手法は、
格子ひずみを利用した自己組織的な量子ドット作製法が一般的ですが、この手法では、寸法のばらつ
きを十分制御できない、ドットの密度に限界(109~1010-2)がある、「サイズに制限がある(数10
nm
程度)」、「材料を自由に選択することができない、ひずみに伴う格子欠陥が不可避であるなどの
諸問題があります。そのため、十分な性能の量子ドットレーザやLEDの実現には、良好な量子効果を
持ち、ナノ構造の再現性が良い「欠陥の発生しない作製技術」の確立が急務となっていいる


現在、その最有力な手法として、ボトムアップ技術とトップダウン加工技術の融合(プロセスインテ
グレーション)が注目され、多くの提案がされつつあります。ボトムアップ技術の中でも、バイオテ
クノロジーは極めて急速に進歩しており、奈良先端科学技術大学院大学の山下一郎教授らは遺伝子操
作により改質されたフェリティン変異体などを用いてナノサイズの金属を内包したたんぱく質を作製
し、それらの自己組織化によるナノ構造作製を実現しています。一方、トップダウン加工技術では、
プラズマから放射される電荷や紫外線を抑制し、超低損傷で高精度のエッチングを可能とする中性粒
子ビーム技術を世界で初めて寒川誠二教授(東北大学材料科学高等研究所/流体科学研究所)が開発
し、最先端超LSIを用いてその効果を実証。

 DOI: 10.1021/acsphotonics.7b00460

本件では、有機金属気相成長装置(MOVPE)を用い作製したInGaN/GaNのウェハをバイオテンプレー
ト極限加工法で、超低損傷中性粒子ビームエッチングを実現し、量子効果を示す厚さ2nm、直径5nm
程度の量子円盤構造を積層した高さ30nm程度のナノピラー構造を、無欠陥に、均一に、高密度(1011
-2
以上)に、等間隔(20nm)で2次元配置できることを初めて示しました。図3に作製したナノピ
ラーの概略図を示します。透過型顕微鏡写真から直径5nmの量子ナノディスク構造作製を実現
。設計
した量子ナノディスク構造発光波長対応する420nmから明瞭な発光を確認する。この量子ナノピラー
構造アレイでは、従来困難であった均一なサイズのナノ構造を数10nm間隔で均一かつ高密度に材料を
問わず形成できることから、あらゆる波長帯域を実現できる高効率な量子ナノディスクLEDおよびレー
ザを実用構造として有望である。

【今後の展望】

中性粒子ビームによる加工・表面改質・材料堆積技術は、現在の半導体業界が直面している革新的ナ
ノデバイスの開発を妨げるプロセス損傷を解決する全く新しいプロセス技術であると考えられている
(※「ナノを制するもの世界を制す」=「ネオコン創業論」)また本技術を用いた装置はプラズマプ
ロセスとして実績があり、最も安定した装置用のプラズマ源を用い、中性化のためのグラファイト製
グリットを付加し実現、今後、数10nm以下のナノデバイスにおける革新的なプロセスの実用化に貢献
するものであり、中性粒子ビーム技術は既に均一大面積プロセスを実現、プラズマ源を基盤に装置化
でき、最先端ナノデバイス製造プロセスにおける中性粒子ビーム加工技術とその応用である表面改質・
修飾技術を駆使し、新たなデバイスを開発推進していく予定である。

   



● 完全人工光型植物工場:80億円(63.3%増)、植物育成用光源:43億円(2.0倍)

6月16日、総合マーケティングビジネスの株式会社富士経済は、植物工場及び施設栽培において導入
される資機材やシステム、サービスの市場を調査した。その結果を報告書「アグリビジネスの現状と
将来展望 2017
」にまとめた。それによると、
養液栽培関連プラント及び養液・施設栽培関連装置・機
器・資機材の市場については、民間企業の農業分野への新規参入や農業施設の大規模化といった要因
により拡大。また、栽培関連IT・ネットワーク技術市場については、施設環境制御・モニタリングニ
ーズの高まりを受け急拡大している。こうした背景によりアグリビジネス関連の2016年の市場は、前
年比4.1%増の590億円となった。一方で、燃料価格の低下及び電気代値上げなどの影響で、施設栽培
向けのヒートポンプ市場が縮小傾向にあること、また関東地方での雪害に伴う復興需要が一巡したこ
とによる施設栽培関連機器の需要減など、市場拡大を阻む要因もみられた。今後しばらくは、民間企
業による栽培ビジネスへの新規参入や農家の法人化に伴う大型施設導入案件が増加し、付随するIT・
ネットワーク技術も高度化していくと考えられるため、市場は拡大していくとみられる。
国内農業は、
一般の農業従事者の高齢化に伴
い耕作放棄地の増加が今後予想されるが、国策としてこれらの農地をいか
に有効利用し、効率的な農業生産システムの仕組みを作り上げていくかが、今後のアグリビジネス関連市場
拡大のポイントになると考えている(上グラフ参照:これはわたし(たち)が関心を寄せる注目事業)。

 July 8, 2016

  ● 今夜の注目記事

世界の「葉の面積」が増えているが、それは温暖化の兆候だというレポートである(上写真ダブクリ
)。葉面積のほかに太陽光や降水量といったさまざまな要因の影響を別々に示す統計モデルを使った
結果、葉面積の増加が温暖化に大きな影響を与えている――この30年間に起きた約1.5度の気温の上
昇は、北半球の寒い地域での葉面積の増加が原因であることがわかった。
葉が増えると、色がより濃
くなった地表はより多くの太陽エネルギーを吸収する。それが温暖化をもたらす。さらにこうした影
響は、極端な乾燥や酷暑、降水量があった年には、より拡大したことを欧州委員会共同研究センタの
科学者たちが明かした。そして、現在の気候変動についての議論では、このような地表の生物物理学
的な側面は考慮されておらず、今回の結果は、葉面積が重要な要因であり、将来の議論の対象に組み
込まれるべきであるとしてきする。さて、どう考えようか?


   

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万歩計を忘れてた!

2017年06月26日 | 医療健康術

 

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

     ※ 晋の計略:話は事件の発端にもどり、宋をめぐる晋の楚に対するかけひきの
      裏面が語られる。【経』(二十八年)三月丙午、晋侯、曹に入り、曹伯を執
      (とら)え、宋人に畀(あた)う。
    ※ 楚軍の攻撃を受けた宋は、晋に救援を求めた。使者に立ったのは、大夫の門
      尹般(もんいはん)である。この要語に応ずべきか否か、文公は決定を下し
      かねた。「断われば、宋との関係が悪化する。かといって、楚に頼んだとこ
      ろで、攻撃を中止するわけがない,とすれば、宋の頼みをききいれ楚と戦う
      よりほかはない。そうなれば斉と案を昧方につける必要があるが、何か名案
      はないものだろうか」。先翰(せんしん)が進み出て言った。「宋の申し入
      れを断わっておくことです。そうすれば、宋は、斉と秦に賄賂を贈り、この
      二国が調停に泉り出すことになるでしょう。

      こうしておいて、わが方では曹に攻撃をかけ、曹君を捕虜とし、曹と衛の領
      地を没収して宋にあたえることです。楚は曹・衛とは、緊密なつながりがあ
      りますから、こうされては、斉と秦の調停を受。けいれるはずがありません。 
      斉と秦は、このようにそっけなく調停を拒否されれば、ますますわが国に接
      近し、ともに楚と戦おうとするにちがいありません」
      文公は、この提案をとりあげ、曹君をとらえたうえで曹と衛の領地の一部を
      宋にあたえた。
 

  

【ルームランニング記 Ⅷ】

● 万歩計を忘れていた!

 

忙しさを言い訳にサボっていた手痛いしっぺ返しを体験する。コンビニに乾電池を購入に息子のバ
イクを借り走らせたが、さすが軽くて高速運転できることを体験し少し感激する。しかにしばらく
すると太腿当たり疲労感が生じ呼吸も荒くなる。そんなことでこれではいけないと反省し負荷強化
と「宅トレメニュー」を励行しようとするが、またまた「時間がない」と言い訳し、一日、3回3
キロメートルすらサボり1回1キロメートルで終わっている。どうしょう?そこで、回数だけでは
いけないと、家にあったオムロン社製の「Walking style」で一回当たりの「宅トレメニュー」の質
を下記のように充実することに。

・歩行距離 1キロメートル以上/回
・歩行時間 15分以内/回
・歩行速度 最大6(平均4.5~5)キロメートル/時間
・歩行斜度 最大10%×百メートル以上(平均 体調に合わせ任意)
・歩行歩数 2千~3千百歩/回
・宅トレストレッチ体操 励行(努力目標:3回/日)


 


● 「歩数」から「歩き方」の時代へ


ところで、高齢化社会の到来とともに、歩行への関心はさらに高まりを見せている。その中心的な
指標は、例えば、1日8千歩というような「歩数」だった。ところが最近では、それだけでない
ラメータとして、「歩き方」に焦点を当てた機器が登場しているという(日経デジタルヘルス「久
保田博南の「医療機器トレンド・ウオッチ」― 「歩数」から「歩き方」の時代へ “肩こりのない”
謎に迫る「歩行ケア」2017.06.22)。「万歩計」は山佐時計計器の登録商標なので、一般的な名称
は「歩数計」となる。同社がその1号機を出したのが1965年なので、その歴史は半世紀以上にも及
ぶロングセラー。 下図、マイクロストーンが販売している「体幹2点歩行動揺計 THE WALKING」。
歩行解析に特化した簡易計測機器である。3軸加速度センサに加え3軸ジャイロも組み込まれており、
単なる加速度だけでなく角加速度も捉えられるのが特徴。小型無線センサーを2つ使い、一つを胸
椎付近(上半身測定用)に、もう一つを仙骨付近(下半身測定用)に装着する。これを使った歩行
チェックは簡単で、10メートルほど歩いてもらうだけで完了する。 

 


THE WALKINGの開発の発端は、マイクロストーンが従来品を出展した数年前の「MEDICA」(ド
イツで開催される医療機器展示会)での出来事だったという。白鳥社長の話によると3軸加速度セ
ンサなどを使って歩き方を計測すると日本人と欧米人のデータに差異があることを発見。“欧米人
には肩こりがない”ことと関係があるのではないかと疑問に思う(著書「英語には“肩こり”に相
当する単語が見当たらない」と書いているらしい(『健康を計る』、ブルーバックス、1993年)。
ところで、見えるか化技術であることは了解できたもの同社の「歩行状態検出装置」とはいかなる
ものか?知りたくなる。「特許6057270 歩行状態検出方法及び歩行状態検出装置」によると、歩行
状態解析の従来法の、高速度カメラなどを用いて動画撮影を行い、撮影された動画解析法では、高
速度カメラ装置などが高価なため、さらには測定範囲が数メートル四方の限定範囲で、動画解析法
が複雑であった。一方、非動画撮影法の加速度センサなどのモーションセンサによる歩行状態解析
法もあるが、複数のセンサを被検者の両足の股関節、膝関節及び足関節を挟むように取り付け、被
検者が歩行した際に、取り付けたセンサからのデータに基づいて被験者の関節角度やその他の情報
を求めるものや、被検者の足首付近の足部に加速度センサを装着し、加速度センサによって計測さ
れた足部の加速度データに基づいて加速度信号の周波数スペクトル分析を行い、足の引きずり、す
り足等の評価法は、歩数や歩行周期(歩行ピッチ)などは容易に測定できるが、歩行時の体幹部の
動作状態の解析はできない。

また、リハビリテーション現場では、理学療法士が患者の歩行状態を目視観測し、歩行状態を判断
し患者に指導を行う。この際に理学療法士は患者の下部体幹、たとえば下位腰椎や仙骨付近だけで
はなく、上部体幹の動作における大きさやバランスに着目し、患者に指導を行うのだが、四肢の動
きだけではなく上・下部体幹の動きに着目して歩行状態解析は熟練を要し、単に上体の動作を含め
て歩行状態解析する方法や装置が望まれていた。


これを踏まえ、リハビリテーション等の医療現場で、用いる機器の複雑な操作等が必要なく、簡単
に上体の動作を含めて歩行状態を検出できる方法及び装置の提供するため、被検者(10)の歩行
状態を検出する際に、被検者の腰部(12)及び胸背部(14)の少なくとも2か所における動作
状況を測定することによって被検者の歩行状態を検出することで問題解決というものである(詳細
は上図ダブクリ参照願い掲載は割愛)。尚、同社を含めた組織は、今年3月15日に一般社団法人
「歩行ケア協会」を設立し、歩行時の癖を調べる装置を活用し、体に負担の少ない歩き方を指導す
る「歩行ケア指導士」を育成する。病院や自治体、研究機関などが連携して市民の健康作りを支援
を開始するという。

   

● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり  

          第1章 これだけで年金がほぼわかる「三つのポイント」

   ☑  年金は「保険」である
      ☑ 「四〇年間払った保険料」と「二〇年間で受け取る年金」の額がほぼ同じ
      ☑ 「ねんきん定期便」は国からのレシート



  ここで、少し話は逸れますが、ぜひ指摘しておきたいことかあります。よく、「国民年金は未

 納率が四割もあるから危ない。破綻する」などといった言い方をする人がいます,しかし、図1
 を見ると、そのイメージがずいぶん違っていることがわかります。
  平成26年に、公的年金加入対象者は673万人でした。それに対して未納者は約224万人、
 
未加入者は約9万人です。本当に支払っていない人は「(224万人19万人)÷672万人=
 3%」、つまり約3%しかいないのです。では、なぜ「未納率四割」などという数字が出てくる
 のか。それは免除されている第3号披保険者
 (932万人)や、第1号披保険者の中の「免除
 者280
万人)」「学持・猶予者(222万人)※在学中の保険料納付の猶予申請をした人」な
 ども足
し込んでいるからです。たしかにそのような方々も「未納」ということには違いないので
 すが、しかし、制度上、特例として
保険金の免除を認められている人まで「未納」に加えて、「
 未納率が低くて大変」だと騒ぎ立てるの
は、少しどうかと思わざるをえません。
  もちろん、制度上免除されている人は、保険数理の計算にしっかり組み込まれているわけです,
 それを除いた未納者が全体で数%であれば、年金数理上、大きな影響を与えません。
 

                                                    第1章 保険は「掛け金」によって「保障額」が変わる

                                            

事実は小説より奇なり

  このように見てくれば、年金が「福祉」ではなく、「保険」であることは、もはやはっきり
 してきたことでしょう,
  社会保障は、およそ次のように分けられています,

   ・社会保険(年金、医療、介護)
   ・社会福祉(障害者福祉、母子福祉など)
   ・公的扶助(生活保護)
   ・保健医療・公衆衛生
   ・その他

  年金は、「社会福祉」のカテゴリーではなく、「社会保険」のカテゴリーです。にもかかわ
 らず、年金が福祉であるかのように誤解されているのは、「年金が保険である」という情報が
 なかなか表に出てこないことも影響しているだろうと思います,プロローグでも簡単に触れま
 したが、「年金が保険であるという認識が広がるとマズい」と思っている人たちがいます。た
 とえば、消費税を上げたいと思っている財務官僚たちです。
 「社会保障費が大変だから、消費税を上げるしかな」というのが財務官僚の主張です。
  年金が保険であることを知られると、「保険なら、保険料を上げればいいじやないか。消費
 税は関係ないじやないか」という、まっとうな意見が出てきてしまいます,もし、そんな意見
 が国民のあいだで広がれば、消費税を増税しにくくなります。
  しかも、保険料を管轄するのは厚労省であって財務省ではありませんから、財務省からする
 と、自分のシマ(=なわばり)を増やすことにはつながりません,自分のシマを拡大したい財
 務省からすれば、まったく意味のないことになってしまいます。ですから、年金が保険である
 ことになるべく触れないようにして、「消費税を上げないかがり、年金は破綻する」と思って
 もらったほうが都合がいいのです。一方、「年金は(保険ではなく)福祉だ」と誤解してもら
 えれば、「福祉は税金でやるものだ。福祉のためには消費税増税もやむをえない」と思っても
 らえます。そうすれば、消費税の増税がしやすくなって、自分のシマを拡大させていくことが
 できます。

               第1章 財務省は「年金は保険」と知られぬほうが都合いい

  財務省ばかりではありません。経済界も、「年金が保険であること」を知られないほうが都
 合がいいのです。
  経済界が「保険料を引き上げられるのは嫌だ」と考えるのは、日本の会社員や公務員の場合、
 年金の保険料は労使折半だからです,つまり、このような勤労者の保険料(国民年金十厚生年
 金)の半分は、雇用者側(会社なり国・自治体なり)が支払っているのです,
  ですから、保険料が土げられると、会社の負担が増えてしまいます。当然、会社の経営者側
 からすれば、負担増を避けるために、「保険料を上げるのではなく、消費税増税でやってくれ」
 と思いたくなっても不思議はありません,
  しかし、これはつまり、現行制度では会社が払うことになっている保険料を、広く社会一般
 の側に転嫁するということを意味します。しかも、税金の中でも、とりわけ消費税を充てるこ
 とにしたら、より貧乏な方々のほうに「しわ寄せ」がいくかたちになります。所得税は、「金
 持ちに厚く、貧乏人には薄い」という累進制度をとっていますが、消費税は金持ちにも貧乏人
 にもあまり差異なくかかる税金だからです,

  こんなことが広く知れわたったら、「消費税ではなく、保険料を上げるべきだ」という声が
 強くなりかねません。繰り返しますが、そうなると、消費税を増税したいと思っている財務省
 や、保険料負担を上げたくないと思っている経済界などにとっては、あまり好ましくない状況
 になってしまいます。
  だからこそ、「年金は保険である」という「常識」が、日頃、あまり強調されないのでしょ
 う。それが意図的かつ計画的なものか、あるいは暗黙のうちに何となくそうなっているのかは
 知りませんが、いずれにせよ、そうなりがちであるという側面は、けっして否定できないもの
 でしょう,
  そういう情報操作をされないためにも、年金が保険原理で成り立っていることを理解してお
 くことが大切です,

                   第1章 経済界は「保険金負担」を増やしたくない




  年金には、「公的年金」と「私的年金」があります。
  国が国民皆年金として運営している国民年金、厚生年金は「公的年金」。民間が運営してい
 るのが 「私的年金」です。先ほど述べたように、企業年金、確定拠出年金、個人年金などが
 私的年金です。

  公的年金は継ぎはぎ状態になっていて複雑ではありますが、その根幹の仕組みは「賦課方式」
 です。賦課方式とは、現役世代から集めた保険料を老齢世代の年金給付に充てる方式です。自
 分が支払ったお金は今の高齢者にあげる,自分が高齢者になったときには、そのときの若い人
 の保険料から年金をもらう。日本をはじめ、主要先進国の公的年金はだいたいこの方式です。
   
それに対して、民間の私的年金は、「積立方式」です。自分の納めた保険料を積み立ててお
 いて、そ
れを株式や債券などで運用して増やし、将来、年金として受け取ります,
  大きく分けると、次のように分けられます。

  《年金》

  ・公的年金――賦課方式(基本) 
  ・私的年金――積
立方式

  公的年金も私的年金も、「集めた保険料」と「給付する年金」が一致するように、年金数理
 で計算さ
れて、保険料と給付額が決まっています(「保険料」=「給付額」)。
  賦課方式の場合は、自分が払った保険料は、すぐに高齢者の給付に充てられて消えてしまい
 ますが、
自分が高齢者になって給付を受けるときには、その時代の現役世代から集められた保
 険料から支払って
もらえます,ものすごく長い目で見ると、自分の支払った保険料があとで年
 金として戻ってくるかたち
になっているといえます,
  2015年簡易生命表によれば、男性の平均寿命は約80歳で、女性の平均寿命は約87歳
 ですが、
ここではわかりやすくするために、平均寿命を80歳とします。払込期間と受給期間
 も丸めていうと、
公的年金は20歳から60歳までの40年間納めて、60歳から80歳くら
 いまで20年間受け取る
仕組みです。
  ざっくりといってしまえば、40年間納めた保険料の総額と、20年間でもらう年金額が同
 じになる
ように設計すればいい、ということになります。もちろん厳密には、現在価値を計算
 するなど細かい数
字を出さなければいけませんが、細かいことにこだわると全体像がつかめな
 くなります。非常にアバウ
トですが、次のように考えてください。 

 《ものすごく単純化した公的年金の数式》

  「40年納めた保険料の総額」=「20年で受け取る年金の総額」

  年金の基本原理は、単純にいってしまえばこんな数式になります。ただし、これは全体を平
 均したときの数式です。前述のとおり、若くして亡くなった人は損をし、長生きした人は得を
 することになりますが、全体を均すと、このような数式になるのです。


      第1章「40年支払った保険料」と、20年で受け取る年金額」が同じになる設計

                                    この項つづく 

 

 

 【築城三年落城三分:なぜタカタが破産 ?】

欠陥エアバッグ問題で経営危機に陥った自動車部品メーカーのタカタが、東京地裁に民事再生法の
適用を申請し、6月26日、受理された。同社の公式サイトなどで発表された。史上最大規模のリコー
ル(回収・無償修理)によって、実質的な負債総額は1兆円を超えるとみられている(HUFFPOST
「「タカタ」はなぜ転落したのか。超優良メーカーが民事再生を申請するまでの軌跡」2017.06.26)。
タカタ製エアバッグの異常破裂を巡っては、因果関係が特定できないものも含め世界で17人が死
亡。そのうちアメリカで11
人が亡くなっており、今後も事故の被害者や遺族などからの訴訟で債
務が膨らむ可能性がある。自動車メーカーからは、裁判所の管理の下で明確に負担額を決めておく
法的整理を求める声が強まっていた。

【経過】

■ タカタのエアバッグで2000年〜2008年の間に製造されたものに、破裂につながる不具合があっ
  た。

■ タカタは不具合があることを認識しながらも数年間に渡り、事実を隠蔽して製造・販売を続け
  ていた。

■ アメリカで2014年にNYタイムズなどに大きく報じられ、大規模なリコールへ発展。
■ 最終的に負債額は1兆円を超える規模に膨らんでいるとみられている。

ここで、タカタは、社内で行なったエアバッグの部品の試験で破裂につながる兆候が出た結果を隠
蔽していた。タカタは、米アラバマ州でエアバッグが破裂した事例報告があった後、ミシガン州の
米国本社で、通常の業務時間外に秘密裏にエアバッグの試験を行なった。試験では事故時にエアバ
ッグを膨らませる「インフレーター」と呼ばれる部分にひびが入り、破裂につながる兆候が見つか
った。だが、タカタの幹部はこのデータを消去させ、部品をゴミとして処分させていた。米ニュー
ヨーク・タイムズが2014年11月07日にタカタはこの後の公聴会で隠蔽の事実を否定している。米国
内の消費者らは2015年02月、重要な情報を消費者に隠していたなどとして、タカタ、トヨタ、ホン
ダなど12社を相手取り、フロリダ州の連邦地裁に対し、損害賠償を求める集団訴訟を起こす。2015
年11月、ホンダが、タカタ製エアバッグ部品を今後一切使わないと米国で発表。「蜜月関係」とも
されていたホンダとタカタが決別。さらに、2017年01月米司法省はタカタが和解金10億ドル(約
1150億円)を支払うこ
とで同社と合意。またタカタの元幹部3人が、製品の欠陥を知りながら
隠蔽していたという詐欺罪で
刑事訴追された。タカタ側は詐欺罪を認めている

思えば、経済は一流、政治は3流といわれていたが、ソニー、シャープ、東芝などの凋落をみるに
つけけ学習能力という言葉が頭を過ぎる。


   

 

コメント
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雨読好日

2017年06月25日 | 時事書評

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

     ※ 文公の恩返し:晋は楚を牽制するため、曹を枚挙した。その戦いの挿話が
      ここに記録されている。

    ※ 曹を包囲した晋軍は、曹の城門近くまで攻め寄せて激戦を交え、多数の職
      死者を出した。曹側では、これらの死体を城壁の上にならべて晒しものに
      した。これには三日の文公玉頭を悩ましたが、のうたうはやり唄を耳
      にして教えられるところがあった。

      「墓場に移ると人に言え」

      さっそく行の軍勢は墓地に移動した。墓をあばかれるのではあるまいか、
      曹軍はこの報復を恐れて、晋の兵士の死体を、あらためて棺に収め、城門
      から出して行軍に返した。この虚に乗じ、晋軍は攻撃に出、三月丙午の日
      に曹城をおとしたのである。 さて、文公は曹都に入ると、何よりも先に
      曹の不当人事の責任を追求した。三百人もの大夫を任用しながら、僖負羈
      (きふき)ほどの人物を登用しなかったのはなぜか、文公は大夫三百人ひ
      とりひとりの成績表提出を命じた。同時に自軍に対しては、僖負羈(きふ
      き)の家への立入りを禁じ、かれの家族の安全を保障した。かつて曹滞在
      中にかれからうけた恩義に報いたのである

      魏犨(ぎしゆう)、顛頡(てんけつ)の二人(かれらは文公の亡命に同行
      した)が、この処置に不満を持った。二人は、「われわれの功績を無視し
      ておいて、何か恩返しだ」と、僖負羈の屋敷を焼打ちにした。そのさい、
      魏犨は胸に傷を負った。文公は、軍律に照らして魏犨を処刑しようとした
      が、一方では人材の損失を惜しむ気持も働いた。そこで、ひとまず見舞い
      の使者を派遣して傷の深さを見とどけさせた。回復の見込みがないような
      ら処刑しても惜しくないと考えたのである。魏犨は、纏帯姿で使者と会っ
      たが、「おかけさまでこのとおり」と言って、ぴょんぴょん踊りはねて見
      せた。そこで文公は魏犨の処刑をとりやめ、顛頡の方だけ処刑して、軍中
      にその罪をふれさせた。かれの後任として戎右には、舟之僑(しゆうしき
      よう:もと虢の臣、閔公二年晋に奔る)をあてた。

      〈僖負羈〉 亡命中の文公に璧を贈っている。
 

  

 

● 6月20日、豊後水道地震解析



【地震予知工学向上に重力図は利用できないか】

通常、重力を検討する際に、海抜0メートルから測定点までに平均的な岩石があると仮定し
て、その岩石による引力の影響を取り除く補正を行う。「ブーゲー異常」とは、このような
補正を行った重力異常のことさす。この時に仮定する岩石の密度を「仮定密度」と呼んでい
る。このように、重力値の測定方法に、「絶対測定」と「相対測定」の2通りあり、「絶対
重力計」と呼ばれる大型の装置を使った精密な絶対重力値が、「重力基準点」として国土地
理院により公開されているが、重力基準点の数はごく限られる上、測定も大掛かりなので、
絶対測定の補完に陸上重力計による相対測定が行われている。これは、2点間の重力の差を
求め相対的に重力値を測定するもので、測定機器が小型で容易に屋外での測定ができる。重
力の測定法には、人工衛星や飛行機によるものもあり、いずれも広域の重力分布を測定でき
るが、分解能が低く、精度という面では絶対重力計や陸上重力計に大きく劣る。しかし、分
解能=精度を向上することで重力計の地殻変動データを地震予知工学システムに組込むこと
で精度を上げることができないかと考える。現に、米航空宇宙局(NASA)とドイツ航空宇宙
センタ(DLR)の共同ミッションのGRACE(Gravity Recovery and Climate Experiment)は機能し
ている(下図ダブクリ参照)。また、

 GSJ

また、今月23日、産業技術総合研究所らの研究グループが、断層の位置や地下に眠る鉱
資源の発見、観光開発に貢献する重力測定マップ(地下構造が推定できる「重力図」の和

山地域版)が完成したと公表しているように、断層の位置や地下の鉱物資源の有無が推定
し、
地域別重力図として初のデジタル版の公開により、ウェブサイトから誰でも利用可能で、防
災、
減災、資源探査、観光開発への貢献できるとする。この成果の第1は、デジタルデータ
化したことで、仮定密度を選択でき、見たい地域や場所の実態に即した重力図を簡単に表示
できる(見える化)こtである。例えば、火山地域では仮定密度を2.3 g/cm3よりも重い2.67
g/cm3に変更して表示したり、逆に、密度の低い火山性堆積物で地表面が覆われているカルデ
ラのある場所では軽い2.0 g/cm3に変更して表示したりできる(下立体図参照)。
併せて、細
かい地名は表示しない、測定した地点は表示しないといったこともでき、重力値の分布だけを見るこ
ともできる。さらに、重力図の説明文中では重力値の変化の大きさを色で表示することもで
き、重力値が変化している場所やその度合いが色によって一目瞭然になる。 

 Absolute gravimete

June 23, 2017 

 

● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり 

         第1章 これだけで年金がほぼわかる「三つのポイント」

 著者は、序章で「年金」を下記の3つに集約し、今回はその説明を掲載する。その後はで
きる限り引用を掲載せず、各章節ごとに要約評価していく。


   ☑ 年金は「保険」である
   ☑「四〇年間払った保険料」と「二〇年間で受け取る年金」の額がほぼ同じ
   ☑「ねんきん定期便」は国からのレシート

            年金について「三つのポイント」を知っていることが大切

    それに対して、世の中には「死亡保険」というものもあります。「生命保険」という
 呼称のほうが通
りがいいかもしれませんが、つまりは、早く死んでしまったときに備え
 る保険です。死亡保険は、万が
一、若くして不測の死を迎えてしまった場合に、遺族に
 保険金が下りるかたちとなります。

  この保険については、あまり説明は要さないでしょう。年金保険のような長寿の場合
 とは逆に、若
くして亡くなってしまった場合、特に扶養する家族がいる場合などは、残
 された家族が大いに困ってし
まいます。自分が死んでしまったがために、残された家族
 が路頭に迷うようなことがあってはいけない,子供たちに、お金がないから進学できな
 いなどといった苦境に陥ってほしくない。それに備えるために掛けておくのが「死亡保
 険(生命保険)」です。

 「年金保険」の場合は、早くなくなった方が支払った保険料が、長生きした方に支払わ
 れるかたちでした。一方、「死亡保険」の場合は、無事に満期まで生きることができた
 人が支払った保険料が、亡くなった人の遺族に支払われることになります。
  普通に考えれば、「死亡保険」の場合、満期である六〇歳前後まで存命する人のほう
 が圧倒的多数です。逆に、満期までに亡くなる人の数は、圧倒的に少なくなります。 
  そのため、支払う保険料に対して、万が一の場合にもらえる保障額は多額になります,
 満期まで生きのびた人が支払った保険料を、亡くなった人の遺族に支払うのですから、
 ざっくりいって、毎月一万円程度を四〇年ほど支払うだけで、つまり「一万円×十二ヵ
 月×四〇年」=四八〇万円程度を支払うだけで、亡くなった場合に数千万円もらえたり、
 終身保障が付いたりする保険商品が、世の中に数多く出回っているのは、そのためです。
 
「年金保険」と「死亡保険」の違いをまとめてみると、

  年金保険=長生きする?わからない(リスク)
  死亡保険=早死にする?わからない(リスク)

 ということになるでしょう。長生きした場合に備えておくのが、「年金保険」。死亡し
 た場合の遺族
の生活のために備えておくのが「死亡保険(生命保険)」です。こうした
 保険の仕組みをわかっていれば、「国が
無条件に老後を保障してくれるもの」「年金は
 福祉
である」というイメージが変わってくるのではないかと思います,年金保険は、自
 分たちの出した保険料を分け合う仕組みです,ある条件の下でもらえる「保険」であっ
 て、一律にもらえるものではない、ということです。

              第1章 「年金保険」と「死亡保険」は、どう違うのか

※ 年金保険(ねんきんほけん)とは、

保険の仕組みを使い、保険料の拠出が前提となっている年金制度。主として私的年金のこと
を言うが、公的年金の仕組みを指すこともある。先進国の公的年金はほとんどが保険料の拠
出を前提とする制度を採用しており、財源を税のみで給付する制度は被害者補償の年金など
対象者が狭く限定される。
公的な社会保険の場合、医療保険・労災保険・雇用保険・介護保
険と並べて論じられる場合が多い。

※ 死亡保険(しぼうほけん)とは、

被保険者が死亡されたときに保険金が支払われる保険のこと。生命保険とも呼ばれる。以上
のことを整頓し、次の様に第1章のこの節を結ぶ。

  年金はすべて「保険」です。公的年金も、私的年金も同じです。
  私的年金とは、企業年金、確定拠出年金、個人年金(保険会社や投資信託会社、証券
 会社などが販売
している「年金保険」商品など)が一般的でしょう。私的年金の中には
 貯蓄性の高い年金もあります
が、あくまでも「保険」です。年金は、どこからどう切り
 取っても「保険」でしかおりません。
保険は掛け金を支払っておくことによって、いざ
 というときに保障を受け取るものです。

  では、どのくらいの保障を受けられるのでしょう。
 
 保険の原理では、掛け捨てになる人が多ければ、保障額は大きくなります。先ほどお
 話ししたよう
に、「死亡保険」の場合、大半の人は死亡せずに生き延びて、その人たち
 が支払った分か亡くなった人
の遺族に給付されますので、保障額は大きくなります。反
 対に、掛け捨て部分が少ない保険商品は、保
障額が小さくなります。
  ちなみに、このような「掛け捨ての部分」と「保障額」のバランスがどのようになる
 かを精密に計算
しなければ、とてもではありませんが保険の仕組みはつくれません。確
 率・統計の考え方今手法を駆使
して、このような計算をしていくのが、保険数理の世界
 です,

  プロローグで、大学時代に理学部数学科で学んでいた私が、卒業するときに厚生省か
 ら「年金数理官
になりませんか」と誘われた話をご紹介しましたが、それは、保険数理
 がそのような世界だからなのです。
  そのような保険数理の細かい計算は横に置いておくことにして、導き出される結論を
 単純にまとめれ
ば、次のようになります。

  《保険の原理》

  ・「掛け捨て」部分が大きい↓保障額が大きい
  ・「掛け捨て」部分が小さい↓保障額が小さい

  同じ保険に入る人の場合、掛け金の額によって保
障額が変わります。掛け金をたくさ
 ん出した人は、
保障額が多くなり、掛け金の少ない人は保障額が少なくなります。年金
 も「保険」ですから、納めた保
険料が多い人は、将来受け取る保障額が多くなり、納め
 た保険料が少ない人は受け取る保障額が少なく
なります,

  《保険の原理》

  ・保険料を多く納めた人-↓保障額(年金)多い
  ・保険料を少し納めた人-↓保障額(年金)少な
  ・保険料を納めなかった人↓保障(年金)なし

  (公的保険は例外あり)

              第1章 「年金保険」と「死亡保険」は、どう違うのか

 

  国の公的年金について、「こんなに年金が少ないのか。これでは生活していけない。
 国は何をやって
いるんだ」と批判する人がいます。しかし、保険原理からいえば答えは
 単純です。受け取る保障額が少
ないのは、納めた保険料が少ないからです。
  二〇一六年十一月に、年金の受給資格を得るために必要な保険料の納付期間を二五年
 から十年に短
縮する改正年金機能強化法国会で成立しました (二〇一七年八月施行
 ),つまり、これまでは年金を二五年払っていなければもらえなかったものを、十年支
 払っていれば受給資格かおるように変更したのです(先に説明した、「消えた年金問題」
 への対処としての意味あいがあります)。
 
  この場合、四〇年以上保険料を納めた人と十年しか保険料を納めていない人が、とも
 に年金をもらえることになります,しかし、この両者は、納めた保険料の総額が違いま
 す。十年しか保険料を納めていない人は、納めた保険料が少ないので、受け取れる額も
 少なくなります。「こんな額では生活していけない」と思うかもしれませんが、保険料
 負担額が少ないと年金給付額も少なくなってしまうのです,
  保険原理に基づいて考えれば、現役時代に納める保険料の負担をなるべく抑えようと
 すれば、それに連勤して、老齢になって受け取る年金額も低くなります。また、原則的
 には、保険料を納めなかった人は年金をもらえません。

  しかし、公的保険の場合は例外があります。日本の場合、所得が低くて保険料を納め
 ることができない人には、保険料免除の制度があります。また、第3号披保険者も、保
 険料を納める必要かおりません,
  第3号披保険者という言葉を聞き慣れない人もいらっしやることでしょう。日本の国
 民年金では、加入者は三種類に分けてられています。日本年金機構の用語解説に従えば、
 次のような定義になります。

  ・第1号披保険者一二〇歳以上六〇歳未満の自営業者・農業者とその家族、学生、無
   職の人等、第2号披保険者、第3号披保険者でない者
  ・第2号披保険省二氏問会社員や公務員など厚生年金の加入者(この人たちは、厚生
   年金の加入者であると同時に、国民年金の加入者にもなります)
  ・第3号披保険者こ早生年金に加入している第2号披保険者に扶養されている二〇歳
   以上六〇歳未満の配偶者(年収が一定金額未満の人)

  つまり、第3号披保険者とは、簡単にいってしまえば「サラリーマンや公務員の配偶
 者で年収が一定金額未満の人(わかりやすい例が専業主婦《主夫》)」ということです。
  なぜ、そのようになっているかといえば、日本の国が、「低所得者や専業主婦(主夫
 は、社会全体として支えるべき存在である」という考え方をとっているからです。その
 考え方に基づき、このような方々の分の国民年金の保険料は、その他の第1号被保険者
 や第2号披保険者が肩代わりしたり、国庫から負担金を出すことによって支えているの
 です。
  また、歴史をさかのぼるならば、保険料を納めなくても年金を受け取れる場合は、ほ
 かにもありました。それは、国民皆年金制度発足当初に、すでに受給資格のある高齢者
 だった方々です。さすがにこのような高齢者に対して、「あなたは保険料を払っていな
 いので、給付しません」というわけにはいきませんでした。当時の高齢者は、保険料を
 払っていなくても、年金を受け取ることができたのです

  しかし、それらのケースは特例であり、基本的には、納めた保険料の額に連動して、
 老後に受け取れる年金額が決まっています。いうまでもありませんが、民間の私的保険
 は、保険料を納めない人には、支給はありません。

         第1章 公的年金には、保険料を払わず年金をもらえる例外がある


                                 この項つづく

 

       

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    38.あれではとてもイルカにはなれない

  日曜日の朝がやってくるまでには、秋川まりえの肖像画のために用意された新しいキャンバス
 に、自分がこれからどのような絵を描いていくかという考えはほぼまとまっていた。いや、具体
 的にどんな絵を描くことになるのかは、まだわからない。しかしどのように描き始めればいいか
 はわかっていた。まず最初に、真っ白なキャンバスの上にどの色の絵の具を、どの筆でどの方向
 に引けばいいのか、そうしたアイデアが頭の中にどこからともなく生まれ出てきて、それがやが
 て足場を得て、少しずつ私の中に事実として確立されていく。私はそのプロセスを愛した。

  冷え込んだ朝だった。冬がすぐそこに近づいていることを教えてくれる朝だ。コーヒーをつく
 り、簡単に朝食を済ませると、スタジオに入って必要な画材を整え、イーゼルに載せられたキャ
 ンバスの前に立った。でもそのキャンバスの前には、鉛筆で雑木林の中の穴を細密に描いたスケ
 ッチブックが置かれていた。数日前の朝、これという意図もなく目的もなく、気が向くままに描
 いたスケッチだ。自分かそんな絵を描いたこと自体を、私は忘れてしまっていた。
  でもイーゼルの前に立って、そのスケッチを眺めるともなく眺めているうちに、私はそこに描
 かれた光景に次第に心を惹かれていった。雑木林の中に人知れず口を開けた謎めいた石室。周囲
 の濡れた地面と、そこに積もった色とりどりの落ち葉。樹本の枝のあいだから筋となって差し込
 む陽光。そんな情景が私の脳裏に、彩色された画面となって浮かびあがってきた。想像力が起き
 上がり、具体的な細部がひとつひとつ埋められていった。私はそこにある空気を吸い込み、草の
 匂いを嗅ぎ、鳥たちの声を耳にすることができた。

  大型のスケッチブックに鉛筆で細密に描かれたその穴は、まるで私を何かに――あるいはどこ
 かに――強く誘っているようだった。その穴は私に描かれるのを求めているのだ、私はそう感じ
 た。私が風景雨を描きたいと思うのはとても珍しいことだった。私はなにしろこの十年近く人物
 雨しか描いてこなかったのだ。たまには風景雨も悪くないかもしれないな。「雑木林の中の穴」。
 この鉛筆画はそのための下絵になるかもしれない。
  私はそのスケッチブックをイーゼルから下ろし、ページを閉じた。イーゼルの上には、真っ白
 な新しいキャンバスだけが残った。これから秋川まりえの肖像画が描かれるはずのキャンバスが。



  十時少し前に、いつものようにブルーのトヨタ・プリウスが物静かに坂道を上ってきた。ドア
 が開き、そこから秋川まりえと、叔母の秋川笙子が降りてきた。秋川笙子は丈の長い濃いグレー
 のヘリンボーンのジャケットに、淡いグレーのウールのスカート、そして模様の入った黒いスト
 ッキングをはいていた。首にはミッソーニのカラフルなスカーフが巻かれていた。シックで都会
 的な晩秋の装いだった。秋川まりえは大振りなスタジアム・ジャンパーにョットパーカ、穴の開
 いたブルージーンズ、コンバースの紺色のスニーカーという、この前とだいたい同じような格好
 だった。帽子はかよっていない。空気は肌寒く、空はうっすらと雲に覆われていた。

  簡単な挨拶が終わると、秋川笙子はソファに腰を下ろし、例のごとくバッグから厚い文庫本を
 取りだし、それに意識を集中した。私と秋川まりえは、彼女をあとに残してスタジオに入った。
 いつものように私は木製のスツールに腰掛け、まりえは簡素な食堂の椅子に座った。二人のあい
 だにはニメートルほどの距離があった。彼女はスタジアム・ジャンパーを説いで畳んで足下に置
 いた。ヨットパーカも説いだ。その下にはTシャツを二枚重ね着していた。グレーの長袖のシャ
 ツの上に、紺色の半袖のシャツを重ねて着ていた。胸の膨らみはまだない。彼女はまっすぐな黒
 い 髪を指で槐いた。

 「寒くない?」と私は尋ねた。スタジオには旧式の石油ストーブがあったが、火はつけていなか
 った。

  まりえはただ小さく首を振った。別に寒くはないということだ。

 「今日からキャンバスに絵を描き始める」と私は言った。「といっても、君はとくに何もしなく
 ていい。ただそこに座っていてくれればいい。あとはぼくの問題だから」
 「何もしないわけにはいかない」と彼女は私の目を見つめながら言った。
  私は膝の上に両手を置いたまま彼女の顔を見た。「それはどういう意味だろう?」
 「だって、わたしは生きているし、呼吸もしているし、いろんなことを考える」
 「もちろん」と私は言った。「君はもちろん好きなだけ呼吸をすればいいし、好きなだけものを
 考えればいい。ぼくが言いたいのは、君がとくべつに何かをする必要はないということだよ。君
 が君であってくれれば、ぼくの方はそれでいいんだ」
 しかしまりえはなおも私の目をまっすぐ見ていた。そういう簡単な説明ではとても納得できな
 いというように。

 「わたしは何かをしたいの」とまりえは言った。
 「たとえばどんなことを?」
 「先生が絵を描くのを助けたいの」
 「それはとてもありかたいことだけれど、でも助けるって、どんな風に?」
 「もちろんセイシン的に」
 「なるほど」と私は言った。しかし彼女がどのようにセイシン的に私を助けてくれるのか、具体
 的には思い浮かべられなかった。

  まりえは言った。「もしできるなら、わたしは先生の中に入り込みたい。わたしの絵を描いて
 いるときの先生の中に。そして先生の目からわたしを見てみたい。そうすれば、わたしはわたし
 のことをもっと深く理解できるかもしれない。そしてそうすることで、先生もわたしのことをも
 っと深く理解できるかもしれない」
 「そうなるととてもいいと思う」と私は言った。
 「ほんとうにそう思う?」
 「もちろんほんとうにそう思うよ」
 「でもそれは場合によってはけっこう怖いことかもしれない」
 「自分をよりよく理解することが?」

  まりえは肯いた。「自分をよりよく理解するためには、もうひとつなにか別のものをどこかか
 らひっぱってこなくてはならないということが」
 「なにか別の、第三者的な要素が加わらないことには、自分自身につ ということかな?」
 「第三者的な要素?」
 いて正確な理解はできない
  私は説明した。「つまりAとBという関係の意味を正しく知るには、Cという別の観点がひと
 つ必要になってくるということ。三点測定」
  まりえはそれについて考え、小さく肩をすくめるような動作をした。「たぶん」
 「そしてそこに加わる何かは、場合によっては怖いものであるかもしれない。それが君の言いた
 いことなのかな?」

  まりえは肯いた。

 「君はこれまでに、そういう怖い思いをしたことがあるの?」
 まりえはその問いには答えなかった。
 「もしぼくが君を正しく描くことができたら」と私は言った。「君はぼくの目で見た君の姿を、
 君自身の目で見ることができるかもしれない。もちろんうまくいけば、ということだけれど」
 「そのためにわたしたちは絵を必要としている」
 「そう、ぼくらはそのために絵を必要としている。あるいは文章や音楽や、そういうものを必要
 としている」
  うまくいけば、と私は自分自身に向かって言った。
 「絵に取りかかろう」と私はまりえに言った。そして彼女の顔を見ながら、下絵のための茶色を
 こしらえた。そして最初の絵筆を選んだ。

  仕事は緩やかに、しかし滞りなく造んだ。私はキャンバスの上に秋川まりえの上半身を描いて
 いった。美しい少女だったが、私の絵には美しさはとくに必要とはされていなかった。私が必要
 としているのは、その奥に隠されているものだった。別の言い方をするなら、その資質が補償と
 して要求しているものだった。私はその何かを見つけ出し、画面に持ち込まなくてはならなかっ
 た。それは美しいものである必要はなかった。場合によっては、醜いものであるかもしれない。
 いずれにせよ言うまでもなく、その何かを見つけるためには、私は彼女を正しく理解しなくては
 ならない。言葉やロジックとしてではなくひとつの造形として、光と影の複合体として彼女を把
 握しなくてはならなかった。

  私は意識を集中し、線と色とをキャンバスの中に積み重ねていった。時には素早く、時には時
 間をかけて注意深く。そのあいだまりえは表情をまったく変えることなく、椅子の上に静かに座
 っていた。しかし彼女が意志の力を強くひとつにまとめ、それをじっと保持していることが私に
 はわかった。そこに働いている力を私は感じ取ることができた。「何もしないわけにはいかない」
 と彼女は言った。そして彼女は何かをしているのだ。おそらく私を肋けるために。私とその十三
 歳の少女とのあいだには、交流のようなものがまぎれもなく存在していた。

  私はふと妹の手のことを思い出した。一緒に富士の風穴に入ったとき、冷ややかな暗闇の中で
 妹は私の手をしっかり握り続けていた。小さく温かく、しかし驚くほど力強い指だった。私たち
 のあいだには俯かな生命の交流があった。私たちは何かを与えると同時に、何かを受け取ってい
 た。それは限られた時間に、限られた場所でしか起こらない交流だった。やがては薄らいで消え
 てしまう。しかし記憶は残る。記憶は時間を温めることができる。そして――もしうまくいけば
 芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。ファン・ゴツホが名もない田舎の
 郵便配達夫を、集合的記憶として今日まで生きながらえさせているように。




  二時間ほど、私たちは口をきくこともなくそれぞれの作業に意識を集中していた。
  私は油で薄く溶いた単色の絵の具で、彼女の姿をキャンバスの上に立ち上げていった。それが
 下絵になる。まりえは食堂椅子の上で、じっと自分白身であり続けていた。正午になると遠くか
 らいつものチャイムの音が聞こえてきた。私はそのチャイムを耳にして、定められた時刻が訪れ
 たことを知り、作業を終えた。パレットと絵筆を下に置き、スツールの上で背筋を思い切り伸ば
 した。そしてそこでようやく、自分かひどく疲れていることに気がついた。私が大きく息をつい
 て集中力を解くと、まりえもそこで初めて身体の力を絵めた。

  私の目の前のキャンバスには、まりえの上半身の像が単色で立ち上げられていた。これから描
 かれる彼女の肖像の、根幹となるべきストラクチャーがそこに構築されていた。まだおおまかな
 枠組みに過ぎないが、その骨格の芯にあるのは、彼女を彼女として成り立たせている熱源のごと
 きものだ。それはまだ奥の方に隠されているが、そのおおよそのありかさえ押さえておけばあと
 はなんとでも調整がつく。そこに必要な肉付けを加えていくだけのことだ。
  その描きかけの絵についてはまりえは何も尋ねなかったし、見せてほしいとも言わなかった。
 私もとくに何も語らなかった。何かを口にするには私は疲れすぎていた。我々は無言のままスタ
 ジオを出て、居間に移った。居間のソファの上では、秋川笙子がまだ熱心に文庫本を読んでいた。
 彼女は栞をページにはさんで本を閉じ、黒総の眼鏡をはずし、顔をあげて私たちを見た。そして
 少しびっくりしたような表情を顔に浮かべた。私たち二人はよほど疲れた顔をしていたに違いな
 い。

 「お仕事は進みましたか?」と彼女は少し心配そうに私に尋ねた。
 「今のところは順調です。まだ途中の段階ですが」
 「それはよかった」と彼女は言った。「もしお嫌でなかったら、私が台所に行ってお茶をいれて
 もかまいませんか? 実はもうお湯は沸かしてあります。紅茶の葉がどこにあるかもわかりま
 す」

  私は少し驚いて秋川笙子の顔を見た。彼女の顔には上品な微笑みが浮かんでいた。

 「厚かましいようですが、そうしていただけるととてもありかたいです」と私は言った。実のと
 ころ、私は温かい紅茶がとても飲みたかったが、腰を上げて台所に行って湯を沸かす気にはどう
 してもなれずにいたのだ。それほど疲れて
 いた。絵を描いてそんなに疲労したのはずいぶん久し
 よりのことだ。それはもちろん心地よい疲弊感ではあったのだが。
  十分ほどで秋川笙子は、三つのカップとポットを載せたトレイを持って居間に戻ってきた。
 我々はそれぞれ静かに紅茶を飲んだ。まりえは居間に移ってからまだ二百も口をきいていなかっ
 た。ときどき手を上げて、額にかかった前髪を払うだけだ。彼女は分厚いスタジアム・ジャンパ
 ーを再び着込んでいた。まるで何かから身を守ろうとしているみたいに。

  我々はそこで静かに礼儀正しく紅茶を飲みながら(誰も音を立てなかった)、日曜日の昼下が
 りの時間の流れにぼんやりと身をまかせていた。しばらくのあいだ誰も口をきかなかった。しか
 しそこにある沈黙はあくまで自然で、理にかなっていた。それからやがて聞き覚えのある音が私
 の耳に届いてきた。それは最初のうちは、遠くの海岸に義務的に気怠く寄せる、気乗りのしない
 彼の音のように聞こえた。それが次第に大きくなり、やがて明瞭な連続的機械音になった。4・
 2リッター八気筒の余裕あるエンジンが、いとも優雅にハイオクタンの化石燃料を消費している
 音だ。私は椅子から起ち上がって窓際に行き、カーテンの隙間からその銀色の車が姿を現すのを
 見ていた。

                                     この項つづく

● こんなものがあればいいのになぁ!

10ミリグラム単位で計れるスパイス専用の家庭用の計量器がほしいね。

 

   

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甲武信ケ岳へGO!

2017年06月23日 | 医療健康術

           
     僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

     ※ 晋の文公、曹・衛を討つ:文公は、狐偃の意見に従い、楚を牽制すべく、
       曹・衛に対し行動を起こした。
       【経】二十有八年、春、晋侯、曹を侵す。晋侯、衛を伐つ。公子買(魯の
             大夫子叢)、衛を守る、戊(まも)る。戊(じゅ)を卒(お)えず。これ
             を刺(ころ)す。楚人、衛を牧う。

     ※ 年が明け、嬉公二十八年の春になった。晋の文公は曹討伐のため、衛に領
       土内通行の許可を求めたが、拒絶された。そこで晋軍は辻回路をとり、南
       河から黄河を渡って曹に攻め入った。その一方で、通行拒絶を理由に衛に
             も攻め入り、正月戊申(ぼしん)の日
に五鹿(ごろく)を占領した。その
       二月、晋では中車の将郤穀没した。後任には下車の副将先軫が抜擢された。
       胥臣(しょしん:司空季子のこと)がその後任となった。かれらの徳を認
       めての人事である。晋の文公は、銀盃(衛の地)で斉と会盟した。衛の成
             公が参加を申し出たが、文公はそれを拒んだ。そこで成公は楚と手を結ぼ
             うとした。衛国の要人たちはそれに反対し、成公を都から追い出して晋の
             怒りを解こうとした。成公は都を追われ襄牛(じょうぎょう:
衛の地)に
       住んだ。晋が衛を攻撃したとき、魯は大夫公子買を派遣して衛の防衛にあ
             たらせたが、衛は楚の救援が間にあわず、晋に降伏してしまった。魯君僖
       公は、晋・楚の板ばさみとなり苦境に立だされたが、一策を講じて、公子
       買を召還して処刑し、言葉たくみに両国を言いくるめた。すなわち、晋に
       対しては、公子買が独断で衛に加勢したが故にこれを処刑したといい、楚
       に対しては、公子買が衛の守備を放棄して勝手に帰国したが故に処刑した
       のだと説明した。

      〈五鹿〉衛の地名。亡命中の垂耳(文公)が、土くれを投げつけられたとこ
       ろ。
      〈魯が公千賀を衛に派遣……〉衛は楚と緊密な関係にあった。魯は衛を救う
       ことによって楚との関係を深めようとしたのである。
 

 

 June 22, 2017

【オールエレクトロパワー飛行機登場】

第52回回国際航空・宇宙船展示会の滑走路で、エビエーション航空機社は、最大飛行距
離965キロメートル、リチウムイオン蓄電によるオール電化のアリス航空機を模範展示
した。最大搭乗数9人(+2人)、電力量980kWh(リチウムイオン電池)、最大速度444
キロメートル/時。最高高度1万メートル、12メートル×13.5メートル、重量5,900キロ
グラム、出力208キロワットである。


 

● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり 

         第1章 これだけで年金がほぼわかる「三つのポイント」

 著者は、序章で「年金」を下記の3つに集約し、今回はその説明を掲載する。その後は
きる限り引用を掲載せず、各章節ごとに要約評価していく。


   ☑ 年金は「保険」である
   ☑「四〇年間払った保険料」と「二〇年間で受け取る年金」の額がほぼ同じ
   ☑「ねんきん定期便」は国からのレシート

          年金について「三つのポイント」を知っていることが大切

  まず、第一に根幹となるのは、「年金は保険である」ということです。年金とは、正
 確にいえば「年金保険」です。皆さんが納めているのは、国民年金「保険料」、厚生年
 金「保険料」。民間の個人年金に入っている人も、納めているのは「保険料」です。ところが一般
  には、「年金が。保険〃である」ということは、あまり理解されていないのではな いでしょうか。「
  年金は老後の生活を保障するものではないか」と思っている方が多いと思います。

  もちろん「年金」に、老後の生活を保障する最低限のものという性格かおることは確
 かです。しかしその本質は、あくまで「保険」なのです。
 「保険」というからには、「何かに備えてのもの」ということになります。生命保険で
 あれば、不測の死に対しての保険、自動車保険ならば自動車事故への保険、火災・地震
 保険ならば火事や地震の被害への保険です。
  では「年金保険」とは、何についての保険なのか。答えは、「長生きした場合」に備
 えての保険ということになります,
  年金が保険であることがどういうことかは、これから追って説明していきますが、こ
 のことを理解すると、年金についての多くのことが、一本の線でつながってきます。逆
 にいえば、このことがわからないと、とんでもない勘違いをしかねません。

  二番目の項目は、年金の金銭面についてです。「自分は年金をいくらもらえるのかわ
 からない」という人が多いと思いますが、「四〇年間払った保険料と、二〇年間で受け
 取る年金の額がほぼ同じ」ということを知っているだけで、自分の公的年金の受給額が
 アバウトに計算できます,
 「毎月どのくらい年金をもらえそうか」を概算でわかつていないと、老後にいかに備え
 るべきか、という対応をとることができません。「月々七万円」もらえる場合と、「
 々二〇万円」もらえる場合では、とるべき対応が変わってきます。
およその年金額を計
 算したうえで、「公的年金だけでは老後の生活に足りない」と思
う人は、老後に備えて
 プラスアルファのお金のことを考えておく必要があります。

  三番目の項目は、「ねんきん定期便」についてです。
 「ねんきん定期便なんて、何のために必要なんだろう。こんなもの送ってこなくてもい
 いのに」と思っている人もいると思います。もしかすると、「どうせ、「消えた年金問
 題」が騒がれたので、言い訳か何かのために出しているものなんだろう」などと考え
 て、ロクに見ないで捨てている人もいるかもしれません。
  ちなみに、「消えた年金問題」というのは、二〇〇七年に大きく騒がれたものです。
 社会保険庁が年金記録について、ずさんな管理をしていたことが発覚したのです。人力
 ミスや、結婚後の名前の変更、転職などの際の手続きミスなどが頻発していて、国民年
 金など公的年金保険料において納付記録漏れが発生していました。基礎年金番号に統合・
 整理されていない記録が約五〇〇〇万作もあることがわかり、国民の大きな怒りを
 招くこととなりました。

  このことが「年金への不信感」を大きく高めたことも事実ですし、これが大きな要因
 となって、自民党政権から民主党(当時)政権へと政権交代が行なわれることになりま
 した。
  話を戻しますが、実は「ねんきん定期便」ぱたんなる「言い訳」などではありませ
 ん。かなり重要な役割を果たしています。つまり、これは、国から発行された「レシー
 ト」にあたるものなのです,
  会社員の人は、給料から年金保険料を天引きされていて、天引き額が書かれた給与明
 細を受け取っていると思いますが、これはあくまで会社が発行しているレシートでしか
 おりません。一番重要なものは、国がきちっと年金保険料を受け取ったかどうかを証明
 するもの、すなわち「国から発行されたレシート」なのです。
 「ねんきん定期便」には、将来受け取る年金の見込み金額も書かれています。現在まで
 の納付状況によって計算されたものですが、ある程度の額をつかむことができます。
 「ねんきん定期便」は、けっこう役に立ちます。

  こうした三つのポイントを知っておくだけでも、年金についてかなりのことが理解で
 きます。年金の根幹となる仕組みをよく理解していないと、「年金は大丈夫だろうか」
 と不安ばかり募ります。しかし、年金の根幹となる部分を理解しておけば、枝葉の情報
 に惑わされて、ぐらつくことはなくなります。本当に重大な問題で不安になるのならと
 もかく、枝葉の部分で不安になるのは、バカバカしいことです。
  次の第1章では、この「三つのポイント」を詳しく説明しましょう。
  本書によって年金の「勘所」をつかんでいただいて、「年金問題の嘘」がどこにあっ
 て本当に大切なことは何かをご理解いただき、不必要な不安を解消していただければ、
 と ても嬉しく思います。

             序章 「年金が危ない」と強調して「得する」のは誰だ?


● 「保険」とは、どういうものか

 ここで保険の起源を少し考えてみよう。保険は、偶然に発生する事故(保険事故)によって
生じる財産上の損失に備えて、多数の者が金銭(保険料)を出し合い、その資金によって事
故が発生した者に金銭(保険金)を給付する制度と言われる。紀元前2~3世紀の中国やバ
ビロニアで商人が荷物を紛失・強奪された際の補填が行われ。また、紀元前1世紀のロドス
島では共同海損が運用
され、さらには地中海貿易では冒険貸借という、保険金を商船の出航
前に受け取り商船が無事に商
売を終えると保険金に利子返還する仕組みがそれだと考えられ
ている。このように、保険は、確率論の基本法則の「大数の法則」※に基づく仕組みとして
発展。この法則は18世紀に確立された定理であったが、保険の萌芽は、古代ローマにおけ
るコレギウム(同業者葬儀組合: collegium)や中世・近世ヨーロッパのギルド(商工業者の
職種団体:guild)などにみられ、その後、資本蓄積が進んだ貿易業者の間で金融取引の高度
化が進み、14世紀後半のイタリア諸都市の海上保険として
今日の保険契約とほぼ同じ仕組
みが整う


※ 
大数の法則とは

 確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスク
に適用す
ると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリス
クであっても、同等の危険を十分な数集めることで確率的に予測可能になり、変動の少ない
ものになりうるとする考え方。例えば、
サイコロを「n 回」振って、1の目が出た回数を「r
回」としたとき、1の目が出た回数の割合「n分のr」は、何回も何回もサイコロを振って n
を大きくし、1の目が出る計算上の確率である「6分の1」に近づいてゆく。これを保険にあ
てはめると、ある保険事業において結ばれた保険契約のうち、ある期間に保険事故が発生す
る件数の割合は、保険契約の件数が充分に多ければ、保険事故の発生する計算上の確率に近
づくということになる。

特定の人について、保険事故が発生するかどうかや、いつ保険事故が発生するかなどは、予
測す
ることができないがし、多数の人について統計をとり、過去の経験や資料なども加味す
れば、一定
期間にある保険事故がほぼ確実に発生する確率は算出することができる。この確
率をもとにして
一定期間に保険者が支払わなければならない保険金の総額を予測し、これに
見合う保険料を保険
契約者から徴収すれば、保険料の総額から保険金の総額を差し引いた収
支は均衡し、保険事業は継続的に行えるとする。現代の保険は、基本的にこのような考えに
づいて運営されている。具体的には、事業として公平かつ安定に営むために、以下の原則
の遵守が要請される。

✔  給付・反対給付均等の原則

契約者と保険会社の間に締結される保険契約で、保険金と保険料の間では以下の関係が満た
されることが要請される。これを給付・反対給付均等の原則と呼ぶ。

     P = ω Z  

ここで P は 保険料、ω :は定量化された保険事故のリスク、Z は保険金を表す。この原
、保険事故発生のリスクを媒介として保険金(給付)と保険料(反対給付)が等しくな
るように
要請されていることを示す。これによって保険に加入する者は右辺に示される不確
実なリスクを左辺に
示す確実な保険料と等価交換することができ、逆に保険者(たとえば保
険会社)は確実な保険料を受け
の原則が守られているという条件において、契約者と保険会社の
いずれにも不当な利得は発生せず、保険契約は公正となる。

✔  収支相等の原則

保険会社が同一のリスクを持つ保険契約者の集団から集めた保険料の総額と、保険会社がそ
の集団の中で支払う保険金の総額とは等しくなくてはならない。これを収支相等の原則とい
う、保険が継続的に安定して運営されるために要請される。収支相等の原則は、給付・反対
給付均等の原則を時間的・空間的に拡張したもの、後者は前者の十分条件であるが必要条件
ではない。また、収支相等の原則は、同一のリスクを持つ保険契約者が集団のて存在を前提
とし、同一のリスクを持つ者が多数集まることで不確実なリスク処理を合理化する仕組みで
ある。

 ところで、日本にも、古くから社倉・義倉、頼母子講(たのもしこう)、抛銀(なげがね、
投銀)、海上請負など、保険に類似した仕組みはあったが、今日の保険は、明治維新のとき
に欧米の保険制度を導入したもの。1859年には、開港したばかりの横浜で、外国人を対象に
外国保険会社によって火災保険や海上保険の引き受けが始められた。1867年には、福澤諭吉
が『西洋旅案内』の附録の中で、「災難請合の事 イシュアランス」として「生涯請合」(
生命保険)、「火災請合」(火災保険)、「海上請合」(海上保険)の仕組みを広く紹介。
また、夏目漱石も保険制度の普及を著書にて薦めている。1879年(明治12年)には東京海上
保険会社(現、東京海上日動火災保険株式会社)が、1881年には明治生命保険会社(現、明
治安田生命保険相互会社)が創立、本格的に保険が行われるている。

 「年金は、福祉である」と思っている人はたくさんいますが、年金の本質は、「年金保
 険」という「保険」なのです。では、「保険」とはどういうものでしょうか。健康保険
 について考えてもらうとわかりやすいと思います。健康保険に入っている人は、毎月保
 険料を納めます,病気になって医者に行ったときには、本人負担分以外は健康保険で支
 払ってもらえます。では、病気にならなければ、どうなるでしょうか。会社員の方々は
 健康保険を天引きされているはずですから、あまり意識されていないかもしれませんが、
 ちょっと考えればおわかりいただけるはずです。そう、もし病気にならなかったら、支
 払った健康保険の保険料は、丸々損失となるのです。つまり、健康保険は完全な「掛け
 捨て」保険です。さらにいえば、若い人の場合は、病気になる人が少ないですから、毎
 年払っている健康保険料はほぼ全額掛け捨てです。「病気になった場合は、保険から治
 療費を負担してもらえる。しかし、病気にならなかった場合は、丸々損をする」それが
 健康保険です。

  もちろん、病気にならないほうがいいに決まっていますし、また、不必要なお金も払
 わないほうがいいに決まっています。絶対に「病気にならない」のなら、健康保険に入
 らないほうが損をしなくて済むでしょう,
  しかし人間は、いつ病気になるかわかりません。そのときに治療費を払えなくなって
 しまったら、まさに悲劇です。ですから、そのときのために健康保険があるのです。つ
 まり、発想としては、「病気にならなかったのお金で、病気になった人を保障するのが
 「健康保険」である」ということになります。

 《健康保険の仕組み》
  ・病気になった人 ―――→ 病気にならなかった人のお金で保険給付を受ける
  ・病気にならなかった人  →  保険料は掛け捨てになる。

                      第1章 「保険」とはどういうものか

  ならば年金とは、いかなる保険なのでしょうか,ひと言でいえば、公的年金は「長く
 生きた人を保
障する保険」です,どうやって保障するかというと、「早く死んでしまっ
 た人」の保険料を、「長生きした人」に渡して
保障するのです。
  六五歳が支給開始年齢である場合、それに達しないで早く亡くなってしまった方は、
 申し訳ないので
すが、保険料を支払うだけで終わりです。年金支給開始年齢までに死ん
 でしまうと、お金を一円ももら
えません。遺族には「遺族年金」というものが出ますが、
 亡くなってしまった本人は残念ながら一円も
受け取ることができません,完全な「掛け
 捨て」で
す。あるいは、六六歳で亡くなってしまった方の場合は、一年だけしかもらえ
 ません。

  しかし、百歳まで生きられたら、三五年間にわたってお金をもらうことができます。
 保険というのはそういう仕組みです。
  つまり、年金保険は、無条件に保障する制度ではなく、「長生きしたら保障する」と
 いう制度だとい
うことです。平均寿命より若くして亡くなった人は損をします,その分
 を平均寿命より長生きした人に
渡します。早死にした人が、長生さした人を支える仕組
 みです,

 《公的年金保険の仕組み》
  ・長生さした人↓年金をもらう(生涯)
  ・早死にした人↓掛け捨て(一部、遺族年金)

  自分が早死にするのか、長生きするのかは予測不能です。ひょっとしたら、早死にし
 てしまうかもし
れませんし、もしかすると自分が思っていた以上に長生きするかもしれ
 ません。
  長生きしても、ずっと働ける人は自分で生活費を稼ぎ出せます。しかし、老齢になっ
 てくれば、体調の問題や肉体の衰えもありますから、いつ働けなくなるかわかりません。
 働けなくなったら、生活費を稼ぐことができなくなります。そうなったら、死ぬしかな
 いのか?
  そんな社会であったら、長生きすることは「リスク」でしかなくなります。まるで、
 「リアル姥捨て山」のような悲惨な状況になってしまいます。
  そういうリスクをカバーするために、保険があります。長生さしたときに備えておく
 ための保険が年金です。
  一般的に「リスク」は「危険」と訳されますが、「わからない」という意味で「リス
 ク」という言葉が使われています,自分は長生きするかもしれないし、長生きしないか
 もしれない。長生きしたときには、中し訳ないけれども早く亡くなった方の保険料を年
 金としていただいて生活しましょう、というのが年金保険です,

                  第1章 年金は長生きした人が得をする「保険」

病院嫌い?なのでできる限り行かないようにし、売薬ですませてきたが、(一度、肺炎で入
院したぐらい)、自分もよき健康保険支払者だったと思っているが、医療費の不正請求や過
剰医療と医療費は右肩上がりの日本である。これも、健常者だから言える話で障害者だった
ら、「不正」や「過剰あるいは過護」があったとしても、不平は言わないだろうなと思う。

                                   この項つづく
 

 

 【五坐踏破計画:6月 → 7月:甲武信ヶ岳】

昨年は、目標の20%しか達成できなかった。この原因はいろいろあるが、計画のなさにあ
ると反省。目標の五坐(6月:甲武信岳、7月:焼岳、8月:乗鞍岳、9月:霧ヶ峰、10
月:仙丈ヶ岳)に絞る。その甲武信岳だが、天気模様が悪く、来週の土・日順延。親戚家(
埼玉)への訪問は、リスクが高くなるので計画から急遽外すことに。

   



● 蒸気マスクを購入

ところで、今回は車中泊と考えていたが、仮眠を家でとり、夜中を移動することで時間を稼
こととし、仮眠熟睡のアイテムとして花王の「めくリスム」(ロース芳香性)を購入テスト
してみるが、眼精疲労が取れよく眠れたので早速採用することに。ついでに、関連技術を調
査すしたが以下のような構成/構造技術特許からなることを確認する。

発熱すると共に水蒸気を発生させ、温熱水蒸気を人間の皮膚等に適用し、温感を付与する温
熱具が商品開発されている。例えば、被酸化性金属と水を含む粉体により発熱粉体を透湿性
シートに封入し水蒸気を発生させるもの、また、被酸化性金属を含む発熱層と吸水シートの
保水層が積層された発熱体で、多量に水を含んだ保水層と発熱層とが直接接し異常発熱を防
止するもの。さらに、
発熱体と水蒸気を発生させる水蒸気発生体とを、隣り合って配設させ
ている温熱具などがある。

この新規技術は、水蒸気発生体100は、被酸化性金属の酸化反応により発熱する発熱層11
と、非透気性かつ非透湿性の第2のシート22と、吸水性シートを備える保水層12と、を
備え、当該水蒸気発生体100は、発熱層11と、保水層12との間に、第2のシート22
が積層されたものであり、発熱層11の、非透気性かつ非透湿性の第2のシート22の面と
は反対の面が透気性を有する第1のシート21で被覆される構造/構成で、水蒸気の発生量
と温度を容易にコントロールできる水蒸気発生体を提供するものである。

JP 2017-70356 A 2017.4.13

【符号の説明】

11  発熱層 12 保水層 21 第1のシート 22 第2のシート 23 第3のシート
30  発熱体 40  水蒸気発生量測定装置 41  測定室 42  流入路 43  と出路 
44  入口温湿度計 45  入口流量計 46  出口温湿度計 47  出口流量計 
48 温度計 50  温熱具 51  本体部 52  耳掛け部 53  袋体 
53A、53B  ノッチ部 54 孔 55  袋体第1シート 56  袋体第2シート
100  水蒸気発生体

※ 関連特許

・特開2017-099557  温熱具の製造方法 花王株式会社 2017年06月08日
・特開2017-070356  水蒸気発生体および温熱具 花王株式会社 2017年04月13日
・特開2016-106824  睡眠感判定方法及び睡眠感判定装置 花王株式会社 2016年06月20日

   

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グラフェン半導体素子時代?

2017年06月21日 | デジタル革命渦論

 

           
       僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

    ※ 開戦に先立つもの:天下制約の戦機は熟した。これに先立ち文公の周到な
      準備があった。この節では、かれの政治方針が紹介され、結末への、ひと
      つの伏線となる。

    ※ 晋の文公は、亡命生活を終えて本国に帰ると、人民の教化に専念した。そ
      して、二年だつと、いよいよ天下の制覇に乗り出そうとした。そのとき子
      犯は、「人民はまだ義の何たるかをわきまえず、その生活は十分落ち着い
      たとは申せません」と、これをいさめた。そこで文公は、外交政策として
      周王の地位を安定させ、内政面では人民本位の政策をとって民生を安定さ
      せた。文公はこれでよしと戦いの準備にかかろうとしたが、子犯はふたた
      びいさめた。
 「まだいけません。人民はまだ信の何たるかをわきまえておらず、
         たがいの信頼に欠けております」 そこで文公は、原の戦いで兵士たちに信の手
         本を示した。その結果、人民の間の商取引は正当に行なわれるようになり、だま
         しあいは影をひそめた。

     ※ 文公は今度こそと思ったが、子犯はまだうなずかなかった。「いえ、人民
            はまだ礼
の何たるかをわきまえておらず、目上の者をうやまう心に欠けて
            おります」そこ
で文公は披廬(ひろ)に兵を集め大演習を行なって礼の手
      本を示し、目付役を設 けて官位を整えた。この結果、人民は目上の言葉

      を素直に受けいれるようになった。文公が天下の制川に乗りだしたのは、
      このような準備を終えた後であった。この後、晋軍は穀の琴平を追いはら
      い、宋の包囲を解かせ、ついで城濮(じょうぼく)の戦いで楚を破り、文
      公は天下に覇をとなえること
になる。すべて、文公が人民の教化に力を注
      いだ成果なのである。

     〈原の戦い〉 文公は兵士たちに戦いを三日間で終わらせると約した。期限
      が来ると、落城寸前で
あったにもかかわらず、引きあげを命じ、兵士との
        約束を守った。僖公二三年(-632)の伝に
見える。


   

University of Central Florida Assistant Professor Ryan M. Gelfand

【グラフェン半導体素子? 百分の1の電力で千倍高速処理】

従来のシリコン基材の半導体素子は、電流のオン/オフを切り替えるエレクトロニクスに革命をもたら
す。
電流を制御し、✪より小型の電算装置やその他の電子機器の生産を可能になる。ここ数十年にわた
り、
小型化の急速な進歩により、ワードローブ、デスクトップ、ラップトップ、携帯ハンドヘルドスマ
ート
フォンまでダウンサイジングされる。近年、進歩が減速しムーアの法則の限界が懸念されている。
今月5日、米センタラルフロリダ大学の研究者たちは、シリコン上ではなく、単一原子の厚さの二次元
炭素材料のグラフェンリボン基材て、次世代トランジスタを理論化し、ネイチャーコミュニケーション
ズに報告する。これによると、シリコン半導体素子に比べ、グラフェン半導体素子は、百分の1の消費
電力で、千倍速でデータ処理できると考えている
宇宙開発や気候科学、ウォールストリートでのより
大きいく精度の優れたシミュレーションなどの技術革新を継続には、高速電算装置を必要とする。

そのためには、もはやシリコン半導体素子に頼れない。と、ナノバイオ光電子工学研究所のライヤン・
M・ゲルファンドが述べている。実際、
彼のチームは、グラフェンリボンに磁場をかけることで、グラ
フェンを流れる電流抵抗を変えることに成功する。この素子の磁界は、隣接するカーボンナノチューブ
を通る電流量を制御させる。磁場の強さは、パイプを通る水の流れを制御する弁のように、この新しい
半導体素子を通る電流流れと一致し半導体素子の
オン/オフスイッチとして機能を発揮。 しかしなが
ら、異なる配列の一連の論理ゲート用論理回路が複雑な算術論理の解析を実行には、シリコン半導体素
子のクロック速度は、ここ10年以上にわたり停滞し、主に3~4ギガヘルツの範囲にとどまっている。

カスケード接続された一連のグラフェントランジスタベースの論理回路は、各グラフェンナノリボン間
の通信は電磁波を介して行われるため
電子の物理的な動きの代わりに。
クロック速度がテラヘルツの範
囲に近づいている。
また、デバイスメーカは、小型化と効率化により、より多くの機能を絞りみが可能
となる
このコンセプトは、既存のナノスケール技術を組み合わせ、新しい方法で組み合わせる。この
コンセプトはまだ初期段階だが、プロトタイプの全炭素、カスケード型スピントロニクス電算システム
への取り組みはナノスピンコンピュタ研究室で継続される。

● 低次元炭素を伴うカスケードスピントロニクス論理

【要約】

従来のシリコン半導体素子の代替物として、広く知られることとなったグラフェン/カーボンナノチュ
ーブ半導体素子性が確立され、数多くのスピントロニクス論理ゲートが提供されている。
しかしながら
電子スピンを利用する効率的なカスケード論理構造についてはまだ実証されていなかった。この
研究で
は、低次元炭素材料のカスケード型スピントロニクス・コンピューティング・システムを紹介し、分析
する。
最近、グラフェンナノリボンの負磁気抵抗の発見によるスピントロニクス・スイッチを提案、
ンド構造の強結合近似法で実証されている。
共有結合的連結のカーボンナノチューブは、グラフェンナ
ノリボンを介し、インコヒーレントなスピントロニクス・スイッチングを介して論理ゲートをカスケー
ド接続し磁場を生成する。
炭素材料の特異な材料特性により、テラヘルツの動作が可能になり、最先端
マイクロプロセッサと比較して電力遅延が2桁に減少できる。こ
れらのカスケード接続論理回路の作製
に刺激を与えて、エネルギー効率が高いコンピューティングの変革をもたらすだろう。
 

 doi:10.1038/ncomms15635

図1 全炭素スピン論理ゲート

切開されたカーボンナノチューブ(CNT)の磁気抵抗GNRは、金属ゲート上の絶縁材料上の2つの平行
なカーボンナノチューブ(CNT)で制御される。全電圧が一定に維持され、全電流は一方向に流れる。
入力CNT制御電流 I CTRL の大きさ/電流方向は、磁場B及び磁気抵抗GNR端部を磁化し、出力電流
IGNR
きさを決定する

【概要】 

スピントロニクス・コンピューティングのためのスピン自由度の操作は、スピントロニック・スイッチ
ング・デバイスのユニークなメカニズムを利用するために、従来にないロジック・ファミリの発明を必
要とする。
他のデバイスを直接駆動する1つのデバイスであるカスケーディングは、ストアド・プログ
ラム電子コンピュータのための von Neumannの1545年の提案以来、ロジック・ファミリの主要な課題と
基本要件としてよく知られる。
入力信号と出力信号の種類と大きさが同じでない場合、変換のためのデ
バイスを追加することなくデバイスを接続することは困難。
この余分なデバイスは電力、時間、面積を
消費し、ロジックファミリの効用を著しく低下させる
ここでは、コンピューティングの代替パラダイ
ム、すなわち全カーボンスピンロジックを紹介。
このカスケード論理ファミリは、低次元の炭素材料の
みを使用して高性能コンピューティングを効率的に達成の最近のナノテクノロジーの進歩を創造的に適
用する。
スピントロニックスイッチングデバイスは、グラフェンナノリボン(GNR)トランジスタおよ
び部分的に非圧縮のカーボンナノチューブ(CNT)の負磁気抵抗を利用し、金属CNT相互接続から解か
れて提案される。
このカーボンゲートは直接カスケード接続できる。論理ゲート間に追加の中間デバイ
スは必要ない。
適切なスイッチング動作に必要な物理的パラメータは、計算効率の分析を可能にし、実
験的実証指針の提供に、バンド構造の平均場密結合計算評価である。
この結果、テラヘルツの動作速度
と電力遅延製品の2桁の改善を伴う小型の全炭素スピン論理回路の可能性を実証し、提案デバイスと計
算構造調査を促進する。
 



図2 グラフェンナリボンの端部磁化

(a)グラフェンエッジの磁化特性図。 隣接CNT電流により生成された磁場は、GNRエッジで強いオ
ンサイト磁化を引き起こす。各円の色はスピン種を表し、半径は磁化の大きさに対応。(b)単位セル
内の各サイトのオンサイト磁化をエッジからの距離の関数として図示。 (c)外部から印加された磁場
の不存在/存在におけるグラフェンナノリボンの端部磁化。磁場が存在しない場合、GNRは反対の極性
のエッジを有する全体的なAFM(局部反強磁性)秩序を示す。 磁場の印加は、エッジの極性を整列させ、
全体的なFM(強磁性)
序付ける。

図3 隣接するCNTによって制御されるGNRの磁気抵抗挙動

(a、b):方法の式(1)のようにCNTおよびハバードパラメータU = 2.7  eVのゼロ電流の12原子幅の
ジグザグGNRAFM/FM全秩序化バンド図。
(a)グローバルなAFM状態では、価電子帯と伝導帯の間
に大きなギャップがあり、そこにフェルミエネルギーEFがある。
したがって、利用可能な導電モードは
なく、コンダクタンスがゼロ。(b)FM状態では、バンドギャップはなく、全エネルギーにおいて少な
くとも1つの伝導モードが存在する。 (c、d):
(c)20nmおよび(d)35nmの幅を有するジグザグ
GNRの磁気不安定エネルギー(μeV)。
青色領域は正の不安定エネルギー(絶縁AFM状態)を示し、赤
色領域は負の不安定エネルギー(伝導性FM状態)を示す。
より狭いGNRトランジスタでは、CNTの軸
GNRエッジから10nmであり、より広いGNR1nm離れたCNTを有する。臨界スイッチング電流は、
Uに依存し、破線で示されている。(e)は、
AFM状態の伝達関数は、電子がデバイスを横切って移動す
る可能性と同様に、利用可能な伝導モードの数を定義。
したがって、バンドギャップ内のEF値について
は、全的秩序化FM状態とAFM状態との間で切り替わるとき、GNRコンダクタンスが切り替わる。 (f)
CNT電流が臨界スイッチング電流ICを克服したとき、GNRコンダクタンスがG0だけ増加する典型的なス
イッチングである。

表1 反対方向の入力CNT制御電流のGNR ORゲート真理値


表2 同方向の電流制御不能入力CANGNR XORゲート真理値 



【考察】

図4 全炭素スピン論理1ビット全加算器

(a)CNT(緑色)から部分的に切開された磁気抵抗性GNR FET(黄色)を有するスピントロニクスビ
ット全加算器の物理的構造。電気接続を防ぐ絶縁(茶色)。
全炭素回路は、一定電圧VGの金属ゲート
の上の絶縁体上に置かれる。
バイナリCNT入力電流AとBは、バイナリ・マグニチュード⨁Bの電流を出
力するXOR1とラベルされた切開GNRの状態を制御。 XOR1の出力は、ワイヤードORゲートOR2に達す
る前にXOR2およびXOR3への入力として機能するCNTを流れ、電流をマージしてCINV(A⨁B)を計算。
この電流はXOR4を制御し、V-Gで終了。他の電流も同様に動作し、出力電流信号SおよびCOUTで1ビッ
ト加算機能を計算。(b)ここで従来記号で示す記号回路図では、XOR1の出力はCINとともにOR2
XOR3への入力として使用。
全加算器Sの出力は、S = CINV(A、B)として計算。 OR2CINV(A⨁B)を
出力。これはXOR4への入力Sと一緒に使用し(CINV(A⨁B))⨁(CIN⨁(A⨁B))を計算。
このXOR4
出力は(AYCINV(BCIN)と等価です。OR3は、COUT =(A∧B)V(A∧CIN)V(B∧CINを計算するた
めに、この信号を入力としてAORに等しいXOR2の出力と共に取る。
配線されたORゲートは単に電流
を合計し有意な遅延がなく、総伝播時間は、XOR1-XOR3-XOR4最悪ケース経路により決定される3つ
XORゲートの総伝播時間である。

図5 スイッチングと伝搬遅延の解析

時刻 t = 0CNT0を通る電流のスイッチに続いてGNR1のエッジの磁場はt = tmagで切り替わり、GNR1
の抵抗はt = tmag + tgnrで切り替わり、CNT1を通る電流はt = tmag + tgnr + tprop
これは、1つの完全な
スイッチングおよび伝搬サイクルの終了を示し、直ちにGNR2のスイッチングが行われます。



図6 提案された概念実証実験

IINの変化に応じてIOUTの変化を測定することにより、全炭素スピン・ロジックの中心的な要素を実証で
きる。 カーボンナノチューブCNTOUTは、部分がGNRを形成するように部分的に切開(あるいは離合
できる。次いで、第2のCNT、CNTINCNTOUTとほぼ平行に置く。一定の電圧をCNTOUTに印加する必
要がある。この作業で説明される寸法を達成する必要はなく、むしろ、実験をより容易にするためには
C
NTINは、IINが変化したときに、IOUTにおいて測定可能な応答を引き起こすだけGNRに十分近くではい
けない。さらに、図に示すように、CNTINはCNTOUTと同じ長さである必要はなく、CNTが完全平行でな
い場合でもCNTが接触させない。

これらの回路は、高い導電率および負磁気抵抗を示す他の材料で実現することができるが、CNTおよび
GNRの優れた特性は、これらの構造をこの論理群での使用に理想的な候補にしている。電流は全炭素ス
ピン論理の状態変数であり、電磁波伝播によって決定されるスイッチング遅延を有する非常に速い計算
を可能にする。これは、電圧が状態変数であり、電荷転送および蓄積によって制限されるスイッチング
およびRLC相互接続遅延につながる従来のコンピューティングシステム
とはかなり対照的である。

これらを踏まえ、試作量産プロセス開発の準備段階が続くが、うまく行けば、予想以上にグラフェン代
替時代が始まるだろう。

   

 

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「年金問題」は嘘ばかり ?

2017年06月20日 | 時事書評

 

           
       僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  
 

                            

    ※ 晋に救援を求む:この年も暮れ、冬となった。楚の成王は味方の諸侯とと
            もに宋に攻撃を加えた。宋の公孫固は急速晋に赴き、晋の文公に救援を求
            めた。文公に臣下たちが次々と意見を具申する。先軫(せんしん)は言っ
      た。「宋の難局を救って、宋公の恩に報いると同時に、諸国にわが国の力
      を示し、天下に覇をとなえる好機かと存じます」孤偃(こえん:子犯)は
      言った。「楚は最近、曹を支配下におき、衛と縁組みを整えたところです。
      いま、わが国が曹と衛とを攻撃すれば、楚はこの二国の救援にむかわざる
      を得ません。こうなればしめたもの、宋はもちろん、かねて楚におびやか
      されていた斉も、危急を逃れることができましょう」この意見に従って行
      動を起こすべく文公は被廬(ひろ)枝炭に全軍を招集し、戦時編成を行な
      った。総指揮官の人選が問題となったとき、趙衰(ちょうし)が意見を述
      べた。

     「郤穀(けいこく)が適任です。わたしはかれのことはよく存じております
      が、礼楽、詩書を心からたっとぶ人物です。詩書は義の宝庫、礼楽は徳の
      手本、そして徳と義とは利を生みだす根本であります。『まず心おきなく
      意見を述べさせ、それを実行させてみよ。そして功績があれば、車と衣を
      あたえてこれに報いよ』――この『書経』の教えどおり、このさい部員に
      任務をあたえてみてはいかがでしょう」。

      この進言がとりあげられ、郤穀は中軍の将に任命された。郤湊(げきしん)
      がその副将となった。上軍の将には孤偃が任命されたが、かれは兄の孤毛
      (こもう)にその位をゆずり、みずからは副将となった。下車の将には、
      趙衰をあてようとしたが、趙衰が欒枝(らんし)と先軫とを推したので、
      欒枝を下車の将、先軫をその副将とした。文公が乗る兵車は、荀林父(じ
      ゆんりんほ)が御をつとめ、魏犨(ぎしゅう)が車右(しゃう)をつとめ
      ることになった。
       
     〈宋公の恩〉文公は亡命中、宋の襄公から馬を贈られた。
     〈車右〉丘車の中央に御者、左に射手、右に武器をもった"車右”が乗った。

   June 19, 2017

● テラヘルツレーザー照射で波長変換効率50%増

今月19日、京都大学らの研究グループはビスマスとコバルトを含むセラミックスにテラヘルツ光(
波長がサブミリメートルの遠赤外光)を照射すると非線形光学特性が5割以上増強する現象を発見し
たことを公表。非線型光学材料の性能指数を制御する新しい手法であり、室温かつ非接触、超高速で
の新しい非線形光学材料の性能指数向上や巨大データの高速処理に必要な超高速光電子デバイス開発
への応用が期待されている。

これまで、極性材料には、その反転対称性の破れた独自の結晶構造に由来する「二次の非線形感受率」
が存在し、入射した光の周波数の2倍(波長が半分)の光を発生できるが、この現象は「第二次高調
波発生(SHG)」と呼ばれ、レーザーにおける波長変換技術などに利用される。発生するSHG強度が
大きい、つまり性能指数が高い非線形光学材料の開発は重要な課題となっていた。

今回実験に用いた物質は、ビスマスとコバルトからなる酸化物セラミックス結晶(BiCoO3)。コバル
トを中に含む酸素4面体の頂点方向が同一方向を向いて3次元的に連なり、全体でマクロな極性構造を
持つ。これは、誘電体材料で知られるPbTiO3結晶と同型で、実際に巨大な自発分極が観測されている。
この物質は、極性構造に起因する二次の非線形感受率が存在するため、SHG効果を容易に観測できる。

研究グループは、この試料に対して尖頭値が約1MV/cmの電界強度を持つテラヘルツ光パルスを照射
するとSHG強度が瞬時に増強、最大電界強度0.8MV/cmのときにSHG強度が5割以上増えることを観測。
これは、テラヘルツ光が結晶の歪みを引き起こし、二次の非線形感受率を増大させたためで、試料の
非線形光学応答の性能指数が劇的に増大したことを示す。さらに、SHG強度変化のスピードは、照射
したテラヘルツ波の波形に追随しており、1ピコ秒以内に変化して元の状態に戻る。このような巨大
かつ高速の非線形光学応答の変化はこれまで全く見られなかったが、✪室温かつ非接触での新しい非
線形光学材料の性能指数を向上する技術や、✪テラヘルツ電磁波で制御される超高速データ処理の新
たな超高速光電子デバイス開発につながると期待される。✪また、強誘電材料が持つ、他の有用な性
質(アクチュエーターやキャパシタなど)も、テラヘルツ光の照射によって機能向上できる可能性を
強く示唆するとのこと(下図ダブクリ参照)。これは楽しみだ。


DOI::https://doi.org/10.1103/PhysRevApplied.7.064016
 

       

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    37.どんなものごとにも明るい側面がある

  戦地からの手紙はもちろん厳しい検閲を受けていたが、親しい兄弟ということもあり、その抑
 制された文面から、検は弟の心の動きを読み取ることができた。上手に偽装された文脈から、本
 来の文意をおおよそ推測し、理解できた。弟の部隊が上海から南京に至る各地で激しい戦闘をく
 ぐり抜け、その途中で夥しい殺人行為・略奪行為が繰り返されたことも。そしてまた神経の繊細
 な弟が、そのような幾多の血なまぐさい体験を通して深い心の傷を負ったらしい

  彼の部隊が占領した南京市内のあるキリスト教会には素晴らしいパイプ・オルガンがあったと、
 弟は手紙に書いていた。オルガンはまったく無傷で残っていた。しかしそれに続くオルガンにつ
 いての長い描写は、彼間宮の手によって墨で黒く塗りつぶされていた(なぜキリスト教会のオル
 ガンの描写が軍事機密になるのか? この部隊に関していえば、担当検閲官の検閲基準はかなり
 不可思議なものだった。当然塗りつよされるべき危険な箇所が往々にして見逃され、とくに塗り
 つぶす必要もないようなところが真っ黒に抹消されていることがよくあった)。だからその教会
 のオルガンを弟が演奏することができたのかどうかも、わからないままに終わっていた。
 「継彦叔父は一九三八年の六月に一年間の兵役を終え、すぐに復学の手続きをしたが、実際には
 復学することもないまま、実家の屋根裏部屋で自死を遂げた。髭剃り用の剃刀をきれいに研いで、
 それで手首を切ったんだ。ピアニストが手首を自ら切るには、よほどの決意が必要だったに違い
 ない。もし助かったとしてもおそらくもうピアノは弾けないだろうからね。見つかったとき屋根
 裏は血の海になっていた。彼が自殺したことは世間にはひた隠しにされた。表向きには心臓病か
 何かで死んだことにされた。

  継彦叔父が戦争体験で深く傷ついて、神経をずたずたに破壊され、それが原因で自らの兪を絶
 
ったことは誰の目にも明らかだった。なにしろピアノを美しく弾くこと以外に何ひとつ考えてこ
 なかった二十歳の青年が、あの死屍累々の南京戦に叔り込まれたわけだからな。今ならトラウマ
 ってことになるんだろうが、当時は徹底した軍国主義社会だから、そんな用語も概念もありやし
 ない。ただ性格が弱い、根性がない、愛国心に欠けているというだけで片付けられてしまう。当
 時の日本ではそんな『弱さ』は理解もされなければ、受け入れられもしなかった。ただ家族の恥
 として闇に葬られるだけだ」
 「遺書のようなものはなかったのか?」
 「遺書はあった」と雨田は言った。「かなり長い遺書が自室の机の抽斗に残されていたというこ
 とだ。遺書というよりはほとんど手記に近いものだったらしい。そこには継彦叔父が戦争中に体
 験したことが綿々と書き綴られていた。その遺書を読んだのは叔父の両親(つまりおれの祖父母)
 と長兄とうちの父親、その四人だけだ。ウィーンから戻った父親がそれを読んだあと、遺書
は四
 人の見ている前で焼き捨てられた」

  私は何も言わずに語の続きを待った。

 「父親はその遺書の内容については堅く目を閉ざしていた」と政彦は続けた。「すべては家庭の
 暗い秘密として封印され比喩的に言うならば重しをつけて深い海の底に沈められた。しかし一度
 だけ酔っ払ったときに、父親はおれにそのおおまかな内容を話してくれた。まだそのと
き小学生
 だったんだが、そのとき初めて自殺をした叔父がいたことをおれは知った。父親がその
話をして
 くれたのが、本当に酔っぱらって口が緩んだからなのか、それともいつかはおれに話し
伝えてお
 かなくてはならないと思ったからなのか、そのへんは不明だ」

  サラダの皿が下げられ、アカザエビの入ったスパゲティーが遺ばれてきた。
  政彦はフォークを手にして、それを真剣な目でしばらく眺めていた。特殊な用途のためにつく
 られた工具を点検するみたいに。それから言った。「なあ、これは正直言って、あまり飯を食い
 ながら話したくなるような話題じゃないんだ」
 「じゃあ、何かべつの話をしよう」と私は言った。
 「どんな話をする?」
 「できるだけ遺書から遺い話をしよう」

  我々はスパゲティーを食べながらゴルフの話をした。私はもちろんゴルフなんてやったことが
 ない。周りにゴルフをする人間はI人心いない。ルールだってほとんど知らない。しかし政彦は
 仕事上のつきあいがあり、最近よくゴルフをするようになった。運動不足を解消する目的もあっ
 た。金をかけて道具を買い揃え、週末になるとゴルフ場に週うようになった。
 「おまえはきっと知らないだろうが、ゴルフっていうのはとことん奇妙なゲームなんだ。あんな
 に変てこなスポーツってまずないね。他のどんなスポーツにもぜんぜん似ていない。というかス
 ポーツと呼ぶことさえ、かなり無理があるんじゃないかとおれは考えている。しかし不思議なこ
 とに、いったんその奇妙さに馴れちまうと、もう帰り遺が見えなくなる

  彼はその競技の奇妙さについて能弁に話った。様々な風変わりなエピソードを披露してくれた。

 政彦は心ともと話の上手な男だったから、私は彼の話しぶりを楽しみながら食事をした。久しぷ
 りに二人で笑った。
  スパゲティーの皿が下げられ、コーヒーが遺ばれてくると(政彦はコーヒーを断って、白ワイ
 ンのおかおりを注文したが)、政彦は話題を元に戻した。
 「遺書の話だったな」。口調が急にあらたまった。「うちの父親が話してくれたところでは、そ
 こには康彦叔父が捕虜の首を切らされた話が記されていた。とても生々しく克明に。もちろん兵
 卒は軍刀なんて持っちゃいない。これまで日本刀なんて手にしたこともない。なにしろピアニス
 トだからね。複雑な楽譜は読めても、人斬り包丁の使い方なんて何ひとつ知らない。しかし上官
 に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令されるんだ。捕虜といっても軍服を着てい
 るわけじゃないし、武器を所持していたわけじゃない。歳だってかなりくっている。本人も自分
 は兵隊なんかじゃないと言っている。ただそのへんにいる男たちを適当に捕まえてきて、縛り上
 げて殺すだけだ。掌を調べて、ごつごつとしたタコができていればそれは農夫だ。場合によって
 は放してやる。しかし柔らかな手をしているものがいれば、軍服を説ぎ捨てて市民に紛れて逃れ
 ようとしている正規兵だと見なし、問答無用で殺してしまう。殺し方は銃剣で刺すか、軍刀で首
 をはねるか、そのどちらかだ。機関銃部隊が近くにいれば、一列に並べてばたばたとまとめて撃
 ち殺してもらうが、普通の歩兵部隊だと弾丸がもったいないから(弾丸の補給は遅れ気味だから)、
 だいたい刃物を使う。屍体はまとめて揚子江に流す。揚子江にはたくさんナマズがいて、それを
 片端から食べてくれる。真偽のほどはわからないが話によれば、そのおかげで当時の揚子江には
 子馬くらいの大きさに肥えたナマズがいたそうだ

  叔父は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。陸軍士官学校を出たばかりの若い
 少尉だ。叔父はもちろんそんなことはしたくなかった。しかし上官の命令に逆らったら、これは
 大変なことになってしまう。制裁を受けるくらいじや収まらない。帝国陸軍にあっては、上官の
 命令は即ち天皇陛下の命令だからな。叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じ
  ゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわ
  けがない。うまくとどめは殺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたう
 ちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった」

  政彦は首を振り、私は黙ってコーヒーを飲んでいた。

 「叔父はそのあとで吐いた。吐くものが胃の中になくなって胃液を吐いて、胃液もなくなると空
 気を吐いた。そうして、まわりの兵隊たちに嘲られた。情けないやつだと、上官に軍靴で腹を思
 い切り蹴飛ばされた。誰も同情なんてしてくれなかった。結局彼は全部で三度も捕虜の首を切ら
 されたんだ。練習のために、馴れるまでそれをやらされたんだ。それは兵隊としての通過儀礼
 ようなものだった。そういう修羅場を経験することによって一人前の兵隊になっていくんだと言
 われた。しかし叔父はそもそも最初から一人前の兵隊になれるわけがなかったんだ。そういう風
 にはつくられていなかったからな。ショパンとドビュツシーを美しく弾くために生まれてきた男
 だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃない」

 「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」

  政彦はまた首を振った。「そんなことはおれにはわがらんよ。しかし人の首を刎ねるのに馴れ
 ることができる人間は少なからずいるはずだ。人は多くのものごとに馴れていくものだ。とくに
 極限に近い状態に置かれれば、意外なほどあっさり馴れてしまうかもしれない」
 「あるいはその行為に意義や正当性を与えられれば」
 「そのとおりだ」と政彦は言った。「そして大抵の行為には、それなりの意義や正当性は与えら
 れる。おれにも正直言って自信はない。いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込ま
 れ、上官から命令を与えられたら、どんなに筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、
 それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない」

  私は自分自身について考えてみた。もし同じような状況に置かれたら、私はどのように行動す
 るだろう? それから、宮城県の港町で一夜を共にした不思議な女のことをふと思い出した。性
 行為の最中に私にバスローブの紐を手渡し、これで思い切り首を絞めてくれと言った若い女を。
 両手に握ったそのタオル地の紐の感触を、私が忘れることはたぶんないだろう。

 「継彦叔父はその上官の命令に逆らえなかった」と政彦は言った。「それだけの勇気も実行力も、
 叔父は持ち合わせていなかった。しかしその後、剃刀を研ぎ上げて自分の命を絶つことによって、
 自分なりの決着をつけることはできた。そういう意味では、叔父は決して弱い人間ではなかった
 とおれは考えている。自らの命を絶つことが、叔父にとっては人間性を回復するための唯一の方
 だったんだ」
 「そして継彦さんの死は、ウィーン留学中のお父さんに大きなショックを与えた」
 「言うまでもなく」と政彦は言った。

 「お父さんはウィーン時代に政治的な事件に巻き込まれて、日本に送還されたという話を聞いた
 んだが、その事件は弟さんの自殺と何か関連しているのだろうか?」
 
  政彦は腕組みし、むずかしい顔をした。「そこまではわからない。なにしろ父親はそのウィー
 ンの事件については、一度も口にしなかったからね」
 「君のお父さんと恋仲になった娘が抵抗組織のメンバーで、その関係で暗殺未遂事件に関わるこ
 とになったという話を聞いたけれど」
 「ああ、おれが聞いた話では、父親が恋仲になったのはウィーンの大学に通っていたオーストリ
 ア人の娘で、二人は結婚の約束までしていたらしい。暗殺計画が露見して彼女は逮捕されマウ
 トハウゼン強制収容所に送られたということだ。たぶんそこで命を落としただろう。うちの父親
 もやはりゲシュタポに逮捕され、一九三九年の初頭に〈好ましくない外国人〉として日本に強制
 送還された。もちろんこれも父親から直接聞いたことではなく、親戚のものから聞かされた語だ
 が、かなりの信憑性はある」
 「お父さんが事件について何も語らなかったのは、どこかから口止めされていたからだろうか?」
 「ああ、それはあるだろう。父親は国外強制退去になるとき、事件について何も語らないように、
 日独双方の当局から厳しく釘を刺されていたはずだ。おそらく口をつぐんでいることが、彼が一
 命を取りとめるための重要な条件になっていたのだろう。そして父親白身もその事件については、
 何も語りたくなかったようだ。だからこそ戦争が終わって口止めするものがいなくなっても、や
 はり同じように口を堅く閉ざしていた」

  政彦はそこで少し間を置いた。それから続けた。

 「ただうちの父親が、ウィーンにおける反ナチの地下抵抗組織に加わったことについては、たし
 かに継彦叔父の自殺がひとつの動機になっていたかもしれない。ミュンヘン会談でとりあえず戦
 争は避けられたが、ベルリンと東京の枢軸は強化され、世界はますます危険な方向に向かってい
 た。そういう流れにどこかで歯止めをかけなくてはと、父親は強く思っていたはずだ。父は何よ
 り自由を重んじる人だ。ファシズムや軍国主義とはまったく肌が合わない。弟の死は彼にとって
 間違いなく大きな意味を持っていたと思う」
 「それ以上のことはわからない?」
 「うちの父親は自分の人生について他人に語るということをしない人だった。新聞や雑誌のイン
 タビューも受けなかったし、自らについて何かを書き残したりもしなかった。むしろ地面につい
 た自分の足跡を、笥を使って注意深く消しながら、後ろ向きに歩いているような人だった」

  私は言った。「そしてお父さんはウィーンから日本に戻ってきて、それから戦争が終わるまで、
 作品をいっさい発表することなく深く沈黙を守っていた」

 「ああ、八年ばかり父は沈黙を守っていた。一九三九年から四七年にかけて。そのあいだ画壇み
 たいなところからはできるだけ遠く離れていたようだ。そういう場所がもともと嫌いだったし、
 多くの画家が嬉々として戦争称揚の国策絵画を描いていたことも、父には気に入らなかった。幸
 いなことに実家は裕福だったから、生活の心配をする必要はなかった。ありかたいことに、戦争
 中兵隊にとられることもなかった。しかし何はともあれ戦後の混乱が一段落して再び画壇に姿を
 見せたときには、雨田典彦は完全な日本画家に変身していた。以前のスタイルをきれいさっぱり
 捨て去り、まったく新しい画法を身につけていた」

 「そしてあとは伝説になっている」

 「そういうことだ。あとは伝説になっている」と政彦は言った。そして手で空中の何かを軽く払
 うような動作をした。まるで伝説が綿ぼこりのようにそのへんに浮かんでいて、それが正常な呼
 吸の邪魔をしているみたいに。
  私は言った。「しかしその話を聞いていると、ウィーンでの留学時代に経験したことが、お父
 さんのその後の人生に何か大きな影を落としているように思える。それがどんな事柄であったに
 せよ」

  政彦は肯いた。「ああ、おれも確かにそう感じているよ。ウィーン滞在中に起こった出来事が
 父の進路を大きく変えてしまった。その暗殺計画の挫折には、きっと暗澹(あんたん)としたい
 くつかの事実 が含まれていたんだろうな。簡単には口にはできないようなすさまじいことが」
 「でもその具体的な細部まではわからない」
 「それはわからない。昔からわからなかったし、今ではもっとわからない。今じゃ、本人にさえ
 よくわかっていないはずだ」
  そうだろうか、と私はふと思った。人はときとして覚えていたはずのことを忘れ、忘れていた
 はずのことを思い出すものだ。とくに迫り来る死と向きあっているようなときには
  政彦は二杯目の白ワインを飲み終え、腕時計に目をやった。そして軽く眉を寄せた。

 「そろそろ会社に戻った方がよさそうだな」
 「何かぼくに話があったんじゃないのか?」と私はふと思い出して尋ねた。
  彼は思い出したようにテーブルの上を軽くとんとんと叩いた。「ああそうだ。おまえに話さな
 くちゃならないことがあったんだ。しかしうちの父親の話で終わってしまった。次の機会にあら
 ためて話すよ。まあ、一刻を争うことでもないし」
  私は席を立つ前に彼の顔をあらためて見た。そして質問した。「どうしてそこまでぼくに打ち
 明けてくれるんだ? 家庭の微妙な秘密みたいなことまで」

  政彦はテーブルの上に両手を広げて置き、それについて少し考えていた。それから耳たぶを掻
 いた。
 「そうだな、まずひとつに、おれも一人でそういう〈家庭の秘密〉みたいなのを抱え込んでいる
 ことにいささか疲れてきたのかもしれない。誰かに話してみたかったのかもしれない。できるだ
 け口の堅そうな、現実的な利害関係のない誰かにな。そういう意味ではおまえは理想的な聞き手
 だ。そしてまた実を言うと、お札にはおまえに少しばかり個人的な負い目があってね、その借り
 を何らかのかたちで返しておきたかった」
 「個人的な負い目?」と私は驚いて言った。「負い目ってなんだ?」

  政彦は目を細めた。「実はその話をしようと思っていたんだ。でも今日はもう時間がなくなっ
 てしまった。次の予定が入っているものでね。もう一度どこかでゆっくり話し合う機会をつくろ
 う」
  レストランの勘定は政彦が払った。「気にしなくていい。それくらいの融通はきく」と彼は言
 った。私はありかたくご馳走になった。
  それから私はカローラ
・ワゴンを運転して小田原に戻った。家の前にその埃だらけの車を駐め
 たとき、太陽は既に西の山の端に近くなっていた。たくさんのカラスたちが鳴きながら、谷の向
 こうのねぐらに向かっていた。

以上、この章を読み終え、個人的な戦争体験の見聞録のようなものを重ね合わせてしばらく考え込み、
戦後生きながらえた日本軍兵士および家族たちのその後の心象の変化などを想像する。さて、次回は
第38章「あれではとてもイルカにはなれない」へ移る。

                                                           この項つづく 

● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり

「本当に年金をもらえるのだろうか」――あなたは、そんな心配をしていないでしょう。実際に、そ
ういう心配をしている人はたくさんいます。様々なメディアが「将来、年金制度が維持できると思い
ますか」などという世論調査をすると、八割から九割の人が「不安を感じる」と答えることが多いよ
うです。では、本当に現在の日本の年金制度は「危ない」のでしょうか。 それを考える前提として、
こういう問いかけをしたら、皆さんはどのようにお答えになるでしょうか?とこのように本書の序章
で問いかける。しかし、それは「誤り」だと、著者は明快に喝破する。そもそも「年金」とは「保険
」であり、その性質さえ知っていれば、すべてわかるし、ダマされることはないのだ、と。東大の数
学科をでて大蔵省に入省、大蔵省の中で年金のことがわかる数少ない人材の一人。それゆえ、厚生省
と対決した。そんな経験を交え、年金の本質に明確に迫る。で、なぜいま財務省や厚労省は「消費税
を上げなければ年金は危ない」「資金運用しなければ未来はない」などと危機を煽るのか。そこに中
央官僚の「利権」があるからと論断し、俗論を撃つ。そうわかって見ていくと、これまで見落として
いたことが顕わになり未来が明るくなるというのだ。このブログでも彼の出版物や発言を取り上げて
きたが、そのきっかけとなったのは、脱「ロスト・ダブルスコア」(=脱デフレ論)をブログ掲載し
ていたことに由来する。ダイヤモンド・オンラインで連載中の「高橋洋一の俗論を撃つ!」の表題を
下記に列記しただけでも面白そうなこ
とがわかるというものだ)。

・豊洲移転中止は絶対あり得ない!地下水「基準」問題の真相(2017.3.23)
・報道されなかったスティグリッツ教授「日本への提言」の中身(2017.4.6)
・日銀政策委員、リフレ派増員で民主党色は一掃された(2017.4.20)
・「統合政府」で考えれば、政府の財政再建試算は3年早まる(2017.4.29)
・教育投資の財源は「こども保険」より「教育国債」の筋がいい(2017.5.12)
・「教育国債」反対の財政学者は借金ばかりを見るから間違える(2017.5.18)
加計問題「前川発言」は規制緩和に抵抗して負けた文科省の遠吠えだ(2017.6.1)
・加計学園の認可は「総理の意向」の前に勝負がついていた(2017.6.15)

さて、本題に戻ろう。

                    序章 「年金が危ない」はまさに「打ち出の小槌」

  ここで、少し「いじわる」な見方をしてみましょう  「年金が危ない」ということを強調す
 
ることで「得になる」人は誰か? ということです。
  まず、財務省や厚労省も「年金が危ない」という主張がまかり通っていたほうが「お得」です。
 財務省は消費税の増税を目指していますが、増税を実現するためには「社会
障」への不安が高
 まっているに越したことはありません。一方、厚労省にとっては、
「年金」は大きな利権や天下
 り先の源泉
になっています。もし、「安心」などと必要以
 上に唱えてしまったら、その「うま
 み」を削られかねません

  金融機関も「年金が危ない」という常識が世の中で通用していたほうが仕事がしやす
くなりま
 す。たしかに、公的な年金はあくまで「基礎的」な部分であって、老後への備
えはそれぞれに進
 めておく必要かおりますが、しかし、「公的年金が危ない」と多くの
人が思ってくれていたら、
 投資や年金保険などの様々な商品は、さらに売りやすくなり
ます,となると、金融機関系のエコ
 ノミスト
たちもまたも、その利害から完全に自由に

 なることは難しいことでしょう,
  新聞や雑誌、ウェブなどといったメディアでは、年金のように暮らしのお金に直結するテーマ
 については、ファイナンシャル≒フランナーが記事を執筆することも多いです
が、彼らも「年金
 は危ない」と多くの人に思っていてもらったほうが好都合です。ファ
イナンシャル≒フランナー
 は暮らしの資金設計をしてくれる方々ですが、やはり、何らかの不安があったほうが、相談者は
 増えるはずです,

  政治家だちからすれば、年金は「不安をあおりたてて票を稼げる」、もってこいの材料です,
 国政選挙のときなどに有権者にアンケートをとると、どれほどその時に安全保 障的な事件や、
 政治改革などが話題になっていても、一番の関心は「年金」だったりします。しかも、広く一般
 に「年金不安」が叫ばれていますから、特に野党としては政府与党を攻撃するために、もっとも
 使いやすく効果的なカードになるのです。
  もちろんメディアにとっても、年金は「おいしい」話題です。年金は、将来のことでもありま
 すし、自分の老後の生活に直接大きく関わることです。それゆえ、多くの人びとが高い関心を持
 っています。しかも日本では、「少予昌齢化」はすでに常識になっていますから、少し不安をあ
 おれば、視聴者や読者はビンビン反応します。視聴率を椋いだり、新聞や本を売ったりしなけれ
 ばいけないメディアにとっては、まさに、今菓げたような財務省、厚労省、金融機関、ファイナ
 ンシャル≒フランナー、さらに野党政治家 の「年金が危ない」などといった主張は、まさに「
 打ち出の小槌」です。それを論拠に 「年金の危機」を打ち上げさえすれば、多くの人びとに買
 ってもらえたり視聴してもらえたりするのですから,

  こう見てくると、情報発信側の多くの人びとにとっては、「年金危機をあおったほうが得」に
 なる構図かおることが見えてきます,
  もちろん、だからといって、それぞれが悪意に基づいて勤いているとは思いません。
 しかし、そういう背景があれば、ややもすれば必要以上に「危ない」「破綻」などという解釈や
 表現ばかりが多くなる可能性があります。たとえ悪意がなくとも結果的に、年金問題にまつわる
 言説の多くが「嘘ばかり」という状況にもなりかねないのです。

                
             序章 年金について「三つのポイント」を知っていることが大切

  こういう状況ですから、きちんとした知識を持っていないと、メディアの情報に惑わ
されて、
 不安ばかり強くなってしまいます。年金について正しい知識を身につけなけれ
ば、結果として、
 「大きな損」すらしかねません。何より、必要以上の不安に苛まれつ
つ日々を送るなど、実にバ
 カげています。

  そうはいっても、「年金は難しい」と思って、知識を持つことをあきらめてしまう人もいるこ
 とでしょう,しかし、年金の仕組みはそれほど難しいものではありません。

  制度が入り組んで複雑化していることは事実ですが、本来は、きわめてシンプルな仕組みです。
 ポイントさえ押さえておけば、年金については誰でも理解できます。おかし
な情報に惑わされな
 いために、年金についての基本的なことを知っておきましょう。

  細部にこだわってしまうと、年金のことがわからなくなりますので、本書では、細かい話や難
 しい話はできるだけ省いて、根幹の部分をお伝えできればと思っています。
「年金ってこんな仕
 組みなのか」という「勘所」をつかんでおくことが一番大事です。
年金については、次の三つを
 知っているだけでかなりの部分を押さえられます。

  ☑ 年金は「保険」である
  ☑「四〇年間払った保険料」と「二〇年間で受け取る年金」の額がほぼ同じ
  ☑「ねんきん定期便」は国からのレシート

                                     この項つづく

   

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ネット・ゼロ・エネルギーハウスを語る。

2017年06月19日 | 環境工学システム論

 

           
       僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  

 

                            


    ※ 楚、宋を囲む:僖公二七年(-633)―中原進出をねらう南万の新興国楚、
            むかえうつ中原の雄晋、両者の決戦は、宋をめぐる争いに端を発した。話
            はまず楚の働静からはじまる。
      【経】二十有七年冬、楚人・陳候・蔡候・鄭伯・許男、宋を囲ひ。十有二
      月甲戌、公、諸侯に会
して宋に盟う。

    ※ 楚の令尹・子玉 楚の成王は宋を攻めようとし、その準備のために子文
      命じ、睽(けい)の地で演習を行なわせた。子文は午前中で簡単におわら 
      せ、兵士か一人も処罰しなかった。日をあらため、令尹の子玉(成得臣)
      も蔿(い)で演習を行なった。午前午後を費やして入念に行ない、鞭打た
      れた兵士三人、耳を破る刑に服した兵士七人、合わせて十人の処判者を出
      す厳しさであった。子玉の指揮ぶりを見て、楚の有力者たちはすっかり感
      服し、かれを令尹に推挙した子文のもとにお祝いに集まった。子文はかれ
      らに酒をふるまってもてなした。その席に、若輩の蔿買(孫叔敖の父)だ
      けが、遅く来たうえに祝いの言葉一つ述べようとしなかった。子文がそれ
      をなじると酉貿は、「わたくしには何で祝うのか、わけがわかりません。
      あなたが子玉を令尹に推挙されたのは、わが楚国の安定を願えばこそのこ
      とでした。それには内政の安定だけでは不十分です。どんなに内政が安定
      したところで、戦に敗れたのでは元も千もなくなってしまいます。もし、
      子玉が戦に敗れたとすれば、かれを推挙したあなたの責任になります。国

      を敗北に導くような推挙を、何で祝うことができましょう。

      それというのも、子玉がひとりよがりで礼をわきまえぬ男だからです。あ
      の男には人心を把捉することができません。統率力に欠けているのです。
      戦の指揮をとるにしても、率いる軍勢が兵車三百を越えれば、かれには統
      率できません。無事に帰還することは不可能でしょう。祝うとすれば、帰
      還を見とどけてからでも遅くはございません」

    ※ 〈子文〉闘穀於菟、宇は子文、楚の前令尹。その誠実な人柄を孔子も賞め
      ている(『論語』公冶長)。
 

 

 No.37

 【RE100倶楽部:ゼロ・エネルギ-・ハウス篇】

今夜は、「発電する超高層ビルディング」(2017.06.05)のソーラータイル事業、あるいは、「ソー
ラーペイント事業を語る。」(2017.06.15)にひきつづき、政府がすすめている、ZEH(ゼッチ)(
ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)――住宅の高断熱化と高効率設備により、快適な室内環境と大
幅な省エネルギーを同時に実現した上で、太陽光発電等によってエネルギーを創り、年間に消費する
正味(ネット)のエネルギー量が概ねゼロ以下となる住宅政策(下図ダブクリ参照)と関連する事例
研究を俯瞰し未来の住宅及びビルディング事業プラットフォームを俯瞰する。
 

 

● ZEHの利便性と課題

2015年、フランス・パリで開催されCOP21で、日本は家庭部門の二酸化炭素排出量を2030年までに
4割削減する目標
を掲げている。そこで、注目されているのが ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス。国
のエネルギー基本計画では、
2020年までに標準的な新築住宅でZEHを実現」、「2030年までに新築住
の平均でZEHを実現」といった目標
が設定されている。省エネ基準を強化した高断熱基準をZEH基準と
し設定。経済産業省の資料では、「高断熱基準、設備の高効率化で省エネ基準の20%以上の省エネを満
たした上で、太陽光発電等でエネルギーを削ることにより正味でゼロ・エネルギーを目指す」となって
おり、正味で75%省エネを達成したものをNearly ZEH、正味で100%省エネを達成したものをZEH
定義。一般消費者に対する啓蒙、普及に当たっては、「光熱費削減」や「エネルギー自立による防災性能
の向上」、「快適性・健康性の向上」など、ZEHに住むことの
メリットを広報する必要があり、認定低炭素
住宅、スマートウエルネ
ス住宅、ライフサイクルカーボンマイナス住宅等、類似する住宅指標との違
いの
明示も重要である。また、現状では、ZEHは一般住宅に比べ割高だという問題もある。ハウスメ
ーカーやに務店がZEH普及の自社目標を設定し、大量生産化・低コスト化に向けて産業発体で価格を下
げていく。そ
れを後押しするための国の補助も重要だと解説されていが、これを強力に推進するため
には、中央政府が国土計画法、建築基準法の法整備――20157月、建築物のエネルギー消費性能の向
上に関する法律(建築物省エネ法)が国会で成立。適合義務・届出等の規制的措置については2017年4月、
表示制度等の誘導的措置については2016年4月から施行。表示制度については、ガイドラインの第三者
認定制度(BELS)を位置づけ、対象建築物を住宅に拡充する等の改正。また、ZEHのブランド化向け「Z
EH
マーク」や「ZEHビルダーマーク」も開発。現在、全国で約5500社がZEHビルデーに登録。2016年度の
ZEH支援事業の申請件数は過去最多の9993件を達成――と「ネット・ゼロ・エネルギー国債」などの財
政的な担保(信用創出)が喫緊課題となる。

また、住宅のスマート・ウエルネスを目指した研究では、築20~35年の住宅について、生活スタイルの
変化や中古住宅流
通を契機とした省エネ改修を想定し、ケーススタディを実施。BEST住宅版を用いた
シミュレーションで省エネ性、健康
性の改善効果を評価。国がCOP21で掲げた家庭部門の二酸化炭素
排出量削減目標達成には、今後、戸建てに加え集合住宅、新築に加えストック住宅の性能向上が重要
になる。
 

● 最近の最終エネルギー消費の推移と目標

民生部門(業務・家庭)のエネルギー消費は著しく増加し、現在では、全エネルギー消費量の3分の1を
占めている。パリ協定に先立ち、国が国連気候変動枠組条約事務局に提出した約束草案の「エネルギー
起源二酸化炭素の
各部門の排出量目安」で2030年度までに「業務その他部門」で40%、「家庭部門」で
39%の削減が位置づけ
られている。このような状況から、住宅・建築物における省エネ対策の抜本的
強化が必要不可欠となっている。住宅・建築物の省エネ施策は、①規制的措置、②省エネ性能の表示・
情報提供、③インセンティブの付与といった分野で施策が講じる。①規制的措置は、2015年7月、建築
物の省エネ性能の向上を図る目的で建築物省エネ法を制定し、従来から求められていた届出義務に加え、
一定規模以上の住宅以外の建築物に対する省エネ基準への適合義務を創設した。具体的な手続きは、省
エネ基準適合を確認する適合性判定を受けることを求め、建築確認、完了検査といった建築基準法に基づ
く規制と連動させることで、非常に強い規制となっている。



省エネ性能の表示・情報提供については、従来から実施していた住宅性能表示制度やCASBEEに加え、昨
年4月より、建築物省エネ法の表示のガイドラインに基づく第三者認証制度「BELS」がスタート。 今年
年4月現在で既に2万件を超える住宅・建築物がBELSの認証を受けている。消費者が省エネ性能を児て
物件を選ぶような社会の実現を目指し、国としても引き続き省エネ性能の見える化を推進。 ③インセ
ンティブの付与に間しては、「融資」、「脱」、「補助」の様々な支援策が講じられている。融資としては、住
宅金融支援機構の「フラット35S」で、省エネ性能の高い認定低炭素住宅等について、当初10年間の金利
を引き下げられるなど、省エネ性能に応じたインセンティブが盛り込まれている。税制についても、新
築の認定長期優良住宅や省エネリフォームに対する所得税、固定資産税等の特例措置が講じられており、
省エネ性能の高い住宅の供給及び省エネリフォームの推進を図る。補助事業は、地域における木造住宅
の生産体制強化の観点から、中小工務店が建設するゼロエネルギー住宅等の省エネ性能の高い住宅に対
して支援。また、宵エネ・省二酸化炭素の観点から先導的なプロジェクトを支援し、先導的な技術の普及・
波及を推進。さらにスマートウェルネス住宅等推進事業として、「断熱改修等による居住者の健康への影
響調査」を支援。本年1月には、中間発表として、省エネ(断熱)改修の健康影響に関する調査結果されて
いる。
 

● 地方創成とインセンティブ付与策

2016年から始まった電力の小売前
面自由化は、エネルギー関連業界だけでなく、建築業界にも大きなイ
ンパクト
を与えた。約10兆円の家庭部門におけるエネルギー市場を形成は、建築業界に大きなチャンス。
戸建住宅が年間で使用する電力は約5千キロワット。ZEHなら、理論的には年間のエネルギー量はゼ
ロになる。
ZEHや省エネ住宅かなか浸透しない理由は、新築時のコストにある。住宅購人後に発生する
電気コストまで見込めば、普通
の家も省エネ住宅もコストの差はなくなる。コストに差がない状態で選
ぶなら、
環境にも人にも優しく、長持ちする省エネ住宅を選ぶ人は多くなる。後払いのエネルギーコス
トは意外と高い。向こう
30年で計算すれば、約750万円との試算がある。例えばハウスメーカーや工務店
が消費電力3
分の1のエコハウスを提案した場合、エネルギーコストとして電力会社へ行くはずだった
3分の2のお金は、ハウスメー
カーや工務店、地域の建材屋、職人の手に渡り、地域経済の循環を生み
出す。
エネルギーシフトは地方創生の基本だととらえる考え方が重要でエコハウスを提案し、お金の流
れを変
えることで地域経済が循環する。



省エネ、高断熱の点において、日本の住宅はかなり遅れている。遅れた理由は、他の国に比べ明らかに少
ない暖房エ
ネルギーにある。ちなみにパリ、ロンドン、東京の冬の気温を比較した場合大差はない。こ
の暖房エネルギーの差
は、国民が寒さを我慢してたたき出した省エネと言える。日本の平均的な家庭の
寝る前の室温
は14~15℃。朝起きた時には10℃まで下がっている。問題は、これが非常識な環境だとい
うことに気づいていないこ
とにある。 -40~-50℃の極寒で暮らす北米の狩猟民族が住むイグルー(雪の家)
も、室温は13~15℃に保たれている。“冷えは万病のもど'と言うが、寒さは体に悪い。省エネ性能、
断熱性能の低い
家が蔓延しているうえ、寒さを我慢する国民性がある。浴槽での脳卒中などによる溺死
だけで年間4千人、後遺症を抱
えている人はさらに多いと考えられる。こうした現状を踏まえた上でも
省エネ・高断熱の
整った長期優良住宅、ZEH、エコハウスなどの提案は、ますます重要になる。電力やガス
の自由化による家庭部門10
兆円の市場は、エネルギー会社だけのビジネスではない。省エネハウスを
案できる建設業界にとっても、新たに出現した大きな市場である。  

● 注目 三菱電機のENEDIA(エネディア)戦略とは

2016年度の日本の新築戸建建築戸数は、約40万戸だった。そのうちZEH(ゼッチ:ネット・ゼロ・エネ
ルギーハウス)は約5万戸。これを経産省は2020年には新築住宅の“過半数"をZEHと提言している。
今後、ZEHの市場が盛り上がってくる。それを見越し神奈川県の大船にある「三菱電機の「ENEDIA
ウス大船」には
、ユニット工法の二階建て住宅(居住面積:約168平方メートル)。屋上には太陽光
発電パネル、
ガレージにはEV用パワーコンディショナ、宅内には次の機器が三菱HEMS(ホーム・エネ
ルギー・マネジメン
ト・システム)に繋がっている。そして、エネルギー負荷(テレビ2台+ルームエア
コン2台+電動
窓シャッター3台+エコキュートバス乾燥暖房換気システム+ハウジングエアコン+
冷蔵庫+IHクッキングヒーター+カウンターアローファン+計測機能内蔵分電盤+HEMS情報収集ユ
ニットなど)が配置されており、❶三菱製の太陽光発電システム(PV)、❷電気自動車(EV)用のパワコ
ン、❸エコキュートの3システムで、「快適に生活できる住まいの実現」させる。電気とガス併用の
一般住宅(床面積120平方メートル)の1か月の光熱費を21,000円程度だと仮定した場合、同条件で
ZEHの光熱費は3,000円程度と算定した上に三菱HEMS導入のZEHの光熱費は1,600円程度、毎月19,400
円も安く、約92%削減
を達成(メーカ試算)。尚、このシステムの特徴は、✪自然災害に強靱である
こと、それを担保しているのが、EV(電気自動車)用のパワーコンディショナ「SMART V2H」(スマート・
ヴイッーエイチ)の独自の技術――2014年7月31日に世界に先駆け、EV×PV×系統電力3つを混合使用
する。簡単に言うと「停電しない住居空間の実現」、✪2つめがEVでエネルギーの貯蔵――電気自動
車の充電量は一般的には3キロワットっだが倍の6キロワット、✪3つめがタブレットやスマホで「見
える化」――間取りコントローラで直感的な操作やカレンダー機能でスケジュール管理、室内のにシャ
ッターを自動開閉を実現、✪4つめは、カウンターアローファンで空気を循環――双方向に動く送風
機。風の方向は同じだが回転が逆の2枚のプロペラを使用し送風を行うが、1階と2階の間にダクト
とカウンターアローファン設置――で冬場は暖かい空気を下に、夏場エアコンで冷えた空気を上にあ
げ冷暖房の負荷軽減し、省エネを実現する仕組みである4つの特徴を発揮する。

   June 7, 2017

● 世界の電気自動車(EV)普及台数は前年比60%増の200万台

国際エネルギー機関(IEA)は、2016年の世界の電気自動車(EV)普及台数は前年比60%増の2百
万台に達したと報告した。中国は世界のEV販売台数の40%以上を占め、引き続き最大の市場となっ
ており、同国と米国、欧州の三市場で、EV販売台数全体の90%以上を占めるという。世界の普通乗
用車におけるEVのシェアは0.2%に過ぎないが、国内でのEVの比率が高い国として、ノルウェー(
29%)、オランダ(6.4%)、スウェーデン(3.4%)等が挙げられる。EVは今後約10年で一
般普及段階に入ると見込まれ、IEAは、2020年までに900万~2000万台、2025年までに4000万~7000万
台のEVが普及すると試算。ただ、パリ協定の気候目標を達成するには2040年までに6億台のEVが必要
であり、大気汚染の緩和、運輸部門のエネルギー多角化の観点からも、EVの普及拡大に向けた強固な
政策支援が求められているという。IEAは、EVの導入に積極的な都市の事例や、まとまった数の車両
を保有する自治体や事業者等におけるEV導入の効果、電気自動車イニシアチブ(EVI)の取組等も報
告している。

以上、ZEH
環境問題への中央政府の政策と事例研究を俯瞰してきたが、実現可能にするためには「財
政論」は大前提となることは言うまでもない。「ロスト・ダブルスコア」の最大要因もここにあった。
これを抜きにして語れない。『教育投資の財源は「こども保険」より「教育国債」の筋がいい』(ダイ
ヤモンドオンライン「高橋洋一の俗論を撃つ!」2017.04.29)でおなじみの高橋洋一近著をたたき台に
財政論争に終止符を打つことに。後日掲載する。

 

 

 

  

コメント
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紫雲蒼天

2017年06月17日 | 時事書評

           
       僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代  

 

                            

    ※ 前六三二年、晋を中心とする宋、斉、秦の四国連合軍と、楚を中心とする
      陳、蔡の三国連合軍が衛の城濮(現在の河南宵陣留県境)で激突、前者が
      勝利した。晋の文公はこの一戦によって強楚の北進を抑え、勝者の地位を
      確定的なものにした。即位役わずか数年を出でずしてこの偉業
をなしとげ
      たのは、父献公の時代にすでに北方に揺がぬ勢力を扶植していたことにも
      よるが、文
公の人心把捉の巧みさ、君臣の協力一致、要するに亡命十九年
      の苦労が実ったというべきである。

   


      

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』  

   36.試合のルールについてぜんぜん語り合わない

  一九三八年の夏の終わり頃というと……つまりその弟さんが屋根裏で自殺を遂げたとき、雨田
 典彦さんはまだ留学生としてウィーンに滞在していたわけですね?」と私は尋ねた。
 「そうです。彼は葬儀のために日本には戻りませんでした。当時はまだ飛行機使はそれほど発達
 していませんでしたし、鉄道か船で帰るしかありません。だからどうせ弟の葬儀には間に合わな
 かったわけですが」
 「弟の自殺と、それとほとんど時を同じくして雨田典彦がウィーンで暗殺未遂事件を起こしたこ
 ととのあいだには、何かしら関連性かおるのではないかと、免色さんは考えておられるわけです
 か?」
 「あるかもしれませんし、ないかもしれません」と免色は言った。「それはあくまで憶測の領域
 になります。私はただ調査で判明した事実を、あなたにそのままお伝えしているだけです」
 「雨田典彦にはほかに兄弟姉妹はいたのでしょうか?」
 「お兄さんが一人いました。雨田典彦は次男でした。三人兄弟で、死んだ雨田継彦は三男になり
 ます。彼の自殺は不名誉なこととして世間には伏せられました。熊本第六師団は剛胆勇猛な部隊
 として名を馳せていました。戦地から帰国して名誉の除隊をしたものがそのまま自殺なんかした
 ら、家族も世間に傾向けができません。しかしご存じのように噂というのは広まるものです」
  私は情報を教えてくれた礼を言った。それが具体的に何を意味するのか、私にはまだよくわか
 らなかったけれど。
 「もう少し詳しく事情を調べてみようと思っています」と免色は言った。「何かわかったらまた
 お知らせします」
 「お願いします」
 「それでは、来週の日曜日のお昼過ぎに、あなたの家にうかがいます」と免色は言った。「そし
 てあのお二人をうちにご案内します。あなたの絵をお見せするために。それはもちろんかまいま
 せんよね?」

  熊本第六師団

  「もちろんかまいません。あの絵は既に免色さんの所有するものです。誰に見せても、誰に見せ
 なくても、すべてあなたのご自由です」
  免色はしばし沈黙した。まるでいちばん正しい言葉を探しているみたいに。それからあきらめ
 たように言った。「正直言って、ときどきあなたのことがとてもうらやましくなります

  うらやましくなる?

  彼が何を言いたいのかよくわからなかった。免色が私の何かをうらやましく思うなんて、まっ
 たく想像がつかないことだ。彼はすべてを持っているし、私は何ひとつ持っていない。
 「ぼくのいったい何かうらやましいのでしょう?」と私は尋ねた。
 「あなたはきっと、誰かのことをうらやましいと思ったりはしないのでしょうね?」と免色は言
 った。
  少し間を置いて考えてから私は言った。「たしかにこれまで、誰かのことをうらやましいと思
 ったことはないかもしれない」
 「私が言いたいのはそういうことです」

  でも私にはもうユズさえいない、と私は思った。彼女は今ではどこかで、誰かほかの男の腕に
 抱かれている。時折、白分か世界の果てに一人で置き去りにされたような気持ちにさえなる。し
 かしそれでも、私はほかの誰かをうらやましいと思ったことがない。それはやはり奇異に感じる
 べきことなのだろうか?

  電話を切ったあと、私はソファに腰掛け、屋根裏部屋で手首を切って自殺したという雨田典彦
 の弟について考えた。屋根裏といっても、もちろんこの家の屋根裏であるはずはない。雨田典彦
 がこの家を買ったのは、戦後になってからだから。弟の雨田継彦は自宅の屋根裏で自殺を遂げた
 のだ。おそらくは阿蘇の実家だろう。それでも屋根裏という薄暗い秘密の場所が、弟の雨田継彦
 の死と『騎士団長殺し』という絵画を結びつけていた。ただの偶然かもしれない。それとも雨田
 典彦はそのことを意識して『騎士団長殺し』をここの屋根裏に隠しだのかもしれない。しかしい
  ずれにせよ、雨田継彦はなぜ除隊してまもなく、自らの命を絶だなくてはならなかったのだろ
 う? 中国戦線の激しい戦闘をなんとか生き延び、五体無事に帰国できたというのに?

  私は受話器をとり、雨田政彦に電話をかけた。

 「一度東京で会うことはできないかな」と私は政彦に言った。「そろそろ画材屋に行って、絵の
 典なんかを買い込まなくちやならないんだ。そのついでに君とちょっと話ができればと思うんだ
 けど」
 「いいよ、もちろん」と彼は言った。そして予定表を調べた。結局我々は木曜日の見頃に会って、
 昼食を共にすることになった。
 「四谷のいつもの画材屋に行くのか?」
 「そうだよ。キャンバスの布地も必要だし、オイルも足りなくなってきている。ちょっとした荷
 物になるだろうから、車で行く」
 「うちの会社の近くに、わりに落ち着いて話ができる店がある。そこでゆっくり飯を食おう」
  私は言った。「ところで、ユズがこのあいだ離婚届の書類を送ってきて、それに署名捺印して
 送り返した。だから近いうちに正式に離婚が成立するんじやないかと思う」
 
 「そうか」といくぶん沈んだ声で雨田は言った。
 「まあ、仕方ない。時間の問題だったからね」
 「でもそれを間いて、おれとしてはとても残念だよ。君らはずいぶんうまくやっていると思って
 いたんだけど」
 「うまくいっているあいだは、ずいぶんうまくいっていたと思う」と私は言った。古いジャガー
 と同じだ。トラブルの発生しな
 いうちはとても気持ちよく走る。
 「それでこれからどうするんだ?」
 「どうもしないよ。しばらくはこのまま生きていく。ほかにするべきことも思いつけないし」
 「それで、絵は描いているか?」
 「進行中のものがいくつかある。うまくいくかどうかはわからないけれど、とにかく描いてはい
 る。
 「それはよかった」と雨田は言った。そして少し迷ってから、付け加えるように言った。「電話
 をもらってちょうどよかった。実を言うと、おれの方からおまえに話したいことも少しあったか
 らな」
 「良い話か?」
 「良いか悪いか、いずれにせよ紛れもない事実だ」
 「ユズのことか?」
 「電話では話しにくい」
 「じやあ、木曜日に話そう」

 「騎士団長殺し」登場人物

  私は電話を切り、テラスに出てみた。雨はもうすっかりあがっていた。夜の空気はくっきりと
 澄んで冷え込んでいた。割れた雲間からいくつか小さな星が見えた。星は散らばった水のかけら
 のように見えた。何億年ものあいだ溶けることのない使い水だ。芯まで凍りついている。谷間の
 向こう側には、免色の家がいつものようにクールな水銀灯の明かりを受けてぼんやり浮かび上が
 っていた。
  私はその明かりを眺めながら、信頼と尊重と礼儀について考えた。とくに礼儀について。しか
 しもちろん、どれだけ考えても何の結論も導き出されなかった。



    37.どんなものごとにも明るい側面がある

  小田原近郊の山の上から東京までは長い速のりだった。何度か道を間違え、そのせいで時間を
 くった。私の東っている中古車にはもちろんナビゲーション・システムなんてついていないし、
 ETCの機器も搭載されていない(たぶんカップ・ホールダーがついているだけでも感謝しなく
 てはならないのだろう)。まず最初に小田原厚木道路の入り口を見つけるのにかなり手間取った
 し、東名高速道路から首都高速道路に入ったものの、道路はひどく渋滞していたので、三号線の
 渋谷出目で降りて、青山通りをとおって四谷までいくことにした。一般道路もやはり混雑してお
 り、そんな中で速切な車線を選ぷのは至難の業だった。駐車場を見つけるのも簡単ではなかった。
 世界は年を追ってどんどん面倒な場所になっていくみたいだ。

  四谷の画材屋で必要な買い物を済ませ、荷物を後部席に積み込み、それから雨田の会社のある
 青山一丁目の近くに車を停めたときには、私はかなりくたくたになっていた。まるで都会の親戚
 を訪れた田舎の鼠のように。時刻は午後一時過ぎを指しており、約束より三十分遅刻していた。
  私は彼の会社の受付に行って、雨田を呼び出してもらった。雨田はすぐに下に降りてきた。私
 は遅刻したわびを言った。

  「気にしなくていいよ」と彼はなんでもなさそうに言った。「店の方も、こっちの仕事の方も、
 それくらいの時間の融遅はきくから」

  彼は私を近所のイタリアン・レストランに連れて行った。小さなビルの地下にある店だった。
 いつも使っている店らしく、ウェイターは彼の顔を見ると、何も言わずに我々を奥の小さな個室
 に遅した。音楽もなく人の声も聞こえず、とても静かな部屋だった。壁にはなかなか悪くない風
 景圃がかかっていた。緑の岬と青い空、そして白い灯台。題材としてはありきたりだが、少なく
 とも「そういう場所に行ってみるのも悪くないかもしれない」という気持ちを見る人に起こさせ
 る絵だった。

  雨田は白ワインのグラスを注文し、私はペリエを頼んだ。

 「これから運転して小田原まで帰らなくちやならないからね」と私は言った。「ずいぶん連い道
 のりだ」
 「たしかに」と雨田は言った。「でもな、葉山とか逗子に比べたらずっとましだよ。おれはしば
 らく葉山に注んでいたことがあったけど、夏場にあそこと東京を車で往復するのは、まさに地獄
 だったな。海に遊びに来る連中の車で道路が渋滞しまくっているんだ。行き帰りがもう半日仕事
 だったよ。その点、小田原方面は道路がそれほどは込まないから楽でいい」



  メニューが遅ばれてきて、我々はランチのコースを注文した。生ハムの前菜と、アスパラガス
 のサラダと、アカザエビのスパゲティー。

 「おまえもやっとまともに絵を描きたいという気持ちになってきたんだな」と雨田は言った。 
 「一人になって、生活のために絵を描く必要がなくなったからじやないかな。それで自分のため
 の絵を描きたいという意欲が出てきたのかもしれない」

  政彦は肯いて言った。「どんなものごとにも明るい側面がある。どんなに暗くて厚い雲も、そ
 の裏側は銀色に輝いてる」

 「いちいち雲の裏側にまわって眺めるのは手間がかかりそうだ」
 「まあ、いちおうセオリーとして言っているだけだよ」と雨田は言った。
 「それから、あの山の上の家に住むようになったせいもあるかもしれないな。たしかに集中して
 絵を描くには申し分のない環境だから」
 「ああ、あそこはとびっきり静かだし、まず誰も訪ねてこないから気も散らない。普通の人間に 
 はいささか寂しすぎるけど、おまえみたいなやからなら問題あるまいと踏んだんだ」

  部屋のドアが問いて、前菜がテーブルに運ばれてきた。皿が並べられるあいだ、我々は黙って
 いた。

 「そしてあのスタジオの存在がずいぶん大きいかもしれない」、ウェイターが行ってしまうと私
 は言った。「あの部屋には、絵を描きたいと人に思わせる何かがあるような気がするんだ。あそ
 こが家の核心になっていると感じることがある」
 「人体で言えば心臓みたいに?」
 「あるいは意識みたいに」

 「ハート・アンド・マインド」と政彦は言った。「でもな、実を言うと、おれはあの部屋がちっ
 とばかし苦手なんだ。あそこにはあまりにもあの人の匂いが染みこみすぎている。いまだに気配
 がしっかり漂っているっていうかさ。なにしろ父はあの家にいるとき、ほとんど一日スタジオに
 籠もりきりで、一人で黙々と絵を描いていたからな。そして子供にとっては、あそこは決して近
 づいてはならない神聖にして不可侵な場所になっていた。そういう記憶がまだ残っているのか、
 あの家に行っても、今でもスタジオにはできるだけ近寄らないようにしているんだ。おまえも気
 をつけた方がいいぜ」

 「気をつけるって、何に?」
 「父のタマシイみたいなものにとりつかれないようにな。なにしろタマシイの強い人だから」
 「タマシイ?」
 「タマシイっていうか、言うなれば気合いのようなものだ。気の流れが強い人なんだ。そしてそ
 ういうのって長い時間のあいだに、特定の場所にたっぶりと染みこんじまうのかもしれない。匂
 いの粒子みたいにさ」
 「それにとりつかれる?」
 「とりつかれるというのは、表現が良くないかもしれないが、何かしらの影響を受けることはあ
 るんじやないかな。その場の力みたいなものに」
 「どうだろう。ぼくはただの留守番だし、だいたい君のお父さんに会ったこともない。だからあ
 まりそういう負担は感じずに済むのかもしれない」

 「そうだな」と雨田は言った。そして白ワインを一ロすすった。「おれは身内だから余計に敏感
 になってしまうのかもしれない。それにまあ、そういう〈気配〉がおまえの創作意欲にプラスに
 作用しているなら、それはそれで言うこともないんだろうし」
 「それで、お父さんはお元気なのか?」
 「ああ、とくに具合の悪いところはないんだ。なにしろもう九十を越しているから、元気そのも
 のとは言えないし、頭は避けがたく混沌に向かっているけれど、杖を使ってなんとか歩くことは
 できるし、食欲もあるし、目も歯もしっかりしている。なにしろ虫歯▽不ないんだから、おれの
 歯よりもきっと丈夫だよ」
 「記憶はずいぶん失われてしまっているのか?」
 「ああ、ほとんど何も覚えちゃいないよ。息子であるおれの顔だって思い出せないくらいだから
 な。親子とか家族とかいう観念はもうないんだ。自己と他者との違いも曖昧になっているかもし
 れない。そういうのも考えようによっては、すっきりしててかえって楽なのかもしれないが」

  私は細いグラスに往がれたペリエを欲みながら肯いた。雨田典彦は今ではもう一人息子の顔さ
 え思い出せない。ウィーン留学時代に起こったことなど、遠く忘却の彼方に消えてしまっている
 はずだ。
 「しかしそれでも、さっき言った気の流れみたいなのは、まだ本人の中に残っているみたいだ」
 と雨田は感慨深げに言った。「なんだか不思議なものだね。過去の記憶はほとんど消えてしまっ
 ても、意志の力みたいなものはまだちゃんとそこに留まっているんだ。それは見ていればわかる。
 よほど気合いの強い人だったんだな。息子であるおれがそういう資質を引き継げなかったことに
 ついては、少しばかり申し訳なく思っているが、それはしようがない。人にはそれぞれの、生ま
 れつきのウツワっていうものがあるんだ。ただ血筋がつながっているっていうだけで、そういう
 資質は引き継げるものじゃない」

 「それで、お父さんはお元気なのか?」
 「ああ、とくに具合の悪いところはないんだ。なにしろもう九十を越しているから、元気そのも
 のとは言えないし、頭は避けがたく混沌に向かっているけれど、杖を使ってなんとか歩くことは
 できるし、食欲もあるし、目も歯もしっかりしている。なにしろ虫歯一本ないんだから、おれの
 歯よりもきっと丈夫だよ」
 「記憶はずいぶん失われてしまっているのか?」
 「ああ、ほとんど何も覚えちゃいないよ。息子であるおれの顔だって思い出せないくらいだから
 な。親子とか家族とかいう観念はもうないんだ。自己と他者との違いも曖昧になっているかもし
 れない。そういうのも考えようによっては、すっきりしててかえって楽なのかもしれないが」

  私は細いグラスに注がれたペリエを欲みながら肯いた。雨田典彦は今ではもう一人息子の顔さ
 え思い出せない。ウィーン留学時代に起こったことなど、遠く忘却の彼方に消えてしまっている
 はずだ。

 UNIT 731 Documentary


 「しかしそれでも、さっき言った気の流れみたいなのは、まだ本人の中に残っているみたいだ」
 と雨田は感慨深げに言った。「なんだか不思議なものだね。過去の記憶はほとんど消えてしまっ
 ても、意志の力みたいなものはまだちゃんとそこに留まっているんだ。それは見ていればわかる。
 よほど気合いの強い人だったんだな。息子であるおれがそういう資質を引き継げなかったことに
 ついては、少しばかり申し訳なく思っているが、それはしようがない。人にはそれぞれの、生ま
 れつきのウツワっていうものがあるんだ。ただ血筋がつながっているっていうだけで、そういう
 資質は引き継げるものじゃない」
  私は顔を上げて、彼の顔をあらためて正面から見た。雨田がそんな風に気持ちを正直に吐露す
 るのは珍しいことだった。

 「偉い父親を持つというのはきっと大変なことなんだろうな」と私は言った。「ぼくにはどうい
 うものなのか、さっぱりわからないけど。うちの父親はあまりぱっとしない中小企業の経営者だ
 ったから」
 「父親が有名だと、もちろん得をすることもあるけれど、あまりおもしろくないこともある。数
 からいうと、おもしろくないことの方が少し多いかもしれない。おまえの場合は、そういうこと
 がわからないぷんラッキーだったんだよ。自由に自分のままでいられるからさ」
 「君は君で自由に生きているみたいに見えるけれど」
 「ある意味ではな」と雨田は言った。そしてワイングラスを手の中で回した。「でもある意味で
 はそうじゃない」

  雨田はそれなりに鋭い美的感覚を具えていた。大学を出て中堅の広告代理店に就職し、今では
 かなりの高給を取り、気楽な独身者として都会生活を自由に楽しんでいるように見えた。でも実
 際のところがどうなのか、もちろんそれは私にもわからない。

 1937 南京戦 Battle of Nanking

 「君のお父さんのことで少し尋ねたいことがあったんだ」と私は切り出した。
 「どんなことだろう? そう言われても、おれだって親父のことはそれほどよく知らないんだ
 力」
 「お父さんには、継彦さんという名前の弟がいたという話を聞いた」
 「ああ、たしかに親父には弟が一人いた。おれの叔父にあたる人だ。でもこの人はずっと昔に亡
 くなっている。日米戦争の始まる前の話だけど」
 「自殺したと聞いているんだけど」
  雨田は顔を少し曇らせた。「ああ、そいつはいちおう家庭内の秘密ってことになっているんだ
 が、ずいぶん昔の話だし、一部ではもう知られてしまっている。だからたぶん話してもかまわな
 いだろう。叔父は剃刀で手首を切って自殺した。まだ二十歳そこらの若さで」
 「自殺の原因は何だったんだろう?」
 「どうしてそんなことを知りたがるんだ?」
 「君のお父さんのことが知りたくて、いろいろと資料を調べていたら、そのことに行き当たった
 んだ」
 「おれの父親のことを知りたかった?」
 「君のお父さんの描いた絵を見て、履歴を調べているうちに、だんだん興味がわいてきたんだ。
 どういう人なのかをもっと詳しく知りたくなった」

  雨田政彦はテーブル越しにしばらく私の顔を見ていた。それから言った。「いいだろう。おま
 えはうちの父親の人生に興味を持つようになった。それもあるいは意味のあることなのかもしれ
 ない。おまえがあの家に往んでいるのも何かの縁だからな」

  彼は白ワインを一口のみ、そして話し始めた。

 「叔父の雨田継彦は当時、東京音楽学校の学生だった。才能に恵まれたピアニストだったという
 ことだ。ショパンやドビュツシーを得意分野として、将来を嘱望されていたらしい。自分の口か
 ら言うのもなんだが、うちの血筋は芸術的才能みたいなものにけっこう恵まれているみたいだ。
 まあ、程度の差こそあれね。ところが大学在学中、二十歳のときに徴兵された。どうしてかとい
 うと、大学に入学したときに出した徴兵猶予の書類に不首尾があったからだ。その書類さえきち
 んと出しておけば、とりあえず徴兵を免れることはできたし、そのあともうまく融通はつけられ
 たんだ。うちの祖父は地方の大地主で、政界にもはきいたからね。ところがどうも事務的な
 違いがあったらしい。本人にとっても寝耳に水の話だった。しかしシステムというものはいった
 ん動き出したら、簡単には止められない。とにかく問答無用で兵隊に取られ、歩兵部隊の一兵卒
 として内地で基礎訓練を受けてから輸送船に乗せられ、中国の杭州湾に上陸した。その当時、兄
 の典彦は――要するにおれの父親のことだが――ウィーンに留学し、当地の有名な画家に師事し
 ていた」

 1937: The Rape of Nanking

  私は黙って話を闘いていた。

 「叔父は体格も立派ではないし、神経も繊細で、厳しい軍隊生活や血なまぐさい戦闘に耐えられ
 ない<ことは最初からわかりきっていた。そして南九州から兵隊を巣めた第六師団は荒っぽいこと
 で知られていた。だから思いもよらず兵隊にとられて戦地に送られたことを知って、父は心を痛
 めた。うちの父親は次男坊で、我の強い負けず嫌いな性格だが、弟の方は可愛がられて育った末
 っ子で、引っ込み思案なおとなしい性格だった。そしてピアニストとして指を常に大事にしなく
 てはならなかった。だからいろんな外圧から三つ年下の弟の身を護ることが、うちの父親にとっ
 ての小さい頃からの習慣みたいになっていた。つまり保護者のような役割をつとめてきたわけだ。
 しかし今はもう遠く離れたウィーンにいるわけだから、どれだけ案じても役には立たない。とき
 どき送られてくる手紙で、弟の消息を知るしかなかった」

ここに来て、父雨田具彦が熊本は阿蘇の大地主で「軍-顔-官」の縁故閥をもつ祖父を持つ長男で画
家として育ち弟の雨田継彦がピアニストとして育ったことが了解され「騎士団長殺し」の絵のありか
と自殺した場所である「屋根裏」で結ばれながら、長男の具彦は、ナチスヒットラー率いるドイツ帝
国のオーストリア併合と弟の継彦は大日本帝国の南京戦争に熊本第六師団として参戦する日独伊三国
同盟として結ばれていることをやっと了解する(読み手も、そして、36歳の肖像画家の主人公も)。
次回以降は、想像上だが「日独あるいは世界の歴史修正主義への抵抗」のメタファが明確に描かれて
いくのではないかと想像している。それにしても丁寧に歴史をなぞるのは、大変重い作業だと再認識
する。早く「紫雲蒼天」しないとこれはしんどい。

                                                          この項つづく 

  Giant river prawn

「満天☆青空レストラン」で養殖オニテナガエビのクリーンカレーが紹介されていた。カワエビの養
殖はいまや内陸部生産される時代。大きな海運・空輸のモーダルエネルギーを使わなくても、国内生
産が可能な時代である。いま不漁で困っているスルメイカも養殖可能だとわたし(たち)は考えてい
る。そのことはいずれ掲載してみるが、テレビで自家製のトムヤムペースト――えび、
豆もやし、万
願寺とうがらし、無添加鶏がらスープの素、ココナッツクリーム、レモングラス、コブミカン(カフ
ィア・ライム)、
レモン汁、ナンプラー、パクチー、塩など――が紹介されていたが、家庭でオリジ
ナルスパイが作れることに気付く。早速、カップラーメンにオレガノやチリペッパーを加えと何と見
違える程に変化する。これは頂き。

   

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ソーラーペイント事業を語る。

2017年06月15日 | 環境工学システム論

           
      僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代  

 

                          


    ※ 義人・介之推(かいしすい): 文公は、亡命に同行した臣下たち
      の論功行賞を行なった。おのおのが自分の功績を申告したが、介之
      推だけは何も申し出ず、賞からもれた。かれは慨嘆して言った。
     「猷公のご子息は全部で九人おられにが、いまではわが君(文公、重
      耳)ひとりになった。恵公(夷吾)、懐公(卓子)は、臣下もなつ
      かず、国の内外から見放されていたが、それでもわが国は滅びなか
      った。これは天の思召しであろう。天がわが国を滅ぼそうとされな
      い以上、わが国にはりっぱなあるじが必要だ。わが君をおいて誰が
      その役目をはたせよう。こう考えれば、わが君を即位させだのは、
      ほかならぬ天の意志なのだ。

      それなのに、それがあたかも自分の手柄でもあるかのようにいう連
      中がいるのは、あきれかえったものだ。他人の財産を盗めば泥棒と
      呼ばれる。まして、天の功績を盗むとは、何と呼んでいいものか。
      このように、臣下たちは罪を罪と思わず、君王たるお方はその罪に
      対し賞をあたえる、上も下も盲ばかり、こんな世の中に往めようか」
   
      かれの母がそれを聞いて言った。「それにしても、言うだけは言っ
      た方がよい。このまま死んでしまったら、おまえの功績は誰にも知
      られぬままじゃ」「いや、ひとを批判しながら、ひとと同じことを
      したら、罪はいっそう重くなります。わたしは、わが君にこうした
      苦言を呈したからには、これ以上、禄を食むわけにはまいりません」
     「では、おまえの考えだけでも知らせておいたらどうかね」
     「言葉は身の飾りにすぎません。隠遁する身に、どうして飾りがいり
      ましょう。身を飾るのは、身出世が目当て連中がすることです
     「そこまで覚悟ができているのなら、すきなようにするがいい。わた
      しもいっしょに身をかくそう」そして、母子ふたりは隠遁生活を送
      って天寿を全うした。文公は、介之推の行方を求めたが、ついに見
      つけられなかった。そこで、緜上(めんじょう)の地をかれを祭る
      ための祭田とした。

     「これによって、わたしの過ちを明らかにし、かつ、かくも高潔な人
      物がいたことを、後世にまで伝えたい」と、文公は言った。

 

 

     

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』 

   36.試合のルールについてぜんぜん語り合わない

    しかし騎士団長はいったいどこに消えてしまったのだろう? 私は林の中の道を歩きながらそ
  のことを考えた。かれこれ二週間以上彼の姿を見かけていない。不思議なことに、彼がそれほど
 長く姿を見せないことを、私はいくらか淋しく感じていた。たとえよくわけのわからない存在で
 あるにせよ、ずいぶん奇妙なしゃべり方をするにせよ、私の性行為を勝手にどこかから見物して
 いるにせよ、小さな剣を帯びた小柄な騎士団長に対して、私はいつしか親近感に似た感情を抱く
 ようになっていた。騎士団長の身に悪いことが起こっていなければいいのだが、と願った。

  家に戻るとスタジオに入り、いつもの古い木製のスツールに座って(それはおそらく雨田典彦
 が仕事をするときに座っていたはずのスツールだ)、壁にかけた『騎士団長殺し』を長いあいだ
 見つめた。私は何をすればいいのかわからないとき、よくそうやってその絵をいつ果てるともな
 く眺めたものだ。いくら見ても見飽きることのない絵だった。その一幅の日本画は、本来どこか
 の美術館のもっとも重要な所有作品のひとつとなってしかるべきなのだ。しかし実際にはこの挟
 いスタジオの簡素な壁にかけられ、私一人だけのものになっている。それ以前は誰の目にも触れ
 ず、屋坦畏に隠されていた。

  この絵は何かをうったえかけている、と秋川まりえは言った。まるで鳥が狭い檻から外の世界
 に出たがっているみたいに。

  その絵を見れば見るほど、まりえの口にしたことは正鵠を射ていると私には思えた。そのとお
 りだ。たしかに何かがそこから、その囚われた場所から外に出ようと必死にもがいているように
 見える。それは自由と、より広い空間を希求している。その絵画を力強いものにしているのはお
 そらく、そこにある強い意志なのだ。具体的に鳥が何を意味するのか、檻が何を意味するのか、
 そこまではわからないにせよ。

  私はその日、何かが無性に描きたかった。私の中で「何かを描きたい」という気持ちが次第に
 高まっていくのが感じられた。まるで夕刻の潮がひたひたと満ちてくるみたいに。しかし秋川ま
 りえの肖像に取りかかる気持ちにはなれなかった。それはまだ早すぎる。来週の日曜日まで持と
 う。そしてまた『白いスバル・フォレスターの男』をもうコ一度イーゼルの上に載せようという
 気持ちにもなれなかった。そこには――秋川まりえが指摘するように――何か危険な力を持つも
 のが潜在している。

  秋川まりえを描くつもりで、新しい中目のキャンバスがイーゼルの上に用意されていた。私は
 その前のスツールに腰を下ろし、そこにある空白を長いあいだじっと眺めていた。でもそこに描
 くべきイメージは湧いてこなかった。空白はいつまでたっても空白のままだった。いったい何を
 描けばいいのだろう? でもしばらく考えているうちに、自分が今何を描きたがっているのかに
 ようやく思い当たった。
  私はキャンバスの前を離れ、大型のスケッチブックを取り出した。そしてスタジオの床に座っ
 て壁にもたれ、あぐらをかき、鉛筆を使ってそこに石室の絵を描いていった。いつもの2Bでは
 なく、HBを使った。雑木林の中の、石塚の下から現れたあの不思議な穴だ。私はさっき見てき
 たばかりのその光景を順に再現し、できるだけ詳細にスケッチしていった。奇妙なほど緻密に積
 み上げられたその石壁を描いた。穴のまわりの地面を描き、そこに美しい模様のように張りつい
 ている濡れた落ち葉を描いた。穴を隠すように覆っていたススキの茂みは重機のキャタピラに踏
 みつぶされ、倒れ伏していた。 

  その絵を描いているあいだ私は、自分かその雑木林の中の穴と一体化していくような奇妙な感
 覚に再び襲われた。その穴は確かに自らが描かれることを求めているようだった。正確に緻密に
 描かれることを。そして私はその求めを受け止めるべく、ほとんど無意識に手を動かしていた。
 そのあいだに私が感じていたのは央雑物のない、ほとんど純粋な造形の喜びだった。どれほど時
 間が経過したのか、ふと気がつくと私はスケッチブックの画面を黒い鉛筆の線で埋め尽くしてい
 た。
 
  私は台所に行って、冷たい水をグラスに何杯か飲み、コーヒーを温めてマグカップに注ぎ、そ
 のカップを手にスタジオに戻った。スケッチブックの聞いたページをイーゼルの上に載せ、スツ
 ールに腰掛け、少し離れたところからそのスケッチをあらためて眺めた。そこにはあの林の中の
 丸い穴がどこまでも正確に、リアルに再現されていた。その穴は本当に生命を持っているように
 見えた。というか実物の穴より、より生きているように見えた。私はスツールから降りて、近く
 に寄ってそれを眺め、また違う角度からそれを眺めた。そしてそれが女性の性器を連想させるこ
 とに気づいた。キャタピラに踏みつよされたススキの茂みは陰毛そっくりに見える。 

  私は一人で首を振った。そして苦笑しないわけにはいかなかった。まったく絵に描いたような
 フロイト的解釈だ。まるでそのへんの頭でっかちの評論家みたいな言いぐさじやないか。「あた
 かも孤独な女性性器を想起させるような、この地面に聞かれた暗い穴は、作者の無意識の領域か
 ら浮かび上がってきた記憶と欲望の表象として機能しているように見受けられる」とか。くだら
 ない。
  しかしそれでも、その林の中の丸い不思議な穴が女性性器と結びついているという思いは、私
 の頭を去らなかった。だから少しあとで電話のベルが鳴り出したとき、その音を間いただけで、
 人妻のガールフレンドからの電話だと予測がついた。
  そして実際にそれは彼女からの電話だった。

 「ねえ、急に時間があいちやったんだけど、これからそちらに行っていいかしら?」
  私は時計に目をやった。「かまわないよ。お昼ご飯でも一緒に食べよう」
 「何か簡単に食べられそうなものを買っていく」と彼女は言った。
 「それはいいな。朝からずっと仕事をしていたもので、何も用意してないんだ」
  
  彼女は電話を切った。私は寝室に行ってベッドをきれいにセットし、床に散らかっていた衣服
 を拾い上げ、畳んでタンスの抽斗にしまった。流し台の中にあった朝食の食器を流って片付けた。
  それから居間に行って、いつものようにリヒアルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』(ゲオル
 グ・ショルティ指揮)のレコードをターンテーブルに載せ、ソファの上で本を読みながら、ガー
 ルフレンドがやって来るのを待った。そして秋川笙子はいったいどんな本を読んでいたのだろう
 と、ふと思った。彼女はいったいどのような種類の本にあれほど熱中できるのだろう?

 Georg Solti
 
  ガールフレンドは十二時十五分にやってきた。彼女の赤いミニが家の前に停まり、食料品店の
 紙袋を抱えた彼女が車から降りてきた。雨はまだ音もなく降り続いていたが、彼女は傘をささな
 かった。黄色いビニールのレインコートを着て、そのフードを順にかぶり、足早に歩いてやって
 きた。私は玄関のドアを開け、紙袋を受け取り、そのまま台所に待って行った。レインコートを
 脱ぐと、彼女はその下に鮮やかな草色のタートルネックのセーターを着ていた。そのセーターの
 下で、彼女の二つの乳房はきれいな盛り上がりを見せていた。秋川笙子の胸ほど大きくはないが、
 程良い大きさだった。

 「朝からずっと仕事をしていたの?」
 「そうだよ」と私は言った。「でも誰かに頼まれた仕事じやない。自分で何かが描きたくなって、
 思いついたことを気楽に描いていたんだ」
 「徒然なるままに」
 「まあね」と私は言った。
 「おなかはすいた?」
 「いや、それほどでもない」
 「よかった」とと彼女は言った。
 「じやあ昼ご飯を食べるのはあとにしない?」
 「いいよ、もちろん」と私は言った。
 「どうして今日はこんなに意欲的に盛り上がっているのかしら?」と彼女はベッドの中で、少し
 後で私に尋ねた。
 「どうしてだろうね」と私は言った。朝から夢中になって、地面に開いた直径ニメートル弱の奇
 妙な穴の絵を描いていたからかもしれない。描いているうちに、それが女性器のように思えてき
 て、それで性的な欲望が少なからず刺激されたみたいだ……いくらなんでもそんなことは言えな
 「しばらく君に会っていなかったし、そのせいで君を強く求めていたんだと思う」と私はより穏
 やかな表現を選んで口にした。
 「そう言ってくれると嬉しい」と彼女は私の胸を指先でそっと撫でながら言った。「でも本当は、
 もっと若い女の子が抱きたいとか思っているんじやないの?」
 「そんなことは思わないよ」と私は言った。
 「本当に?」
 「考えたこともない」と私は言った。そして実際にそのとおりだった。私は彼女との性的な交わ
 りを、それ自体として純粋に楽しんでいたし、彼女のほかの誰かにそういうものを求めたいとは
 思いもしなかった(もちろんユズとのあいだのその行為は、まったく別の成り立ちのものだった)。

  それでも私は、現在秋川まりえの肖像を描いていることを、彼女には言わないでおくことにし
 た。十三歳の美しい少女をモデルにして絵を描いていることは、彼女の嫉妬心を激妙に刺激する
 ことになるかもしれないと思ったからだ。たとえどのような年齢であれ、すべての女性にとって
 すべての年齢は、とりもなおさず微妙な年齢なのだ。四十一歳であれ、十三歳であれ、彼女たち
 は常に微妙な年齢と向き合っているのだ。それは私がこれまでのささやかな女性経験から身をも
 って学んだ敦訓のひとつたった。

 「でもね、男女の仲って、なんだか不思議なものだと思わない?」と彼女は言った。
 「不思議って、どんな風に?」
 

 「つまり私たちはこんな風につきあっている。ついこのあいだ知り合ったばかりなのに、こうし
 てお互いすっかり裸になって抱き合っている。とても無防備に、恥じらいなく。そういうのって、
 考えてみれば不思議じゃない?」
 「不思議かもしれない」と私は静かに同意した。
 「ねえ、これをゲームだとして考えてみて。純粋なゲームではないにせよ、ある種のゲームみた
 いなものだと。そう考えないことにはうまく話の筋が通らないから」
 「考えてみる」と私は言った。
 「で、ゲームにはルールが必要よね?」
 「必要だと思う」
 「野球にもサッカーにも、分厚いルールブックがあって、いろんな細かい規則がそこにいちいち
 文章化されていて、審判や選手たちはそれを覚え込まなくちやならない。そうしないことには
 合が成立しない。そうよね?」
 「そのとおりだ」

  彼女はそこでしばらく時間を置いた。そのイメージが私の順にしっかり根付くのを待った。

 「それで、私が言いたいのは、私たちはこのゲームのルールについて、一度でもきちんと話しあ
 ったことがあったかしら、ということなの。あったかな?」

  私は少し考えてから言った。「たぶん、なかったと思う」
 「でも現実的に、私たちはある種の仮想のルールブックに沿って、このゲームを進めている。そ
 うよね?」
 「そう言われれば、そうかもしれない」 
 「それはつまりこういうことじやないかと思うの」と彼女は言った。
 「私は私の知っているルールに従ってゲームを進めている。そしてあなたはあなたの知っている
 ルールに従ってゲームを進めている。そして私たちはおたがいのルールを本能的に尊重している。
 そして二人のルールがぶつかりあって、面倒な混乱を来さない限り、そのゲームは支障なく進行
 していく。そういうことじやないかな?」

  私はそれについてしばらく考えた。

 「そうかもしれない。ぼくらはお互いのルールを基本的に尊重している」
 「でもそれと同時に、私は思うんだけど、それは尊重とか信頼というよりは、むしろ礼儀の問題
 じやないかしら」
 「礼儀の問題?」と私は彼女の言葉を反復した。
 「礼儀は大事よ」
 「たしかにそうかもしれない」と私は認めた。
 「でもそれが――信頼なり尊重なり礼儀なりが――うまく機能しなくなり、お互いのルールがぶ
 つかりあって、ゲームがスムーズに進められないようになると、私たちは試合を中断して、新た
 な共通ルールを定めなくてはならなくなる。あるいはそのまま試合を止めて、競技場から立ち去
 らなくてはならない。そしてそのどちらを選ぶかは、言うまでもなく大事な問題になる」

  
それがまさに私の結婚生活において起こったことだ、と私は思った。私はそのまま試合を中止して、競
  技場から静かに立ち去ることになった。三月の冷ややかな雨の降る日曜日の午後に。

 「それで君は」と私は言った。「ぼくらが試合のルールについて、ここであらためて語り合うこ
 とを求めてい
るの?」
   彼女は首を振った。「いいえ、あなたは何もわかっていない。私が求めているのは、試合のル
 ールについ
て何ひとつぜんぜん語り合わないことよ。だからこそ、私はこうしてあなたの前で
 剥き出しになれるの。それでかまわないかしら?」
 「ぼくはかまわないけれど」と私は言った。
 「とりあえずの信頼と尊重。そしてとくに礼儀」
 「そしてとくに礼儀」と私は繰り返した。

  彼女は手を伸ばして、私の身体の一部を握りしめた。

 「また堅くなっているみたい」と彼女は私の耳元でささやくように言った。
 「今日が月曜日だからかもしれない」と私は言った。
 「曜日が何かこれと関係あるわけ?」
 「朝から雨が降り続いているからかもしれない。冬が近づいているせいかもしれない。渡り鳥が
 姿を見せ始めたからかもしれない。茸が豊作だからかもしれない。水がコップにまだ十六分の一
 も残っているからかもしれない。君の草色のセーターの胸のかたちが刺激的だったからかもしれ
 ない」
  それを聞いて彼女はくすくす笑った。どうやら私の答えが気に入ったようだった。

 1938 - 1939

  夕方に免色から電話がかかってきた。彼は前日の日曜日の礼を言った。
  礼を言われるほどのことは何もしていない、と私は言った。実際の話、私はただ彼を二人に紹

 介しただけなのだ。そこから何かどのように発展していくのか、それは私の関与するところでは
 ないし、そういう意味では私はただの部外者に過ぎなかった。というか、いつまでも部外者のま
 まにとどめておいてもらいたかった(そう都合よく話は進まないだろうという予感はあったにせ
 よ)。
 「実は今日こうしてお電話しだのは、雨田典彦さんの件についてなんです」、免色は挨拶を終え
 るとそう切り出した。「あれからまた少し情報が入ってきたもので」

  July 7, 1937

  彼はまだその調査を続けさせているのだ。実際に足を使って調査をしているのが誰であるにせ
 よ、それだけ綿密な仕事をさせるには相当な費用がかかるに違いない。免色は白分か必要だと感
 じるものごとには、惜しまず金をつぎ込める男なのだ。しかし雨田典彦のウィーン時代の体験が、
 彼にとってなぜ必要性を持っているのか、それがどれはどの必要性なのか、私には見当がつかな
 かった。

 「これは雨田さんのウィーン時代のエピソードには直接関係しないことかもしれません」と免色
 は言った。「しかし時期的に重なりあっていることですし、雨田さん個人にとってはおそらくき
 わめて重要な意味を持っていたはずです。ですからいちおうお話ししておいた方がいいだろうと
 思ったのです」
 「時期的に重なりあっている?」
 「前にもお話ししたように、雨田典彦一九三九年の初めにウィーンをあとにして、日本に戻る
 ことになります。形式上は強制送還ということになっていますが、実質的にはゲシュタポからの
 雨田典彦の〈救出〉でした。日本の外務省とナチス・ドイツの外務省とが秘密裏に協議して、雨
  田典彦は罪に問わず、国外に追放するにとどめるという結論に遂したのです。暗殺未遂事件は
 一九三八年に持ち上がっているわけですが、その伏線はその年に起こった一連の重要な事件にあ
 ります。アンシュルス(独襖合併)とクリスタル・ナハト(水晶の夜)です。アンシュルスは三
 月に、クリスタル・ナハトは十一月に起こっています。その二つの出来事によって、アドルフ・
 ヒットラーの暴力的な意図は誰の目にも明確になります。そしてオーストリアもその暴力装置に
 しっかりと組み込まれていきます。抜き差しならないほど深く。その流れをなんとか阻止しよう
 という地下抵抗運動が学生たちを中心にして生まれ、そしてその年に雨田典彦は暗殺未遂事件に
 関与して逮捕されます。その前後の経緯については理解していただけましたね」
 「おおよそ理解できていると思います」と私は言った。
 「歴史はお好きですか?」
 「それほど詳しくはありませんが、歴史の本を読かのは好きです」と私は言った。
 「日本の歴史に目を向けても、その前後にはいくつかの重要な事件が持ち上がっています。
 「いくつかの致命的な、破局に向けて後戻りすることのできない出来事が。思い当たることはあ
 ります
か?」

  March 15, 1939

  私は頭の中に長いあいだ埋もれたままになっている歴史の知識を洗い直してみた。一九三八年、

 つまり昭和十三年にいったい何か起こっただろう? ヨーロッパではスペイン内乱が激化して
 る。ドイツのコンドル軍団がゲルニカに無差別爆撃をくわえたのもたしかその頃だ。日本で
?’
 「盧溝橋事件があったのはその年でしたっけ?」と私は言った。
  「それは前の年です」と免色は言った。「一九三七年七月七日に盧溝橋事件が起こり、それをき
 っかけに日本と中国の戦争が本格化していきます。そしてその年の十二月にはそこから派生した
 重要な出来事が起こります」

  その年の十二月に何かあったか?

 「南京入城」と私は言った。
 「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本車が激しい戦闘の来に南京市内を占拠し、そこで
 大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人かおり、戦闘が終わったあとの殺人があり
 ました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害して
 しまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありま
 すが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがた
 い事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しか
 し四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」

  もちろん私にはそんなことはわからない。

 Nov. 25, 1936

  私は尋ねた。「十二月に南京が陥落し、多くの人が殺された。しかしそのことが雨田典彦さん
 のウィーンでの事件に何か関係しているのですか?」
 「今からその話をします」と免色は言った。「一九三六年十一月には日独防共協定が成立し、そ
 の結果日本とドイツは歴然とした同盟関係に入っていきますが、ウィーンと南京とでは現実的に
 かなりの距離がありますし、現地では日中戦争について、おそらくそれほど詳しい報道もされな
 かったでしょう。しかし実を言うと、その南京攻略戦には雨田典彦の弟の継彦が一兵卒として参
 加していました。徴兵されて実戦部隊に加わっていたわけです。役は当時二十歳で、東京音楽学
 校、つまり今の東京啓太音楽学部の現役の学生でした。ピアノの勉強をしていたんです」

 「それは不思議ですね。ぼくの知る限りにおいては、当時はまだ現役の学生は徴兵免除をされて
 いたはずですが」と私は言った。

 「ええ、おっしやるとおりです。現役の大学生は卒業するまでは徴兵を猶予されていました。な
 のにどうして雨田継彦が徴兵されて中国に送られることになったのか、その理由はわかりません。
 しかし何はともあれ、彼は一九三七年の六月に徴兵され、翌年の六月まで、陸軍二等兵として熊
 本第六師団に所属しています。往んでいたのは東京ですが、戸籍は熊本になっていたので、第六
 師団に編入されました。その記録は文書に残っています。そして基礎訓練を受けたあと中国人陸
 に派遣され、十二月の南京攻略戦に参加しました。翌年六月の除隊後は学校に復帰しています」

  私は黙って話の続きを待った。

 「しかし除隊し、復学して間もなく、雨田継彦は自らの命を絶っています。自宅の屋根裏部屋で
 剃刀を使って、手首を切って死んでいるのが、家族によって発見されました。夏の終わり頃のこ
 とでした」

  屋根裏で手首を切った?


人妻ガールフレンドとの床談義から一気に雨田康彦の絶命まで、陰惨な流血が滴る第二次世界大戦の
背景にギアーチェンジし展開。次回がさらに楽しみである。 
                                                          この項つづく 

 

 No.36

 【RE100倶楽部:ソーラーペイント篇】

 RMIT Jun. 14,2017

● 太陽塗料は水蒸気から無限のエネルギーを生産

6月に入り、晴れているのに、冷たい風が吹くという異常気候が毎日のように続く昨今。さて「発電
する超高層ビルディング」(2017.06.065)では数兆円という市場規模が想定されるのソーラータイル
事業について素描したが(勿論、ゼロ廃棄物×太陽光発電をセットを前提)、今回は豪州はメルボル
ン市のあるRMIT大学の研究グループが開発した硫黄リッチな非晶質モリブデン硫化物を触媒とした
光励起ペイントで空気中の水分を電気分解して水素を取り出すというペイント開発が公表された(上
下図ダブクリ参照)。

 DOI: 10.1021/acsnano.7b01632

この技術はネタはすでに特許出願されている類の情報だが、空気中の水分を使って無電解分解生成
せるのが最大のうたい文句。曰く「硫黄に富む硫化モリブデンは、優れた触媒特性を利用し、無機配
位ポリマー態。硫黄に富んだMoSx(x = 32/3)とその水蒸気との相互作用の表面水依存特性(MoSx)
高吸湿性半導体で、Moあたり0.9H2O分子に可逆的に結合。表面水の存在は、半導体の特性に大きな影
響を与え、材料の光励起エネルギーを1桁以上変換、ドライ状態から湿潤状態に移行。さらに、MoSx
ベースの水分の導電率は、湿度が30%増加すると2桁を超え変換されること発見。この化合物を酸化
チタン粒子と混合することで、太陽光と湿った空気から水素燃料を生成光触媒が吸湿性に完全依存す
る無電解水分離型光触媒を開発。この触媒は、ガラスのような絶縁基材上にコーティングすることが
できるインクとして配合され、水蒸気からの効率的な水素および酸素の発生をもたらす。この概念は、
将来の太陽光発電のために広く採用される可能性を秘めている」(Torben Daeneke博士)とのこと。
また、同研究グループのKourosh Kalantar-zadeh教授は、
酸化チタンは、壁用塗料にすでに普及している白
色顔料。新しい材料を追加すると、レンガの壁をエネルギー収穫と燃料生産の不動産に変えることができ、ろ
過処理した水が不溶で、空気中に水蒸気があ留限り、僻地の水域圏ても、水素、酸素が生成でき、燃料電池
と組み合わせれば発電し、燃焼させれば発熱するということであり、後は「効率よく発電・発熱する手段」の開
発が俎上する。基本は「太陽と水」というわけで、「エネルギーフリー社会」が実現を語ったというわけである。
これは愉快だ。

※ 関連参考特許

♞ 特開2015-142882  水素生成触媒 久保田 博 
♞  US 9637827 B2   Methods of preventing corrosion of surfaces by application of energy storage-conversion
        devices



   

 

 

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今宵も黄金色の日々

2017年06月14日 | デジタル革命渦論

           
      僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代  

 

                          


    ※ 亡命中の女たち:狄国
から季隗(文公が秋で娶った妻〉が、晋に
      おくられてきた。文公との間にできた二人の子供は、狄に止めたい
      とのことである。文公は季隗を趙衰(ちょうし)にめあわせた。二
      人の間に原同(げんどう)、屏括(へいかつ)、楼嬰(ろうえい:
      趙同・趙括・趙嬰斉のこと。原・屏・楼はその食邑)が生まれた。 
      趙姫(文公の娘、趙衰の妻)は、夫の趙衰にむかって、狄に残して
      ある叔隗(季隗の姉)とその子供の眉とを引きとりたいと申し出た
      が、趙衰は賛成しなかった。しかし趙姫が、「新しいひとができた
      からといって、むかしの誼みを忘れるようでは、人の上に立つ資格
      はありません。どうあっても呼び寄せてください」と、あくまで強
      く求めるので、趙衰もうなずかざるをえなかった。こうして、叔隗
      と盾の二人は晋に呼び寄せられた。趙姫は盾の才能を見込み、文公
      の許しをえて、嫡子に立てた。自分の生んだ三人の子供は盾の下に
      おいた。また、自らは身をひいて叔隗を正夫人とした。

 

 No.35

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】

 ● “自己集積” で量子ドットの発光を自在に制御

【量子ドット工学講座 No.40】

 太陽電池とLEDの効率向上と高輝度化に期待

今月9日、東北大学 元物質科学研究所の研究グループは、硫化カドミウム(CdS)量子ドット表面に液晶
性を示すデンドロンを密に修飾することで、CdS量子ドットにデンドロン由来の液晶性を付与。得られ
たデンドロン修飾量子ドットはこれまでで最も非対称性の高い液晶性立方晶構造を形成し,長周期的に
規則配列することを見出す。さら、CdS量子ドットが自己集積すると,外部の光エネルギーによりCdS
子ドット内部に生じた励起エネルギーが周囲のデンドロンにほぼ全てエネルギー遷移することで量子ド
ットの発光強度を自在に制御できることを明らかにし、その機構を解明。このような量子ドットの発光
を制御するエネルギー遷移機構は光のエネルギーを直接電気エネルギーに変換可能性があり、高効率太
陽電池や高輝度発光ダイオード(LED)の開発につながると期待する。また外部の温度変化により発光強
度が変化することから生鮮食品の熱履歴センサーなどの開発にもつながるとのこと。

図  球状に自己集合する液晶性デンドロンをCdS量子ドット表面に密に修飾することで得られる”有機
無機ハイブリッドデンドリマー”概略図 ①:複数の分子が自発的に球状に集合した液晶性デンドロン、
②:表面にカルボキシル基(CO2H)を有するCdS量子ドット、③:CdS量子ドットをコアとする”有機無
機ハイブリッドデンドリマー”、④:自己集積によるCdS量子ドットの発光・消光制御

“A Low-Symmetry Cubic Mesophase of Dendronized CdS Nanoparticles and Their Structure-Dependent Photol-
  uminescence” Masaki Matsubara, Warren Stevenson, Jun Yabuki, Xiangbing Zeng, Haoliang Dong, Kazunobu
     Kojima, Shigefusa F. Chichibu, Kaoru Tamada, Atsushi Muramatsu, Goran Ungar, and Kiyoshi Kanie
     Chem, Vol.2, 6, 860–876(8 June 2017)、DOI: 10.1016/j.chempr.2017.05.001



図3 量子ドット輝度・高指向性X線光解析(Grazing-Incidence Small-Angle X-ray Scattering:GISAXS法)パターン


表1 X線回折ピークの積分および計算強度および計算位相角

 【ネオコンバーテック工学講座 No.1】

● カーボンナノチューブを用いた塗料で電磁波遮蔽

今月12日、産業技術総合研究所の研究グループは、カーボンナノチューブを用いた塗料で電磁波遮蔽
構築し
多様な基材に、過酷環境でも使える電磁波遮蔽塗布膜を実現したと公表。それによると、99.9
以上の電磁波遮蔽能を持つ塗布膜を、耐熱性が高く、長期安定性に優れ、曲げに強く、複雑形状部や可
動部でも使用可能カーボンナノチューブを用いた水性塗料で実現し、自動車用ワイヤーハーネスやロボ
ットなど、多様な分野での電磁波遮蔽対策への活用が期待される。さまざまな電子機器の電磁波を遮蔽
する方法として、電子機器やそれに接続する部品を金属の筐体に収納する方法が従来から用いられてい
るが、最近では電子機器の多様化や小型軽量化に伴い、樹脂やゴムの複雑な形状の筐体やそれらの材料
で覆われた部品が用いられることも多く、複雑な形状の筐体や部品を基材として電磁波遮蔽塗料を塗布
し、電磁波遮蔽能を付与する方法が注目されていたが、既存の電磁波遮蔽塗料は、基材の選択性に制限
があったり、付与できる電磁波遮蔽能が低いなどの課題があった。

今回開発したSGCNT系水性塗料は、バーコート法、スプレー法などのさまざまな塗布方法を選択できる
(上図)。❶バーコート法はバーで塗料を平面に延ばして塗布する方法で、大面積平面への塗布に適し、
❷スプレー法は吹きつけて塗布する方法で、複雑な形状への塗布に適す。このため、今回開発したSGC
NT
系水性塗料は、さまざまな形状の基材に塗布し、電磁波遮蔽能を付与できる。また、この塗料は水性
塗料であるので基材の選択性も高く、その塗布膜はSGCNTの機械的特性から、屈曲性にも優れており、
基材の変形にも追随できる。
またSGCNT系水性塗料は、SGCNTが水中で網目状に広がり分散し、塗布性
にも優れている(塗布性に優れる塗料とは、塗布作業時には塗料の流動性が高く(粘度が低く)、塗布
終了時には塗料の流動性が低く(粘度が高く)なる塗料を言う)。
今回開発したSGCNT系水性塗料は、
粘度測定の際に流動性が高い状態を作る高速剪断から、流動性が低い状態を作る低速剪断に切り替え
ると、すぐに粘度が回復して高くなる性質を持っている(下図)。これは、塗料を高速で動かす塗布作業
時には塗料の流動性が高まり(粘度が下がり)、塗料の動きを止める塗布終了時には塗料の流動性が低
くなる(粘度が高くなる)ことを示している。そのため塗布面での塗料の液だれが生じにくく、複雑な
形状の基材にも塗布膜を形成しやすい。次に、このSGCNT系水性塗料を用いて、バーコート法およびス
プレー法で塗布膜を形成し4.5〜6 GHzの周波数領域における電磁波遮蔽能を測定した。その結果、バー
コート法、スプレー法のいずれの方法の塗布膜でも、測定領域で30 dB(99.9%)以上の電磁波遮蔽能を示
し、実用上必要な20 dB(99.0 %)以上の電磁波遮蔽能を持つ。さらにこれらの塗布膜は耐熱性にも優れ
膜厚が薄いバーコート法を用いて形成した塗布膜でも、180 ℃で24時間保持の加熱試験後も、加熱試験
前と同等の電磁波遮蔽能を維持。


   

 June 5, 2017

● IBM、5nmナノシートで画期的成果

今月5日、IBMが、7nm(ナノメートル)プロセスチップの試作に世界で初めて成功したのは2年前。今
回、同社はさらに微細な5nmプロセスチップを実現の生産プロセス開発の
成功を公表。7nmプロセスチ
ップが、指の爪先ほどの大きさに200億個のトランジスタを搭載できるのに対し、5nmプロセスチップは、
同じ大きさに300億個のトランジスタを搭載できる。
トランジスタの集積密度が高いほど、チップの処理
速度が高速になる。5nmプロセスチップは、現在製品化されている10nmプロセスチップに比べて性能が
40%向上し、同一性能では75%の省電力化を実現。5
nmプロセスチップの開発に当たり積層シリコ
ンナノシートを使ったナノシートトランジスタという新しいトランジスタを採用。現在のトランジスタ
構造であるFinFET構造のゲート数が3であるのに対し、ナノシートトランジスタは4。FinFETは、22
nmと14nmのチップで採用されており、7nmプロセスチップでも用いられる見通し。



IBMリサーチで半導体グループは、FinFETは、幾何学的スケーリングが限界に達している。半導体業界
では新たなアーキテクチャへの移行が進んでいるという。チップの微細化における大きな課題は、リー
ク電流増大の課題が残件していると語る。こ
れまで10年以上に渡ってナノシートトランジスタを用い
たチップ技術の研究を行ってきた。ナノシートトランジスタの製造に、7nmプロセスチップと同じく半
導体の微細化を実現する技術の“極端紫外線リソグラフィ”を用いている。
今回の研究開発をGlobalFo-
undries
やサムスンと共同で行い、京都で開催された回路技術の国際会議「2017 Symposium on VLSI Tech-
nology/Circuits
」でその成果を発表。IBM自身はチップの製造を行わず、GlobalFoundriesとサムスンがラ
イセンスを受けて5nmプロセスチップを製造オプションを持つ。nmプロセスチップの量産体制は、2020
年頃に整う見通し。

現行の半導体は10nm世代で、サムスンのギャラクシーS8に搭載されているクアルコムの最新モバイルプ
ロセッサ「Snapdragon 835」は、サムスンが開発した 10nmプロセス技術を採用している。
半導体業界は
インテルの共同創業者であるゴードン・ムーアが提唱した「半導体の集積密度が2年で2倍になる」と
いう「ムーアの法則」の崩壊に直面する。
ムーアの法則が成り立つためには、常に大きなブレークスル
ーが求められる。新しいトランジスタによってさらなるスケーリングを実現し、ムーアが予測した経済
的価値を実現することが可能になる。
一部の回路設計者は、集積密度をこれ以上高めるのではなく、新
たなアーキテクチャの開発に取り組んで大きな成果を挙げる。その良い例が、今やディープラーニング
のトレーニングに欠かせないGPU(Graphics Processing Unit)だ。また、グーグルはTPU(Tensor Processing
Unit
)という独自のディープラーニング専用プロセッサを開発。
ムーアの法則が成り立たなくなっている
今、半導体業界はGPUやDSP、FPGA、ASICなどを併用するヘテロジニアス・コンピューティングによっ
て新たなニーズに対応しようとしている。
半導体業界を発展させる上で、チップの微細化とヘテロジニ
アス・コンピューティングは両方とも不可欠。5nmプロセスチップは、性能と効率性を飛躍的に向上す
るため業界全体にとって非常に大きな成果となると期待されている。

 

● フィンランドでも今年、自走型電動バス走行

 世界は日々デジタル渦中にあり自動化されている。今年、秋、フィンランドのヘリシンで新しい自走型
電動バス「RoboBusLine」が発足見通し。ヘルシンキ市によれば、このラインは「実験的なフェーズから
定期的に公共交通機関への移行を表明。
自走車は、❶交通費を削減し、❷公共交通機関へのアクセスを
改善、❸道路利用する自動車量を減らし排気ガスの排出量を削減する。昨年
年8
月、フィンランドの大
都市6大都市のフィンランドの大学と輸送機関によるEUの資金調達イニシアチブであるSohjoaプロジェ
クトは、ヘルシンキで2つのEasyMile EZ10電気ミニバスを打ち上げ
報告書では、このイニシアチブは
EUの資金提供を受けているmySMARTLifeプログラムの一環であり、ヨーロッパの都市は省エネルギー
のモビリティを開発し、都市のエネルギー消費を10~15%削減奨励されている。

これまでのところ、電気ミニバスは実際の交通状況で実証実験し、今年8月までは都市部で引き続き調
査。各バスには緊急時に搭乗した運行者が乗車し、約7マイル(11km /
時間)、経路を学習し、知識
蓄積され――
センサ技術、ユーザーエクスペリエンス、自転車でバスを利用して公共交通サービスを補
完する方法など、さまざまな側面に焦点を当てていく。
ヘルシンキのMustikkamaaレクリエーション島か
ら7月~8月にヘルシンキ動物園へ乗り継ぎするSohjoa自走バスがあるが、
この実験は、RoboBusが今年
後半に発売される道を拓くものとして位置づけられている。R
oboBusは日常の公共交通機関での運用をテ
ストできるようになる、
自走バスと顧客行動の長期的制御研究に使用される。フィンランドは自走バス
が発進するのに理想的な場所で、国の法律上、車両に運転手同乗しなくても問題ない。自走
バスはヘル
シンキの永続的な問題を解決するのに役立ち、公共交通機関停留所から定期的な乗客を自宅まで送り届
けを実現する。
自動化されたリモートコントロールバスサービスは、ラストマイルサービスのコストを
大幅に削減し、公共交通機関へのアクセス改善を実現し、
究極的は、公共交通機関の利用を増やし、街
から車を減らすことにある。

 

● 再生医療の実現を加速:ヒト肝臓発生のメカニズムを解明


今月15日、横浜市立大学の研究グループ(臓器再生医学 関根圭輔助教、武部貴則准教授、谷口英樹教
授ら)は
 最先端の1細胞遺伝子発現解析技術を駆使したビッグデータ解析により、ヒトiPS細胞からミニ
肝臓*1の形成過程で生じる多細胞間の相互作用を解析し、ヒトの肝臓発生に重要かつ複雑な分子メカニ
ズムを世界で初めて明らかにたと公表。同グループが2013年に確立したミニ肝臓作製技術は、従来のヒ
ト肝細胞作製技術と比べ、血管形成促進作用を含むさまざまな性能で優れることを示唆されとのこと。

DOI: 10.1038

♞ Multilineage communication regulates human liver bud development from pluripotencym Nature, 14 June 2017,
       DOI: 10.1038/nature22796

※ ミニ肝臓とは

ヒトiPS細胞から分化誘導した肝内胚葉細胞と、血管内皮細胞、間葉系細胞を最適な比率で混ぜ合わせる
ことで、in vitro 培養条件下で自律的に創出した肝臓の基となる立体的な肝芽(ミニ肝臓)のこと。
さらに、この革新的な3次元培養技術(器官原基法)を他器官の作製に応用し、肝臓のみならず、膵臓、
腎臓、腸、肺、心臓、脳から分離した細胞から3次元的な器官原基を創出することを報告している。創出
された3次元器官原基は、移植後すみやかに血流を有する血管網を再構成し、機能的な組織を自律的に形
成することができる。

● 今宵も黄金色の日々(今夜も技術がてんこ盛り)

毎日、ホームページを更新して思うことではあるが、わたし(たち)が想定し行動してきたこと、極め
て私企業の仕事を通して経験を集約して、個人的な戦略として描いてきた、これまた極めて個人的な革
命的な図像が的確であったことに改めて奇跡的なことであったに驚嘆し、自慢話ではなく、慌ただしく
生きていることを実感する。革命は半ば遂げられた、と。

  

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心覆れば図反す

2017年06月13日 | ネオコンバーテック

           
      僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代  

 

                          


    ※ 心覆(くつがえ)れば
図(と)反す:三月、話は前にさかのぼる。
      公子時代の文公(垂耳)のお側役に頭須(とうしゆ)という男がいた。
      宝物の管理を職拐としていたが、垂耳が国外に亡命すると、自分の管
      理する宝物を盗み出して、国内に身をひそめた。そして、その宝物を
      全部しかるべき人物への贈り物とし垂耳の帰国がかなうよう運動して
      歩いた。

      垂耳が帰国して即位したので藻類は目通りを順い出た。だが、文公は、
      髪を洗っているからといって会見を断わった。頭須は取り次ぎの者に
      こう言った。「なるほど、髪を洗えば、頭はさかさまになっているは
      ず。さかさまの藻で考えれば、是非の判断も逆になりましょう。わた
      しに会おうとされないのもかりはない。わが君の亡命中、あとに残っ
      た者は国の守りを固め、国を出た者はわが君に従って諸国をめぐり歩
      きました。

      どちらもそれぞれに意義のある役目だったはずです。国に残ったから
      といって責められろのは心外です。いやしくも君主の地位にある昔が、
      わたくしごとき下賤者を目のかたきにされるようなことでは、人心を
      つかむことはできません」 取り次ぎの者が、このことばを文公に伝
      えると、文公はすぐに頭須を申に通した。



 No.34

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】 

June 1, 2017

● 実用化目前 1年以上安定駆動する印刷可能なペロブスカイト太陽電池

6月1日、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の研究グループは、1年以上安定したハイブリ
ッド型ペロブスカイト太陽電池の試作に成功したことを公表。このブログ読者諸氏は周知のごとくペ
ロブスカイト太陽電池は、
商業化の可能性が非常に高く、安価で太陽エネルギーを効率よく電力変換
するデバイスである
。このように、22%以上の電力変換効率を達成しているにもかかわらず、安定
駆動の実用化要件を満たしていない。同研究ブループの成果によると、変換効率(11.2%)が低
下せず1年以上駆動しているという(Nature Communications に掲載された成果報告は下記に記載)。
今回、EPFLのMohammad Khaja Nazeeruddinの研究室は、MichaelGratzelSolaronixと共同で2次元/3
三次元ハイブリッド型ペロブスカイト太陽電池を設計――二次元ペロブスカイトの安定性向上と、全
可視光波長領域※1を効率的に吸収、電荷を輸送する3次元構造組み合わせたもで、日本ではおなじ
みの宮坂力桐蔭横浜大学教授らの活動領域で、このようにし て2次元/3次元ペロブスカイトは、そ
れぞれ12.9%(炭素ベース構造
)および14.6%(標準メソポーラス構造)の変換効率をもつ。

※1、この連載シリーズNo.27の「ガラス壁からの太陽エネルギーを利用する」(2017.05.30)の韓国
科学技術振興機構(KAIST)の事例は、赤外光の85.5%を吸光波長帯(もはやこれは熱電
変換素子
に包摂されるかのような機能をもつ)の事例もあり、同じハイブリッド型ペロブスカイト太陽電池で
も特性が  異なる点に着眼する必要がある。

【概説】

22%を超える電力変換効率(PCE)で、シリコン太陽電池の半分価格で匹敵する、有機鉛ハロゲン化
ペロブスカイト太陽電池(PSC)は、デバイスの安定性が低い弱点をもつ。実用化には20~25年間の
保証が必要であり、標準長耐久加速試験で、少なくとも1,000時間PCEが10%以下に低下。ハイブリッ
ドペロブスカイト太陽電池は、水分や水蒸気、紫外線、熱ストレスに脆弱で、水蒸気に曝されると、
ペロブスカイト構造は加水分解され、可逆的な分解を受け、例えば高吸湿性のCH3NH3XおよびCH(N
H22X
塩およびPbX2( X=ハロゲン化物)に分解する傾向があり、劇的に熱、電場および紫外線暴露
により加速される。材料の不安定性は、❶クロスリンク添加剤を使用してある程度まで制御するか、
❷または組成調整によって、前駆体にPb(CH 3 CO 22・3H 2 OおよびPbCl 2の組み合わせを加えるか、
❸またはCsおよびRbカチオンを含むカチオンカスケードを材料の光不安定性を低減し、❹または膜形
態を最適化するなど試験されているが、太陽電池の劣化は、❶ペロブスカイト層の不安定性に起因す
るだけでなく、❷太陽電池スタックの他の層の不安定性により加速する。例えば、有機正孔輸送材料
HTM
)は、水接触すると不安定となり、ペロブスカイトとHTMの間のバッファ層に、NiOxなどの
湿気遮断HTMを使用――室温で最大1,000時間の安定性をもたらす適切なデバイスカプセル化により、
部分的に抑制されるものの、このアプローチは、装置の複雑化、ならびに材料および処理のコストを
増加させる。また、デバイス安定性測定値の大部分は、不確定な温度で測定した場合、湿度条件の無
制御状態でデバイスを放置した場合に生じる。これこれに対し挑戦的に異なる戦略のもとで適切に比
較を行う。 他方、2次元(2D)ペロブスカイトは、優れた安定性/耐水性に、最近、3次元(3D)対
応物よりはるかに大きな関心を集めている。この点で、準2D(BA)2(MA)2Pb3I10BA = n-ブチルアン
モニウム)ペロブスカイトに基づく太陽電池は、最近は12%の効率を示すが、それらの性能は周囲条
件下で2,250時間運転した後に30%低下する。ここでは、2D / 3Dペロブスカイトでできた多次元接合
を工学的に改造し革新的なコンセプトで開発。この2D / 3Dインターフェースは、2Dペロブスカイト
の安定性を向上させ、全色吸収と優れた電荷輸送を実現し、効率的かつ安定性に優れた太陽電池の量
産製造を実現する。特にHTMを使用しない太陽電池やHTMを疎水性炭素電極で置換するモジュール
開発を行っている
。この構成では、❶大面積、❷完全印刷可能、❸低コスト、❹高効率、❺効率低な
しで、10,000時間以上(400日に対応)の驚異的な長期安定性を、酸素/水分の存在下で100cm2セル
面積(約50cm2 の活性面積)標準条件下で測定し実証された。

doi:10.1038/ncomms15684

図1 光学的および構造的特徴

(a)3%のHOOC(CH24NH3I、AVAIを用いた(HOOC(CH24NH32PbI4(青色破線)、3D CH3NH3PbI3
(黒色線)および2D / 3D(赤色線)の吸収スペクトル。 PbI2に対するAVAIのパーセンテージを増加
させながら420nmにおけるピークの強度を挿入した。
 (b)100%AVAI(パネルI)、3%AVAI(パネルⅡ)及び0%AVAI(パネルⅢ)ペロブスカイトのラマンス
ペクトル。 実線は、マルチガウスピークフィッティング手順(詳細は補足図※3)からの適合を表す。
3Dペロブスカイト主ピークの場合:78,109及び250cm -1; 2D、73,99,143,171cm-1、2D / 3D:62,87,112,
143,169cm-1
;
(c)100%AVAIのX線回折パターン(パネルI)。 3%AVAI(パネルⅡ)および0%AVAI(パネルⅢ)ペ
ロブスカイト。 星で示されるピークは、FTO / TiO 2基質に由来する。
(d)選択された角度での3%AVAIと純粋な0%AVAIペロブスカイトとを比較するX線回折パターンの拡
大( 基材:メソポーラスTiO2)。



図2.放射特性

(a)100%HOOC(CH24NH3I、以後のAVAI、3%AVAIでの2D / 3D、400nmでの励起、ペロブスカイトが
メソポーラス足場内に浸透しているTiO2側から励起する。
(b)上部ペロブスカイト層からの3%AVAI励起での2D / 3Dと、3D0%AVAIと比較してペロブスカイト
がメソ多孔性骨格内に浸透しているTiO2側から、600nmで励起した正規化PLスペクトル。メソポーラ
ス側(実線)。光の侵入深さは100600nmで、酸化物側からのペロブスカイト膜の励起(約1μm
骨格の厚さ)は骨格内で成長したペロブスカイトナノクリスタリットを調べ、ペロブスカイト上層か
らの励起はバルクペロブスカイトの固有特性が上に成長する。
(c)絶縁ZrO2メソ多孔性基体上に堆積した3%AVAIのバルクペロブスカイト(760nmでの最上層からの
励起)および730nmでの酸化物側からのPL動態。

図3.2D / 3Dインタフェースの第1原理シミュレーション

(a)3D / 2D界面の局所密度DOS)および(b)TiO2表面に接触する2D相との界面構造。(c)スピン軌道結
合(SOC、挿入図)を含めて計算した2次元および3次元フラグメント上に部分DOSを合計する。 2Dペロ
ブスカイトへの電子注入のための伝導帯状態と、可能であればTiO 2への伝導帯状態の良好な整列に注
目。

図4.2D / 3Dメソポーラス太陽電池の特性と安定性

(a)正孔輸送材料(HTM)を含まない太陽電池および標準的なHTMベースの太陽電池のデバイス漫画。
(b)2,2 '、7,7'-テトラキス(N、N'-ジフェニル-1,1,1,3,3,3-ヘキサフルオロプロパン)を用いた標準的なメソ細
孔構造における、3%HOOC(CH2)4NH3I、以後のAVAIを有する2D / 3Dペロブスカイトを用いた電流密
度電圧(J- N'-ジ-p-メトキシフェニルアミン)-9,9'-スピロビフルオレン(スピロ-OMeTAD)/ Au(挿入
図中の細胞の統計および画像を考案する)。
(c)Spiro-OMeTAD / Auセルの安定性曲線。AM 1.5G照明下、アルゴン雰囲気下、45℃の安定化温度下
での最大電力点での混合2D / 3Dペロブスカイトと標準3Dの比較。 実線は線形近似を表す。 挿入図に
チャンピオンデバイスのパラメータがリストを表示。


図5.
2D / 3Dカーボンベースの太陽電池の特性と安定性

(a)空気質量(AM)1.5G照明下で測定されたHTMフリー太陽電池中の3%AVAIを有する2D / 3Dペロブス
カイトを用いたJ-V曲線(デバイス統計および挿入図)。
(b)HTMを含まない10×10cm 2モジュール(
装置の統計およびインセット内の画像)中の3%AVAIを有する2D / 3Dペロブスカイトを用いたJ-V曲
線。
(c)55°の安定した温度および短絡状態で、1太陽AM 1.5 G条件下での典型的なモジュール安
定性試験。
標準的なエージング条件に従って行われた安定性測定。 aおよびbで表される装置の挿入
装置パラメータでは、
補足表2に報告されている。

● 補足図表(※3)Supplementary information


【方法事例】

● Spiro-OMeTAD※3ベースの太陽電池の作製

この
太陽電池は、フッ素ドープ酸化スズ被覆ガラス(NSG10)基材上に調製される。

  1. 異なる層の堆積の前に、基板を、hellmanex溶液(2vol%)中で15分間、蒸留水中で分間、最後
    にイソプロパノール中でさらに5分間超音波処理し、続いて15分間紫
    外線-オゾン処理。
  2. イソプロパノール9ml中のシグマアルドリッチ(Sigma Aldrich)からのチタンジイソプロポキシド
    ビス(アセチルアセトネート)
    75%を含有する溶液から噴霧熱分解により厚さ30nmのTiO 2ブロッ
    ク層を堆積。
  3. 450℃で焼結した後、メソポーラスTiO2層を、300rpmEtOH30NRD Dyesolペーストの400mg /
    ml
    溶液からスピンコートした。 500℃で30分間アニール。
  4. 基板が冷却されたら、1.25MのPbI 2 / MAI(1:1)DMSOに含む40μlの溶液を2段階法により上に
    スピンコートした。第1工程は
    1,000r.p.m. 10秒間(層のプレコンディショニング)および第2の
    工程を
    4,500rpmで行う。 30秒間。
  5. プログラム終了の10秒前に、文献38に記載されている貧溶媒法にしたがって、クロロベンゼン
    100mlをペロブスカイト層の上にスピンコートし、最後にペロブスカイ
    ト膜を100℃で1時間焼結。
  6. アニーリング時間の後AVAI:PbI 2(2:1)の1.1M溶液の異なる量をMAI:PbI 2前駆体溶液0,3および
    5%モル比)と混合することによって、2D/3D
    ペロブスカイトの異なる組成物も試験。、
  7. Spiro-OMeTADを、Li-TFSI(アセトニトリル中の520mg ml-1ストック溶液から7.0μlを含有するク
    ロロベンゼン溶液(
    400μl中、28.9mg、60mmol)から4000rpm20秒間スピンコートし、TBP(11.5μl)
    およびCo(II)TFSI(10mol%、40mgml-1ストック溶液から8.8μl)を添加。
  8. 最後に、100nmの金電極を蒸発させる。


●炭素系メゾスコピック太陽電池の作製

  1. FTOガラスを最初にエッチングして2つの分離した電極を形成した後、エタノールで超音波洗浄。
  2. その後、エアロゾルスプレーによる熱分解により、パターン化された基板をコンパクトTiO2
    でコーティングし、先に報告したように調製したTiO2スラリーのスクリーン印刷により、1μm
    のナノ多孔質TiO2層を堆積させた。 450℃で30分間焼結した後、2μmZrO 2スペーサー層を電
    子が背面接触部に到達するのを防止する絶縁層として働くZrO 2スラリーを用いて、ナノ多孔質
    TiO 2層の上部に印刷。
  3. 最後に、カーボンブラック/グラファイト複合スラリーを印刷し、ZrO2層の上に厚さ約10μmのカ
    ーボンブラック/黒鉛対電極をコーティングし、400℃30分間焼結した。室温に冷却した後、

    ロブスカイト前駆体溶液を、半連続印刷法により、カーボン対向電極の上部からドロップキャス
    ティングにより浸透させた。完全な印刷プロセスは空気中で行う。
  4. 50℃で1時間乾燥した後、ペロブスカイトを含むメゾスコピック太陽電池が得られた。ペロブス
    カイト前駆体溶液を以下のように調製した:3D前駆体溶液について、1.2μMのMAIおよび1.2μMの
    PbI2
    をγ-ブチロラクトンに溶解し、60℃で一晩撹拌。 2Dペロブスカイトの場合、1.2μMのAVA
    Iおよび1.2μMのPbI 2
    をγ-ブチロラクトンに溶解し、60℃で一晩攪拌。
  5. AVAI:PbI2)と(MAI:PbI2との混合物を3,10,20,50容量%(すなわち、(AVAI:PbI2))とした
    以外は同様にして(AVA)x (AVAI:PbI2)/((AVAI:PbI2)+(MAI:PbI2))を使用。
  6. すべてのセルを周囲の雰囲気に封入して、細胞を機械的損傷から保護し、湿度および酸素含有量
    を特別に制御しなかった。 封入は、細胞を薄いガラスで覆い、DuPont Surlynポリマーを用いて縁
    をシールすることによって行った。モジュールの場合、同じプロセスが実行されたが、第2の保
    護としてセルの周りにエポキシ接着剤の余分なリングを追加。 

以上の研究成果を踏まえると、同時に10年前の色素増感型太陽電池の調査開発を行っていたときの
違和感(これは有機ELディスプレイの調査研究を行っていた当時の違和感と同じもの)、つまり「不
安定さ」の起源の未解明さにあった。後者はすでに克服されているが、前者は、テレビジョン(表示器
)製造事業とは異なるエネルギー供給事業であり、「不安定」は致命的であり、退社後もその評価解明
の調査研究を続けてきた。「二次元構造/機能」は光の吸収を高め、外部環境変動の緩衝保護し、「三
次元構造/機能」がエネルギーを高効率変換できることを実証したことになる。ここまで来ると実用性
が高かまる。わたし(たち)予見したナノテクを駆使したネオコンバーテック(新表面加工々学)事業
はまたひとつ実現したことになる。これは大変愉快だ。

● 今宵の一曲  Andrea Bocelli - Quizas Quizas Quizas 

「キサス・キサス・キサス」(Quizás, quizás, quizás)は、キューバのオスバルド・ファレス作曲。題名
は「たぶん、たぶん、たぶん」という意味である。歌詞は「男が恋人の女性にいろいろと問いかけるが、
女性はいつも『たぶん』としか答えてくれない」といった内容。
作曲者自身によりスペイン語の歌詞が
付けられ、スペイン語圏でヒット、ジョー・デイビス  により英語の歌詞がつけられた。1958年にナッ
ト・キング・コールが歌い、再度ヒットする。今宵はアンドレア・ボチェッリとともにシチリア島の思
い出に浸りながら疲れを癒す。

 

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増強される海上風力発電三国

2017年06月12日 | 環境工学システム論

           
      僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代  

 

                          

              ※ 失敗した暗殺計画:三月、文公は反乱に対処するため、ひ
         そかに秦に赴き、穆公と王城の地で会見して、秦の援助を
         求めた。三日己丑(きちゆう)の日、晦日、呂甥、郤芮は
         計画どおり反乱を起こし、宮殿に火をはなった。反乱軍一
         味は文公をさがしたが、文公の姿は影も形もなかった。あ
         わてた呂甥と郤芮が、黄河方面に逃げたところを、秦の穆
         公がおびきよせて殺した。反乱がおさまったので、文公は
         懐嬴(穆公の娘、文公が溺滞在中、妻とした:亡命十九年)
         をつれて何回した。穆公は威風堂々たる三千の軍勢にかれ
         らを護衛させた。
 

 No.33

 

【RE100倶楽部:スマートグリッド篇】 

 June 10, 2017

● 再生可能エネルギーの記録的な2016年

設備の価格が低下し続ける中、再生可能電力は新たな記録を樹立し、2016年に161ギガワットが追
加され、世界全体の容量は2テラワット
以上に増加。今週、21世紀の再生可能エネルギー政策ネット
ワーク(REN21)は、再生可能エネルギーの状態に関する最も包括的な年次総覧である「再生可能エ
ネルギー2017年グローバルステータスレポート(GSR)」を公表。
報告書によると、設置された再生
可能電力容量の追加により、2016年に新たな記録が設定され、161ギガワットが追加され、2015年
の世界全体の容量は約9%増加して約2,017ギガワットになる。
太陽光発電は追加された容量の
約47%を占め、その後風力発電は34%、水力発電は16%であった。



再生可能エネルギーが最もコストの低い選択肢になり、デンマーク、エジプト、インド、メキシコ、
ペルー、アラブ首長国連邦の最近の取引では、キロワット時あたり6セントで再生可能な電力が供給
されている。
これは、これらの国々の化石燃料と原子力発電容量に相当する費用をはるかに下回り、
オークションは政府の補助金を必要とせずに卸売価格にのみ依存することがますます増えている。
告書によれば、「ベースロード」の本質的な必要性は神話である。
化石燃料や核ベース負荷がなくて
も、グリッド相互接続、ICT、ストレージシステム、電気自動車、ヒートポンプなどのセクター結合
や有効化技術を通じて、電力システムに十分な柔軟性を持たせ、可変再生可能発電の大きなシェアを
統合できる。

 May 20, 2017

この種の柔軟性は、可変世代のバランスを取るだけでなく、システムを最適化し、全体的な世代コス
トを削減します。
したがって、再生可能エネルギー源からの発電量が百%に近づいたりそれを上回っ
たりするのを成功裏に管理している国の数が増えていることは、驚くことではない。
例えば、デンマ
ークとドイツは、再生可能エネルギーベースの電力のピークをそれぞれ140%と86.3%に成功
する。
化石燃料と産業からの世界の二酸化炭素排出量は、世界経済が3%成長し、エネルギー需要が
増加したにもかかわらず、3年連で安定する。
これは、主に石炭の減少だけでなく、再生可能エネル
ギー容量の急速な増加とエネルギー効率の向上にも起因する。


・ストレージ技術の革新と画期的な進歩により、電源システムの柔軟性がますます向上しています。
 2016年には、約0.8ギガワットの新しい先進的エネルギー貯蔵が稼動し、年末合計は6.4ギガワ
 ットとなった。上記の
グラフに示すように、グリッド接続されたバッテリストレージは、50%増
 加して1.7ギガワットを超える。
・ミニグリッドとスタンドアロンシステムの市場は急速に進化しており、モバイル技術によってサポ
 ートされているPay-As-You-Go(PAYG)ビジネスモデルが爆発的に増加しています。
2012年PAYG
 の太陽光発電会社への投資額はわずか300万ドルに過ぎない。
2016年には2億2,300万ドル以上に増
 加(2015年の1億5,800万ドルから増加)。

REN21Arthouros Zervos議長は次のように述べる。「世界中では、毎年、再生可能な電力容量が増え
ている。
「今年のGSRの最も重要な発見の1つは、全体的で全身的なアプローチが重要であり、例外
的ではなくむしろルールになるということである。再生可能エネルギーのシェアが拡大、インフラへ
の投資だけでなく、
供給と需要のバランスを取るための手段、セクターの結合(例えば、電力と輸送
ネットワークの統合)、幅広い可能な技術の展開など、幅広い手段を提供している。しかし、これら
の奨励的な傾向にもかかわらず、エネルギーの移行は十分な速さではない。
パリ合意の目標を達成に
は、クリーンテックのさらなる加速が求められている。
投資は風力や太陽光発電に重点を置いている
が、地球温暖化を2
℃以下に保つためには、すべての再生可能エネルギー技術を導入する必要がある
とする。

輸送/暖房/冷房部門は、電力分野に遅れをとっている。加熱冷却分野の再生可能技術展開には、こ
の市場の独特で分散した特徴が課題とし
てあり。
輸送セクターの再生可能エネルギーは、まだ重視さ
れていない。
主にバッテリー技術のコスト低下による電気自動車の販売の大幅拡大にもかかわらず、
十分なインフラストラクチャーが確保され、再生可能な電力供給するためには多くのことを行う必要
がある。
輸送/航空部門は最大課題を提示するものの政府政策は不十分である。

このように、化石燃料への補助金制度は妨げとなっていおり、世界的に化石燃料や原子力発電への
助金は再生可能エネルギーの補助金を大幅日上回っている
2016年末までに、50カ国以上が化石燃料
補助金を段階的廃止を約束しているが十分ではない。
化石燃料補助金と再生可能エネルギー補助金の
比率は4:1の現状――
再生可能エネルギーに1ドルを費やすたびにを永続させ4ドルを費やしてい
る。
REN21のクリスティン・リンス事務局長は「世界は時間と競争している。二酸化炭素排出量を迅
速かつコスト削減の最重要なことの1つとして、石炭の段階的廃止とエネルギー効率化への投資のス
ピードアップである。
中国が今年1月に発足した百の石炭工場を打ち切ったと発表、政府は明確かつ
長期的な政策と財政のシグナルとインセンティブを確立し計画実行により劇的に変化するだろう。」
と説明している。



 June 6, 2017

●  ドイツ・デンマーク・ベルギー 海上風力発電10年で5倍増強

ドイツ、デンマーク、ベルギーの各国政府は、今後10年間に世界の既存発電量の5倍以上の60ギ
ガワットの新しいオフショア風力発電を導入するという約束を支持。3
カ国のエネルギー大臣は、世
界最大のオフショア風力開発会社ドン・エナジー(Dong Energy)を含む25社が投資を増やしコスト
を削減する声明を発表。
火曜日にロンドンで署名されたこの声明は、昨年北欧10カ国が海上で風力
発電機を設置する費用削減に協力するこ
とで合意。ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナン
(Bloomberg New Energy Finance)によると、昨年、世界中で海上風力13.8ギガワットを記録。こ
れにより
、欧州の海上風力価格は過去110年間で劇的に下がり、2016年だけで22%下落する。
WindEuropeのCEOGiles Dickson は「この共同声明により、大手企業と政府は海上風力エネルギーの
大量配備に協力することで次のステップを踏み出す。
今日の声明は、ヨーロッパの清潔で競争力のあ
る信頼できるエネルギー源の海上風力発電の戦略的重要性を認識した」と述べている。


 June 12, 2017

  

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   
 
 

    36.試合のルールについてぜんぜん語り合わない

  秋川まりえを帰したあと、私はもうコ皮スタジオに戻ってすべての明かりをつけ、部屋じゆう
 隈なく探してみた。しかし古い鈴はとこにも見当たらなかった。それはどこかに消えてしまった
 のだ。
  最後にその鈴を目にしたのはいつのことだっただろう? 先週の日曜日、最初に秋川まりえが
 うちに来たとき、彼女は棚の上にあった鈴を手にとって振っていた。そしてそれを棚の上に戻し
 た。私はそのときのことをよく覚えていた。そのあと鈴を日にしただろうか? よく思い出せな
 い。その一週間、私はほとんどスタジオに足を踏み入れなかった。絵筆をコ皮も手にとらなかっ
 たからだ。私は『白いスバル・フオレスターの男』を描きかけていたが、その作業はまったく立
 ち往生していたし、秋川まりえの肖像にもまだ取りかかっていなかった。いねば創作の谷間に入
 り込んでいたわけだ。

  そしていつの間にか鈴は消えていた。
  そして秋川まりえは夜の林を抜けてくるとき、祠の裏手から鈴の音が聞こえてくるのを耳にし
 た。鈴は誰かの手であの穴の中に戻されたということなのだろうか? 私は今からあの穴に足を
 運んで、鈴の音が実際にそこから聞こえてくるかどうか、確かめてみるべきなのだろうか?
 しかし暗い夜の雑木林の中に、これから∵八で足を踏み入れようという気持ちには、どうして
 もなれなかった。その目は予想もつかないことが次々に起こって、私はいささか疲れていた。誰
 がなんと言おうと、今目いちにちぷんの「予想もつかないこと」の割り当ては既にこなしている
 はずだ。

  台所に行って冷蔵庫から水を取りだし、いくつかをグラスに入れ、そこにウィスキーを往いだ。
 時刻はまだ八時半だった。秋川まりえは無事に林の中を抜け、「通路」を抜けて、家に戻れただ
 ろうか? おそらく問題はあるまい。こちらが心配するほどのことではないのだろう。本人の言
 によれば、小さい頃からこの周辺をずっと遊び場にしてきたのだから。そして見かけよりずっと
 芯の強い子供なのだから。
  私は時間をかけてスコッチ・ウィスキーを二杯飲み、クラッカーを何枚かかじり、それから歯
 を磨いて眠った。あるいは真夜中にまた鈴の音で目を覚まさせられることになるかもしれない。
 前と同じように午前二時くらいに。仕方ない、もしそうなったらそうなったときのことだ。しか
 し結局何も起こらなかった。たぶん起こらなかったのだろう。翌朝の六時半まで、ただのI度も
 目を覚ますことなく私は深く眠った。

  目が覚めると、窓の外には雨が降って
 いた。来たるべき冬の到来を予告するような冷ややかな
 雨だった。静かで、そして執拗な雨だ。三月に妻が別れ話を持ち出したときに降っていた雨によ
 く似た降り方をしている。妻がその話をしているあいだ、私はおおむね顔を背けて窓の外に降る
 雨を眺めていた。

  朝食のあとで私はビニールのポンチョを着て、雨用の帽子をかぷり(どちらも旅行中に函館の
 スポーツ用品店で買い求めたものだ)、雑木林の中に入った。傘は差さなかった。そして祠の裏
 手にまわり、穴にかぶせた板の蓋を半分だけどかせた。懐中電灯で穴の中を念入りに照らしてみ
 たが、中はまったくの空っぽだった。鈴もなく、騎士団長の姿もなかった。しかし念のために、
 立てかけてあった梯子を使って穴の底に降りてみることにした。私かそこに降りるのは初めての
 ことだ。金属の梯子は身体の重みで一歩ごとにたわみ、不安に感じるほど軋んだ音を立てた。で
 も結局何も見つからなかった。それはただの無人の穴だった。きれいな円形で、一見して井戸の
 ようだが、井戸にしては直径が大きすぎる。水をくみ上げるのが目的であれば、それほど大きな
 口径の穴を掘る必要はない。まわりの石の積み方も念入りで緻密すぎる。造園業者の言ったとお
 りだ。

  考えごとをしながら、長いあいだそこにじっと立っていた。頭上に半月形に切り取られた空か
 見えたから、それはどの閉塞感は感じなかった。懐中電灯の明かりを消し、薄暗く湿った府県に
 背中をもたせかけ、頭上の不規則な雨だれの音を聞きながら目を閉じていた。何を考えているの
 か、自分でもうまく把握できなかったが、とにかくそこで私は何かの考えを巡らせていた。ひと
 つの考えが別の考えに繋がり、それがまた違う考えに結びついていった。しかしどう言えばいい
 のだろう、そこにはどことなく不思議な感覚があった。どう言えばいいのだろう、まるで自分か
 「考える」という行為そのものにそっくり呑み込まれてしまったような感覚だ。

  私かある考えを持って、生きて動いているのと同じように、この穴もまた思考し、生きて動い
 ているのだ。呼吸をし、伸び縮みしているのだ。私はそのような感触を持った。そして私の思考
 と穴の思考とはその暗闇の中で根を絡め合い、樹液を行き来させているようだった。自己と他者
 が溶けた絵の具のように混濁し、その境目がどんどん不詳明になっていた。

  それからやがて、周りの壁がだんだん挟まってくるような感覚に襲われた。私の胸の中で、心
 臓が乾いた音を立てて伸縮していた。心臓の弁が闇いたり閉まったりする音まで聞こえそうだっ

 た。自分か死後の世界に近づいているような、ひやりとした気配がそこにあった。その世界は決
 して嫌な感じのする場所ではなかったけれど、私がまだ行くべきではないところだった。

  そこで私ははっと意識を取り戻し、一人歩きする思考を断ち切った。そしてもう一度懐中電灯
 のスイッチをつけ、あたりを照らしてみた。梯子はまだそこに立てかけてあった。頭上には前と
 同じ空か見えた。それを目にして私は安堵の息をついた。空がなくなり、梯子が消えていても不
 思議はなかったんだ、と私は思った。ここではどんなことだって起こりうるのだ。

  段をひとつひとつしっかり握りしめながら、慎重に梯子を上った。そして地上に到達し、両足
 で濡れた地面を踏みしめ、それでようやく正常に呼吸ができるようになった。心臓の動悸も次第
 に収まっていった。それからもう一度穴の中を覗き込んでみた。懐中電灯の光で隅々まで照らし
 てみた。穴はいつも通りの当たり前の穴に戻っていた。それは生きてもおらず、思考してもおら
 ず、壁は決まってもいなかった。その穴の底を、十一月半ばの冷たい雨が静かに濡らしていた。
  蓋を元通りにして、その上に重しの石を並べた。もとあった通りに正確に石を並べた。誰かが
 また石をどかしたら、すぐにそれとわかるように。そして帽子をかぶりなおし、もと来た達を引
 き返した。
        

                                      この項つづく  

 

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インディアンズの土鈴

2017年06月11日 | 時事書評

           
      僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代  
               
   

                          

              ※ 国に止まっていた男たち:晋の呂甥(りょうしょう)と郤
         芮(げきぜい)(懐公当時の大所)は、文公亡命中、晋に
         止まり官途に就いていたので、文公が即位すると、処罰さ
         れはしまいかと不安になった。そのあげく、二人は反乱を
         企てた。宮殿に放火して文公を殺そうという計画である。
         この計画を察知した寺大披(じじんひ)という男が、文公
         に謁見を申し出たが、文公は会おうとしなかった。文公は
         自らの亡命中、寺大披がとった行動を非難して、取次ぎの
         者に伝えさせた。「蒲(ほ)城の役(父、猷公が重耳を殺
         そうとした戦いにさいし、おまえは父君から翌日出発せよ
         と命令されたにもかかわらず、その日のうちに出発した。
         またその後、わたしが狄に滞在中、狄君と渭水の岸辺に
         に行ったとき、おまえは、恵公の命令を受けてわたしを殺
         しに来たが、そのときも、三泊して出発するように命令さ
         れながら、途中で一泊しただけで秋の地までやって来た。
         いかに君命とはいえ、こんなにも急いだのはどういうわけ
         だ。蒲城でおまえの刀で柚を切りおとされた着物は、まだ
         そのままにしてあるぞ。とっとと消えうせるがいい」 

         寺大技はこれにこたえて、言った。「わが君には、国外に
         おられる間、さまざまの経験を積まれたはず、もっとご理
         解があるものと思いましたが、今のお言葉をうけたまわれ
         ば、まだまだのご様子。これでは将来が案じられます。君
         命への絶対服従は、古来定められた臣下の遜。自分の仕え
         る君主が、あの男を殺せといえば、臣下としてはただその
         ために力をつくすよりほかありません。今は君主の座につ
         かれたとはいえ、当時わが君は、ただの人、狄の人とい
         うだけの存在でした。何も遠慮することはなかったのです。
         しかし、今となっては立場がちがいます。今度はわが君が、
         それこそ、蒲や狄の敵からねらわれる番です。かつて斉の
         桓公は、管仲が公の帯の釣を射た罪を許Lて、かれを宰相
         にとりたてました。わが君が、桓公の故知にならわれるつ
         もりがないのなら、ご命令を待つまでもなく、わたくしは
         晋を立ち去りましょう。そうなれば、晋を去るのはわたし
         一人ではないはずです」この言葉を聞いて、文公は目通り
         を許した。寺人波は、呂甥、郤芮の暗殺計画の内容を文公
         に告げた。

 【レモングラスが納豆のにおい緩和】

今月10日、納豆にタイ料理などで使われるハーブ「レモングラス」を混ぜると、においが緩和され
ることを龍谷大農学部(大津市瀬田大江町)の学生が突き止めた。レモングラスの消臭効果は広く知
られているが、発酵食品で確認されたのは珍しい。ハーブを提供した食品大手ハウス食品が、成果を
基に研究を進め、特許を申請している(中日新聞 2017.06.10)。

突き止めた2人の学生は、昨年10月から、農学部の学生を対象にした香辛料を使った製品を開発す
るプロジェクトに参加しており、
納豆に着目したのは、指導担当の島純応用微生物学同大教授の提案
がきっかけ。納豆は、しょうゆベースのたれとからしで食べる人が多いとされるが、からしを他の香
辛料に置き換えることで、よりおいしく食べられないかと開発に取り組む。
実験ではまず、ハウス食
品から提供されたクミンやカルダモン、コリアンダーなど二十四種類の香辛料を粉末にして、それぞ
れ納豆に加え食味やにおいを確認。その中でレモングラスが納豆のにおいを緩和させているように感
じる。
二人は、においを和らげる効果的な量を求め、学部の教授らに協力を依頼。納豆の量に対して
レモングラスを0~1%混ぜて、違いを調べ、最適な量は0・1%であることを突き止める。



島教授らは、実験の結果をハウス食品に提供。同社がこの情報を基に研究を進めたところ、レモング
ラスが発酵食品全般に対してにおいを和らげる作用があることを確認し、今月6日、特許を申請。2
人は、キムチやチーズなど対象食品を広げて実験を重ね、県の郷土料理「ふなずし」でも効果を確認
している。7
日に龍谷大瀬田キャンパスで製品開発の成果報告会が開かれ、2人が来場者らにレモン
グラスの粉末を混ぜた納豆を振る舞うと、「靴下のようなにおいが消えている」と関心を集めた。2
人の製品は、学部内のコンテストで1位の農学部賞に輝いた。研究グループの前田凌佑
氏は、納豆は
嫌いではないが、実験で大量に食べすぎた。植物をテーマに別の研究もできたらと苦笑し、の石口竜
誠氏東京五輪までに商品化がかなえば、納豆が苦手な外国人にも食べてもらえ、世界にもっと日本食
を広められるのではないかと期待を込める。前出の
島教授はひらめきを大切に実験を重ねたことが、
今回の成果につながった。何らかの形で研究を進められたと話す。

 

レモンのようなフレッシュな爽やかさに甘さも加わった、力強い香りが特徴のレモングラス。料理の
香り付けやハーブティとしても人気の薬草で、エスニック料理に多く使われる。
インドでは数千年前
から伝承医学(アーユルヴェーダ)で「冷やすハーブ」として感染症治療や解熱に使用したり、母乳
の出をよくする作用を活用。このように、
レモングラスには、東インド型と西インド型があります。
それぞれ学名が異なり、東インド型「Cymbopogon flexuosus 」、西インド型「Cymbopogon citrates
の2つに分類され、
東インド型も西インド型も香りはあまり変わらず、違いは特徴成分であるシトラ
ールの含有量。東インド型のほうにシトラールがやや多く含まれる。
「レモングラス」という名前は、
レモンと同じこのシトラールという芳香成分が含まれていることに由来。見た目的にはレモンとは全
く異なるイネ科の植物で、イネのような細長い葉を持つ1~1メートル程の高さの多年草。

精油はその葉から、水蒸気蒸留法により抽出されます。レモングラス自体は柑橘類ではないが、レモ
ンに似た香りは柑橘系に分類される。
鮮烈な立ち上がりの早いレモングラスの香りはトップノートで
だが、後々にハーブ系のほのかな甘みと温かみある香りの余韻も楽しめるベースノートでもある。

モングラスの精油は、インドだけでなく、スリランカやベトナム、インドネシアなどで生産される。




レモングラスの香りは、心を元気にする作用に優れています。疲れを感じたときや、やる気がでない
ときにパワーを与えてくれる。「ドライバーの精油」とも呼ばれ、運転時にリフレッシュや集中力が
必要なときに好適。
また、消化促進作用により食欲が向上するとともに消化不良を改善する作用があ
り、鎮痛作用があり代謝と血行を促進するので、運動後の疲労回復や神経痛、頭痛の改善に効果的で。
冷えが原因のむくみや肩こりにも利用されている。
レモングラスには優れた殺菌作用があるので水虫
やニキビにも良いが、成分の8割程を占めるシトラールは皮膚刺激を起こすことがあるとあるため使用
には希釈濃度低くして使用する。
トリートメントオイルやローションなどにレモングラスの精油を使
う場合、他の精油であればボディ用で1%以下(顔用だと0.5%以下)の濃度、レモングラスは刺激
が強い。
虫が嫌う香りなので虫よけスプレーに使用できるほか、芳香水としても使用できる。このよ
うに、食品、医療品、アロマ、除虫剤、防腐剤などの環境にやさしい商品開発ができそうだ。やった
ね!二人の学生さん。
 

 

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   
 

    35.あの場所はそのままにしておく方がよかった

  
彼女は私の目をまっすぐ見据えたまま言った。「そこまではわからない。先生にもわからな
 い?」
 「いや、心当たりはないよ」と私は嘘をついた。秋川まりえの目に、嘘をあっさりと見やぷられ
 てしまわないことを祈りながら。私は嘘をつくのが昔からあまり得意ではない。作り話をすると
 すぐ顔に出てしまう。しかし本当のことをここで打ち明けるわけにはいかない。

 「ほんとに?」
 「本当に」と私は言った。「彼が今日うちを訪ねてくるなんて、ぜんぜん予想もしていなかった」
 まりえは私の言うことをいちおう信じてくれたようだった。実際のところ、今日うちにやって
 くるとは免色は言っていなかったし、彼の突然の来訪は私にとっても予期せぬ出来事だったのだ。
 私は嘘をついたわけではない。

 「あのひとは不思議な目をしている」とまりえは言った。
 「不思議って、どんな風に?」
 「目がいつもなにかしらつもりを持っているみたいに見える。赤ずきんちやんの狼と同じ。たと
 えおばあさんのかっこうをしてベッドに横になっていても、目を見ればすぐに狼だとわかる」

  赤ずきんちやんの狼?

 「つまり君は免色さんに、何かネガティブなものを感じたということなのかな?」
 「ネガティブ?」
 「否定的なもの。害をなすものとか、そういうこと」
 「ネガティブ」と彼女は言った。そしてその言葉は彼女の記憶の抽斗に仕舞い込まれたようだっ
 た。「青天の霹靂」と同じように。 
 「そういうことでもない」とまりえは言った。「悪いイトをもっているという風には思わない。
 でもきれいなしらがのメンシキさんは何かを背中のうしろに隠していると思う
 「君はそれを感じるんだね?」
 
  まりえは肯いた。「だから先生にいちおう確かめに来たの。先生が免色さんについて、なにか
 を知っているかもしれないと思って」
 「君の叔母さんも、君と同じようなことを感じているんだろうか?」と私は、彼女の質問をかわ
 すように尋ねた。
  まりえは小さく首を傾げた。「いいえ、叔母さんはそういう考え方はしない。他人にネガティ
 ブな気持ちを持つことのあまりない人だから。そして彼女はメンシキさんに興味を持っている。
 トシは少し離れているみたいだけど、ハンサムだし着ている服もきれいだし、とってもお金持ち
 みたいだし、一人で暮らしているということだし……」
 「君の叔母さんは彼に好意を持っている?」
 「そう思う。メンシキさんと話をしているときはすごく楽しそうだった。明るい顔をして、声も
 少しうわずっていた。いつもの叔母さんとは違う。そしてメンシキさんのほうも、そういう違い
 のことはなんとなく感じとっているはずだと思う」

  私はそれについては何も言わず、二人の湯飲みに新しいお茶を往いだ。そしてそのお茶を飲ん
 だ。

  まりえは一人でしばらく考えを巡らせていた。「でもどうして私たちが今日ここに来ることが、
 メンシキさんにわかっていたのかしら。先生が敦えたの?」
  私はできるだけ嘘をつかなくて済むように慎重に言葉を選んだ。「免色さんには、君の叔母さ
 んと今日ここで会うようなつもりはもともとなかったと思うよ。君たちがうちにいるのを知って、
 そのまま帰るうとしたのをぼくがむりに引き留めたくらいだから。彼はたまたまうちにやって来
 て、彼女がたまたまそこにいて、その姿を見て興味を持ったんじやないかな。君の叔母さんはな
 かなか魅力的な女性だから」

  まりえは私の言ったことにすっかり納得したようには見えなかったが、それ以上その問題を追
 及することもしなかった。ただしばらくのあいだ食卓に肘をついて、むずかしい顔をしていただ
 けだった。

 「でもとにかく、君たちは来週の日曜日に彼のうちを訪問することになっている」と私は言った。
 まりえは肯いた。「そう、先生の描いた肖像画を見せてもらうために。そして叔母さんはその
 ことをとても楽しみにしているみたい。日曜日にメンシキさんのおうちを訪問することを」
 「叔母さんにだってやはり楽しみは必要だよ。なにしろこんなひとけのない山の上で暮らしてい
 るわけだし、都会にいるのとは違って、男性と新しく知り合う機会もそれはどないだろうから」

  秋川まりえはしばらく唇をまっすぐに堅く結んでいた。それから打ち明けるように言った。

 「叔母さんにはずっと恋人がいたの。長く真剣につきあっていた男のひとが。ここに来る前、東
 京で秘書の仕事をしていたころのことだけど。でもいろいろあって、結局うまくいかなくなって、
 叔母さんはそのことでとても深く傷ついたの。それもあってお母さんが死んでしまったあと、う
 ちに来てわたしたちと同居するようになった。もちろんホンニンの口から聞いたんじやないけど」

 「でも今は交際している人はいない」

  まりえは肯いた。「たぶん今、つきあっている男のひとはいないと思う」
 「そして君は叔母さんが一人の女性として、免色さんに対してそういう淡い期待みたいなものを
 抱いていることをいささか心配に思っている。だからぼくに相談するためにここにやってきた。
 そういうことかな?」
 「ねえ、メンシキさんは叔母さんをユウワクしているんだと思う?」
 「誘惑している?」
 「真剣な気持ちがあるんじやなく」
 「それはぼくにもわからない」と私は言った。「ぼくもそこまでよく免色さんのことを知らない
 んだ。それに彼と君の叔母さんとは今日の午後に出会ったばかりだし、具体的にはまだなにごと
 も起こっていない。またそういうのは人の心と心のあいだの問題だから、話の進み具合によって
 微妙に変化していくものだ。ちょっとした心の動きが大きく膨らんでいくこともあるし、また逆
 の場合もある」
 「でもわたしには予感みたいなものがあるの」と彼女はきっぱり言った。
 とくに根拠はないにせよ、彼女の予感みたいなものを信じてもいいような気がした。それはま
 私の予感みたいなものでもあった。


  私は言った。「そして君は何かが起こって、叔母さんがもうコ伎精神的に深く傷つくんじやな

 いかと心配している」
  まりえは短く肯いた。「叔母さんは用心深い性格ではないし、傷つくことにもあまり馴れてい
 ない」
 「そういうと、なんだか君の方が叔母さんのことを保護しているみたいに聞こえるな」と私は言
 った。
 「ある意味では」とまりえは真剣な顔つきで言った。
 「それで君はどうなんだろう? 傷つくことには馴れているのかな?」
 「わからない」とまりえは言った。「でも少なくともわたしは恋をしたりしない」
 「でもいつかは恋をする」
 「でも今はしない。胸がもう少し膨らむまでは」
 「そんなに先のことじゃないと思うよ」

  まりえは軽く顔をしかめた。たぶん私を信用していないのだろう。
  そのとき私の胸にふと小さな疑念が生まれた。もしかしたら免色は、まりえとの繋がりを確保
 することを主な目的として、秋川笙子に意図的に接近しようとしているのではないだろうか?
  免色は秋川まりえについて、私にこう言った。一度短く顔を合わせたくらいでは何もわかりま
 せん。もっと長い時間が必要です
  秋川笙子は免色にとって、彼がこれからも継続的にまりえと顔を合わせるための重要な仲介者
 になるはずだ。彼女はまりえの実質的な保護者であるわけだから。そしてそのためには免色はま
 ず秋川笙子を――多かれ少なかれ――手中に収める必要かおる。免色ほどの男にとって、それは
 とくに困難を伴う作業とも言えないだろう。朝飯前とまでは言えないにせよ。それでも私は、彼
 がそのような意図を隠し持っているとは思いたくなかった。騎士団長が言うように、彼は常に何
 かしら企みを胸に抱かざるを得ない男なのかもしれない。しかし私の目にはそこまであざとい人
 間には見えなかった。

 「免色さんの家はなかなか見応えのある家だよ」と私はまりえに言った。「とても興味深いとい
 うか、とにかく目にしておいて損はない」
 「先生はメンシキさんのおうちに行ったことがある?」
 「一度だけ。夕食をご馳走になった」
 「この谷間の向かいにある?」
 「うちからだいたい真向かいのところに」
 「ここから見える?」
  私は少し考えるふりをした。「うん、小さくだけどね」
 「見てみたいな」

  私は彼女をテラスに連れて行った。そして谷間を隔てた山の上にある、免色の屋敷を指さした。
 庭園灯がその白い建物を、夜の海上を行く優雅な客船のようにほんのりと浮かびあがらせていた。
 家のいくつかのガラス窓にはまだ明かりがついていた。どれも遠慮がちな小さな明かりだった。

 「あの白い大きな家のこと?」とまりえはびっくりしたように言った。そして私の顔をひとしき
 りまじまじと見た。それから何も言わず、再び遠くに見える屋敷に視線良民した。
 「あの家ならわたしのうちからもよく見える。見える角度はここからとは少し連っているけど。
 いったいどんな人があんな家に住んでいるんだろうと、前々から興味を持っていた」
 「なにしろよく目立つ家だからね」と私は言った。「でもとにかくあれが免色さんの家だよ」 

  まりえは手すりから身を乗り出すようにして、長いあいだその屋敷を眺めていた。その屋根の
 上にはいくつかの星がまたたいていた。風はなく、小ぶりな堅い雲は空の同じ場所にじっと留ま
 っていた。ベニヤ板の背景に釘でしっかり打ちつけられた舞台装置の雲みたいに。少女がときど
 き首を曲げると、まっすぐな黒髪が月の光を受けて艶やかに光った。
 「あのうちにメンシキさんはほんとうに一人で往んでいるの?」とまりえが私の方を向いて言っ
 た。
 「そうだよ。あの広いうちに一人で往んでいる」
 「結婚はしていない?」
 「結婚したことはないと言っていた」
 「どんな仕事をしているひと?」
 「よくは知らない。広い意昧での情報ビジネスだと言っていた。ITの関係かもしれない。しか
 し今のところ、決まった仕事はしていないということだ。白分か立ち上げた会社を売却したお金
 と、あとは株式の配当みたいなもので生活しているんだそうだ。それ以上詳しいことはぼくには
 わからない」
 「仕事はしていない?」と眉をひそめてまりえは言った。
 「本人はそう言っていたよ。家から出ることはほとんどないんだって」
  ひょっとしたら、今こちらからこうして免色の家を眺めている我々二人の姿を、免色はあの高
 性能の双眼鏡で見ているかもしれない。夜中のテラスに並んで立っている私たちを目にして、彼
 はいったいどんなことを考えるだろう?

 土鈴

 「君はそろそろ家に戻った方がいい」と私はまりえに言った。「もう時間も遅いから」
 「メンシキさんのことはともかく」と彼女は小さな声で打ち明けるように言った。「わたしは先
 生にわたしの絵を描いてもらうことを嬉しく思っている。そのことをきちんと言っておきたかっ
 た。どんな絵ができるかとても楽しみにしている」
 「うまく描けるといいんだけど」と私は言った。そして彼女の言葉に少なからず心を動かされた。
  この少女は絵のことになると、不思議なくらい素直に心を間くことができるのだ
  私は彼女を玄関まで送った。まりえはぴたりとした薄手のダウン・ジャケットを着て、インデ
 ィアンズの野球帽を深くかぶった。そうするとどこかの小さな男の子のように見えた。
 「途中まで送っていこうか?」と私は尋ねた。



 「大丈夫。馴れている道だから」
 「それでは来週の日曜日に」
  でも彼女はすぐには立ち去らず、そこに立ったまま、ドアの縁を片手でしばらく押さえていた。
 「ひとつだけ気になったことがある」と彼女は言った。「鈴のことだけど
 「鈴のこと?」
 「さっきここに来る途中で鈴の音が聞こえたような気がした。先生のスタジオに置いてあった鈴
 とたぶん同じ音だった」
  私は一瞬言葉を失った。まりえは私の顔をじっと見て
 「どのあたりで?」と私は尋ねた。「あの林の中。祠の裏のあたりから」

  私は暗やみの中に耳を澄ませた。しかし鈴の音は聞こえなかった。どのような音も聞こえなか
 った。ただ夜の沈黙が降りているだけだ。
 「怖くはなかった?」と私は尋ねた。
  まりえは首を振った。「こちらからかかおりあいにならなければ、怖いことはない」
 「少しここで待っていてくれないか」と私はまりえに言った。そして急ぎ足でスタジオに行った。
  棚の上に置いたはずの鈴はもうそこにはなかった。それはどこかに消えてしまっていた


誰かがその石の下で、救助信号を送っているのかもしれない鈴の音を聞き止めた秋山まりえ、そして
主人公(語り手)作品の中では「名無しの権兵衛」にある鈴が突如消える意味深なシーンが描かれこ
の章は綴じられる。次章「試合のルールについてぜんぜん語り合わない」に移る。面白い。



                                      この項つづく

 

 

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