極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

小笠原沖M8.5の謎

2015年05月31日 | 時事書評

 

 


   『ドーン』という爆発音とともに地響きがした。地震かとも思ったが、
        短い時間だったのですぐに噴火とわかった。 

                                      峯苫 健

 

 

【小笠原沖M8.5の謎】

5月30日に小笠原沖で発生したマグニチュード8.5の巨大地震で、気象庁はテレビや携帯電
話に地震の発生をいち早く知らせる緊急地震速報(警報)を発表しなかった。日本周辺でマグニ
チュード
8.0以上を観測したのは、2011年の東日本大震災(
マグニチュード9.0)以来だとい
うが、なぜ発表されなかった(「
The Huffington Post2015.05.31 09:38 JST|2015.05.31 10:03 JST)。

これに対して、気象庁は緊急地震速報(警報)を発表しなかった理由について、今回の地震の震
源の深さが590キロと深い、深発地震(震源が深さ200キロを超える地震)であったためと
した。気象庁では震源の深さが150キロを超える場合には、緊急地震速報(警報)を発表しな
いシステム――震源が非常に深い場合、震源の真上ではほとんど揺れないのに、震源から遠く離
れた場所でも強い揺れが伝わることもあり、地域ごとの正確な震度の予測が難しいため、緊急地
震速報(警報)は発表しない――のだという説明だが、つまり、下図の様に震源から離れた場所
でも強い揺れが感じられる現象は「異常震域」と呼ばれ、異常震域の現象が起こるのは、地震波
をあまり減衰せずに伝えやすい「海洋プレート」のなかを、ゆれが伝わることで起こることによ
る。
 

 

したがって、今回の地震は震源から遠く離れた神奈川県二宮町で震度5強を記録するなど、関東
地方には震度が減衰せず伝わっており、異常震域の現象が起きたのではないかとみられる。プレ
ート内で地震が発生することで「揺れはプレート内に閉じ込められ伝わる。プレートの形に沿っ
て、北海道や東北、関東まで揺れが広がった」と古村孝志東大地震研究所副所長が説明する。異
常震域での震度の予測は、難しいく、気象庁の中村浩二地震情報企画官はこの日の記者会見で、
緊急地震速報(警報)について、「震源が浅い地震であれば、震源からの距離が遠くなると震度
が弱くなるという性質を使い、各地の震度を計算し緊急地震速報を出す。しかし、深さが150
キロを超える地震であれば、震源からの距離が遠くなると、震度が弱くなるという予測式では精
度よく計算できなくなり、現在の技術では限界がある」と話す。
 

 


地球の半径は約6千4百キロに対して、今回の発生深度が590キロといえば約9%程度の深度
で、地殻下のマントル上層部とマントル下層部との間の対流層で発生した恰好になるが、前図/
右のように、流動状マントル下部と太平洋プレート部が接触してどうして、局所的な震源となる
のかその理由が理解できないでいる。たまたま、マントルから突き出した地殻があったとしても、
その歪みがそれほど大きくなるのだろうかという素朴な疑問を払拭できない。翻って、フィリピ
ン海プレートから何らかの落下してきた地殻デブリがプレートを突き抜け衝突してもそれ程(下
表)の
エネルギーをもつ地震源となりうるだろうか? あるいは、運ばれてきたデブリがプレートに衝突し
たとしてもどの程度の大きさと衝突速度なのだろうか。そもそも、プレート同士の衝突部付近でこのような
現象が発生するものだろうか・・・・・? さらに、残留応力の局所解放だとして、地震発生機構の特徴とは
どのようなものだろうか分からないでいる。 

 

さて、なぜ、こんなことに執着するのかというと、日本列島は2013年の東日本大震災以降の地殻
変動の流れが、9世紀の貞観地震の流れと酷似しているのではないかという有識者の指摘に対し、
新たな兆候を感じ取ったためで、東日本大震災+ネパール地震+小笠原沖地震をイメージした時
に、
"マントル対流の異変"を加味してみたためで、何の根拠もないイメージの上の話なのだが、
これを誇大妄想というのだろうが、小説『日本列島沈没』をベースとして、不安、疑問が過ぎっ
たというわけで、ここは、緊急の予算執行してでも、現在の地殻変動に対する観測研究・防災研
究を大至
急実施するべきだそれで、人命が、国土が救済できるのなら、例え年間当たり数十億
の経費(直接的な仕事の従事者:数百人+研究費相当)は微々たるものだと。考えたのだが、い
かがのものであろうか?

※ 大規模火山災害について:http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/resilience/dai18/siryo2-3.pdf

 

    

【日本の政治史論 21:政体と中枢】
 

 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
  

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
    

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』  

    目 次     

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策      

  第1章 暗転した官僚人生   

                          官僚の二枚舌の極み
 
  いままでに挙げたポイント以外にも、守旧派と対立する事項はまだまだたくさんあった。
 幹
部の公募採川を推進するために各省庁に数値目.幄を設定する義務を渫す、若手の幹部候
 補を内
閣主導で育成する、各ポストごとに職務内容や日原等を詳細に定めるジョブ・ディス
 クリブシ
ョン(職務明細書}制度を導入すること、などだ。こわらについても極めて頑迷な
 抵抗かあっ
たか、常に顧問会議など表で峡論することによって世論の支持を集め、ほとんど
 の事項で、な
んとかわねわれの目指す方向にまとめることができた。

  ただ、一つ重要なな点て骨抜きが行われてしまった。それは幹部公務員の降格に関する規
 定で
ある。

  われわれは、政治主導を実現するには幹部職員を大臣か自由に任免できなければならない
 と考えた
。たとえば、民宇党政権誕生のときを思い出そう。民L党は、選挙前には、政権交
 代し
たら各省庁の幹部には辞表を出してもらうと勇ましかったか、実際に政権を取ったら、
 公務員
には身分保障かあるからそんなことはできないという理由で、それを断念した。その
 結果.守
旧派の麻生政隆時代の幹部をそのまま居抜きで使うことになった。民主党の農業政
 策を厳しく
批判していた農水次官もそのまま留任させたのを見て、私も本当に驚いたものだ。
 
  もちろん、いろいろな工夫でこうした事態を避けることはできたと思うか、やはり、政策
 の方向が変われば当然、幹部の布陣もそれに合わせてごく自然に変えられるような仕組みに
 しておくことか必要だ。そのためには、幹部の身分保障を外すことがポイントになる。
  サッカーで、監督が代わってチームのシステムを変更するのに、レギュラーを前の監督か
 選んだメンバーのまま固定する義務を負わせるということは考えられない。政治主導を実現
 するためには、サッカーの監督と同じことができる権限を閣僚に与えることが必要だ。

  われわれはその実現を目指したが、これは守旧派からすれば絶対に認められない点だった。
  特に、これをいったん認めると、管理職以トにも同様の議論か起きる恐れかおる。公務員
 の最大の特権は、よほどの悪事を働かない限り、クピにならないどころか降格もないし、給
 料も下がらない点。この強力な身分保障は絶対に矢いたくない既得権である。

  従って、幹部に限定するといっても、将来、自分たちにも同じ議論か及ぶ可能性を察知し
 た組合も強力に反対したのだ。
  実は、これを実現できなかった理由の一つとして、この点に関してだけは、われわれのチ
 ームに企画立案の権限か与えられていなかったという点が挙げられる。つまり、最初から、
 この点はもっとも危ない点だとして、担当をわれわれのチームとせず、隣のチームの担当に
 していたのだ。かなり激しいやり取りもあったが、権限上われわれはどうしようもなかった。

  彼らは表面的には降格ができるように見える規定を作ったが、実際には、ほとんど使い物
 にならない規定だった。先のサッカーの例でいえば、重要なことは、前のレギュラーメンバ
 ーを外して新しい選手を入れるときに、一々その理由を説明する必要はないという点だ。ま
 してや、代えられる選手が他のメンバーより劣っていることを立証する責任を監督に負わせ
 るなどといったら、誰も監督を引き受けないだろう。

  しかし、彼らが作った規定は、なぜ降格するのか詳細に説明して、その正当性を証明する
 責任を大臣に負わせていた。こんなことではいつ訴訟になるか分からず、結局、降格の規定
 は有名無実化するだろうという読みである。
  現に担当審議官は、組合に対して、「この規定では滅多なことでは降格できないから心配
 することはない」といって説得を試みているのを私はこの目で見た。国会答弁では、「柔軟
 に降格できるんです」というような説明を甘利大臣にしていたのだから、二枚舌にもほどが
 ある


                        歴史的偉業になるはずが


  以上の通り完璧とはいえないまでも、逆風のなか、われわれはなんとか結束を固め、幾多
 の抵抗を乗り越え、人事院と総務省の関連する機能を集約し、組織と人事を内閣で一元管理
 する「内閣人事局」の創設と国家戦略スタッフの創設を柱とする国家公務良法改正案をまと
 め上げた、この改正案は、麻生内閣によって2009年3月、国会に提出された。
  内閣人事局の創設は、霞が関の随抗が強く、当初、絶対に無理だと見られていただけに、
 改正案は画期的といえるものだった。

  ところが、いざ審議を始めてみると、民主党がおかしな動きを始めた。表向きは、前述し
 た幹部の降格が事実上できない仕組み等を批判して、いかにも改革に前向きなふりをしなが
 ら裏で人事院の機能移管を阻止するような妥協案を模索。自民党の守旧派と結託して、大幅
 に後退した修正案をまとめようとしたのだ。

  われわれは、そんな案ならまとまらないほうが良いと思ったが、危うく合意寸前まで行っ
 てしまったようだ。なにしろ、自民党の大半は公務員制度改革には後ろ向きで、そもそも党
 内手続きの最終段階で開かれる総務会では、居並ぶ長老たちのほぼ全員が反対したのだ。し
 かしこれを潰したら、ただでさえ支持率の低い麻生政権の評価がさらに下がってしまうから
 という理由でなんとか通ったという経緯もあったほどで、さもありなんという感じだった。
 
  しかし最後は、民主党の選挙を意識した方向転換で、2009年8月の選挙を前に廃案と
 なってしまう。中途半端な妥協で成立させても半分は自民党の手柄になってしまう。それよ
 りは、具体的な議論をしないで、麻生自民党には公務員制度改革はできない、民主党がやれ
 ば根本から違ったもっと先進的な改革ができる、と国民に訴えたほうか得策だと判断したと
 いう。政策よりも政局-今日まで続く流れである。

  とはいえ、われわれはさほど落胆していなかった。政権交代の可能性が高まっていたから
 だ。政治主導、脱官僚、天下り根絶など、抜本的な公務員制度改吊に意欲を示す、民主党が
 政権を配れば、改革は一気に進むのではないかとの期待があった。 


                          仙谷行政刷新大臣の心変わり
 
  2009
年9月16日、民主党政権か誕生した。
  鳩山由紀夫内閣は当初、期待通り公務員制度改革に意欲的のように見えた,行政刷新担当
 大臣に就任した仙谷由人氏から組閣前を含めて都内のホテルに三度ほど呼ぱれ、彼のブレー
 ンと思われる民間の方々とともに議論した。議論は抜本的な公務員制度改革から始まり、規
 制改革、独立行政法人(独法)改革などあらゆる改革に及び、これから白紙に絵を描くのだ
 という感じがあり、非常に胸が高鳴ったのを覚えている。

  ホテルでの内々の公議では行政刷新会議のメンパーに関しても話題になった。私も意見を
 求められ、「功なり名を遂げた年配の力ではなく、いま活躍している現役ばりばりの人を入
 れたほうがいい」という意見を述べ、公務員改侭事務局のメンバーにしても同様との趣旨で
 発言をした。すると、次の会合には行政刷新会議と事務局のメンバーの候補者リストを作っ
 て持ってくるよう指示を受けた。

  仙谷大臣との接触がほとんどなかった私が今後の改革の土台を決める論議に参加を求めら
 れること自体、仙谷大臣の改革への旺盛な意欲を表すものだと私は判断していた。
  しかし、その後、仙谷大臣とお会いする機会はなく、私が推薦したメンバーリストもお蔵
 入りになってしまった。そして.12月、仙谷大臣の判断で、私を含む公務員改革事務局幹
 部全員か更迭され、私は経産省に戻された。

  この間、仙谷大臣は、私を公務員制度改革の幹部として残したいと発言しているといった
 噂も聞こえてきたが、あくまで風聞であり、どのような事情があったのか、しかとは分から
 ない。ただ、後のマスコミの報道では、次のような経緯を辿ったとされている。
  仙谷氏は私を補佐官に起用し、改革推進をはかる心づもりだった.だが、霞か関の拒絶感
 は予想をはるかに超えていた。財務省を筆頭に各省庁は私の起用に猛反発し、仙谷大臣も断
 念した・・・・・・。このような経緯があったようだ。

  とりわけショツクだったのは、私の親元である経産省の上層部が反対の意向を示し、陳情
 を行つたという話だった。
  経産省は中央官庁のなかでは、自由な雰囲気で知られている。だからこそ、私のような改
 革を公然と唱える者も長い間冷たい処遇を受けずに済んでいた。その経産省ですら、私の補
 佐官起用には拒否反応を不しているというのだから、いかに霞が関全体が私の処遇に神経を
 尖らせていたのか、分かろうというものである。
 
  とりわけ省庁のなかの省庁、財務省は、私の補佐官起用に徹底抗戦したらしい。財務省に
 へそを曲げられると、すぐそこに追っていた民主党政権初の予算算編成は暗礁に乗り上げ
 鳩山政権の命運は尽きかねない。
  仙谷大臣が霞が関の圧力に屈したのは、理解できなくもない。予算の編成は毎年、ただで
 さえ難航するのに、鳩山政権は初めての経験である。しかも、自民党政権下ですでに終えて
 いた概算要求を一度白紙に戻してやり直し、査定をして、12月に予算案を出さなければな
 らなかった。これをたった三ヵ月でやるには、財務省を敵に回しては無理である。現実的な
 選択肢を取ったのだろう。

  私の受けた感じでは、仙谷氏が改革に燃えていたのは、明らかだった。気分的にも高揚し
 ていて、なんとエネルギッシュな人だろうと、感嘆したほどだった。私の人事に関しても本
 意ではなく、財務省に対しては「いまに見ていろ」と思っていたのではないか。
  仙谷氏は小沢一郎幹事長とも折り合いが悪く、鳩山政権では、いわば外様の身だ。あの頃
 は、一人で戦うのはまだ無謀だと考え、捲土重来を期していたと思われた。
  だから、私は更迭されても、決して落胆していなかった。いずれは思い切った展開になる
 だろうと微かな希望は持ち続けていた。しかし、希望はすぐに失望へと変わつていく……。



わたしの少ない経験をもってしても、この場面での顛末は痛いほど、実感を、記憶をも呼び戻さ
せる語りなっている。「こうして改革は挫折する」と。そして、その乗り越え方も体現し貴重な
学習もおこなっている。それは「できる限りオープンにすること」。固陋にして鄙吝な集団を撃
破、突破するにはこれが一番であると。さて次回は第2章に入る。

  
                                                       この項つづく 

 

   ● 今夜の一品

汲んできた水をParabosol に注水、砂などのゴミを一次フィルターで除去後タンクに貯められ、次
パラボラミラーの集光部分を通ることで水を沸騰させ殺菌浄水されるというもの。復水器を通
った蒸気が冷却され、カーボンフィルターを通して浄水タンクに回収。1回で170リットル浄
水可能。飲料水のない場面では保安・防災用に便利そうだ。

 

 

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漠電力網の登場

2015年05月30日 | デジタル革命渦論

 

 


    天災は忘れた頃にやってくる / 寺田 寅彦

 

 

北陸新幹線の福井駅先行開業の議論が進む中、敦賀以西のルート問題が、にわかに焦点に浮上し
てきた。27日に東京都内で開かれた建設促進同盟会の大会には、関西広域連合長の井戸敏三兵
庫県知事が初めて出席し「北陸新幹線は大阪までつながってこそ、なんぼのもん」と発言した。
背景には北陸の市場や人が関東に吸い取られ、東京一極集中が加速するという危機感がある。フ
ル規格による大阪までの早期延伸で北陸、関西の足並みがそろった形だが、ルートに関しては北
陸3県で温度差もあるという(「福井新聞」2015.05.29)。

大会のあいさつで、西川知事は政府与党に対し、フル規格での大阪までの整備を要望。「フル規
格とは、どこかの駅で(東海道新幹線の)こだまに乗り換えるのとは意味が違う」と述べ、暗に
米原ルートを否定した。そして「きょうは井戸知事からもそうしたごあいさつがいただけると思
う」と付け加え、
これを受けた井戸知事は「早くフル規格で大阪まで乗り入れていただきたい
と発言。ルートには触れなかったが「敦賀以西のルート問題を議論する与党検討委員会では発言
する機会がほしい」と訴えた。井戸知事の姿勢を西川知事をはじめ北陸3県の知事は高く評価し
「意味のある大会となった」と口をそろえた。大会に参加した小浜市の松崎晃治市長も「若狭ル
ートを実現するための第一歩となった」と手応えを口にしたという(同上)。

このブログで北陸新幹線の延長ルートをめぐり『中央日本周回新幹線構想』(2015.03.17),『
(中央)日本周回新幹線構想Ⅱ』(2015.03.17)を掲載しているから、基本的な考えだけを付け
加えておきたい。

 




(1)敦賀市を日本海経済圏構想の主要都市(そのほかに、札幌、新潟、松江、下関の4つ)と
おき、(2)脱原発産業都市化促進地域に指定、「逆格差法人税制」(要法制)の対象として、
税率を平均値の0~25%に引き下げる。(3)交通網強化として、(あ)敦賀港の再整備、(
い)「敦賀ー大阪」の新幹線整備(「梅田と「新大阪」の選択残)、(う)「敦賀ー名古屋」の
新幹線整備というもの。このときの列車が「フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」を採用す
る。敦賀から下関の北陸・山陰新幹線は「フル規格」でもよいが、新幹線の世界展開事業には、
フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」が敷設費用や事業費用効果でも、敷設汎用性・市場
規模・技術的(~時速5百キロ超)側面から有利と思われる。「敦賀から世界へ!
」。このキャッ
チ・コピーは面白いとおもうが?!

※ 尚、米原をジャンクとするのは、湖西線は強風対策がいること、JR米原駅周辺は広大な平地
  が所有施設内に残っており建設費が割安になるという理由から(2015.05.31 12:50)。
  
 

 
● 緑茶とコーヒーとワインをブレンドして飲めないか

国立がん研究センタの緑茶とコーヒーの摂取量と全死亡率の疫学的調査結果よると、緑茶摂取で
心疾患などによる死亡リスクの低下がみられた。この理由は、緑茶に含まれるカテキン(血圧や
体脂肪、脂質の調整)やカフェイン(血管保護、呼吸機能改善)などの効果が推定されている。
また、限定的ではあるが、女性で外因による死亡リスクの低下がみられたが、テアニンやカフェ
イン(認知能力や注意力の改善)の効果かもしれないという(上図/上)。

また、コーヒー摂取で死亡リスクの低下が見られたのは。コーヒーに含まれるクロロゲン酸が血
糖値を改
善し、血圧を調整する効果がある上に、抗炎症作用や、コーヒーに含まれるカフェイン
が血管内皮の機能
改善効果や、気管支拡張作用があり、呼吸器機能の改善効果が、循環器疾患や
呼吸器疾患死亡リスク低
下に寄与しているのではないかという(上図/下)。全がん死亡では他
の部位のがんも総合して分析を行ったので有意差がなくなったのでは推測している。これらを踏まえ、一
日4杯までのコーヒー摂取は死亡リスクの低下を示唆ししているのではないかとしている。

尚、缶コーヒー、インスタントコーヒー、レギュラーコーヒーを含むコーヒーの摂取頻度を尋ねており、また
カフェインとカフェイン抜きコーヒーを分けていないの配慮すること。


疫学的な調査のため説明要因が多すぎる上に説明要因の範囲も不確定(当たり前だが)、ムード、
モード
やそれを包括した外環環境といった「飲み方」、リラクゼーションを感じる?感じない?
や気の置けない仲
間と一緒?一緒でないないとかそんな些細なことが大きく影響するストレス性
心因が結構効くかもしれな
い。また、ポリフェノール含有量の側面で考えれば、赤ワインが一番
(上図の比較例の場合)のようになるし、クロロゲン酸を多く含まれる作物を多い方から、コー
ヒー、向日葵の種、茶、ブルーベリー、パセリ、サツマイモ、ジャガイモ、トマト、リンゴ、梨、
茄子、ゴボウなどいうが
、高含有量のコーヒーでも、焙煎は深いとクロロゲン酸含有量が低下す
るので要注意(融点は208℃)。こんなことが気になるのはテレビ放送される俳優や芸人の訃
報が立て続いているためで、コーヒーは香りが好きだが好みと言う程ではない。それでも大腸癌
に効果がありそうだとかいうと、今夜のようにネットサーフしている。ところで、コーヒーと緑
茶をワインに加えたオリジナル・カクテルを創作してみようかとも考えているが、イラチで無精
な性格がなせる技なのかもしれないが、下図のような事例報告もあり、アルコールと適量の緑茶
をブレンドして好みで飲んでいる。

 

 

● ピコグリッドってなんだ?

デンソーは28日、超小型電気自動車を「移動する電源」として利用できる独立電源ネットワーク
システム「Pico Grid System(ピコグリッドシステム)」を開発したと発表。同社の安城製作所で、
同システムを使った構内移動のための運用を開始しているという。
ピコグリッドシステムは、小
規模な太陽光発電と蓄電池、超小型EVを使って電力を供給する独立型の直流分散電力システムに
、車両管理システムを組み合わせたもの。太陽光で発電した電力は、直流のままで超小型EVや蓄
電池に蓄えることができる(上図)。このため、一般的な太陽光発電システムのように直流から
交流への電力変換による損失が発生しないので、効率的に再生可能エネルギーを活用できる。

た、電力を蓄えた超小型EVを「移動する電源」として使用すれば、災害時などに商用電源が停止
した場合でも必要な場所への電源供給が可能になるということだ。ところで、ピコとは国際単位
系の接頭辞の1つで、基礎となる単位の10-12倍の量を表すが、そのまま日本語に訳すと「漠電力
網」ということになるが、マイクロ・ナノなどの言葉が踊る昨今ゆえ、1ピコワット、1ピコ秒
を制御する電力網を意味して命名されたのかと推測するしかないが、いろんなことを考えるもの
ですね。「第5次産業革命」ならの『デジタル革命渦論』ということですね。



※ 産業(工学)革命の推移

第1次 焼き畑・去勢
第2次 石器・木器・銅器・鉄器
第3次 活字印刷・製版・製本・交通 
第4次 蒸気機関・地下化石(原子力)燃料
第5次 電気通信・半導体・ナノ(「デジタル革命」)
第6次 ?(超身体・未来エネルギー)

 

   

【日本の政治史論 20:政体と中枢】
 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
   

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』    

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生                                                                              
                       

                        鳩山大臣を操る総務官僚

   基本法では、人事に関する機能をすべて内閣に集めて、内閣人事局という組織を作ることになっ
  ている。
   政府には、人事に関連する組織として、まず、第三者機関である人事院、そして総務省の
 
事・恩給局、行政管理局、さらに財務省の主計局に給与共済課というものがあり、
  それぞれが
バラバラに機能している。これでは、時代のニーズの変化に対応してスピーデ
 ィに組織を改編
し、人員を配置し、もっとも適切な人物を各ポストに就けるのが難しい。

  たとえば、産業として衰退してしまった農業を所管する農水省がいまだに巨大な組織を待
 っ
ていて、局長もたくさんいる。他方で、環境問題の重要性が高まっているのに、まだ環境
 省の
陣容が十分でない――こうした判断を総理がしたとしよう。本来であれば、農水省の組
 織に大鉈
を振るってスリム化し、環境省の組織を拡大する、定員もそれに合わせて増減させ
 る、差し
引き余剰人員が出れば、リストラをする。そして、環境省にまだ優秀な人材か少な
 ければ、他
省庁や民間から優秀な人材を登用する。これを総理主導で迅速に行うことか必要
 だ。


  ところか、いまはどうなっているか。まず、農水害が自分で自分の組織を切ることは考え
 ら
れない。組織や定員の査定は総務省の行政管理局がやるが、彼らには常に前年との比較で
 仕事
か増えたか減ったかという尺度しかないので、組織に大鉈を振るうなどということは無
 理だ。

  一方で、環境省かたとえば新しい局を作るという要求を行政管理局に出しても、だったら
 他の
局を潰せというようなこと(スクラップ・アンド・ピルド)を要求する。各省縦割りで
 しか査
定しないからである。

  また、定員を大幅に増やすのもむずかしい。一人増やすだけでも膨大な資料を要求される
 仮に局と課をいくつか作る、あるいは、それと併せて課長補佐、係長、専門職などを置くと
 いう要求が認められても、さらに、人事院にお伺いを立てて、その局長は重要な局長か、課
 長は重要な課長か、補佐は何級か等々、さらに細かい査定を受けなければならない。そして、
 給料全体は主計局の給与共済諌がしっかり査定をしているという具合だ。

  しかも、その後に一番重要な人事は各省がそれぞれ勝手に行う。これで、その時々の行政
 ニーズに即応した組織体制を形成し、しかも適材適所で有能な人材が配置できると考える人
 はいないだろう。
  この点は、民h党も強く批判していて、特に「3M」と呼ばれた松本国明、松井孝治、馬
 淵澄夫各氏は国会でもこの問題を取り上げていた。
  特におもしろい指摘は、馬淵氏が強調していたが、組織や定員を査定する総務省行政管理
 局の総括担当管理官(査定の取りまとめを行う筆頭管理職)と、各ポストの重要性を判断し
 て格付けを行う人事院の給与第二課長が、財務省出向者の指定席になっている事実である。

  馬淵氏は、これに主計局の給与共済課を併せれば、政府の組織・給与を財務省が完全に支
 していると指摘し、強く批判したのだ。これはなるほどもっともだ、と事務局員も納得し
 ていた。
  ところが、これらの機能を一つにして内閣人事局に集めようという至極まっとうな考えが
 すんなり通るほど、霞が関は甘くない。
  当初、事務局幹部は、そういう大きな改正は無理だといって、とりあえず、総務省の人事・
 恩給局の一部(人事院勧告に基づいて給与法の改正案を作ることなどを行う部局)を移管す
 るだけにしようと画策した。私か、行政管理局や人事院の機能も移管すべき、としつこくい
 うと、「君は素人だからそんなこというけどねぇ、無理なんだよ。できるはずないんだよ」
 と抵抗する。しかし、私がいうことは.E論なので、面と向かって完全に否定はできない。
 われわれのチームは関連する機能をすべて移管する前提で法案策定作業を進めた。

  総務省はもちろん徹底抗戦だった。当時の鳩山邦夫総務大臣を使って、組織・定員の査定
 機能移管はダメだというのだ。ところが、マスコミの批判もあって、途中から路線転換を試
 みる。それは、組織・定員の査定機能だけでなく、たとえば、行政改革全般や行政の情報化
 の推進のような業務を担当する部局まで一緒に内閣人事局に移管するという案だ。実は、こ
 の案は当初から改革推進本部嘔務局にいた、部の守旧派グループが密かに温めていた案であ
 る。
 
  これは何を意味するか――。

  総務省は、旧自治省、旧郵政省、旧総務庁が統合されてできた役所だ。統合によって次官
 ポストは一つになった。その後、旧三省庁で順番に次官を出していたが、旧自治省の力が圧
 倒的に強く、旧総務庁はもっとも力が弱かった。2007年に退官した旧総務庁出身の次官
 が同庁出身・最後の次官になるだろうといわれている。そこでこの旧総務庁グループが焼け
 太り大作戦を企んだというのだ。
  つまり、行政管理局を人事・恩給局と一緒に内閣人事局に移管して、そのなかの最大勢力
 となる。そこで主要ポストを握って、霞か関の人事・組織のクピ根っこを押さえる。すなわ
 ち、旧三省
庁のうちの最弱部隊が、政府中枢の最重要部局を乗っ取るということだ。

  鳩山大臣はこの方針転換にもつき合わされて、甘利大臣と最後まで戦う。一時は他の事務
 局
幹部が私の知らないところでこの案を呑む約束をしてしまい、内閣人事局の名称を「内閣
 人
事・行政管理局」という名前にする案まで自民党に提示され、ほとんど決着寸前まで行っ
 た
が、幸い民主党や公明党、自民党の改革派か大反対してくれて、これは頓挫した。
  鳩山大臣もお人よしだ。こんな陰謀につき合わされて、まことにお気の毒だと思った。


                    公務員の「守護神」人事院 vs. 甘利大臣

  もう一つ、忘れられない戦いかあった。
  2009年1月30日に開催予定だった国家公務員制度改革推進本部の会議が流れた。同
 本
部は総理を本部長とし、各省大臣が出席して公務員制度改革について議論して政策を決定
 する
機関だ。この会議に谷公士人事院総裁が呼ばれた。しかし、谷総裁は、この会議をボイ
 コット
したのだ。

  話は2008年夏以降繰り広げられた人事院の機能を内閣人事局に移管すべきかどうかと
 い
う論争に遡る。先述した通り、当初から人事院は聖域だというのが事務局幹部の固定観念
 だっ
た。公務員にはスト権などのいわゆる労働基本権が与えられておらず、とても「弱い」
 立場に置かれてかわいそうなので、それを補う目的で「中立的な」第三者として、公務員の
 処遇などを決める機関が必要だということで人事院が置かれている。

  ところが、この人事院というのが不可思議な組織で、総裁は元官僚(当時は元郵政省事務
 次官が渡りの末就任していた,現在は元厚生労働省事務次官)で、事務局は上から下まで全
 部国家公務員だ。つまり、第三者といいながら、実は公務員が公務員の給料などの待遇を決
 めているのである。よく、公務員の待遇は一般民間企業に比べて良すぎるのではないかとい
 う批判があるか、それは当たり前である。自分で自分の給料を決めているのだから

  しかも、このようなお手盛りの仕組みが、長年の悪しき慣行によって、ほとんど憲法上の
 要請であるかのごとく聖域に祭りヒげられてしまっていた。特に「五五年体制」での自民党
 と社会党の裏談合時代の名残もあり、その仕組みを自民党は、過去に認めてしまっていたの
 である。その後何回か、その仕組みの変革に挑戦する動きはあったが、結局、何十年もの間
 敗れ続けていたのである。

  あるとき、自民党の行政改革推進本部の幹部会があったが、その席上で世の中では改革派
 で通っている石原伸晃議員ですら、「人事院からの機能移管なんて絶対にできるはずがない
 よ。僕だってやろうとしたけどできなかったんだよ」と半ば諦め顔で忠告してくれた。私は、
 「それなら、なおさらやらなければ」と、決意を新たにした。

  実はあまり知られていないが、人事院が強く反発したのにはもう一つ裏の理由がある。そ
 れは、彼らの天下り利権の確保である。人事院は直接、民間企業や団体を所管していないし、
 補助金や規制の権限も持っていない。従って、普通に考えれば、天下りを民間団体などに押
 しつけることはできないはずだ。しかし、実際には毎年ちゃんと幹部は天下りしている。そ
 のほとんどは、各省庁の所管団体だ。

  先ほど述べた通り、各省は、局長や課長、課長補佐などのポストの重要度を人事院に説明
 して、その格付けを決めてもらわなければならない。当然のことながら、なるべく格付けを
 上げて、より高い給料のポストにしたい。各ポストの重要度は本来、各省庁の経営管理事項
 だが、わが国では労働問題だとして、人事院が労働組合の意向を汲んで決めるのである。

  民間企業では、課長ポストの重要度の位置づけは経営者が決めることであって、労働組合
 と交渉して決めるなどということは考えられない。しかし、公務員の世界では、こういうお
 かしな仕組みがまかり通っている。
  このように、各省庁に対して強力な査定権限を持っているので、人事院から天下り先を要
 求された省庁は簡単には断れない。省庁側としても、ただで要求を呑むわけではない。当然、
 見返りとして、査定で夢心を加えてもらおうという魂胆だ。いわば、官と官の贈収賄みたい
 なものである。

  さて、自民党内でも厭戦気分が強かったにもかかわらず、甘刊大臣は、この悪しき慣行に
 終止符を打つべく、人事院の査定権限を内閣人灘局に移管しようとした。人賀院の幹部が天
 下りできなくなるのだから、たいへんな騒ぎになり、ついには、冒頭に述べた、谷総裁の内
 閣の会議ポイコットヘと展開していくのである。

  われわれは、マスコミに丁寧に訴えた。いかに人事院の抵抗が理不尽なものか。その甲斐
 あって、中立公正な第三者機関であるはずの人事院に対するイメージは地に落ち、公務員の
 利権擁護機関だという認識か急速に広かった。
  これが、官僚、特に一部の官邸官僚の思惑を打ち砕く。彼らは人事院の谷総銭と結託して、
 麻生総理を公務員の守護神にしようと奎んでいたらしい。甘利大臣ががんぱっても、最後は
 総理のところで急進的な改革を潰そうとしていたというから驚きだ。
  しかし、麻生政権はすでに末期症状を呈していた。人事院側に肩入れして、少しでも支持
 率が下がったらもう致命的だという理由で、結局、官邸官僚の抵抗もそこまでとなり、人事
 院からの権限移管の案か固まることになった。

  私は、この話が決着した後、「谷総裁にはお気の毒なことをしたなあ」と事務局の若手と
 話していたのだが、「そんなことないんじやないですか」との答え。皮肉なことに、甘利大
 臣との大乱闘を演じた谷総裁の霞が開での評判はウナギ上りで、官僚仲間のあいだで英雄と
 なってしまったというのだ。出身省の旧郵政官僚幹部(現・総務省の一部)は、「立派な先
  輩を持って鼻が高い」といっていたというから、霞が関がいかに世の中と遊離しているのか
 がよく分かる。普通なら「恥ずかしくて外を歩けない」と思っても良さそうなものだが。


全国の若者達がろくに職に就けない、就けても諸経費扱いの劣悪な非正規社員扱いの職場で働
かなけ
ればならない実態に目を瞑り既得権益の「目的なき」拡大を繰り返す国家官僚と既得権
守旧派の職
業政治委員達に付ける薬はない。さて、次回は「官僚の二枚舌」に焦点が当てられ
る。

                                                     この項つづく 

   ● 今夜の一輪

裏庭一面に咲き誇るカモミール坊主?!

  Farewell to Spring

同上で咲き始めた、色待宵草=ゴデチア、母の形見でもある。

 

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新風!豆腐クリーム

2015年05月29日 | 新弥生時代

 

 


    継続は力なり  /  鮎川義介著『物の見方考え方』


     ※ "Continuity is the father of success"  Oxford University Press,1992

 

 

● ペロブスカイト光ダイオード登場!

桐蔭横浜大学大学院工学研究科の宮坂力教授らが「ペロブスカイト」結晶構造つ化合物で、光を
大電流に変換する光ダイオードの開発に成功する(2015.05.22 日刊工業新聞)。光検出感度は
1ワット当たり620アンぺアで、弱い光を大電流にする力は一般の光ダイオード比で2400
倍。材料は安価でペンキのように塗って大面積の光ダイオードを作れる特徴がある。

 

A Switchable High-Sensitivity Photodetecting and Photovoltaic Device with Perovskite Absorber

光ダイオードは光エネルギーを電子信号に変える半導体素子。一般にシリコンで作られ、一つの
光子を一つの電子に変える。一方、開発したペロブスカイト光ダイオードは外部から0.5~0.9
ボルトの低電圧をかけると入射した光子が素子内で2400倍の電子に増幅される。 

宮坂教授は、
増幅メカニズムは解明されていないが、ペロブスカイトが持つ分極する特性が影響
していると推察。電子を増幅する光ダイオードは、電子の雪崩現象を起こすアバランシェ光ダイ
オードが実用化済みだが、増幅率は5千~6千倍とペロブスカイトより大きいが、駆動には数10
ボルトの高電圧を必要として、製造に高真空状態を要し、材料にシリコンやガリウムヒ素の高品
質な結晶を使うため高価である。

これに対して、ペロブスカイトは1平方メートル当たり200円程度で材料費は百分の1以下で
済む。宮坂教授は2009年にペロブスカイトを使った太陽電池を開発。今回は太陽電池として
の発電性能を評価する過程で、ペロブスカイトに外部から低電圧をかけ、光を照射すると大電流
が流れることを発見。それを踏まえ、素子内で電子を受け取る緻密な酸化チタン層に細かいバイ
パス構造を作り、光照射で大電流が流れる光ダイオードを開発する。当に、継続は力なり。
 

 

● タイで日式新幹線導入で合意

27日、都内で日本・タイ両政府が会談し、タイがバンコク―チェンマイ間で計画している高速
鉄道に日本の新幹線を導入することで合意し、覚書を交わした。海外での新幹線の採用は台湾に
次いで2件目。過去に両国が個別に実施した調査では事業費1兆円強と試算している。今後は両
国合同で行うFS(事業化調査)で事業費を精査するほか、資金面の手当てなども協議する。バ
ンコク―チェンマイ間は現在、在来線が走っている。総延長距離は約750キロメートル、新幹
線の整備では可能な限り直線に近い路線で建設するので660キロ―670キロメートル程度と
想定。同路線の高速鉄道整備について日本企業では、JR東日本、三井物産、日立製作所、三菱
重工業が企業連合を組んで検討しているという(上図)。

 

Thailand-Japan rail project gets cabinet green light | Bangkok Post: business

    

【日本の政治史論 19:政体と中枢】
 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
  

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』   

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生      
                                                                        
                       
                 係長が総理の気持ちで作った国家戦略スタッフ

  事務局や官邸、さらに与党のなかで、政策・論で大きな抵抗かあったテーマの一つに国家
 戦略スタッフ・政務スタッフの創設がある。国家戦略スタッフとは、簡単にいえば、総理が
 直接任命する自分の頭脳、手足の一部のように働くスタッフであり、いわぱ総理の分身であ
 る。

  政治主導、総理主導を実現するといっても、実際は官僚を動かさなければならない。とこ
 ろが、官邸の官僚は財務省を中心各省からの出向者の集まりであり、真に総理の意のまま
 に動く集団にはなっていない。基本的には出身の各省の意向に添いながら、官僚の利権を守
 ろうとする力が働く。これまで政治主導が実現しなかった原因の1つが、この官僚に支配さ
 れた官邸の存在なのだ。 

  そこで、これを打破るために、総理を直接補佐し、その頭脳となって政策立案を行い、手
 
足となって官僚を動かすスタッフか一定数、必要となる。そのために、渡辺大臣は、基本法
 
に、国家戦略スタッフを創設すると書き、そのための法律的な措置を三年以内にすることと、
 
スケジュールもはっきり書いた。政務スタッフも、各省の官房が大臣との関係で同じような
 問
題を抱えているので、国家戦略スタッフの各省版として創設しようというものだ。

  しかし、これは官僚から見ると極めて危険な仕組みだ。これまで官邸官僚が仕切って、事
 
上、総理までコントロールしていたのに、補佐役とはいえ、総理が官僚のいうことを聞か
 ない
集団を勝手に連れてくるなどということは、自分たちの支配権を脅かすとんでもない
 だと
感じたはずだ。

  役人は二年以内といわれると、やりたくないものは三年ギリギリまでやらない。先に延ば
 し
ておいて、様々な妨害・策略を行い、三年以内にこの決定を覆そうとするのである。
  私が事務局に着任した直後に行われた会議でも、あからさまに国家戦略スタッフ創設先送
 り
論が幹部から唱えられた。曰く、「国家戦略スタッフなどというものは時の総理がどう考
 える
かということに大きく依存する、極めて政治的な問題である。われわれ官僚ごときがそ
 の素案
を練るなどということは官の立場を超えた越権行為である。政治主導の考え方に対す
 る不遜な
挑戦といわれかねない」………

  しかし、私は真っ向から反対した。「政治主導を実現するためには、総理の力を強くしな
 けれぱならなりこれを後回しにするのは逆にサボタージュといわれる。少なくとも案だけは
 用意して、いつでも出せるようにしておくべきだ」と。
  準備だけはしようといわれると、準備もいけないとはいいにくい。
  ただ、国家戦略スタッフを置くといっても、その権限が何か、総理補佐官との関係はどう
 か、政治家も入れるのか、官僚はどうか、人数はどれくらいか、どのくらいの恪の人たちを
 想定するのか、給与や待遇はどうするのか、といったことはすべて白紙だった。手がかりが
 ほとんどない状態で新しいものを創造するというのは役人がもっとも苦手とするところだ。

  私は、厚生労働省から来た係長クラスの若手官僚を担当にした。彼は、「こんなこと役人
 が考えていいんすかねえ。麻生総理はどう考えてるんすかねえ」といいなから頭を悩ませて
 いた。われわれか出した結論は、時の総理が自分なりに官邸の動かし方を考えて、それにふ
 さわしい自前のスタッフを好きなように配置できるようにしよう、というものだ。

  人数は政令で決めれば良い。政治家でも民間人でも官僚でも良い。総理が一本釣りで連れ
 てくる。給与は課長クラスから政治家並みまで幅広く設定しブ誰でも連れてこられるように
 しておく。権限も、総理の命令であれば、事実上なんでもできることにした。
  こうしておけば、総理は、まず就任と同時に自分のスタヅフをどう揃えるのかということ
 を聞かれるので、制度かあって自由に任命できるのに、これから考えますというのでは恥ず
 かしいから、総理になる前から自分のチームを準備するだろう。また、自分がやりたいこと
 とスタッフの顔ぶれについて説明を求められるだろう。

  何をやりたいか分からない総理、自前のスタッフがいないから官僚に頼り切ってしまう総
 理、成果を出せないことを官僚のサボタージュのせいにする総理、われわれかこれまで見て
 きたこういうだらしのない総理は出づらくなるのではないか、そんな気持ちだった。

  しかし、案ができても、その後がたいへんだった。なぜなら、時の麻生太郎総理はまった
 く関心がないように見えたからだ。普通なら、官僚ではなく政治家が考えればいいのだか、
 総理周辺にも自民党の行革本部にも、積極的に考える姿勢は見られない。同本部に私が案を
 提示すると、スタッフというカタカナは良くないという一点では一致を見たものの、内容に
 ついては、人によって意見はパラバラだった。結局、私が、どんなやり方もできるようにし
 てありますというと、本気で反対する議員はいなかった。

  気の毒だったのは、甘利明公務員制度改革担当大臣だ。本来は麻生総理に意見を聞いて決
 めればいいのだか、当の本人は関心を示さない。かといって、担当大臣が勝手に決めるわけ
 にはいかない。しかし、われわれの上司は甘利大臣だから、私は、「甘利大臣、どうします
 か?決めてください」と何回も迫る。「俺が決めなきやいけないの?」と恨み節も出た。結
 局、係長の案をもとに作ったわれわれの案がそのまま法案に入ってしまった。

  当の係長氏、嬉しそうな顔をしながらも、複雑な気持ちを吐露した。「古賀さん、本当に
 いいんすか?このまま国会に出もやいますよ。僕なんかが作ったやつでいいんすか? この
 まま国会に出ちゃいますよ。僕なんかが作ったやつでいいんですか?」
 


                       原発事故対応も変えたはずの法案

  この法案か通っていれば、民社党政権の総理、閣僚が、自前のスタッフを多数揃えて真の
 政治主導を行う姿が見られたかもしれない
  というのも、序章に記したように、2011年.こ幻の原発事故対応もまったく違ったも
 のになっていたのではないかと思うからだ。

  たとえば、その青写真はこうだ。官邸には、菅総理就任時に、政治家数名、現役・OBの
 官僚10名、学者や会社経営経験者10数名からなる国家戦略スタッフが配置された。いず
 れも総理か全幅の信頼を置くメンバーだ。

  事故発生と同時に総理の指示で、馬淵澄夫国家戦略スタッフをヘッドとする現地緊急対応
 チームが、通信確保と現場の状況確認のためにヘリで現地へ急行。そのなかには、国家戦略
 スタッフの経産省官僚OBや、事故と同時に助っ人として呼ばれたGEの元技術者、自衛隊
 OBなどかいる。原子力安全・保安院からも適切な人材がチームに送り込まれている。

  現地で基地局が開設されると、刻々と情報が入ってくる。総理はテレビ会議で原発所長か
 ら話を聞く。原子力安全・保安院経由で上がってきた情報と食い違いかあるので確認すると、
 東電情報の一部が落とされていたり、誤った解釈がなされていたりしたことが判明した。そ
 こで東電に派遣していた別の国家戦略スタッフに指示して、情報ルートの整備を行わせる。

  とりあえず収集した情報を、官邸に残ったスタッフか整理し、官邸官僚と関係閣僚会議を
 備する。閣僚と各省幹部が集まって.一回目の会議を開催。そこでは最新の情報を共有し、
 基本方針と政府の対応について議論す今ベントと海水注入を緊急に決定すると、保安院長は
 その場で保安院に指示を出し原子炉等規制法に基づく命令を来電に伝達する。

  総理は会議で、「情報はすべて共有しよう。意見は何でもいってくれ。決定は私か行う。
 責任はすべて私が負うので、安心して全力でこの難局に立ち向かってくれ」と毎月。各省の
 官僚はどんどん対応策を作って、大臣が官邸の判断を仰ぐ。このサイクルで、迅速かつ果敢
 な行動が実現する、という具合だ。

  もちろんこれは、国家戦略スタッフの使い方の.例に過ぎない。もっと長期的な課題に国
 家戦略スタッフを使う総理もいるだろうし、日常的にアドバイスを求めるという使い方もあ
 るだろう。いずれにしても、国家戦略スタッフと総理の間の信頼関係はきわめて重要である。
 国家戦略スタッフは孤立して働くのではなく、総理が官僚を動かすための手足となる必要が
 あるのだ。
 

官邸内の裏話をこのように見ていくと、政権交代がなく、自民党政権が続き2013年3月11
日の原発事故を迎えていたらどのようになっていただろうか? そら恐ろしい疑問が湧いてくる
ことを押さえることができない。さて、話は鳩山政権の裏事情を知ることになる・・・・・・。

                                                                    この項つづく

 

   「豆乳世界初クリーム」が和食革命を起こす!?!

● 新風!豆腐クリーム

3月18日には「あさチャン!」(TBS系)で「豆腐クリーム」が取り上げられていたというが今
月26日のあさイチ(NHK) で取り上げられていたのみて初めて知る。「豆乳クリーム」は2013年
に不二製油が開発しているからこの流れにあるのだろうが、今年に入ってから豆腐クリームのレ
シピ本が相継いで発売され、クックパッドには豆腐クリームを使ったレシピが千件以上投稿され
ているとか。生クリームやバターの代わりに使うことで、カロリーを抑えた料理が簡単に作れ、
高タンパク、大豆イソフラボンも摂取できることから人気を博している。

1.材料(作りやすい分量)

・木綿豆腐      1/2丁(150グラム) 
・白みそ       大さじ1/2
・牛乳        20ミリリットル
・塩         小さじ1/4
・ニンニク(ゆでる) 1片

2.作り方

① 木綿豆腐を耐熱ボウルに入れ、ラップをかけて、電子レンジ(500W)で2分間加熱。電子レ
  ンジで加熱することで簡単に水分がとばせて、豆腐のにおいも和らぐ。
② 
加熱した豆腐をキッチンペーパーを敷いたザルに入れ、10分ほどおいて粗熱をとる。
③ 
ボウルに入れ、白みそ(大さじ1/2)、牛乳(20ml)、塩(小さじ1/4)、ゆでたニンニク
  (1片)を加える。
ゆでたニンニクを加えることで、豆腐臭さを消すことができ、おいしく
  なる。
④ ハンドブレンダーやフォードプロセッサーに入れて、2~3分間撹拌し、しっとりした状態に
  なれば完成。

抹茶を加えて抹茶豆腐クリームパスタや豆腐クリームカルボナーラ――この豆腐クリームを卵に混
ぜれば、簡単にカルボナーラーもできる。生クリームを使ったカルボナーラーと比べると、カロリーも25
オフできる。ホワイトソース作りが面倒なグラタンも、豆腐クリームを使えば失敗知らずで、カロリーも34
%オフとなる。また豆腐クリームにアンチョビを加えると、バーニャカウダー風に。お酢とマヨ
ネーズを加えると、マヨネーズ風になり、市販のマヨネーズと比べるとカロリーも80%オフに
なる――
などのイタリアン、レアーチーズなど牛乳などのラクト類を使用するから完全なオーガ
ニック食品ではないが、牛肉一辺倒な食事を是正できるから面白し、納豆チーズ、納豆バターと
大豆革命旋風はおさまりそうもない。


 

       

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再エネ百パーセント時代

2015年05月28日 | 新弥生時代

 

 


    自ら足れりとし、自らよしと するのは、夜郎自大というて、
         最も固陋(ころう)、最も鄙吝(ひりん)な態度なのじゃ。
                                
                              南国回天記

 

 

 

 

 



【再生可能エネルギー百パーセント時代 Ⅰ】


● エタノールから電力変換できる触媒ができたって?

バイオエタノール燃料をディーゼルエンジンなどの内燃機関で燃焼させて電力を得るためには、
数百度の高温で空気と燃料を反応させ、窒素酸化物や一酸化炭素など有害
排気ガスが発生する。
クリーンなエネルギーをえるには、エタノールを用いたポリマー電解質膜燃料電池の研究が進め
られてきた。これは、
水素やメタノール、エタノールなどの燃料分子を電気化学的に酸化し、化

学エネルギーを電力の形で取り出すことで、酸化分解すると無害な水や二酸化炭素に変わるため
有害な排気ガスが発生しない。

エタノール型の燃料電池Cの開発がなかなか進まなかった要因の1つに エタノールが持つ「炭素
ー炭素結合」を効率よく切断できる触媒がなかった(上図/上)。今回、物質・材料研究機構の
阿部英樹らの研究グループは、常温常圧でエタノール燃料から効率よく電力を取り出せる触媒の
開発に成功する。発見した新たな触媒は、タンタル(Ta)と白金(Pt)で作るTaPt3合金ナノ粒子
で、常温・常圧でエタノール分子の炭素ー炭素結合を切断して電力を取り出すことに成功(上図
/中)。 このTaPt3ナノ粒子を触媒として使用し、常温常圧の水溶液中のエタノール燃料の酸化
実験を行い、高いエタノール酸化電流密度を実現(上図/左下)。また、TaPt3ナノ粒子を組み込
んだ燃料電池は、従来触媒のよりも高い出力密度を実現できたという(上図/右下)。

今後の解題は、まず、TaPt3ナノ粒子の合成収量向上――現時点の合成収量は数10ミリグラムだが、
これをPEMFC1スタックに必要な数グラムレベルに引き上げる――をめだすとのこと。それにして
もどう言うことだ、10数年前の事業開発としてバイオエタノールに焦点を当て調査した頃を考え
ると、そのころの事業絞り込み調査の全てが順調に進展しているではないか。これは驚きだ。

ところで、タンタルとの関わりを考えていたら、写真製版適用技術の1つのプロセスであるレジス
トの架橋剤のクロム酸廃液のリサイクルの減圧濃縮装置にチタン+ステンレスの蒸発缶に使ったこ
とを思い出した。いまもあるかどうか分からないが昭和鉛鉄という会社に発注した記憶がある(※
2004年に株式会社SPFに社名変更している)。

  タンタルとは何か

    

【日本の政治史論 18:政体と中枢】
 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
  

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』   

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生 

                                                                             
                       中曽根元総理の「これは革命だよ」

  さて、その後、安倍政隆は渡辺大臣の奮闘の成果である国家公務員法改正を成し遂げたも
 のの、民主党の消えた年金攻撃の前に支持率が低下、参議院議員選挙に惨敗し、最後は安倍
 総理の体調不良も重なって、2007年8月17日に退陣に追い込まれる。
  その後を継いだ福田康夫総理は奇をてらう政策を嫌うオーソドックスな自民党の政治家で
 ある。われわれ改革漱は、公務員制度改革は大きく後退するだろうと予想した。案の定、福
 田総理は公務昌制度改革についてはほとんど熱意を示さないばかりか、むしろ官僚の側につ
 いて渡辺大臣の改革案の実現に抵抗したようである。

  安倍内閣のときに「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(有識者懇談会)という
 総理の諮問機関ができていた。有識者懇談会には堺屋太一、尾山太郎、佐々木毅といった改
 革に熱心な論者が参加。堺犀氏が官僚を排除し、その後の公務員制度改革の基本構想を報告
 書としてまとめ上げた。後の『国家公務員制度改革基本法」のベースになるものだ。




  官僚から見ると驚天動地の内容を含んだ究極の改革案に対して、おそらく官邸官僚にその
 危険性を吹き込まれたのだろう福田総理は、その報告書の案を渡辺大臣に示されたときに受
 け取りを拒否したほどだったという。最後にはこの報告書を受け取るのだが、そのときも、
 「日本は政治家が弱いんですよ。こういう国では官僚は強くなければいけないんですね」と
 いう迷言を残したそうだ(この間の経緯は渡辺喜美氏の著書『絶対の決断』に詳しい)。

  この間、官邸の官僚はもちろん全省庁の官僚か敵に回ったのは当然としても、政府内でも
 官房長官などが官僚側に立って、渡辺大臣の改革の足を引つ張ったという。自民党の行政改
 革推進本部も同様だった。つまり、政府与党が官僚と.体となって渡辺人臣の改革をつぶし
 にかかったのだ。
  詳しいことは後に述べるが、国家公務員制度改革基本法は、抜本的な公務員制度改革の哲
 学を示すとともに、「国家戦略スタッフの創設」「内閣人事局の創設」「キャリア制度の廃
 止」「官民人材交流の促進」などを柱とし、実際に改心すべき項目そしてスケジュールを網
 羅的に盛り込んだものだ。

  公務員制度改革の歴史のなかで、ここまで踏み込んだ改革の議論がなされたことはない。
 中首根康弘元総理か「これは革命だよ」といったそうだが、霞が関の旨抗は並大抵でなく、
 福田政権で孤軍奮闘、公務員制度改革を推進する渡辺喜美大臣の周囲には悲壮感さえ漂って
 何度も頓挫しそうになりながらも、渡辺大臣の情熱と原袖佐官らの緻密なサポート、マスコ
  ミを巻き込む作戦が功を奏して、国家公務員制度改革基本法は、なんとか成立にこぎつける。
   2008年6月6日、この法律が衆議院内閣委員会で可決された後のインタビューで、渡
 辺大臣が涙をこぼしたのを見ても、この法律の誕生がいかに難産であったか、想像がつこう
 というものである。

                                   渡辺大臣と仙谷大臣の違い

  国家公務員制度改革基本法の成立は、堅く閉ざされた伏魔殿の扉をようやくこじ開け、こ
 れから続くであろう茨の道の出発点にやっと立てたという段階に過ぎない。大きな一歩では
 あつたが、本当の.正念場がやってくるのは成立後だった。そして、その茨の道を、私が一
 人で歩くことになるとは夢にも思っていなかった。

  基本法では、総理をトップとする閣僚クラスで構成される国家公務員制度改革推進本部を
 設置し、そこに顧同会議という外部有識者の会議を設けて具体化への検討を始めることにな
 っていた。また改や進本部には参務局を設け、その作業をサポートする体制となっていた。
 この顧問会議と事務局がいねば実行部隊である、ここが今度は霞が関との激しい攻防の場と
 なる。

  基本法に則った改革が成功するか否か、その一つの鍵を握っているのは、改革推進本部事
 務局のメンバー選定だった。普通、事務局は各省から出向した官僚で構成する。しかし、事
 が公務員制度改革ゆえ、官僚中心の事務局であれば、改革は骨抜きにされかねない。
  それが痛いほど分かっている渡辺大臣は、民間出身者を数多く起用するなど、民間の活力
 を入れた。しかし、霞が関のこするいやり方を知らない民間出身者かいくら束になってかか
 っても、官僚スタッフにうまくやられる恐れが強かった

  そこで渡辺大臣が事務局幹部の一入として強力に推薦したのが私だった。当時、急進的な
 改革派とのレッテルを貼られている私の抜擢には、官邸や財務省に根強い拒絶感があったと
 聞いている。
  渡辺大臣に当時間いた話では、福田総理も私の登用に難色を示したという。私は耳を疑っ
 た。私は福田総理とは一度も会ったことかなかった。二橋正弘官房副長官か反対していると
 も聞いたが、ニ橋氏とも面識はなかった。つまり、二橋氏以外の官邸宮原が私の採用を阻止
 しようとしたのだ。後に仙谷行政刷新担当大臣が私を登用しようとして断念したのと酷似し
 た状況である。 



  にもかかわらず、私の起用が決まったのは、渡辺大臣の熱意が勝つたからだ。官僚の差し
 金を跳ね返しての強攻策である。後に述べる通り、仙谷行政刷新担当大臣は当初、私を登用
 しようとしたが、霞が閲の反対に遭うと、あっさりと方針を転換したという。ここが仙谷大
 臣と渡辺大臣の力の差である。覚悟の違いといってもいいだろう。
  改革を成し遂げる人と妥協で道を誤る人。両方を私は目の前で見たことになる。貴重な体
 験だ。

                          卑劣な手段に出た元総務次官

  かくして私は、2008年7月に発足した国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官に
 就任した。しかし、その出だしか、実は私の官僚人生暗転の始まりだとは、夢想だにしてい
 なかった。
  官邸でのすったもんだがあったため他の幹部はすでに着任しており、私だけ遅れて7月こ
 8日に着任した。事務局内の管理職で改革派とはっきり分かっていたのは、原英史、石川和
 男(元経済産業省)、機谷俊夫(元オリックス球団代表)、菅原品子(経済同友会部長)各
 氏(いずれも企画官)と、その他.部の民間人と数名の若予言愕くらいである。後はほとん
 どが守旧派または事なかれ派だとすぐに分かった。五分話せば分かるほどはっきりしていた
 といっていい。各省か既得権確保のために送り込んだ、いわば精鋭部隊だ。

  もちろん若手には、他にも改革の気概に燃えている者がいたかもしれないし、議論してい
 けば改革の意味を理解してくれる人もいただろう。しかし、守旧派のオルグも徹底していた。
  い
ずれにしても少数派に甘んじるしかない。それでも、渡辺大臣のりIダーシップのもとで
 少数派か主導権を鯉る、それが私の作戦だった。
  ところが、である。それから数日も経たない8月1日、福田政権の内閣改造によって渡辺
 大臣は退任させられてしまうのだ………

  守旧派の防波堤の役割を果たしてくれるはずの渡辺大臣の退任が決まって、払は途方に暮
 れた。当時の気分を振り返れば、無人島に島流しにされたような、といえばいいか。気を取
 り直して改革派を中心にして一から議論を始めたものの、すぐさま官邸内の守旧派官僚の激
 しい抵抗に晒された。

  しかも、政策論争ではない。霞が関の上層部がこぞって敵に回り、事務局内でも、改革派
 官僚の旗頭と見られていた私へのゆえなき誹謗中傷が始まったのだ。
 「古賀の主張は全部、経産省の陰謀だ。古賀は一部の官僚に特権を与える仕組みを作ろうと
 策している」との趣旨の資料がカラーコピーされ、マスコミや労働組合だけでなく、驚い
 たことに民間から出向していた事務局員にまでばら撒かれたのだ。

  加えて、そんな卑劣な手段に出たのが事務局次長の一人(元総務省次官)と知って、私は
 一層、暗澹たる気分に陥った.
  それでも政治か公務同制度改革に積極的ならば救いもあったが、政権与党の自民党の多数
 派は霞か関寄りでやる気が感じられない。もちろん、自民党のなかには、中川秀直、塩崎恭
 久、河野太郎、柴山昌彦、菅原一秀、衛藤晟一、山本一太、世耕弘成、丸川洙代、平将明、
 そして、前大臣の渡辺喜美各議員といった熟心な先生方がいたものの、あくまで少数派でし
 かなか
った。

 
 当時、われわれ改革派を援護してくれたのは、皮肉にも野党だった民主党である。民主党
 の行政改革調査会の幹部は改革に熱心な議員が多く、なかでも「3M」と称されていた松本
 則明(行革調査会長)、松井孝治{同会事務局長)、馬淵澄夫(同会天下り・談合拒絶担当
 主査)の三氏による事務局守旧派の暗躍への糾弾で、少数漱だったわれわれが劣勢を跳ね返
 した時期もあった。

  だが、民主党の支持母体の一つでもある労働組合が真っ向から改革に異を唱え始める
 行政改革調査会の幹部たちの声もトーンダウンしていく。


                             福田総理退陣の直後に


  政府内では誰もやりたくない改歌を成し遂げるにはどうしたら良いか。世論を喚起するし
 かない。これが私の考えだった。国民の支持、これが究極の支えである。
  世論喚起の殼大の推進力が顧問会議だった。福田総理は当初、顧問会議について、官僚推
 薦を中心とする穏健な人選を進めていたという。渡辺大臣の後任の茂木敏充大臣もそのライ
 ンに乗りかかったが、渡辺大臣か、もし、いい加減な人選をするなら外から徹底攻撃するぞ
 と脅しをかけてくれたそうだ。その結果、堺屋太一、屋山太郎という改革急先鋒がメンパー
 に入ることになる。この他、佐々木毅学習院人教授、桜井正光経済同友会代表幹事が、その
 後の改革の推進役になっていく。

  守旧派は当然のことながら、この顧問会議に陽が出「たることは避けたい。発信力のある
 メンバーに正論を見張されると、世論がそれになびく恐れが強い。なるべくその開催回数は
 少なくしたいし、会議の内容もできれば隠したい。
  そういう思惑で、第一回顧問会議は、高田総埋か退陣表明した2008年9月1日直後の
  9月5日に行われた。福田総理の第回の会議での挨拶は、「私がその最初をこうやってお目
  にかかって、おしまいになってしまうということは非常に残念でございまして申し訳なく思
 いますけれども」という何とも気の毒なものになってしまった。要するに「こんにちは、さ
 ようなら」とだけいわせたのだ。

  内閣の力が一番落らているときを狙って、役所主導で進めようという魂胆が見え見えだ.
 こんな会議をよくも強行したものだ。さらに驚いたことに、第二回は福田内閣総辞職の前日
 の9月23日に行った。明日なくなる内閣の大臣ではやる気もないだろう、ということだ。
  しかも、第一回の会議はわざとインターネット中継なしで行う。顧問会議から中継せよと
 いわれると、分かりました、といって第二回は中継するというが、当日になると手違いで中
 継できません、という。結局、中継は第三回からになった。

  顧問会議か公開になると、今度はその下にできたワーキンググループを非公開にしようと
 する、第.回は勝手に非公開にしたが、これもメンバーから異論か出て公開になった。
  極めつきは、ワーキンググループのコントロールに失敗すると、ついに役人だけの検討会
 議なるものを作ったこと。役人だけだからメンバーは誰も公開しろなどとはいわない。内密
 に検討が進むことになった。すべてがこんな具合だ。

  ちなみに、2010年に話題になった天下りの代わりに現役のまま独立行政法人や政府系
 機関、民間企業に高齢職員を出向・派遣しても良いことにする案や、窓際の高給スタヅフ職
 の創設などは、官僚だけで行うこの検討会で当時から密かに練られた案だった。しかも、実
 はそのような検討を勝手にするのはけしからん、といって顧問会議に検討を止められていた
 にもかかわらず、それを無詞して官僚の独断で進められた極秘作戦だつたのだ。

  ここから分かる通り、公務員制度改革は、密室で官僚に案を作らせては決していけないの
 だ。基本法とその政令ではっきり決めた通り、顧問会議という公開の場で、国民にすべての
 議論を公開しながら進めなければならない。公開を没入が嫌がるということは、逆にいえば
 公開することか効果的だということだ。

  政隆交代後、民主党は公務員制度改革の案を作ったが、労働基本権の問題を除けば、まさ
 に、密室で官僚が作った案をベースに話が進んだ。なぜ顧問会議を無視するのか。政令で設
 置が決まっているのに、これを無視した。公開の場でやれば、組合に都合の悪い議論が出て
 きて、これに抵抗しにくくなるからではないかと思う。これではまともな改革などできない。
  民孔党の政策決定のやり方はこういう例が多い。誰がどういう権限でどう決めていくのか、
 はっきりしないことが多すぎた。 

  事業仕分けがその典型だ。仕分け人がどういう権限でどこまで決められるのかまったく分
 からないまま、結局、最後はまったく無視されて、どうしようもないという床たらくである。
  やはり、法律・政令でしっかり権限と組織を明確化して検討、決定すべきである。
  税と社会保障も同じ。自民党政権時代に法定された経済財政諮問会議も法律は存在してい
 るが、これも活用しなかった。その代わりに、法律に何も澄いていない様々な会議や組織か
 権限等が不明確なまま、服要な政策立案・決定に携わってきたのだ。弁護士の仙谷由人氏や
 枝野幸男氏など法律の専門家が多い割りに、はなはだ杜撰な国家運営だったといわざるを得
 ない。

 
子細に知れば知るほど、小狡く鄙吝な集団?への暗澹な思い
を禁じえない。

                                                       この項つづく

 

 ● ポスト大阪都構想論 Ⅱ 


                       『改革反対の合従連衡派』


                                             しが彦根新聞 押谷盛利

  23日付「大阪の将来を潰した反対派」の時評は多くの読者から賛成の意見を頂いた。こ
 のなかで、ぽくは橋下維新が圃いた大阪都は日没する大阪ではなく、東京と比肩する日本の
 第2首都構想によるもので単なる大阪経済の地盤沈下対策ではないと書いた。そして、その
 時評の末尾で、なぜ、自、公、共、民、社など与野党の混成集団が大阪都に反対したのか。
 彼らを「井の中の蛙」集団ときめつけたぼくは「なぜ改革に反対したのか」と疑問を投げか
 けながらも「それは現状の生温い湯に浸かって、自分たちの地位、利権にあぐらをかきたい
 からである」、「彼らにはあしたの大阪がなく、あしたの自分が存在するだけである」、と
 も書いた。

  あらためて、なぜ、改革に反対したのか、所見を述べる。

  歴史をさかのぼれぱ、日本に仏教が入るとき、これを歓迎するか、反対するか、大論争が
 起き、反対派の物部氏が賛成派の蘇我氏に滅された。
  後醍醐天皇が幕府から政権を奪回しようとした際、賛成派の新田、楠木を破って、最終的
 に反対派の足利尊氏が幕府体制を継続した。
  明治維新前夜、薩、長、土の反体制派(反幕派)の改革に対して、徳川方の石頭は近藤勇
 などの暴力集団をつかって改革を阻止しようとした。
  歴史が証明するように、改革には必ず反対勢力が立ちはだかるしかもその反対は共通して、
 いままで通り、既往の路線継承だった。それは、改革によって自分たちの安住の場がくつが
 えされるという自己保身からだった。

  今回の大阪都構想は、安倍総理以下、政府も好意的、賛成派だった、にも拘わらず、大阪
 の自民党は反対の旗振りをした。民主、公明、共産、社民はみな反対したが、これは大阪府
 議栽大阪市議会で最大の組織を誇る維新を潰すのが、自分たちの生きる道につながる合掌連
 合のさもしさである。
  そこにあるのは、いままで通りの市会議員で幅をきかし、大阪都による市議失職を防ぐ自
 己防衛心だけである。
  ぼくは合従連衡という難しい言葉を出したが、これは古代中国の戦国時代に由来する言葉
 で、そのときどきの状況に応じて、いくつかの勢力が結びあうことをいう。

  要するに、自分たちの政治的生命を安定し、いついつまでも続けるには維新を叩くしたか
 ない、というのが反対派の連合軍の真意であり、言葉を換えれば、改革によって、自分たち
 の政治的ポストや力を失うことを恐れたからである。それは自分たちの保身優先で、国家や
 大阪の将来への関心はゼロというべきだった。
  大阪都構想は他の府県や市町では将来のあるべき姿として評価されていることも知らねば
 ならぬ。
  読売19日「滋賀販]によれば、三日月知事は「今回の投票は住民の意思を尊重するプロセ
 ス自体は意義があった」「関西から元気な地方をつくっていこうとし、行政の改革に斬り込
 もうとする志の根っこは通じるところがある」と好意的に述べている。また、大津市の越直
 美市長は、「大阪がきっかけとなって地方自治体のあり方を考え直し、日本が変わる大きな
 チャンスだったが残念」とコメントしている。連合軍の日本に与えた損失は計り知れない。
  
  
維新よ、国民の支持と期待を忘れるなかれ。

                                  
賢者は歴史から学ぶとは言い古された常套句で、ここでの用法が適切かどうかは読者に委ねると
して、この時評は真っ当だと考える。

 

 ● デジタルなウインドウ

4Kビデオを貴方の部屋に、デジタルディスプレイする。そんな時代が来ている。 

           

 

 

 

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独立自尊時代

2015年05月27日 | 政策論

 

 

   発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。
               楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。

                                
                            本田 宗一郎

 

● バルーン振動式風力発電システム

「羽根のない風力発電登場」(『一本足打法の風力発電機』2015.05.24)で空気の流れによる渦
(ヴォーテックス)の力で上のほうが大きく揺れる。内部の下に組み込まれた反発する2枚の磁
石により
、揺れにより生じる上下の動きで電力を発生させる。通常の発電機と同様に、電磁誘導
の作用で機械エネルギーを電気エネルギーへ変換する風力発電機の話題を取り上げが、風船(バ
ルーンの形状は微風でも激しく揺動するもの)を上げて、水平方向の揺動を上下運動に変換し振
動発電すればと考えてみた。

   US9033665B2 Propulsion device using fluid flow

これをイメージしたのが下図である。この新規技術の鍵部位は アンカーから立ち上がる繋留ワ
イヤと支柱との接触リングである。繋留ワイヤはバルーン用ガス(水素、ヘリウムなど)供給用
チューブ兼用で可撓性と伸縮性と気密性の富んだプラスチックチューブを使用し、チューブとバ
ルーンの接合部は特殊な弁と圧力センサを装備配置し圧力が降下すればガスを注入できる機構を
もつ。また、バルーンと繋留支柱のレベルは動機させる必要があるために支柱も伸縮できる特殊
なロック構造を持たせてあるが、バルーンの回収時はロック解除できるような行動になっている。
さて、接触リングには特殊な潤滑グリスを施し摩耗を防止しバルーンの揺動を上下運動に変換し
アンカー部にある電磁式発電器で電気エネルギー変換するものである。
 このシステムの特徴は、
最適風力を得るためのレベル選択の自在性にある。


なお、発電器の一例として下図のブラーザー鉱業の新規提案を参考に掲載する。図1の下部のス
プリング(発条機構)と軽量で強靭でガス機密性をもつ繋留ワイヤが接続されている。また、こ
の図では巻き取り機構は掲載していないが、これにういては別途考案し、時宜をえて掲載する。
さらに、試作段階で、バルーンの長時間の機密性保持時間を保証するデータが提出されれば、ガ
ス注入機構とこれと関係する機構を排除し、量産試作に移し確認実証の上、実用化量産に入る。

 
まぁ~、これが成功すれば、「再生可能エネルギー百パーセント時代」は、この極東はジャパン
グから始ま
るから、当に「 ごくとうごくらく」(極東極楽)ということになり、めでたしめで
たしである




   

【日本の政治史論 17:政体と中枢】
 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
  

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』    

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生 

                                                                             官房長官の恫喝に至る物語

 「ざっきの古賀さんの上司として、一言先はどのお話に私から話をさせていただきます」
 「 私は、小野議員の今回の、今回の、古賀さんをこういうところに、現時点での彼の職務、
 彼
の行っている行政と関係のないこういう場に呼び出す、こういうやり方ははなはだ彼の将
 来を
傷つけると思います……優秀な人であるだけに大変残念に思います」

  2010年10月15日の参議院予算委員会、仙谷由人官房長官のしわがれた声が議場に
 響
いた。と、その瞬間、「何をいっているんだ。(参考人の)出席は委員会が決めたことだ
 !」
「恫喝だ!」という怒声が飛び交い、議場は騒然となった。
  その後、繰り返しテレビで放映されることとなったこの場合、私は、驚き、困惑して事態
 を
見守っているしかなかった。

  この日の朝、私は出張先の四国から急速、呼び戻された。午後の予算委員会の小野次郎議
 員
の質疑に出席を求められたからだ。どうして、このような事態にかち至ったのか。実は長
 い物
語がある・・・・・・。



  それは、当時の自民党衆議院議員・渡辺喜美氏(元・みんなの党代表)が2006年12
 
月に行政改革・規制改革担当人臣となったときに遡る。 
  後でも詳しく触れるが、私は、改革を目指す政策を推進していたため、守旧派の経済産業
 省幹部に疎まれ、その年の7月に中小企業基盤整備機構という独立行政法人に飛ばされてい
 た。しかも、それまでのストレスかたたったのか、同じ月に人腸がんの手術をして、抗がん
 剤を飲みながら闘病を続けていた。

  そのような状況にあった仏のもとに、渡辺人臣から、「ぜひ会いたい」という電話が入っ
 た。人臣室を訪れると、「今度大臣に就任したので、補佐官として自分を助けて欲しい」と
 いう要請だった。
  私はそれ以前から渡辺大臣とは親しくさせていただいていた。尋常でない馬力を持ち、信
 念と実行力のある、最近では珍しい政治家だと思っていたので、思い切った改革に身を投じ
 るには絶好の機会だと思った。ゆえに、本来であれば二つ返事で馳せ参じたであろう。
  しかし、私のそのときの状況は、それを許すほど甘いものではなかった。手術後に腸閉塞
 を患うなど経過が思わしくなく、体力は極限にまで落ち込んでいた。抗がん剤の副作用で、
 電車通勤するだけでも全精力を使い果たしてしまうと感じる毎日であった。

 「手伝いたいのはやまやまだ、しかも、これから急速に体力が回復するかもしれない」――
 その場で様々な考えが頭のなかを駆け巡る。しかし、自分かやりたいという熱意だけで引き
 受けるのは無責任だ。もし、途中で私が倒れれば、まったく経緯を知らない代役を’リてて
 官僚と戦わなければならなくなる。しかもそのリスクはかなり高い。そんな状態でこの大役
 を引き受けろわけにもいかず、このときは涙を呑んで断った。
 
  しかし、後にそれが大正解だったことか分かる。私は翌年3月、また腸閉塞で倒れ、虎の
 門病院に担ぎ込まれたからだ。ちょうど渡辺大臣のチームが国家公務無法改正案をまとめて、
 まさに官僚と大戦争を行っている最中である。苦しさにあえぎながらも、『やっぱり受けな
 くて良かったな」と、自分の判断の正しさに妙に感心していたのを思い出す。

  ただ私は、渡辺大臣のオファーを断るときに、「私よりももっと役に立つ男がいますとい
 って、代わりにある若手官僚を渡辺大臣に紹介していた。それが、後に渡辺大臣の補佐官に
 就任し、自民党の参議院幹事長だった片山虎之助参議院議員や、財務官僚で官邸を事実上牛
 耳っていた坂篤郎官房副長官補と大立ち回りを演じて勇名を馳せた原英史氏(現・政策工房
 社長)である。

  彼が経産省の取引信用課長時代、厚氏は隣の消費経済課の課長補佐。一緒に法律改正など
 をした仲だった。しかし、私と彼はそれほど親しい間柄ではなかった。ともに法律改止を行
 う課長と課長補佐なら普通、補佐のほうから調整のため、いろいろと話を持つてきたり、国
 会回りをするときには課長に気配りしたりするので、当然、ある程度親しくなっていく。し
 かし、原氏は、他の補佐とはまったく違って、必要なこと以外は一切話さない。「ずいぶん
 クールな奴だ」と思っていた。しかし、仕事は飛びきりできるのである。

  実は、こういう素質が重要なのだ。つまり、仕事はできるが、上に変におもねることはな
 く、筋の通らないことを頼まれたら平気で断る、そんな人間。芯がしっかりしているのに加
 えて、できる男にありがちな出世願望もない。彼の能力とともに、この独特の強さは、渡辺
 喜美氏に通じるものがあると感じた。
  おもしろいことに、渡辺大臣と原氏にはもう一つ似たところがあった-即断即決だ。
  私が原氏に電話で事情を説明し、「渡辺大臣の補佐官になる気があるか」と聞いたとき、
 もちろん即答は期待していなかった。しかし、彼は一つ返事で「ああ、やりますよ」と即答
 したのだ。一瞬たりとも考える様了はなかった。私は大いに心配になって、「これをやると
 霞か関すべてを敵に回すことになるかもしれない。嫌だったら遠慮なく断っていいんだよ」
 といったか、「いや、大丈夫です」と何の迷いもないかのようだ。

  私は、「こんなに簡単に決めていいのか、もっと考えたほうがいいのに」「自分が声をか
 けたがために、彼はとんでもなく困難な人生に身を投じることになるのではないか」と、少
 し後悔したか、彼の微塵の迷いもない声を開いて、すぐに渡辺大臣に彼を紹介することにし
 た。
  渡辺大臣に原氏を紹介したのは内開府の大臣室であった。渡辺大臣は、私が紹介したとい
 うだけで完全に堅氏を信頼している。10分程度雑談しただけで、「よろしく頼む」と採用
 を決めた。そして、すぐに経産省に電話し、彼を一本釣りしたのだ。’よくもこんなに簡単
 に、自分にとって一番重要な人事を決めるものだ」と、そのとき払は心底驚いた。このよう
 に、渡辺大臣も即断即決の人なのだ。


                             官房長室への呼び出し

  しかし、一つ誤算かあった。私か原氏と.緒に大臣室に入ったという情報は、その日のう
 ちに内閣官房、経産省や財務省に流れていた。このため、後になって私が原氏を渡辺人臣に
 紹介したことか明らかになり、その後原氏が活躍すればするほど、私の霞が関での評判は悪
 くなっていったのだ。
  私は原氏一人にこの大役を押しつけるのは中し訳ないと思い、原氏をサポートする若手を
 一人つけるべきだとも思った。それが、金指壽(ひさし)氏だ。私の部下として働いたこと
 もあり、どこに出しても恥ずかしくない超一級の能力を持つ若干。彼も「ぜひやりたい」と
 いうことで、原氏をサポートすることになった。

  しかし、ここでおさまらないのが経産省の幹部である――。
  省内の職員の人事は大臣官房の仕事だ。たとえ管理職の人事であっても、大臣の意向など
 ほとんど関係ない。すべて參務力がお膳立てして、大臣はそれを追認するだけ。ところが、
 あろうことか、自分の大臣でない、しかも自分たちが「改M7‐派の跳ねっ返りだ」と馬鹿
 にしていた。
  渡辺氏が、大臣になったその勢いで、よその役所の役人、すなわち自分たらの部下を勝手
 に連れていく-とんでもないことだ。
  しかも当時、厚氏と金指氏はともに中小企業庁に属し、法律改正などの重要な職務につい
 いた.それを二人まとめて一本釣りされたのだ。通常は、一本釣りなどしないで、経度省の
 官房長などに打診をして、もし難色を示されれば、「じやあ他の人を推薦してくれよ」とい
 う手順を踏む。嫌だというのに無理やり連れていけば、その後、経度省との関係は悪くなる
 から、普通の大臣は諦めるのだ。現に、その後、私を使いたいといってきたある政治家は、
 経度省に打診して断られたら、あっさり諦めて、他の職員を登用した。

  しかし渡辺大臣は、そもそも経産省に打診する前に、本人たちと会って採用を内定してし
 まったのである。役所から見れば言語道断のやり方。ただ悲しいかな官僚は、他省庁の大臣
 とはいえ、本気になられると表以って・刃向かうわけにはいかない。あるいは、経度省はそ
 の程度の力しかないと見ても良いだろう、

  官僚にとってもっとも重要な権限である人事権を政治家には鯛されておもしろいはずがな
 い。その矛先は私に向かった。
  ある日、私は経産省の官場長室に呼ばれた。「渡辺大臣とは仲がいいのか」「渡辺大臣室
 に行かなかったか」「原君を紹介しなかったか」など、そんなことを遠回しにねちねちと聞
 いてくる。本当は私が二人を紹介したと確信しているのに、証拠がないからはっきりそうと
 はいわない。払は適当にはぐらかしながら、最後はこういった。
 
 「でも、官房長、良かったですね。行政改革とか公務員制度改革とか、これからの政府の最
 重要課題ですよ。その担当大臣に経産省の職員を使ってもらえるんだから、本当に名誉なこ
 とですよ,そうでしょ?‘
  私は心底そう思っていたのだが、相手からすれば、実はこれは最大級の嫌からせである。
 なぜなら、建て前上は、私のいうことは正し≒官房長としてはこれを否定したいが、もし否
 定してそれが外に伝われば、「改革を妨害する」といって叩かれる。他方、「その通りだ」
 といってしまったのでは人事権を放棄したことになるし、私の行為を事実ト追認してしまう
 ことになり、官房長としての浩券にかかわる。完全にディレンマに陥るのだ。
  結局、官房長は、黙ったまま苦虫を噛み潰したような傾をしていた。


                           安倍総理退任の襄で官僚は

  さて本題に戻ろう。公務員制度改革の流れは、実は安倍晋三内閣から始まっている。ただ、
 2006年に政権に就いた安倍総理は当初、公務員制度改革にはさほど熱心ではないと見ら
 れていた。著書の『美しい国へ』のなかで公務員制度改革に言及した部分はなかった
  そもそも自民党政権は、公務員制度改革に積極的だったわけではない。改革の権化のよう
 にいわれる小泉純一郎総理でさえ、天下りをはじめとする公務員制度改革には遂に手をつけ
 ることはなかった。それほどの難題になぜ安倍晋三総理が取り組んだのか――。

  ここから先は、私の推測だが、安倍総理は「戦後レジームからの脱却」を掲げて教育改革
 など様々な分野で野心的な施策を打ち出そうとしていた。しかし、戦後レジームからの脱却
 というほどの大改革を実行しようとしたとき、最大の障害になるのが、まさに戦後レジーム
 の中核である官僚システムであるということに気づいたのだろう。

  大きな改革を行えば、必ず現行のシステムに寄生した既得権グループが被害を受ける。業
 界も族議員も、そしてそれと一体となった官僚も被害者になる。さらに、既得権グループが
 本気で抵抗してくるときに、抵抗のための理論的支柱を提供し、世論対策や国会対策等すべ
 ての面で高度な戦略を立て、事実上の司令部となるのが霞が関の官僚システムである、とい
 うことに改めて気づいたのではないか。大きな改防を成し遂げるには、なによりも抵抗勢力
 の中心的存在である官僚システムを変えなければ、紡局、改革は絵に描いた餅に終わる

  そして、もう一つ、安倍政権の「美しい国、日本」として掲げられた製作アジェンダか必
 ずしも国民の心に響かず、逆に民主党の「消えた年金」攻撃などによって支持率が下がるな
 か実は公務員制度改革が国民に受ける数少ない政策テーマだということか明らかになってき
 たことがある。それを如実に示したのが、渡辺喜美行政改革相当大臣の公務員制度改革への
 猪突猛進ぶりと、その姿勢に対する国民の高い支持だった。

  渡辺大臣か「過激」といわれる(実際には過激でも何でもなくごく当たり前の改竹案だっ
 たのだが)国京公務員法の改正案を手に官僚と真っ向から対峙し、また、官僚に依存しきっ
 た自民党の長老たちの抵抗と戦う姿を、マスコミは時間と紙面を割いて大きく報道し続け、
 それに国民は大声援を送った。安倍総理はその勢いを見て意を強くし、最後は腹をくくって
 大改革に賭けたのだろう。
 
  安倍総理といえば退任時の痛々しい姿ばかりを記憶する力が多いかもしれないが、最後に
 成し遂げた国家公務貝法改正は、公務員による天ドりの斡旋を禁止するという、霞が関から
 見ればとんでもない禁じ手を実現したもの。当然、これに対する霞か関の反発は尋常ではな
 く、それが官僚のサボタージュを呼び、政権崩壊の一因となったといわれている。


    


                         前代未聞、安倍総理の離れ業

  さて、渡辺チーム発足時に話を戻そう。自民党の多数派である守旧派と官僚が結びついた
 政官連合に対して、渡辺大臣は原、金指というわずか三人人の精鋭部隊で立ち向かうことに
 なる。
  そのときの改革の内容は、大きく分けて二つ。省庁による天下り斡旋禁止、そして年功序
 列を廃して能力実績主義を導入することだ。両方とも現在の官僚システムの本丸に杭を打ち
 込む極めて重要な改革である。

  当然のことながら、これに対する官僚の抵抗には凄まじいものがあった。そのエピソード
 には事欠かない。詳細は原英史氏の著書『官僚のレトリック』に譲ることにして、ここでは
 一つだけ紹介しよう、

  一言で天下り禁止といっても、禁止するなら禁止すべきなんらかの行為を特定しなければ
 いけない。民間企業に行くことすべてを禁止するのは明らかに行き過ぎだろう。そこで、ヘ
 ッドハンティングなど自分の実力で転職することは良いか、省庁がその権限や予算を背景と
 して天下りを押しつけるのが問題で、こうした天下りの斡旋だけを禁止すれば良いのではな
 いか、という議論が出てくる。

  他方、そもそも省庁が斡旋するとなぜ、企業や団体がそれを受け入れるのか。やはり裏に
 は必ず権限や予算を背景とした無言の圧力を感じるからではないか、という考え方がある。
 そうだとすれば、省庁が斡旋することはすべて禁止したほうが良い、という考え力に至る。
  つまり、禁止するのは省庁による天下りの「斡旋」すべてなのか、そうではなくて、予算
 や権限を背景としたことが分かる「押しつけ的な斡旋」に限るのか、という争いだ。

  単純に考えれば悪い斡旋だけを禁止すればいいのだから、「押しつけ的な斡旋」だけ禁止
 すればいいように見えるか、そうしてしまうと、実は禁止の効果はほとんどゼロになってし
 まう。なぜなら、そもそも押しつけているかどうかを証明するのが極めてむずかしい。受け
 入れ企業は無言の圧力を感じているから押しつけられました」とは口か裂けてもいえない。
  役所の側は、「企業がぜひに、というので、その要請に応えただけです」という。そうな
 れば押しつけはなかったということになってしまう。現に、官僚たちは、役所が押しつけ的
 な斡旋をしたことなど一度もないという立場を一貫して取ってきた。

  途中何度も落とし穴に嵌まりそうになりながらも、原・金指チームの頭脳とかんばりに支
 えられた渡辺大臣は、最後まで「斡旋」すべてを禁止する方針を貫いた。
  途中、各省の事務次官かスクラムを組んで抵抗する塔而もあった。これに対し安倍総理は、
 次官会議の議論を無視するという当時としては前代未聞の離れ業で応じた。最後はこうした
 尋常ならぬ総理のリーダーシップで、この画期的な国家公務員法の改正案を成立させるので
 ある。




  私はこの動きを裏から見ていた。当初は、原チームが本当に官僚連合軍と戦えるのか不安
 に思ったりもした。現に金指氏は、最初のうち私に頻繁に連絡を寄越し、その苦境を伝えて
 きた。私はそんな肢を勇気づけ、また、ときにはアドバイスもした。

  こんなことがあった。

  省庁による天下りの斡旋を禁止する場合、それに違反したときにどういう罰を与えるか。
 刑事罰にすれば捜査当局の強制的な捜査でな件できる。しかし、単なる懲威処分にとどまる
 なら、懲威権を持つ人事当局か調査することにしかならない。天下りの斡旋をするのは人事
 だから、それが問遊になったとき、人事当局がその人事当局を調査することになり、これ
 では泥棒が泥棒に「泥棒したか」と聞いているようなものである。従って、刑事罰の対象に
 すべきだと私は考えた。

  原チームもそれを目指して動いていたが、法務省も警察ももちろん協力的ではない。そこ
 で私は、東京地検の特捜部に籍を置く友人の検事に相談した。どのような条文にすれば実際
 に使えるか、現場の意見を求めたのだ。その結果を金指氏に伝えた。しかし、天下り斡旋を
 禁止するだけでも官僚から見れば天地がひっくりかえるような暴挙だ。それを刑事罰にする
 のは当時としてはハードルが高すぎた。結局、刑事罰にすることはできなかった。この点は
 原氏も残念がっていた。

  

  2009年秋、日本郵政の社長に元大蔵次官の斎藤次郎氏が、副社長にも先述の元財務官
 僚、坂篤郎氏が就任した。これは閣僚が行ったことだから「省庁職員」による天下りの斡旋
 ではないと民主党は強弁したか、実はそのときもう一つ疑念を呼ぶ「渡り」人事が行われて
 いた。日本郵政の副社長に就任した坂氏が就いていた日本損害保険協会の副会長ポストに元
 国税庁長官(財務官僚)が就任したのだ。これは閣僚による人事ではない。現職の官僚か絡
 んでいるのではないかと国会でも問題になった。

  その後半年近くたってから、民主党は「調査の結果、省庁による斡旋はなかった」と答弁
 した。どのように調べたかと聞かれて、金融庁の課長が担保協会に問い合わせたという。ま
 さに心配していたことが起きたのだ。役人が調べてしらを切る。それ以上は実効性のある調
 査はできない。

  さらに、2011年の正月の紙面を賑わせた、資源エネルギー庁長官が退任4ヵ月後に所
 管の東京電力に天下りした事件でも、やはり枝野幸男官房長官は、「経済産業省の秘淑[課
 長が東京電力に聞いたところ、役人による斡旋はなく、本人に企業が直接要請したというこ
 となので、天下りの斡旋はなかった」と、胸を張った。これまた泥棒に調査をさせてしまっ
 たのだ。
  少し脱線してしまったか、原チームは、1、2ヵ月もすると完全に独り立つし、私への連
 絡も次第に頻度が低くなっていった、大変な成長ぶりだ。私はこのとき思った。
  若い人たちの能力とはそういうものだ。ミッションと権限を与えれば、能力のある者は年
 齢に関係なく大きな力を発揮する。しがらみがない分、年長者よりも大胆な改革に邁進でき
 るのだ。やはり、若手を抜擢する仕組みを作らなければいけない


最後の、三行の部分は、わたしの小さな経験のエッセンと全く符合するものであり、未来を見つ
めるものにとっては至極、当たり前の、自然な帰結なのだが、永田町や霞が関界では、これを
"革命"(再生・再会う・復活)と 言うらしい。


                                    この項つづく 

 ● 今夜の一品

独立時計師アカデミー

政局は一気に  "独立自尊" を問われることになる。これは、ニホン・コクミンへの、「武断国
家主義へのノスタル
ジア」以外への問いかけであることを肝に銘じよう。^^; !

 

           

 

 

 

 

 

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厭戦を叱咤する愚

2015年05月26日 | 時事書評

 

 

   われわれは訓練と装備は供与できるが、戦う意志は提供できない
                                
                          カーター米国防長官

 

   

【日本の政治史論 16:政体と中枢】  

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
 

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』   

    目 次   

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策    

   序 章 福島原発事故の裏で

                    賞賛される日本人、批判される日本政府
 
  2011年3月11日に発生した東日本大震災――。
  その後、テレビに映し出される想像を絶する被害、刻々と送られる津波の映像。寒さに震
 える10万単位の被災者かいる。そして、福島第一原発では名もない勇者たちが命がけで作
 業を続けている。
  自分にも何かできないか………お金ではない、いまは物だ、という報道を聞いて、知り合
 いのボランティアグループに救援物資を送る。それでも、何もできないという無力感にとり
 つかれる。

  他方で、ここは大丈夫なのだろうか、放射能汚染はどこまで広かるのだろう――こんな心
 配をする自分がいる。そんなことを考えることで、原発の近くで必死に災害復旧のために戦
 っている方々に中し訳ないという後ろめたさが心を覆う。何をしても手につかない。そうこ
 う思いを巡らせているあいだも、刻々とニュースが飛び込んでくる。

  被災地から離れた場所にいる方々の多くは、そんな状況だったのではないか。
  3万人近い死者・行方不明者-これだけの惨事のなか唯一の光明は、われわれ日本人が世
 界中から賞賛される素晴らしい民であるという事実に改めて気づくことができたことであろ 
 身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、自力で
 立ち上がろうとする人々、苦しいなかでも思いやりと助け合いの心を行動で示す被災者たち
 ………世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪か広がった。涙が出るほど嬉しい
 ことだった。

  他方、地震後の日本政府の対応には世界中から非難の声が集中した。日本政府を賞賛する
 論評は、残念なから、私は見たことがない。原発事故対応を含め、日本のメディアか政府批
 判を抑えるなか、海外の論調は総じて厳しかった。
  私かもっとも驚いたのは、震災が起きるやいなや、信じられないことに、これを増税のた
 めの千載一遇のチャンスととらえる一群の人たちが即座に動き姶めたことだ。震災対応より
 もはるかにスピーディな反応。驚くというより悲しかった。

  一方、震災直後の週末を挟んだ3月15日、「無」計画停電実施発表の混乱か続くなか、
 関東各地の税務署には長蛇の列ができていた。政府の心ない連中が自らの利権維持に汲々と
 しつつ国民に負担増を求めようとしているのに、地震でも、停電でも、真面目に納税しよう
 という市民の涙ぐましい姿だ。私は、この国の民はなんと素晴らしい人たちなのだろうと思
 うと同時に、行政府の一員として本当に中し訳ない気持ちになった。

  絶対に安心と聞かされてきた原発-どんな地震でも大丈夫だと、われわれは思い込まされ
 てきた。反論したいと思ったことは何度もある。しかし、それだけの根拠となるデータを持
 ち合わせていなかった。
  4基で、いや、六基といっていいだろう、同時に生じた大事故。眼前の事実はすべての迷
 信をいとも簡単に覆した。
  それでも、政府は当初、「事故」ではなく「事象」といい続けた。「爆発」が起きても、
 「大きな音が聞こえた」「白煙が上がるのが目撃された」「しかし何か起きたのかは分から
 ない」という東京電力に対して、「情報が遅い」といって総理か怒ったという話が流れた。
 永田町と霞が関の悪いところが集中的に出てしまっている、そう感じた。

  しかし、私は当初、こういう事態は経験のないことだから、いくつかの不手際が起きても
 やむを得ないと思った。失敗をあげつらうより、いま何をすべきかに集中すべきだと思った
 のだ。心を一つにして国難に立ち向かうべきだと。
  そして、マスコミも批判を抑え、国民に冷静な対応を呼びかけ続けた。国民が一致協力し
 てがんぱろうというキャンペーンを展開した。
 「想定外の地震」「想定外の津波」「想定外の原発事故」………すべてが「想定外」の一言
 で許される、そんな空気が支配した。
  みんな必死で戦っている。自分のためだけではない、みんなのために戦っている。国民は
 そう信じた。
  しかし、そうしたなか、最初の数日で、私の心のなかにどうしようもない違和感か募って
 いった。




                      官房副長官「懇談メモ」驚愕の内容

  「節電啓発等担当大臣に蓮前大臣」「災害ボランティア担当総理補佐官に辻元清美議員」
 「菅総理が現地を視察」、そして「菅総理の会見」……しかし、そのいずれも危機対応のた
 めの具体的な措置ではなく、政権浮揚のためのパフォーマンスではないか。私にはもっとも
 大事な初動の数時間、政府の危機感が伝わってこなかった。こうした一連の行動を見て、安
 心感か高まったという国民はいただろうか。

  むしろ、この震災を「政権浮揚」の最大の機会と考えているのではないかとさえ感じた人
 々も多かったのではないか。地震の直前まで外国人献金問題で追及を受けていた菅政権。そ
 こに未曾有の大震災。緊迫した政局にとりあえずタオルが投げ込まれた、という感覚を持つ
 のは不謹慎ではあるが、政治家であればある意味自然だったかもしれない。
  しかし、マスコミから回ってきた官房副長官の一人の懇談メモを見て私は驚いた。「これ
 は間違いなく歴史のてヘージになるよ」と高揚した発言。開いた口か塞がらないとはこのこ
 とだ。

  現場や東電、原子力安全・保安院、そして官邸で起きていることが目の前に浮かぶ。おそ
 らく、この最初の数時間で、来電や官僚の官邸に対する不信感は瞬く間に頂点に達したであ
 ろう。そうなれば、官邸もまた彼らに不信感を持つ。負のスパイラルだ。
 これほどの危機にありながら、以後おそらくすべての連携がうまくいかなくなる。そして、
 対応が後手後手に回るだろうという確信か芽生えた。

  危機管理の要諦はいくつかある。アメリカの人気テレビドラマの「24」をご覧になった方
 は多いだろう。常に危機管理の話なのだが、それは日本でも同じはずだ。事が起きたらまず
 何をするか―一2011年3月の原発事故に当てはめると、次のようになるだろう。

  まず、現場に総理直結のスタッフが真っ先に飛ぶ。最高の能力と体力と度胸も兼ね備えた、
  総理が無条件で信頼できる者でなければならない。総理との関係は分からないが、イメー
 ジだけでいえば、民主党では、たとえば馬淵澄夫氏のようなタイプだろう。
  実際にはその代わりに総理自らが原発に飛んだ,しかし、もちろん現地に政府の基地を設
 置したわけではない。もし、そのときに爆発などが起きていたらと思うと、ぞっとする。



  次に官邸との直接の通信手段確保のため基地局を設け、テレビ回線で常時会議が現地との
 あいだでできるようにする。こうすれば現地の情報がリアルタイムで官邸に届く。このとき
 は東電にはそのシステムがあったが、官邸にはなかった。しかも、官邸は驚くことに、当初、
 来電の情報を経度省原子力安全・保安院を通して収集していたという……。

  東電は民間企業とはいえ、お役所体質と隠蔽体質ではおそらく役所以上であることは累次
 の原発不祥事を追及してきた民主党の政治家が知らないはずがない。情報は、社内を出るま
 でに何重ものスクリーニングを経なければならず、しかも、一番重要な、すなわち悪い情報
 ほど出てきにくいシステムになっているはずだ。

  経産省でも、入ってきた情報はまず、幹部に上げなければならない。それから官邸に届く。
 菅総理が、情報が遅いと怒鳴ったという報道があったり、官房長官も情報伝達が迅速にいか
 ないことに苦言を呈する場面があったが、これは本来あってはならないことである。
  国民のあいだに、「この人たちは何か起きているのかよく分かつていないのだ」「東電は
 情報を隠しているのか」という疑心暗鬼が広がり、ただでさえ不安に駆られている国民を、

  さらに、心配させてしまうからだ。アメリカの大統領なら、万全の情報収集態勢を敷いた
 うえで、「みなさん安心してください。われわれはすべての情報をリアルタイムで把握して
 います。必要な情報は直ちにみなさんにお伝えします」といったであろう。
  次に大事なことは、関係者間の情報の共有と共通認識に基づいた対応策の決定である。ア
 メリカのテレビドラマ「24」でよく目にする場面。テレピ画面の前で、閣僚や軍の幹部が一
 堂に会し、スタッフが情報を、画像で示されたデータを駆使しながら詳細に報告。対応策の
 オプションについて議論し、方針を大統領が決断する。

  こうすれば、情報と認識が幹部や主要スタッフのあいだで共有されるので、その後の行動
 に不整合が生じず、迅速な対応が可能となる。
  報道された総理動静を見ていると、時折会議は開かれるか、それもセレモニー的。具体的
 な対応策について議論したり決定したりしているというより、パフォーマンス的な色彩が強
 く感じられた。むしろ、個別に各省幹部や専門家が呼び込まれ、その都度、総理から指示が
 なされていたようだ。

  これでは、一糸乱れぬ迅速な対応は期待できない。

  その後の原発事故対応を見ても、さまざまな問題点が浮かび上がる。
  総理が現地に飛んだことは、初動対応で極めて負荷が高くなっていた官邸スタッフにさら
 なる負荷をかけた。総理の意図がどうであったにせよ、対応の準備ができていない段階でい
 きなり総理が現地に入るとなれば、そのときの官邸スタッフは、あらゆる準備をしなければ
 ならない。相当な労力がそこに割かれることになる。その間、当然ながら他の業務の処理速
 度は遅くなる。

  原発に関する情報が思うように入らなかったからといって、総理が現地に行く必要がある
 か。答えはNOだ。トップ自らが現地に乗り込み政治主導をアピールしようとしたという説
 もあるが、そうだとすると、政治主導のはき違えもはなはだしい。
  その後、総理は既存の原子力安全・保安院や原子力安全委員会への不信感から、同窓の東
 京工業大学卒の専門家の助言を得ることにした。しかし、これは政治主導ではなく、個人と
 しての「政治家」主導に過ぎない。もちろんさまざまな意見を聞くのは良いか、国家の組織
 を動かせない総理か果たして国難に対処できるのか。この答えも、もちろんNOだ
  民主党の政治家のなかには、政治主導を官僚排除と同義だと考えている人たちが多いよう
 だ。政
務三役のなかには、自ら電卓をたたくパフォーマンスを見せた人もいるくらいである。 
  天下太平の世の中ならそれでも良いのかもしれないが――。

                                「ベント」の真実

  3月末から4月にかけて一時「ベント」をめぐる官邸と東電の争いがあった。争いといっ
 て
も表向きではなく、おたがいマスコミに対してそれぞれの主張を宣伝し合うというかたち
 で展
開された。
  詳しい事情は不明だが、報道によれば、福島第心匹発一号機の圧力容器内の圧力が上昇し、
 容器の破損が懸念された。そうした深刻な事態を防ぐため、容器内の水蒸気を外部に逃がす
 ベ
ントという作業を行うことになった。官邸では当初、3月11日深夜に、その方向性が事
 実上
決まっていたのだが、実施されたのは翌12日午前10時過ぎ。

  3月下旬になって、この遅れは、総理の現地視察の準備に追われたため、あるいは、総理
 が
現地にいるあいだは放射性物質を放出できなかったため、などという憶測かなされ、官房
 長官
の会見でも質問された。当初はあまり真面目に取り合わなかった官房長官だったか、マ
 スコミ
からの批判は日に日に強まった。すると一転、ベントを総理が指示していたにもかか
 わらず、東
電がそれを遅らせたのだという解説か官邸筋から流され、テレビ朝日の「報道ス
 テーション」に出演した寺田学・前総理補佐官もそう説明した。

  しかし、もし総理がどうしてもベントか必要だと判断したのなら、ただ東電に法律(原子
 炉等規制法)に基づいた命令を発すれば良かった。
  ベントによって何をするかといえば、放射性物質を外部に出すのだ。どれくらいの濃度か
 も分からない。軽々にやって、事故が小規模で終わったとしたら、後で「なぜベントしたの
 か」と怒られるかもしれない。世論だけでなく、政府だって掌を返して束電を批判するかも
 しれない。普通はそう思うだろう。だからこそ、「政府が責任を取るから心配しないで開け
 なさい」というメッセージを送る「命令」が用意されているのだ。

  それをなぜすぐに使わなかったのか。命令できることを知らなかったのか。官僚か知らな
 いはずはない。総理にそれを上げなかったのか。だとすればサボタージュだということにな
 るし、総理の信頼するスタッフが無能だったということになる。知っていたが、東電の判断
 でやれといったのかもしれない。だとすれば責任逃れである。

  政治主導とは、本来、官僚排除ではない。政治と官僚のどちらが主導するかという話であ
 る。官僚主導など本来はあってはならない。政治が主導し、官僚はそれをサポートし、それ
 に従って政策を実施する。当たり前のことができていなかったようだ。
  そして、リーダーの一番大事な資格-それは、リスクを取って判断し結果責任を負う、と
 いうことだ。総理にその覚悟かなかったのか、あるいは官僚が自分たちの責任を逃れるため
 に東電に判断を押しつけようとしたのか・・・・・・。


                       東電の序列は総理よりも上なのか

  ところで、正式な命令かなかったとしても、時の総理か指示したのなら、普通は黙って従
 いそうな気もするが、なぜそうならないのか。
  もちろん、東電がお役所体質であり、形式を整えないと動けない、そして自分でリスクを
 取れない、そんな組織だったという面もあると思う。しかしそれよりも、来電は、時の総理
 の指示を相当軽く考えていたのではないか-これが私の見方だ。



  私は過去に電気事業関係のポストに就いた経験のある同僚から、「東電は自分たちが日本
 で一番偉いと思い込んでいる」という話を何回か聞いたことがある。その理由は後にも書く
 が、主に、東電が経済界では断トツの力を持つ日本最大の調達企業であること、他の電力会
 社とと
もに自民党の有力な政治家をほぼその影響下に置いていること、全国電力関連産業労
 働組合総
連合(電力総連)という組合を動かせば民主党もいうことを聞くという自信を持っ
 ていること
(電力総連会長から連合会長を務めた笹森清氏は菅政権の内閣特別顧問)、巨額
 の広告料でテレ
ビ局や新聞などに対する支配を確立していること、学界に対しても直接間接
 の研究支援などで
絶大な影響力を持っていること、などによるものである。

  簡単にいえば、誰も東電には逆らえないのである。

  テレピ局の報道も、福島原発の事故が発生した当初は、市電を批判する論調ではなかった。
  経営幹部の影響下にある軟弱なブロデューサーは、市電批判につながる内容になると、直
 ちに批判色をなくすよう現場に強力な命令を下したという。
  ところが、おもしろいことに、河野太郎衆議院議員がプログなどで市電とテレピ局の癒着
 を糾弾すると、視聴者からの批判が相次ぎ、癒着批判を恐れたテレビ局が、急に掌を返した
 ように市電批判を始めたのである、しかし、その背景には、当初はまだ東電の力は侮れない
 と思っていたテレピ局も、4月に入ると、その経営が今後苦しくなるという見通しを持ち始
 め、スポンサーとしての価値がないと判断したという面もある。



  いずれにしても、少なくとも事故発生当初は大惨事になるとも思わず、過去の自分たちの
 力を信じて、「総理といえども相手にせず」と考えていたとしてもまったく不思議ではない。
 それは、事故後に「血圧が高くなった」などという理由で一週間も入院してみせた社長の態
 度に如実に表れているのではないか。
  だからこそ、官邸は、一刻も早く伝家の宝刀である法律に基づく命令を出す必要があった
 のである。


                  天下りを送る経産省よりも強い東電

 「まえがき」にも書いたが、2011年1月、世間の耳目を集めた話題として、前年の夏ま
 で資源エネルギー庁長官を務めていた経産官僚が東電に天下ったという事実がある。
  この事実は、経産省がその電力事業に対する規制権限を背景にして天下りを押しつけたと
 いうように見える。しかし、天下りの多くの場合がそうなのだか、通常、天下りは双方にと
 ってメリットがある。つまり東電側は、規制に関して経産省がさまざまな便宜をはかってく
 れると期待している、こう考えるのが普通だ。

  だから、持ちつ持たれつ、といいたいところだが、少し事情は違う。通常の時期はそうし
 た平和な状態か続くのだが、こと電力の規制緩和というような大きな問題になると、両者は
 時に衝突することもある。過去何回か、電力の規制緩和が推進された時期がある。そしてそ
 のたびに、両者の間に主導権争いがあり、政治家や学者、マスコミを巻き込んだ大戦争か起
 きた。そして、必ずといっていいほど毎回、経産省内の守旧派が力を増し、改革派がパージ
 されるという歴史が繰り返されてきた

  当初はいつも改革派がリードする。マスコミもこれを支援する。しかし、大詰めを迎える
 といつも、なぜか審議会では優勢だった改革派の多くが妥協案に乗り、最後までがんばれる
 委員はほとんどいなくなる。
  電力業界には競争がない。ここに競争を導入して電カコストを下げることは、消費者にと
 っても産業界にとっても望ましい。

  自由化の議論のもっとも先鋭的なものが、後に書く通り、発電会社と送電会社を分離する
 発で送電分離。このテーマについて本気で推進しようとした官僚か何人かいた。あるいは核
 燃料サイクルに反対しようとした若手官僚もいた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、
 多くは経産省を去った。後述するが、私も十数年前、発送電分離をパリのOECDで唱えた
 ことがあるが、危うく日本に召喚されてクピになるところだった。その理由とは何だったの
 か――。

  そして逆に、東電とうまく癒着できた官僚は出世コースに残ることが多かった。東電なら
 ば、政治家への影響力を行使してさまざまなかたちで経度省の人事に介入したり、政策運営
 に介入したりすることも可能だといわれている。
  こうした巨大な力を見せつけられてきた経度官僚が、本気で東電と戦うのは命懸けだ。つ
 まり、政治家も官僚も来電には勝てない。そう来電が過信していたからこそ、福島原発事故
 で初勤の蹟きが生じたのかもしれない。


                           
「日本中枢の崩壊」の縮図

  東電の問題を今後どう解決するのか-私は一つの私案をまとめて経産省の官房長や資源エ
 ネルギー庁の担当課長などにそれを伝えた。そして、それを経済誌『エコノミスト』に寄稿
 しようとした。しかし、それは官房から止められた。
  「そんな売名行為は認められない」というのだ……思いもよらない批判に対して、なるほ
 どそういう見方があるのだなと驚くと同時に、締め切り間際だつたということもあり、調整
 の時間もなかったので、そのときは引き下がった。
 しかし、経産省内部の密室で議論するよりも、早い段階でさまざまな論点を国民の前に出し、
 それをもとに議論をしてもらうことは有益だと思った。私は電力関係を担当しているわけで
 はなく、まったく所管外だから、それが経度省の立場だと誤解されることもないだろう。個
 人の意見として、一国民の意見として提言することは悪いことではないし、むしろ社会に貢
 献することになると思う。

 「売名行為」だというのは、その人がそういう願望を持っているからそう見えてしまうんだ
 よ、気にすることないよ」と、ある財界人はいってくれた。そのとき賞詞長に送った資料は
 巻末に補論として添付した。
  さて、ここまで、福島原発事故の最初の一日のごく一部の出来事を振り返りながら、いく
 つかの問題に触れた。日本の政治行政にはさまざまな問題があると痛感し、不安を感じた読
 者も多かったのではなかろうか。
  ちょっと思い出してみただけでも、次のように多くの論点が出てくる。
  まず、総理のリーダシップの問題と政治t導の在り方。民主党に政治主導かできないのは
 なぜか。リーダーシップ発揮のための条件は何か-。第一章で述べる国家戦略スタッフのよ
 うな自前の強力なスタッフが必要なのである。これがあれば大分ちがった展開になったので
 はないか。 

  リーダーシップとして重要な要素、それは、危急時にこそリスクを取って判断し、責任を
 取る姿勢だ。そして、その姿勢を官僚をはじめとする他のプレイヤーが信じられるかどうか、
 これか問題になる。
  日本の政治家や官僚の組織力の問題もある。緊急時に、日本の美徳「チームワーク」だけ
 で乗り切れるのか。がんばっている証しが徹夜徹夜の勤務という評価軸では、かえって時間
 を浪費して決断できないという罠に陥る。

  そして、モノ作りや技術カヘの偏重と過信もある。日本の原子力発電は絶対に安全だとい
 っていたが、それがいかに空虚なものだったか。アメリカのいう通りに原子炉を冷却し、窒
 素を注入するなど、まったく主体性は見えなかった。それ以外でも、日本の膜技術は世界一
 といっていたが、放射能除去技術でフランス企業に教えを請う。ロボット技術は世界一と自
 慢していたか、結局なかなか使えない………
  官僚の情報隠蔽体質が所管業界にまで蔓延している事実も挙げなければならない。安全規
 制が、国民のための安全規制ではなく、官僚自らの安全を守る規制になっていることもそう
 だ。



                                 
  2011年4月30日に内閣官房参与を辞任した東京大学教授の小佐古敏荘氏は、放射性
 物質の健康への影響や放射線防護策の専門家として、福島県内の小学校や幼稚園などでの被
 曝限度を年間20ミリシーベルトと設定したことを、「とても許すことかできない」と批判
 した。約8万4千人の放射線業務従事者のなかでも20ミリシーベルトもの大量の被曝をす
 る者は、平常時では極めて少ない、というのだ。これなども、政府や文部科学省の官僚が責
 任を問われないようにあらかじめ上限を引き上げておこうとしたのだとすれば、国民はなん
 のために税金を払っているのかわからない。

  福島原発の嘔故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。い
 や、無能にさえ見えた。専門性のない官僚が、もっとも専門性が要求される分野で規制を実
 施している恐ろしさ。安全神話に安住し、自らの無謬性を信じて疑わない官僚の愚かさ。想
 定外を連呼していたか、すべて過去に指摘を受けていた。ただ、それに耳を貸さなかっただ
 け「想定外症候群」と呼べる。

  原子力村という閉鎖空間にどっぷりつかってガラパゴス化した産官学連合体も恐ろしい
  しかし、これらの問題は、決して今日に始まったことではない。何十年間という歳月をか
 けて築かれた日本の構造問題そのものである。未曾有の危機だから、それが極めて分かりや
 すいかたちで、国民の日の前に晒されたに過ぎない。「日本中枢の崩壊」の一つの縮図が、
 この危機に際して現れた、そういって良いだろう。


政体では巨大な企業団体組織の自己増殖をどのように制御するかの具体例がここでは語られてい
る。労働組合という相互扶助・同伴運動の最前線で関わっていた経験から言うと、個人的には立
派な人格者達も組織の渦中に埋没、あるいは結果として反動していく様を目撃してきた。これに
抗う原則の「弱者のサイドに同伴・支援・組織化」を、厳しい現実の中、面倒で、骨が折れよう
とも何とか堅持してきた。さて、次回は第1章に移ろう。

                                    この項つづく



【集団自衛権再考 Ⅰ

カーター米国防長官は24日放送のCNNテレビのインタビューで、過激派組織「イスラム国」に
イラク中西部アンバル州の州都ラマディを制圧されたことに関し「イラク軍が戦う意志を見せな
かった」と述べ、イラク政府軍の士気の低下が過激派組織の伸長を許したと批判したという(上
図)。長官は「イラク軍は数の面で敵をはるかに上回っていたが、戦わずして撤退した。過激派
組織と戦うイラク軍の意志に問題がある」と指摘。「われわれは訓練と装備は供与できるが、戦
う意志は提供できない」と述べ、軍の士気を立て直すようイラク側に求めたという。 

しかし、イラク軍の厭戦感を叱咤するなどというこは、気持ちとしてわかるが、お門違いだと
える。ここまでこじらせてきたのは、欧米、旧ソ連(現ロシア)・中国、イスラエルあるいは中
東関係諸国でありイラク兵達こそ憐れな被害者ではないか。蓋し、戦闘の端緒を切るのは容易だ
が、終結・撤退・収拾が困難であることは自明のこと。厭戦
を叱咤する愚とは、この様なことを
さすのであろう。


「高橋洋一の俗論を撃つ」(2015.05.21 ダイヤモンドオンライン)で「集団自衛権を行使しない
のは国際的には非常識だ」を掲載していたので目を通したが、残念ながらこれこそが「俗論」と
いう感想に至る。例えば、中国が国際法を破り南沙諸島でフィリピンとベトナムと交戦状態に陥
った場合、国連で非難決議動議が常任理事国会議で中国が拒否権行使(ロシアは棄権ないしは、
中国側に同調するかもしれな)→国連加盟国の多数から、直ちに、ソフトパワーの行使(人・モ
ノ・カネの交流停止ないしは封鎖)の同意を獲得し→同調諸国行使→中国は反発あるいは戦況拡
大→被害2国から軍事的支援要請→賛同国(米国・旧英連邦諸国・東南アジア諸国)が支援・参
戦→日本は軍事物資支援限定で国内意見を統一し、非派兵(=自衛隊派遣)条件支援→中国が戦
況拡大した場合、再度常任理事国会議で除名勧告を動議→臨時加盟国総会開催で中国の除名勧告
動議の上、2/3以上の賛同取り付ける
→中国抜きで(自動的そのようになるだろう)国連軍の
派遣を動議→国連軍編成派兵(ここでは日本国内で派兵(範囲の規定化の上)動議し上態度決定)
→国連軍に自衛隊を加入編成し参戦・・・・・・というイメージがわたし(たち)が想定する集団自衛
権行使の――現実の中国はこのシナリオは決して選択しないし、するとしてもその前にロシアと
同盟関係を結び、フィリピンやベトナムを宥めるようなあらゆる対抗措置を練ってくる――イメ
ージ(シナリオ)である。これは1991年に想起した考えを元にイメージしたものである。

                                    この項つづく
 

                                     

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核の廃棄場所がない?!

2015年05月25日 | 緊急|東日本大震災

 

 

   改革の原動力として3つの「はみ出し者」の存在が挙げられます。
       「ばか者」「よそ者」「若者」です。
                                
                                吉川廣和




朝日新聞 2015.05.23

● 核の廃棄場所がない ?!

原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物の処分地選定について、政府府は22日、公
募に頗る従来の方式から、国が主導して選ぶ方式に転換する基本方針を閣議決定。科学的に適性
が高いとされる「科学的有望地」の絞り込みが今後の焦点となるが、超長期の隔離が必要な「核
のごみ」の処分地選びは容易ではないという(同上「核ゴミ処分地 公募を転換 めど立たず国
主導に」)。

それによると、高レベル廃棄物は強い放射線を出すため、300メートル以深に埋めて処分する
ことが法律で決まっている。法律に基づく基本方針の改定は7年ぶり。新方針では、科学的に適
性が高いとみられる地域を国が科学的有望地として示し、調査したい意向を自治体などに申し入
れる制度とする。公募も続ける。そのうえで20年程度かけて文献調査、概要調査、精密調査へと
進む。

科学的有望他の条件や基準は、専門家らでつくる経済産業省の作業部会で検討が続く。火山帯や
断層帯は従来通り避ける方針。これまでの議論では、軟弱地盤を避けるため関東や関西などの平
野部も除かれる見通し。地下水の動きが少ない沿岸部や沿岸の海底下などが検討される可能性も
ある。

また、宮沢洋一経産相は22日の閣議後の会見で、科学的有望地の提示について「自治体の数でい
うと相当数になると思っている」と述べ、最初は自治体を示すのではなく、全国を適性が「より
高い」「ある」「低い」と三つ程度に区分けしたイメージを想定しているという。新方針には、
調査の前段階で幅広い立場の住民が意見を交わす継続的な「対話の湯」を設けることや、将来の
技術進歩で別の処分法に見直せる余地を残すため、搬入した廃棄物を回収できるようにすること
も盛り込む。最終処分が始まるまでには長い年月がかかるため、経産省は22日、原発にたまり続
ける使用済み燃料の貯蔵容量を増やす具体策を作る方針も示した。

処分地選定は、電力会社などが出資する原子力発電環境整備機構が2002年から調査の受け入
れを公募するも、高知県東洋町が07年に応募するも後に撤回しただけで調査できていない。最
終処分のめどがないまま原発再稼働をめざす国の姿勢への批判もあり、13年末に関係閣僚会議
が設置され、見直しを決めた経過がある。

ここまで放置を許してきた個人的な後悔もあるが、行政政府に対する不審・不満は、昨今の火山
活動のマグマのように、たまりにたまり続けている。一刻もはやく安全宣言できる状態にもって
いかなければと考える。ここは忍の一字。

                                     



   

【日本の政治史論 15:政体と中枢】  

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』  

  目 次  

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策   


  第8章 官僚の政策が壊す日本


                                    官僚は公正中立でも優秀でもない                        

  この中国の新幹線やリニア事件のように、今後も技術が流出して終わりにならないとも限
 ら
ない。
  もちろん、日本政府もこのようなリスクに気がつかないはずはない。民間企業はさらにこ
 の
問題に敏感だ。しかし、政府が動き出すと、客観的な情勢分析に様々なバイアスがかかり、
 正
しい戦略を取れなくなることが多い。とりわけ、パッケージ型インフラ海外展開ピジネス
 を成
長戦略の目玉としてぷちあげてしまった民主党菅政権にとっては、あらゆるプロジェク
 トに前
のめりになっていくリスクが極めて高かった。

  実際、2010年2月末には、仙谷由人民主党代表代行は、国会で予算審議が難航する最
 中
にベトナムを訪れ、「鉄道・原発」の売り込みに玖しんでいた。
  政治がそのような姿勢を取ると官僚はこれを巧みに利用する。民間もうまくリスクを国に
 押
しつけて、おいしいとこ取りを狙う。こうして、戦略的な判断による強かな交渉とは似て
 も似
つかぬ、政官挙げての無防備な突撃作戦になってしまう。まるで特攻である。
  経産省も油谷氏のPRを盛んに行ったようだ。これは、相手国を利する動きになっている。
  たとえば、日本がインドやベトナムで優先交渉権を得たというが、原発の建設予定は一つ
 で
はない。日本以外にも複数の国々と交渉をしており、互いに競わせ、もっとも自国の国益
 にかなう道を探っている。だから、優先交渉権を取れたからといって、大騒ぎするほどのも
 のではない。

  しかし、大きなプロジェクトの受注は政治的な宣伝材料としては格好のものなので、民主
 党は声を大にして「凄いだろう」といいたくなるだろう。
  経産省は、プラント型パッケージセールスの主導権を取りたいがため、これを後押しして
 政権のご機嫌を取る。もちろん、自分たちもそれで高揚しているから、そのうち、本当にこ
 れは凄いことだと思い込んでしまう危険性か高い。
  たとえば、べトナムの優先交渉権取得は厳しい状況だったが、仙谷官房長官が各省に号令
 をかけ、日の丸チームを作って一気に流れが変わった」と持ち上げる解説を、記者たちを呼
 んでやる。経度省にべったりの新聞が早速取り上げ、記事にした。

  そもそも、相手国から見れば、日本だけ本当に特別扱いして儲けさせるなどという発想は
 ない。相手を引きつけて、それから思い切りしやぶり尽くそうと考えるのが当然だ。ベトナ
 ム側からすれば、しめしめである。
  大々的に宣伝すればするほど、日本は後には引けなくなる。条件が折り合わず、途中で降
 りるなどというみっともないまねもできなくなるのだ。
  こうしてベトナムは、いくらでも要求を突きつけられる。一方の日本は、無茶な条件でも
 呑まざるを得なくなるのだ。 

  これでは本当に先が危ぶまれる。交渉が不利になることが分からず、日本が一方的に得し
 ているように思い込んで、内向きの政治宣伝のお先棒を担ぐ官僚、そしてそれを鵜呑みにす
 る記事が出るようなナイーブな国――。こんな国が、強かな新興国を相手に、有利な交渉が
 できるとはとても思えない。

  福島原発事故でのサルコジ大統領の訪日は、フランスの原子力産業のためのセールスに他
 ならない。一歩間違えば日本や世界中から非難されるかもしれないなか、彼の売り込みは一
 定の効果を上げそうだ。平時に売り込みをしたところで、逆に足下を見られて見返りを要求
 される。日本か窮地に立たされているいまなら、恩を売りながらセールスができると踏んだ
 のであろう。
  こうした芸当が日本政府にできるだろうか。残念ながらはなはだ心もとない。



                    天下り法人がドブに捨てた二千数百億円

  第三の問題として、政府が金儲けの目利きができるかという問題かある。とりわけ、20
 年から30年にも及ぶピジネスの先を見通すことは極めてむずかしい。だから民間だけでは
 対応できないというのだか、では、政府が入ることでその確実性か増すのか。
  途上国では、民間よりも政府のほうが人材も優秀だったり、情報収集力でも勝っていたり
 ということで、政府が前に出るメリットがはっきりしている。では、先進国ではどうか。

  アメリカでも国を挙げてインフラを売り込むビジネスは「ステートキャピタリズム」の名
 で
話題になりつつあり、日本でも「新重商主義」として注目が高まっている。しかし、アメ
 リカ
政府の情報収集力はもちろん他の追随を許さないものだ。政府高官には民間企業の経営
 で実績
を示したプロも多い。さらに軍事協力など民間にはできない特別の武器もあり、政府
 か前に出
ることにそれなりの合理性がある。

  それに比べて日本はどうか。ピジネスに関する目利き能力という点では、日本政府ははっ
 き
りいって幼稚園以下である。
  NTTの株式売却収入などを原資にしてご2000億円近くの資金を、経産省がベンチャ
 ー
支援と称してあまたの企業に出資したことがある。結果がどうなったか――。還ってきた
 のは
わずかに5パーセント。なんと2千数巨億円がドプに捨てられたも同然、大損失を出し
 たので
ある。運営したのは天下り法人。それに対して誰一人責任を取っていない。

  そもそも、日本政府がやったインフラ整備の結果を見てみるが良い。車より熊のほうが多
 い
といわれた地方の道路、空港、港湾、至るところで失敗の山。成功例は失敗に比べれば、
 10分
の1以下だろう。インフラについては政府の競争力は極めて低いのである。とにか
 く、政府が
出て行くと金儲けの確実性が増すという考えは捨てたほうが良い。
  インフラをビジネスにすれば、一時期、日立や東芝など複数の日本企業は潤うかもしれな
 い
が、日本の国益という視点でトータルに見た場合、儲けが出るかどうかは別だ。

  ベトナムやインドで原発を作ることによって電力の安定供給が保証される、あるいは高速
 鉄道を整備して物流網を整備するのも同じことだ。もちろん経済協力という側面もあるので、
 その部分は別に考えなければならないが、そうであれば、その分は経済協力の予算を減らし
 て良いことになる。

  いずれにしても、国民に直接稗益しないという面において国内のインフラ整備とは根本的
 に違うのだから、各プロジェクトの推進に政府がリスクを取ることによってどれだけのリタ
 ーンがあるのか、しっかり見極めなければならない。ハイリスクならばハイリターンがなけ
 ればならないのだ




                      役人がインフラビジネスで得る余禄

  最後に、パッケージ型インフラ整備が大失敗に終わる可能性を高める最大の要因について
 指摘しよう。これまで述べたところから概ね推測かつくと思うか、役人がパッケージ型イン
 フラセールス」に執心するのは、おいしい汁が吸える可能性があるからだ。大型プロジェク
 トには、政治家も役人も企業家も蜜に集まる蟻のように寄ってくる
  たとえば、原発を世界に売り込むに当たって、官民出資の投資ファンド、すなわち産業革
 新機構が出資して、国際原子力発電なる新会社を設立した。いまはさすがに天下りは行って
 いないか、そのうち、この会社は役人の天下り機関になる可能性がある。
 
  インフラピジネスは余禄があるだけでなく、経産省や国交省などの役人にとって、とても
 愉
しい仕事でもある。
  受注すれば大きなピジネスになるので、関係企業の社長は、大臣以下、事務次官、局長の
 と
ころに日参して、「お願いします」とペコペコする。貿易保険やJBICの融資を引き出
 した
り、経済協カプロジェクトにつけてやったりすれば、なおのこと、社長は経産省に米揚
 きバッ
クのように頭を下げる。

  経度省は規制や補助金などの利権が少ないので、最近はとくに企業のトップが経産省に頭
 を
下げるという関係は少なくなってきた。それがインフラピジネスなら、続々と社長が集ま
 って
きて、しかもみな頭をドげて帰る。役人にとってこんな気持ちの良いことはない。
  企業から見れば、白分たちが負うべき数巨億円あるいは数千億円単位の巨大なリスクを国
 民
に押しつけることができるのであるから、頭を下げることなど安いものだ。何百回でも頭
 を下
げるだろう。

  ここで、企業が頭を下げるということは、役人の発想では、天下りを送り込める可能性が
 高
いということ。今後、パッケージ型インフラ整備で産業革新機構に出資してもらったり、
 貿易
保険をつけてもらったりした企業などに、天下りやそれに代わる現役出向などで経産省
 の役人
が面倒を見てもらうことになる可能性がト分にある。すでに天下りを受け入れている
 企業で
は、今後もそのポストを提供し続けるということになるだろう。 

  損する可能性の高い事業に役人が平気で国民の税金を注ぎ込めるのは、役人ならではのお
 かしな金銭感覚も関係している。
  役人は、いま損するわけではないものには、あまり考えずにどんどんおカネを出す。役人
 にとって、仕事は予算を取って使うこと。そこで、ピリオドだ。その結果には関心がない。
 投資したキャッシュがすべてなくなっても、キャッシュを追加するわけではない。つまり新
 たな予算とは関係ないので、自分の仕事とは関係ないというのが、役人の感覚なのだ。

  役人の世界では成果を問われない。役人は投資したカネがどのような成果につなかったの
 か、ということには、まるで関心かないのだ。先ほど述べたNTTの株式売却益を2千数百
 億円なくしてしまっても何の問題にもならず、誰も責任を取らなかったのがいい例である。
 

                        わざわざ借金して投資する産業革新機構の愚

  産業値新機構も役人的な発想でできあがった政府系ファンドだ。同機構は、先端技術や特
 許の事業化の支援などを目的として、産業活力再生特別措置法に基づき、2009年7月に
 設置された。投資対象は、先端技術による新事業、有望なベンチャー企業、国際競争力の強
 化につながる大企業の事業再編などとしている。

  政府か出資する投資ファンドを「ソブリンファンド」という。資源国のソプリンファンド
 は石油や天然ガスで儲けて余った国のねカネから成り、資源を持たない先進国では、積み上
 かった年金や外貨準備を原資としている。

   

  日本の産業革新機構も、国のおカネを運用している点ではソプリンファンドに近いが、政

 府が出資している920億円は、基本的に国民からの借金。機構が金融機関から資金調達す
 る場
合、8000億円まで政府保証がつけられるので、最終的リスクは国が負う。
  いずれにしても、わざわざ国が借金しておカネを運用しようとしているという点で、普通
 の
ソプリンファンドとは違う。そもそもこれだけ財政状況が悪化しているときに、借金をし
 てま
で投資をするという発想自体か変だ。結局、無駄のオンパレードとなった昔の財政投融
 資のプ
ロジェクトと似ている。

  現在は財政状況がより悪化しているからもっとたちか悪い。借金返済で首が回らなくなっ
 た
ので、一発逆転、大穴狙いで万馬券の夢を追うというのに近い。
  しかも、時限立法で定められた機構の設置期間は15年。つまり最長15年の間で出資し
 た
おカ參を回収する。
  民間会社の15年先のことは誰にも予測できない。その間に経営者も変わるだろうし、企
 業
を取り巻く環境も大きく変化する。途中で出資した企業が倒産し、焦げつく恐れはいくら
 でも
ある。
  従って、よほど高いリターンでないと、投資する人はいない。しかも、どかんと投資する
 人
は皆無に近い。そこで多くの人から少しずつ出資させて、リスクの分散をはかる。 

  機構のインセンティプの構造がおかしいという問題もある。いま産業革新機構にいる人は、
 案件をたくさん作れば有名になり、当面の市場の評価を得られる仕組みになっている。しか
 し、本当にその案件で儲けられるのか、結果が出るのはずっと先だ。
  15年間、ずっと居続ける人はいないだろう。10年以上先に結果が出たときには、案件
 を作った人はすでにいない。だから、結果は考えず、投資先をなるべく多く見つけようとす
 る。



  私は2003年に立ち上げられた産業再生機構に執行役員として出向していた。産業再生
 機構が成功したのは、組織の存続期間が最長で5年、実際には4年で終わったからだ。しか
 も、個別案件単位では3年以内にプロジヱクトを終了しなければならない。3年先なら、そ
 の案件に携わった人か結果責任を問われる。
  失敗すればその人の市場の評価は下がり、再生機構の廃止後の転職で著しく不利になる。

  短期間で辞めれば逃げたといわれるし、わずか数年前のプロジェクトだから、誰が責任者
 かはすぐ分かる。よって、結果が悪ければその人の評価に響く。
  自分の市場価値に関わるので、参加した民間の人たちは、死に物狂いで成果を出そうとし
 た。産業再生機構が成功した裏には、こうしたインセンティブ構造があったのだ。
  一方、産業革新機構では、そういうインセンティブ構造になっていないところで国のおカ
 ネを使わせる。これはたいへん危険な話だ。

  最近の産業革新機構か取り上げた案件を見ていると、当初考えられていたベンチャー支援
 とは似ても似つかぬ政治案件があったり、大企業支援案件のための打ち出の小槌として使わ
 れ始めたりしている。私にはそうとしか見えない。

  役人の政策か浅はかになるのは、利益の誘導もさることながら、現場をほとんど知らない
 からだ。たとえば経産省の官僚はビジネスマンとして得意先と丁々発止の交渉をしたことも
 なければ、実体経済に詳しいわけでもない。審議会にかけて検討してもらい、まとめるとい
 っても、しょせん耳学問だ。利益誘導を抜きにしても、実情に即した政策を作るだけの経験
 も知識もない。そういう意味でも、回転ドア方式で、震が関に民間の血を入れる必要がある


ここで、米国的行政制度の「回転ドアー方式」に触れておこう。捕虜理論(Regulatory Capture)と
いう、規制機関が規制されるべき事業者側に取り込まれ、規制される事業者側の利益の最大化に
貢献するという最悪の状況である「天下り問題」の根源となる。そこでその解決方法として「回
転ドア方式」が提言され、米国ではは政権が変わったタイミングで公務員のほとんどが辞表を出
して民間のシンクタンクに戻ったり、経営の実務で経験と知識を深め、次の政権交代に備えてき
た歴史があり、この制度を担保するために、必ず能力に見合った仕事が与られている。投資経験、
実務経験、ビジネス・センスを持たない霞ヶ関からの天下り職員が、年金基金の原資を食い潰し
てきた反省に立ち日本でもこの方式採用としてきたが、国家官僚達の激しい抵抗にあい道半ばに
ある。ところが、回転ドアー方式も悪用されるケース――関連企業の意を受け民間人(あるいは
半官半民族)が天登りと天下りを繰り返す――もあるのでよくよく考えておく必要があるが、民
間企業の最前線で働いてきたわたし(たち)も概ね共感できる内容となっている。次回は一旦「
序章」→「4章」に戻り、その後「終章」の順に読み進めていく。


                  
                  この項つづく

 

   ● 今夜の一曲

'Nineteen Hundred And Eighty Five' 
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM

 

アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』収録。オリジナルでは同アルバムの最後を飾る曲。「ポー
ル・マッカートニー・コレクションシリーズ」では後に「愛しのヘレン」(Helen Wheels)など
ボーナストラックが続く。米国と日本では、シングル『バンド・オン・ザ・ラン』のB面に入っ
た。
ラゴスでレコーディングされたものに、ロンドンでストリングスとブラス・セクションをオ
ーバーダビング。印象的なピアノで始まるメロディが繰り返される内にダンスミュージックて、
ロックとなり壮大なオーケストラの最後に「バンド・オン・ザ・ラン」の一節がリプライズで現
れるポールのアレンジャフルサウンド。さては、お楽しみを。

 

  ● 今夜の一枚

理解できないが、理解しよう。^^; ?!

アイルランド、国民投票で同性婚合法化


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一本足打法の風力発電機

2015年05月24日 | WE商品開発

 

 

     バッターボックスに立たなければ試合は始まらない
           
バッターボックスに入らなければ試合は終わらない

 

 

【羽根のない風力発電登場】 

「羽根のない風力発電機」に風が当たると、空気の流れによる渦(ヴォーテックス)の力で上の
ほうが大きく揺れる。内部の下に
組み込まれた反発する2枚の磁石により、揺れにより生じる上
下の動きで電力を発生させる。通常の発電機と同様に、電磁誘導の作用で機械エネルギーを電気
エネルギーへ変換する――そんな風力発電機が2016年に登場するというということで話題と
なっている。これはスペインのベンチャー企業「Vortex Bladeless(ヴォーテックス・ブレードレ
ス)」社が開発中の風力発電機で羽根(ブレード)のない風力発電機で、見た目は野球のバット
に似ている)。外側の素材はカーボンファイバーとグラスファイバーを合成したもの。




この原理については、「スマートキャンティに振動発電を組み込む」(『ドライマウスからスマ
ートキャンティ』2015.02.06)で紹介しているので(下図をクリック)それを参考願いたい。

 

【オールバイオマスシステム完結論 13】  


現在は高さが6メートルのプロトタイプをフィールドテスト中で、2016年に発売予定の最初の製
品は2倍の12メートルになる。発電能力は4キロワットと小さく、家庭や小規模の会社で利用
することを想定。さらに発電事業用の1メガワット(=千キロワット)クラスの製品を2018年に
投入する計画。高さは百メートルを超える見込み。(1)同社試算では、従来の風力発電機と比
べて電力1キロワット時あたりの発電コストが40%も低くなる。(2)機械的な部品を使わな
いため、メンテナンスのコストも小さく、(3)風車の回転による騒音の発生や鳥の衝突も生じ
ない。(4)細長い円筒形の構造物を立てるだけで済み、狭い場所に設置することも可能になる。




Vortex社は製品化に先がけて6月1日から、インターネットを使って多数の出資者を募るクラウ
ドファンディングを開始。これまに投資家から百万ドル(1億2000万円)を超える資金を集めたが、
クラウドファンディングを実施して米国を中心に市場に狙っている。
 

   

【日本の政治史論 14:政体と中枢】  

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』  

   目 次  

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策   


  第8章 官僚の政策が壊す日本

                                    官僚は公正中立でも優秀でもない

  政治家やビジネスマンの場合、秀才の思い上かりがあると、やがてわか身に返ってくる。
 ビ
ジネスマンが、いくら俺は凄いんだ、頭がいいんだといったところで、仕事の成績が悪け
 れ
ば、笑われるだけである。政治家も世論の批判にさらされるし、なによりも選挙という国
 民の
審判がある。
  対してキャリア官僚は、成果で評価されることはないので、自分か稿り高ぶっていること
 さ
え分からない。
  多くのキャリア官僚は政治を軽んじている。

 「大臣なんてすぐに代わる。永続して政策を考えているのはわれわれだけだ。われわれかい
 な
ければ、政策一つ満足にできない。日本の官僚は公正中ふで優秀だ。政治家は専門知識が
 なく
利権に走る。従って、われわれ官僚が行政の主たる担い手になるべきだ」
 と、本気で思っている人か少なくない。

  私は、この自信が良く理解できない。第一自分だちか優秀だという根拠かない。東大を出
 
て官僚になったことが根拠だとしたら、あまりにも思慮が浅い。
  確かに官僚になった時点では、人材の質は高い。省庁の選考は、ディベートなどもあって
 
民間に比べると比較的厳しい。それを潜り抜けてきたのだから、優秀だったのだろう。 

  しかし、これはI.0代前半の時点での話だ。その後のスキルのレベルアップやキャリア
 で、いくらでも能力は伸び縮みする。
  遂に官僚が優秀でなかった証拠ならいくらでもある。もし、日本のテクノクラートが本当
 に優秀なら、現在のように財政が火の庫になるまで放置していただろうか。経済かこれほど
 急速に萎んでいただろうか。

  官僚は優秀でも公正中茫でもないのでは、と疑わせる事例は、枚挙にいとまがない。社会
 保険庁の消えた年金問題、空港の需要予測、1400兆円の国民金融資産を抱えながら世界
 で競争できない銀行を作った護送船団方式、住宅行政への信頼を地に落とした耐震偽装問題、
 摘発しても摘発しても続く官製・談合……これが本当に優秀な官僚のやることかといわれれ
 ば、俄かに反論できない。

  おそらく福島原発事故を検証すれば、日本の官僚かアメリカやフランスなどの官僚と比べ
 て、10年以上遅れた世界にいることが分かるのではないか。ニューヨーク・タイムズ紙な
 どには、早くもそうした論評が載り始めている。
  にもかかわらず、霞が関の官僚組織は日本最高の頭脳集団で、彼らに任せておけばなんと
 かしてくれるという幻想を抱いている国民が、まだいる。もはや、こんな幻想は.自害あっ
 て‘利なしである。公務員制度改革や経済再生を進めるにiたっては、公務員は公正中立で
 優秀だという前提を捨ててかかるべきである。   
                               

                                    インフラビジネスはなぜ危ないのか

  霞か関と民主党政権か一体となって熱心に取り組んだ『パッケージ型インフラ海外展開」
 も、適切な政策かどうか、怪しい限りである。
  日本にはインフラ関連の優れた製造業がある。原了力発電、新幹線、水関連技術など、こ
 れ
から新興国を中心に大きな財要のある分野だ。 
  しかし、単品として、あるいは個々の技術としては世界最高レベルでも、それを長期間に
 わ
たりシステムとして管理・運営して利益を出していくという取り組みでは、欧米の企業に
 後れ
を取ることが多かった。最近では韓国やロシアなどの追い上げにも遭っている。だから、
 この
分野で、官民挙げてオールジャパンで取り組もうというのである。

  この分野に目をつけるのは正しい、政府と民間が協力して収り組むこともいい。だが、目

 的が正しいから何をやってもいいとはならない。手段の適切性を慎重に咀恥しなければなら
 な
いのだ。
 「パッケージ型インフラ海外展開」の発想の原点は、これをやれば、日本は儲かるだろう、
 で
ある。では、本当に儲かるのか。総理が首脳会議で「日本の企業にもいい製品があります
 よ」
と売り込むのはコストゼロなので、いくらやっても損はない。福島原発事故の際、フラ
 ンスの
サルコジ大統領がいち早く訪日し、自国企業の宣伝を大々的に、しかも巧妙に行つた
 のは一つの手本だ。

  しかし、問題はその先だ。こうした国家的なお祭り騒ぎは、後で国民につけが回ってきて
 終わりということが多い。
  まず第一に、インフラ事業の海外進出は10年から20年という息の長い取り組みが必要
 だ。国家戦略としてこうした取り釦みを継続的に進めていけるような体制が政府にあるのか
 どうか。つまり、組織力の勝負で勝てるのか。これまでの経験では、答えはNOだ。

  日本人は、「組織力か強みだ]と自画自賛することが多い。政府にはとりわけその傾向が
 強い。個人で戦うことに自信がないのでチームワークをことさら強調する。
  しかし、日本の強みはチームワークの「和」ないし「協調性」の部分であり、たとえば、
 組織としての決断力、俊敏烈、行動力などにおいては、欧米の政府や企業に比べて明らかに
 劣っているということをあまり自覚していない。とりわけ、大企業や政府においてその傾向
 が強い。私の経験では、俊敏果敢な行動や意思決定においては、大企業よりオーナー経営の
 中小企業などのほうがはるかに優れていると思う。



  たとえばイランで日の丸油田開発を目指したIJPC(イラン・ジャパン石油化学)事業。
 三井物産を核とした三井グループが、イランの原油確保を目指して1971年からスタート
 させ、円借款や貿易保険も用いた国家的プロジェクトとして進められたが、18年の歳月を
 費やしても油田はできず、イラン革命、イランーイラク戦争で撤退を余儀なくされ、膨大な
 損害をこうむった、政府も重大な損害を出した。
 
  IJPCに取り組んでいたとき、企業も国も最大級のブロジェクトだとみな気分が高揚し
 ていたが、見事に失敗に終わってしまった。このとき、イラン・イラク戦争に関する情報入
 手やその後の意思決定でも、口本はもたついて被害を拡大させた。つまりこれは、日本は組
 織力という点で決して秀でていないという一例である。

  そしてこの組織力の弱さは、福島原発令故の対応でもはっきりと証明されてしまった。政
 権中枢や担当省庁、主体となる企業はただ右往左.往するばかりで、組織としてまったく機
 能できなかった、難しい決断や迅速な判断は、いずれも組織の命運がかかる重大事項だ。日
 本の政官すべてかそうした面で、比較劣位にあることを十分認識すべきであろう。

  競争力のない分野に無理やり突っ込んで行くことかいいのかどうか。むしろメインコント
 ラクターのもとで、部分的にその機器を売り込んで、利益を短期で暖定すべしという考え方
 も十分ある。やみくもにパッケージを賛美し、何十年分ものリスクを取ったほうが勝ちだと
 いう偏った考え方は取るべきではない。

  第二に、組織力の話とも関連するが、日本政府が前に出ることで、相手との交渉で有利に
 立ってるかということがある。途上国といっても、独立や国家統一のために何回も戦争や内
 戦を経験し、生きるか死ぬかの困難な外交交渉を乗り越えてきた国々が相手である。この海
 千山千の国々を相子に、日本政府が強かな交渉をできるかどうか。 

  過去の例を振り返れば答えは簡単だ。「否」である、現在の日本政府の浮かれたお祭り騒
 ぎ
を見ていると、相手からすれば、カモがネギを背負ってやってきたという状況になってい
 るの
ではないかと、不安でならない。
  事実、新幹線や原発の受注交渉で、各国から次々と灸件を突きつけられている。たとえば、 
 新幹線の車両を現地生産しろ、あるいは超長期の運転保証をしろ、また技術移転をしろと。
 機
器を現地生産するとなると、技術の流出は避けられない。
  中国では新幹線を売り込んで技術か・取られ、いまや「中国製新幹線」は日本の強力なラ
 イバ
ルとなりつつある。


                             
  これは日本だけが直面している問題ではない。中国は、2002年に上海りニアモーター
 カー
を開通させ、上海万博が聞かれた2010年、杭州にまで延長した。上海リニアの入札
 はフ
ランス、ドイツ、日本で争われ、最終的にはドイツに決まり、工事が行われ、延長区間
 も引き
続き、ドイツの企業が請け負うことになっていた。

  ところが、ドイツのリニア工場に中国人技術者が忍び込む事件か起き、その後、中国政府
 は
延長りニアの「10パーセントはドイツに発注するが、後はすべて自国でやるから技術移
 転を
しろ。その条件を呑まなければ発注しない」と要求してきた。そして実際、独自で開発
 したリ
ニアの実験を開始、国産リニアを完成ざせてしまった。

                                   この項つづく

 

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大阪都構想とポツダム宣言

2015年05月23日 | 時事書評

 

 

 

   ポツダム宣言は、つまびらかに読んではいないが、日本は
            ポツダム宣言を受け入れ、戦争が終結した。

                                   
    安部首相 


  

【日本の政治史論 13:政体と中枢】      

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                           古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

   目 次 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策  

  第7章 役人―その困った生態 

                      なぜ犯罪を放置しておくのか

  私が配属さねた取引信用課はクレジットカードやリースに関する規制を扱う部署である。
 当
時としてはまだ珍しかった債権の流動化などという先端的な余.融商品の導入や振興など
 も行っ
ていた。
  サラ金は金融庁の所管だが、クレジットカード会社はカードローンなどの消費者金融もや
 っ
ているので、そちらの分野も関係していた。サラ金とクレジソトカードは、規制のうえで
 は別のジャンルになっていたか、払にはなぜわざわざ分けているのか、さっぱり理解できな
 かった。




  当時の仕事でおもしろかったのは、クレジットカード偽造対策である。その頃もすでにク
 レジットカードの偽造が横行していた。クレジットカードの情報を磁気テープから読み取り、
 偽造カードに移して正規のカードを装い使う、クレジットカード会社はその対策に必死だっ
 た。
  たとえば、クレジットカード会社のセキュリティーセンターに行くと、時折、ピポという
 音が聞こえる。カード加盟店に置かれている端末のリーダーから送られている情報を分析し、
 偽造カードの疑いかある買い物に関しては瞬時に警告音が鴫る仕組みになっていた。
  警告七日が鳴るのは粒として次のようなケースだ。まず、換金性の高い商品の』兄て続け
 の購入。当時ならテレビやピデオデッキといった高額の家電製品は換金しやすい。また、ビ
 ール券や商品券、新幹線の回数券なども金券ショップで売れる。

  家電製品を伺台も、別々の電器店で間をおかず買うことはまずない。回数券などの購入に
 ついても、常識的に見て、あまりにも大垣だった場合はチェックされる。
  あるいは不自然な買い物。たとえば、東京都の杉並区在住のサラリーマンは、過去の記録
 では、家の周りと新宿近辺で買い物をすることが多い。ところが、休日でもないのに、遠く
 離れた千葉で電器製品を買ったという場合なども警告音が鳴る。
  警告音があると、センターでは販売店への承認の信号を出すのをやめ、店に電話をかけて、
 性別や年齢などかカードの所有者と合致しているか、確かめてもらう。その結果、怪しいと
 なると、店員か利用者に事情を聞く。偽造カードの場合、だいたいその前の時点で、相手は
 逃げるとのことだった。

  クレジットカード会社は、このようなソフトを開発し、涙ぐましい努力を続けて偽造カー
 ドの使用防止に努めているが、しょせんイタチごっこだ。クレジットカード会社が新たな対
 策を講じれば、偽造グループはそれを破るシステムを考案する。どこまで行っても完璧な対
 策は無理だった。

  そうしたなかで、VISA、アメリカン・エキスプレス、マスターといった大手か要望し
 ていたのは、偽造カードを取り締まるための法改正だった。
  当時の刑法では、クレジットカードの偽造に対する規制は非常に緩かった。クレジットカ
 ードの偽造は、法的には「有印私文書偽造」という。偽造のなかでもっとも手厚く禁止措置
 が決められているのは通貨の偽造で、行使の目的で偽造紙幣を作るための紙やインクを用意
 しただけで罪に問われる。行使の目的さえあれば、譲り渡しても罪である。偽造罪で捕まれ
 ば、最大、無期懲役までの重い刑罰が科される。

  ところが、これだけ重罪扱いされているのに、たとえ偽造だと分かっていても、他人から
 知らずにもらったものを所有しているだけでは罪にはならない。なぜなら、その後、所有者
 が警察に届け出るかもしれないし、知らないで偽造通貨をもらってしまっただけで罪に問う
 のは酷であるからだ。

  次に重いのは株券などの有価証券の偽造で、有印私文書はさらに重要度が低いという扱い
 である。その偽造は、たとえ使うつもりで所有していても、罪にはならなかった。
  クレジットカード偽造に対する罰則が緩かったのは、情報窃盗に関する法整備が進んでい
 なかったせいもある。正規のカードからスキミングして偽造カードを作るのは、情報の窃盗
 である。しかし、当時はまだ情報の窃盗に関する規定がなかった。

 
                   お上の発想は「クレジットカードごとき」

  クレジットカード先進国の欧米では、ドイツを除いて法整備が進んでおり、偽造カードを
 持っているだけでも罪になる。ドイツも私がいた間に法改正をした。日本だけが遅れている
 わけで、クレジットカード会社の大手三社の副社長クラスが揃ってやってきて、「なんとか
 してくれ」と陳情する。私もおかしいと思ったので、「分かりました。やりましょう」と答
 えた。

  ところが、部下に聞くと、「ぜんぜんだめですよ。絶対できません」という。理由を尋ね
 てみると、こうだった。お上の発想は、「クレジットカードごとき」である。通貨でも持っ
 ているだけでは罪に聞えないのに、クレジットカードごときでは、絶対に法務省が認めない
 というのだ。情報窃盗罪に関しても、一向に議論が進んでいないとのことである。
 「法務省の法制審議会、刑法部会でもう20年ぐらい議諭しているんですが、表現の自由も
 あって、いまだに結論が出ていない。こんな案件を持っていっても、法務省はまったく相手
 にしてくれませんよ。絶対無理です」

  これまても私がやろうといって部下が止めるケースはよくあった。世間では若い人が新た
 な試みを提案して、しか渋るという例が多いか、私の場合は逆で、私か提案して部下ができ
 ないから、やめたほうがいいと止める場合が大半だった。
  私は、上司にはっきり意見をいう部下か好きだ。意見が違っても、議論すれば、お互いの
 理解が深まるし、後で反対する大たちを説得するためのヒントも見つかる。自ずと十分な準
 備かできるし、難しい課題でもやり遂げることかできる、

  そのときも同じだった。部下が反対したから「そうか、やっぱり無理か」と、いったんほ
 納得しかかった。しかし、後で考えてみて、いやモれでもやるべきだ、こうしたらできるん
 じやないか、と思い、再び部下にぶつけて説得を試みた。これを何度もやると、部下もその
 気になってきた。その後は、みんなでおもしろかつて仕事を進めるようになり、実現すると
 いうパターンだった。

  私は人の管理か得意だとは思っていないが、チームの什嘔をおもしろくすることには長け
 ていたような気がする。それと、払は上と喧嘩するのは得意だが、部Fと喧嘩するのは犬嫌
 いだ。ときには上から押しつけて無理に何かをやらせるというのは、優秀なL司の条件なの
 かもしれないが、私にはどうしてもそれができない. 
  このときもそうだった..クレ、ジットカードの偽造は誰が見ても犯罪であろ。怒いこと
 をやっているのに捕まらないのはおかしい。さりとて、部下のいうことも一つの理屈だし、
 それを乗り越えないで無理に始めても、結局、途中で挫折するだろう。部下と徹底的に議論
 し、半年かけて理屈を整理した。その結果、できる残業代はゼロではないとなったので、法
 務省に案件を持っていった。

  だが、折想以Lに壁は厚かった。法務省の担当者は、「古賀さん、刑法の話ですよ。軽々
 しく持ってきてもらっても困ります」と相手にしてくれない。学者の先生方の見解も、「む
 ずかしいなあ。てきたとしても、まあ、早くて五年かかりますよ」。私が、「でも、どの国
 もやっているんですよ。日本だけがこんな犯罪を放置しておくと、世腎の笑い物になります
 よ。どう考えてもおかしいじやないですか」と反論しても、「むずかしいな」というばかり
 だった。

                    利権をかぎつけた警察庁の狙いを逆手に

  だが、私は納得できなかった。当時の刑法では、たとえば、こんなおかしな事態か現実に
 こり得る 偽造カードの製造の多くは香港をはじめとする中国大陸で行われていた。クレジ
 ットカードは同じVISAのカードでも発行元ごとにデザィンが違う。中国の偽造業者は、
 様々なデザインのカードを大疑生産し、それを詐欺窃盗グループが買う。こうしてfに入れ
 たカードを、ビジネスマンを装った人がアタヅシュケースに何千枚も入れて剛を歩いている
 ときに、転んでアタッシュケースが聞き、辺りに大量のカードが散乱したとしよう。ちょう
 どそのとき、警官が傍らにいても、彼を楠まえることはてきないばかりか、男は「.哺に恰
 ってくださいよ」と警官に頼めるのだ。

  警官か罪を犯すであろう人の手伝いをする――これはあってはならない話だ。
  法務省が相手にしてくれないのなら、世論に訴え、政治を動かすしかないと思った。そこ
 で、マスコミを使ったキャンペーンを開始した。テレビの番組にカード偽造のひどい実態を
 話し、取材してもらった。

  Max Shachtman  1904–1971


ここで、「法務省が相手にしてくれないのなら、世論に訴え、政治を動かすしかないと思った」
と重要なことを語っている。一介の行政官(国家公務員)がその地位を利用して先導するという
(1)手法と(2)その時宜である。著者の弁護をするつもりがないが、これは他の省庁が行っ
ている「霞が関権力」の報操作という常套手段。こう言った強者(組織団体)の行動行使は、
"スターリン主義"、言い換えれば、国家的集団主義を経験した青春期の経験から「慎むべき」も
のだと肝に銘じているが・・・・・・。さて、先を急ごう。



  記者に[なぜ、こんなに甚大な被害かおるのに、通産省は偽造カードを規制しないのか」
 と責めてもらう。それに私が答える。
 「日本では法律かないので、政府としてはいかんともしかたいんですよねえ……」
  典型的なマッチポンプだが、国民には実態を分かってもらえた。
  一方で犬匝への根回しも進めて、先に挙げたような分かりやすい現実に起こり得るケース
 について話もしたし、大臣の前でスキミングの手口も実演した。

  当時、居酒屋では、夜間、裏口などに鍵をかけずに開けっ放しにしているところが多かっ
 た。おしぼりの業者が、夜間、交換に来るし、開店前には食品業者か材料を届けに来るから
 だ。盗まれて困るようなものは置いていないから、無用心でも平気だ。と。法烏省の担当者
 は、正義感に・溢れている。『そんなのは許せない」といい、本気になった。

  法務省のキャリア組には、自分たちの天下り先を増やそうなどというよこしまな考えはな
 い。法務省で刑法の改Eなどを担当するのは、司法試験に合格した検事が中心で、法務省を
 退官しても弁護士になる道かあるので、天下り先を作る必要などないからだ。
  自立できる道があるかどうかで、行いは変わってくる。普通の役所のキャリアが省益のた
 めに働くのは、結局、最後は役所の世話にならないと生きていけないからだ。

  その点、法務省の検事たちは先を心配することかないので、正義感のほうが先に立つ。警
 察の刊咋狙いをテコに、法務省を動かそうというのが仏の作戦だった。この作戦がまんまと
 功を奏し物事が動きそうなのを見極めて、東大の若手の先生にお願いして、法案の準備に取
 りかかった。

                           官僚の「絶滅危惧種」とは

  しかし、法制審議会をすんなり迎せるかどうか自信はなかった。審議会の議論の進行を阻
 害していたのは、法律家としての美学である。商法には商法の美学、刑法には刑法の美学と
 いう具合に、法学者はそれぞれの法律に美学を求める。
  たとえば、本件では次のような議論か慎重に展開されることは確実だ。この法案をクレジ
 ットカードに適用するとして、では、プリペイドカードはどうか。法的に見て、これも対象
 になる。しかし、商店が出すスタンプカードには適用できるのか・・・・・・」有価証券との関係
 の整理から始まって、附の中のありとあらゆるカードにまで議論が及ぶ。これでは10年、
 20年経っても結論が出ない。

  そこで、クレジットカード大手三社に協力してもらって、アメリカの本社からあちらの規
 制に関する資料をすべて取り寄せてもらった。と同時にアメリカ視察を提案し、法務省刑事
 局の参事官に払の誄の課長補佐をつけて送り出した。
  すると、なんとアメリカ出張の最中、iの参心″官が自分のカードをスキミングされると
 いう、なんともタイミングのいい嘔件が起こった。帰国した参參官がいった。
 「古賀さん。これは、やっぱりやらなくちやあいけないね・・・・・・」
  もちろん、それで話が決まったわけではないが、法務省は、やる気になると速かった。最
 速でも5年かかるといわれていたものが、たった一年で法改正できたのだ。

  しかも、中身も徹底していた。刑法のなかに、新たに一章を立てる。殺人罪などと同じ扱
 いである。あらゆるケースを想定して刑罰が決められていた。できあがつた法案は、ほぼ完
 璧。偽造カードを所有するのも、スキミングするのも、偽造の準備をするのも、犯罪となっ
 た。ここまでできるのか、と感心したほどだった。

  最近、検察や法務省の評判がすこぶる悪い。しかし、私が知る検雅たちは正義感を持ち、
 圧しいことを実現するためには身を粉にして働いてくれる、頼りになる存在だった。
  その後、産業技術環境局技術振興課長、産業再生機構執行役μ、経済産業政策局経済産業
 政策課長、中小企宴庁経営支援部長などを歴任してきた。
  ここまでに書いたこと以外にも、上とぶつかったことは多々ある、決して公務員制度改革
 がその始まりではない、
  通産省に入省してから、いつの間にか.元年の歳月が過ぎていた。同期の大半はすでに退
 官しているのに、われながらよくこれまで追放されなかったなあ、と不思議に思う。

  しかし考えてみると、上とぶつかったときも、必ず省内に良識のある人たちの勢力かあり、
 私をかばってくれていたように思う。そうでなければ、とっくに私は経産省からいなくなっ
 ていただろう、
  ただ、寂しいのは、現在は、幹部に良識派といえる人がほとんどいなくなってしまったこ
 とだ。らなみに私は、官僚の良識派を「絶滅危惧種」と呼んでいる。 
 


  第8章 官僚の政策が壊す日本

                                   福島原発事故で露呈した官僚の欠点

  31年の官僚人生を通して、時折感じたのが、霞が関の秀才たちの悲しい習性だった。「
 利口だ「
秀才だ」と人から褒められると、われわれの脳はアドレナリンを分泌する。アドレ
 ナ
リンは快楽物質だから、気持ちがいい。また褒められたいと思い、一生懸命がんばる。そ
 のか
いあって良い成績を取れると、また両親から『なんて頭のいい子なんだ」と褒められ、
 アドレ
ナリンが出る。

  キャリア官僚の多くは、小学生の頃から「まあ、今日も100点なの、凄いわねえ」と母
 親
から褒められるのに始まって、地域で一番の進学校に入ってトップの成績だ、東大に合格
 した神童
だ、国家公務員試験に通った超エリートだと、事あるごとに賛美される人生を送っ
 てき
た。アドレナリンは出っぱなしで、次もまた褒められたいと、勉強に全力を投入してき
 た人が
大半だ。

  私は生来、怠惰で、勉強でも仕事でも少し気を抜くところがあったので、そうはならなか
 っ
たが、秀才は性格が歪みやすい。入れ込み迦ぎると、視野が狭くなる。これが秀才の陥り
 やす
い罠だ。
  秀才は、ただでさえ視野が狭いのに、世間から隔絶された霞が関という村社会にキャリア
 官
僚として棲みつくと、さらにどんどん視野が射まっていく。 

  それでもまだ、若いうちは多少なりとも周りも腿えるが、時が経つにつれ、霞が関村しか
 見えなくなり、頭は固くなる。
  しかし秀才の悲しい性で、常に褒められていたい。裏返していえば、秀才は他人からの非
 難に弱い。内心、おかしいなと思っていても、上司から褒められたい、叱られたくないと思
 い従う。
  そのうちに、たとえ世間から見ると「悪」であっても、気にならなくなる。
  官僚が巴間の非難の目に晒されているとはいっても、官僚の行動は常に「匿名」だ。自分
 が非難に週うわけではない。ト司は褒めてくれるし、自分の周囲にいる人たちもキャリア官
 僚だというと、[へえ、超エリートなんですね」といってくれる、

  このように褒められ続けていると、人は増長するものだ。自岫過剰になり、実寸大の自分
 を見失う。キャリア官僚がみな優秀なわけではない。客観的に見れば、一般の会社と同じよ
 うに、優秀な人もいれば、能力の足りない人もいる、
  ぬるま湯の霞が関だからこそ置いてもらえる、民間会社では使いものにならないだろうと
 思われるキャリア官僚も少なくない。だが、本人には自覚かないL、また霞が関にいれば、
 気づく機会もほとんどない。

  褒められたいという秀才には他にも欠点がある。それはリスクを取れないということだ。

 通常、危ないことをして失敗したら、怒られるか批判される。子供の頃から怒られたことの
 ない秀才は、失敗を極端に恐れるのだ。だから、みんなで渡れば怖くない「前例踏襲方式」
 に陥る。

  新しいことには挑戦できないし、イノベーションなど夢のまた夢だ。
  その結果、責任も取れない秀才は何事も責任名を不明確にしておく。何時間も会議をして
 責任を
うやむやにしなから、なんとかコンセンサスを作ってみんなの貞任ということにしよ
 うとする。彼らは、
少数派か反対を続けて、白黒をはっきりさせないといけない状況を極端
 に嫌がる。
 

  東竃の福島原発事故への対応でも、そうした欠点が露呈したのではないか。緊急事態で情
 報
が限られるなかで、咀裂な決断が求められる-ベント、海水注入、米軍への協力依頼。「
 褒
められたい秀才症候群」の秀才集団では、何一つ決められなかっただろう。総理に強く進
 言し
た官僚はいなかったのではないか。


                       官僚の辞書に「過ち」の文字はない

  官僚の特性の一つに「過ちを認めない」というのかある。秀才の特性といってもいい。常
 に
褒められていた秀才は、怒られることと批判されることを極端に嫌う。だから、批判のも
 とと
なる「過ち」は、絶対に認めたくないのだ。
  自分たちは優秀だから間違えるはずはないという瑞り。仮にそれに気づいたとしても、な
 ん
とか糊塗するだけの知恵を出している彼らは、官僚特有の「レトリック」を駆使して決し
 て過ちを認めない。
 
  これが官僚の「無謬性神話」である。

  福島原発の事故でも、事故を「事象」と言い続け想定外の津波のせいにしようとしたり、
 『すべて東電か悪い」といった説明に終始した。今後もなぜ津波の想定を5・7メートル
 したのか、なぜ全電源慨能停止を想定しなかったのかについて、さまざまな言い訳がなされ
 るであろう。
  とりわけ、このときに多用されたこの「想定外」という言葉は、彼らにとっては実に便利
 な魔法の、言葉だ。JCOの臨界事故も、柏崎刈羽原発を緊急停止させた揺れも、やはり想
 定外だった。

  しかし、それは単に自分たちが想定していなかったということに過ぎない・・・・・・。
  津波の高さの想定か廿すぎることはすでに知られており、特に、電源が津波にやられたら
 どうなるかという議論まで行われていたのだ。現に東海村では、この議論を受けて、電源を
 保護するための補強工事を実施していたという。
  つまり客観的には想定外でもなんでもなく、単に自分たちにとっての想定外だつただけな
 のだ。こうした驕り、リスク回避、無責任、無謬性神話は、「褒められたい秀才症候群」「
 「『私の』想定外症候群」の典型的な症状だ。

                                                        の項つづく

 

● ポスト大阪都構想論 Ⅰ 


                      『大阪の将来を潰した反対派』


                                             しが彦根新聞 押谷盛利

  後世の歴史がどう審判するか、世紀の大事業ともいうべき「大阪都構想」がタッチの差で
 葬られた。
 
 大阪市を廃止して、大阪都にし、これまでの府・市の二重行政の無駄をなくし、地方行政
 の徹底的見直しと改革
により、大阪を世界の大阪にしようとする偉大にして勇壮なる構想で
 ある。

  改革は2歩3歩.時間で言えば10年、20年後を見越した哲学を伴う。
  今回の住民投票の結果は全くの5分5分の結果で、維新対全政党・連合軍の戦という陣取
 り合戦を占えば、維新は相撲に勝って勝負に負けたというべきであ 今回の大阪都への賛成、
 反対
の大激闘は結果において大阪の将来の夢を壊してしまった。

  改革はいつの世にも先々を見通す眼力と正常な判断友鬼神も避けるという旺盛な実行力が
 伴わ
ねばならぬ。大阪市民は本質的に改革派だったそれは橋下徹という百年に一人ともいう
 べき優れた指導者の改革路線を信じ敬服していたからである。橋下維新が画いた大阪都は、
 日没する大阪ではなく、座以と比肩する日本の第2首都構想によるもので、単なる大阪経済
 の地盤沈下対策ではない。

  いま、日本の少子高齢化対策が喫緊事とされるが、それには人口の東京一極集中を打破せ
 ねばならぬ。首都圏巫ふの不安は震災後90年を迎えた関東大地震の地下マグマである。万
 一、東京が関東大震災級に見舞われれば首都機能は消滅しかねない。国内の地震予測は決し
 て楽観を許さないが、第2の首都・大阪都が国難と国民の不安を沈める行政府として機能す
  ることが期待される。地勢的には東の東京に比べ名古屋の中部畷関西以西の四国九州中国地
 方圏の中心都市となり、その求心力は大となる。当然のことながら世界の眼は新しい大阪都
 に着目し貿易、
観光面でアジアの玄関となる。外廊が世界都市の風格を示せば、内部の重工
 、軽工業の躍進は
もちろん、値喬の振興と発展は加速し、教育、文化、医療、福祉面面で、
 東京に欠けている。近代文化都市―
現する。その10年、20年後を先読みした大改革だが、大
 阪の維新以外の政党は大阪住民を裏切ったば
かりか、国家将来に水を掛けた。

  維新の捨て身の改革に立ちはだかったのは、自民、公明、共産、民主、社民など与野党混
 成の井の中の蛙集団であった。
  なぜ、彼らは「改革」に反対するのか。それは現状の生温い湯に浸かって自分たちの地斌
 利権にあぐらをかきたいからである。彼らには「あしたの大阪」がなく、「あしたの自分」
 が存在するだけである。なぜ、改革に反対するのか、こわについては次回に言及する。

                                           同上新聞「時評」 2015.05.22


彼女が、大阪都構想の否決に批判しているよと言い出したので  「しが彦根新聞」の時評欄を眼
を通した。
保守的論調の地元紙であるが、脱原発論を展開したりしている開明的な保守派の社主。
「浪速の夢 大阪都構想劇に幕」(『この胸のときめきを。』2015.05.20)に掲載した通り、こ
の時評に共感する。

● ポツダム宣言と戦後70年

もう1つ、彼女が13日の国会討論会でおかしなことになっていると呟いたので調べてみたのが
ポツダム宣言は、つまびらかに読んではいないが、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争が終
結した。」との発言。何だこの程度のことならわた(たち)と変わらないレベルの話で、侵略戦
争を認めようしない政治委員グループ(タカ派)?にしては額面通り受け取れば、不勉強なこと
ではないかとの感想とともに、何ともぼやけた歴史観で、戦前・戦中の戦争でウルトラ・ナショ
ナリズム化(「八紘一宇」)していく思想的遺伝性のようなものを感じた。

  ● 今夜の一品

他品種サイズに対応できる鉛筆削り。発想が面白いね!

 

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今夜も技術がてんこ盛り。

2015年05月22日 | 環境工学システム論

 

 

 

   能ある鷹は爪を隠す  /  ことわざ 

 

 

● 美濠浄化システム考  

国宝彦根城の濠の水質が悪いため悪臭がすると彼女が洩らした(「春雨前の花日和」/『ごくとう
ごくらく
』 2015.04.06)、ことが気になり、残件扱いにしていたが。そのことが引っかかり、暫く
のテーマを考えた。まず、その手がかりとして、国内特許技術を中心としてネット検索を試み、以
下の「特開2011-011098| 水質浄化装置」を参考にしてみた。



【符号の説明】

1 フロート 2 浮上槽  3 循環ポンプ  4 吸水管  4b 吸水口  5 スクリーン 6 送水
管  7 球状物体  8 静圧減少流域  9 マイクロバブル発生装置  10 大気自吸管 11 空
気室 12 流量調整弁 13 循環管  14 ドラフトチューブ  15 ブロワー 16 散気装置
17 水質浄化装置 18 昇降装置 19 ウェイト 20 アンカー  30 固液分離膜モジュール

このシステムは、閉鎖性水域のダム貯水池、湖沼、海域等の水面下に流入口が沈下している吸水管
を循環ポンプの吸水口に連通接続し、アオコ対策や貧酸素水塊対策として、マイクロバブル発生装
置と散気装置内装ドラフトチューブによるエアーリフト効果を併用した上、高水深化処理槽での有
機性廃水
生物処理における曝気処理、固液膜分離処理や難分解性廃水のオゾン分解処理も同様に行
えるようにすることで、従来の閉鎖性水
域のアオコ対策や、有機性廃水の好気性生物処理反応槽を
高水深化する廃水処理等で、散気手段を深層部に配設していたが、散気手段を浅層部に配設して深
層部の水と表層水を直接に混合し、省エネルギーが可能な循環流をつくることができるというブル
ーアクア・インダストリー株式会社の技術提案である。 

これをもとに、以下の5つの基本設計骨子として考案。

1.意匠性を重視
2.自律移動浮体型
3.太陽発電+蓄電池型動力源
4.マイクロナノバブル+紫外線型水質浄化方式
5.GPS内蔵3次元ソナー探査ナビ


1.意匠性を重視

観光的側面を考慮し、上図の「17 水質浄化装置」は360度の観光客の視線を考慮する。その
ため上図のような六角堂(多角数には選択性を残す)にすべてを納める。「1 フロート」は水面
下に納める。17の装置内の温度が40℃以下に維持できるように配慮する。六角堂型の屋根にソ
ーラーパネルを配置するが、曲線を必要な場合は可撓性薄膜ソーラーを使用し、できる限り高変換
効率タイプを採用する。

2.自律移動浮体型

浮体は炭素繊維強化プラスチック(CFRP)などの軽量タイプで製作し、沈降レベル調節は外付
けウエイト
や浮体空洞部に注排水方式とし、移動推進は3つのスクリューで移動させ、制御は水質
検出判定信号で作動させ、「GPS内蔵3次元ソナー探査ナビ」で制御するか遠隔操作で行う。ま
た、定点水質浄化中、浮体が許容内の風圧で流されることを防止するためにGPSモニタを利用し
移動推進スクリューで自動駆動制御する。なお、
台風や強風などの許容外の風圧に対しては非常用
アンカー(一対)を参考図のように、自動あるいは遠隔操作で、濠底部に降下させ固定する。



3.太陽発電+蓄電池型動力源

1.でも触れているが、高性能×軽量×高ロバストの電源システムとするが、「特開2015-076528
昇降圧コンバータを多段接続した太陽電池部分影補償装置
」で提案されている技術を応用し、安定
した出力が得られるインバーターを採用する。また、蓄電はリチウムイオン系二次電池や金属-空
気系二次電池などが考えられる。また、コンバーター(コンディショナー)も配置する。照明は発
光ダイオード、通信機器などが配備される



4.マイクロナノバブル+紫外線型水質浄化方式

水質浄化装置は、(1)マイクロナノバブルと深紫外(紫外)船照射の2つの組み合わせでおこな
う。従って、前述した装置図の部分で高度処理(ブロアー)や固液分子装置は含まれない。(1)
については「特開2013-220126 紫外線殺菌装置」の提案技術に装置内壁に酸化チタンなどの光触
媒層を塗布あるいは光触媒で表面を被覆した棒針状形状を新たに加え備え、そこへ、マイクロナノ
バブルの散乱体含有被処理液を注入し、有機物質や窒素酸化物などを分解する。この気泡発生装置
には、「特開2014-217803| 微細気泡発生装置とその発生方法」の提案技術――吸い込んだ液体を
所定の圧力に加圧・吐出ポンプであって、液体の吸込口の近傍に気体(大気あるいはオゾンガス)
の供給口を設け、羽根車の回転により、液体内に気体の気泡が混合された気液混合流体7を吐出す
気液混合ポンプと、気液混合流体が噴射される噴射ノズルを有する直方体状の箱部材の、内部に3
次元の扁平空間を形成し、気液混合流体が噴射ノズルから扁平空間に噴射されるとき気泡の発生、
圧壊を行うキャビテーションを起こすとともに、気液混合流体が噴射された噴流体が揺れながら扁
平空間内で渦を巻いて流れる渦流とを発生し、気泡の圧壊によるエネルギーと渦流によるせん断力
とで、気泡を微細気泡に微細化する噴流式微細気泡発生部の構成――を応用する。なお、オゾンは
この設計には含めていない。また、(2)の紫外線照射装置には、深紫外発光ダイオードの選択を
上策
とする。

また、(1)の吸い込みパイプは可撓性、蛇腹方式で水中深度にあわせ自動的に、あるいは遠隔操
作で鉛
直方向に外延及び収縮でき、内壁の抵抗が小さく高気密な材料・構造を採用する。この場合、
要注意すべ
きは、前出の参考図のように内部抵抗が変化するため、ポンプモータの回転のインバー
タで自動制御でき
るようにしておくことで発生するマイクロナノバブルのサイズを一定に保つ。さ
らに、水質のモニタリングは、
溶存酸素センサによる制御を基本とする。このセンサ出力の時系列
変化をモニタリングし、制御値を上回
った時、積算循環量の積和で浄化度を自動演算値を参照し上、
次に述べる5.の「探索ナビ」を利用しスク
リューを駆動し浮体を自動(もしくは遠隔操作)的に
移動させる。※



※ 水質計には、コンパクトなTOC(全酸素濃度計)があればそれが望ましい。


5.GPS内蔵3次元ソナー探査ナビ

このシステムは、(1)マイクロナノバブル発生装置の吸い込み口位置の決定に、(2)あるいは、浮体の移
動に使用するもので、システム的にはすでに既存の市販品で応用できるものである。

以上、今回、優れたデザイン性、ダウンスペーシング性、ハイテク性と持続可能性を兼ね備え、肝
である
マイクロナノバブル発生装置+深紫外発光ダイオードと「浮体型閉鎖水域浄化システム」を
構想してみた。
これを実現するには試作装置で性能検証試験などを経た上で設計する必要があるが、
1年あたり、ざっくり、3名配置し、3千万円程度の開発費とβ機製作にこじつけるために、最短
2年かかるのではないかと考えている。言い換えると「水質浄化ロボット開発の一つと考えるわ
かりいいだろう。


【今夜も技術がてんこ盛り】

 ● 東南アジア最長のトンネル「パハン・セランゴール導水トンネル」完成

19日、清水建設は、西松建設、マレーシアのUEMB社・IJM社との共同企業体で施工していた
東南アジア最長のトンネル「パハン・セランゴール導水トンネル」が完成したと発表。マレーシア
のパハン州とセランゴール州を結ぶ総延長44・6キロメートル、直径5・2メートルのトンネル
で世界で11番目の長さ。供用開始後は、日量189万立方メートルの生活・工業用水が、マレー
シアのクアラルンプールとセランゴール州に供給される。同工事は日本政府の円借款事業。清水建
JVはマレーシア政府から2009年4月に受注し、同6月に着工。トンネルを8工区に分け、3工
区はトンネル掘削機、4工区は発破工法、1工区は間削工法により工事。工事日数は1902日。
延べ労
働時間が1102万時間で重大災害発生件数は0件を達成。トンネル土被り世界ランキング
第8位でもある。
"能ある鷹は爪を隠す"やね。^^;。

 

 

● 洋上風力116基受注-総出力40万キロワット、過去最大規模

同日、三菱重工業は、ドイツのエネルギー大手エーオンから、洋上風力発電設備(写真)116基を受注した
と発表。受注額は数百億円規模。設備の据え付けのほか、保守サービスの契約も締結。設備の総出力は
40万キロワットに達する。実務はデンマークのヴェスタスとの合弁企業MHIヴェスタス・オフショア・ウイン
ドが担う。エーオンが英国に設置するランピオン洋上風力発電プロジェクト向け。2018年に試運転を完了
する。同設備はイングランド南東部サセックス州沿岸から、13キロメートル沖合に整備される。MHIヴェス
タスは出力3450キロワットの最新鋭設備を供給。同社最大規模の案件となる。英国の29万世帯に必要
な電力を供給し、年間約60万トンの二酸化炭素(CO2)削減を見込む。同案件は英国政府主導で進めら
れる大規模洋上風力発電プロジェクト「ラウンド3」の最初の取り組みの一つだという。

● 世界初 ワイヤレスで電力伝送する『ワイヤレスインホイールモータ』走行に成功

18日、東京大学大学院新領域創成科学研究科の藤本准教授らの研究グループは、東洋電機製造株式
会社、日本精工株式会社との共同研究において、世界で初めて、ワイヤレス電力伝送を用いたイン
ホイールモータを開発し、実際にそのインホイールモータを電気自動車に搭載し、走行に成功。世
界初となるこの技術は、磁界共振結合方式を用いて10センチメートル離れたコイルとコイ間の電
力伝送に成功した他、ワイヤレス通信を用いることで車体と車輪間の完全なワイヤレス化を実現。

ホイール内部に駆動源を配置するインホイールモータは駆動力をタイヤに直接伝達できるため最も
望ましい駆動形態です。このモータを搭載したEVは4輪の独立した駆動力制御により駆動力をタ
イヤに直接伝達できるため、ドライブシャフトによる機械的損失がなく、車両重量が削減できるほ
か、各輪の個別制御が可能になります。これにより、タイヤの横滑りやタイヤのスリップを防止し
安全性を向上させたり、各輪へ最適な駆動力を配分したりして航続距離を延長するなど様々なメリ
ットを享受できるが
、従来のインホイールモータは車体側からワイヤにより有線で電力が供給され
これをワイヤレス化することで従来懸念されたインホイールモータとインバータ間との断線がなく
なり、安全性および信頼性が向上し、インホイールモータのさらなる普及の可能性が高まる。

 

● 絶好調!陸上養殖「妙高ゆきエビ」

 

●  水上太陽光フロートシステムを開発  三井住友建設株式会社 

 

 

● つかんだ瞬間に重さ測定するロボットハンド計量システム 株式会社イシダ

いや今夜も、ニュー・テクニックが満載で、寝られそうもありまへんね?!^^;。 

 

 

 

 

 

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この胸のときめきを。

2015年05月20日 | 時事書評

 

 

 

   戦争は、外交の失敗以外の何物でもない。 / ピーター・ドラッカー

 

 

【浪速の夢 大阪都構想劇に幕】

住民投票で僅差で反対が上回り否決され、橋下市長と同じく江田憲司維新の会の共同代表の辞任
で決
着をみた。(1)地方分権推進、(2)地方自治への新自由主義政策、(3)構造改革主義、
(4)橋下徹市長
の手腕の魅力を特徴としていた。尚、(1)へのアプローチとして税制改正2
案を提案してみたがこれは法
規主義の遅効性。大阪維新の会の二重行政解消はいわば「選択と集
中」。反対派は既成政党、労組、行
政関連の企業団体、また、今回の選挙結果でも明らかにな
った高齢者層(60歳超)。一見すると勝ち目
のない選挙であった。これに対し、朝日、産経な
どの大手新聞社の調査では――賛成多数になれば設置された5特別区のうち、区内のすべての行
政区で賛成が上回ったのは「北区」だけ。この「北区」には大阪、新大阪、京橋と三つのターミ
ナル駅があり、大阪府市大都市局が「大阪経済の中枢機能を担うビジネス都市」と位置づけてい
た。中でも繁華街「キタ」を含む北区は、24区で最高の59・03%が賛成した。一方で、す
べての区で反対が上回ったのが、市西部の「湾岸区」と南部の「南区」の二つだった。「湾岸区」
は大阪湾沿いの4区と住之江区の臨海部で構成。橋下徹大阪市長はカジノを含む統合型リゾート
(IR)誘致などを見据えて「世界標準のベイエリアに」と位置づけ、当初の「西区」案から名
称を変えた経緯がある。だが、反対派は南海トラフ巨大地震の津波被害が特別区全域に及ぶ危険
性を指摘。都構想反対を打ち出した地震学の専門家は街頭演説で「ここは大阪市の『津波防波堤
区』」と呼んだ。「南区」は「歴史と新しいものが融合した定住魅力のある区」(大都市局)と
された。住吉大社や「あべのハルカス」があり、人口は政令指定市並みの69万人。歳出額は指
定市の堺市に匹敵する規模になる見通しだった。一方、自主財源が少なく、府と特別区間の「財
政調整頼み」(自民党大阪市議)が批判を浴びた。「南区」に含まれる平野区は市内で最も人口
が多く、この区だけで反対票が賛成票を1万票余上回った――と、「地域差が明確に表れてい
る」
(2015.05.18)と解説している。

昨年、曾根崎小学校の同窓会で意見交換したが今回の調査通りとなっている。もう少し踏み込む
と、関連の深い区である北区以外に西区、都島区、東淀川区はいずれも賛成が上回っているから、
ある意味救われた思いでいる。逆に言えば「大阪での敗北」は、地方創成を遅らせたと考えてい
る。五月の露と消えにし浪速の夢。やんぬるかな、宜なり。

※ 「大阪都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」(2015.05.18 古谷経衡 
  評論家/著述家

  

【白金触媒の劣化遅延工学】

● 燃料電池の触媒「白金」のナノ領域の挙動観察技術

トヨタとファインセラミックスセンタが共同で燃料電池の化学反応を促進する触媒として不可欠な
「白金」の劣化に至る挙動の即時観察技術を開発。これにより、分析用の「透過型電子顕微鏡」の
中で燃料電池と同じ発電状態を模擬できる新しい観察用サンプルの作成に成功し、数ナノメートル
の「白金微粒子」のレベルで、反応性低下に至る挙動プロセスを観察した。

つまり 「白金」の反応性低下は、「白金微粒子」の粗大化に起因するが、リアルタイムで把握で
きず、粗大化の要因解析が困難だったが、粗大化の要因として、「白金微粒子」の担体となるカー
ボン上で(1)粗大化に至る挙動を引き起こす箇所や(2)その時の電圧、さらには、(3)担体
の材料の種類によるそれらの違いなどが明らかになり、反応性低下のメカニズムを解析し、燃料電
池に不可欠な触媒の「白金」の性能・耐久性向上の研究開発指針が得られるのではないかという。

 
このように今回の発明は、白金の劣化すなわち粗大化を抑制=時間軸としての遅延化する方法とその機
構開発の前駆段階の重要な技術となる。うまくいけば、高価な電気化学触媒利用分野に貢献出来る。具体
的には、燃料電池や自動車などの内燃機関の排気ガス浄化や水電解用白金電極などに応用できるだろう。

 

 

  

【日本の政治史論 12:政体と中枢】      

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

  第7章 役人―その困った生態 

                                   「発送電分離」パリの空の下から叛乱

  もっともまったく仕事をしなかったわけではない。日本でやりかけていた規制改革に取り
 組んだ。
  テーマはベンチャーなどの小さな企業が成長するための規制緩和の整備。私のアイデアで
 プロジェクトが始まったが、終了間際に急に帰国命令が出て、中途半端な仕事になってしま
 った。
  そんななかで、一つ大きな騒動になったことがある。当時、OECDのプロジェクトのな
 かで、電力の規制改革の議・論が行われていた。その議論を聞いていると、発電部門と送電
 部門の分離が焦点となっていた。

  日本では、各電力会社は発電部門と送電部門をともに持っていて、地域ごとに供給を独占し
 ている。東京に住んでいれば東京電力から買うしかないし、東京電力は基本的には自分の発
 電所の電力だけを供給するという具合だ。そこで発電部門と送電部門を分離して、地域を越
 えて需要家が電力会社を選んで電気を買うことができることにして、競争を導入しようとい
 う考えだ。

  もともと私は、日本の電力会Uはぬるま湯に浸かっていて非効率だし、イノベーションか
 進まない状況に陥っているのではないかと思っていた。
  後に述べるが、通産省と電力会社の癒着ぶりは目に余るものがあり、特に東京電力に睨ま
 れたら出世はできない、などという話を聞いたことがある。「市電は腐っている」と思って
 いた私は、発送電分離の話を聞いたとき、これは電力改革の切り札になるのではないか、と
 感じた。

  電力会社は独占企業でありながら民間企業なので、基本的に株主総会以外に経営チェック
 は入らない。もちろん、原子力の安全規制はチェックが入るか、経営についてのチエックは
 極めて限定的だ。料金値Lげのときなどは通産省がチェックするが、各社には通産省の幹部
 が大トるポストか用意されているので、本気でチェックはできない構造になっている。それ
 が電力会社の悪しき体質を生んでいた。
 
  電力会社は独占なので、いくらでも儲けられる。あまり儲けすぎると、料金を上げろと消
 費者から文句をいわれるので、あまり儲けない。そして、福利厚生などを見えないかたちで
 充実させたり、様々なフリンジベフィットを拡大しようとしがちである。私から気れぱ、本
 来の利益が無駄な経費に注ぎ込まれている、ということになる。

  電力会社の社長か経団連や他の経済団体の会長に推されることが多いのはなぜか。電力会
 社は日本最大の調達企業だからだ。発電プラント、送電線、鉄塔。地域には、発電所や事務
 所か無数にある。生活必需品も必要なら自動車も必要。屯力公社は、鉄をはじめ、ありとあ
 らゆるものをそこらじゆうから大量に買う。だから、経団連の会長に電力会社の社長がなる
 というと、誰も文句がいえない。

  さらに、独占企業だから企業経営のほうも基本的に心配かない。電力会社が経営の危機、
 などということはまず起こらない。社長は毎日本を読んで天下・国家を論じたり、財界活動
 に精を出すこともできる。
  厳しい国際競争に哨され、毎日為替レートの上下に一喜一憂している他の産業の経営者よ
 りも気楽に見える(だからこそ、東日本大震災で福島第一原発の事故が起こると、危機など
 経験したことのない経営者たちは、迅速な判断やリスクを取る果敢な決断ができず、結果、
 すべてが後手後手に回ってしまつたのだ)。

  電力会社は、この圧倒的な力を背景に、政官癒着の構造を作りあげていた。昔、先輩に聞
 いた話だか、電力会社は通産省の役人を頻繁に接待していた。電力会社でその経費を落とす
 と癒着がばれるので、下請けの工事会社などの取引業者につけを回す。下請けはこれを会議
 費などの名目で落とすので、電力会徊と役人の癒着は表に出ず、闇に葬られるというのであ
 る。

  一方で、電力会社は有力政治家に多額の政治献金をし、便宜をはかってもらっていた。そ
 のため、電力に強い自民党の議員には多額の政治献金が集まった、
  そして電力会社は、政治力と役人との癒着で得た力を駆使して、補助金にも口を挟む。発
 電所が立地している地域には補助金が出る。その配分額は、通産省と電力会社が裏で協議し
 て決めていたそうだ。

  電力会社の上層部はみな贅沢な暮らしを謳歌し、一方で、壮大な無駄と癒着利権の構造が
 できあがっていた。こんな澱んだ構図ができてしまつたのはひとえに、競争がないことに起
 因していた。
  ならば、競争させる環境を作ればいいというのか私の発想だった。
  当時、送電線は、たとえば東‐尽電力の管内なら東電が所有していた。これを、送電線は
 別会社にし、発電部門もいくつかの会社に分割する。発電した電力を購入する側は、自由に
 電力会社を選べるように変えるのだ。この仕組みにすると、競争が生じ、癒着の構造も解消
 する。

  電力会社からすれば、とんでもない話である。癒着している通産省でも、発送電分離の実
 現はむずかしい。
  そこで、OECDか日本に勧告するという作戦で、そうなるように勣いた。正式に報店書
 を出すまでには時間がかかるし、発表後では新聞でもベタ記事で、結局は闇に葬られること
 も考えられる。一方、検討段階での予想記参なら扱いも大きくなるし、国内の準備も整って
 いないから、ショック療法としては効果的だ。

  私は旧知の読売新聞の記者に連絡を取って、記事にしてもらった。正月はニュースがない。
  記事はたしか、1月4日の朝刊に、「OECDが規制改革指針電力の発電と送電は分離」
 と大きく扱った。この日は土曜日で、6日が御用始め。年頭の記者会見で、佐藤信二通産大
 臣が前向きなニュアンスで答えたものだから、大騒ぎになった。
  正月だったので、役人へと佐藤大臣のコミュニケーションかうまくいっていなかったのか
 もしれない。8日の日本経済新聞には、「通産相が検討指示、発電と送電を別会社に」とい
 う見出しが躍った。私は「動いたな」と手ごたえを感じた.

  通産省ではすぐさま犯人探しが始まり、OECDでこんなことを言い出す奴は誰だとなっ
 た。全員が思い当たるのはただ一人。「古賀しかいない」となり、「あいつをすぐ呼び戻せ」
 となった。
 「資源エルギー庁のOOさんが本気で古賀さんを帰国させて即クビにする、といってます。
 古賀さん気をつけてください」と、通産省の改革派の課長補佐から電話かあった。幸か不幸
 か、それでも私はそのまましばらくパリにいることになったのだが。

 当時の通産省幹部が退官した後教えてくれたことには、「いやあ、あのときはたいへんだっ
 た。省内は大騒ぎだし、電力会社は、騒ぎまくるわ………でも、いまから考えれば良かった
 んだよ。あれから本格的に電力の規制改吊の議論が動き出したんだから」とのこと。
  このことがあったせいか、私はその後、一度も資源エネルギー庁や原子力安全・保安院に
 勤 務することはなかった。
  三年弱のパリ勤務を終えて、私は帰国し、取引信用課長というポストに就く。

                                
                                   この項つづく   

 

 

    ● 今夜の一曲

 


          まちわびて 重ねた肌に 雨ふるを アクセルふみつ 聴くブレンダ・リー      

 

ロードスターの話。やっとオーディオ&ナビの修理が終わりった帰りの道。レザーハンドルを握
りアクセルを噴かせ、ナビやオーディオの切り替えの感触など確認。ブレンダ・リーの曲がかか
っていたので音量を上げボウズの音響を確認すると、音楽の調べとともに桜橋のサンケイホール
(今はない)のブレンダ・リーのコンサートの思い出が頭を過ぎる。歌を詠みたくなるほど愛車
とわたしとわたしの身体は一体になり疾走する。よく戻ってきてくれたね ・・・・・・。
   
イタリアの作曲家、シンガーソングライターで本名ジュゼッペ・ドナッジオのピノ・ドナッジオ
が、1965年のサンレモ音楽祭に出場した際、みずから作曲した「この胸のときめきを」"を歌っ
て入賞を果たし,
イタリア国内で大ヒットを記録。1966年にはこの曲をダスティ・スプリングフ
ィールドが“You Don't Have to Say You Love Me”として英語でカバーし、イタリアン・ポップス
の範疇に留まらない世界的な大ヒットを果たす。この曲は後にエルヴィス・プレスリーやブレン
ダ・リーなどの有名ミュージシャンによりカバーされる。


    When I said “I needed you”,
   you said you would always stay.

   It wasn’t me who changed, but you,

   and now you’ve gone away.

   Don’t you see that now you’ve gone,

   and I’m left here on my own,
   then I have to follow you, and beg you to come home. 

   You don’t have to say you love me,just be close at hand.
   You don’t have to stay forever, I will understand.
   Believe me, believe me,
   I can’t help but love you,
   but believe me, I’ll never tie you down. 

   Left alone with just a memory,
   life seems dead and so unreal,
   all that’s left is loneliness,
   there is nothing left to feel. 

   You don’t have to say you love me,just be close at hand.
   You don’t have to stay forever, I will understand.
   Believe me, believe me!

   You don’t have to say you love me,just be close at hand.
   You don’t have to stay forever, I will understand.
   Believe me, believe me, believe me!


                             " You Don't Have to Say You Love Me 
                                               Music & Word    Pino Donaggio

 

 

 

 

 

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芋エネルギー工学

2015年05月19日 | 新弥生時代

 

 

  変革せよ。変革を迫られる前に。 / ジャック・ウェルチ

 

 

● 芋でエネルギー革命? 

13日の夜、「ほんまでっか!?TV」で鈴木高広近大教授が出演していたので、今夜再度この
話題に。教
授の話では「芋で日本を救う!?――サツマイモでもジャガイモでも、ごく普通の芋が
燃料になります。芋燃料は、エネルギー問題をはじめ、地球温暖化問題、過疎化の問題、雇用問
題、食糧問題など、日本のあらゆるさまざまな問題を解決してくれる、純国産の燃料作物なんで
す」とか。その根拠は、「安価でたくさんの量を作ることができるためです。現在、さまざまな
方法で自然エネルギーの開発が行われていますが、どんなにすばらしい技術でもコストが高けれ
ば普及しません。芋は発酵液を蒸留すればガソリン代替のエタノールになりますし、乾燥させれ
ば石炭代替のチップにもなります。とにかく燃料化が安く簡単にできます」という(「エコロジー
オンライン」2011.11.15)。

さらに「・・・・・・人間だけじゃなく、植物にとっても有害だということを知るのです。人間は紫外
線を浴びると体内でメラニンを合成することはよく知られていますが、植物も同様に防御機能で
リグニンという物質などが働き、光を弱めて吸収しています。そのため、わずか3~5%の太陽
光しか光合成には利用されません。しかも農地作物の栽培効率はさらに低い。晴れた夏の日に地
表に届く太陽光の照射エネルギーは1時間で約3.5メガジュール/平方メートルあり、これは芋
0.7キログラム分のエネルギー量に相当しますが、全国の芋の年間収穫量は2~3キログラム/
平方メートル。1年かけて4時間分の太陽光のエネルギーしか固定できない計算です。現在の農
業が非常に効率悪く行われているかがわかりました。自分がいかに光のことを知らずに、微生物
の研究をしていたかも思い知らされましたね」(「同上」)。

このように、日本の農業では、作物に太陽の光を充分浴びさせるため、平地で栽培されてきまた
が、隙間だらけの畝(うね)で浴びた日光の5%しか植物が必要としないのであれば、棚をマン
ションのように多層に重ねて、光を分散させてやればいい。当然、下の棚には光が届きにくいが、
比較的弱い光でも育つ作物で、なおかつ日本全国で栽培可能なものを探していくと、最も優れて
いたのが芋だった。

その作り方は、白いレジ袋を3段に吊ることができる足場を作り、人の背の高さくらいにする。
レジ袋に土を入れてサツマイモの蔓をさすだけでいい。イモの収穫量は、従来の30~50倍になる。
サツマイモは食品とせず、それほど大きくならないでいい。2ヶ月栽培して少しでもイモができ
れば充分。生徒がイモをスライスして、あらかじめ乾燥しておいたイモを炉に入れて燃やす。7
百℃くらいになると、蒸気の力でタービンがまわり発電させるというものがプロトタイプだ。そ
の電気を電動バイクに蓄電池に充電する。ある程度(1時間)充電が済むと、電動バイクはしっ
かりと走り始める。このイモ燃料の優れた点は、経費の安さ。石油や石炭と同じレベル。輸入し
ている木質チップは17円/キログラムだが、イモチップは15円/キログラムにできる。木質チ
ップもイモチップも電力効率は変わらない。輸入木質チップより国内で生産できるサツマイモが
有利。


しかも、
現在化石燃料の輸入には年間20兆円かかる。それに対し、農業所得は約8.3兆円(20÷
8.3≒2.4倍)。兼業農家も含めた潜在的農家人口は、830万人。一人あたりにすると、100万円し
かない。それを、鈴木教授は遊休地などを100万ヘクタール使い、45億トン(45億トン×15円/キ
ログラム=67.5兆円/年)のイモを生産することを目標にする。これに応じるように、各地の自
治体も関心を示し、
大阪府との産学連携や三重県との共同実験が行われている。三重県鈴鹿市で
は百軒の農家がサツマイモの生産に取り組んでいる。



ここで作る芋はあくまで燃料用。大きく育てる必要はない。生物は小さいものほど2倍の重さに
なる時間が短いという特徴があり、3センチ大の小芋であれば約6週間で育ち、春から秋にかけ
て年6回は収穫できる。例えば、2リットル用のペットボトル(8cm×10cm)容器に苗を植えて、
1平方メートル内に125個敷き詰める。これを縦に5段積み重ね、1区画から約120グラム
gの芋が収穫できる。つまり理論上は、120グラム×125株×5段×6回=450キログラム/平方
メートルの芋を1年間で作れるす。農家1人で20アール(2千平方メートル)の土地を想定する
と、年間9百トン。仮に5円/キログラムで売るとすれば、年収は450万円になると試算して
いる。
 

   

● 休耕地で全エネルギー代替可能

鈴木教授は今ある農地を使わなくても、日本にある休耕田約40万ヘクタールを活用すれば、国内
の火力発電と原子力発電の総発電量をまかなえる18億トンの芋の生産が可能だと主張する。さ
らに、生産調整田や有閑農地、ビルの屋上、造成地など、日本中にある利用可能な遊休地は年間
のべ百万ヘクタールを超える。この空き地を確保できれば、発電以外の燃料用途も代替できる4
5億トンにまで伸ばすことができる。つまり、従来の農地ではこれまでどおり米や野菜を作りつ
つ、空き地を使って新たに燃料作物の栽培を行うので、食料作物の供給が減るということがなく
、それどころか、多段栽培の技術は芋だけでなく、さまざまな食料作物の栽培にも応用でき、食
料は減るどころか増やすことができるとまで言い切り(「同上」)、

 
そのことを踏まえ、日本で生産されているジャガイモが300万トン弱、45億トンとなるとこの1500
倍、これだけの芋を作るには機械化は避けられない。農業というよりも工場の発想が前提となる。
燃料用芋の年間出荷見込み額の3~5年分、1350万~2250万円を設備投資に回すことで、設備機
械の市場も生まれので、アルコールや発電事業、合成原料、加工、流通に加え、雇用拡大や住宅
や建設など、芋燃料ビジネスによって、約50兆円もの経済効果を見込めると結ぶ。

この計算が概ね妥当だとすると、太陽光発電(変換効率25%超、7円/キロワットアワー)に
加え、芋エネルギー(バイオマス)とその他再エネ、節電・省エネ効果を加えと現行消費量の3
倍近く賄える量になるものと想定される。

 



以上のような結論を踏まえつつ、「芋エネルギー」を実現するための課題を考えると、(1)気
象変動を前提として、露地栽培でなく、ガラスハウス(植物工場)が前提となる。次に(2)太
陽光型か人工光型のどちらを選択するかを考えると、どちらでもかまわないということになる。
つまり、太陽光型の場合、多機能型波長変換フィルム(薄膜)を導入すれば生産性は、原案より
向上する。さらに人工光型では太陽光発電+蓄電池システム完備することで発光ダイオードなど
の光源で栽培可能。従って、(3)自然光及び人工光両用の導光板を用いて(4)上下可動ネッ
トに垂直栽培し、片面側から導光板(=光拡散板)で均一な大面積の照明を可能とする。(5)
根(地下茎)を専用接合セル部に培養水のノズル噴霧(+凝縮水再循環気液)栽培方式とし(6)
根(地下茎)とそれ以外の部位は自動回収し、その後(7)自動作付けの上(4)へ循環培養す
る。回収部位別に、①エタノール発酵、②メタン発酵、③固形化した上で、(8)燃料電池、蒸
気タービン、直燃ボイラーなどの原料して使用する。ざっくりこのようなイメージエネルギー変
換するシステムを考えた。
 


特開2014-161243 栽培装置、栽培システム、植物の栽培方法

 

特開2015-053927 作物育成システム

特開2015-092434 バックライトユニット及び液晶表示装置

   参考図書 

  

【日本の政治史論 11:政体と中枢】      

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

   目 次 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策  

 第7章 役人―その困った生態 

                           大蔵省の橋本内閣倒閣運動

   われわれは、これらの規制一つにつき、.枚ビラを作成する。それを経団連に持っていく
 と、経団連が永田町を回り、先生方にビラを配りながら説明する。一方で、こちらは日本経
 済
新聞とタイアフプして記事を書いてもらって、キャンペーンを盛り上げるという作戦であ
 る。

  ところが、ある新聞が、通産省が裏で動いているとすっぱ抜いた。他省庁の規制が多いの
 で、霞が関ではわれわれの行動に非難囂々となった。
  当時、こんなことがあった。通産省の外局の資源エネルギー庁の石油郎の課長がやってき
 て、『ガソリンスタンドのセルフ給油の規制がさあ」と雑談していく。いまでは考えられな
 い
ことだが、当時はセルフ給油は危険だという理由で禁止されていたのだ。これを解禁すべ
 きだ
とわれわれは動いていた。

  セルフ給油が認められれば、販売コストが下がり、消費者へのガソリン販売価格も下がる。

  しかし、それで価賂競争が激しくなるのを恐れたガソリンスタンドの業界は、この規制緩
 和に
強く反対している。セルフ給油に関する規制自体は消防庁によるものだったので、通産
 省は直接担当ではない
か、セルフ給油解禁で影響を受けるのはガソリンスタンド。それを所
 管している深長は、つま
り、裏にいるらしい私に、規制緩和に向けて動くのはやめて欲しい
 といいに来たのだ。

  しかし、私は表立って動いているわけでも、実際の担当でもなんでもない。証拠もないの
 に
決めつけては話ができないので、要領を得ない雑談か長々と続くだけだった。 

 「お立賜があるので、たいへんですね。お気持ちはよく分かります。でも、部長か何をおっ
 しやりたいのか、私には理解しかねます」
  といってお引き取り願った。
  この話を聞いて、頭に来たのが、その部長の上司だった。「なんだ、あいつは」と怒って
 いるという話が聞こえてきた。しかし、その後もまったく意に介さずどんどん規制緩和のキ
 ャンペーンを続けていた。

  そうこうするうちに、なんと、そのヒ司か私の上司として産業政策局にやってきた。私の
 ことを良く思っていなかったのか、私のやることにことごとくケチをつける。.私がかまわ
 ずやると、その上司からは直接何もいわれないのだか、なぜか事務次官から呼び出しがある。
  誰かが告げ口したのかな、と思った.次官との間で二度ほど次のようなやり取りがあった。
 「規制緩和を.一生懸命やっているそうだね。やっていることはいいと思うんだけどさあ、
 やり方っていうものがあるんじやないのかなあ」

 「はあ」
 「他省庁を刺しているという人もいるんだけど、そんなことやってろのか」
 「ぜんぜん、やってません」
 「それならいいけど、もう少しお行儀良くやることだなあ」

  そのときの次官は、改革に理解のある方だった。しかし、霞か関の仁義に反するようなこ
 とを指摘されると、放っておくわけにはいかなかったのだろう。いつも遠慮がちにゃ自笑し
 なから、やんわりと私を諭そうとした。やんちゃ坊主をたしなめるという感じだ。払は、
 次官は本当は応援してくれている、と嬉しかった。
 規制改革は霞が関では鬼門だ。前向きなことは何をやっても非難される。しかし逆にいえ
 ば、役所から文句がつくならむしろ効果があるという証明でもあるから、迷わずやったほう
 がいいということだ。だから、腹をくくってやりたいようにやると決めて、その後も新たな
 試みにチャンレジした。

  私か最初に試みたのは、国Kに規制について意見を求め、意見があれば、担当課に答えを
 書かせ、それをまとめて公表するというやり方だ。私がいつもやっている、表での議論だ。
 返ってきた答えはほとんど「できません」だったか、国民の指摘はもっともなことばかりだ
 ったので、「できない」と書くだけでも恥すかしい。私はこの問答集を分厚い本にまとめて
 国民に公表したので、坦の中で無駄な規制が浮き彫りになった。

  実は、これは経団連の阿部氏と話していて思いついたことだ。宮内小委員会が実施を検討
 したが、各省庁が許すはずはなかった、では通産省でやればいいと思って実施した。それに
 しても官房総務課か、やることをよく許してくれたものだ。恐らく、理屈では私のほうが正
 しいので、「やるな」とはいえなかったのだろう。

  私が問答集を宮内小委員会に持っていったので、宮内さんが「通産ができるのだから、や
 れないことはない」と強行突破し、以後、年に一度、国民にバプリックコメントを求め、答
 えを公表することになった。理詰めと気合い――霞が関と戦うときのこつの必須要件だ。


                            
英語もできないOECD課長

  私の次の仕事は、パリにあるOECD(Organization for Economic Co‐operation and Develop-
     ment
=経済協力開発機構)事務局の職員だった。役職は科学技術工業局規制制度改革担当課
 長である。
  OECDに出向するといっても国連と同じで、代表部と唇務局に出向する場合がある。代
 表部はOECDと日本政府の間の連絡窓口のようなもので、事務局はその会議を運営したり、
 様々な調査を行い、報告するなどの仕事をしている,.0ECD事務局職員は国連でいえば、
 国連職員に相当する。
 
  OECDの職員として派遣されるはめになった経緯は、瓢箪から駒という表現が当てはま
 る。
  人事の季節が近づいて、局長に呼ばれ、「君、次はどうしたらいい」と聞かれた.希望の
 ポストはあるか、という意味である。私の答えは「ゆっくり休んで暮らせるような海外勤務
 とかあったらいいですけどね」。冗談でいったつもりだった。というのも、その頃には、す
 でに海外に出る職員は全員決まっていたからだ。 

 「海外か」、局長はぽつりといったが、私はさして気に留めなかった。ところが、局長から
 総務課に私の人事の話が行ったらしい。総務課長は、断ればいいのに、無理だと思っていて
 も逆らわず、「はい、分かりました」と秘書課長に上げたのだろう。
  秘書課長は頭を抱えたはずだ。産業政策局長は次の事務次官になるというのが衆目の一致
 するところだった。事務次官になる人の指示は無視できない。さりとて、空きはない。困っ
 た秘海課長は、通商政策局に、何か適当なポストはないか相談した。

  ちょうどその頃、日本がOECDに資金を拠出してプロジェクトを作るという話が動いて
 いた。おカネを出すのに合わせて一人ぐらい職員を届ってもらおうという話も進んでいたの
 だ。秘書課の指示で、私がそこに于を上げることになった。
  局長からその話が来たとき、私は乗り気ではなかった。なぜなら、正直、私には荷が重い。
 たとえばJETROの出先の次長や大使館の書記官であれば、周りは全部日本人で、部下も
 いて、秘書がついていて、かなりのサポート体制があり、仕事もそれほど忙しくない。

  一方、OECDの職員は、まるで逆である。周囲はすべて外国人。仕事もフルにやらなけ
 れば、務まらない。もちろん、英語だけで仕事をする訓練をしている人なら、むしろ楽しい
 職場かもしれないが、私は留学もしていない。しかも、OECD事務局の公用語は英語とフ
 ランス語。職員は修士は普通でドクターも多い。南アフリカ共和国に赴任していたとはいえ、
 総領事館は日本人ばかりだし、かなり気楽なものだったのだ。 
 
  加えて私は、フランスー語など、まったくしやべれない、どう考えても私には荷が厭かっ
 たそれに、相手も困るのではないか。いろいろ考えて、払は秘書・課長のところに直談判に
 行った。
  話しているうちに秘書課長が、「君、留学していないのか」と驚いている。深刻な顔にな
 り、弱り果てていた、その直後、上司の総務課長から呼ばれて怒鳴られた。「直接、秘書課
 長に話しに行くなんて、どういう了見だ」と。自分の頭を通り越して、秘書課長と話したこ
 とがおもしろくないのだろう。局長に「古賀君も、喜んでいる」と報告し、点数を稼ぎたい
 という思いもあったはずだ。「黙って従え。以後、君の人事の件は一切口にするな」と頑な
 になり、結局、私はフランスに出されることになった。

  予想通り、たいへんだった。会議の途中、英語からフランス語に切り替わると、どんな話
 になっているのか、さっぱり分からない。いままでのように思い切り仕事をするという状況
 ではなかった。

                                   この項つづく


 

● 今夜の大法螺 

  Click here !

1 dead, 21 hurt as plane carrying Marines crashes in Hawaii

ハワイでオスプレイ(俗称 "未亡人製造機")が墜落。悪いことはいわない、至急、安全性の再審
査をしなさい。何だったら、浮体式空港とあわせて、わたし(たち)がデザインしましょうか?^^;。



● 今夜の一言  されど、二酸化炭素濃度は上がる。

 

 

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高野豆腐パウダー開創

2015年05月17日 | 時事書評

 

 

 

  大いなる不義を犯して、人の国を攻めば非とされず名誉とし、
            正義とす。それが不義なることを知らず    

                                            墨子

 

● 高野山開創1200年とスーパーフード

高野山は弘法大師により密教の道場が開かれてから1200年目を迎えた。この記念年に高野山では、
4月2日から5月21日までの50日の間、弘法大師が残した大いなる遺産へ感謝を込めて絢爛
壮麗な大法会が執り行われる。ところで、大門が高野山全体の総門であるのに対して、中門は、
浄域である伽藍を結界する重要な門。天保14(1843)年の大火により消失し、礎石のみを残して
いましたが、高野山開創1200年記念大法会に併せて壇上伽藍の中門が再建するというが、今
夜は高野山でも高野豆腐、これを粉末にしたスーパーフードの話。

つまり、高野豆腐は、豆腐の水分を抜いて熟成させながら凍らせたもの。高野豆腐には骨密度を
正常に近い状態に保つことができる「イソフラボン」があり、大豆食品の中では、最も多くたん
ぱく質(アミノ酸)を含んでいる食品――生豆腐の栄養素が詰まった高野豆腐の50%がたんぱ
く質で、生豆腐の7倍、その他、カルシウムは5倍、鉄分は7倍、脂質が8倍――そんなことは
誰もが知っている話。

ところが、昨年からこの高野豆腐をすり下ろした粉大豆が、チョットしたブームになっているのである。 個
人的にはニンニクに含まれる「γ-グルタミル-S-アリルシステイン」を吸収するチアミン(ビタミ
ンB1)にきな粉とニンニク(蒜)の牛乳の同時摂取する個人的な臨床テスト?を行っているが
(『安倍川蒜ミルク』2013.09.11)、現在は、ダイエット食品として話題となっているが、それ
以上にそのスーパーフードの使用方法あるいはそれを使った実用レシピがテレビなどで取り上げ
られるようになっているようだ。それはイタリア料理のポレンタ風でもあるが、高野豆腐のもつ
スポンジ特性を生かし、パンケーキ、ハンバーグに使用される。また、穀物パウダーや魚肉類の
すり身やミンチだけでなく同じベジタブルパウダーとの組み合わせでカラーフルな加工食材にも
応用されて行きそうだ。

 

 

   

 【日本の政治史論 Ⅸ:政体と中枢】   

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

   目 次 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策  

 第7章 役人―その困った生態 

                           大蔵省の橋本内閣倒閣運動

  通産大臣の任期中には、独禁法の改正はかなわなかったか、翌年、総理に就任した橋本氏
 は、1997年、改正法案を国会に提出し、成立させた。
  総理を辞めた後、日歯連献金疑惑もあって、橋本氏の評価は下がってしまったようだが、
 構造改革という。言葉を前面に出したのも橋本総理だったし、小泉時代に有名になった経済
 財政諮問会議の創設を決めたのも橋本氏だ。橋本氏は霞が関の抵抗を押し切り、省庁再編も
 断行した。信念のある立派な政治家だった。宰相の器とは橋本氏のような政治家が持つもの
 なのだろうと思っている。

  ただ、橋本氏ができなかった行革もあった。歳入庁構想だ。橋本内閣は、消費税増税で失
 敗したといわれているが、霞が関では、大蔵省から国税庁を引っ剥がして歳入庁を作ろうと
 したため、敵に回った大蔵省に倒されたと見る向きも多かった。
  当時、大蔵省は、山一燈券などの証券会社を廃業に追い込んだ。あれは大蔵省の橋本内閣
 倒閣運動だったという人もいる。
  民主党も以前は歳入庁構想を高らかに唱えていたので、真っ先に手をつけるかと思ったが、  
 いつの間にか後退して、いつやるのかまったく分からなくなってしまった。やはり、財務省
 が怖かったのだろう。

                         反対派を翻意させたポスト格上

  話を戻せば、橋本通産大臣の「積極的に検討」という国会答弁は、案の定、反対派に火を
 つけた。当時は自社さきがけ政権で、総理は社民党の村山富市氏だ。われわれは与党杜民党
 の商工部会に呼ばれるのだが、肢らが反対派の急先鋒となって、「独禁法九条の改悪は絶対
 阻止するぞ」「はんたあ~い」とシュプレヒコールを上げる。こんな光景は学園紛争の頃に
 見て以来だ。
  表ではこうした激しい対立が続いていたが、実は裏では少しずつ公取の懐柔策が進んでい
 た。
  もともと検討を開始したときから、公取や独禁法学会と、ずっと同じ議論を続けていた。
 「世界中、どこでもやっているのに、日本だけに悪いことかどうして起きるんですか。仮に
 起きたとしても、取り締まればいいじやないですか。日本には独占禁止法という法律がある。
 財閥ができても分割できる。系列化でがんじがらめにする企業か出てきたら、公取か潰せば
 いい」

  理詰めで相手の主張を潰していくと、最後には「日本の公取はそんなに強くない」と反論
 してきた。ならば、話は簡単だ。公取を強くすればいい。「強くできるのか」というので、
 しめたと思った。
  実は前々から、アメリカからも公取を強化せよとの要求か来ていた。私は以前、産業構造
 課で日米構造協議を担当していたので、彼らの要求は熟知していた。そこで、これをうまく
 利用しようと考えた。

  強くするというと普通、増員を考えるが、私の案はポストの格上げによる組織強化だった。
 公取の事務局を事務総局にする。経済部と取引部を統合して経済取引局に、審査部を審査局
 に格上げする。
  単なる名称の変更に過ぎないように見えるかもしれないが、役人にとってはこれが非常に
 大きい。なぜなら、上のポストが増えるからだ。普通の役所では事務方のトップは事務次官
 その下にいくつかの局長ポストがあり、その下に次長あるいは部長、審議官などというポス
 トがある。上から順に給料も下かっていく。

  公取の事務局長は他省庁では局長に当たる。つまり、一番上のポストが次官級ではないの
 だ。事務総局にすると、そのトップ事務総長は次官級に、部が局になれば、部長は局長へと
 格上げになる。次官級ポストはゼロから一になり、局長級は一から二に増えるのだ。
  経済社会情勢が大きく変わったわけでもないのに、組織全体を格上げするなどという話は
 まず普通、あり得ない。当たり前だ、仕事の内容が変わるわけでもないのに、単純に幹部の
 給料を上げるというのに等しいからだ。しかし、公取の強化は、日米の懸案事項の1つなの
 で、産業政策局長から橋本大臣に上げ、行革本部に根回しすれば、できないことはないので
 はないかというのが私の判断だった。
 
  それに、私は、もともと通産省が公取を目の敵にしていじめることには反対だった。公取
 がもっと強くなってくれなければ、日本の市場は良くならない。そう信じていた。通産省の
 普通の官僚は公取強化には絶対反対という人が多かったが、そんなことは無視しようと思っ
 た。
  ただ、ポストの格上げだけではやはり、不真面目だ。そこで、人員も大幅に増やすという
 ことを進旨することにした。そして、こうした動きは表の研究会の検討中から静かに進めて
 いた。
  公取の職員はプロパーなので、次官ポストができるというだけで大喜びするはずだ。公取
 の懐柔策としてはこれ以上のものはない、という私の予想は的確だった。
  思った通り、公取は一も二もなく乗ってきた。ただ、公取としては、あれだけ反対してい
 たので、すぐに持ち株会社解禁OKと掌は返しにくい。村山総理の社会党が支援してくれて
 いるのだからなおさらだった。内々に合意が成立したものの、法案をいきなり出すわけには
 いかない。いったん棚上げにして、先に組織強化をやるという、やや危ない橋を渡った。

  弱ったのは、たまたま通産省と公取の両方の定員を査定していた行政管理庁の担当官だっ
 た、ポストを新設する場合、スクラップ・アンド・ビルドか原則になっているからだ。
  他の役所で次官級ポストの削減はあり得ないし、局長級ポストにしても減らすのは無理で
 ある。それなのに、公取の次官級ポストや局長ポストを増やせというのだ。事務的にはほと
 んど説明がつかない。非常に真面目な性格の担当者は途方に暮れ、いつ会っても樵悴しきっ
 た顔だった。

  私は「何もしなくてもいいんじゃないですか。私のほうから、政治決着で上から落とすよ
 うに根回ししますから」と助け舟を出した。実際、政治決着で片がつくと、担当者かいった。
 「それにしても、公取ってひどいですね。何もしなくてこんなに焼け太りして……」
 確かに公敵は図々しかった。途中、こちらの足元を見て局長級ポストを三つにしてもらえな
 いか、といってくる始末である。もちろん、そんな強欲な要求は受け入れられなかったが。
  担当者は続けた。

 「実際に動いた古賀さんのところに何の見返りもないのはおかしいですよね。産業組織政策
 室を課に格上げしましょう」

  役所では、室は課よりも格が下である。室長は管理職としては駆け出し、課長になって一
 人前の管理職と認められる。私にとってはどちらでも良かったが、せっかくの好意だから課
 にしてもらうことにした。
  かくして組織改変の法案は成立し、7月1日に施行され、公取のポストが格上げになると
 同時に、産業組織政策室は、産業組織課となり、私は初代課長となった。しかし、その3日
 後定例の人事異動で私は日本を離れることになったのだが・・・・・。

  一方、独禁法改正の法案作りも、通産省と公取によって裏で密かに進められた。まだ持ち
 株会社解禁の方針は出されていない段階だったため、公取の人たちは「こんなことをやって
 いると世間に知れたら、われわれは死刑だ」と恐れていたので、何かあっても表沙汰にはで
 きない。

  そこで、目立たないようにと、少し離れた特許庁の会議室を借りて、草案作りの議論を始
 めた。特許庁は特別会計を持っているので潤沢に予算かおり、ビルも立派だし、使える部屋
 もいっぱいあった。
  こうして法案は極秘裏に練られ、私が日本を離れた後、翌年の国会で可決されたのだった。
  この独禁法改正が、いまのところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である。


                       霞が関と戦うときの二つの必須要件

  産業組織政策室長だったときには、規制緩和にも取り組んだ。
  当時、村山内閣のもとに行政改革委員会規制緩和小委員会というものがあった。その後、
 橋本内閣で行政改革推進本部規制緩和委員会となるが、その後この規制改革の世界では10
 年以上の長きにわたってオリックスの宮内義彦社長が政府の審議会をリードされてきた。わ
 れわれは、その流れを作るための動きを、裏で経団連と連携しながら進めていた。

  当時はまだ規制改革は緒に就いたばかりで、いまでは信じられないような規制かたくさん
 残っていた。酒・たばこ・医薬品の販売、トラックや内航海運など、かなり厳しい参入規制
 が行われていたし、大店法の古い規制も残っていた。安全規制に名を借りた競争制限も数々
 あった。ガソリンスタンドのセルフ給油の禁止などもその一例である。


さて、政治とは何かとの問いかけに、司馬遼太郎は小説『花神』(※花咲爺さん)で主人公の大
村益次郎に「嫉妬」と言わせている。これはニーチェの「ルサンチマン」とも相補するが、心に
抱くことはこれも自然なことで言葉それ自体を否定するもではなく、共同体の未来目標の摺り合
わせに転化すれば良いことだ(そこが難しいのも承知しているが)。吉本隆明はこれに対し「過
剰過程」というふうに応えている。「独禁法改正」が共同体の「仕合わせ」の利にかなうなら推
進すればよいことで、悪ければ見直せば良いことだと考える。「規制」も「緩和」も先験的、あ
るいは反遡及的に考えることは慎みたいと考えている。


                                                      この項つづく 

   イタリアン・アウトドア・クッキング Ⅱ

出展:室井克義著「イタリアン・アウトドア・クッキング-プロの技に遊ぶ」(柴田書店、1996)
 

【ホウレン草入りフェットチーネ、スモークサーモンソース】

材料(4人分): ホウレン草入りフェトチーネ 320グラム、スモークサーモン 80グラム、バター
大さじ3、トマトソース 250グラム、生クリーム 500ミリリットル

作り方:①フライパンにバターを入れ、みじん切りにしたスモークサーモンを入れてサッと炒める
(A)、②トマトソースを入れ、サーモンの味をなじませる(B)。③生クリームを加えて、塩、コシ
ョウで味をととのえてから(C)、茹でで上がったパスタをあえる。

中華鍋:アウトドア用品を一式揃えれば出費も馬鹿にならない。とりあえず、鍋類は家庭で使って
いるもので十分だし、耐久性
だって毎日使っているんだから申し分ない。特に、中華鍋は使い方が
無限でおすすめ。今回は速燻法で使っているが、その他
にパスタをこねるボールや、食器洗いの桶
にもなる。マキや炭を入れれば直火禁止の場所でのコンロに早変わりする。歴史が物語
っている鍋
はやはりすごいと賞賛する。

プロの技:スモークサーモンは色が変わる程度に炒めるだけでいい。あまり火を通しすぎないこと。

 

   ● 今夜の一曲

'Jet―Maybe I´m Amazed' 
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM

   Jet, Jet
   Jet I can almost remember their funny faces
   That time you told them you were going to marrying soon
   And Jet I thought the only lonely place was the moon

   Jet Jet Jet

   Jet was your father as bold as the sergeant major   
   How come he told you that you were hardly old enough yet
   And Jet I thought the major was a lady suffragette

   Jet Jet Jet

   Ah Mater want Jet to always love me
   Ah Mater want Jet to always love me
   Ah Mater, much later

   Jet......

「ジェット」は、1974年にリリース。『バンド・オン・ザ・ラン』の2曲目に収録。またベストア
ルバムでは『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ&ヒ
ストリー〜』に収録。シングルカットは。『アルバム発表から年の明けた2月15日に、ウイングス
のシングルでは7枚目にあたる。「

「ジェット」とは、2010年11月の『バンド・オン・ザ・ラン』再発売に合わせて同年イギリスで放
送されたテレビ番組にて、ポールが飼っていたポニーの名であるとポールが語っている。なお、ポ
ールはビートルズ時代にも当時の飼犬マーサをタイトルにした「マーサ・マイ・ディア」を作曲。
録音中、テープの磁気体が剥がれ、シンバルの音が少々弱く、さらに、テープの救出コピーによる
全体の音が固くなっているとか。
1973年8から9月、ラゴスでの『バンド・オン・ザ・ラン』制作
後にレコーディングされたが、英国で7位。ビルボード誌では、1974年3月30日に週間ランキング
最高位の第7位を獲得。キャッシュボックス誌では、3月23日付け最高位第5位を獲得。日本では
1974年の年間洋楽チャート1位を記録する。

 


 

 

ころんた――サカタのタネが約10年間の歳月をかけて開発したという――ミニメロンの苗が届く

 

 

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現在の錬金術 蓄熱セラミックス

2015年05月16日 | 時事書評

 

 

 

  平和は剣によってのみ守られる / アドルフ・ヒトラー

 

 

● 現在の錬金術 蓄熱セラミックス

東京大学の大越慎一教授らの研究グループが、永続的に熱エネルギーを保存できるセラミックス
蓄熱セラミックス(heat storage ceramics)”という新概念の物質を発見したと11日に公表。こ
の物質は、チタン原子と酸素原子のみで構成されたストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンいう物
質で、230 kJ L−1の熱エネルギーを吸収・放出する。これは水の融解熱の約70%に相当の大きな
熱量。また、保存した熱エネルギーを、60 MPa (メガパスカル)という弱い圧力を加えることで
取り出すことができ、熱を加えるという方法に加えて、電流を流したり、光を照射したりという
方法でもエネルギーを蓄熱することができ、多彩な方法で熱エネルギーの保存・放出を繰り返し
できる物質。ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンは単なる酸化チタンであり、環境にやさしく、
埋蔵量も豊富で資源的にも恵まれた材料というからして大発見
!ノーベル賞ものだ!

尚、この蓄熱セラミックスは、欧州などで進められている太陽熱発電システムや、工場での廃熱
エネルギーを有効に再生利用できる新素材として期待されるほか、感圧シート、繰り返し使用可
能なポケットカイロ、感圧伝導度センサー、電流駆動型の抵抗変化型メモリー(ReRAM)、光記録
メモリーなどの先端電子デバイスとしての新部材としての可能性も秘めているというから、二度
びっくり。このストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンは、固体材料であるため取り扱いが容易。
熱伝導率がちょうど耐熱用レンガやコンクリートと同程度であることから、永続的に熱を蓄える
ことができる青色のレンガのようなものだという。また、顔料や塗料として用いられているTiO2
を還元雰囲気下で焼くだけで得られる単なる酸化チタンであるため、環境にやさしく資源的にも
恵まれた材料で、コストもたいへん経済的だという。それにしても、日本刀に使われている酸化
チタンとは不思議だ。

※ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタン(stripe-type λ-Ti3O5、上図ではラムダ-五酸化三チタ
 ンと表記)で発見された新概念“蓄熱セラミックス”。(a)加熱により230 kJ L−1の熱エネルギ
 ーを蓄え、弱い圧力(60 MPa)で放出する。その他に、(b)電流を流す、(c)光を照射するという
 多彩な方法でエネルギーを蓄熱することができる。

 

※ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンの圧力印加によるベータ-五酸化三チタンへの転移と、加
 熱によるラムダ-五酸化三チタンへの回復。(a)一軸加圧実験の様子。(b)相分率の圧力依存性と
 (c)温度依存性。圧力60 MPaで急激にラムダ-五酸化三チタンからベータ-五酸化三チタンへ相転
 移する。また、加熱すると200ºC以上でベータ-五酸化三チタンからラムダ-五酸化三チタンへと
 戻る。

 

WO2015050269

 

 

 

 【日本の政治史論 Ⅷ:政体と中枢】  

 

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                           古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

   目 次 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策  

  第7章 役人―その困った生態 

                                                   独禁法改正を恐れる学者たち
 
  とはいえ、大蔵省や法務省の説得よりも、やはりたいへんなのは、左派の圧力をどう撥ね
 除
けるかだ。どこか応援してくれるところかなければ、実現は不可能である。
  誰でも真っ先に思いつくのは経済界だ。経団連で政争政策を紅当していた阿部泰久氏(現・
 経団連経済基盤本部長)に話しに行くとでぜひ、やってくれと乗り気である。当時、経団連
 の
なかに、競争政策委a会という組織かあり、委員長だった旭化成の弓倉礼一社長と話する
 と、「通産省か本気で取り組むのなら、こちらも特別な部会を作って後押しをする」といっ
 て
いただいた。

  経団連が部会を作るのだから、こちらもと考え、帰って上司の産業政策局長に許可を求め
 ろ
と、「いいんじやないの」というので研究会設立の準備を始めた、ただ局長には、そのと
 きは競争政策をやりますというくらいにとどめ、具体的な話はしていなかった。
  ところが、名だたる学者を訪ねていくと、みなけんもほろろ。聞く耳も持たないという様
 子で、話を始めるや否や追い返された。

  有名な学者は左翼がかった人が多く、独禁法九条は堅持すべきという考えに凝り固まって
 いるうえに、公正取引委員会を応援している学者か大手だった。一時、公正取引委員会は極
 めて閉鎖的で、情報をなかなか公表しない。だから、公取と仲良くしていろいろな情報を教
 えてもらわないと、学者は研究対象がなくなり、お手上げになってしまうのだ。だから、彼
 らは持ちつ持たれつの関係を築いていた.いわば、競争政策の世界での談合だ。

  ただ、私は公取に敵意は持っていなかった。むしろもっと強くなって欲しいと思っていた。
 当時、公取は虐待されており、しっかりした規制をしようとすると政治的な横やりか入りて、
 泣き寝人りせざるを得ない。それで、「吠えない番犬」などと揶揄されていた。その中心と
 なって、この弱い公取をいじめているのか通産省だと目されていた。
  古くは富士製鐵とハ幡製鐵の合併による新日本製鐵の誕生。巨大な製鉄会社を合併させて、
 超巨大な会社にする。この合併により独占に近い状態か生まれるし、その結果、価格が上か
 る可能性も十分ある。さらに、戦後の財閥解体、巨大企業の解体に逆行する政策だとして、
 公取は阻止に動いたが、政界、経済界の圧力に屈した。

  そんなとんでもない政策の旗を振る通産省に協力などできるはずかないという学者ばかり
 だった。いま一つ学者がためらった理由としては、日米構造協議以降に高まっていた系列批
 判が挙
 げられる。
  アメリカは主として日本の自動車産業を攻撃するため、テーマに系列を選んだ。アメリカ
 の
自動車は、日本車より性能がいいはずなのに日本で売れないのは、日本では系列の販売店
 でし
か販売か許されていないからだ、系列化をやめろ。あるいは、アメリカの部品メーカー
 は優秀
なのに、トヨタや日産の系列に入らなければ部品は買ってもらえない。日本の系列化
 は自由競
争を阻害している。これがアメリカの主張だった

  純粋持ち株会社などを認めれば、ますます系列化が進む。そんな時流に反する話には乗れ
 ないというわけである。
  比較的、柔軟に対応してくれるのでは、と思われる学者に当たっても、通産省に足を運ぶ
 のも憚られるという感じで、商法の学者でさえ、大御所には断られた。
  それでもなんとか参加してくれる学者を探し出した。座長を引き受けてくださったのは、
 成蹊大法学部教授の松下満雄先生である。松下先生は、独禁法では極めて開明的な学者で、
 世界の独禁法にも詳しい。欧米の独禁法学会では知らない人はいない方で、前々から日本の
 独禁法の問題点を指摘されていた。




  松下先生は、通商法でも活躍されており、後にWTO(World Trade organizatjon=世界貿
 貿易機関)の最高機関である上級委員会の委員にまで出世し、その分野では大御所におなり
 になったか、当時は、なぜか日本の独禁法学会では異端児扱いだった。
  アメリカのスタンフオード大学教授の青木昌彦先生も参加してくださった、青木先生は一
 時期、もっともノーベル経済学賞に近い学者といわれ、現在はスタンフオード大学の名誉教
 授である。日本に帰国していた青木先生に会いに行くと、「ぜひ、やりなさい」と快く参加
 を引き受けていただいた。

  商法では、東京大学の江頭憲治郎先生にも参加していただいた。これからの商法学会を背
 負ってjリつといわれる先生の参加で、会もだんだんと格好がついてきた。あと数名、中堅、
 若手の学者に参加していただいた。なかには、反対の世論が高まると、途中で「編されもや
 ったなあ.学会で肩身が狭くて困ったなあ」などと言い出す先生もいたのだが、とにかく研
 究会の陣容は整った。

                     経団連さえ二の足を踏んだテーマ

  なんとか研究会の目処が立ったので、経団連に報告に出かけた。すると経団連からは思い
 もかけ
ぬ話が・・・・・・。
  「うちはちょっと・・・・・・時期尚早だという結論になりまして、部会のなち上げは見合わせ
 ることにな
りました」経団連では阿部氏が部会設なに尽力されたが、どうも部会長の引き受
 け手がいなかったようだ。世間の批判か怖くなったのか。「えっ」と絶句すると、阿部氏は
 「古賀さん、部会は無理でも経団連は誠心誠意応援しますから」という。誠心誠意といわれ
 ても、梯子を外されたのか、という思いが頭をよぎる。かといって、すでに先生方には依頼
 しているので後には引けず、「誠心誠意応援する」という言葉を信じて研究会の検討を見切
 り発車した。
  後に分かるのだか、経団連の弓倉氏や阿部氏は、その言葉通り、最後までわれわれを支援
 してくれた。

  その後の検討の過程では、いわゆるノンキヤリの職員が目を見張る活躍をしてくれた。た
 とえば、ある職員か国会図書館でGHQ時代のわら半紙のガリ版刷りの資料を発掘してきて
 研究会の教材にした。その資料には、独禁法の草案が作られた頃の議論が逐一記されており、
 手に取るようにGHQと日本側のやり取りが伝わってきた。日本側はGHQの要求にかなり
 強く抵抗していたのだ。


  
  独禁法の草案を作った委員の一人に当時通産大臣だった橋本能太郎氏の父、橋本龍伍氏が
 いた。大蔵官僚だった橋本能伍氏は、吉田茂氏に勧められて政界人りしたが、占領下では内
 閣参事官として経済安定本部にいた。このとき独禁法起草作業に携わったとされる。その橋
 本氏が「GHQの主張はおかしい」という趣旨の発言をしていた。子息、龍太郎氏か通産大
 臣のときに、このような資料が見つかったのは、何かの因縁だろう。研究会は難産だったも
 のの、スタッフのがんばりもあって理論武装はかなり堅固なものができ、最終的なまとめの
 段階まで来た。しかし、政治的には非常にセンシティプな話なので、結論の方向性を最後ま
 で示さないまま、水面下で進めている研究会である。全面解禁を打ち出すことが洩れては、
 と 神経を使った。

  だが、外部のメンバーもいるので、いつかマスコミに流れる。もし、何もマスコミに話さ
 ず記事にされて反対に回られたら、厄介なことになるので、事前に記者たちには事情を説明
 し、解説しておいた。「簡単に書いてもらっては困る」と釘を剌して。
  ところが、1995年2月12日、毎日新聞の記者が、「持ち株会社全面解禁・・・・・・通産
 省の研究会、報告書で提案」と書いてしまった。この記者が悪いのではなく、私の油断が原
 因だった。

  この記者が応援部隊の一人として通産省にやってきて、挨拶に訪れたときにこの話が出た。
 このとき、ストッブしてある話は伝わっているものだと早合点して、書かないという条件を
 明示しないで話してしまったのだ。
  毎日が記事にしたため、大騒ぎになった。他の新聞社も後追いで記事にしたが、毎日に抜
 かれてしまったためか、批判的なニュアンスで書かれていた。さらにしばらくすると、どこ
 も社説で「財閥を復活させるつもりか」「系列の不透明な取引をまた強化する気か」といっ
 た論調で、明確に反対の意を表明し始めた。

  3
になると、とうとう参議院の予算委員会で社会党か取りトげるという騒ぎにまで発展
 した。大
臣にも詳しい説明はしていないし、公取とも何の調整もしていない。さすがにこれ
 はま
ずいことになったと困った。
  このまま大臣が国会に出て行くと、公取から攻撃される。通産省が退却宣言してけりをつ
 け
るという方法もあるにはあるが、それではいままでやってきたことがすべて水の泡になっ
 てし
まう。かといって、やるというと、公取と通産省の意見が真っ向から対立し、予算委員
 会は閣
内不一致で紛糾することは必至だ。審議ストップして大臣の責任問題に発展しかない。

  厄介な事態になったので、上司の産業政策局長に相談すると、「任せる」と一言。局長が
 無
責任なわけではない。彼は後に事務次官になった大物で、これぞ武士というタイプだった。
 昼間はテレビで時代劇を見ていることか多い。大枠の指示だけ出しておき、部下が相談に来
 ると、なんでも「ああ分かった」と応じる。部下に自由にやらせておき、任せられなくなっ
 た
ら自分が出て行って決着させるというのが彼の流儀だった。普段は細かいことばかりいう
 の
に、いざという時は腰砕けになったり、責任逃れに終始したりする幹部も多いが、それと
 はま
ったく逆のタイプだ。


                        政治主導の見本は「機能」


  その夜、大臣の答弁を作成した。大臣になんといわせたらいいか-。海外ではどの国も純
 粋持ち株会社を容認している。会社経営の自由度を高めるためにも、純粋持ち株会社の導入
 が必要だと理由を述べ、駁後にこう表現することにした。

 「少なくとも早急に検討に着手すべきだ」

  解禁しろなどというのは少し行き過ぎだ。少なくとも国会ではまだ議論さえしていない。
 いきなり解禁とは何事だ、と反対派の反発を食らい、入り口で止まってしまう。役所言葉で
 いえば「積極的に」といいたいが、それではたいへんな騒ぎになる。しかし、「慎重に』と
 するのは変なので、このような表現にした。
  これぐらい後ろに下がっておけば、「検討に着手」だから、検討して結論を出さなくても
 よい、と読ませるわけだ。もちろん結論を出すことも含まれる。反対派も真つ向から非難で
 きないだろうし、ギリギリ前には出て行く感じは残されている。
 
  問題は、橋本大臣に納得してもらえるかどうか――。大臣にはたくさん質問か入っている
 ので、大臣室での説明は、2、3分ほどしかない。順番に呼び込まれて、払の番になり、入
 室して恐る恐る説明した。
  その間、橋本大臣は答弁書に目を落としている。私の説明が終わると、大臣か顔を上げて
 いった。

 「分かった。これは人事だな」

  悠られることを覚悟していた私は、「だけどなあ、今後は気をつけろ」、あるいは「だけ
 ど、なぜ、こんなことを俺に黙ってやるんだ」と続くはずの叱咤の言葉を待った。だか、橋
 本大臣は無言。江田憲司秘書官(現・みんなの党幹事長)が、「次」と私の後ろの人を呼ん
 だ。
  橋本大臣が本当に理解してくれたのかは分からなかったが、ともかく怒られずに済んだ。
 退室した私は胸を撫で下ろした。
  予算委員会では時間か押して、われわれの件に関する杜民党の議員の質問時間は短くなっ
 たが、橋本大臣と公取委員長が答弁に立った。案の定、委員長は解禁論をボロクソに批判し
 た。「相互持ち合いあるいは系列、企業集団の存在が海外からのわか国市場への参入あるい
 は投資の障壁になる・・・・・・今日においても株式所有による事業支配力の過度の集中を防止す
 る必要かある・・・・・・。手段であり、企業の系列化、集団の形成強化の核となるおそれのある
 持ち株会社を解禁することは・・・・・・。持ち株会社の禁止規定は堅持すべきものである・・・・・・」
 むずかしい言葉を並べ立てるのほいかにも公取の答弁だが、要するに、これだけ日本の系列
 化が世界から批判を浴びているときに、そんなことをやると世界に恥を晒すことになる、
 禁法9条は断固守りぬく、という意味。歯牙にもかけないとはこのことだ。
 
  一方、橋本大臣は、「公正取引委員会からも系列とか様々な御意見に基づいての御批判が
 ありますけれども、私は積極的な検討はさせていただきたいものと思っております」と答弁
 した。
  ・・・・・・私は「少なくとも早急に検討に着手すべきだ」と柔らかく書いた。しかし、「積極
 的」と大臣はいった。大臣のいい間違いではないかと思った。霞が関言葉で「積極的に」は、
 基本的に「やる」という意味だからだ。

  ついでに永田町の政治家言葉と霞が関の役人言葉に関して況しておくと-。水引町ぢ葉の
 特徴は、「しっかりと」といったあまり意味のない表現で、ニュアンスを出す。菅直人氏が
 得意とした言葉だ。一方、霞が関言葉は、どんな些細な表現にも意図か込められている。「
 霞が関文学」では「○×等」と「等」を入れた場合、後で拡大解釈するための布石だし、「
 前向きに」は『やる」、「慎重に」は、「やらない」という意味だ。

  大臣の場合、答弁は官僚が書くのだから、基本的に霞が関言葉である。橋本大臣は普通の
 大臣と追って、そういう厳密な言葉づかいを理解できる人である。「積極的に」はやるとい
 う意思表示だと解釈して良かった。


                           大蔵省の橋本内閣倒閣運動

  公取がやらないといっているのに、通産大臣はやるという。このまま進めば、委員会がス
 トップする恐れがあった。大臣がいい間違えた場合、官僚や秘書官がすぐに訂正するようい
 いに行く。
  ところが、予算委員会では、われわれ官僚か座っている席は大臣席から遠く、秘書官の席
 も少し離れていたためか、結局、その場で大臣の意向は確認できなかった。

  そのときは、これはまずいことになったと思ったが、後で分かったところでは、いい間違
 いでもなんでもなかった。橋本大臣は、本当にこれはやったほうがいいと考えており、確信
 犯的にわざと答弁を変えたのだった。これだけ大きな問題に対して、短時間に咄嵯の判断を
 下すとは思えない。前々から橋本大臣がこの件について問題意識を持っていたのだろう。
  もう一つ見逃せないのは、当時、橋本大臣には江田憲司氏か秘書官としてついていたこと
 だ。彼は、競争政策にも詳しかったので、私は答弁にやや詳細なメモをつけておいた。江田
 氏は私のことを信頼してくれていたので、橋本大臣に、これは大事な話だと解説してくれた
 ようだ。信頼する側近からの進言も得て、橋本大臣は、自信を持って前向きな答弁かできた
 のだと思う。



  私は、このときの橋本大臣こそ、政治主導の見本だと思っている。政策に関する緻密な検
 討は役人が担当する。その結果を、最終的に閣僚がリスクを取って政治判断する。その際、
 絶対的に信頼できるスタッフを持っている。これが政治主導である。
 役人が勝手にやったと、責任をすべて役人に転嫁するような政治家では、到底、政治主導は
  実現しない。これは2010年秋に起こった尖閣諸島中国船衝突事件でも見られたが、民主
 党が政治主導を確立できなかった原因は、ここにもある。
  一方、橋本氏の場合、役人のわれわれでさえむずかしいのではと思っていた政策を、自分
 の判断でやるといったのだ。まさに政治主導の見本だった。


わたし(たち)の眼からすれば、永田町と霞が関内のコップの中の嵐としか映らぬ「政体」が、
ここではその
後の政局→政治経済に影響し、勤労庶民の暮らしに大きな影響を与えることを、
著者の実体験で語られ
ることとなる。それは何のために、誰のためになされるのかと・・・・・。
 

                                                      この項つづく 

 

 

   ● 今夜の一曲

'Venus and Mars / Rock Show' 
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM

ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショーは、1975年にポール・マッカートニー&ウイングス
が発表及び同曲を収録したシングル。ヴィーナス・アンド・マースに収録されている2曲の短縮
版。
曲はポール一人によるギター弾き語りの「ヴィーナス・アンド・マース」に始まり、派手な
展開を見せる「ロック・ショー」へとメドレーで続いている。「ロック・ショー」の歌詞の中には
ジミー・ペイジも登場する。イギリスでは、ヒット・チャートにランキングされなかったが、ア
メリカ、ビルボード誌では、1975年12月13日付けで最高位12位を獲得。キャッシュボックス誌で
は12月6
日、13日の2週間、最高位16位を獲得する。

 

コメント
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再エネ百%のハワイ

2015年05月15日 | 政策論

 

 

 

  人間は考える葦である / ブレーズ・パスカル


【学習能力に長ける米国 : 再エネ立国にチェンジ!】

さすが米国と感心する。福島第一原発事故を目のあたりし米国人は考えた。それまで消極的だっ
た地球温暖化問題への取り組みと脱原発から再エネへの取り組み。その象徴的な2つの話題が、
ハワイとニューヨークから届いている。また、下段に「今夜の一品」で高効率な携帯用太陽光調
理器(GoSun Stove社)紹介掲載しているので参考に。

その1つが、日本と同様に電力の9割を化石燃料に依存してきた米国ハワイ州が再生可能エネル
ギーの拡大に意欲的に取り組んでいる。2030年までに省エネの効果と合わせて再エネの比率を70
%まで高め、さらに2045年に百%を達成する法案が州議会で可決されたというもの。再エネを主
体にした電力の安定供給にも挑むというニュース。

ハワイ州の電源構成は日本の離島と同じように石油火力が主体だ。2012年の時点で石油が7割以
上を占めるほか、石炭も155%にのぼり、化石燃料が9割近くに達する現在の日本と変わらな
い状況と同じ。大きな違いは再生可能エネルギーの発電量が急速に伸びている点。その発端は、
2008年に開始した「ハワイ・クリーン・エネルギー・イニシアチブ」だ。2030年までに再生可能
エネルギーの拡大と省エネルギーの効果によって、電力の70%を再生可能エネルギーで供給す
る目標を州政府が設定したことに始まる。


さらに2015年5月5日に、全米50州の先頭を切って2045年までに再生可能エネルギーを百%に
到達させる法案が議会で承認。5月15日までに州知事が拒否権を行使しなければ正式な法律とし
て成立する。これから30年間のうちにクリーンエネルギー百%の島に生まれ変わることとなる。
ハワイ州が再生可能エネルギーの拡大に積極的に取り組むのは、地球温暖化対策のほかに州特有の
理由として2あり、1つは自動車を含めて燃料の主力になっている石油輸入依存し、州の生活と経済
石油の価格と調達量に大きく左右される。もう1は、電気料金が米国本土と比べて3倍以上の
水準になっている。2014年の時点で電力1キロワットアワーあたりの平均価格は34セント。1ド
ル=120円で換算で40円を超え、日本の家庭向けの単価も大幅に上回る。再生可能エネルギー
を導入することで、企業も家庭も電気料金を削減することが可能にする。因みに、日本の太陽光
発電の現状は下図の料金状況に想定されている。

 

ハワイ州の試算では、2030年に再生可能エネルギーの比率を70%まで高めまれば、州全体の石
油の輸入額を年間に51億ドル(約6,1000億円)も削減できる見込み。石油の消費量を削減ため
に、ガソリン車から電気自動車へ移行を進める一方、バイオ燃料も増やし、2030年には自動車に
よる石油の消費量の70%削減目標を設定している。



ただ、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが増えると、天候による出力の変動によって電力
の供給が不安定になとなる。日本でも九州などの離島で問題が生じ始めている。この点でもハワ
イ州は世界で最先端の技術を開発・導入する計画で、日立製作所などが参画して「スマートグリ
ッド実証事業」が2013年12月から始まっているという。

 

もう1つは、米国ニューヨーク市の名物である屋台が環境志向の店舗に進化させていくというニ
ュース。屋台の屋根に太陽光パネルを搭載して、天然ガスと組み合わせたハイブリッド発電シス
テムで調理や冷蔵が可能。最新鋭の屋台5百台を無償で提供する先行プログラムが5月11日に始
まる。メリットは3つある。(1)排気ガスを削減――有害な窒素酸化物を95%、二酸化炭素な
どの温室効果ガスを60%削減できる。(2)従来の発電機が発生するチェーンソーのような騒音
がハイブリッド車と同様に静粛性をもつ。(3)ベンダーにはエネルギーコストの低減にもつな
る。

そこで、その効果予測では、ニューヨーク市の屋台では1日に120万食も売られるほど人気が高
いが。エネルギーの将来動向を調査・分析する非営利団体の米Energy Visionによると、ニューヨ
ーク市内の屋台がMRV100に置き換わり、燃料の天然ガスに食品廃棄物などから生成したRNG
(Renewable Natrural Gas
、再生可能天然ガス)を利用すると、年間に1,500万リットルのガソリンと
2万トンの二酸化炭素排出量を削減できる見込み。

10数年前、会社をやめてニューヨークにでて、おでん&ラーメン屋台(和風ポトフ屋台)を世
界展開する計画を立てたこともあったが、彼女の協力が得られなかったら断念したこともあった
が、そのことはさておいて、屋台には固定式のキッチンや流し台、冷蔵庫、POS(販売時点情報
管理)システムまで装備でき、1台の価格は1万5,000~2万5,000ドル(日本円で180万~300万円
)程度だというから、300万円/台。3年償却として、1ヵ月あたり凡そ8万6千円以下とな
る。
MOVE Systems社は発売に先がけて500台を無償で提供するパイロット・プログラムを5月11
日に開始。ニューヨーク市からMFV(Mobile Food Vendor)のライセンスを取得しているベンダー
が対象になるという。これは、個人的にも先を越された恰好になる。

※ その当時は太陽光発電や電気自動車(ハイブリッド車)は考えていなかったが、実行してい
  たらこんなところでブログを打ち込むこともなく、ビジネスマンとして有名になり『ニュー
  ヨーク・タイム』の表紙を飾っていただろう。^^;。

   ● 和風ポトフ

 

  ● 今夜の一品

太陽光だけで調理を可能なソーラークッカー「GoSun」。短時間(太陽光を2時間で蓄熱)で290
℃の高温にまで達し、蒸し焼き、天火焼き、炒めなどのクッキングを楽しむことができ、燃料も
電源も必要なくなり、数秒で組み立て分解でき、環境にやさしくて使いやすい。太陽光を効率良
く集めることができるため曇りの日でも調理されていて便利で2年間の保証付き。僻地や、災害
現場で威力を発揮しそうな一品だ。

 

 

 

   

 【日本の政治史論 Ⅶ:政体と中枢】  

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 

  福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)


                           古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』

   目 次

 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策 

  第6章 政治主導を実現する三つの組織 

 
                     内閣予算局ができても財務省は困らない

  政策と予算は.体なので、財務省は政界への影響力も強い.自民党時代、財務省以外の省
 庁
も自民党議員と深い関係にあるとはいっても族議限に限られていたのに対し、財務省は与
 野党
を問わず、広く太いパイプを持っていて、自民党の事務局職員にまでがっちり食い込ん
 でい

  力関係も明らかに財務省がトだった。.部の大物議員を除き、地元や支持団体に予算をつ
 け
て欲しい議員は、わざわざ財務省に足を運び、T王計官に頭を下げて陳情していた。

  民主党政権になって、政治家の霞か関への陳情は民1党幹事長室を通すようシステムが改
 め
られ、直接、財務省の役人と一議員か陳情のために接触することは禁じられたりしたが、
 それ
でも国会議員にとって財務省の意向は無視できない。
  先ほど触れたように、官邸を牛耳っているのも財務省だ。官房副長官袖が財務省の牙城に
 な
っているだけでなく、総理や官房長官の秘書官にも、財務省出向名の指定席が用意されて
 いる。

 
 総理や閣僚には、複数の省庁から出向した役人が、秘書官としてつく。、総理の場合、財
 務
省、経度省、警察庁、外務省から送り込まれるのがこれまての慣例だったが、現在は厚生
 労働
省からも一人、また、2010年秋に尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起きたこともあり、
 防衛省からも秘書官が出向することになって、政務秘書官も入れてレ]大でチームか組まれ
 ている。

  外務省の秘書官は外交、厚労表は社会保障、警察庁と防衛省の秘書官は特殊な役割なので、
 実質、総理の内政の片腕を務めろのは、財務省と経産省から出向した秘書官であることが多
 かった。経度省は最近とみに力が落ちているが、財務省の秘書官は内政全般にわたり引き続
 き大きな発言力を持っている。

  四六時中、総理と行動をともにする秘書官か与える影響は非常に大きい。財務省は秘書官
 を通じて総理をコントロールしている。これは官房長官以ド、多くの特命担当大臣にしても
 同様で、財務省は内閣を支配する力を有しているのだ。
  事実、財務表に逆らい、行革や公務員制度改革を進めた橋本龍太郎内閣や安倍音三内閣は
 財務省頂点とする霞が関に打倒されてしまった

  他にも国税庁など財務省のスーパーパワーの源泉はいくつもあるが、予算編成権こそか財
 務省パワーのベースであり、それを取り上げるとなると、相当手ごわい抵抗が予想されるの
 で、あえて政治家は棚上げにしている。
 しかし、実は民主党政権の誕生が濃厚になった時点で、財務省のなかには予算局の設置を覚
 悟した官僚もいたようだ。

  2003年の民や党のマニフェストには、「内閣財政局」の設置が明記されていた。政治
 主導を旗印として政権に就いた鳩山内閣が、この政策を持ち出してくる可能性は十分あった。
  
  無論、財務省からしてみれば、予算編成権は何かあっても死守したい。しかし、もし、民
 主党政権が強硬に推進しようとした場合、ギリギリのところで妥協できるラインだと考えて
 いたようである。予算局の設置を阻止するために、民主党政権打倒に勤くかというと、この
 点に関しては、そこまで単純ではなかったのではないか。

  なぜ、虎の子を取り上げられる危機なのに、財務省の抵抗感がさほど強くなかったかとい
 えば、これは少し考えれば分かる。たとえ内閣官房ないし内開府に予算局が設置されたとこ
 ろで、予算編成は誰でもできるという類の仕事ではなく、財務省の協力がなければ一歩も進
 まない。現実的には、内閣官房に予算編成権が移されようとも、予算局に横滑りした財務官
 僚か、財務省出身の官房副長官補の主導の下で予算をまとめ上げることになり、財務劣の権
 限は実質、損なわれることはない。

  こういう読みと自信があったからこそ、財務省のなかには、内閣予算局の設置くらいなら、
 容認できる範囲だと考えている官僚がいたのだ。
  しかし、財務省の思惑はどうであれ、内開府に予算編成機能が移され、総理直轄で予算が
 組まれる仕組みに変わる意味は大きい。とりわけ、予算の優先順位を大きく見直して予算の
 組み替えを行おうと思えば、その仕組みは不可欠だろう。
  政治主導を目指す政権にとって、国家戦略スタッフ、内閣人事局、内閣予算局をすべてに
 先がけて創設することが必要なのだ。 
  民主党政権は、このすべてを先送りした。いや、諦めてしまったのではなかろうか。
  次の章では、真の政治主導を確立するために、役人たちのその行動原理を紹介しよう。私
 が取り組んできた独占禁止法の改止、あるいはガソリンスタンドでのセルフ給油の自由化
 またクレジットカードのスキミング対策の確立などに際し、省益を守るため、役人たちはど
 う動いたか――。

 


  第7章 役人―その困った生態

 

                           不磨の大典「独禁法九条」

  私は通商産業省(当時)に入って以来、20のポストを経験した。その時々でおもしろい
 仕事ができたこともあれば、そうでないこともあった。ただ、残念なことが一つあるとすれ
 ば、同じ公務員でありながら、国民のため、という基準ではなく、自分の所属する役所のた
 め、という基準を優先する官僚たちの行動を常に□撃し、多くの場面でそれと戦わざるを得
 なかったことである。

  経済企画庁への出向、大臣室、外務省に出向しての南アフリカ共和国の領事、産業政策立
 案の要である産業政策局産業構造課、基礎産業局総務課、大臣官房会計課などでの業務を経
 て、1994年6月、私は産業政策局に戻った。ポストは産業組織政策室の室長であった。
 産業組織政策室は、名門の部署ではあるが、難解な法律を扱うため、政策のプロといわれる
 若手が登用されることが多いポストだ。所帯は10人ほどの小さな組織。私にとっては初め
 ての管理職ポストだが、担当分野も限定されていて、より具体的な政策を求められる。主な
 分野としては、競争政策、特に独占禁止法や規制改革、そして企業法制、特に会社法などか
 挙げられる。

  私が戻った頃、ちょうど二年前に産業構造部で後任に託した産業構造審議会総合部会基本
 問題小委員会という通産省の審議会での検討結果がまとまり、報告書として日本経済の課題
 がズ
ラリと書かれていた。数ある課題のなかで、私が注目したのは「純粋持ち株会社の解禁
 』だった。

 日本は自由主義経済を基本としているから、企業の活動は自由だ。しかし、何でも自由だと
 いうことにしておくと様々な弊害か生じる。たとえば、強い企業かどんどん勝ち続け、ある
 商品を生節できる会社が一つになると、不当に高い値段をつけても、消費者は他に代わりが
 ないのでその値段で買わざるを得なくなる。あるいは、その商品を生産する会社が3社あっ
 たとしても、この3社が相談して値段を不当に吊り上げれば同じことになる。

  そのような独占的な状況になることや、独占的な地位を利用して最終的に消費者の利益を
 損なうことがあっては困る。そこで、自由主義経済の国では必ず独占禁止法という法律を作
 って規制し、対応している。最近では中国でも独禁法が作られ運用されている。
  日本の独禁法九条では「純粋持ち株会社の禁止」が定められていた。純粋持ち株会社とは、
 簡単にいえば、自分ではほとんど事業を行わず、もっぱら子会社の株を持って支配し、その
 子会社を通じて事業を行う会社のことだ。戦前の日本では、少数の財閥か独占的な地位を利
 用して経済、そして社会全体を牛耳っていたことが戦争の一つの原因だ、そう考えたGHO
 は戦後財閥解体を実施した。「経済民主化」の柱の一つである。

  財閥は持ち株会社を中心として運営されていたので、肖領が解けた後も財閥が息を吹き返
 さないように、独禁法9条を作って持ち株会社を作れないようにしたのだ。 
  もちろん、どこの国でも、独禁法は経済法規のなかでももっとも重要な法律だと考えられ
 ている。しかし、日本では、財閥解体、経済院主化というスローガンと.体となって、経済
 法といっても極めて政治色の強い法律になってしまった。社会党をはじめとする左派の人々
 は、独禁法を経済の憲法とし、とくに九条は戦争放棄を定めた憲法九条と並ぶ「もう一つの
 九条」と呼ばれ、絶対に手をつけてはならない聖域扱いだった、そのため、経済界の不満の
 声をよそに、憲法九条同様、改正議論さえもタブーという空気が長らく支配していた。

  私は、農業問題も似たところがあると思っている。つまり、農地解放で、大地主から小作
 農に土地を分けて農業が小規模化した。その結果を固定しようと戦後の農地法か作られて、
 農地の移転に厳しい制約を課したため、農地の集約化による効率化が胎まれ、農業発展の足
 かせになっているのだ。

  独禁法九条は、これまで本格的に法改正をやろうという話が一度もなかった困難なテーマ
 ある。私は、着任してからずっと、なんとかこの問題にチャレンジできないかと考えていた。
  いうまでもなく、財閥を復活させたいと考えたわけではない。産業構造部で勉強して感じ
 たのは、一つは、日本企業の経営の甘さだった。日本の企業のなかには、ほとんど儲からな
 い事業なのに、なかなか撤退せず、横並びで事業を続けているところがたくさんあった。
 
  たとえば、日立や日本電気、冨土通といった電機メーカーは、多角化して様々な分野に進
 出していたか、どこかがいつも赤字で、利益率も高いとはいえないうえ、どんぶり勘定にな
 りやすかった。
  経営者も日本型経営の欠陥をよく認識していて、事業部制や社内分社化といったアイデア
 で、事業ごとの収支を明らかにjる工夫をしていた。しかし、事業部制や分社化には限界が
 あった。同じ社内、同じ労働組合なので、たとえその事業が赤字でも、給与を抑えることも
 できない。どう工夫しても財務はいい加減になってしまう。

  子会社は当時でも認められていたか、子会社の資産が全体の半分以上を占めてほならない
 など制約が多く、すべての事業を一会社化して独以採算を徹底させろのは不可能だった。
  もう1つ、純粋持ち株会社の解禁が必、葡だと考えたのは、その頃から世界中でM&A(
 企廻の合併・買収)が非常に盛んになっていたことかある。選択と集中という概念もようや
 く日本で広まり姶めた頃だ。.

  各社はこれから本格的に戦略的な事業再編に着手するだろう。そのとき、日本の企業だけ
 持ち株会社という経営形態を封印されていては、自由に事業ごとのM&Aや再編を行うこと
 ができない。そういう思いが極めて強かった、ただ、その後の推移を見ると、産業ではその
 時、そこまでの覚悟を持っているところは極めて少数だったようだ。


                     大蔵省が連結決算を嫌がった理由

  純粋持ち株会社を解禁すれば、一つひとつの事業がガラス張りになり、経営効率化に極め
 て有効だ。しかも、M&Aで不採算の関連会社を売ったり、新たな事業に進出するためによ
 その会社を買収するといったことも可能になり、戦略的な経営がやりやすくなる。
  当時、純粋持ち株会社を禁止していたのは、われわれの知る限り世界ではたった2ヵカ国、
 日本と韓国しかなかった。いまは韓国のほうが法整備でも先を行っているが、当時は、何で
 も日本の後追いだったので、韓国も日本の法制をまねて遅れていた。

  日本の独禁法に禁止を入れさせたアメリカももちろん、純粋持ち株会社を認めている。世
 界の常識とはかけ離れた状況になっているのだから、法改正すべきだった。
 こういった趣旨で、純粋持ち株会社の解禁に取り紺もうと考えたのだか、実現までにはいく
 つも障害があった。
 
  まず、税制の問題。連結決算に関する税制度か必要だが、当時はなく、大蔵省(当時)は
 法改正に難色を小していた.
  大蔵省か首を縦に振らない理由は2つあった。連結決算は読み解くのが難解で、大蔵省に
 はそれか分かる人間が.3人しかおらず、人材育成もたいへんだし、税の徴収も面倒になる
 という理由か一つ。財界中で普及していた制度なのに、なんというお粗末な話だろうか。官
 僚は優秀でもなんでもないことを示す典型だ。

  2つ目は、連結納税を認めると、実質減税になってしまうという理由である。非常に単純
 化していえば、同じ額の赤字と黒字の2社の子会社かあったとしよう。単独で税をかければ、
 赤字の会社は税金を払わずに済むか、黒字の会社は法人税を納めなければならない。ところ
 がこれを連結納税にすると、黒字と赤字で差し引き利益は相殺され、税金を納めなくて済む。
 連結納税はかように減税効果があるので、大蔵省は嫌がるのだ。

  さらに、企業をいっぺんに複数の子会社に分割した後に統括する持ち株会社を作るための
 会社法の規定が整備されていない。しかも、その課題の整理すらされていない状況だった。
 これらは法務省の所管だ。

                                                      この項つづく 

   ● 今夜の一曲

Let Me Roll It 
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM


   You Gave Me Something
   I Understand,
   You Gave Me Loving
   In The Palm Of My Hand

   I can't Tell You How I Feel
   My Heart is Like A Wheel 

     
   


    Let Me Roll It

   Let Me Roll It To You
   Let Me Roll It

   Let Me Roll It To You


   I Want To Tell You
   And Now's The Time
   I Want To Tell You That
   You're Going To Be Mine

   I Can't Tell You How I Feel
   My Heart Is Like A Wheel.

   
※ Refrain

レット・ミー・ロール・イット(Let Me Roll It)は、1973年にポール・マッカートニー&ウイン
グス(Paul McCartney & Wings)が発表した楽曲。アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』に収録。
タイトなロックンロールのスタイルが特徴的な人気のナンバーのひとつで、シングル「ジェット」
のB面としてリリースされ、リリース当時からポールのライヴの中心として演奏されてきた。

この
曲はジョン・レノンのサウンド、特にリフとボーカルのテープ反響部分を模倣した物と見な
されたが、ポールはこの曲がジョンの作品を模倣したと言わず、その声が「ジョンのようだ...
僕はジョンのように歌ったとは意識していない」と否定。
歌詞は当時仲の悪かったジョン・レノ
ンに和解を呼びかけたものとして話題になったものの、当時ポールは否定していたが、最近にな
って「この曲はジョンとやりたかった」と語っているから面白い。
 

  

コメント
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