『ドーン』という爆発音とともに地響きがした。地震かとも思ったが、
短い時間だったのですぐに噴火とわかった。
峯苫 健
【小笠原沖M8.5の謎】
5月30日に小笠原沖で発生したマグニチュード8.5の巨大地震で、気象庁はテレビや携帯電
話に地震の発生をいち早く知らせる緊急地震速報(警報)を発表しなかった。日本周辺でマグニ
チュード8.0以上を観測したのは、2011年の東日本大震災(マグニチュード9.0)以来だとい
うが、なぜ発表されなかった(「The Huffington Post」2015.05.31 09:38 JST|2015.05.31 10:03 JST)。
これに対して、気象庁は緊急地震速報(警報)を発表しなかった理由について、今回の地震の震
源の深さが590キロと深い、深発地震(震源が深さ200キロを超える地震)であったためと
した。気象庁では震源の深さが150キロを超える場合には、緊急地震速報(警報)を発表しな
いシステム――震源が非常に深い場合、震源の真上ではほとんど揺れないのに、震源から遠く離
れた場所でも強い揺れが伝わることもあり、地域ごとの正確な震度の予測が難しいため、緊急地
震速報(警報)は発表しない――のだという説明だが、つまり、下図の様に震源から離れた場所
でも強い揺れが感じられる現象は「異常震域」と呼ばれ、異常震域の現象が起こるのは、地震波
をあまり減衰せずに伝えやすい「海洋プレート」のなかを、ゆれが伝わることで起こることによ
る。
したがって、今回の地震は震源から遠く離れた神奈川県二宮町で震度5強を記録するなど、関東
地方には震度が減衰せず伝わっており、異常震域の現象が起きたのではないかとみられる。プレ
ート内で地震が発生することで「揺れはプレート内に閉じ込められ伝わる。プレートの形に沿っ
て、北海道や東北、関東まで揺れが広がった」と古村孝志東大地震研究所副所長が説明する。異
常震域での震度の予測は、難しいく、気象庁の中村浩二地震情報企画官はこの日の記者会見で、
緊急地震速報(警報)について、「震源が浅い地震であれば、震源からの距離が遠くなると震度
が弱くなるという性質を使い、各地の震度を計算し緊急地震速報を出す。しかし、深さが150
キロを超える地震であれば、震源からの距離が遠くなると、震度が弱くなるという予測式では精
度よく計算できなくなり、現在の技術では限界がある」と話す。
地球の半径は約6千4百キロに対して、今回の発生深度が590キロといえば約9%程度の深度
で、地殻下のマントル上層部とマントル下層部との間の対流層で発生した恰好になるが、前図/
右のように、流動状マントル下部と太平洋プレート部が接触してどうして、局所的な震源となる
のかその理由が理解できないでいる。たまたま、マントルから突き出した地殻があったとしても、
その歪みがそれほど大きくなるのだろうかという素朴な疑問を払拭できない。翻って、フィリピ
ン海プレートから何らかの落下してきた地殻デブリがプレートを突き抜け衝突してもそれ程(下
表)のエネルギーをもつ地震源となりうるだろうか? あるいは、運ばれてきたデブリがプレートに衝突し
たとしてもどの程度の大きさと衝突速度なのだろうか。そもそも、プレート同士の衝突部付近でこのような
現象が発生するものだろうか・・・・・? さらに、残留応力の局所解放だとして、地震発生機構の特徴とは
どのようなものだろうか分からないでいる。
さて、なぜ、こんなことに執着するのかというと、日本列島は2013年の東日本大震災以降の地殻
変動の流れが、9世紀の貞観地震の流れと酷似しているのではないかという有識者の指摘に対し、
新たな兆候を感じ取ったためで、東日本大震災+ネパール地震+小笠原沖地震をイメージした時
に、"マントル対流の異変"を加味してみたためで、何の根拠もないイメージの上の話なのだが、
これを誇大妄想というのだろうが、小説『日本列島沈没』をベースとして、不安、疑問が過ぎっ
たというわけで、ここは、緊急の予算執行してでも、現在の地殻変動に対する観測研究・防災研
究を大至急実施するべきだ。それで、人命が、国土が救済できるのなら、例え年間当たり数十億
の経費(直接的な仕事の従事者:数百人+研究費相当)は微々たるものだと。考えたのだが、い
かがのものであろうか?
※ 大規模火山災害について:http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/resilience/dai18/siryo2-3.pdf
「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
第1章 暗転した官僚人生
官僚の二枚舌の極み
いままでに挙げたポイント以外にも、守旧派と対立する事項はまだまだたくさんあった。
幹部の公募採川を推進するために各省庁に数値目.幄を設定する義務を渫す、若手の幹部候
補を内閣主導で育成する、各ポストごとに職務内容や日原等を詳細に定めるジョブ・ディス
クリブション(職務明細書}制度を導入すること、などだ。こわらについても極めて頑迷な
抵抗かあったか、常に顧問会議など表で峡論することによって世論の支持を集め、ほとんど
の事項で、なんとかわねわれの目指す方向にまとめることができた。
ただ、一つ重要なな点て骨抜きが行われてしまった。それは幹部公務員の降格に関する規
定である。
われわれは、政治主導を実現するには幹部職員を大臣か自由に任免できなければならない
と考えた。たとえば、民宇党政権誕生のときを思い出そう。民L党は、選挙前には、政権交
代したら各省庁の幹部には辞表を出してもらうと勇ましかったか、実際に政権を取ったら、
公務員には身分保障かあるからそんなことはできないという理由で、それを断念した。その
結果.守旧派の麻生政隆時代の幹部をそのまま居抜きで使うことになった。民主党の農業政
策を厳しく批判していた農水次官もそのまま留任させたのを見て、私も本当に驚いたものだ。
もちろん、いろいろな工夫でこうした事態を避けることはできたと思うか、やはり、政策
の方向が変われば当然、幹部の布陣もそれに合わせてごく自然に変えられるような仕組みに
しておくことか必要だ。そのためには、幹部の身分保障を外すことがポイントになる。
サッカーで、監督が代わってチームのシステムを変更するのに、レギュラーを前の監督か
選んだメンバーのまま固定する義務を負わせるということは考えられない。政治主導を実現
するためには、サッカーの監督と同じことができる権限を閣僚に与えることが必要だ。
われわれはその実現を目指したが、これは守旧派からすれば絶対に認められない点だった。
特に、これをいったん認めると、管理職以トにも同様の議論か起きる恐れかおる。公務員
の最大の特権は、よほどの悪事を働かない限り、クピにならないどころか降格もないし、給
料も下がらない点。この強力な身分保障は絶対に矢いたくない既得権である。
従って、幹部に限定するといっても、将来、自分たちにも同じ議論か及ぶ可能性を察知し
た組合も強力に反対したのだ。
実は、これを実現できなかった理由の一つとして、この点に関してだけは、われわれのチ
ームに企画立案の権限か与えられていなかったという点が挙げられる。つまり、最初から、
この点はもっとも危ない点だとして、担当をわれわれのチームとせず、隣のチームの担当に
していたのだ。かなり激しいやり取りもあったが、権限上われわれはどうしようもなかった。
彼らは表面的には降格ができるように見える規定を作ったが、実際には、ほとんど使い物
にならない規定だった。先のサッカーの例でいえば、重要なことは、前のレギュラーメンバ
ーを外して新しい選手を入れるときに、一々その理由を説明する必要はないという点だ。ま
してや、代えられる選手が他のメンバーより劣っていることを立証する責任を監督に負わせ
るなどといったら、誰も監督を引き受けないだろう。
しかし、彼らが作った規定は、なぜ降格するのか詳細に説明して、その正当性を証明する
責任を大臣に負わせていた。こんなことではいつ訴訟になるか分からず、結局、降格の規定
は有名無実化するだろうという読みである。
現に担当審議官は、組合に対して、「この規定では滅多なことでは降格できないから心配
することはない」といって説得を試みているのを私はこの目で見た。国会答弁では、「柔軟
に降格できるんです」というような説明を甘利大臣にしていたのだから、二枚舌にもほどが
ある。
歴史的偉業になるはずが
以上の通り完璧とはいえないまでも、逆風のなか、われわれはなんとか結束を固め、幾多
の抵抗を乗り越え、人事院と総務省の関連する機能を集約し、組織と人事を内閣で一元管理
する「内閣人事局」の創設と国家戦略スタッフの創設を柱とする国家公務良法改正案をまと
め上げた、この改正案は、麻生内閣によって2009年3月、国会に提出された。
内閣人事局の創設は、霞が関の随抗が強く、当初、絶対に無理だと見られていただけに、
改正案は画期的といえるものだった。
ところが、いざ審議を始めてみると、民主党がおかしな動きを始めた。表向きは、前述し
た幹部の降格が事実上できない仕組み等を批判して、いかにも改革に前向きなふりをしなが
ら裏で人事院の機能移管を阻止するような妥協案を模索。自民党の守旧派と結託して、大幅
に後退した修正案をまとめようとしたのだ。
われわれは、そんな案ならまとまらないほうが良いと思ったが、危うく合意寸前まで行っ
てしまったようだ。なにしろ、自民党の大半は公務員制度改革には後ろ向きで、そもそも党
内手続きの最終段階で開かれる総務会では、居並ぶ長老たちのほぼ全員が反対したのだ。し
かしこれを潰したら、ただでさえ支持率の低い麻生政権の評価がさらに下がってしまうから
という理由でなんとか通ったという経緯もあったほどで、さもありなんという感じだった。
しかし最後は、民主党の選挙を意識した方向転換で、2009年8月の選挙を前に廃案と
なってしまう。中途半端な妥協で成立させても半分は自民党の手柄になってしまう。それよ
りは、具体的な議論をしないで、麻生自民党には公務員制度改革はできない、民主党がやれ
ば根本から違ったもっと先進的な改革ができる、と国民に訴えたほうか得策だと判断したと
いう。政策よりも政局-今日まで続く流れである。
とはいえ、われわれはさほど落胆していなかった。政権交代の可能性が高まっていたから
だ。政治主導、脱官僚、天下り根絶など、抜本的な公務員制度改吊に意欲を示す、民主党が
政権を配れば、改革は一気に進むのではないかとの期待があった。
仙谷行政刷新大臣の心変わり
2009年9月16日、民主党政権か誕生した。
鳩山由紀夫内閣は当初、期待通り公務員制度改革に意欲的のように見えた,行政刷新担当
大臣に就任した仙谷由人氏から組閣前を含めて都内のホテルに三度ほど呼ぱれ、彼のブレー
ンと思われる民間の方々とともに議論した。議論は抜本的な公務員制度改革から始まり、規
制改革、独立行政法人(独法)改革などあらゆる改革に及び、これから白紙に絵を描くのだ
という感じがあり、非常に胸が高鳴ったのを覚えている。
ホテルでの内々の公議では行政刷新会議のメンパーに関しても話題になった。私も意見を
求められ、「功なり名を遂げた年配の力ではなく、いま活躍している現役ばりばりの人を入
れたほうがいい」という意見を述べ、公務員改侭事務局のメンバーにしても同様との趣旨で
発言をした。すると、次の会合には行政刷新会議と事務局のメンバーの候補者リストを作っ
て持ってくるよう指示を受けた。
仙谷大臣との接触がほとんどなかった私が今後の改革の土台を決める論議に参加を求めら
れること自体、仙谷大臣の改革への旺盛な意欲を表すものだと私は判断していた。
しかし、その後、仙谷大臣とお会いする機会はなく、私が推薦したメンバーリストもお蔵
入りになってしまった。そして.12月、仙谷大臣の判断で、私を含む公務員改革事務局幹
部全員か更迭され、私は経産省に戻された。
この間、仙谷大臣は、私を公務員制度改革の幹部として残したいと発言しているといった
噂も聞こえてきたが、あくまで風聞であり、どのような事情があったのか、しかとは分から
ない。ただ、後のマスコミの報道では、次のような経緯を辿ったとされている。
仙谷氏は私を補佐官に起用し、改革推進をはかる心づもりだった.だが、霞か関の拒絶感
は予想をはるかに超えていた。財務省を筆頭に各省庁は私の起用に猛反発し、仙谷大臣も断
念した・・・・・・。このような経緯があったようだ。
とりわけショツクだったのは、私の親元である経産省の上層部が反対の意向を示し、陳情
を行つたという話だった。
経産省は中央官庁のなかでは、自由な雰囲気で知られている。だからこそ、私のような改
革を公然と唱える者も長い間冷たい処遇を受けずに済んでいた。その経産省ですら、私の補
佐官起用には拒否反応を不しているというのだから、いかに霞が関全体が私の処遇に神経を
尖らせていたのか、分かろうというものである。
とりわけ省庁のなかの省庁、財務省は、私の補佐官起用に徹底抗戦したらしい。財務省に
へそを曲げられると、すぐそこに追っていた民主党政権初の予算算編成は暗礁に乗り上げ、
鳩山政権の命運は尽きかねない。
仙谷大臣が霞が関の圧力に屈したのは、理解できなくもない。予算の編成は毎年、ただで
さえ難航するのに、鳩山政権は初めての経験である。しかも、自民党政権下ですでに終えて
いた概算要求を一度白紙に戻してやり直し、査定をして、12月に予算案を出さなければな
らなかった。これをたった三ヵ月でやるには、財務省を敵に回しては無理である。現実的な
選択肢を取ったのだろう。
私の受けた感じでは、仙谷氏が改革に燃えていたのは、明らかだった。気分的にも高揚し
ていて、なんとエネルギッシュな人だろうと、感嘆したほどだった。私の人事に関しても本
意ではなく、財務省に対しては「いまに見ていろ」と思っていたのではないか。
仙谷氏は小沢一郎幹事長とも折り合いが悪く、鳩山政権では、いわば外様の身だ。あの頃
は、一人で戦うのはまだ無謀だと考え、捲土重来を期していたと思われた。
だから、私は更迭されても、決して落胆していなかった。いずれは思い切った展開になる
だろうと微かな希望は持ち続けていた。しかし、希望はすぐに失望へと変わつていく……。
わたしの少ない経験をもってしても、この場面での顛末は痛いほど、実感を、記憶をも呼び戻さ
せる語りなっている。「こうして改革は挫折する」と。そして、その乗り越え方も体現し貴重な
学習もおこなっている。それは「できる限りオープンにすること」。固陋にして鄙吝な集団を撃
破、突破するにはこれが一番であると。さて次回は第2章に入る。
この項つづく
汲んできた水をParabosol に注水、砂などのゴミを一次フィルターで除去後タンクに貯められ、次
にパラボラミラーの集光部分を通ることで水を沸騰させ殺菌浄水されるというもの。復水器を通
った蒸気が冷却され、カーボンフィルターを通して浄水タンクに回収。1回で170リットル浄
水可能。飲料水のない場面では保安・防災用に便利そうだ。