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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

帝國のロングマーチⅢ

2016年03月31日 | 時事書評

 

 

      教養については、学校や学歴がどうだということとは全然関係ないと思います。


                                                                           吉本 隆明


                                     

                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】
 

 

  ● 目 次

   解題

   
   
   
   
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山 

 

  
   趙

  二千四百年前、黄河中流から太行山脈にかけて栄えていた晋がおとろえ、趙・魏・韓の三氏族がこれを分割した。
 趙は
河北省南部から山西省北部を占め、前四〇三年、諸侯としての地位を確立した。戦国中期には一時勢力をふ
 るったが次第
に四隣の秦に圧迫され、前二二二年、ついに秦にほろぼされる。河北省耶鄲県の南西四キロにある
 が、首部耶鄲のあ
とだという。

  「士は己れを知る者のために死し、女は己れを説(よろこ)ぶ者のために容(かたち)づくる」
  「兵はもとより天下の狂器なり」
   「功なきの尊、労なきの奉を恃(たの)みて、もって金玉の重きを守ること飽かず」
   「その言一なれども、言う者異なれば、人心変ず」
   「国亡ぶるは、賢人なきにあらず、用うること飽わざればなり」

  ●  政治は "きれいごと″ではない

  鄭同が北方に遊説し、趙の恵斑文王に謁見した。王が言った。

 「あなたは、南から来た学者とのこと。ひとつご高見をうけたまわりたい」
 「わたしは南方の田舎者、とても人に教えるどころではありません。しかし、わざわざ、ご引見くださったので
 すから、何か申しあげてみましょう。わたしは、子供のころ、親から軍備について教わりました」
 「せっかくだが、軍備には興味がない」

  鄭同は手をさすり、天を仰いで笑った。

 「もちろん軍備は危険なしろもの。おきらいであろうとは察していました。以前、魏の昭王に軍備の話をしたと
 ころ、やはり面白くないとのご返事でした。わたしはこう申しあげたのです。『許由なら
ば話は別です。許由も
 軍備の話を聞こうとしなかった。それは、許由が政治とかかわりがなかったか
らです。しかし、あなたはちがい
 ます。あなたは先代の封地を受けついでいらっしゃる。宗廟を安ん
じ、領土を守り、社稜(しゃしょく)の祭り
 を絶やさぬことを、望まれないのですか』

  昭王は『むろん、のぞんでいる』とおっしゃいました。
  さて、ある男が随侯の珠と持丘の環、それに数えきれぬ大金を身につけて、ひとりで野宿するとします。この
 男に、孟賁や 成荊、慶忌のような勇気がないばかりか、身を守る弓矢もなかったとしたら
どうでしょう。一晩
 のうちに盗賊に襲われるにちがいありません。同様に、いま、隣りが貪欲な強国
で、あなたに領土の分割を要求
 
してきたとします。こんなとき、軍備がなかったら侵略を防ぐ手段が
あるでしょうか。隣国の思いのままになる
 ばかりです」

  趙王はうなずいた。

 「たしかにそのとおりだ。お言葉に従いたい」

   〈鄭同〉    鄭の人。
   〈趙の恵文王〉 在位・前二九八~二六六年。趙襄子から九代目の王。「肘剱の交わり」(首をはねられて
           も悔いないほどの友情)で名高い勇将廉頗と菊相如はかれに仕えた。「完璧」という語源
           になった故事もこの時代の出来ごとである。すなわち恵文王が名玉を手に入れたところ、
           強国・秦の昭襄王がだましとろうとした。
           そこで萌相如が使者となって秦にのりこみ、無事に名玉をもちかえった(この故事は『史
           記』にくわしい。           い)。
   〈許由〉    堯が天子の位をゆずろうとしたが受けず、潁水(えいすい)で耳を洗ったという。伝説
           の人物。

 《解説》 "再軍備論"の論拠によく引用される一節だが、むしろ、腹とは別に君子づらをしている王にたいする
      皮肉の意味に解せるだろう。

「兵固同天下之狂器也」つまり、「兵はもとより天下の狂器なり」である。"秦"を中華人民共和国、"趙"を日本とし
仮定し、"鄭同"があなたならどのように説くだろうかと想定するのも面白いほど急迫した現実がそこにある。わたし
なら墨子に見習い、反帝國邦連外交を促進し、侵略の不合理さを中国に説き二国間協議を求めながら、トランプ大統
領候補に言われるまでもなく、THAAD(Terminal High Altitude Area Defense missile
超える、国産のミサイル防御システ
ムを開発配備し、粘り強く解決の糸口を模索する
だろうか。


Terminal High Altitude Area Defense missile

 

 

 


● 折々の読書  『China 2049』20


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳    

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 


【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

 

 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

 

                趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計


  天安門の後、中国の改革家の多くは、終生の自宅軟禁を宣告されたが、党のシンクタンクの高官のなかには
 西側へ亡命した人もいた,政府による検閲は強化された。新聞や歴史書からこの抗議行動に言及する部分を削
 除するのが主な目的だった。政治学者の裴敏欣によると、虐殺から1年もたたないうちに、中国政府は「全新
 聞の12パーセント、社会科学系の定期刊行物の13パーセント、中国にある534の出版社の76パーセン
 ト」を閉鎖した(注6)。また、3200万冊の書籍を押収し、150本の映画を上映禁止にし、メディアを
 通じて活動した8000人を罰した(注7)。

  こうした恐ろしい出来事にもかかわらず、アメリカの対中政策は、すぐには変わらなかった。連邦議会はト
 
ムセンの後継者であるジェームズ・リリー大使の召還を検討し、米中関係を変化させようとしたが、ブッシュ
 大統領はそれを懸命に阻止した(注8)。代わりに彼は、かつてのボス、リチャード・ニクソンの「関係を中
 断してはならない。起きたことは手際が悪く、遺憾でもあるが、長い目で見なければならない」という助言に
 従った,ブッシュの日記によると、ニクソンは「中国とは長期にわたってよい関係を維持すべきなので、貿易
 を停止したり、それをにおわす行為をするべきではない」と考えていた(注9)。ブッシュは大安門に集まっ
 た学生たちを「ありがちなデモ隊の一例にすぎない」と呼んだ(注10),

  しかし、いつもと同じく、中国の見方は違っていた。鄭小平にとって中国で起きた学生運動は、かねてより
 著名なナショナリストが警告していた、民衆の問で親米感情が高まるという危険だけでなく、アメリカが中国
 にもたらしたダメージを体現するものだった。言うまでもなく鄭は、西側の譲歩を得るために、親米感情の表
 出を大目に見てきたが、どうやらたがを緩めすぎたらしいと感じたに違いない。
  中国の過激なナショナリスト(タカ派)は、1980年代初期にはすでに、アメリカの生活様式や文化を、
 中国を破壊する「精神的汚染」と見なす思想集団を築いていた。アメリカは世界的な消費文明を創出し、世界
 を支配しようとしていると、彼らは確信していた。この思想集団の中心的な伝導者である力群と胡喬木は、
 人民解放軍と政治局に支持者を得た(注11)。

  小平はこの過激な反米集団のメンバーではなかったが、こちらが考えてい鄭小平はこの過激な反米集団の
 メンバーではなかったが、こちらが考えていた以上に、彼らに共感していたようだ。北京や他の主要都市で学
 生たちが蜂起したことは、国のどこでも共産党は絶対的に正しい存在だと信じきっていたと他のリーダーを
 驚愕させた。党内部では、あのような抗議行動が起きたのは、共産党打倒を目論むアメリカが、心理作戦を実
 行して導いたからだと説明されるようになった,本来、偏執的だったは、この偽りの主張を信じ、アメリカ
 が、「宣伝組織を活用して、中国のいわゆる民主活動家、いわゆる反体制派、実のところは国の屑を扇動し、
 けしかけ、その気にさせた」と書いている(国司),男はアメリカが中国共産党を打倒しようとしていると本
 気で信じていたのだ,

  天安門事件が自由化への潮流の崩壊を招こうとは、誰も予想していなかった。直後には保守派のひとり、
 江沢民を総書記に任命し、天安門事件を機に、ナショナリストが主張する「精神汚染」という論理を利用する
 ようになった(注13)。そして、李鵬、胡喬木、力群といった強硬派の役割を強化し、人民解放軍と政治局
 にいた改革志向の人々を、組織的に追放しはじめた。多くのアメリカ人に衝撃を与えたのは、改革派の党の指
 導者、趙紫陽が終生の自宅軟禁に置かれたことだ。20年後、コロンビア大学の政治学が‥アンドリュー・ネ
 イサンが、謎に包まれた方法で趙の回想録を人手し、出版した。その回想録には、当時のわたしたちは知らな
 かった圧倒的に不利な状況で、彼がいかにして強硬派に立ち向かい、真の改革を実現しようと苦闘していたか
 が綴られている(注14)。

  ブッシュ政帳内の中国支持者は、一連の成り行きを、できるかぎり肯定的に捉えようとした。わたしもその
 ひとりで、次のように思い込んでいた。趙紫陽の軟禁は一時的な後退にすぎない。中国は依然として民主化の
 途上にある。この追放は過剰反応だ。わたしたちは鄭小平率いる「穏健な」派閥を保護しなければならない。
 は米中が乗った船を正しい航路に戻すだろうし、船は今後も凪いだ海を穏やかに進んでいくだろう、と。
  何かが変わったことをわたしたちは知っていたが、それが永遠には続かないことを、ひたすら望んでいた。

  今になって、自分の単純さが悔やまれる。優れたアナリストなら、一つにすべてを賭けたりしない,少なく
 とも、物事がうまくいかない可能性、例えば改革派と反対派との対立が壊滅的な結果を迎え、真の改革者が自
 宅軟禁になるか、あるいは追放され、アメリカから中国への武器輸出がキャンセルされるシナリオをいくらか
 は想定するものだ。アメリカの最高機密に接していた人々は皆、冷戦時に諜報部門が犯した失敗の数々につい
 て知っている。CIA初の「国家情報評価」は、中国の主張に基づいて、中国は朝鮮戦争に介入しないと断言
 したが、その数日後に中国は介入した。1962年にCIAは、ソ連はキューバにミサイルや核兵器を配置し
 ないと予測したが、それは、そんなことをするつもりはないというソ連幹部の嘘を、CIAのアナリストが真
 に受けたからだった,1979年には、CIAの最高位の分析官ロバート・ボウイが連邦議会において、イラ
 ンの皇帝は権力を維持しており、アヤトラ・ホメイニがそれを奪取する見込みはなく、イランは安定している
 と証言した(注15)。多数の情報源によるものだったが、これも誤りだった。

  1980年代にCIAあるいは国防総省でわたしと一緒に働いたスタッフの中に、中国がアメリカをだまそ
 うとしているとか、諜報上の重大な失策を招く恐れがある、と考えていた人はいなかった。それは無理もない
 ことで、当時はあらゆる情報源と亡命者が、中国は自由巾場経済、選挙制、アメリカとの協力拡大の途上にあ
 る、と語っていた。けれども、天安門後、中国からの亡命者は増える一方で、彼らは何か起きようとしている
 かを警告し、祖国の未来について、これまでとは異なる暗い声で語りはじめた。その時になってもなお、わた
 したちは彼らに耳を傾けようとしなかった。

  一人の亡命者は、少なくともわたしの考えでは、突出していた。高位の亡命者にしては、要求はいたって控
 えめで、国による庇護、新しい名前、家、妥当な給与の仕事、そしてもちろん、彼は死んだと中国の情報部に
 信じさせるための作り話を求めただけだった。通常、亡命者は多くを要求し、特に、かなりの金を得ようとす
 る。また、自分は誰よりも重要な秘密を知っていると言い立てるものだ。しかし、この落ち着きのない小太り
 の男は違った。要求が少ないというだけでなく、わたしたちの常識とアメリカのこれまでの政策を完全に否定
 するようなことを、彼は語った。

  わたしはその男性(ミスター・ホワイトと呼ぼう)と、1990年代初めにペンシルバニア・アベニューに
 あるFB1本部ビルの8階にある国家安全保障会議室で開かれた会合で初めて会った。その会合は異例で、政
 府のあらゆる部門の中国専門家が、数名の亡命者の秘密情報を評価するために呼ばれていた。コーヒーブレイ
 クはあったが食べ物は出されず、1時間の予定だった会合は3時間に及んだ。
  ミスター・ホワイトは、重要な評価対象のひとりだった。秘密を語るとき、視線が泳ぎ、指が震えたが、そ
 れを除けば、信用できるように見えた。彼は、アメリカにいる数名の中国人スパイ、中国の指導者が用いる会
 議室のレイアウト、機密扱いの電話システムについて語ったが、それらの情報は正しかった。また彼は、わた
 したちが既に人手していた中国の機密文書を、偽の文書の中から見つけ出すことができた。嘘発見器による検
 査にもか格した,だが、問題は、彼が提供した新しい情報だった,わたしたちはそれを信じなかった,

  ミスター・ホワイトによると、1986年から89年までの3年間、今後の戦略を巡って政治局内で権カ闘争
 が起きたそうだ。高位の秘密会議の記録を読んだと彼は主張し、タカ派の力と、親米感情を徹底的に排除しよ
 うとする取り組みについて語った。天安門事件は中国の安定を揺るがした。男小平は今、こうしたタカ派の側
 にいるという。ミスター・ホワイトは、あるタカ派集団の役割と、彼らがどのようにしてハト派を制圧したか
 を知っていた。それでも彼は、アメジカはどうにかして真の改革者を助けるべきだと訴えた。わたしにとって
 うれしいことに、彼は、アメリカは中国内部の駆け引きに通じており、改革者を助けることができる、と考え
 ていたのだ。

  にはタカ派が奉じるナショナリズムを普及させる、さらに大胆な計画があったと、ミスター・ホワイトは
 語った。中国共産党がこれまで数十年にわたって、儒教文化や、少しでも宗教色のあるものを攻撃してきたこ
 とを踏まえたうえで、いかにして孔子を国の英雄として復活させるかを話し合う秘密会議に、彼は出席したこ
 とがあった。
  言うまでもなく、全体主義の中国において、指導者が歴史の書き直しを命じるのはそれが初めてではない。
 1949年に共産党が政権を握ると、中国の歴史学者のチームは、すべての進歩は農民の反乱に由来すること
 を強調するべく、中国の歴史を書き直したが、歴史学者のジェームズ・ハリソンはそれを「人類史上、最も大
 規模なイデオロギー再教育の試み」と呼んだ(注16)。だが、ミスター・ホワイトが述べたこの最近の変化は、
 あまりにも劇的で信じがたかった。中国の歴史からの脱出を一貫して訴えてきた共産党が今になって、歴史を
 利用するつもりなのか。政府を存続させるために、共産主義のイデオロギーを静かに捨て去り、度を超したナ
 ショナリズムを掲げようとしているのか。赤い中国は、もはや赤くないのだろうか。それらはすべて、信じが
 たいことだった。

  ミスター・ホワイトの状況を複雑にしているのは、彼が提供した情報が、その働きを長く評価されてきたF
 BIの女スパイ(ミズ・グリーンと呼ぼう)が同時期に提供していた情報と相反するという事実だった。彼女
 が求める報酬は、200万ドルとはるかに高額だったが、妓女が情報源と称するもののレベルも高かった。自
 分は政治局だけでなく、郵の後継者として共産党紀書記の地位に就いた江沢民をよく知っており、そこからの
 情報だと言うのだ。郵は依然として親米の立場を維持しており、江は輪をかけて親米派だと、彼女は主張した。
 江は英語でエルビス・プレスリーの歌を歌って楽しんでいると言われていた。大安門の虐殺後、中国はアメリ
 カとさらに密接に協力することを望むようになったと彼女は言い、孔子が賞賛されるとか、マルクス主義教育
 が教育カリキュラムから外されるというようなことはあり得ないと笑った。そして、タカ派は非主流の年寄り
 ばかりで、力はあまり持っておらず、それも急速に失いつつある、と断言した。

  はたしてミズ・グリーンは信用できるのだろうか。ミスター・ホワイトと違って、彼女は、アメリカ内の中
 国のスパイの名前も居所も明らかにせず(あるいは明らかにできず)、中国人スパイを写真から見つけること
 もできなかった。党の上級幹部が用いる北京の秘密トンネルの長さも知らなかった。さらには、中国の機密文
 書を偽の文書と見分けることもできなかった。しかし、たどたどしい英語しか話せないミスター・ホワイトと
 追って、ミズ・グリーンは流暢に英語を話した。そして大半の政策に関する米中の協力を、ひたすら楽観して
 いた。さらには、中国人との再会をひどく恐れているらしいミスター・ホワイトと追って、危険を覚悟の上で、
 年に一、二度、新鮮な情報を得るために中国に飛行機で帰っていると彼女は言った。

  わたしは、このふたりの亡命者を、政府のお抱えにしておくことを主張したが、同原たちは同意しなかった。
 アメリカの情報コミュニティは一致した見解の上に成り立っており、米中関係に関するこの見解の対立は、厄
 介だった。正しいのはミズ・グリーンだ。わたしたちは彼女を信じることにして、要求する金額を支払った,
  最初の会合からほどなくして、わたしは肖びミスター・ホワイトに会う手はずを整えた。彼の言葉を信じた
 わけではなかったが、好奇心をそそられたのだ。彼とわたしは中国語で話した。国のイデオロギーと教育カリ
 キュラムからマルクス主義を外すという一見途方もないアイデアが真実であるなら、中国はそれをどうやって
 実行するのだろう、とわたしは尋ねた。

  ミスター・ホワイトは、無害な響きの「愛国教育」カリキュラムを創設する計画について聞いたことがある
 と答えた。全国に100ヵ所の「愛国教育」拠点、新しい歴史記念碑、観光用の新しい博物館を建設しようと
 いうのだ。また、中国の指導者たちは、テレビやラジオ、映画に資金提供して、中国が日本やアメリカといっ
 た外国に苦しめられてきた過去を、「国辱の世紀」としてまとめることを計画した。そうした番組や映画は複
 聴者の民衆に、アメリカは躍起になって中国を手に入れようとし、中国がかつての栄光を取り戻すのを妨害し
 ようとしたと訴えた。

 「天安門広場に集まった若者やインテリは、アメリカに恋していました」と、彼は言った。
 「あのようなことは、二度と起きてはなりません。だから中国の指導者はアメリカを中傷し、西側諸国による
 屈辱を終わらせ、往時の勢いを取り戻そうとしているのです」
 「一石二鳥ですよ]と言って、彼は話を結んだ。西洋の諺だが、中国にも同じ意味の諺がある。
 「二鳥とは何のことですか」とわたしは尋ねた。
 「一番目の鳥はソ迪です。もはやソ連の脅威は存在しません」
 彼は答えた,
 「ソ連が崩壊したので、中国はアメリカに守ってもらう必要がなくなりました」
 では、二番目の鳥とは何か。それはアメリカだと彼は明言した。彼は「覇]という言葉を口にし、「勢はシフ
 トしています」と言い添えた。

注6.  Minxin Pei, From Reform to Revolution: The Demise of Communism in China and the Soviet Union(Cambridge, MA:
           Harvard University Press, 1994)、152.
注7.  同上
注8.  George H. W. Bush, diary entry,、June 5. 1989、in Georgc H.W.Bush and Brent Scowcroft. A World Transformed (New
          York: Alfred A. Knopf),98.

注9.  同上
注10.George H.W.Bush.Mcmorandum of Conversation、 Suhjcct: "Meeting with Wan Li. Chairman of the Standing Comm-
           ittee of  Nation People's Republic of China," May 23, 1989.  2:30 p.m. -3:45 pm., Oval office、Cabinet Room. and Re-
           sidence,以ドのサイトで入手可能。 
http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSΛEBB16/docs/doc07.pdf.
注11.1992年の胡喬木の死は、ニューヨーク・タイムズ紙を含め、国際的に報道された.,“Hu Qiaomu, a Chincsc Hard-
           Liner,ls Dead at 81,” New York Times, September 29, 1992, 以下のサイトで入手可能,
           http://wwww.nvtimes.com/1992/09/29/obitu;1rics/hu-qiaomu-a-chinese-hrd-lincr-is-dcad-at-81.html
注12.Deng Xinping. Selected Works, Volume III (1982-92)(Bdjing:Rcnmin chubanshc. 1983).108.
注13.Ezra vogel,Deng Xiaoping and the Transformation of China(Cambridge,MA: Harvard university Press,2012),659-63
注14.Zhao Ziyang,Prisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao Ziyang, trans. and ed. Bao Pu, Rcnee Chiang.
    and Adi lgnatius (New York: Simon & Schuster,2009). 同書において、編者は「趙紫陽の回想録が出版されるまで
           には、中国の政界内部にいた何人もの匿名の人物が、多大な危険を覚悟のトで、趙紫陽の秘密のテープを保管し、
           安全に国外に持ち出した」と述べている(306)。
注15.Robert L. Jervis, Why Intelligence Fails: Lessons from the Lranian Revolution and the Iraq War (Ithaca, NY: Conell
           University Press, 2010),15.p25でジャーヴィスは、彼が調べた情報活動失敗の四つの主な理由の一つは、「ナショ
           ナリズムとその双子である反米主義の役割を見落とし、誤解したことだ」と説明した。

注16. James P. Harrison, The Lomg March to Power: A History of the Chinese Communist Party, 1921-72 ( Bethesda, MD: 
            International Thomson Publishing, 1972).
 

                                                                                                                                この項つづく



● ェールオイル採掘に暗雲

目が離せませんなぁ~。

● ャープ 有機ELディスプレーで経営立て直し

敢えてコメントなしのコメントですね。^^;

 


 

 

 

 

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カレーパンに閃く

2016年03月30日 | 開発企画

 

 

      何も知識の専門家だけを、「専門家だ、あの人は」と言う必要もありません。だけど、知識
                 の専門家はテレビに出てよくしゃべって、「すごいな」と思われる機会も多いでしょう。

                                                                                      吉本 隆明


                                     

                                              Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

 

 

 

【カレーパンは餡屋なり】

毎秋火曜日はパンの移動販売に大津からやってくる。いつものピザやお好み焼きのパンは飽きてしまったので、カレ
ーパンを選択。名前を忘れたが、二つに割ってオーブントーストすると美味しいと彼が教えてくれたので、いつも電
子レンジしか使わないわたしがオーブントースターで昼時にそれを頂く。丁寧にパンきりナイフで真っ二つに切り分
けたのはよいが、不慣れの上に目が悪いときて焼き過ぎ表面が焦げるしまったが、彼が言った通り大変美味しいに驚
き、なにやら頭で閃くものあり。そして天使がこう囁く「」カレーパンは餡屋なり!」と。それで、食後、ネットサ
ーフし構想を頭の中でまとめあげる。



それで、今月6日、二子玉川にある「iTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズ」で開催された「カレーパン博覧会」
大好評で予想以外のお客さんが殺到し、午前11時(~19時)開始からわずか30分で終了するという珍事が起き
るほどの盛況ぶり。へぇ~っ、そんなに日本では人気なんだ、知らなかったという世事の疎さを知る(その必要もな
いが)。このブログでも「世界初のあんこ専門事業:『餡屋』構想Ⅱ」(『気分転換のランチョンマット』2015.11.
16)もあり、パン生地とカレー餡を下図のごとくコーティングし揚げればできる。このとき、ひと工夫し、パン生地
を餡がはみ出さないほどに極力少なくし揚げ、放冷・凍結、そのまま加熱しかき混ぜ、ご飯や麺などに注ぎかければ
カレーライスができあがり、勿論、スープカレーとしても楽しめる。具材の裁断サイズが大きいと手づくりとなり、
生産性が低くなる。話は少し逸れたが、カレー種類が多いので、たこ焼きのように、一口サイズのカレーパンもあっ
ても好きなカレー餡のパンをブレンドしても面白いと思う。この事業素描に従い世界市場を概算すると売上高24兆
円/年、利益3兆7千万円となった。毎日でも食べたい?頭がクラクラするほどの金額になる。^^;?!

 

 
それにしてもこれほどまでにカレーパンがブームとは、日本人って不思議だな?!

 

【ちょっとだけ量子ドット工学講座1】

今回は、最新の量子ドット(あるいは)ナノサイズの半導体微粒子を使った太陽電池製造新規考案事例(京セラ)を
考察してみよう。従来の太陽電池の受光層は、主にバルク結晶と同じエネルギーバンド構造を有する半導体結晶のp
-n接合あるいはp-i-n接合構造だが、量子ドットを用いて、光電変換効率の向上や受光波長帯域の制御などで
より高性能の開発研究が行われている。その1つとして、量子ドット周囲を、量子ドット自身のバンドギャップより
も大きなバンドギャップの障壁層により囲むことで、理論的に電子のフォノン放出によるエネルギー緩和の起こりに
くくキャリアが消滅しにくい構造の研究がなされきたが、量子ドットを集積し量子ドット層を形成した場合、量子ド
ット内に生成したキャリアが、障壁層を含む量子ドット層内に存在する欠陥に結合消滅し、キャリアの密度が低下し、
電極まで到達できる電荷量の低下が起こり、光電変換効率を高められない。

この対策に、量子ドット層と接合層とが交互に積層し、この複数の量子ドット層は、バンドギャップが異なる量子ド
ット層を2層以上で構成し、この量子ドット層内に、量子ドット層の厚み方向に延伸する柱状のキャリア収集部を設
けることでキャリアの集電性に優れ、光電変換効率を高めることができるという構造が提案されている(下図)。


 
上図では、実施形態を部分的に示す断面模式図。ここでは量子ドット層1、3が2層構造のものを例示するが、これ
限らず。量子ドット層1、3が3層以上も可能。ここで、2層の量子ドット層1、3が、バンドギャップが互いに
なるとは――2層の量子ドット層1、3間で0.2ev以上の差があることを意味し、接合層5から量子ドット層
1、3の厚み方向に延伸する柱状のキャリア収集部7をもつ。

量子ドット層1の上層側に透明導電膜に相当する導体層9とガラス基板10を設ける一方、量子ドット層3の下層側
には接合層5、支持体11を設けた構成を示している。この場合、ガラス基板10の上面側が光の入射面13a側と
なり、支持体11の下面側が光の出射面13b側となる。図1(a)では、キャリア収集部7と接合層5は一体化構
造を――キャリア収集部7と接合層5とは、異なる材料によって形成されていても良い――示している。なお、光の
入射面13a側のガラス基板10の表面や光の出射面13b側である支持体11の下面には、保護層や反射防止材な
どが設けられる場合がある。

1)実施形態によれば、量子ドット層1、3が2層以上に積層構造のため、量子ドット層1、3により異なるバンド
 ギャップをもつ
光吸収層の形成が可能になり、吸収できる光の波長の範囲を広げることができる。
2)これに加え、積層量子ドット層1、3の各層に厚み方向に延伸させた柱状キャリア収集部7をもつことで、量子
 ドット層1、3内に生成したキャリアが、量子ドット層1、3内で消滅する前に、キ
ャリア収集部7により効率良
 く捕獲できる。

 

 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】
 

  ● 目 次

   解題

   
   
   
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山 

 

   楚
 姦臣の讒言にあって懐王にうとんじられ、もんもんたる憂国の情を「楚辞」に託してうたった大詩人屈原、かれの仕えた国
 が楚である。楚は当時まだ、"蛮夷の地"だった揚子江流
域にあって、荊とも呼ばれた。悼王(在位・前四〇一年
 ~三
ハー年)の時代、たまたま魏から亡命して来た呉起(『孫子』と並ぶ兵法の書『呉子』を著す)を登用して、
 内政の改革に
乗り出した。しかし、この改革も、悼王の死を契機とする封建領主の巻き返しによって挫折し、呉
 起は。"車裂き"の刑に
処せられる。こうして中央集権に失敗した楚は、以後も、広大な国土を持ちながら、国と
 してのまとまりにかけ、次第に
領土を侵略され、ついに秦の統一を許したのである。

  「婦人の夫に仕うるゆえんは色なり。しかして妬ひはその情なり」
  「これに与うるは信なり。これを攻ひるは武なり」
  「君のために高く梁に屈するを鳴くを得しむるに意なきか」

 ● 資金調達法

 張儀は楚に遊説して金に困った。供の者が辛抱しきれなくなって、暇をくれといってきた。張儀は「貧乏暮しが
 つらいのなら、しばらく待て。楚王に会って何とかする」といって、かれを引きとめた。その頃、楚では、出府
 と鄭袖の二人が懐王に寵愛されていた。張儀は懐王に謁見した。が、王には張儀をとりたてる気はない。

 「王はわたしにご用がないようですから、北へ行って晋王に会おうかと思いますが」  
 「よかろう」
 「ついては晋の国に何かあなたのほしいものはありませんか」
 「わが国には黄金、玉、犀、象、何でもある。ほしいものなど何もない。」
 「女もいらぬとおっしゃるのですか」
 「というと……」
 「鄭や周の街でみかける女たちの化粧の美しさ、よそから来た者にはヽまるで天女が降り立ったように見えます」
 「なにぶんにも楚は辺鄙な国、中原諸国の美人には縁がない。ぜひ、そうい女を可愛がってみたいものだ」

 王は、その費用として珠玉を与えた。
 南后と鄭袖は、この話を聞いて気が気ではない。南后から張儀のもとに使者がたつ。

 「将軍は近く晋へ行かれるとのこと。ここに金千斤がごずいます。路用の足しにでもしてください」

 鄭袖も金五百斤を贈った。張儀は楚王にお別れの挨拶に伺った。

  「各国とも往来を厳重にしている今日、いつまたお会いできるかわかりません。つきましては、おれの盃を頂戴
    したいと存じます」
  「よかろう」

 王は、盃を賜った。
頃あいをみて、張儀はうやうやしく、

 「二人だけでは寂しゅうございます。どなたかお気に入りの方に、お相手を願うわけにはまいりませんでしょう
  か」
 「それもそうだ」

 王は、南后と鄭抽の二人を呼んで、酌をさせた。
 張儀は、またもや、うやうやしく言上した。

 「申訳ないことをいたしました」
 「何ごとか」
 「わたしは全国を歩いて来ましたが、これほど美しい方にお目にかかったのは、はじめてです。そうとは知らず
  美人を求めてまいるなどと、たわけたことを申しました」 
 「よいよい、気にするな。わたしも実は天下にこの二人ほどの美人はおるまいと思っていたのだ」

 

 


● 折々の読書  『China 2049』19


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳    

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 


【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

 

 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

                趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計

  1989年4月、わたしはまた北京にいた。北京に来るのはこれでもう13回目だ。当時、わたしはアメリカで
 二つのポジションに就いていた。一つは上院のための調査員。もう一つは国防総省直属の地位で、中国に関する
 報告をまとめ、国防総省の総合評価局に報告するのが仕事だ。その報告書は直接、ディック・チェイニー国防長
 官のもとへ送られていた。わたしの地位は高くなり、1983年には郵小平と長く会談したことさえあった。当
 時のアメリカ大使、アーサー・フンメルを驚かせたのは、わたしが中国語で鄭に、ふたりが握手する姿を写真に
 収めさせてほしいと頼んだことだ。国防総省のために翻訳した、中国の軍嘔記事をまとめた本の宣伝に使うため
 だった(注1)。

  この1989年の訪中では、天安門広場で進行中の学生の示威行動がどのように報道されているかを調べるつ
 もりだった,学生たちは迅速な改革を求めており、それは順調に進んでいるはずだと、わたしたちは思い込んで
 いた、。中国の動向を追うアメリカの人々は、中国では民心化と資本心義化か着々と進んでいて、その流れが逆
 行することはあり得ないと考えていたのだ,
  4月22日、ピーター・トムセン代理大使から、数名の学生と一緒に車で広場へ行くことを許可された(注2)。
 わたし自身、1960年代には学生運動に参加したので、中国で民れ化を求めるデモがどのように実行されてい
 るかを見るのは有益だと思っていた。広場に向かう前、ピーターはわたしに、前任のウィンストン・ロード大使
 が退任する折に、次明大統領、ジョージ・H・W・ブッシュに送った、機密扱いの電報をにせてくれた,

  フォード政権時代に中国大使を務めたこともあるブッシュは、中国との間に建設的な関係を築くことに、ひと
 かたならぬ関心を寄せていた,実際、彼は中国に大いに期待していた,プッシュは1989年2月、大統領とし
 ての最初の外遊で、北京を訪れた、わたしの訪中の2ヵ月前だ..ブッシュは、出立前に両院のa同会議で演説
 し、「民主主義の風が新たな希望を創造し、自由市場のパワーが新たな力を解き放ちつつあります(注3)」と、
 中国に対すろ楽観的な期待を述べた。 
  ロードの電報は、北京での「信頼できる一筋からの情報に基づいて、米中が良好な関係にあることを褒めそや
 していた。だが具体的な内容はといえば、民主的な選挙が中国の村々で始まり、急速に広まりつつあるとか、真
 の自由市場経済を構築し、企業の国営を終わらせるための基盤が整ったとか、北京とモスクワの和解はあり得な
 いといった、聞き覚えのあるデマを繰り返しているだけだった。加えて、中国がリーダーシップをとるようにな
 っても、アメリカの国益にとって脅威とはならず、民主的な統治を求める天安門の学生たちもアメリカにとって
 脅威ではないと、ロードは記していた、

  ロードを弁護すると、それは、わたしも含め、中国を研究するアメリカ人に共通する見解だった。わたしから
 国防総省への報告にもそれは反映されていた,すでに広場には学生のデモ隊が集まっていたが、それでもわたし
 は、彼らの抗議はそれほど憂慮すべきものではなく、6月に学期が終われば学生たちは帰省するだろう、と決め
 込んでいた。ただひとり、大使館職員のラリー・ウォーツェル大佐だけが、学生たちはきわめて真剣だと考えて
 いたようだ。さらに肢は、騒動を治めるために軍が出動することまで予測していた。ウォーツェルはわたしと同
 じく、長年にわたって中国タカ派に多くの情報源を持っていた。つまり彼はタカ派の動向に注意を払っていたの
 だ。後にウォーツェルは、武力による鎮圧という予測は、タカ派の情報によるもので、あの事件はタカ派のほう
 がハト派より指導者の気持ちを理解していた稀な例だったと語った.、

  わたしたちの多くは、学生たちの行動は共産党内部の真の改革者を当惑させるのではないかと懸念していた。
  当時、米国のほとんどの人が信じ、その多くが今でも頑なに信じているのは、中国は改革への道を邁進してい
 るということだ。実のところわたしたちは、中国政府のトップクラスの数名が改革への道を急ぎすぎている、と
 さえ聞かされていた。その人々が数年のうちに収監、自宅軟禁、亡命、国外追放といった憂き目に遭うことにな
 ろうとは思いもしなかった。改革を巡って政局内部に異論があることは知っていたが、誰が何を望んでいるか、
 改革の敵がどれほど強いかという詳細は、わたしたちにはまったく見えていなかった。

  この楽観に水を差すような事実はほとんどなかったが、注意深く見ていれば、確かにそれは存在した。1週間
 前に少し驚かされたことがあった。北京の人民大会堂で胡耀邦の追悼式が行われているさなか、5万人の学生が、
 胡を譜えてデモ行進を行ったのだ,胡は共産党の前総書記で、公には、その「移り気な」性格ゆえに郵小平に退
 けられたと説明されていた(注4)。学生たちと約100万人のデモ参加者はその後、天安門広場に集結し、7
 週間にわたって、演説や報道の自由を訴え、腐敗政治を批判し、より開かれた政府を求めた。彼らは「独立宣言」
 のコピーをかざし、ビルの3階の高さがある「民主主義の女神」を建てた。さらには、ソ連のリーダー、ミハイ
 ル・ゴルバチョフの訪中前夜に、共産党幹部との対話を求めてハンガーストライキを始めた。ゴルバチョフがモ
 スクワに帰るまでに、天安門広場のデモ隊のことは世界に知れ渡り、中国共産党中央政治局にとっては、政局を
 撹乱しかねない大規模で厄介な存在になった。

  アメリカ側は小平を真の改革者と見ていたので、中国の学生がその非公式な抗議行動において、鄭小平では
 なく胡耀邦を讃える讃えるのを不思議に思った。自分たちが胡耀邦を、そして鄭小平をずっと誤解していたとは、
 夢にも思わなかった。

  しかし、わたしの心の奥底には言葉にならない疑問が漂っており、ゆえにデモ隊をこの目で見たいと思ったの
 だろう。ピーター・トムセンとわたしは、ボンネットにアメリカ国旗をはためかせた黒いキャデラックで広場に
 向かった。Tシャツを着た髪の長い数百人の学生たちのほうへ歩いていく時、遮る人は誰もいなかった,わたし
 たちが話しかけた学生は、ハンガーストライキをするとは言わず、共産党をあからさまに非難することもなかっ
 た。わたしは1968年にコロンビア大学でベトナム戦争に反対する「ストライキ委員会」にいた頃のことを思
 い出しながら、パイロット用サングラスをかけ、ひっきりなしに煙草を吸っている男性と、示威行動について語
 り合った。



  その男性の名前は劉暁波、当時は北京師範大学の教師で、抗議行動に参加するために、前日、ニューヨークか
 ら空路で戻ったばかりだった(注5)。コロンビア大学で客員研究者として教壇になっていた彼は、歴史の一部
 になることを望んでいた。20年後、彼は実際に歴史に名を刻むことになる。度々投獄された末に、2008年
 には「零八憲章」を起草した容疑で逮捕された。しかし、2010年にはノーベル平和賞を受賞した。彼の近著
 は、中国の過剰なナショナリズムと軍部の強硬派を真正面から批判している。1989年当時、中国でも西側諸
 国でも、中国政府のタカ派は優勢ではなく、学生に対して武力は決して行使されないという見方が主流だった。

  5月、小平は戒厳令を発令し、北京に25万人の兵士を集結させた。そしてデモ隊が解散を拒むと、戦車と
 兵士を出動させた。おそらくは、武器を持たない数千人の学生たちが街路で死に、多くは殺傷力の高い「開花弾」
 で撃ち殺された,広場を囲むすべての建物が機銃掃射された。兵士はデモ隊の人々を蹴ったり梶棒で殴ったりし、
 戦車が彼らの足や背中を踏み潰しながら進んだ。向かってくる何台もの戦車の前に立ちはだかるひとりの男の写
 真が、虐殺の象徴となった。彼は一群の人々に引き戻され――その後の消息はわかっていない。


開発独裁課程にある政権中枢は、民主化要求を武断拒絶・弾圧に至ることはわたし(たち)はすでに見通していたこ
とはこのブログで掲載してきたが、そこに、ロシアマルクス主義の脆弱性であることも当然折り込み済み。双方が合
意形成(≒政治的妥協)できずに終わることもあるていど想定していた。


                                             この項つづく


1   Pillsbury, Chinese Views of Furture Warhare. が握手している写真が2ページ目に掲載されている その上.にあるのは
    わたしが写した。著名な強行派で5冊
の本の著者である彭光謙将軍の写真だ。
注2  上院委員会の職員兼国防省の顧問としてわたしは1982年以来7年たってピーターの報告に頼ってきた。82年に初めて
   会った時、彼は、北京のアメリカ大使館の分析官のトップだった。
注3 George H.W.Bush.Address on Adnlinistration Goals before a Joint Session of congress, February 9, 1989,以下のサイ
         トで入手可能。http://www.presidency.ucsb.edu/ws/?pid=16660.
注4   James Mann, About Foce,158.
注5   劉暁波は天安門の人虐殺を生き延び、約20年後の2010年、零八憲章と呼ばれる民主化運動を導いた功績により、ノー
         ベル平和賞を受賞した。

                    

      

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今夜も技術がてんこ盛り

2016年03月29日 | デジタル革命渦論

 

 

    本当に偉い人は、千年、百年単位の人ではなく、もっと向こう側に
       無名の領域があって、そこへ行けた人が本当に偉いのだ

                                               吉本 隆明

                           

                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

【再エネ百パーセント時代:シリコン複合セルで29.8%を実現

● 太陽光発電30%超時代にはずみ

過日1月5日、米NRELとスイスCSEMがシリコン技術をベースに化合物半導体を組み合わせた。タンデム層を上下に並
べたセルで29.8%という高い変換効率――単結晶シリコン(Si)太陽電池の上に、III-V族化合物半導体であるガ
リウムインジウムリン(GaInP)太陽電池を重ねた二接合構造シリコン複合系太陽電池で初めての記録――を達成。
単結晶シリコン系の理論限界29.4%をバンドギャップの大きな半導体を上層(トップ層)に、小さな半導体を下層
(ボトム層)に配置し、トップ層で吸収できなかった光が透過するように工夫すればよい(タンデム構造)。層の数
が2つの場合、変換効率の理論上限は42%まで高まる。ただし、非シリコン系。

 

 

● いかにして変換効率を高めるか?

まず、接合構造を採るとそれぞれの層がそれぞれのバンドギャップに近い光を吸収でき、変換効率が高くなる。言い
換えれば熱として失われるエネルギーが減る。
接合構造を使い加えて、「4端子構造」を採用――4端子構造では2
端子構造と異なり、2つの層が生み出す電流をそろえる必要がなく、それぞれの層の出力電力を最大にでき、装置全
体の効率は、それぞれの層の効率で決まる。トップ層の電流密度と電圧の組み合わせ(JV)は、太陽光の一般的な条
件のままで、当然ボトム層に到達する光は少なくなり、JVは一般的な条件からずれるが、変換効率にして8~12%
の効率ポイントで動作する。「定圧-調流回路」(マイクロインバータ、否、時代はナノインバータ時代を迎えてい
るのかも?! と呼ぶもので、電流を調整することで電圧を一定にする電気回路と個人的に呼称している)が必要に
なるが原理的に問題ない。さらに、単結晶シリコンは散乱光の利用が難しいが化合物半導体やペブスカイト・有機半
導体系のセルは散乱光を取り込め、曇天や朝方・夕暮れの太陽光を利用でき、変換効率だけでなく、発電電力量を増
やすことができ、壁掛け型のパネルとして使用できるので、ルーフトップだけでなく、建造物と一体化できる利点が
ある。

 

 

● 進化する形態・ウエアラブル端末用デジタル気圧センサ

 

スマートフォンやタブレット、ウエアラブル機器は、多機能・高機能化が進み、ドローンなどの飛行高さ制御、インドア
ナビゲーションや健康管理、各種スポーツデータの記録など、さまざまなソフトウエアやアプリケーションの普及に合
わせ拡大中。今月24日、アルプス電気は、低消費電流かつ
高精度な気圧センサ「HSPPAD042A」――業界最高レベ
ルの低消費電流(1.8μA:Low Power Mode 時)と、高い検知精度(絶対圧力精度 ±0.7hPa、相対圧力精度 ±0.05hPa)を達
成――を開発販売すると発表。

 
● 20年のパワー半導体市場予測

富士経済が、今月23日、シリコンカーバイド(炭化ケイ素)やガリウムナイトライド(窒化ガリウム)といった次
世代パワー半導体の20年の世界市場を、850億、530億、計1380億円、比率で、4.8倍、53倍、計7.
3倍――16年は6インチ基板の採用が活発化、量産が本格化するのは17年以降にずれ込み、大口径化と電力損失
が低減できるトレンチタイプや低価格化、高効率化が進む――と発表。また、業界別には、SiCパワー半導体市では
サーバや無停電電源装置、ストレージなどの情報通信機器向け需要が大きい。新エネルギー向けには、太陽光発電用
パワーコンディショナ向けの需要が高く、新興国では風力発電システムでの採用も期待される。

自動車/車載電装分野向けには、EV(電気自動車)/PHV(プラグインハイブリッド車)用急速充電スタンドや車載
充電器などの需要が大きいとする。今後は、HV(ハイブリッド車)やEVの駆動用インバーターでの採用が増え、低価
格化が進めば、20年には電動自動車全体の5%に搭載されると予想。さらに、GaNパワー半導体は、課題の電気特性
やノイズ対策、低コスト化への取り組みが進み、量産化のハードルが低くなっている。600Vから1200Vクラスの耐圧
領域で需要が増加、低価格化が実現すれば、市場が大きく拡大する予測する。

GaNパワー半導体向けは、情報通信機器向けではサーバのDC-DCコンバーターなどでの採用が多いという。新エネルギ
ー向けには、太陽光発電用パワーコンディショナ向けの需要が今後期待される。自動車/車載電装分野では、600Vク
ラスの中耐圧領域でAC-DC変換回路、車載充電器での搭載向け開発が進み20年以降はSiCパワー半導体と競合すると
予想する。

 




●  世界最高レベルの値 光ナノ共振器の大量作製に成功 

今月16日、大阪府立大学と産業技術総合研究所(産総研)の研究グループは、共振器が光を閉じ込める強さを表す値(Q)
最高200万以上を持つ光ナノ共振器をフォトリソグラフィー法で作製することに成功たと発表。光ナノ共振器は、
シリコンフォトニック結晶を用いて数百ナノメートル程度の小さな領域に光を閉じ込める共振器だ。百0万を超える極
めて高いQ値により、微小領域に光を強く閉じ込めることができるが、1μW程度のしきい値でレーザー発振する超低
消費電力のシリコンラマンレーザーや、光メモリ、医療向けなどの新規センサーを実現できる。従来、百万以上のQ
値を持つ光ナノ共振器は、電子線リソグラフィー法を用いた作製しかできず、産業界で実用化するには、大量生産に
向く作製法が求められていた。

一般的に、光ナノ共振器は、直径2百ナノメートル程度の非常に小さな空気孔を周期的な配列構造であり、高い精度
のリソグラフィー技術が要求され、リソグラフィー法の中でも高い精度を誇る電子線リソグラフィーを用いた場合で
も作製が難しいが、今回、シリコンデバイス一貫試作ラインを利用し、サンプル作製を実施。波長193ナノメート
ルのフッ素アルゴンエキシマレーザー光源を使った液浸フォトリソグラフィー法で3百ミリシリコンウエハー全面に
光ナノ共振器を作製する。



フォトリソグラフィーで作製したフォトニック結晶の電子顕微鏡写真 出典:産業技術総合研究所



● ここまできたフォトニク結晶技術

尚、シリコンフォトニック結晶は、高Q値光ナノ共振器だけでなく、光を自在に制御できることで、太陽電池、熱輻射
光源、熱電発電などの研究開発されており、研究成果を発展させフォトリソグラフィー法を用いた大量生産が加速する
と期待される。





【田んぼで魚介類の養殖 世界初?!ニゴロブナ養殖に成功】

滋賀県を代表する発酵食品「ふなずし」。その最高級の素材とされるのがニゴロブナは3~4月には脂がのり、身も
卵もうまみたっぷり。地元では刺身や煮付やシソを巻いて天麩羅やジャラートとして食べられている。そのニゴロブ
ナを、塩と米で長い時間をかけて乳酸発酵させた保存食がふなずし。その歴史は古く、奈良時代以前から食べられて
きた。琵琶湖固有種「ニゴロブナ」が、水の汚染や外来魚に追われ、漁獲量は激減。価格は高騰。子どものころ食べ
たあの昔
ながらの鮒寿司が食べたいと、そんな思いでニゴロブナの養殖に取り組む(株)飯魚(いお)社長の大島正
子さんの養殖池が、安土町大中の41年前に干拓し百ヘクタールの干拓地の一角にある。

  

当初、国家事業として干拓した田んぼを養殖池にすることに、周囲の理解はなかなか得られなかったが、コンクリー
トで固める
わけではない。田んぼを少し深く掘って水を張るだけ。琵琶湖の水を引き込み、薬も一切使わず、できる
だけ自然の生態系を生
かして育てきたが、流通している食餌から、ニゴロブナも自然に育つのではないかと考え池の
底に鶏糞をまき、昔の琵琶湖のように、魚のエサとなる微生物が育ちやすい土づくりをし、外来魚とその卵が入り込

まないように取水口も工夫し、「ミニ琵琶湖」の養殖地をつくり、養殖池だけで産卵を繰り返すと、ニゴロブナはど
んどん小さくなり、顔つきまで違っくる。そこで毎年、漁師に頼んで琵琶湖から獲ってきてもらったニゴロブナを養
殖池に天然のニゴロブナだけ選び放流する。




勿論、これは完全養殖でない――孵化は外部で天然物を選別し養殖する。しかし、食餌は天然だから食餌経費は経営
次第で近似ゼロ(ZCoF)も不可能でない。そこで、ナマズの養殖の話だが、田んぼでナマズを養殖すればいいんじゃ
ない。それも食餌が豊富であれば共食いもないはずだと。卵巣もカラスミなどとして頂けるし、アメリカンフィッシ
ュの場合、外部環境への流出するリスクさえクリアされればそれも可能で、日本ナマズと調理比べ・味比べできて面
白い。「河豚よりやすくてうまい滋賀の川河豚
」のキャッチコピーが数年後に定着していると思うのだが、どうだろう。

  ● 彦根城入山が80万人超え

 

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昨日の友は今日の敵

2016年03月28日 | 政策論

 

 

   この社会に生きることのどこにいいところがあるのか、言われたら、どこにもないよと言うより仕方がない。

                                                               吉本 隆明

                                   

                                          Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

          ※ ひとは、時間軸を無限に外延し内省すれば漆黒の空に至る。そこから「生」の全を考え行動する。
                                                     

 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】
 

  ● 目 次

   解題

   
   
   楚
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山 

 

   斉

  釣をしていて周の文王に認められた呂尚(太公が待ち望んでいた人だから。太公望’といわれ、後世、釣り師
 の代名詞となる)を始祖とする斉の国は、現在の山東省にあった。紀元前十一世紀いらいその子孫が君臨してい
 たが、前三七九年、重臣の田氏がこれをうばって王となった。前四世紀後半、威王、宣王の代には学問のメッカ、
 百家争鳴の中心地となる。
 そ の国都臨溜は、春秋中期すでに戸数四万二千(『国語』)戦国時代になると戸数七万、男子人口二十一万、
 街のにぎわいは肩と肩がふれるほどだった(『史記』)という。が、その後ふるわず、前二二一年、秦に滅ぼさ
 れる。

  「蛇足をなす者、ついにその酒を亡えり」
  「猿、摺孤(びこう)も、木を錯てて水に拠らば、魚駈(ぎょべつ)にしかず」
  「狡兎は三窟あり」
  「いやしくも民なくんば、何をもってか君あらん」



 ● 本末転倒

    斉王・建は趙の威后のもとに使者をやって、ご機嫌を伺わせた。威后は手紙を開きもせずに、使者に問うた。
 「今年の作柄はどうなの? 民の暮し向きは? 王にも変りはない?」
  使者は不満そうな顔をした。

 「王の使いとして参りましたのに、王のことは二の次ぎ、まず作柄や民の暮し向きをおたずねになる。王を後
 まわしになさるのは、順序がまちがってはいませんか」

 「いいえ。作柄がよくなければ、民は生きられません。そうなれば、工も生きられません。根本を問わないで
 末節を尋ねるほうがまちがっています」

  威后は、身を乗り出して言葉をついだ。

 「斉に鎮座子という浪大昔がいたはずですが、元気ですか。あの男は、人々に着るものや食べるものを不自由
 ないようにさせる大。これこそ王を助けて民を養う人物です。どうして浪人などさせておくのかしら?それか
 ら、葉賜は変りありませんか。あの男はやもめを哀れみ、孤児や身よりのない老人をいつくしみ、貧乏人に衣
 食を補助しています。これこそ王を助けて民を洽める人物。どうして浪人などさせておくのかしら?また北宮
 の嬰兄子という女はどうしていますか。あの女は、耳飾りもつけず、お嫁にも行かずに、父母を養っています。
 これこそ民に孝行を教える手本です。どうして朝廷に入れてやらないの? このような人たちをほったらかし
 ておいて、どうして国を洽めることができましょう。それから於陵の子仲はまだ生きていますか。あの男は臣
 下としての礼をつくしません。自分の家の世話もみません。諸侯とも交わりません。あんな男がいては、民が
 役立たずになるばかり。どうしていつまでも生かしておくの?」

 〈斉王・建〉 建は斉の最後の王(在位・前二六四~二二一年)。龍二二一年、秦王政(始皇帝)によって国
        都臨溜をせめおとされ、捕えられた。秦は斉を最後に諸国併呑を完成する。

 

 


● 折々の読書  『China 2049』18 


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 

 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

 

   第3章 アプローチしたのは中国 


                                   東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                                         毛主席への覚え書き(1969)より引用  

  中国は、勢を読み、アフガニスタンとベトナムにおいてソ連による包囲を破るには、アメリカの支援が必要だ
 と考えたに違いなかった。ソ連による包囲は、毛沢東がアメリカからもらったものより、さらに多くもらうこと
 を正当化した。こうして郵は、アメリカからかなりの支援を取り付けた(注62)。

  1982年から89年にかけて アメリカとベトナム共和国軍は、中国、タイ王国軍、シンガポール、マレー
 シアの支援を受けて、カンボジアプログラムをバンコクで展開した。これは、アメリカから中国への11番目の
 プレゼントとなった。この内密の協力はむしろ公然と行われたために、20年にわたって、世間に気づかれなか
 った。USAID(アメリカ国際開発庁)は、カンボジアで非戦闘的な人道支援を進めるための二つの基金(提
 唱者であるフロリダ州選出の共和党のピル・マコラム下院議員と、ニューヨーク州選出の民主党のステファン・
 ソラーズ下院議員にそれぞれちなんで名付けられた)を提供した。レーガンは、これらのプログラムに年間20
 0万ドル相当の支援を秘密裏に提供するよう、CIAに命じた。ケネス・コンボイによると、その金額は198
 6年までに1200万ドルに膨らんだそうだ(注63)。このプログラムはタイが「プロジェクト328」と呼ぶ
 作戦と合わせて遂行された。中国、マレーシア、シンガポール、タイも、このブログラムに武器と資金を提供し
 た。シンガポールのリー・クワンユー首相さえバンコクを訪れ、秘密基地を視察した。わたしは1985年と8
 6年にその基地を訪れ、CIAの職員から簡単な説明を受けたが、その職員はCIA本部の極東部門の長を務め
 た人物だった。彼はそのプロジェクトを、冷戦という状況下にあって、中国と連携してソ連に立ち向かうための
 「不本意ながらやむをえない方策」と見ていた(注64)。

  カンボジアでのプログラム開始から2年後の1984年の夏、中国はソ連をアフガニスタンから追い出すため
 に、密かにアメリカに協力しはじめるが、やがてその規模はカンボジアでの協力の50倍に達した。
  当時、わたしたちは、勢と逆包囲について理解しておらず、アフガンの反乱軍を助けるアメリカの主要な武器
 供給源になることによって、中国がソ連の復讐というリスクを負うことになるとは考えてもいなかった。それに
 気づいたのは、中国の標準語(北京語)を話すCIAの優秀な協力者、ジョー・ディトレイニーだ(注65)。米
 中のつながりは極秘にされており、タイラーによると、この作戦を知っているのはCIA全体で10人足らずだ
 った。現在でも中国側は、当時このような武器の提供を行ったことを認めていない。著書『チャーリー・ウィル
 ソンズ・ウォー』でジョージ・クライルは、アメリカが中国に最初に注文したのは、AK47狙撃ライフル、機関
 銃、対戦車ロケット砲、地雷だったと記している(注66)。

  1984年、チャーリー・ウィルソン下院議員は、アフガン反乱軍への支援を増やすために、5000万ドル
 を獲得した。クライルによると、CIAはそのうちの3800万ドルで中国から武器を買うことにしたそうだ。
 1990年、ワシントン・ポスト紙は、匿名の情報として、米中が密かに協力していたこの6年間に、中国から
 買い入れた武器の総額は20億ドルを超えたと報じた。 

  米中の秘密協力はレーガン政権時にピークに達した。ニクソンとフオードはソ連の情報を中国に提供した。カ
 ーターは、チェスナット盗聴作戦を確立した。だが、秘密裏にではあるが、中国を戦略上の対等なパートナーと
 して遇したのはレーガンだった。米中が協力した三つの主な作戦は、アフガニスタン、カンボジア、アンゴラに
 おける反ソ勢力への秘密支援だった。当時わたしは、中将に相当する文民の位にあり、国防総省で政策の策定と
 秘密活動に取り組み、そうした諸々を政策担当幹部であるイクレに報告していた。イクレとわたしは、キッシン
 ジャーが1973年に中国を支援したことやカーター大統領がチェスナット・ブログラムを遂行したことを知る
 限られた人間だった。彼とわたしは、中国がアメリカの同盟国になることを本気で望んでいるのかどうかを調べ
 たいと思っていた。答えがイエスなら、アメリカの上級幹部はこの先何年も中国に肩入れすることになるだろう。

  わたしの任務は、イスラマバード、バンコク、アンゴラ南部を訪れ、反ソ勢力のリ-ダーから、計画と要望を
 聞き出すことだった。また、助言、承認、支援を得るために中国も訪れた。わたしたちはレーガン大統領にNS
 DD166(アフガンヘの直接支援を可能にし、支援内容を拡大させた)への署名を勧めた。アフガンでの抵抗
 運動の 高まりが、ソ達による報復を誘発しかねないからだった(注67)。アメリカは中国による状況の評価と、
 願わくば、支援を必要としていた。



  20年後、ジャーナリストのスティープ・コールは、「中国の共産主義者はCIAがまとめた武器取引で莫大
 な利ざやを稼いだ」と主張した(注68)。反ソ勢力に送るためにアメリカが中国から買い入れた武器の総額が2
 0億ドルを超えたという主張が本当なら、中国がアメリカから購入した軍装備品の5億ドル以上という金額は少
 なく思える
  中国は反ソ勢力のための武器をアメリカに売っただけでなく、秘密協力をどう進めるかについての助言もした,
 その助言
から、傾きかけた覇権国、この場合はソ達に対する中国の戦略がいくつか見えてくる。まず中国は、ソ
 連の弱みを見つける
ことを強調した。そして第一の戦略は、ソ達朗のコストを上げることだと説いた。アフガン
 とアンゴラの反乱軍にスティンガー
対空ミサイルを提供することをわたしが提案すると、それでヘリコプターや
 ジェット戦闘機を撃ち落とせば、ソ達にとては高く
つくと、彼らは大喜びした。

  第ニの戦略は、他者を戦わせることだ。言うまでもなく、「無為」という戦国時代の戦略である。

  第三の戦略は覇権国の同盟国を攻撃することだ。カンボジアの反乱軍は、ソ達の傀であるベトナムと戦った。
 アンゴラの反乱軍は、ソ連の航空機でアンゴラに送られ
たキューバ人を追放したが、もしスティンガー対空ミサ
 イルを持っていたら、その航
空機を撃墜していたことだろう。アメリカは中国と協力して、これらすべてと、そ
 れ
以上のことを行った。

  わたしは中国の代表に、さらに二つのことをするのは、あまりにも挑発的だろうか、と尋ねた。その一つは、(
 冷戦の問でさえ行われなかったことだが、アフガンの反
乱軍を支援して、ソ連領内で破壊工作をさせることで、
 もう一つは、アフガンの要求
に応えて長距離狙撃銃、暗視ゴーグル、同国に駐在するソ連高官の居場所を掲載し
 
地図を提供し、暗殺を成功させることだ。わたしの同僚は、中国もさすがにそれには賛成しないだろうと考え
 ていた。一方わたしは、中国の歴史書をたくさん読んでいた
ので、彼らは賛成するのではないかと予測した。し
 かし、そんなわたしでさえ、中国
がこの提案のどちらにも諸手を挙げて賛成した時には、あまりの情け容赦ない
 さまに
当惑した。
  スティーブ・コールは、ピュリツアー賞を受賞した著書『アフガン諜報戦争』で、アフガンからのこれらの要
 請を却下したのはアメリカ側だと述べている。CIAの法
律顧問が、それはほとんど「暗殺行為」であり、現地
 のCIA支局長が「手錠をかけ
られる羽目になる」と警告した、とコールは語る(注69)。そういうわけで、狙
 撃銃は
承認されたが、地図と暗視ゴーグルは承認されなかった。また、ソ連領内で奇襲攻撃を仕掛けるという案
 も、まもなく取り下げられた。中国側はその案をいたく気に入
り、傾きつつある覇権国に心理的ショックを与え
 ることができると、しきりに推した
のであったが(注70)。

  1985年、アメリカは中国のマラソンを支援するために、武器さえ提供するようになった。レーガン政権が、
 10億ドル超の六つの主要な武器システムを中国に売る手
はずを整えたのだ。その狙いは、中国の陸軍、海軍、
 空軍を増強し、さらには海兵隊
の拡大を支援することにあった(注71)。そして1986年3月、レーガン政権
 は、遺
伝子工学、知能ロボットエ学、人工知能、自動化、バイオテクノロジー、レーザー、スーパーコンピュー
 ター、宇宙工学、有人宇宙飛行に焦点をあてた中国の八つの国立
研究センターの設立を支援した(注72)。ほど
 なく中国は、1万を超すプロジェクトで
著しい進歩を遂げた。それらは中国の了フソン戦略にとって極めて重要
 なものだった
が、西側諸国の支援がなければ、到底なし得なかったはずだ。レーガン政権は、中国を後押しすれ
 ばソ連に対抗できると信じ、レーガンをはじめとして誰もが、積極的に
自由化を進めているという中国の主張を
 信じようとした。

  仲間に支援してもらってソ連の包囲を破るという中国の戦略は成功しつつあった。1989年、ソ連はアフガ
 ニスタンから退却し、まもなくベトナムもカンボジアから
撤退した。では、アメリカと中国は、信頼の土台を築
 き、真の同盟国になれたのだろ
うか。なれた、と当時のわたしは考えていた。しかし、戦国時代の原理に則れば、
 中
国はついに真の覇権国と向き合うべき時を迎えていた。その相手は、アメリカであ 勢の重要な要素の一つは、
 包囲を仕掛けてくる敵を迎え撃つことだ。1989年2
月、鄭小平は、北京でジョージ・H・W・プッシュ大統
 領と会談した折に、「ソ連によ
る包囲は、中国にとって致命的な脅威だった」と語った。おそらくそれは本音だ
 った
のだろう。だが、今、囲碁の形勢は逆転し、弱体化したソ連を中国が包囲しつつあった。そして、ソ連が衰
 退しはじめ、アメリカの覇権が拡大しつづけている時に、中国
が勢をどう読み取るかは、誰にも予測できなかっ
 た。
  

武力という悪魔が跋扈する『国家覇権戦略』に取り憑かれるとどうなるか?国家主義という大魔王は罪なき民の生命
が奪う――現代中国史から「
覇権」に翻弄される世界をこの著書は炙り出す。そのひとつが「払暁の友は、昨夜の敵」
の中ソ(ロシア)間の内ゲバを通し、中越戦争、カンボジアの大虐殺、アフガニスタン紛争、9・11、イラク侵攻、
北アフリカ・中東紛争と南沙諸島紛争まで貫く。鬱陶しくも興味深い読書時間を提供してくれる。

                                             この項つづく

      

注63  Conbov.Cambodian Wars, 288.
注64 同上、226-27.
注65 Mary Louisc Kclly,"Intelligcnce Veteran Focuses on North Korea.” NPR, Octobcr 13, 2006.以下のサイトで入手可能,
    http://www
.npr.org/templates/story/story.php?storyld=6259803.
66. Crile,Charlie Willsu's Wαe,and Conboy, Cambodian Wars.
注67. NSDD 166, US Policy. Programs,and Strategy in Afghanistan,March 27, 1985,以下のサイトで入手可能。
    http://www.fas.org/irp/
offdocs/nsdd/nsdd-166.pdf
注68.. Steve Coll, Ghost Wars: The Secret History of  the CIA, Afghnistan, and Bin Laden, from the Soviet Invasion to Septem
           10, 2001(New York: Penguin Press, 2004),66.

注69.  同上、137.
注70.  同上。このすべてでわたしが果たした役割は3冊の本に記されている。レイモンド・L・ガーソフは「マイケル・ピルズベ
    リーは当
初、1975年秋のフォーリン・ポリシー誌のかなり話題になった記事で、中国への武器輸出と、中国との広範囲
    にわたる軍事安全保障関係
を提案した。当時知られていなかったのは、ピルズベリーが中国当局者と内密の会談を
    行ってきたことだ。(中略)彼の報告書は秘密文書と
して、国家安全保障会議、国防総省、国務省の10名あまりの幹部
    に回
覧された」としている,Raymond L.Garthoff,Dètente and Confronation: American-Soviet Relations from Nixon to
           Reagan (
Washington,DC: Brookings lnstitution, 1983),696. マフムード・アリによれば、「ランド研究所の中国分析家、
           マイケル・ピルズベリ
ーは(中略)1973年夏、中国の国連監視団という名目でアメリカに来ていた人民解放軍将校たち
           と密かに会った。(中略)国防総省の命によ
るものだ」。Mahmud Ali,US-China Cold War CoLLaboration; 1971-1989.
          
(New York: Routledge, 2005),81.アフガニスタンからの退却についてソ連と交渉した国連事務次長、ディエゴ・コルド
           ベスに
よると「当初、スティンガー・キャンペーンの陣頭指揮をとったのは、国防次官フレッド・イクレと、攻撃的なアフガ
           ニスタン問題の調
整官、マイケル・ピルズベリーだった。(中略)スティンガー支持者は最終的に勝利を収めたが、官僚
           は  最後の最後まで激しく抵抗した」。
Dicgo Cordovcz,Out of Afghanistan: The Inside Story of theDiegoCordovez, Out
           of Afghanistan: The Inside Story of the
Γ・(New York: Oxford university Prcss, 1995),195.クリントン大統領の副司法
           長官、フィリップ・ヘイマンは次のように潜いた。「秘密行動委□会は3~4週間ごとに集まった,その存在は公には知ら
           れていなかったが、こうした委員会はアイゼンハワー以来、全政権で運営されていた。例えば、ケネディ政権では、40
           委員会と呼ばれていた。秘密行動についての情報はすべて「VEIL」
というセキュリティーシステムで保護されていた」。
    Philip Heyman Living the Policy Process(Ncw York: Oxford univcrsity Prcss, 2008),44.
注71 KarI D. Jackson,Mernorandum for the lnteragency Group on U.S--China Military Relations,Subject: U.S.-China 
           Military Relations: A Roadmap,September 10,1986,Department of Defense,lntermational Security Affairs,
           Douglas Paal file. Reagan Presidential Librarv.
 
注72.  同上。以下も参照。Feigenbaum,China's Techno-Warriors.      

 

  ● 今朝の朝食              

懐かしい、万平ホテル製のランチョンマット、山中漆器の榛(ハンの木)のプレートに「マッシュパンプキンと卵の
厚巻きオープントーストのルッコラとミニトマト添え」を戴くことに。ハンの木のプレートが 新鮮だったので慌て
てデジカメする。 
                     

 

 

 

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遠近両交・非攻結合論

2016年03月27日 | 政策論

 

 

      日本では80何パーセントかの人が、自分は中流だと思っているわけです。食事の世話
                 くらいは誰かがしてくれるわけで、そういう社会になっているから自立が遅れる面があ
                 ります。どこからの時点で意志的に働きに出て、持続性のある仕事につく転換点がくる
                 はずで、結婚だったりするのでしょうが、いまの社会ではそれが割合に遅くてすむとい
                 うことなのでしょう。

                                                                               吉本 隆明

 

                                   

                                          Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

        ※ トップテンの富裕層が2%の所得を寡占する時代にあって、中流階級にいると錯覚
          する人が80数パーセントもいるとは驚くばかりであるが、多角的な視点からの分
          析が必要。 
 

 

 
 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】

 

  ● 目 次

   解題

   
   斉
   楚
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山

 

   秦

  黄河上流、函谷間の西、当時なお未開の地にあった秦(都は咸陽)が他国から。"虎狼の国"としてその富強
 を恐れられ
たのは、孝公のとき、商君を用いて大改革を行なってからのことだ。中央集権国家となった秦は、
 以
後、張儀の連横策、范睢の遠交近攻を国是とし、着々と勢力を拡大する。勇将白起の力も大きかった。そし
 てついに、前221
年、始皇の手で天下を統一した。

  「貧窮なれば、父母も子とせず」
  「人の世上に生まるる、勢位富厚、けだしもって忽せにすべけんや」
  「わが妻たらば、そのわがために人を罵らんことを欲す」
  「王、遠く交りて近く攻めんにはしかず。寸を得れば王の寸なり、尺を得るもまた王の尺なり」
  「一臣のために屈して天下に勝つなり」

    ● 遠交近攻 

       ――いくつかの勢カがいりまじっているとき、だれと結んで、だれと戦うか。自己保存のために
         は容赦は無用だ、として説きおこす戦略のすさまじさ。

  范睢が秦の昭王に説いた。

 「お国はまことに天険の地、北には甘泉、谷口、南には泥水、澗水、西には贈、蜀、東には函谷関、商阪の要
 害があります。また戦車は子柄、勇卒百万を擁しています。この武力をもって諸侯に当たるのは、名犬・韓盧
 がびっこの兎を追うようなもの。天下に覇を称えるのも難事ではありませぬ。それなのに、国境の守りを固め
 るばかり、あえて函谷関以東に出撃なさらぬのは、宰相穣侯の補佐がよろしくないからであって、王の落度で
 もあります」
 「どうして落度だというのか」
 「隣接の韓・魏をとび越して、遠い強国の斉を攻めるのは愚策であります。少々の兵力では、斉は破れません。
 かといって大軍をくり出せば、本国が危い。そこで、ご自分の兵はなるべく出さないで、韓・魏の兵を使おう
 となさる。それでは義にはずれています。
  また、同盟国が信頼できないのに、それをとび越して斉を攻めるのは、上策とは申せません。むかし、斉が
 楚を攻めたとき、さんざん相手をけちらして、大いに領土拡張の勢いをみせながら、結局わずかの土地も確保
 できずに終わりました。いかに領土が欲しくても、遠すぎて守り切れなかったからです。しかも、戦いで疲弊
 し、君臣の不和をまねいた斉は、諸侯に攻められて破れました。こうして、斉王は恥を天下にさらしました。
 それというのも、遠国の楚を討つことに熱中し、近隣の韓・魏をふとらせてしまったからです。まるで山賊に
 武器を貨し、盗人に食糧を与えるようなものではありませんか。
  王よ、遠国と結んで近隣を攻めるのがよろしい。一寸の地を得ればその一寸が、一尺の地を得れば、その一
 尺が、確実に王の領土となります。この良策を捨てて遠国を攻めるなど、誤りもはなはだしい。
  それにこういう例もあることです。かつて趙が五百里四方もあった隣国の中山を併呑した際、他の諸国の介
 入をいっさい許しませんでした。それというのも他の利を得ていたからこそできたのです。
  
かの韓・魏は、中原に位置する国、 まさに天下の要です。天下に絹を称えようとするなら、まず韓・魏と
 結んで中原に進出し、楚と趙に圧力をか けるのです。趙が強ければ楚が、楚が強ければ趙が、秦になびきま
 しょう。両国ともになびけば、斉は必ず恐れて、鄭重に朝貢を請うてまいります。そうなれば、韓・魏を滅ぼ
 すのは難しいことではありません」
 「魏と親しくしたいが、なにしろ信頼のおけない国なので、因っている。どうしたものか」

  范睢は答えた。

 「こちらから朝貢してはなりません。土地を与えて機嫌をとってもいけません。攻撃するにかぎります」
  昭王は、魏の邢丘を攻めた。邢丘が陥ると、魏は朝貢を詔うた。范睢はさらに昭王に説いた。

  秦と韓の国境は、刺繍の糸のように交錯しております。秦から見れば、韓は木食虫、腹の病であります。ひ
 とたび変事が起これば、韓ほど厄介な国はありません。韓を味方につけておくべきです」
 「そうしたいとは思うが、相手がきかなければ、どうする」
 「韓の榮陽を攻めれば、成皐への通は不通になります。太行山の道を分断すれば、上党の兵は南下できません。
 そのすきにどっと榮陽を攻める。相手は三分され、滅亡は必至です。韓はそれがわかっています。従わないは
 ずはありません。韓が従えば、天下に剖を称えることができましょう」
 「なるほど」
 と、昭王は答えた。



 〈范睢〉 魏の人、宇を叔といった。長い間不遇な生活を送ったが、秦に行って昭王(在位・前306~25
 1年)に上書したことがきっかけとなって認められ、宰相にとりたてられる。かれが秦の昭正に説いた遠交近
 攻――遠国と結んで近隣を攻める――は、この後、秦の国是となり、秦の勢力拡大に大きな助けとなった。中
 原〉 中国ともいう。一口に東夷・南蛮・西戎・北秋と称された四方の蛮族から区別して、黄河中流に建国し
 た国々が、"中国"となのった。戦国時代でいえば、韓・魏・趙などの位置したあたりで、今の河南省を中心と
  した地域である。

古色蒼然とした武力(軍事力)を持って「遠交近攻」で領土を拡張し世界統一を図る帝國主義遺制から脱却するに
は、非軍事手段と
"遠近両交論"で互いの国を解く努力を行っているのだろうか?!と再考を迫まる。戦前は、抗日
戦争に邁進すべく国民党と手を結び(国共合作)し敗戦とともに国共内政再開の後政権奪取に成功する、戦後は、
抗米、抗日、抗ソナショナリズムをバネとして「帝國のロングマーチ」を続けているが、その野望は単一国家によ
る覇権か中米ロの邦連(トロイカ)覇権なのか?どちらにしろ、中国の帝国主義膨張による、長期亘る膨大な軍事・
経済負担と国内外の人権抑制に耐きれず体制崩壊が待ち受けている。それの回避行政システム――たとえばリコー
ル制に是正――よるの構築に成功できるのか、強権政治に保守反動するのか細心要注意である。


                                            この項つづく

 


● 折々の読書  『China 2049』18


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                   マイケル・ピルズベリー 著
                                                   野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年
マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年
先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容とな
っている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

   第3章 アプローチしたのは中国 

                                  東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                                        毛主席への覚え書き(1969)より引用  

  カーター大統領はまた、1979年ごろ、中国北西部に信号情報を傍受する基地を設立することを許可した。
 この件については、元CIA秘密諜報員で後に駐中大使になったジェームズ・リリーが回想録「チャイナハン
 ズ 元駐中アメリカ大使の回想1916~1991」に記している。

  「わたしがCIAから勲功メダルを授与された理由の一つは、北京にCIA支局を開設したことで、もう
  一つは、戦略情報の収渠を中田と協力する体制を整えたことだ,{中略)突拍もないアイデアだと思える
  かもしれない,何しろほんの数年前までベトナムで代理戦争をしていたアメリカと中国が、対ソの情報収
  集で協力しようというのだから(注55)」

  1978年、わたしは上院予算委員会で専門スタッフとして働きながら、国防総省の顧問も務め、そこでは
 相変わらず中国関連の機密情報を分析したり、報告書にまとめたりしていた。1980年、ロナルド・レーガ
 ンが2期目を目指して大統領選に立候補したとき、わたしは顧問団のメンバーに指名され、外交政策に関する
 最初の選挙演説の、草稿の作成を手伝った。草稿には、アメリカははるかに大きな脅威であるソ連を打倒する
 ために中国を助けるべきだという、顧問団に共通する見解を盛り込んだ,レーガンが選挙で勝つと、わたしは
 政権移行チームのメンバーに選ばれた,当時のわたしは依然として、中国といっそう協力すべきだと主張して
 いた。国務長官のアレクサンダー・ヘイグはそんなわたしに力を貸してくれた。彼はカーター政権下で進めら
 れた、中国との初期の交渉のすべてを知っており、国務長官として北京を訪問するとともに、中国への武器輸
 出を公に提案した。

  1981年にレーガン大統領が著名したNSDD(国家安全保障決定令)11は、人民解敗軍の戦闘能力を
 国際レベルにまで底上げするために、先進的な空軍、陸軍、海軍およびミサイルの技術を中国に売ることを国
 防総省に許可するものだった。翌年出されたNSDD12は、中国の軍嘔力と民生用核開発(原子力発電所)
 計画を拡大するために、核分野で米中が陥力することを提言した。
  レーガンは前任者たちの対中政策に強い疑念を抱いており、それを巡って政権内の意見は大きく対なした。
 レーガンは、わたしを含め、波の政隆を支える中国専門家の大半より鋭く、中国の本質を見抜いていた。しか
 し、表面的には、中国を強くしようというニクソン・フォード・カーター路線を踏襲し、1984年のNSD
 D140では「強く安全で安定した中国はアジアと世界の平和を保つ力になるはずなので、その近代化を助け
 よう」と述べている(暗示的だが、国家安全保障会議のスタッフはNSDD140へのアクセスを厳しく制限
 した。それは15部しか作成されなかった――おそらく、中国強化という異論の多い目標の概略が記されてい
 たからだろう(注56)。

  レーガンは、中国に武器を輸出して軍服力強化を支援し、台湾への武器輸出は削減しようとする指示書に署
 名した,しかし前任者と違って、重要な意味を持つ但し書きを添えた。それは「対中支援は、中国がソ連から
 の独立を維持し、拙誠的体制の民主化を図ることを条件とする」というものだ。しかし残念ながら、この但し
 書きを彼の顧問団はほとんど無視し、どういう理由からか、レーガン自身も無視した。加えて、レーガン政権
 は、遺伝工学から自動化、バイオテクノロジー、レーザー、宇宙工学、有人宇宙飛行、知能ロボット工学にい
 たる分野で中国が新たに設立した研究機関を、財政と教育の両面で支援した。さらにレーガンは、中国の軍事
 使節団が、アメリカの安全保障の核の一つである国防総省国防高等研究計画局、すなわちインターネットやコ
 ンピューター・ネットワークといったハイテクプログラムを開発した研究機関を訪問することさえ承認した。

  レーガン大統領の在任中、米中が交わした軍事に関わる密約は、以前なら考えられなかったレベルにまで
 した。米中は密かに協力して、反ソ連のアフガン反乱軍、クメールルージュ、アンゴラの反キューバ勢力に
 軍需品を提供した。中国は、ベトナムによるカンボジア占領にも対抗した。5万人のゲリラ兵の武装を含む、
 このカンボジア支援については、THe Combodian Warsという本で4名のCIA幹部が詳細を暴露し、議論して
  いる(注57)。ジョージ・クライルの著作、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』では、他のCIA幹部が
 さらに大きな秘密を暴露した。それはアメリカが中国から武器を20億ドル分購入し、反ソ連のアフガン反乱
 軍に提供したというものだ(注58)。キッシンジャーの回想録は、アンゴラでも米中は秘密裏に協力したと語
  っている(注59)。

  中国はなぜ、これほど大規模な隠密作戦をアメリカと協力して行おうとしたのだろう。本当のことは、中国
 政府がその記録を公開するか、非常に高位の要人が亡命するまでわからないだろう。ともあれ、中国が、アメ
 リカの力とテクノロジーを利用して、自国を長明的に増強しようとしていたのは確かだ,その本意は、「囲碁」
 の戦略、すなわち、ソ連による包囲を阻止することにあったようだ。中国が了フソンで先頭集団に良い込もう
 としているとは誰も想像すらしていなかった。それは中国が一貫して、アメリカの保護を必要とする、防衛が
 精一杯の弱々しい国というイメージを巧みに装っていたからにほかならない。

  ニューヨーク・タイムズ紙の記者、パトリック・タイラーによると、10番目のプレゼントとして、アメリ
 カはソ連との国境沿いで中国と協力して情報を収集することを約束した。これは密かに「チェスナット作戦
 と命名された。1979年8月、カーターの副大統領のウォルター・モンデールが訪中した折に、国防総省と
 CIAはこの作戦で用いる機材を軍用輸送機で中国に運んだ,タイラーによると、中国はその輸送機、C14
 1スターリフターを、ソ連のジェット旅客機の隣に駐機させ、米中の協力がソ連に見えるようにしたという(
 注60)。

  タイラーによると、この時に作られた通信監視基地は、ソ連の防空施設からのレーダー信号や、航空交通に
 関する情報を収集するだけでなく、KGBの通信を傍受することもできた。また、ソ連の核兵器の警戒すべき
 変化も検知できた(注61)。そのおかげで中国は、仮にソ連に攻撃されても、態勢を整える時間の余裕を持て
 るようになった。1979年2月にソ連を後ろ盾とするベトナムがカンボジアに侵攻し、同年12月にソ連が
 アフガニスタンに侵攻するというきな臭い時代にあって、中国の安全保障は格段の進歩を遂げた。忍従の末に
 中国は、6年前にキッシンジャーとイクレとわたしが提案したよりずっと多くの支援を手に入れつつあった。

注55  James Lilley and Jeffrey Lilley, China Hands: Nine Decades of Adventure, Espionage, and Diplomacy in Asia (New
          York: Public Affairs, 2004), 214-15
.
注56. NSDD120で、レーガン大統領は、アメリカ政府に「特に技術移転の自由化により、中国の近代化への努力に支援を
          差し伸べるyう指示した。NSDD 120, "Visit to the US of Premier Zhao Ziyang,” January 9, 1984,以下のサイトで人
          手可能。http://www.fas.org/irp/offdocs/nadd/  NSDD140は、「強く、安全で安定した中国は、平和のため成長する
    力となりうる」と断言した。NSDD 140. "‘President's visit to People's Republic of China,” Apr.21,1984,以下のサイト
          で人手可能。http://www.fas.org/irp/offdocs/nsdd/nsdd-140.pdf.
注57.
Kenneth Conboy,The Cambodian ars; Clashing RMIES AND CLA Covert  Operation(Lawrence: Univcrsity Prcss of
          Kansas,
2013).以下も参照。Andrew Mertha,Brothers in Arms Chinese Aid to the Khmer Rouge, .1975-1979(lthaca.
          NY: CornlI University
Press,2014).
注58.  George Crile,Charlie Wilso's War: The Extraordinary Story of the Largest Covert Opertion in History (New York:
           Atlantic Monthly Press. 2003).
注59.  Kissinger、Ycarsof Renewal, 819.
注60.  Tyler,Great Wall, 284.
 
注61.  同上、285.テイラーは 注97 でカーター他8名の大統領の名を挙げている。

                                                                                                                                                                                  この項つづく   

  ● 乞うご期待!

The Musketeers  銃士隊 : 4月3午後11時スタート NHK

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デスクトップな試作場

2016年03月26日 | ネオコンバーテック

 

 

   

        ぼくは市民運動が嫌いです。群れて集まって、その数を頼みにしていろいろな
        ことを言う。
そこには冷静さがなく根拠といえば漠然とした「感覚」だけです。


                               

 

                                    Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

        ※ ここまで言い切ることはできないと考えるが、指摘するようなことがあり、該
          当することがあれば、是正すればいいことで、完全無欠でない市民運動を拒絶
          するのも不自然なことだと考える。

 

【すごいぞ!ロードスター】

  2017 Mazda MX-5 Miata RF

世界各国の自動車ジャーナリストが選ぶ、ことしの「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」――去年1月以降に世
界の2つ以上の大陸で発売された車の中から、最も優れた車を世界各国の自動車ジャーナリスト73人の投票によ
って選ぶ賞――に、マツダの新型オープンスポーツカー「ロードスター」が選ばれた。今朝も、彼女が、湖西の春
を感じたいというので、それじゃと、午前11時からマイロードスター「クワトロ・セブン」に乗り朽木村まで走
らせ、遅めの昼食を道の駅で頂き、鯖の燻製とへしこを買って、風が少しきつかったが、帰りは湖岸走路をオープ
ンで日本一のパワースポットの右方向に、木蓮、白木蓮や河津桜の開花を愛で、沖のパラサーフィンを眺め帰って
くる。

 

【デスクトップな試作場】

落成式?竣工式?それはさておき、デァゴスティーニの三次元プリンターの組み立て試運転調整が終了。これから
トレーニングに入り9月頭には、やってみようの試作を開始し、サンプル提供――非営利の無料試作――していく
予定。

さて、なぜ、これほどまで遅れてしまったのか反省点もある。49号のエクストレーダーの組み立てを間
違ってい
たことだ。笑われるかもしれないが、マニュアルの写真が不鮮明なので、キャップ型拡大鏡で見ながら組み立てて
いくのだが結局見落とす。すべては眼精疲労・欲張り計画の二つになるのだが、言い分けがましいが、透明のアク
リル樹脂製の照明技術
に工夫がいると考えている。八畳のフィットネスマシン付き書斎兼作業兼寝室の上に、さら
に、スリーディープリンタがテーブルにオンされる。ノウハウの習得と、もう忘れてしまったCADリテラシーと
言っていいのか、要再学習とあとはイメージングの質次第――カッティング・ラビング・カラーリングなどの派生
工程をどうするか?――ということになり、"すべてはデザインで決まる"世界がこの小さな空間で試行されていく
ととなる。ところが、彼女はご機嫌斜めだ。

 

 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】

  ● 目 次

   解題

   秦
   斉
   楚
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山


 

   『戦国策』の成立と内容

 中国古代の大歴史家・司馬遷が『史記』を書くにあたり、戦国時代に関する事件、人物の事跡は、『戦国策』
 から多くをとったといわれている。
『戦国策』の原著者は明らかでない。おそらく、当時の口承の類、記録の
 断片などがまとめられたものであろう。書名も、『国策』とか『国事』、あるいはまた『短長』『長書』など
 と呼ばれ、一定しなかった。
その錯乱を正し、現在ある形に編集しなおして『戦国策』と命名したのが、前漢
 末の劉向(前七七~六年)である。
 

 ちなみに、「戦国」ということばは、もともと「天下の戦国七」(戦国策)などといわれたように「大国」と
 いう意味であった。古くは、歴史書の中に分類されていたが、のちに、子部の従横家の中に入れられるように
 なった。従横家とは、蘇秦、張儀の合従、連横から名をとったもので、戦国時代に、外交戦略を説いた学派を
 いう。むろん学派とはいっても、儒家、道家などのように、整然たる思想体系は持っていない。全篇ことごと
 く、いわゆる策士、説客の権謀術数の言論、行動でうずめられている。

 乱世の戦国時代ともなれば、道学者の金科玉条とする伝統的な規範、道徳は、用をなさない。そしてそれに代
 わって新しい時代にふさわしい規範、生き方が求められる。時代に適応したものは生き残り、それに失敗した
 ものは滅びる。この理屈は、今も昔も変わりない。各国ともあらそって富国強兵をはかる一方、国力の損耗を
 最小限にくいとめるため、兵を動かさずに、もっぱら外交交渉にうったえて、事態の収拾をはかろうとする。
 
 こうした時代の要求にこたえて、国際紛争の解決にあたった。"移動大使"が、すなわち従横家と称される一群
  の説客たちである。かれらは大臣・宰相として、一国の存亡を双肩にになって外交の秘術をつくす。あるいは
  また自己の売り込み、保身に、機知をふるい、脆弁を弄する。一歩あやまれば、国の滅亡、身の破滅を招くだ
  けに、真剣そのものだ。その弁説にはかれらの合がかかっていた。それだけにかれらの弁説には、処世の知恵、
  乱世の英知がこめられている。現実に密着した思想、行動に根ざした思考がある。

  古来、融通のきかない道学者は、『戦国策』を目して、内容浅薄、思想低劣として、眉をひそめた。しかし、
 『戦国策』の面白さは、まさに道学者流のひんしゅくをかった、その点にあるといっても過言でない。唐来八
 家の一人曽鞏は、劉向以後再び放映した『戦国策』をもとの形に編集しなおした人物であるが、かれは、『戦
 国策』 の内容を「流俗に惑い、自ら信ずるに篤からず」と批判しながらも、その存在価値をこう評価する。


  「君子の邪説を禁ずるや、固よりその説を天下に明らかにせんとす。当世の人をして、皆その説の従うべ
  からざるを知らしめ、しかる後もって禁ずれば、すなわち斉る。後世の人をして、皆そのなすべからざる
  を知らしめ、しかる後もって戒となさば、すなわち明らかなり」

 また、元代の呉師道は、

  「君子のこの書におけるや、事変を考え、情偽を究むれば、すなわち、守ますますもって堅く、知ますま
  すもって明らかなり。小人のこの書におけるや、その始めに利あって終りに害あり、小に得て大に喪うを
  見ば、悔悟懲創の心生ぜん」

 と述べている。

 この二人は、儒家の立場にたって、逆の意味での教育的な効果、つまり現代中国のことばをかりれば、"反面
 教師"を期待したのである。また、末代の李格非は、

  「『戦国』策の載する所は、たいていみな、従横捭闔(はいこう)の譎誑(けつきょう)
、相軋傾奪(そ
  うあつけいだつ)の説なり。その事、浅嗣にして道うに足らざれども、これを読まば、必ずその説の工な
  るを尚び、その事の師なるを忘れん。文辞の勝これを移すのみ」

 明代の王覚もこういう。

  「義理の存する所にあらざれども、弁麗横肆にして、また文辞の最たるものなり」

 つまりこの二人は、内容はともかくとして、その文辞については一旅中の一流だと評価しているわけである。

 これが『戦国策』を最初に編集した劉向となると、さすがに違う。道学者流の偏見から完全に免れている。

  「みな、高才秀士にして、時君のよく行なう所を度り、奇策異智を出し、危を転じて安となし、亡を運(
  めぐら)して存となす。また喜ぶべく、みな観るべし」

 宋代の蘇洵は、いっそう積極的に評価する。

  「少年の文字なり。まさに気象をして崢(そうこう)ならしむべし」

 気象を崢ならしむとは、気持をふるいたたせる、やる気を起こさせる、というほどの意味であるが、あるい
 はこの辺に、古来、『戦国策』が読みつがれてきた秘密がかくされているのかも知れない。
日本には、横田惟
 孝の『戦国策正解』、安井息軒の『戦国策補正』等の注釈書がある。

 『戦国策』の構成は国別に分かれている。すなわち、四周・乗馬・秦・斉・楚・趙・魏・韓・燕・来・衛・中
 山の十二国である(一国をさらに数篇に分け計三十三篇)。ここでは、歴史的に大きな影響をもち、説話とし
 ても興味のある七国を重点的にとりあげ、四周・車馬・来・衛・中山の小国はまとめて一章におさめられてい
 る。
            
                              『戦国策』(「中国の思想」第二巻)より


マイケル・ピルズベリー著『China 2049』(『帝國のロングマーチⅡ』2016.02.26参照)で「戦国策」から
の引用記述が多いので、「墨子」の次は「戦国策」をリラーニングすることにした。併せて、『China 2049』
を読み進めていくことにする。

 

 


● 折々の読書  『China 2049』17


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                   マイケル・ピルズベリー 著
                                                   野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年
マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年
先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容とな
っている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

 

  第3章 アプローチしたのは中国 

 


                                  東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                                        毛主席への覚え書き(1969)より引用  

  1978年、米中の関係は正常化、つまりアメリカが共産主義中国を中国の政府として正式に認める方向へ
 向かっていた。その年、鄭はアメリカに求めるもののリストのトップ、すなわち科学と技術に狙いを定めた。
 これは「無為]と呼ばれる戦国時代の姿勢で、自らは動かず、ほかの人間に仕嘔をさせることを意味する(注
 50)。1978年になてた戦略で述べているように、鄭は、経済発展にとって「技術は第一の生産力(注51)」
 だと考えていた。そして、中国が経済力でアメリカをしのぐ唯一の道は、科学と技術を大々的に発展させるこ
 とだと確信していた。それを手っ取り早く実現するには、アメリカがすでに持っているものを拝借すればいい。
 男はその目論見を助けてくれる最溶のパートナーを見つけた。米中の公式な協力関係の確立を熱望する新大統
 領、ジミー・カーターである。

  1978年7月、カーター大統領は中国に、それまでに海外に派遣した中では最高レベルの科学者の代表団
 を派遣した。団を率いたのは、カーターの科学顧問で、地震科学を専門とする元マサチューセッツエ科大学教
 授、フランク・プレスだ。プレスは1975年から77年にかけて、米中の学術交流委員会のt席を務めたため、
 中国との学術交流に強い関心を寄せていた,この代表団に中国は大いに注目した。人民日報が外国人のスピー
 チを掲載することは滅多になかったが、晩餐会の席上でブレスが行った、グローバル化のメリットを強調する
 スピーチは同紙に掲載された。国家安全保障会議で中国政策を担当するマイケル・オクセンバーグはそれまで
 14回ほど、郵小平との会談に同席したことがあったが、この時ほど郵が知的好奇心をみなぎらせ、中国の未
 来についての展望を熱く語ったことはなかった、と後に述べている。この時も鄭は、か弱い嘆願者という役割
 を演じ、プレスらに、中国の科学と技術は絶望的なまでに遅れていると語り、アメリカが中国へのハイテク輸
 出を抑制していることを心配しているそぶりを見せた。

  それまで中国政府は、亡命を怖れて、科学者のアメリカヘの渡航を制限し、渡航後も厳しく管理してきた。
 したがって、西側諸国との科学交流の拡大についても慎重になるだろうとプレスは予想していた。だが、驚い
 たことに郵は、科学を学ぶ中国の学生700人の留学受け入れを求め、さらにその後数年のうちに、数万人を
 アメリカに留学させたいという大きな目標を掲げた。郵が回答をすぐに聞きたいと迫ったため、これは自分の
 キャリアにとって重要なブレークスルーになると考えたプレスは、ワシントンは夜中の3時だったが、かまわ
 ずカーター大統領に電話をかけた。プレスと同じくカーターは、中国が科学的交流に急に熱を入れはじめた理
 由を考えることもなく、それを米中の関係改善を歓迎する証と見なした。

  1979年1月、郵はワシントンD.C.を訪問し(これが最初で最後となったが)、成功を収めた。カー
 ター大統領は鄭をもてなすために公式晩餐会を開き、対中政策における二大政党の連携を讃えようと、リチャ
 ード・ニクソンを招待した。ニクソンにとってホワイトハウスに足を踏み入れるのは、ウオーターゲート事件
 で1974年7月に退陣に追いこまれて以来のことだった。郵は13口問、アメリカに滞在し、コカコーラ本社、
 ヒューストンのジョンソン宇宙センター、さらにはディズニーワールドまで訪れた。アメリカの大衆メディア
 が彼を受け入れた証として、鄭の顔写真がタイム誌の表紙を飾った。それも二度にわたってである。

  北京の国立博物館には、テキサスでプレゼントされたテンガロンハットをかぶって微笑む郵の写真が展示さ
 れているが、その写真は、彼の訪米を象徴するものとなった。それはアメリカ国民に、男はユーモアにあふれ、
 「あの共産主義者]のひとりというより、「わたしたち」にずっと近い人間だと実感させた。だが、後にその
 写真は中国とそのマラソンにとって折り返し地点であったことが判明する。この訪米で鄭小平は、毛沢東より
 はるかに多くを手に入れた。

  1979年1月31日、アメリカ滞在中に、鄭と国家科学技術委員会主任の方毅はアメリカと科学交流を加
 速させるための協定に署名した。その年、最初の50人の中国人学生がアメリカに留学した。最初の5年間に
 1万9000人ほどの中国人学生がアメリカの大学で、主に物理科学、保健科学、工学を学び、その数は増え
 つづけた(注52),カーターと郵は、領乍館、貿易、科学、技術についての協定にも署名したが、それは、ア
 メリカが中国の科学者にあらゆる種類の科学的・技術的知識を提供することを約束するもので、結果的にアメ
 リカの科学的・技術的専門知識の史上最大の流出を招いた。

  さらに中国は全米科学アカデミーにも食指を伸ばし、中国が選んだ複数の分野で科学交流を始めるために、
 科学者の代表団を訪中させることを求めた。アメリカ科学界の要人を手中に収め、物理、原子力、宇宙航法な
 どを扱う国際的な組織に加入する土台固めをするというのが、中国の戦略だった。アメリカは同意し、これが
 八つ目のプレゼントとなった.

  アメリカはまた、秘密裏に軍事協力を強化することも約束した。カーター大統領は中越戦争で中国に対して
 情報支援したが、それについてはヘンリー・キッシンジャーでさえ、2011年の著書『中国』で明かしてい
 る通り、衝撃を受けた。キッシンジャーは、カーターは北京とつながる扉を開き、怪物を作り出してしまった
 とでも言いたげな口調で、中国のベトナム侵攻を認めるカーターの「非公式な共謀」は、「間接的にポル・ポ
 ト派の残党を支援することにほかならなかった(注53)」
と非難した。「ハロルド・ブラウン国防長官の訪中
 は、数年前には想像もできなかったレベルまで、米中の陥力関係を押し上げた」と、キッシンジャーは息巻く。

  九つ目のプレゼントである1978年に調印された大統領指令43は、教育、エネルギー、農業、宇宙、地学、
 商業、公衆衛生の分野において、アメリカの進んだ科学と技術を中国に伝えるために多数のプログラムを創設
 することを命じた(注54)。翌年、カーター政権は、貿易相手国として中国に最恵国待遇を約束した。

注50.Edward Slingerland,Effortless Action: Wu-Wei as  Conceptual Metaphor and Spiritual Ideal in Early China(New
           York: Oxford
univcrsity Prcss, 2003).
注51.  Deng xiaoping,“Realize the Four Modernizations and Ncvcr
Scek Hegemony,” May 7,1978. 以下のサイトで人手可
           能。http://
dengxiaopingworks.wordPress.com/2013/02/25/「ealize-the-four-modcmizations-and-never-seck-hegemony/
注52.  EzraF.vogcl,Deng iaopingand the Transformation of  China(Cambridgc,MA: Harvard Univcrsity Press,2011),323
           (Kindle edition).
注53.Kissingcr,0n China, 366-68
注54.  Presidential Directive/NSC-43,Novembcr 3,1978,以下のサイトで人手可能。http://www.jimmycarterlibrary.gov/do -
          
cuments/y.・gov/docunlents/pddirectives/pd43.pdf.

                                                                                                                                                                                 この項つづく

 

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ミカンとトレッキング

2016年03月25日 | 医療健康術

 

 

              朕には疲労している時間がない。 /  ウィルヘルム一世

                                    
                                   22 Mar 1797 - 9 Mar 1888

 

            I haven't got time to be tired.        Wilhelm Friedrich Lundwing Ⅰ


          ウィルヘルムー世が最後の病気になったとき、このように答えたという。ドイツ帝国建設の
          夢に憑かれて若い時分から、革命の鎮圧、イギリス亡命、帰国、反動分子の一掃、病王に
          代って摂政、普墺戦争、普仏戦争、ロシアとの問題、二度目のテロに重傷など多忙な一生
          だった。

  

【ミッドナイトのカーヴァー】

 

 

      テ ス に

   海峡の海面は、ここの人たちの言葉を借りれば、

   頭を白く染めている。荒れているのだ。そんなところに出て

   いかないでよかった。モース・クリークで一日釣りをして

   よかった。まっ赤なデアデヴィルをあちこちキャスティング

   しながらね。魚は一匹も釣れない。食いつきさえしなかった。

   ただのいちどもだよ。でもかまわない。そんなの、なんでもないさ!

   僕は君のおとうさんのポケット・ナイフを持ち、

   飼主にディキシーと呼ばれている名前の犬をしばらくあとに従えていた。

   ときどき僕はとても幸福で、魚釣りなんてやめちゃった

   くらいだ。いちど僕は堤に寝ころんで目を閉じ、

   水の音にじっと耳を澄ませていた。

   そして樹上を過ぎていく風の音に。海峡を吹き荒れているのと

   同じ風なのだが、でもそれは違う風でもある。

   しばらくのあいだ、僕は自分が死んでいるんだと想像してみた。

   でもそれも悪くなかった。少なくともちょっとのあいだならね。

   それが本当にからだに染みこんでくるまではね。死んでいる。

   そこに目を閉じて寝ころんで、本当に自分がじっさいに

   もう二度と起きあがれなくなったらどんな感じなのかなと

   想像してみたすぐあとで、僕は君のことを考えた。

   それから僕は目を開け、起きあがり、

   もういちど幸福であることのなかに戻っていった。

   ねえ、僕は君にすごく感謝している。それを、言いたかったんだ。



   Raymond Clevie Carver Jr.、


                             For Tess
 

    Out on the Strait the water is whitecapping

    As they say here. It’s rough and I’m glad

    I’m not out. Glad I fished all day

    on Morse Creek, casting a red Daredevil back

    and forth. I didn’t catch anything. No bites

    even, not one. But it was okay. It was fine!

    I carried your dad’s pocketknife and was followed

    for awhile by a dog its owner called Dixie.

    At times I felt so happy I had to quit

    fishing. Once I lay on the bank with my eyes closed,

    listening to the sound the water made,

    and to the wind in the tops of the trees. The same wind

    that blows out on the Strait, but a different wind, too.

    For awhile I even let myself imagine that I had died –

    and that was all right, at least for a couple

    of minutes, until it really sank in: Dead.

    As I was laying there with my eyes closed,

    just after I’d imagined what it might be like

    if in fact I never got up again, I thought of you.

    I opened my eyes then and got right up

    and went back to being happy again

    I’m grateful to you, you see. I wanted to tell you.

 Tess Gallagher

 

【イタリアン野外料理】

● 肉厚椎茸と卵のオーヴン焼き

  1. 小さなボールに、ミートソースとパン粉を入れ、よく混ぜ合わせておく。
  2. 椎茸は茎を傘の付け根から切り、みじん切りにし1.に加える。
  3. 椎茸の傘にミートソースを入れ中央を窪ませておき、そこへウズラ卵を落とし入れオーブンへ。

パン粉は焼いているうちにソースが流れ出るのを防ぎ、旨味を閉じ込める効果がある。肉厚椎茸を焼くときは
はじめに内側をサッと焼き固めてから、ひっくり返して、傘の表面を鍋底に見立てる。表面に切れ目を入れな
い。あらかじめミートソースとパン粉を入れジップロックに入れ冷凍しておき、移動中解凍しているので、現
地でそのままとりだしとりわければ、一手間省ける。トレッキングの野外料理には最適だろうし、最近は育種
改良された肉厚椎茸が市販されているのでワイルドでボリュームのあるヘルシーな料理レシピである。

 

【ミカンとトレッキング】

       Beta-carotene


● 温州ミカンの橙色々素はやはりすごかった!?

ミカンをたくさん食べる人は生活習慣病の発症リスクが低くなるという。昨日、農研機構果樹研究所と浜松医
科大などの研究チームが、10年間に及ぶ1千人規模の追跡調査で、ミカンに含まれる成分の血中濃度が高い
人ほど、糖尿病や非アルコール性肝機能異常症などになりにくことを突き止めた。チームは、温州ミカンの産
地、浜松市の三ケ日町地域で住民健診時に被験者を募り、30~70歳の男女1073人を対象に栄養疫学調
査を実施。03年から10年間の健康状態の変化と、ミカンに多く含まれる橙色々素・βクリプトキサンチン
血中濃度との関係を統計的に分析。



その結果、毎日3、4個食べるレベルの血中濃度の人は、毎日は食べないレベルの人と比べて、糖尿病の発症
リスクが57%低く、非アルコール性肝機能異常症は49%、脂質代謝異常症も33%低く、βクリプトキサ
をンチンをマウスに投与し肝臓の炎症抑制や、脂肪細胞でのエネルギー消費促進などの働きの有効性を突き止
める。果物は糖分が多いため糖尿病に良くないと思われがちだが、危険因子ではなく予防因子であることがこ
れ明らかにできたと担当研究員が話しているという(朝日デジタル新聞 2016.03.24)。

※ 関連論文

血中β-クリプトキサンチンと非アルコール性肝機能異常症発症リスクとの関連について
血中β-クリプトキサンチンと糖尿病発症リスクとの関連について
血中β-クリプトキサンチンと脂質代謝異常症発症リスクとの関連について




【ナショナルトレッキング構想: 山の難易度とは】

● 難易度のレヘルは山の要素の総合力

毎年、意外なほどの低山でも事故は起きている。もちろん難易度の高い山はそれ以上で、例えば北アルプスの
剱岳、岩
の塊と壁という歩きにくさ。日本海が近くであるために変わりやすい天候。強風も常で、秋以降は積
雪に見舞われる。
一般登山道が山頂までついているが、事故が頻繁に起きる。だからこそ、相当の経験者に
憧れの山である。
短いコースは総じて難易度か低いか、長いルートに挑戦するなら、途中に避難できる山小屋
があると、精神的に心
強い。コース上にエスケープルート(非常時に短時間で下山できる道}が見つけられれ
ば、より安心だろう。最近は天候不順だか、昔から「梅雨明け1週間」かベストシーズンだといわれている。
台風の恐れも山てくるころが、天候はもっとも安定している。



春は残雪が残る山もあり、初夏と秋は雨量か多いので、それなりの覚悟で歩かなければならない。晴れていれ
ば歩き
やすい岩場やトレイルでも、濡れているだけで転倒の危険は高まる。またひとつの基準が、高山で木か
生長できない高度を差
す「森林限界」。そこを越えると風を遮るものがなく、暴風・強雨をもろに浴び、テン
トか吹き飛ふことさえも。それだけに周囲の山々を見渡すことかできて絶景だか、初心者のみの計画では避け
たい。
 



今年初めてのトレッキングには、いつものように、伊藤園の「おぉ~い  お茶」とローソンのおにぎりにミカンを持っていこう。

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再エネからエネルギーフリーへ

2016年03月22日 | デジタル革命渦論

 

 

 

  

      一人を殺さば、これを不義と謂い、必ず一死罪あり。……いま大いに不義をなし国を
      攻むるに至りては、すなわち非とするを知らず、従いてこれを誉めてこれを義と謂う。
                   
                             
                                     墨子 『非攻』

                                                                                                                                               

      ※  一人を殺した男は死刑となり、百万人を殺した将軍は功績をたたえられる。戦いだけでは
             ない。
いま、人々は。"小さな不正""小さな暴力"に怒って"大きな不正""大きな暴力"を忘
       れ、"
小さな親切”に感激して"大きな親切"を忘れている。この逆立ちはどこからくるのか? 

 

        非攻 - 非戦論 - 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす


《解説》 解顕でふれたように『墨子』の中には、独特の構成をもったものが十編ある。それは一つの編
が上・中・下から成り、それぞれ言い回しが多少違うだけで論旨は全く同じなのだ。つまり同内容のもの
が三つずつ収録されている(「非儒編」は上・下の二編)。これは『墨子』が弟子たちの手によって成っ
たものであり、かれの死後、三派に分かれた墨家によってそれぞれに伝えられたためといわれる。「非攻
編」も上・中・下という構成で、ここに訳出しだのは「非攻・上」だが、この幅だけは形式、内容ともや
やおもむきを変えている。他の幅のように、「子墨子曰く……」ではじまる問答体ではなく、冒頭から墨
子の著という体裁をとっている。あるいは、この幅だけは、墨子自身が書いたのかもしれない。事実、こ
の編は、そういう推測が許されるほどの迫力をもっている。

参考までに「非攻・中編」の内容を要約しておこう。

為政者は人民の幸福を目的として国を洽めるべきであるのに、人民の用を奪い、人民の利を廃して戦争を
超こす支配者が多い。かれらの戦争目的は何かといえば、戦勝を誇り、他国を奪って利益を得ることなの
だ。だが、戦勝を誇ることなどは、どんな実利ももたらさない。他国を奪って利益を得たとしても、失う
ものはそれ以上に大きい。多くの費用と多くの生命が失われるからだ。戦争を起こすのは、多くの場合、
強国である。これらの国は、広大な土地をもちながら、なお他国の土地を侵している。その結果、多くの
人民を殺し、苦しめている。人民の利益をそこなうことが、どうして正しい道といえよう。

ところが、好戦的な者はこんなことをいう。――今日、楚・呉・斉・晋は大いに栄えているが、これらの
国の祖先がはじめて諸侯に封ぜられたときは、その領地はわずかに数百里四方、人民も
数十万にすぎなか
った。ところが戦争を重ねて他国の領地をとり、他国の人民を併せたために、
今は数千里四方の領地と、
数百万人の人民をもつようになった。これは戦争によって得た利益で
はないか、と。

だが、たとえそれらの国が利益を得たとしても、決してそれは正しい道ではない。それらの国が利益を得
たために、どれほど多くの国が悲惨な目にあったことか。医者が人の病いをなおす場
合を考えてみよ。薬
を病人にあたえても、数大の者だけに効いて、他の多くの者には効かなけれ
ば、その薬はよい薬とはいえ
ないではないか。医者の使令は、万人の病いをなおすことである。
少数の者にしか効かない薬を調合する
ことは、医者としての本分にもとることである。

むかしから今まで、多くの国がロんだ。それらの国々はみな戦争によって亡んだのである。大国は力ずく
で小国を圧迫する。そのために小国は亡びる。菖が斉と越と問にはさまって亡び、莒(きょ)
・蔡が越と
呉との間にはさまって亡んだのはそのためである。大国であっても亡びる。呉は越
を属国にして一時覇者
となったが、その後、越に亡ぼされてしまった。どれもこれも戦争が亡国
を招いたのである。武力を恃ん
で国をいつまでも保つことはできない。

昔、晋に六人の将軍がいた。そのひとりである智伯は、領地の広大さと人民の多きとを特んで、諸侯に対
抗して自分も一国の君主となろうと考えた。それには武力によるのが最上の策であると考え、まず中行氏
を攻めてその領地を奪い、さらに苗氏を攻めてこれを破り、ついで趙襄子を晋陽に囲んだ。そのとき、そ
れまで智伯にくみしていた韓・魏両氏は、趙氏が亡ぼされたら、やがて自分たちも同じ運命に見舞われる
のではないかと考えた。そこでかれらはひそかに趙氏と内通し三方から智伯を攻め、ついにこれを亡ぼし
てしまった。

「君子は水に鏡みずして、人に鏡みる」ということわざがある。水に顔を映してみれば、顔の形がわかる
だけだが、人を鎗とすれば、吉凶を知ることができる。戦争によって利益が得られると思う考は、智伯の
ことを鎗とすべきだ。


●今夜で『墨子』は終わる。それにしてもすごいパワーだ。何よりも現場・現地に進んで赴き行動した思
 想家で理論家にして社会実験(実践)家であり教祖である。次回は、『戦国策』(「中国思想」第二巻
 )に移る。

【量子ドット工学革命: エネルギーフリー社会の実現へ】 

 

量子ドット太陽電池製造関連の特許調査をやっと終了させる。頭の中はモヤモヤ状態で総括を考ええる。
電子・正孔のキャリアをわずか数ナノメートルの立方体に閉じ込めるた量子ドットをサイズを制御するだ
けで、受光素子に応用すれば紫外光から赤外光の広範囲の波長の太陽光を自在にエネルギー変換でき、発
光素子に応用すれば低電流で電圧印加すれば自在に、エネルギー波長に変換できるという夢のような話が
実現すると期待されている。

それがもう十年するとかなりの分野で実用化――トランジスタ、太陽電池、レーザー、ディスプレー、電
池、量子コンピューター、量子暗号通信、癌予防・治療など――前夜を迎えているのだから、もう興奮し
まくりの作業だ(否、へろへろ状態で死にたくなるくらだった?!)。正直に話せば、「デジタル革命」
を実体験してきた上に、さらに「量子ドット工学革命」を実体験するなどだれが信じられようかという風
に感嘆している。思えば、コンピュータの出現にはじまるデジタル革命により、巨大なIBMはアップル
のPCと三菱電機製のフラッシュメモリーに駆逐され、東芝製の真空管は、ダイオードの出現により駆逐、
ブラウン管に象徴されるテレビジョンの撮像管は固体撮像素子、受像管は薄膜半導体ディスプレイに駆逐
され、インターネットという軍事技術がベルリンの壁の崩壊とともに開放され、それまでの有線からGP
S付移動体ワイヤレス機に席捲される。
 

この『デジタル革命渦論』の遺伝子を一身に背負ったナノサイズ電子デバイスとしての「量子ドット」は
さらにこれを進化させ、バイオテクノロジーとナノマテリアルイノベーションを合体収斂させて超新星と
して輝きはじめた(実用段階に突入)。その象徴的な現象は、これまでの情報通信領域だけでなく、生命
領域――たとえば、標的化送達用組成物の蛍光体として応用されることで、超精密顕微鏡用の画像処理技
術へ発展し、癌などの難病の予防・治療――などに役立てられる。まだエネルギー領域――たとえば、高
効率変換太陽電池が実用化すれば、巨大にしてリスキーな原子力発電を駆逐し、コンパクトで環境にやさ
しい発電が、
これまたコンパクトで頑丈な蓄電池と結合することで、"エネルギーフリーな夢の贈与経済
社会”が実現する。


  絶え間なく降り注ぐ太陽エネルギーが『贈与経済』の源

このように、1982年の荒川・榊東大教授らにより半導体量子ドットがはじめて提案されて以来、09
年に10ギガビット毎秒量子ドットドットレーザの実用量産化に世界で初めて成功するが、その量産製造
には(1)結晶組成比の最適が困難、(2)各量子ドット同士の干渉・合体などよる発光やエネルギ効率
や収率が思うように向上しないと問題を抱えていたが、試験評価方法など量産化に向けての方法や技術改
良が進み、量産・普及の道が開けてきた。が、問題もある。それは、一気に量産化すれば過剰生産――な
にせ、ナノメートルはマイクロメートルの千分の一、面積比で百万分の一、体積比で十億分の一と緻密度
と反比例し原材料の使用量は逓減していく。ここは、企業合併も見すえトップランナーを疾走すべく、政
府による環境整備が求められる。

この革命は日本列島の隅々に波及し世界に波及する。電信柱はこの国土から消え(ワイヤレス通信中継基地
は残る)、道路はバッテリーレス自動車が走る時代が十年後には現れてくる。その実験――電気自動車(EV)
の普及課題として「1充電当たりの航続距離」と「充電時間の長さ」が指摘される。この課題を解決するバ
ッテリーを持たないEVに対して路面から駆動用の電力を送電する――に豊橋技術科学大学と大成建設が、世
界ではじめて成功している(上写真クリック)。このように、地球温暖化防止などの環境分野、医療・介護
分野、運輸・道路分野、景観の付加価値化分野など、あらゆる分野の次世代化のための積極的な公共投資(
財政投資)が求められているのである。

何はともあれ、今夜で一連の作業に終始を打ち、ネクスト・ステージに吾(われ)は立つ。
                                          

 

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量子ドット工学は春。

2016年03月21日 | 滋賀のパワースポット

 

 

 

 

     「天下の人を悪みて人を賊する者を分名せんに、兼か別か、すなわち必ず別なりと曰わん」

     「これ、言うて兼を非とし、択べば兼を取る。すなわちこれ言行払(もと)るなり」
  
      
     「万方(ばんぼう)罪あらば朕が身に当たる、朕が身罪あるも、万方に及ぼすことなかれ」

     「言として讐いざるはなく、徳として報いざるはなし、われに投ずるに桃をもってせば、
      これに報ゆるに李(すもも)をもってせん」                   
                             
                                    
  墨子 『兼愛』

                                                                                                                                               

     ※ ひとをみな。"われ"と思い、差別するな。たがいに相手を認めあえ。それが混乱を救う唯
             一の道だ、と墨子はいう。。”そんなあまいことで……”という批判にたいし、墨子は反
       論をたたみかける。「非攻」と表裏をなす代表的論文である。単に"
人材を尊べ"という徳
       目ではない。能力よりも縁故や情実がものをいう社会を、墨子は反論をたたみかける。
       「非攻」と表裏をなす代表的論文である。

     ※ 兼愛と別愛 「兼」には、分かれている者を一つに合するという意味がある。「別」はそ
       の反対である。墨子の時代には、周代の政治秩序をよりどころにした「封建」制度はすで
       に没落解体の途上にあったが、まだ遺制としてかなり根強く生き残っており、世襲的な貴
       族の身分制、つまり「別」(差別構造)が社会進歩のガンになっていた。墨子は、こうい
             う血族の制約をのりこえて、身分差のない「兼」(共同体)の社会をつくる必要があると
             説くのである。

        兼愛 - ひとを差別するな 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話 

 《解説》以上は「兼愛・下」を訳した。
 墨子の文体は、どちらかといえば泥くさい。『老子』の文体などに典型的に示されるように、中国古典の
 文章は、一般に、表現の簡潔を尊び、論理的な手続きを賠して飛躍する傾向があるが、墨子の文体にはそ
 ういう特色はみられない。かれはひとつの原理をあらゆる角度から説明し、くどいまでに一歩一歩論理を
 積みあげていく。委曲を尽くそうとして、かえってくり返しに終わっている場合もあるほどである。技術
 者出身であり、民衆のなかに終始したことが、その語り口、文体にも反映しているとみることができよう。
 「兼愛」は字づらから想像されるような”あまいもの”ではない。根底に流れるものは、救世への気味で
 ある。時に世は戦国時代、封建領主間の対立抗争は激化し、戦乱があいついで起こっていた。国と国とが
 戦争を起こしたばかりでなく、卿大夫間にもたえず紛争が起きていた。

  戦争で苦しひのは、きまって民衆である。かれらは、兵役にかり出され、略奪にあい、家や田畑を焼か
 れ、一家離散の憂き目にあった。墨子の「兼愛」思想は、こういう民衆の苦しみのなかからうまれたもの
 である。キリストが、貧しい圧迫されたナザレの大工の子であったように、墨子もまた悲惨に耐えてきた
 工匠の子であった。
  したがって、墨子のいう「兼愛」は、慈善や博愛とは、まったくおもむきを異にする。かれは、現実を
 美化しようとするのではない。「兼愛」によってのみ「万民の大利」がはかれるという、広い意味での実
 利主義から発しているのである。
 「兼愛交利」――人類が平等に愛し合い、お互いの利益のために尽くすという思想はまた、「汝の敵を愛
 せよ」というキリストの教え、また、[かれはわれのうちにあり、われはかれのうちにあり」とする
古代
 インドの宗教と、一脈通じるものがある。「別は非なり」と、墨子は喝破したが、キリストが人みな平等
 の"神の国"を説いたように、墨子もまた身分差のない「兼」の社会を夢みたのである。

【ミッドナイトのカーヴァー】

 

    隣 家

    その女はパイでもいかがと僕らを家に招いて御亭主の

    話を始めた。昔は御亭主もこの家に一緒に

    住んでいたのだけれど、車にのせられて療善所に運ばれた。主人ったら

    この立派な樫村の天井に

    ちゃちな断熱材を貼ろうとしたんですよ、と女は言う。それが

    何かが変だという最初の徴候でしてね、そのあとすぐ

    卒中の発作でしょう。今じゃ植物人間。まあそれはそれとして

    次は息子。猟場番人がうちの息子の耳に

    ピストルの銃身つっこんで、

    撃ち金を起こしたんです。でも息子はそんな間違ったことなんか

    しちゃいませんし、猟場番人はあの子にとっちゃ叔父にあたるんですよ

    ひどい話じゃありませんか?

    そんなわけでみんな仲たがい。誰も彼も

    順に血がのぼってしまい、昨今はろくに

    口もきかないという有り様。この大きな骨は

    息子が河口で拾ってきたものです。

    人間の骨でしょうかね? 腕の骨とか

    その類いのものかしら? 彼女はその骨を窓のところに戻す。

    花を盛った鉢のとなりに。

    娘は一日じゆう部屋に閉じこもって

    自分の自殺未遂についての詩を書きつづけています。

    そんなわけで娘をお目にかけられませんの。あの子

    もう誰にも会おうとしやしません。書いた詩をびりびり破いて

    また頭から書き直しているんです。でもそのうち

    ちゃんと書き上げるかもしれませんね。ねえ、信じられますか、

    車が魚釣りするなんて? おとなりの庭に

    放り出してあるまるで霊柩車みたいな

                                                          Next door

 

【ナショナルトレッキング構想: レッキング力の5箇条】

  1. 自分の体力、技術、経験を過信せす、計画段階から念入りな努力をする。 機会かあれ.ほとりあえ
    ず出かける、というのも間違って
    はいない。だが、それは安全度が高い山だけにすべきだ。あまりな
    じみのない山ならば事前調査怠らず、いざというときに自分の力で対処できるという自信と充分な情
    報を持ってから、トレッキングに向かうように心がける。歩く山に関する地名などは、スラスラ出て
    くるように覚えよう。実際に歩いているときにトレッカー同士で正確な情報交換かできるようになり、
    危険情報も速やかに頭に入る。
  2. だが、ほんのちょっとたけ、「冒険」もしてみる。自分の実力とりも著しく離れた山を選ふと、もし
    ものときには即、遭難の恐れかある。さすがにそれは避けるべきだか、気楽なトレッキングばかり続
    けていると、上達の速度が遅くなる。今まで山小屋泊まりだった人は、同じ場所でテント泊に挑戦し
    てみるのもいい。たとえ豪雨にあったとしても、そのときは小屋泊まりにチェンジすればいいのだ
    から、安全な冒険だろう。
  3. てきるたけ数多く、実際に山へと向かう。毎回念入りな計画を立てるのは大変だが、「回数」をこな
    すことによって、自分好みのトレッキングスタイルが見えてくる。標高が高い岩山が面自いと思って
    いたのに何かの拍子に緑が深い低山が好きになってしまうこともあるだろう。また人間の体には筋力
    や歩幅に差があり、疲労度の少ない歩き方を覚えるには、慣れた人の真似をしても自分には合わない
    場合も多い。自分にとってラクな歩きの「型」を見つける最短距離は、とにかくたくさん歩いてみる
    ことに尽きるのだ。
  4. 自分のトレッキング道具の便い方を、しっかり覚える。どんなに優れた道具でも、使い方を間遺えて
    いては、充分な機能を発揮しない。例えば、最近ではトレッキングポールを持つ人が増えたが、正し
    い使い方をしている人は、半分にも満たない。バックバックのフィッティングもキチンとしていない
    と、体が痛むばかりだ。説明書を読み、あ
    とは経験を積みなから、効果的な使用法をマスターしよう。
    道具に慣れれば慣れるだけ、トレッキングはラクになる。
  5. グルーフ行動でも、「ひとりで歩いている」とイメージし、状況を考えてみる。 集団でいると、判
    断を誰かに任せがちになる。もちろん集団行動ではリーダーの決定に従うべきだが、「自分ならばど
    うするか」を常に意識しておくと、トラブルか起きたときや、いつかひとりで山に入るときのイメー
    ジトレーニングになり、安全に対する判断力か増す。また周囲のトレッカーの行勣にも注意しよう。
    見習うべき人には教えを請いたいが、反面教師も多いはずだ。

 

パラモーターも楽しもう。

ナショナルトレッキング構想のなかには、野外料理やテント野営で天才観察やご来光を拝む楽しみなど、ハ
イク&フ
ライだけでなくキャンピングも楽しい。文学に造詣の深いトレッカーなら、休憩中に宮沢賢治の「
春と修羅」の詩を朗読し、仲間に披露するのも、あるいは、仲間とマスゲームに興じるもの楽しい。、

    わたくしといふ現象は
    仮定された有機交流電燈の
    ひとつの青い照明です
    (あらゆる透明な幽霊の複合体)
    風景やみんなといつしよに
    せはしくせはしく明滅しながら
    いかにもたしかにともりつづける
    因果交流電燈の
    ひとつの青い照明です
    (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

         ―― 中略 ――

    おそらくこれから二千年もたつたころは
    それ相当のちがつた地質学が流用され
    相当した証拠もまた次次過去から現出し
    みんなは二千年ぐらゐ前には
    青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
    新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
    きらびやかな氷窒素のあたりから
    すてきな化石を発掘したり
    あるいは白堊紀砂岩の層面に
    透明な人類の巨大な足跡を
    発見するかもしれません

    すべてこれらの命題は
    心象や時間それ自身の性質として
    第四次延長のなかで主張されます

                                 宮沢賢治 『春と修羅』    

      

 

【量子ドット電子革命 Ⅳ:癌治療に展開する量子ドット】

がんは、全年齢の人に影響し得るクラスの疾患で。患者におけるがんを処置・診断療法に、体内でのナノキ
ャリアの標的化送達が、薬物送達技法・画像診断技法の潜在的な新しい手法として話題となっている。残念
ながら、がんを有効に処置・診断できるナノキャリアベース生成物を作製には障害が依然と存在し、がんを
処置・診断し、患者の個別化ケア促進方法の提供できる新しい標的化送達法が必要とされている。


この標的化送達用組成物(targeted delivery composition)に被験体におけるがん状態などの疾患状態の処置・
診断の使用方法を提供が提案されている。下図の発明では、この標的化送達用組成物が、治療剤、診断剤、
これらの組合せを含むナノキャリア、および式:A-[(EG)(P)]n-Tを有するコンジュゲートを
含み、ナノキャリアおよびコンジュゲートが記載されている。この標的化送達用組成物は、式:(DT)-
[(EG)(P)]m-Tを有するコンジュゲートを含み詳細に記載している。

この標的化送達用組成物と組成物の作製・使用法は、薬物送達・画像診断分野――例えば、標的化送達用組
成物は、別々の数のモノマーの合成できる連結基を含み、特定の長さ・化学的特性をもつよう調整でき、こ
の完全にカスタマイズ化されたモノマーで、1つのタイプのみのモノマーや任意の順序で複数のタイプのモ
ノマーに調製可能だ。この連結基は、単純な自動合成を固相支持体上で合成もできき、連結基に加え標的化
送達用組成物が、通常の投与量で投与された場合に、他の点で患者に毒性となり得る作用物質をより低い用
量で利用することで疾患をより有効に処置――に使用できる。

   特開2016-026205

開示されている、ナノキャリアを含む標的化送達用組成物――(a)治療剤もしくは診断剤またはこれらの
組合せを含むナノキャリアと、(b)式:A-[(EG)(P)]-Tを有するコンジュゲートであって、
式中、Aは、上記コンジュゲートを上記ナノキャリアに結合させるための結合成分であり、[(EG)(P)
は連結基であり(式中、下付き文字のnは、1~約40の整数であり、各EGは、トリエチレングリコ
ール、テトラエチレングリコール、ペンタエチレングリコール、ヘキサエチレングリコール、ヘプタエチレ
ングリコール、およびオクタエチレングリコールからなる群から独立して選択され、Pは、ホスフェートお
よびチオホスフェートからなる群から独立して選択される)、および、Tはターゲティング剤であるコンジ
ュゲートとを含む――のナノキャリア特性は、例えば、サイズは、上記ナノキャリアのタイプ・用途・技術
分野で一般に周知の他の要因に依存。適当な粒子は、球体、スフェロイド、平型、板形状、管、立方体、

平行六面体、長円形、楕円、円柱、円錐体、角錐とすることができる。適当なナノキャリアは、約1nm~
約千nm、約10nm~約2百nm、および約 50nm~約150nmの最大寸法(例えば、直径)のサイズの範
囲と規定する。

さらに、
ナノキャリアには様々な材料で作製でき、脂質、ポリマー、シリカ、金、酸化鉄などの金属材料な
どを含め、1つの物質または様々な物質の任意の組合せを含み、リポソーム、ミセル、リポタンパク質、脂
質被覆バブル、ブロックコポリマーミセル、ポリマーソーム、ニオソーム、酸化鉄粒子、金粒子、シリカ粒
子、デンドリマー、または量子ドット――セレン化カドミウム、硫化カドミウム、ヒ化インジウム、リン化
インジウムなどを含めた半導体材料などのを挙げることができるとしている。

さすが、カドニウムやインジウムなどと聞けば退いてしまうところがあるが用法・用量次第ということで体
を正すことに。以上、医療分野にも量子ドットの適用新規考案を参考掲載した。

 

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冬の伊吹うどん我が家風

2016年03月20日 | 創作料理

 

 

 

 

             力ある者は疾(と)くもって人を助け、財ある者は勉めて
             もって人に分ち、道ある者は勧めてもって人に教う。      
                              
                              
  墨子 『尚賢』

                                                                                                                                                  

      ※ 単に"人材を尊べ"という徳目ではない。能力よりも縁故や情実がものをいう社会を、墨子
               は痛憤する。それは人々を無気力にし発展を阻止するものだ。能力あるものを正当に評価
               せよ、身分や感情で差別するな、と。ここにおいて、無差別を説く「兼愛」と、能力主義
               を説く「尚賢」とは表裏一体をなすのである。
 


        尚賢 - 人の能力を正当に評価せよ 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話 

《解説》「尚賢」は字義どおりに解釈すれば、賢人をとうとぶことである。だが、かれのいわんとするとこ
ろは、しかく単純ではない。かれはいう。「官に常貴なく、民に終賤なし」(尚賢・上)――貴族がいつま
でも貴族であっていいはずはなく、人民がいつまでも卑賤であっていいはずもない。上のものが、いつまで
も上にいられると思うな。政治を、無能な貴族の手から解放せよ。当時、世襲的な貴族政治は、人々を窒息
させようとしていた。どんな才能があっても、低い身分に生まれた者に、門はかたく閉ざされていた。墨子
は、かれらの声を代弁した。したがって、「尚賢」は不平等と差別に対して平等無差別を主するものであり、
「兼愛」に通ずる。この停滞した社会の危機を救うものは「尚賢」であり、権力争奪の惨禍を救うものは「
兼愛」である、というのだ。なお、「尚賢」は上・中・下とあり、ほぼ同じ論旨だが、ここには最も整って
いる下編を訳出した。 

 

【ミッドナイトのレイモンド・カーヴァー】


   父さんの財布

   自分の死について考えるようになるずっと前から、

   死んだら両親のとなりに埋めてくれよと

   父さんは言っていた。両親の死んだことが父さんには

   とても辛かったのだ。

   父さんは何度も繰り返して言っていたから

   母さんも僕も

   そのことはよく覚えていた。しかし

   最後の息が肺を出て、命のしるしがまさに失せんとするとき

   父さんは自分がそこに収まりたいと切望していた場所から

   五百十二マイルも離れた町にいた。

   そういうのが僕の父さん。死んでからも

   落ち着きのない男。死んでからもまだもういっぺん

   旅行するつもりなんだものな。

   生まれついての放浪好きで、やれやれ

   この期に及んでまだどこかに行こうとしている。

   大丈夫です。おまかせ下さいと

   葬儀屋は言う。ほの暗い光が

   窓から射してほこりっぽい床に落ち

   僕らはそこでじっと待っていた。その午後。

   やがて男が裏手の部屋から出てきて

   ゴム手袋を手から剥がした。

   彼の体には防腐剤の臭いがついている。

   大きな方でしたなあ、と葬儀屋は言った。

   それから彼はこういう小さな町に住むっていいもんですよと

   僕らに話し始める。

   この男さっき父さんの血管を切開してきたばかりなのだ。

   どれくらいお金かかるんでしょう? と僕は訊ねる。

   男はメモ帳と鉛筆を取り出して

   書き始める。まずは処置費。

   次に遺体の移送費があって、これが

   1マイルにつき25二セント。

   私は往復せにゃならんから

   その料金。それに加えて食事が、ええと、6回

   モーテルに二泊。まだ計算はつづく。

   時間料金と手間賃が210ドル追加。

   しめてこれだけですな。

   彼は値切られることを覚悟していた。

   計算を終えて顔を上げると

   両方の頬にひとつずつ小さな

   赤みがさしていた。ほの暗い光が

   ほこりっぽい床の同じほの暗い場所に

   射していた。わかりましたというように

   母さんはうなずいた。でも母さんには相手の言うことなんて

   一言もわかっちゃいない。

   父さんと二人で家を出たときから

   何かどうなっているのか全然

   わかっちゃいないのだ。わかっているのは

   何はともあれお金がかかるらしいってことだけ。

   母さんはハンドバッグから父さんの財布を

   取り出す。その午後

   小さな部屋の中に僕らが三人。

   息づかいまで聞こえる。

   僕らはしばしその財布を見つめる。

   誰も何も言わない。

   その財布からは生命の温もりがすっかり消えうせていた。

   古くて、ほころびて、汚れていた。

   でもそれは父さんの財布だった。母さんはそれを開けて

   中をのぞき、金をひとつかみ取り出す。

   このとんでもない最後の旅行のために消えるさだめの

   その金を。


                                   My dad's wallet



    Long before he thought of his own death,
    my dad said he wanted to lie close
    to his parents. He missed them so
    after they went away.
    He said this enough that my mother remembered,
    and I remembered. But when the breath
    left his lungs and all signs of life
    had faded, he found himself in a town
    512 miles away from where he wanted most to be.

    My dad, though. He was restless
    even in death. Even in death
    he had this one last trip to take.
    All his life he liked to wander,
    and now he had one more place to get to.

    The undertaker said he'd arrange it,
    not to worry. Some poor light
    from the window fell on the dusty floor
    where we waited that afternoon
    until the man came out of the back room
    and peeled off his rubber gloves.
    He carried the smell of formaldehyde with him.
    He was a big man, this undertaker said.
    Then began to tell us why
    he liked living in his small town.
    This man who'd just opened my dad's veins.
    How much is it going to cost? I said.

    He took out his pad and pen and began
    to write. First, the preparation chares.
    Then he figured the transportation
    of the remains at 22 cents a mile.
    But this was a round-trip for the undertaker,
    don't forget. Plus, say, six meals
    and two nights in a motel. He figured
    some more. Add a surcharge of
    $210 for his time and trouble,
    and there you have it.

    He thought we might argue.
    There was a spot of color on
    each of his cheeks as he looked up
    from his figures. The same poor light
    fell in the same poor place on
    the dusty floor. My mother nodded
    as if she understood. But she
    hadn't understood a word of it.
    None of it had made any sense to her,
    beginning with the time she left home
    with my dad. She only knew
    that whatever was happening
    was going to take money.
    She reached into her purse and brought up
    my dad's wallet. The three of us
    in that little room that afternoon.
    Our breath coming and going.

    We stared at the wallet for a minute.
    Nobody said anything.
    All the life had gone out of that wallet.
    It was old and rent and soiled.
    But it was my dad's wallet. And she opened
    it and looked inside. Drew out
    a handful of money that would go
    toward this last, most astounding, trip.

 

 Hike & Fly Monte Cimone




【創作レシピ: 冬の伊吹うどん我が家風】

ご近所の方から頂いた大根が余っているというので、それじゃお昼は雪見うどんにしてはと逆提案する。と
ころで、ここで
言う”雪見”は、大根おろしをさすが、山芋(長芋)、チーズ、玉子とじなどの白いものを
総称して世間ではそう言うらしいが、そのまま「大根のおろし」とか「大根おろし」とも呼んでいる。また、
うどんは乾麺も生麺があり、それをゆで、そのままだしに入れるか、夏場などは冷水や氷で冷やし、水切り
スープ(だし)なしで「ぶっかけ」のようにして頂いたりする二通りある。おろした大根を堅め(加減は好
みで)、だしあり、だしないのうどんに乗せる。この場合、大根おろし単品でトッピングするか、あるいは
なめこ、納豆、たまご、山芋などを合わせ和えたりした上で、さらに、七味、一味、花鰹、梅干し、醤油、
わさび、ショウガ、昆布茶、柑橘類の絞り汁などを振りかけるがそのバイオレーションは様々である。今日
の彼女のレシピは、うどん玉と市販の本だし顆粒でスープをつくり、ネギ、竹輪を具材として一味(唐辛子)
を振りかけたものをつくる。冬場は暖かいスープをすすり飲めば身体がホカホカになる。

ところで、おろした大根の水気をうどん鉢のうえでよく切って盛らないとスープに解け風味、食感を喪失し
てしまうと彼女は言う。それじゃ、うどんにスープを注ぎ入れたら、片栗(くず)粉を水で溶きショウなど
の具材を香り付けに加え加熱し、玉子綴じの様に餡にしてうどんに掛け、その上にたっぷりとおろし大根を
のせれば、餡が絡み冷めにくく、食感や風味が生かされより美味しくなるのではと提案する。メニューのネ
イミングは「冬の伊吹うどん我が家風」として、夏場は「ぶっかけ」として「夏の伊吹うどん我が家風」と
してはどうかと手応え感がやってきたという話である。
 

 

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ハイク&フライ

2016年03月19日 | びわこ環境

 

 

 

 

       少なきを殺さざるを義として而も衆(おお)きを殺すは類を知ると謂(い)うべからず。

                                     墨子 『公輸』

                                                                                                                                                  

      ※ おそるべき新兵器が発明された。これを使って戦争の準備がすすめられている。この噂を耳
        にした墨子は、発明者のもとにかけつける。技術者であり思想家である墨子は、科学技術が
        何に奉仕すべきということに無関心ではいられなかった。
      



      公輸 - 墨子と戦争技術者

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話 

《解説》墨子の生涯や行動を示す記録は論敵によって抹殺され、今日ほとんど伝わっていない。この編は、墨
子の足跡と人間像を知る数少ない手掛かりのひとつである。墨子はたんなる観念的な平和論者ではなかった。
弱小国を侵略の危険から守るためには、身を挺して行動に立ち上がる”行動家”であった。公輸盤との問答、
楚王との問答を通して、墨子の真面目は遺憾なく発揮されている。この一編は墨子の人間像を浮彫りにすると
ともに、”科学技術の役割”という今日的な問題を
なげかける。公輸盤も墨子も、ともに当時第一級の技術者、
しかも武器の設計に長じていた。二
人のちがい――それは本編にみられるとおりである。

ちなみに、春秋時代には、戦争の規模はそれほど大きくはなかった。動員される兵力はせいぜい二、三万であ
った。戦車で整然たる密集隊形を組んで交戦し、一日、二日で勝負のケリがついた。
ところが墨子の生きた戦
国時代になると、戦争の方式は一変した。動ほされる兵力は十万単位に
なり、秦と趙との間で戦われた長平の
戦いでは百万近い大軍が動員された。戦争規程を拡大させ
た要因のひとつとして、武器の発達をあげることが
できる。春秋時代の武闘は、戈、矛、剣、弓、
矢などが主で、銅製品であったが、戦国時代にかけて冶金術が
発達し、これらの武器は鉄製のも
のに変り、破壊力がいちじるしく増大。新型兵器として、射ることのできる
弩機が
発明されたほか、この編にもみられるように雲梯や、「鉛拒」といわれる舟戦の兵器が登場した。

密集隊形で戦う戦闘形式は、これら新兵器の登場で不利となり、歩兵を主力とする野戦・包囲戦が支配的とな
った。そのため戦争の性格も持久戦、長期戦の様相を呈するようになった。大量の
兵員を必要とするようにな
ったため、各国は徴兵制度を布いて、兵力の増強にっとめた。泰代に
なって確立された「郡県」制度のねらい
は、ひとつにはこの徴兵義務をスムーズに行なうためで
あった。この徴兵制度の制定で多くの農民が戦争にか
りたてられた。
こういう大規模な戦争は、ばく大な軍事上の支出をともなうから、当然、国家の財政負担を増大させる。
そして、その負担は、民衆にしわ寄せられた。春秋から戦国にかけて、大規模な農民暴動かいくつか超ぎているが、こ
れは農民に対する苛酷な政令を示すものてある。墨子の「非攻」論は、こういう背景のもとに生まれた。

 

【ナショナルトレッキング構想:パラグライダーの話】



もとは、パラグラーダーは欧州の登山家の下山用の道具として生まれた。彼らは登頂したの後、パラシュート
で一気に下山できればどんなに楽かと考えた。10年前、レッドブルが欧州のアルプスを八百キロメートル以
上をトレッキングとフライトの両方を楽しむスタイルが受け入れられていく。このために小型で超軽量のパラ
グライダーや装備が次々と開発され今日に至る。

ハラゲライダー競技の原点は、ハンググライグー同様、スピードを競うレースにある。あらかじめ設定された
ルートをいかに速くゴールするかを競う。かっては、チエックポイントをカメラで撮影して通過証明したが、
現在は、GPSを駆使してチエックボイントを通過し、そのデータをパソコンに取り込んで、ルート証明する
ハイテケのレースに変化している。競技は、草大会から国内のリーグ戦、日本選手権、アジア選手権や欧州選
手権、さらに、ワールドカッフーシリーズとチャレンジできる部隊は揃りている。また、レースの他に、高度
なワザを競うアクロバット競技、ミリ単位で着地精度を競うアキュラシー競技、トレッキング+フライトで競
うハイク&フライ競技もあり、好みに合わせてチャレンジできるので、バラグライターを始めたからには、ス
キルを上げコンベにも参戦してみよう。

また、冬を迎えると、スキーやスノボーと同じように、欧州では国際的なスピード・ライディングの競技大会
が開催されている。いかに、速く華麗に下山するか?競技中は、少しでも抵抗を減らすよう、地表に接地しな
いで、浮遊、ある
いはフライトしてスヒードを競うというもの。ウインタースホーツの世界では、かつてのス
ノーボードのように、イン
ハクトかおる新しいスボーツのが生まれた。スヒード・ライディンクは、下山する
ために
開発される。とかく強い風が吹く山頂では、通常のハラグライグーては風にあおられ、フライトか難し
いか、さな翼なら
強い風の中でもフライトがスムーズに行く。なにより登山する際にコンパクトになるとい
うのが利点。パラグライダーほど揚力はないがないので高く遠くには飛べないが、スピーディにに滑走する競
技である。ここは熟っくりと計画的に習得していこう。

 

 

【ミッドナイトのレイモンド・カーヴァー】

 

    散 歩


   鉄道線路の上を散歩した。

   線路に沿ってしばらく歩いて、

   郊外の墓地のところで下におりだ。

   そこでは一人の男が二人の女房に挟まれて

   眠っていた。エミリー・ヴァソ・デア・ジー、

   忠実なる妻にして母親、

   ぱジョソ・ヴァソ・デア・ジーの右側に、

   そして二人目のヴァソ・デア・ジー夫人である、

      やはり忠実なる妻のメアリは

        その左側にいる。

        最初にエミリーが亡くなり、次にメアリ、

        それから数年後に、そのじいさんも亡くなった。

      これらの婚姻から11人の子供たちが生まれた。

   彼らもまたみんな既に死んでしまったことだろう。

   ここは静かな場所だ。散歩を一休みして

   腰をおろし、近づいてくる自分の死に

   備えるには恰好の場所だ。

   でも僕にはわからない。ほんとうにわからない。

   それが僕の人生であれ、誰の人生であれ、

   僕がこの素晴らしい、苦労の多い人生について知っていることといえば、

   僕はほどなく立ちあがり、

   死んだ人々にすみかを提供しているこの驚くべき場所を

   あとにするであろうということだけだ。この墓場を。

   そして行ってしまう。まずレールの片側の上を歩き、

   次にもう一方の上を歩いて。





                                   A Walk


   I took a walk on the railroad track.
   Followed that for a while
   and got off at the country graveyard
   where a man sleeps between
   two wives. Emily van der Zee,
   Loving Wife and Mother,
   is at John van der Zee's right.
   Mary, the second Mrs. van der Zee
   also a loving wife, to his left.
   First Emily went, then Mary.
   After a few years, the old fellow himself.
   Eleven children came from these unions.
   And they, too, would all have to be dead now.
   This is a quiet place. As good a place as any
   to break my walk, sit, and provide against
   my own death, which comes on.
   But I don't understand, and I don't understand.
   All I know about this fine, sweaty life,
   my own or anyone else's,
   is that in a little while I'll rise up
   and leave this astonishing place
   that gives shelter to dead people. This graveyard.
   And go. Walking first on one rail
   and then the other.


明日は春分の日。法要の混雑を避け墓参り、キャッスルロードで鰊そば(彼女は八割り蕎麦、といなりをいた
だき「結和」で、ほうじ茶ラテを飲む。桜の蕾はまだ堅い。帰って作業をしていると
気がつけば夕食どき。時
の流れが余りにも早すぎると感じる。急がないと間に合わない。「腰をおろし、近づいてくる自分の死に/
えるには恰好の場所だ。」の件がベタにして、
心象が凝縮する。

 

 

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トランプ旋風とは何か

2016年03月18日 | 時事書評

 

 

 

 

 

         仁者の天下のために度るや、その目の美とするところ、耳の楽しむところ、口の甘しとする
      ところ、身体の安しとするところのためにあらず。


                                        墨子 『非楽』

                                                               

      ※  ここにいう音楽は、現代の音楽とは、かなり趣の異なるものである。君主にとっては政治
        に直結する大きな行事であり、知識人には不可欠の教養であった。今日のゴルフの比では
        ない。儒家は、社会秩序を保つ手段として、礼と並んで楽を重んじた。
        墨子は、これに真向から反対する。どこからみても、天下万民のためにはならないという
        のだ。唐突な感じがしないが当時の生産力・経済構造を考えれば、支配者の浪費紊乱は庶
        民への抑圧に直結したのに違いない。


      非楽 - 音楽の害悪

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話

《解説》儒家と墨家とでは、ものの見方が根本的にくいちがっている。「孔席煖むるに暇あらず、墨突黔(く
ろ)ひに暇あらず」(『淮南子』)ということばがあるように、両者とも、時代の弊を救うために活動した点
では、確かに共通しているが、自分の行為に対して下した判断は同じではなかった。儒家は、「君子の仕うる
や、その義を行なうなり、道の行なわれざるは、すでにこれを知る」(『論語』)という、いわば道義的な立
場から政治に参与しようとしたから、結果には無関心であったが、墨子は国家を利し人民を利さない行為は、
すべて有害であると考えた。「非楽編」には、墨子の実利を重んじた態度が典型的に表われている。

一方、儒家は音楽をどのようにみなしたか。『礼記』の楽記編には次のようにいわれている。「楽は天地の和
(調和)な
り、礼は天地の序(秩序)なり。和なる故に百物化(感化)し、序なる故に群物皆別あり。楽は天
に由りて作り、礼は地をもって制す。過ちて制すれば乱れ、過ちて
作れば暴う。天地に明らかにして然る後に
よく礼楽を興すなり」。
 儒家にとっては、音楽は人情の自然であり、人を調和させるものであって、社会秩
序をととの
える重要な手段であるとみなされたのである・・・・・・のちに荀子は、墨子の反文化主義を指し
て、「墨子は実用性を重視するあまり、装飾性を忘れた」と批判したが、儒家の装飾性こそ、当時の社会では
人民を苦しめるガンである、と墨子は考えたのである。

                                                           


 

 【トランプ旋風とは何か】

この御仁父親がニューヨーク市の不動産開発会社の(エリダベス・トランプ・アンド・ソンの御曹司で71年
には譲り受けた社名をトランプ・オーガネイションに変更。移民に反対するポピュリズムで保守反動な主張は、
共和党方針相反、労働者階層有権者の支持を得る。わたしの見立てでは、米国の「住宅資本主義×英米流金融
主義
」の潮流の尻馬に乗りのし上がった独り善がりな傲慢な成金として映る。このような人物が大統領候補と

して話題になるのはある意味時代の寵児、鬼子―喩えとしてのイスラム過激派とメダルの裏表――なのかもし
れない(『傲慢な未体験物体?』2016.02.24)。とコメントしたことがあるが、そもこのような人物を輩出する
米国の選挙制度とはいかなるものかと、普段からまともに考えてこなかっが、図書館へ借りた本を返却したと
きに、渡辺將人著『現代アメリカ選挙の変貌』(名古屋大学出版会)と半田正夫著『著作権法概説』(法学書
院)と併せて借りてくる。

米国政治は選挙で動く。コンサルタント主導のメディア戦略では手の届かなかった多様な人々をいかにして摑
んでいくか。オンライン技術とともに新たな潮流が展開する選挙民対策の現場から、デモクラシーの進展と分
裂の可能性をともに孕んだアメリカ選挙の現在を浮彫りにするとあるように、現代アメリカの選挙における「
アウトリーチ」という選挙民対策と集票戦略の現場の詳細を事例研究によって明らかにするとともに、選挙に
おける政党のあり方と、そこにおけるアウトリーチ戦略の位置づけをマクロ的に把握し、デモクラシーの進展
と分裂の契機をともにはらんだこの戦略の意義を検討するものである。アウトリーチ戦略に注目することで、
アメリカのデモクラシーの姿を立体的に描く試みである。その手がかりとして(1)議員と政党の関係、(2)
投票と政治参加から分析を行う同著「はじめに」より。

● 外部の影響に無防備な米国政党

米国連邦議員の議会事務所の一週間は月曜早朝の会議で始まる。オフィスマネージャー(スケジューラー)
議員の「今週のスケジュール」(月曜早朝に配付されるスケジュールは議員の動きを分刻みで詳細にまとめ

もの)を全スタッフに配付。前週末までの時点で議員の予定は出尽くしており、これ以後のアポイントメン

は原則受けつけず――金曜夕方から月曜昼まで選挙区活動で地元に戻っている議員本人は、月曜朝の会議に

席しない――首席補佐官がスタッフ一人のスケジュール提案に反論を試みる形式で会議は進め、「なぜその

聴会に議員を出席させる必要があるのか」「なぜその新聞社のインタビューを受ける必要があるのか」と。

要なのはプライオリティ(優先順位)の再確認で、その判断基準となるのは選挙区の利益である。


選挙と議会活動は一体化しており、立法もその他の活動もすべて選挙から逆算される。事務所は定期的に選挙
区向けのアンケート調査を行う。その項目は経済から外交まで多岐にわたる。とくに興味のある政策争点とし
て印が付けられていれば、その項目のより詳しい立法状況を別途送付するサービスを行っている事務所もある。
また、選挙民の意見書への返事書きも、ジュニアレベルのスタッフが選挙区の関心争点を学ぶ上で大切な作業
である。

これを看て日本や欧州の政党像を米国の政党にあてはめるのは、大きな誤解を生むからだ。実際には現代民主・
共和の二大政党は、日本や欧州の政党の多くと比べてはるかに脆弱な存在なのである。米国の政党に党首や党
本部が存在せず、党議拘束もなく、規律もきわめて弱いことにもそれは表れる。大統領領や政党の全国委員会
は長は党首ではないし、全国委員会は大統領選挙のための支援組織であって党本部ではない。なにより日本の
政党との最も大きな違いは、候補者の指名機能を持っていないことだ。政党の執行部が公認候補者から比例名
簿の順位まで決める日本の慣習からすると、とても信じられないかもしれないいう。現代の米国では政党の候
補者を予備選挙によって有権者が直接決め、このことの意味の大きさは想像を超えるのだ。つまり、有権者の
支持さえあれば、政党の執行部の方針に反発する候補が当選することがある。

それほどまで、米国の政党は、選挙を通じ外部の影響・浸透に無防備なことにある。議会研究で知られるD・
メイヒュー(?)が唱えるように、政治家の最大の目的が再選であるとすれば、候補者を誰が公認するか、選
挙資源
を誰が用意してくれるかは、議員の行動を大きく影響する。選挙区に背いてまで党に忠誠を示し続ける
ことの意味は少ない。大統領が推進する法案に
賛成しても、それが選挙区の多数が好まない法案であれば、再
選は危うくなるが、他方で選挙区の意向を代弁すれ
ば、それがそのまま再選活動になる。

この議員の行動が日本にも比較的分かりやすい事例として通商問題――環太平洋経済連携協定(TPP)の交
渉に関与していた日本政府の関係者が「与党の大統領が推進する協定に、同じ政党の連
邦議員が反対をしてい
るのはなぜか」「日本や韓国の政府ならば実質国内総生産(GDP)の成長率予測で国民を
説得するが、米国
議員は国民の説得でGDPを持ち出さず、雇用ばかりアピールするのはなぜか」。
端的にいえば、有権者にと
っての通商問題の関心事が雇用の増減に収斂していることに、議員が敏感に反応し
、自分の党の大統領よりも
有権者が大切なであり、そこには国の生い立ち(歴史)――議員の忠誠対象の選挙区は州という単位に収斂さ
れるのは13植民地が同時に独立し、連邦政府は後発的であり、死刑から麻薬についてまで、州境を一歩また
げば法規が異なり、州が個別に軍隊まで持つ連邦議会の議場は、議員は政党名や会派ではなく出身州の代弁者
であり大統領選挙では、ほぼすべての州で採用する勝者総取りのルールでまず州の勝敗者を決めてから、各州
割当の選挙人数の合計を競うが、そこには州の総意をまず決めるという意志が働く。

もうひとつ、米国人にとっての政治参加の概念のいかんである。つまり、米国市民にとっての投票は、数多く
の政治参加の手段の一つに過ぎず唯一ではない。投票行動研究者のJ・ウォンらの研究によれば、主として、
(1)投票、(2)政治献金、(3)政府公職者への接触、(4)コミユニティ活動、(5)抗議活動の5つ
形態があり、これらが合衆国憲法修正第一条で保証された思想信条の表明の手段――企業や富豪の大口献金規
制の困難さ、膨れ上がるコンサルタント産業と選挙資金、感情的な反知性主義の浸透などの温床ではあるが、
聞かれた予備選挙と長期間の選挙キャンペーンは、米国の草の根デモクラシーのダイナミズムの源――なので
ある。下院選挙のように選挙
サイクルが早いことは効果的で、議会活動そのものがキャンペーンになり、有権
者の議会監視と議員への恒常的なアクセスを活発化させる効果があり、日本のような社会の姿勢とは対照的で
ある。



米国で選挙陣営の幹部スタッフが、そのままホワイトハウスや議員事務所で顧問や上級補佐官になれるのは当

選前から自らに賭けて支えてくれた人物であれば安心して相談ができるためだが、より本質的な実務能力に依
存の現れで、有権者同行に精通する選挙プロにこそ、政務の最終判断を任せることにある。これは内政に限ら
ず外交でも、政治的争点になる政策を政策エリートだけで動かすことが困難であり、かなりの程度、内政と

わけ選挙と有権者の影響を受ける。選挙と有権者をめぐる政治過程の研究は、米国外交政策を分析し予測
する
上でも必須の作業だと指摘している。この分析に照らせば”トランプフィーバー”が単なるブームではなく米
国民の選挙モーメントの”正体”であり、その結果として、しばしば、致命的な瑕疵をも生み出してきたのだ
と腑に落とせる。そして、マルチカルチュラリズム――民族・宗教・性差等を巡り多様な価値観が渦巻く現代
世界で、安定したアイデンティティ形成(合意形成)を実現すべく、米国的共和・民主の二大政党制がネット
ワークという新しい媒体とビックデーター解析を加え、現地で獲得した「体験知」とアカデミアな「分析知」
を融合稼働させ、政治的参加を掘り起こす「アウトリーチ戦略」なるパワーが求められていると。今夜のは、
概略このようにまとめることができるであ
ろう。
  
                                            この項了

 

  

 

北陸新幹線の敦賀以西ルートの「米原ルート」実現を目指し、彦根市は10日、市役所正面に懸垂幕を設置。
敦賀から大阪への延伸ルートについては米原ルートのほか、小浜ルート、小浜・京都ルートなどがあがってお
り、与党の検討委員会が5月末までに絞り込む予定。JR西日本が1月26日に小浜・京都ルートを提示し有
力候補になったため、米原ルートを推す滋賀県や県内自治体が危機感を募らせている。市役所に設置された懸
垂幕には
「未来のために『北陸新幹線米原ルート』を実現しよう!」と書かれている。大久保市長は「米原ル
ートにつ
いて継続して検討されるよう、滋賀県などと共に働きかけたい」と話している。なお彦根商工会議所
にも7日
に同様の懸垂幕が設置されている(しが彦根新聞 2016.03.15)。

また、中日新聞(2016.03.17)は、北陸新幹線の敦賀以西ルートをめぐり、JR西日本が提案した小浜-京都
ルートの年内決定を求めた福井県議会の決議に、沿線府県からは賛否の声が上がった。沿線自治体がまとまる
にはまだ時間がかかりそうだと報じ、富山県議会の自民党系の最大会派はこの動きに同調。同党県連の中川忠
昭幹事長が「決断を評価したい。JR西も推している案であり、決議は順当」と支持する考えを示し、反発が
予想されるのは京都府議会の。昨年12月に可決した意見書で、舞鶴市を通るルートを主張。同市選出の池田
正義府議(自民)は「福井県議会とは協力してきた経緯があるのに」と残念がる。「少しの速達性より、山陰
新幹線延伸まで考えれば、国土強靱化を優先させるべきだ」と主張を伝える。

 一方、滋賀県議会は米原ルートを強く推す。米原市に隣接する彦根市選出の西村久子議長(自民)は「(米原
ルートは)譲れんとこやね」と受け止めた。第二会派の中沢啓子県議(チームしが)も「米原ルートが有利で
あることは間違いない。石川など他県で米原を支持しているところもある」と指摘し、主張の正当性を強調す
る。また、昨年10月に米原ルートの実現を求める決議をした石川県議会もくすぶっている。全線開業までに
時間がかかることで北陸と関西、中京圏との交流が途絶えてしまうことへの懸念が背景――実際に、東京-金
沢の開通で、北陸の大学志望者が東京に一極集中し、大阪の大学経営の脅威となりつつあると彦根でも耳にす
る。同新聞社は、自民党県連会長代行の福村章県議は「費用や工期など国土交通省の調査後に検討すべきだ。
その
結果も見ないでの決議は早計では」と疑問を呈していることを伝える。”道を違えば首が飛ぶ”というリ
アリティを込め松井大阪都知事は「一刻も早く、新大阪に新幹線を繋げて欲しい」と要望している。

 

 

 

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春が僕を空にする。

2016年03月17日 | デジタル革命渦論

 

  

 

 
   
      厚葬を計るに、多く賦財を埋むるをなすものなり。久喪を計るに、久しく事に従うを禁ずるものなり。

                                                      墨子 『節葬』

                                                          

      ※ 風俗習慣を変えるのは容易なことではない。ましてそれが体制維持のための
       重要な手口であれば、なおさらのことである。まず社会通念の打破からはじ
              めねばな
らない。なぜ、墨子は葬儀を
筒略にせよと主張するのか。

      ※ 儒家は人間相互の衝突対立を防ぐため礼を重んじた。死者を手厚く葬るのは、
              礼の最高の表現であり、これによって人は精神的調和を保てると主張する。
              だが、礼は本来の目的からはずれたとき、たんに形式を飾るだけのものとな
              る。そこから堕落が生じる。そればかりではない。古代にあっては葬儀を盛
       大にすることは、人民の経済的負担を増大させ、国家を疲弊させる要因とな
       った。節葬の主張は、人民の側に立つ墨子の、為政者とそれに寄生する儒者
       に対する痛切な抗議であった。なお「節葬編」はここに訳出した下締だけが
       現存する。


       節葬 - 『墨子』

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
  

【僕が空になる春】

さだましの「空になる」 ではないが、深田久弥の『日本百名山』の本を携え春山に登りたくなる衝動に
駆られる昨今。その反面、春は生じ、夏は長じ、秋は収じ、冬は蔵(『黄帝内経』)するの季節とあり
加齢のもとでの実感はいままでとは異なるようだ。いずれにしても、腰痛再発のリスクをかかえ体力増
強、いあや正確に言うと体力維持のトレーニングを励行しているのは「わたしだけのトレッキングの楽
しみ」を実現するため。牢獄のごとき八畳のデスクワークから解き放たれることへの渇望と葛藤が渦巻
く。

● トレッキングの事始め

トレッキングに出るとき要点はといっても、勉強そっちのけで、中学生の部活で大阪周辺の山々の岩石
や化石採集を単独でやってきたのでなにも浮かばない。といえば、誤解をうけそうだがそれほど自然体
なのだが、1つに、確実に天気のよいと
きを選び、日帰りで帰宅すること。2つめに途中に山小屋があ
るコースならなおのこと好ましい。3つめは、必要な道具を増やしつつ歩く距離と時間を延ばし、興昧
があれば山小屋泊、テント泊と経験を積む。決して無理をしない(無理かどうかは個人差あるので自分
で判断するしかないが、このノウハウ(個人的技術)の蓄積過程をサバイバル能力とでもいうのだろう。
4つめは、継続は力なりとの言葉通り、続けていれば、山で知り合った仲間も情報も増え、合理的な歩
き方も身につく。5つめは、山岳会に所属したり、山岳ガイドとのツアーや教室に参加するのも上達の
早道となるはず。



ともあれ、山登りが始まり、僕は空になる。今年は、これまでの弾丸登山だけでなく一泊登山(一箇所)
と滋賀の山々のトレッキングコース調査登山を予定している。

   ● 今夜の一曲


『もう来る頃…』は、シンガーソングライターさだまさしが12年6月13日に発表した、ソロ37枚
目、グレープ時代から通算すると41枚目のオリジナル・アルバムであり、デビュー40周年記念アル
バム。前作の後、先にシングルで発売されている曲は無い為、全曲新作のアルバムとなる。「きだまき
しとTake It All JAPAN」(きだまきしとテキトー・ジャパン)名義の『大変なンすからもォ。』と同時
発売。ジャケットは『予感』『Sada City』に引き続き友人のイラストレーター・おぐらひろかずが担当。
オリコンチャート初登場9位となり、前々作『予感』以来2年ぶりにトップ10入り。「空になる」は
NHK BSプレミアム 『にっぽん百名山』テーマソング。

【量子ドット電子革命 Ⅲ:最新画像表示装置技術】

第9回 国際太陽電池展(PV EXPO 2016東京ビッグサイト)では、パナソニックが、世界最高効率の
太陽電池モジュール技術と、住宅の屋根に設置する際に役立つ工法を展示。同社はシリコン系太陽電池
モジュールの世界記録を大幅に更新したとして参考展示。これは、米SunPowerが2月22日に発表した
世界記録――同社の HIT 太陽電池セルを72枚(6セル×12セル)組み合わせた太陽電池モジュール
1平方メートル以上のもの―――を1ポイント上回る。ただし、研究開発品であり生産ラインに投入す
る際には設備改造を必要とする。日本の先端太陽電池技術も、欧米・中国・韓国の猛追を受けるなかで
のパナソニック(旧三洋電機技術継承)も徳俵ひとつで踏ん張っている感がしないでもないが
 ?奮戦し
いる(下図クリック)。

  

さて、今夜紹介する技術は、株式会社ジャパンディスプレイの画像表示装置。半導体ナノ粒子や量子ド
ットと呼ばれるナノスケールの発光材料のディスプレイへの応用が注目されている中。量子ドットは直
径が数ナノメートルの粒径を有する材料で、Ⅱ-Ⅵ族、Ⅲ-Ⅴ族、Ⅳ-Ⅵ族等の元素グループから構成。
このようなナノ粒子は、外部からのエネルギー線(紫外光、青色光)などの照射、また電界を印加する
ことで発光。従来、発光材料の有機エレクトロルミネセンス材料とは異なり、量子ドットは、粒子のサ
イズ変化で発光波長の調節する、発光効率が高いこと、濃度消光がないことなど従来の材料では得られ
ない利点をもつ。具体的には(下図クリック参照)、。

例えば、透明な基板上に、透光性の第1電極と1電極に対向する第2電極、無機半導体マトリックス中
に量子ドットを含む多結晶無機発光層を含む発光素子が公開
されているが、このような多結晶無機発光
は、多結晶無機発光層を量子ドットと半導体マトリックスナノ粒子のコロイド分散液をアニーリング
形成する製法では、膜厚の正確な制御が困難で、量子ドットを用いた発光素子は一対の電極間に電界を
印加して発光させため、一対の電極間に量子ドットを含む発光層を挟んだ構造では、発光層の膜厚のば
らつきにより発光強度が変わる。また、表示装置の画素部の面内であると、量子ドットを含む発光層の
膜厚の不均一性により、発光強度が画素間でばらつき、さらに、第1電極、量子ドットを含む発光層と
第2電極を縦方向に積層したスタック構造の発光素子で構成する高精細パネルに適用すると、隣接画素
に光漏れ(クロストーク)し正確な色表示ができない。

一方、基板上に第1電極層を形成し、その第1電極層上に相分離が可能なブロック共重合体膜からナノ
サイズの複数の貫通ホールを含む量子ドットテンプレート膜を形成し、量子ドットテンプレート膜の貫
通ホール内に有機発光層を含む量子ドット構造を形成する量子ドット有機電界発光素子の製造方法
では、
発光層自体を微小な柱状として集合させた場合、発光素子の製造方法が複雑であり、製造に困難を伴う。

また、これらの2つの第1電極と第2電極との間に量子ドットを挟む構造では、発光層内での発光効率
が高くても、第1電極に光透過することで、吸収や界面での反射損失で光減衰する。


特開2016-001564 画像表示装置


この発明はこのような状況に鑑み、量子ドットを用いたときに生じる発光強度のばらつきを抑制し、画
素領域の面内均一性を向上
させた画像表示装置の提供を目的の一つとし、画素を高精細化した場合でも、
隣接する画素
に光が漏洩しない画像表示装置を提供することを目的の一つとする特許(上図クリック参
照)。また、下図1は、実施形態に係る発光素子108の構成の断面図。

(1)発光素子108は、第1の電極110、第2の電極114、絶縁層112及び発光層120をも
ち、第1の電極110と第2の電極114とは、基板128上に積層される発光層120の一方の面に
設ける。第1の電極110と第2の電極114は絶縁層112を挟み設けられ、発光層120は絶縁層
112の上に、第2の電極114は発光層120で覆うように設け、(2)第1の電極110と第2の
電極114は絶縁層112を挟み積層。幅広に設けられた第1の電極110に対し、第2の電極114
は短冊状または、格子状の形態で、第1の電極110と比較して幅狭に設けらている。

したがって、第1の電極110の面積に対し、第2の電極114が第1の電極110と重なる部分の面
積は相対的に小さいものとなっている。別言すれば、第2の電極114の端部は、第1の電極110上
に配置し設けている。すなわち、第2の電極114は、第1の電極110の端部に至らない内側に、少
なくとも一部の端部が重なるように設けている。尚、この考案に適用される発光素子の構造は図1で示
すものに限らず、例えば、電極構造、絶縁層、発光層について、各種の変形応用した構造にも適用する。

JP 2016-1564 A 2016.1.7

後は、事細かな構造・構成について詳細説明されているがここでは割愛する。このように先回紹介した、
固体撮
像素子、今回のカラー表示装置と量子ドットシリコン系電子デバイスについて考察してみた。こ
のように着実に量子ドット技術が普及していく時代に突入し、激しい開発競合模様を呈してきている。
ここからが正念場。

                                         



 

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最新水路タービン発電工学

2016年03月16日 | 環境工学システム論

 

 

 

    傷ましいかな。言はすなわち湯文を称し、行ないはすなわち狗豨に譬う。傷ましいかな。

                                      墨子 『耕柱』


                                         
                                        

       ※ 狗豨(くき):豚や犬の意。「ああ、気の毒だ。口では、湯王や文王をたたえながら、
        行いは、豚や犬にたとえる。実に気の毒な人たちだ」


      ※  墨子の比喩は、決して気のきいたものではない。かれは都会の才子でなく、自ら汗
                する工人の首領だったのだ。わかりきったことを、わかりきった現象に託して説く。
                そこに墨子の強靭さがある。この編には、弟子だちとの対話が多い(『中国の思想
        Ⅴ  墨子』解説より)。

 

      耕柱 - 『墨子』

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
  

 

【最新水路タービン発電工学:Lucid Energy 社】


 

 
米国オレゴン州のポートランド市で、水道管内の水流を利用した発電が開始された。再生可能エネル
ギーの中でも天候や時刻に左右されず、環境への負荷が無い画期的なクリーンエネルギーとして注目
を集める。このプロジェクトは、ポートランド市内のスタートアップである Lucid Energy 社が市と契
約して実施された。水道管内部のタービンとそれに接続されたジェネレーターとで発電する特許商品
ルシッド・パイプ・パワー・システム(LucidPipe)を設置。14年4月に発電を開始し、15
年3月から
フル稼働。水道管のネットワークの中で圧力に余剰のある場所を選び、水道管の太さや水量、水圧に
応じてタービンを設置するため、水道の本来の働きには影響は出ない。今回設置されたのは直径1メ
ートルほどのタービンが4つ付いた長さおよそ15メートルのパイプで、発電量は1,100MWh/年、得ら
れる収益は契約を結んでいる20年間で合計二百万ドル(226億ドル)に達すると見込む。
 LucidPipe
の寿命は電力購入契約上では
20年としているが、実際にはもっと長<、パイプの外側に付いているジェ
ネレーターのベア
リングに半年に一度注油、5年または10年に一度連結部品交換のメンテナンス励行
すれば、通常の水道の管
と同じくらいの期間使用できる。上水道はもちろん、固形物や腐食性物質を
含まない
下水道にも使用可能で、タービンの掃除が不要。電力購入契約終了後は、発電された電力と
システムを所有する権利を市が得ることになるという(「環境ビジネス2016年春季号)。傾斜地の多
い日本では、位置エネルギーを利用しフレキシブルパイプ水路に発電タービンを内挿設置、入水から
の異物流入を防止しながら末端排水圧と流量を計測し、排出量を自動制御することで、従来の水路式
ダム発電より低圧・分散・中小規模発電として、農業用水路や簡易上水道に実用化が考えられる。ま
た、この場合も蓄電設備、IoTシステム導入などのオプション化も課題になろが、設備償却期間は
機械設備は20年(最短)、埋設配管設備は50年程度。発電機の仕様は改良開発の余地を残してい
る。

 Jan 29th, 2013


【折々のイタリアン・アウトドア・クッキング】



● いぶり鰹のニンニク風味



なんで、鰹のいぶりなんや?!まだまだ寒いし、初夏に備えて準備をするのだというわけで、今夜は
「いぶり
鰹のニンニク風味」。

  1. まず浸け込み液を準備。水、塩.口-リエ、パセリの茎、粒胡椒の入った鍋を3分間沸騰させ
    てから、冷してビニールの袋に入れる。
  2. カツオにこついているヌメリをよく取り、ビニールの浸け込み液の中に入れて約1時間クーラ
    ーに入れ、味をつける熟成(A)。
  3. スモークウッド「こ点火し(B)、燻煙器の中に入れる。よく水気を取ったカツオを燻製器におき、
    いぶす(C)。
  4. フライバンにオリーヴオイルと薄くスライスしたニンこクを同時に入れて、中火でフライバン
    をゆすりながら、カリカリになるように炒める。ニンニクの周りが色づきはじめたう火を消す
    と、余熱でこんがり、バリバリになる(D)。
  5. 皿にカイワレを盛り、切ったカツオを並べ.上から4、をかける。

写真では、ガスコンロの上に燻煙器をおいているが、着火はしない。単なる台として使用。ガスを着
火すると、速燻法になってしまい、カツオの身が、ポソポソになる。いぶすことによって、魚の生臭
さが消え、ニンニクとの相性は抜群。若いワインを会わせる最高(くれぐれも飲酒運転は禁物)。


 

● コウケンテツ風焼きうどん

いつものように「あさイチ」を観ながらルームウォーギングしていると、料理研究家・高賢哲が「檄
ウマ!焼きうどん」を調理している映像がいつもちがった雰囲気。モーニングゲストに女優の壇密が
出演していたのか、テンションが高く調理進行が蛇行していた。観ていてこちらまで、スタジオの「
春の芽生え」?が伝わったうかの様だった。椅子に座りしばらく見入ると、彼の人柄からくるオーラ
ーに巻き込まれ笑いながらも涙がでる。なぜっだろう?アジア民族のDNAのようなものかと不思議
な体験をした。料理の方はというと――コウさんが福岡県で出会った「小倉焼きうどん」に感動して
つくってみたという焼きうどんを教えていただきます。乾麺でつくるのが特徴で、カレー粉やトウバ
ンジャンを使った特製のソースが絶品ですと、紹介されている―――ポイントは茹でうどんを一旦冷
水で湯切り、具材を炒め、先ほどのうどんを加え炒めるがこのときのゆで汁を加えることで、うどん
に具材の旨味成分を吸収させ(コーティングではない)、べたつき感のない仕上げにする。天かすを
入れて旨味を吸わせ繋ぎとしているが、パン粉でもよいのでは?彼女のいない間を見つけて、是非、
チャレンジし試食してもらことに。

 

 ● 今夜一曲

田中彩子 / 「魔笛」夜の女王のアリア レコーディング風景

 

田中 彩子(1984年2月23日 - )は、京都府出身のヨーロッパを中心に活動するウィーン在住のソプラ
ノオペラ歌手。10
代から単身ウィーンにて声楽を学び、22歳で日本史上最年少でスイスの首都ベ
ルン市立劇場にて、ダニエル・インバル指揮のフィガロの結婚で代役なしでのソリストデビューを飾
る。またソリストとしては日本人初、同劇場史上最年少での歌劇場デビューとなる。夜聞くより、朝
に聴き仕事をした方がよいかもしれないが、どうだろう。よければ試してみるか。

 

 

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太陽光地産地消の条件

2016年03月15日 | デジタル革命渦論

 

 

 

     貪に備粟(びぞく)なければ、もって凶饑を待つべからず。
       庫に備兵なければ、義ありといえども、義なきを征する能わず。

                             墨子『七患』

                                

    
 ※ この編では「備えを忘れて宮殿づくりに熱中する」ことを筆頭に七つの誤りを
          あげ、ついで「節約」を強調する。人民に、ではない。節約は上から、でなけ
          ればならぬ。不時に備えよ。と、説く。

      七患 - 『墨子』

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
  

       

 

【太陽光地産地消の条件:ZEH市場の伸長】

新築住宅に関して、エネルギー基本計画(12年)の中で、20年に向けてZEH(ゼロエネルギー
ハウス
)化の方向が打ち出されている。ZEH化の基幹技術である太陽光発電の導入拡大が引き
続き
期待できる。ZEH化のためには、大容量の太陽光発電が必要で、容量拡大の技術開発への注目
も高
まっている10キロワット未満の住宅用市場は、国がゼロエネルギー住宅、省エネ住宅の普及施
策の
推進にあわせ、電力小売自由化も追い風となり、30年まで順調に安定的に増加していく予測する(
『FIT制度改革に先手を打つ! 太陽光自家消費にシフト』環境ビジネス2016年春季号)。


14年度の新設住宅着工戸数は、
880,470戸。持家278,221戸、貸家358,340戸、分譲住宅は236,042戸
(国土交通省総合政策局建設経済統計調査室公表資料)で、このうち太陽電池搭載住宅は5.9%。今
後数年間は、90万戸前後で推移すると予測(野村総研資料より)。住宅分野では、ネットゼロエネル
ハウス(ZEH)の普及がある程度進み、需要側との一体化やHEMS(ホーム エネルギー マネジメン
システム)によるスマート化などが実現され、自由化される電力市場で、グリーン価値意識の高揚など
が進展する。



スマートハウス関連市場は、8,000億円を規模、プレハブ建築協会のレポートでは、新築戸建住宅の太
光発電搭載率は約62%と過半数を超え、工業化住宅においては太陽光発電搭載が主流となっきて
る。今後この傾向は一般住宅へと拡大し新築戸建住宅の太陽光発電設置比率が増加。新築住宅の搭
率が約60%で、微増状態になると推定すると、スマートメーターやHESM/BEMS/FEM
を搭載したスマートハウスの普及拡大すると予想。また、戸建既築も太陽光発電の設置が進み、
建既築も、新築ZEHに呼応するよ
うな省エネルギー政策で一定量の市場が形成され安定状態になる。



既築戸建用太陽光発電市場は、2500万戸といわれる戸建住宅ストックの中から比較的条件(屋根形状、
方位、予算等)の良いものから太陽光発電の設置が進む。市場拡大には製品やサービスの進化の継続
が重要となる。既築住宅の場合は、現存する屋根にモジュールを合わせて設置するため、新築用より
高い応用力が必要とする。古い家屋の耐震性能も考慮すれば、モジュールの軽量化も普及の要素にな
システムとしては、今まで以上に、長期の信頼性と品質保証体制が重要と指摘している。
 


ポストFIT(電力買取制度)期に突入し、太陽光発電システムの導入の動きが鈍るが、電力自由化
の動きなどの中で、自家消費型太陽光発電に注目が集まる。地球温暖化対策や政府のZEH普及対策
なども普及を後押しもあるが、買取価格の低下や系統接続問題の顕在化、大規模発電施設の適地の減
少などの要因から、太陽光発電モジュールの出荷量の減少、15年度第3四半期の国内向け出荷量は
住宅用が前年度に比べ12%減、非住宅用が24%減で、出荷量合計は21%減の176万5000kW(太陽
光発電協会調べ)。ただし、前期に比べると住宅用と500キロワット未満の非住宅用は伸びている。
2月22日に、16年度のFIT買取価格の最終案がまとまり、再生可能エネルギー普及の先導役を
担ってきた非住宅用太陽光発電は27円から24円に引き下げられ、買取価格の算定にかかわるシス
テム費用の想定植は15年度の29万円/kWから大きく25.1万円/kWまで下げられた。システ
ム費用を除く他の土地造成費、接続費用、運転維持費、設備利用率の算定指標はほぼ横ばい。

 

一方、住宅用太陽光発電のシステム費用は15年度の36.4万円/kWから35.3万円/kW、買取
価格も33~35
円から31~33円に引き下げられ、住宅用では設備利用率の指標が12%から
13%へ引き上げられ、余剰売電比率も60%から70%へとアップしている。こうした縮小傾向が
続くなか、自家消費型の発電市場が注目が集まる。
経済産業省によると全国の自治体・事業者による
自家消費型再生可能エネルギー発電設備は1万1431件。うち1MW未満の設備は1万189件で
全体は、年間2GWを超え、市場は順調に成長していくとみている。また、地球温暖化対策の観点か
らも、今後、住宅用太陽光発電の拡充が期待されている。国内の温室効果ガス削減の指針となる「地
球温暖化対策計画」の原案では、家庭や店舗、オフィスが高効率の照明や太陽光発電を利用し、30
年までに4割の排出削減を目指すことが盛り込まれている。
 

すでにプレハブ建築協会のレポートによれば、新築戸建住宅の太陽光発電搭載率は63.2%と過半数
を超えている(13年)。また太陽電池の大手専業メーカーであるソーラーフロンティアでは、既築住
宅と中小ビルダーによる新築住宅に年間約1千万戸(16~18年)の潜在顧客があると想定。太陽光
発電+蓄電池でのシステムコスト30万円/kWを目指しつつ、太陽光発電の実物に触れられる「プロ
ショップ」を全国展開し、潜在需要を掘り起こしていくと予測する。

● 日本と海外における太陽光発電の導入コストの比較

市場拡大に効果をあげたFIT制度だが、様々な課題も浮上し、再エネ電力の調達に関する特別措置
法(再エネ特措法)の改正案が審議される。12年7月から固定価格買取制度が開始され、太陽光発電
市場が成長する。15年10月に発刊した世界の太陽光発電市場を総括する報告書「Trends Report 2015
によると、系統連系形太陽光発電システムの導入コストは継続して低下している。システムの価格低
減幅は、太陽電池モジュール価格の低減幅よりも大きく、システムの導入コストの低減は、主にコン
ーネント以外のコストのソフトコストの低下及び利幅の低下が要因と指摘されている。同レポートで
された14年の導入コスト及び導入直近のコストを比較すると、上表に示すように日本の太陽光発電
システムの導入コストが比較的高額となっている。

日本の場合は、現行制度において、「コストの実績+適正な利潤」により買取価格を算出することが
定められている。しかしこの方式では、買取価格は実態より高くなりがちである。住宅用システムにつ
いては、流通構造の違いが主な要因で海外と比較して高額となっている。大規模発電所については、高
い買取額の案件は導入コストも高額になる傾向があることや、最近の工事コストの上昇などが原因と
してあげられる。国内市場では制約を機会にシステム導入コストの差異は、支援のレベル(例:買取額
のレベル)、導入の方式(入札制度の実施)などの様々な要因で生まれている。

FIT制度から卒業しつつある欧州諸国や、この制度なしで導入が進展している米国やオーストラリ
アの事例をみれ
ば、日本においても太陽光発電システムの導入コストの低減はまだまだ可能である。
単純に考えると「導入コストの低下
=売上の減少」となるわけだが、流通構造、コスト構造の徹底的
な合理化、ビ
ジネス転換、例えば、キロワット・ビジネスからキロワット時ビジネスヘの展開の機会
を狙うこ
とで、ポストFIT時代を乗り切るこす可能性がある。また、系統の制約が顕在化している
諸外国においては、系統の安定化にも寄与できるインパークのスマート化や分散型蓄電池の活用など、
太陽光発電の周辺機器にも新たな機会が訪れつつある。

海外市場への展開

日本の太陽光発電関連企業は、これまで国内市場に焦点が当ててきたが、今後の海外展開を期待した
い。
PV Market Alliance(PVMA)による分析では、15年の世界市場全体の太陽光発電新規導入量
少なくとも51ギガワットである。日本市
場は安定化する方向にあるが、世界市場は、太陽光発電の
競争力の向上に伴い、今後大きく拡大する見込mれている。16年の市場は60ギガワットレベル
なる可能性もある。COP21での地球温暖化に対する新たな法的枠組みに関する歴史的な合意により、
地球温暖化対策は、これまで経済成長を阻害するものではなく、事業機会として認識をされ、再生可能
エネルギーの導入拡大の流れが世界中に広がり加速している。CCP21
に関連する取り組みの中で太
陽光発電の普及が加連される取り組みも始まっている。

先進諸国では、既存エネルギーを代替することを目的に導入が進んできたがた、新興国においては、
電力需要の急増に対応し、化石燃料の使用量を低減するための発電技術として太陽光発電の導入が進
み始めている。新興国における太陽光発電システムによる電力供給システムビジネスは、これからま
すます本格化していくとともの、新興市場には、FIT制度を卒業した欧米諸国の企業や新興国の企
業が競って参入している。こうした市場での競争力を確保したうえで日本の企業が、固定価格買取制
度の下で培ったノウハウを活かして、「太陽光発電システムを利用したエネルギーインフラ」の輸出
に取り組んでいこうとする動きが本格化していくだろう。

 A new spin on community solar

● オールソーラーシステム時代への適応能力     

ここでは、非家庭向け太規模太陽光発電事業とEZHのような家庭向け太陽光発電事業の2つのポス
トFIT時代の太陽光発電の展望が特集されていて、前者の「非家庭向け」は、”キロワット・ビジ
ネスからキロワット時ビジネスヘの展開”が提案されている。この分野では、国策の違いで、原子力
発電一辺倒の日本の企業は大きく欧米・中国の企業より遅れをとる。この差異の現状事例として、米
国のカルフォルニア州の「地域太陽光百パーセント」――今年度の初め、Pacific Gas & Electric(PG&E
が、「Solar Choice(ソーラーチョイス)プログラム」という電気料金プランを開始。購入する電気の
百パーセントを
地元の太陽光発電まかなう。同社は電力で540万軒、ガスで4300万軒の契約数を
持つサービスエリアが、カリフォルニア州の北部と中部地域の地域大手電力会社。これに対し、導入
システムのコストの削減及び保全管理サービス(O&M)の経費節減、効率化と付加価値化などで競
合できること(国内では雇用確保)が自由であるが、導入システムでの技術面では「マイクロインバ
ーター技術」(パネル毎の自動調流-定圧システム)で先行されてしまっている。また、国内のよう
に平野部の少ない国土では山間部の有効[利用や北面パネルの活用するシステム技術(もの情報システ
ム=IoT)あるいは拡散光の電力化という技術的改良が重要になる。

初電量を最大化する「パワーオプティマイザー」日本に上陸

 

  最新ナノグラフェン電子工学

さて、ZEHなどの家庭向き太陽光発電も前者事業とおなじ課題をもつが、定置型パネルでの高変換
効率化――次世代形太陽電池の開発の促進が最優先課題となる。ここでその有力な技術はナノ電子工
学であり、単純に言えば、マイクロとナノの重量・体積で十億分の一の差が生まれ、量子ドット太陽
電池、グラフェン太陽電池(ペブストカイト太陽電池や有機太陽電池は長寿命・堅牢性の課題が最後
まで残る→短期交換市場との棲み分け)。もっとも、量子ドット、グラフェンもまだ評価方法・検査
方法も未確立で、実証実験情報はこれからの分野ではあるが、そこは、『デジタル革命渦論』で早期
実現できると確信する。逆に言えば、『ZEHシステム工学』は日本のお家芸、これれエネルギーフ
リーを実現し、人為的な地球温暖化を制御でき、日本初の『ZEHシステム工学』は世界を席巻する
であろう。そのためならわたし(たち)は努力を惜しまない。

  量子ドットソーラ量産工学前夜

 

 

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