極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ミリ波溢れ話。

2014年06月30日 | デジタル革命渦論

 

 

人体や物体が発する電波「ミリ波」をキャッチし、衣服の中などにある危険物を探知する装置の
実証実験――金属探知機では発見できない液体や粉末の危険物の特定に役立つ、文部科学省の犯
罪・テロ対策技術実用化プロジェクト――が中部国際空港で始まっことが報じられた。この
探知
装置は「ミリ波パッシブイメージング装置」という(下図参照)。高さ約1・2メートルの箱型
の機械の前で5秒ほど静止すると、装置が人体や物体の出すミリ波の違いを読み取り、画像化す
る。海外で実用化されているミリ波照射装置とは異なり、機械からミリ波を出さないため、人体
への影響がない。この
研究は東北大の澤谷邦男名誉教授らのグループとマスプロ電工、中央電子
の3者で実施。中部空港が保安検査場内の一角を実験用に提供する。

 

 特開2013-096811 ミリ波撮像装置 マスプロ電工株式会社 他 

上の提案は、撮像時に被写体2が位置する被写体配置領域を挟んで、撮像装置本体10とは反対側
に後方遮蔽板4を設け、撮像装置本体10の撮像用開口部22の周囲には、後方遮蔽板4と対向する
よう、前方遮蔽板40を設ける。後方遮蔽板4は、電波吸収体にて構成され、空調装置8にて一定
温度(低温)に保持される。また、前方遮蔽板4は、金属板にて構成され、後方遮蔽板4から放
射された熱雑音を被写体2に向けて反射するよう、後方遮蔽板4側板面が内側に湾曲しているこ
とで、被写体から放射されるミリ波帯の熱雑音を受信することにより、被写体を撮像するミリ波
撮像装置において、撮像装置側から被写体に向けて放射される熱雑音の影響を受けることなく、
撮像画像から被写体に隠れた物品を精度よく検出できる構成になっている

   

 

ミリ波と聞けば、NRD((Non-Radiative Dielectric waveguide)ガイドを発明した米山務元東北大学電
気通信研究所教授・現(株)エムメックス代表取締役を思い出すが、ミリ波とは波長1~10mm、周
波数30~300GHzの電磁波で、EHFとも呼ばれ、現在日本では、60GHzの周波数を用いて無線通信に
用いる準備を行っている。また極めて狭い指向性も可能で、車載レーダーや今後空港で導入が進
むとされている衣服の下を透視する全身スキャナー等に用いられている。また長野県にある国立
天文台野辺山宇宙電波観測所などでは宇宙からやってくるミリ波の観測が行われており、星の誕
生やブラックホールの研究で成果があがっている。このように、HDMIやGビットEthernetなど、
家庭にGビット/秒を超える高速インタフェースが登場し、これらを無線化の技術開発が活発化し
その有力候補の一つに「ミリ波」がある。ミリ波通信は,60GHz76GHzといったいわゆる「ミ
リ波帯」を使って無線伝送を行うもので、ここには免許無しで利用できる帯域が,日本や米国で
7GHz幅,欧州では9GHz幅と非常に広く開放されており、広い帯域を使えることから,比較的単
純な変調方式を用いた場合でも,2~3Gビット/秒の高速無線インタフェースを実現できる能力を
秘める。



しかしこれまで、ミリ波を使った家庭向けのアプリケーションはなかなか立ち上がらない背景に「コストの
高さ」があった。高周波の無線技術のため,チップの製造技術に高コストの特殊なプロセスが必要だった
り、特殊な受動部品やパッケージが必要だったりして、送受信回路などの製造コストが高いため、用途が
限定され、その結果量産効果も得られず、製造コストが高いままとなる傾向があったものの、ここにきて、
CMOSプロセスでミリ波用送受信チップが実現。日米の複数の半導体メーカーのCMOS技術によ
るミリ波用ICの研究開発が進み、比較的安価なCMOSプロセスの利用で、チップの製造コストが
下り、HDMIの無線化など、高い伝送速度が必要なアプリケーションの登場も、CMOS技術のミ
リ波への適用を後押したといわれている。

CMOS技術は、これまで数多くの無線アプリケーション創出させる重要な役割を果たしてきた。
無線LANBluetooth、最近では携帯電話、そしてGPSまでCMOS技術で送受信チップが実現され、
送受信回路のコスト低減に寄与。さらに、マイクロコントローラなどロジック回路との1チップ
化を実現した。自動車用レーダ、無線LAN、ミリ波レーダー、ボディースキャナー、移動通信な
どで注目を浴びているミリ波だが、家庭向けの用途も開拓されてきている。


●ギガビット無線LAN WiGig/IEEE802.11adとムラタの取り組み(村田製作所)



●ミリ波(60GHz帯)利用方法のイノベーション-非接触高速伝送技術-NTT 未来ねっと研究所

準ミリ波を含む高周波利用は、広大な帯域を有するため、常に高速無線通信への利用が試みられ
てきたが、この周波数帯は距離当たりの減衰が大きく、光学的な伝播特性を有することから、回
折が全く期待できないため、大出力でハイゲインのアンテナを使った固定通信に利用される試み
が多かった。無線LANの慢性的な干渉を回避するために、IEEE802.11adの議論が2000年代に始ま
ってからは、アレイアンテナを用いた「Point to Multi Point」という利用方法が検討され出したが、
伝播特性は変えようがない。ミリ波の新たな利用方法に、ごく近傍(1cm以下)の通信に限定する
ことで、ミリ波の伝播特性を長所に転換す提案がなされている。



●自動車のハーネスを無線化する「電波ホース」

信頼性を考慮すれば、車載LANで無線通信はあり得ない。そんな常識を覆す技術が「電波ホース」
だ。金属被膜した中空の管(ホース)の両端に60GHz帯を使う無線機を取り付けるというもので、
有線ケーブルよりも高信頼で軽量の通信システムを実現できる。

 



そういえば、「目と目で通じ合う そうゆう仲になりたいわ」という歌詞があった。工藤静香が
歌う、中島み
ゆきの手による、『MUGO・ん・・・・色つぽい』だが、ミリ波はそのメディアだっ
たのだと気付くには26年もかかったのか? 面白いね、技術って。

 

 




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自我の証明

2014年06月29日 | デジタル革命渦論

 

 

 

● "Can You Prove You're Self Aware?

雨降る中、予定通り、消費税値上げの影響でかいつもより10円値上げされていたが、映画『トラ
ンセンデンス』のナイトショーを鑑賞した。モーガン・フリーマン扮するキャスター夫婦の恩師
ジョセフ・ターガーがウィル・キャスター(ジョニー・デッブ)の頭脳(精神)を量子コンヒュ
ーター型人工知能PINN(ピン)にアップロードし、軍事機密から金融、経済、果ては個人情
報にいたるまで、ありとあらゆる情報を取り込み驚異の進化を遂げ蘇り、荒廃した街をキャスタ
ー夫婦が再興させ、やがて小さな奇跡が起こり、人が次々と巡礼に訪れる聖地秘密基地の中の

画面ディスプレイのウィルと再会し話終えよとしたとき、
ターガーが“Can You Prove You're Self
 Aware ?
(きみは、自我を証明できるのか)”と、二度目の反質に、"それは難しい質問だ"と答
え、あなたならどう証明するかと切り返す。レベッカ・ホール扮する妻エヴリンが、"これは、い
つものジョークよ"とスモール・トークするシーンが印象深く残った。というのも、中学に入学し
た折り、クラス違いの同学級委員のオガタ君が、「僕たちの命は神様が夢から覚めると消えてな
くなるのだよ」と微笑み話していた顔
が――なぜ突然に、その当時どのような脈絡で、このよう
な会話になったのか思い出せないのに――思い出された。つまり、仏教思想には"自我"というも
のは存在しない、妄想の類とされることを思い出したのだ。

●自我とは  

ウィキペディアによると、哲学におけるdas Ich(自我:ego)とは、自己意識ともいい、批判哲学
や超越論哲学では、自己を対象とする認識作用のことで、超越論哲学における原理でもあるとあ
る初期フィヒテの知識学においては、自我は知的直観の自己定立作用 (独: Selbstsetzung) であり、
哲学の原理であるとともに唯一の対象。自然はこれに反定立される非我 (独: das Nicht-Ich) であ
って本来的な哲学の対象でなく、
フィヒテにおいては自然哲学の可能性は否定される。これに対
し、他我 (独: das Anders-Ich) と呼ばれる個別的人格の可能性は、非我と異なり道徳性において
承認・保証され、この構想はシェリングやヘーゲルから批判された一方、フィヒテ自身もこの自
我概念にあきたらず、後期フィヒテにおいて、自我は我々(独: das Wir)および絶対者(独: das
Absoloute
)
の概念へ展開され、後期ドイツ観念論においては、もはや自我は体系全体の中軸概念
としては扱われなくなるという。

また、シェリングはフィヒテの自我概念を摂取し『自我について』(“Vom Ich”) で自我の自己
定立性を、無制約性と結びつけた。自我論文においては、物(独: das Ding)である非我一般に対し、
無制約者 (独: das Unbedingte) としての自我は「物(独: Ding)にされないもの」として対置さ
せられる。そのような自我の特質としての無制約性が自由である。ここにおいて思惟の遂行とし
ての哲学――無制約な自我の自己知は、自由な行為 (独: Handlung) となり、カント以来の課題
であった知と行為の一致は、ただ自我の自由においてのみ一致する。また、シェリングはフィヒ
テが否定した自然哲学を主題的にとりあげ、『超越論的哲学の体系』において自我の前史・自我
の超越論的過去としての自然という構想を得て、『我が哲学体系の叙述』では、自我=主観的精
神と客観的自然はその原理で同一であり、無限な精神と有限な自然とは、即自において(それ自
体としては)無差別な絶対者であるといわれ、これによってシェリングの同一哲学の原理である
無差別(独: Indifferenz)が獲得される。 このような思想において、主観的なものとして取り上げ
られるのはもはや自我ではなく、むしろ精神であり、また精神における主観的なものとしての知
また哲学となる。後にヘーゲルは『精神の現象学』でこの絶対者概念を取り上げ、このような同
一性からは有限と無限の対立そのものを導出することができないと批判したという。このように
ヘーゲルの体系では、自己意識は精神の発展・教養形成の初期の段階に位置づけられ、初期知識
学のような哲学全体の原理としての地位から退いたとされる
一方、マックス・シュティルナー
フィヒテの自我の原理をさらに唯物論的に発展させ、我に価値を伴わない一切の概念をすべて
空虚なものとした極端な個人主義を主張。国家や社会も自我に阻害するものであれば、排除する
べきであると主張する。

●精神分析学の自我

フロイトの定義では意識を中心にした自己の意味で使われていた。彼が意識と無意識の区別によ
って精神を把握していたためであり、心的構造論を語るようになってから、自我(エゴ)という
概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された(
同上ウィキペディアより)。つまり、
自我(エゴ)はエスからの要求と超自我(スーパーエゴ)
からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。無意識的防衛を行い、エスから
の欲動を防衛・昇華したり、超自我(スーパーエゴ)の禁止や理想と葛藤したり従ったりする、
調整的な存在とされる。全般的に言えば、自我(ego)はエス(id)・超自我(super-ego)・外界に悩
まされる存在として描かれることも多いとか。
 

自我(エゴ)は意識とは異なるもので、飽くまでも心の機能や構造から定義された概念。有名な
フロイトの格言としては「自我はそれ自体、意識されない」という発言がある。自我の大部分は
機能や構造によって把握されており、自我が最も頻繁に行う活動の一つとして防衛が挙げられる
が、この防衛は人間にとってほとんどが無意識的である。因みに
「意識する私」という概念は、
精神分析学では「自己もしくは自己イメージ」として明確に区別され、日本語での自我という言
葉は一般的には「私」と同意に受け取られやすいが、それは日常語の範囲使用する場合にのみ当
てはまる。
 

次に、エス (Es) は無意識に相当する。正確に言えば、無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動
過去における経験が詰まっている部分である。
エスはとにかく本能エネルギーが詰まっていて、
人間の動因となる性欲動(リビドー)と攻撃性(死の欲動)が発生していると考えられている部
分である。これをフロイトは精神分析の臨床と生物学から導いたとされる。性欲動はヒステリー
などで見られる根本的なエネルギーとして、攻撃性は陰性治療反応という現象を通じて想定され
たもの。またエスは幼少期における抑圧された欲動が詰まっている部分、と説明される事もある。
このエスからは自我を通してあらゆる欲動が表現される。それを自我が防衛したり昇華したりし
て操るとされる。
エスは視床下部の機能と関係があるとされた。なおこのEsという言葉はフリー
ドリヒ・ニーチェが使用し、ゲオルグ・グロデック(ドイツ語版)の“Das Buch vom Es”(『エ
スの本』)などで使われた。

さらに、超自我は、自我とエスをまたいだ構造で、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想
などを自我とエスに伝える機能を持つ。
厳密には意識と無意識の両方に現れていて、意識される
時も意識されない時もある。ただ基本的にはあまり意識されていないものなので、一般的には無
意識的であると説明され、親の理想的なイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるので、
それ故に「幼少期における親の置き土産」と表現される。精神分析学においてはエディプス・コ
ンプレックスという心理状態を通過して形成されると考えられている。
超自我は自我の防衛を起
こす原因とされ、自我が単独で防衛を行ったり抑圧をしたりするのは稀
であると考えられている。
また超自我はエスの要求を伝える役目も持ち、無意識的な欲求を知らず知らずのうちに超自我の
要求を通して発散している
ような場合である。他にも超自我は自我理想なども含んでいると考
えられ、自我の進むべき方向(理想)
を持っていると考えられている。夢を加工し検閲する機能
を持っているので、フロイトは時に超自我を、自
我を統制する裁判官や検閲官と例えたりしてい
る。超自我は前頭葉の機能と関係あるとされ
るが脳科学的実証はされていないという。

以上、「自我」(あるいは「自己認識」)という言葉の背景を踏まえて、「優秀な撮影監督であ
ウォーリー・フィスターの監督デビュー作となった本作には独特のビジュアルがある。しかし
本作が提示する奥深いテーマは、本作の物語では十分に捉えることができなかった」(Rotten T-
omatoes
)と酷評され興行的にも失敗だとされるこの映画を、別の観点から現在的な鑑賞の意義を
素描してみる。
 


●技術的特異点 シンギュラリティ

この映画テーマは、果たして心までインストールできるのか、肉体のない永遠の命とは何かということ。人
間とコンピューターとの関わりについて考えさせるものであり、これまで不老不死、人工知能、ロボット、ク
ローンをテーマとした映画は、生命への冒涜、創造者が恐れを抱きながらも研究や開発を進める矛盾、あ
るいは命や知能を与えられた者の悲哀などを描いてきたが、それはあくまでもまだ先の話であり、一種の
寓話や警鐘の類として捉えることができたが、ところが、コンピューターや科学の急速な発達(=デジタル
革命渦論
)で、これらはより現実味を帯び、『2045年問題』や『技術的特異点』として語られ議論さ
れている。

つまり、技術的特異点(Technological Singularity)とは、「強い人工知能」や人間の知能増幅が可
能となったとき出現するもので、未来学者らによれば、特異点の後では科学技術の進歩を支配す
るは人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンであり、これまでの人類の傾向に基づいた人
類技術の進歩予測は通用しなくなると認識されるようになった。
この概念は、数学者ヴァーナー
・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイル(上写真人物、クリック)により
初めて提示された。彼らは、意識を解放することで人類の科学技術の進展が生物学的限界を超え
て加速すると予言。意識の解放を実現する方法は、人間の脳を直接コンピュータネットワークに
接続し計算能力を高めることだけに限らない。それ以前に、ポストヒューマンやAI(人工知能
)の形成する文化が現生人類には理解できないものへと加速度的に変貌していくとする。カーツ
ワイルはこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に従うと考え
収穫加速の法則(Law of Accelerating Returns)と呼んだ。


特異点を肯定的に捉えその実現のために活動する人々がいる一方、特異点は危険で好ましくなく
あってはならないと考える人々もいる。実際に特異点を発生させる方法や、特異点の影響、人類
を危険な方向へ導くような特異点をどう避けるかなどが議論されている。技術的特異点のアイデ
ィアは少なくとも19世紀半ばまで遡る。 1847年、Primitive Expounder の編集者である R. Thornton
は、当時、四則演算可能な機械式計算機が発明されたことに因んで、冗談半分に次のように書い
ている。「… そのような機械を使えば、学者は精神を酷使することなくただクランクを回すだけ
で問題の答を捻り出せてしまう訳で、これが学校にでも持ち込まれたなら、それこそ計算不能な
ほどの弊害を齎すでしょう。いわんや、そのような機械がおおいに発展し、自らの欠陥を正す方
策を思いつくこともないまま、人智の理解を超えた概念を捻り出すようになったとしたら」と。


また、ジェラルド・S・ホーキンズは、著書『宇宙へのマインドステップ』で「マインドステップ」
の観念を明確にし、方法論または世界観に起きた劇的で不可逆な変化であるとした。彼は、人類
史の5つのマインドステップと発生した「新しい世界観」に伴う技術を示した(彫像、筆記、数
学、印刷、望遠鏡、ロケット、コンピュータ、ラジオ、テレビ)。「個々の発明は集合精神を現
実に近づけ、段階をひとつ上ると人類と宇宙の関係の理解が深まる。マインドステップの間隔は
短くなってきている。人はその加速に気づかないではいられない」。ホーキンズは経験に基づい
てマインドステップの方程式を定量化し、今後のマインドステップの発生時期を明らかにし、次
のマインドステップは2021年で、その後2つのマインドステップが2053年までに来るとしている。
そして技術的観点を超越し次のように推測した。

さて、特異点の概念は数学者であり作家でもあるヴァーナー・ヴィンジによって大いに普及した。
ヴィンジは1980年代に特異点について語りはじめ、オムニ誌の1983年1月号で発表。その後1993
年のエッセイ "The Coming Technological Singularity" の中でその概念をまとめ「30(2026)年以内
に私達は超人間的な知能を作成する技術的な方法を持ち、直後に人の時代は終わるだろう」と述
べているという。彼は、超人間的な知能が、人間よりも速く自らの精神を強化することができる
と予測、「人より偉大な知能が進歩を先導する時その進行はもっとずっと急速になるだろう」と。 

人類を超える知性を創造する方法は、人間の脳の知能増幅と人工知能の2つに分類される。人間
の知能増進の方法として考えられる手法は様々で、バイオテクノロジー、向知性薬、AIアシス
タント、脳とコンピュータを直結するインターフェイス、精神転送など。劇的に寿命を延ばす技
術、人体冷凍保存、分子レベルのナノテクノロジーなどがあれば、より進歩した未来の知能増進
医療を受けることができる。さらに増進した知能から得られる技術として不死や人体改造を受け
られる可能性も出てくる。

特異点到達に積極的な組織は、その方法として人工知能を選ぶことが最も一般的である。例えば、
Singularity Institute(特異点研究所)は、2005年に出版した "Why Artificial Intelligence ?" の中で、
その選択理由を明らかにしている。
ジョージ・ダイソンは、自著 Darwin Among the Machines の中
で、十分に複雑なコンピューターネットワークが群知能を作り出すかもしれず、将来の改良され
た計算資源によってAI研究者が知性を持つのに十分な大きさのニューラルネットワークを作成
することを可能にするかもしれないという考えを示し、精神転送は人工知能を作る別の手段とし
て提案され、新たな知性をプログラミングによって創造するのではなく、既存の人間の知性をデ
ジタル化してコピーすることを意味すると解釈した。
 

レイ・カーッワイルは、歴史研究の結果、技術的進歩が指数関数的成長パターンにしたがってい
ると結論し、特異点が迫る根拠とした。これを「収穫加速の法則」(The Law of Accelerating Returns)
と呼び、集積回路が指数関数的に細密化してきているというムーアの法則を一般化し、集積回路
が生まれる遥か以前の技術も同じ法則にしたがうとした。これは
ある技術が限界に近づくと、新
たな技術が代替するように生まれ、パラダイムシフトがますます一般化し「技術革新が加速され
て重大なものとなり、人類の歴史に断裂を引き起こす」と予測したことは周知の通り。彼は特異
点が21世紀末までに起きると確信しており、その時期を2045年とした
(2005年)。特異点に向
けた緩やかな変化であり、ヴィンジらが想定する自己改造する超知性による急激な変化とは異な
る。この違いを「ソフトな離陸」(soft takeoff)と「ハードな離陸」(hard takeoff)で表わさられるこ
ともあるという。

この法則を提案する以前、多くの社会学者と人類学者は、社会文化の発展を論じる社会理論を構
築して
きた。ルイス・H・モーガン、レスリー・ホワイト、ケルハルト・レンスキーらは文明の
発展の原動力は技術の進歩であるとする。モーガンのいう社会的発展の三段階は技術的
なマイル
ストーンによって分けられている。。ホワイトは特定の発明ではなく、エネルギー制御方法(ホ

ワイトが文化の最重要機能と呼ぶもの)によって文化の度合いを測った。彼のモデルは「カルダ
シェフの
文明階梯」の考え方を生むこととなる。レンスキはもっと現代的な手法を採用し、社会
の保有する情報
量を進歩の度合いとしている。

1970年代末以降、アルビン・トフラー、ダニエル・ベルやジョン・ネイスピッツは、脱工業社会
に関する理論からアプローチしているが、その考え方は特異点近傍や特異点以後の社会の考え方
に類似し、工業化社会の時代が終わりつつありサービスと情報が工業と製品に取って代わると考
えた。逆に、Theodore ModisJonathan Huebnerは技術革新の加速が止まっただけではなく、現
在減速していると主張。John Smart は彼らの結論を批判し、カーツワイルが理論構築のために過
去の出来事を恣意的選別だと
いう批判もある。

考えられうる超人間的知性の中には、人類の生存や繁栄と共存できない――知性の発達とともに
人間にはない感覚、感情、感性が生まれる可能性がある。AI研究者フーゴ・デ・ガリスはAI
が人類を排除しようとし、人類はそれを止めるだけの力を持たないかもしれない主張。他の危険
性は、分子ナノテクノロジー
や遺伝子工学にに関するもので、これらの脅威は特異点支持者と批判者
の両方にとって重要な問題である。ビル・ジョはその問題をテーマとして Why the future does't
need us
(何故未来は我々を必要としないのか)を公表。また、哲学者ニック・ボストロムは人類
の生存に対する特異点の脅威についての論文「Existential Risks(存在のリスク)」をまとめた。
多くの特異点論者は、ナノテクノロジーが人間性に対する最も大きな危険なものだと考えているが
らは人工知能をナノテクノロジーよりも先行させるべきだと主張する。Foresight Instituteなどは
分子ナノテクノロジーを擁護し、ナノテクノロジーは特異点以前に安全で制御可能となるし、有
益な特異点をもたらすのに役立つと主張している。さらに、
友好的人工知能の支持者は、特異点
が潜在的に極めて危険であることを認め、人間に対して好意的なAIの設計を行うことでリスクを排除しよ
うとも考えている。アイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」は、人工知能搭載ロボットが人間を傷つ
けることを抑止するものであるという。




一部の人々は先端技術の開発を許すことは危険すぎると主張し、そのような発明をやめさせよう
と主張
、ユナボマーと呼ばれた米国の連続爆弾魔セオドルド・カシンスキーは、技術によって上
流階級
が簡単に人類の多くを抹殺できるとうになると主張する一方、AIを作られなければ十分
な技術革新の後で
人類の大部分は家畜同然の状態になるだろうろも主張する。カジンスキーは特
異点に反対するだけで
なくネオ・ラッダイト運動をサポートしている。多くの人々は特異点には
反対するが、ライダット運動
のように現在の技術を排除しない。カジンスキーだけでなく、ジョ
ン・ザーザンやデリック・ジェンセンといった反文明理論家の多くはエコアナーキズム
主義を唱
える。それは、技術的特異点を機械制御の野放は、工業化された文明以外の野性的で妥協の無い自
由な生活の損失であり、地球解放戦線(ELF)やEarth First!といったグループも基本的には特異点を
阻止すべきと考える。共産主義者
は史的唯物論に立ち、特異点を容認し、意識の共有に肯定的で
AIロボットの反乱を階級の認識と考えている 一方、特異点によって未来の雇用機会が奪われる
ことを心配に対し、ラッダイト運動者の恐れは現実とはならず、産業革命以後には職種の成長が
あった。経済的には特異点後の社会はそれ以前の社会よりも豊かとなる。特異点後の未来では、
一人当たりの労働量は減少するが、一人当たりの富は増加するという立場にある。

●SF作品について

さて、特異点アイデアを開拓したヴァーナ・ヴィンジの物語に加え、何人かの他のSF作家は主
題が特異点に関係する話を書いているが、ウィリアム・ギブスン、グレッグ・イーガン、グレッ
ク・ベア、ブルース・スターリングなどが挙げられるが、特異点はサイバーバック小説のテーマ
のひとつである。再帰的な自己改良を行うAIにはウイリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』
に登場する同名のAIが有名。アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』、アイザック・ア
シモフの『最後の質問』(短編)、ジョン・W・キャンベルの『最終進化』(短編)なども古典
的作品ながら技術的特異点を扱っている。ディストピア色が強い、ハーラン・エリスンの『おれに
は口がない、それでもおれは叫ぶ』もある。日本作品では、『攻撃機動隊』が、ウェットウェア
が遍在し人工意識が発生しはじめた世界を描いている。山本弘の『サイバーナイト』は、人類が
作った人工知能MICAが、バーサーカーと呼ばれる機械生命体を取り込み特異点を越える件があ
る。山口優の『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』は、技術的特異点の克服をテー
マとしている。芥川賞作家である円城塔の「Self-Reference ENGINE」はAIが再帰的に進歩を続
けた結果大きく変質した後の特異点後の世界を描く。
技術的特異点を扱った初めての短編は、フ
レドリック・ブラウンの『回答』(1954年)だ。
また近年の潮流としては、ケン・マクラウドら
英国の新世代作家たちが「ニュース・スペースオペラ」と呼ばれる「特異点に到着した人類社会」
を舞作品群を執筆しているとか。

このように、ジョニー・デップ主演の『トランセンデンス』は“超越”を意味する。テロリスト
に撃たれ、死すべき運命だった科学者(デップ)の意識を、妻(レベッカ・ホール)がコンピュ
ーターにインストール。意識だけの存在となった彼がオンラインとつながって世界中のあらゆる
情報や技術を手に入れ、人類を超越した“神”のような存在になっていくさまを描いた映画は、
まさに「技術的特異点」という意味の英語表現であった。この映画では技術的特異点から先に技
術の発展を進めさせないために――ウィル・キャスターが一旦は、妻のエヴリンを疑い拒絶する
かの感情の起伏が表現されるものの、やがての妻のウイルスを受け入れ自死する――人類は全世
界の電気エネルギーをシャットダウンし結末を向かえるが、この作品の大きな伏線である『無防
備に人工知能に支配されていいのか?』『生命とは何であるか?』を問いかけるものであった。
そして興行的にも、作品としても成功をおさめたと言い切れないまでも、「シンギュラリティ」
=「トランセンデンス」を考え、議論共有する機会提供になったという意味で高く評価したい。
  

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燃料電池自動車時代

2014年06月27日 | デジタル革命渦論

 

 




【家庭用ルームランナー】

いろいろあったここ2日間だったが、その1つとしてスポーツジム(フィットネットクラブ)の利
用率が悪く、これで20年間会員であり続けたが終止符を打ち退会することに。その動機付けは、
家庭用ルームランナーつまりレッドミルの高性能化が背景としてあり、さらに、サウナや入浴など
の水回り環境が適さないという理由(塩素系殺菌剤と白癬菌など)があった。これで、自宅でルー
ムランニング(ウォーキング)、ローイング主体のトレーニングに切り換える。ところでトレッド
ミル(treadmill)とは、屋内でランニングやウォーキングを行うための健康器具。ルームランナー、
ランニングマシン、ジョギングマシンなどとも呼ばれる。また、歩行用の低速のものはウォーキン
グマシンとも呼ばれる。これでほぼ毎日、トレーニングすることになる(2時間/日)。

【燃料電池自動車時代】

トヨタ自動車は、水素を燃料に走る“次世代のエコカー”、燃料電池車を今年度内に一般向けに市
販する方針を発表。自動車メーカー各社が燃料電池車の本格的な開発を始めたのは1990年代。20年
以上にわたる開発がようやく実を結ぶ。乗用車とは異なる特徴がありました。まず、車の後ろ側に
はマフラーがないが、燃料電池車というのは燃料の水素と空気中の酸素を反応させて電気を作り、
モーターで走る。排出するのは反応によって生まれる「水」だけで、エンジン車とは違って二酸化
炭素、つまり、排ガスは出さないためだ。車の前方のフロントグリルは、走行に使うバッテリーを
冷やすためだけでなく、電気を作るために空気を使いための取り込み口。従来の車よりも大きな設
計になっている。トヨタは今年度内に一般向けに販売し、価格は7百万円程度だというが、開発段
階では1台1億円以上と言われていたのに比べると価格は下がっている。水素供給のインフラ(水
素ステーション)のインフラが整えば、2百万円をきるようになるのは時間の問題だろう。トヨタ
以外にも、ホンダは来年、日産は3年後の2017年に燃料電池車の量産車を市場に投入する計画
だという。

 

 

そこで、最新の燃料電池技術(特許出願:2014.4.1~5.27)を検索調査してみたが(下図、本田技
研工業の新規考案の説明図をクリック)余りの出願数のため7件のみの俯瞰することになった。勿
論、詳細な評価はできておらず、したがって、この情報評価に数日必要とする。


 

特開2014-116190 燃料電池スタック


【符号の説明】

10…燃料電池スタック  11…燃料電池 12…電解質膜・電極構造体 14、60…カソード側セパレータ 
16…アノード側セパレータ 18a…酸化剤ガス入口連通孔 18ae1、18be1、20ae1、20be1…端部壁面
18aw、18bw、20aw、20bw…壁面 18b…酸化剤ガス出口連通孔 20a…燃料ガス入口連通孔 20b
…燃料ガス出口連通孔 22a…冷却媒体入口連通孔 22b…冷却媒体出口連通孔 24…固体高分子電解
質膜 26…カソード電極 28…アノード電極 30…酸化剤ガス流路 32a、36a、40a、62a…入口バッファ
部 32ae、32be、36ae、36be…頂点 32ar1、32ar2、32br1、32br2、36ar1、36ar2、36br1、36
br2、62ar1、62ar2、62br1、62br2…稜線 32b、36b、40b、62b…出口バッファ部 33a、37a…入
口連結流路 33ar、37ar…入口屈曲流路 33b、37b…出口連結流路 33br、37br…出口屈曲流路 34
…燃料ガス流路 38…冷却媒体流路



昨夜も掲載したが、再生可能エネルギーを太陽光発電で賄うとしてスペインの半分の面積が必要と
なるが、バイオマスディーゼル燃料の代替を考慮して、現状の地下化石燃料を代替できることにな
る。なお、自動車燃料代替としては、今回の発表の水素-燃料電池方式と充電-電動モータ方式の
3種類となるが、農地や道路、建造物のソーラ・シュアリングや海洋利用なども考慮に入れると、
ほぼ「オールソーラ・システム」に収斂でき、全景が見通せたことになる。万歳!デジタル革命!

                                          ^^;。


 

 

 

 


ハルキ・ワールドには、よく一角獣が登場する。この暗喩は、「私」の思念の世界を象徴している
という言われているが、単純にシンボリックな男性器ではないのか?そんなことを考えるがよくわ
からない。「女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから
彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ」「女のいない男たちにとって、世界は広大で痛切な混合
であり、そっくりそのまま月の裏側なのだ」とそして結末の「女のいない男たちの一人として、僕
はそれを心から祈る。祈る以外に、僕にできることは何もないみたいだ。今のところ。たぶん」と
ストーリーは「エムの死を知らされたとき、僕は自分を世界で二番目に孤独な男だと感じることに
なる」との意味を、読み手にとっては、時間が多少なり立ってから、冷えている(クールだ)が、
ガスが抜
けたソーダー水を飲んでいるような、体験したことのない感覚を味合うことになる。もう
少し深読
みをしたいのだが、ともかくも一旦は読み終えることにした。




 


  でもどうして彼はわざわざ僕のところに電話をかけてきたのだろう? 決して非難するわけ
 ではなく、ただ純粋に、言うなれば根源的に、その疑問を僕は今でも持ち続けている。なぜ彼
 は僕のことを知っていたのだろう? なぜ僕のことを気にかけたのだろう? 答えはおそらく
 簡単だ。エムが僕のことを、僕の何かを、夫に語ったからだ。それしか考えられない。彼女が
 僕のどんなことを彼に語ったのかは見当もつかない。過去の恋人として、(夫に向かってわざ
 わざ)語るべきいったいどんな値打ちが、どんな意味合いがこの僕にあったのだろう? それ
 は彼女の死に関係を持つような重大なことなのだろうか? 彼女の死に僕の存在がなんらかの
 影を落としているのだろうか? ひょっとしたらエムは僕の性器のかたちが美しいことを夫に
 教えたのかもしれない。彼女は昼下がりのベッドの上で、よく僕のペニスを観賞したものだ。
 インドの王冠についていた伝説の宝玉を愛でるみたいに、大事そうに手のひらに載せて。「か
 たちが素敵」と彼女は言った。それが本当なのかどうか、僕にはよくわからないけれど。
 
  それか理由で、エムの夫は僕に電話をかけてきたのだろうか? 僕のペニスのかたちに敬意
 を表するために、夜中の一時過ぎに。まさか。そんなことがあるわけはない。それに僕のペニ
 スはどう見たってぱっとしない代物なのだ。よく言って普通だ。考えてみれば、エムの審美眼
 には昔から首をひねらされることが多かった。彼女はなにしろほかの人とはずいぶん違う奇妙
 なのかもしれない。音楽もなく、旗もなく、紙吹雪もなく。たぶん(僕はたぶんという言葉を
 使いすぎている。たぶん)。

  女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女が
 どこかに去ってしまえばいいのだ。ほとんどの場合(ご存じのように)、彼女を連れて行って
 しまうのは奸智に長けた水夫たちだ。彼らは言葉巧みに女たちを誘い、マルセイユだか象牙海
 岸だかに手早く連れ去る。それに対して僕らにはほとんどなすすべはない。あるいは水夫たち
 と関わりなく、彼女たちは自分の命を絶つかもしれない。それについても、僕らにはほとんど
 なすすべはない。水夫たちにさえなすすべはない。
 
  どちらにせよ、あなたはそのようにして女のいない男たちになる。あっという間のことだ。
 そしてひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み
 込んでいく。淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。あなたがどれほど豊富に
 家数学の専門知識を持ち合わせていたとしても、その染みを落とすのはおそろしく困難な作業
 になる。時間と共に色は多少琵せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取
 るまで、そこにあくまで染みとして留まっているだろう。それは染みとしての資格を持ち、時
 には染みとしての公的な発言権さえ持つだろう。あなたはその色の緩やかな移ろいと共に、そ
 の多義的な輪郭と共に、生を送っていくしかない。

  その世界では音の響き方が違う。喉の渇き方が追う。髭の伸び方も追う。スターバックスの
 店員の応対も違う。クリフォード・ブラウンのソロも追うものに聞こえる。地下鉄のドアの閉
 まり方も追う。表参道から青山一丁目まで歩く距離だって相当に追ってくる。たとえそのあと
 で新たな女性に巡り会えたとしても、彼女がたとえどんなに素晴らしい女性であったとしても
(いや、素晴らしい女性であればあるほど)、あなたはその瞬間から既に彼女たちを失うことを
 考え始めている。水夫たちの思わせぷりな影が、彼らの口にする外国語の響き(ギリシャ語?
 エストニア語? タガログ語?)が、あなたを不安にさせる。世界中のエキゾティックな港の
 名前があなたを怯えさせる。なぜならあなたは、女のいない男たちになるというのがどういう
 ことなのかを、既に知ってしまっているからだ。あなたは淡い色合いのペルシャ絨毯であり、
 孤独とは落ちることのないボルドー・ワインの染みなのだ。そのように孤独はフランスから運
 ばれ、傷の痛みは中東からもたらされる。女のいない男たちにとって、世界は広大で痛切な混
 合であり、そっくりそのまま月の裏側なのだ


  僕がエムとつきあっていたのはおおよそ二年だった。それほど長い期間ではない。でも重い
 二年たった。たった二年、と言うこともできる。あるいは二年もの長きにわたって、と言うこ
 ともできる。それはもちろん見方によって変わってくる。つきあっていたといっても、僕らが
 会うのは月に二度か三度だった。彼女には彼女の事情があり、僕には僕の事情があった。そし
 て残念ながら、僕らはそのときもう十四歳ではなかった。そんないろんな事情が、結局は僕ら
 をだめにしていったのだ。彼女を離すまいと、どれだけ強く僕が抱きしめたところで。水夫の
 濃密な暗い影が、メタファーの対った画鋲をばらまいていく。
 
  僕がエムについて今でもいちばんよく覚えているのは、彼女が「エレベーター音楽」を愛し
 ていたことだ。よくエレベーターの中で流れているような音楽――つまりパーシー・フェイス
 だとか、マントヴァーニだとか、レイモンド・ルフェーブルだとか、フランク・チャックスフ
 ィールドだとか、フランシス・レイだとか、101ストリングズだとか、ポール・モーリアだ
 とか、ビリー・ヴォーンだとかその手の音楽だ。彼女はそういう(僕に言わせれば)無害な音
 楽が宿命的に好きだった。流置きわまりない弦楽器群、心地よく浮かび上がる木管楽器、ミユ
 ートをつけた金管楽器、心を優しく撫でるハープの響き。絶対に崩されることのないチャーミ
 ングなメロディー、砂糖菓子のように口当たりの良いハーモニー、ほどよくエコーをきかせた
 録音。
 
  僕は一人で車を運転するときは、よくロックかブルーズを聴いた。『デレク・アンド・ドミ
 ノズ』とか、オーティス・レディングとか、ドアーズとか。でもエムはそんなものは絶対にか
 けさせなかった。いつも1ダースくらいのエレベーター音楽のカセットテープを紙袋に入れて
 持参し、それを片端からかけた。僕らはあちこちをほとんどあてもなくドライブし、そのあい
 だ彼女はフランシス・レイの『白い恋人たち』にあわせて静かに唇を動かしていた。淡く口紅
 を塗った素敵な、セクシーな唇を。彼女はとにかく一万本くらいのエレベーター音楽のテープ  
 を持っていた。そして世界中の罪のない音楽についての膨大な知識を持っていた。「エレベー
 ター音楽博物館」でも開けそうなくらい。

  セックスをするときもそうだった。そこにはいつもエレベーター音楽が流れていた。僕は彼
 女を抱きながら、いったい何度パーシー・フェイスの『夏の日の恋』を聴いたことだろう。こ
 んなことを打ち明けるのは恥ずかしいが、今でも僕はその曲を聴くと、性的に昂揚する。息づ
 かいが少し荒くなり、顔が火照る。パーシー・フェイスの『夏の日の恋」のイントロを聴きな
 がら性的に昂揚する男なんて、世界中探してもたぶん僕くらいだろう。いや、彼女の夫だって
 そうかもしれないな。そのスペースはとりあえず残しておこう。パーシー・フェイスの「夏の
 日の恋」のイントロを聴きながら性的に昂揚する男なんて、世界中探してもたぷん(僕を入れ
 て)二人くらいだろう。そう言い直そう。それでいい。
 
  スペース。
 
 「私がこういう音楽を好きなのはね」とあるときエムは言った。「要するにスペースの問題な
 の」

 「スペースの問題?」

 「つまりね、こういう音楽を聴いていると、自分が何もない広々とした空間にいるような気が
 するの。そこはほんとに広々としていて、仕切りというものがないの。壁もなく、天井もない。
 そしてそこでは私は何も考えなくていい、何も言わなくていい、何もしなくていい。ただそこ
 にいればいいの。ただ目を閉じて、美しいストリングズの響きに身を任せていればいい。頭痛
 もなければ、冷え性もなければ、生理も排卵期もない。そこではすべてはただひたすら美しく、
 安らかで、淀むことがない。それ以上のことは何ひとつ求められていない」
 
 「天国にいるみたいに?」
 
 「そう」とエムは言った。「天国ではきっとBGMにパーシー・フェイスの音楽が流れている
 と思う。ねえ、もっと背中を撫でててくれる?」
 「いいよ。もちろん」と僕は言った。
 「あなたは背中を撫でるのがとてもじょうず」
 
  僕とヘンリー・マンシーニは、彼女にわからないように顔を見合わせる。口許に微かな笑み
 を浮かべて。
  僕はもちろんエレベーター音楽をも失っている。一人で車を運転するたびにそう思う。信号
 待ちのあいだに、知らないどこかの女の子が急にドアを開けて助手席に乗り込んできて、何も
 言わず、僕の顔を見ることもなく、『白い恋人たち』の入ったカセットテープを、車のプレー
 ヤーにむりやり差し込んでくれないものだろうかと思う。僕はそれを夢見てさえいる。しかし
 もちろんそんなことは起こらない。だいいちカセットテープをかける機械なんてもう持ってい
 ない。僕は今では車を運転するとき、IPodをUSBケーブルでつないで音楽を聴いている。
 そしてもちろんそこには、フランシス・レイも101ストリングズも入っていない。ゴリラズ
 とか、ブラック・アイド・ビーズとかが入っている。



 
  一人の女性を失うというのは、そういうことなのだ。そしてあるときには、一人の女性を失
 うというのは、すべての女性を失うことでもある。そのようにして僕らは女のいない男たちに
 なる。僕らはまたパーシー・フェイスとフランシス・レイと101ストリングズを失うことに
 なる。アンモナイトとシーラカンスを失うことになる。もちろん彼女のチャーミングな背中だ
 って失われてしまっている。僕はヘンリー・マンシーニの指揮する『ムーン・リヴァー』を聴
 きながら、そのソフトな三拍子にあわせて、エムの背中を手のひらでひたすら撫でたものだ。
 僕のハックルベリー・フレンド。川の曲がりの向こうに待っているもの……。でもそんなもの
 はみんなどこかに消えてしまった。あとに残されているのは古い消しゴムの片割れと、遠くに
 聞こえる水夫たちの哀歌だけだ。そしてもちろん噴水のわきで、空に向かって孤独に角を突き
 上げる一角獣。
 
  エムか今、天国――あるいはそれに類する場所――にいて、『夏の日の恋』を聴いていると
 いいと思う。その仕切りのない、広々とした音楽に優しく包まれているといいのだけれど。ジ
 ェファーソン・エアプレインなんかが流れていないといい(神様はたぶんそこまで残酷ではな
 かろう。僕はそう期待する)。そして「夏の日の恋」のヴァイオリン・ピッチカートを聴きな
 がら、彼女がときどき僕のことを思い出してくれればなと思う。しかしそこまで多くは求めな
 い。たとえ僕抜きであっても、エムがそこで永劫不朽のエレベーター音楽と共に、幸福に心安
 らかに暮らしていることを祈る。
 
  女のいない男たちの一人として、僕はそれを心から祈る。祈る以外に、僕にできることは何
 もないみたいだ。今のところ。たぶん。



               村上春樹 著 『女のいない男たち』(書き下ろし/文藝春秋)
 
                                        この項了

  

 

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テーマパーク日本列島

2014年06月26日 | デジタル革命渦論

 

 

●発光ダイオード照明大国へ


3・11東日本大震災・福島第一原発事故以降大きく変わったデジタルデバイスといえば、太陽
光発電ともう1つ発光ダイオード(Light Emitting DiodeLED)照明の普及拡大がある。その特
徴は、周知の通り蛍光灯や白熱灯など他の多くの光源と異なり、不要な紫外線や赤外線を含まな
い光が簡単に得られ、紫外線に敏感な文化財や芸術作品や、熱照射を嫌う物の照明に用いられる。
入力電流変化に対する光出力の応答が早く通信などにも利用されるほか、照明に用いた場合は点
灯と同時に最大光量が得られ長寿命であるが、製造コストが高いということであった。

ところで、LEDパッケージの世界市場の8割は日本を含めたアジアで生産されているが、白色LED
照明(5ミリメートルランプ・800ルーメンス、CO2排出量:267kg)1個(点灯回路含),7千円
に対し蛍光ランプ(電球型、810ルーメンス、CO2排出量:290kg)7個、6,300円となるが、量産
効果を考えると現状の定格寿命4万時間は変わらないとして単価を3千円以下に持っていく品質
展開(=コスト展開)させトップランナーを獲得しておく必要があると考える。次に技術的な課
題を考えると、現行のLED発光装置では、LEDパッケージ基板としてセラミック基板、シリ
コン基板又は金属基板を用いているが、従来のセラミック基板又はシリコン基板を用いた構成に
は、セラミックやシリコンの熱伝導が銅などの金属よりも悪いためうまく放熱できないこと、高
なこと、加工が困難であり、下図のメタルコア印刷回路基板は、メタルコアと、その上に絶縁
層を介し、銅箔を回路加工した印刷回路により構成され、絶縁層には、ポリエーテルエーテルケ
トン、ポリエーテルイミド、ポリエーテルサルフォンからなる百ナノメートル程度の厚さの耐熱
性熱可塑性樹脂が用いられ、メタルコア印刷回路基板の窪みの底面に発光ダイオードを載置固定
し各端子をそれぞれ印刷回路に接続し、窪みに透明アクリル樹脂を充填して構成されるが、放電
性問題がある。


これらの課題を解決するために、下図の基板の表面に形成された反射材として機能する白色絶縁
層とを備えるLED発光装置で、表面が金属で、平均粒径が数~数百ナノメートルのケイ酸粒子
と白色無機顔料を含む白色絶縁層と金属層の積層構造とで形成し、白色無機顔料が、二酸化チタ
ン、酸化マグネシウムと酸化亜鉛などでを組み合わせたもので、耐熱性、放熱性や耐久性に優れ
た電気絶縁層を有し、コスト性、プロセス性に優れたLED発光装置が提案されている。

開2014-060462


ここで押さえておく技術ポイントは白色系の「蛍光体分散ガラス」。蛍光体との反応性が低く、
透明性や白色度が高いガラスでできている。屈折率も比較的高い特徴をもつものだ。つい最近、
セントラル硝子は高演色で太陽光に近い波長範囲に連続する分布(連続スペクトル)の「白色蛍
光体」を試作開発している。蛍光体から白色の連続スペクトルが得られるため、安定して白色光
が得られる。あわせてUV―LED励起のため、透過する青色光がなく、ブルーライトの問題が
起こりにくく、励起光強度で色味が変化しない。このため、従来の
LEDのバックライトは、青色LE
により黄色の蛍光体のセリウムを励起して似的に白色を再現する方法は、透過光と蛍光のバランスで
色が決まるり制御が難しいという問題が解決できるという。このような蛍光体がインクジェットで塗布し生
産しコスト削減すればプリンタブルで大面積化も可能となる。これは面白い。

   特開2012-162697

 

●高変換効率太陽光発電大国へ

つぎに、太陽光発電の伸張について。産業技術総合研究所はPVシステムのコストの試算から見
えてくる研究開発の方向性」と題して講演し、変換効率の向上や長期安定性など4つの方向性を
示したことが報じられた(「AIST  太陽光発電研究・成果報告会 2014」 )。それによると「太
陽光発電システムの発電単価は、家庭用電力の市場単価(約20円~/kWh)と伍するまでになっ
た」との認識に立ち、国の掲げた次の発電単価の目標である第2段階のグリッドパリティ「14
kWh」、第3
段階のグリッドパリティ「7円/kWh」を見据えた研究開発の方向性を分析した。
グリッドパリティとは、電力の市場価格より安くなる発電単価を示す。現状の太陽光の発電単価
は家庭用電力のグリッドパリティを達成しつつあり、業務用電力(14円/kWh)、産業用電力(
7円/kWh)を下回ることが次の目標になっているが、(1)IRR(内部収益率)0%の前提で、
運転維持費を現状の8000円/kWh・年から同6000円に下げ、初期投資可能限度額を10数万円/kW
に抑えると、発電単価14円/kWhが実現できる(上図クリック)。ただし、(2)ただ、稼働年
数を20年から30年に延長すると初期投資可能限度額が20万円/kWを超えても発電単価14円/kWh
を達成できる。さらに、(3)さらに発電単価7円/kWhを達成するには、運転維持費、系統接続
費用、土地造成費用を大幅に圧縮する必要があるなとを説明し、(1)変換効率をさらに高めて
設置工事費を低減(2)長期安定性の向上(3)低コスト化(4)施工を容易にできる構造・形
状の4点の課題を挙げている。

同上報告会では、太陽光発電産業が1兆円に達したというとも言うが、1兆円の10%の1千億円/
年を2020年までに25%超高効率変換×20年完全耐久性に政府が支援していけば2020年には、日本は
手前味噌だが『オールソーラーシステム社会』が6年後には「太陽発電立国」として実現している
ことになるが、現状の再生可能エネルギーの現状を下図で確認しておこう。

 

 


世界中で消費されるエネルギーの量は石油換算量で86億7700万トンに相当し、そこから作り出され
るエネルギー量は3億6,300万テラジュールというとてつもない量になるという。このエネルギー量
を別のものに換算すると、ハリケーン2795個分、マグニチュード9.0クラスの地震877回分のエネル

ギーに相当しますが、ハリケーンは年間平均で20.7個、そしてこのクラスの地震は過去1000年で数
回しか発生していない。現在のエネルギーの大部分は、再生可能ではないエネルギーから作り出さ
れ、再生可能エネルギーが占める割合は、右下の円に囲まれている16.1%。このエネルギー生産に
かかるコストは(上グラフ)、全世界のGDP(国内総生産)の合計額のうち、約1%に相当する1兆
6,600億ポンド(約263兆円:因みに、日本のGDP8%)が再生可能ではないエネルギー源に費やされ
る。

しかし、このエネルギー源には限りがあって、2112年ごろには枯渇すると言われ、エネルギーを作
り出す過程で、地球はダメージを受ける。1980年からの約30年間に失われた北極の氷は439万平方
キロメートル、さらにその減少率は10年ごとに11.5%上昇しています。南極では2002年以降、毎年1
00立方キロメートルの量の氷が溶け出していて、海水面は年平均3.16ミリメートル上昇。温室効果
ガスである二酸化炭素の濃度は、1950年には最高でも300ppmだったのが、2014年には400ppmにまで
上昇。現在でも急上昇を続けている。 それでは、そのエネルギー源を再生可能なものに置き換える
には、太陽光発電パネルだと、スペインの国土に相当する49万6805平方キロメートルの面積が必要
といわれているが、これが現状の倍の25%変換効率になれば、約25平方キロメートルとなり、LED
照明などの量子スケールデバイスなどの省エネと合わせて限りなく実現可
能な数字に漸近する
 



さて、その具体的な事例として同報告会で、高効率多接合太陽電池を安く作る技術を開発、CIGS
陽電池を基に、世界最高の値の変換効率 24.2%を実現したとアナウンスされている。これは、4接
合以上の多接合太陽電池は、格子定数の違いなどから従来の結晶成長技術では高性能の素子を作製
することが難しいが、すべて結晶成長ではなく別々に作製したセルを物理的に貼り合わせる「メカ
ニカルスタック」技術CIGS系太陽電池の上にGaAsGaInPの2接合太陽電池を積層した素子と、Ga
InP/GaAs/InGaAsP/InGaAs
の4接合太陽電池、GaInP/GaAs/CIGSの3接合太陽電池の3種類。ここま
でくれば、基幹エネルギーは太陽電池で担える。後は水の電気分解で水素製造を地産地消でき、室
内用人工光電池で様々な照明、スマートフォンなどの充電として色素増感型や有機薄膜太陽電池な
どが活躍しているシーンがスケッチできる。これは面白い。
 

 

  世界でいちぱん孤独な男は、やはり彼女の夫に違いない。僕はその席を彼のために残してお
 く。僕は彼がどんな人物なのか知らない。年齢はいくつなのか、何をしているのか、していな
 いのか、まったく情報を持たない。僕が彼に関して知っているのはただひとつ、声が低いとい
 うことだけだ。でも声の低いことは、僕に彼についての具体的な事実を何も教えてはくれない。
 彼は水夫なのだろうか? それとも水夫に対抗するものなのだろうか? もし後者であるとす
 れば、彼は僕の同胞の一人ということになる。もし前者であるとすれば……それでもやはり僕
 は彼に同情する。彼のために何かができればいいのだが、と思う。
 
  でも僕がそのかつての彼女の夫に近づくすべはない。彼の名前も知らないし、住んでいる場

 所も知らない。あるいは彼は既に、名前も場所もなくしてしまっているかもしれない。なにし
 ろ彼は世界でいちばん孤独な男なのだから。僕は散歩の途中、一角獣の像の前に腰を下ろし
 
僕のいつもの散歩コースには、この一角獣の像がある公園が含まれている)、冷ややかな噴水
 を眺めながら、その男のことをよく考える。そして世界でいちばん孤独であることがどういう
 ことなのかを、僕なりに想像する。世界で二番目に孤独であるというのがどういうことなのか
 僕は既に知っている。しかし世界でいちばん孤独であるというのがどういうことなのかはまだ

 知らない。世界で二番目の孤独と、世界でいちばんの孤独との間には深い溝がある。たぶん。
 深いだけではなく、幅もおそろしく広い。端から端までしっかり飛び切ることができず、力尽
 きて途中で落ちてしまった鳥たちの死骸が、底で高い山をなしているくらい。

  ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与え
 られず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れ
 る。ひとつ角を曲がると、自分が既にそこにあることがあなたにはわかる。でももう後戻りは
 できない。いったん角を曲がってしまえば、それがあなたにとっての、たったひとつの世界に
 なってしまう。その世界ではあなたは「女のいない男たち」と呼ばれることになる。どこまで
 も冷ややかな複数形で。

  女のいない男たちになるのがどれくらい切ないことなのか、心痛むことなのか、それは女の
 いない男たちにしか理解できない。素敵な西風を失うこと。十四歳を永遠に――十億年はたぶ
 ん永遠に近い時間だ――奪われてしまうこと。遠くに水夫たちの物憂くも痛ましい歌を聴くこ
 と。アンモナイトとシ―ラカンスと共に暗い海の底に潜むこと。夜中の一時過ぎに誰かの家に
 電話をかけること。夜中の一時過ぎに誰かから電話がかかってくること。知と無知との間の任
 意の中間地点で見知らぬ相手と待ち合わせること。タイヤの空気圧を測りながら、乾いた路上
 に涙をこぽすこと。

  とにかくその一角獣の像の前で、僕は彼がいつか立ち直ってくれることを祈る。本当に大切
 なことだけを――僕らはそれをたまたま「本質」と呼ぶわけだが――忘れることなく、その他
 のおおかたの付属的事実を、彼がうまく忘れてしまえることを祈っている。自分がそれを忘れ
 たということさえ忘れてしまってくれればいいのだがと思う。心からそう思う。たいしたもの
 じやないか。世界で二番目に孤独な男が、世界でいちぱん孤独な(会ったこともない)男を思
 いやり、彼のために祈っているのだから。

  
               村上春樹 著 『女のいない男たち』(書き下ろし/文藝春秋)
 
                                      この項つづく

 

●映画『マイレージー、マイライフ』 

 

ひょんなことから、NHKのBSプレミアム『マイレージ、マイライフ』(Up in the Air)の録画を
鑑ることになり夜更かししてしまった。この映画は、2009年の米国映画。ジェイソン・ライトマン
がウォルター・カーンの同名小説を映画化。ライアン・ビンガムはいわゆる「解雇宣告人」で、1
年のうち300日以上を出張のために全米中を飛行機で飛びまわるのに費やすという人生を送
っていた
が、彼にはマイレージを千万マイル貯め、飛行機に自分の名前を残し、フィンチ機長と
面会する目
がある。「バックパックの中に入りきらない人生の持ち物は背負わない」というモットーを
持ち、
肉親とも距離を置き、結婚にも興味を持たず、旅先で知り合ったアレックスとも気軽な関係
を続け
ていたが、だがライアンがオマハの本社に戻ったある日、新入社員のナタリーが現地出張を廃止し
てネット上で解雇宣告を行うシステムを提案する。ライアンはそれに反対し、ナタリーと衝突する。
そこで上司のクレイグは、ライアンにナタリーの教育係を命じ、彼女に実際に解雇宣告を経験して
もらうために二人で出張させるというストーリー。最後にはアレックスとナタリーとも分かれると
いう、ほろ苦くも侘びしい(imperfect)結末となるがマイレジーの目標だけは達成するという、

ィットに富んだ大人のストリートなっている。この映画は何度もみても良い作品だ。

泣くな長友!(上写真)高温・多湿という環境は、人一倍消耗することを第一戦の本田圭介の後ろ
姿をみてそう思ったし、決定打がないことも日本チームのフィジカルの劣性さを目の当たりにして
理解できた。その意味では、中南米のチームが1、2、3位」を独占することを予感させるもので
あった。地理的なものは中南米の選手を帰化させることで、フィジカルに対抗するには、身長や体
重、年齢のばらつきを大きくしてチーム編成すれば良いとも思った。彼女はあなたはサッカーに興
味がないからよ。と、車の助手席で言ったが、ワン・クォータは当たっている。しかし、残りのス
リークォータは違っているがそのことは反論しなかった。ここ2日間にいろんなことがあったが、
NHKの放送コンテンツのクォリティーの高さに感心した。「新日本風土記」などもそうだがスマ
ートフォンの『旅なび』が充実すれば、日本列島すべてがテーマパーク化する。これは凄いことだ
と感じた。

 

 

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夏至越えの憂鬱

2014年06月23日 | 時事書評

 

   29 may 2014

 

●鉄化合物の不思議  

自然界の地下水が湧き出る場所(湧水や溝など)で褐色の沈殿物がしばしば見られるが、微生物が
作る酸化鉄の集合体で、従来美観を損ねて役に立たない不要物と思われていたが、岡山
大学の高田
潤特任教授の研究グループが、この酸化鉄がリチウムイオン二次電池の負極材として優れた特性を
示すことを、世界で初めて発見、ユニークな充放電機構を明らかにしている(12 june 2014)。その
特徴は、
微生物由来材料のリチウムイオン二次電池の負極特性を調べたところ、現行の負極材料(
炭素材料)の場合よりも約3倍も多くの電気容量をコンデンスし、充放電繰り返しても高い電気容
量が維持できる(大電流で充放電でも、高い電気容量を示す。(下図2))。そして、微生物由来
の酸化鉄ということで、リチウムイオン二次電池の負極の原料(活物質)などとして、低コストか
つエコな材料である。つまり、培養液成分の鉄とシリコンの比率を調整すると、自然界にない鉄/
シリコンの比率を持ったまったく新しい酸化鉄チューブを人為的に作ることが出来る。これらの培
養系の酸化鉄は、この比率の変化に伴ってナノ構造を制御できる可能性があり、充放電特性がさら
に向上することが期待できるので、新規な高性能なキャパシターなど充電器や電池、電極として定
着していく可能性がある。




ナノチューブといえばカーボンがそのコアとして考えられているが、金属あるいは非金属系でも形
成できる可能性があり、これらの新規な形状物から、新しい特性を発見できる選択肢が増えること
が予兆される傍ら、鉄といえ
ば建築構造物や重工業の基幹物質には違いないが、新世紀の量子スケ
ールデバイス時代に入り、新
しい鉄系化合物の機能が発見されている。液晶表示器などに使われて
いる省エネ電極物質IGZO(透明なアモルファス酸化物半導体In-Ga-ZnO4)を発明した細野秀雄東京
工業大学教授らのグループが、層状セレン化合物TlFe1.6Se2(Tl:タリウム、Fe:鉄、Se:セレン)
に着目し、電気二重層トランジスタ構造を利用して、外部電界の印加によって、超伝導現象の予兆
とも言える金属に近い状態まで相転移させることに成功している(04 march 2014)。それによると
鉄系層状物質は世界初の電界誘起相転移の観察となり、トランジスタ構造を利用したキャリア生成
方法は、一般的な不純物の添加によるキャリア生成と異なり、自由にかつ広範囲にキャリア濃度が
制御でき、元素置換のキャリア添加不可能な物質でも適用が可能であり、鉄系層状物質でより高い
超伝導転移温度を実現できる方法として期待されている。

 


●光触媒設計向け新計測法

オプトエレクトロニクス領域でもまた新たな計測法が発明されている。正岡重行自然科学研究機構
分子科
学研究所准教授らは、光励起分子の電子授受の難易度を直接測定することに成功したという。
電気化学測定法に、溶液の対流を抑制するなどの工夫を加え、光励起分子の酸化還元電位を測定。

光励起は、光触媒を利用した人工光合成反応などのきっかけになり、高機能の光触媒を設計する新
測定方法として活用期待されている(14 june 2014)。




測定原理は至って簡単だが、下図2のように、通常の電気化学測定法を利用した場合、物質の光吸
収ではなく、光照射に伴い生じる溶液の対流によってノイズが発生し、酸化還元電位の決定が困難
になることが明らかにする。そこで、そのようなノイズが生じない測定条件を検討した結果、簡便
な条件(電極の高速回転、速い電位走査、あるいは溶液層の薄層化)を適用するのみでノイズを抑
制する。続いて、光照射により変化が起こる分子の測定を行った。具体的には、安定な光励起状態
をとることが知られているルテニウムトリスビピリジン錯体(Ru(bpy)32+)を測定対象としノイズ
が生じない条件で、溶液層の薄層化で光励起分子を効率よく捉えることが可能となり、Ru(bpy)32+
の光励起状態に由来する電流の観測とその電位の測定に成功する(図2)。

 

 

この光電気化学測定法が確立すれば、光触媒探索の選択しが広がり、人工光合成をはじめ、エネル
ギー
変換反応の分野やその他の光反応化学に大きな影響を与えることが期待されだろう。

  

   The Police  Every Breath You Take

 


淡々とした散文ふうな語りのイントロから「エムの死を知らされたとき、僕は自分を世界で二番目
に孤独な男だと感じることになる」との独白ふうな語りにより本編は、ワン・テンションまた違っ
た世界に上がって、今夜もまたスロー・リードする。
 

  でも逆に言えば、エムはそれ以来いたるところにいる。いたるところに見受けられる。彼女
 はいろんな場所に含まれ、いろんな時間に含まれ、いろんな人に含まれている。僕にはそれが
 わかる。僕は消しゴムの半分をビニール袋に入れ、いつも大事に持ち歩いていた。まるで何か
 の護符のように。方角を測るコンパスのように。それさえポケットにあれば、この世界のどこ
 かで、いつかエムを見つけ出せるだろう。僕はそう信じていた。彼女は水夫の世慣れた甘言に
 騙され、大きな船に乗せられ、遠いところに連れて行かれただけなのだ。彼女は常に何かを信
 じようとする人だったから。新しい消しゴムを戸惑いもなく二つに割って、その半分を差し出
 す人だったから。

  僕はいろんな場所から、いろんな人から、彼女のかけらを少しでも手に入れようとする。し
 かしもちろんそれはただのかけらに過ぎない。どれだけ多くを集めても、かけらはかけらだ。
 彼女の核心は常に蜃気楼のように逃げ去っていく。そして地平線は無限だ。水平線もまた。僕
 はそれを追って忙しく移動を続ける。ボンベイまで、ケープタウンまで、レイキャビクまで、
 そしてバハマまで。港を持つすべての都市を僕は巡る。でも僕がそこに辿り着いたとき、彼女
 は既に姿をくらませている。乱れたベッドには彼女の温もりがまだ微かに残っている。彼女の
 巻いていた渦巻きの模様のスカーフが、椅子の背にかかったままになっている。読みかけの本
 がテーブルの上に、ページを開いたまま伏せてある。洗面所には生乾きのストッキングが干し
 てある。でも彼女はもういない。世界中のはしっこい船乗りたちが僕の気配を嗅ぎつけ、彼女
 をすばやくどこかに連れ去って、隠してしまうのだ。もちろん僕はそのときもう十四歳ではな  
 くなっている。僕はより日焼けし、よりタフになっている。髭も濃くなり、暗喩と明喩の違い
 も見分けられるようになっている。でも僕のある部分は、まだ変わることなく十四歳だ。そし
 て僕の永遠の一部である十四歳の僕は、優しい西風が僕の無垢な性器を撫でるのを辛抱強く待
 っている。そのような西風が吹くところにはきっとエムがいるはずだ。

  それが僕にとってのエムだった。
  ひとつの場所に落ち着ける女性ではない。
  しかし自らの命を絶つようなタイプでもない。

  自分がここでいったい何を言おうとしているのか、僕自身にもよくわからない。僕はたぶん

 事実ではない本質を書こうとしているのだろう。でも事実ではない本質を書くのは、月の裏側
 で誰かと待ち合わせをするようなものだ。真っ暗で、目印もない。おまけに広すぎる。僕が言
  いたいのは、とにかくエムは僕が十四歳のときに恋に落ちるべき女性であったということだ。
  
  でも僕が実際に彼女と恋に落ちたのはずっとあとのことで、そのときには彼女は(残念なが
 ら)もう十四歳ではなかった。僕らは出会いの時期を間違えたのだ。待ち合わせの日にちを間
 違えるみたいに。時刻と場所は合っている。でも日にちが違う。
 
  しかしエムの中にも、まだ十四歳の少女が住んでいた。その少女はひとつの総体として――
 決して部分的にではなく――彼女の中にいた。注意深く目を凝らせば、僕はエムの中を行き来
 するその少女の姿をちらちらとかいま見ることができた。僕と交わっているとき、彼女は僕の
 腕の中でひどく年老いたり、少女になったりした。彼女はそのようにいつも個人的な時間を行
 き来していた。僕はそういう彼女が好きだった。僕はそんなとき、思いきり強くエムを抱きし
 めて、彼女を痛がらせた。僕は少し力が強すぎたかもしれない。でもそうしないわけにはいか
 なかったのだ。僕はそんな彼女をどこにもやりたくなかったから。
 
  でももちろん僕が再び彼女を失う時はやってきた。だって世界中の船乗りたちが彼女をつけ
 狙っているのだ。僕一人で護りきれるわけがない。誰だってちょっとくらい目を離すことはあ
 る。眠らなくてはならないし、洗面所にもいかなくてはならない。バスタブだって洗わなくて
 はならない。玉葱を刻んだり、イングンのへたをとったりもする。車のタイヤの空気圧をチェ
 ックする必要もある。そのようにして僕らは離ればなれになった。というか、彼女が僕から去
 っていったのだ。そこにはもちろん水夫の確かな影がある。それ自体が単身、ビルの壁をする
 する這い上がっていくような濃密で自律的な影だ。バスタブや玉葱や空気圧は、その影が画鋲
 のように振りまくメタファーのかけらに過ぎない。
 
  彼女が去り、どれほど僕がその時に襖悩したか、どれほど深い淵に沈んだか、きっと誰にも
 わからないだろう。いや、わかるわけはない。僕自身にだってよく思い出せないくらいなのだ
 から。どれほど僕は苦しんだのか? どれほど僕は胸を痛めたのか? 哀しみを簡単に正確に
 計測できる機械がこの世界にあるといいのだけれど。そうすれば数字にしてあとに残しておけ
 たのだ。その機械が手のひらに載るほどの大きさのものであればいうことない。僕はタイヤの
 空気圧を測るたびに、そんなことを考えてしまう。

  そして結局のところ、彼女は死んでしまった。真夜中の電話が僕にそれを教えてくれる。そ
 の場所も手段も理由も目的も、僕にはわからないけれど、エムはとにかく自らの命を絶とうと
 決心し、それを実行したのだ。そしてこの現実の世界から(おそらく)静かに退出していった。
 たとえ世界中の水夫をもってしても、そのすべての巧みな柱石をもってしても、エムを深い黄
 泉の国から救い出すことは――あるいは拐かすことだって――もうできない。真夜中に注意深
 く耳を澄ませばきっとあなたにも、水夫たちの弔いの歌が遠くに聴き取れるだろう。
 
  そして彼女の死と共に、僕は十四歳のときの僕自身を永遠に失ってしまったような気がする。
 野球チームの背番号の永久欠番みたいに、僕の人生からは十四歳という部分が根こそぎ持ち去
 られている。それはどこかの頑丈な金庫に仕舞い込まれ、複雑な鍵をかけられ、海の底に沈め
 られてしまった。たぶんこれから十億年くらい、その扉が開かれることはあるまい。アンモナ
 イトとシーラカンスがそれを寡黙に見守っている。素敵な西風ももうすっかり止んでしまった。
 世界中の水夫たちが彼女の死を心から悼んでいる。そして世界中の反水夫たちもまた。
 
  エムの死を知らされたとき、僕は自分を世界で二番目に孤独な男だと感じることになる。 


               村上春樹 著 『女のいない男たち』(書き下ろし/文藝春秋)
 
                                      この項つづく

 

   

 

防衛省は、防衛産業を、育成強化するための「防衛生産・技術基盤戦略」をまとめ、国際共同開
発・生産を推進する方針を明記した。武器輸出の新ルールを定めた防衛装備移転三原則が4月に
閣議決定されたことを踏まえ、防衛装備品の調達コストを削減するのが狙い。昭和45年の防衛
庁長官決定で「国産化方針」を定めて以降、44年ぶりの見直しをおこなった。具体的な方向性
では、日本企業が国際共同生産に参画するF35戦闘機に関し、アジア太平洋地域の整備拠点を
国内に設置するよう関係国と調整する。戦闘機開発分野での国際共同開発を検討し、他の先進国
より技術面で遅れている無人航空機については研究開発ビジョンを策定。護衛艦の設計を共通化
し、複数艦を一括発注する制度も検討するという(20 june 2014)。

それにしても領土問題というのはきな臭い話。一度走り出したら、関係国々民の血を贖い続けて
止めることはできない。真に愚劣なり、憂鬱なり。



話はそのことではない。夏至を越えるこの日は次男の誕生日。あまりのマイペースぶりにイライ
ラが極限に達し、その後沈静化に向かわせたのはよいが、日が短くなると言うのに太陽は青天井
のように輝き増すかのようだ。だから、夏至越えは憂鬱なのだ。 

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小型ヌードルメイカー

2014年06月22日 | WE商品開発

 

 

 

    

 



  夜中の一時過ぎに電話がかかってきて、僕を起こす。真夜中の電話のベルはいつも荒々しい。
 誰かが凶暴な金具を使って世界を壊そうとしているみたいに聞こえる。人類の一員として僕は
 それをやめさせなくてはならない。だからベッドを出て居間に行き、受話器を取る。
  男の低い声が僕に知らせを伝える、一人の女性がこの世界から永遠に姿を消したことを。声
 の主は彼女の夫だった。少なくとも彼はそう名乗った。そして言った。妻は先週の水曜日に自
 殺をしました、なにはともあれお知らせしておかなくてはと思って、と彼は言った。なにはと
 もあれ。僕の聞く限り、彼の口調には一滴の感情も混じっていなかった。電報のために書かれ
 た文章のようだ。言葉と言葉のあいだにほとんどスペースがなかった。純粋な告知。修飾のな
 い事実。ピリオド。

  それに対して僕はどんなことを言ったのだろう? 何かは口にしたはずだが、思い出せない。
 いずれにせよ、そのあとひとしきり沈黙があった。道路の真ん中にぽっかり開いた深い穴を両 
 端から二人でのぞき込んでいるような沈黙。それから相手はそのまま、何も言わずに電話を切
 った。壊れやすい美術品をそっと床に置くみたいに。僕はそのあとしばらくそこに立ち、とく
 に意味もなく受話器を手に握っていた。白いTシャツに青いボクサーショーツというかっこう
 で。
 
  なぜ彼が僕のことを知っていたのか、それはわからない。彼女が僕の名前を「昔の恋人」と
 して夫に教えたのだろうか? 何のために? またどうやって彼はうちの電話番号を知ったの
 だろう(電話帳には載せていない)。それにそもそもどうして僕なのだ? なぜ夫がわざわざ
 僕に電話をかけて、彼女が亡くなったことを知らせなくてはならないのだ? 彼女がそうして
 くれと遺書に書き残していたとはとても思えない。僕と彼女がつきあっていたのは、ずいぶん
 昔のことだ。そして別れてからはただの一度も顔を合わせていない。電話で話したことさえな
 い。
 
  でもまあ、それはどうでもいい。問題は彼が僕に何ひとつ説明を与えてくれなかったことだ。
 彼は妻が自殺したことを僕に知らせなくてはならないと考えた。そしてどこからか僕の自宅の
 電話番号を手に入れた。しかしそれ以上の詳しい情報を僕に与える必要はないと思った。僕を
 知と無知の中間地点に据えること、それがどうやら彼の意図するところであるらしかった。ど
 うしてだろう? 僕に何かを考えさせるためだろうか?

  たとえばどんなことを?
 
  僕にはわからない。疑問符の数が増えていくだけだ。子供がノートにゴム印を手当たり次第
 に捺していくみたいに。
  そのようなわけで、彼女がなぜ自殺したのか、どのような方法を選んで命を絶ったのか、僕
 はいまだに知識を持たない。調べようにも、調べる手だてがない。僕は彼女がどこに住んでい
 るかを知らなかったし、そんなことをいえば、彼女が結婚していたことすら知らなかった。当
 然ながら彼女の新しい姓も知らない(男も電話で名前を言わなかった)。どれくらい長く結婚
 していたのだろう? 子供(たち)はいたのだろうか?
  でも僕は夫が電話で言ったことを、そのままのかたちで受け入れた。疑う気持ちは起きなか
 った。僕と別れたあとも、彼女はこの世界を生き続け、誰かと(おそらく)恋に落ち、その相
 手と結婚し、そして先週の水曜日に何らかの理由で、何らかの方法で、自らの命を絶ったのだ。
 なにはともあれ。彼の声には確かに死者の世界に深く結びついたものがあった。夜の静寂の中
 
で、僕はその生々しい繋がりを耳にすることができた。ぴんと張った糸の緊迫を、その鋭い煌
 めきを目にすることもできた。そういう意味では――それが意図的であったかどうかはともか
 く――夜中の一時過ぎに電話をかけてきたことは、彼にとって正しい選択だった。昼の一時で
 はたぶんこうはいかなかっただろう。

  僕がようやく受話器を置いてベッドに戻ったとき、妻も目を覚ましていた。

 「何の電話だったの? 誰が死んだの?」と妻は言った。
 「誰も死なない。間違い電話だよ」と僕は言った。いかにも眠そうな、間延びした声で。
 
  でももちろん彼女はそんなことは信じなかった。僕の声にもやはり死者の気配は含まれてい
 たからだ。できたての死者がもたらす動揺は、強力な感染性を持っている。それは細かい震え
 となって電話線を伝わり、言葉の響きを変形させ、世界をその振動に同期させていく。でも妻
 はそれ以上何も言わなかった。僕らは暗やみの中で横になり、そこにある静寂に耳を澄ませな
 がら、それぞれに思いを巡らせていた。

  そのようにして、彼女はこれまで僕がつきあった女性たちの中で、自死の道を選んだ三人目
 となった。考えてみれば、いや、むろんいちいち考えるまでもなく、ずいぶんな致死率だ。僕
 にはとても信じられない。だいたい僕はそれほど数多くの女性と交際してきたわけではないの
 だから。なぜ彼女たちが若くして、そんなに次々に自らの命を絶っていくのか、絶っていかな
 くてはならなかったのか、まったく理解できない。それが僕のせいでなければいいと思う。そ
 こに僕が関与していなければいいと思う。あるいは彼女たちが僕を目撃者として、記録者とし
 て想定したりしていなければいいと思う。心から本当にそう思う。そして、どう言えばいいの
 だろう、彼女は――その三人目の彼女は(名前がないと不便なので、ここでは仮にエムと呼ぶ
 ことにする)―――どのように考えても自殺をするタイプではなかった。だってエムはいつも、

  世界中の屈強な水夫たちに見守られ、見張られていたはずなのだから。
  エムがどういう女性だったのか、僕らがいつどこで知り合って、どんなことをしたのか、そ
 れについて具体的に語ることはできない。申し訳ないのだが、事情を明らかにすると、現実的
 にいろいろと面倒なことがある。おそらくまわりの(まだ)生きている人々に迷惑が及ぶこと
 になる。だから僕としては、僕はかなり以前に彼女と一時期、とても親密につきあっていたが、
 あるときわけがあって離ればなれになった、としかここでは書けない。

  僕は実を言うと、エムのことを、十四歳のときに出会った女性だと考えている。実際にはそ
 うじゃないのだけれど、少なくともここではそのように仮定したい。僕らは十四歳のときに中
 学校の教室で出会った。たしか「生物」の授業だった。アンモナイトだか、シーラカンスだか、
 なにしろそんな話だ。彼女は僕の隣の席に座っていた。僕が「消しゴムを忘れたんだけど、余
 分があったら貸してくれないか」と言うと、彼女は自分の消しゴムを二つに割って、ひとつを
 僕にくれた。にっこりとして。そして僕は文字通り一瞬にして彼女と恋に落ちた。彼女は僕が
 それまでに目にした中で、いちばん美しい女の子だった。とにかくそのとき僕はそう思った。
 僕はエムをそのような存在としてとらえたい。僕らはそんな具合に、中学校の教室で初めて出
 会ったのだと。アンモナイトだかシーラカンスだか、その手のものにひそやかに圧倒的に仲介
 されて。そう考えると、いろんなことがとてもすんなりと俯に落ちるものだから。

  僕は十四歳で、作りたての何かのように健康で、もちろん温かい西風が吹くたびに勃起して
 いた。なにしろそういう年齢なのだ。でも彼女は僕を勃起させたりしなかった。彼女はすべて
 の西風をあっさりと凌駕していたからだ。いや、西風ばかりじゃない、すべての方角から吹い
 てくる、すべての風を打ち消してしまうほど素晴らしかった。そこまで完璧な少女の前で、む
 さくるしく勃起なんてしていられないじゃないか。そんな気持ちにさせてくれる女の子に出会
 ったのは、生まれて初めてのことだった。

  僕はそれがエムとの最初の出会いだったと感じている。ほんとはそうじゃないのだけれど、
 そう考えるとものごとの筋がうまく繋がる。僕は十四歳で、彼女も十四歳だった。それが僕ら
 
にとっての、真に正しい邂逅の年齢だったのだ。僕らは本当はそのように出会うべきであったのだ。

  でもそれからエムは、いつの間にか姿を消してしまう。どこに行ってしまったのだろう?
 僕はエムを見失う。何かがあって、少しよそ見をしていた隙に、彼女はどこかに立ち去ってし
 まう。さっきまでそこにいたのに、気がついたとき、彼女はもういない。たぶんどこかの小校
 い船乗りに誘われて、マルセイユだか象牙海岸だかに連れていかれたのだろう。僕の失望は彼
 らが渡ったどんな海よりも深い。どんな大烏賊や、どんな海竜がひそむ海よりも深い。自分と
 いう人間がつくづく嫌になってしまう。何も信じられなくなってしまう。なんということだ!
 あれほどエムのことが好きだったのに。あれほど彼女のことを大事に思っていたのに。あれほ
 ど彼女を必要としていたのに。どうして僕はよそ見なんかしてしまったのだろう?

 
               村上春樹 著 『女のいない男たち』(書き下ろし/文藝春秋)
 
                                      この項つづく

 

   



 

 

●家庭用ヌードルメーカーが気になる

家庭用の製麺機が人気だという。 販売されたのは昨年の4月に発売された油を使わずに揚げ物がで
きるフィリップスの『ノンフライヤー』は、画期的な調理家電として反響を呼び大ヒット商品とな
ったが、そのフィリップスが6月下旬より発売され、この『フィリップス ヌードルメーカー』が先
導となり現在では国内や中国メーカも参入しブームとなった模様。ものはというと、電気ポットほ
ど大きさで「粉を入れる」⇒「ボタンを押す」⇒「注ぎ口から水や卵の材料を入れる」という3ス
テップ、約10分で生麺が作れる調理器だ。4種類の製麺用キャップが付属されており、製麺用キャッ
プを変えるだけで、うどん、そば、ラーメン、パスタといった生麺を全自動で作ることができると
いうもの。そして「日本の3大主食のうち、ご飯に関しては炊飯器の所持率が95%、パンについては
トースターが70%、ホームベーカリーが25%と主食調理家電として多くの家庭に浸透している。も
うひとつの主食である麺について、なぜ手作りが進んでいなかったかということに私たちは着目し
た。日本人は非常に麺が好きな国民で、約4人に1人が週に5回以上、約50%が週に2~4回、合計
すると90%が週に1回以上麺を食べている計算になるとか。日本は麺の頻度だけではなく、ラーメ
ン、そば、うどん、パスタと種類の多さも特徴的で麺先進国だ。近年ではとくに生麺が人気で、袋
麺、即席麺では生麺タイプの投入により、市場が再成長しており、冷凍食品、外食産業でも、生麺
を前面に出して人気を集めるなど、生麺人気が麺カテゴリの拡張をする。


《フィリップス ヌードルメーカーの仕様》



●規格品外野菜のパウダー



話は少しずれるが、上の写真(クリック)の『野菜パウダー革命』『ソイスコーンでドライブ・マ
イ・カー
』としてブログ掲載した規格品外の野菜を乾燥し粉砕製粉させことで、無駄なく利用する
方法として、製パン・製麺・食品色素・製菓子などとして商品展開する事業について考察した。こ
れは穀物・豆類でもおなじである。ただ、家庭用あるいは小型製麺機までは考察していない。

 

 




ところで、家庭用ヌードルメーカーのアイデアは、10年前に「特開2004-073783 小型製麺機」(
下図クリック)に提案されている。麺の出口が下向いているが、フィリップス ヌードルメーカー
やその類似品は横から射出されている違いがあるだけでほぼ同じ原理と機構構成となっているはず
だ(はずだというのは詳細に網羅して調査していないため)。この提案では「麺類のうちでも特に
蕎麦粉は水と捏ねても小麦粉のように粘弾性に乏しく、蕎麦粉が多いと非常に切れやすくなる。こ
のため、機械的に製造するためには、通常は小麦粉等のつなぎ材料を加える必要があった。または
、細心の注意を払いながら手で打つしかなく、製麺機で機械生産することは困難であった。また、
この課題に対しては、特開平8-38026に見られるように麺茹で容器内の熱湯の湯面と蕎麦押出しノ
ズル部の蕎麦排出孔の出口との距離を20cm以下になるよう配置することにより解決する
方法が
提案されている。」「しかしながら特開平8-38026の方法では、大規模な業務用としては可能であ
るが、家庭用など小人数用では、麺茹で容器内の熱湯の湯面と蕎麦押出しノズル部の蕎麦排出孔の
出口との距離を20cm以下になるように設置することは、狭い家庭の台所環境では困難であり、
また固定が不十分な場合、特に人力では操作時に操作力が製麺機を動かす方向に働き、これにより
麺茹で容器をも移動させ、内部の熱湯が飛び散る可能性があるという危険性があるため、小人数用
としては使えないという課題があった。また、製麺機に入れる蕎麦練体を事前にそば粉に水を加え
て作る必要があったため、練りと製麺の間に時間を要するため、蕎麦練体の乾燥を防ぐことが難し
く、すなわち製麺したときに短く切れ易くしたがって連続した蕎麦を製麺するためには麺茹で容器
内の熱湯の湯面と蕎麦押出しノズル部の蕎麦排出孔の出口との距離を20cm以下になるように設
置する必要があった」「水とそば粉を撹拌する攪拌手段と、撹拌手段により得られた蕎麦練り体を
スイッチ操作により自動的に受け入れて押出す押出し手段とで構成することで、蕎麦粉の含有率が
高い高品質の蕎麦をも安全に迅速に製造することができる小人数用製麺機を提供する」と記載され
ている(しかし「小型製麺機」は明記されているが「蕎麦」と使用範囲が限定的に記載されている
だけである)。


 

 

いや、驚きましたね。折をみて、我が家でも使ってみますか?

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深まる謎・解明される謎

2014年06月21日 | 時事書評

 

 

 

●完全固体化色素増感型太陽電池

つい最近、リコーが電解質を固体材料のみの色素増感太陽電池の開発に成功している。それによる
と、従来の液体電解質法の安全性や耐久性の難点を改善し、発電効率をアモルファスシリコン太陽
電池の2倍以上を達成。新開発の色素増感太陽電池は、有機p型半導体と固体添加剤からなるホー
ル輸送性材料を用い、独自の超臨界流体二酸化炭素(SCF-CO2)を使って製膜。この製膜技術によ
りこれまで困難であったナノレベルの酸化チタン粒子の多孔質膜内部へ、極めて高密度にホール(
子)輸送性材料を充填することが可能となった。ここで、ホール(電子)輸送性材料とは特定の
ポリチアジアゾール化合物とポリアリールアミン化合物の単独あるいは二種類以上の混合物として
いる(下図クリック)。

 

リコーでは、照度が200lx(ルクス)の白色発光ダイオード(LED)の光を当てた場合、これまで知
られている最も高性能なアモルファスシリコン太陽電池は1平方センチメートル当たり、6.5μWの
起電力する。従来型の色素増感太陽電池は8.4μWであり、アモルファスシリコンよりも30%程度性
能が高いが、今回の完全固体化のものは、13.6μWであり、アモルファスシリコンと比較して2倍以
上(従来品と比較しても60%以上)だ。ここで大切なのは、最上図のように、太陽電池として機能
には微細な金属酸化物ナノ粒子(灰色の大きめの円)と増感色素(ピンク色の小さな円)、固体電
解質(黄色)がそれぞれ密着している必要がある。一般的な色素増感太陽電池のように電解液を使
っていれば、すき間はできにくい。ところが、リコー方式は電解液を固体化しているので密着が難
しい。図下/左のように二酸化チタン粒子からなる多孔質膜内部にすき間(未充填部)が多くなり、
太陽電
池としての性能が低下し信頼性が低下する。この問題を解決するために、二酸化炭素を使っ
た超臨界状態
で加圧充填(「超臨界充填法」/『さて、超臨界の話をしよう。』)することで解決
したという。

●ホール(電子)輸送輸送性材料の特徴

 

 

【符号の説明】

1 基板 2 基板 3 電子集電電極 4 電子集電電極 5 6および7からなる電子輸送層 6
緻密な電子輸送層 7 多孔質な電子輸送層 8 9および10からなるホール輸送層 9 電解質
層 10 触媒層 11 光増感化合物 12 リードライン 13 リードライン

なお、ホール(電子)輸送性材料である多孔質構造体用分散体の特徴技術がリコーより(上図クリ
ック)次のように提案されている。


多孔質構造体用分散体において、体積基準のお粒径分布における粒径が5~500ナノメーターで
あり、粒径分布のピークが3つ以上ある半導体微粒子分散体で、そのピークの1つが5~20ナノ
メーターであることを特徴とする。この提案の分散体を用いて作製した多孔質構造体の平均細孔径
は25~40ナノメーターである。

また、半導体微粒子の材質としては、(単体半導体:シリコン、ゲルマニウム、(金属カ
ルコゲニド:チタン、スズ、亜鉛、鉄、タングステン、ジルコニウム、ハフニウム、ストロンチウ
ム、インジウム、セリウム、イットリウム、ランタン、バナジウム、ニオブ、あるいはタンタルの
酸化物、カドミウム、亜鉛、鉛、銀、アンチモン、ビスマスの硫化物、カドミウム、鉛のセレン化
物、カドミウムのテルル化合物、亜鉛、ガリウム、インジウム、カドミウム、等のリン化物、ガリ
ウム砒素、銅-インジウム-セレン化物、銅-インジウム-硫化物、(ペロブスカイト:チタ
ン酸ストロンチウム、チタン酸カルシウム、チタン酸ナトリウム、チタン酸バリウム、ニオブ酸カ
リウム――特に、酸化チタン、酸化亜鉛、酸化スズ、酸化ニオブが好ましく、単独、あるいは2種
以上の混合ても構わない。


●深まる謎・解明される謎

しかしながら、色素増感型太陽電池の開発研究から、当初考えていたバンドギャップエネルギーを
ベースと
して、光子により色素を媒介し光励起した電子が再結合することなく、あるいは熱変換さ
れずにスムーズに効率良くに
取り出すための機構に疑問符がつき、謎が深まることとなった。それ
ペロブスカイト構造にすることで変換効率が飛躍的に向上することが確認され、色素の位置づけ
が変わりつつある。また、『きょうの無知の知』で記載した、信州大学繊維学部の村上泰教授とエ
ヌ・ティー・エス社が開発した新型太陽電池の発見であり、量子スケールデバイスあるいは有機半
導体や有機太陽電池の研究の進展により、徐々に高効率な光電変換素子の機構条件が解明されつつ
あるが、これを明確に表現するには今暫く研究の進展を見守るほかない。

 


   





この小説の表紙(上絵)には、枝垂れ柳(雄株)と猫が描かれている。そういえば、枝垂れ柳の花
言葉は「愛の悲しみ」「憂い」であり、英語では"weeping willow"、つまり、泣き柳の直訳もみえる。
また、雌雄二型の樹木であり、枝・葉には解熱鎮痛薬のアスピリンの元であるサリチル酸やビタミ
ンCが含まれる。さらに、湿潤を好み、強靭なしかもよく張った根を持つこと、また倒れて埋没し
ても再び発芽してくる逞しい生命力を持つことから「カミタ」が主人公のボディーガードとして設
定されていることを、この終章で語り、さらには「両義的とは、結局のところ、両極の中間に空洞
を抱え込むことなのだ」「痛切なものを引き受けなかったから、真実と正面から向かい合うことを
回避し、その結果こうして中身のない虚ろな  心を抱き続けることになった。
たちはその場所
手に入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓をそこに隠そうとしている」と語られる。末節だが三匹
の蛇は
「不見・不聞・不言」の三猿としてオーバーラップし描写されてもいるが、多く語られなか
った妻との離婚劇は「そう、おれは傷ついている」と傷の深さをインハンスし物語は閉じられる。



  目を覚ましたとき、枕元のディジタル式の時計は2時15分を表示していた。誰かが部屋のド
 アをノックしている。強いノックではないが、その音は腕の良い大工が打つ釘のように簡潔に
 硬く、凝縮されていた。そしてノックをしている誰かは、その音が木野の耳にしっかり届いて
 いることを承知していた。その音が木野を深い真夜中の眠りから、慈悲ある束の間の休息から
 引きずり出し、彼の意識を苛酷なまでに隈無く澄み渡らせていることを。
 
  ドアを叩いているのが誰なのか、木野にはわかる。彼がベッドを出てドアを内側から開ける

 ことを、そのノックは求めている。強く、執拗に。その誰かには外からドアを開けるだけの力
 はない。ドアは内側から木野自身の手によって開けられなくてはならない。
 
  木野はその訪問が、自分が何より求めてきたことであり、同時に何より恐れてきたものであ

 ることをあらためて悟った。そう、両義的であるというのは結局のところ、両極の中間に空洞
 を抱え込むことなのだ

 「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と妻は彼に尋ねた
 「僕もや
はり人間だから、傷つくことは傷つく」と木野は答えた。

  でもそれは本当ではない。少なくと
も半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかな
 かったんだ、と木野は認めた。本物の
痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺し
 てしまった。痛切なものを引き受けなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、
 その結果こうして中身のない虚ろな  心を抱き続けることになった。たちその場所を手に
 入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓 をそこに隠そうとしている。
 
 「ここは僕ばかりではなく、きっと誰にとっても居心地の良い場所だったのでしょう」とカミ
 タは言った。彼の言おうとしていたことが、木野にも今ようやく理解できた。
  木野は布団をかぶって目を閉じ、両手でぴたりと耳を塞ぎ、自分自身の狭い世界に逃げ籠も
 った。そして自らに言い聞かせた。何も見るまい、何も間くまい、と。しかしその音を消し去
 ることはできない。たとえ世界の果てまで逃げ、両方の耳を粘土で塞いだところで、生きてい
 る限り、意識というものが僅かなりとも残る限り、そのノックの音は彼を追い詰めるだろう。
 それが叩いているのはビジネス・ホテルのドアではない。それは彼の心の扉を叩いているのだ。
 人はそんな音から逃げ切ることはできない。そして夜明けまでには――もし夜明けなどという
 ものがまだあるとすればだが――まだ長い時間が横だわっている。

  どれはどの時間が経過したのだろう、気がついたときノックの音はやんでいた。あたりは月
 の裏側のように静まりかえっている。それでも木野は布団をかぶったまま動かなかった。油断
 してはならない。彼は気配を殺し、耳を澄ませ、沈黙の中に不吉な示唆を聞き取ろうとした。
 ドアの外にいるものがそれほど簡単にあきらめるはずはない。相手には急ぐ必要はないのだ。
 月も出ていない。空には枯死した星座か黒々と浮かんでいるだけだ。世界はまだしばらくのあ
 いだ彼らのものだ。彼らはいくつもの違うやり方を持っている。求めは様々なかたちをとるこ
 とができる。暗い根は地中の至る処にその先端を仲ばすことができる。それは我慢強く時間を
 かけ、弱い部分を探り、堅固な岩をさえ砕くことができる。 
 
  やがて予想どおり、再びノックが始まった。しかし今度は聞こえてくる方向が追う。音の響
 きも追っている。前よりずっと間近に、文字どおり耳もとでそれが聞こえる。その誰かは今で
 は、枕もとの窓のすぐ外にいるようだ。おそらく地上八階の切り立ったビルの壁にへばり付き、
 顔を窓に押しつけるようにして、雨に濡れたガラスをこつこつと叩き続けているのだろう。そ
 れ以外には考えられない。
 
  それでも叩き方だけは変わらない。二度。続けて二度。少し間を置いてまた二度。それがき
 りなく繰り返される。音が微妙に大きくなり、また小さくなる。感情を具えた特殊な心臓の鼓
 動のように。
 
  窓のカーテンは開けたままになっている。彼は眠りに就く前に、窓についた水滴の模様をあ
 てどなく眺めていた。今ここで布団から顔を出せば、暗いガラス窓の向こうに何が見えるか、
 木野にはおおよそ想像がついた。いや、追う、想像はつかない。想像するという頭の動きその
 ものを消し去らなくてはならない。いずれにせよ、おれはそれを目にするわけにはいかない。
 どれほど虚ろなものであれ、これは今でもまだおれの心なのだ。たとえ微かであるにせよ、そ
 こには人々の温もりが残されている。いくつかの個人的な記憶が、浜辺の棒杭に絡んだ海草の
 ように、無言のまま満ち潮を待っている。いくつかの思いは、切られればたしかな赤い血を流
 すことだろう。今はまだ、どこかわけのわからないところにその心を彷徨い行かせるわけには
 いかない。




  神様の田んぼと書いて、カミタと言います。カンダではなく。この近くに住んでいます。

 「覚えておこう」と大柄な男は言った。
 「いい考えです。記憶は何かと力になります」とカミタは言った。

  カミタはひょっとして、なんらかのかたちであの前庭の古い柳の木に結びついているのかも
 しれない、木野はふとそう思った。あの柳の木が自分を、そして小さな家を保護してくれてい
 たのだ。よく理屈のわからないことだが、いったんそういう考えが頭に浮かぶと、話が節々で
 繋がるような気がした。 
  豊かな緑の枝を地面近くまで垂らした柳の姿を、木野は頭に思い浮かべた。夏にはそれは涼

 しい陰をささやかな前庭に落としてくれた。雨の日には無数の銀色の水滴を柔らかな枝に輝か
 せていた。風のない日にはそれは深く静かに思索し、風のある日には定まりきらぬ心をあても
 なく揺らせた。小さな鳥たちがやってきて、高く鋭い声で語り合いながら、細くしなう枝に器
 用にとまり、やがてまた飛び立っていった。鳥たちが飛び去ったあとの枝は、しばらくのあい
 だ楽しげに左右に揺れていた。
 
  木野は布団の中で身体を虫のように丸め、目を固く閉じ、ただ柳の本のことを思った。その
 色やその形やその動きを、ひとつひとつ具体的に頭に思い浮かべた。そして夜明けの訪れを念 
 じた。あたりが次第に明るくなり、ガラスや小鳥たちが目を覚まして一日の活動を始めるのを、
 こうして耐えて待つしかない。世界中の鳥たちを信じるしかない。翼を持ち、嘴を具えたすべ
 ての鳥たちを。それまでいっときも心を空っぽにしてはならない。空白が、そこに生じる真空
 が、それらを引き寄せるのだ。





 
  柳の木だけでは足りなくなると、木野はほっそりとした灰色の雌猫のことを思い、その猫が
 焼き海苔を好んで食べたことを思い出した。カウンター席で熱心に本を読んでいるカミタの姿
 を思い、陸上トラックで苛酷なリペティション練習をやっている若い中距離ランナーたちの姿
 を思い、ベン・ウェブスターの吹く『マイ・ロマンス』の美しいソロを思った(途中二度スク
 ラッチが入る。ぷつん・ぷつんと)。記憶は何かと力になる。そして髪を短くし、新しい青い
 ワンピースを着たかつての妻の姿を思い浮かべた。何はともあれ、彼女が新しい場所で幸福で
 健康な生活を送っていることを木野は願った。身体に傷を負ったりしないでいてくれるといい。
 彼女は面と向かって謝罪したし、おれはそれを受け入れたのだ。おれは忘れることだけではな
 く、赦すことを覚えなくてはならない。




 
  しかし時間はその動きをなかなか公疋に定められないようだった。欲望の血なまぐさい重み
 が、悔恨の錆びた碇が、本来あるべき時間の流れを阻もうとしていた。そこでは時は一直線に

 飛んでいく矢ではなかった。雨は降り続き、時計の針はしばしば戸惑い、鳥たちはまだ深い眠
 りに就き、顔のない郵便局員は黙々と絵葉書を仕分けし、妻はかたちの良い乳房を激しく宙に
 揺らせ、誰かが執拗に窓ガラスを叩き続けていた。彼をほのめかしの深い迷宮に誘い込もうと
 するかのように、どこまでも規則正しく。こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背
 けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なのだから。

  初夏の風を受け、柳の枝は柔らかく揺れ続けていた。木野の内奥にある暗い小さな一室で、

 誰かの温かい手が彼の手に向けて伸ばされ、重ねられようとしていた。木野は深く目を閉じた
 まま、その肌の温もりを思い、柔らかな厚みを思った。それは彼が長いあいだ忘れていたもの
 だった。ずいぶん長いあいだ彼から隔てられていたものだった。そう、おれは傷ついている、
 それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。その暗く静かな部
 屋の中で。
 
  そのあいだも雨は間断なく、冷ややかに世界を濡らしていた。


                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )  

                                                        この項了


  

 

  A cigarette that bears a lipstick's traces
  An airline ticket to romantic places
  And still my heart has wings
  These foolish things remind me of you

  A tinkling piano in the next apartment
  Those stumbling words that told you what my heart meant
  A fairground's painted swings
  These foolish things remind me of you

  You came, you saw, you conquered me
  When you did that to me
  I knew somehow this had to be

  The winds of march that make my heart a dancer
  A telephone that rings but who's to answer?
  Oh, how the ghost of you clings
  These foolish things remind me of you

  The smile of turner and the scent of roses
  The waiters whistling as the last bar closes
  The song that crosby sings
  These foolish things remind me of you 

 
         
           “ These Foolish Things
 ( Remind Me Of You ) "

                                    Word&Music  
                    Eric Maschwitz and  Jack Strachey
 

 

 



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トランセンデンスという不安

2014年06月20日 | 時事書評

 

 




● 映画『トランセンデンス』

『トランセンデンス』(Transcendence)は、日本語では超越とでもなろうか。ウォーリー・フィス
ター監督、ジャック・パグレン脚本による2014年のイギリス・中国・アメリカ合衆国のSFスリラー映
画。人工知能と化した科学者の姿を通して、行き過ぎたテクノロジーがもたらす危機を描いている。
出演はジョニー・デップ、レベッカ・ホール、モーガン・フリーマンらである。世界初の人工知能PI
NN(ピン)を研究開発するコンピューター科学者のウィル・キャスター(ジョニー・デップ)とその
妻エヴリン(レベッカ・ホール)は、コンピューターが人間の能力を超えることができる世界を構築
する為の技術的特異点を目標に活動していた。しかしそのさなか、ウィルは反テクノロジーを唱える
過激派テロ組織RIFT(リフト)の凶弾に倒れてしまう。エヴリンは夫を救うべく、死の際にあったフ
ィルの意識をPINNにアップロードする。彼女の手により人工知能としてよみがえったウィルは、軍
事機密から金融、経済、果ては個人情報にいたるまで、ありとあらゆる情報を取り込み、驚異の進化
を始める。やがてそれは、誰も予想しなかった影響を世界に及ぼし始める。という展開だという。

これまで撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスターの監督デビュー作である。ジャック・パグレ
ンはフィスターに監督させるために脚本を書き、プロデューサーのアニー・メーターはストレート・
アップ・フィルムズに企画を持ちかけた。企画はストレート・アップに売られ、2012年3月までには
アルコン・エンターテインメント(英語版)が権利を取得した。アルコンは出資し、ストレート・ア
ップとアルコンのプロデューサーが共同で製作に参加した。6月にはそれまでフィスターと働いてい
た映画監督のクリストファー・ノーランとその妻で製作パートナーでもあるエマ・トーマスがエグゼ
クティブプロデューサーとして参加した。2012年10月までにはジョニー・デップへの出演交渉が行わ
れたという。





これまでデジタル式映画撮影でのフィルムストックの使用を支持していたフィスターは本作を35mmフ
ィルムでアナモルフィック形式(英語版)で撮影することに決めた。デジタル・インターミディエイ
トの代わりに従来の光学処理が行われる。さらに4K解像度によるデジタルマスターが完成されIMAX
でも上映される。また中国では3D版も上映される。撮影は2013年6月に始まり、62日間にわたって行
われたという。




この映画、楽しみにしているが、鑑賞後の感想は後日掲載!



●大峰山登破計画

「大峰山は奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳をさしていう。
歴史的には、大峰山は大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々をさす。
対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。この一帯は1936年
(昭和
11年)、吉野熊野国立公園に指定され、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産
に「紀
伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡「大峯山寺」史跡「
大峯奥駈
道」ほかが登録された。吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来よりの自然信仰と渾然一
体となった
渡来の神仙思想や道教や仏教の修行のために、藤原や平城の都からこの地を訪れた僧侶
(修験者)に
よっ切り開かれたことに始まったとされる。

熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年
- 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉
野までの大峯奥駈道が体系付けられた。熊野
から吉野まで詣でることを順峯。吉野から熊野まで詣で
ることを逆峯と呼んでいる。なお大峯山では「峯」の文字を使用しており、これは「山久しくして平
らかなり。」という意味味を示している。深田久弥の随筆『日本百名山』やそれを元にした各種一覧
表では、大峰山(1,915m)とあるが、これは広義でいう大峰山の最高峰「八経ヶ岳」(八剣山)の標
高である。『日本百名山』において深田久弥は山麓の吉野郡天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳に
登った。宿坊で泊まり翌朝山頂に立つとそこから南へと大峰山脈縦走路(大峯奥駈道)に入り大普賢
岳、行者還岳を経て夕方に弥山(みせん)の山小屋に着、翌朝に近畿の最高地点である八経ヶ岳の山
頂に登った。縦走路はさらに南へ続くが大峰山最高峰到達に満足し山を下ったとされる。

大峰山の麓、天川村には日本三大弁財天の一つ(異説もあるが)で古い歴史を持つ天河大弁財天社が
あり、弥山の山頂にはその奥宮がある。1984年(昭和59年)8月、大峰山寺の解体修理に伴う外陣回
りの発掘調査で、山岳宗教史上の大発見として黄金仏2体が検出された。」という(「ヤマコレ」山
のデータ→大峰山より)。




遅れていたが、やっと目途らしきものがたち、百名山登破紀をつづることにした。後は、家庭の事情
と天候が整えば即決行。


 

 

 

   

 

  その夜は雨が降っていた。雨脚はさして強くないが、降りやむ兆しの見えない秋特有の長雨
 だった。繰り返しの多い単調な告白のように、そこには切れ目もなく、めりはりもなかった。
 いつ頃から降りだしたのか、今となってはそれすら思い出せない。それがもたらすのは冷やや
 かに湿った無力感だ。傘を差して外に出て、どこかで夕食をとろうという気持ちも湧いてこな
 い。それなら何も食べなくていい。枕元のガラス窓は細かい水滴で覆われ、水滴は次から次へ
 と新しいものに更新されていった。木野はそのガラス窓の模様の細かい変化を、とりとめのな
 い思いで観察していた。その模様の向こうには、暗い街並みがあてもなく広がっている。ポケ
 ット瓶からウィスキーをグラスに注ぎ、同じ量のミネラル・ウォーターで割って飲んだ。氷は
 なし。廊下の製氷機まで足を運ぼうという気にもなれなかった。その生温かさが、彼の身体の
 気怠さにうまく馴染んでいた。
 
   木野は熊本駅の近くにある安いビジネス・ホテルに泊まっていた。低い天井、狭いベッド、

 小さなテレビ、小さなバスタブ、ちっぽけな冷蔵庫。部屋の中の何もかもが小振りにできてい
 る。そこにいると、まるで自分が不格好な巨人になったような気がするほどだ。しかし彼はそ
 の狭さをとくに苦にも感じず、部屋に終日閉じこもっていた。雨が降っていたこともあり、近
 所のコンビニエンス・ストアまで足を運んだのを別にすれば、一度も部屋の外に出なかった。
 コンビニエンス・ストアでウィスキーのポケット瓶とミネラル・ウォーター、そしてつまみの
 クラッカーを買った。ベッドに寝転んで本を読み、本を読むのに飽きるとテレビを見て、テレ
 ビを見るのに飽きると本を読んだ。

 
  それは熊本での三泊目だった。銀行の預金残高にはまだ十分余裕があったし、泊まろうと思
 えばもっとましなホテルに泊まることもできた。しかし今の自分にはこれくらいが似合った居
 場所だろう、そんな気がした。狭いところにじっとしていれば、余計なことを考える必要もな
 いし、手を仲ばせば大抵のものに届く。それが木野には意外にありかたかった。これで音楽が
 聴ければ言うことはないのだがな、と彼は思った。テディー・ウィルソン、ヴィック・ディッ
 ケンソン、バック・クレイトン、そういう古風なジャズがときどき無性に聴きたくなった。堅
 実なテクニック、シンプルなコード、演奏することそれ自体の素朴な喜び、見事なまでのオプ
 ティミズム。今の木野が求めているのはそのような、今はもう存在しない種類の音楽だった。


 しかし彼のレコード・コレクションは遠く離れたところにあった。明かりが消え、しんと静ま
 りかえった「木野」の閉店後の店内を、彼は思い浮かべた。路地の奥、大きな柳の木。やって
 きた客たちは休業の貼り紙を見て、あきらめて引き返していく。猫はどうしただろう? 戻っ
 てきたとしても、出入り□が塞がれていることを知り、きっとがっかりしたことだろう。そし
 て秘密めいた蛇たちはまだあの家を静かに包囲しているのだろうか?





 
  八階の窓の真向かいにはオフィス・ビルの窓が見えた。いかにも安普請の細長い建物だ。朝
 から夕方までのあいだ、真向かいのフロアで働いている人々の姿を、窓ガラス越しに眺めるこ
 とができた。ところどころブラインドが閉まっているので、切れ切れにしか様子は見えないし、
 それがどんな関係の仕事かまではわからない。ネクタイをしめた男たちが出入りし、女たちは  
 コンピュータのキーを叩いたり、電話の応対をしたり、書類の整理をしたりしていた。見てい
 てとくに興味を惹かれる光景ではない。働いている人々の顔立ちも服装も、一様に凡庸だった。

 
 木野かそれを長い時間飽きもせずに眺めていた唯一の理由は、とくに他にすることもなかった
 からだ。そしてそこで木野がもっとも意外に思ったのは、あるいは驚いたのは、人々が時々と
 ても楽しそうな表情を顔に浮かべることだった。中には大きな口を開けて笑っているものもい
 た。どうしてだろう? そんな見栄えのしない事務所で一日働いて、面白みのない作業(とし
 か木野の目には映らなかった)に追われて、どうしてそんなに愉快な気持ちになれるのだろ
 う? そこには自分には理解することのできない大事な秘密のようなものが隠されているのだ
 ろうか? そう考えると、木野はなぜか少し不安になった





  そろそろ次の場所に移らなくてはならない。できるだけ頻繁に移動し続けてください――カ
 ミタにそう言われていた。しかし木野はその熊本の狭苦しいビジネス・ホテルから、なぜか腰
 を上げることができなくなっていた。この先行きたい場所も、見たい風景もまるで思いつけな
 い。世界は目印のない広大な海であり、木野は海図と碇を失った小舟だった。これからどこに
 行けばいいのか、九州の地図を開いて探していると、船酔いのような軽い吐き気に襲われた。
 木野はベッドに寝転んで本を読み、ときどき顔を上げ、向かいのオフィス・ビルで働いている
 人々の姿を観察した。時間が経つにつれ、自分の身体が次第に重みを失い、皮膚が透き通って
 いくみたいに感じられた。



  その前日は月曜日だったので、木野はホテルの売店で熊本城の絵葉書を買い求め、そこにボ
 ールペンで伯母の名前と伊豆の住所を書いた。そして切手を貼った。それから葉書を手に取り、
 長いあいだ城の写真を無心に眺めていた。いかにも絵葉書に使われそうな型どおりの風景写真
 だ。青空と白い雲を背景に堂々と聳える天守閣。「別名銀杏城。日本三名城のひとつとされて
 いる」と説明にはあった。どれだけ眺めても、その城と木野のあいだには接点と呼べそうなも
 のは見当たらなかった。それから彼は衝動的に葉書を裏返し、空白の部分に伯母にあてた文章
 を書いた。
 
 「お元気でしょうか? 最近腰の具合はいかがですか? 僕はまだこうして一人であちこち旅

 を続けています。ときどき自分が半分ほど透明になった気がします。とれたての年影のように、
 内臓まで透けて見えてしまいそうです。でもそれを別にすればおおむね元気です。そのうちに
 伊豆に行きたいと思っています。木野」
 
  どうしてそんなことを書いてしまったのか、木野にはそのときの自分の心の動きをうまくた

 どれない。それはカミタに固く禁じられていたことだった。宛先以外、葉書には何ひとつ書い
 ていけません。そのことを忘れないようにしてください、カミタはそう言った。しかし木野
 はもう自分を抑制することができなくなっていた。どこかで現実と結びついていなくてはなら
 ない。そうしないとおれはもうおれでなくなってしまうだろう。おれはどこにもいない男にな
 ってしまう。木野の手はほとんど自動的に、葉書の狭い空白を細かく硬い字で埋めていった。 
 そして思いの変わらないうちに、ホテルの近くにある郵便ポストに急いで葉書を投函した。

 

                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] ) 



 

  

●豚肉の地産地消時代へ 

農研機構が、 世界初、ガラス化保存未成熟卵子から子ブタを生産したことを公表。それによると、
ガラス化保存ブタ未成熟卵子の加温温度の最適化により、加温後の卵子の生存率が20%向上し、
胚盤胞期への発生率が1.6倍に向上したという。この手法で 世界初のガラス化保存卵子由来の子
ブタを生産し。卵子による保存が可能となったことから、ブタ遺伝資源の安定的な保存につながる
という。これまで、家畜では、精子・卵子及び胚の凍結あるいはガラス化による超低温保存が可能
なのはウシのみだったが、ブタは他の家畜に比べ特に生殖細胞の超低温保存が難しく、これまでは、
凍結精子により雄の遺伝資源を保存してきたが、最近になりブタ胚のガラス化による超低温保存が
可能となってきたが、ブタ卵子は低温傷害を受けやすいため超低温保存による雌の遺伝資源の保存
やガラス化保存卵子からの子ブタの生産は成功しなかった。

 

このように農産物の高度化(=農林畜水産業の高次化)が進めば、安全・安心な食糧供給が地産地消
化として実現とすると、わたしは考えている。採算性は問題ないのか?輸入肉と比べて割高にならな
いのか? この質問には、多少時間はかかるが実現可能だと答えるだろう。

●紫蘇スカッシュ試飲中 

眼精疲労がひどいので、彼女が紫蘇エキス(煮込みエキスをとる)とクエン酸と砂糖、水で紫蘇濃縮ジュース
をつくり、これを炭酸水(市販のペットポトル入り)で割って飲む。朝食には、紫蘇濃縮ジュースと牛乳あるい
はヨーグルトを時折、混ぜ出してくれる。ストロベリー・ヨーグルトのような味がしてなかなか美味しいものだ。
なにより簡単に作れ、持続性は?だが、一時的に目がスカットし、体にもよいからこれはお勧めだ。コンピュー
ティングの仕事の方に、職場で事務所で、そして、ユアーホームで愛用してみてはどうかと考える。 

 

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進化する量子スケールデバイス

2014年06月19日 | デジタル革命渦論

 




●今夜の無知の知

これは少し古いネタになるか?わからないが産業技術総合研究所が、シリコントンネル電界効果ト
ランジスタ(トンネルFET)の新しい動作速度改善技術を考案したと公表y。これにより(1)動作速
度が10倍以上改善、(2)原理はトンネル確率を増加させる手法だという。それにしても、昨年の
報告
とは異なった手法での実証手法だから驚く。ところで、スマートフォンやタブレットなどの情
報機器を携帯することが当たり前にの時代となり、情報処理量が爆発的に増加し電力消費が増え続
けている。このために省エネを実現に微小な電力でも駆動できるセンサーが望まれている。省エネ
のためには大規模集積回路(LSI)の個々のトランジスタの駆動電圧の低減化必要。これまで、MOSF
ET
metal-oxide-semiconductor field-effect transistor
が用いられ電源電圧は徐々に下がってきたが、
0.8 V程度で頭打ちになりつつある。この状況の打破に変わる新しいトランジスタとしてトンネル電
界効果トランジスタ(以降、トンネルFET(tunnel field effect transistor))が注目されており、0.2
~0.3 V
という極めて小さな電圧での駆動が期待されている。

 

トンネルFETの駆動電流が小さいのはトンネル抵抗が大きいためである。これは、バンド間ト
ネル現象が運動量保存則に制限されるためトンネル確率が低くなることに起因する。今回、トンネ
ル障壁中に等電子不純物(半導体をn型やp型にするための不純物とは異なり、半導体に添加しても
電子や正孔を生成しない不純物)
を導入して中間準位を形成し、電子を中間準位を介してトンネル
させることで運動量保存則の制限を緩和させ、トンネル確率を高くしたことで限界を突破する。下
図に、新技術のトンネル障壁中に中間準位を形成したシリコントンネルFETと、通常のシリコン
トンネルFETの電流電圧特性を示している。中間準位を形成することにより、通常のシリコント
ンネルFETの10倍以上の駆動電流が得られ、トランジスタの動作速度は駆動電流量に比例するた
め、10倍以上の動作速度改善が見込まれるとのことだ。



トンネルFETはオフ電流が小さいため待機電力が小さいという利点がある。しかし、今回開発し
た技術では、オフ電流が増加して待機電力が増大する可能性が懸念される。下図にシリコントンネ
ルFETと、通常のシリコントンネルFETの待機電流特性を示す。オフ電流の著しい増加は見ら
れず、待機電力増大の懸念が無いことが分かったという


       


より単純なデバイスであるシリコンダイオードに今回開発した技術を適用した。シリコンダイオー
ドに逆方向の電圧を加えるとトンネル電流が流れるが、今回開発した技術を適用するとシリコンダ
イオードに流れるトンネル電流は735倍であった。シリコントンネルFETでは10倍以上駆動電流が
増加したが、実用化に向けては百倍から千倍の駆動電流の増加が必要であるという。シリコンダイ
オードのトンネル電流の増大から、シリコントンネルFETでも同程度の電流増大の可能性がある
と考えられている。


【最新の量子ドット新規考案】

●新しいビルディングブロックの製法

ゲルマニウムの含有量の高いケイ素(結晶構造:100)の基板に異型接合させたゲルマニウムケイ素
(Ge1-xSix)層は、太陽電池っだけでなく、MEMS、量子カスケードレーザや、高速変調
器や光検出器を含むケイ素ベースのフォトニクスなどのキーテクノロジーとして注目されているが、
開発されこなかった。その理由として、これらの材料に関する最良の経路が複雑すぎることにある。
そのため、Ge1-xSiエピタキシャル層とSi基板との間の不適合歪みを軽減し、平らな表面
形成に、それぞれ組成に傾斜のある厚膜(>10μm)の高温成長と化学機械平坦化の両方が必要で
これまでの方法では不可能であった。
 

ケイ素の上のゲリマニウム・リッチ(Ge≧50原子%)な合金成長を可能にする化学蒸着(CVD)
法が開発され――ゲリマニウム・リッチ膜で、マイクロプロセッサの高速化、携帯電話機の省消費
電力化、シリコンベースのフォトニクスや、太陽電池の高効率化が可能となるが――従来わからなか
った設計用ケイ素-ゲルマニウム水素化物の前駆体を使用し対応する膜の化学組成、モルフォロジ、
およびミクロ構造を精密に制御し、厚い傾斜層やリフトオフ技術を不要とするものあ。

ところで、Si
Ge1-d合金を選択的に堆積させることが可能である。従来的には、SiGe
1-d合金の選択的な成長は、クロロシラン、ゲルマンと塩素の高温反応で作製されるもの高いGe
濃度範囲で適切なモルフォロジとミクロ構造膜は、多成分反応の複雑さや腐食性塩素のため得られな
かった。この問題を解決するために、2つ以上の部位をもつ表面層基板を、この表面の第1の部位の
上方にのみ所定の厚みを有するSiGe1-d層を所定の速度で選択的に分子式SiGe
の化合物を含む化学物質蒸気を接触させ堆積させる
方法が提案されている(下図クリック)。



●マルチエキシトン型量子ドット太陽電池

コロイド量子ドットを用いた太陽電池は、マルチエキシトン生成効果型量子効率を高められること
が報告され注目を集めているが、変換効率が最大でも7%程度であり、さらなる変換効率の向上が
求められている。現在、配位子が大きく、半導体量子ドット同士の近接化が不十分による、光電変
換特性が悪い――チルアミン、エタンジチオールを配位子として用いた場合、数百nA程度の光電
流値しか得ることができず、配位子としてエタンジチオールを用いると、半導体膜の膜剥がれが生
じたりしている。この問題を解決するために下図上表(クリック)の金属原子を有する半導体量子
ドットと、半導体量子ドットに配位し、一般式(A)、(B)、(C)の配位子の少なくとも1種
の配位子と、を有する半導体膜を作製し、高い光電流値が得られ、かつ膜剥がれが抑制される半導
体膜が提案されている。





【最新の太陽電池の新規考案】

●導光で発電効率を高める

従来の太陽光発電装置は、複数の太陽電池パネルを太陽に向けて一面に敷き詰めたものが一般的で
あっ
た。一般に、太陽電池パネルは不透明な半導体で構成されており、積層して配置することがで
きない。その
ため、太陽光発電装置は、電力量を確保するためには大面積の太陽電池パネルが必要
となる。
ところが、屋根のような限られた場所に装置を設置しなければならないという制約があり、
得られる電力量に限界があった。したがって、入射した太陽光を太陽電池に導くための導光部材
備えた太陽電池が提案されているが、導光部材のサイズを大きくした場合、入射光を導光部材の内
部で伝播させて端面に集光させる過程で、入射光が複数のV字状溝の反射面で複数回反射され、入
射光の反射面における反射角度が変わり、入射光が反射面において全反射条件を満たさなくなり
部へ抜けてしまう。その結果、太陽電池への入光効率が低下し、発電効率が低下してしまうケース
があるため、下図(クリック)の太陽電池モジュールは、互いに対向して配置された導光体と反射
体と、導光体と反射体との間に、配置された低屈折率層と、導光体から射出された光を受光する太
陽電池素子とで構成し、導光体は、外部からの光を第1主面(3a)から入射させ内部を伝播させ
て第1端面(3c)から射出させ、反射体は、導光体の第1主面3aから入射して導光体3を透過
し、反射体に入射した光を反射させ、光の進行方向を変更する反射部(4a)を有し、低屈折率層
は、導光体の屈折率よりも低い屈折率を有し、太陽電池素子は、導光体の第1端面3aから射出さ
れた光を受光し、導光体3の厚みが、この導光体の第1端面3aの遠くから導光体の第1端面3a
に近づくにつれて徐々に厚くなっていることで問題を解決し、発電効率の低下を抑制できるす太陽
電池モジュールと太陽光発電装置の提案がなされている。

 

 

●参考

・特開2014-112681 ハロシリルゲルマンの新規な製造方法および使用方法 
・特開2014-112623 半導体膜、半導体膜の製造方法、太陽電池、発光ダイオード、薄膜トランジス
 タ、および、電子デバイス

・特開2014-112571 太陽電池モジュール、太陽光発電装置および太陽電池モジュールの設置方法 
・特開2014-112540 非水系二次電池用正極及びその製造方法、非水系二次電池ならびに電気機器
・特開2014-112534 蓄電装置用電極及びその製造方法、蓄電装置、並びに電気機器 
・特開2014-111527 Ⅲ族金属窒化物結晶およびその形成方法
・特開2014-108917 半導体材料 
・特開2014-104712 電子デバイスの製造方法および多層ガラス積層体   
・特開2014-099510 太陽光発電機
・特開2014-096532 導電性接着剤、太陽電池モジュール、及び太陽電池モジュールの製造方法 
・特開2014-086654 化合物半導体太陽電池および化合物半導体太陽電池の製造方法





   




  ある夜カミタが十時前に姿を見せた。ビールを注文し、ホワイトラベルのダブルを飲み、
 のあいだにロールキャベツまで食べた。彼がそんなに遅い時刻に来店するのも、それほど長

 をするのも異例のことだった。カミタは時折読んでいる本から目を上げ、正面の壁をじっと

 ていた。何ごとかを深く考えているようだった。そして閉店の時刻になり、自分が最後の客

 なるのを待った。

 
 [木野さん」とカミタは勘定を済ませたあと、あらたまった声で言った。「こんなことになっ

 てしまって、僕としては残念でならないのです」
 
  こんなことって?」と木野は思わず聞き返した。
 
 「この店を閉めざるを得なくなったことです。たとえ一時的にせよ」

  木野は言葉もなくカミタの顔を見ていた。店を閉める?
 
  カミタは誰もいない店内をぐるりと見回した。それから木野の顔を見て言った。「どうやら
 まだ、僕の言っていることの意味がよくわかっておられないようですね?」
 
 「ええ、何のことだかよく理解できていないと思います」


  カミタは打ち明けるように言った。「僕はここがずいぶん気に入っていたんです。静かに本

 を読めたし、かかっている音楽も好きだった。この店がこの場所にできたことを喜んでいまし
 た。でも残念ながら多くのものが欠けてしまったようです」
 
 「欠けてしまった?」と木野は言った。その言葉が具体的に何を意味するのか、木野にはわか

 らなかった。彼に思い浮かべられるのは、小さく縁が欠けた茶碗くらいだった。
  「あの灰色の猫はもうここには戻ってこないでしょう」とカミタはそれには答えずに言った。
 
 「少なくとも当分のあいだは」 
 「それはこの場所が欠けてしまったからですか?」
 
  カミタは返事をしなかった。

  木野はカミタにならって店内を注意深く見回してみたが、普段と違うところは見て取れなか 
 った。ただいつもより心なしか空虚に、また活力と色彩を失って感じられた。閉店後の店はた
  だでさえがらんとしているものだが、それでもなお。
  カミタは言った。「木野さんは自分から進んで間違ったことができるような人ではありませ
 ん。それはよくわかっています。しかし正しからざることをしないでいるだけでは足りないこ
 とも、この世界にはあるのです。そういう空白を抜け道に利用するものもいます。言っている
 意味はわかりますか?」
 
  木野には理解できなかった。よくわからないと彼は言った。
 
 「そのことをよく考えてみてください」とカミタは木野の目をまっすぐ見て言った。「深く考
 える必要のある大事な問題です。答えはなかなか簡単には出てこないでしょうが」
 「カミタさんが言うのは、私が何か正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなか
 ったから、重大な問題が生じたということなのでしょうか? この店に関して、あるいは私自
 身に関して」
 
  カミタは肯いた。「厳しい言い方をするなら、そうなるかもしれません。しかしそうだとし
 ても、木野さん一人を責めるつもりはありません。もっと前に僕もそれに気づくべきだったの
 です。僕の油断でもありました。ここは僕ばかりではなく、きっと誰にとっても居心地の良い
 場所だったのでしょう」
 
 「私はこれから何をすればいいのでしょう」と木野は尋ねた。

  カミタは黙ってレインコートのポケットに両手を突っ込んでいた。それから言った。「しば
 らくこの店を閉めて、遠くに行くことです。今の時点で、それ以外にできることはなさそうで
 す。偉いお坊さんに知り合いがいれば、お経をあげてもらい、家のまわりにお札を貼ってもら
 ってもいいでしょう。しかしこの時代、そんな人は簡単に見つかりません。だから次の長い雨
 が降りだす前にここを出ていった方がいい。失礼ですが、長い旅行に出るお金の余裕はありま
 すか?」

 「長さにもよりますが、しぱらくのことならまかなえます」と木野は言った。

 「それはよかった。先のことは先で考えるしかありません」
 「しかし、あなたはいったい誰なのですか?」
 「僕はただのカミタというものです」とカミタは言った。「神の田んぼと書きますが、カンダ
 ではありません。古くからこのあたりに住んでいます」
  
  木野は思いきって尋ねてみた。「カミタさん、ひとつうかがいたいのですが、これまでこの
 あたりで蛇を見かけたことはありますか?」
 
  カミタはそれには答えなかった。「いいですね、遠くまで行って、できるだけ頻繁に移動し
 続けるんです。そしてもうひとつ、毎週月曜日と木曜日には必ず絵葉書を出してください。そ
 うすれば木野さんが無事だとわかります」
 「絵葉書?」
 「その土地の絵葉書ならどんなものでもかまいません」
 「でもどこに宛てて葉書を出せばいいのですか?」
 「伊豆の伯母さん宛てでいいでしょう。差出人の名もメッセージも一切書いてはいけません。
 ただ宛先だけを書くようにしてください。大事なことですから、決して忘れないように」
 
  木野は驚いて相手の顔を見た。「あなたはうちの伯母と親しいのですか?」 
 
 「ええ、あなたの伯母さんをよく存じ上げています。実を言うと、彼女に前もって頼まれてい
 たのです。あなたの身に悪いことが起こらないよう目を配っていてほしいと。でもどうやら期
 待には添えなかったようです」
 
  この男はいったい何ものなのだ? しかしカミタがそれを進んで明らかにしない以上、木野
 には知りようがない。
 
 「もう戻ってきていいとわかったら、そのときはお知らせします。木野さん、それまではここ
 に近づかないように。わかりましたか?」

  木野はその夜のうちに旅行の荷物をまとめた。次の長い雨が降りだす前にここを出ていった
 方がいい。それはあまりにも唐突な告知だった。説明もなければ、前後の理屈もよくわからな
 い。しかし木野はカミタの言ったことをそのまま信じた。ずいぶん乱暴な話だったが、疑う気
 持ちはなぜか起きなかった。カミタの口にする言葉には論理を超えた不思議な説得力があった。
 着替えと洗面具は中型のショルダー・バッグひとつに収まった。スポーツ用品の会社に勤めて
 いた頃、同じバッグに自分で荷物を詰めて出張旅行に出かけたものだ。長い旅行に何か必要で
 何か必要ではないか、よくわかっている。
 
  夜が明けると、彼は「勝手ながら、当分休業させていただきます]という紙を店のドアにピ
 ンでとめた。遠くに、とカミタは言った。しかし具体的にどこに向かえばいいのか、考えは浮
 かんでこなかった。北に向かうか、南に向かうか、それもわからない。だからとりあえず、ラ
 ンニング・シューズのセールスをしていたときよく巡回したコースをそのまま辿ることにした。

  高速バスに乗って高松に行った。四国を一周し、そのあと九州に渡るつもりだった。
  高松駅の近くのビジネス・ホテルに泊まり、そこで三日を過ごした。街をあてもなく歩き回
 り、映画を何本か見た。昼間の映画館はどこもがらがらで、映画はどれもつまらなかった。日
 が暮れると部屋に帰ってテレビのスイッチをつけた。伯母の勧めに従って教育番組を中心に見
 た。しかし役に立ちそうな情報は何も得られなかった。高松での二日目が木曜日だったので、
 コンビニエンス・ストアで絵葉書を買い、切手を貼って伯母宛てに出した。カミタに言われた
 とおり、伯母の名前と住所だけを書いた。

  三日目の夜にふと思いついて女を買った。電話番号はタクシーの運転手が教えてくれた。相
 手は二十歳前後の若い娘で、つるりとしたきれいな身体をしていた。しかしその女とのセック
 スは、始めから終わりまで昧気のないものだった。それはただの性欲の解消に過ぎなかったし、
 そんなことを言えばほとんど解消にもならなかった。かえって渇きが増しただけだ。
 「そのことをよく考えてみてください」とカミタは言った。「深く考える必要のある大事な問
 題です」。しかしどれだけ深く考えても、何かここで問題になっているのか、木野には理解で
 きなかった。
 

                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] ) 



  


●太陽光を再現するLED照明

  



ワールドカップは引き分け。コメントは?奇跡を信じる以外にないかな?

ところで、最近の中国共産党は前のめりで、なぜこうも焦るのかだろうかと思うことがある。
「産経新聞」
のオンラインニュースは克明動勢を伝えてくれている。そのひとつが、"孔子学院、
米教授協会が見直し要求「中国の手先」
”が目を惹いた。それによると、米紙ニューヨーク・タ
イムズ(電子版)は17日、米国大
学教授協会(AAUP)が中国政府系の文化機関「孔子学院」
をキャンパス内に誘致した米国内の大学
に対し、設置の是非を改めて検討するよう求めていると
報じたと伝えている。講師陣の選定や授業内容に中国政府
の意向が強く反映し、「学問の自由」
が侵害されているためだという。教授協会によれば、カナダを含む北米地域には現在、孔子学院
が九十数カ所ある。協会が各大学向けに出した声明によれば、孔子学院での講師陣採用や指導、
カリキュラムの選定、授業での議論が「(中国の)国家方針」に沿う形で行われている。また、
学院内での活動は、孔子学院の運営母体で、「漢弁(ハンバン)」と通称される中国教育省の傘
下機関の監督下にあるという。
声明は「孔子学院は中国国家の手足として機能しており、『学問の自
由』が無視されている」と批判。こうした状況が改善されない場合、「学院との関係を絶つ」べきだとしてい
る。




なお、孔子学院をめぐっては、米マイアミ大学の教授が2012年、中国の軍拡化や中国指導部内の
派閥争い、台湾問題、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世-に関する議論を禁じている
と非難していた。孔子学院への批判は隣国カナダでより強く、カナダ大学教師協会(CAUT)
は昨年12月、同様の声明を発表し、大学に学院との関係見直しを求めていたとのことだ。

「政治とは幻想過程」とは、故吉本隆明の名言だが、幻想過程と、ひとことでいうのはたやすい
が、その扇情的な高ぶりをコントロールすべは熱狂的な渦の中では無力だろう、"ワールド・カ
ップ”の放送を観ていてそう思った。また、煽るのは簡単だが、その結果の引責をごまかし続け
てきたのも”政治的指導部”ではなかったかと、中国共産党の動勢を看るにつけ、そうも思った
わけだ。

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きょうの無知の知

2014年06月18日 | デジタル革命渦論

 

 

●負けても嬉しい160キロ

甲子園での160キロ連発に熱狂的な阪神ファンもどよめいた。1点リードの2回だ。先頭のゴメ
スに外角へ大きく外れるボール球が160キロを計測。2死後こんどは2ストライクから今成へ投
げ込んだ球は再び160キロ。恐るべし大谷翔平。自称、似非虎キチは、負けても嬉しい気分に包
まれた一瞬だ、有り難う若人よ、と。

 

●きょうの無知の知



ワイヤレスマウスとウインドウ7の不具合でここ数日リカバリー作業で疲弊しまくりでウイスキー
摂取量は日本ウナギが絶滅の危機だというのに、ここでは鰻登りの悪循環?パーソナルコンピュー
ティングのオペレーションシステムビジネスモデルの欠陥を指摘したのが1991年だから、もう20
年前にもなるなぁ~と思いながら、エレコム社製のUSB型無線マウスと旧式の有線マウスを併用
しながら何とか持ちこたえて使用しているが、最後のリカバリー(これまで2.3回リカバリー作
業を続けていた)を終了させ使っていたがまたもや動作不能となり、リスタートさせてみたが今度
は、リカバリー作業なしでマウス動作した。しかし、どうしてそうなったのかの理由がわからずじ
まいに終わっている。コンピューティング操作以外にこういう経験は無数あるのが勤労庶民の日常
だが、言葉にならない"現場"は満天の星の数だけあるよと、口笛吹き1つ頭を切り換えるが、なに
せ、時間のロスの痛手は隠せない。そんなとき、「温度差なしの摂氏100度以下で発電可能」という
記事が飛び込んだ。

それによると、 信州大学繊維学部の村上泰教授とエヌ・ティー・エスは、2014年6月18日、百℃
の温度下で1.5ボルト、数ミリアンペアの電力を得られる発電素子を開発。信州大学繊維学部で発
光ダイオードを点灯
させた。ところで、発電の原理については現在究明中としながらも「化学電
や半導体電池とは異なる新しいタイプではないかと考えている」というから驚きだ。熱を用いた発
電素子としては、ゼーベック効果を用いた熱電変換素子があるが、今回開発した素子は温度差がな
くても発電するため「同効果を用いたものではない」という。素子の構造は簡素で、アルミ合金電
極と銅合金電極の間に、活物質となる亜鉛化合物と誘電体化合物、導電性高分子の3種類を最適な
比率で混ぜているとする。この活物質を1cm角で1gほど用いてセルを試作し、LEDを点灯させるデ
モを実施した。具体的には、セルをドライヤーで温めることで、赤色LED3個を点灯させたほか、青
色LED1個に付け替えて点灯させたという。

 

開発のきっかけは、3年半前にエヌ・ティー・エスが「たまたま手掛けていた材料で電圧と微弱な
電流値を観測したことがきっかけ」。同社は、材料へのドープ技術を得意とする会社で、特殊な酸
化チタンの粉末材料の販売などを手掛けている。この素子の特徴は(1)素子の構造自体はキャパ
シタと近く、キャパシタ的な側面はあるが、酸化還元反応を示さないので化学電池とは考えにくい
(2)ゼーベック効果を用いた熱電変換素子とは異なりほとんど温度差がない状況下で発電する。
(3)熱光起電力(thermophotovoltaic:TPV)発電は、固体素子の輻射光をフィルタリングし太陽電
池と同様に光電変換するがこのような簡素な構造ではないという。 原理の基礎解明あるいは研究は
これだが、構成する材料が安価なことから、幅広い分野で利用できる――太陽電池は夏場などにモ
ジュールが60~80℃まで熱くなり、発電効率が下がることから、モジュール背面に新しい発電素子
を設置して発電効率の向上につなげられる。この他、温泉や廃熱を利用した発電をはじめ、夏場に
は80℃近くになる車内のダッシュボードなどへの設置が考えられる。さらに、発電開始温度を体温
近まで下げることができれば、衣服で発電したり、布団で発電したりすることも想定できる夢の
のエネルギー変換素子になる。

夢の低コストのエネルギー変換素子となれば、セメントと鉄鋼の膨大な投入が必要な原子力発電や
既存の水力・火力発電・配電システムを不要とする。また、現行の太陽電池のようにソーラーシュ
アリングを変えることにもなるだろう。「温泉の郷」では電気代は、固定価格買取制度フリーの「
電気フリーの郷」になるが、 それにしても、わからないことがわかる(無知の知)ということは、実に面白いの
で残件扱いとする。

●参考

特開2001-302944 塗膜形成組成物及びその製造方法並びにコーティング膜
特開2007-277646 熱伝導材、放熱構造を備えた装置、及び、熱伝導材の製造方法
特開2007-310223 光学装置
特開2008-069424 放熱体及び放熱材塗装用電着塗料
特開2012-062445 水性電着塗料、電着塗膜の製造方法および電着塗膜  
特開2013-170240 電析材料組成物、それを用いた電析塗膜および電析塗膜の製造方法
・特開2013-095622 光触媒用酸化チタニウム粒子およびその製造方法
特開2013-203917 ポリアセチレン系導電性高分子溶液、当該導電性高分子溶液の製造方法、およ
 び当該導電性高分子溶液を用いて作製されるポリアセチレン系導電性高分子膜
特開2013-225697 熱伝導性電子回路基板およびそれを用いた電子機器ならびにその製造方法   
 


 

●ソーラーシュアリングを考える。 

静岡県の太陽光発電システム販売事業者である発電マン(静岡市)が静岡県伊豆の国市の農地に、
国内で初めて「太陽光パネル回転式システム」を採用した営農型太陽光発電(ソーラーシェアリン
グ)システムを設置したニュースが頭に残りしばらく時間を割いて、ソーラーシェアリングについ
て考えてみた。ソーラーシェアリングは、農地の上にすき間を空けて太陽光パネルを並べ、農作物
と太陽光発電で日光を分け合い、農業と太陽光発電の両立を目指す。2013年に農林水産省が条件付
きで農地への太陽光発電システム設置を認めたシステムあるいは工法でビジネスモデル。
発電マン
が採用した回転式システムは架台に設置したパネルの角度を手動で調節できる。技術開発ベンチャ
ーのソーラーカルチャー(茨城県つくば市)が開発した(商品名「ソラカルシステム」)。作物の
生育に応じてパネルの角度を変えて、作物への日照を調整できる。

 

それによると、伊豆の国市の農地には今回、約1000平方メートルの田んぼと、同じく約1000平方メ
ートルの畑の2つの区画にそれぞれ出力44kW、計88kWの太陽光システムを設置した。田んぼでは稲
作を、畑でサトイモを植え、農作物を育てながら全量売電する。年間の売電収入は約400万円を見込
んでおり、農家にとっては営農の基盤強化につながる。このシステムは平常時の遮光率(太陽光パ
ネルが農地に届く日光を遮る比率)を35%で設計している。回転式を採用したことで、例えば稲作
の場合、多量の日光が必要になる6~7月の成長期はパネルの傾きを立てて田んぼの日照を増やすこ
とが可能になる。農水省は太陽光パネルの影響による農作物の減収を2割以内に抑えることをソーラ
ーシェアリング導入の条件としている。回転式はこうした条件への対応のほか、強風や積雪の被害
を抑えるのにも役立つとのこと。

なお、太陽光パネルは回転システムを操作しやすい、縦1470×横500mmという小振りのサイズ(出力
115W)を発電マンが独自に作製。パワーコンディショナー(PCS)はオムロン製を採用している。



ソーラーシュアリングはある意味、植物工場とオーララップするところがあり、密閉型からより離
れたオープン型に近いが、これは現在施行されているFIT、全量固定価格取制度と密接に絡んで
いるため、エネルギーの完全な地産地消志向モデルでもない。また、地球温暖化と大規模気候変動
という環境リスク本位制としての農業、あるいは食糧安全保障政策敵側面からも過渡的なビジネス
モデルるであり工法である。だからといって反対という立場ではないが、より完全なというか、理
想のモデルでないことはこのブログでも再三掲載してきたことだ(『環境品質展開とは何か』)。
つまり、「手前味噌でいうのだが、農産物の生産の高度化あるいは高次化には、植物工場を標榜し
た「発電・発光・遮光する農ポリフィルム」の方が「ソーラーシュアリング」よりも有利に思える
だが・・・」と。ところで、ドイツFIT政策がここにきて見直しがあり、これが日本の原発推
進派の巻き返しに使われている?ようだが、(1)このような日本の農業におけるのきめの細かい
ソーラーシュアリング・ビジネスモデルは日本独自のものでこれは、ドイツにはないものであり賞
賛されるべきものである。(2)変換効率25%超の技術をもつ日本のソーラーシステムをより強
力に推進することの方が経済的にも、環境リスク逓減に大きく寄与するものである。(3)その応
用展開の「発電・発光・遮光する農ポリフィルム」の中核技術である「量子スケールデバイス」の
開発研究―例えば、一定幅の透明基盤フィルムに量子スケール光電変換結晶を精密に埋め込んで、
太陽
光発電層をつくるとか、同じように量子スケール波長変換結晶を埋め込み植物の生長促進する
波長光を効
率よく照射するとか、あるいは、量子スケール熱電変換結晶埋め込み、余剰熱量を電力
変換し蓄電してお
き夜間の暖房に消費するとか、冬期の融雪・暖房用の地下大規模蓄電設備に蓄積
しておく技術・工法開発
を支援促進を行うことで、克服できると楽観的に見越している。そんな視
点から考えてみた。


  
 

 

自己回顧録模様のストーリー展開の「木野」 。しかし、「秋がやってきて、まず猫がいなくなり、
それから蛇た
ちが姿を見せ始めた」「一週間で三匹の蛇を目にするのは、いくらなんでも多すぎる
」という描写から
、急転し、ハルキ・ワールドに入っていく。今夜も、スロー・リードを楽しもう。  



  夏の終わりに離婚がようやく正式に成立し、そのときに木野と妻は顔を合わせた。二人で話

 し合って処理しなくてはならない案件がいくつか残っており、妻の代理人によれば、彼女は木
 野と二人だけでじかに話し合うことを望んでいた。二人は開店前の木野の店で会うことになっ
 た。
  用件はすぐに片付き(木野は提示されたすべての条件に異議を唱えなかった)、二人は書類
 に署名し印鑑を押した。妻は新しい青いワンピースを着て、髪はこれまでになく短くしていた。
 表情も前より明るく、健康的に見えた。首筋と腕についた贅肉もきれいに落ちていた。彼女に
 とって新しい、おそらくはより充実した生活が始まったのだ。彼女は店内を見回し、なかなか
 素敵なお店ねと言った。静かで清潔で、落ち着いた雰囲気があって、いかにもあなたらしい。
 そして短い沈黙があった。しかしそこには胸を震わせるものはない……おそらくそう言いたい
 のだろうと木野は推測した。

 「何か飲む?」と木野は尋ねた。

 「赤ワインがあれば、少し」

  木野はワイン・グラスを二つ出し、ナパのジンファンデルを注いだ。そして二人で黙ってそ
 れを飲んだ。離婚の正式な成立を祝して乾杯するわけにもいかない。猫がやってきて、珍しく
 自分から木野の膝の上に飛び乗った。彼はその耳の後ろを撫でてやった。
 
 「あなたに謝らなくてはいけない」と妻は言った。
 「何について?」と木野は尋ねた。
  「あなたを傷つけてしまったことについて」と妻は言った。「傷ついたんでしょう、少しくら
 いは?」

  「そうだな」と木野は少し間を置いて言った。「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つ
 く。
少しかたくさんか、程度まではわからないけど」

  「顔を合わせて、そのことをきちんと謝りたかった」

  木野は肯いた。「君は謝ったし、僕はそれを受け入れた。だからこれ以上気にしなくていい」

 「こんなことになる前に、あなたに正直に打ち明けなくてはと思っていたんだけど、どうして
 「そうだと思う」と妻は言った。「でも、言い出せずにぐずぐずしているうちに、最悪のかた
 ちになっても言い出せなかった」
 「でもどういう経緯を辿るにせよ、話の結末は同じだったんだろう?」
 「そうだと思う」と妻は言った。でも、言い出せずにぐずぐずしているうちに、最悪のかた
 になってしまった」

 
  木野は黙ってワイン・グラスを口に運んだ。実際のところ、そのときに起こったことを彼は

 もうほとんど忘れかけていた。いろんな出来事が順番通り思い出せない。ばらばらになってし
 まった索引カードのように。
  彼は言った。「誰のせいというのでもない。僕が予定より一日早く家に帰ったりしなければ
 よかったんだ。あるいは前もって連絡しておけばよかった。そうすればあんなことにはならな
 かった」
 
  妻は何も言わなかった。


 「あの男との関係はいつから続いていたんだ?」と木野は尋ねた。

 「その話はしない方がいいと思う」
 「僕が知らない方がいいということ?」

  妻は黙っていた。

 
 「そうだな、そうかもしれない」と木野は認めた。そして猫を撫で続けた。猫は喉を大きく鳴

 らしていた。それも今までになかったことだ。
 「私にこんなことを言う資格はないかもしれない」とかつて彼の妻であった女は言った。「で
 もあなたは早くいろんなことを忘れて、新しい相手を見つけた方がいいと思う」
 「どうだろう」と木野は言った。
 「あなたとうまくやれる女性はどこかにいるはずよ。相手を探すのはそんなにむずかしくない
 と思う。私はそういう人になることができなくて、残酷なことをしてしまった。それはとても
 申し訳ないと思っている。でも私たちの間には、最初からボタンの掛け違いみたいなものがあ
 ったのよ。あなたはもっと普通に幸福になれる人だと思う」
 
  ボタンの掛け違いと木野は思った。
 
  彼女の着ている新しい青いワンピースに木野は目をやった。二人は向き合って座っていたか
 ら、その背中がジッパーなのかボタンなのか、そこまではわからない。しかしそのジッパーを
 下ろしたときに、あるいはボタンを外したときに、そこに何か見えるのか、木野は思いを巡ら
 さないわけにはいかなかった。その身体はもう彼のものではない。それを見ることも、それに
 触れることもできない。彼はただ想像を働かせるしかない。目を閉じると、無数の暗褐色の火
 傷の痕が、彼女の滑らかな白い背中を、生きた虫の群れのようにもぞもぞと涯き、思い思いの
 方向に這って移動していた。彼はその不吉なイメージを振り払うために、何度か小さく首を左
 
  右に振った。妻はその動作の意味を誤解したようだった。

 彼女は木野の手に優しく手をかさねた。「ごめんなさい」と彼女は言った。「本当にごめんな
 さい」
 
  秋がやってきて、まず猫がいなくなり、それから蛇たちが姿を見せ始めた
 
  猫がいなくなったことに木野が気づくのに、少し日にちがかかった。というのはその雌猫は
 ――名前はない――来たいときにだけ店にやってきたし、しばらくまったく姿を見せないこと
 もあったからだ。猫は自由を尊ぶ生き物だ。またその猫はどうやら他でも餌をもらっているら
 しかった。だから一週間か十日姿を見せなくても、木野は気にしなかった。しかしその不在が
 二週間を越えると、少し不安になってきた。事故にでも遭ったのではないだろうか? そして
 不在が三週間に及んだとき、猫がもう戻ってこないであろうことを木野は直感的に悟った。

  木野はその猫が気に入っていたし、猫の方も木野に気を許しているようだった。彼は猫に餌
 をやり、眠る場所を提供し、できるだけそっとしておいてやった。猫は好意を示すことで、あ
 るいは敵意を示さないことでそれに報いた。猫はまた木野の店のお守りとしての役目を果たし
 ているようでもあった。猫が店の隅っこで静かに眠っている限りそれほど悪いことは起こらな
 い。そういう印象があった。
 
  猫が姿を消したのと前後して、家のまわりに蛇を見かけるようになった。
 
  最初に見たのはくすんだ褐色の蛇だった。丈はかなり長い。それは前庭に影を落とす柳の木
 の下を、身をくねらせながらそろそろと進んでいた。食品の入った紙袋を抱え、ドアの鍵を開
 けているとき、木野はそれを目にとめた。東京の真ん中で蛇を見かけるのは珍しいことだ。彼
 は少し驚いたが、さして気にはしなかった。裏には根津美術館の自然を残した広い庭がある。
 蛇が住んでいても不思議はない。
 
  しかしその二日後に彼は、昼前に新聞をとろうとドアを開け、ほとんど同じ場所で違う蛇を
 目にした。今度は青みを帯びた蛇だった。前のものよりは小ぶりで、どことなくぬめった感じ
 があった。その蛇は木野の姿を目にすると動きを止め、首を微かに上げて彼の顔をうかがった
 (あるいはうかがっているように見えた)。木野がどうしようか戸惑っていると、蛇はゆっく
 り首を下ろし、素早く物陰に消えた。木野はそこに何かしら気味の悪いものを感じずにはいら
 れなかった。その蛇は彼のことを知っているように思えたからだ。

  三匹目の蛇をまたほとんど同じ場所で目にしたのは、その三日後だった。やはり前庭の柳の
 木の下だ。今度のは前の二匹よりずっと体長の短い、黒みを帯びた蛇だった。木野には蛇の種
 類はわからない。しかしその蛇がこれまでの中では最も危険な印象を彼に与えた。毒を持った
 蛇のように見えたが、確信はない。彼がその蛇を目にしたのはほんの一瞬のことだ。蛇は木野
 の気配を感じると、はじけ飛ぶように雑草の中に消えた。一週間で三匹の蛇を目にするのは、
 いくらなんでも多すぎる。このあたりで何かが持ち上がっているのかもしれない。
  木野は伊豆の伯母に電話をかけた。近況を簡単に報告したあと、これまでに青山の家のまわ
 りで蛇を見かけたことがあるかどうか尋ねてみた。
 「ヘビ?」と伯母は驚いたように声を上げた。「あの這う蛇のこと?」


  木野は家の前で続けざまに目撃した三匹の蛇のことを話した。

 「あそこには長く住んでいたけど、そういえば蛇を見た覚えってないわね」と伯母は言った。
 「じゃあ、一週間のうちに三匹も家のまわりで蛇を見かけるというのは、あまり普通じゃない
 ことなんだね?」
 「ええ、そうね。普通じゃないことだと思う。ひょっとして大きな地震の来る前触れとか、そ
 ういうんじゃないかしら。動物は異変の到来を前もって感じ取って、普段とは違う行動を取る
 というから」
 「もしそうだとしたら、非常食を用意しておいた方がいいかもしれないね」と木野は言った。
 「それがいいと思う。いずれにせよ、東京に住んでいるかぎりどうせいつか地震は来るんだも
 の」
 「でも、だいたい蛇が地震をそんなに気にするものなのかな?」

  蛇が何を気にするかまでは自分にはわからないと伯母は言った。木野にももちろんそんなこ

 とはわからない。

 「でもね、蛇というのはそもそも賢い動物なのよ」と伯母は言った。「古代神話の中では、蛇
 はよく人を導く役を果たしている。それは世界中どこの神話でも不思議に共通していることな
 の。ただそれが良い方向なのか、悪い方向なのか、実際に導かれてみるまではわからない。と
 いうか多くの場合、それは善きものであると同時に、悪しきものでもあるわけ」

 「両義的」と木野は言った。
 
 「そう、蛇というのはもともと両義的な生き物なのよ。そして中でもいちばん大きくて賢い蛇
 は、自分が殺されることのないよう、心臓を別のところに隠しておくの。だからもしその蛇を
 殺そうと思った、留守のときに隠れ家に行って、脈打つ心臓を見つけ出し、それを二つに切
 り裂かなくちゃならないの。もちろん簡単なことじゃないけど」
 

  木野は伯母の博識に感心した

 「このあいだNHKを見ていたら、世界の神話を比較する番組で、どこかの大学の先生がそう
 いう話をしていた。テレビってけっこう役に立つことを教えてくれる。馬鹿にできないわよ。
 暇ができたら、あなたももっとテレビを見るといい」
 
  一週間に三匹も違う蛇をこのあたりで見かけるのは普通のこととは言えない――それが伯母
 との会話からひとつ明らかになったことだった。
 

                  村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] ) 

 

 

 

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悪魔の囁き

2014年06月17日 | 時事書評

 



●環境リスク本位制用太陽光発電システム:雷対策

先日、太陽光発電設備計画の件で代理店の担当者と話す機会があった。そのとき、既設住宅への設
備には屋根構造とパネル重量の関連で応札しないメーカが半数あることがわかったが、地球温暖化
による異常気象現象の逓増が予測される時代、暴風雨で言えば、仮に、毎秒25メートルから毎秒
70メート強風になった場合や雹(ヒョウ)、竜巻、あるいは落雷などの異常気象の多発を考える
と屋根据付技術開発は重要だということ、それだけにとどまらず、日本の家屋の、特に現在の瓦屋
根主体の有り様を変えていく必要があるということで双方一致をみる。特に持論でもある、日本家
屋の形を、もっと"美しい形"に設計し直したいとの考えも伝えた(具体的には、無落雪屋根や白川
郷でお馴染みの合掌造りの大屋根方式に興味を持っている)。
その日の打ち合わせは家屋の現認と
2社見積積算のを決めて終えた。

暫くして届いた、『環境ビジネス』、夏季号に「雷対策」の特別企画が記載されていたので目を通
した。今後、電源設備における再生可能エネルギーの割合は急激に増加していくが、主要な再生可
能エネルギー源である太陽光発電設備も、その設備数が増えるにつれて雷害の数も増加すると予想
されるが、雷が太陽光発電設備に与える直接的被害や、連系されるスマートグリッドに与える影響
について研究されていないが、年間3~4回程度の落雷回数で、年間雷雨日数が少ない地域では、
1平方キロメートルあたり1~2回程度の落雷と推定している程度である。また、太陽光発電設備
への雷サージ(誘電雷)の侵入経路には以下のように大きく3つのケースが考えられている。

(1)太陽光発電設備への直接の落雷、(2)付近の家や樹木などに落雷して、接地を介して雷電
流が設備に侵入、(3)太陽光発電設備に繋がる電源線や通信線からの侵入。このうち(1)につ
いて、落雷箇所付近のモジュールにはなんらかの被害は生じるが、それだけで壊滅的な被害につなが
るか否かは、対策により大きく変わる。(2)については、太陽光発電設備周囲に建物や、樹木があ
り、そこへの落雷により、付近接地の電位が高くなり、太陽光発電設備に一部の電流が流入するケ
ースである。雷対策として、太陽光発電設備周辺に独立避雷針を設置した場合も、接地抵抗が十分
低くない場合には、同様の現象が発生する。(3)は、連系している電源線や通信線側に雷サージ
が発生して、太陽光発電設備に雷サージが侵入する場合だという。(1)(2)のいずれも、雷電
流は接地に流れ込み、接地抵抗が高いと太陽光発電設備の回路に大きな雷サージが侵入する。

これらの対策として、(1)メガソーラーなどでの独立避雷針の設置、(2)接地抵抗の効果的低
減、(3)下図のようなSPD(サージ防護デバイス)による回路保護。特にPCS(パワーコン
ディショナー)の保護の3つとなるが、具体的には、(1)の場合、通常、雷を捕捉する建物など
は存在しないので、その地域の平均的な落雷頻度に比例して、太陽光発電設備にも落雷する。直接
太陽光発電パネルに落雷させないことが、被害の低減に大きく役立つので、周囲に独立した避雷針を
立てて、雷を捕捉することは、考えられる方法である。ただし、接地抵抗が高いと雷電流の一部が、
発電設備の接地に流入して被害を生じさせるので、接地抵抗はある程度低い値に管理することが求
められる。(2)の場合、被害の多くが屋上に設置される太陽電池アレイ(太陽電池集合体)である
こともあり、地上設置に比べて雷の影響を受けやすいが、高建造物のような避雷針を立てることは多
くの場合非現実的であり、少ない確率ではあるが、ある程度の落雷はあきらめることがリスクマネジ
メントの結論になるという。この場合でも、PCSのような重要機器はSPDの施設により、でき
るだけ防護するべきであると指摘している。

 

そこで、実際の太陽光発電システムの誘電保護技術をひろい読みしてみたので京セラ社の新規考案
を例示
掲載してみる。

一般に、下図に示すように、太陽電池1で発電された直流電力は、パワーコンディショナ(または
系統連系インバータ)等の電力変換装置で交流電力に変換される。この交流電力は、商用電力系統
に逆潮流されるか、または、交流負荷に供給される。なお、また、図中21は商用電力系統に電気
的に接続された系統側アース線。電力変換装置は電力変換回路を備え、この電力変換回路は主に電
力変換部と制御回路部とから構成されている。また、電力変換部はDC/DC変換およびDC/A
C変換を行なう。また、制御回路部は電力変換部の最適なスイッチング速度への制御、太陽電池の
最大出力電力点の算出や保安に関する保護制御を行なう。電力変換回路は金属や樹脂製の筐体内に
収納収容する。

 

電力変換装置から出力される交流電力は、開閉器を通して商用電力系統2に逆潮流することが可能
である。太陽電池1が発電状態のとき、商用電力系統が停電したり、または電圧が異常に上昇した
とき、開閉器25の接点が開放されて電路が切り離されるように制御回路部24で制御。なお、こ
のとき太陽電池からの発電電力が入力される入力側の開閉器26の接点は開放されない。入力側の
開閉器は直流用であり、主にメンテナンス時に太陽電池を電力変換装置から切り離し感電等から作
業者を保護する。

また、電力変換装置は、電力変換等の際のスイッチングで、様々な周波数のノイズが発生し、商用
電力系統側の電力波形が乱されないように保護する必要がある。さらに、誘導雷などの高電圧が印
加されぬよう
、電力変換部の送電路に各種の保護素子を設けている。保護素子としてコンデンサや

サージアブソーバ(放電管型またはバリスタ等の固体素子型)が代表的であり、保護素子の一方の
端子が送電路に、他方の端子がアース線にそれぞれ接続されている。アース線はアースに接続され
ている(アース線は地中に接地されている)。一般に、アースは電力変換装置の筐体に設けられた
アース端子に電気的に接続されており、保護素子が接続されたアース線とアース端子とが電気的に
接続されている。

一般に、電力変換装置は雷による誘導雷(雷サージ)に対して保護機能を有しているが、雷のエネ
ルギーは大きく、落雷が近いと保護能力を超えて機器破損に至ることがある。そこで、雷保護制御
部を設けて、外部からの雷警告信号を受信したときに、入力側の開閉器と出力側の開閉の双方の接
点を開放して電力変換装置が雷サージの影響を受けないようにする等の対策が提案されている。ま
た、雷の発生を外部に設置された制御センターに判定させて、電話回線またはインターネット回線
を通じて電力変換装置へ通信を送り、商用電力系統との配電線を開閉器で切り離す構成にするとと
もに、太陽電池1の発電電力が所定以下の電力になったかを制御センターに情報を送り、雷の発生
判断の精度を高める方法も提案されているが、いずれも、装置や制御用プログラムの複雑化、制御
遅延ロスが生じるため、太陽電池と、該太陽電池からの直流電力を交流電力に変換の電力変換装置
を備えた太陽光発電システムで、直流電力を交流電力に変換する電力変換回路と、電力変換回路に
結線した接地部と、これを開閉するスイッチを備え構造にすることで、誘導雷からの破損を制御し
出力電力量を安定向上することが提案されている。

 

 

 

 


  その夜、どうしてその女と関係を結ぶことになったのか、木野には自分の心の動きが思い出
 せない。その女には何かしら普通ではないものがあることを、木野は最初から感じ取っていた。
 何かが小さな声で彼の本能の領域に訴えていた。この女に深入りしてはならないと。おまけに
 この背中につけられた煙草の火の痕だ。木野はもともと用心深い男だ。どうしても女が抱きた
 いのならプロを相手にすればいい。金を払えばそれで済むことだ。だいたい木野はその女に心
 を惹かれているわけでもなかった。
 
  しかしその夜、女は明らかに男に――現実的には木野に―抱かれることを強く求めていた。

 彼女の目は奥行きを欠き、瞳だけが妙に膨らんでいた。後戻りの余地を持たない、決意に満ち
 た煌めきがそこにあった。木野はその勢いに抗することができなかった。彼にはそこまでの力
 はない。
 
  木野は店の戸締まりをし、女と一緒に階段を上がった。女は寝室の明かりの下で手早くワン

 ピースを脱ぎ、下着を取り、身体を開いた。そして彼に「見せにくいところ」を見せた。木野
 は思わず目を背けた。しかしまたそこに視線を戻さないわけにはいかなかった。それほど残酷
 な真似ができる男の心の動きも、それほどの痛みに耐え続ける女の心の動きも、木野には理解 
 できなかったし、理解したいとも思わなかった。それは木野の住む世界から何光年も離れたと
 ころにある、不毛な惑星の荒ぶれた光景だった。
 
  女は木野の手を取り、その火傷の痕へと導いた。すべての傷痕をひとつひとつ順番に触らせ
 た。乳首のすぐ脇にも、性器のすぐ脇にもその痕はあった。彼の指先は彼女に導かれるまま、
 その暗くこわばった傷痕を辿った。番号を追って鉛筆で線を引き、図形を浮かび上がらせるみ
 たいに。その形は何かに似ているようでありながら、結局のところ何にも結びつかなかった。
 それから女は木野の服を脱がせ、二人は畳の床の上で交わった。会話もなく前戯もなく、明か
 りを消す余裕も、布団を敷く余裕もなく。女の長い舌が木野の喉の奥を探り、両手の爪が背中
 に食い込んだ。




 
  彼らは飢えた二匹の獣のように、むきだしの明かりの下で言葉もなく、欲望の肉を何度も貪

 った。様々な姿勢で様々なやり方で、ほとんど休むこともなく。窓の外が明るくなり始めた頃、
 二人は布団の中に入り、暗闇に引きずり込まれるように眠った。木野が目を覚ましたのは正午
 の少し前で、そのとき女は既に姿を消していた。ひどくリアルな夢を見たあとのような気持ち
 だった。しかしもちろん夢ではない。彼の背中には深く爪あとがつき、腕には歯形が残り、ペ
 ニスには締め付けられた鈍い痛みが感じられた。白い枕には何本もの長い黒髪が渦を巻き、こ
 れまで嗅いだことのない強い匂いがシーツに残されていた。

  その後も女は客として何度か店を訪れた。いつもの顎耀の男と一緒だった。カウンターに座
 り、二人で静かに話をしながら適度にカクテルを飲み、そして帰って行った。女は主に音楽に
 ついて、木野と短く言葉を交わした。ごく普通のさりげない声音で、いつかの夜に二人のあい
 だで起こったことなど何ひとつ覚えていないという様子で。しかし女の目の奥には、深い欲望
 の光のようなものがあった。木野にはそれが見えた。それは真っ暗な坑道のずっと奥に見える
 ランタンの灯のように、間違いなくそこにあった。その凝縮された光は木野に、背中に食い込
 む爪の痛みと、きつく締め付けられたペニスの感触と、動き回る長い舌と、布団に残された奇
 妙な強い匂いをありありと思い出させた。あなたはそれを忘れることはできない、とそれは教
 えていた。



 
  彼女と木野が言葉を交わしているあいだ、連れの男は行間を読み取るのに長けた読書家のよ
 うな目で、注意深く子細に木野の顔つきや素振りを観察していた。その男女のあいだには、ね
 っとりと纏わりつくような感触があった。二人にしか理解できない重い秘密を、彼らはひっそ
 りと分け合っているようだった。彼らが店を訪れるのが性行為の前なのか後なのか、木野には
 相変わらず判断できなかった。でもそのどちらかであることは確かだった。そして不思議と言
 えば不思議なのだが、二人とも煙草はまったく吸わなかった
 
  女はまたいつか、おそらくは静かな雨の降る夜に、一人でこの店を訪れるだろう。連れの顎
 髭の男がどこか「遠いところ」にいるときに。木野にはそれがわかった。女の目の奥にある深
 い光がそのことを告げていた。女はカウンターに座って寡黙にブランデーを何杯か飲み、木野
 が店じまいするのを待つ。そして二階に上がり、ワンピースを脱ぎ、明かりの下で身体を開き、
 新しく加わった火傷の痕を彼に見せる。それから二人はまた二匹の獣のように激しく交わるだ
 ろう。何を考える余裕もなく、夜が白むまでずっと。それがいつなのか、木野にはわからない。
 でもいつかだ。それは女が決める。そのことを考えると喉の奥が乾いた。いくら水を飲んでも
 癒されることのない渇きだった。



                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )

 

 

●悪魔の囁き

防衛省は、防衛装備品の国産化を推進する従来の基本方針に代わり、「防衛装備移転三原則」の下に、政
府主導で積極的に国際共同開発への参画を推進するなどとする新たな戦略をまとめ、水陸両用機能
など、技術的に弱い面を補強することなどを盛り込んだ。防衛装備品の開発や生産は、1970年に国
産化を推進する基本方針が決定。防衛省は国際共同開発が主流となってきている現在の情勢などを
踏まえ、新たな戦略をまとめ、自衛隊が求める性能や導入スケジュールなどの条件を国内技術で満
たせる装備品は国内開発を基本とする一方、国内技術の向上やコストの低減につながるといったメ
リットがある場合は、国際共同開発などによる取得を検討するとしている。そこで「武器輸出三原
則」に代わる、新たな「防衛装備移転三原則」に基づき、政府主導で積極的に国際共同開発への参
画を推進するとしている。離島などへの侵攻に対処するため、水陸両用機能など、日本が技術的に
弱い面を補強するとともに、警戒監視能力を支えるレーダーの探知能力向上などの研究開発を重点
的に行うとしているという(NHK 2014.06.17)


そこで、16日、パリで開かれる世界最大規模の武器の国際展示会へ十三社が参加し、三菱重工業は
開発中の装輪装甲車の模型を初披露。気象レーダーなど民間技術を紹介し、軍事転用の可能性を探
るとしているが、武器の国際展示会参加は各社初めてである。武器を輸出することで紛争解決が可
能か?それとも紛争が紛争を呼びはしないか?この問いかけは、すでに、戦後歴史が証明するとこ
ろであるが、それでも、"武闘信仰派"(へラクレス信仰)の耳元で悪魔が囁く。「新しい三角貿易
で一儲けしてはどうですか?!」と。

 

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和食化するフォッカチオ

2014年06月16日 | 創作料理

 



 

例の曾根崎小学校の合同同窓会への出席を有無の確認が取れずにいたK氏から、しばらく音信が途
絶えていたが、電話がかかってきた。電話の内容は結構ボーリュームがあったが、連絡がとれなか
ったのは、いろいろと経緯があったものの、これ以上企業経営を続けていくことができず解散し、
知り合いの仕事を請負ったばかりだという。それで仕事というのは「赤帽」というか宅配のような
ものだ。といっても年金暮らしに足を入れたことには違いない。それも関西のものづくりの景気は
消費税導入で仕事が減ったというのが彼の景況感だった。それで出席するのかと詰めると、土日が
いほど忙しいとじれったいことを言うので、困ったことがあったら何でも相談してくれと、語気
を少し強め、再会の動機にスポットライトを当て約束を督促してみた。それじゃ行くよと言うので、
健康は?と聞くと、すこぶる元気だというので、若くても、年老いても、明日はどうなるかわから
ないよと軽口をたたき電話を切った。

  




そのようなこともあり、土曜は車を走らせることはなくなったが、パーソナルコンピュータが具合
が悪くなりリカバーに入り追い詰められることになるが、ランチにつきあえと彼女がいうので、琵
琶湖のほとりにあるパン工房、ジュブリルタンへ行くが、レストランは予想通り席が取れずパンを
食べることにした。伊吹牛乳のコーヒー牛乳と普通の牛乳の2つと、サンドイッチとトルティーで
包んだマリネ・チキンとモッツアレラ、トマトのフォッカッチャサンドを注文し、スナックコーナ
のテーブルでさっそく頂いた。イタリアのパンであるフォッカッチャは平たいという意味で、そう
呼ばれている。オリーブオイルやハーブで味をつけ、そのまま食するか、ハムや肉や野菜、チーズ
をはさみサンドイッチとして食べられる事も多い。前菜の更に前に出されるおつまみとして、また
料理のつけあわせや、パンと一緒に出されることもある。イタリアのプーリア、リグリア地方のも
のが特に有名であるというが、こんなにたくさんの種類があるとはいまのいままで知らなかった。
もっとも、サンドイッチということであれば、食パンより焼いた皮で挟み込んでいるので、食べや
すいという点から納得できるそうだ。また、ベーグルと比較するとこちらの方が手軽につくること
ができ、饅頭のように包みこむこともなく、表面に豆など具材を埋め込むことができるし、家畜・
猛禽類の食肉(ハム・ソーセージ)だけでなく魚介類にも拡張できるから広がりをみせるのも無理
からぬことだと感心する。

  

さて、フォッカッチャは、強力粉、食物油、水、塩、イースト菌などを原料とした生地を麺棒か手
で厚く押し延ばし、石窯で焼き上げる。完全に焼きあがる前のパン生地の表面の一部が膨らんで泡
状になってしまうこともあるので、その場合はナイフなどで空気を抜く。日本でも各種のカジュア
ルレストランやパン店などでよく見かけるようになってきているが、なかにはオリーブ油以外の油
脂や砂糖、乳製品、各種添加物などを用い、本場とはやや異なる風味になっているようなものもあ
る。また、いわゆるファミリーレストランではガスト、サイゼリヤ、ココスなどで類似の商品を提
供しているが、サイゼリヤでは「フォッカチオ」と呼んでいるという。ピクルのようにして野菜や
肉類を酢漬けしておくか、野菜など前調理しておく冷蔵庫で保存しておき、また、残り物をストッ
クしておいて、直前にバイキング風に挟み込めば簡単に楽しく頂けるとら勉強になったが、フォッ
カチオがさらに融和発展し、あのアンパンやカレーパンのよう和食化していくだろう。

 

  

 

 

  その出来事があった一週間ほど後に、木野は客の女性と寝た。彼女は木野が、妻と別れて最
 初に性交した相手だった。年齢は三十か、三十を少し越えているか、そのあたりだ。美人とい
 う範躊に入るかどうかは微妙なところだが、髪がまっすぐで長く、鼻が短く、人目を惹く独特
 の雰囲気があった。物腰や話し方にどことなく気怠い印象があり、表情を読み取るのがむずか
 しかった。
 
  女は前にも何度か店に来ていた。いつも同年代の歳の男と一緒だった。男は義甲縁の眼鏡を

 かけ、顎の先に昔のビート族のような尖った堡をはやしていた。髪は長く、ネクタイを締めて
 いなかったから、たぶん普通の勤め人ではないのだろう。彼女はいつも細身のワンピースを着
 て、それはすらりとした身体を美しく目立たせていた。二人はカウンター席に座り、時折ひそ
 ひそと言葉を交わしながらカクテルかシェリーを飲んだ。それほど長居はしなかった。たぶん
 セックスの前の酒なのだろうと木野は想像した。あるいはその後かもしれない。どちらとも言
 えない。しかしいずれにせよ、二人の酒の飲み方には性行為を連想させるものがあった。長く
 濃密な性行為を。二人とも不思議なくらい表情に乏しく、とくに女が笑ったのを木野は目にし
 たことがなかった。
  
  彼女はときどき木野に話しかけた。いつもそのときにかかっている音楽についての話だった。
 ミュージシャンの名前とか曲目とか。彼女はジャズが好きで、自分でもアナログ・レコードを
 少し集めていると言った。「父親がよくこういう音楽をうちで聴いていたわ。私自身はもっと
 新しいものの方が好きだけど、でも聴いていると懐かしい」
  音楽が懐かしいのか、父親が懐かしいのか、その口調からはどちらとも判断しかねた。しか
 し木野はあえて尋ねなかった。

  実を言うと、木野はその女とはあまり関わり合いにならないように注意していた。彼が彼女
 と親しくすることを、連れの男が歓迎していないように見えたからだ。一度その女と音楽につ
 いて少しまとまった会話を交わしたことがあったが(都内の中古レコード店の情報や、レコー
 ド盤の手入れについて)、そのあと何かあるごとに、男は疑念を含んだ冷やりとする目を木野
 に向けるようになった。木野はその手の面倒からできるだけ距離を置くように常日頃から心が
 けていた。人間が抱く感情のうちで、おそらく嫉妬心とプライドくらいたちの悪いものはない。
 そして木野はなぜかそのどちらからも、再三ひどい目にあわされてきた。おれには何かしら人
 のそういう暗い部分を刺激するものがあるのかもしれない、と木野はときどき思た。


  しかしその夜、女は一人で店を訪れた。彼女のほかに客はいなかった長い雨が降り続いてい
 る夜だった。ドアを開けると、雨の匂いを含んだ夜気が店内に忍び込んできた。彼女はカウン
 ターに座ってブランデーを注文し、ビリー・ホリデーのレコードをかけてくれと言った。
 「できるだけ昔のものの方がいいかもしれない」。木野は『ジョージア・オン・マイ・マイン
 ド』の入った古いコロンビアのLPをターンテーブルに載せた。そして二人で黙ってそのレコ
 ードを聴いた。その裏面もかけてもらっていいかしらと彼女は言って、彼は言われたとおりに
 した。







 

  女は時間をかけてブランデーを三杯飲み、更に何枚かの古いレコードを聴いた。エロール・
 ガーナーの『ムーングロウ』、バディー・デフランコの『言い出しかねて』。いつもの男と待
 ち
合わせをしているのだろうと、木野は最初思っていたのだが、閉店の時刻が近づいても男は
 姿
を見せなかった。女もどうやら、男が来るのを待っているわけではなさそうだった。その証
 拠
に一度も時計に目をやらなかった。一人で音楽を聴き、無言のうちに何か思いを巡らせ、ブ
 ラ
ンデーのグラスを傾けていた。女は沈黙がとくに苦にならない様子だった。ブランデーは沈
 黙
に似合った酒だ。静かに揺らせ、色を眺めたり、匂いを嗅いだりして時間をつぶすことがで
 き
る。彼女は黒い半袖のワンピースに、紺色の薄いカーディガンを羽織っていた。耳には小さ
 な
模造真珠のイヤリングをつけていた。
 
 「今日はお連れの方は見えないんですか?」、そろそろ閉店時刻が近づいた頃、木野は思い切
 って女に尋ねた。

  今日は彼は来ないの。遠いところにいるから」、女はスツールから立ち上がり、眠り込んで
 いる猫のところに行って、その背中を指先で優しく撫でた。猫は気にせずそのまま眠り続けて
 いた。
 「私たち、もうこれ以上会わないようにしようと思っているの」と女は打ち明けるように言っ
 た。あるいは猫に向かって言ったのかもしれない。
  いずれにせよ木野には返事のしようがなかった。彼はとくに何も言わず、そのままカウンタ
 ーの中の片付けを続けた。調理台の汚れを落とし、調理用具を洗って抽斗にしまった。
 「なんて言えばいいのかしら」、女は猫を撫でるのをやめ、ヒールの音を刻みながらカウンタ
 ーに戻ってきた。「私たちの関係って、あまり普通とは言えないから」
 「普通とは言えない」と木野は相手の言葉をそのまま意味もなく繰り返した。
  女はグラスに少し残っていたブランデーを飲み干した。「木野さんに見てほしいものがある
 の」
 
  それがたとえ何であるにせよ、木野はそんなものを見たくはなかった。それは見るべきでは
 ないものなのだ。そのことは最初からわかっていた。しかし彼がそこで□にするべきであった
 言葉は、あらかじめ失われていた。
  女はカーディガンを脱ぎ、スツールの上に置いた。それから両手を首筋の後ろにまわし、ワ
 ンピースのジッパーを下ろした。そして背中を木野に向けた。白いブラジャーの背中部分の少
 し下に、いくつかの小さな惚らしきものが見えた。梗せた炭のような色合いで、その不規則な 
 散らばり方は冬の星座を思わせた。暗く枯渇した星の連なりだ。伝染性の病気の発疹の名残り
 かもしれない。それとも何かの傷痕だろうか。

  彼女は何も言わず、むき出しの背中を長いあいだ木野に向けていた。新品らしい下着の鮮や
 かな白さと、惚の暗さが不吉に対照的だった。木野は何か質問されたものの、質問そのものの
 意味がつかめない人のように、言葉もなくその背中を見つめていた。そこから目を逸らすこと
 ができなかった。やがて女は背中のジッパーを上げ、こちらを振り向いた。カーディガンを羽
 織り、間をとるように髪を整えた。
 
 「火のついた煙草を押しつけられたの」と女は簡単に言った。
 
  木野はしばらく言葉を失っていた。しかし何かを言わなくてはならない。「誰がそんなこと
 をしたんですか?」と潤いを欠いた声で彼は言った。
  女は返事をしなかった。答えようという気配すら見せなかった。そして木野もとくに返事を
 求めていたわけでもなかった。
 
 「もう一杯だけブランデーをいただいていいかしら?」と女は言った。

  木野は彼女のグラスにブランデーを注いだ。彼女は一口飲み、胸の奥をゆっくり下っていく
 その温かみを見届けていた。
 
 「ねえ、木野さん」

  木野はグラスを拭いていた手を休め、顔を上げて女を見た。
 
 「こういうのが他にもあるの」と女は表情を欠いた声で言った。「なんていうか、少し見せに
 くいところに」




                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )

 

 

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イテリジェント・ペイブメント・パネルⅡ

2014年06月14日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

●テリジェント・ペイブメント・パネルⅡ

一昨夜の『インテリジェント・ペイブメント・パネル』を具体的に展開するにはどうすればよ
いか考えていたが、その起想した要点は次のようなものだった。
 


1.高機能舗装道路とは、従来の舗装機能(設計条件)に埋め込み型(1)光発電機能-太陽
  光・地熱(熱電素子・圧電素子)、(2)照明・指示灯用発光機能、(3)融雪・解凍機
  能、(4)情報通信機能
(5)充電機能、(6)走行型(あるい停止型)給電機能付加した
  ものとする。

2.採用する光電変換素子の変換効率は20%(好ましくは25%)以上でないものは採用しない。
3、減価償却期間(耐久性)は10年とする(場合によれば、3年~20年の範囲をもつ)。

以上の3点。これが実現できれば、道路が発電所になり、照明灯・指示灯の高架はほとんどが
埋設舗装化され、通信によるテレメトリー化、遠隔測定操作・自動化されてしまうという理想
的なものとなる。

 

尚、開発工法の参考として次のような新規考案を参考にしてみた。

特開2014-095271 ロールスクリーン装置およびその製造方法 東リ株式会社
特開2014-102881 融雪機能付きLED照明装置 八洲電業株式会社
特開2014-035804 光電変換素子 株式会社リコー
特開2014-098263 電気機器搭載壁体 東日本高速道路株式会社 他
特開2014-082805 非接触給電システムおよび移動体 TDK株式会社

● 特開2014-095271 ロールスクリーン装置およびその製造方法



特開2014-102881 融雪機能付きLED照明装置 八洲電業株式会社




特開2014-082805 非接触給電システムおよび移動体 TDK株式会社

 


特開2013-223283 非接触給電システム スミダコーポレーション株式会社



特開2014-098263 電気機器搭載壁体 東日本高速道路株式会社 他

 

 

   


やがて、木野は、離婚しバーのオーナー&マスターを営むようになり、野良猫との共同生活をはじ
めると、暫くして客入りが多くなるそんな雨が降るある夜、事件が起こる・・・戦闘モードに入っ
た893集団の行動のそれは、徹頭徹尾冷徹なものだということをわたしに、自らの体験を通して
語ってくれた、スナック『仁人』のマスター(故人)―日本列島が不動産バブルで湧いていた頃の
話を思い出させた。さて、それじゃ今夜も、スロー・リード・モードに入ってみよう。
 

  別れた妻や、彼女と寝ていたかつての同僚に対する怒りや恨みの気持ちはなぜか湧いてこな
 かった。もちろん最初のうちは強い衝撃を受けたし、うまくものが考えられないような状態が
 しばらく続いたが、やがて「これもまあ仕方ないことだろう」と思うようになった。結局のと
 ころ、そんな目に遭うようにできていたのだ。もともと何の達成もなく、何の生産もない人生
 だ。誰かを幸福にすることもできず、むろん自分を幸福にすることもできない。だいたい幸福
 というのがどういうものなのか、木野にはうまく見定められなくなっていた。痛みとか怒りと
 か、失望とか諦観とか、そういう感覚も今ひとつ明瞭に知覚できない。かろうじて彼にできる
 のは、そのように奥行きと重みを失った自分の心が、どこかにふらふらと移ろっていかないよ
 うに、しっかり繋ぎとめておく場所をこしらえておくくらいだった。「木野」という路地の奥
 の小さな酒場が、その具体的な場所になった。そしてそれは――あくまで結果的にはというこ
 とだが――奇妙に居心地の良い空間となった。
 
  人間よりも先に「木野」の居心地の良さを発見したのは灰色の野良猫だった。若い雌猫で、

 長くて美しい尻尾を持っていた。店の片隅にある窪まった飾り棚が気に入ったらしく、そこで
 丸くなって眠った。木野はできるだけ猫にかまわずにおいた。たぶん放っておいてほしいのだ
 ろう。一日に一度餌を与え、水を取り替えてやった。それ以上のことはしなかった。そして猫
 がいつでも自由に出入りできるように、小さな出入り目を作ってやった。しかし猫はなぜかむ
 しろ、人と一緒に正面のドアから出入りすることを好んだ。



  
  あるいはその猫が良い流れを運んできてくれたのかもしれない。やがて少しずつではあるが
 客が「木野」を訪れるようになった。路地の奥の一軒家、小さな目立たない看板、歳月を経た
 立派な柳の木、無口な中年の店主、プレーヤーの上で回転している古いLPレコード、二品ほ
 どしかない日替わりの軽食、店の片隅で寛いでいる灰色の猫。そんなたたずまいを気に入って、
 何度も足を運んでくれる客もできた。彼らが新しい客を連れてきてくれることもあった。繁盛
 するというにはほど遠いが、売り上げから毎月の家賃を払うくらいはできるようになった。木
 野にはそれで十分たった。




 
  頭を坊主にしたその若い男が店に顔を見せるようになったのは、開店してニケ月ほど経った
 頃たった。そして木野がその名前を知るまでに、それからまたニケ月を要した。男の名前はカ
 ミタといった。神様の田んぼと書いて、カミタと言います。カンダではなく、と男は言った
 木野に向かってそう言ったわけではなかったが。
   
 その日は雨が降っていた。傘が必要かどうか迷う程度の雨だ。店内にはカミタと、ダークス-
 ツを着た二人連れの男の客がいた。時計は七時半を指していた。カミタはいつものようにカ
 ウンターの奥で、ホワイト・ラベルの水割りを飲みながら本を読んでいた。二人組はテーブル
 席で、オー・メドックのボトルを飲んでいた。彼らは店に入ってくると紙袋からワインの瓶を
 取り出し、「コルク・フィーとして五千円払うから、これをここで飲んでかまわないか?」と
 言った。前例のないことだったが、断る理由もなかったので、いいですよと木野は言った。コ
 ルクを抜いてやり、ワイン・グラスをふたつ出した。ミックスナッツの皿も出した。手間はか
 からない。ただ二人はよく煙草を吸ったので、煙草の苦手な木野にとってはあまりありかたく
 ない客だった。店は暇だったから、木野はスツールに腰掛けて『ジェリコの戦い』が入ってい
 るコールマン・ホーキンズのLPを聴いた。メジャー・ホリーのベース・ソロが素晴らしい。



  
  二人の男たちは、最初は普通に和気蕩々とワインを飲んでいたのだが、やがて何かのきっか
 けで目論が始まった。内容まではわからないが、ある特定の問題について二人の意見が微妙に
 食い違い、接点を見出そうとする試みも失敗に終わったようだった。双方とも次第に感情的に
 なり、軽い口論は鋭い言い争いに変わっていった。ある時点で一人が席から立ち上がろうとし
 て、テーブルが傾き、扱い殼でいっぱいになった灰皿とワイン・グラスがひとつ床に落ち、グ
 ラスは粉々に割れた。木野は梁を持ってそちらに行って、床を掃除し、新しいグラスと灰皿を
 出した。

 
 カミタが――そのときはまだ名前はわかっていなかったのだが――男たちのそのような傍若
 無人な振る舞いを苦々しく思っていることは明らかだった。表情こそ変えなかったものの、彼 
 の左手の指は、ピアニストが気になる特定のキーを点検するときのように、小さくカウンター
 をとんとんと叩いていた。この場をうまく収めなくては、と木野は思った。ここは彼が進んで
 責任をとらなくてはならない場所なのだ。木野は二人のところに行って、申し訳ないがもう少
 し声を小さくしてもらえないかと丁重に頼んだ。
 
  一人が木野を見上げた。嫌な目つきだった。そして席から腰を上げた。それまでなぜか気が
 つかなかったのだが、かなりの巨漠だった。背はそれほど高くないが、胸板が分厚く腕が太い。
 相撲取りになってもおかしくない体格だ。小さい頃から喧嘩に負けたことは一度もない。人に
 指図することに慣れている。人から指図されることを好まない。木野は体育大学にいた頃、こ
 ういう種類の連中を何人か目にしてきた。理を説いて通じる相手ではない
 
  もう一人の男はずっと小柄だった。痩せて顔色が悪く、いかにも抜け目ない顔をしていた。
 巧妙に他人をたきつけて何かをさせることに長けている、そんな印象を与える男だった。彼も
 またゆっくり席から立ち上がった。木野は二人と顔をつきあわせるかたちになった。二人はそ
 れを潮に口論をいったん棚上げし、連携して木野に立ち向かうことに決めたらしかった。二人
 の呼吸は見事なほど合っていた。まるでそういう展開になることを密かに待ち受けていたみた
 いに。
 
 「なんだ、おまえはえらそうに、人の話の邪魔をしやがって」と大きな男が太く乾いた声で言
 った。

  彼らはどちらも高級そうなスーツを着ていたが、近くでよく見るとその仕立ては上品とは言
 いがたいものだった。本物のやくざではないが、それに近い筋かもしれない。とにかくあまり
 褒められた仕事をしている連中ではなさそうだ。大男はクルーカットで、小柄な男は茶色に染
 めた髪をちょんまげのようなポニーティルにしていた。少し面倒なことになるかもしれないと
 木野は覚悟した。績の下にじんわりと汗が溶んだ。
 
 「すみません」という声が背後から聞こえた。
 振り向くと、カミタがカウンターのスツールから降りて、そこに立っていた。
 「店の人を責めないでくれませんか」とカミタは木野を指さして旨った。「あなた方の声が大
 きかったので、ちょっと注意してくれないかと私がお願いしたんです。集中して本が読めない
 もので」
  カミタの声は普段よりむしろ穏やかで間延びしていた。しかしそこには、見えないところで
 何かがゆっくり動き始めたような気配があった。

 「本が読めないもので」と小柄な男が小さな声で、相手の言ったことをそのまま繰り返した。

 文法的に構文に不備がないか確かめるみたいに。
 
 「あんた家はないのか?」と大柄の男がカミタに言った。
 「あります」とカミタは答えた。「この近くに住んでいます」
 「じゃあ、家に帰って読めばいいだろう」
 「ここで本を読むのが好きなんです」とカミタは言った。
 
  二人の男は顔を見合わせた。

 「本を貸してみろや」と小柄な男が言った。「俺が代わりに読んでやろう」
 「自分で静かに読むのが好きなんです」とカミタは言った。「それに漢字を間違って読まれる
 のがいやだから」
 「面白いやつだ」と大柄な男が言った。「笑える」
 「おたく、名前はなんていうんだ?」とポニーティルが訊いた。
 「神様の田んぼと書いて、カミタと言います。カンダではなく」とカミタは言った。そこで初
 めて木野は彼の名前を知ったのだ。
 「覚えておこう」と大柄な男は言った。
 「いい考えです。記憶は何かと力になります」とカミタは言った。
 「とにかく表に出ようじゃないか。その方がお互い率直に話し合えそうだ」と小柄な男が言っ
 た。
 「いいですよ」とカミタは言った。「どこにでも行きましょう。でもその前に勘定を済ませて
 おきませんか?そうすれば店に迷惑がかからない」
 「いいだろう」と小柄な男は同意した。 
  カミタは木野に勘定を頼み、自分のぶんを小銭まで
 正確にカウンターに置いた。ポニーティルは紙入れから一万円札を出して、テーブルの上に放
 った。
 
 「割ったグラスのぶんを入れて、これで間に合うか?」
 「じゆうぶんです」と木野は言った。
 「けちな店だ」と大柄な男が嘲るように言った。
 「釣りはいらないから、もう少しましなワイン・グラスを買っておけよ」とポニーティルが木
 野に言った。「あのグラスじやせっかくの上等のワインがまずくなる」
 「まったくけちな店だ」と大柄な男が繰り返した。
 「そう、ここはけちな客が集まる、けちな店なんです」とカミタは言った。「あなたがたには
 向いていない。あなたがたに向いた店は他にあるでしょう。どこにあるのかは知りませんが」
 「面白いことを言うやつだ」と大柄な男が言った。「笑える」
 「あとで思い出してゆっくり笑ってください」とカミタが言った。
 「なんにせよ、どこに行けとか行くなとか、おたくにいちいち指図されたかねえな」とポニー
 ティルが言った。そして唇を長い舌でゆっくりと砥めた。獲物を前にした蛇のように。
  大柄な男がドアを開けて外に出て、そのあとにポニーティルが続いた。おそらく不穏な空気
 を感じたせいだろう、雨が降っているというのに、猫もそのあとから外に飛び出していった。

 「大丈夫ですか?」と木野はカミタに尋ねた。「心配ありません」とカミタは微笑を淡く口
 許に浮かべて言った。「木野さんはここにいて、何もしないで待っていてください。そんな
 に時間はかかりません」
 
  そしてカミタは外に出て、ドアを閉めた。雨はまだ降り続いていた。雨脚はさっきより心持
 ち強くなっていた。木野はカウンターのスツールに腰掛け言われたとおり、ただ時間が経過す
 るのを待った。新しく客が入ってくる気配はなかった。外はいやにしんとして、物音ひとつ聞
 こえない。カミタの読みかけの本がカウンターの上でページを開かれたまま、訓練された大の
 ように主人の帰りを待っていた。十分ほどあとでドアが開き、カミタが一人で中に入ってきた。
 
 「よかったらタオルを貸してもらえますか?」と彼は言った。
 
  木野は彼に新しいタオルを出した。カミタはそれで濡れた頭を拭いた。そして首筋を拭き、
 顔を拭き、最後に両手を拭いた。「ありがとう。もう大丈夫です。あいつらは二度と顔を見せ
 ません。木野さんに迷惑をかけることもないでしょう」
 「何かあったんですか、いったい?」
  カミタはただ小さく首を振った。「知らない方がいい」ということなのだろう。それから彼
 は席に戻ってウィスキーの残りを飲み、何もなかったように本の続きを読んだ。帰り際に勘定
 を払おうとしたので、木野は相手に既に支払いが終わっていることを思い出させた。「そうだ
 った」と恥ずかしそうにカミタは言い、レインコートの襟を立て、縁のある丸い帽子をかぶっ
 て店を出ていった。

  カミタが帰ったあと、木野は外に出て、近所をひとまわりしてみた。しかし路地はひっそり
 としていた。人通りもない。格闘したようなあともなく、血も流れていない。そこでいったい
 何かあったのだろう? 彼は店に戻り、客を待った。しかし最後まで客は来なかったし、猫も
 戻ってこなかった。彼はグラスにダブルのホワイト・ラベルを注ぎ、同量の水を足し、小さな
 氷を二つ入れ、それを飲んでみた。格別の味わいのある飲み物ではない。ただそのとおりのも
 のだ。しかしいずれにせよその夜、彼はいくらかのアルコールを必要としていた。
  
  学生の頃、新宿の裏通りを歩いていて、やくざらしい男と二人の若いサラリーマンとの喧嘩
 を目にしたことがある。やくざはどちらかといえば貧相な見かけの中年男で、二人のサラリー
 マンの方が体格がよかった。酒も入っていた。だから二人は相手を見くびっていた。しかしお
 そらくボクシングの心得があったのだろう。ある時点でやくざは拳を固め、ただの一言も発す
 ることなく、二人の相手を目にも止まらぬ速さで叩きのめした。そして倒れたところに革靴の
 底で何度か強い蹴りを入れた。肋骨が何本か祈れたかもしれない。そんな鈍い音が聞こえた。
 そして男は何ごともなかったように歩き去った。これがプロの喧嘩なのだと、木野はそのとき
 思った。余計な口はきかない。頭の中であらかじめ動きの段取りをつける。相手が準備を整え
 る前に素早く叩きのめす。倒れた相手にはためらいなくとどめを刺す。そのまま立ち去る。
  
  アマチュアに勝ち目はない
 
  カミタがそれと同じように、二人の男たちを数秒のうちに殴り倒す情景を木野は想像した。
 そういえば、カミタの風貌にはどことなくボクサーを思わせるところがあった。しかしその雨
 の夜、実際にそこで何がなされたのか、木野には知るすべもない。カミタも説明しようとはし
 ない。考えるほど謎が深まった。


                 村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )

 


 



幻と消えてしまったブログ『今夜はスポーツがいっぱい』。それにしても惜しいことをした。
それでは今夜はBoa noite por aqui.

 

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シェエラザードと八ッ目鰻

2014年06月11日 | 時事書評

 

 

 

●残業ゼロ法案

裁量労働制と言うらしいが、要するに労働業種別固定報酬制(非職階級別報酬制)とかで、一般従
業員(正規・非正規雇用社員?)を対象としているというセコイ制度?を社会・市場へ政治的介入
(個別企業が雇用者と雇用者の間で決めるのではなく)し決めるという。「この制度が適用された
場合、労働者は実際の労働時間とは関係なく、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされ
る。業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があ
る業務に適用できるとされる。適用業務の範囲は厚生労働省が定めた業務に限定されており「専門
業務型」と「企画業務型」とがある。導入に際しては、労使双方の合意(専門業務型では労使協定
の締結、企画業務型では労使委員会の決議)と事業場所轄の労働基準監督署長への届け出とが必要
である」と定めその規定によると「労働基準法第38条の3及び第38条の4項の要件を満たす必要が
ある」という。

「専門的職種・企画管理業務など、業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労
働者の裁量にゆだねる必要がある職種であることが条件である。当初は極めて専門的な職種にしか
適用できなかったが、現在では適用範囲が広がっている。厚生労働大臣指定職種も含めた主な職種
は以下の通りである」(Wikipedia)と、例のネオ・リベラリズム政策の「労働者派遣法」(1986

に施行。「派遣労働は例外的な働き方」という原則のもと、現行法では「専門性が高い」とされる
26業務以外では最長3年しか派遣を受け入れられない。改正案では、労働組合の意見を聞いた上で
3年で人を入れ替えれば、ほとんどの業務で無期限に派遣を使い続けられるようになる。派遣労働
者数は127万人(2013年)」がいかにこの日本社会を差別分断し歪めた上に―例えば、賃金労働者の
平均年収と公務員の年収は380万円/900万円@2011年と格差拡大)さらに反動加速させる
動きのよ
うにみえる。




それでは具体的に職種規定をみてみよう。「専門的職種・企画管理業務など、業務の性質上、業務
遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある職種であることが条件
である。当初は極めて専門的な職種にしか適用できなかったが、現在では適用範囲が広がっている。
厚生労働大臣指定職種も含めた主な職種は以下の通り。

1.新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務
2.情報処理システム(電子計算機を使用して行う情報処理を目的として複数の要素が組み合わされ
 た体系であつてプログラムの設計の基本となるものをいう。(7)において同じ。)の分析または設
 計の業務

3.新聞若しくは出版の事業における記事の取材若しくは編集の業務又は放送法(昭和25年法律第132
  号)第2条第4号に規定する放送番組若しくは有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律(
 昭和26年法律第135号)第2条に規定する有線ラジオ放送若しくは有線テレビジョン放送法(昭和
  47年法律114号)第2条第1項に規定する有線テレビジョン放送の放送番組(以下「放送番組」と
 総称する)の制作のための取材若しくは編集の業務

4.衣服、室内装飾、工業製品、広告等の新たなデザインの考案の業務
5.放送番組、映画等の制作の事業におけるプロデューサー又はディレクターの業務
6.広告、宣伝等における商品等の内容、特長等に係る文章の案の考案の業務(いわゆるコピーライ
 ターの業務)

7.事業運営において情報処理システムを活用するための問題点の把握又はそれを活用するための方
 法に関する考案若しくは助言の業務(いわゆるシステムコンサルタントの業務)

8.建築物内における照明器具、家具等の配置に関する考案、表現又は助言の業務(いわゆるインテ
 リアコーディネーターの業務)

9.ゲーム用ソフトウェアの創作の業務
10.有価証券市場における相場等の動向又は有価証券の価値等の分析、評価又はこれに基づく投資に
 関する助言の業務(いわゆる証券アナリストの業務)

11.金融工学等の知識を用いて行う金融商品の開発の業務
12.学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従
 事するものに限る。)

13.公認会計士の業務
14.弁護士の業務
15.建築士(一級建築士、二級建築士及び木造建築士)の業務
16.不動産鑑定士の業務
17.弁理士の業務
18.税理士の業務
19.中小企業診断士の業務

1から5までは、労働基準法施行規則第24条の2の2第2項により、6から19までは、労働基準法
施行規則第24条の2の2第2項より厚生労働大臣が指定する業務を定める1997年(平成9年)2月14
日労働省告示第7号による規定である。」(同上 Wikipedia

残業代を含めないというなら、上の数値を引数すれば、民間企業の賃金労働者の平均賃金の3倍
その下限額とすれば1,140万円/年 となり、平均賃金は就労人口構成や景気動向で変わるから毎
年更新する必要がある。それでも腑に落ちない。確かに就労条件として、就労試験偏差値がある一
定基準を満たさないと、その該当職種の労働品質を満足させることは出来ないかもしれないが(た
だし、他の方法もいろいろあるだろうが)、所得格差の拡大が低位平準化を引き起こし、例えば、
介護士労働は、資格取得が難しく、労働の要求品質が高いが、低賃金で定職率が悪く慢性的な人手
不足という現状を改善打開できていない――生産現場の安全・安心が担保できない労働環境の劣化
に手を貸すことのないような制度設計が求められている。しかしながら、現時点ではこの「残業ゼ
ロ法案」の提案の意味がよくわらないというのが本音だ。


 

  


●アフガニスタン南部ザブール州で9日、友軍の誤爆とみられる攻撃で米兵5人が死亡したことがA
P通信など報じた。誤爆と確認されればアフガン戦争開戦(2001年)以来、最悪規模となる。報道
によると、米兵らは作戦を終え基地に戻る途中で旧支配勢力タリバンの攻撃を受けた。空爆による
支援を要請したところ、誤って爆撃されたとみられる。米国防総省は「誤爆の可能性があるとみて
調査している」と声明を出した。アフガンでは02年に米軍の誤爆でカナダ兵4人が死亡するなど、
誤爆や誤射が相次いでいる。またアフガンのカルザイ大統領は米軍の空爆に市民が巻き込まれてい
ると繰り返し非難している。一方、ロイター通信などによると、南部ガズニ州で10日、車で首都カ
ブールに向かっていたカンダハル大学の教授ら35人が武装勢力に誘拐された。地元の有力者が交渉
に当たっているという。アフガンでは14日に大統領選の決選投票を控えており、治安悪化が懸念さ
れているとのこと。

●イラク第2の都市モスルなど北部各地を制圧したイスラム教スンニ派の過激派「イラク・レバン
トのイスラム国(ISIL)」は11日、首都バグダッド北方のバイジに進撃した。ロイター通信が伝え
た。バイジはモスルとバグダッドを結ぶ中継都市。ISILがこのまま南下を続ければ、首都侵入を許
すことになり、イラクのマリキ政権は存続の危機に直面しかねない状況。一方、現地からの報道に
よると、モスルではISILの武装集団が市内を巡回するなどして、住民支配強化を目指した引き締め
を図っている。ISILの過酷な支配の実態は住民にもよく知られており、弾圧への恐怖から、モスル
の人口の4分の1に相当する50万人規模の人々が市外に脱出したとの情報もある。

●集団的自衛権の行使容認をめぐり、自民党は、22日までの今の国会中の閣議決定を目指している
が、公明党は、依然、慎重な議論を求めていて、ぎりぎりの攻防が続いているという。公明党から
は「なぜ会期内にこだわるのか、理解できない」との意見が出る一方、自民党内からは「区切りを
決めないと、公明党の引き延ばし戦術にはまるだけだ」と、警戒する声が上がっている。自民党の
石破幹事長は「今国会内に合意を得たい。今国会において、閣議決定をしたい。公明党さんに、よ
り徹底した議論を党内でもお願いしたいと」と述べた。11日朝の自民・公明の幹部協議で、自民党
の石破幹事長は、あらためて会期内に閣議決定を行いたい意向を示したが、公明党から、前向きな
返答はなかったと伝えている。

●飯島勲内閣官房参与は10日、ワシントンで講演し、集団的自衛権の行使容認に慎重な公明党と同
党の支持母体である創価学会の関係が、憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府
見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、『政教一致』が出てきてもおかし
くない」と述べ、変更される可能性に言及。飯島は集団的自衛権をめぐる与党協議に関し、「来週
までには片が付くだろう」とも表明。行使容認の前提となる憲法解釈変更に公明党が同意しなけれ
ば政府から圧力がかかるとけん制したとも受け取れる発言で、同党が反発しそうだということだ。 


●防衛省は11日、中国軍のSu27戦闘機2機が同日午前11時と正午ごろ、東シナ海の公海上空で、
海上自衛隊のOP3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS11EB電子情報収集機に異常接近した
と発表した。数十メートルの近さまで近接した。領空侵犯は発生しておらず、自衛隊機や自衛隊員
への被害はない。レーダー照射もなかったという。

 
さて、米国との集団自衛権の成立による抑止力は、中国の"武闘信仰派"には有効かもしれないが、
両国の人命を第一優先に考える、わたし(たち)"非攻墨子派”には二義的な意味しかない。その意
味では、飯島勲内閣官房参与の「政教分離」論議も、「両国の人命を第一」の前では無効であると
考える。アフガニスタンもイラクも欧米中心の多国籍軍による進駐で和平をもたらしはしたが、平
和をもたらすことはなかったことを今夜の情報で再確認することになった。
 

  

   



さて、今夜。シェエラザードと羽原との不思議な性的関係は自然な決別の日がやってきてこの物語
は綴じられることとなる。羽原は北関東のある町のハウスに軟禁(記憶喪失症?)され、身を隠し
ている理由が語ら
れることなく進行する。また、なぜ、シェエラザードがヤツメウナギについて語
らせるのか伏せられたままストーリー展開する。ただ、ヤツメウナギは、
ひと月ほどで孵化すると、
アンモシーテス(Ammocoete)と呼ばれる幼生期を数年間過ごした後、成体へと変態。アンモシーテ
スとは、ヤツメウナギの幼生期であり、口は吸盤状でなく漏斗のようで、泥底に潜って水中から有
機物を濾しとって食べる特徴があり、また眼が未発達(「人生って妙なものよね。あるときにはと
んでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えた
ものが、しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色梗せて見えるこ
とがある。私の目はいったい何を見ていたんだろう」と彼女が語り、彼は「青の時代」みたいと応
じている※)、外からはほとんど確認できず、変態後は、2、3年海を回遊して再び繁殖期になる
と河川を溯上し繁殖期まで一生を淡水で過ごす生態と、シェエラザードと羽原が織りなす思春期の
変態体験と、そこからの脱皮と成長が渾然とした様が描かれる。あるいは、シェエラザードは、記
憶喪失した羽原の記憶を復元させる治療行為として『千一夜物語』のように語るストーリーとして
構成される――不思議な世界である。また、「女を失うというのは結局のところそういうことなの
だ。現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女
たちの提供してくれるものだった」との独白は前作『独立器官』に通じるテーマ、"かけがいのな
い女性の喪失”に対する恐れと不安を暗示する。


※ピカソの1903年の作品『ラ・ヴィ 人生』の左側のカザジェマスと愛人、右側の子供を抱く痩せた
 母親を描き、間に失意と絶望を感じさせる二枚の絵が挟み込まれ、カザジュマスの指先が、二人
 の不安な将来を暗示するかのように母子像に向けられた構図をイメージしているのではないだろ
 うか。



  シェエラザードは持ち帰った彼のTシャツの匂いを、毎晩寝る前に嗅いだ。そのシャツを隣
 に置いて眠った。学校に行くときには紙にくるんで、みつからないところに隠した。夕食を取
 り、部屋で一人になるとそれを取りだし、撫でたり、匂いを嗅いでみたりした。日にちが経つ
 と匂いがだんだん薄らいで消えていくのではないかと心配したが、そんなことはなかった。彼
 の汗の匂いは、消えることのない重要な記憶のように、いつまでもそこに染みついていた。

  もうこれ以上彼の家に空き巣に入ることはできないのだ(人らなくてもいいのだ)と思うと

 少しずつではあるがシェエラザードの頭は平常に復していった。意識が普通に働くようになっ
 てきた。教室でぼんやり白昼夢を見ることも少なくなり、部分的にではあれ教師の声がちゃん
 と耳に入るようにもなった。でも彼女は授業のあいだ、教師の声に耳を澄ませるよりは、彼の
 様子をうかがうことに神経を集中していた。その挙動に変わったところが見当たらないか、何
 か神経質な素振りを見せたりしないか、怠りなく目を配っていた。しかし彼の挙動は普段とま
 ったく変化なく見えた。いつものように大きな目を開けて無心に笑い、教師に質問されればは
 きはきと正しい答えを返し、放課後にはサッカー部の練習に熱心に励んでいた。大きな声をあ
 げ、たっぷり汗をかいていた。彼のまわりで何か異変が持ちあがったような気配はまったくう
 かがえなかった。おそろしくまともな人だ、と彼女は感心した。翳りひとつない。

  でも私は彼の翳りを知っている、とシェエラザードは思った。あるいは翳りに近いものを。

 たぶん他の誰もそれを知らない。知っているのは私だけだ(ひょっとしたら母親も知っている
 かもしれないが)。三回目に空き巣に入ったとき、彼女は押し入れの奥にポルノ雑誌が何冊か
 巧妙に隠されているのを見つけたのだ。そこには女性の裸の写真がたくさん載っていた。女た
 ちは脚を開き、性器を気前よく露出していた。男女が交わっている写真もあった。とても不自
 然な姿勢で交わっている写真だ。棒のような性器が女の中に挿入されていた。そんな写真を目
 にするのはシェエラザードにとって生まれて初めてのことだった。シェエラザードは彼の勉強
 机の前に座り、それらの雑誌のページを繰って、ひとつひとつの写真を興味深く眺めていった。
 たぶんこういう写真を見ながら彼は自慰をしているのだろうと彼女は想像した。でもそのこと
 はとくに彼女をいやな気持ちにはさせなかった。彼の隠された素顔に失望したりもしなかった。
 彼女はそういうのが自然な営みであることを承知していた。生産された精液はどこかで放出さ
 れなくてはならない。男の身体はそのようにできているのだ(女性に月経があるのとだいたい
 同じことだ)。そういう意味では、彼だって普通の十代の男の子の一人に過ぎない。正義のヒ
 ーローでもなければ、聖人でもない。むしろそれを知って、シェエラザードはほっとしたくら
 いだった。

 「空き巣に入ることをやめてしばらくして、彼に対する激しい憧れは徐々にではあるけど、薄
 れていった。遠浅の海岸を潮がじわじわと引いていくみたいに。どうしてかはわからないけど、
 私はもう以前ほど熱心に彼のシャツの匂いを嗅がなくなったし、鉛筆やバッジを夢中になって
 撫で回すことも少なくなった。まるで熱病が治まっていくみたいに、熱が引いていったの。そ
 れは病気のようなものではなく、きっと本物の病気だったのね。その病気は私の頭をしばらく
 のあいだ、高熱で錯乱させていた。誰もが人生の中で、一度はそういう出鱈目な時期を通過す
 るのかもしれない。あるいはそれはただ私ひとりの身に起こった、特殊な出来事だったのかも
 しれない。ねえ、あなたにはそういうことってあった?」
 
  考えてみたが、羽原には思い当たることはなかった。「それほど特別な出来事はなかったと
 思うな」と彼は言った。
 
  シェエラザードはそれを間いて少しがっかりしたみたいだった。「いずれにせよ高校を卒業
 すると、私はいつしか彼のことを忘れてしまった。自分でも不思議なくらいあっさりと。彼の
 どんなところに十七歳の自分がそんなに激しく惹かれたのか、それすらほとんど思い出せなく
 なってしまった。人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えた
 ものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えたものが、しばらく時間が経つと、
 あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色梗せて見えることがある私の目はいったい
 何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう。それが私の〈空き巣狙いの時代〉
 のお話」
 
  なんだかピカソの「青の時代」みたいだと羽原は思った。しかし彼女の言わんとすることは、
 羽原にもよく理解できた。

 

  女は枕元のディジタル時計に目をやった。そろそろ帰宅の時刻が近づいていた。彼女は含み
 のある間を置いた。それから言った。
 「でも実を言うと、話はそこで終わらないの。その四年後だったかな、看護学校の二年生だっ
 たときに、私はちょっと不思議な巡り合わせで、彼と再会することになった。そこには彼の母
 親も大々的に登場するし、またちょっとした怪談みたいなものも絡んでいるの。あなたに信じ
 てもらえるかどうか自信はないんだけど、その話は聞きたい?」
 「とても」と羽原は言った。
 「じゃあそれは次のときにね」とシェエラザードは言った。「話し出すとかなり長くなるし、
 そろそろうちに帰って食事を作らなくちゃ」
  
  彼女はベッドを出て、下着をつけ、ストッキングを穿き、キャミソールを着て、スカートと
 ブラウスを着た。羽原はその一連の動作をベッドの中からぼんやりと眺めていた。女が衣服を
 身につけていく動作は、それを脱ぐときの動作より興味深いかもしれないと彼は思った。

 「何か読みたい本はある?」と出がけにシェエラザードは尋ねた。とくにないと思うと羽原は
 答えた。ただ君の話の続きが聞きたいだけだ、と彼は思ったが、口には出さなかった。口に出
 すと、話の続きを永遠に聞けなくなってしまいそうな気がしたからだ。

  羽原はその夜、まだ早い時刻にベッドに入り、シェエラザードのことを考えた。彼女はひょ
 
っとして、もうこのまま姿を見せなくなるかもしれない。彼はそのことを案じていた。それは
 決して起こり得ないことではない。シェエラザードと彼とのあいだには、どのような個人的取
 り決めも存在しない。それは誰かからたまたま与えられた関係であり、その誰かの気分ひとつ
 で、いつ取り上げられるかもしれない関係だった。言うなれば、細い糸一本でかろうじて結ば
 れているだけの繋がりだ。おそらくいつか、いや、間違いなくいつか、それは終わりを告げる
 だろう。その糸は切られてしまうだろう。遅いか早いか、違いはそれだけだ。そしていったん
 シェエラザードが去ってしまえば、羽原にはもう彼女の活か間けなくなる。物語の流れはそこ
 で断ち切られ、語られるはずのいくつもの未知の不思議な物語は、語られないまま消えてしま
 う。

  あるいはまた、彼はすべての自由を取り上げられ、その結果シェエラザードばかりか、あら

 ゆる女から遠ざけられてしまうことになるかもしれない。その可能性も大きい。そうなれば、
 もうニ度と彼女たちの湿った身体の奥に入ることもできなくなってしまう。その身体の微妙な
 震えを感じ取ることもできなくなる。しかし羽原にとって何よりつらいのは、性行為そのもの
 よりはむしろ、彼女たちと親密な時間を共有することができなくなってしまうことかもしれな
 い。女を失うというのは結局のところそういうことなのだ。現実の中に組み込まれていながら
 それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女たちの提供してくれるものだった
 そしてシェエラザードは彼にそれをふんだんに、それこそ無尽蔵に与えてくれた。そのことが
 またそれをいつか失わなくてはならないであろうことが、彼をおそらくは他の何よりも、哀し
 い気持ちにさせた。
 
  羽原は目を閉じ、シェエラザードのことを考えるのをやめた。そしてやつめうなぎたちのこ

 とを想った。石に吸い付き、水草に隠れて、ゆらゆらと揺れている顎を持たないやつめうなぎ
 たちを。彼はそこで彼らの一員となり、鱒がやってくるのを待った。しかしどれだけ待っても、
 一匹の鱒も通りかからなかった。太ったものも、痩せたものも、どのようなものも。そしてや
 がて日が落ち、あたりは深い暗闇に包まれていった。 


                              村上春樹 著『シェエラザード』(MONKEY Vol.2 

                                          この項了
     
 

  

 

 

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インテリジェント・ペイブメント・パネル

2014年06月10日 | デジタル革命渦論

 

【ビバ!デジタル革命!】 

    Solar powered Fridge-Freezer & Warmer!


折りたたみ可能なソーラーパワーで世界初のポータブル冷凍冷蔵庫·加熱器として使える。そして、
内蔵リチウム電池を充電しておくため一日中実行可能だという。防災用具としても、アウトドアー
のシーンと使い方は購入者の工夫でひろがる!

 

キーホルダーに付けられるバッテリー「GOkey」。USBメモリ内蔵でBluetoothでの位置検索もでき
るという優れもので、この製品はネットで資金調達を募ることで商品化に結びつけるクラウドファ
ンディングサイト、Indiegogoで資金調達中の未発売品。スマホの充電が切れてしまったときキーホ
ルダーからサクッと外して……充電。家のカギをどこに置いたか忘れたっても大丈夫。GOkey
Bluetoothが内蔵されているので、専用アプリからカギの位置を探せるとか、GBから32GBまでの
メモリを内蔵。音楽や、ビデオ、写真などを持ち運ぶのにも便利。また、充電・同期ケーブルにな
る。
普通のケーブルとしても使えるというからこれは便利かも。

 

 

 

ソーラー舗装時代』で掲載したSolar roadways Inc.”が結構話題になっているようだが、新規
考案に関する情報は今夜の段階では確認できなかった。このソーラー・ロードウェイ有限会社は、
米国はアイダホ州はサンドポイントに拠点を置く、スマート高速道路を舗装する会社である。こ
の企業技術特色は、透明な舗装パネルに太陽電池、発光ダイオード、発熱体、情報通信とセンサ
などの電子機器およびプログラムミング施した太陽電池アレイ技術にあるが、 設立は2006年に
なる。

●沿革

2006年、スコット&ジュリー・ブラサウにより設立、スコット・ブラサウが社長兼最高経営者であ
    る。
2009年、ソーラー舗装駐車場の開発(第1フレーズ)に、運輸省(DOT)の中小企業イノベーショ
    ン研究(SBIR)より助成金10万ドルを受ける。
2011年、ソーラー舗装駐車場を開発(第2フレーズ)に、SBIRより助成金75万ドル受ける。太陽光
    発電技術より道路舗装分野に特化技術に指定され、ソーラー舗装による除雪・解凍用に六
    角形のガラスに覆われたソーラーパネル(12×36フィートつまり3.7×11.メートル)の大
    きさで、発光ダイオードの表示灯内挿し構築。尚、パネル強度は25万ポンド(11万キログ
    ラム)である。
2014年4月、 ソーラー・ロードウェイ社は、資金を調達するのためのIndiegogoのクラウド・ファン
      ディングを開始。

 



 

・2014年6月の時点では、パネルの具体的なコストと消費電力の出力がソーラー舗装ではしめされて
 いない。このようにライフコストは未決定である。
2014年7月に試作品の設置費用を公表する予定
・2010年では、12フィート12フィートのパネルでマイル当たり440万ドル(約4億4千万)かかること
 していた。 2010年時点の小売電力価格で計算すると、約20年で原価償却できるとの見通しであっ
 た。
・ソーラー舗装の対象規模は、道路、駐車場、車道、遊び場、自転車道、歩道を含め、の31,250.86
 平方マイル(≒80,939.4 平方キロメートル、日本の国土面積が 377,900平方キロメートルだから
  日本の国土の面積の1/5に匹敵)と推定。

それにしても、インテリジェント舗装パネルが六角形(ヘキサゴン)とは偶然の一致なのかと思わず苦笑して
しまった(この案件は特許出願していなかったが、それなら量産システムで新規提案してみるのもいいか)。

 

   

  その日シェエラザードは彼のベッドの上で、長いあいだ仰向けに身を横たえていた。今度は
 前のときほど胸ほどきどきしなかったし、呼吸も普通にすることができた。隣に彼が静かに眠
 っており、その添い寝をしているような気持ちにもなれた。ちょっと手を伸ばせば、そのたく
 ましい腕に指を触れられそうだった。でももちろん実際には彼は隣にはいない。彼女は白昼夢
 の雲に包まれているだけだ

  それからシェエラザードはどうしても彼の匂いを嗅ぎたくなった。ベッドから起き上がり、
 洋服ダンスの抽斗を開けて彼のシャツを調べてみた。どのシャツもしっかり洗濯され、日に干
 され、ロールケーキのようにきれいに丸く折りたたまれていた。汚れは取り除かれ、匂いは消
 されている。前と同じだ。




  それから彼女は、あることをはっと思いついた。うまくいくかもしれない。そして急ぎ足で

 階下に降りていった。浴室の脱衣場に洗濯かごをみつけ、その蓋を開けてみた。そこには彼と
 母親と妹の三人分の洗濯物が入っていた。おそらく一日分の洗濯物だ。シェエラザードはその
 中から男物のシャツを一枚見つけた。BVDの白い丸首のTシャツ。そしてその匂いを嗅いで
 みた。まぎれもない若い男の汗の匂いがした。むっとする体臭-クラスの男子生徒の近くに  

 いるときに、それと同じ匂いを彼女は嗅ぐことがあった。とくに心が楽しくなるような匂いで
 はない。しかし彼のそれはシェエラザードを限りなく幸福な気持ちにさせた。そのわきの下の
 部分に顔をつけ、匂いを吸い込んでいると、自分か彼の身体に包まれ、両腕で強く抱きしめら
 れているような気持ちになった。
 
  シェエラザードはそのシャツを持って二階に上がり、もう一度彼のベッドに横になった。そ  

 してシャツに顔を埋め、その汗の匂いを飽きることなく嗅ぎ続けた。そうしているうちに、腰
 のあたりにだるい感覚を覚えた。乳首が硬くなる感覚もあった。そろそろ生理が始まるのだろ
 うか? いや、そんなことはない。まだ時期的に早すぎる。たぶんこうなるのは性欲のせいだ
 ろう、と彼女は推測した。それをどのように扱えばいいのか、どう処理すればいいのか、彼女
 にはわからなかった。というか、少なくともこんなところでは何もできない。何しろ彼の部屋
 の、彼のベッドの上なのだ。
  
  シェエラザードはとにかく、その汗を吸い込んだシャツを持ち帰ることにした。それはもち
 ろん危険なことだった。母親はおそらくシャツが一枚紛失していることに気がつくだろう。誰
 かがそれを盗んで行ったとは思わないまでも、どこに消えたのだろうと首をひねるはずだ。家
 の中がこれほどきちんと掃除され、片付けられているからには、母親はきっと管理整頓フリー
 ク
みたいな人だろう。何かが無くなっていたら、たぶんその行方を求めて家中を探し回るに違
 いない。厳しく訓練を受けた警察犬のように。そして大事な息子の部屋の中に、シェエラザー
 ドの残したいくつかの痕跡を見出すことだろう。しかしそれがわかっていても、彼女はそのシ
 ャツを手放したくなかった。彼女の頭は彼女の心を説得することができなかった。

  そのかわりに私は何をここに置いていけばいいだろう、とシェエラザードは思った。彼女は
 自分の下着を置いていくことを考えた。ごく当たり前の、比較的新しいシンプルなアンダーパ
 ンツで、朝替えてきたばかりだ。それを押し入れの奥に隠していけばいい。交換する品物とし
 てはそれは実に妥当なものであるように彼女には思えた。しかし実際に脱いでみると、その股
 の部分が温かく湿っていることがわかった。私の性欲のせいだ、と彼女は思った。匂いを嗅い
 でみたが、匂いはなかった。しかしそんな風に性欲で汚れてしまったものを、彼の部屋に残し
 ていくわけにはいかない。そんなことをしたら自分を卑しめてしまうことになる。彼女はそれ
 をもう一度身につけ、何か別のものを置いていくことにした。さて、何を置いていけばいいだ
 ろう? 

  そこまで話してシェエラザードは黙り込んだ。そのまま長いあいだ一言も□にしなかった。
 目を閉じ、静かに鼻で呼吸をしていた。羽原も同じように黙ってそこに横になり、彼女が□を
 開くのを待っていた。
 
 「ねえ、羽原さん」とシェエラザードがやがて目を開けて言った。彼女が羽原の名前を呼んだ
 のはそれが初めてだった。
 
  羽原は彼女の顔を見た。
 
 「ねえ、羽原さん、もう一度私のことを抱けるかな?」と彼女は言った。
 「できると思うけど」と羽原は言った。

  そして二人はもう一度抱き合った。シェエラザードの身体の様子はさっきとはずいぶん違っ
 ていた。柔らかく、奥の方まで深く湿っていた。肌も艶やかで、張りがあった。彼女は今、同
 級生の家に空き巣に入ったときの体験を鮮やかにリアルに回想しているのだ、と羽原は推測し
 た。というか、この女は実際に時間を遡り、十七歳の自分自身に戻ってしまったのだ。前世に
 移動するのと同じように。シェエラザードにはそういうことができる。その優れた話術の力を
 自分自身に及ぼすことができるのだ。優秀な催眠術師が鏡を用いて自らに催眠術をかけられる
 のと同じように。
 
  そして二人はこれまでになく激しく交わった。長い時間をかけて情熱的に。そして彼女は最
 後にはっきりとしたオーガズムを迎えた。身体が何度も激しく痙撃した。そのときのシェエラ
 ザードは、顔立ちまでがらりと変わってしまったようだった。シェエラザードが十七歳の頃ど
 のような少女であったか、細い隙間から瞬間的に風景を垣間見るように、羽原はその姿かたち
 をおおよそ思い浮かべることができた。彼が今こうして抱いているのは、たまたま三十五歳の
 平凡な主婦の肉体の中に閉じ込められている、問題を抱えた十七歳の少女なのだ。羽原にはそ
 れがよくわかった。彼女はその中で目を閉じ、身体を細かく震わせながら、汗の染み込んだ男
 のシャツの匂いを無心に嗅ぎ続けている。



  セックスを終えたあと、シェエラザードはもうそれ以上話をしなかった。いつものように羽
 原の避妊具を点検することもしなかった。二人は黙ってそこに並んで横になっていた。彼女は
 目をしっかり開けて、天井をまっすぐ見ていた。やつめうなぎが水底から明るい水面を見つめ
 るみたいに。自分が別の世界にいて、あるいは別の時間にいて、やつめうなぎであったら――
 羽原伸行という限定された一人の人間ではなく、ただの名もなきやつめうなぎであったなら
 ――どんなによかっただろうと羽原はそのとき思った。シェエラザードと羽原はどちらもやつ
 めうなぎで、こうして並んで吸盤で石に吸い付き、水の流れにゆらゆらと揺れながら水面を見
 上げ、偉そうに太った鱒が通りかかるのを待っているのだ。
 
 「それで結局、彼のシャツの代わりに何をそこに置いていったの?」と羽原は沈黙を破って尋
 ねた。
 
  彼女はなおもしばらく沈黙の中に浸っていた。それから言った。
 
 「結局何も置いていかなかった。彼の匂いのついたシャツの代わりに置いていけるようなもの
 は、それに匹敵するようなものは、何も持ち合わせていなかったから。だから私はただそのシ
 ャツをこっそり持ち帰っただけ。そして私はその時点で純粋な空き巣狙いになったの」

  その十二日後に、シェエラザードが四度目に彼の家を訪れたとき、ドアの錠前は新しいもの
 に取り替えられていた。それは正午近くの太陽の光線を受け、いかにも堅牢そうに誇らしく金
 色に輝いていた。そして玄関マットの下にはもう鍵は隠されていない。洗濯かごの中の息子の
 下着が一枚紛失していることが、おそらく母親の疑念をかきたてたのだろう。そして母親は鋭
 い目であちこち細かく調べてまわり、家の中で何かしら奇妙なことが持ち上がっていることに
 気がついたのだ。ひょっとして誰かが留守中にこの家に上がり込んでいたのかもしれない。そ
 してすぐに玄関の錠前が取り替えられる。母親の下す判断はどこまでも的確であり、その行動
 はきわめて迅速だった。

  もちろんシェエラザードは、錠前が新しくなったことを知って落胆はしたけれど、同時にほ
 っともした。誰かが後ろにまわり、自分の肩から重い荷を下ろしてくれたような気持ちだった。

 これでもうあの家には空き巣に入らなくてもいいんだと彼女は思った。もし錠前が取り替えら
 れなかったら、きっといつまでもそこに侵入し続けていただろうし、また彼女の行動は回を追
 って過激なものになっていったに違いない。そして遅かれ早かれ破局を迎えていたはずだ。彼
 女が二階にいるときに、何かの用事があって家族の誰かが突然帰宅するかもしれない。そんな
 ことになったら逃げ場はない。申し開きの余地もない。いつかはきっとそういうことが起こっ
 ていただろう。そんな壊滅的な事態を回避できたのだ。鷹のような鋭い目を持った彼の母親に
 ――会ったことはまだI度もないけれど――感謝するべきかもしれない。

 

                                村上春樹 著『シェエラザード』(MONKEY Vol.2 

                                         この項つづく

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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