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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

量子・ナノサイ電子工学時代

2015年11月30日 | デジタル革命渦論

 

  

 

            白いのは何? 
       
                      光の中を走る 
             
                        白鳥が白い


                                 クリスティナ・ロセッティ

                                            
                                                         December 1830 – 29 December 1894

  
                    What is white? 

                                        The swan is white

                                       Sailing in thc light. 

                         Christina Georgina Rossetti


                                   “What Is Pink ?”                                 
     
                  From "Sing-Song: A Nursery Rhyme Book (1872)"

                  What is pink? a rose is pink
                  By the fountain's brink.
                  What is red? a poppy's red
                  In its barley bed.
                  What is blue? the sky is blue
                  Where the clouds float thro'.
                  What is white? a swan is white
                  Sailing in the light.
                  What is yellow? pears are yellow,
                  Rich and ripe and mellow.
                  What is green? the grass is green,
                  With small flowers between.
                  What is violet? clouds are violet
                  In the summer twilight.
                  What is orange? why, an orange,
                  Just an orange!

                      

 ※「色」という詩の中の一節。白いものはいろいろあるけれども、光の中を走る白鳥のあざやかにも
  清潔な白
にまさる美はない、と感じさせる。次の詩も彼女らしく美しい。



              忘れて微笑んでくれるほうが

              ずっといいの

              億えていて悲しんでいられる

                     「だれが風を見たでしょう」

 

 

   

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

 

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』   

  ● ひっかければ、ひっかけられる

  むかし、楚と越とが長江で戦った。
  楚の舟は、上流から攻めた。攻めるときはそれでよかったが、不利となって退くとき、流れに逆ら
 う結果になり、後退がもたついた。
  一方、越の舟は、下流から攻めた。攻めるときには流れに逆らったが、不利となって退くとき、流
 れにのって楽々と退くことができた。
  こうして越は勢いに乗じて戦い、しばしば楚を破った。
  公輸子が魯から南の楚にやってきて、舟の戦いに適した「鉤距」(こうきょ)という武器を発明し
 たのは、その
ときのことである。
  この武器は、逃げる敵の舟を「鉤」け、攻めてくる敵の舟を「距」ぐ工夫がこらしてあり、公輸子
 は、この二つの働きを巧みに結びつけて武器に仕立てたのであった。
  この鉤距を使用した楚軍は統制がとれるようになり、逆に越軍は足並みがくずれた。
  こうして、楚は勢いに乗じて戦い、以前とは逆にしばしば越を破った。
  公輸子は、墨子に鉤距の威力を自慢していった。
 「わたしには鉤距という武器があります。あなたの説く義には、これほどの力がありますか」
 「わたしの"義"の鉤距は、あなたの鉤よりも威力があります。 
   あなたの鉤距とちがって、わたしの鉤距は、人を爰によってひきよせ、ふせぐ場合も、誠意をもっ
  てします。によってひきよせるのでなくては、親密にはなりません。ふせぐ場合も誠意をもってし
  なければ礼儀が失われます。親密さや礼儀が失われれば、人はたちまち離れ去ってしまうでしょう。
 愛情と誠意をもち合うことが、互いの利益になるのです。
  あなたが、"鉤″で人をひっかければ、人もまた、"鉤”であなたをひっかけるでしょう。"距"
で人
 の邪魔をすれば、人もまた。"距"であなたの邪魔をするでしょう。ひっかけ合いやふせぎ合いは、
 いに傷つけあうばかりです
  したがって、わたしの義の鉤距は、あなたの鉤距よりはるかに威力があります」
  
                        〈公輸子〉「公縮緬」に登場した戦争技術老公柚盤のこと。

※ 鉤距(こうきょ)とは、離れた物をかぎでひっかけて引き出す。つりこんで内情をさぐり出すこと。


 昔者楚人與越人舟戰於江、楚人順流而進、迎流而退、見利而進、見不利則其退難。越人迎流而進,
 順流
而退。見利而進、見不利則其退速,越人因此若勢,亟敗楚人。公輸子自魯南游楚、焉始為舟戰
 之器, 作
為鉤強之備、退者鉤之進者強之、量其鉤強之長、而制為之兵、楚之兵節、越之兵不節、
 楚人因此若勢、
亟敗越人。公輸子善其巧、以語子墨子曰。我舟戰有鉤距、不知子之義亦有鉤強乎、
 子墨子曰。我義
之鉤距、賢於子舟戰之鉤距。我鉤距、我鉤之以愛、揣之以恭。弗鉤以愛、則不親、
 弗揣以恭、則速狎、狎而不親則速離。故交相愛、交相恭、猶若相利也。今子鉤而止人、人亦鉤而止
 子、子強而距人、人亦強而距子、交相鉤、交相距、猶若相害也。故我義之鉤距,賢子舟戰之鉤距。


 

 

【量子・ナノサイズ電子工学時代】 

(1)コスト低減と(1)耐久性の改善は、高分子電解質膜燃料電池(固体高分子形燃料電池)の実用化
を促進する2つの主要目的。この目標達成に、耐久性のある導電性支持体材料上に堆積され、高い質量活
性と白金(Pt)系電極触媒を製造が必要となる九州大学の研究グループは、ポリマーカーボンナノチュー
ブ(CNT)を高度な制御化で、極細の電極表面に白金ナノ粒子を成長させことに成功する。実際に、直径
2.3ナノメーターの白金粒子をカーボンカーボンに積層させたものと、3.7ナノメータの白金高分子電
解質膜Eル比べ8倍の質量活性を示した。この製造方法法肝は、白金ナノ粒子の成長制御、を還元するこ
とで微細化に成功。
カルボン酸とヒドロキシル基などの極性官能基は、白金イオンの効果的な結合部位に
役立ち、核生成の均一生成できることがその原因である
 



しかしながら、炭素担体のナノ粒子酸化され凝集誘導する支持材劣化を加速するため、カーボン担体上の
白金イオンに
ポリベンズイミダゾール(PBIS)が強く成長させ、ナノメートルの厚さのCNTの表面に付着
し非酸化グラファイトの炭素上の白金ナノ粒子の成長に特異性を発揮白金
ナノ粒子の均一な成長に成功す
る。つまり、
ポリ[2,2 - (2、6-ピリジン)-5、5'-ビベンズイミダゾール](PyPBI;図1)は、(1)
このポリマーを効率的にπ-π相互作用を介してカーボンナノチューブを可溶化し、(2)電極触媒のプ
ロトン伝導性を向上させることができるプロトン伝導性材料であり、(3)白金成長の結合部位として機
能し、窒素原子をもつという3つの理由から使用した。



このように白金使用量逓減――18/2、1/5、1/10、1/20――はそれぞれ2.7、3.6±0
.6、3.3±0.6、3.3±0.6、のサイズ減少(同様に図2も減少)。 またこの方法では、すべてのコ
ンポジット用白金サイズ分布が非常に狭く(図2/右)。
白金蒸着のような優れた制御は、おそらくPyPB
I25のベンゾイミダゾール単位での白金イオンとの連携を通しPyPBI包まれたカーボンナノチューブ上の白
シードの急速な核形成が原因と考えられる。
 このように、昨夜につづき。九州大学カーボンニュートラ
ル・
エネルギー国際研究所(I2CNER)の研究グループが、低温加湿下で発電する固体高分子形燃料電池(
PEF
C:Polymer Electrolyte Fuel Cell)の電極触媒の作製改良による、耐久性の飛躍的な向上――従来触媒電
極は
カーボンブラックに白金ナノ粒子を固定吸着(担持)した複合体と、水素イオンを伝達する樹脂を混
合さ
せていたが、カーボンナノチューブ(CNT)の表面に、均一な粒径の白金ナノ粒子を高分散で吸着さ
せた
触媒を開発し、水素イオンを伝達する樹脂に商用化済みの燃料電池にも用いられているNafionを用い
ること
(1)製造コスト逓減と、(2)耐久性を120倍に逓増した発明を再び取り上げた。

● 耐久性を120倍の前実用燃料電池時代

  

わたしの記憶では95年を境に、フィールドエミッションディスプレイや原子顕微鏡のカンチレバーやグラ
フェン系キ
ャパシターやなどカラーディスプレイや原子レベルの計測機器への応用で注目していたからナノ
レベル産業技術
あるいは民間需要への調査研究に傾注していた。それ以降は固体高分子型燃料電池や計量で
強靱な電気委機
器などの調査研究を行っていたが、わずか20年でこれほどまで進化するとは、目標分野や、
領域の違いがあるも
のの目を見張るものがある。

下図の特許のように、カーボンナノチューブは、ナノテクノロジーの有力な素材として、広範な分野で応用
の可能性
が検討されているが、 その用途としては、トランジスタや顕微鏡用プローブなどのように、(1)
単独のカーボンナノ
チューブそのものを使用する方法と、(2)電子放出電極や燃料電池用電極、またはカ
ーボンナノチューブを分散し
た導電性複合体などのように、多数のカーボンナノチューブをまとめてバルク
として使用する方法とに大別される。
ここで、単独のカーボンナノチューブを使用する場合、カーボンナノ
チューブを溶媒中に添加してこれに超音波を照
射した後、電気泳動などで単一に分散しているカーボンナノ
チューブのみを取り出す方法などが用いられている一方
で、バルクで用いる導電性複合体ではマトリクス材
となるポリマー中などに良好に分散させる必要があるが、一般的
カーボンナノチューブは分散しにくいと
いう問題
があり、カーボンナノチューブを分散させた通常の複合体ではカ
ーボンナノチューブの分散が不完
全なまま用いられており、十分にカーボンナノチューブの性能を発現させて用い
られているとは言い難く、
さらにこの問題はカーボンナノチューブの各種用途への応用を難しくさせることにもつな
がっている。この
ためカーボンナノチューブ表面の改質、化学修飾などによって分散性を向上する方法が種々検討
されてきた。

 

 
特許5475645|アロイルビフェニル系ハイパーブランチポリマーからなるカーボンナノチューブ可溶化剤

従来提案されたカーボンナノチューブの可溶化(分散)方法では、カーボンナノチューブを単体毎に分離して、「孤
立溶解」した状態にすることは困難でた、これまで提案された前述のポリトリフェニルアミン骨格を有するハイパー
ブランチポリマーを分散剤として用いた例(非特許文献3)では、長期的にカーボンナノチューブの孤立
分散状態を
保つには、超音波処理などの機械的な処理に加え、加熱処理も必要とするなど、操作の手間は
要する時間を考慮
すると、カーボンナノチューブの可溶化能はそれほど高いものではなかったが、上記目
的を達成する(1)アロイル
フェニル構造単位を含有するハイパーブランチポリマーが、カーボンナノチ
ューの可溶化(分散)能に優れること。
(2)及び、ハイパーブランチポリマーをカーボンナノチューブ
の可溶化剤として用いた場合に、カーボンナノチューブ
(の少なくとも一部)を、その単独サイズにまで
分離して、孤立溶解させることができることを見出し完成させている。


この発明のカーボンナノチューブ可溶化剤は、カーボンナノチューブを、1本1本の単体サイズまで分離
して、所謂
孤立溶解」の状態で安定に(凝集することなく)有機溶媒に溶解(分散)させることができ、
しかも可溶化剤、カーボ
ンナノチューブ及び有機溶媒を含有する溶液を超音波処理などの機械的処理だけ
で、カーボンナノチューブを溶解
することができ、可溶化にあたり更なる加熱などの工程を省略し且つ処
理時間を短縮することができ、カーボンナ
チューブ可溶化剤を用いることで、カーボンナノチューブ(の
少なくとも一部)を孤立溶解の状態で分散させた、カー
ボンナノチューブ含有組成物を容易に得ることが
でき、そして本発明により得られるカーボンナノチューブ含有組成
物は、基板に塗布するだけで容易に薄
膜形成が可能であり、しかも高導電性薄膜を得ることができるため、上記
組成物で、カーボンナノチュー
ブの量をその用途に応じて調整することが容易であるため、各種半導体素材、電導体素
材等として幅広い
用途に好適に用いることができるというものが提案されている。

以上、今夜のところは紙面の字数の都合上、この続きはまた改めて掲載する。

 

 

教のランチは、にしんそばがだされたが、デジカメの操作ミスでぼけてしまい臨場感創出する。一般的に
魚の干物は焼いて食されるが、身欠きニシンは米の研ぎ汁に1週間ほど漬けて戻した後、加工して食べる
ことが多い。柔らかく煮含めた身欠き鰊を具としたにしんそば京都や北海道西部の名物。干物は焼いて食
されるが、身欠きニシンは米の研ぎ汁に1週間ほど漬けて戻した後、加工して食べることが多い。柔らか
く煮含めた身欠き鰊とする、加工しやすい程度に水分が落ちた時点で三枚におろし、再度送風による機械
干し、1週間程度乾燥させたところで、頭などを落とし成形し、1ヶ月程度倉庫で熟成させるがニシンは
脂分が多い魚で、内部までゆっくり乾燥させないと腐ってしま。寒風が吹く北国に向いた特産物である。 

話が変わる。両親の法要でお香、線香、蝋燭や緑茶などが余り。粉緑茶は目覚めに一杯ティファールで湯
沸かし、お気に入りのティーカップで飲むのが日課となっているのだが、注ぎ口が大きすぎて、注ぐと同
時に空気を入れかくさんできないできる。注ぎ口の細くシェリー酒用のケルト状のものがほしいと思う。

 

  

 

コメント
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エネルギーフリー公国モナコ

2015年11月29日 | デジタル革命渦論

 

  

 

   天下の人を悪みて人を賊する者を分名せんに、兼か別か、すなわち必ず別なりと日わん。
     これ、言うて兼を非とし、択べば兼を取る。すなわちこれ言行払るなり。
     
万方(ばんぽう)罪あらば朕(わ)が身に当たる、朕が身罪あるも、万方に及ぼすことな
     かれ。
言として讐いざるはなく、胎として報いざるはなし、われに投ずるに桃をもってせ
     ば、これに報
ゆるに李(すもも)をもってせん。

                                     墨子 『兼愛』    
 


       

 

  Timeline of Boko Haram insurgency

 【中東地獄絵 Ⅰ: ならず者国家プーチンの野望】

トルコのメディアなどは26日、前日25日に救援物資を輸送していたトルコの車両が、トルコとの国境
近いシリア北西部の町、アザーズを走行中、ロシア軍機から空襲を受け運転手など7人が死亡、10人
負傷したと報じている。ロシアはこの空襲について情報を発表していないという(アフロ 2015.11.26)。
それでは、プーチンの意図は何か――いわずもがな、米国の一極支配の拒否と「大国ロシアの復活」であ
る。それは中国赤色官僚独裁国家とは当然異なるが、両国とも覇権を意図していることに間違いがないだ
ろう。
それでは、イランは?このことは別の機会に考察するとして、現実のロシアは支持率が鰻登り百パー
セン
トを超えるもの間近とのブラックユーモアが飛び交っているが――シリアのアサド政権を支援するの
は、
資源頼みの経済が低迷。汚職も蔓延、中国の台頭で国際社会の存在感も弱まって、ロシア軍内部では
旧ソ
連時代からの対米強硬論が勢いを増していた。求心力が課題であるロシアにとって米国の対シリア攻
撃だ
けは許しがたいという政治背景がある(「大国ロシア」の復活を目指して存在感を示したプーチン
氏の意
図とは TheLibertyWec 2013.09.30)と報じられていたが、シリアで「第三次大戦」を起こすつもりだ
ろうか?そうではない――
このロジックは当時も現在も間違っている。プーチンはイスラエルや湾岸諸国
などの同盟国に脅威を与えているわけではなく、NATO同盟国との本格的な軍事衝突を意図している様子も
見受けられないし、
米国はすでに戦車や榴弾砲など数百の兵器をバルト海諸国に展開する計画を発表。N
ATO
事務局長によると「冷戦終結以来で最大級の集団防衛体制強化を実施」している。
プーチンは厄介な
相手かもしれないが、狂気に走っているわけではない。またシリアで米国が慎重になっているからといっ
て、どこか別の場所でロシアがアメリカの核心的利益を損なおうとしている証拠もないと言う(東洋経済
オンライン 2015.10.15)。

  P5+1 Wikipedia

こんな例がある――マケイン上院議員(共和党、アリゾナ州)は、ロシアの航空機をP5+1撃ち落とす能力
を持った地対空ミサイルをシリアの反政府軍に提供すべきだとオバマに迫ったが、シリアの反政府軍がし
ばしばアルカイダと協力している。以前アルカイダが成功しかけたように地対空ミサイルは民間航空機も
撃墜可能ならしめこの案は大惨事をもたらすだけだとしりどけられたが、東洋経済の論調――イランとの
交渉で成功した「P5+1(国連常任理事国とドイツ)」戦略を再び実行するのは検討の価値があり、同様
に イランも含め、シリアに関わる利害関係者を考慮し
アサド退陣を求めるのは、虐殺を止めることが
できるのなら、譲歩する価値はある―――と結んでいるが一寸先は闇だと私は考えている。

   2015.11.26 Thu posted CNN.co.jp

イスタンブール(CNN) トルコがロシアの戦闘機を撃墜したことを受け、ロシアは25日、シリアに
地対空ミサイルを配備すると発表した。トルコのエルドアン大統領はロシア非難を続ける一方で、状況が
エスカレートすることは望まないとも発言している。
ロシアのショイグ国防相はツイッターの投稿で、地
中海に面したシリアの都市ラタキア近郊にある空軍基地に、地対空ミサイルS―400を配備すると表明。
同ミサイルの射程は250キロ。同地からトルコとの国境までは50キロ足らずしか離れていない。
ラブ
ロフ外相も同日、ロシアのテレビ局に対し、「(トルコによる戦闘機撃墜は)計画的な挑発だった可能性
が極めて大きい」との見方を示した。
これに対してトルコのエルドアン大統領は、ロシア軍機がトルコの
領空を侵犯し、同国の主権が侵害されたと強調している。このように、「共生」を志向せず武断を高度に
る関連者(金儲けを企む拝金主義者も含め)すべての「地獄落ち」が決まっているが、さらにその数の
増すことも予定調和させるかのような状況にある


"Триумф" С-400— российская зенитная ракетная система

 

   

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。  

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』   

  ● 未来のこと
  
  彭軽生子が墨子にいった。
 「過去のことは知ることができるが、未来のことは知ることができません」
 すると、墨子はたずねた。
 「たとえば、いま、あなたの親がここから百里はなれたところで災難にあったとする。明日までに助 
 けに行けば親は助かるが、行かなければ死んでしまう。
  さて、ここに馬車が二組ある。一組は良馬と丈夫な車、もう一組は駄馬と走りもしないボロ車であ
 る。あなたは、どちらを選ぶか」
 「もちろん、良馬と丈夫な車のほうを選びます。そのほうが目的地に早く着けます」
 「それごらん。未来のことだって知ることができるではないか」


         彭軽生子曰、往者可知、来者不可知。子墨子日、籍設而親在百里之外  

        則通難焉、期以一日也、及之則生、不及則死。今有固車良馬於此。又
        有駕馬四隅之輪於此。使子択焉、子将伺乗。対日、乗良馬固車可以遠

        至。子墨子日、混在不知来。



 

【百パーセント再エネ時代 Ⅲ: エネルギーフリー公国モナコ】

06年の前の番組放送プレミアムカフェ「ハイビジョン特集|アルベール大公が誘う 地中海の宝石 モ
ナコを」を偶然流し見ていたが(いつものように)、このモナコ大公の経歴も面白い。77
年アマースト
大学に入学し、政治学、経済学、音楽、英文学を専攻。81年卒業。学生時代からスポーツにも熱心で、
自らもスポーツマンで冬季オリンピック大会に5回ボブスレー選手として出場(自身は現在IOC委員)。
柔道は初段。また、近年までモンテカルロで開催されていた国際音楽賞ワールド・ミュージック・アワー
ドは89年に当時大公世子であったアルベール2世の後援の下開設された賞。
他にも06年4月16日、
英国人やロシア人7名とともに、犬ぞりにより150キロメートルの距離を走破して北極点に到達。その
後09年にも地球温暖化の調査のために南極大陸を訪れ、1月14日に南極点へ到達している。どちらも
国家元首として世界初だ。また、
大西洋、地中海におけるマグロの乱獲に反対している。そのかれが地球
温暖化による麗美な海岸が浸食されていくことに深く憂慮しており、太陽光発電で近い将来クリーンエネ
ルギー百パーセントまかないたいと発言したのので手を止めしばらくテレビを見ていた。

 

それじゃ、格安の値段で高品質で多機能・多様対応可能なエネルギーフリーで再生可能なリゾート都市建設事業
をプラニングし、アルベール大公に提案し格安で請け負い仕事すれば、仕事の合間に家族を呼びクルージングや
南フランス文化を、時折、カジノなどを楽しみながら仕事を行いながら、完成するれば、これがモデルとなり生活し
やすい楽しい未来型都市が飛躍的するのではと閃いた。勿論、このときの太陽電池は量子・ナノサイズ太陽電池
と高性能蓄電設備に省エネ・防災型住宅や、上水道、道路などは先端技術の多機能製インフラをベースとしてい
るから当然、地下ケーブル化が基本となる。あとは、世界にこの経験を生かし各国・地域に合わせた未来型の生
活の楽しい都市工学事業を展開できるというわけだ。

 ● 耐久性を120倍の前実用燃料電池時代

九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所(I2CNER)の研究グループが、低温加湿下で発
電する固体高分子形燃料電池(PEFC:Polymer Electrolyte Fuel Cell)の電極触媒の作製法を工夫することで、
耐久性の飛躍的な向上に成功したと発表。従来触媒電極は、カーボンブラックに白金ナノ粒子を固定吸着
(担持)した複合体と、水素イオンを伝達する樹脂を混合させているが、カーボンナノチューブ(CNT
の表面に、均一な粒径の白金ナノ粒子を高分散で吸着させた触媒を開発。水素イオンを伝達する樹脂には
商用化済みの燃料電池にも用いられているNafionを用いた。

 

  doi:10.1038/srep06295

 
【滋賀県: 「原子力に依存しない社会」を目指す】

 

滋賀県は「原発銀座」と呼ばれる福井県の若狭地域に隣接する状況を憂慮して、原子力に代わる再生可能
エネルギーの導入を積極的に進めている。太陽光発電が計画以上に拡大したため30
年の導入目標を1.5
倍に引き上げる。同時にコージェネレーションも促進して電力の自給率を高めていく。原子力発電所の再
稼働を懸念する滋賀県が中長期の実行計画をまとめた「しがエネルギービジョン」の素案を公表した(図
1)。13年に策定した「滋賀県再生可能エネルギー振興戦略プラン」を改定して、再生可能エネルギー
の導入を加速させる狙いだ。県民からパブリックコメントを募集したうえで、2016年3月までに内容を確定
する。



「滋賀・矢橋帰帆島メガソーラー発電所」の全景。出典:滋賀県、京セラTCLソーラー

滋賀県では琵琶湖の周辺地域を中心に太陽光発電の導入が活発に進み、10年度から14年度にかけて導
入量が約7倍に拡大した(図3)。特に非住宅用の太陽光発電の伸びが著しく、発電能力が1メガワット
以上のメガソーラーは14年度末に県内33カ所で運転中だ。固定価格買取制度の認定を受けた運転開
始前のメガソーラーを含めると合計で113カ所にのぼる。こうした非住宅用の太陽光発電の伸びを見込
んで、30年度の導入目標を従来の106万キロワットから一気に154万キロワットへ引き上げる。太
陽光発電のほかに導入量の拡大が見込めるバイオマス発電も1.1万キロワットから1.8万キロワットへ
上方修正する。バイオマス発電は県内で初めて固定価格買取制度の適用を受けた木質バイオマス発電所が
15年1月に運転を開始している。

 

「滋賀県再生可能エネルギー振興戦略プラン【概要版】」(PDF:3,581KB)

    

● 折々の読書 『職業としての小説家』36

  僕は誰かのことを「**先生」と呼ぶことってまずないんですが、河合隼雄さんだけは、いつ
 もつい「河合先生」と言ってしまいます。「河合さん」とはあまり言いません。なんでだろうと
 よく不思議に思うんですが、いまだに自然に「河合先生」という呼び方になってしまいます。
  思うんですが、河合先生は「河合隼雄」という生身の人間と、「河合先生」という社会的役柄
 を持つ人物とを、とても上手に分離し、使い分けておられたという印象があります。僕は河合先
 生とは何度も会って、親しく話もしているのですが、それでも僕にとって河合隼雄さんはあくま
 で「河合先生」であり、最後までそのスタンスは崩れませんでした。いったんうちに帰れば、役
 柄なんかさっさと脱ぎ捨てて、ただの河合隼雄というそのへんのI人のおっさんになっておられ
 たのかもしれませんが、それは僕にはよくわからないことです。

  ただ僕と河合先生が会うときは、たとえどれだけ個人的に親しくなっても、やはり「小説家」

 と「心理療法家」というそれぞれのコスチュームを脱ぐことはなかった
 そういう気がします。
 それは他人行儀ということではなく、僕らは立場としてお互い、それぞれの社会的役柄を果たし
 ていくしかなかった、ということになるんじやないかと思うんです。そこにはある意味、常にプ 
 ロフェッショナルとしての緊張感みたいなものがありました。でもそれは言うなればすがすがし
 い緊張感であり、実のある緊張感でした。

  ですからここでも、僕はそのような心地よい緊張感を維持しつつ、河合隼雄さんのことを「河
 合先生」と呼ばせていただきます。ただのそのへんのおっさんである河合さんの姿にも興味はあ
 りますが、とりあえず。

  僕が河合先生に初めて会ったのは今から二十年以上前のことです。そのとき河合先生はプリン
 ストン大学に客員研究員として所属しておられました。僕はちょうどその前の学期までプリンス
 トン大学にいまして、入れ違いに河合先生が来られたわけです。僕はその時点ではボストン近郊
 にあるタフツ大学に移って、そこで日本文学のクラスを持っていました。



  プリンストンには二年半滞在していたので、親しい友人も多くできて、ときどき車を運転して
 プリンストンを訪れることもあり、そこで河合先生にお目にかかる機会を得ました。ただ申し訳
 なかったのですが、僕はその時点では河合先生がどういう方なのか、よく存じ上げなかったんで
 す。僕はそれまで心理療法とか精神分析とか、そういうことにほとんど興味がなく、河合先生の
 著書も一冊も読んでいませんでした。うちの家内は河合先生のファンで、先生の書かれた本をわ
 りに熱心に読んでいたみたいですが、うちの夫婦の本棚というのはくっきりと二つに分かれてい
 て、昔の東西ベルリンみたいにまったく行き来がありません。ですから彼女が河合先生の本を読
 んでいるなんて、僕はそのときまでまったく知りませんでした。

  でも彼女が僕に「あえて本を読む必要はないけど、この人とは会った方がいい。きっと良い結
 果が生まれるから」と力説するので、僕も「それなら」ということでお目にかかることになりま
 した。

  彼女が僕に「本を読む必要はないけど」と言ったのはたぶん、小説家・実作者というのは分析
 的な種類の本はできるだけ読まない方がいいかもしれないと考えたからだと思います。僕もその
 意見には基本的には賛成です。そんなわけで、ここだけの話ですが、僕はいまだに河合先生の本
 をほとんど読んでいません。僕が読んだのは、先生の書かれたユングの評伝ただ一冊です。ちな
 みにカール・ユングの著作も、まだI冊もきちんと読んだことはありません。

  僕は思うんですが、小説家の役目はただひとつ、少しでも優れたテキストをパブリックに提供
 することです。テキストというのはひとつの「総体」、英語で言えtwholeです。いねばブラッ
 クボックスです。それの役目はあくまで、ひとかたまりのテキストとして機能することです。テ
 キストの役目は、それぞれの読者に咀囃されることにあります。読者にはそれを好きなように捌
 き、咀喘する権利があります。それがもし読者の手に渡る前に、著者によって捌かれ、咀嘔され
 てしまったら、テキストとしての意味や有効性が大幅に損なわれてしまいます。だからたぶん僕
 はユングからも、河合先生の著作からも、意識して遠ざかってきたのだと思います。ある意味で
 は感覚的に「近すぎる」と感ずるところがあるからこそ、遠ざかってきたのかもしれません。小
 説家にとって、自分で自分を分析し始めるくらい不都合なことはありませんから。



  で、とにかくプリンストン大学で、僕は初めて河合先生にお目にかかりました。二人で三十分
 くらい話したのですが、初対面の印象は「ずいぶん無口で暗い感じの人だな」というものでした。
 いちばんびっくりしたのは、その目でした。目が据わっているというか、なんとなくどろんとし
 ているんです。奥が見えない。これは、言い方は悪いかもしれません、尋常の人の目じゃないと
 僕は感じました。何かしら重い、含みのある目です。
 
  僕は小説家ですので、人を観察するのが仕事です。細かく観察し、とりあえずざっとプロセス
 はしますが、判断はしません。判断は本当にそれが必要になるときまで保留しておきます。です
 からこのときもとくに僕は、河合先生という人について何も判断しませんでした。その不思議な
 目のあり方を、ひとつの情報として記憶に留めただけです。

  そしてこのとき、河合先生は自分からはほとんど発言をされませんでした。ただ僕の話をじっ
 と聞き、それなりの相づちをうち、そうしながら目の奥で何かを考えておられるようだった。僕
 もだいたいがあまり積極的に話をする方ではないので、会話というよりは総じて沈黙の方が多く
 を占めていたような気がするんですが、そういうこともあまり気にされていない様子でした。と
 にかくいささか変わった面談というか、会見でした。そのことはよく覚えています。とくに僕が
 よく記憶しているのは、その不思議な眼光です。これはちょっと忘れられない。

                 「第十二回 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」
                                   
                                      村上春樹

                                      この項つづく
 

きょうのランチは「にしんそば」だったがあまりの美味しさのため、デジカメすることを忘れてしまった
ので、朝食の大根の淺漬けのササギリに小粒の納豆掛けご飯を代わりに掲載する。簡単だけれど、納豆の
粘りが不思議なことに押さえられ、さっぱりした食感に変化しこれがことのほかうまいのだ。夕食は、豚
肉ロースと菊菜、厚揚げ、白菜鍋のポン酢一味掛けを漬け頂くのだが、日本ビール(今夜は白の金麦)が
美味い。安くて簡単で外食産業殺しとなる。日本に生まれて本葉によかった実感するのは、湯上がりと和
食の家庭料理を食べているときだ。



ところで、コンビニのおにぎりは、セブンイレブンとローソンを比較すれば、前者はぼろぼろ型くずれし
床に落ちるから、ローソンがテッペンを取ると考えている。登山をするときには多くて3個ほどもってい
くが専用のケースが欲しい(レックの重みで潰れてしまう)。百円ショップでもいいがメーカ専用のもの
があっても好いのじゃないかなぁ。

 

  

 

 

 

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逆境を超え世界記録

2015年11月27日 | 時事書評

 

  

 

  難しいかもしれないと思ったが、8.29メートルを超えるとができてうれしい。    

                                     マルクス・レーム

 

 

  

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

 ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』  

  ● 君主に何を説くか

  弟子の魏越が遊説に旅立つにあたって、きいた。
 「今後、行く先ざきで君主に会うことになりますが、そのさい、まずだいいちに何を説いたらよいで
 しょうか」

  墨子はこたえた。

 「その国がどんな問題に直面しているかを見抜くことだ。
  国の秩序が乱れているさいには、『尚賢』と『尚同』を説け。国が貧しければ、『節用』と『節葬
  を説け。君主が音楽にふけっている国では、『非楽』と『非命』を説け。信仰心がなく、礼を尊垂し
  ない国では、『尊天』と『事犯』を説け。侵略戦争ばかりしている国なら、『兼愛』と『非攻』を説
  くことだ。とにかく、その国が、どんな問題に直面しているかを見抜いて説くことが大切なのだ」


  子墨子游、魏越曰、既得見四方之君子,則將先語。子墨子曰、凡入國、必擇務而從事焉。國家昏亂、
   則語之、
尚賢、尚同。國家貧、則語之節用、節葬。國家說音湛湎、則語之非樂、非命。國家遙僻無禮、
  則語之尊天、事
鬼。國家務奪侵凌、即語之兼愛、非攻。故曰擇務而從事焉。

 

   

● 折々の読書 『職業としての小説家』35

  さきほども申し上げました上げましたように、好景気に沸く日本に留まっていれば、『ノルウェイ
 の 森』
を書いたベストセラー作家(と自分で言うのもなんですが)として、仕事の依頼は次々にあ
 りま
すし、その気になれば高い収入を得ることもむずかしくありません。でも僕としてはそういう環
 
境を離れ自分が一介の(ほとんど)無名の作家として新参者として、日本以外のマーケットでどれく
 らい通用するかを確かめてみたかった。それが僕にとっての個人的なテーマになり目標
なりました。
 そして今にして思えば、そういう目標をいわば 旗印として掲げられたのは、僕にと
って善きことで
 あったと思います。新しいフロンティアに挑もうという意欲を常に持ち続ける――それは創作に携わ
 る人間にとって重要なことだからです。ひとつのポジション、ひとつの場所(比喩的な意味での場所
 です)に安住していては、創作意欲の鮮度は減衰し、やがては失われます。僕はちょうど良い時に良
 い目標、健全な野心を手にすることができたということになるか
 もしれません。

  僕は性格的に、人前に出て何かをするのが得意ではありませんが、外国ではそれなりにインタビュ
 ーも受けますし、何かの賞をいただければセレモニーに出てスピーチなんかもします。朗読
会も講演
 みたいなものも、ある程度引き受けます。そんなに数多くではありませんが――僕は海
外でも「あま
 り人前に出ない作家」という評判が定着しているみたいです――僕なりにがんば
て、自己の枠組みを
 少しでも押し広げ、外に顔を向けるようにしています。それほどの会話力も
ありませんが、できるだ
 け通訳なしに自分の意見を自分の言葉で語るように心がけています。で
も日本ではそういうことは、
 特別な場合を除いてまずやりません。だから「外国でばかりサービ
スしている」「ダブル・スタンダ
 ードだ」と非難されたりもします。


  でも言い訳するのではありませんが、僕が海外でできるだけ人前に出るように努めているのは「日
 本人作家としての責務」をある程度進んで引き受けなくてぱならないという自覚をそれなり
に持って
 いるからです。前にも述べましたように、バブル時代に海外で暮らしていたとき、日本
人が「顔を持
 だない」ことでしばしば淋しい、味気ない思いをしました。そういうことがたび重
なると、海外で生
 活する多くの日本人のためにも、また自分自身のためにも、こういう状況は少
しでも変えていかなく
 てはと、自然に考えるようになります。僕はとくに愛国的な人間ではあり
ませんが(むしろコスモポ
 リタン的な煩向か強いと思います)、外国に住んでいると、好むと好まざるとにかかわらず自分が「
 日本人作家」であることを意識せざるを得ません。まわりの人々はそういう目で僕を捉えますし、僕
 自身もそういう目で自分を見るようになります。そしてまた「同胞」という意識も知らず知らず生ま
 れます。思えば不思議なものです。日本という土壌から、その固い枠組みから逃れたくて、いわば「
 国 外流出者」として外国にやってきたのに、その結果、元ある土壌との関係性に戻っていかざるを
 得ないわけですから。

  誤解されると困るのですが、土壌そのものに戻るということではありません。あくまでその土壌と
 の「関係性」に戻るということです。そこには大きな違いがあります。外国暮らしから日本に戻って
 きて、一種の揺り戻しというか、妙に愛国的(ある場合には国粋的)になる人を時折見かけますが、
 僕の場合はそういうのではありません。自分が日本人作家であることの意味について、そのアイデン
 ティティーの在処(ありか)について、より深く考えるようになったというだけです。

  僕の作品は今のところ五十を超える言語に訳されています。これはずいぶん大きな達成であると自
 負しています。それはとりもなおさず、いろんな文化のいろんな座標軸の上で作品が評価されている
 ということですから。僕は一人の作家としてそのことを嬉しく思うし、また誇りにも感じています。
 でも「だから僕のやってきたことは正しかったんだ」という風には考えませんし、そんなことを口に
 するつもりもありません。それはそれ、これはこれです。僕はいまだに発展の途上にある作家だし、
 僕にとっての余地というか、「伸びしろ」はまだ(ほとんど)無限に残されている
と思っているから
 です。

  それでは、どこにそのような余地があるとおまえは思うのか?
  その余地は自分自身の中にあると僕は思っています。まず日本で僕は作家としての地歩を築き、そ
 れから海外に目を向け、読者の層を広げました。そしてたぶんこの先、僕は僕白身の内部に降りてい
 って、そこをより深く遠くまで探っていくことになるだろうと思います。それが僕にとっての新しい
 未知の大地となり、おそらくは最後のフロンティアとなることでしょう。
  そのフロンティアがうまく有効に切り拓けるかどうか、それは僕にもわかりません。しかし繰り返
 すようですが、何かしらの旗印を目標として掲げられるというのは素晴らしいことです。たとえ何歳
 になろうが、たとえどんなところにいようが。


                                                  「第11回 海外へ出て行くフロンティア」

                                           村上春樹 


何かしらの旗印を目標として掲げられるというのは素晴らしいことです。たとえ何歳になろうが、たと
えどんなところにいようが――いいですね。『デジタル革命渦論』のおかげもあるでしょうが?同感と共
感の部屋中に割れんばかりの拍手を送っています。さて、次回は最終章の「第十二回 物語のあるところ・
河合隼雄先生の思い出」へ移る。

 

【逆境を超え世界記録を達成】

 ● 今夜の一枚

マルクス・レーム 8.40メートルの世界新記録達成@ドーハー障害者陸上競技。

 

 

【ジャジーな風に吹かれてⅡ: ルイ・アームストロング

 

ルイは飛びきりの「大衆演芸家」といわれる。本人は「芸術家」などとは考えていなかったかが、実際に
は類例のない芸術家だったと。ジャズ史上最も初期の、その最も偉
大な例が彼のホット・ファイヴとセヴ
ンの吹込(25~28年)だ。オーケー吹込を集大成し
た8枚組セットは、大衆芸術家の生んだ芸術が燦
然と輝いてる。ジャズの飛躍の起爆剤とな
った屈指の名演奏といわれている。

ルイ・アームストロングはニューオリンズに生まれた。子供の頃から大く良く通った声だったので、新聞
売りをしたり、スパズム・バンドで近所を廻りチップを稼いでいた。これは洗濯板、金たらい、葉巻煙草
の箱で作ったギター等を使って演奏するドタバタバンドで、手足をバタバタさせたり、身体を痙撃させた
りして、とにかく人目をひき、チップを貰うバンドの事である。貧しい子供たちのボロボロの服は穴だら
けで、コインを口の中に入れてもらっていた。ルイの口は並外れて大きく、皆から「サッチェル・マウス」
(がまロ)と呼ばれていたのが縮まり「サッチモ」という渾名で呼ばれ始める。

その後、ルイ・アームストロング・オールスターズを結成、『タウン・ホール・コンサート』、『アット・
シンフォニー・ホール』、『サッチモー950』の歴史的名演奏を世界に送り出し名声を得た。少年時代
から厳しい人種差別の中で培われたエネルギーをトランペットで燃焼させ――米国の影は米国の太陽を生
む――しゃがれた温かい歌声で世界中の人々の心を癒した類稀な不滅の巨匠である。





「ジャズ?あなたはその柄じゃない」と彼女が言い放つ。バカ言うな、曾根崎界隈を学校をただ通ってい
ただけでジャズは染みつき「ソウル」の一部となっているのだ。そんこともわからないのか、このブス(
毒婦)!と心で思い ながら言葉を押し殺し、気まずい雰囲気が続く。偉そうにジャズを解説するヤッ―
村上春樹もそのひとりかって?それは小説のなかでの話だ。よくわからないってか?どうでもいいじゃな
いか――がいるが、そんなことはお構いなしだろと、そう正直に思う。

 

  

 

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テッペンを取りに行く。

2015年11月26日 | デジタル革命渦論

 

  

 

         思想は客のように迎えられるべきである。――親しげに、
         とはいえ主人に暴威をふるわないように
制限つきで。

                          
アルペルト・モラヴィア    


                                                                   
                                                                          Alberto Moravia 
 
                                                                                                                28 novembre 1907 – 26 settembre 1990


      Ideas should be received like guests in a friendly way,
      but with the reservation that they are nost.   

  ※ 新しい思想への接し方。拒まないか、暴君になられないように――そこかむずかしいところ。
    with the reservation that...「・・・という制限むもって」
   
they もちろん ideas のこと。複数だから、いろいろな思想があとからあとがら起こってくる
      ことを示
す。tyrannize(←tyrantr「暴君」)「暴威をふるう」
 

  

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』  

  ● 待遇以上のもの

  墨子は弟子の公尚過を越王のもとに派遣した。越王は公尚過の進言をきいて、すっかり感心した。
 「ぜひ、あなたの先生に教えをこいたいものだ。ひとつ、先生をお迎えできるように骨折ってはくれ
 まいか。先生がわが国まで来てもよいということであれば・ハから奪った領地五百里四方を与えよう」
 「かしこまりました」
  越王は、車五十乗を用意し、公尚過を使者として、魯国に墨子を迎えにやった。
 「先生の道を説いたところ、越王はいたく感激して、ぜひ、先生をお迎えしたい、もし承知なら、呉
 から奪った領地五百里四方を与える、とのことです」
 公尚遇の報告をきいて、墨子は、
 「おまえは、越王がどういうつもりで、そんなことをいったと思うか。
  もし越王に、わたしの意見をききいれ、わたしの説く道を実行する気があるなら、わたしは群臣の
 ひとりとして、身分相応の待遇ででかけて行くだろう。待遇に釣られるようなわたしではない。
  もし越王にそんな気がないのに、わたしがでかけて行ったとすれば、わたしは義をカネにかえたこ
 とになる。どうせカネにかえるなら、わたしはこの中原の国でかえる。越まで行く必要はないのだ」

  子墨子游公尚過於越。公尚過說越王,越王大說,謂公尚過曰、先生苟能使子墨子於越而教寡人,請裂
 故吳之地,方五百里、以封子墨子。公尚過許諾。遂為公尚過束車五十乘、以迎子墨子於魯曰、吾以夫
 子之道說越王、越王大說,謂過曰、苟能使子墨子至於越,而教寡人、請裂故吳之地。方五百里、以封
 子。子墨子謂公尚過曰、子觀越王之志何若。意越王將聽吾言、用我道、則翟將往。量腹而食、度身而
 衣、自比於群臣。奚能以封為哉。抑越不聽吾言、不用吾道、而吾往焉。則是我以義糶也。鈞之糶,亦
 於中國耳、何必於越哉。

  

 

   

【百パーセント再エネ時代: テッペンを取りに行く

日本生まれの「ペロブスカイト太陽電池」が“次世代太陽電池”として話題となっている。「ペロブスカ
イト」は特殊な結晶構造。桐蔭横浜大学の宮坂力教授が太陽電池として作動することを09
年に製作した
ペロブスカイト太陽電池の変換効率は3%台、14年には米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のチーム
が19.3%を達成、15年、韓国化学研究所が20.1%に到達。15年11月にNEDO・ロームが共
同で室内光で変換効率の倍増に成功、同月に物質・材料研究機構が、千時間(日照時間3・5時間/日と
して、約285日に相当)の光連続照射テストもクリアしている。課題は耐久性と意匠性で色素増感型の
ようなカラフル化――光導波路設計などで、変換効率とトレードオフすれば可能だが――高効率は望めな
だろう。だが、宮坂教授は「劣化の原因はわかっている。”犯人“の物質を他の物質に置き換えればよい」
と話すように課題は明確なってきているとして、変換効率の目標を20%超におくようになってきている。



しかしながら、シリコン系、化合物半導体、量子ドットや多接合型の変換効率の向上も前実用化レベルで
続々と25%超の成果が報告されている。そこに、スタッグ型、タンデム型、あるいは波長シフト薄膜・
光導波路変更(入射光閉じこめ・散乱法吸収)薄膜の合わせ技でさらに、2~
3%の変換効率や受光時間
の外延や電極-変換層の緻密設計で、ステブラー・ロンスキー効果(温度上昇)抑制・再結合やエネルギー
損失が改善れ30%超も間近に迫っている。因みに、現行のメガソーラーのパネル変換効率は10~15
%で、20年間の耐久性を保持できているは日本の京セラのみであり、10年後には既設ソーラーパネル
の変換効率は数%は劣化していると予測されれ、20年以降の買い換え需要や親切には改造には、30%
超のパネルが市場の基求事項になっているだろう。、その中核にニューカマーに量子ドット型ソーラーの
攻勢が始まっていると思われる。

 

 

 
さて、今年に入いり今日現在までにで量子ドット系太陽光発電(光電変換素子)に関する米国特許申請を下記のよ
うに調べてみたので、気を惹いた事案をピックアップ掲載する。まず、下図の連続均一塗布装置は、粉末粒子のサ
イズ・形状・比重に関わらず所定の割合で空気搬送しノズルから均一噴出塗布できる装置。産業用途は、以下のよ
うなものが挙がっている。これは実験してみるしかない。議論はそてからだ。

  • カーボンナノチューブ、ITOなどの半透明・透明導電性電極
  • カーボンナノチューブのFEDやバクライトユニット
  • カーボンナノチューブ高効率照明機器
  • III-V族化合物系・量子ドットなどの太陽電池
  • 量子ドット半導体ダイオード
  • カーボンナノチューブ、銅の半導体回路
  • フレキシブル高効率発熱体高効率センサ
  • 静電気分散粉末の被覆
  • カーボンナノチューブの高分子複合材料と超軽量、高強度複合材料への被覆
  • 誘電体の被覆
  • 磁気粉末の導電性材料への被覆
  • 減摩材粉末の被覆
  • 表面硬化材料の被覆
  • 二次電池原料粉末の被覆
  • スーパーキャパシタ材料粉末の被覆
  • 帯電防止材料の塗布


次の新規考案は、太陽電池の製造方法で、電子供与層と受電子層はリガンド(受容体)の第一量子ドット
で構成、遮光層も異なるリガンド(受容体)の第二量子ドットで構成。受光層は価電子帯と伝導体を、受
電子層は価電子帯をもつ。受電子層の伝導帯と価電子帯は、電子供与価電子帯より高く、受電子層の伝導
帯は、前者の伝導帯より高くなる。遮断層は価電子帯と伝導帯は、受電子層のそれぞれより高く下構成特
許であるが、要約すると、高性能な量子QD/ QDのバンドアライメントの操作により、太陽電池のドットと
QD/アノード界面が実証されたというもの。
この事例では、(1)室温で処理でき(2)優れた空気貯蔵安
定性を示す。開示された結果では、2つの異なるリガンドとPBS処置層との間の相対的なバンドの整列を利
用して、デバイス性能を大幅に向上させることができ、()光吸収層などの無機リガンド不動態化量子
ドットを用いること、さらに、()空気安定性達成には、MoO 3を界面層の除去が不可欠であることが鍵
になる。硫化鉛を値\使用するため、環境リスク管理が重要となる。

 

次の事案は、励起発光装置。励起光源に対向し、第1低屈折率層と第1基板が蛍光体層の上に配置され、蛍光体層の側面を囲
むバリアは、励起光源と第1の基板の積層方向に延展。また、蛍光体層に対向する隔壁の一部は光散乱性をもつ。第1の基板
よりも屈折率が低い第1の低屈折率層が、蛍光体層と第1の基板との間に配置されるというもの。量子ドット技術新規性はマ
見当たらずここでは掲載せず。

次にデバイス(例えば、太陽電池、赤外線またはテラヘルツ光検出器などの光電子デバイス)ナノ材料と内蔵の充電(VC Q-
BIC)と垂直相関量子ドットを有し、そのようなデバイスを作製する方法で、VC Q-BIC材料は、層は、半導体材料中の量子ド
ット(個々の量子ドットまたは量子ドットのクラスタ)を有する複数の量子ドット層を有し、隣接する量子ドット層は、ド
ープされた半導体材料のスペーサ層によって分離。 VC-QBICナノ材料は、応答性が向上し、長い光キャリア寿命を提供し太
陽電池における検出器または変換効率の感度以前匹敵するデバイスと比較している。特許請求範囲には不記しないが、参
考になっる。、




さらに次の新機構案は、量子ドット増感インタフェースを有する光起電力(PV)デバイスが、第1の導体層と第2の導体層と
を含み、導体層の少なくとも一方は、太陽放射に対して透明で、光収穫インターフェース増感量子ドット(ナノ粒子)は、
二つの導体の間に配置された光吸収層、量子ドット層及び緩衝層を含む。吸収層は、p型材料であり、バッファ層はn型材料。
量子ドット層は、バンドギャップ波長可変赤外(IR)を覆うように、可視光と紫外(UV)太陽スペクトルの帯域を有す。以
下に請求範囲を記載しておくが、それ以外の事例は、紙面上の制約から解体するので、続きは「特許研究事例番号No.320」
山荘のこと。

1)太陽電池の第一の電極と電気的に連絡しているp型吸収体層、第1の材料から形成されたp型吸収体層と、量子ドットを
含みず、量子ドット(QD)は、p型吸収体層は、感光性ナノ粒子を含むQD層には異なると近接層とQD層と第二電極と接触し
ているn型バッファ層、第2の材料から形成されたn型バッファ層と、量子ドットを含まない、第2の材料は第一の材料と異な
る。量子ドット層は、吸収体層と第1電極と第2電極の少なくとも一方は、太陽放射に対して透明であることを特徴とし、
バッファ層との界面に配置され、第一の材料が、銅インジウムガリウムからなる群から選択されたセレン(CIGS)、二セレ
ン化銅インジウム(CIS)、銅ガリウムセレン(CGS)、銅ガリウムジテルリド(CGT)、銅インジウム・アルミニウム・セ
レン(CIAS)である。
2)QD層をPBS、のPbSe、のGaSb、InSbで、InAsの、CIS、のInP、CdSeの酸化チタン、酸化亜鉛と酸化スズのうちの少なく
とも1つを含む、請求項1に記載の光起電力装置。
3)第二の材料は、以下からなる群から選択される、請求項1に記載の光起電力装置:硫化カドミウム(CDS);硫化亜鉛(Z
nSの)。インジウム硫化物(In2S3)。
4)請求項1に記載の光起電力装置のQD層は、量子ドットの複数種類の赤外線(IR)でバンドギャップを有する量子ドット
の第一のタイプを含むことを特徴とする請求の範囲、可視でバンドギャップを有する量子ドットの第二のタイプ光レンジ、
電磁スペクトルの紫外線(UV)の範囲のバンドギャップを有する量子ドットの三種類。

※ 調査事例は以下のようになっている。

  1. ・9139,912 Apparatus and method for continuous powder coating
  2. ・9,099,663 Quantum dot solar cells with band alignment engineering
  3. ・9,091,415 Light-emitting device, and display apparatus, which can efficiently emit, to outside, fluorescence generated in fluorescent layer
    and can realize high-luminance light emission and in which generation of blurriness and fuzziness of display is suppressed
  4. ・8,994,005 Vertically correlated clusters of charged quantum dots for optoelectronic devices, and methods of making same
  5. ・8,981,207 High efficiency quantum dot sensitized thin film solar cell with absorber layer
  6. ・8,921,687 High efficiency quantum well waveguide solar cells and methods for constructing the same
  7. ・8,883,548 Development of an electronic device quality aluminum antimonide (AlSb) semiconductor for solar cell applications
  8. ・866,005 InGaP heterojunction barrier solar cells
  9. ・8,865,513 High-density P-doped quantum dot solar cell obtained by the active doping of InP and a production method therefor

以上、最低限度の(すこし十分な)予算と適正な人員が配置できれば、(1)変換効率30%超、(2)耐用年数20年、(3)パネルコストが
現状あるいは量産効果が効けばそれ以下にで提供できるだろう。もう石油・天然ガスの先物取引での価格は安値安定に入ることは間
違いないものと考える。「さぁ、テッペンを取りに行こう」、そして、世界一の都市鉱山資源立国に成り上がろう。志あるもの集まれ! 

  ● 今夜の注目サプリ

ファンケルが「えんきん」というルテイン・アスタキサンチン・シアニジン-3-グルコシド・DHAを廃校したサプリメント
を発
売した。これは近日に服用してみよう。後日その結果を掲載する。 

  

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アルミックと電子レンジ

2015年11月25日 | 時事書評

 

  

 

   わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪 / 財津和夫 『虹とスニーカーの頃』  

 

 

 

  

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』  

 ● 説きまわると

  呉慮が墨子にいった。
 「義は実行あるのみです。あなたのように説きまわる必要はない」
  墨子は呉慮にたずねた。
 「では、いま耕作というものを自分以外だれも知らないとする。
  まず大勢の人に耕作を教えてから、みんなで耕作するのと、人には教えず自分ひとりで耕作するの
 と、どちらが収穫が多いだろうか」
 「もちろん、大勢の人に耕作を教えてから、みんなで耕作するほうです」
 「それでは、いま、不義を行なった国を攻めるとする。
  このとき、軍鼓をたたいて大勢に知らせ、みんなでその国を攻めるのと、大勢には知らせず自分ひ
 とりで攻めるのと、どちらが戦果があがるだろうか」
 「もちろん、軍鼓をたたいて大勢に知らせ、みんなで攻めるほうです」
 「義についても同じことだ。義をわきまえる農民、兵士はきわめて少ないから、まず、かれらに義を
 説いたほうが成果があがる。義を説きまわる必要がない、とどうしていえよう。わたしが義を説いて
 まわり、大勢の人が義を知るならば、それだけ義が行なわれ、成果があがるわけではないか」


  吳慮謂子墨子曰、義耳義耳。焉用言之哉。子墨子曰、籍設而天下不知耕、教人耕,與不教人耕而獨
 耕者,其功孰多。吳慮曰、教人耕者,其功多。子墨子曰、籍設而攻不義之國,鼓而使眾進戰,與不鼓
 而使眾進戰而獨進戰者、其功孰多。吳慮曰、鼓而進眾者、其功多。子墨子曰、天下匹夫徒步之士少知
 義、而教天下以義者功亦多。何故弗言也。若得鼓而進於義、則吾義豈不益進哉。

ベンチャーダマシ Ⅱ 】 アルミックと電子レンジ

『フランス革命と墨子思想』(2015.11.21)の「 生パスタ海老のトマトクリームの試食記」でふれたよ
うに(下写真クリック)、タジン鍋のような電子レンジ専用のパスタ皿ないかと考えていたら、テレビで
株式会社砺波商店の”落としても割れない陶器食器”が放送
されていたのをみて(2015.11.21TBS)、
いつものように閃いたが、この三連休は外出続きでまとめることができなかったが、特許など検索してみ
てなるほどとその開発経緯を知ることになる。アルミ製のパスタ皿のコアに導電性樹脂に発熱・保温性樹
脂あるいは表面意匠形状樹脂に顔料などを加え(下図の特許事例参考)、電子レンジ加熱時の圧力調整付き
上蓋をセットする。このとき皿部に上蓋の嵌め会わせ溝をつけておく(詳細不記)というものだ。蛇足な
がら、着色には顔料添加法だけでなく、シリコン被膜表面をナノ加工することで光導波で選択し色を反射
させることもできる(詳細不記)。地方の企業も頼もしいですね。

 ←Click here!

メーカのうたい文句によると――「アルミック」はアルミ合金で作られた半永久性の商品で、見た目肌触
り音も陶器と同様の食器です。 優れた抗菌効果と遠赤外線放射で、雑菌(大腸菌・病原性大腸菌O-157)
の発生を強力に防ぎ、付着した細菌の繁殖を抑え、ゆるやかに減菌し長時間効果が持続します。 熱にも
強く、損傷もなく長く使うほどお得な食器――という以下の特徴が唱われている。

(1)地球に優しい食器。お得でリユース可能な器です。
(2)アルミ合金製で作られたアルミックは半永久性の商品で見た目肌触り音も陶器と同様の食器です。
(3)抗菌仕様を施してあり、熱にも強く損傷もなく長く使うほどお得な食器です。
(4)アルミックはカタログの全ての色に再塗装が可能で再利用できます。



【概要】

上図の食器は、アルミニウムやアルミニウム合金からなる食器本体の表面にプライマー層と塗膜層を積層
一体化の食器で、プライマー層は、アミン変性エポキシ樹脂、シリカ粒子と分子中に窒素原子と改良剤で
構成したエポキシ塗料を硬化すると共に、塗膜層は、ポリエステルポリオールとアクリルポリオールと顔
料のベース塗料と、ポリイソシアネート化合物を硬化剤する2液型ポリウレタン系塗料を硬化することを
特徴のアルミニウムやアルミニウム合金の食器本体にこの塗料を硬化しプライマー層と塗膜層を積層一体
にした食器である。



【概要】 


漆黒呈する食器用アルミニウム複合体は、(1)アルミニウムやアルミニウム合金100重量部中に、平
均粒径が10~
20ミクロンで80重量%以上が粒子径10.08~20.20ミクロンの炭化珪素粒子
140~150重量部を分散させ、(2)炭化珪素粒子を押し固めて炭化珪素をプリフォーム形成し、プ
リフォームの外周面全体からアルミニウムやアルミニウム合金の溶湯を加圧鋳造で含浸させる溶湯含浸工
程と、(3)溶湯供給部とこの溶湯供給部の内底面に連通口を介し連通するプリフォームの充填部の金型
を充填部内に配設し、上に内蓋を載置させると共に溶湯供給部の内底面上に貫通孔を有する絞り板を配設
した上でアルミニウムやアルミニウム合金の溶湯を供給加圧することで炭化珪素粒子をバインダーを用い
ず押し固めて炭化珪素のプリフォームを形成でき、漆黒を呈するアルミニウム複合体を提供するも。特に、
食器形状に形成し表面に塗装を施すことなく漆塗り調を呈する食器を得ることができる。

 

  

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』34 

   だいたい小説というのは、あくまで身体の内側から自然に湧き上がってくるものであって、そ
 んなに戦略的にひょいひょい目先を変えていけるものではありません。マーケット・リサーチと
 かをやって、その結果を見て意図的に内容を書き分けられるものでもありません。たとえできた
 としても、そのような浅い地点から生まれた作品は、多くの読者を獲得することはできません。
 もし一時的に獲得できたとしても、そんな作品や作家は長持ちすることもなく、ほどなく忘れら
 れてしまうでしょう。エイブラハム・リンカーンはこんな言葉を残しています。「多くの人を短
 いあいだ欺くことはできる。少数の人を長く欺くこともできる。しかし多くの人を長いあいだ欺
 くことはできない」と。小説についても同じことが言えるだろうと僕は考えています。時間によ
 って証明されること、時間によってしか証明されないことが、この世界にはたくさんあります。
 
  話を元に戻します。
  大手出版社クノップフから単行本が出され、系列会社であるヴィンテージからペーパーバ″ク
 版が発売され、時間をかけてラインナップが整備されていくにつれて、アメリカ国内における僕
 の本の売り上げは徐々に、しかし着実に伸びていきました。新刊が出れば、ボストンやサンフラ
 ンシスコといった都市の新聞のベストセラー・リスト上位に着実に食い込むようになりました。
 僕の本が出版されると、それを買って読んでくれる読者層が――日本の場合とだいたい同じよう
 な具合に――アメリカでも形成されていったわけです。




  そして二〇〇〇年を過ぎて、作品で言えば『海辺のカフカ』(アメリカでは二〇〇五年に出版)
 のあたりから、僕の新刊は「ニューョーク・タイムズ」の全米ベストセラー・リストに、あくま
 で末席からではありますが、顔を出すようになってきました。つまり東海岸・西海岸のりベラル
 傾向の強い大都市エリアだけではなく、内陸部をも含んで、僕の小説スタイルが全国的に受け入
 れられるようになってきたということです。『IQ84』(二〇一回がベストセラー・リスト(
 フィクション・ハードカバー)の二位になり、『色彩を持だない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 (二○一四)が一位になりました。でもここまで来るにはずいぶん長い歳月を要しました。一発
 で派手にどんと当てたわけではない。ひとつひとつ作品を地道に積み重ね、ようやく地歩を固め
 ることができたという感じです。またそれにつれて、ペーパーバックの旧作も活発に動くように
 なってきました。好ましい流れが作り出されたわけです。



  でも最初の段階でより目立ったのは、アメリカ国内での動きよりは、むしろヨーロッパ市場に
 おける僕の小説の発行部数の増加でした。ニューヨークを海外出版のハブ(中軸)に置いたこと
 が、どうやらヨーロッパでの売り上げの仲びに繋がったようでした。それは僕にも予測できなか
 った展開でした。正直なところ、ニューヨークというハブの持つ意味がそこまで大きいとは考え
 なかった。僕としてはただ「英語なら読める」という理由で、またたまたまアメリカに住んでい
 たという理由で、アメリカをとりあえずホーム・グラウンドに設定しただけなのですが。

  アジア以外の国で、まず火がついたのはロシアや東欧で、それが徐々に西進し、西欧に移って
 いったという印象があります。一九九〇年代半ばのことです。実に驚くべきことですが、ロシア
 のベストセラー・リスト十位の半分くらいを僕の本が占めたこともあったと開いています。
  これはあくまで僕の個人的印象であり、確かな根拠・例証を示せと言われても困るのですが、
 歴史年表とつきあわせて振り返ると、その国の社会の基盤に何かしら大きな動揺(あるいは変容
 があった後に、そこで僕の本が広く読まれるようになる傾向が世界的に見られたという気がしま
 。ロシアや東欧地域で僕の本が急速に売れ始めたのは、共産主義体制の崩壊という巨大な地盤
 変化のあとでした。これまで確固として揺らぎなく見えた共産党独裁のシステムがあっけなく崩
 壊し、そのあとに希望と不安をないまぜにした「柔らかなカオス」がひたひたと押し寄せてくる。
 そのような価値観のシフトする状況にあって、僕の提供する物語が新しい自然なリアリティーの
 ようなものを急速に帯び始めたのではないかと思うのです。

  またベルリンの東西を隔てる壁が劇的に崩壊し、ドイツが統合国家となって少ししたあたりか
 ら、僕の小説はドイツでじわじわと読まれるようになったみたいです。そういうのはもちろんた
 だの偶然の一致に過ぎないかもしれません。でも思うのですが、社会基盤・構造の大きな変更が、
 人々が日常的に抱いているリアリティーのあり方に強い影響を及ぼし、また改変を要求するとい
 うのは当然のことであり、自然な現象です。現実社会のリアリティーと物語のリアリティーは、
 人の魂の中で(あるいは無意識の中で)避けがたく通底しているものなのです。どのような時代
 にあっても、大きな事件が起こって社会のリアリティーが大きくシフトするとき、それは物語の
 リアリティーのシフトを、いねば裏打ちのように要求します。

  物語というのぱもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の
 現実のシステムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らの内なる場
 所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。その二つのシステム
 (現実社会のシステムとメタファー・システム)をうまく連結させることによって、言い換える
 なら主観世界と客観世界を行き来させ、相互的にアジャストさせることによって、人々は不破か
 な現実をなんとか受容し、正気を保っていくことができるのです。僕の小説が提供する物語のリ
 アリティーぱ、そういうアジャストメントの歯車として、たまたまグローバルにうまく機能した
 のでぱないか――そんな気がしないでもありません。もちろんこれは、繰り返すようですが、僕
 の個人的な実感に過ぎません。しかしまったく的外れな意見でもないだろうと考えています。

  そう考えれば、日本という社会は、そのような総体的ランドスライド(地滑り)を、欧米社会
 よりもむしろ早い段階で、ある意味では自明のものとして、自然に柔らかく察知していたのでは
 ないかという気もします。僕の小説は欧米よりも早く、日本で――少なくとも日本の一般読者に
 ――積極的に受け入れられていたわけですから。それについては、中国や韓国や台湾といった東
 アジアのお隣の国々についても同じことが言えるかもしれません。日本以外でも、中国や韓国や
 台湾の読者たちぱかなり早い段階から(アメリカやヨーロッパで認められる前から)、僕の作品
 を積極的に受け入れ、読んできてくれました。

  それらの東アジアの国々においては欧米に先だち、社会的ランドスライドが人々のあいだで、
 既にリアルな意味を持ち始めていたのかもしれません。それも欧米のような「何か事件が起こっ
 て」という急激な社会的変動ではなく、時間をかけたよりソフトな地滑りとして。つまり経済的
 に急成長を遂げるアジア地域においては、社会的ランドスライドは突発事件ではなく、この四半
 世紀ほどに関して言えば、むしろ恒常的な継続状況であったということになるかもしれません。

  もちろんそんな風に簡単に断言してしまうことにはいささか無理があるでしょうし、そこには
 他の要因も様々にあるはずです。しかし僕の小説に対するアジア諸国の読者の反応と、欧米諸国
 の読者の反応のあいだに少なからぬ相違が見受けられるのも、また確かです。そしてそれは「ラ
 ンドスライド」に対する認識や対応性の相違に帰するところが大きいのではないかと思います。
 また更に言うなら、日本や東アジア諸国においては、ポストモダンに先行してあるべき「モダン
 が、正確な意味では存在しなかったのでぱないかと。つまり主観世界と客観世界の分離が、欧米
 社会ほど論理的に明確ではなかったのではないかと。しかしそこまでいくと話が広がりすぎるの
 で、その論議はまた別の機会に譲りたいと思います。

   Lost Chapters in The Wind-Up Bird Chronicle:A Translation and Commentary

  また、欧米諸国でブレークスルーできた大きな要因のひとつとして、何人かの優れた翻訳者に
 巡り合えたことが大きいと思います。まずハ○年代半ばに、アルフレッド・バーンバウムという
 シャイなアメリカ人の青年が僕のところにやってきて、僕の作品を気に入って、短いものをいく
 つか選んで翻訳しているのだがかまわないだろうかと尋ねました。それで「いいですよ。ぜひや
 ってください」ということになり、そういう訳稿がだんだん溜まってきて、時間はかかりました
 が、何年か後に「ニューヨーカー」進出のきっかけになったわけです。『羊をめぐる冒険』と『
 ダンス・ダンス・ダンス』も、「講談社インターナショナル」のためにアルフレ″ドが訳しまし
 た。アルフレ″ドは非常に有能で、意欲溢れる翻訳者でした。もし彼が僕のところにそういう話
 を持ってこなかったら、自分の作品を英語に翻訳するなんて、その時点では思いつきもしなかっ
 たことでしょう。自分ではまだまだそういうレベルに達していないと考えていたので。




  その後、プリソストン大学に招かれてアメリカに住むようになったときに、ジェイ・ルービン
 に出会いました。彼は当時ワシントン州立大学の教授で、後にハーヴァードに移ります。非常に
 優秀な日本文学の研究者で、夏目漱石のいくつかの作品の翻訳で知られていましたが、彼も僕の
 作品に興味を持ち、「できれば何かを訳してみたい。もし機会があれば声をかけてくれ」と言っ
 てくれました。僕は「まず、気に入った短編小説をいくつか訳してみてくれますか」と彼に言い
 ました。彼はいくつかの作品を選んで訳したのですが、とても立派な翻訳だった。何より面白い
 と思ったのは、彼とアルフレッドの選ぶ作品がまったく違っていたということです。両者は不思
 議なくらいバごアィングしなかった。複数の翻訳者を持つというのは大事なことなんだなとその
 ときに痛感しました。

  ジェイ・ルービンは翻訳者としてきわめて実力のある人で、彼が最新の長編小説『ねじまき鳥
 クロニクル』を訳してくれたことで、アメリカにおける僕のポジションはかなり確固としたもの
 になったと思います。簡単に言えば、アルフッドがどちらかといえば自由奔放な翻訳、ジェイは
 堅実な翻訳ということになります。それぞれにそれぞれの持ち味があったわけですが、アルフ
 レッドはその頃自分の仕事が忙しくなって、長編小説の翻訳までは手が回らなくなっていたので、
 ジェイが現れたことは僕にとってすごくありかたかった。また『ねじまき鳥クロニクル』のよう
 な(僕の初期の作品に比べて)構造が比較的緻密な小説は、ジェイのようにあたまから正確に逐
 語的に訳してくれる翻訳者の方が、やはり向いていたと思います。それから彼の翻訳について僕
 が気に入っているのは、そこに巧まざるユーモアの感覚があることです。決して正確・堅実なだ
 けではない。

  それからフィリでフ・ゲイブリエルがいて、テッド・グーセンがいます。彼らはどちらも腕利
 きの翻訳者で、やはり僕の書く小説に興味を持ってくれました。その二人とも、若い頃からのず
 いぶん長いつきあいになります。彼らはみんな最初、「あなたの作品を翻訳をしたいのだが」と
 か「既に翻訳をしてみたのだが」という風に接近してきてくれました。それは僕にとってはとて
 もありかたいことでした。彼らと巡り合い、パーソナルな繋がりを築くことによって、僕は得が
 たい味方を得たように思います。僕自身が翻訳者(英語↓日本語)でもあるので、翻訳者の味わ
 う苦労とか喜びとかは、我が事として理解できます。だから彼らとはできるだけ密に連絡を取る
 ようにしているし、もし翻訳に関する疑問みたいなものがあれば喜んで答えます。条件的な便宜
 もできるだけはかるように心がけています。

  やってみればわかるけれど、翻訳というのは本当に骨の折れる厄介な作業です。でもそれは一
 方的に骨の折れる厄介な作業であってはならない。そこにはお互いギブアンドテイクのような部
 分がなくてはなりません。外国に出て行こうとする作家にとって、翻訳者は何より大事なパート
 ナーになります。自分と気の合う翻訳者を見つけるのが大事なことになります。優れた能力を持
 つ翻訳者であっても、テキストや作者と気持ちが合わないと、あるいは持ち味が馴染まないと、
 良い結果は生まれません。お互いにストレスが溜まるだけです。そしてまずテキストに対する愛
 がなければ、翻訳はただの面倒な「お仕事」になってしまいます

  もうひとつ、あえて僕が言い立てるまでもないのでしょうが、外国では、とくに欧米では、個
 人というものが何より大きな意味を持ちます。何ごとによらず、誰かに適当にまかせて「じゃあ、
 あとはよろしくお願いします」ではなかなかうまくいきません。ひとつひとつの段階で、自分で
 責任をとり決断していかなくてはならない。これは手間暇かかることですし、ある程度の語学力
 も必要になります。もちろん文芸エージェントが基本的なことはやってくれますが、彼らも仕事
 が忙しいし、正直言ってまだ無名の作家、あまり利益にならない作家のことまでは十分手が回り
 ません。だから自分のことはある程度自分で面倒をみなくてはならない。僕も日本ではまずまず
 名前を知られていたけれど、外国マーケットでは最初はもちろん無名の存在でした。業界の人や
 一部の読書人を別にすれば、一般のアメリカ人は僕の名前なんか知らなかったし、正確に発音も
 できなかった。「ミュラカミ」とか言われていました。でもそのことで遂に意欲をかきたてられ
 たところはあります。この未開拓のマーケットで、白紙状態からどれだけのことができるか、と
 にかく体当たりでやってみようじやないかと。

                                                「第11回 海外へ出て行くフロンティア」

                                        村上春樹 

わたしは、腹立たしくなれば自棄食いに走るが、思いが胸いっぱいに詰まれば、歯をかみしめ、唇を
左右に広げそれから左側にゆがめきつく下向きに押し込める癖がある。時として涙することがある。
この章では思い存分筆を進めているねぁ~と、頬を伝う涙はなかったものの胸に込み上げてくるもの
があった。

                                                          この項つづく 

 

 ● 今夜の一曲

この曲は「わがまま」というタイトルでアルバム『Someday Somewhere』に収録される予定になってい
たが、シングル曲候補となり、歌詞の一部と曲のを大幅にアレンジしたのち、曲名を「虹とスニーカーの
頃」と改め79年7月5日に発売されたチューリップの通算16枚目のシングルとして発売された。体調
を崩したまま中国と日本を往復していたころだが、”わがままは――― 男の罪―――それを許さないのは
女の罪/若かった―――何もかもが―――あのスニーカーはもう捨てたかい―――のAメロが印象的なお
気に入り一曲。
 

  

 

 

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ジャジーな風に吹かれて

2015年11月24日 | 時事書評

 

 

  

 

    貧乏――あらゆる病気の中でもっとも恐ろしく、かつ、もっとも患者の多いもの。  

                      米国の劇作家 ユージソ・グラヅドストーソ・オニール


                                                                             
                                                             October 16, 1888 – November 27, 1953
     


             Poverty――that most deadiy and prevalent of all diseases     /  Eugene G.O'Neill                                                                                                               
      
  ※ dead4y「恐ろしい」。prevalent「普遍的な」つまり「流行の(病)」
 

 

 

 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』 

 

 ● ひとりで働いても

  魯の国の片田舎に呉慮という男が住んでいた。冬には陶器をつくり「夏には畑仕事をしてヽ自分を
  なぞらえていた。
  墨子はその贈をきいて、会いに出掛けた。
  呉慮は崇子をみるなり、
 「義は実行あるのみです。あなたのように説きまわる必要はない」
 「すると、あなたの考えでは、人のために自分の労働力を提供したり、財産を分け与えたりすること
 が義なのですか」
  と墨子はたずねた。

 「そうです」
 「では、あなたのいわれる通りだとして、計算してみよう。
  たとえば、中国の人を飢えさせまいと、わたしが精いっぱい畑仕事をしたところで、せいぜい農夫
 一人分の仕事しかできない。とれた穀物を国中の人に分けたところで、一人当り一升もゆきわたらな
 い。たとい、一升ずつゆきわたったところで、腹を空かしている人全部を救うことはできない。
  また、国中の人を寒さにふるえさせまいと、わたしが精いっぱい機を織ったところで、せいぜい女
 工一人分の仕事しかできない。織った布を国中の人に分けたところで、一人当たり一尺もゆきわたら
 ない。一尺ずつゆきわたったところで、それだけでは、寒さにふるえている人全部を教うことはでき
 ない。

  また、諸侯を外敵から款ってやろうと、わたしが武器をとり、精いっぱい戦ったところで、兵士一
 人分の働きしかできない。一人分の働きで、大軍をふせぎえないことは、わかりきったことだ。
  それよりはむしろ、先王の道や聖人の教えを学んで、それを、上は王侯貴族、下は農民、兵士にい
 たるまで、あらゆる人に説くほうが、はるかに効果がある。王侯貴族がわたしの説いたことを実行す
 れば、国はきっと秩序がととのうし、農民や兵士がそれを実行すれば、きっとまじめに働くようにな
 る。自分ひとりで畑仕事や機織り仕事をするより、このほうがはるかに効果がある、とわたしは思う」


   集団効果 墨子は労働を重視し、ストイックに自己を規制する。が、かれは自己満足的な "修養"
                にとどまっているわけではない。集団効果ということを、十分に心得ていたのだ。

 

 魯國的南郊有一個叫吳慮的人,冬天制陶夏天耕作,拿自己與舜相比。墨子聽說了就去見他。吳慮對
 墨子說:「義啊義啊,責在切實之行,何必空言!」墨子說:「你所謂的義,也有以力量給人效勞,
 以財物分配給人的方面嗎?」吳慮回答說:「有。」墨子說:「我曾經思考過:我想自己耕作給天下
 人飯吃,十分努力,這才相當于一個農民的耕作,把收獲分配給天下人,每一個人得不到一升粟。假
 設一個人能得一升粟,這不足以喂飽天下饑餓的人,是顯而易見的。我想自己紡織給天下的人衣服穿,
 十分努力,這才相當于一名婦人的紡織,把布匹分配給天下人,每一個人得不到一尺布。假設一個人
 能得一尺布,這不足以溫暖天下寒冷的人,是顯而易見的。我想身披堅固的鎧甲,手執銳利的武器,
 解救諸侯的患難,十分努力,這才相當于一位戰士作戰。一位戰士的作戰,不能抵擋三軍的進攻,是
 顯而易見的。我認為不如誦讀與研究先王的學說,通曉與考察聖人的言辭,在上勸說王公大人,在下
 勸說平民百姓。王公大人采用了我的學說,國家一定能得到治理;平民百姓采用了我的學說,品行必
 有修養。所以我認為即使不耕作,這樣也可以給饑餓的人飯吃,不紡織也可以給寒冷的人衣服穿,功
 勞勝過耕作了才給人飯吃、紡織了才給人衣穿的人。所以,我認為即使不耕作、不紡織,而功勞勝過
 耕作與紡織。」吳慮對墨子說:「義啊義啊,貴在切實之行,何必空言!」墨子問道:「假設天下的
 人不知道耕作,教人耕作的人與不教人耕作卻獨自耕作的人,他們功勞誰的多?」吳慮答道:「教人
 耕作的人功勞多。」墨子又問:「假設進攻不義的國家,擊鼓使大家作戰的人與不擊鼓使大家作戰、
 卻獨自作戰的人。他們的功勞誰的多?」吳慮答道:「擊鼓使大家作戰的人功勞多。」墨子說:「天
 下平民百姓少有人知道仁義,用仁義教天下人的人功勞也多,為什么不勸說呢?假若我能鼓動大家達
 到仁義的要求,那么,我的仁義豈不是更加發揚光大了嗎!」
 

  

● 折々の読書 『職業としての小説家』33

   結果的にはこの三人の出版人(ビンキー、メータ、フィスケットジョン)と結びついたことが、
 ものごとがうまく運んだひとつの大きな要因になっていると思います。彼らはとても有能で、熱
 意に溢れる人たちだったし、広いコネクションと、業界に対する確かな影響力を持っていました。
 それからクノッブフの社内(名物)デザイナーであるチップ・キッドも、最初の『象の消滅』か
 ら最新の『色彩を持だない多時つくると、彼の巡礼の年』まで、僕のすべての本をデザインして
 くれて、それはかなりの評判になりました。彼のブック・デザインを目にするのを楽しみに、僕
 の新刊を持っている人たちもいます。そういう人材に恵まれたことも大きかったでしょう。

  Chip Kidd (born September 12, 1964)

  もうひとつの要因は、僕が「日本人の作家」であるという事実をテクニカルな意味合いで棚上 
 げし、アメリカ人の作家と同じ土俵に立ってやっていこうと、最初に決心したことにあるのでは
 ないかと思います。僕は自分で翻訳者を見つけて個人的に翻訳してもらい、その翻訳を自分でチ
 とりました。そうすれば、エージェントも出版社も、僕をアメリカ人の作家と同じスタンスで扱
 うことができます。つまり外国語で小説を書く外国人作家としてではなく、アメリカの作家たち
 と同じグラウンドに立ち、彼らと同じルールでプレイするわけです。まずそういうシステムをこ
 ちらでしっかり設定しました。

  そうしようと決めたのはビンキーに最初に会ったとき、「英語で読めない作品は自分には扱え
 ない」とはっきり言われたからです。彼女は自分で作品を読み、価値を判断し、そこから仕事を
 開始します。自分で読めない作品を持ち込まれても、仕事にならないわけです。エージェントと
 しては、まあ当たり前のことですね。だからこちらでまず納得のいく英語翻訳を用意することに
 しました。

  日本やヨーロッパの出版関係者はよく、「アメリカの出版社は商業主義で、営業成績ばかり気
 にして、地道に作家を育てようとしない」というようなことを言います。反米感情というほどで
 もないけど、アメリカ的なビジネス・モデルに対する反感(あるいは好感の欠如)のようなもの
 を感じることはしばしばあります。たしかにアメリカの出版ビジネスにそういう面がまったくな
 いというと、それは嘘になります。「エージェントも出版社も、売れているときはちやほやする
 けど、売れなくなると冷たい」と文句を言うアメリカ人の作家に何人も出会いました。たしかに
 そういうところもあるでしょう。でもそんな面ばかりではありません。気に入った作品に対して、
 またこれぞと思う作家に対して、エージェントや出版社が目先の損得抜きで力を傾注している例
 を、僕はあちこちで目にしてきました。そこでは編集者の個人としての思い入れや、意気込みが
 重要な役割を果たすことになります。これは世界中どこだってだいたい同じようなものじやない
 かと思います。

  どこの国であろうが僕の見る限り、出版関係の仕事に就こう、編集者になりたいという人は、
 そもそもが本好きです。アメリカだって、ただ単にお金をいっぱい儲けたい、贅沢に経費を使い
 たいと考えるような人は、まず出版関係にはやってきません。そういう人たちはウオール街に行
 くか、マディソン街(広告業界)に行くかします。特殊な例を別にすれば、出版社の出す給料は
 それほど高額なものではないからです。だからそこで働いている人の間には多かれ少なかれ、「
 私は本が好きだからこそこの仕事をやっているんだ」という自負があり、心意気があります。い
 ったん作品が気に入れば、損得抜きで身を入れて仕事をしてくれます。

  僕はアメリカ東部(ニュージャージーとボストン)にしばらく住んでいたこともあって、ビン
 キーやゲイリーやサニーと個人的につきあい、親しくもなりました。遠く離れた場所に住み、長
 い歳月にわたって仕事を共にするわけですから、やはり時々は顔を合わせていろんな話をし、一
 緒にご飯を食べたりもします。そういうところはどこの国だって同じです。すべてエージェソト
 まかせで、担当者とほとんど額も会わせず、「まあ、適当にやってください」という丸投げ的な
 姿勢では動くものも動きません。もちろん作品自体に圧倒的に強い力があれば、それでもかまわ
 ないわけですが、正直なところ僕にはそこまでの自信はありませんし、何ごとによらず「自分に
 できるだけのことは、できるだけやってみる」という性分なので、できる限りのことは実際にや
 ってみたわけです。日本でデビューした当時にしていたことを、もう一度アメリカでやり直した
 ことになります。四十代にしてもう一回「新人状態」にリセットされたというか。

  僕がこのように積極的にアメリカのマーケ″トを開拓しようと思い立ったのは、それまでに日
 本国内でいろんなあまり面白くないことがあって、「日本でこのままぐずぐずしていてもしょう
 がないな」と実感するようになったことが大きいと思います。当時はいわゆる「バブルの時代」
 で、日本で「物書き」として生活をしていくことは、さしてむずかしいことではありませんでし
 た。人口は一億を超え、そのほとんどすべてが日本語を読むことができます。つまり基礎的な読
 書人口はかなり多いわけです。それに加えて日本経済は世界中が目を見張るほど好調で、出版界
 も活 況を呈していました。株は上昇の一途で、不動産も高騰して、世の中にお金がだぶついて
 います から、新しい雑誌が次々に創刊され、雑誌にはいくらでも広告が集まってきます。書き
 手としても原稿依頼には不自由しません。当時は「おいしい仕事」もたくさんありました。「世
 界中、どこでも好きなところに行って、いくらでも経費を使って、好きなように紀行文を書いて
 ください」 みたいな依頼もありました。知らない人から「このあいだフランスのシャトーをひ
 とつ買ったので、そこに一年ばかり住んで、のんびり小説を書いてみませんか?」というゴージ
 ャスな中し出もありました(どちらも丁重にお断りしましたが)。今から思えば信じられないよ
 うな時代です。小説家にとって主食とも言うべき小説自体はさほど売れなくても、そのようなお
 いしい「おかず」で十分生活していけたわけです。

  しかしそれは四十歳を目の前にした(つまり作家としてとても大事な時期にある)僕にとって、
 歓迎すべき環境とは言えませんでした。「人心が乱れる」という表現がありますが、まさにその
 とおりでした。社会全体がざわざわと浮ついていて、すぐお金の話になります。じっくり腰を据
 え、時間をかけて長編小説を書こうというような雰囲気じゃありません。こんなところにいたら、
 知らないうちにスポイルされてしまうかもしれない――そういう気持ちが次第に強くなってきま
 した。もっと張りつめた環境に身を置いて、新しいフロンティアを切り拓いていきたい。自分の
 新しい可能性を試してみたい。そう考えるようになりました。だからこそ僕はハ○年代後半に日
 本を離れ、外国を中心に生活するようになったわけです。『世界の終りとハードボイルド・ワン
 ダーランド』を出版したあとのことです。



  もうひとつ、日本国内における僕の作品や僕個人に対する風当たりがかなりきつかったという
 ことがあります。僕は基本的に「欠陥のある人間が欠陥のある小説を書いているんだから、まあ
 なんと言われても仕方あるまい」という風に考えていますし、実際に気にしないようにして生き
 てきたのですが、それでも当時はまだ若かったし、そのような批判を耳にして、「それはあまり
 にも公正さを欠いた言い方ではあるまいか」と感じることはしばしばありました。私生活の部分
 にまで踏み込まれ、家族も含めて、事実ではないことを事実のように書かれ、個人攻撃されるこ
 ともありました。どうしてそこまで言われなくてはならないんだろうと、(不快に思うよりはむ
 しろ)不思議に感じたものですが。

  それは今から振り返ってみれば、同時代日本文学関係者(作家・批評家・編集者など)の感じ
 ていたフラストレーションの発散のようなものではなかったのかという気がします。いわゆるメ
 インストリーム(主流派純文学)が存在感や影響力を急速に失ってきたことに対する「文芸業界」
 内での不満・彭屈です。つまりそこではじわじわとパラダイムの転換がおこなわれていたわけで
 す。しかし業界関係者にしてみれば、そういうメルトダウン的な文化状況が嘆かわしかったし、
 また我慢ならなかったのでしょう。そして彼らの多くは僕の書いているものを、あるいは僕とい
 う存在そのものを、「本来あるべき状況を損ない、破壊した元凶のひとつ」として、白血球がウ
 ィルスを攻撃するみたいに排除しようとしたのではないかIそういう気がします。僕自身は「僕
 ごときに損なわれるものなら、損なわれる方にむしろ問題があるだろう」と考えていましたが。

  「村上春樹の書くものは所詮、外国文学の焼き直しであって、そんなものはせいぜい日本国内
 でしか通用しない」というようなこともよく言われました。僕は自分の書くものが「外国文学の
 焼き直し」だなんてちっとも思わなかったし、むしろ自分は、日本語のツールとしての新しい可
 能性を積極的に追求し模索しているつもりでいたので、「そう言うのなら、僕の作品が外国で通
 用するかしないか、ひとつ試してみようじやないか」という挑戦的な思いは、正直言ってなくは
 ありませんでした。僕は決して負けず嫌いな性格ではありませんが、納得のいかないことは納得
 がいくまでとことん確かめてみたいと思うところはあります。

  それにもし外国を中心に活動できるようになれば、そういう日本国内のややこしい文芸業界と
 関わり合う必要性も少しは減ってくるかもしれません。何を言われても知らん顔で聞き流してい
 ればいい。僕にとってはそういう可能性もまた、「ひとつ海外でがんばってみよう」と思う要因
 になりました。考えてみれば、日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になった
 わけですから、遂に既されてラ″キーだったと言えるかもしれません。どんな世界でもそうです
 が、「褒め殺し」くらい怖いものはありません。

  僕が外国で本を出していちばん嬉しかったのは、多くの人々(読者や批評家)が「村上の作品
 はとにかくオリジナルだ。他の作家が書くどんな小説とも違う」と言ってくれたことです。作品
 自体を評価するにせよ、しないにせよ、「この人は他の作家とは作風がまるで違う」という意見
 が基本的に大勢を占めていました。日本で受けた評価とはずいぶん違っていたので、それは本当
 に嬉しかった。オリジナルであるということ、僕自身のスタイルを持っているということ、それ
 ぱ僕にとってのなによりの賛辞なのです。

  しかし海外で僕の作品が売れるようになると、というか売れていることがわかってくると、日
 本国内で今度は「村上春樹の本が海外で売れるのは、翻訳しやすい言葉で、外国人にもわかりや
 すい話を書いているからだ」と言われるようになってきます。僕としては「それじゃ、前と言っ
 てることが真逆じゃないですか」といささかあきれてしまうんだけど、まあしょうがないですね。
 ただ風向きを測り、確かな根拠もなく気楽に発言する人が世の中には一定数いるんだと考えるし
 かありません

                                               「第11回 海外へ出て行くフロンティア」

                                        村上春樹 

                                                          この項つづく 

 

 
Ferdinand Joseph LaMothe (October 20, 1890 – July 10, 1941)

【ジャジーな風に吹かれてⅠ:ジェリー・ロール・モートン

 


● 『ジェリー・ロールモートン』

最高傑作と折り紙付きの26年録音の7曲を中心に、27年の2曲、28年の5曲、29年の3曲を
集大成したアメリカ編集のベスト盤。十二歳からピアニストとして楽旅、各地で採集
したワークソン
グ、ブルース、ミンストレル・ソング、賛美歌、カリビアン音楽を融合させて
創造したジャズの原型
が楽しめる。モートンは優れたフィールドワーカーであり「シャズの
創始者」と自ら吹聴している。



  

● 『コンプリート・レッド・ホット・ペッパーズ』

ニューオリンズでクレオールとして生まれた。当時ニューオリンズは文化的にはフランス、スペイン
の影響が依然強く残るカリブ文化圏の国際都市で、音楽の溢れる街だった。彼はそこで生まれたラグ
タイム・ピアノに軍楽隊のブラスを加えて、ジャズの初期のスタイルを様式化し広め、38年、国会
図書館が初期ジャズの保存と記録を106面のレコードに残している。

  

  

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都市鉱山事業構想Ⅰ

2015年11月23日 | 開発企画

 

  

 

     善人尚以って往生す、況や悪人をや   /  法然   『後醍本』    

  

                                   

    ※ 善導大師(中国):いま持っている“いのち”は、はるか昔の祖先から綿々と伝えられている
    のと同時に、子や孫といった未来へとつながっていく“いのち”でもある。一人の“いのち”
    であって、一人の“いのち”ではない、ご先祖から未来へつながっていく多くの“いのち”と
    共に生かされている。今この時の横のつながりだけではなく、過去から未来へつながっている
    という一筋の縦軸がある。ゆえに、“いのち”は大切なのだ。“いのち”を奪うということは
    過去の“いのち”未来の“いのち”のすべてを奪ってしまうことになると「共生」を説く
    パリのテロ事件の被害者の仏人映画ジャーナリストのアントワーヌ・レリスも、犯行の増悪を
    超え、未来を切り開こうと表明している。深く共感させられる。
                                        
                        

 

  

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。
 

   魯問篇11――迷妄を解く- 『墨子』 

    ● 目 的

  魯の人で、息子を墨子のもとに学ばせている親がいた。その後、息子は、戦地におもむいて死んで
 しまった。父親が墨子を責めると、墨子は、
 「あなたは、息子さんに学問させたいと願った。その目的は達成されました。学問を通じて学びとっ
 た信念にしたがい、敵と戦って戦死したのです。それなのに、あなたは、息子を死なせたといってわ
 たしを非難なさる。まるで、商人がうまく商売ができたのに、腹を立てるようなものです。矛盾して
 いませんか」

  魯人有因子墨子而學其子者,其子戰而死,其父讓子墨子。子墨子曰:子欲學子之子,今學成矣,
  戰而死,而子慍,而猶欲糶,糶讎,則慍也。豈不費哉?」

 
 
【都市鉱山事業構想 Ⅰ】



● 都市伝説: 蟹の甲羅の廃材から金をつくる

過日のブログで、産業廃棄物をゼロにすることに真剣に取り組んでこなかぅたことを反省した(『脱リ
チウムと脱産
廃』 2015.10.20)。実はファーストライフ時代は、いくらでもそのような話があぅたわけ
で、その具体例が廃食油から石けんをつくる運動」(あるいはバイオディーぜル油をつくる)に関わっ
たり、B級食品素材(お茶などの農作物)のパウダー化を皮切りにいろんな方面からそのような協力依
頼や誘いがあったが、本業事業とホスト事業に傾注していたためお断りし数は両手で遙かに足らないほ
ど(20、30件)だった。政治家で「我が国には資源がない」と発言している耳にすると、「何を言
っているんだ」と反発――ドイツなどは石油がなくても(植民地がなくても)、石炭からディーゼル油
を精製し戦車を走らせ連合国側を驚かせたし、戦況からウラン功績から原子力爆弾の製造の優先順位を
下げたことにより、遠く離れた米国が亡命科学者を使いそれをパクリ唯一の原爆製造独占国にのし上が
ることができた。もっとも、独占化→帝国による世界支配支配を恐れた天才科学者セオドア・ホール
「核の均衡」構想による米帝国の暴走阻止により阻まれる――していたが、その一つが再生可能エネル
ギー分野の高性能太陽光発電×蓄電池×水素製造による『オールソーラーシステム』の実現がほぼ完璧
に現実化できる前段階にきている(だから、わたしのセカンド・ライフの仕事はこの時点で最終段階に
きているのだが)、『廃棄物オール・ゼロ』事業が新たなテーマと浮上。これから真剣に考えようと考
えている。


屋上屋を重ねるが、たとえば、半導体デバイスに使用するシリコン純度はイレブンナイン、太陽光発電
用シリコンはナインナインだから、これをすべて回収し再生すれば、(1)二酸化炭素排出削減、(2)
エネルギー消費削減、(3)コスト削減が好循環する。そのように考えていると「特許5818315  金属の
選択的抽出剤」が飛び込んできた(下図クリック)。

  

このように日本は、世界の希少金属の約220%も消費している希少金属消費国。主要な資源の大部分を
輸入依存し、希少金属の安定供給確保が資源安全保障の課題だ。希少金属の中で、(1)ルテニウム(
Ru)、(2)ロジウム(Rh)、(3)パラジウム(Pd)、(4)オスミウム(Os)、(5)イリジウム
(Ir)(6)白金(Pt)のような白金族金属は産出量が少なく、銅(Cu)、コバルト(Co)及びニッケ
ル(Ni)のようなベースメタルの精錬に伴い出される副生成物として分離、回収されている。また、電
子機器の廃棄物やオキソ反応によるアルデヒド製造廃液と自動車の排ガス触媒のような廃触媒からも分
離回収されている現実がある。

白金族金属の回収方法には、溶媒抽出法、沈殿分離法とイオン交換法等があるが、経済性や操作性から
媒抽出法が広く用いられているが、溶媒抽出法による白金族金属の回収方法の様々な技術が開発され
ているが、効率よく分離、回収し得る方法は未だ見つかっていない。通常、ベースメタルの精錬に伴い
排出される廃液と廃触媒の処理液は塩酸酸性水溶液のため、金属イオンは塩化物イオンとクロロ錯体を
形成する。例えば、Rhイオンは、[RhCl5]-、[RhCl5(H2O)]2-又は[RhCl6]3-のような錯体で存在するが、
このようなRhイオンのクロロ錯体は、ベースメタルや他の白金族金属のイオンと錯体と比較して、抽出
あるいは吸着され難い化学種である。それ故、Rhイオンは、専らベースメタルと他の白金属金属のイオ
ンを抽出・吸着した後の残液から回収するが、このような方法では、Rhイオンを選択的に抽出すること
ができず、Rh純度の向上が困難であり、先行する工程では他の白金族金属の回収率向上を図ると、結果
として最終工程の残液から得られるRhの回収率低下する問題があったが、下図構造のイミダゾールに脂
溶性置換基を導入誘導体を用いることで解決する。


ただし、(1)R1及びR2は、互いに独立、水素、置換・非置換の直鎖・分岐鎖状C1-18アルキル、C2-18
アルケニル、はC2-18アルキニル、また置換・非置換の直鎖・分岐鎖状C7-18アリールアルキルまたはC8-18
アリールアルケニル。(2)R1及びR2は同一であることはない)。(3)R3及びR4は、互いに独立し、
水素、置換・非置換の直鎖・分岐鎖状C1-4アルキル、C2-4アルケニルまたはC2-4アルキニル、また置換・
非置換の直鎖・分岐鎖状C7-18アリールアルキルまたはC8-18アリールアルケニル。(4)R3及びR4は、
それらが結合するイミダゾール環上の炭素原子と一緒になってイミダゾール環と縮合するシクロアルキ
ルまたはアリールで表される化合物を含有する金属イオンの抽出剤。(5)金属イオンがロジウムとパラ
ジウムからなる群より選択される白金族金属のイオンで、【化1】の抽出剤(後略)と規定められてい
る。

なお、この発明の金属の抽出剤は、Al、Cu、Al、Pb、Ti、Ni及びWの
群より選択される1種以上のベー
スメタルのイオン、Ru、Rh、Pd、Os、Ir及びPtからなる群より選択される1種以上の白金族金属のイオ
ンを含有する溶液から、Rh及びPdからなる群より選択される白金族金属のイオンを選択的に抽出するた
めに使用することができる。


● 抽出剤の回収可能性金属

 

以上これらの、また下記の「特許4945744 金の高選択的な抽出」は、国立大学法人宮崎大学馬場由成
授を中心とした研究グループによるものである。

 
電子工業において電子材料の製造工程で排出される廃棄物、自動車廃触媒、めっき廃液等には微量の貴
金属が含まれる。従来より、これらの廃棄物からの貴金属の回収に用いられている代表的な工業用抽出
剤は、硫黄を配位原子とするジヘキシルスルフィド(DHS)やジオクチルスルフィド(DOS)のよ
うなスルフィド類や、LIXシリーズやPシリーズに代表されるヒドロキシオキシム類である。なかで
金の回収にはスルフィド類が主に用いられている。しかしながらスルフィド類は金を抽出するととも
にパラジウムを同時に抽出するので、パラジウムと金とを分離する工程が必要となる。

また金に選択的な抽出剤としてジブチルカルビトールが用いられる場合があるが、金に対する選択性は
必ずしも高くはない。そのため、金の抽出剤としてジブチルカルビトールを用いる場合には、抽出後に
スクラビング工程を行うことにより、共抽出された金以外の金属を逆抽出により除去し、金だけが有機
相中に残存するように処理する必要がある。以上のように既存の抽出剤では貴金属の混合物の中から金
だけを一段階で選択的に抽出し回収することはできない。

またスルフィド類を工業的な抽出剤として長期間使用する場合、スルフィド類中の硫黄原子が試薬によ
る酸化や空気酸化を受けてスルホキシドになり、抽出選択性が低下してしまうという問題もある。その
ためスルフィド類は酸化性を有する溶液中では使用することができないし、また、スルフィド類により
有機相に抽出された金は、逆抽出剤により水溶液側に逆抽出されるが、このとき使用される抽出
アンモニア、チオ尿素、(塩酸+チオ尿素)溶液等である点でも従来のスルフィド類抽出剤の使用は問
題がある。これらの逆抽出剤は後処理が必要であるため、処理工程全体が複雑になるからである。

(1)Rは直鎖状又は分岐鎖状の炭素数1~18のアルキル基又はアルケニル基で表される化合物を有
  効成分とする金の抽出剤。

(2)金を含有する水溶液から(1)記載の抽出剤を用いて金を抽出することを特徴とする金の抽出
  法。

(3)金を含有する水溶液から(1)記載の抽出剤を用いて金を抽出した後、金及び前記抽出剤を含有
  する有機相から水を用いて金を逆抽出することを特徴とする金の回収方法。

(4)金を含有する水溶液が金の塩化物を含有する水溶液である(2)又は(3)記載の方法。
(5)金の塩化物を含有する水溶液が、2.5mol/dm以上の塩酸濃度を有するものである(4)
  記載の方法。

【図1】水相中の塩酸濃度と、1-ドデシル2-ピロリジノンによる各金属の抽出率との関係を示す図
    である。

【図2】逆抽出剤の種類と、金(III)イオンの逆抽出率との関係を示す図である、
【図3】金に対するパラジウムのモル比と、1-ドデシル2-ピロリジノンによる金の率との関
    係を示す図である。

【図4】金に対する白金のモル比と、1-ドデシル2-ピロリジノンによる金の抽出率との関係を示す
    図である。

【図5】水相中の塩酸濃度と、ジブチルカルビトールによる各金属の抽出率との関係を示す図である。

また、下記の特許は、工業廃液に代表される酸溶液からの貴金属の吸着材としては、イオン交換樹脂等
が広く知られている。しかしながら、イオン交換樹脂の場合、処理時の流量性に制限があることや貴金
を吸着後の脱離が困難なこと等から、普及していないのが実情である。 また、蟹のの甲羅まどの成分
に含まれる天然多糖類であるキトサンは、貴金属イオンに対して吸着能を有することが以前から知られ
ており、その貴金属イオン吸着能を利用した吸着材の開発が進められている。しかしながら多くの場合、
キトサンを用いた吸着材の形態は、イオン交換樹脂の場合と同様に粒子状であり、工業的に製造するに
は煩雑な工程となること、及びイオン交換樹脂の場合と同様に、処理時の流量性に制限があるといった
実用面での課題を擁している。


 

特開2013-079415 蟹の甲羅などを構成するキトサンを用いた貴金属回収カートリッジフィルターは、貴
金属回収できる。このカートリッジフィルター(キトサン誘導体に――グルコサミン誘導体に、コット
ンレーヨン、パルプ、アセチルセルロース、ニトロセルロースなどをくわえたもの――を(1)多孔コ
アに、(2)この巻きつけたカートリッジフィルター基材構成したフィルタに、貴金属を吸着させ→酸
性水溶液、アルカリ水溶液、チオ尿素水溶液、塩化物水溶液、チオ尿素、塩酸を含む水溶液に接触→貴
金属を脱離させる脱離させる技術である(下図)。



実施例でもあるように80%以上が吸着できるている、2、3とカスケード吸収体を構成すれば善いだ
ろう。ただ大量に有機溶剤を使う必要が出てくるだろと予想する。安全性の厳重もさることながら、そ
こに投入される溶剤を「オールバイオマス」系の有機溶剤を優先的供給するというのがわたしの独自案
である(詳細不記)。この記事を記載しながら、なろほどやてることが山ほどあることを再確認できた。
これは楽しみだ。

 

 

【米原の環境先進企業:三友エレクトリック】


電源盤や電源装置などを製造する三友エレクトリック(滋賀県米原市)――電気機器の組立・配線を主
な主業務として、精密板金・塗装、産業用電気機器の設計から手配・製造・試験・出荷・現地作業まで
、ほぼ全ての工程に携わる40年の社歴をもつ―――は、米原市の本社工場の敷地内
に今春、350kWの
太陽光発電設備を設置したのに続き、大容量のLiイオン蓄電池システムを導入し、設置
工事を始めた(
2015.11.21)。

● 太陽光発電を2017年度までに1百メガワット時への販売拡大


同社は本社工場の敷地内に今春、350キロワットの太陽光発電設備を設置、大容量のLiイオン蓄電池シ
ステムを導入し、設置工事を始める。蓄電池の容量は200キロワット時hで、年内に稼働し、電力需要
のピークカットなどに使用する。

 

東芝三菱電機産業システム(TMEIC)は2015.11.19、三友エレクトリックから大容量Liイオン蓄電池シス
テム(TMBCS)を受注。TMBCSは、電力変換効率98
.5%(充放電平均)と業界最高レベルのほか、全電
池セルのリアルタイムデータや電池特性を基に充放電制御し、安全性・信頼性を高め、長寿命化が特徴。
系統連系保護や単独運転検出の機能も装備。

三友エレクトリックでは、電気設備の試験などで一時的に大電流を使うことがあり、エアコンと併用す
る夏場など、需要ピークが契約電力量を超える恐れがあったが、蓄電池を放電することで、ピークカッ
トに活用するほか、電力単価の安い深夜電力を充電し、日中に活用することによる電気代の節約にも取
り組む。
同蓄電システムは、2014年度補正予算の「定置用リチウムイオン蓄電池導入支援事業費補
助金」を活用する。

太陽光パネルは三菱電機製、パワーコンディショナー(PCS)はTMEIC製を採用した。三友エレクトリッ
クでは、現在、太陽光の発電電力の全量を売電しているが、将来的に売電価格が低下した場合、蓄電池
に充電して自家消費することも視野に入れる。
TMEICは、これまでに1MWhのLiイオン蓄電池システムの販
売実績がり、今後は需要拡大を見込み、17年度までに100メガワット時まで拡大する予定。

 


 



生憎の霞空。澄み渡ると雄大な東近江平野が広がる絶景が一望できるのだが。

 

釈迦様が木の下で悟りを開いたのはこれとは別のインドボダイジュだそうです。花期は6月ごろ。



二観音像(如意輪観音半跏思惟像,聖観音座像)を参観できた。本道での撮影は禁止されているが、格子越しに
みることができる。千年の秋を超えこの世で一番美しいかわいい観音像。出涙を誘うほどに親しみのある美像だ。

尚、オープンで疾走するには、駐車待ちのバスや自家用車のアイドリングの排気が滞留していた。


  

 

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黄金の湖東三山・奥永源寺

2015年11月22日 | 滋賀のパワースポット

 

  

 

     もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の
        体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となって、いるだろ
        う。
だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。
                           
                        パリ在住の仏人映画ジャーナリスト
                              アントワーヌ・レリス
 

  11月20日 20時03分 

  ※ そしてこの文は、「 君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することにな
   る。君た
ちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望ん
     だ。だが君たち
の負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる・・・・・・」と綴られていく。




                                                                                                   The full translated post
 

 “Friday night, you took an exceptional life - the love of my life, the mother of my son - 
  
but you will not have my hatred. I don't know who you are and I don't want to know,
  you are dead souls. If this God, for whom you kill blindly, made us in his image, every
   bullet in the body of my wife would have been one more wound in his heart.

     So, no, I will not grant you the gift of my hatred. You're asking for it, but responding
     to hatred with anger is falling victim to the same ignorance that has made you what
     you are. You want me to be scared, to view my countrymen with mistrust, to sacrifice
     my liberty for my security. You lost.
 

    I saw her this morning. Finally, after nights and days of waiting. She was just as bea-
    utiful as when she left on Friday night, just as beautiful as when I fell hopelessly in
    love over 12 years ago. Of course I am devastated by this pain, I give you this little
     victory, but the pain will be short-lived. I know that she will be with us every day and
     that we will find ourselves again in this paradise of free love to which you have no
    access.

    
We are just two, my son and me, but we are stronger than all the armies in the world.
    I don't have any more time to devote to you, I have to join Melvil who is waking up
     from his nap. He is barely 17-months-old. He will eat his meals as usual, and then
    we are going to play as usual, and for his whole life this little boy will threaten you
    by being happy and free. Because no, you will not have his hatred either.”
 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』 

 ● 人物評価法

  魯君が墨子にいった。
 「わたしには息子が二人いる。ひとりは学問好きで、もうひとりは人にほどこしをするのが好きだ。
 太子にたてるには、どちらがふさわしいだろうか」
 「何とも申し上げかねます。利益や名誉を手に入れようとして、わざとそうする場合もあるからです。
  釣り人がじっとかしこまっているのは、魚を釣るためであって、魚に贈り物を与えるためではあり
 ません。まんじゅうを鼠に与えるのも、その毒で鼠を殺すためであって、鼠を愛するからではありま
 せん。太子をお決めになるさいには、二人がなぜそうするのかを見極めたうえで、お決め下さい」


    人物評価法 人を評価する場合、その人の具体的な行動を基準とするか、主観的な意志を基準
          とするか。メカニックな現代社会においては、前者のほうが、より合理的である
          とされている。しかし、人間は機械ではない。機械の機能とちがって、人間の機
          能は意志によってうみだされる。したがって、その意志までさかのぼってみなけ
          れば、本当の評価はできない。人の意志までさかのぼって評価すること、これが
          合理的な人物評価法だ。

 

【黄金の湖東三山・奥永源寺】

 
Four tour courses for visiting Shiga, cloaked in the multihued vesture of autumn 

今朝は、前日から 湖東三山の秘仏が公開されたのでそれを鑑賞することと、奥永源寺の道の駅の鮒寿司
ソフトクリームを試食するために、九時過ぎにでかける。(1)まず、天台宗は龍應山「西明寺」(西国
四十九薬師霊場 第差十二番札所、神仏霊場第136番)。シロアリ等で老朽化した総門を立て替え、平
成二十七年九月六日に落慶法要を執り行う(上下図クリック)。昨年四月四日から六月一日かけ秘仏本尊
の薬師瑠璃光如来が開帳されている(最下図クリック)。今年は暖秋の所為で、キサントフィル(黄色)
が残留したまま干上がり縮んだ状態で、本来のアントシアニン(赤色)の紅葉とならず――春の新緑のた
めの養分の蓄積ができなる―――枯れていく状態が目立っていたが、下山して不断桜を鑑賞することなく
次の本尊が聖観音、開基(創立者)行基の天台宗は松峰山「金剛輪寺」(近江西国三十三観音霊場第十五
番札所 神仏霊場第135番)へと向かう。

   西明寺の新しい総門

  びわこ 湖東三山 秘仏本尊ご開帳

ここでは紅葉は順調に進んでいるようで、本堂参道の両脇の無数の地蔵一体ごとに風車が添えられ不思議な空間
をつくりだしている。ここでは、秘仏本尊の聖観世音菩薩(生身の観音)ところで、今回は、本尊に奥の院に納められ
ていた大黒天半跏像― 高73センチメートル。本体と右手で握る金嚢や岩座も含め檜の一材からなる。金
剛輪寺本坊の明寿院護摩堂に安置。東寺の彩色は剥落しており、簡略で仕上げもやや荒く、全国的にも少
ない厳しい姿の大黒天像――が開帳されていたが、非常に親しみやすい仏像であると感心する。

 秘仏本尊の聖観世音菩薩(生身の観音)

    十一面観世音菩薩
 大黒天半跏像  

さて、金剛輪寺は山深く石段を登るので<下山寺の足元の狂い、つまり事故が怖いと言うことで彼女に歩幅
を小さく
しスキーのように重心を後ろに移しできる限り足にかかる反動吸収を行うように注意を促し外山し
、 次に本尊が十一
面観音(全高3・2メートル)で、開基が聖徳太子の天台宗は釈迦山 百済寺(近江三十
三観音霊場 第十六番札所
で神仏霊場 第141番)へ向かう。ここでは、二観音像(如意輪観音半跏思惟
像,聖観音座像)――美の極致:一生に一度は拝みたい仏像と呼ばれ国宝仏像群に迫る憧憬急上昇中の仏像―
―が公開されているが、永源寺に向かう。

如意輪観音半跏思惟像如意輪観音半跏思惟像,聖観音座像

永源寺は、臨済宗永源寺派、山号は瑞石山で紅葉のの美しさで知られ、開山忌が、毎年10月1日に行われ
る。1361年創建。開山は寂室元光(正灯国師)、開基は佐々木氏頼(六角氏頼)。中世戦乱期に兵火に
より衰微したが、江戸時代中期に中興の祖とされる一糸文守(仏頂国師)が住山し、後水尾天皇や東福門院
彦根藩の帰依を受けて、伽藍が再興された。18733年に明治政府の政策により東福寺派に属したが、18
80年に永源寺派として独立し、本尊は世継観世音菩薩。寺内には彦根藩主井伊直興公の墓所がある。ここ
も前を通り過ぎ、一路、奥永源寺の道の駅渓流の郷へ、鮒寿司のソフトクリームを道の駅内の食堂で商品券
を370円(税込み)。ミルクソフトクリームはコクがありおいしいが、これに鮒寿司シロップを振りかけ
るだけだが、酸味と塩味が加わり絶妙なこくをつくりだすから申し分ないが、ただし、コーンカップ底部に
たまったシロップを口にすると、魚の臭みと塩分だけになるので要注意。永源寺ダムはダム周辺道路の拡幅
工事がされていて、大型トラックがすれ違うことができず渋滞するのでしばらくは要注意だ。この周辺は木
地師の集落よ政所の落ちが有名だが、池田養魚場の岩魚は通販で中もしているのでかなり古くからなじみの
土地である。また、この日、元同僚の宮下勇御夫婦と偶然にお会いしたが元気そうで安心した。そんなこと
もあり、昼食は永源寺を素通りするだけで、甲良町の304号線沿いのローソンでパリパリの味付け海苔の
おにぎりを買い求め車の中でいただいたが美味しいかった。

● 「道の駅奥永源寺渓流の里」は秋まつり前夜!

 


 ● 鈴鹿10座を後背のお茶と岩魚と木地師の郷

 今日みられなかった、二観音像(如意輪観音半跏思惟像,聖観音座像)はこの連休時に再度立ち寄り参観することに
する。

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』32 

  僕の作品が本格的にアメリカに紹介され始めたのは、1980年代も終わりに近い頃で、「講
 談社インターナショナル」(KI)から英語版『羊をめぐる冒険』がハードカバーで翻訳出版さ
 れ、
雑誌「ニューヨーカー」に短編小説がいくつか採用・掲載されたのが始まりでした。当時、
 講談
社はマンハッタンの中心地にオフィスを持っていて、現地で編集者を採用し、かなり積極的
 に活
動をおこなっていました。アメリカでの出版事業に本格的に乗り出そうとしていたわけです。
 こ
の会社は後に「講談社アメリカ」(KA)となります。詳しい事情はよくわかりませんが、講
 談
社の小会社で現地法人ということになると思います。

  エルマー・ルークという中国系アメリカ人が編集の中心になり、ほかにも何人かの有能な現地
 スタッフ(広報や営業のスペシャリスト)がいました。社長は白井さんという方で、目本式なう
 るさいことはあまり言わず、アメリカ人スタッフにできるだけ自由に活動させてくれるタイプの
 人でした。だから社風もけっこうのびのびしていた。アメリカ人スタッフはずいぶん熱心に僕の
 うになったので、ニューョークに出かけたときにはブロードウェイにあるKAのオフィスに寄り
 彼らと親しく話をしたものです。目本の会社というより、雰囲気はアメリカの会社に近かった。
 全員が生粋のニューヨーカーで、いかにも元気が良くて有能で、一緒に仕事をしていて面白かっ
 た。その時代のあれこれは、僕にとって楽しい思い出になっています。僕もまだ四十歳になって
 間もない頃だったし、いろんな面白いことがありました。今でも彼らの何人かとは親交がありま
 す。



  アルフレッド・バーンバウムの新鮮な翻訳のおかげもあって、『羊をめぐる冒険』は予想以上 
 に評判が良く、ニューヨーク・タイムズ」も大きく取り上げてくれたし、ジョン・アップダイク
 は「ニューヨーカー」に長い好意的な論評を書いてくれたのですが、営業的には成功には程遠
 かったと思います。「講談社インターナショナル」という出版社自体がアメリカではまだ新参だ
 ったし、僕自身ももちろん無名だったし、そういう本は書店が良い場所に置いてくれません。今
 みたいに電子ブックとか、ネ″ト販売みたいなものもあればよかったのかもしれませんが、そん
 なのはまだ先の話です。だからある程度話題にはなったけれど、それがそのまま販売には直結し
 なかった。この『羊をめぐる冒険』は後にヴィンテージ(ランダムハウス)からペーパーバック
 版が出て、そちらは着実なロングセラーになっていますが。

  続いて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』を出し

 本の出版をバックアックしてくれました。僕も少しあとになって、ニュージャージー州に住むよ
 うになったので、ニューョークに出かけたときにはブロードウェイにあるKAのオフィスに寄り
 彼らと親しく話
をしたものです。目本の会社というより、雰囲気はアメリカの会社に近かった。
  全員が生粋のニューヨーカーで、いかにも元気が良くて有能で、一緒に仕事をしていて面白か
 った。その
 時代のあれこれは、僕にとって楽しい思い出になっています。僕もまだ四十歳にな
 って
間もない頃だったし、いろんな面白いことがありました。今でも彼らの何人かとは親交があ
 りま
す。

  John Hoyer Updike (March 18, 1932 – January 27, 2009)

  アルフレッド・バーンバウムの新鮮な翻訳のおかげもあって、『羊をめぐる冒険』は予想以上 
 に評判が良く、ニューヨーク・タイムズ」も大きく取り上げてくれたし、ジョン・アップダイ
 クは「ニューヨーカー」に長い好意的な論評を書いてくれたのですが、営業的には成功には程遠
 かったと思います。「講談社インターナショナル」という出版社自体がアメリカではまだ新参だ
 ったし、僕自身ももちろん無名だったし、そういう本は書店が良い場所に置いてくれません。今
 みたいに電子ブックとか、ネ″ト販売みたいなものもあればよかったのかもしれませんが、そん
 なのはまだ先の話です。だからある程度話題にはなったけれど、それがそのまま販売には直結し
 なかった。この『羊をめぐる冒険』は後にヴィンテージ(ランダムハウス)からペーパーバック
 版が出て、そちらは着実なロングセラーになっていますが。
 
  続いて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』を出し
 る余裕もありませんでした。とにかく知り合いのつてを頼って、いろんな人と面談し、「この人
 なら」と思う相手を選んだだけです。



  思うに、この三人が僕に興味を持った理由は三つあるみたいです。ひとつは僕がレイモンド・
 カーヴァーの翻訳者であり、彼の作品を日本に紹介した人間であったということです。この三人
 はそのままレイモンド・カーヴァーのエージェントであり、出版社代表であり、担当編集者でし
 た。これは決して偶然ではないと僕は思っています。亡きレイ・カーヴァーが導いてくれたとい
 うことなのかもしれません(そのときは彼が亡くなってまだ四、五年しか従っていませんでした)。

  二つ目は僕が『ノルウェイの森』を日本で二百万部(セット)近く売っていたことが、アメリ
 カでも話題になっていたことです。二百万部というのはアメリカでも、文芸作品としてぱなかな
 かない数字です。モのおかげで僕の名前もある程度業界的に知られており、『ノルウェイの森』
 がいねば挨拶の名刺がわりみたいになっていたわけです。

  三つ目は僕がアメリカで作品を徐々に発表し始め、それがそこそこ話題になっており、ニュー  
 カマーとしての「将来性」を買われたこと。とくに「ニューョーカー」誌が僕を高く評価してく
 れたことは、影響が大きかったと思います。ウィリアム・ショーンの後を継いで同誌の編集長を
 していた「伝説の編集者」ロバート・ゴ″トリーブがなぜか僕を個人的に気に入ってくれたよう
 で、彼自らが社内を隅々まで案内してくれたことも、僕にとって素敵な思い出になっています。

                                                「第11回 海外へ出て行くフロンティア」
                                         村上春樹 



                                                          この項つづく

今夜は、沢山の作業量と湖東三山・奥永源寺の彼女とのツアードライブで、ミッドナイト作業は目がかすみ、
三山いや散々、いやいや、サ・ン・ザ・ンとボ・ロ・ボ・ロ状態で終止符。

                                                              

   

 

 

  

 

 

 

 

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フランス革命と墨子思想

2015年11月21日 | 時事書評

 

 

  

 

        自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行う属人的な権利である。
             それは自然を原則とし、正義を規則とし、法を防壁とする。その倫理
                的な限界はこの格言にある通りである――己の欲せざる所は人に施す
            なかれ。

                               自由・平等・友愛(1793年)

 

                                                  

 

 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- / 『墨子』 

独善、思い上り、うわっつらだけの判断、目先の功利――君主や君子たちのこうした迷妄を、墨子はその
独特の比喩によって究明していく。

  ● よけいな干渉

  魯陽の文君が鄭国を攻めようとしていた。

  墨子は、思いとどまらせようとして、文君にいった。
 「もし魯陽の領内で、大貴族が小貴族を攻め、大氏族が小氏族を攻めて、人民を殺し、家畜、衣類、
 穀物などの財産を略奪する行為に出たとしたら、君主たるあなたは、どう処置なさいますか」
 「領内の人民は、すべてわたしの臣下だ。そういうことを仕出かす者があれば、わたしは、厳罰に処
  する」
 「そうでしょう。あなたが魯陽全休を領有しているように、天下はことごとく天の領有するところで
 す。もしあなたが軍隊を差し向けて鄭国を攻めるとすれば、天は怒って、あなたに罰を加えないでし
 ょうか」
 「先生はどうしてわたしが鄭を攻めるのをとめるのか。わたしは天の意志にしたがって鄭を攻めるの
 だ。鄭では二代にわたって君主が殺された。それを怒って、天は三年のあいだ凶作をもたらし、罰を
 加えたのだ。その鄭を攻めるのは、いわば天の罰を助けることだ」
 「あなたは、鄭で二代にわたって君主が殺され、それを怒って天が三年のあいだ不作をもたらし、罰
 を加えたとおっしゃる。そうだとすれば、天の罰はもう十分です。あなたまでが、
 『鄭を攻めるのは、天の意志にしたがったのだ』 
 といって軍隊を差しむけるのは、ちょうど、父親がドラ息子を鞭打っているのを見て、隣家の父親
 でが棒を手にし、

 「わたしは、おまえの父親の意志にしたがって打つのだ」
 というのと同じです。理不尽ではありませんか」


  魯陽文君將攻鄭,子墨子聞而止之,謂陽文君曰:「今使魯四境之內,大都攻其小都,大家伐其小
  家,殺其人民,取其牛馬狗豕布帛米粟貨財,則何若?」魯陽文君曰:「魯四境之內,皆寡人之臣
  也。今大都攻其小都,大家伐其小家,奪之貨財,則寡人必將厚罰之。」子墨子曰:「夫天之兼有
  天下也,亦猶君之有四境之內也。今舉兵將以攻鄭,天誅亓不至乎?」魯陽文君曰:「先生何止我
  攻鄭也?我攻鄭,順於天之志。鄭人三世殺其父,天加誅焉,使三年不全。我將助天誅也。」子墨
  子曰:「鄭人三世殺其父而天加誅焉,使三年不全。天誅足矣,今又舉兵將以攻鄭,曰『吾攻鄭也,
  順於天之志』。譬有人於此,其子強梁不材,故其父笞之,其鄰家之父舉木而擊之,曰:『吾擊之
  也,順於其父之志』,則豈不悖哉?」

  〈鄭では二代にわたって……〉『史記』鄭世家によれば、「哀公の八年に、鄭の人が哀公を殺して、
 声公の弟丑を立てた。これが共公である。……並ハ公の三十年に、共公が没し、子の幽公已が立った。
 幽公の元年、韓武子が鄭を伐ち、幽公を殺した。幽公の弟駘が立てられた。これが繻公である」とあ
 る。おそらく、この二つの事件を指しているのだろう。

※ 「魯に関する章が,魯君・魯陽文君の登場するものをはじめ12章にのぼることが了解される。また,
  公輸般は魯般とも呼ばれ魯の昭公の公子であるとの伝承もあり15),魯問篇全体
として魯地との深い
  関わりを有することが示唆される」(「墨子説話諸篇考 平林緑萌 2005.03.19)。 


Islamic State threatens attack on Washington, other countries Mon Nov 16, 2015


墨子の「兼愛」「非攻」、あるいは「貴義」を含めてもよいだろうが、フランス革命の自由・平等・博愛
(=友愛)と対置
し考えると「兼愛」には「自由・平等・博愛」が含まれ、「非攻」にも同様に3つの概
念が含まれている。ところが、フラ
ンスのそれは、「平等」でその概念の実態は異なるように思える。こ
こで思い出されるのが吉本隆明の思想で、
彼は生前、フランス革命のこの精神を啓蒙主義と国家主義の側
面から批判的であった。つまり、理想主義過ぎて危ういと。彼の「共同幻想論」をヒントに展開すると、
自由は個人幻想に、博愛は家族つまり対幻想の領域に、平等は個人×家族×共同体(国家あるいは社会)
の幻想領域に亘るものとして考えた時、半国家社会の中東アラブイスラム民族の準国家「イスラム国家」
を「反テロ国家戦」を宣言した旧宗主国のフランスが空爆、親欧州(巨大資本家)・イスラエル・アラブ
諸国に肩入れしイラク侵攻した米国が無人機などので空爆に加え、ソ連崩壊後ならず者国家に堕落した・
プーチンの
ロシの巡航ミサイル攻撃(あるいは戦車部隊投入準備中)などので、フランス革命の理想主
義は一時的?にしろかなぐり捨て準国家間戦争を回避できなかった時点で、墨子が「兼愛」「非攻」「貴
義」を掲げ徹底して反戦・非戦を貫いた行動(思想)と大きく異なる。「言うは易く行うは難し」されど、
「理想(貴義)なくして平和なし」
である。

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』31

  そしていただいたメールの十分の一くらいに返事を書きました。質問に答えたり、ちょっとし
 た相談に乗ったり、メッセージヘの感想を書いたり・・・ 軽いコメントから、わりにあらたまった
  長い回答まで、様々な種類のやりとりがありました。その期間(数か月に及ぶこともありました
  が)は他の仕事をほとんど入れないで、しゃかりきに返事を書いたのですが、受け取った人の多
  くには、僕本人が書いた返事だとは信じてもらえなかったようです。僕の代わりに誰かが返事を
  書いたのだろうと思われたんですね。芸能人のファンレターの返事にそういう代筆が使われる例
 が多いらしく、きっと同じようなことをしているのだろうと。僕はそのホームページで「返事は
 間違いなく僕自身が書いています」と断っておいたんですが、なかなか額面通りには受け取って
 もらえなかったみたいです。

  とくに若い女性が「村上さんから返事をもらった」と喜んでいたら、ボーイフレンドから「お
 まえ馬鹿だな。そんなの本人がいちいち書くわけないじゃないか。村上だって忙しいんだから。
 誰かが代わりに書いていて、表向き自分が書いていると言ってるだけだよ」みたいに水を差され
 る状況が多かったみたいです。よく知らなかったけど、世の中には疑り深い人がけっこう多いん
 ですね(それとも実際に騙そうとする人が多いのか)。でも本当に自分でせっせと返事を書きま
 した。僕はメールの返事みたいなものを書くスピードはかなり速い方だと思いますが、それでも
 量が多いので、かなり大変な作業になりました。しかしやっていて面白かったし、いろいろと学
 ぶことも多かったです。

  それで、そういう風に現実の読者と直接メッセージのやりとりをしていて、ひとつすとんと腑
 に落ちたことがありました。それは「この人たちは総体として、僕の作品を正しく受け止めてく
 れている」ということです。一人一人の個別の読者を見ていけば、そこにはときとして誤解もあ
 りますし、考えすぎのところもありますし、あるいは「それはちょっと思い違いじゃないか」と
 いうところもなくはありません(すみません)。僕の「熱烈な愛読者」を自称する人々だって、
 個々の作品を取り上げれば、賞賛もあれば批判もあります。共感もあれば反撥もあります。寄せ
 られた意見をひとつひとつ見ていくと、なにしろてんでばらばらみたいに見えます。でも何歩か
 後ろに下がって、少し離れたところから全体像を見渡すと、「この人たちは総体として、とても
 正しく深く僕を、あるいは僕の書く小説を理解してくれているんだな」という実感がありました。
 細かい個別の出し入れはありますが、そういうものをすべて差し引きして均してみると、最終的
 には落ち着くべきところにきちんと落ち着いているということです。
 
  「うーん、なるほど、そういうことなのか」と僕はそのとき思いました。尾根にかかっていた
 霧がさらりと晴れるみたいに。そういう認識を得ることができたのは、僕としてはちょっと得が
 たい体験だったと思います。インターネット体験、というか。あまりにも重労働なので、同じよ
 うなことはたぶんもうできないんじゃないかと思いますが。
  僕は前に「架空の読者」を念頭に置いて書いていると言いましたが、それはこの「総体として
 の読者」ということとおおよそ同義であると思います。総体というとイメージが大きくなりすぎ
 て、頭の中にうまく収まりきらないので、それを「架空の読者」という単体にとりあえず凝縮さ
 せているわけです。



  日本の書店に行きますと、男性作家と女性作家が別のコーナーに分かれていることがよくあり
 ます。外国の書店ではそういう区別ってあまりないみたいですね。どこかにはあるのかもしれま
 せんが、少なくとも僕はこれまで目にしたことかありません。で、どうして男女で分かれている
 んだろうと僕なりにいろいろと考えてみたんですが、あるいは女性の読者は女性作家の書いた本
 を読むことが多く、男性読者は男性作家の書いた本を読むことが多いので、「だったら便利なよ
 うに、初めから売り場をわけてしまおう」ということになったのかもしれません。考えてみると、
 僕も女性作家の本よりは、男性作家の本を読むことの方がいくぶん多いみたいです。でもそれは
 「男性作家の本だから読む」というのではなく、たまたま結果的にそうなっているだけであって、
 もちろん女性作家にも好きな人はたくさんいます。たとえば外国の作家で言うと、ジェイン・オ
 ースティンとかカーソン・マッカラーズなんて人好きですね。作品は全部読んでいます。アリス・
 マンローも好きだし、グレイス・ペイリーの作品は何冊か訳しています。だからそんなに簡単に
 男性作家と女性作家の売り場をぽんと分けてもらっては困るよなという気がするんですが(だっ
 てそんなことをしていたら、読まれる本の男女分離度がますます深まるだけですから)、僕が意
 見を言ってもなかなか社会は耳を傾けてくれません。



  さきほどもちょっと中しあげましたように、僕個人について言えば、僕の書く小説の読者は男
 女の比率がだいたい同じくらいのようです。本格的に統計を取って調査したわけではないのです
 が、これまでいろいろと実際の読者に会って話をしてきて、それからさっきも言ったようにメー
 ルのやりとりなんかもして、まあ、おおよそ男女半々というところだな」という実感があります。
 日本においてもそうだし、外国においてもそうみたいです。うまくバランスがとれています。ど
 うしてそうなるのかはよくわかりませんが、これは素直に喜ぶべきことであるような気がします。
 世界の人口はだいたい男女半々なんですし、本の読者が男女半々であるというのは、おそらく自
 然で健全なことなんじゃないでしょうか。



  若い女性の読者と話をしていて、「村上さんは(六十代の男性なのに)どうして若い女性の気
 持ちがそんなによくわかるんですか?」と質問されたりすることがあります(もちろんそうは思
 わない人もたくさんいらっしゃるでしょうが、これは読者の意見のひとつの例として、とりあえ
 ずあげているだけです。すみません)。僕は自分に若い女性の気持ちがわかっているなんて考え
 たこともありませんので(ほんとに)、そんなことを言われるとけっこうびっくりしちゃいます。
 そういうときには「たぶん物語を書きながら一生懸命、その登場人物になろうと努力しているの

 で、その人が何をどう感じたり考えたりしているのか、だんだん自然にわかってくるんじゃない
 でしょうか。あくまで小説的に、ということですが」と答えることにしています。

  つまり小説という設定の中でキャラクターを動かしているときには、ある程度そういうことが
 わかるんだけど、それは「現実の若い女性をよく理解している」というのとは少し違うことです
 ね。生身の人のこととなると、残念ながらと言うべきか、僕にもなかなかそううまくは理解でぎ 
 ません。でも実際の生身の若い女性たち――の少なくとも一部――が僕の(つまり六十代半ばの
 おっさんの)書いた小説を楽しんで、そこに出てくる人物に共感しながら読んでくれているとし
 たら、それは僕にとって何より嬉しいことです。そういうことが起こるというのは実のところ、
 ほとんど奇跡に近いことなんじゃないかと思ったりもします。



  もちろん世間には男性読者向けの本があり、女性読者向けの本があってもいいでしょう。そう
 いうものもやはり必要です。でも僕自身は、自分の書いた本が男女の区別なく同じように読者の
 心を喚起し、動かしてくれればいいなと思っています。そして恋人同士が、男女のグループが、
 あるいは夫婦が、親子が、僕の本について熱心に語り合ってくれたりしたら、それに勝る喜びは
 ありません。小説というものは、物語というものは、男女間や世代間の対立や、その他様々なス
 テレオタイプな対立を宥め、その切っ先を緩和する機能を有しているものだと、僕は常々考えて
 いるからです。それは言うまでもなく素晴らしい機能です。自分の書く小説がこの世界の中で、
 たとえ少しでもいいからそういうポジティブな役割を担ってくれることを、僕はひそかに願って
 いるのです。

 ひとことで言ってしまえば――あまりにベタすぎて口に出すのはちょっと恥ずかしいのですが
 ――僕はデビューして以来一貫して読者には恵まれていたなと、しみじみ感じています。繰り返

 すみたいですが、僕は批評的には、長年にわたってけっこう厳しい立場に置かれ続けてきました。
 僕の本を出す出版社内でも、僕の書いたものを支持してくれる編集者よりは、どちらかといえば
 批判的な立場を取る編集者の方が数が多かったみたいです。そんなこんなで、いつも何かしら厳
 しいことを言われたり、冷ややかな扱いを受けてきました。なんだかずっと(強くなったり弱く
 なったりという時期的変動はあるものの)向かい風を受けながら、一人ぼっちで黙々と仕事をし
 てきたような気がするくらいです。

  それでも僕がめげたり落ち込んだりせずに済んだのは(たまにいささか消耗することはありま

 したが)、僕の本に読者がしっかりついてくれていたからだと思います。それも、こんなことを
 自分の口で言うのもなんですが、かなりクオリティーの高い読者です。たとえば読み終えて「あ
 あ、面白かった」と本をそのままどこかに置いて忘れてしまうのではなく、「これはどうして面
 白かったんだろう?」とあらためて考えてくれるような読者が多かったみたいです。そしてその
 一部は――それも決して少なくない数の人々です―――同じ本をもう一度読み直してくれました。
 場合によっては何十年という長きにわたって何度も。人によっては気の合う友だちにその本を貸
 して読ませ、お互いの意見や感想を交換し合います。そうやっていろんな方法で立体的に物語を
 理解し、あるいは共感のありようを確かめようとします。僕はそういう話をたくさんの読者の口
 から聞きました。そしてそのたびに深い感謝の念を抱かないわけにはいきませんでした。そうい
 うのって、著者にとってはまさに理想的な読者のあり方だからです(僕自身、若いときにはそう
 いう本の読み方をしていました)。

  そしてまた僕が少なからず誇りに思うのは、この三十五年ほどのあいだ本を出すたびに、読者
 の数が着実に増え続けてきたことです。もちろん『ノルウェイの森』が圧倒的に売れたりしたこ
 とはありましたが、そういう「浮動層」を含んだ一時的な数の変動とは別に、僕の新しい本が出
 るのを待って、出たら買って読んでくれるという「基礎層」の数は継続的に、着々と積み上げら
 れてきたように見えます。数字的に見てもそうですが、手応えとしてもそれははっきりと触知で
 きます。その傾向は日本ばかりでなく、外国にも確実に広がっています。面白いことに、日本の
 読者も海外の読者も、今ではだいたい同じような読み方をしているみたいです。

  言い換えれば僕は、読者とのあいだに太いまっすぐなパイプを繋ぎ、それを通してじかにやり
 とりをするシステムを、時間をかけて築き上げてきたということになるのかもしれません。それ
 はメディアや文芸業界といった「仲介業者」を(それほど)必要とはしないシステムです。そこ
 でなによりも必要とされるのは言うまでもなく、著者と読者の間のナチュラルな、自然発生的な
 「信頼の感覚」です。多くの読者に「村上の出す本なら、いちおう買って読んでみようか。損に
 はなるまい」と思ってもらえるような信頼関係がなければ、いくら太い直通パイプを繋いだとこ
 ろで、そういうシステムの運営は長続きしません。


 
  昔、作家のジョン・アーヴィングに個人的に会って話をしたとき、彼は読者との繋がりについ
 て僕に面白いことを言いました。「あのね、作家にとっていちばん大事なのは、読者にメインラ
 インをヒットすることなんだ。言葉はちょっと悪いけどね」。メインラインをヒットするという
 のはアメリカの俗語で、静脈注射を打つ、要するに相手をアディクト(ドラッグの常用者)にし
 ちゃうことです。そういう切ろうにも切れないコネクションをこしらえてしまう。次の注射が待
 ちぎれない関係を作ってしまう。これは比喩としてはとてもよくわかるんだけど、イメージがか
 なり反社会的なので、僕は「直通パイプ」という、より穏やかな表現を使いますが、でもまあ、
 言わんとすることはおおむね同じです。著者と読者が個人的に直接取引をしている(「お兄さん、
 どないですか。ええもんありまっせ」)――そういう親密なフィジカル感が欠かせないものにな
 ろます。

  ときどき読者から面白い手紙をいただきます。「新しく出た村上さんの新刊を読んでがっかり
 しました。残念ながら私はこの本があまり好きではありません。しかし次の本は絶対に買います。
 がんばってください」、そういう文面です。正直に言いまして、こういう読者が僕は好きです。
 とてもありかたいと思います。そこには間違いなく「信頼の感覚」があるからです。そういう人
 たちのために僕は「次の本」をしっかり書かなくちゃなと思います。そしてその本が、彼の/彼
 女の気に入ってもらえることを心から願うのです。ただし「すべての人を喜ばすわけにはいかな
 い」ので、実際どうなるのかは僕にもわかりませんが。


                           「第十回 誰のために書くのか?」

                            村上春樹 『職業としての小説家』

 

 


【生パスタ海老のトマトクリームの試食記】

セブンイレブンの電子レンジ用冷凍たこ焼きは申し分ないのでランチ用に1回(多い場合2回)ペースで
食べるようになった。ただ、ソースは付属するお好み焼き用のソースと花鰹は好みで加えたりしているが
、マヨネーズ、生おろしニンニクとオリーブオイルをブレンドしたソースをつくりたっぷりとこのソース
をつけて頂くが、これに前のソースを混ぜと花鰹をふりかけるアレンジもあり、これは自慢のソースとな
っている。ここでの技術要件は、表面及び内部の食感が良好で、冷めたり再加熱したときにも食感を保っ
こと。たこ焼きやお好み焼きを製造するためのミックス――穀粉類100質量部に対して、乾燥パスタ粉
砕物0.1~40質量部を含有することなどのが提案されている(事例:「特開2013-220033  たこ焼き用
または
お好み焼き用ミックス」)。



※ JP 2014-12028 A5 2014.4.24


今回は、同社の「生パスタ 海老のトマトクリーム」(318円/袋税抜き)。5百キロワットで5分10
秒で、
お気に入りのパスタ皿に移し替えればできあがりだし、そのまま容器のふたを取るだけでも頂ける
が、味は申し分ないし海老やブロッコリーも問題がないが、何だろう?とろっとした食感は必要だが、そ
のなかでも、ぱりっとした感じが欲しいのだが物足りない。製造は、麺類を調理する→調理した麺類を蒸
気加熱処理→蒸気加熱処理した麺類を水洗せずに急速凍結させ→凍結させた麺類を密封包装の順で包装容
器入り調理済み麺類の製造する(事例:「特開2014-012028  冷凍調理済みパスタ類の製造方法」「特許5
409700 冷凍食品および冷凍食品の製造方法」) 。問題の1つは加熱し蒸す時に麺が動かないことにある
(推測)、2つめは、容器物の一部を隔離し内圧上昇によるリスクを避けている(推測)ことによる。圧
力を逃がす加工方法は、簡単にいうと表面を疎水層加工オブラートのよう様な円形パッチを貼り付けてお
き、所定圧力以上になれば破裂できよう過去するか、廉価な専用の電子レンジ用容器にパスタを移し替え
凹凸形成した底部に乗せ、前記したパッチを遠洋の排弁(パッチ)を上蓋に貼り付ける加熱する。容器下
部の容器素材は、(1)マイクロ波の反射機能素材と(2)断熱保温機能素材を持ったものを使用する(
詳細は付記せず)。これにより麺に(1)動きをつくるとともに、(2)加熱ムラをなくす――こうすれ
ば、「しゃきとろ感」が得られるだろう。勿論、現行の容器を改善することもでできるのでそちらの方が
1手間ですみ望ましい。パスタが踊れば美味くなる!と。

特許 5409700 B2 2014.2.5




 

    ● 今夜の一品

クワトロワン・カラットのダイヤモンドが ボツワナで見つかった。1905年に南アフリカで見つかった
3106カラットの「カリナン・ダイヤ」に次ぎ、史上2番目の大きさになるという。裏庭に井戸深掘りて
みようか? ひょっしたら翡翠かなんかでてくるかもしれない。

 

  

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最新量子ドット電子工学

2015年11月20日 | ネオコンバーテック

 

 

 

 

    生命は焔であって、存在ではない。生命はエネルギーであって、実体ではない

                       ウィルヘルム・ディルタイ 『体験と創作』


                                                                        
                                                          19 November 1833 – 1 October 1911


                  Life is a name, not an existence.  Life is an energy, not a substance.

                                                                                                             Wilhelm Dilthey

       
※ 自然科学に対し精神科学を方法論的に確立しようとして、いわゆる生の哲学を主張。ニ一チエに続
  くもの。また歴史的世界の構成に関する解釈学を樹立。
※「精神の生ける姿」などとディルタ
イか好んで言う、その「生の哲学」を端的に表現するもの。だか
  ら、要
素や法則がまずあってそこから精神現象を説明するのでなく、生そのものを対象として、そ
  の連関構造を記
述分析する心理学を基礎とする、という考えか生まれたわけ。ディルタイの思想は
  現代の思想に
直接間接、大きな影響を与えた。

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
  尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   非命 -宿命論に反対する- / 『墨子』 

 ●  人の禍福は運ではない


      《解説》 時代が大きく変わろうとするとき、"宿命論"は、うしろむきの姿勢をささえる支柱と
     なる。春秋時代から戦国時代にかけての大変動の中で、従来の身分差、血縁的な支配集団を維持
     しようとする側にとっては、「君主は君主、臣下は臣下として宿命づけられている」という、み
     ず
からを正当化する理論が必要であった。
     墨子が、こうした宿命論に反対したのは、かれの出身と大きな関係がある。優子は「の出
   身」ともいわれるが、要するに、手に汗しない貴族ではなく、直接生産に従う階層のチャンピオ
   ンだったのであろう。生産力が次第に高まるにつれ、かれらが合理化と発言権を主張するのは当
   然であった。

    墨子が「非儒編」で儒家の天命思想を痛罵し、「尚賢編」で縁故関係より人間の能力を重視ず

   ることを強調したのは、「非命編」と表裏をなしており、新しい時代を招来しようとする合理生
   辰の生渋であった。
   だが、反面、墨子は「鬼神」の存在を認めている(公孟編ほか)。このことから、墨子をうしろ
   むきの思想家とする見方もある。たしかに今日の時点でみれば「鬼神」は迷信にちがいないが、
   当時の民間信仰として考えるならば、そのなかに身をおいた墨子が、これを認めたことに不思議
   はない。かれは、この民間信仰と自説とを結合させ、神ー天の前に一切の人間は平等であり、王
   侯とと、強者と弱者との別はない、と説いたのだ。

    宿命の否定はここから出発する。
    人間の運命は階級や門閥で決まるのではない。天下の治乱は政治の善悪によって決定し、人の
   幸不幸は努力次第なのだ。貧乏だからみじめなのではない、貧乏から脱けだそうとしないからみ
   じめなのだ・・・・・・
    もし、人もしくは国の現在あるがままの姿が宿命だとしたら、誰もまじめにはたらき、国を変
   えるものはなくなるだろう。いまさら努力しても、はじまらないからである。
    しかし、「天」は、みずから扶くるものを、扶く。前むきの楽天主義が、墨子の兼愛、非攻の
   哲学をささえている。


  【魯問――迷妄を解く】 
 

 独善、思い上り、うわっつらだけの判断、目先の功利――君主や君子たちのこうした迷妄を、墨子は
その独特の比喩によって究明していく。

  ● 問題は凶刃か、それとも凶人か

  墨子は斉の大王に会っていっ仁。

 「ここに刀がひとふりあるとします。人の首を斬ってみたところ、一刀のもとに斬り落とせました。
 切れ
昧がいいといえましょうね」
 「その通りだ」
 「つぎに、何人もの首を斬ってみたところ、いずれも二刀のもとに斬り落とせました。斬れ味がい
 いといえましょうね」
 「もちろん」『
 「では、人を殺した報いを受けるのは刀でしょうか」
 「刀は斬れ昧が問題にされるだけだ。斬った者が報いを受けるに決まっている」
 「では、他国を併合したり、他国の軍隊を全滅させたり、他国の人民をむやみに殺したりすれば、
 その報いを受けるのはだれでしょうか」
  大王は、しばらく上を向いていたが、ついにこたえた。
 「このわたしが、報いを受けるのだ」
 

  〈斉の大王〉斉の宣公の宰相であった太公田和のこととされている(太公は、はじめて国をもっ
   た君主に与えられる称)。田氏は代々宰相の家柄であったが、巧みに国内の民心を得、君主か
   ら実権をうばって、ついにこの田租の代に斉をのっとり、諸侯の列に加わった。斉の簡公を殺
   した田常は、田租の二代前の人である。田宮は、簡公をいいくるめて、自分の気に入った者に
   爵位を与えさせた。人民に穀物を貸しつけるときには、余分に入る枡ではかってやった。こう
   して民心をつかんでおいてから、簡公を殺した。「君主が賞という柄を手ばなし、臣下に使わ
   せたためである」と韓非子は批評しているが、これをみてもわかるように、田氏の一族は、辣
   腕家がそろっていたようだ。

  

   


 

 【最新量子ドットエレクトロニクス】

近くでは、「プリンテッドエレクトロニクス工学」(2015.11.11)で、シリーズでも「ネオコンバー
テック」として掲載してきたが、最新量子エレクトロニクスの9月から今日までの特許検索で、ザ
ボード オブ トラスティーズ オブ ザ ユニヴァーシティー オブ イリノイ 研究グループから「特開2
015-201649: 印刷可能半導体素子を製造して組み立てるための方法及びデバイス」をみてビックリ。
プリンテッドあるいはプリンタブルな半導体製造方法が提出されているではないか。これは、数年前
から考えてきたアイデア――いずれ体系的まとめて知財申請しようと考えていたものほぼ網羅されて
いた。その技術提案の要約は次のようになる。


  印刷可能半導体素子150は高分子転写デバイス175又は複合高分子転写デバイスの接触面
 170とコンフォーマル接触され、印刷可能半導体素子が接触面上に接触される。コンフォーマ
 ブルな転写デバイスの接触面上に堆積された印刷可能半導体素子は、接触面と基板160の受け
 面との間でコンフォーマルな接触を成す態様で基板の受け面と接触される。接触面は基板の受け
 面と接触される印刷半導体素子から分離され受け面上に組み立てられる。印刷可能半導体素子
 150は高分子転写デバイス175又は複合高分子転写デバイスの接触面170とコンフォーマ
 ル接触され、印刷可能半導体素子が接触面上に接触される。コンフォーマブルな転写デバイスの
 接触面上に堆積された印刷可能半導体素子は、接触面と基板160の受け面との間でコンフォー
 マルな接触を成す態様で基板の受け面と接触される。接触面は基板の受け面と接触される印刷半
 導体素子から分離され受け面上に組み立てられる。

 

背景技術については次のように解説されている――94年に印刷法で高分子トランジスタのデモンス
トレ
ーショが世界で初めてなされて以来、プラスチック基板上にフレキシブル集積電子デバイスを備
える可能性に
満ちた新たなクラスの電子システムに注目があつめたが、最近、フレキシブルプラスチ
ック電子デバイスの導
体素子、誘電体素子、半導体素子用の溶解処理材料開発が盛んに行われている。
しかし、このようなエレクト
ロニクスの発達は、これだけでなく、デバイス部品の構成や、デバイス
とデバイス部品処理方法、あるいはプ
ラスチック基板に適用できる高分解能パターニング技術でも促
進されてきている。このような材料、デバイス
構成製造方法への期待は大きくなっている。

すなわち、この技術の利点は、(1)プラスチック基板材料の機械的な耐久性は、機械的な応力によ
り引き起こ
される損傷や電子的性能の低下を起こし難くい、(2)基板材料固有の柔軟性は、従来の
脆lいシリコン系電子
デバイス――例えば、湾曲可能なフレキシブルエレクトロニクスデバイスは従
来のシリコンではできない、電子ペーパー、装着型コンピュータ、大面積高分解能ディスプレイ等の
新たなデバイスの製造を可能。(3)溶解処理した部品材料とプラスチック基板とを組み合わせ、大
面積基板で、低コストな電子デバイスを連続高速印刷技術で作ることができる。その反面、(1)従
来のシリコン系電子デバイス――例えば、単結晶シリコンやゲルマニウム半導体等の従来の高品質な
無機半導体部品は、基板融解温度や分解温度が大幅に超える温度(>千℃)での成膜処理で、アモル
ファスシリコン、有機または無機有機混成の半導体は、プラスチック基板への組み込みに適合し、比
較的低温処理できるがものの電子的特性が悪い――例えば、相補的な単結晶シリコン系デバイスより
も大きさが約3オーダー小さい電界効果移動度で、これらの限界のため、フレキシブル電子デバイス
は、非放射ピクセルのアクティブマトリクスフラットパネルディスプレイのスイッチング素子や発光
ダイオードでのは限定した用途に限られている。現在、前述した理由により、プラスチック基板上に
集積電子半導体含有デバイス製造が求め得られている。このためには、良好な電気的特性を有する印
刷可能半導体素子が必要であり、また、大面積基盤で、複合集積電気回路の連続高速印刷が必要であ
る。最後に、多様な可撓性のある電子デバイスに、良好な電子的性能が得られるフレキシブルな電子
デバイスが必要である、と説明される。

 

※   Methods and devices for fabricating and assembling printable semiconductor elements  US 7622367 B1 
※ “Polarization Controlled Output of Electrohydrodynamic Jet Printed Quantum Dot Embedded Photonic Cry-
   stals for Display Applications,” See, G. G.; Xu, L.; Sutanto, E.; Alleyne A.; Nuzzo, R. G.; Cunningham, B. T.
     submitted.
※  “Quantum Dot Luminescent Concentrator Cavity Exhibiting 30-fold Concentration,” Bronstein, N. D.; Yao,
       Y.; Xu, L.; O’Brien, E.; Powers, A. S.; Ferry, V. E.; Alivisatos, A. P.; Nuzzo, R. G. submitted.
※  “Electrolytic Conditioning of a Magnesium Aluminum Chloride Complex for Reversible Magnesium Depos-
       ition,” Barile, C. J.; Miller, E. C.; Zavadil, K. R.; Nuzzo, R. G.; Gewirth, A. A. J. Phys. Chem. C. 2014, 11-
       8
, 27623–27630 DOI: 10.1021/jp506951b
※    “Black Silicon Solar Thin-Film Microcells Integrating Top Nanocone Structures for Broadband and Omnid-
       irectional Light-Trapping,” Xu, Z.; Yau, Y.; Brueckner, E.; Li, L.; Jiang, J.; Nuzzo, R. G.; Liu, G. L. Nanot-
       echnology
2014, 25, 305301/1-8 DOI: 10.1088/0957-4484/25/30/305301.


※  Printing-Based Assembly of Quadruple Junction, Four-Terminal Microscale Solar Cells and Their Use in Hi-
      gh-Efficiency Modules” Sheng, X.; Bower, C. A.; Bonafede, S.; Wilson, J. W.; Fisher, B.; Meitl, M.; Yuen,
      H.; Wang, S.; Shen, L.; Banks, A. R.; Corcoran, C. J.; Nuzzo, R. G.; Burroughs, S.; Rogers, J. A. Nature Ma-
      terials
2014, 13, 593-598 DOI: 10.1038/nmat3946.

※  “Printing-Based Assembly of Quadruple Junction, Four-Terminal Microscale Solar Cells and Their Use in 
      High-Efficiency Modules” Sheng, X.; Bower, C. A.; Bonafede, S.; Wilson, J. W.; Fisher, B.; Meitl, M.; Yue-
      n, H.; Wang, S.; Shen, L.; Banks, A. R.; Corcoran, C. J.; Nuzzo, R. G.; Burroughs, S.; Rogers, J. A. Nature
      Materials
2014, 13, 593-598 DOI: 10.1038/nmat3946.



次に注目したのは、トヨタ中央研究所の特許「特開2015-203007:ナノ粒子-GroEL蛋白質複合

体及びその製造方法」。そいて、その背景技術は――半導体をコアとしたエレクトロニクス、オプト
エレクトロニクス、メカトロニクス、医療など様々な分野において、ナノスケール材料の必要性が高
まっている。特に、半導体エレクトロニクス分野では、素子微細化で、高機能、高性能、低消費電力
化など実現。しかし、従来の微細加工技術(トップダウン手法)は技術的障壁やコストなどの経済的
障壁に阻まれ、ブレークスルー技術が停滞する一方、自己組織化ナノスケール材料利用するボトムア
ップ手法が、問題解決策として注目されている――と、このように説明され、次のような新規技術を
提案する。

 

以上のごよく、直径2nm以下の複数のナノ粒子で構成され、かつ、直径4~10nmの間の領域内
に前記複数のナノ粒子が離間した状態でリング状に配置されたリング状ナノ粒子構造体と、該リング
状ナノ粒子構造体を内包するGroEL変異体と、を有するナノ粒子-GroEL蛋白質複合体であ
って、前記リング状ナノ粒子構造体を構成する複数のナノ粒子が、前記GroEL変異体の複数のG
roELサブユニットに包囲された空間に内包されている、ことを特徴とするナノ粒子-GroEL
蛋白質複合体の提供されている。この2つの特許情報からイメージできうることは4接合以上の半導
体太陽電池の前実用変換効率が、40%を超える段階ににあり、加えてプリンテッドエレクトロニク
スによる多機能と廉価の解決が可能に段階にあることを意味してことを確認した。

 

 

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ざくざくと欠陥住宅

2015年11月19日 | EMF安全保障

 

 

      アホちゃいまんねんパーでんねん!!  /  明石屋さんま



                                                              教えて!goo

         
   ※ 「アホ」「バカ」「パー」という言葉は西日本と東日本では意味合いが異なる。 


【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
   尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   非命 -宿命論に反対する- / 『墨子』  

  天の前にすべての人間は平等である。貴族も庶民もない。身分差を認めないことは、宿命を認めな
 いことにつながる。墨子は、宿命論の上にアゲラをかく君主を痛罵し、"運が悪い"とあきら
める民衆
 を叱陀する。
 

  ● 天下を乱す邪説

  宿命論が、悪人のたどる道であるということは、どうしてわかるか。
  むかし、まだ野蛮であった頃、人民は、意地が汚なく、なまけてばかりいたために、衣食に不自由
 し、飢えと寒さに苦しんだ。そのくせかれらは、「なまけてばかりいて、まじめに働かなかったから
 だ」とは思わず、「貧乏するように運命づけられているのだ」と思いこんでいた。
  また、むかしの暴君は、欲望や邪念をおさえることができず、親を大切にせず、国を滅ぼす結果と
 なった。それでもかれらは、「なまけてばかりいて政務を怠ったからだ」とは思わず、「滅びるよう
 に
運命づけられているのだ」と思いこんでいた。

  「忠虺の誥」(ちゅうきのこう)には、こう書かれている。
  「夏王は天命といつわって、暴政を布いたため、天帝は怒って、民衆の支持を失わせた」
  これは、湯王が、桀王の宿命論を非難した言葉である。
  また「太誓」(『書経』の編名)には、こう述べられている。

 「紂王は、天帝・鬼神をまつらず、祖先の霊を汚し、『わたしの運命はとっくに決まっている。いま
 さ
ら努力してもはじまらない』とうそぶいた。そこで天帝も紂王を見限り、助けようとはしなかった」 
  これは武王が、紂王の宿命論を非難した言葉である。
  もし、宿命論の立場を採用すれば、君主は政治をかえりみようとせず、人民は働こうとしなくなる。
 そうなれば、社会秩序は乱れ、物資は乏しくなる。酒や穀物を供えて天帝・鬼神をまつることも、天
 下の賢人を自国にひきとめることも、諸侯の使者をもてなすことも、国内の貧民を救済することもで
 きなくなる。宿命論は、上は天帝・鬼神から、下は人民に至るまで、だれにも利益をもたらさない。
 それでも宿命論にしがみつくなら、ろくな結果にならないだろう。これは悪人のたどる道である。
  もし為政者が、心から富を望んで貧困をにくみ、秩序を求めて混乱をにくむならば、宿命論者の主 
 張を排除しなければならない。かれらは天下の大害なのだ。
 
  〈忠虺の誥〉 殷の湯王が左相の仲虺に命じて作らせた誥文(諸侯に対する布告文)である。いま
         の『書経』に伝えられているのは偽書といわれるが、この引用と同じ内容がある。

 

 

【ざくざくと欠陥住宅】  

 旭化成は11月13日、子会社の旭化成建材が過去10年以内に杭工事を手掛けた物件3040件の調
査結果を発表。同日までに確認できた2376件のうち、266件でデータ改ざんがあったことを明らか
にし、また、旭化成建材のプレボーリング拡大根固め杭工法ダイナウィング工法」が土丹層では大臣認
定を取得していないことを認めながら、土丹層を支持層とする横浜市内の分譲マンション「パークシティ
LaLa横浜」(以下、LaLa横浜)での採用が適切だったかは明言を避けた。旭化成建材事業本部商品開発部
の前嶋匡部長は、「杭工法は元請けの三井住友建設が選んだので、我々が説明する立場にない」と答える
にとどめた。また、土丹層を支持層とする敷地の建物で、同工法を採用した事例は1件しかない特殊例で
あることを認めている。

11日の記者会見で三井住友建設建築本部の相良毅副本部長が、LaLa横浜でダイナウィング工法を採用し
た理由を、「土丹層が支持層の地盤では大臣認定は取得していないので、国土交通省の告示にのっとって
載荷試験も実施。その結果などを受けて採用を決めた。他の工法とも比較・検討し、メリットとデメリット
を鑑みた結果だ」と説明している。さらに、13日の旭化成の発表では、調査が完了したのは2376件
改ざんが最も多かったのは工場・倉庫の66件。特に確認を急いだ医療・福祉施設は、全330件のう
ち、35件のデータが改ざんがあったが、杭未達で傾斜したとされているLaLa横浜以外では、沈下などの
不具合は見つかっていない。ヒアリングをした杭工事の担当者50人以上がデータ改ざんに関与。支持層
の位置を示す電流データの流用などが常態化していたという(ケンプラッツ 2015.11.17)。

また、旭化成建材が杭打ち工事のデータ改ざん発覚したが、ほかの杭打ち業者(ジャパンパイル株式会社
など)でもデータの流用が行われていたことが日本テレビの取材で明らとなった。それによると、過去5
年余りに請け負った杭工事を調べた結果、少なくとも18件でデータの流用が見つかった。18件のうち
16件は、施工時にプリンターの不具合などが生じたため、杭のデータが取得できず、故意に他の杭のデ
ータを流用した(日本テレビ 2015.11.13)。

さらに、17日注文住宅事業を手掛ける県民共済住宅(さいたま市)が、東京、埼玉、千葉、茨城、栃木
の1都4県で建築した木造2階建て住宅12棟で建築基準法の求める壁量が不足していることが分かった。
発覚したきっかけは今年10月18日、過去に建てた住宅の住民から「昨今のマンション問題があるので、
自分の家は大丈夫か調べてほしい」と頼まれたことだ。2000年に契約した住宅の住民。
同社が設計図書な
どを確認。1階のX方向とY方向、2階のX方向とY方向についての設計上必要な壁量(必要壁量)を計
算し直し、実際に設置している壁量(存在壁量)がそれを満たしているかをチェックしたところ、壁倍率
の筋かい換算で1本不足している箇所を見つけた。
これまで建築した全棟の約1割に該当する2823棟
を抜き出し、同じように検証した。その結果、壁倍率2の筋かい換算で1~6本不足している箇所のある
住宅を、さらに11棟発見した(今月5日時点)。存在壁量が必要壁量の6割未満の住宅もあった(日経
ホームビルダー 2015.11.17)。



ダムやトトンネル以外の建築土木や設備導入廃棄工事現場を監督や見学などで結構みてきたので、手抜き
などの手口はほぼ想像できるが、耐震構造への変更工事や基礎工事などは経験がないのでわからないし、
工事図面や試験データなどのドキュメントと工事現場写真での確認でしか実態把握できない。もしくは、
頻繁に工事現場に足を運び注意深く観察するしか手がない。それこそ、墨子の説く「宿命論」を乗り越え
る道は厳しそうだ。 

※ 杭基礎工法とは、堅固な地盤まで杭を打ち込み、地震による倒壊を防ぐ強固な構造躯体を実現する工
  法。<ブルームタワー>では、深さ4.7~5.9メートルまで基礎梁を設けて、そこから約16メー
  トル16深い支持層(土丹層)まで計59本の杭(拡底部直径約4メートル・軸径約2.3メートル、
  国内最大級の太さ)を打ち込んで安全性を高める。
※ 土丹層に支持された鋼管杭の軸方向抵抗力の検討 港湾空港技術研究所 報告 050-04-02 2011.12
    (
vol050-no04-02.pdf(PDF/5.1MB)
※ 土丹の力学的性質と地層処分場建設の可能性に関する研究環境システムコース・地下空間環境学 2001.
    02.08

 

   The El Niño of 2015-2016

【エルニーニョ現象、年末までに過去最大規模に】

世界気象機関(WMO)は16日、異常気象をもたらすとされるエルニーニョ現象が年末までに強まり、
過去最大規模になるとの見通しを示した。
既に強力でかつ成長した段階にあり、15年強ぶりの強さに発
達している。
WMOのミシェル・ジャロ事務局長は、世界的にエルニーニョに対する備えは以前より整っ
ており、過去に大きな被害を受けた国は農業、漁業、利水、健康などの面で準備を進めていると述べた。
ただ、気候変動や温暖化で地球の環境は大きく変化し、エルニーニョ現象も過去にはあり得ない規模にな
ると警戒を促す(ロイター 2015.11.17)。

 

● 二酸化炭酸ガス濃度 16年に危険水域に迫る400ppm 超え

環境省などは16日、温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」による二酸化炭素濃度測定の結果、今年7月
までの2
年程度の年平均濃度が398.2ppmに達したと発表。これまで地表面の濃度が公表されてきたが
衛星を使い、
地表から上空約70キロまでの大気全体の濃度が明らかになったのは初めて。年平均2ppm
ずつ上昇しているこ
とも分かり、16年6月ごろには危険水域に迫る400ppmを超える見込み。いぶき
は、09年1月に打ち上げら
れ、地表面で反射した太陽光を使って二酸化炭素などの濃度を観測する。地
球全体の約1万3000地点のデータを収集・
解析。環境省の担当者は「世界の気温上昇を産業革命前に
比べ、2度未満に抑えるためには、450ppm以下にする必要があるとされる。400という大台に来年
にも乗ってしまうという危機感を共有してほしい」と話している。
(毎日新聞デジタル 2015.11.16)。

 

  ● 今夜の勘違い

"じゃばら"って何? 和歌山の北山村のユズやダイダイ、カボスの仲間となる柑橘系果実の名前だとは、
今日の今日まで知らなかった。昨夜も、柚子風呂に入ったが、テレビでみるとそれより大きいからカボス
かなと考えたが違っていた。そして、"
じゃばら"を「蛇腹」と理解し、ベルト搬送装置をそう呼んでいる
のかと考えた。それもそのはず。この果実、そもそも日本で自生していたのが北山村だけのもの。一本の
原木からスタートしたじゃばら栽培は、今や村の産業を支える特産品。「花粉症に効くので愛用している
という方が急増し、多くのマスコミに乗りブームとなる。いまは、9ヘクタールのじゃばら農園を約15
人の農家で管理する一大産業にまで発展しているという。育種とはこんなもので、江戸時代に発見された
「次郎柿」と同じもので奇跡に近い。「邪(気)をはらう」→「じゃばら」という住民の知恵のネーミン
グだったのだ。これでまた今夜もひとつ賢くなった気分?いや失敗から学ぶ、無知に気づくこととなった。
 

  ● 今夜の一品

 コーヒ愛好家にはたまらない、携帯できるアイスドリップあるいは水出しブリュアとしてコーヒーをつ
くり専用の飲み口が付いた
タンブラーとしていただけるダッチコーヒメーカ。伝統的なダッチコーヒメー
カと比べ、4分の1の長さのコンパクトに収まる。

 

 

 

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最新量子ドットセンサ工学

2015年11月18日 | デジタル革命渦論

 

 

    人間は、一般に、しかし中でも狂人は特別、自分のことを話すのか好きで、
      このテーマだと雄弁にさえなるものだ。

                      チェザーレ・ロンブローゾ 『天才論』

 

                                                               


                Men in generaru , but more particulariy the insane, love to speak of
                the mselves, and on this theme they even become eloquent.

                                                                                      Cesare Lombroso;  Ginius

                                               

            ※ in general 「概して」、particularly 「特に」で、二つは対立。
         on this theme 「このテーマで」とは、もちろん、自分のこと。
         eloquent 「雄弁な」



 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
   尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

    非命 -宿命論に反対する- / 『墨子』 

●  人の禍福は運ではない

  古代の聖王は、法典の発布、禁令の施行によって、賞罰の規準を定め、賢人を登用し、悪人を追放
 した。だからこそ、人々は、家では親を大切にし、外では長幼の序を守り、節度ある行動をし、男女
 の関係をただすようになった。役人に登用されても汚職せず、城を守らせても謀叛を起こさない。君
 主が危険におちいれば生命を捨てて守り、君主が亡命するときには、行動をともにする。こういう人
 こそ、君主にほめられ人民にたたえられるのだ。
  ところが、宿命論者は、こういう。
 「君主にほめられるのは、もともと運がいいからであって、その人が賢人であるからではない」
  そして、家では親を粗末にあつかい、外では長幼の序を無視し、礼儀をわきまえず、男女関係にだ
 らしがない。役人に登用されると汚職をやり、城を守らせると謀叛をおこし、君主が危険にさらされ
 ても知らぬ顔で、君主が亡命しても行動をともにしない。
  こういう手合こそ、君主に罰せられ、人民に非難されるのだ。ところが宿命論者は、なおもいう。
 「君主に罰せられるのは、もともと運がわるいからであって、その人が兇悪であるからではない」
  これを信ずれば、どうなるか。君主となれば不義、臣下となれば不忠、父となれば不慈、子となれ
 ば不孝、兄となれば不兄、弟となれば不悌である。それでも宿命論にしがみつくなら、ろくな結果に
 ならないだろう。これは悪人のたどる道である。

     

● 折々の読書 『職業としての小説家』30   

  でも読者を念頭に置くといっても、それはたとえば企業が商品開発をするときのように、市場
 を調査して消費者層を分析し、ターゲットを具体的に想定するというようなことではありません。
 僕が頭の中に思い浮かべるのは、あくまで「架空の読者」です。その人は年齢も職業も性別も持
 っていません。もちろん実際には持っているのでしょうが、それらは交換可能なものです。要す
 るにそういうのはとくに重要な要素ではないということです。重要なのは、交換不可能であるべ
 きは、僕とその人が繋がっているという事実です。どこでどんな具合に繋がっているのか、細か
 いことまではわかりません。でもずっと下の方の、暗いところで僕の根っことその人の根っこが
 繋がっているという感触があります。それはあまりに深くて暗いところなので、ちょっとそこま
 で様子を見に行くということもできません。でも物語というシステムを通して、僕らはそれが繋
 がっていると感じ取ることができます。養分が行き来している実感があります。

  でも僕とその人とは、裏通りを歩いていてすれ違っても、電車のシートで隣り合わせに座って
 も、スーパーマーケットのレジで前後ろになっても、お互いの根っこが繋がっていることには(
 ほとんどの場合)気づきません。僕らは見知らぬもの同士としてただすれ違い、何も知らずに別
 れていくだけです。おそらく二度と会うこともないでしょう。でも実際には我々は地中で、日常
 生活という硬い表層を突き技けたところで、「小説的に」繋がっています。僕らは共通の物語を
 心の深いところに持っています。僕が想定するのは、たぶんそういう読者です。僕はそういう読
 者に少しでも楽しんで読んでもらいたい、何かを感じてもらいたいと希望しながら、日々小説を
 書いています。

  それに比べると、日常的にまわりにいる現実の人々はけっこう面倒です。僕が本を新しく書く
 たびに、それを気に入ったり、あまり気に入らなかったりする人がいます。はっきり意見や感想
 を言わなくても、そのへんは顔を見ていればだいたいわかります。これは当然のことですね。人
 にはそれぞれ好みというものがありますから。いくら僕ががんばっても、リック・ネルソンが歌
 っているように、「全員を楽しませることはできない」わけです。そしてまわりの人々のそうい
 う個別的な反応をじかに目にするのは、書き手としてはけっこうしんどいものです。そういうと
 きには、「やっぱり自分で楽しむしかないだろう」とシンプルに開き直ることにしています。そ
 ういう二の姿勢を、僕としては場合によって都合良く使い分けているわけです。それは僕が長
 年にわたる作家生活の中で身につけた技です。あるいは生きるための知恵のようなものです。

  僕が嬉しく感じることのひとつは、僕の書く小説がいろんな年代の人に読まれているらしいと
 いうことです。「我が家では三世代にわたって村上さんの本を読んでいます」というような手紙
 をしばしばいただきます。おばあさんが読んで(彼女は僕のかつての「若い読者」であったかも
 しれません)、お母さんが読んで、息子が読んで、その妹が読んで……みたいなことがどうやら
 あちこちで起こっているみたいです。そういう話を聞くと、僕としてはすごく明るい気持ちにな
 ります。一冊の本がひとつの屋根の下で何人もに回し読みされるというのは、その本が活かされ
 ているということです。もちろん五人が一冊ずつ本を買ってくれた方が売り上げが伸びて、出版
 社としてはありかたいのでしょうが、著者としては一冊の本を五人で大事に読んでもらった方が
 正直言ってずっと嬉しいのです。

  そうかと思うと、かつての同級生から電話がかかってきて、「うちの高校生の息子がおまえの
 本を全部読んでいてさ、よく息子とその本について話をするんだ。普段は親子でほとんど話なん
 てしないんだけど、おまえの本のことになると、けっこうよくしやべるんだよ」みたいなことを
 言われた経験もあります。声の調子がなんとなく嬉しそうです。そうか、僕の本もちょっとは世
 の中の役に立っているんだなと思います。少なくとも親子間のコミュニケーションの劫けになっ
 ているわけで、これはなかなか馬鹿にならない功績ではないかと思います。僕には子供がいませ
 んが、他の人の子供たちが僕の書くものを喜んで読んでくれるとしたら、そしてそこに共感のよ
 うなものが生まれるとしたら、僕もささやかではあるけれど、次の世代に何かしらを残せたこと
 になるわけですから。

  ただ現実的なことを言えば、僕が読者のみなさんと個人的に直接関わることはほとんどないと
 いっていいと思います。僕は公共の場所にはまず出ませんし、メディアに顔を出すことも稀です。
 テレビやラジオに自分から出演したことは一度もありません(心ならずも勝手に映されたことは
 何度かありますが)。サイン会もまずやりません。どうしてかとよく訊かれるのですが、結局の
 ところ僕は職業的文筆家であり、僕がいちばんうまくできることは小説を書くことであり、僕と
 してはできるだけそれに全力を注ぎたいと思っているからです。人生は短いし、手持ちの時間も
 エネルギーも限られています。あまり本業以外のことに時間を取られたくないのです。ただ外国
 で講演をしたり、朗読をしたり、サイン会を開いたりすることは年に一回くらいあります。これ
 は日本人の作家として、ひとつの責務として、ある程度やらなくてはならないことだと思ってい
 るからです。そのへんのことについてはまた別の機会にあらためて話したいと思いますが。

  ただこれまでに、インターネットでホームページを開いたことが何度かあります。いずれのと
 きも数週間の期間限定の運営だったのですが、とても数多くのメールをいただきました。そして
 僕は原則として、いただいたメールのすべてに目を通しました。あまりに長いものは斜め読みせ
 ざるを得ませんでしたが、とにかく送られてきたものは残らず読みました。


                           「第十回 誰のために書くのか?」
                            村上春樹 『職業としての小説家』




村上春樹の小説とアサヒドライビールの中瓶と伊藤ハムのピザの「三種の神器」がそろった休日の午後
は、わたしとって"黄金の時代(ひととき)"だったが、いまでは伊藤ハムの粗挽きウインナは彼女のお
気に入りの一品として我が家に根付いている?^^;。


                                                                          この項つづく



   球状の量子ドットと球座標

【最新量子ドットセンサ工学】

でないと言い切るところが、「帯に短し、襷に長し」といった見識しか披露できない日本の政府、官
国のI nVisage Technologies が、量子ドットフィルムを用いたイメージセンサ「Quantum同社は、これまで
9年間にわたり、1億米ドルを超えるベンチャー投資資金を調達して開発に取り組んできた。
最初のターゲット
には、スマートフォン市場に狙いを定めるという。ただし同社は、「Quantum13」は、CMOSイメージ
センサーに対して、全てとはいえないにしてもほとんどの仕様において勝っていると主張する。
InVis-
age Technologies
は、06年の設立以来、シリコンに代わる感光性材料の開発に取り組んできた。同社は
15年11月11日(中国時間)、中国 北京において、シリコンの代わりに量子ドット材料を使用して
光検出を行う電子イメージセンサを発表。同社は「世界初」としている。
同社は「Quantum13」」は、シリ
コン(Si)のイメージセンサの性能に勝る」と強調。現在、Quantum13のサンプル出荷を開始。15

第4四半期には、複数の顧客企業に向けて量産を開始する予定だ」と述べている。

量子ドット材料は、II-VI族の金属カルコゲナイドを用いた広帯域光吸収体だ。光学的に透明なキャリア
料の中で結合させた材料のナノスケール微粒子を用いて、量子を閉じ込めると、極めて効率の高いフォ
トダイオードが出来上がる。これにより、既存のシリコンフォトダイオードのアクティブエリアよりも
薄い薄膜を実現することができる。シリコンフォトダイオードに必要な厚みが2μm~3μmであるのに
対し、量子フィルムはわずか0.5μm程度で済む。
13Mピクセル×1.1μmピクセルピッチのQuantum13
センサーは、8.5mm×8.5mmのモジュールにぴったりフィットする。また、シリコンと比べて光吸収
速度が8倍になるため、グローバルシャッター電子シャッター)に使うことが可能。さらに、0.5μm
の薄膜を使用することで、光の入射角が大きくなり、厚さ4mmのカメラモジュールを実現することがで
きる。カメラモジュールの薄型化が実現すれば、スマートフォンのさらなる薄型化も可能になる。
InVi-
sage Technologies  
は、今回のイメージセンサーの想定価格を明らかにはしていない。量産規模や、パー
トナー企業との提携の内容に依存する。

※ 関連特許:「利得感度強化した量子ドット光学センサとその製造方法USUS9054246

 
【要約】

実施形態は、光学、光電子デバイスおよびその製造方法に関するものである。光学素子は、導電性領域
のアレイを有する集積回路を含み、集積回路の少なくとも一部の上に導電性領域のアレイの少なくとも
1つの導電領域と光学的センサ物質とを電気接続される。また別の態様の薄膜では、融合ナノ結晶のネ
ットワークを含む、融合ナノ結晶の少なくとも一部分のコアもすくなくとも1つコアと直接物理的に接
触し、電気接続され、このコアと外側表面を有するナノ結晶隣接融合ナノ結晶である。薄膜は、ナノ結
晶のコアが融合した領域に実質的に欠陥状態がない特徴ともつ付加装置および方法を記載している。


US9054246 Quantum dot optical devices with enhanced gain and sensitivity and methods of making same



● 特開2015-128105 半導体ナノ粒子分散体、光電変換素子および撮像装置 
                                                                 ソニー株式会社

 

特開2015-128105 半導体ナノ粒子分散体、光電変換素子および撮像装置

【符号の説明】

10,10A~10E…光電変換素子、11…半導体基板、12,24,25…絶縁層、20R…赤色光電変換部、20G…
緑色光電変換部、20B…青色光電変換部、21R,21G,21B…第1電極、22R,22G,22B…ナノ粒子層、
23R,23G,23B…第2電極、26…結晶シリコン層、27…有機半導体層、31…保護層、32…平坦化層、33…
オンチップレンズ、110…シリコン層、110R…赤色蓄電層、110G…緑色蓄電層、110B…青色蓄電層。

【図9】図1に示した光電変換素子の第2の変形例(変形例2)を表す断面図である。
【図10】本開示の第2の実施の形態の光電変換素子の要部構成を表す断面図である。
【図11】撮像装置の機能ブロック図である。
【図12】適用例に係る電子機器の機能ブロック図である。

【要約】

この光電変換素子は、エキシトンボーア半径以上の半径を有する複数の半導体ナノ粒子を含有する光電
変換
層と、その光電変換層を挟んで対向する一対の電極とを有する。優れた分光特性を有する光電変換
素子を提
供する。

【背景技術】

従来、CCD(Charge Coupled Device)イメージセンサやCMOS(Complementary Metal Oxide Semi-
conductor
)イメージセンサなどの固体撮像素子として、カラーフィルタで色分離を行う単板式のカラー
固体撮像素子が知られている。この単板式のカラー固体撮像素子は、画素ごとに複数色(例えばR,G,
B)のうちのいずれか1色のカラーフィルタを設け、例えば共通に光電変換層を設けたものである。こ
のため、各画素はいずれか1色の光のみを受光するようになっている。したがって、光の利用効率が低
く、色像の解像度も低い。また、R,G,Bの各色光を面内における異なる位置で検出するので偽色が
生じやすいので、光学的ローパスフィルタが必要となる。さらに、このローパスフィルタによる光損失
も生じてしまう


これに対し、1つの画素内に各々異なる色(例えばR,G,B)を吸収する複数の光電変換層を積層し、
1画素から3色の信号を得るものが提案されている。事例1※の固体撮像素子では、絶縁膜で覆った半
導体ナノ粒子により各光電変換層を形成し、半導体ナノ粒子の量子閉じ込め効果を利用したバンドギャ
ップ制御を行なっている。このような積層型の固体撮像素子であれば、高色分離性能、高量子効率、お
よび高感度が得られる。(中略) 事例2※の実施形態としての光電変換素子および撮像装置によれば、
量子閉じ込め効果が発生しない光電変換層を有するようにした。このため、光電変換層に含まれる半導
体ナノ粒子の粒径のばらつきに伴う、光吸収特性のばらつきを回避することができる。よって、優れた
分光特性を発揮し、高い色再現性が期待できる。また、この実施形態としての半導体ナノ粒子分散体よ
れば、前述の光電変換層の形成に好適に用いることができるが、この開示の効果はこれに限定されるも
のではなく、以下に記載のいずれの効果であってもよい。

※ 特開2006-245285号公報
※ 特開2010-177392号公報
※ 【特許文献3】特開平10-160574号公報

上記の特許文献1~3では、半導体ナノ粒子の量子閉じ込め効果を利用した色分離を行うにあたり、半
導体ナ
ノ粒子の粒子径の大小を利用して所望の波長域の光を取り出すが、粒子径のばらつきを低減する
ことは容易で
ないく、各光電変換層における吸収特性にも一定のばらつきが生じ所望の分光特性が得ら
れないリスクがある。このため、実施形態の半導体ナノ粒子分散体は、以上の半径をもつ複数の半導体
ナノ粒子と、それら複数の半導体ナノ粒子が分散された溶媒とを含むもの。

この実施形態の半導体ナノ粒子分散体では、溶媒に分散された複数の半導体ナノ粒子を含むもので、例
えば塗布法などによる均質な半導体ナノ粒子層の形成に好適である。この半導体ナノ粒子層は、例えば
光電変換層として利用できる。ここで、複数の半導体ナノ粒子はエキシトンボーア半径以上の半径を有
するので、量子閉じ込め効果は発生しない。実施形態としての光電変換素子は、エキシトンボーア半径
以上の半径を有する複数の半導体ナノ粒子を含有する光電変換層と、この光電変換層を挟んで対向する
一対の電極とを有するものである。また、実施形態としての撮像装置は、上記光電変換素子を画素とし
て複数備えたもの。

実施形態としての光電変換素子および撮像装置では、光電変換層を構成する複数の半導体ナノ粒子がエ
キシトンボーア半径以上の半径を有するので、量子閉じ込め効果は発生しない。よって、半導体ナノ粒
子を構成する半導体固有のバンドギャップが得られる。よって、半導体ナノ粒子がエキシトンボーア半
径未満である場合に発生する、量子閉じ込め効果による吸収端波長のばらつきが回避される。



代表的な半導体ナノ粒子のエキシトンボーア半径[nm]を表1に示す。ここで、表1のエキシトンボー
ア半径は、電子の有効質量、正孔の有効質量、比誘電率から算出した(参考文献 : 御子柴宣夫 "半導体
の物理")。なお、表1における出典1は「比誘電率(ε), Sermage, B., Voss, M. : Phys. Rev. B 15
(1977) 3935」である。出典2は「電子の有効質量, Sondergled, M. : Phys. Status. Solidi (b) 81
(1977) 253」である。出典3は「ホールの有効質量,Berlincourt, D., Jaffe, H., Shiozawa, L.R. :
Phys. Rev. 129 (1963) 1009」である。出典4は「"Lead Salt Quantum Dots: the Limit of Strong
Quantum Confinement" Acc. Chem. Res. 2000, 33, 773-780」である。出典5は「Sze, S. M. : SEMCON-
DUCTOR PHYSICS(2nd edition)」である。出典6は「半導体材料の欠陥評価技術,監修 生駒俊明、長谷
川文夫」である。出典7は「比誘電率(ε), Berlincourt, D., Jaffe, H., Shiozawa, L.R. : Phys.
Rev. 129 (1963) 1009」である。出典8は「電子の有効質量,Smith, F. T. J.: J. Appl. Phys. 45 (
1974) 567」である。出典9は「ホールの有効質量, Aven, M., Segall, B.: Phys. Rev. 131 (1963)
98」である。また、表1には、エキシトンボーア半径以上の半径を有する半導体ナノ粒子を含有するナ
ノ粒子層におけるエネルギーギャップEg[eV]と、吸収端波長λ[nm]とを併せて示す。半導体ナノ
粒子として、各々所定の-吸収端波長λが得られる物質を適宜選択して用いる。


【特許請求範囲】

1) エキシトンボーア半径以上の半径を有する複数の半導体ナノ粒子と複数の半導体ナノ粒子が分散
 された溶媒と を含む半導体ナノ粒子分散体。
2)半導体ナノ粒子は、2元混晶からなる1)の半導体ナノ粒子分散体。
3)複数の半導体ナノ粒子として、第1の半径を有する第1の粒子と第2の半径を有する第2の粒子と
 を含む 請求項1)の半導体ナノ粒子分散体。
4)半導体ナノ粒子は、ZnSe(セレン化亜鉛化合物)からなり、ZnSeのエキシトンボーア半径
 である3.9nm以上の半径を有する1)記載の半導体ナノ粒子分散体。
5)半導体ナノ粒子は、n型ドーパントとして不純物元素Ga,Clが1017~1019cm-3の範囲で
 ドーピングされたものである4)の半導体ナノ粒子分散体。
6)半導体ナノ粒子は、p型ドーパントとして不純物元素N、O、Liが1017~1019cm-3の範囲
 でドーピングされたものである。4)記載の半導体ナノ粒子分散体。
7)半導体ナノ粒子は、ZnTe(テルル化亜鉛化合物)からなり、ZnTeのエキシトンボーア半径
 である5.4nm以上の半径を有する  請求項1記載の半導体ナノ粒子分散体。
8)半導体ナノ粒子は、n型ドーパントとして不純物元素Ga,Clが1017~1019cm-3の範囲で
 ドーピングされたものである。7)の半導体ナノ粒子分散体。
9)半導体ナノ粒子は、p型ドーパントとして不純物元素N、O、Liが1017~1019cm-3の範囲で
 ドーピングされたものである。7)記載の半導体ナノ粒子分散体。
10)エキシトンボーア半径以上の半径を有する複数の半導体ナノ粒子を含有する光電変換層と、前記光
 電変換層を挟んで対向する一対の電極と を有する光電変換素子。
11)半導体ナノ粒子の半径は、前記光電変換層における吸収ピーク波長の20分の1以下である  請求
 項10記
載の光電変換素子。
12)半導体ナノ粒子は、2元混晶からなる  請求項10記載の光電変換素子。
13)複数の半導体ナノ粒子として、第1の半径を有する第1の粒子と第2の半径を有する第2の粒子とを
 含む請
求求項10)記載の光電変換素子。
14)半導体ナノ粒子は、ZnSe(セレン化亜鉛化合物)からなり、ZnSeのエキシトンボーア半径で
 ある3.9nm以
上の半径を有する  請求項10記載の光電変換素子。
15)半導体ナノ粒子は、n型ドーパントとして不純物元素Ga,Clが1017~1019cm-3の範囲でドー
 ピングされたものである請求項14)記載の光電変換素子。

16)半導体ナノ粒子は、p型ドーパントとして不純物元素N、O、Liが1017~1019cm-3の範囲で
 ドーピングされたものである 請求項14記載の光電変換素子。
17)半導体ナノ粒子は、ZnTe(テルル化亜鉛化合物)からなり、ZnTeのエキシトンボーア半径
  である5.4nm以上の半径を有する  請求項10)記載の光電変換素子。
18)半導体ナノ粒子は、n型ドーパントとして不純物元素Ga,Clが1017~1019cm-3の範囲で
  ドーピングされたものである請求項17)記載の光電変換素子。
19)半導体ナノ粒子は、p型ドーパントとして不純物元素N、O、Liが1017~1019cm-3の範囲
 でドーピングされたものである請求項17)記載の光電変換素子。
20) 画素としての光電変換素子を複数備え  前記光電変換素子は、エキシトンボーア半径以上の半径を
 有する複数の半導体ナノ粒子を含有する光電変換層と 前記光電変換層を挟んで対向する一対の電極
 とを有する撮像装置。


ここで、画像技術に特化し復活したソニーの技術情報を掲載したのは、日本がそうであったように発展
途上国の常套政策であるキャッチアップ(模倣追随)である、新幹線・カラーテレビ・自動車・半導体
そして、量子ドット光エレクトロニクスである。日の丸関連メーカはここは要細心である。

 

 

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ロスト・スコアが現実に

2015年11月17日 | 時事書評

 

 

    お前さんと私を除いて世界中がヘンである。いや、お前さんさえ少しヘンである。

                                ローバート・オーエン 


                                                                      

                                                                     Robert Owen 

 

    All the world is queer save thee and me, and even thou art a little queer.     

      all the world「世界中の人々」である。queerr「おかしい」「ヘンな」
       たいてい、頭が、である。save は「(助けるで
なく)を除いて」と
            いう前置詞。thou artyou are の古い形。



 

● 日本でマイナス成長が日常茶飯事に

予測通り2期連続マイナス成長のリセッションに入った。設備投資が低調、中国経済の減速が響いた
と言い訳しているが、ネット消費増税の影響である。「日本でマイナス成長が日常茶飯事に――2期
以上連続は過去20年で7回」(Bloomberg.co.jp 2015.11.17)という見出しがめをひいたので掲載する。
それによると、(1)日本は7-9月期に2四半期連続のマイナス成長になった。海外の経済事象や
国内の自然災害がその原因ではない。日本は過去20年で7回、2四半期以上連続のマイナス成長を
経験しており、そのうち2回は12年の安倍政権発足後だ。四半期当たりの平均成長率はプラス0.8
%。一方、中国はこの間に絶え間なく成長を続け、日本を抜いて世界2位の経済大国となった。(2)
ジャパンマクロアドバイザーズの大久保琢史チーフエコノミストは、16日の日本の国内総生産(G
DP)発表後のリポートで、労働人口の急速な縮小に伴い、日本の潜在成長率は極めてゼロに近いと
指摘。さらに日本にとってゼロ成長や緩やかなマイナス成長はもはや大した問題ではないと分析した。
(3)日本の7-9月期GDPは前期比年率0.8%減で、4-6月期は0.7%減。昨年の2期連続
のマイナス成長の引き金となったのは消費増税だった。今回のマイナス成長は、設備投資の減少のほ
か、多数の企業が生産増より在庫調整を進めることを決めたことが要因となった。(4)BNPパリ
バ証券の白石洋シニアエコノミストは、マイナス成長に頻繁に陥るようになったため、事情をさらに
深く調べる必要があるとの見方を示した。同氏は今回の2期連続マイナス成長を日本がデフレに逆戻
りしているという見方に結びつけるのは誤りだと指摘。物価の傾向を考える際にはGDPだけではな
く、労働市場のひっ迫も考慮することが重要だと分析した、と報告している。しかし、これをデフレ
でないと言い切るところが、「帯に短し、襷に長し」といった見識しか披露できない日本の政府、官
僚、アナリストの実力というわびしさの限り。時代が大きく変わっているのだ、誰か優れた見識の持
ち主はいないものだろうか。


   Takuji Okubo

 



● 大阪ダブル選挙の行方は

大阪府知事選挙が告示され、大阪府知事選挙に維新新の会の現職の松井一郎、自民党推薦する新人で
大阪府議会議員の栗原貴子、無所属新人で元高校教諭の美馬幸則の3人。かたや、大阪市長選挙は、
吉村洋文(大阪維新の会)、中川暢三(元大阪市北区長)、高尾英尚(無所属)、柳本顕(無所属・
自民党推薦・共産党大阪府委員会支援・民主党大阪府連支援、元大阪市会議員)4人が立候補してい
る。昨日の毎日新聞デジタルによると、市長選では、吉村洋文がリード。柳本顕が追う展開。知事選
では松井一郎が、栗原貴らに対して優位に立っているとしながらも、両選挙とも3割の人が態度を決
めておらず、終盤に情勢が変わる可能性もあると報じている。

時代が大きく変化し、それ対応し機動力を発揮し、百万人を超える住民の自治(独立心)を醸成し、
住民の安全を保障、多様な住民福祉へのインフラおよびサービスを提供する仕組みを変えていくこと、
そして、経済的な地盤沈下を食い止め向上することが求められていることは誰しも認めることで、そ
れが大阪都構想だと考えるのは極自然なこと考えていた。ところが、笑ってしまうことになる。既成
政党がこぞって反対しているのだ(そんなことはわかっていたんだろう?すいません!)。中央集権
の悪弊を打ち払い地方分権を進めるには先ず、税制を変える――(1)応益税である消費税は自治体
に還元する(全国全体:五百兆×5%≒25兆円)、(2)法人税は自治体別逆累進制の導入(3)
国家安全保障・社会(福祉)保障費は応能税の所得税に一元化、(4)納税・社会福祉カードの完全
保持の義務化の4つである

それと併行し、高度な情報・消費・多様・共生社会の現在化に地方自治(そして行政)体制への構造
改革――(1)行政能力の向上、(2)財政能力の向上、(3)自治能力の向上の3つを行う。その
ための改革(あるいは再編)コストは十全に担保されるべきだと考えている。つまり、構造改革によ
る便益性の算定方式を創造規定することだと。「多様性」と「選択と集中」は局面によってはアンベ
バレントにあるが時間軸を強く意識し、住民の合意形成(対議会制の尊重)を基本に、都市、運営方
法の改革(区長選挙制、各種会議体・組織制度の改廃など)を3年程度かけ、大阪都への移行を完了
する(目標2020年)。というイメージでこのダブル選挙を眺めている。ここは維新に「義」と
「利」ありだと

  
   

●  移動式水素ステーション登場

移動式水素ステーションが登場した。川崎市、相模原市、横浜市の3つの市で、移動式水素ステーシ
ョン
による水素提供が始まる。JX日鉱日石エネルギーの水素供給設備を搭載し大型トラックで搬送方
式。コスト課題が影響し普及の遅れが指摘される水素ステーションだが、定置式より設置費用が抑え
られる移動式ステーションの採用は増るという。巡回する移動式水素ステーションは25トントラッ
クで、外形寸法は長さ約12×幅約2.5×高さ約3.8メートル。水素の充填圧力は70メガパスカ
ルで、燃料電池車(FCV)1台当たり約3分で充填できる。充填台数は水素ステーション1台につき、
FCV換算で約3台まで。一刻も早く水素社会へとの意気込みがあふれている移動車の登場である。面
白い。





● 散布ムラの少ない温室内の無人防除を実現

農研機構、株式会社やまびこ、みのる産業株式会社らは、共同で温室内における農薬散布作業を無人
で行い、散布ムラが少なく、防除効果の高い防除機を開発。これは
農薬の噴霧粒子に静電気の力を付
加して作物体への付着性能を向上させる静電散布と、噴霧方向に風を送るエアアシストの技術とを組
合せ、作物列の間を自動的に往復散布。これにより、農薬被曝量や労働負担を大幅に低減するととも
に、手散布と同等に散布ムラの少ない防除作業を行う。
これまでに、キュウリ、メロン、トマト栽培
の防除試験を行った結果、従来の手散布並みの防除効果を得るとともに、面積あたりの散布量の削減
の見通せたとのこと。

静電気と風の力を利用散布装置で、散布ムラの少ない防除作業を実現

園芸施設は、大規模化が進み、さらに閉鎖された高湿度下の空間内で露地栽培よりも病害虫の大量発
生を招きやすいこと等で、農薬散布作業が頻繁に行われている。栽培面積の拡大とともに労働負担の
大きい作業の一つ。一般に防除作業は、農薬被曝を避けるため、カッパ、手袋、マスク、ゴーグルな
どを装着して行うが、高温・多湿となる真夏のような環境下ではさらに厳しい作業となっていた。

 

ところで、こんなところにも、みのる産業株式会社が絡んでいるとは少し驚いた。特許?それらはす
でに調査
済みだ。一次産業の高度化は避けられない。「再エネ」も(1)太陽電池、(2)バイオマ
ス。(3)蓄電池ですべてまかなえる。地熱?マグマだまりの要調査(方法確立)だ。







【超伝導エレクトロニクス工学のススメ】

● チタン酸リチウムの超伝導状態を制御

超伝導体は核磁気共鳴画像法(MRI)により医療分野で活躍し、送電ケーブルやリニアモーターカーな
どへの応用が期待される重要な技術。この超伝導現象を電子デバイスへと適用する超伝導エレクトロ
ニクスも、実用化に向けた研究が行われ、
超伝導状態と常伝導状態のスイッチングには、非常に多く
の電子が必要だが、超伝導状態を制御できるほどの電子をそのまま扱う基盤技術が存在せず、実用化
への道のりは遠いと考えられていた。そこで、東工大吉松公平助教と大友明教授らの研究グループの
研究で、電子とイオンをペアで扱うリチウムイオン電池に着目。イオンを同時に移動させることで、
従来よりも遥かに多くの電子を超伝導体に与えることができるとがわかったという。

(1)チタン酸リチウム薄膜を負極に用いたリチウムイオン電池セルを形成
(2)セルの充放電によりチタン酸リチウムの超伝導ー常伝導状態の制御に成功
(3)超伝導エレクトロニクス応用につながる新技術を発見。

それによると、高品質なチタン酸リチウム薄膜を作製し、その薄膜を負極としたリチウムイオン電池
構造を形成(上図)した。この電池に対し、充電・放電操作を行い、同時にチタン酸リチウム薄膜の
電気抵抗を測定。その結果、超伝導状態のチタン酸リチウム薄膜にリチウムイオンを挿入する充電反
応を行うと、常伝導状態への転移が観測された。一方、チタン酸リチウム薄膜からリチウムイオンを
脱離する放電反応を行なうことで、超伝導状態を回復させることに成功した(下図)。



チタン酸リチウムの可逆的な超伝導転移の様子。初期状態と放電状態では11ケルビンで抵抗率が、
0に
なり、超伝導状態が発現している。一方で、充電状態では抵抗率が0にならず常伝導状態となっ
ている。さらに初期状態と放電状態の超伝導転移温度が一致しており、可逆的な転移であることがわ
かる。

 

 

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気分転換のランチョンマット

2015年11月16日 | 開発企画

 

 


 

 

    原爆投下によって「核の時代」の幕があけた。
         我々はいまだにその呪縛から抜け出せてはいない
         人類が直面する最大の課題だ。
         核兵器を減らし廃絶をめざす以外の選択肢は存在しない。
         そのためには我々はあらゆる努力を尽くす必要がある。
         戦争で核兵器を使うような悲劇は決して繰り返してはならないのだ。

                                    ロバート・ファーマン

 

                                                                    

                                                                       Robert Ralph Furman (August 21, 1915 – October 14, 2008)

 



【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 

※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
   尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   非命 -宿命論に反対する- / 『墨子』 

  天の前にすべての人間は平等である。貴族も庶民もない。身分差を認めないことは、宿命を認めな
 いことにつながる。墨子は、宿命論の上にアゲラをかく君主を痛罵し、"運が悪い"とあきら
める民衆
 を叱陀する。
 

  ● 宿命論は責任回避

  宿命論者の立場を採用すれば、"天下の義"は滅びてしまう。いいかえれば、"天下の義”を滅ぼす
 人間こそ、宿命論をふりかざし、人民を苦しめるである。人民を平気で苦しめる人間は、天下を滅亡
 に追いやる。

  したがって、人民の上に立つ者は、義を曲げぬ人でなければならない。義を曲げぬ人が上に立てば
 
天下はおさまり、天帝・山川・鬼神は丁重にまつられ、人民は、はかり知れぬ利益を受ける。
  むかし、湯玉が亳の地に封ぜられたとき、領地はわずか百里四方にすぎなかったが、人民を差別な
 く愛し、たがいの利益をはかり、余った物資は分かちあい、率先して天帝・鬼神をまつった。その結
 果、天帝・鬼神が豊作をもたらし、諸侯が味方し、人民がなつき、賢人が心服し、湯玉一代で天下の
 王
となり、諸侯の指導者になったのである。
  また文王も岐周に封ぜられたとき、領地はわずか百里四方にすぎなかったが、湯玉と同じく善政を
 布いた結果、近隣の人民はその支配を受け入れ、遠国の人民はその徳行を慕って帰服した。文王の評
 判を耳にしたものは、みな自国を見限り、ぞくぞくと岐周へ向かった。そこまでふみきれぬもの、手
 足のきかぬものは、
  「なんとか文王の領地がここまで拡がらぬものか。そしたらわたしたちも文王の民になれるのに」
  と望んだ。こうして、天帝・鬼神が豊作をもたらし、諸侯が味方し、人民がなつき、賢人が心服し、
 文王一代で天下の王となり、諸侯の指導者になったのである。
  わたしの主張は、この事実にもとづいている。

   〈湯玉〉殷の聖王。「人が水を見ると姿が映って自分の形が見えるように、その国の人民を見れ
   ば冶まっているかどうかがわかる」といって、名宰相、伊尹を感嘆させた。また、こういう話も
   伝わっている。あるとき、湯玉が郊外に出ると、四面に網を張って烏を捕えている者がいた。湯
   王は、「それでは逃げ場がない」といって、網の三面を取り除かせた。諸侯は、この所を伝えき
   いて、「湯の徳は禽獣にまで及んでいる」と誉めたたえた。
   〈文王〉周代の聖王、西伯昌こと。諸侯はその徳を慕って争いごとはみな西伯に訴えて曲直を決
   した。あるとき虞・芮二国のあいだに争いごとが起こり、両国の人が西伯に訴えるため周に行
   たところ、周ではみな畦を譲り合い、年長者に譲り合っていた。これをみて、虞・芮の人は自

   恥じ、西伯に会わずに帰って、お互いに譲り合って争いごとを解決したという。この文王の子

     殷の紂王を伐った武王である。

 

【世界初のあんこ専門事業: 『餡屋』構想Ⅱ】

今月の4日のブログの『人工培土と餡屋』の続き。餡を考えていくとその概念は広大に広がることに驚い
た。それを飲茶の小籠包やたこ焼きのような「ボールフード」にしてお菓子だけでなく、惣菜、もっと拡
張し総菜の中に入れることもできる。実は、「ボールフードこと新的小籠包」(『今夜の3つのテーマ』
2014.08.29)で掲載した「多層食品製造装置」(特開2013-233138)などで餡の皮――米・小麦・海藻な
どの植物、あるいはゼラチンなどの動物由来――でくるみ、そのまま放置・乾燥・冷却・冷凍・加熱し包
装し、蒸してよし、焼いてよし、煮てよし、油で揚げてよし、それでいてサイズ(球体・楕円体・立方体・
矩形体など)フリーで、餡も多種多様で、たこ焼きのように、小麦餡に蒸蛸の賽の目切りに挿入しつくる
こともできし、アイスクリームも可能だ。そんなことを考えていたら、わたしの頭のアイデア製造機は止
まってしまった。何でもできるんだ、面白いねと。


 

 


 

    

● 折々の読書 『職業としての小説家』 29   

  インタビューなんかで「村上さんはどのような読者を想定して小説を書いているのですか?」
 と質問されることがあります。そのたびにどう答えればいいのか、けっこう迷ってしまいます。
 というのは、とくに淮かのために小説を書いているというような意識は、僕にはもともとありま
 せんでしたし、今でもとくにないからです。

  自分のために書いている、というのはある意味では真実であると思います。とりわけ最初の小

 説『風の歌を聴け』を夜中に台所のテーブルで書いているとき、それが一般読者の目に触れるこ
 とになるなんて、まったく思いもしませんでしたから(本当に)、僕はおおむねのところ、自分
 が「気持ちよくなる」ことだけを意識して小説を書きました。自分の中に存在するいくつかのイ
 メージを、自分にぴったりくる、俯に落ちる言葉を使って、そのような言葉をうまく組み合わせ
 て文章のかたちにしていこう……頭にあるのはただそれだけです。いずれにせよ、どんな人がこ
 の小説(みたいなもの)を読むのだろうかとか、そういう人たちが僕の書くものに対して果たし
 て共感を抱いてくれるだろうかとか、ここにどのような文学的メッセージが込められているのだ
 ろうとか、そんなややこしいことはとても考える余裕もなかったし、また考える必要もありませ
 んでした。ずいぶんきれいさっぱりしているというか、実に単純な話です。

  またそこには「自己治癒」的な意味合いもあったのではないかと思います。なぜならあらゆる
 創作行為には多かれ少なかれ、自らを補正しようという意図が含まれているからです。つまり自
 己を相対化することによって、つまり自分の魂を今あるものとは違ったフオームにあてはめてい
 くことによって、生きる過程で避けがたく生じる様々な矛盾なり、ズレなり、歪みなりを解消し
 ていく――あるいは昇華していく――ということです。そしてうまくいけば、その作用を読者と
 共有するということです。とくに具体的に意識はしませんでしたが、僕の心もそのとき、そうい
 う自浄作用みたいなものを本能的に求めていたのかもしれません。だからこそごく自然に小説を
 書きたくなったのでしょう。

  しかしその作品が文芸誌の新入賞を取り、本になって出版され、そこそこ売れて評判になり、
 いちおう「小説家」と名の付く立場になってしまってからは、僕としても否応なく「読者」とい
 う存在を意識させられるようになりました。自分が書いたものが書物として書店の棚に並び、僕
 の名前が堂々と表紙に印刷され、不特定多数の人々の手に取って読まれるわけですから、それな
 りの緊張をもって書かなくてぱなりません。とはいっても、「自分で楽しむために書く」という
 基本的な姿勢は、それほど大きくは変化しなかったように思います。自分か書いていて楽しけれ
 ば、それを同じように楽しんで読んでくれる読者だってきっとどこかにいるに違いない。その数
 はそれほど多くはないかもしれない。でもそれでいいじゃないか。その人だちとうまく深く気持
 ちが通じ合えたとしたら、それでとりあえずは十分だろう、と。

 1990.06.17

 『風の歌を聴け』に続く『1973年のピンボール』、そして短編集『中国行きのスロウ・ボー   
 ト』『カンガルー日和』あたりはだいたいそういうナチュラルに楽観的なというか、かなり気楽
 な姿勢で書いています。当時僕は他に仕事(本職)を持っていましたし、モちらの収入でとくに
 不足なく生活していけました。小説は言うなれば「趣味みたいなもの」として余暇に書いていた
 わけです。

 1993.05.19

  ある高名な文芸批評家(もう亡くなっていますが)は「この程度のもので文学だと思ってもら
 っては困る」と僕の最初の小説『風の歌を聴け』を酷評しましたが、それを目にして「そりゃ、
 そういう意見もあるだろうな」と僕は素直に思いました。そう言われても、とくに反撥も感じな
 いし、腹も立ちません。その人と僕とでは、「文学」というもののとらえ方が、もう最初から違
 っているわけです。その小説が思想的にどうかとか、社会的役割がどうかとか、前衛か後衛かと
 か、純文学かどうかとか、僕としてはそんなことはまったく考えてもいません。こっちとしては
 「書いていて楽しければそれでいいじゃないか」みたいな姿勢から始まっているわけですから、
 そもそも話が噛み合うわけがないんです。『風の歌を聴け』の中に、デレク・ハートフィールド
 という架空の作家が出てきて、その作品のひとつに『気分が良くて何か悪い?(What's Wrong
  About Feeling Good?』というタイトルの小説がありますが、まさにそれが、当時の僕の頭の真
 ん中に腰を据えていた考え方です。気分が良くて何か悪い?
 今にして思えばシンプルというか、ずいぶん乱暴な考え方ですが、当時はまだ若かったし(三
 十代の初め)、学生運動のうねりを通過してきたばかりという時代的な背景もあり、反抗精神み
 たいなものもそれなりに強かったから、そういういうなれば「アンチ・テーゼ」的な、権威とか
 エスタブリッシュメントとかに楯突くような開き直った姿勢を、僕としては基本的に維持してい
 ました(いくぶん生意気で子供っぽくはあるにせよ、それはそれで結果的によかったんじやない
 かと、振り返ってみて思うんですが)。

 そういう姿勢が徐々に変化を見せてきたのは、『羊をめぐる冒険』(一九八二)を書き出した頃
 からです。このまま〈気分が良くて何か悪い〉みたいな書き方ばかりしていたら、職業作家とし
 て、たぶんどこかで袋小路にはまり込んでしまうだろうということは、自分でもおおよそわかっ
 ていました。今のところその小説スタイルを「斬新なもの」として受け止め、気に入ってくれて
 いる読者だって、同じようなものばかり続けて読まされれば、そのうちに飽きてくるでしょう。
 「ええ、またこれかよ」みたいなことになるはずです。もちろん書いている僕白身だって飽ぎて
 きます。

  それにだいたい僕は、そういうスタイルの小説を書きたくて書いていたわけではありません。
 正面から四つに組んで長編小説を書くための文章技術をまだ持ち合わせておらず、とりあえずそ
 ういう「すかす」ような書き方しかできなかったから、そういうタイプのものを書いていただけ
 です。その「すかし方」がたまたま目新しく新鮮であったということです。ただ僕としては、せ
 っかくこうして小説家になれたのだから、もう少し深く大柄な小説を書いてみたいと考えていま
 した。でも「深く大柄な」といっても、文芸的にかしこまった小説、いかにもメインストリーム
 な文学を書きたいということではありません。書いていて自分で気分が良くて、しかも同時に正
 面突破的な力を有した小説を書きたかった。僕の中にあるイメージを断片的に、感覚的に文章化
 するだけではなく、僕の中にあるアイデアや意識を、もっと総合的に立体的に文章として立ち上
 げていきたいと考えるようになったわけです。

   1980.10.28

  僕はその前の年に村上龍の長編小説『コインロッカー・ベイビーズ』を読んで、「これはすご
 い」と感心したのですが、でもそれは村上龍にしか書けないものです。また中上健次のいくつか
 の長編小説を読んで、やはり深く感心しましたが、それもまた中上さんにしか書けないものです。
 いずれも僕が書きたいものとは違います。当然のことながら、僕は僕として独自の道を切り拓い
 ていかなくてはなりません。それらの先行する作品に込められたパワーを具体例として念頭に置
 きながら、僕にしか書けないものを書いていかなくてはなりません。

  僕はその命題に対する回答を出すべく『羊をめぐる冒険』の執筆に取りかかりました。今ある  
 文体をできるだけ重くすることなく、その「気持ちよさ」を損なうことなく(言い換えればいわ
 ゆる「純文学」装置に取り込まれることなく)、小説自体を深く重いものにしていきたい――そ
 れが僕の基本的な構想でした。そのためには物語という枠組みを積極的に導入しなくてはなりま
 せん。僕の場合、それはとてもはっきりしていました。そして物語を中心に据えれば、どうして
 も長丁場の仕事になってきます。今までのように「本職」の余暇に片手間でできることでぱあり
 ません。ですからこの『羊をめぐる冒険』を書き始める前に、僕はそれまで経営していた店を売
 却し、いわゆる専業作家になりました。当時はまだ文筆活動よりは、店からの収入の方が大きか
 ったんですが、それを思い切って捨てることにしました。生活そのものを、小説を書くことに集
 中させたかったからです。自分の持っている時間をすべて小説の執筆にあてたかった。いくぶん
 大げさに言えば、後戻りできないように「橋を焼いた」わけです。

  まわりの人はほとんど全員「そんなに早まらない方がいいよ」と反対しました。店はけっこう
 はやってきたところだったし、収入も安定しているし、今それを手放すのはあまりにもったいな
 いじゃないか。店の経営は誰かにまかせて、自分は小説を書いていればいいじゃないか、と。た
 ぶん当時はみんな、僕が小説だけで食べていけるとは思っていなかったのでしょう。でも僕には
 迷いはありませんでした。僕は昔から「何かをやるからには、全部とことん自分でやらないと気
 が済まない」というところがあります。「店は適当に誰かにまかせて」みたいなことは、性格的
 にまずできません。ここが人生の正念場です。思い切って腹をくくらなくてはならない。とにか
 く一度でいいから、持てる力をそっくり振り絞って小説を書いてみたかった。駄目なら駄目でし
 ょうがない。また最初からやり直せばいいじやないか。そう思いました。僕は店を売却し、集中
 して長編小説を書くために東京の住まいを引き払いました。都会を離れ、早寝早起きの生活を送
 るようになり、体力を維持するために日々ランニングをするようになりました。思い切って、生
 活を根っこから一変させたわけです。

  このときから僕は、読者の存在をはっきり念頭に置かざるを得なくなったということになるか
 もしれません。でもそれがどういう読者なのか、具体的に思いめぐらしたりはしませんでした。
 というのは、あえて思いめぐらす必要もなかったからです。そのとき僕は三十代前半でしたし、
 僕の書いたものを読むのはどう考えても同じ年代か、あるいはもっと下の年代です。つまり「若
 い男女」です。当時の僕は「新進の若手作家」(という言葉を使うのはいささか恥ずかしいけど)
 であり、僕の作品を支持してくれるのは、明らかに若い世代の読者たちでした。そして彼らがど
 ういう人々なのか、何を考えているのか、いちいち思いめぐらすまでもありません。作者である
 僕と読者とは、当然のことのようにひとつになっていました。それは振り返ってみれば僕にとっ
 て、著者と読者の「蜜月」と呼んでいいような時期だったのでしょう。

  『羊をめぐる冒険』はいろんな事情があって、掲載誌「群像」編集部からは当時けっこう冷や
 やかな扱いを受けた(と記憶している)のですが、幸いなことに多くの読者の支持を得て、評判
 も上々で、本も予想以上に売れました。つまり僕は専業作家として、まずは順調なスタートを切
 ることができたわけです。そして「自分のやろうとしていることは、方向として間違っていない」
 という確かな手応えを得ることもできました。そういう意味で『羊をめぐる冒険』こそが、長編
 小説作家としての僕にとっての、実質的な出発点であったわけです。

  それから歳月が経過し、僕は六十代半ばになり、新進の若手作家というところからずいぶん遠
 く離れた地点までやってきました。とくにそんなつもりもなかったんですが、時間が経てば人は
 自然に歳を取ります(しょうがないですね)。そして僕の本を手に取ってくれる読者層も、歳月
 とともに変化しました。というか、もちろんしたはずです。でも「じゃあ今現在、あなたの本を
 手に取っているのはどういう人だちなのですか?・」と尋ねられると、僕としてぱ「いや、まっ
 たくわかりません」と答えるしかありません。本当にわからないのです。

  僕のところには読者から数多くの手紙が寄せられますし、また何かの機会に読者の何人かに直
 接お目にかかったりすることもあります。しかしその人たちは年齢も性別も住んでいる地域も実
 にばらばらで、僕の本が主にどのような人々の手に取られているのか、具体的なイメージが湧い
 てきません。僕にはちょっと見当がつかないし、たぶん出版社の営業の人たちにも実態はよくわ
 かってないんじゃないかという気がします。男女の割合がちょうど半々くらいで、女性読者に美
 しい方が多いということを別にすれば-それは嘘じゃありません―――これという共通した特徴
 が見当たらないのです。昔は都市部でよく売れて、地方ではあまり売れないというような傾向も
 あったみたいですが、今ではそこまではっきりとした地域差みたいなものはありません。

  それでは読者の像が全然わからないまま、おまえは小説を書いているのか? と言われそうで
 すが、考えてみればまったくそのとおりかもしれません。僕の順には具体的な読者像というもの
 が浮かんでこないのです。
  僕の知っている限り、作家の多くは読者とともに年齢を重ねていくようです。つまり作者が年
 を取れば、読者も一般的に言って、それに合わせて年を取っていくということです。ですから作
 者の年代と読者の年代は、おおよそ重なっていることが少なくないようです。これはわかりやす
 いといえばわかりやすいですね。そういうことであれば当然ながら、自分とだいたい同じ年代の
 読者を想定して小説を書くことになります。でも僕の場合はどうやらそうじゃないみたいです。

  それからある特定の年代、特定の層を最初からターゲットにしている小説ジャンルもあります。
 たとえばヤング・アダルト小説は十代の少年少女を、ロマンス小説は二十代、三十代の女性を、
 歴史小説・時代小説なんかは中高年男性をおおむねターゲットにして書かれています。これも話
  もちろん自分が楽しめれば、結果的にそれが芸術作品として優れているということにはなりま
 せん。言うまでもなく、そこには峻烈な自己相対化作業が必要とされます。最低限の支持者を獲
 得することも、プロとしての必須条件になります。しかしそのへんさえある程度クリアできれば、
 あとは「自分が楽しめる」「自分が納得できる」というのが何より大事な目安になってくるので
 はないかと僕は考えます。だって楽しくないことをやりながら生きる人生というのは、生きてい
 てあまり楽しくないからです。そうですよね? 気分が良くて何か悪い――という出発点にまた
 立ち戻る、というか。

  それでも「おまえは本当に自分のことばかり考えて小説を書いているのか」とあらためて正面
 から尋ねられると、僕だって「いいえ、もちろんそんなことはありません」と答えることになり
 ます。前にも言いましたように、僕は一人の職業的作家として、常に読者を念頭に置いて文章を
 書いています。読者の存在を忘れることは――もし忘れたいと思ったところで―――不可能です
 しまた健全なことではありません。


                           「第十回 誰のために書くのか?」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


そうかノンポリ作家ではなかったのか、心得違いをしていたことに気付かされたが80年前後は仕事
で中国出張していた頃で、ベトナム戦争、オイルショック、文化革命、ロシアマルクス主義、毛沢東
主義など真正面から取り組んでいたから違和感を感じていたものの「団塊世代」という点では一括で
きそれを柔らげてくれた。さて、毎日、情報処理や調査研究、あるいは蔵書の整理(【我が家の焚書
顛末記】に追われ、しばらく読書できずいたが、無理から前に進めてみた。とはいえ、夜になると、
霞目が酷く誤字脱字、ミスタイプが増える中の作業となるが、螺旋を巻かないとデスク周辺の図書の
山は解消されない。
                                                                                


                                      この項つづく

 

● 気分転換のランチョンマット 

いつものスクエアやレクタングラのランチョンマットからパープルサークルに変え気分転換し朝食を
とる。これだ
と、コンパクトにテーブルに置け、じゃまにならないし、広く敷くには、サテライトサ
ークル(コースタ)を使ったり、もう一枚増やし食事している。

 

 

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時はいま銀杏実る御堂筋

2015年11月15日 | デジタル革命渦論

 

 

 

  


        主よ、いずこに行きたもうや。 

                   ヘンリク・シェンキェヴィチ『クオ・ヴァディス』




                                                                   

                        Quo vadis, Domine ?        Henryk Scienkiewicz

            聖書の文句を用いて小説の題名にした。(Quo=where. Vadis=do yu go? Domine=Lord
           (
呼びかけ )

   非命 -宿命論に反対する- / 『墨子』

  天の前にすべての人間は平等である。貴族も庶民もない。身分差を認めないことは、宿命を認めな
 いことにつながる。墨子は、宿命論の上にアゲラをかく君主を痛罵し、"運が悪い"とあきら
める民衆
 を叱陀する。

 ● 歴史は証明する

  天下の士君子の中には、宿命論を信奉する者がいる。その連中は、古代にさかのぼって聖王の事績
 を見るがよい。
  むかし、天下は、夏の桀王がたつと混乱におちいり、殷の湯王がひきつぐと秩序をとり戻した。同
 
様に、殷の紂王がたつと混乱におちいり、周の武王がひきつぐと秩序をとり戻した。世の中そのもの
 
が変わったわけではない。人民が別の人民になったわけでもない。しかも桀王・紂王のときには天下
 
が乱れ、湯王・武王のときには治まった。これがどうして宿命であろうか。しかもなお、宿命論を信
 奉する者がいる。その連中は、古代にさかのぼって、先王の残した書物を
見るがよい。
  そのなかには国が定め、人民に施行した法典がある。この法典に、果して『幸福は、求めて得られ
 るものではない。災難は、避けようとして避けられるものではない。人が成
功するか破滅するかは、
 行ないの善悪にはかかわりない」などという宿命論が書いてあるだろうか。

  先王の記録にはまた、罪人を裁くための刑法、軍隊を編成し、戦士を動かすための軍令がある。こ
 の刑法・軍令に、果して同様の宿命論があるだろうか。
  天下の良書がどのくらいあるか、わたしはいちいち数えたことはないし、また実際、数えきれるも
 のではあるまい。しかし、いまあげた法典・刑法・軍令の三つで大体の見当はつく。このどれからも、
 宿命論的な見方はさがし出せないのだ。かれらの主張はとるに足らぬものである。

 〈桀王、紂王〉桀王は夏王朝最後の王、いわば暴君の元祖。のち殷王朝の始祖・湯王に放逐されて死
        んだ。紂王は殷王朝最後の王。酒を溺れるほど飲み、姐己を愛し、彼女のいうことな
        ら何でもきいた。諸侯を炮焔の刑(油を塗った銅柱を炭火の上に架けわたし、その上
        を歩かせる)に処したり、淫を好まぬ女を殺したり、死体を塩漬けやほし肉にしたり、
        悪虐の限りを尽くして、ついに周の武王にほろぽされた。



         然前今天下之士君子、或以命為有、盍嘗上観於聖正之事。古者桀之所
        乱、湯受而治之、紂之所乱、武王受而治之。此世未易、民未渝、在於桀
        紂、則天下乱、在於湯武、則天下治。豈可謂有命哉。     

         然而今天下之士君子、或以命為有。盍嘗上観於先王之書。先王之書、
        所
以出国家、布施百姓者、憲也。先王之憲、亦嘗有曰福不可請、而禍不
        可諱
、敬無益、暴無傷者乎。所以聴獄制罪者、刑也。先王之刑、亦嘗有
        曰
福不可請、禍不可諱、敬無益、暴無傷者乎。所以整設師旅、進退師徒
        者、
誓也。先王之誓、亦嘗有曰福不可請、禍不可諱、敬無益、暴無傷者
        乎。是故
子墨子曰、吾当未尽数。天下之良書、不可尽計数。大方論数、
        而三者是也。今雖母求執有命者之言不必得、不亦可錯乎。
        

 
● 暴力では何も生れぬ  非攻・兼愛・非命-墨子

 

パリ攻撃  フランスの歴史の中で最も致命的なテロ行為

パリでテロ攻撃 130名以上の死者、350名以上負傷 


被害を被ったパリ市民に対し深く哀悼の意を表すとともに負傷者皆様方の一刻も早く御快復を心からお祈
り申し上げます。

 

  
【時代は太陽道を渡る 24】


 

●  ハワイ最大のメガソーラー稼働 カウアイ島再エネルギー36%へ

ハワイ州に7つある島のうちカウアイ島は最も北にあって、面積は東京都の65%に相当。7万人が暮ら
す島の電力は非営利の協同組合「KIUC(Kauai Island Utility Cooperative)」が供給している。従来は火力発
電が主力だったが、化石燃料の削減と運転コストの低減を目指し、島内に豊富な再生可能エネルギー―今
回稼働した太陽光発電能力は12メガワットで、カウアイ島の販売電力量の5%強を供給できたことで、
太陽光・水力・バイオマスを合わせて島内の電力の366%になった――の地産地消が進行している(ス
マートジャパン 2015.11.13)。

KIUCは島の東側に広がる25万平方メートルの敷地に、ハワイ州で最大のメガソーラー。今月月2日に
稼働。12メガワットの発電能力で、KIUCが年間販売電力量の5.5%に相当。メガソーラーにはリチウ
ムイオン蓄電池(容量6メガワット)も併設。天候による出力の変動を蓄電池で吸収して、電力の安定供
給を図る。

さらに建設中と計画中の発電設備を加えると、25年には発電能力が116メガワットに拡大する見通し
だ。すべて稼働すればカウアイ島の再生可能エネルギーの比率は70%を超える見通し。ハワイ州は45
年までに再生可能エネルギーを百%に転換する計画を掲げているが、その中でもカウアイ島は島民が運営
する協同組合方式で電力供給体制のトップランナーである。




● より高きをめざし: 変換効率30%超時代へ Ⅱ

『変革効率30%超時代』(2015.11.13)の残件――「特開2015-201563 光電変換装置、建築物および
子機器」を詳しく考察する。インベータ(特許申請者)は北海道大学教授で現在、シーズテック株式
会社
に移られ、本件は共同出願されているが、すでにこの件については、注目していたもので国際特許公開も
されいるが、本件はその集大成。この特許の特徴は、従来から普及している太陽光パネルの受光面を垂直
転換し側面からの寿光することで、6つの特徴敵なメリットをもつ光導波路にある。

(1)フォトンの進行方向とフォトキャリアの移動方向との直交性により、光吸収とキャリア捕集効率を
  独立に、同時最適化できる。
(2)フォトンの進行方向とフォトキャリアの移動方向との直交性により、光吸収とキャリア捕集効率を
  独立に、同時最適化できる。
(3)(3)集光系であることにより、非集光系に比べ、約20%の効率上昇が見込まれる。
(4)多段のマルチギャップ半導体による光電変換を行うことができることから、熱として散逸してしま
  うエネルギーを極小化できるため、集光太陽光発電系の弱点であった温度上昇を抑制することができ
  る。
(5)回折格子を用いた面状光導波路による集光系であるため、曇天時等の拡散光に対する集光特性の劣
  化が抑制される。
(6)物質の結合に害を与える高エネルギーフォトンをマルチストライプの最初の層で、光電変換するこ
  とで(エネルギーを無駄にすることなく)、それに続く中間ギャップ半導体層、ナローギャップ半導
  体層を形成する物質の劣化を未然に防ぐことができ、結果として高い信頼性が得られる。特に、従来
  は戸外で使えなかったような材料もこの光電変換装置中に用いれば、高い信頼性を以て戸外でも使う
  ことができる。

 

これは、無機シリコン系、有機系、化合物系、有機・無機ハイブリッド系の素子材質に加え、量子ドット
系、集光系、
多接合、複合などの構造、さらには、紫外線から遠赤外線広域エネルギーに亘り広範囲に適
用できるもので、最
近の研究で、電極と励起子(電子)間の最適距離(ダウンサイジング化)が重要であ
ることが解明されたように、再結合抑制、光エネルギ
ー損失の抑制、従って、熱エネルギーへの転換を防
ぎセル内温度の上昇を防ぐことができるという理想的なもの
である。変換効率の30%は軽くクリアーで
きる優れもの。ならば、残る課題はいかにして作るか一点ということになる。さあ、「時はいま・・・」
である。

 



● ウォームビズ実践記

冬に向けウォームビズということで、ディギンズを着用したが股蒸れでだめだということで、モンベル社のメ
リノウール アーガイル ニッカソックス(登山用)にあっさり変更、これだとスリッパを履くことはなく便利
であることがわかる(そのぶんソイルを頑丈にする必要があるが)。上着はというと同じく同社の「U.L.スト
レッチウイ
ンド ジャケット」を選択。最近は軽くて高機能なアウトドア(スポーツ)用衣料品が最適であるこ
ともわかった。これで完璧だ。
 

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