極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ボルト超えの図書館戦争

2013年04月30日 | 時事書評

 



 

  

ルヴァンドヴェールも1年ぶりだったが、久しぶりに劇場鑑賞へ。堂上篤、『怒れるチビ』
27歳。身長165cm。防衛部・図書特殊部隊所属。二等図書正。郁、小牧、手塚を擁する班(4
人は隊内でも最少人数)の班長を務める、郁の直属の上官。班内で一番身長が低く、郁との
口論の際(初期)に何度か「チビ」と言われている。この堂上篤を扮する岡田准一の格闘シ
ーン観て、思わず「カッケ~~~
」(朝ドラ「あまちゃん」の台詞)と叫んでいるわたしが
いた。

小牧とともに図書大学校最終年度の卒業生の1人であり、図書特殊部隊隊員として、図書館
業務・戦闘双方において優れた能力を発揮する。もともと、本質的には郁と同様「考える前
に動く」という直情径行型の人間だが、過去の経験や反省から自制心から、現在は常識や正
論を重視し、理性でものを考える堅気な性格を装っているが、自分に似た郁の言動を見て「
俺が捨てた物を後生大事に拾ってくるな」と内心でぼやくが、性格・外見とも真面目で実直
なため、外部の人間と接する必要がある場面では重宝されているも、度が過ぎると上官も先
輩も後輩も同期もなく激怒。口癖は「アホか貴様!」。仏頂面がトレードマークだが、叱る
ときや褒めるときは、ゲンコツ、叩く、小突く、撫でる、手を置く癖があるというキャラを
演じる。

さて、『図書館戦争』シリーズは、アスキー・メディアワークスより出版されている有川浩
の小説。イラストは徒花スクモ(♂
)。シリーズは『図書館戦争』(2006年2月)『図書館内
乱』(2006年9月)『図書館危機』(2007年2月)『図書館革命』(2007年11月)の全4巻で
構成される架空の法律が社会に重大な影響を与えていることから、パラレルワールドやディ
ストピアの世界を描いたSF小説と恋愛小説の両方をもつ。

舞台は2019年の架空日本となる。高校3年生の時出会った一人の図書隊員に憧れて図書隊入
隊を志した少女、笠原郁。ストーリーはそのまっすぐな成長と恋を追うとともに、メディア
の自由を巡る人々の戦いを描く。1988年、公序良俗を乱し人権を侵害する表現を規制するた
めの「メディア良化法」が制定される。法の施行に伴いメディアへの監視権を持つ「メディ
ア良化委員会」が発足し、不適切とされたあらゆる創作物は、その執行機関である「良化特
務機関(メディア良化隊)」による取り締まりを受けることとなる。この執行が妨害される
際には武力制圧も行われるという行き過ぎた内容であり、情報が制限され自由が侵されつつ
あるなか、弾圧に対抗した存在が「図書館」だった。

実質的検閲の強行に対し、図書館法に則る公共図書館は「図書館の自由に関する宣言」を元
に「図書館の自由法」を制定。あくまでその役割と本の自由を守るべく、やがて自ら武装し
た「図書隊」による防衛制度を確立する。これ以降図書隊と良化特務機関との永きに渡る抗
争に突入した。昭和から正化に時代を移し、メディア良化法成立から30年を経た正化31年。
図書隊は激化する検閲やその賛同団体の襲撃によって防衛力を増し、拡大解釈的に良化法を
運用し権勢を強めるメディア良化委員会との対立は加速していた。かつて、大切な本を検閲
から守ってくれた図書隊員を追って図書隊に入隊した笠原郁は、憧れの“王子様”堂上篤と
知らぬまま再会を果たす。しかし指導員になった堂上は郁の目指したのとは正反対の鬼教官
だった。男性隊員にも引けを取らない身体能力がとりえの郁は、顔も名前もわからない王子
様を慕って人一倍過酷な訓練をこなすが、堂上は5年前自らの独断が起こした事件を重く受
け止めていた。やがて郁は初の女性隊員として図書特殊部隊に配属され、堂上の下で困難な
事件と対面しながら、仲間とともに成長していくこととなる。

本編シリーズ全4巻と外伝シリーズ『別冊 図書館戦争』全2巻からなり、第1作目である
『図書館戦争』は、「『本の雑誌』が選ぶ2006年上半期エンターテイメント」第1位、2007
年本屋大賞第5位に入賞し、シリーズとしては2008年に第39回星雲賞日本長編作品部門を受
賞。アニメ版が第40回星雲賞メディア部門の参考候補作となった。累計発行部数は2013年3

月時点で400万部を突破している。メディア展開も多岐に渡り、漫画版が『LaLa』2007年11月
号から弓きいろによって、『月刊コミック電撃大王』でも2008年1月号からふる鳥弥生によっ
て連載開始。2008年4月からProduction I.G制作のテレビアニメ版が深夜枠で放送されると
共に、同月からアニメのキャストが出演するWEBラジオを配信。2012年6月に続編となるアニ
メ映画が公開された他、2013年4月から実写映画が公開された。

2011年に角川文庫から DVD 封入特典の短編と書き下ろし1編を収録した文庫本が発売された。 
文芸誌『ダ・ヴィンチ』2009年5月号の「有川浩徹底特集」における、「有川ワールドなん
でもランキング」の「好きな作品BEST10」では、第1位となった『図書館戦争』を始め、第
3位に『別冊 図書館戦争I』、第5位に『図書館革命』、第8位に『別冊 図書館戦争II』がラ
ンクインしている。本作品の執筆は、2004年11月頃「図書館の自由に関する宣言」を見たこ
とがきっかけとなった。有川浩の夫が図書館に掲示されている宣言文を紹介したためで、興
味を持った有川は担当編集者に次回作のテーマとして提案した。そして、「図書館の自由に
関する宣言が一番ありえない状況で適用されたらどうなるか」を考えた結果として完成した
のが『図書館戦争』シリーズである[5] 。この宣言文の引用は小説発表後に論議を呼ぶ。本
作は有川が初めて企画構想段階からシリーズ化を予定していた作品であるが、当初は3巻で
完結する構想だったが、メディアワークス側の要請で全4巻となり、さらに漫画化やアニメ
化といったメディアミックスや外伝小説(『別冊 図書館戦争』シリーズ)、新潮社とのコ
ラボレーションによるスピンオフ小説(『レインツリーの国』)へと発展した。

ところで、有川浩が日本の女性小説家ということをこの映画を観るまで知らなかったが、名
前の浩が「ひろし」と読めるため男性だと勘違いされているからやもうをえない。インタビ
ューでは、作品を大人向けのライトノベルと語っており、一般文芸に活動の範囲を広げた現
在でも自らを「ライトノベル作家」と称し、2006年に発売された『図書館戦争』は「本の雑
誌」が選ぶ2006年上半期エンターテインメントで第1位を、2007年度本屋大賞で第5位を獲
得。2008年『図書館戦争』シリーズで第39回星雲賞日本長編作品部門を受賞。『植物図鑑』
が2010年度本屋大賞第8位、第1回ブクログ大賞小説部門大賞を受賞。『キケン』が2011年
度本屋大賞第9位、第2回ブクログ大賞小説部門大賞を受賞。『ストーリー・セラー』2011
年度本屋大賞第10位、『県庁おもてなし課』が雑誌ダ・ヴィンチのBOOK OF THE YEAR2011
で総合1位と恋愛小説1位、第3回ブクログ大賞小説部門、『空飛ぶ広報室』が雑誌ダ・ヴィ
ンチのBOOK OF THE YEAR2012で小説1位、『三匹のおっさん ふたたび』が雑誌ダ・ヴィンチ
のBOOK OF THE YEAR2012で小説2位を受賞するなど大活躍だ。電撃文庫の他作家からは「姉
さん」と呼ばれているという。2003年に『塩の街 wish on my precious』で第10回電撃ゲー
ム小説大賞を受賞し、翌年に同作にてデビューしている。なお、『県庁おもてなし課』(角
川書店 2011年)の全印税を東北地方太平洋沖地震の被災地に寄付することを「有川日記
で公表している。

それで、帰宅しランチをとり、有川浩の作品をネットで下調べ、継続作業に移るもののこの
時点で、彦根南中出身、現在洛南高校生の桐生祥秀(よしひで)選手が世界選手権(8月、
モスクワ)の代表選考会を兼ねて広島・エディオンスタジアムで最終日があった。男子百メ
ートル予選で日本歴代2位、高校新の10秒01マークしたというニュースが飛び込む。最
近では、水泳の萩野公介、カーレーサーの佐藤琢磨の偉業に次ぐものでびっくり。時代は着
実に動いていることを実感。並みいる黒人のトップランナーを凌ぐ勢いを予感させる映像を
目の当たりにした。

 

 

 

バイオリズムの降下局面のため休憩にと映画鑑賞したが、目的は果たせた。トレッキングも
もう一日様子をみることに。 昨夜、「バイオインフォマティクス」も触れたので分散気味

にあり、明日から装置設計考察に軌道修正する。

 

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実存と構造の巡礼の明日

2013年04月29日 | 時事書評

 

 





誕生日を勘違いし一日前倒し、記念ランチを二人で食べ彼女を祝った。という珍事が昨日あった。松原の
「ルヴァンドヴェール」は一年ぶりだ。この日はまた主権回復の日だというが、沖縄復帰運動のエピソード
を語ったりした。沖縄の住民に寄り添って考えると、“屈辱の日”とするのが自然な気持ちだねと付け加え
ことも忘れなかった。二人でジェノベージェとペスカトーレを交互に食べ分け食事を堪能した。このレストラ
ンをはじめて訪れたのが1980年の鳥人間コンテスト選手権大会の時だから今年で33年になる。長
い時間が流れたようでいて、時が止まったような昔の感覚で彼女と、テーブル周辺の景色と、湖
岸の景色を見つめていったが、やがて、年老いた吾に返りった時、不思議な感覚に襲われていた。
日曜ということもあり近くのレストランも大勢の観光客でごった返していたが、場所を変え家の
近くのカンタータ(喫茶店)で紅茶を飲み帰ってきた。
 




今朝は、家庭菜園準備をしていた彼女と、双眼鏡と故障した光学式ワイヤレスマウスを買い物に
ビバ・シティに出かけ、その足で母親を迎えに行き、新緑の彦根城周辺をドライブし、夢京橋で
桜のアイスクリーム買って食べた母は美味しいと小声で喜ぶ。その後、宗安寺の牡丹を観て楽し
み写真を撮り帰ってきたが、夕食を終えると、食前酒で、昨日間違えた誕生日のお祝いをやり直
したという、奇妙な体験もしたが、シムの往路で流れていたローリングストーンの曲が耳に残り、
ユーチューブで聞き直してみた。
 

   Rolling stone  Street fighting man

 

 Everywhere I hear the sound of marching, charging feet, boy
 cause summers here and the time is right for fighting in the street, boy
 But what can a poor boy do
 Except to sing for a rock 'n roll band
 cause in sleepy london town
 There's just no place for a street fighting man

 Hey! think the time is right for a palace revolution
 But where I live the game to play is compromise solution
 Well, then what can a poor boy do
 Except to sing for a rock 'n roll band
 cause in sleepy london town
 There's no place for a street fighting man
 No

 Hey! said my name is called disturbance
 I'll shout and scream, I'll kill the king, I'll rail at all his servants
 Well, what can a poor boy do
 Except to sing for a rock 'n roll band
 cause in sleepy london town
 There's no place for a street fighting man
 No

                        Songwriters: JAGGER, MICK / RICHARDS, KEITH

 

 

   大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて
 生きていた。その間に二十歳の誕生日を迎えたが、その刻み目はとくに何の意味も持たなかっ
 た。それらの日々、自らの命を絶つことは彼にとって、何より自然で筋の通ったことに思えた。
 なぜそこで最後の一歩を踏み出さなかったのか、理由は今でもよくわからない。そのときなら
 生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵をひとつ呑むより簡単なことだったのに。
  つくるが実際に自殺を試みなかったのはあるいは、死への想いがあまりにも純粋で強烈すぎ
 て、それに見合う死の手段が、具体的な像を心中に結べなかったからかもしれない。具体性は
 そこではむしろ副次的な問題だった。もしそのとき手の届くところに死につながる扉があった
 なら、彼は迷わず押し開けていたはずだ。深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして。
 しかし幸か不幸か、そのような扉を手近な場所に見つけることが彼にはできなかった。

  あのとき死んでおけばよかったのかもしれない、と多崎つくるはよく考える。そうすれば今
 ここにある世界は存在しなかったのだ。それは魅惑的なことに思える。ここにある世界が存在
 せず、ここでリアリティーと見なされているものがリアルではなくなってしまうこと。この世
 界にとって自分がもはや存在しないのと同じ理由によって、自分にとってこの世界もまた存在
 しないこと。

  しかし同時に、なぜ自分がその時期、それほどぎりぎりのところまで死に近づかなくてはな

 らなかったのか、その理由もつくるには本当には理解できていない。具体的なきっかけはあっ
 たにせよ、死への憧憬がなぜそこまで強力な力を持ち、自分を半年近く包み込めたのだろう?
 包み込む--そう、まさに的確な表現だ。巨大な鯨に谷まれ、その腹の中で生き延びた聖書中
 の人物のように、つくるは死の胃袋に落ち、暗く淀んだ空洞の中で日付を持たぬ日々を送った
 のだ。

  彼はその時期を夢遊病者として、あるいは自分が死んでいることにまだ気づいていない死者
 として生きた。日が昇ると目覚め、歯を磨き、手近にある服を身につけ、電車に乗って大学に
 行き、クラスでノートを取った。強風に襲われた人が街灯にしがみつくみたいに、彼はただ目
 の前にあるタイムテーブルに従って動いた。用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの
 部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた、
 彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは
 堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった。

  死について考えないときは、まったく何についても考えなかった。何についても考えないこ
 とは、さしてむずかしいことではなかった。新聞も読まず、音楽も聴かず、性欲さえ感じなか
 った。世間で起こっていることは、彼にとって何の意味も持だなかった。部屋に閉じこもって
 いるのに疲れると、外に出てあてもなく近所を散歩した。あるいは駅に行ってベンチに座り、
 電車の発着をいつまでも眺めた。

  毎朝シャワーを浴び、丁寧に髪を洗い、週に二度洗濯をした。清潔さも彼がしがみついてい
 る柱のひとつたった。洗濯と入浴と歯磨き。食べることにはほとんど注意を払わなかった。昼
 食は大学の食堂で食べたが、あとはまともな食事はほとんど取らなかった。空腹を感じると、
 近所のスーパーマーケットで林檎や野菜を買ってきて瘤った。あるいは食パンをそのまま食べ、
 牛乳を紙パックから飲んだ。眠るべき時間が来ると、ウィスキーをまるで薬のように、小さな
 グラスに一杯だけ飲んだ。ありかたいことにアルコールに強くなかったせいで、少量のウィス
 キーが彼を簡単に眠りの世界に運んでくれた。当時の彼は夢ひとつ見なかった。もし見たとし
 ても、それらは浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて
 滑り落ちていった。

  多崎つくるがそれほど強く死に引き寄せられるようになったきっかけははっきりしている。
 彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある日、我々はみんなもうお前とは
 顔を合わせたくないし、口をききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐
 突に。そしてそのような厳しい通告を受けなくてはならない理由は、何ひとつ説明してもらえ
 なかった。彼もあえて尋ねなかった

  四人とは高校時代の親友だったが、つくるは既に故郷を離れ、東京の大学で学んでいた。だ
 からグループから追放されたところで日常的な不都合があるわけではない。道で彼らと顔を合
 わせて気まずい思いをすることもない。しかしそれはあくまで理屈の上でのことだ。その四人
 から遠く離れていることで、つくるの感じる痛みは遂に誇張され、より切迫したものになった。
 疎外と孤独は何百キロという長さのケーブルとなり、巨大なウィンチがそれをきりきりと絞り
 上げた。そしてその張り詰めた線を通して、判読困難なメッセージが昼夜の別なく送り届けら
 れてきた。その音は樹間を吹き抜ける疾風のように、強度を変えながら切れ切れに彼の耳を剌
 した。

  五人は名古屋市の郊外にある公立高校で同じクラスに属していた。男が三人、女が二人。一
 年生の夏に、ボランティア活動がきっかけで友だちになり、学年が変わりクラスが分かれても、
 変わらず親密なグループであり続けた。その活動は学校から与えられた夏休みの社会科の課題
 だったが、所定の期間が終わっても、グループは自分かちの意思で自発的に活動を継続した。
  奉仕活動の他にも、休日にみんなでハイキングに行ったり、テニスをしたり、知多半島まで
 泳ぎに行ったり、誰かの家に集まって一緒に試験勉強をしたりした。あるいは(そういうこと
 がいちばん多かったのだが)とくに場所を選ばず、みんなで額を寄せ合うようにしていつまで
 も話し込んだ。決まったテーマを設けて話すわけではないが、話題が尽きることはなかった。

  五人が出会ったのは偶然の成り行きだった。課題のボランティア活動にはいくつか選択肢が
 あり、学校の通常の授業についていけない小学生(多くは不登校児童だ)を集めたアフタース
 クールの手伝いをするというのも、そのひとつだった。カソリック教会が立ち上げたスクール
 
で、三十五人いるクラスの中でそのプログラムを選んだのは彼ら五人だけだった。五人は名古
 屋市近郊で聞かれたサマー・キャンプに三日間参加し、子供だちとすっかり仲良くなった。
  キャンプの作業の八日間に彼らは暇をみつけて率直に語り合い、お互いの考えや人となりを
 理解し合った。希望を語り、抱えている問題を打ち明けた。そして夏のキャンプが終わったと
 き、五人はそれぞれに「自分は今、正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている」と感じ
 た。自分は他の四人を必要とし、同時に他の四人に必要とされている--そういう調和の感覚
 があった。それはたまたまもたらされた幸運な化学的融合に似ていた。同じ材料を揃え、どれ
 だけ周到に準備をしても、二度と同じ結果が生まれることはおそらくあるまい。

  その後も彼らは週末に、月におおよそ二度のペースでそのアフタースクールに行って、子供
 たちに勉強を教えたり、本を読んでやったり、一緒に運動をして遊んだりした。また庭の草刈
 りや、建物のペンキ塗りや、遊具の補修をしたりもした。そういう活動が高校を卒業するまで
 二年半ほど続けられた。
  ただ男が三人、女が二人という構成は、最初からいくらか緊張の要素を合んでいたかもしれ
 ない。たとえばもし男女二人ずつがカップルを作れば、一人がはみ出してしまうことになる。
 そういう可能性は常に彼らの頭上に小さな堅い傘雲としてかかっていたはずだ。でも実際には
 そんなことは起こらなかったし、起こりそうな気配すら見えなかった。そういう可能性は常に
 彼らの頭上に小さな堅い傘雲としてかかっていたはずだ。でも実際にはそんなことは起こらな
 かったし、起こりそうな気配すら見えなかった。

  偶然というべきか、五人はみんな大都市郊外「中の上」クラスの家庭の子供たちだった。両
 親はいわゆる団塊の世代で、父親は専門職に就いているか、あるいは一流企業に動めていた。
 子供の教育には出費を借しまない。家庭も少なくとも表面的には平穏で、離婚した両親はいな
 かったし、母親はおおむね家にいた。学校はいわゆる受験校だったから、成績のレベルも総じ
 て高い。生活環境についていえば、彼ら五人の間には相違点よりは共通点の方がずっと多かっ
 た。

  また多岐つくる一人を別にして、他の四人はささやかな偶然の共通点を持っていた。名前に
 色が含まれていたことだ。二人の男子の姓は赤松と青海で、二人の女子の姓は白根と黒埜たっ
 た。多崎だけが色とは無縁だ。そのことでつくるは最初から微妙な疎外感を感じることになっ
 た。もちろん名前に邑がついているかいないかなんて、人格とは何の関係もない問題だ。それ
 はよくわかる。しかし彼はそのことを残念に思ったし、自分でも驚いたことに、少なからず傷
 つきさえした。他のみんなは当然のことのようにすぐ、お互いを色で呼び合うようになった。
 「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というように。彼はただそのまま「つくる」と呼ばれた。
 もし 自分が色のついた姓を持っていたらどんなによかっただろうと、つくるは何度も真剣に
 思ったものだ。そうすればすべては完璧だったのに。
 

                                       PP.3-8
                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 

 

 

 

【大蒜のバイオインフォマティクス】

理化学研究所発生・再生科学総合研究センタなどの国際チームが、2種類のカメのゲノム(全遺
伝情報)を解読したと発表した。カメには甲羅が
あるなど独特の形態をしており、爬虫(はちゅう)類
の中で遺伝上、ワニとトカゲのどちらに近いのか、進化の起源を巡って議論になっていたが、
回の解読の結果、ワニに近いことが分かったというのだ。このように遺伝子が持つ膨大な情報を
解析人類の進化に役立てようする動きは、『デジタル革命渦論』のコアにある。このようにに生
物情報科学、あるいは
バイオインフォマティクス(bioinformatics)とは、計算機科学の技術を
応用して生物学
の問題を解こうとする学問であるが、その主な研究対象分野に(1)遺伝子予
(2)遺伝子機能予測(3)遺伝子分類(4)配列アラインメント(5)ゲノムアセンブリ(6)
タンパク質構造アラインメント(7)タンパク質構造予測(8)遺伝子発現解析(9)タンパク
質間相互作用の予測(10)進化のモ
デリングなどがある。近年多くの生物を対象に実施されてい
るゲノムプロジェクトによって大量
の情報が得られる一方、それらの情報から生物学的な意味を
抽出することが困難であることが広く認識されるようになり、バイオインフォマティクスの重要
性が注目されている。
 

膨大な情報を処理するには高速処理電算機が必要だが、もちろん、植物である大蒜栽培の歴史、
日本への渡来過程の解析にも欠かせない。その中で、ドイツの専門家が、ドイツ、東ヨーロッパ
中央アジア、北朝鮮、地中海地域の国々およびその他の国々から収集した登録書付きの数百棒の
ニンニクをアイソザイム(isozymes)およびRAPD(random amplified polymorphic DNA)で分析
し、主な品種間の分類を行い、今まで異なる種として分類され野生ニンニクに近いとされていた
Allium longicuspis属との関係も明らかにしているが、Allium sativum.L属は大きく四つのグル
ープに分けられる(参照@下図:ロンギクスピス(longicuspis)グループ(サブグループペキ
ネンス(pekinense)を含む)、オヒオスコロドン(ophioscorodon)グループ、サチバム(sat-
ivum)グループおよび亜熱帯(subtropical)グループに分けられる。

 

例えば、ロンギクスピス(longicuspis)グループの遺伝子解析の結果では、最近まで別の種と
考えられていたサブグループのペキネンスの抽台するニンニクはこのグループに近いことがわか
ったが、グループ内の中央アジアのタイプと比較すると、短い(40~75cm)背丈、比較的幅の広
い葉,コイル状にならない花茎、比較的犬きくて少ない数の珠芽、非常に長くて開くことが少な
い総包をもっていることなど、形態的にはかなり異なっているという。遺伝的には近いが、形態
的にみれば異なっているということは、ロンギクスピスグループの遺伝的背景をもっているが、
まだその土地に馴染む途上にあるのではないかと解釈されている。また、ニンニク発祥の地であ
る中央アジアを含むオリエントの歴史をみると、2万年ほど前から少しずつ乾燥が進んでいき、
1万年ぐらい前になると、原生林地帯であったこの地がサバンナ地帯および全く植物の生長しな
い砂漠地帯に変化してしまい、ただ地下水の湧くオアシス地域が砂漠のところどころに散在する
状態になっていったとみられている。



こうして人々の住めるところ、草原地帯と川のほとりやオアシス地域など水にめぐまれた地帯と
に分かれ、それぞれの地帯でオリエント的な自然環境が生まれ、それに順応していけるような生
活の工夫がなされていく。その結果、狩猟・採集の生活からしだいに遊牧生活と農耕生活という
今日までもこの地域では変わらない二つの生活様式が、1万~8,000年前ごろにはじまる。
この
ような歴史をもつ地域の北西に位置する天山山脈の西側で発祥したニンニクは、古代のメソポタ
ミアおよびエジプトに持ち込まれた。シュメ一ルおよびアッカデイアの視形文字の記録書による
と、紀元前2600年ごろに遡ることができ、紀元前3750年のエジプトの王墓の中からニンニクの粘
土模型が発見されているが、実際のニンニクは紀元前1300年ごろのエジプトの王ツタンカーメン
の墓の中から発見されたのが最初であるとされている
このように、解析データから大蒜の進化
過程分析が可能となったことで、品種改良による予測が可能となる。そんなことを考えながら『
ニンニク工場』の構想を進めている。
 


 

さて、ミッドナイトだ。アベノミクスに関する本や雑誌やマスコミが賑やかだ。周知の通りこの
考え方は欧米由来だ(多少なりとも日本に独自性があるとすれば、計量経済学や複雑系経済学の
学者が関係する)。しかし、個人的にはオイルショックの反インフレ闘争から独自に関係したこ
とであり、『デジタル革命渦論(でじたるかくめいかぶん)』に繋がるものだ。
日常の繰り返し
の中では、決して他人からも、彼女からも理解されない、実存と構造を巡る激し
い葛藤や投企(
行動・演技)の40年間の澱として固有な存在
としてありそこから批判が起こる。ローリングス
トーンズが唱う核心が今日では日々進行しているというわけだ。

※40年前偶然に、三上治(ハンドルネーム)と出会い、いままた、ポール・デヴィッドソンと出
 会ったが、‘必要が発明の母’という言葉があるように‘門をたたけ、されば開かれん’とい
 うことだが、「1ペニーの支出は1ペニーの所得になる」とは蓋し名言。

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インディカー巡礼の明日

2013年04月28日 | 時事書評

 

 

 

 
インディカー・シリーズはF1と共に自動車レースの最高峰の1つといわれ、その中には「インデ
ィアナポリス500マイルレース」、通称「インディ500」も含まれる米国の伝統の自動車レー
ス、インディカー・シリーズの第3戦がカリフォルニア州で行われ、元F1ドライバーの佐藤琢磨
が、日本人ドライバーとして初優勝した。心臓に毛がフサフサと生えている欧米人違った日本人に
は絶対勝てないという迷信?はこれで覆された。

  

 





  新宿駅は巨大な駅だ。一日に延べ三百五十万に近い数の人々がこの駅を通過していく。ギネ
 スブックはJR新宿駅を「世界で最も乗降客の多い駅」と公式に認定している。いくつもの路
 線がその構内で交わっている。主要なものだけで中央線・総武線・山手線・埼京線・湘南新宿
 ライン・成田エクスプレス。それらのレールはおそろしく複雑に交差し、組み合わされている。
 乗り場は全部で十六ある。それに加えて小田急線と京王線という二つの私鉄線と、三本の地下
 鉄線がそれぞれ脇腹にプラグを差し込むような格好で接続している。まさに迷宮だ。通勤ラッ
 シュの時刻にはその迷宮は人の海になる。海は泡立ち、逆巻き、咆璋し、入り口と出目をめが
 けて殺到する。乗り換えのために移動する人々の流れがあちこちで錯綜し、そこに危険な渦が
 生まれる。どんな偉大な預言者をもってしても、そのような荒々しく逆巻く海を二つに分かつ
 ことは不可能だろう。 

  そんな圧倒的な数の人々が週に五日、朝と夕方の二回、決して十分とはいえない数の駅員た
 ちによって、要領よく、大過なくさばかれているなんて、簡単には信じがたいことだ。とりわ
 け朝のラッシュアワーが問題になる。人々はみんなそれぞれの目的地に向かって急いでいる。
 タイムレコーダーを定められた時刻までに押さなくてはならない。機嫌が良い訳はない。まだ
 眠気もうまく取れていない。そしてほとんど隙間もなく混み合った列車は、彼らの肉体と神経
 を痛めつけている。座席に座れるのはよほど幸運な人間だけだ。よく暴動が起きないものだ、
 事故による流血の惨事がもたらされないものだと、つくるはいつも感心する。もしそんな極端
 に混雑した駅や列車が、狂信的な組織的テロリストたちの攻撃の的にされたら、致命的な事態
 がもたらされることに疑いの余地はない。その彼害はすさまじいものになるだろう。鉄道会社
 で働く人々にとっても、警察にとっても、もちろん乗客たちにとっても、それは想像を絶する
 悪夢だ。にもかかわらず、そのような惨事を防ぐ手だては今のところほとんどない。そしてそ
 の悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こった
ことなのだ。

  駅員たちはラウドスピーカーで叫び続け、懇願し続け、発車のベルはほぼ休みなく鳴り続け、
 改札の機械はカードと切符と定期券の膨大な情報を黙々と読み取り続ける。秒単位で発着する
 長い列車は、よく調律された我慢強い家畜のようにシステマティックに人々を吐き出し、そし
 て吸い込み、ドアを閉めるのももどかしく次の駅へと向かう。階段を上ったり下りたりすると
 きに、人混みの中で後ろの誰かに足を踏まれ、片方の靴が脱げてしまったとしても、それを回
 収することはまず不可能だ。靴はラッシュアワーという激しい流砂の中に呑み込まれて消えて
 いく、彼なり彼女なりは片方の靴なしで長い一日を送るしかない。
  一九九〇年代の初め、まだ日本経済のバブルが続いている頃、あるアメリカの有力紙が、冬
 の朝のラッシユアワーに新宿駅の階段を降りていく人々の写真を大きく掲載した(あるいは東
 京駅だったかもしれないが、どちらにしても同じことだ),そこに写っている通勤客は、みん
 な申し合わせたみたいに下を向いて、缶詰に詰め込まれた魚のように生気のない、暗い顔をし
 ていたノ記事には「日本はたしかに裕福になったかもしれない。しかし多くの日本人はこのよ
 うに俯いて不幸そうに見える」とあった。そしてそれは有名な写真になった。

  日本人の多くが実際に不幸なのかどうか、それはつくるにもよくわからない。しかし混雑し
 た朝の新宿駅の階段を降りていく通勤客が、みんな揃って顔を下に向けていた本当の理由は、
 彼らが不幸だったからというよりはむしろ、足もとを気にしていたからだ。階段を踏み外さな
 いように、靴をなくさないように--ラッシユアワーの巨大な鉄道駅ではそのことがとても重
 要な課題になる。写真にはそのような実際的なバックグラウンドについての言及はない。そし
 て暗い色合いのオーバーコートを着て、俯いて歩いている人々は、だいたいの場合幸福そうに
 は見えない。もちろん毎朝、靴を失う心配をしなくては通勤もできないような社会を不幸な社
 会と呼ぶことは、論理的に十分可能であるわけだが。




  どれはどの量の時間を人々は日々の通勤に費やしているのだろう、とつくるは考えてみる。
 平均して片道一時間から一時間半。たぶんそんなところだろう。結婚して子供が一人か二人い
 て、都心に職場がある普通のサラリーマンが一軒家を持とうとすれば、どうしてもそれくらい
 の通勤時間を要する「郊外」まで出て行くしかない。そして一日二十四時間のうち、二時間か
 三時間がただ通勤するという行為に費やされることになる。満日電車の中では、うまくいけば
 新聞や文庫本くらいは読めるかもしれない。 iPodでハイドンの交響曲を聴いたり、スペイ
 ン語会話の勉強をしたりすることも、あるいは可能かもしれない。人によっては目を閉じ、長
 い形而上的な思索に耽ることもできるかもしれない。しかし一般的な意味あいにおいて、一日
 のうちのその二時間か三時間を、人生における最も有益な時間、良質な時間と呼ぶことはたぶ
 んむずかしいだろう。人の生涯のどれくらいの時間が、この(おそらくは)意味のない移動の
 ために奪われ、消えていくのだろう? それはどの程度人々を疲弊させ、すり減らしていくの
 だろう?

  しかしそれは鉄道会社に勤務し、主として駅舎の設計にあたっている多埼つくるが考慮すべ
 き問題ではない。人々の人生は人々に任せておけばいい。それは彼らの人生であって、多崎つ
 くるの人生ではない。我々が暮らしている社会がどの程度不幸であるのか、あるいは不幸では
 ないのか、人それぞれに判断すればいいことだ。彼が考えなくてはならないのは、そのような
 すさまじい数の人々の流れをいかに適切に安貨に導いていくかということだ。そこには省察は
 求められていない。求められているのは正しく検証された実効性だけだ。彼は思索家でも社会
 学者でもなく、一介のエンジニアに過ぎないのだ。

  多崎つくるはJRの新宿駅を眺めるのが好きだった。 
  新宿駅に行くと、彼は券売機で入場券を買って、だいたいいつも9・10番線のプラットフォ
 ームに上がる。そこには中央線の特急列車が発着している。松本行きか甲府行きの長距離列車
 だ。通勤客が中心になっている他のプラットフォームに比べれば乗降客の数は遥かに少なく、
 列車の発着もそれほど頻繁ではない。ベンチに座って、駅の様子をゆっくり観察することがで
 きる、

  彼は他の人々がコンサートに行ったり、映画を見たり、クラブに踊りに行ったり、スポーツ
 観戦をしたり、ウィンドウ・ショッピングしたりするのと同じような感覚で鉄道駅を訪れた。
 時間が余って何をすればいいのか思いつかないとき、よく一人で駅に行った。気持ちが落ち着
 かないときや、何か考え事があるときにも、足は自然に駅に向かった。そしてプラットフォー
 ムのベンチに腰を下ろし、売店で買ったコーヒーを飲み、発着する電車の時刻を小型の時刻表
 (それは常に鞄の中にある)で確認しながら、ただじっとそこに座っていた。そうやって何時
 間でも暇をつぶすことができた。学生の頃は駅舎の形状や、乗客の流れや、駅員たちの動きを
 チェックし、気がついたことをノートに細かくメモしたものだが、さすがにもうそこまではや
 らない。

  特急列車がスピードを落としながらプラットフォームに到着する。ドアが開き、乗客が列車
 から次々に降りてくる。そんな光景をただ見ているだけで、彼は満ち足りた穏やかな気持ちに
 なることができた。ぴったり時刻通りに支障なく列車が発着していることがわかると、自分の
 勤務する鉄道会社の駅ではないにもかかわらず、診らしさを感じた。静かな、飾りのない誇ら
 しさだった。到着した列車に清掃作業員のチームが素早く乗り込んでゴミを回収し、座席をき
 れいになおしていく。帽子をかぶり制服を着た乗務員たちが、勤務の引き継ぎをてきぱきと行
 い、次の列車運行のための準備が整えられていく。車両についた行き先の表示が変わり、列車
 に新しい番号が与えられる。すべてが秒単位で順序よく、無駄なく、滞りなく進行する。それ
 が多岐つくるの属している世界だった。


  彼はヘルシンキの中央駅でも同じことをした。簡単な時刻表をもらい、ベンチに腰を下ろし、
 紙コップで熱いコーヒーを飲みながら、発着する長距離列車を眺めた。地図で列車の行き先を
 確認し、それがどこからやってきたのかを確認した。列車から次々に降りてくる乗客たちや、
 目当てのプラットフオームに向かって足早に歩いて行く乗客たちの姿を眺めた。制服を着た駅
 員や乗務員の動きを目で追った。そんな風にしていると、いつもと同じ穏やかな気持ちになる
 ことができた。時間は均質に、滑らかに過ぎていった。構内放送が聞こえないことを別にすれ
 ば、新宿駅にいるときと同じだ。たぶん世界中どこでも、鉄道駅の運営される手順は基本的に
 変わりない。正確で手際の良いプロフェッショナリズム。その様子は彼の心に、自然な共感を
 呼び起こした。自分は正しい場所にいるのだという確かな感覚がそこにはあった。


                                       PP.348-353                         
                 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



 

 

ところで、村上春樹は京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つたが、父が私立
甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく西宮市の夙川に転居。父は京都府長岡京市粟
生の浄土宗西山光明寺住職の息子で、母は大阪・船場の商家の娘という生粋の関西人。当然
のこと
ながら関西弁を使ってきた。両親ともに国語教師で本好きの親の影響を受け読書家に育ち、
両親が
日本文学について話すのにうんざりし、欧米翻訳文学に傾倒]、親が購読していた河出書房の『世
界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごしたという経緯
を持つというが、ここでひっかかったのが、浄土宗西山光明寺で、何のことはない、長岡京市は技
術開発本部のビルがありなじみ深い場所で、熊谷直実が建立した光明寺で清和源氏?の流れをくむ
父方の宗門に属すこともありネット検索することになる。そういえばお寺さんの顔立ちじゃないの
かなぁと思ってもみたが、ただそれだけのことである。

 

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大蒜工場巡礼の明日

2013年04月27日 | 時事書評

 

 

 

【大蒜への弾圧】

ニンニクが日本に入ったとき、医薬品として貴重な存在であったが、徐々に一般に普及するとと
もに、食品としても使われるようになる。仏教の戒律によりニンニクの禁忌が始まったにもかか
わらず、ニンニクは医薬品として、また食品としても普及・発展していくが、やがて室町時代か
ら安土桃山時代にかけ、中国の金・元および明の医学や南蛮医学が激流のごとく入り込んできた
と同時に、新しい生薬が中国・朝鮮や南蛮から入ってくる。『本草綱目』のニンニクのくだりは
庶民に受け入れられた医薬品として疾病に対するニンニクの新しい使い方を紹介し、独自の医療
に育っていったことを物語っている。悪臭にもかかわらず、食品として、調味料として広く普及
しだした。

しかし、ニンニクの使用に再び陰がさす。その第1の理由が徳川幕府が政権維持のために仏教を
利用したが仏教のなかでも禅宗であったことによる。家康は金地院崇伝を僧録司、禅宗全休を司
る地位に重用。崇伝は寺院法度(1615年)を布告し、仏教管轄権を朝廷から幕府に移すなどして
勢力を仏教各派全体に及ぼすようになっ宗門を改めた。「宗門改め」の制度は庶民をよりいっそ
う仏教にむすびつけ、ニンニクの禁忌が庶民にまで強く要求されていくことになる。不浄の理由
が「婬を発す」であったのが「悪臭]に比重が置かれるようになる。この影響はまず徳川幕府の
大奥、大名屋敷においてあらわれ、町人階級や庶民へと拡まっていった。江戸から各地方都市に
も拡がり、都市でのニンニクの使用が滅少する。第2の理由には新しい医薬品の出現である。鎖
国により海外から輸入される医薬品は減少したが、依然輸入され高価で売られていた。輸入品の
代用で生まれた国産品が数々登場し、医師はこぞって新しい高価な医薬品を使った。特に養生・
養命のための医薬品(補薬)が豊富に出まわり、当時江戸八百八町では生薬屋が一番多いといわ
れていた。養命酒が出現したのもこの頃。ニンニクの欠点は市場性(商品価値)がなかったこと
である.安価で保存がむずかしく、他の補剤と併用できないことと、単品で生または簡単な加工
でしか使えないことにもよる。

このため、ニンニクが対応していた疾病に他の生薬が使われるようになる。1716年、八代将軍吉
宗はキリシタンに関係しない洋書の輸入売買を許可し、医学・薬学の領域は急速に西洋の新知識
を摂取し、蘭学が盛んになる。新しいヨーロツパの生薬が堰を切ったように入り、蘭学は蘭方と
呼ばれ、それに対して日本の伝統医学は漢方と呼ばれるようになる。清の弱体化にともない中国
医学も衰退し、中国本草に対する依存度が低下、日本の医師による薬物書の編纂が著しく増加し、
独自の薬学が展開する。幕府や各藩は薬草栽培を奨励し、本草家は物度会を主催し、民間におけ
る博物学の普及に努めた。人参栽培の成功、国産薬材の輸出もはじまり、国産生薬は中国のみな
らずヨーロッパにまでも運ばれた、当時、使われていた医薬品数は世界一であり、庶民の医療(
病気、健康、長寿)およびその医薬品に対する知識の豊富さは世界一であったといってもいいす
ぎではない。しかし、奨励されたニンニク栽培はだんだん陰をひそめ、医薬品としての使用もま
すます辺境へと押しやられていった。

1778年、ロシア船が松前藩に通商を求めてきた頃、幕府は内政商の行き詰りから国力が弱体化し
てき
た。さらに追い打ちをかけだのは西欧諸国の進出と天災で、医学は析真誠が台頭し、後世誠
古方派と乱雑を極めた日本の医学ははじめてその体系が整備されたが、西洋医学に押され衰退し
ていったが、薬草の増産奨励と産業化は最高潮に達する。本草書も考証学の発達とリンネの植物
分類の採用など西洋博物学の受け入れで、薬用植物学が躍進し、実証的薬効の探求が行われた。
逆に、日本から中国へ医学書(『束医宝鑑』、『聖済絶縁』など)が輸出されるが、文明の衰退
により生薬屋の店頭から養生・養命に関する薬物は減り、生薬屋すらも減っていく。ニンニクの
養生・養命に対する効果も少しずつ忘れ去られていった。



ここにきて,何故『大同類聚方』には医薬品としてのニンニクの利用が少なく、『医心方』には
多いのかという疑問が解決。『医心方』には当時のことがそのまま記述されているが、『大同類
聚方』はたえず書き直され、江戸時代後期にニンニクの使用例が削除されていったと見られる。
第3の理由には「生類憐みの会」などによる肉食の禁止である。中国では鶏・肉とニンニクの会
食禁が述べられているが、わが国では肉の悪臭を消し味を良くすることが述べられているものの
肉食の禁止によりニンニクの使用も減る。やがて食品としての使用も辺境へ押しやられていった。

とどめを刺す事態が明治7年(1874年)に起きる。西洋医学を採用した明治政府の医制の発令に
より、漢方、
すなわち、伝統医学は壊滅的打撃をうけた。ニンニクは薬局方にも採用されず,辺
境の地の医師達がごくわずかに使っていた医薬品としてのニンニクが、徐々に消え、食品として
かろうじて生き残っる。明治3年(1870年)の神仏分離令による仏教排撃で種々の戒律が破られ、
肉食などが復活するが、ニンニクの悪臭は不浄という概念が戒律を離れ一人歩きしだし、そのた
め食品としてもはなばなしく復活できなかった。

その後,合成医薬品の安全性に関する問題が多発し、1960年頃から伝統医タ活かヨーロッパではじ
まっる。ニンニクもヨーロッパでは医薬品として復活。日本でもニンニクの研究が高まり、スコ
ルジニン成分が抽出され、その抽出エキスはオキソアミヂン(厚床商品名)、加工大蒜(一般名)
と呼ばれて医薬品原料として承認され(1957年頃)、加工大蒜を加えた製品が数多く市販されて
いる。ヨーロッパではスコルジニンの存在に早くから疑問が発せられ、加工大蒜の品質(安定性)
に関しても問題があがっている。1966年、自然熟成法による無臭ニンニクエキス配合の医薬品「
キョーレオピン」が発売。しかし単独のニンニク製品はアメリカと同様、医薬品としては認めら
れていない。




アメリカでは1994年にすべての植物性生薬が栄養補助食品として認定され、いまやニンニク製品
の売り上げは第1位であるが、最近、アメリカはニンニクを含む強精の植物性栄養補助食品にU.
S.P.やN.F.の規制を設けた。日本でもニンニクは健康食品として脚光を浴び、町にはニンニク料
理やその専門店が氾濫し、食品として市民権を再び獲得する。問題は、ニンニクが医薬品として
復活できるかどうかであり、ニンニクの加工法により含有成分が異なり、不安定な物質が合成さ
れることもあり、異なった薬理作用をもつ物質ができる。このためそれぞれの加工法によってつ
くられたニンニク製剤の品質の安定性、薬効、安全性、他剤との相互作用の検討が必要とされて
いる。ニンニクを眠りからさまさせ、医薬品としてのルネッサンスを迎える日が近づいてきたが、
アメリカ、日本ではいまだ食品の範囲であり、医薬品としてのルネッサンスを迎えるのはいつの
ひになるだろう?! 


【爆発性感染症予防技術】

中国での鳥インフルエンザが問題となっている。感染症とは、細菌、真菌、ウイルス、寄生虫、
異常プリオン等の病原体の感染によって生じる病気の総称で、感染しても症状を呈さないもの(
不顕性感染)や、感染後に症状が出るものも含めて一連の流れとして感染症と称されている。感
染症については、微生物学、免疫学、薬理学、内科学、外科学、公衆衛生学等の進歩を背景に感
染症の診断、治療、予防を扱う感染症学が発展しつつある今日であっても、世界全体では未だに
死因の約4分の1を感染症が占めているといわれる。特にマラリア、結核、AIDS、腸管感染
症は発展途上国で大きな問題であり、先進国においても多剤耐性菌の蔓延や、高度医療の発展に
伴い、手術後の患者や免疫抑制状態の患者における日和見感染が増加する等、完全な解決に向か
っているとはいえない状態にある



感染症は体内の様々な器官で発生し、例えば、脳炎、鼻炎、咽頭炎、肺炎、感染性心内膜炎、肝
炎、腸炎
等、その感染した器官において主に炎症を引き起こす。感染原因が細菌やウイルスであ
って、静脈炎、心内膜炎、又はリンパ管炎の病巣を菌の供給源とした臨床症候群を敗血症と呼ぶ。
敗血症は全身性炎症反応症候群であり、無治療では、ショック、多臓器不全、播種性血管内凝固
症候群(DIC)等から早晩死に至ることがある。敗血症は元々体内の免疫力が低下した場合に
合併して発症することが多いことから、その治療成績も決して良好とはいえない。敗血症の診断
は、白血球数や血清中のC反応性タンパク(CRP)等の一般的な炎症反応の検査とともに、血
液培養による原因菌の検索も行われている。原因菌の特定は敗血症の治療方針の決定に重要であ
るが、菌の培養に時間がかかることから数日~1週間という時間を要する。従って、原因菌が判
明するまでの間は、原疾患や病態から感受性の高いと思われる抗生物質を投与し、原因菌が判明
した後に当該菌に感受性の高い抗生物質が投与されているが、
炎症の診断では、CRPが代表的
な診断用マーカーは既に炎症が起きている場合にその値が上昇するもので、感染症の早期診断と
いう観点ではCRPのみの検査で完全でないため、反応性に富びかつ高感度な感度感染症の疾患
マーカーが求めている。感染症の診断用キットで、染症、特に敗血症を迅速且つ早期に診断する
ことのできるツールの開発研究が進められている(参考@下図クリック)。

 

理想的なことをいえば、例えば関西空港で、血液を少量摂取し、測定器に掛ければ、感性症の発症が数
秒で判定できるという夢のような(理想を言えば、非接触で測定できればよいが)検査システム
が実現す
れば、予防効率はグ~ッと上昇。どん欲な人類の欲望は未知なる世界に飛び出しつつあ
るが、宇宙旅行が簡単にできるような時代になれば新たなる感染症の脅威に曝されるリスクも拡
大するだろう。この欲望の連立方程式を解く努力はまさにイタチごっこ、マツチ-ポンプの世界
だ。粛々とこれに対応する叡智を信じる他ない。

 

 


  週末、つくるはジムのプールに行く。ジムは彼の住んでいるマンションから自転車で十分の
 距離にある。彼のクロールのペースは決まっていて、千五百メートルを三十二分から三十三分
 かけて泳ぐ。もっと速く泳ぐスイマーがいれば、脇に寄って先に行かせる。他人とスピードを
 競うことはつくるの性格には合わない。その日もいつものように、自分と似たスピードで泳ぐ
 スイマーを見つけ、同じレーンに入った。痩せた若い男だった。黒い競泳用の水着に黒いキャ
 ップをかぶり、ゴーグルをつけている。
  泳ぐことは身体に蓄積された疲労を和らげ、緊張した筋肉をほぐしてくれた。水の中に入る
 と、他のどこにいるより安らかな気持ちになれた。週に二日それぞれ半時間ほど泳ぐことで、
 彼は身体と精神のバランスを穏やかに保つことができた。また水中は考えごとに適した場所で
 もあった。それは一種の禅のようなものだ。いったん運動のリズムに乗ってしまえば、頭の中
 に思考を束縛なく漂わせることができる。犬を野原に放つように。




 「泳ぐのは空を飛ぶ次に気持ちの良いことなんだ」と彼は一度沙羅に説明したことがある。
 「空を飛んだことはあるの?」と沙羅は尋ねた。
 「まだない」とつくるは言った。

  彼はその朝、泳ぎながらおおむね沙羅のことを考えていた。彼女の顔を思い浮かべ、彼女の
 身体を思い浮かべ、彼女とうまくI体になれなかったことを思った。そして彼女が□にしたい
 くつかのことを思い出した。「あなたの中で何かがつっかえていて、それが自然な流れを堰き
 止めているのかもしれない」と彼女は言った。
 そうかもしれない、とつくるは思う。

  多崎つくるは人生を順調に、とくに問題もなく歩んでいる。多くの人々がそう考えていた。
 名のある工科大学を卒業し、電鉄会社に就職し、専門職に就いている。仕事ぶりについては社
 内でも安定した評価を得ている。上司にも信頼されている。経済的にも不安はない。父親が亡
 くなったとき、まとまった額の遺産を相続した。都心に近い、利便の良い住宅地にワン・ベッ
 ドルームのマンションを所有している。ローンも抱えていない。酒もほとんど飲まず、煙草も
 吸わず、金のかかる趣味を持っているわけでもない。というか、実際ほとんど全を使わない
 とくに倹約しているのではないし、禁欲的な生活を送っているわけでもない。ただ単に金の使
 い途を思いつけないだけだ。車も必要ないし、洋服の数も少しで間に合う。ときどき本やCD
 を貿うが、たいした額ではない,食事も外食より自炊することを好み、シーツも自分で洗濯し
 アイロンまでかける。

  だいたいにおいて無口で、人付き合いはあまり得意ではないが、かといって孤立した生活を
 送っているわけではない。日常的にある程度まで周囲に合わせて行動することはできる。進ん
 で外に出て女性を求めるようなことはしないが、これまで交際する相手にとくに不自由したこ
 ともなかった。独身で顔立ちも悪くなく、控えめで、身なりも清潔だ。だから誰かが、向こう
 から自然に近づいてきた。あるいはまわりの人々が知り合いの独身女性を紹介してくれた(沙
 羅もそのようにして知り合った相手の一人だ)。

  三十六歳で、一見優雅に独身生活を楽しんでいる。身体は健康で、贅肉もついていないし、
 病気ひとつしたことがない。蹟きのない人生だ、普通の人々はそう考えるだろう。母親や姉た
 ちもそう考えていた。「あなたの場合、一人暮らしが気楽過ぎるから、なかなか結婚する気に
 なれないのよ」と彼女たちはつくるに言った。そして見合いの話を持ち込むのもやがてやめて
 しまった。同僚たちもみんなそう考えていた。

  たしかに多崎つくるはこれまでの人生において、不足なくものを手に入れてきた。欲しいも
 のが手に入らずつらい思いをした経験はない。しかしその一万で、本当に欲しいものを苦労し
 て手に入れる喜びを昧わったことも、思い出せる限り一度もない。高校一年生のときに巡り合
 った四人の友人たちが、おそらくは彼がこれまでに手にした中では最も価値のあるものだった。
 しかしそれは彼が自分の意思で選んだというより、天の恵みのように自然に彼のもとに巡って
 きたものだ。そしてもうとうの昔に--やはり彼の意思とは関係のないところで--失われて、
 しまった。あるいは取り上げられてしまった。

  沙羅は彼が求めている数少ないもののひとつだ。まだ揺らぎのない確信を持つところまでは
 いかないが、彼はその二歳年上の女性にかなり強く心を惹かれている。彼女に会うたびに、そ
 の思いは強いものになっていった。そして今では彼女を手に入れるためにはいろんなものを犠
 牲にしてもいいと考えている。そんな強い生の感情を抱くのは、彼としては珍しいことだった,
 それでも--どうしてだろう--いざとなるとことは順調に運はない。何かが現れて流れを阻
 害することになる。「ゆっくり時間をかければいい。私は待てるから」と沙羅は言った。でも
 話はそれほど簡単ではないはずだ。人は日々移動を続け、日々その立つ位置を変えている。次
 にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。

  つくるはそんなことを考えるともなく考えながら、二十五メートル・プールを息の切れない
 ペースで往復した。顔を軽く片側に上げて息を短く吸い、水中でゆっくり吐いた。その規則正
 しいサイクルは距離を重ねるにしたがって、次第に自動的なものになっていった。片道に要す
 るストローク数もぴたりと同じになった。彼はそのリズムにただ身を任せ、ターンの回数だけ
 を数えていればよかった。同じレーンの彼の前を泳いでいる男の足の裏に見覚えがあることに、
 やがてつくるは気づいた。阪田の足の裏にうり二つだった。彼は思わず息を呑み、そのせいで
 呼吸のリズムが乱れた。鼻から水を吸い込み、泳ぎながら呼吸を再び安定させるのに少し時間
 がかかった。肋骨の檻の中で心臓がこつこつと硬く速い音を立てていた。

  間違いない。灰田の足の裏だ、とつくるは思った。大きさも形も、簡潔で確かなキックの打
 ち方もまったく同じだ。それが水中で立てる泡の形も同じだ。足の動きと同じように、泡も小
 さく柔らかく、リラックスしている。彼は大学のプールで、阪田の後ろを泳ぎながらいつもそ
 の足の裏を見ていた。夜の道路を運転する人が、前の車のテールライトから目を離さないのと
 同じように。そのかたちは彼の記憶に鮮やかに刻み込まれている。
  つくるは泳ぐのを中断して水から上がり、スタート台に腰かけてスイマーがターンして戻っ
 てくるのを待った。 

  でもそれは阪田ではなかった。キャップとゴーグルのせいで、顔つきまではわからなかった
 が、よく見ると灰田にしては身長がありすぎたし、肩の筋肉がつきすぎていた。首のかたちも
 まるで違う。また年齢も若すぎた。おそらくまだ大学生くらいだろう。灰田は今ではもう三十
 代半ばになっているはずだ。
  しかし人違いだとわかっても、つくるの心臓の鼓動はなかなか収まらなかった。彼はプール
 サイドのビニール椅子に座って、見知らぬスイマーの泳ぐ姿をいつまでも眺めていた。無駄の
 ない美しい泳ぎだった。フォーム全体が灰田のそれによく似ている。そっくりといってもいい
 くらいだ。しぶきも立てないし、無駄な音も立てない。肘が美しくすらりと宙に持ち上がり、
 親指から静かに入水する。決して急いではいない。求心的な静けさを保つことがその泳ぎの基
 本的なテーマになっている。しかし泳ぎ方がどれだけ似ていても、それは灰田ではない。やが
 て男は泳ぎやめて水から上がり、黒いゴーグルとキャップを取り、タオルで短い髪をごしごし
 と拭きながらどこかに行ってしまった。灰田とはまったく雰囲気の違う、角張った顔の男だっ
 た。
  つくるはそれ以上泳ぐことをあきらめ、ロッカールームに行ってシャワーを浴びた。そして
 自転車に乗って部屋に戻り、簡単な朝食をとりながら思った。灰田もおそらくおれの中につっ
 かえているものごとのひとつなのだと。




  フィンランドに旅行するための休暇はとくに問題もなくとれた。彼の有給休暇はこれまでほ
 とんど使われないまま、軒下の凍った雪のように積み上がっていた。上司に「フィンランド?」
 と径冴な顔をされただけだった。高校時代の友人がそこに住んでいるので会いに行くん
です、
 と彼は説明した。この先フィンランドに行く機会もあまりないと思いますし。

 「フィンランドにいったい何かあるんだ?」と上司は尋ねた。
 「シベリウス、アキ・カウリスマキの映画、マリメッコ、ノキア、ムーミン」とつくるは思い
 ついたことを並べた。
  上司は首を振った。どれにも興味がなさそうだった。
  つくるは沙羅に電話をかけ、成田・ヘルシンキ直行使の予定に合わせて具体的な日程を決め
 た。二週間後に東京を発ってヘルシンキに四泊し、東京に戻ってくる。
 「クロさんには連絡してから行くの?」と沙羅は訊いた。
 「いや、このあいだ名古屋でもそうしたように、予告なしで直接会いに行こうと思う」
 「フィンランドは名古屋よりずっと遠くにある。往復の時間もかかる。行ってみたらクロさん
 は三日前から夏休みをとってマジョルカ島に出かけていた、みたいなことになるかもしれない
 わよ」
 「それならそれでしかたない。のんびりフィンランド観光をして帰ってくる」
 「あなたがそう思うのなら、もちろんそれでいいけど」と沙羅は言った。「でもせっかく遠く
 まで行くんだから、他の場所には寄らなくていいの? タリンやサンクト・ペテルスブルクも
 目と鼻の先だけど」
 「いや、フィンランドだけでいい」とつくるは言った。「東京からヘルシンキに行って、そこ
 に四泊して東京に帰ってくる」
 「パスポートは持っているわよね、もちろん?」
 「入社したときに会社から言われて、いつでも使えるように更新してある。いつ海外出張があ
 るかもしれないからということで。でも、今でもまっさらなままだよ」
 「ヘルシンキ市内では英語でだいたい用が足りるけど、地方に行くとどんな事情なのか、ちょ
 っとわからない。ヘルシンキにはうちの会社の小さなオフィスがあるの。出張所みたいなとこ
 ろ。そこに連絡してあなたのことを伝えておくから、もし何かわからないことがあったら、そ
 こに行ってみて。オルガという名前のフィンランド人の女の子がいて、彼女はけっこう役に立
 つと思う」「ありがとう」とつくるは礼を言った。
 「私はあさってから仕事でロンドンに行くことになっているの。飛行機のチケットと、ヘルシ
 ンキのホテルの予約は取れ次第、メールでそちらに細かい情報を送っておく。うちのヘルシン
 キのオフィスの住所と電話番号も」
 「わかった」
 「ねえ、本当にアポイントメントなしでヘルシンキまで彼女に会いに行くの? はるばる北極
 圏を越えて」
 「常軌を逸している?」
 彼女は笑った。「私としてはむしろ『大胆』という言葉を使いたいけれど」
 「でもその方が良い結果がでるような気がするんだ。あくまで勘みたいなものだけど」
 「じゃあ、
幸運を析っている」と沙羅は言った。「ねえ、その前に一度会う? 週明けにはロ
 ンドンから戻ってくるけど」
 「いや」とつくるは言った。「もちろん君に会いたい。でもそれより先にフィンランドに行っ
 た方がいいような気がするんだ」
 「それも勘みたいなものなのね?」
 「そうだよ、勘みたいなものだ」
 「あなたはもともとそういう勘が働くタイプなの?」
 「いや、そんなことはないと思う。勘に従って行動を決めたことなんて、これまでほとんどな
 かったから。勘に従って駅を作ったことがないのと同じようにね。だいたいそれが勘と呼べる
 ものなのかどうか、それさえ僕にはよくわからない。ただふとそう感じただけだよ」
 「でもとにかく今回、そうした方がいいとあなたは感じるのね? それが勘であるにせよ、何
 であるにせよ」
  つくるは言った。「このあいだプールで泳いでいるときに、泳ぎながらいろんなことを考え
 たんだ。君のこととか、ヘルシンキのこととか。なんて言えばいいんだろう、直感を遡って行
 くみたいに」
 「泳ぎながら?」
 「冰いでいるとものがよく考えられるんだ」
 沙羅は感心したように少し沈黙の間を置いた。「鮭みたいに
 「鮭のことはよく知らないけど」
 「鮭はとても長く旅をする。特別な何かに従って」と沙羅は言った。「『スター・ウォーズ』は
 見たことある?」
 「子供の頃に」
 「フォースと共に歩みなさい」と彼女は言った。「鮭に負けないように」
 「ありがとう。ヘルシンキから戻ったら連絡するよ」
 「侍っている」
 そして電話が切れた。



                                      PP.230-238                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

※レイモンド・カーヴァーの詩「夜になると鮭が」イメージされる。


 


感性症予防のため瀬戸際でこのボーダレス時代にあって一役かっている検察犬が話題となってい
る(参照@巻頭写真)。余りの可愛さに思わずコピー掲載。朝から自治会の役員会に出席し、散
水用
シャワーノズルの漏れ改修を申し訳ない程度にやり、あとはいつもの通り作業継続。いよいよ大型連
休に入る。取り敢えずは比良山系にトレッキングを計画。それから諸々の計画をつくり(映画鑑賞も入れ)、
そして彼女との信州ドライブを入れ計画は終了。後は天気次第。 

 

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レジリエンス巡礼の明日

2013年04月26日 | 時事書評

 

 

 

 

【レジリエンスを巡る話題】

橋梁(きょうりょう)株が軒並み高く、ショーボンドホールディングスが連日で高値を更新し、横
河ブリッジホ
ールディングスは 06年2月以来の4ケタ乗せ、日本橋梁は26円高(12.7%高)の231
円ピーエス三菱は57円高(11%高)の501円まで買われ、宮地エンジニアリンググループ、駒井ハル
テックなども堅調に。これは
高速道路を管理する東日本高速道路など3社は、橋の架け替えやトン
ネルの改修など老朽化対策に、今後100年間で最大10兆6000億円が必要になるとの試算を公表したた
め株式市場では値動きの良い橋りょう株を中心に人気化したためだという。

その経緯は、東日本、中日本、西日本の高速道路会社3社の有識者委員会が25日、高速道路の老朽
化対策に関する中間取りまとめを発表。試算での必要な更新・修繕費用が、今後百年間で最大10兆
6千億円(おおよそ国家予算の10%、年率 0.1%
)にのぼる。高速3社によると、対象は主に橋梁
やトンネルなどの更新・修繕で、必要な金額は最低でも5兆4千億円で、うち更新(建て替え)に
2兆円、修繕(改修など)に3兆4千億円。ただ今後の検証で、更新・修繕に要する費用がかさみ
追加費用で5兆2千億円が必要になる可能性がある」(長尾哲・東日本高速道路会社常務)ため、
最大で10兆6千億円になるという。そこで 財源を捻出するには、(1)高速道路建設に伴う有利
子負債の償還期間の延長や料金引き上げ、(2)民間資金の活用などが想定されるが、詳細は「国
交省などと十分検討・調整する」方針



記事によると高速3社の高速道路は、今年3月末時点で合計で約8700キロメートル。うち、開通後
30年以上を経過した区間は約4割(約3200キロメートル)を占める。2050年には、開通後50年以上
の区間が約8割となり、劣化するリスクが大きくなる高速道路の老朽化対策をめぐっては、首都
圏を主要営業エリアとする首都高速道路会社(東京都千代田区)が1月、有識者会議の最終提言で、
管内の高速道の大規模更新・修繕に必要な費用を7900億~9100億円と試算した。今回の3社による
取りまとめは中長期的な維持管理が目標で、昨年12月の中央自動車道笹子トンネル(山梨県)で起
きた天井板崩落事故の教訓も踏まえ、今秋をめどに最終提言をまとめる。



しかし、「高速道路無料化」(『原理なき高速道路無料化批判』)や『新自由主義論Ⅰ』(藤井聡
久米功一松永明中野剛志らの『経済の強靭性(Economic Resilience)に関す
る研究の展望』(
タブーと経路依存性』))で展開してきたわたし(たち)の立場ではこれは社会的価値のある有
効需要-仕組みとしての対費用効果測定を前提として-である以上、税で賄うことも利用料金の値
上げで対応することの無用性を指摘しておしておこう。なんだったら、藤井聡らの主張しているよ
うな『レジリエンス国債』発行で対応しもよいだろう。それにしても、浮かれたような株価上昇、
アホなような現象は-これまでの失政を考えると同情もあるが-余り頂けないが。

 

【化合物3接合型太陽電池セルで世界記録を更新】

シャープは、3つの光吸収層を積み重ねた化合物3接合型太陽電池セルで、世界最高変換効率とな
37.9%を達成と発表。それによると、NEDO(産業総合技術研究所)の「革新的太陽光発電技術研
究開発」テーマの一環として開発に取り組んだ結果、産業技術総合研究所(AIST)において、世界最
高変換効率を更新する測定結果を確認。この
化合物太陽電池セルは、インジウムやガリウムなど、
2種類以上の元素からなる化合物を材料とした光吸収層を持つ変換効率の高い太陽電池開発した。
化合物3接合型太陽電池セルは、インジウムガリウムヒ素をボトム層として、3つの層を効率よく
積み上げて製造する独自の技術を採用。
今回、ボトム層を形成するインジウム・ガリウム・ヒ素の
組成比を最適化することで、太陽光の波長に合わせてより効率的に光を吸収でき、世界最高変換効
率の37.9%を達成する。



この勢いでは40%超えももうすぐだ。実用段階での40%ならこれはもう笑うしかないだろう。地球
温暖化(人為説による大規模気候変動)問題が解決できるだけでなく、貧困と収奪の歴史に終止符
を打つことになるだろう(そういえば『歴史の終焉』っていう本もあったけ。あれと同じようなも
のかもしれない)。なによりの日本人が、それを実現し世界に貢献できるから、日本国憲法の前
文を現実のものにするというわけだ。

それに忘れるところだったが、原子力発電とは異なり、デジタル革命の第二基本則のダウンサイジ

ングが働き、表示面積が怖ろしく小さくなり、この段階では集光レンズがコンパクトになりさらに
変換効率は50%超えも容易く実現する。しかし、これからが正念場ということになる。なんと仕合
わせなことか!?
 


  

  死の間際をさすらったその半年近くのあいだに、つくるは体重を七キロ落とした。まともな
 食事をとらなかったのだから、当然といえば当然のことだ。小さい頃からどちらかといえばふ
 っくらとした顔立ちだったが、今ではすっかり痩せ絹った体型になっていた。ベルトを短くす
 るだけでは足りず、ズボンを小さなサイズのものに買い換えなくてはならなかった。裸になる
 と肋骨が浮かび上がり、安物の鳥かごのように見えた。姿勢が目に見えて悪くなり、肩が前に
 傾いて落ちていた。肉を落とした二本の脚はひょろりとして水鳥の脚のようだ。これじゃ老人
 の身体だ。久方ぶりに分身鏡の前に裸で立って、彼はそう思った。あるいは今にも死にかけて
 いる人のようだ。 

  死にかけているように見えたとしても、それは仕方ないかもしれない。彼は鏡の前で自らに
 そう言い聞かせた。ある意味では、おれは実際に死に瀕していたのだから。木の枝に張りつい

 た虫の抜け殼のように、少し強い風が吹いたらどこかに永遠に飛ばされてしまいそうな状態で、
 辛うじてこの世界にしがみついて生きてきたのだから。しかしそのことが--自分かまさに死
 にかけている人のように見えることが--つくるの心をあらためて強く打った。そして彼は鏡
 に映った自分の裸身を、いつまでも飽きることなく凝視していた。巨大な地震か、すさまじい
 洪水に襲われた遠い地域の、悲惨な有様を伝えるテレビのニュース画像から目を離せなくなっ
 てしまった人のように。

  おれは本当に死んでしまったのかもしれない、つくるはそのとき何かに打たれるようにそう
 思った。去年の夏、あの四人から存在を否定されたとき、多崎つくるという少年は事実上息を
 引き取ったのだ。その存在の外様だけはかろうじて維持されたものの、それも半年近くをかけ
 て大きく作り替えられていった。体型も顔つきも一変し、世界を見る目も変わった。吹く風の
 感触や、流れる水音や、雲間から差す光の気配や、季節の花の色合いも、以前とは違ったもの
 として感じられる。あるいはまったく新規にこしらえられたもののように思える。ここにいる
 のは、こうして鏡に映っているのは、一見して多崎つくるのようではあるが、実際はそうじゃ
 ない、それは中身を入れ替えられた、多岐つくると便宜的に呼ばれている容器に過ぎない。彼
 がまだその名で呼ばれているのは、とりあえずほかに呼びようもないからだ。

  その夜つくるは不思議な夢を見た。激しい嫉妬に苛まれる夢だった,それほど真に迫った夢
 を見だのは久しぶりのことだ。

  実を言えば、つくるはそれまで嫉妬という感情が実感として理解できなかった。もちろん嫉
 妬がどういう成り立ちのものなのか、頭の中ではいちおうわかっている。たとえばどうやって
 も自分が手に入れることができない才能なり資質なりポジションを、誰かが持ち合わせている
 ときに、あるいはいとも簡単に手に入れている(ように見える)ときに感じる感情。たとえば
 自分が恋い焦がれている女性が、他の男の腕に抱かれていると知ったときに感じる感情。うら
 やましさ、ねたましさ、悔しさ、やり場のないフラストレーションと怒り。

  しかし実際にはつくるはそんな感情を、生まれてから一度も体験したことがなかった。自分
 の持ち合わせていない才能や資質が欲しいと真剣に望んだことはなかったし、誰かに激しく恋
 した経験もなかった。誰かに憧れたこともなかったし、誰かをうらやましいと思ったこともな
 かった。もちろん自分に不満がないわけではない。不足しているものがないわけではない。も
 し求められれば、それらを列記することもできる。長大なリストにはならないかもしれないが、
 二、三行で済むというものでもないはずだ。しかしそれらの不満や不足は、あくまで彼の内部
 で完結しているものだった。どこか違う場所にわざわざ足を運んで求めなくてはならない類の
 ものではない。少なくともこれまでのところはそうだった。
 
  しかしその夢の中で、彼は一人の女性を何より強く求めていた。それが誰なのかは明らかに
 されていない。彼女は存在でしかない。そして彼女は肉体と心を分離することができる。そう
 いう特別な能力を持っている。そのどちらかひとつならあなたに差し出せる、と彼女はつくる
 に言う。肉体か心か。でもその両方をあなたが手に入れることはできない。だから今ここでど
 
ちらかひとつを選んでほしいの。もうひとつは他の誰かにあげることになるから、と彼女は言
 う。しかしつくるが求めているのは彼女のすべてなのだ。どちらか半分を誰か別の男に渡すこ
 となんてできない。それは彼にはとても耐えられないことだ。それならどちらも要らない、と
 彼は言いたい。でもそれが言えない。彼は前にも進めず、後ろにも引けない。

  そのときにつくるが感じたのは、身体全体を誰かの大きな両手できりきりと絞り上げられる
 ような激烈な痛みだった。筋肉が裂け、骨が悲鳴を上げた。そこにはまた、すべての細胞が干
 上がってしまいそうな激しい乾きがあった。怒りが身体を震わせた。彼女の半分を誰かに渡さ
 なくてはならないことへの怒りだ。その怒りは濃密な液となって、身体の髄からどろりと搾り
 出された。肺が一対の狂ったふいごとなり、心臓はアクセルを床まで踏み込まれたエンジンの
 ように回転速度を上げた。そして昂ぶった暗い血液を身体の末端にまで送り屈けた。
 
  彼は全身を大きく震わせながら目を覚ました。それが夢であったことに気づくまでに時間が
 かかった。汗でぐっしょりと濡れたパジャマをむしり取るように脱ぎ、タオルで身体を拭いた。
 しかしどれだけ強くこすっても、そのぬめぬめとした感触はあとに残った。それから彼は理解
 した。あるいは直観を得た。これが嫉妬というものなのだと。愛する女の心か肉体か、どちら
 かを、あるいは場合によっては両方を、誰かが彼の手から奪い取ろうとしている。
 
  嫉妬とは--つくるが夢の中で理解したところでは--世界で最も絶望的な牢獄だった。な
 ぜならそれは囚人が自らを閉じ込めた牢獄であるからだ。誰かに力尽くで入れられたわけでは
 ない。自らそこに入り、内側から鍵をかけ、その鍵を自ら鉄格子の外に投げ捨てたのだ。そし
 て彼がそこに幽閉されていることを知る者は、この世界に誰一人いない。もちろん出ていこう
 と本人が決心さえすれば、そこから出ていける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しか
 しその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質
 なのだ。
 
  つくるは冷蔵庫からオレンジジュースを出し、グラスに何杯も飲んだ。喉がからからに渇い
 ていた。そしてテーブルの前に座り、少しずつ明るくなっていく窓の外を眺めながら、感情の
 大波に打たれて動揺した心と身体を落ち着かせた。この夢はいったい何を意味しているのだろ
 う、と彼は考えた。予言なのだろうか。それとも象徴的なメッセージなのだろうか。それは何
 かを自分に教えようとしているのだろうか? あるいは自分でも知らなかった本来の自分が、
 殼を破って外にもがき出ようとしているのかもしれない、とつくるは思った。何かの醜い生き
 物が孵化し、必死に外の空気に触れようとしているのかもしれない。
 
  あとになって思い当たったことだが、多崎つくるが死を真剣に希求するのをやめたのは、ま
 さにその時点においてたった。彼は全身鏡に映った自らの裸の肉体を凝視し、そこに自分では
 ない自分の姿が映っていることを認めた。その夜、夢の中で嫉妬の感情(と思えるもの)を生
 まれて初めて体験しか。そして夜が明けたとき、死の虚無と鼻先をつきあわせてきた五か月に
 わたる暗黒の日々を、彼は既にあとにしていた。

  たぶんそのとき、夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような
 生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだ
 て彼がそこに幽閉されていることを知る者は、この世界に誰一人いない。もちろん出ていこう
 と本人が決心さえすれば、そこから出ていける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しか
 しその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質
 なのだ。

  つくるは冷蔵庫からオレンジジュースを出し、グラスに何杯も飲んだ。喉がからからに渇い
 ていた。そしてテーブルの前に座り、少しずつ明るくなっていく窓の外を眺めながら、感情の
 大波に打たれて動揺した心と身体を落ち着かせた。この夢はいったい何を意味しているのだろ
 う、と彼は考えた。予言なのだろうか。それとも象徴的なメッセージなのだろうか。それは何
 かを自分に教えようとしているのだろうか? あるいは自分でも知らなかった本来の自分が、
 殼を破って外にもがき出ようとしているのかもしれない、とつくるは思った。何かの醜い生き
 物が孵化し、必死に外の空気に触れようとしているのかもしれない。
 
  あとになって思い当たったことだが、多崎つくるが死を真剣に希求するのをやめたのは、ま
 さにその時点においてたった。彼は全身鏡に映った自らの裸の肉体を凝視し、そこに自分では
 ない自分の姿が映っていることを認めた。その夜、夢の中で嫉妬の感情(と思えるもの)を生
 まれて初めて体験しか。そして夜が明けたとき、死の虚無と鼻先をつきあわせてきた五か月に
 わたる暗黒の日々を、彼は既にあとにしていた。
 
  たぶんそのとき、夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような
 生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだ
 ろう。強い西風が厚い雲を空から吹き払うみたいに。それがつくるの推測だ。
  あとに残ったのは諦観に似た静かな思いだけだった。それは色を欠いた、凪のように中立的
 な感情だった。空き家になった古い大きな家屋に彼は一人ぽつんと座り、巨大な古い柱時計が
 時を刻む虚ろな音にじっと耳を澄ませていた。口を閉ざし、目を逸らすことなく、針が進んで
 いく様子をただ見つめていた。そして薄い膜のようなもので感情を幾重にも包み込み、心を空
 白に留めたまま、一時間ごとに着実に年老いていった。

  多岐つくるは徐々にまともな食事をとるようになった。新鮮な食材を買ってきて、簡単な料
 理を作って食べた。それでもいったん落ちた体重は僅かしか増えなかった。半年近くの問に彼
 の胃はすっかり収縮してしまったようだった。一定量以Lの食事をとると嘔吐した。また朝の
 早い時刻に大学のプールで泳ぐようになった。筋肉が落ちたために、階段を上るのにも息切れ
 するようになっていたし、彼としてはそれを少しでも元あった状態に笑さなくてはならなかっ
 た。新しい水着とゴーグルを買って、毎日千メートルから千五百メートルをクロールで泳いだ
 そのあとジムに寄って、黙々とマシンを使った運動をした

  改善された食事と規則的な運動を数か月続けたあとで、多岐つくるの生活はおおむねかつて
 の健康的なリズムを取り戻した。再び必要な筋肉がつき(以前の筋肉のつき方とはずいぶん違
 っていたが)、背骨がまっすぐに伸び、顔にも血色が戻ってきた。朝目覚めたときの硬い勃起
 も久方ぶりに経験するようになった。

  ちょうどその頃、母親が珍しく一人で東京に出てきた。おそらくつくるの最近の言動かいさ
 さか奇妙で、正月の休みにも戻ってこないことを心配し、様子を見に来たのだろう。彼女はほ
 んの数か月のうちに息子の外見が大きく変化したのを目にして思わず息を呑んだ。しかし「そ
 ういうのはあくまで年齢的な、自然の変化であり、今の自分に必要なのは新しい身体に合った
 何着かの服だけだ」と言われて、母親はその説明を素直に受け入れた。それが男の子の成長の
 通常の過程なのだろうと納得した。彼女は姉妹だけの家庭に育ち、結婚してからは娘たちを育
 てることに馴れていた。男の子がどんな育ち方をするかなんて何ひとつ知らなかった。だから
 むしろ喜んで息子と一緒にデパートに行き、新しい服をー揃い買ってくれた。ブルックス・ブ
 ラザーズとポロが母親の好みだった。古い服は捨てるか寄付するかした。
 
  顔つきも変わった。鏡で見ると、そこにはもうあのふっくらとした、それなりに整ってはい
 るかいかにも凡庸で、焦点を欠いた少年の顔はなかった。こちらを見返しているのは、鋭い鏝  
 (こて)をあてたみたいに頬がまっすぐ切り立った、若い男の顔たった。その目には新しい光
 が浮かんでいた。彼自身にも見覚えのない光だった。孤独で行き場を持だない、限定された場
 所で完結することを求められている光だ。髭が急に濃くなり、毎朝顔をあたらなくてはならな
 くなった。髪を以前より長く伸ばすことにした。新しく獲得した自分の相貌を、つくるはとく
 に気に入ったわけではない。気に入りもしなかったし、嫌悪もしなかった。それも所詮は便宜
 的な、間に合わせの仮面に過ぎないのだ。しかしそこにあるのがこれまでの自分の顔ではない
 ことを、彼ほとりあえずありかたく思った。

  いずれにせよ、多岐つくるという名のかつての少年は死んだ。彼は荒ぶれた闇の中で消え入
 るように息を引き取り、森の小さく開けた場所に埋められた。人々がまだ深い眠りに就いてい
 る夜明け前の時刻に、こっそり密やかに。墓標もなく。そして今ここに立って呼吸をしている
 のは、中身を大きく入れ替えられた新しい「多崎つくる」なのだ。しかしそれを知る者は、彼
 自身の他にはまだI人もいない。そして彼はその事実を誰にも知らせるつもりはなかった。
 
  多崎つくるは相変わらずあちこちの駅に行って構内のスケッチをし、大学の講義は欠かさず
 出席した。朝にはシャワーを浴びて髪を洗い、食後には必ず歯を磨いた。毎朝ベッドをメイク
 し、シャツには自分でアイロンをかけた。できるだけ暇な時間を作らないように努めた。夜に
 は二時間ばかり本を読んだ。多くは歴史書か伝記だ。そのような習慣は昔のまま身についてい
 る。習慣が彼の生活を進行させている。しかし彼はもう完璧な共同体を信じてはいないし、ケ
 ミストリーの温かみを身に感じることもない。

  彼は毎日洗面所の鏡の前に立って自分の頗をしばらく見つめた。そして新しい(変更を加え
 られた)自分という存在に少しずつ心を馴らしていった。新しい言語を習得し、その語法を暗
 記するのと同じように。やがてつくるには一人の新しい友人ができた。名古屋にいる四人の友
 人たちに去られてから一年近く経った六月のことだ。相手は同じ大学の二流年下の学生だった。
 その男とは大学のプールで知り合った。

                                                                          PP.44-51                         
               村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 


 

 

昨日はランチに即席麺を食べぬようにとレタスチャーパンをつくり、あなたの健康を考えてよと、
彼女は、いつもの朝食のおむすびセットと併せてつくり置き出かけた。しかし、今日は担々麺シ
リーズも終わり、ちゃんぽんシリーズに突入。つくりおきの刻みネギと豚バラ肉を一枚、スープ
の素(パウダーと油性液体の二種)、五香粉、ドライガーリックフレーク、ガーリックオリーブ
油と油揚げ麺を中華鉢に入お湯を注ぎラップ、電子レンジ5分(5百ワット)。それで評価は?
スープはマジ最高の五つ星、ただし麺の食感は日清食品が上手(ふやけ速度が大きいため)。
これで、百円+10数円で頂けるのだから、「デジタル革命渦論-
食品編-」ということですね。
それでは、今夜はこの辺で。 

 

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バベルへの巡礼の明日(あさ)

2013年04月25日 | 時事書評

 

 

 





 「僕の父親は秋田の公立大学で、哲学科の教師をしています」と沢田は言った。「僕と同じよ
 うに、抽象的な命題を頭の中で展開させるのが好きな人です。いつもクラシック音楽を聴き、
 誰も読まないような本を熱心に読み耽っています。金を稼ぐことに関してはまるで能力のない
 人で、入ってくるお金の多くは本代やレコード代に消えてしまいます。家庭のこととか、貯金
 のこととか、ほとんど考えてもいません。頭はいつも現実とはどこか別のところにあります。
 授業料の高くない大学に入ることができて、生活費のかからない学生寮暮らしをしていますか
 ら、僕もなんとかこうして東京に出てこられましたが」
 「物理学科の方が哲学科よりは、経済的にいくぶん恵まれるんだろうか?」とつくるは尋ねた。
 「もうからないことにかけてはどっこいどっこいでしょう。もちろんノーベル賞でもとれば話
 は別ですが」と沃田は言って、いつもの魅力的な笑顔を浮かべた。
 

  阪田には兄弟がいなかった。小さい頃から友だちは少なく、大とクラシック音楽が好きだっ

 た。彼の住んでいる学生寮はまともに音楽を聴けるような環境ではなかったので(もちろん犬
 も飼えない)、いつも何枚かのCDを持ってつくるのところにやってきて、それを聴いた。そ
 の多くは大学の図書館で借りだしてきたものだった。自分の所有する古いLPを抱えてくるこ
 ともあった。つくるの部屋にはまずまずのステレオの装置があったが、それと一緒に姉が残し
 
ていったレコードといえば、バリー・マニロウとペットショップ・ボーイズくらいだったから、
 つくるはそのレコード・フレーヤーを自分ではほとんど使ったことがなかった。

  灰田が好んで聴くのは主に器楽曲と室内楽と声楽曲たった。オーケストラが派手に鳴り響く
 ような音楽は、彼の好むところではなかった。つくるはクラシック音楽に(あるいは他のどん
 な音楽にも)とりたてて興味を持たなかったが、阪田と一緒にそんな音楽を聴いているのは好
 きだった。
 
  あるピアノのレコードを聴いているとき、それが以前に何度か耳にした曲であることに、つ

 くるは気づいた。題名は知らない。作曲者も知らない。でも静かな哀切に満ちた音楽だ。冒頭
 に単音で弾かれるゆっくりとした印象的なテーマ。その穏やかな変奏。つくるは読んでいた本
 のページから目を上げ、これは何という曲なのかと阪田に尋ねた。


 「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年一という曲集の第一年、ス
 イスの巻に入っています」
 「『ル・マル・デュ……』 ?」
 「Le Mal du Paye フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で
 使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。
 正確に翻訳するのはむずかしい言葉です」
 「僕の知っている女の子がよくその曲を弾いていたな。高校生のときクラスメートだった」
 「僕もこの曲は昔から好きです。あまり一般的に知られている曲じゃありませんが一と阪田は
 言った。「そのお友だちはピアノがうまかったんですか?」
 「僕は音楽に詳しくないから、上手下手は判断できない。でも耳にするたび美しい曲だと思っ
 た。なんて言えばいいんだろう? 穏やかな哀しみに満ちていて、それでいてセンチメンタル
 じゃない」
 「そう感じるからには、きっと上手な演奏だったんでしょうね」と灰田は言った。「技巧的に
 はシンプルに見えるけど、なかなか表現のむずかしい曲です。楽譜通りにあっさり弾いてしま
 うと、面白くも何ともない音楽になります。逆に思い入れが過ぎると安っぽくなります。ペダ
 ルの使い方ひとつで、音楽の性格ががらりと変わってしまいます」
 「これはなんていうピアニスト?」
 「ラザール・ベルマン。ロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾き
 ます。リストのピアノ曲は一般的に技巧的な、表層的なものだと考えられています。もちろん
 中にはそういうトリッキーな作品もあるけど、全体を注意深く聴けば、その内側には独特の深 
 みがこめられていることがわかります。しかしそれらは多くの場合、装飾の奥に巧妙に隠され
 ている。とくにこの『巡礼の年』という曲集はそうです。現存のピアニストでリストを正しく
 美しく弾ける人はそれほど多くいません。僕の個人的な意見では、比較的新しいところではこ
 のベルマン、古いところではクラウディオ・アラウくらいかな」


  灰田は音楽の話になるといつも饒舌になった。彼はベルマンのリスト演奏の特質について語
 り続けたが、つくるはほとんど聞いていなかった。その曲を演奏しているシロの姿が彼の脳裏
 に、びっくりするほど鮮やかに、立体的に浮かび上がってきた。まるでそこにあったいくつか
 の美しい瞬間が、時間の正当な圧力に逆らって、水路をひたひたと着実に遡ってくるみたいに。
  彼女の家の居間に置かれたヤマハのグランド・ピアノ。シロの几帳面な性格を反映して、常
 に正しく調音されている。艶やかな表面には曇りひとつなく、指紋ひとつついていない。窓か
 ら差し込む午後の光。庭の糸杉が落とす影。風に揺れるレースのカーテン。テーブルの上のテ
 イーカップ。後ろに端正に束ねられた彼女の黒い髪と、譜面を見つめる真剣な眼差し。鍵盤の
 上に置かれた十本の長く美しい指。ペダルを踏む一本の足は、普段のシロからは想像もできな
 いような力強さを秘め、的確だった。そしてふくらはぎは袖薬が塗られた陶器のように白くつ
 るりとしていた。何か演奏してくれと頼まれると、彼女はよくその曲を弾いた。『ル・マル・
 デュ・ペイ』。田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみ。ホームシック、あるいはメラン
 コリー。

  軽く目を閉じて音楽に耳を澄ましているうちに、胸の奥にやるせない息苦しさを覚えた。小

 さな堅い雲の塊を知らないうちに吸い込んでしまったようだった。レコードのその曲が終わり、
 次の曲が始まっても、つくるはそのまま口を閉ざし、浮かび上がる風景にただ心を浸していた。
 沢田はそんなつくるの顔にときどき目をやった。
 「もしよければ、このレコードをここに置かせてください。どうせ寮の僕の部屋では聴けない
 ものですから」と阪田はレコードをジャケットにしまいながら言った。

  その箱入り三枚組のレコードは、今でもまだつくるの部屋に置かれている。バリー・マニロ
 
ウとペットショップ・ボーイズの隣に。


                                     PP.61-65

              
  村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



 

ギュスターヴ・ドレの『言語の混乱』の挿絵で思い出したが、世界各国のメガソーラマッピング作
業の中、英
語以外の言語でネット検索していて、当初、煩雑だなぁ~と、イライラすることも屡々。
少しペースダウンさせ
たことで気づいたことがあった。それは、慣れてくると、ほんの上面だけだ
が、設備導入運営のその向こう側にあるその国々の特徴のある息吹を感じることが、あるいは看る
ことが出来るようで面白く感じられ、そのかわりイライラ感が完全解消とはいかないものの多少な
りとも緩和される。

 全地は一の言語一の音のみなりき、茲に人衆東に移りてシナルの地に平野を得て其處に居住り。 
 彼等互に言けるは去來甎石を作り之を善く爇んと遂に石の代に甎石を獲灰沙の代に石漆を獲た
 り、ま
た曰けるは去來邑と塔とを建て其塔の頂を天にいたらしめん斯して我等名を揚て全地の
 表面に散ることを免れんと、ヱホバ降臨りて彼人衆の建る邑と塔とを觀たまへり、ヱホバ言た

 まひけるは視よ民は一にして皆一の言語を用ふ今旣に此を爲し始めたり然ば凡て其爲んと圖維
 る事は禁止め得られざるべし。去來我等降り彼處にて彼等の言語を淆し互に言語を通ずること
 を得ざらしめんと、ヱホバ遂に彼等を彼處より全地の表面に散したまひければ彼等邑を建るこ
 とを罷たり。是故に其名はバベル(淆亂)と呼ばる是はヱホバ彼處に全地の言語を淆したまひし
 に由てなり彼處よりヱホバ彼等を全地の表に散したまへり。


                             旧約聖書『創世記 第11章』



このように現代のデジタル技術を使えば、寧ろ翻訳を通し、実存的に罹患できるような錯覚という
か、よりリアルに感じとることができるようで不思議な体験をすることとなる。統一言語でない故
に瞬時に固有言語を通し比較し、デッサンでなどっている感じだが、これは苦労で煩雑な作業とは
ゆえ、再びその地方を検索する機会には、プラスに転じ深みと味わいを伴って学習できことを確信
させるものだ。


「オース!バタヤン」が逝く。母親も叔母も存命で、バタヤンの歌声は若き時代の姉妹の空間にし
っかりと織り込まれていた記憶が蘇る。


                                        合掌




 

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巡礼の明日(あさ)

2013年04月24日 | 時事書評

 






 

 

 

 

  彼は部屋に帰ると、フィンランド行きの支度をした。とにかく手を動かしていれば、考え事
 をしないで済む。とはいえ、それほど多くの荷物があるわけではない。数日分の着替え、洗雨
 具を入れるポーチ、飛行機の中で読むための何冊かの本、水着とゴーグルヘそれらはどこに行
 くにも彼の鞄の中にある)、折りたたみ傘、その程度だ。そっくり全部機内持ち込みのショル
 ダーバッグに収まってしまう。カメラさえ持だなかった。写真が何の役に立つだろう? 彼が
 求めているのは生身の人間であり、生の言葉なのだ。

  旅行の支度を終えたあと、久しぶりにリストの『巡礼の年』のレコードを取り出した,ラザ
  ール・ベルマンの演奏する三枚組のLP。十五年前に灰田が残していったものだ。彼はほとん
 どそのレコードを聴くためだけに、まだ旧式のレコード・プレーヤーを所有していた。一枚目
 の盤をターンテーーブルに載せ、二面に針を落とした。

  第一年の「スイス」。彼はソファに腰を下ろし、目を閉じて、音楽に耳を傾けた。『ルーマ

 ル・デュ・ペイ』はその曲集の八番目の曲だが、レコードでは二面の冒頭になっている。彼は
 多くの場合その曲から聴き始め、第二年「イタリア」の四曲目『ペトラルカのソネット第四七
 番』まで聴く。そこでレコードの面が終わり、針が自動的に上がる。

 『ル・マル・デュ・ペイ』。その静かなメランコリックな曲は、彼の心を包んでいる不定型な
 哀しみに、少しずつ輪郭を賦与していくことになる。まるで空中に潜む透明な生き物の表面に、
 無数の細かい花粉が付着し、その全体の形状が眼前に静かに浮かび上がっていくみたいに。今
 回のそれはやがて沙羅のかたちをとっていた。ミントグリーンの半袖ワンピースを着た沙羅。
 胸の疼きが再び蘇ってきた。激しい痛みではない。あくまで激しい痛みの記憶だ。

  しかたないじゃないか、とつくるは自分に言い聞かせる。もともと空っぽであったものが、

 再び空っぽになっただけだ。誰に苦情を申し立てられるだろう? みんなが彼のところにやっ
 てきて、彼がどれくらい空っぼであるかを確認し、それを確認し終えるとどこかに去って行く。
 あとには空っぽの、あるいはより空っぽになった多岐つくるが再び一人で残される。それだけ
 のことではないか。

  それでも人々は時としてささやかな記念品を後に残していく。灰田が残していったのは、こ
 の『巡礼の年』の箱入りのレコードだ。彼はおそらく意図してそれをつくるの部屋に置いてい

 ったのだろう。決して単純に忘れていったわけではない。そしてつくるはその音楽を愛した。
 その音楽は阪田に繋がっていたし、シロにも繋がっていた。それはいわば、散り散りになった
 三人の人間をひとつに結びつける血脈だった。優いほど細い血脈だが、そこにはまだ赤い生き
 た血が流れている。音楽の力がそれを可能にしているのだ。彼はその音楽を聴くたびに、とり
 わけ『ル・マル・デュ・ペイ』のトラックに耳を傾けるたびに、二人のことを鮮やかに思い出
 すことになる。時には彼らが今も自分のすぐそばにいて、密やかに呼吸しているようにも感じ
 られる。

  彼らは二人とも、ある時点でつくるの人生から去って行った。その理由も告げず、どこまで
 も唐突に。いや、去っていったというのではない。彼を切り捨て、置き去りにしたという方が
 近いだろう。それは言うまでもなくつくるの心を傷つけたし、その優勝は今でも残っている。
 でも結局のところ、真の意味で傷を負っていたのは、あるいは損なわれたのは、多崎つくるよ
 りはむしろそのニ人の方だったのではないか。つくるは最近になってそう考えるようになった。
 おれは内容のない空しい人間かもしれない、とつくるは思う。しかしこうして中身を欠いて
 いればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見いだしてくれた人々もいたのだ。夜に活
 動する孤独な鳥が、どこかの無人の屋根裏に、昼間の安全な休息場所を求めるように。鳥たち
 はおそらくその空っぽの、薄暗く静まりかえった空間を好ましいものとしたのだ。とすれば、
 つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

 『ペトラルカのソネット第四七番』の最後の音が空中に消え、レコードが終了し、針が自動的
 に上がり、アームが水平に動いてアームレストに戻った。それから彼は同じ面の冒頭にもう一
 度針を下ろした。針がレコードの溝を静かにトレースし、ラサール・ベルマンが演奏を繰り返
 した。どこまでも繊細に、美しく。
  二度続けてその面を聴いてから、つくるはパジャマに着替えてベッドに入った。そして枕元
 の明かりを消し、自分か心に抱え込んでいるのがただの深い哀しみであって、重い嫉妬の轍で
 ないことにあらためて感謝した。それは間違いなく彼から眠りを奪ってしまうはずのものだっ
 た、
  やがて眠りが訪れ、彼を包み込んでいった。ほんの数秒ではあるけれど、その懐かしい柔ら

 かさを全身に感じることができた。それもつくるがその夜、感謝した数少ないものごとのひと
 つだった。
  眠りの中で、彼は夜の鳥の声を聞いた、


               村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
                               
                                                                      PP.243-246

 

 

地球上の生命の元となるアミノ酸は宇宙で作られたという説を補強する有力な証拠を、地球から約
5500光
年(9.46×5500ペタメートル)も離れた「猫の手星雲」など九つの星雲で検出したと国立天
文台などのチームが発表。アミノ酸には光学異性体の「左きき」「右きき」の旋光タイプがあり、
地球上の生命を構成するアミノ酸の大半は「左きき」。南アフリカに設置された赤外線望遠鏡で、
猫の手星雲などを観測したところ、螺旋を描いて進む「円偏光」の特殊な光を検出。この光に照ら
されると、アミノ酸などの分子は「左きき」「右きき」の一方に偏る性質がある(下図クリック)。

地球上でアミノ酸が作られたとすれば、「右型」と「左型」がほぼ同量できたはずだが、左型が大
半という現実に合わない。このため、円偏光の照射により宇宙で生じた「左型」のアミノ酸が隕石
に付着し太古の地球に飛来、生命の起源となったとの説があるが、今回の発見でこの説が有力にな
るというのだから不思議なものだ。なぜって?幾つ歳を重ねても分からないないものが減らない。
それどころか増える一方だから、いつになったら「人生」が語れるのだろうか?。そして、「明日
」を語れるというのだろうか?無限遠点に向けた螺旋運動の行き先は「どっち」と。



そうかとおもえば、この地上では、体のさまざまな組織になるiPS細胞を使って、筋肉が次第に
衰えていく病
気=「筋ジストロフィー」の病態の一部を再現することに、京都大学の研究グループ
が世界で初めて成功し
ましたという新聞が届く。この研究グループは、三好型と呼ばれる「筋ジス
トロフィー」の患者からiPS細胞を作り出し、MyoDという特殊な遺伝子を入れることで、筋
肉の細胞の一種、骨格筋細胞に変えることに成功したという。筋ジストロフィーはこの骨格筋細胞
が壊れやすくなることで発症する。iPS細胞から作り出した骨格筋細胞も同じように壊れやすく
なったということで、病態の一部を世界で初めて再現できたと表明。この病気の骨格筋細胞に新薬
の候補となる物質を投与すれば、病気を治す効果があるかどうか短期間に確認できるので、筋ジス
トロフィーは現在有効な治療法のない中で、新薬の開発につながればと期待されている。

 

  

そうかと思えば、尖閣諸島(沖縄県石垣市)北方海域における中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛
艦へのレーダー照射が、中国共産党中央の指示によるものだったことが23日、分かった。複数の

日中関係筋が明らかにしたという、物騒な新聞も届いている。それによると党中央から威嚇手段の
検討を指示された中央軍事委員会が、レーダー照射に加え、「火砲指向」も提示。党中央はいずれ
も実施を許可していた。海自側は、レーダーに続き火砲も向けられれば中国側の攻撃意図を認定せ
ざるを得ず、一触即発の事態となる恐れもあったというのだ。現代中国国家がどちらに向かうのか
については、既にこのブログで掲載していきたことだから屋上屋は重ねず、『デジタル・ケイジア
ン宣言
』のブログの再記載しておこう。

 

「共産党は今では一致して彼ら大衆に対立し、その独占された暴力を用いて反対行動を鎮圧し、農
民を土地から追い出し、民主化要求だけでなく分配
の公正というささやかな要求の高まりをも抑圧
する姿勢をはっきりと固めているからである。こう結
論することができるだろう。中国は明らかに
新自由主義化と階級権力の再構築の方向に向かって進ん
できた。たしかに、そこには「はっきりと
した中国的特色
」が見られる。しかしながら、中国で権威
主義体制が強化され、ナショナリズムヘ
の訴えが頻繁になされ、帝国主義的傾向が一定復活してきて
いることから、中国が、まったく違っ
た方向からではあるが、今日アメリカで強力に席巻している新
保守主義的潮流との合流に向かいつ
つあるのではないか、と。これは未来にとってあまり良い兆しで
はない」(デヴィット・ ハーヴェ
イ著 『新自由主義』より引用)
                           

※ 参考@筆者『新自由主義論 Ⅰ』


さて、村上春樹の新作(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)が届き、さっそく気に
入ったところを
速読した。たまには小説をじっくりと読んでみるシリーズとしてこのブログに感想
をランダムに掲載していこうと思う。 

 



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樹脂ファスナーの科学

2013年04月23日 | WE商品開発

 

 

従来、食品や衣料品、医薬品、雑貨その他の種々の包装分野で、袋の口部分にチャックを設けた包装袋、
あるいは、チャック袋、正確にいうと、プラスチック・リニア・ファスナーというのが良いかも知れな
いがが、どんどん利用されていて、岡田准一がCM、旭化成のジップ・ロックで宣伝しているあれだ。
電子レンジの普及にともない、このチャック袋を利用した食品加工品も増えてきている(本人はそう思
っているが?)。原理は、線ファスナ一のエレメント(務歯)が一対だけの構造と思えば良いだろうが
凸状チャック構造体及び凹状チャック構造体からなるチャックが袋の口部分に設けられいる。これら凸
状チャック構造体と凹状チャック構造体とを嵌合させ、繰り返し開閉操作が可能となっている。

 

チャック袋に用いられる素材は、ポリエチレン、ポリプロピレン、エチレン酢酸ビニル共重合体等のポ
リオレフィン系樹脂が用いられ、ポリオレフィン系樹脂からなるチャック袋は、発熱量が高いので、焼
却処理の際に燃焼炉にダメージを与えと言われているし、ポリオレフィン系樹脂のチャック袋は埋め立
て処理している場合もあるという。そこで、埋め立てることもなく、焼却時の燃焼熱量が低く、焼却以
外の方法で減容が可能で、自然環境への負荷の小さいチャック袋が欲しい。

そこで、ポリオレフィン系樹脂の代替素材に、生分解性樹脂に注目し、生分解性樹脂、例えば、植物由
来の乳酸を主原料とするポリ乳酸は、燃焼熱量がポリエチレンの燃焼熱量の半分程度以下で、コンポス
ト等の水分が豊富な条件下で加水分解し、その加水分解物が微生物により無毒物へ分解されるため、環
境問題の関心の高まりから、生分解性樹脂を用いたチャック袋の研究がされている。具体的には、生分
解性樹脂フィルムからなる袋の口部に生分解性樹脂からなるチャックを設けた生分解性チャック袋が提
案されている。

特定の脂肪族ポリエステルの内層フィルムとポリ乳酸系重合体からなる延伸した外層フィルムのラミネ
ートフィルムの内層フィルム上に、分子内にウレタン結合を含む特定の脂肪族ポリエステルを押出成形
したチャックをヒートシールした、生分解性チャック付き袋が提案されている。
また、ラクトン樹脂単
独、またはラクトン樹脂と生分解性樹脂のラクトン含有樹脂の内層フィルムと外層フィルムのラミネー
トフィルムの内層フィルム上に、これと同様のラクトン樹脂を押出成形して得たチャックをヒートシー
ルした生分解性チャック付き袋が提案されているが、生分解性樹脂として柔軟性に優れる微結晶性の脂

肪族・芳香族ポリエステルを用いているため、ダイ(噴射細口)から押し出した生分解性樹脂が冷却固
化する際に変形が生じるため、寸法精度良く安定生産できない。

【符号の説明】

1…凹状チャック構造体の成形用のダイ、2…凸状チャック構造体の成形用のダイ2、11…凹状チャ
ック構造体、21…爪部、22…爪基部、23…爪顎部、31…帯状基部、B…内側中心底部、C1,
C2…接点、L1,L2,L3,L4…接線、S…断面開口、S11…爪部開口、S12…爪基部開口、
S13…爪顎部開口、S21…帯状基部開口、θd…爪部開口の開度、θn…爪部21の開度

このU字状の爪部開口と該爪部開口のU字背面側に接続された帯状基部開口とからなる断面開口をもち、
爪部開口の開度が20~50度、または35~65度のダイを
準備し、70℃の貯蔵弾性率が10~10Pa
で、100℃と70℃との貯蔵弾性率の差が50倍以上又は2倍以上50倍未満である生分解性樹脂組成物を、ダ
イの開口から溶融押出した後に冷却固化して成形体を作製することで、比較的、柔軟で成形加工性の劣る生分
解性樹脂を用いながらも、寸法精度の高い凹状チャック構造体を安定して連続的に生産可能な製造方法
とダイ
等旭化成ホームプロダクツ株式会社を提案している(「特開2010-064352 凹状チャック構造体の
製造方法、及びこれに用いるダイ」)。

 
さらに、上図のような「リクローズクリップ」の提案もされている。従来から、食品、家庭用品、トイレ
タリー用品、医薬品、雑貨品、その他等の液状または固形の材料を収納するための包装袋は、プラスチッ
クフィルムからなるものが多く用いられているが、これらの包装袋は、開口部をヒートシールにより封止
する構造が多く、一度開封すると、再封止することが困難なものが多かったが、再封止する方法として、
輪ゴムや紐などで簡易的に結束する方法や、開口部を折り返して輪ゴムや粘着剤付きテープで仮止めする
方法、及び再度ヒートシールする方法等が用いられているが、内容物支持用のトレイなどを含む包装袋を
結束する場合は、作業性が悪いだけでなく、再封止した袋が立体的になることから
、収納性に劣り、開口部
を折り返すという食品包装袋の再封止方法は、密封性不足で衛生上の問題も抱え、再度ヒートシールする方法は、
専用の機器が必要であるという問題がある。

このために、袋開口部を再封止するための封止具が提案されている。その主なもは、袋の外側から凹部と
凸部の部材で挟み込む構造をもち剛性の高い素材から成るクリップが、柔軟な材料で凹部と凸部の部材を
構成し、両端を各々圧着した帯クリップが知られている。さらに、従来から電子レンジ専用の加熱袋とし
て、
蒸気抜き機構付きの袋も知られている。この種の袋の特徴は、レンジ加熱によって発生した蒸気を、
あらかじめ袋に付与した蒸気口より逃がすことで、内圧の上昇による袋の破裂を抑制して加熱できること
である。この蒸気口の機構としては、易開封性を利用した方法、例えばシール部に剥離剤を印刷する方法
や、シールの形状を工夫する方法で、内圧の上昇に伴って選択的に開口する機構が採用されている。また、
他の機構として、蒸気口があらかじめ開口している機構が用いられているものもある。これらの機構を装
備した袋は、調理済あるいは半調理済等の食品を包装したレトルトパウチや冷凍食品包装体、また食材を
使用者が自ら投入して調理する袋として使用されているが、しかしながら、この種のクリップは、包装体
の幅方向を全面に渡って、凹部凸部で挟み込むことで包装体の密封性を向上させるため、再封止したい袋
の幅よりも長さの長いクリップを用いる必要がある。

例えば、一度開封した冷凍食品の包装体を再封止し、冷凍庫へ収納する場合などは、クリップの剛性の高
さによる収納性の低下だけでなく、袋の幅より大きなクリップを用いることで、収納性の低下する。その
上、剛性の高い棒状のクリップは嵩高い形状となり、クリップ
を使用しない時の保管性も問題であり、ま
た嵌合する二本の部材が連結されていない場合には、保管時に片方の部材のみを紛失してクリップとして
の機能を果たせなくなるという問題もある。また、柔軟な材料の帯クリップは、収納性は改善されている
ものの、両端が圧着された構造であるため、任意の長さに調整することは困難で、再封止した包装体の収
納性が劣り、両端止め構造により環状テープ形状の開いたクリップに袋を通す際に、袋にシワが発生し、
作業性や密封性に問題になる。

さらに蒸気抜き機構付きの袋は、全て電子レンジ加熱後には蒸気抜き口が開口した状態となり、袋を調理
後に保存する場合は、袋が密閉できないという問題、あらかじめ蒸気抜き口が開口している機構の場合に
は、下味付けなどの調理前保存過程において密封性のに問題など、蒸気抜き機構付きの袋は保存用の袋を
兼ねることができず、それぞれ専用の袋を準備する必要があり、さらには、蒸気抜き機構付き袋をクリッ
プで封止しようとすると、万が一、使用者が誤って、封止したままの状態、つまり密封された状態でレン
ジ加熱してしまうと、袋が破裂する可能性もある。


以上のような問題を解決するため、袋7の開口部7aを外側から挟み込むことによって再封止するリクロ
ーズクリップ1は、袋7を間に挟み込んだ状態で互いに嵌合可能な嵌合部材3,5を備え、嵌合部材3,
5は、長手方向の一端1a同士が連結され他端同士は開放されてなる片開き構造をなし、嵌合部材3,5
は、マトリックス成分が、ガラス転移温度0℃未満のプラスチックでこうせすることで、一度開封した包
装袋を密閉性よく再封止することができ、かつ袋の幅に任意にあわせることにより特に使用時に収納性の
高い、リクローズクリップを提案している(「特開2010-030652
」)。

【符号の説明】

1,501…リクローズクリップ、3…第1の嵌合部材、5…第2の嵌合部材、7,107,117…包
装袋、7a…袋の開口部、23…開孔部、24,25…ノッチ、32…嵌合凹部、34…基材部、40…
嵌合部、52…嵌合凸部、54…基材部、109…蒸気抜き機構。 

ちょっとまてよ、ファスナーをなぜ考えてみたかったのかと、ここで抑も(そもそも)論がもたげる。電
子レンジ用ジップロックが珍しかったのかのだと確信するのに随分時間がかかった。そうだ、電子レンジ
の普及はわたしの省エネと食品加工技術のコアテーマだったんだ。この領域のノウハウはきっと世界に貢
献できるのだと再確認。さらには、樹脂ファスナは工業のリベット工法として広く普及していることを再
確認した次第。

  




麺の力の担々麺の試食が続いている。明日は、賽の目の厚揚げとわかめ具材にした担々麺をアレンジしてみる。
 

 

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地球温暖化人為説実証時代

2013年04月22日 | 環境工学システム論

 

 

 

ニュースに事欠かない日常でやはり、地震と異常気象と原発事故がトップだ。テロは歴史的
抑圧の反作用でローカルな事象だと思いつつ、今日のトップニュースをチョイスしてみる。
ドイツの太陽光と風力を合わせた再生可能エネルギーの発電量が国内ピーク需要量の50%
を上回ったという新聞だ。ドイツの民間研究所「再生可能エネルギー国際経済フォーラム」
(IWR)が18日夜、ドイツ国内で太陽光と風力を使って発電する施設が同日昼に過去最高の
計約36ギガワットを発電し、火力や原子力などの従来型発電所の総発電量を上回ったと発
表した。電力需要が高い平日の日中に、太陽光と風力の発電量が全体の50%を超えたのは
初め
てという。同フォーラムがドイツの電力市場のデータを分析したところ、日中の需要約
70ギガワットの
うち、太陽光と風力が約36ギガワットを供給。平日に太陽光と風力の発
電量が上回ったのは世
界でも初めてではないかと話している。太陽光や風力の発電量は年々
増加している。天候が悪いときや風が吹かないときは発電できな
いにもかかわらず、昨年が全
発電量の21.9%を記録している。ドイツはこの割合を20年に35%、30年に50%にする目標を立
てているという。



だから、ドイツの世界化を実行すれば、地球温暖化人為説の検証が行え、大規模季候変動の
有力
な対策となる。と結論付けるのはいささか早計過ぎるか?否、そうとも言えないのでは
ないだろう。なぜなら、変換効率30%以上の高性能量子ドット太陽電池は以外とはやく実

現できそうだとは『オールソーラー水素システム』『その後のへーリオス 』でも掲載した
ことだが。念のために、プレジデンの『資源小国ニッポ
ンを救う「エネルギー」の潮流』と
いう特集記事のごとく宇宙太陽光発電という奥の手もある(でも「資源小国」という言葉に
は抵抗があるが)。そこに加えて、産業技術総合研究所(NEDO)の事業においてJX日鉱日石
エネルギー株式会社と水素供給・利用技術研究組合が、神奈川県海老名市のガソリンスタン
ド敷地内に燃料電池自動車の水素充填設備を設置、日本で初めてガソリンスタンドと一体型
の水素ステーションで水素充填を行うというニュースも届いた。なお、供給する水素は、ガ
油所などで大量・効率的に製造した水素を輸送し、ステーションで蓄圧器(ボンベ)に貯蔵。
燃料電池車(FCV)の本格普及期における水素の大量供給を想定した実証プロジェクトとして
実施する。これは大変面白い。

 

 

今夜はそれだけではなかった。オールバイオマスシステムの関連のニュースが届いた(『
「逆転プロセス」で砂糖減らさずエタノール生産 海外からも問い合わせ殺到』)。この発
明は2010年に国際特許として交際されているので最新の話ではないが、サトウキビから砂糖
とバイオエタノールをつくる際、特殊な酵母を使い、従来とは逆の順番で生産すると、どち
らの生産量も約2倍になるという手法だ。「逆転生産プロセス」と呼ばれるもので、今年の
「地球環境大賞」の大賞にも輝いた(アサヒグループホールディングスの豊かさ創造研究所
小原聡バイオエタノール技術開発部長)。サトウキビには、砂糖の原料になるショ糖と、原
料にならない還元糖(果糖・ブドウ糖)の2種類の糖分がある。従来の工程では、サトウキ
ビの搾り汁からまずショ糖を結晶化させて砂糖を生産し、残った糖蜜(ショ糖の残りと還元
糖)に酵母を加えて発酵させ、エタノールを生産するのが一般的。新プロセスでは生産順序
を逆にして、エタノールを生産した後で砂糖を生産するので、逆転生産プロセスと呼んでい
る。

従来使われている酵母では、還元糖とともに砂糖の原料であるショ糖もエタノールに変えて
しまう。
そのため、先にエタノールを生産すると、砂糖が回収できなくなる。そこで逆転生
産プロセスでは還
元糖だけをエタノールに変える酵母(ショ糖非資化性酵母)を使う。先に
還元糖だけエタノールに変
え、残ったショ糖で砂糖を生産する。高バイオマス量サトウキビ
は還元糖を多く含むため、還元糖だけ食べる酵母により従来の約2倍のエタノールが作れる。
また、逆転生産プロセスでは砂糖づくりを阻害する還元糖を先にエタノールに変えるため、
従来の方法と比べて砂糖の回収率が平均で約2倍、最大4倍に増える。

国内の製糖会社に協力してもらい、製糖会社の工場で連続的に逆転生産プロセスの実証試験
を行い、
実証が成功すれば砂糖作りは世界中一緒ですので、どこでも逆転生産プロセスが出来る。
実用化までの2年間で、逆転生産プロセスが砂糖工場でトラブルにより止まることなく動か
せるようにする。実際の砂糖工場は24時間ずっと動いているので、エタノール生産に使う酵
母は生き物。その働きをすぐ止められるかですね。すぐに止められない装置だと、生産現場
の判断が鈍る。すぐ止められ、すぐ動かせることが肝となるという。

 

最近、気になることがある。過去の失敗や危険体験のイメージが戻ってくることである。対
処法は、これを無視し、努めて前向きのことを考えるようにしている。しているが、平均的
な年格好を配慮しな
けばいけないという彼女からのクレームや自分の世間体感が邪魔をする。
どうするのか?変わり者
を恐れないことだ。^^;。

 

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馬鈴薯のピッツァとチーズ酵母

2013年04月21日 | WE商品開発

 

 

 

  Pizza alle patate, rosmarino e mozzarella 

【イタリア版食いしん坊万歳:馬鈴薯のピッツァ】 

材 料:小麦粉 400g、酵母 20g、ぬるま湯 200ml、砂糖、塩、オリーブオイル 大さじ2、馬鈴薯2、
    3個、
モッツァレラ チーズ、新鮮なローズマリー
作り方:酵母、砂糖、ぬるま湯を合わせてイーストをよく溶かし、つぎにボウルに小麦粉と塩を入れて
    混ぜ、中央を窪ませ、窪みに先ほどの調合した酵母とオリーブオイルを注ぎいれる。生地が滑
    らかになるまで捏ねる。天板の大きさになるように生地を伸ばし、オーブンシートを敷いた天
    板に乗せる。表面に薄くオリーブオイル(分量外)を塗り、濡れふきんかラップをかけて暖か
    い場所で1時時間ほど発酵させ、モッツァレラを小さめの角切りにし、馬鈴薯は皮を剥き1cm
    の角切りにし、濃い目の塩水で柔らかくなるまで茹でる。茹で上がったら微塵切りのローズマ
    リーとオリーブオイルを混ぜ、生地が発酵したら上にモッツァレラとじゃがいもの具を乗せ、
    200℃のオーブンで15~20分ほど焼いて出来上がり。馬鈴薯にアンチョビ、トマトを混ぜたり、
    パンチェッタ(生ベーコン)を混ぜるのもよし。

  

【チーズ品質評価技術】
  
ところで、チーズは世界中で親しまれている嗜好度の高い乳製品であり、様々な風味、食感、形状のも
のがある。
その生産量(2009年)はEU27カ国で約 8,300千トン、米国で約 4,500千トン等、グローバル
な食品産業にお
ける最重要アイテムの1つ。ナチュラルチーズは、乳を出発原料にしてレンネットや乳
酸菌スター
ターを添加し、複数の工程を経て製造され、特に熟成中において生化学的、物理化学的な変
化が起こり、独
特のフレーバー、アロマおよびテクスチャーが形成される。そこには原料由来の組成の
違い、添加される塩類、
酵素、乳酸菌、そして熟成中の分解・異化等により様々な化合物が存在すること
になる。こうした複雑な成分
とそのダイナミックな変化をとらえて科学的に官能特性と関連付けること
が困難で、チーズ産業では
、品質や製造工程の設計・管理に際して長年の経験に基づく職人的な技能が
必要とされてきた。

一方、生物個体がその生命活動を営む過程では様々な代謝産物の総体(メタボローム)を網羅的に解析

する研究領域としてメタボロミクスが21世紀に入ってから勃興した。メタボロミクスは、他のオミクス
(トランスクリプトミクス、プロテオミクス)とともにポストゲノム研究の有力な研究手法として出現
したが、その後、医療、栄養、創薬、植物生理等広く応用。食品科学の分野の原料や製品に関わる品質、
工や安全性等への応用が最近注目を浴びている。



1.質量分析装置(GC/MS)メタボリックプロファイリング

チーズは欧米をはじめ多くの研究がなされており、特に揮発性の香気成分に関する報告は枚挙にいとま
がない。近年、呈味活性を有する水溶性の化合物も着目されている。親水性化合物の領域へ焦点を当て、
GC/MSで親水性低分子量化合物のプロファイリングにより、チーズのどのような官能特性をどの程度表
現できるのかを検討されている。それによると、チーズサンプルは抽出、誘導体化(メトキシ化、シリ
ル化)を行いGC/MSで分析の一方、同じサンプルについて、定量的記述分析(Quantitative descriptive
analysis (QDA))法で官能評価を実施。GC/MSで得られたピークデータと官能評価データを、多変量解析
技法PLS(partial least squares pr(jections to latent structures)によって回帰分析したところ、2
つの官能特性、“Rich flavor"および“Sour navor"について高精度な官能予測モデルを構築する。下図
図はその一例で、全12サンプルのうちN0.6とN0.8(◇)を除く残りの10サンプル(▲:チェダーチーズ、■
:ゴーダチーズ)でモデルを構築し、その後 N0.6と N0.8を用いて予測検証した結果、モデルのフィッテ
ングおよび予測がともに良好であることが視覚的に明らかである。なお、横幅はメタボローム解析か
ら予測
した官能評価スコア、縦幅は実際のパネルによる官能評価スコアで、図中の対角線上では予測と
実測が一致
することを意味する。この予測検証をすべての組み合わせで行った際の予測誤差の標準偏差
平均値はRich
navor、Sour navor いずれも1.5(官能評価フルスコアの10%)以内に収まり、優れた予
測能力が示され、
またモデル構築に寄与する化合物として、Rich navor では旨味、甘味、苦味等の呈
味性を持つアミノ酸群が、
Sour navor ではLactic acid、Succinic acid、Proline 等がそれぞれ挙げ
られた。このように、メタボローム
解析の運用によって、チーズの官能特性の一部を非常に精度よく予
測し、その官能特性に関与する化合物群を定量的に明らかにすることができるという。

 

2.GC/FIDによるメタボリックフィンガープリンティング

メタボロミクスに基づく新しい評価技術を、工程管理や品質管理の現場で用いるためには、次の要件が
求められるという。①感度、再現性および安定性に優れている、②装置とメンテナンスコストが安価で
ある、③操作が簡便、迅速である。また、現場においては、質量分析等による化合物同定は必ずしも常
に必要というわけではない。このような観点から、前述のGC/MSを用いたメタボローム解析に基づく品
質評価技術を工程管理や品質管理の現場へ展開する方策の
ガスクロマトグラフィーに水素炎イオン検出
器を装着したGC/FID(Gas chromatography/flame ionization detector)を用いてピークデータを“指紋
”に見立てて解析するメタボリックフィンガープリンティングの運用を提案し、GC/MSで構築した官能
予測モデルの再構築を検討した結果、GC/FIDの全データポイントを用いた場合およびGC/FIDとGC/MSの
クロマトグラムで共通に見られた主要ピークを用いた場合のいずれもRich flavor およびSour navor
に関する官能予測モデルのサンプルの並び順序が一致し、予測スコアが近似して、さらにモデル構築に
寄与する重要化合物の種類と順序も類似していたので、GC/FIDとGC/MSの官能予測モデルが代替可能で
あることが明らかとなった。また、GC/FIDはそれ自身ではピーク同定かできないという欠点については、
同じタイプのカラムを用いたGC/MSとのクロマトグラムの対応により簡便に同定可能であったと報告さ
れている。以上より、GC/FIDを用いたメタボリックフィンガープリンティングが、特にGC/MSを用いた
メタボローム解析に基づく品質評価技術を工程管理や品質管理の現場へ実用的に用いる際に、有力な選
択肢であることがわかったという。

これらは、日本で最も利用されているナチュラルチーズカテゴリーであるチェダーチーズ、ゴーダチー
ズの、一般性と拡張性を考慮し産地や熟成度の異なるサンプルに対して実施。メタボローム解析を応用
して官能特性を予測し、そこに寄与する化合物を明らかにする技術は、ナチュラルチーズのみならずそ
れを原料として製造するプロセスチーズも含めて、製品設計や製造・品質の管理等様々な場面で、従来
の経験ベースから脱却した新しい科学的ツールとして役立つものである。このように複雑で微妙な官能
評価にも計測科学のメスの進化が応用されているというわけだ。

 

 

 

今朝の「がっちりマンデー」を何気なしに流していたら、スエーデンのエレクトロラックス社が、独自
の特許技術である、「サイレント・エア・テクノロジー」の低振動モーターを宙吊りにすることで、モー
ターパーツと本体との接触をなくし、振動による音を防ぐと同時に、本体は二重構造を採用し、モータ
ーの振動音を遮断し静粛性を高めた-話をしながらの掃除、音楽を楽しみながらお掃除が可能-掃除機
が紹介されていたので、春祭りの参拝を済まし夕食前にその保有技術を調べてみる。




これもコロンブスの卵だなと感心。家庭用より業務用、人の出入りが多い空間-オフィス、病院、幼稚
園、学校などで使うとべんりじゃないかなぁ。


今夜は、馬鈴薯、つまり、じゃがいものレパートリを広げることができないかと思いついてこれをテー
マとしてイタリアンレシピの拡張を考えたかった。それで目的ははたせたか?馬鈴薯のデンプンに穀物、
野菜、果物のパウ
ダーやフレークとの練り合わせ(勿論、魚、家畜などのも含まれるだろう)などに大
きな市場価値があると結論。 

 

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787は飛び立てるか

2013年04月20日 | 日々草々

 

 

 





ボーイングは3月15日、都内で会見し、787 型機の運航再開時期は数週間後との
見方を示したという。米国連邦航空局(FAA) が12日(現地時間)にボーイング
が示したバッテリーシステムの認証計画と試験飛行を承認したことで、若干の問
題が生じても数日程度のずれで承認が得られるとの自信を示し、米国家運輸安全
委員会(NTSB)や運輸安全委員会(JTSB)が一連のバッテリートラブルで発生し
たとする「熱暴走」という表現については「定義は人により異なる」と主張して
いたが、米連邦航空局(FAA)は米国時間19
日、バッテリーの重大トラブルで 今
年1月以降運航停止となっている米ボーイング787型機について、 改良されたバ
ッテリーシステムを承認した。



ボーイング社の改善策は、バッテリーのセル単位での発生防止と、不具合が生じ
た際の拡散防止、機体への影響防止の3段階で構成。ショートにつながる結露な
原因として考えられる約80項目を4グループに分け、包括的に対応できるもの
だと
いう。それによるとセルとバッテリーは、設計や製造工程、製造時テストを
見直
し、(1)セルを絶縁テープで囲み、隣り合うセルでショートが起きないよ
うに
し(2)使用される絶縁体も耐熱性や絶縁性を改良し、バッテリーのフレー
ムに
蒸気の排出口、(3)充電器も電圧を見直し、充電時の上限を低く設定して
バッ
テリーへの負荷を減らし、下限を高めて過放電を防止。これで、新たにバッ
テリーを
収めるケースと排気システムを採用し、出火要因を排除(類焼防止?)。
仮に出火した場
合も、燃焼が続かない構造とし、バッテリーから電解液が漏れた
り熱や圧力が発生した場合はケース内にとどめ、煙や異臭は機外に放出する。圧
力はこれまでに予想されたものの3倍の値(具体的な数値は?)に耐えられ、ケ
ース自体の試験は6万時間以上行っているという。

NTSBやJTSBがバッテリー内で発生したとする熱暴走については、シネット氏は「
熱暴走の定義は人により異なり、熱や圧力、炎が機体を危険にさらす状態、と定
義しているが、ボストン・ローガン空港も高松空港でのトラブルも、ボーイング
社はそのレベルではなく、バッテリーに過充電も見られなかったとの見解を示し
ている。また、認証試験は3分の1ぐらい進んだ。6週間以上設計の詳細につい
て検討を行い、試験結果では問題なく火災が起きないことを実証したと改善策に
自信を示す。就航から15カ月間の不具合についても、深刻な問題は787の方が777
よりもはるかに少ないとし、既存機と比べて信頼性で遜色がないことを強調して
いる。さて、飛行テストが不十分との批判があるなかでの再運行という。はたし
787はこの事故を克服することができるのか。全世界が注目している。また、
国際分業システムの安全・品質管理の有り様が試されている。


※リチウムイオン電池を採用するメリットの一つが、従来のニッケル・カドミウ
ム(ニッカド)電池と比較して軽い点だ。改善策を反映した新しいバッテリーシ
ステムについては、重量が約150ポンド(約68キログラム)増加する。重さ以外
にも、高電圧や高電流などのメリットがありリチウムイオン電池は継続して使用
することを前提として再開する。

※ http://www.faa.gov/about/office_org/headquarters_offices/ash/ash_progr
ams/hazmat/aircarrier_info/media/Battery_incident_chart.pdf

 

【ウォーターローイングマシン】 

 

これは誇張し過ぎかも知れないが、マイホームでのフィットネス文化をかえるか
もしれない。ドイツのノルトホルンで手作り生産したHOHrD社の木製フィットネス
機器がそれだ。ウォーターローイングマシン、ダンベルなどを用意して、インテ
リアとの調和がとれていて、金属がぶつかる雑音を減らし、なおかつ、部屋のイ
ンテリにふさわしいという(『中山道仮想ローイング』で使っているものは油圧
式だが、これは水抵抗負荷方式だ。しかも、情けないことにいまは開店休業中?
で使ってもいないほど忙しい。これではメタボは元気対できないぞ!?)。この
ウォーターローイングマシンは、メーカいわく完璧な上体のトレーナーで、肩、
首や腕の筋肉を鍛え、トネリコ、桜、クルミの樹木を使い理想的なトレーニング
や緊張をときほぐすことができるとか。それにしても、ドイツというか北欧の文
化にあらためて感心した。


 




さて、告別式で生駒を往復してわかったのだが、眼精脳神経疲労がやはり強く影響する。
したがって、今夜はブログを打ち込むことをやめようと思ったが結果はこの通り。
さて、村上春樹の小説とか、百目尚樹の『海賊と呼ばれた男』とかが話題となっている。
たまにはじっくりと小説でも読んでみよう。後者はテレビでも前宣で出演しているが面白
そうな作家だ。

 

  

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花水木一輪

2013年04月18日 | 創作料理

 

 

 

 

庭先の花水木がいっせいに芽吹いている。よくみると最上部の枝に一輪だけ花が咲いている。これはなぜだろ
うと不思議に思ってみた。明日の遠出のため洗車をはじめると強い陽射しも手伝ってか、一時間とちょっよして、
息も荒く絶え絶えにやっと作業を終え、もう一度花水木にめをやるもやはり同じポーズと変わらない。あらためて
植物の生命力を感じた(というよりも、やはり単なる衰えだね)。 

 


休憩を少しとり、サンヨー食品の麺の力シリーズの担々麺をはじめてランチ・チャレンジ。中華鉢に刻んでおいた
青ネギと、薄切りのホワイト・ハム、ガーリックチップと同封されているパウダーと液状スープの素を加え、お湯を
注ぎ、ラップし6分(5百ワット)電子レンジでチンし、かき混ぜガーリックオリーブオイル、五香粉、お酢を加え頂い
てみるも驚愕!これは美味しい!と二度びっくり。具材に、野菜、豚肉スライス、ベーコン、鶏むね肉、あるいは
納豆など加えるとバイオレーションが広がる。このとき臭いの組み合わせを考え、納豆や魚などのアルカリ食材
にはお酢、ヨーグルトなどの酢酸、乳酸などで中和することがポイントとなる。素晴らしきかなクールジャパンだ! 

 

   Fegato alla veneziana

【イタリア版食いしん坊万歳:仔牛のレバー料理、ヴェネツィア】

材料:仔牛のレバー800~900g、タマネギ100g、バター40g、オリーブ油40cc、白ワイン100cc、パセリ、
   ローリエ、塩、コショウ

この料理には,さまざまな作り方があるが、ここでは有名なヴェネツィアの料理の、最も伝統的な作り方を述べ
よう。まず゛仔牛のレバー料理、ヴェネツィア風-をうまく作る簡単な秘訣は、レバーの薄い膜をよく取ることで、
この作業が終わったら薄く切る。一方、オリーブ油とバターで多めのタマネギの薄切りとローリエ数枚を鍋に入
れて、よく炒める。この時タマネギを焦がさないようにフライパンに蓋をして炒め、タマネギが色づいたら、フ
ライパンを火からおろし(これも大切な配慮である)少し冷めるのを待つ。そこへ薄切りにしたレバ
ー、パセリのみじん
切り少々、塩、コショウを加えて調味する。なぜフライパンを火からおろした後から仔牛の
レバーを加えるかというと、フライパンが熱いうちにレバーをいきなり入れると、レバーが固くなり過ぎてしまうお
それがあるからだ。そこでこうした手順を踏んで再びフライパンを火にかけて 10分間ほどしたら、白ワ
インカップ1杯を加
え、アルコール分をとばしてさらに煮込んで風味をつける。

 Sarde in tortiera

※この「イタリア版食いしん坊シリーズ」もそろそろネタ切れ(工夫すれば広げることができるがそれ
には時間が必要)。



【ニンニク工場とその事業】




ランチ後は「ニンニク工場とその事業」のリサーチを継続するが、この構想の全景イメージがほぼみ
えるところにきた。恥ずかしいことだが黒ニンニクが家庭用電気炊飯器でつくれることをはじめて知る
が、加熱熟成させることで、S-アリルシステイン(水溶性含硫アミノ酸)が生成できるのだから当然
といえば当然で、小さなコロンブスの卵だ。水耕栽培も図面に落とせば良いわけだから、余分なものそ
ぎ落とし、そこから十分条件を加えていけばいいのだが、思ったより案外早く到達できたのもデジタル
革命のお陰というわけであらためて感心。というわけで第二フレーズに。

 


貿易収支が天然ガス輸入や輸出の後退で、昨年度は8兆円の赤字だという。この金額の千分の1の百億
円ぐらいあれば研究開発にまわし3年以内にポスト・メガソーラ型太陽電池(変換効率30%以上)を
市販できだろうと考えた。こんなこと考えていたら、話は少しことなるが、年度末に突然予算が余った
ので開発研究で買いたいものがあれば1億円を使えと命じられたこと思い出した。当然、納期が絡むの
で、仮納品の形を取るしか対応できないが、それより、開発技術が経路依存性というか規路労働とはほ
ど遠い仕事の性質上(十年で一丁前という常識に対し)、専門性の高い分析装置の利用方法を急に考え
るのは難しいという経験をした。結局、電子顕微鏡や分散型特殊X線分析装置、質量分析装置の購入に
当てたが、それと単純に比べられないにしても、目的が明確である以上、簡単じゃないの?
と思ってみ
たから不思議なものだ。
 

 

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デジタルケインズと共生・贈与

2013年04月17日 | 時事書評

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

 

  

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン 
 

 

【複雑系とデジタルケインズ】

【デジタルと物理学】

ところで、デジタルとは、本来の意味はラテン語の「指 (digitus)」であり、数を指で数えるとこ
ろから離散的な数を意味するようになり、アナログに対応する理論として、工業的には状態を示す
量を量子化、離散化して処理(取得、蓄積、加工、伝送など)を行う方式のことである。データの
数値化にあたっては量子化を行い、整数値(すなわち digit)で表現する。例えば上昇では階段状
に上っていけばデジタルで、スロープ状に上ればアナログである。整数で表示できるか、およその
数値で表現するかの違いである。このため、データ量を離散的な値として表現することになり小さ
い量に対しては誤差を持つ。この誤差は適切な量子化を行うことで実用上影響の無い範囲にするこ
とができ、データ量に比例したアナログ量を用いるのとほぼ等価な処理を提供可能である。 


さらに、そのデータとしての特性は離散値として数値化するので、アナログデータと比べ劣化しに
くい。伝送・記録再生などを行う場合、デジタル量もアナログ量と同様に電圧・電流などの電気信
号に置き換えて取り扱われるが、外乱が生じて信号にノイズが混入した場合、アナログ処理では特
別な処理を行わない限り信号に混じったノイズを取り除くことが困難だが、数値は離散化してあり
中間値を持たず、ノイズによって生じた誤差が一定以下ならばそれを無視でき、元の数値データを
劣化無しに復元可能なことである。

学問的にもデジタル化(デジタイズ)がすすみ、例えば、物理学領域のデジタル物理学(digital
physics ) は、物理学 および 宇宙論で、宇宙は(本質的に)情報により記述可能であり、それゆえ
計算可能であるとする仮定から出発する理論的展望の総称とされている。このような仮定を与える
と、宇宙とは、コンピュータプログラムの出力、あるいはある種の巨大なデジタル計算デバイスと
して理解され、デジタル物理学は以下の1
つ以上の仮説を基礎とするという。

1.宇宙は本質的に情報である (ただし、各情報のオントロジーがデジタルである必要はない)。
2.宇宙は本質的にデジタルである。
3.宇宙はそれ自身が壮大なコンピュータである。
4.宇宙はシミュレーテッドリアリティ実行の結果である。

すべてのコンピュータは情報理論、統計(熱)力学および量子力学の原理と明白な整合性がとれていなけれ
ばならない。これら分野の基本的な結びつきは、1957年 Edwin Jaynesにより2つの論文により提起
された。さらに、Jaynesは確率論を「一般化されたアリストテレスの論理学」として解釈し直した
という
。この視点は、古典論理やそれと等価なブール代数の論理演算を実装するよう設計されたデ
ジタルコンピュータと基礎物理学を結びつけるのにたいへん都合がよい。

宇宙がデジタルコンピュータであるという仮説は、コンラート・ツーゼがその著書Rechnender Raum
(英訳版:Calculating Space)にて初めて提起。デジタル物理学という用語は最初にエドワード・
フレドキンが使ったが、彼はのちにデジタル哲学 という用語のほうを好む。宇宙は巨大なコンピュ
ータであるとする人物には、スティーブン・ウルフラム、Juergen Schmidhuber、ノーベル賞受賞者
の ヘーラルト・トホーフトがいるが、これら著者らは、量子力学の確率論的性質は計算可能性とは
必ずしも非整合ではないと考え、量子版のデジタル物理学は最近セス・ロイド、デイヴィッド・ド
イッチュ、Paola Zizziにより提案されている。 関連するものとしてカール・フリードリヒ・フォ
ン・ヴァイツゼッカーの binary theory of ur-alternatives、汎計算主義、計算的宇宙論 (comput-
ational universe theory)、ジョン・ホイーラーの "It from bit"、マックス・テグマークの究極
合がある。


【経済物理学】

それでは、物理と経済学の融合領域とはどのようなものか?経済学分野での経済物理学(econophy-
sics)は、経済現象を物理学的な手法・観点から解明することを目指す学問でり、現在のところ、
扱う対
象には、株式、為替、先物などの市場、企業間ネットワーク(例えば株の持ち合いなど)、個人・法人
の所得などの例があり、これらの対象を扱う理由は、大量のデータを用意でき、その結果、後に述
べるようにベキ分布(ファットテール)が観察しやすくなるからである。大量の市場データを扱う
試みはマーケットマイクロストラクチャーなどの分野で、すでに1980年代には始まっているが、物
理学者が本格的に市場研究に乗り出したのは1990年代に入ってから。経済物理学という用語は、
ージン・スタンレー(H. Eugene Stanley
)により提案され、1995年、カルカッタの統計物理学の会
議で最初に用いられた。さらに1997年には、ブダペストで世界初の経済物理学の会議が行われたが、
それでは、経済物理学が市場をどのように扱うかについてみてみよう。

従来の経済学による市場理論としては、一般均衡理論がある。これは消費者の効用関数・生産者の
生産関数を所与とし、多市場の価格・需給量を同時決定するモデルであり、数学的にエレガントな
構造をしている。しかし、動学的な理論ではなく、市場がどのように均衡に到達するか、あるいは
市場は本当に均衡しているのか、という問題は扱いにくい。

初期の金融工学では、原資産の価格変化率の分布が対数正規分布に従い、裁定機会が存在しないな
どの仮定の上で、オプションの理論価格を導くことができた(ブラック・ショールズ方程式)。あ
くまで、数学的に扱いやすいから正規分布としている。この段階での金融工学の理論は、時間が明
示的に入っているため動学的ではあるが、実際の価格変化率の分布は正規分布ではなくパレート分
布(ベキ分布)に従うため、現実的なモデルとはなっていない。金融工学は、その後、ARCH、GARCH
モデルのように、価格変化率の標準偏差の時間変動を取り入れ、ベキ分布、ボラティリティ・クラ
スタリングを再現する方向へと発展していく。ただし、なぜそうした分布に従うのかといった疑問
に答えるのは難しいという。

価格変化率の分布がなぜパレート分布(ベキ分布)に従うのかということの理解は重要で、大きな
価格変動は暴落・暴騰を意味し、それが正規分布の予言よりも多いということは、それだけ市場が
不安定な存在であることを意味
するからである。また、オプションの理論価格は、価格変化率の分
布と関係があることが分かっているので、オプションの価格理論にとっても重要である。そこで、
ベキ分布は一般にどのような状況で出現するのだろうか。また、物理学的な手法によってベキ分布
はどのように理解されているのだろうか。

経済物理学では、主に統計物理学的な手法を用いて経済を研究する。時には、流体力学・量子力学
的な手法を用いることもある。
統計物理学で重要な概念の一つが相転移である。相転移が起きる前
後では、比熱などの物理量がベキ分布に従うことが多い。このことは、相転移の前後では典型的な
スケールが存在しないということを意味している(スケールフリー)。
市場にもバブル・暴落相と
フラット相(平穏な状態)の2つの相があり、その相の間を転移することで、ベキ分布が生じると
いうのが、経済物理学の典型的な考え方である。極端な例だが、第2次世界大戦後のハンガリーで
は、指数関数の肩に時間の指数関数がのるほどの猛烈なインフレーションが起きた。その結果、16
年間で貨幣価値が1垓3千京分の1になったという。普通のインフレーションでは貨幣価値は時間
の指数関数程度に大きくなるから、ハンガリーのインフレーションは明らかに異常なインフレーシ
ョンであり、相が異なると考えるのが合理的である。あたかも磁気相転移のように、投資家の思考
一方向にそろってしまうためにバブル・暴落相が出現するのである。このように、相転移という
概念は、物理現象だけでなく、経済現象を捉えるのにも役立つと考えられている。さらに、経済物
理学では、相転移だけでなく、複雑系を理解するためのキーワードである、フラクタル自己組織
・ネットワーク・カオスなどの概念を用いて、市場を理解しようとする。

【物理経済学批判】

経済物理学は新しい学問領域であるが、その対象は決して新しくはない。さらに使われている手法
も物理学では当然のものであり、新たな手法が登場するには至っていない。したがって、市場を伝
統的な手法で研究している経済学者や、主流派の物理学者から様々な批判がなされている。
なぜ物
理学者があえて経済を研究するのか? 経済学者が行う研究とどのように差別化するか?

経済学には、事実解明的分析規範的分析の2種類の分析手法がある。経済物理学の知見は、事実
解明
的分析には役立つかもしれないが、社会の規範を作ったり、政治的な判断を要したりする場面
で利用するこ
とができるのだろか?

この批判に対し、研究方法は急には変えられない。経済学者に物理学的な手法を期待するのは無理があ
る。また、経済を研究すれば、新たに複雑系を理解する手法が現れるかもしれない。物理学的手法では、
確かに事実解明的分析が主になるだろう。規範的分析を行うには、工学的アプローチのほうが向い
ているかもしれない。歴史的にも、物理学は「なぜ」を追求してきたのであって、「どのようにし
て」にはあまり興味が無い。逆に、経済学は「なぜ」と「どのようにして」が未分化なのである。

などといった反応がある。



【複雑な進化の経済学】

以上のことを踏まえ、物理経済学と複雑系経済学を比較してみよう。複雑系経済学( Complexity
economics) とは、経済を複雑系として捉える経済学のアプローチ。一般に非線形で、要素間の相

互依存性が強い系は複雑系となる可能性がある。特に経済学にとっては要素の数が多いことや収穫
逓増現象が重要であり、経済成長における初期値依存性もカオスを生み出し複雑系となる。要素の
数が多いとき、個人は必ずしも最適な選択を行うことが時間的な制約の理由によりできない。これ
では通常の経済学が想定するような完全合理性が成立せず、経済主体は限定合理性の下で行動する
ことになると考えられる。また、動態的な意味での収穫逓増が成立するときには、最終的な均衡の
状態が唯一ではなく、0、ないしは複数ということもあり得る。複数の均衡が存在する場合、どの
均衡に到達するかは初期状態、経済主体の予想などの要因によって決定する。これを経路依存性と
いう。さらに、最終的な均衡もパレート最適であるとは限らない


現在の経済学の主流である新古典派経済学は、収穫逓減と無限合理性の仮定のもとに成立し、前者から
供給関数、後者から需要関数が構成されるが、これらの仮定は理論の必要上前提されるものであり、現実
と掛け離れていることがわかっている。これは、経済をすべての情報が瞬時に処理され、収益機会
がつねに存在しないような世界=均衡と見なしていることによる。それでは解明できない現象が多
すぎ、均衡理論の罠にはまってしまっている。この状態から救済するために、新しい経済学の基礎
から再構築する運動として複雑系経済学が位置づけられている。

コンピュータに組み込んだエージェント(人間もどき)の行動による市場過程の研究であるが、現
実の人間がマシーン・エージェントととも参加する仮想市場を形成して、より大規模な金融市場の
シミレーション実験を試みる計画も進んでいる。それがU-Mart計画である。具体的にはインターネ
ット網を使い、たとえばJ30など現実には存在しない先物市場を形成することを通して、価格変
動の性質や各種エージェントの優劣、さらには(ストップ安などの)市場の諸制度の有効性などを
実験的に検証していくことが計画されている。それは、経済をすべての情報が瞬時に伝わり処理さ
れ、収益機会がつねに存在しないような世界=均衡とは見なさない。

この複雑系に会わせるかのように、進化経済学的アプローチも盛んに研究されている。その進化経
済学に特有な概念・視点・分析手法は多様であり、新たな時間・空間概念、限定合理性(満足化)、
知識の学習、定型行動に基づく経済主体、商品・技術・組織・市場・制度・ルールなどの多様な複
製子(選択単位)、個体群思考、遺伝、個体発生と系統発生、自然選択と突然変異、非線形性をも
つ複雑系のダイナミズム、自己組織的臨界とべキ法則、進化ゲーム理論、エージェント(擬似人間
)・シミュレーションなどである。グループあるいは研究者ごとに何を強調するかは異なっており、

それゆえ、進化経済学の定義や境界基準は必ずしも明確でないものの、 経済が進化することを認
識し
ようとする経済学も進化するという遺伝子の二重性のようなごときアプローチと喩えられる。

さて、これまで縷々述べてきた、新自由主義の批判的論考に取り上げてきたポスト・ケイジアンと
複雑系経済学あるいは進化経済学との相互浸潤という流れのなかで、その計算経済学、計量経済学
的アプローチにはデジタル・コンピューティングが不可欠であり、この論考の目的としても手段と
しても、デジタル革命という技術革新が綿密に絡んでいることはいうまでもなく、喩えてみれば、
デジタルという物理学とケインズというマクロ経済学の融合、つまりは、デジタル・ケインズとい
う有力な創生概念をもって、多くの世界中の勤労国民が分断支配され沈滞した社会経済の諸問題の
解決に役立っていくだろうと期待するものである。


 

【共生と贈与の社会実現】 

さて、ここまでポストフォーディズムとして登場した新自由主義の歴史的背景を俯瞰し、その批判
的展望に
ついて考察してきた。まず、デヴィッド・ハーヴェイは、『新自由主義-その歴史的展開
と現在』であきらかにしたように、「市場は競争的で公正であるという理念は、企業と金融の権力
の途方もない独占化、集中、国際化により否定され、各国内でも(中国、ロシア、インド、南アフ
リカなど)、国際的にも、階級間・地域間の不平等が拡大し、新自由主義世界が完成する途上での

「過渡的」なものであると言ってごまかすことができぬほど深刻な政治的諸問題を生じさせており
新自由主義が、支配階級の権力回復プロジェクトの偽装レトリック」が暴いてみせ、翻訳者の渡辺
は「多くの国民が、自民党も民主党を拒否し、構造改革でもない利益誘導政治でもない、新しい福
祉国家の道を、財源問題も含めて対案として示す必要があるとし、新しい福祉国家の道をめざす柱

は、①憲法25条に基づく社会保障の全体像と社会保障の強化、②大企業の法人税を引き上げ、消費
税増税に頼らない安定財源の確保、③大企業本位でない経済成長政策、④福祉国家型の真の地方自
治、⑤日米安保体制のない日本の安全とアジアの平和―憲法9条を生かすこと」を提示している。

また、ポール・デヴィッドソンは、『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』で、
「そもそもケインズの誤用の核心とは-ケインズ革命の幕開けを予告した「生産の貨幣理論」と題
する論文で、ケインズは古典派理論が 物々交換経済ないし実物交換経済のパラダイムに基づいて
いるのに対し、ケインズの目指す分析対象が古典派とは異なる原則と目的に基づいて組織された
『貨幣経済』にあることを強調する。貨幣経済では貨幣が枢要な要因となっており、貨幣は経済主
体の動機や意思決定に影響を及ぼす。こうした貨幣経済思想は、当然のことながら、『一般理論』
に引き継
がれ、『一般理論』の序文や第1章で、古典派理論の基礎となっている前提が現実の世界
と大きく乖離し、
実際の貨幣経済の分析にとって不適切であり、貨幣が「本質的かつ独特な仕方で
経済機構に入り込
む」、貨幣経済の理論は、貨幣が形式上存在してはいるが中立的な要因であるに
すぎない実物交換経済とは、根本的に異る」と、新自由主義の一角を形成する新古典派経済学を、

ケインズの流動性選好説を(新)古典派の効率的市場理論に対する対抗軸として捉え、複雑系経済
学者の塩沢由典も「現在の経済学の主流である新古典派経済学は、収穫逓減と無限合理性の仮定の
もとに成立し、前者から供給関数、後者から需要関数が構成されるが、これらの仮定は理論の必要
上前提されるものであり、現実と掛け離れていることがわかっている。これは、経済をすべての情
報が瞬時に処理され、収益機会がつねに存在しないような世界=均衡と見なしていることによる。

それでは解明できない現象が多すぎ、均衡理論の罠にはまってしまっている」と批判し突き崩さた。


【デジタル革命と贈与経済】

このことは、すでに19世紀の中頃、カール・マルクスは、「人間の本質」が不変ではなく、また社
会システムの性質を決める決定要因でもないという概念を導入することで、彼の歴史的展開の段階
の図式を始めた。逆に彼は、人間の行動は、それが起こった社会システムおよび経済のシステムの
一つの機能であるという原則を打ち立てる。ほぼ同じ頃チャールズ・ダーウィンは、小さくランダ
ムな変化が時間と共に蓄積していき、経済的な力が強く求められる状況下ではまったく新しい形質
の発現に至る大規模な変化(種分化)になるというプロセスを解釈するための一般的枠組みを開発
した。そして、マルクスが死んだとき、フリードリッヒ・エンゲルスは、墓石のかたわらで「ダー
ウィンが生物学における進化の法則を発見したのとまったく同じように、マルクスは人類史におけ
る進化の法則を発見した。」に述べたというが、このように複雑系あるいは進化系経済学は、均衡
した静的理論ではなく、不均衡な動的理論に立脚する。

さて、こんかいのグローバル経済危機を契機としてわたし(たち)は多くのことを学んだことで今
後の展望も切り拓けているようのみえる。しかしこれは、資本による収奪による再配分の次元での
ことで、大規模な季候変動など地球環境問題など次元を含めると事態はもっと甚大で複雑なものに
みえる。その時の問題解決の流儀ということを環境問題を通して考えてみた。

「われわれの富の源泉と本質は日光のなかで与えられるが、太陽のほうは返報なしにエネルギーを
-富を-配分する。太陽は与えるだけでけっして受け取らない」(ジョルジュ・バタイユ『呪われ
た部分』)とこのようにバタイユは「普遍経済」をイメージした。これを『贈与経済』と言い換え
ることもできる。常にエネルギーが過剰であることは何を意味するのか?生産のためのエネルギー
が、成長のためのエネルギーが過剰に与えられているとことは、太陽エネルギーが無限に与えられ
ていることは「もしもその組織(たとえば一個の有機体)がそれ以上成長しえないか、あるいは剰
余が成長のうちに悉く摂取されえないなら、当然それを利潤ぬきで損耗せねばならない。好むと好
まざるとにかかわらず、華々しいかたちで、さもなくば破滅的な方法でそれを消費せねばならない」
ことを意味していると。エネルギーが過剰に与えられているから、惜しみなく消費せざるをえない
ということが、人間の諸々の経済活動、あるいはもっと広く言えば、諸エネルギーの関係の推移を
位置づけていくことが、バタイユの謂う「普遍経済」の意味だが、地下化石燃料や原子力燃料に依
存せずとも、人類は無償のエネルギーを手にできる段階になっている。そのことは、消費活動に伴
い排出される温暖化ガスが原因となり、引き起こされる世界規模の気象変動の問題が解決され、持
続可能な社会を希求するわたしたちの努力により、光熱費は限りなく、社会的費用として漸近し個
人的な費用としての意味を失っていく。

また、自然との共生のために「生態系」を考えることが重要であることを、中沢新一は、贈り物の
もつ力について触れ、「商品と異なり、贈り物は贈った相手に物だけではなく心の中に何かを与え
る」と指摘し、商品は貨幣との等価交換対象に過ぎないが、贈り物は果てしない心の連鎖を惹き起
こし、そして自然からの「贈り物」を認めて受け取る時、人間の中に新しい何かが芽吹くだろうと
考える。「純粋な自然の贈与」は、ケネーにはじまる重農派が創造した経済概念だが、人々が神話
と物語の世界観から、よりリアルな世界観へ脱皮しようとしたとき、ギリシアの地で発見された概
念といわれる「ピュシス」(普通は自然そのものと解され、自然は時代の進化ともに変転させてき
た)を中沢新一は多用する。このピュシスとは自然が自然として現れるという二重の概念であり、
ピュシスは自然の霊性として現れ、撒かれた種の価値以上の農作物を大地に贈与としてもたらする
という。価値の増殖という謎の現象にメスを入れたマルクスは、『資本論』における価値論の構造
な骨格にこの概念が潜在しているとも指摘している。

以上、このような「共生」「贈与」という概念の援用を背景とし、わたし(たち)は諸問題の解決
のため行動することの他に道がないと思える。
  
                                                          この項了




竜頭蛇尾になることを恐れながら、論考を了とした。それでもこれだけではないだろうが、最近の
時間の早さ
というものが半端でなく、情緒的にも不安定さが増すような毎日だったし、母の見舞い
も途切れるている。そ
れで、ジムをそそくさ切り上げ、母と見舞い話して帰ってきた。そうこうし
ていたら従兄弟の肉親の訃報が入るが、
葬送式に参列周期も随分短くなっている。 

そういえば、帰りの湖岸のクルマに徳永英明の「駅」がながれていたってけ。それで、竹内まりや
を聴き直してみる。

 

 

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ケインズとデジタル革命

2013年04月16日 | 時事書評

 

  

 

ひとりで観たのか、それとも友達といっしょに映画館で観たのかの記憶もあやふやなのだが、
同級生の池田修治が横にいたような記憶もある。ともかくも、作業の手を休め休憩中にB
Sで
放映されていた映画『エル・ドラド』を観る。
ハリー・ブラウンの小説を「リオ・ブラボー」
リー・ブラケットが脚色、「レッド・ライン7000」のハワード・ホークスが監督した西部劇。
撮影はホークスの懇願で8年間の引退生活からカムバックしたハロルド・ロッソン、音楽は「ロ
リータ」のネルソン・リドルが担当した。出演はジョン・ウェインとロバート・ミッチャムの
ほかに「レッド・ライン7000」の新人たちジェームズ・カーン、シャーリン・ホルト、ロバー
ト・ドナーなど。製作はハワード・ホークス、共同製作はポール・ヘルミック。西部劇映画も
全盛期を過ぎようとしていたころの作品で、映画音楽と上映開始と終了時の挿絵を観た瞬間、
鳥肌が立ちしばらく退かなかった。従兄弟の藤田耕一(7年前に他界)は無類の西部劇狂で、
ウィンチェスターライフルの模造銃を引っさげ、ウェスタンウェアに身を包んだカウボーイ姿
でライフルを連射し、打ち終わった右手で引き金に中指と人差し指を引っかけライフルを回転
させ得意顔で、知っている知識をわたしに話し聴かせている姿がまぶたに浮かんだ(彼の凝り性
は半端でなく、投げ縄など細部にこだわり身を包んでいた-それほどまで家族から大切に育て
られたという証でもある)。 観おえて懐かしく無邪気なころの思い出にひたりそののち落ち込
んだ。そう言えば今朝から三国廉太郎の訃報が流されていたっけ。

 

   思へばこの世は常の住み家にあらず
   草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
   金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
   南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
   人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
   一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
   これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ



                         滅するは必定/無官大夫 平敦盛

                                     

    

 

 

 

 

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

 

  

 

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

 

 

 

 【ケインズとデジタル革命】

 【デフレスパイラル】

 デフレーション (deflation) とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指してデフレと
も呼ぶ。対義語に物価が持続的に上昇していく現象を指すインフレーション (inflation) で
あり、デフレーション、つまり物価の下落は同時に貨幣価値の上昇も意味し、同じ金額の貨幣
でより多くのものを
買えるようになるが、株式や債券、不動産など資産価格の下落は通常デフ
レーションの概念に含まないとされる。また物価の安定は、経済が安定的かつ持続的成長を遂
げていく上で不可欠な基盤であり、中央銀行はこれを通じて「国民経済の健全な発展」に資す
るという役割を担い、日本銀行の金融政策の最も重要な目的が、「物価の安定」を図ることに
あるとする。そして、資産価格の金融政策運営上の位置付けを考えた場合、資産価格の安定そ
のものは金融政策の最終目標とはなり得ないというのが各国当局、学界のほぼ一致した見方で
ある。また、デフレは個々の経済主体にとっては好影響・悪影響としてあらわれ、代表的な影
響は債権・債務問題で物価の下落は、実質的な返済負担増となる(デットデフレーション、英
語:Debt Deflation)。そのため、借り手である債務者から貸し手である債権者への富の再配分
が発生し物価下落によって実質金利が上昇するとされるが、"ロスト・スコア"(失われた20
年)において日本において実質金利上昇は観測されていないが、資産価値が評価されない実体
経済は正しだろうかという疑問がつきまとい、例えば、道路の舗装工事を例に考えてみよう。
住居民の生活様式の変化により、景観改善とインフラの設備の埋設化による生活基盤強化の目
的で、新たに電線を埋設しようとすれば、道路を掘り起こし関連工事敷設ことになるが、地上
配線では高架配線方式では直接的な工事費は割安になるだろう。しかし、景観改善と基盤強化
による付加価値を正しく評価し均衡化(=付加価値の加算処理)すれば、負債は軽減できるあ
るいは寧ろ資産としてプラスに転化する。残件として維持経費の比較評価が残り、費用便益比
(B/C)の議論に移る。つまりは、単位当たりの面整備費は上昇するから地域間格差として広が
る。多少不便でも面整備費の少ない方で居住するかどうかは生活者の選択というわけだが、こ
こで重要なのは、評価システム確立(法整備)が未整備であるということだ。それだけではな
い、国家予算勘定手法として、減価償却期間が法的に定められているが、例えば、20年前と現
在では道路の隧道(トンネル)工事では工法などの質的変化が著しく、仮に時価評価方式を導
入し国家予算の負債部門の再定義した場合の検証研究が望まれているわけだが、単純化してい
うと、デフレの収入部門への影響けでなく、負債部門への影響を公平に精算しないと、デフレ
スパイラルに歯止めが効かず、増税圧力の自然逓増が勤労国民に大きくのしかかる懸念が払拭
されない。

ここでは、従来からいわれている、循環がとどまることなく進む「デフレスパイラル」、政府
による買い入れや物価統制など直接的な手段が有効であるが、現代の経済においては消費者物
価の継続的な低下に対して金融緩和や量的規制緩和、為替介入などの金融政策で対処法や所得
税の累進性や社会保障はビルト・イン・スタビライザーの機能を持つ物価の安定に機能(
自体に備わり、景気を自動的に安定させるプロセスであり。補整的公共投資政策などの投資的
財政政策に比べ、タイム・ラグがなく、税制上の累進率が高いほど効果が大きく、歳出を一定
額に固定、あるいは増加率を固定するなどによっても安定化機能は果たす-1980年代のレーガ
ノミックス、サッチャリズムによる小さな政府政策以降、ワシントン・コンセンサスに見られ
る新自由主義や市場原理主義が先進主要国の政策に導入により、ビルト・イン・スタビライザ
ーの中心でもあった累進課税と失業者救済制度が「自由競争を損ない、経済活動を萎縮させる」
と批判の対象とされて機能不全にあり、2007
年金融危機発生後の不良債権の処理を巡り世界規
模のデフレスパイラル発生懸念)との相互作用としてのデフレーションではなく、単純に科学技術革新
の連関する経済的事象として取り上げる。

【新しいデフレーション】

デフレーション(deflation)とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指すが、吉本隆明
によれば「生産から消費までの時間的遅延の拡大」と定義されこちらの方がわかりいい(『
ジタル革命-雪柳とデフレーション
』)。現代の科学技術の進展の側面からすると、冷凍保存
技術は、「デフレ技術」であり「デフレ商品」である。なぜなら、冷凍エビ、冷凍マグロなど
は価格下落方向に作用していることになる。それでは、デジタル家電製品はどうだろう。これ
は「時
間的遅延の拡大」ではなく、デジタル革命の基本特性の第1、第2、第3、第4則が働
き、製造単価が下落方向に作用す
る。特に、商品の品質を維持しつつ、労働賃金の低い地域での生
産委託が、情報通信技術の発展で遠距離であっても必要な情報は短時間での相互運用が常態化して
いる。  なお、「デフレの歴史」「リフレーション」(通貨再膨張)「インフレターゲット」についても、『第4則 
デフレーション
』(環境工学研究所 WEEF)を願参照。

1973年、オイルショックを機に、鉄鋼や石油の消費は頭打ちになり、代わってシリコンの消費
が急伸する。LSIは、ムーアの法則を道標に爆発的な成長を遂げ、デバイスの寸法は1/100にな
り、
ウィルスよりも小さく、集積度は百万倍になり、最先端のメモリーチップは80億個のトラ
ンジスタを集積する。マイクロプロセッサのサイズは1/100になり、処理能力は10万倍になっ
た。トランジスタの値段は百万分の1に安くなったが、トランジスタの出荷数が1億倍に増え

たので、半導体産業は、百倍大きくなり30兆円産業に成長する。このように、半導体の技術と
産業を発展させた原理は、スケーリング(微細化)である。スケーリングによって、回路性能
は向上し、
製造コストは安くなる。デバイスをスケーリングすると、容量Cと抵抗Rが小さく
なり、CR時定数が小さくなるので、回路は高速に動作する。また、ウェハロ径を大きくして歩
留まりを高くでききれば、1枚のウェハから取れ良品チップの数を増やし、チップコスト逓減
することができる。そのために、リソグラフィやプロセスの技術進歩、デバイスや回路の工夫、

ウェハの大口径化、製造技術の改善などが繰り返し行われてきた。例えば、60年代の大型コン
ヒュータは、数僥円の高価なもので国防に使われた。70年代になると
、数千万円のミニコンが国
立研究所で科学計算に使われた。80年代には、数百万円のワークステーションが産業界でエン
ジニアリングに使われ、90年代には、数10万円のパソコンがオフィスで使われ、いまでは数万
円の携帯末端が普及している。


ムーアの法則は情報を物理現象で扱う際に、スケールを微細化する過程でよくみられる。半導
体だけでなくHDDの容量増加でも似たようなことが起きていることから分かる。エネルギーに
関しては熱力学の第一・第二法則、ベッツ限界、カルノーサイクルのような物性限界もある。
エネルギーを扱うものが進歩する場合には、漸進的進歩が比較的早期に打ち止めになった後、
新しい物性の発見や技術的フレームワークの見直しなどによって劇的に進歩することが多い。
工事費についても専用工具の開発でコストが落ちることがあり、たとえばトンネル掘りはシー
ルドマシンの開発で一気にコストが落ちた。太陽光発電では量子ドット効果で2桁以上、発電

効率が向上する(『量子ドットなスピントロニクス商品』)。

ところで、半導体量子ドットを取り入れた太陽電池は、従来の単接合の太陽電池では利用され
ていない赤外領域の光子を、サブバンドを介した吸収により活用できることから、高いエネル
ギー変換効率が見込まれている。理論的に予測される変換効率の上限は、集光条件下で63%、
非集光条件下で47%に達する。我々はアンチモンをサーファクタントに用いたMOCVD法により
InAs量子ドットを含むGaAs太陽電池を作製した。GaAsの禁制帯以下の1.3 μmにまで達する広
い波長領域において最大で数%の光電変換を達成し、InAs量子ドットの基底準位および励起準
位に対応する明確な光電流のピークを観測した。また、従来の化合物半導体量子ドットを用い

た太陽電池においては、量子ドットを用いない太陽電池と比較して開放端電圧が低下する現象
が報告されていたが、電圧低下を伴わない量子ドット太陽電池の作製に初めて成功している。

なお、「デジタルデフレーション」すなわち、「デフレーション特性の事例」については『
4則 デフレーション
』(環境工学研究所 WEEF)を願参照。

さて、デジタル革命というレバレッジは、金融工学として金融派生商品と結びつくことで反社会的なグロ
ーバル経済危機として具現化したばかりでなく、通商貿易においてはかつてないほど、すべて
の商品
という商品の価格下落(デフレーション)という経済現象をもたらしただけではなく、
デジタル革命の基本特性、シームレス、ダウンサイジング、ボーダレス、イレイジング、エク
スパンションの特徴をもち劇的な全的変化をもたらしている。これほどの価値を発揮しながら
も貨幣価値の逓増には繋がらず、価格下落の恩恵に預かる前に多くの勤労国民が激しい所得格
差に見舞われという悲惨な状況に陥いる。そこでデフレの直接的な対策には、金融政策が採用
される事が多いが、根本的な対策としての経済構造や国際分業構造、金融部門の資本不足によ
る信用不安などに問題が慢性的なデフレーションを招いている可能性があり、財政政策や産業

育成政策など経済構造そのものに向かわざるを得なくなっている。

【ソロー残差】 

ところで、「技術と経済成長」に関して、米国の経済学者のロバート・ソローは、古典派経済
学の成長モデルの研究とソローモデルでよく知られているが、ソロー残差とは、生産力をあげ
るには、労働やその他材料を増やすか、投入する資本 (機械) を増やすか、あるいは技術革新
によって効率を あげるかだ。このうち技術革新は直接は計測できないけれど、ほかのものの増分を生
産量の増分から差し引けば、残ったのが技術革新の分だとするロバート・ソローのアイデアで、
この考
え方をもとに、戦後アメリカの産業力はほとんど (87.5%) が技術革新によるものだと
主張している。
このような事例を研究し、技術革新が貨幣価値に与える影響を、前提条件を任
意試行し、不均衡動学の命題とし計算経済学の事例研究に
取り上げ議論することも重要ではな
いかと思われる。


 【複雑系とデジタルケインズ】 

【複雑系とケインズ主義との相互浸潤】

さて、市場経済の進歩・発展を駆動するものが競争にあることは、ほとんどすべての経済学者
が一致して認めるているが、市場経済における競争がいかなる場所でいかなる具合になされる

かについて、新古典派と複雑系経済学とでは、大きく見解が隔たった原因は、新古典派経済学
が「価格理論」とほぼ同じ範疇にあり、競争に関する理論的な説明が、偏狭な価格競争として
説明され、完全競争、純粋競争といった概念が価格を貫通するため、競争実態を大きくゆがめ
(塩沢由典(『複雑系経済学の現在』)
、新古典派理論が競争概念をゆがめるのは、需給均衡
という考え方にあり、より正確には、価格を独立変数とする需要と供給とが定義され、それら
が一致
する価格体系に市場が帰着する一般均衡理論の枠組みが成立した古典派や新古典派の初
期にその根拠があるという
。経済の調整変数として、ひとびとの目に見えていたもの(=信用)
は価格のみで、数量的な調整は、部分的にできたとしても、その全体的な変動推定がの困難で
あり、目に見える調整過程として、価格調整に焦点が絞られる上に、さらに、需給均衡の枠組
みが「
企業は市場で自社製品を売りたいだけ売っている」(行動に関する最大化原理と状況の
選択原理としての均衡概念)という前提により現実から遊離する
。この反省に立ち、「複雑な
状況の中
での行動」を主題とし、均衡分析に代わる過程分析という枠組みで経済学のすべてを、
複雑系経済学
は再構成し、均衡の枠組みとしては理論に組み込めないの状況(収穫逓増、定型
行動、追随的調整、
経路依存など)を包括される。

複雑系経済学は、基本的には時間の流れの中で諸変数の変化を追跡する分析で、新古典派のよ
うに
「売りたいだけ売っている」という前提は不要として退け、反対に、近代的企業の生産の
増大を制約している主要な要因は、市場における需要の制約にあると考え、ケインズ経済学の
根底に置かれるべき考えだったとする
。つまり、ケインズの一般理論は、限界理論の2公準を
軸としているが、有効需要の原理とうまく整合せず、第2公準を否定することから始まり、ケ
インズ経済学をミクロ的に基礎付ける試みが長くなされてきた
が、企業が直面している状況を

ただしく定義できず、生産量と利潤を増大させようとする企業の主要な制約が製品の売れ行き
にあり、需給均衡という枠組みは、その定式においてこの状況を排除したためマクロ経済学の

ミクロ的基礎付けに基礎的なミクロ経済学の枠組みを変える必要があり(また、新古典派理論
に基づきマクロ経済学を再構成しようとしても、理論の構造として不可能)、ケインズ経済学
は、しばしば、価格が固定的であるとの前提にたって説明され、価格調整がつねに瞬時になさ
れる世界では有効需要の原理は意義をもたない
。製品価格を下げようと、原価をまかなえる範
囲では、その値下げ幅は大きなものでなく、原価を割らない範囲でどんな価格を付けようと、
企業はほとんどつねに需要の制約に直面し、これが企業レベルで捉えられた有効需要の原理と
なる。

生産容量の変更をのぞけば、価格調節の間隔は一般に数量調節の間隔より長い。そのため、価格が
固定的であるかの印象を一部に与えているが、価格が変動する世界も、有効需要の原理はつねに生
きる。有効需要の原理は、マクロ経済においてのみ出現するものであるかの説明もあるが、それは新
古典派ミクロ経済学を前提としているからである
。需給均衡の枠組みを離れてみれば、マクロ
の有効需要の原理は、個別企業が直面している状況の統合された表現でしかない。
これに対し、
ケインズ経済学、とりわけポスト・ケインジアンはどのような立ち位置にあるのだろうか。例
えば、サミュエルソンなどがリードした新古典派総合も加わると思われるが、実際かれらは自

分たちをケインジアンと思っている。では何が真のポスト・ケインジアンと「バスタード(ま
がいもの)」を
区別する点なのか?

(1)経済の全体的な枠組みを完全雇用を前提に対し、ケインズとポスト・ケインジアンは、
  非自発的失業は資本制経済ではふつうに起こりうるとし、経済の活動水準を決める要因は、
  将来が不確実な下での企業の投資決意、投機筋の「強気」や「弱気」、企業の財務構成、
  中央銀行の金融政策など、きわめて多面的で有機的と考える。

(2)つぎに教科書的な貨幣供給の外生性と流動性選好理論を中心とする貨幣需要の組合せに
  代わるものとして、金融動機を介在させた景気と貨幣供給の内生性の関係が議論され、企
  業の投資と財務構造の変化をヘッジ(繋ぎ)、スペキュレイティヴ(思惑)、ポンチ(誘
  導)の三段階で説明し、景気との関連を検討するケインズ的ミンスキー理論がある。

(3)ケインズ自身はレッセ・フェールが失業を解決できない原因を主に貨幣的側面に見たが、
  分配や産業間の技術関係など、もっと実物的観点から社会的・構造的問題に取り組んだス
  ラッフィアン、オリカーディアン-スラッフィアンの多部門生産理論の特徴は線型の生産
  構造にある(「ポスト・ケインジアンの理論的再評価」、黒木龍三)。

『一般理論』の出版から70年以上経た今日、正統派からは無視された感すらあったケインズは、
今回
の金融恐慌で図らずも完全復活しているとされるが、複雑系経済学(あるいは進化経済学)
と相互浸潤(なんともレーニンばりの表現だが、多分に現代的なデジタル物理学の反映をもっ
て)の状態下にあるかのようだが、経済システム特性として複雑系の前提を箇条書きするとな
れば、塩沢由典が以下のように抽
出する三つのシステム-時間変化・連結・構成個体の生存に関す
る条件-が組み込まれつつあるとでも表現できよう。

(1)時間特性 経済の状況は、ゆらぎのある定常過程としてある(ゆらぎ)。

(2)連結特性 経済の諸変数は、緩く連結されている(ゆるみ)。
(3)個体特性 経済の個体(主体)は、生存のゆとりを持っている(ゆとり)。 

                                                       この項つづく

 

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デジタルなケインズ

2013年04月15日 | 時事書評

 

 


今朝は4時起きになってしまい、仕方がなくいつもの作業に入ったのはよいのだが、息子の自転車がパ
ンクだというので、急遽、職場まで送り届けたのはいいのだが、それからが事件? が起きた。カーキ
ーを受け取るの忘れてしまい、停車しエンジンを切った途端クルマのエンジンをリスタート出来なくな
った。慌てて、パーキングランプを点滅させ、そこから全速力で元来た場所に戻りキーを受け取り帰っ
てきたものの、喉はからから足は筋肉痛が走り、一時的な気管支炎のような咳き込みが始まり、ベンザ
ブロックLを二錠服用し、暫く休息し、中断させていた作業を再開させた。そうこうしたら彼女が帰っ
てきて、スタンドが故障した自転車を使えるようにしてくれというので、手探りで修理する(いつもの
ことだが、熟練ということにはほど遠い生活を送ってきたが、これからも生涯現役で素人仕事をやり抜
こう!?)。疲れで視界がぼやけていたのがわかったのか、彼女が回転寿司の徳兵衛にいこうというこ
とになり、大トロ、メカジキと鮮魚丼をいただき帰ってきたが、偉いもので、視界のぼやけが消えてい
た。いや本当に!。さて、「デジタルケインズ」の草稿も最終段階に。早く切り上げてしまわないと忙
しないことこの上ない。
 

 

 


 

 【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

    

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

    

【新自由主義とオールタナティブ】

【新自由主義批判】

さて、ポストフォーディズムとして登場した新自由主義の歴史的背景を俯瞰し、その批判的展望につい
て考察
してきたが、ここではその要約を整理・整頓してみる。

まず、『新自由主義-その歴史的展開と現在』の第7章でデヴィッド・ハーヴェイは、1935年の年頭
書演説フランクリン・ルーズベルト大統領を引用し、国家と市民社会が果たすべき最優先の義務は、

困や飢餓の根絶にその力を活用しその資源を振り向けることであり、生活の保障を与え、大規模な災害
や生
活の紆余曲折から保護し、ちゃんとした住宅を保障することである。欠乏からの自由(未来の政治的ビジ
ンに据えた四つの基本的自由:欠乏からの自由のほか、言論の自由、信仰の自由、恐怖からの自由)な
どの幅広い自由概念は、ブッシュ大統領の政治レトリックの中核に据えられた実に狭溢(きょうあい)
な新自由主義的自由とは対照的であり、ブッシュのそれは、国家が私企業への規制をやめ、社会福祉か
ら手を引き、市場の自由と市場倫理をよりいっそう普遍化すること、「ただ自由企業を擁護するだけの
もの」へと堕落-マルクスの自由についての基準と、アダム・スミスが『道徳感情論』の中で述べてい
る自由の基準にして、新自由主義化か惨僣たる大失敗-させたものだったとし、また、新自由主義的な
命題や処方隻の有効性に対する不満の表われは、支配層の政策グループ内部にさえ見出せ、かつては新
自由主義に熱中していた人々(エコノミストのジェフリー・サックス、ジョセフ・スティグリッツ、ポ
ール・クルーグマン)や実際に関与していた人々(ジョージ・ソロス)が、今では批判派に転じ、ある
種の修正ケインズ主義への回帰やグローバルな諸問題の解決策あるいは制度的アプローチ(グローバル
統治に対するよりまともな規制のシステムから、投資家の向こう見ずな投機をより厳重に監督するなど
が含まれる)を提唱し、グローバル統治の改革は、単なる主張にとどまらず大きな見取り図が示されて

いるほどだと述べている。

しかしなながら、これらのもたらした弊害に対抗するには、新自由主義が立脚し新自由主義化のプロセ
スがその強化に大いに貢献してきた根本的な権力基盤に挑戦することなしには実現することはできず、
国家が福祉給付から手を引いていく過程を逆転させるだけではなく、金融資本の圧倒的権力と対峙-ケ
インズは、配当や利子に寄生して暮らす「金利生活者」を軽蔑し、彼が言うところの「金利生活者の安
楽死」を経済的公正を実現と資本主義の周期的恐慌回避の必要条件とみなした、1945年以後に構築され
たケインズ主義的妥協と「埋め込まれた自由主義」の目標を一定実現する役割を果たし-新自由主義時
代の到来には、金利生活者の役割が賛美され、金持ちの税金は軽減され、賃金や給与よりも配当や投機
利益
の方が優先され、途方もない規模の金融危機が解き放たれ、国から国へと伝わり、雇用と生涯機会の破滅
的な影響をもたらしたとし、貧困の根絶といった目標を実現する唯一の道は、金融権力と対決し、これ
まで構築さ
れてきた階級的特権を撤廃していくことであるのだが、そのような大国が現われる徴候はど
こにも見られないと述べる一方で、ケインズ主義への回帰は、ブッシユ政権は累進的に増大する財政赤
字を延々と未来に先送りすることを是認する姿勢をとることで、すべての人々にきわめて困難な問題を
突きつけたが、伝統的なケインズ主義の処方箋とは対照的に、この再分配法は貧困層や中産階級を犠牲
にして、一般株主(年金基金を含む)を犠牲にして、大企業とその裕福な最高経営責任者(CEO)、
金融・法律アドバイザーの収奪に機能、あるいは新自由主義理論とそのレトリックが何よりも、エリー
ト階級の権力の維持・再建・回復に帰着する諸実践の隠蔽機能としてきた。よれ故にオルタナティブの
探求は、現実をしっかりと踏まえつつも、この階級権力と市場倫理が定義する準拠枠の外部に向かうべ
きだとする。

さらに、新自由主義化か国内の経済と政治に引き起こす諸矛盾は、金融危機を経ることなしに封じ込め
ることはできないとし、局地的には損害を出したが世界的には対処可能であることがわかったが、この
危機に対処できるかどうかは、新自由主義の理論から事実上離れるかどうかにかかり、グローバル経済
の二つの主
要推進国(アメリカと中国)の財政赤字の膨張は、新自由主義の資本蓄積の将来保障の指針として
役立たずか、困難さとを示す徴候でありえても、エリート階級の権力の回復ないし輩出を支えるための
レトリックとして引き続き利用され、収入や富の不平等が1929年の大恐慌直前のレベルにまで接近し、
経済的不均衡が構造的危機をもたらす慢性的なものとなるが、この蓄積体制が平和的に解消されること
はなく、「埋め込まれた自由主義」の胎内から生まれた新自由主義は、カール・マルクスの「暴力はつ
ねに歴史の助産婦である」という言葉通り、アメリカでは権威主義的な新保守主義やティー・パーティ
という反納税的共和主義が台頭し、アメリカの支配エリートの側の国際秩序と国内秩序の再構築の動向
を憂慮する。

これに対し、(1)本源的蓄積の古典的な形態(土地からの農村住民の強制排除)に対する抵抗(2)
国家があらゆる
社会的義務(国民に対する監視と警察による取り締まりを除いて)を乱暴に放棄することに対す
る抵抗、(3)文化・歴史・環境への破壊行為に対する抵抗、(4)国家と同盟した現代の金融資本が仕掛ける「資
産収奪的」なデフレおよびインフレに対する抵抗などの多様な運動の有機的な結びつきを見出し、極度
に不安定
でますます深刻になる地理的不均等発展する資本蓄積過程のダイナミズムを追跡分析し、国家
間の競争をつう
じ新自由主義化の拡張による地理的不均等発展を債務ではなく資産へと転化させよと、
あるいは支配階級エリートの分割統治政策に対し地域権力の自己決定権を再構築する運動をオルタナテ
ィブとしてデヴィッド・ハーヴェイは提起する。

そして、「万人の利益になる」というレトリックと「一握りのエリート階級の利益になる」という現実
とのあいだのギャップが、かなり目に見える形で広がっており、市場は競争的で公正であるという理念
は、企業と金融の権力の途方もない独占化、集中、国際化により否定され、各国内でも(中国、ロシア、
インド、南アフリカなど)、国際的にも、階級間・地域間の不平等が拡大し、新自由主義世界が完成す
る途上での「過渡的」なものであると言ってごまかすことができぬほど深刻な政治的諸問題を生じさせ
ており、新自由主義が、支配階級の権力回復プロジェクトの偽装レトリックが暴かれるほど、平等主義
的な政治的要求を唱え、経済的公正、フェアトレード、より豊かな経済保障を追求する民衆運動が復活
していく基礎が築かれていくとし、人間としてのわれわれの地位に本来備わっている諸権利に加えて、
平等な生涯機会の権利、政治的結社と「よき」統治の権利、直接的生産者による生産管理の権利、人身
の不可侵性や尊厳に対する権利、報復のおそれなしに批判する権利、健康で文化的な生活環境に対する
権利、共同所有の資源を集団的に管理する権利、空間を生産する権利、異なった存在でいられる非新自
由主
義的諸権利の提起には、こうしたオルタナティブな諸権利を内包しうるような社会的プロセスとは
いかなるものであるかを明確化することが必要であると述べている。

新自由主義と日本】 

これを受け、『新自由主義-その歴史的展開と現在』の翻訳者である渡辺治は、本著の第8章「本の新
自由主義の帰結と矛盾」でハーヴェイの問題提起は多岐にわたっているとしながら、日本の新自由主義
とオルタナティブ政策を次のように述べている。

日本では新自由主義改革がヨーロッパ各国の新自由主義の帰結と比べて、はるかに深刻な社会統合の解
体と社会の分裂をもたらした。社会への打撃がはるかに大きく、これは福祉国家を経てその再編のなか
で生まれたものではなく、〈開発主義国家〉を経て、その再編によって生まれたという特殊性に求めら
れるとし、〈開発主義
国家〉の社会保障や所得再分配は福祉国家のそれに比べてはるかに脆弱であり、分立
的であり非制度的なものでもあった。それだけに、日本では労働者階級やその家族は新自由主義の破壊
的な影響をもろに
受ける。そのことは、日本では新自由主義に対抗する社会運動や思想が自動的に成長
に結びつかず、むしろ、新自由主義の破壊的結果の大きさに比べ、対抗運動の盛り上がりや対抗構想の
具体化は遅れている。ヨーロッパ福祉国家の場合には、新自由主義に対して常に、オルタナティブな福
祉国家経験があるが、日本では福祉国家経験は自治体レベルを除いてなく、新自由主義へのオルタナテ
ィブは自民党抵抗勢力により主張されている公共事業投資の利益誘導型政治しかあらわれていない。こ
れでは、旧来型の福祉国家の構想以上に、グローバリゼーションと新自由主義の前では対抗軸たりえな
いと結論付け、こうした対抗軸を考えるうえで、ハーヴェイのいう権利論の両義性を参考にし、日本の
近代主義のイデオロギー的影響力が新自由主義への同意調達機能を果たし、このような近代主義と人権
論は、新自由主義には親和的である反面、それが新自由主義の実践と衝突した場合には、力を発揮し反
新自由主義運動に合流する可能性があるとして注目に値すると主張している。

なお、「新自由主義に対抗する新福祉国家構想の必要性を訴える」(長野県教職員組合主催記念講演
で、渡辺治は民主党が2007年小沢代表の時に、違う政党かと思うようなマニュフェストを発表し構造改
路線を批判。国民の生活が第一というスローガンのもとに作られていたが、2009年鳩山代表の時のマ
ニュフェストは、構造改革反対がもっと鮮明になり、後期高齢者医療制度廃止、労働者派遣法抜本改正
どが明記され、構造改革は企業を太らせたが、リストラ、非正規労働者の増加、ネットカフェ難民、
子どもの貧困など、社会や子どもたちを壊した。2008年~2009年の、反貧困・反構造改革の二つの運動
民主党を変えた年越し派遣村も民主党に大きな圧力をかけた経緯を織り交ぜながら、多くの国民が、
自民党も民主党を拒否し、構造改革でもない利益誘導政治でもない、新しい福祉国家の道を、財源問題
も含めて対案として示す必要があるとし、新しい福祉国家の道をめざす柱は、①憲法25条に基づく社会
障の全体像と社会保障の強化、②大企業の法人税を引き上げ、消費税増税に頼らない安定財源の確保、
③大企業本位でない経済成長政策、④福祉国家型の真の地方自治、⑤日米安保体制のない日本の安全と
アジアの平和―憲法9条を
生かすといった従来の護憲左派連合の延長線にある政策を提示している。

 

【グローバル経済危機とケインズ】

金融工学と融合した英米流金融資本主義がもたらした、グローバル経済危機は、この15年間に、金融の
グローバル化(globalization)と証券化(securitization)という 2つの進展に表わされ、経済環境
の大きな転換期に発生した。経済のグローバル化は、効率的市場理論を奉じるシカゴ学派の古典派経済
学が、サムエルソンの新古典派総合ケインズ主義に取って代わり台頭してきた1970年代に始まり、政府
の介入のない自由な競争市場こそが最も効率的であるとの主張をもとに、各国に対し貿易や直接投資な
どのあらゆる市場での規制の緩和・撤廃や自由化を要求し実現させる。1970年代に、ブレトン・ウッズ
体制の固定為替相場制を変動為替相場制に切り替えさせたのもかれらであり、金融の分野でも、国内的
には、大不況直後制定された、銀行と証券の分離を規定したグラスースティーガル法のなし崩し的な撤

廃が椎し進められ、1999年には同法は完全に骨抜きにされ、クリントン政権が米国をものづくり大国か
ら金融覇権国家に転身させる決断をした時期と一致し、対外的には、米国金融機関の自由な活動を可能
にするような各国金融市場の開放を実現し、その結果、米国金融機関が自らの組成した優良・不良の住
宅ローン債権等を束ねて担保とする証券を発行するビジネスを大々的に行なうようになった(ポール・
デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』)。

またエルゴード性の公理を前提としている金融工学の発展が、債務担保証券(CDO)やクレジット・デ
フオルト・スワップ(CDS)などの金融派生商品の開発をつうじ、金融の証券化の一層のする。そのうえ
格付会社は、担保に一部不良貸付債権を含む、この金融派生商品全体を優良と格付けし進展を後押した
ため、投資家は安心してこの派生商品に投資。自由貿易のもとで、オイルマネーなど特定の国々に偏っ
た貿易上の黒字資金がそれらの派生商品への投資に向う。米国金融機関は、これら派生商品を内外の投
資家に販売することで、融資金の早期回収・高収益を上げる。


その結果がどうなったは周知のごとく。2004年ごろになって米国で住宅ブームが終息し、住宅価格が
げ止まり下落するに及び、ローン返済資力に乏しく、返済原資を主として住宅の値上がり益に期待して
いた
住宅ローンや、借入当初1~2年は低い金利ながらその後急上昇するような返済条件となっている住宅ロ
ーンなどが、次第に債務不履行に陥り始め、金融派生商品を、担保として背後で支える原住宅ローンそ
のものの一部が回収不能に陥いる。金融派生商品全体の資産価値の健全性の不信が、派生商
品からの投
資家離れが加速し、派生商品の信頼すべきマーケットメーカー不在が拍車をかけ、投げ売り価格以外では容易
に換金されず暴落し、この商品を購入していた全世界の投資家、借入金で購入していたヘッジファンドをはと
した関係金融機関も、多額の損失を被り資金繰りも悪化。債務不履行保険のCDSを大
量販売した保険会
社も、債務不履行の増加で予想外の多額損失を被り、グローバルな実体経済に深刻な打
撃に与える。こ
れが、たんなる米国の金融機関の不良貸しが、グローバルな金融・経済危機へ至った
メカニズムだった
と説明し、第1に、21世紀版のグラスースティーガル法の制定、第2に、国際決済システム
の改革を挙
げる。後者の制度設計あるいは構造改革はすでにトービン税(国際連帯税)として提示されているが、
有り体に申せば、金融取引から経済秩序著しく不安定に陥れる反社会的行為の監視制度の(デヴィッド・
ハーヴェイらの分析によると修正ケイジアン的)再設計の提示ということに他ならず、加えて、米国の
ような覇権国家が、中心通貨国の特権を利用して毎年大幅な経常赤字を出すことにより
、ただひとり「
無償の恩典(free lunch)」を享受してきたやり方に制約を加え、国際協調を前提とした極めて大局的
見地に立ったシステムをも意味している。

そのことを踏まえ、そもそもケインズの誤用の核心とは-ケインズ革命の幕開けを予告した「生産の
幣理論」と題する論文で、ケインズは古典派理論が 物々交換経済ないし実物交換経済のパラダイに基
づいているのに対し、ケインズの目指す分析対象が古典派とは異なる原則と目的に基づいて組
織された
「貨幣経済」にあることを強調する。貨幣経済では貨幣が枢要な要因となっており、貨幣は経済主体

動機や意思決定に影響を及ぼす。こうした貨幣経済思想は、当然のことながら、『一般理論』に引き継
がれ
『一般理論』の序文や第1章で、古典派理論の基礎となっている前提が現実の世界と大きく乖離し、実際の
幣経済の分析にとって不適切であり、貨幣が「本質的かつ独特な仕方で経済機構に入り込む」貨幣経
済の理論は、貨幣が形式上存在してはいるが
中立的な要因であるにすぎない実物交換経済とは、根本的
に異る-という点だ。デヴィッドソンはケインズの流動性選好説を(新)古典派の効率的市場理論に対
する対抗軸として捉える。

ケインズの貨幣の捉え方は、古典派理論が貨幣を瞬時に行なわれる交換プロセスに配流するのに対して、
貨幣を「現在と将来を結ぶ連鎖」(『一般理論』P.293)として生産および投資プロセスに組み込むとい
うもので、貨幣経済において、企業家は不確実性に立ち向かって現在の貨幣を資本資産に投資し、時間
をつうじ資本資産が現在の貨幣額よりも大きな将来の貨幣額の流れを生み出すかどうかを推測する。こ
うし
た企業家の投資決意やファイナンスは、不確実性から切り離して論じることができないし、不確実
性に対処す
るための流動性選好と不可分に結びついている
、と。する点にあり、流動性選好説を『一般
理論』第17章で展開
された自己利子率理論に沿って、貨幣から実物耐久財までを含む「貨幣的均衡分析」
へ拡張され貨幣理論と資
本蓄積理論との統合されるという。





【ケインズとデジタル革命】

ところが、貨幣経済において、企業家は不確実性に立ち向かって現在の貨幣を資本資産に投資し、時間
をつうじ資本資産が現在の貨幣額よりも大きな将来の貨幣額の流れを生み出すかどうか
推測するこうし
た企業家の投資決意やファイナンスは、不確実性から切り離して論じることができないし、不確実性に
対処するための
流動性選好と不可分に結びついている
というの前提-大きな将来の貨幣額の流れが作れると
いう見通しが著し疎外-されている時代であることにわたし(たち)は気づくのである。これが前述し
たグローバル経済危機のトリガーともなった“レバジッジ(梃子)”的金融手法のごとく、情報通信に代表される科
学技術の著しい伸長-いわゆる、『デジタル革命』をレバレッジとした経済的現象-グローバルに、と
りわけ日
本をトップランナーとした輸出通商型諸国の前に立ちはだかるのである。

 


デジタル革命(『デジタル革命渦論』(参照@環境工学研究所 WEEF)とは、半導体技術を産業をコ
アとした産業革命によりもたらされたグローバル規模の文明文化総体の変革-通常、産業革命(Indust-
rial Revolution)
は、18世紀から19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、
それに伴う社会構造の変革のことである。市民革命とともに近代の幕開けを告げる出来事とされるが、
近年では産業革命に代わり「工業化」という見方をする事が多い。ただし
イギリスの事例については、従
来の社会的変化に加え、最初の工業化であることと世界史的意義を踏まえ、現在でも産業革命という用
語が工業革命として流布している-のことをさす。また、このデジタル革命の特徴(=6つの基本特性)
の詳細については、『デジタル革命の基本特性』(参照@環境工学研究所 WEEF)を参照願うとして、とりわけこ
の革命の第4の基本特性であるデフレーションについて要点を述べる。

 

                                                            この項つづく 

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