平さんを見ていてふと、思い出すキャラクターがある。手塚治虫
の『鉄腕アトム』等で時々顔を出す「ヒョウタンツギ」だ。
山下柚実 (『あさが来た』で注目の「平さん」
存在感際立つオモシロ味 NEWS ポストセブン)
【再エネ百パーセント時代: 太陽の国の電気自動車】
● アフリカ初の太陽光発電で動くバス、ウガンダで始動
「キイラ・モーターズ(Kiira Motors)」は、ウガンダ政府による、科学技術革新に向けた
大統領主導の国策プロジェクトである。ウガンダ国内で自動車を製造することを目的とす
る。それにより雇用の創出や技術力の向上、ハイテク人材の育成など国家としての成長に
つなげていくことを目指す。最終的には、同プロジェクトをキイラ・モーターズ・コーポ
レーションとして企業化し、40年をめどに中央・東アフリカ初の自動車OEMメーカーと
なることを目指す。国土産業基盤整備が過不足な地域で、最先端”LINE NO OTHER”(唯
一無二)の電気自動車が走るという。ワイヤードな通信が、『デジタル革命渦論(かぶん)
』(第五次産業革命)でワイヤレスな通信が急速に席捲時代にあっては驚くことでもない
が、隔世の感である。今回、同プロジェクトで開発されたソーラーバス「Kayoola Solar Bus
」は、中央アジアや東アジアにおける次世代の公共交通機関として活用されることを期待
したものである。16年2月166日に最初のモデルバスが完成し式典が挙行された。
太陽光発電で動くバス「Kayoola Solar Bus」は、リチウムイオン電池を搭載し、その電力
を使い2段階空気圧シフトトランスミッションを搭載した電動モーターで動く。同バスの
大きさは、長さ9140×幅2590×高さ3220ミリメートルでホイールベースは、
4650ミリメートル。ソーラーパネルは屋根に搭載し、車内には35席が用意されてい
る。搭載している太陽光発電設備の発電能力は1.32キロワット、バッテリー容量は、
70キロワット時。バッテリーシステムは2つの蓄電池で構成されており、主要な蓄電池
からはモーターに電気エネルギーを供給する。もう1つの蓄電池からは、ソーラーで蓄電
した電力を機器の充電用として使うようなことが可能である。ムセベニ・ウガンダ大統領
は、開発した『Kayoola Solar Bus』は『MADE IN UGANDA』のバスである。これらを成し
遂げたわれわれの技術者たちを誇りに思うと述べ、必要な資金調達を進め18年から自動
車生産を行うと約束した。
赤道直下周辺地区では核融合エネルギー利用技術の電気自動車は魅力的である。電気自動
車といえば日産自動車が先行しているが、ウガンダの実力がどうかはわからないが、それ
はともかく、すでに電気自動車と燃料電池自動車時代に突入していることは確か。果たし
て10年後、トヨタの名前が存続しているかどうかこれはわからない。
● バイオマス中の成分量を正確に測定
京都大学は18日、MRI(核磁気共鳴画像法)と同様な原理に基づく分析法「NMR(核磁
気共鳴)法」を用いる多成分系である木質バイオマス中の各成分の物質量を正確に決定す
る手法を世界で初めて開発。これにより、木質バイオマスからバイオエネルギーや各種製
品の原料データが正確に入手できることになる。
木質バイオマスの溶液中にどのような物質がどの程度の量存在しているかを解析するには
NMR(核磁気共鳴)法の一種であるHSQC(Heteronuclear Single Quantum Coherence)法が、
最も有効とされ現在広く使われているが、この手法で得られた物質量には、成分ごとに異
なる分子量や化学構造に依存した歪みが含まれており、得られた値は真の値とは異なると
いう課題があったが、研究グループでは50%程度の誤差が生じる場合もあるとのこと。
ところで、人類史をたどると、家畜、穀物、樹木などの陸上の有用生物種から食料、木材
油などの物質生産が行われてきた。こうした生物生産は持続的・循環的であることが望ま
れているが、牛肉1キログラムを生産するためには飼料の穀物生産のために20トンもの
水資源が必要とされるように、陸上のみでの生物生産は水ストレスの問題が極めて深刻で
間もなく90億人を超える世界人口を賄うためには、パラダイムの変換が必要である。
そこで将来の人口爆発時代を想定し、“水を資源化”する生物種の特性を解析し、どのよ
うな分子種を蓄積する能力を有するかをプロファイル化する技術が必要となる。有用プラ
ンクトンを細胞丸ごと多次元固体NMRで解析することが可能となる。今後、ユーグレナの
プランクトンを対象にする場合、HR-MAS法では破砕や抽出といった工程を経ずにプロファ
イル化できる。最近では永久磁石や電磁石の無冷媒かつ小型で、安価なNMR装置を用いた簡
易分析システムの研究が行われおり、将来的には農林水産物の生産現場での品質評価が可
能になると期待できる。一方、高速MAS法の開発により固体NMR法で従来用いられなかっ
た、1H検出型の計測技術や、1.3GHz超級のNMRマグネットの開発も目前に迫り、両者の
統合で固体NMRシグナルの分離能向上も期待されている。
NMRの高磁場化によってより詳細な分子情報が得られるようになる。一方,細胞や組織を
丸ごと計測できるということは、単に実験操作が簡単なだけではなく、実験室が無い生産
現場に低磁場の小型NMRを持ち込み、その場での品質評価ができるようになる。
※ 二次元NMRは核磁気共鳴 (NMR) 分光法のひとつの手法であり、2D-NMRとも略称。
測定結果であるスペクトルは横軸を被測定核の化学シフトとし縦軸を測定法による種
々のパラメーターとした2次元平面の各点の強度として示される。二次元NMRスペクト
ルのピークは両パラメータ軸への平行線の交点に現れるという意味から交差ピークま
たはクロスピークと呼ばれる。縦軸のパラメーターの種類とクロスピークの出現機構
により非常にたくさんの二次元NMR測定の種類が考えられ実際に使用されている。普
通は後述の対角ピークは交差ピークには含まない。
※ COSY (COrrelation SpectroscopY, COrrelated SpectroscopY) は、両軸が化学シフトでピ
ーク間にスピン結合があるときクロスピークが生じる。有機構造解析の強力な手段で
ある。
● バイオエタノール生成前処理:エタノール生成効率がアップ
バイオエタノールを生成するための前処理にキャビテーション(流動キャビテーション)
を用いることにより、従来の超音波法よりも今回の泡の圧潰方式の方が処理効率を20倍
以上向上できることを実証。非可食の稲わらや廃木材などのセルロース系バイオマスは、
リグニンによって覆われており、強固な結晶構造を有しているため、酵素分解の分解速度
が極めて遅いという問題があった。そこでリグニンを除去し、結晶構造を破壊する「前処
理」が必要不可欠になる。
今回実証された前処理方法では、噴射圧力・キャビテーション数(気泡圧潰場の圧力と噴
射圧力の比)・絞り部直径などの流動条件の最適化により、キャビテーションのさらなる
強化が可能になる。さらには、キャビテーション圧潰時に高温・高圧スポットが形成され
ると言われており、耐高温・耐高圧容器を用いることなく化学反応を行える可能性を有す
。また、酸処理・アルカリ処理・水熱処理などによる前処理方法と違い微生物による発酵
を行う前に必要な中和・洗浄のプロセスも不要。
バイオエタノールは、セルロースを酵素分解して得たグルコースを、微生物などのはたら
きで発酵させて得られる。これまで提案されている酸処理・アルカリ処理・水熱処理など
の前処理では、後段の微生物発酵のための中和・洗浄や多量の投入エネルギーが必要だっ
た。また、工業化に向けては、連続処理および大型化が容易で、かつ効率がよい前処理が
求められていた。
ところで、この方法は狭い空間では有効であるが、先日の「最新バイナリー発電システム
構想」(2016.02.14)でシロアリでの分解法のため、処理層の空調制御でエネルギー消費
するだけで、あとは人為的な操作は加えないため有利だが、比較的大きな空間を必要とす
る。どちらが効率的かはケース・バイ・ケースとなる。
● 折々の読書 『China 2049』13
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
マイケル・ピルズベリー 著
野中香方子 訳
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた
著者マイケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-
Year Marathon) 」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の世界情勢、日中関係、そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第3章 アプローチしたのは中国
東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)
毛主席への覚え書き(1969)より引用
陳毅は、新大統領のリチャードーニクソンは「中国を取り込む」のに熱心なようだ
と指摘した。そして、自ら「無謀なアイデア]と呼ぶものを提案した。米中の対話を
閣僚レベル、あるいはさらに高いレベルに格上げしようというのだ(注7)。キッシ
ンジャーによると、最も画期的だったのは、陳毅が、台湾返還という中国が長年掲げ
てきた前提条件を取り下げようと提案したことだ(注8)。
陳毅はこう述べた。
「まずワルシャワでの会談(大使級会談)が再開されれば、われわれは率先して、中
米の対話を閣僚レベル、ないしはより高位のレベルで持つことを提案しよう,そう
なれば、中米の関係にかかわる基本的問題や関連する問題を解決できるだろう。(中
略}より高位での中米会談には戦略的意義がある。われわれはいかなる前提条件も提
示すべきではない(中略)台湾問題は、そうした会談を重ねるうちに徐々に解決され
るだろう。台湾にこだわらなければ、戦略的に意義ある他の問題について、アメリ
カと話しへ口うことができる(注9)。
とはいえ、依然として中国はアメリカを敵と呼び、ニクソンの訪中が実現したとし
ても、それは中国が「矛盾を利用し、敵を分断し、自らを強化する」ためにほかなら
ないとしていた(注10)。つまりアメリカを、長期的な同盟国としてではなく便利な
道腿と見ていたのだ。この原則に基づき、中国政府はニクソンとキッシンジャーに内
密のメッセージを送った。それは、「ニクソンはすでにベオグラードとブカレスト(
他の共産主義国の首都)を訪問したので、北京でも歓迎されるだろう」というものだ
(注11)。そのメッセージに、信頼や将来の協力をにおわす要素は皆無だった。
アメリカと手を結ぼうとした理由を明かす内部文書を中国は公問していないが、毛
がニクソン政権にさりげなく接近したのは、まさに勢の実例だと、何人もの将官がわ
たしに語った。また、ある出来事が毛をさらに動かしたという。1969年8月28
日、西北部の豚疆国境でソ連軍との大規模な衝突が起きたのだ。中国政府は国境沿い
に軍隊を配備した。キッシンジャーは、アメリカとの接触の再開は当時の中国にとっ
て「戦略的に不可欠」になっていたと述べている。ニューヨークの国連本部で、わた
しは新疆国境での攻撃についてソ連側の言い分を聞き、中国に接近するリスクを検討
するために、その情報をピーターとスミスを介して国家安全保障会議に送った。
1969年、色沢束は、ソ連の軌道から外れて西側諸国との新たな連携に向かおう
とする勢を見極め、それを後押しするために二つの行動をとった。まず、ニクソンを
北京に招待した。次に、ソ連国境付近で2回続けて、警告なしに水爆実験を行った。
それは、力の顕示であるとともに、「中国はソ連の軌道からの離脱を求めている」と
いうアメリカヘのメッセージでもあった。
だが、アメリカはそれにまったく気づかなかった。そこで色は、1970年10月I
日、生粋の反欧米・共産主義者としてはきわめて異例の行動をとった。アメリカの著
名なジャーナリストで作家のエドガー・スノーを招いて大安門の観閲台に並び立ち、
写真を撮らせ、その写真を国民に公開したのだ。そしてスノーにメッセージを託し
た。ニクソンの訪中を歓迎する、と。それは驚くべき招待であり、中国政府からの最
新の申し入れだった。アメリカ政府は依然としてそれをまともに受け取らず、少なく
とも誠意ある提案と見なす人はほとんどいなかった、とキッシンジャーは認めてい
る。アメリカ政府は目下の関心事や他の戦略のことで頭がいっぱいで、中国のことを
案ずる余裕はなかったのである。つまり、これまで語られてきた米中関係正常化の歴
史の序章は、真実ではなかった。ニクソンから中国に近づいていったのではない,中
国が、毛という人間を通して、ニクソンに近づいてきたのだ,アメリカ人はそれを知
らなかった。そしてアメリカ政府は、中国がアメリカを敵と呼び、ヒトラーになぞら
えていたことも知らなかった,
ニクソンとキッシンジャーが中国に対する壮大な戦略的アプローチを検討していた
時期、わたしも小さな役割を果たした。1969年秋、諜報機関にいる仲介者、ピー
ターとスミスから、国連でスパイ活動をしていた間に集めた情報の概略を、キッシン
ジャーの側近に伝えるよう求められた。側近と会った時、わたしは意見の対立に気づ
いた。国家安全保障会議のメンバー、ジョン・ホルドリッジとヘルムート・ゾンネン
フェルト(国務省審議官)の報告書は、ソ連の過剰反応を恐れず、中国の申し入れを
歓迎しようと提言するものだった(注13)。しかし、ロジャー・モリスとピル・ハイ
ランドは反対だった(注14)。モリスとハイランドは、中国に接近すれば、不必要に
モスクワを挑発し、ソ連との緊張緩和という政権の新たな政策目標を著しく損なうだ
ろうと危惧した。また、4人の上級大使がニクソンと個人的に会って、モスクワは米
中交渉のいかなる動きにも反応し、米ソ問の緊張緩和と軍縮に向けた動きを中断する
だろうと警告していた。ニクソンとキッシンジャーが中国との交渉開始を2年遅らせ
た背景には、こうした意見の対立があった。しかし、中国からせっつかれ、また、ほ
かならぬわたしがソビエト人から得ていた情報に後押しされて、ニクソンとキッシン
ジャーはついにその気になったのだった。わたしが得た情報とは、「米中が接近して
もモスクワは緊張緩和への動きを中断しないだろうし、中国のあてにならない申し入
れをアメリカが受け入れることを大方予測している」というものだ。アルカディ・シ
ェフチェンコとクトボイは、まさにその通りのことをわたしに語っていた。
わたしの情報は、この行き詰まりの打破に、いくらか役立ったらしい。わたしはそ
れまでに集めた情報をキッシンジャーの側近に伝えた。すなわち、中ソの対立は疑い
ようがなく、ソ連はアメリカが中国と交渉を始めるのを予想している、というもの
だ。またわたしは、シェフチェンコなどのソ連の上級外交官は、ニクソンが米中関係
の改善を図ることをf測していると報告し、他の人もそれを認めた。ソ連が恐れてい
たのは、ニクソンが「行きすぎて」、米中間に軍事的なつながりが確立されてしまう
ことだったが、その可能性はアメリカでは検討もされていなかった。わたしは強力に、
そして熱心に、米中の連携を後押しした。キッシンジャーは後に、お礼のカードを送
ってくれた。
しかし、キッシンジャーをその気にさせ、ついにニクソン大統領を北京に向かわせ
るまでには、別の要因も働いた。キッシンジャーが中国の意図を図りかねている時期
に、上院議員のテッド(エドワード)・ケネディが訪中を計画していたのだ。中国側
は1971年7月にキッシンジャーが内密に北京を訪れた際、その可能性を示唆した
が、それはまさに、ハト派とタカ派を操作する戦国時代の戦略そのままの手法だっ
た,ニクソンは中国の期待通りに反応し、自分が訪れる前に他のアメリカの政治家を
招待しないことを、キッシンジャーを通して中国に求めた。ケネディが自分の裏をか
いて、北京を訪れる最初のアメリカ人政治家になろうとしているとニクソンが信じる
のには理由があった(注14)。ケネディは共産主義中国との関係改善を公約にするこ
と検討しつつ、1972年の大統領選に向けた外交政策の土台固めを進めていたのだ
(注15)。
注1.ラリー・チンと中国政府にアメリカの機密情報を提供した彼の役割についてさら
に多くを知るには次を参照。Tod Hoffman, The Spy Within: Larry Cina and Cina's Pen-
etration of the CiA (Hanover, NH: Steerforh Press, 2008).
注2.Chen Jian, Mao's Cina and the Cold War (Chapel Hill: University of North Carolina Press,
2001), 245-46.
注3. Kissinger,0yl C陥7α,210. 1992年、4名の将軍が毛に提案した戦略についての中国側
の見解を翻訳した最初の著作は、1999年に出版されたパトリック・テイラーの A Greα Wαll
である。同じ根拠に基づくキッシンジャーの(知C節1αは2012年に刊行された。テ
イラーは、4名の将軍は69年に23回会い、アメリカをヒトラーと容赦ない覇権
にたとえた彼らの容赦ない提言が毛を動かし、ソ連の力の拡張防止を決定したと述
べる。キッシンジャーだけが、こうした皮肉な理由以外でアメリカとの協力を求め
る中国の欲望を察知していたようだ。
注4.Xiong Xianghui,“Thc Prcludc to thc OPcning of Sino-American Relations,"Zhog-
ggong Daηgshi Zoliao (CCP Histroy Materrials )42(June 1992):81,as excerPted in Willia-
m Burr, ed.,“NcxvDocumcntary Revcals Sccrct US, Chincsc Diplomacy Bchind Nixon's
TriP, "National Security Afchive E】ectronic Brienng Book,no 145,December 21,2004,
以下のサイトで入手可能。http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB145.
注5. Kissinger,On China,212.わたしはここではキッシンジャーのOn China に基づいているが、
中国戦略に関するキッシンジャーの見方、そして1969年から72年にかけて長期的な米中
協力への希望が見えたとする見解については、確かな記録に基づいて強く異議を唱える
著作が少なくとも4冊ある。本章の各所で、ウィリアム・バー、エヴェリン・ゴー、ジェイムズ・
7ン、パトリック・テイラーによるこれらの著書から引用する。残念ながら、キッシンジャー
は、中国との国交開始にまつわる自身の信念に対する、多数の攻撃に反論しようとしな
かった。批評家たちは、キッシンジャーが中国の戦略を誤解したとする文書を多数提供し
た。中国は、アメリカがソ連の攻撃から中国を守るとは考えておらず、また、アメリカとの
長期にわたる協力関係を求めてもいなかった、と批評家たちは主張する。また彼らは、中
国はキッシンジャーだけでなく後のアメリカ指導者たちをもうまく操作したとする説を提示し
た。中国との国交開始についてのキッシンジャーの記述は、James Mann “American Poli-
cy toward China was based on a scrics of bclicf and assumPtions,many of which tumcd out
tobc tragically inaccuratc.”Jamcs Mann,About Face; A Histry of American's Curious Rel-
ationship with China, from Nixon to Clinton(Ncw York: vintage books, 1998),6.
注6. Kissinger,On China, 212. ここでもわたしは、1969年の国交開始についてのキッシンジャ
ーの分析、特に熊光晴将軍の回想録に関する分析に大きく依存している。これまでのとこ
ろ、その回想録は中国によって公開された唯一の有益な記録文書である。パトリック・テイ
ラーも熊光楷将軍の記述を引用している。Tyler,Greαt wall, 71-73.
注7・8・9.Kissinger, On China, 212-13.
注10. 同上、274. ジェイムズ・マンは、自ら入手したCIAの調査報告書はキッシンジャーの中
国戦略観に異議を唱える、と報告している。 「とはいえ、近年、機密解除された記録や回
想録は、キッシンジャーの記述は、よく汚っても、誤解を招く不完全なものだということを示
している」。Mann, About face, 33. マンによると、「CIAの内密の調査によると、中国の指
導者たちはワシントンの親中派には報酬を与え、おだて、義務感を植え付け、そうでない
人々は駆逐することにより、米政府内の対立を悪用したり、操作したりしていたこ
とが判明した」。同書、11.
注11. 北京に暮らし、国交開始について4年にわたって研究していたニューヨーク・タイムズ紙
の記者、パトリック・テイラーの1999年の著作、A Greαt Wall: Six Presidents and Ch-
ina: An Investingative History は、ニクソンを北京に招いたことについての中国人の見解
に影響を及ぼしている。就任直後の1ヵ月間、 ニクソンは公の場で反中とおぼしき発言を
し、中国を遠ざけた。テイラーは インタビューから、ニクソンとキッシンジャーが、中ソ国境
での武力衝突直後、ソ連側につ いた(ニクソンがベトナムからの米軍撤退の支援をソ連に
依頼していたことを考えると当然だが)と結論づけている。 A Great Wall には、キッシンジ
ャーがニクソンの代理で、ソ連の支援を受けて中国を核で攻撃できるかどうかという機密
研究を1969年 7月に要請したことまで潜かれていたため、中国政府は偏執的な恐怖
にとらわれた。 テイラーは、それは、(ソ連ではなく)中国を狙う核攻撃に焦点
を置いた史上初の研究だと主張した。CIAと国防総省に送った 7月14日付けの覚え書き
に、キッシンジャーは「大統領は、中国に対するアメリカの戦略的核攻撃能力が有
効な範囲についての研究の準備を指示した」と書いている。キッシンジャーは後に
これを否定し、テイラーに宛てて「中国の核能力を・掃するためにソ連と協力するとは
考えもしなかった」と書いた。Tyler, Greαt Wall, 63.
この項つづく