芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

藤島旅館に久しぶりで行く

2010年05月02日 | Weblog
4月28日に長谷川俊雄くんに吉野作造記念館に連れて行ってもらってから、中華の昼食後、古川駅まで送ってもらい、長谷川くんは仙台に、私は、川渡温泉の藤島家に行くので別れた。
雨が激しいので駅まで、雅弘君に迎えに来てもらい、藤島家を訪れた。2月に仙台のマンションにいた時に、藤島家の当主である、いとこが亡くなっていたのを知らないでいたのだが、東京にいるやはり藤島家の血を引くいとこ、桂さんに最近になって、そのことを教えられたのでお焼香に行ったのだ。昨年その兄が亡くなり、今年の同じ月に弟がなくなったのだ。桂さんは葬儀に出席し、2月の寒い日なのに、衆議院議員などが参列する盛大な葬儀だったと言う。地元の名士だったのであろうと言う。一方、その兄はシベリアに抑留され、帰国して共産党員で売れない画家を通し、最後は妻子に見捨てられて、無縁仏として葬られた。
私は、桂さんに連れたられて、そのいとこを施設に一度だけ見舞ったが、そのあと、いとこ会をしようという約束をしながら、間もなく永久の分かれとなった。いとこたちの中では私が最も若く、会ったことのないいとこが殆どだ。桂さんのお陰で小倉剛と言う東北大学教授の子供であるいとこには2度ほど会った。その小倉教授の甥と長谷川俊雄君が親友であったことが最近分かった。長谷川俊雄君の父上も東北大学教授だったのだ。小倉剛兄弟は、小倉3兄弟と言われ、皆東北大学教授だったらしい。