以前にも書いたと思うが、インドでは、チャトル・アーシュラマといって、人生の理想的な生き方として、人生を四つに分けている。日本語では1、学生期(がくしょうき)、⒉、家住期、3、林棲期、4、遊行期の4区分で四住期などと訳されている。最近はインド流行りであるからご存知の向きも多いのかも知れないが、『インドのふしぎ』という拙著にも少し説明してある。
もう三十年くらい前になるだろうか、柳 宗玄(やなぎ むねもと)お茶の水女子大学教授と六本木のレストランで食事していた時に、「インドには人生を四つに分けて、最後に野垂れ死にするのを理想とする哲学がある。好ましい考えだ」と四住期の遊行期についてい知っておられた。西洋美術史教授なのにインドについても知っているのは、幅広い読書家だと思った。
それなら、生活に困って、野垂れ死にするのが遊行期という理想的な死に方かというとそうではない。それまでの人生に別れを告げる儀式を踏んで、サニヤーシンという遊行者の称を貰うのだ。そのような人々が集まっているアーシュラマをなんどか訪れたことがある。静かに死を待っていて、必ずしも野垂れ死にではないのだ。一種の特別老人施設である。
松尾芭蕉も、旅を人生ととらえて、最後は、旅に病んで死を迎えたが、弟子たちに囲まれて死に、皮肉なことに、憧れていた西行の敵ともいえる木曾義仲の墓のそばに葬られることを望み、義仲寺の義仲のそばに葬られた。
一切の係累を断って死を迎えることは難しい。ヒマーラヤの氷河の割れ目にでも身投げするのでなければ、誰かの世話にならずには、死後の処理をしてもらえない。人間には、死を悼むという心がある。最近ではチンパンジーも逆縁の子供の死を悼む心を持っていることが知られている。野垂れ死にを理想としても実際には、死を静かに迎えたいというのが当たり前の生き方だ。華やかな葬式は関係ない。誰かの世話になって死ぬことになるなら、自らの一族に看取られるのが理想ということになる。
敗戦によって、家族制度が崩壊させられ、核家族が理想の制度になった。インドや中国も早くに列強の植民地になったが、先祖を祭る習慣は残っている。
私は、先祖と子孫という考えをもって田舎に帰って来たのだが、多くの廃屋が町中で壊れ続け、多くの墓が棄てられ、多くの田んぼが放棄されていっているのを目の当たりにしている。なぜこうなったのか。考えさせられる。
もう三十年くらい前になるだろうか、柳 宗玄(やなぎ むねもと)お茶の水女子大学教授と六本木のレストランで食事していた時に、「インドには人生を四つに分けて、最後に野垂れ死にするのを理想とする哲学がある。好ましい考えだ」と四住期の遊行期についてい知っておられた。西洋美術史教授なのにインドについても知っているのは、幅広い読書家だと思った。
それなら、生活に困って、野垂れ死にするのが遊行期という理想的な死に方かというとそうではない。それまでの人生に別れを告げる儀式を踏んで、サニヤーシンという遊行者の称を貰うのだ。そのような人々が集まっているアーシュラマをなんどか訪れたことがある。静かに死を待っていて、必ずしも野垂れ死にではないのだ。一種の特別老人施設である。
松尾芭蕉も、旅を人生ととらえて、最後は、旅に病んで死を迎えたが、弟子たちに囲まれて死に、皮肉なことに、憧れていた西行の敵ともいえる木曾義仲の墓のそばに葬られることを望み、義仲寺の義仲のそばに葬られた。
一切の係累を断って死を迎えることは難しい。ヒマーラヤの氷河の割れ目にでも身投げするのでなければ、誰かの世話にならずには、死後の処理をしてもらえない。人間には、死を悼むという心がある。最近ではチンパンジーも逆縁の子供の死を悼む心を持っていることが知られている。野垂れ死にを理想としても実際には、死を静かに迎えたいというのが当たり前の生き方だ。華やかな葬式は関係ない。誰かの世話になって死ぬことになるなら、自らの一族に看取られるのが理想ということになる。
敗戦によって、家族制度が崩壊させられ、核家族が理想の制度になった。インドや中国も早くに列強の植民地になったが、先祖を祭る習慣は残っている。
私は、先祖と子孫という考えをもって田舎に帰って来たのだが、多くの廃屋が町中で壊れ続け、多くの墓が棄てられ、多くの田んぼが放棄されていっているのを目の当たりにしている。なぜこうなったのか。考えさせられる。