芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

最も独創性のあった江戸文化

2015年09月08日 | Weblog

先日、昼食を食べに来た学生は、ラーフルという南インドのアーンドラ州から来ている学生だ。彼は、ネットで、デザインの参考になるものを相当見たという。インドにはない、いろいろなものを見られたようだ。それをどう料理するかである。
2020年東京オリンピックの公式デザインに決まっていたものは、紋章やら、何やら、どれも欧州の物を真似して殆どそのまま使ったらしい。以前、記したように、明治維新以降の日本の文化は、欧米模倣文化である。欧米帝国主義、植民地主義の宗主国に憧れ、その政治経済、工業技術、芸術、医術全てをそっくりそのまま輸入したのだ。であるから、模倣の上手な物が優れているのだ。最も独創性のあった江戸文化を封建主義と言って否定したのだから、憧れの国から模倣するしかないわけだ。しかも、明治以降の政治文化の屋台は朝鮮、韓国からの人達が中心で、支えている。今回のオリンピックも、同様で、博報堂や、現首相夫人が勤めていた電通がそれを取り仕切っている。国民の洗脳を率先している広告会社が、パクリを奨励して、そっくりそのまま真似るのを擁護しているのだ。模倣が悪いと思っている日本人はあまりいないのではあるまいか。そもそもが、国の代表者が、福島原発の放射能漏れは完全制御しているなどと言い放った大嘘から始まったオリンピックで、ふたを開けてみれば、その利権に群がっている醜い、ただ金欲しいだけ人間ばかりで、オリンピック精神などどこ吹く風である。オリンピックが開催されようとされまいと、それに自由につぎ込まれる税金の上がりを貰えればどうでも良い人物達である。米国に国富を貢いで、それに伴う利権を手に入れられれば、あとは野となれ山となれというのと同じである。