今日、12日付TIMES OF INDIA 国内版に大きくスバーシ・チャンドラ・ボースのことが書かれていた。日本では、台湾上空で墜落死したことになっていて、兄スレシ・チャンドラ・ボースもそう主張しているが、その死については謎が残されている、インドの独立志士ということになっている。コルカタを中心とするベンガル人の間では、今も英雄視され、道路の名前や、銅像をよく見かける。日本との関係は、加藤コウチュウというインド人代理人を立てていて、インパール作戦では、インド側から数千のインド独立軍を参加させ、日本からは、6万とも7万ともいわれる兵隊が参戦して、そのほとんど戦死している。これなども牟田口司令官によれば、想定外の敗北であろうが、英米軍は勢いに乗って、太平洋までを完全支配した。しかし、この時すでに日本は情報戦で支配されていたのだ。
そのスバシ・チャンドラ・ボースが、英国政府の情報機関MI-6 の手先だったとソ連の情報機関KGBの資料で明らかにされている。さらに、台湾上空の墜落死は、嘘で、大連を経て、当時ドイツの侵略を避けてシベリアのオムスクにいたスターリンのもとに行ったという。1946年10月に、スターリンとモロトフ外相が、その処遇を巡って議論していることも同じ資料に残っている。その後、シベリアにいたサードゥーのグンマ—ニー・バーバがインドのファイザバードで匿っていたことが、サードゥーが1985年9月16日に死んでから分かってきている。他方、サードゥーがボース本人だとも言われているようだ。マハートマーガーンディーは、スバシ・チャンドラ・ボースが死んだとされるときに、弔文を送ることを拒否したというから、彼にも情報源があってスバシ・チャンドラ・ボースについて知っていたと思わる。
このように日本も敗戦後、植民地宗主国の情報機関によって支配されている政府を頂いてきていることは、いずれ多くの日本人の知るところとなるであろう。