芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

御開帳ガネーシュ

2015年09月19日 | Weblog
昨日行ったもののガネーシュの顔が見られなかったので、夕方また行ってみた。今日は御開帳ガネーシュが見られた。その前にいた、八百屋でトマト1キロ40ルピー(約80円)と茄子一キロ40ルピー、里芋半キロ20ルピーを買った。
今日の新聞は、英字、ヒンディー語ともに西ベンガル州知事ママター女史がネタージー・スバシ・チャンドラ・ボースの調査報告書を開示するという記事が一面で扱われていた。そして、ママター女史は、ネタージーは台北空港では死んでおらず、その後も生きていたようだと言い、中央政府にその調査報告書を中央政府が詳説するようにも求めている。
中央政府は、それに対して、拒否していて、その調査報告書発表を政治的に利用しないよう求めている。西ベンガル州の州知事選挙を来年に控えてこういう動きが出ているようだ。

ガネーシュ・チャトゥルティーという祭り

2015年09月18日 | Weblog

9日の夕方、ガネーシュ祭りの寄付を募りに来たので、50ルピー払って、受取りを貰った。50ルピー(約100円)では申し訳ないような、印刷の立派な受取りである。その時、17日に祭りが始まるから、来るように言われていたので、夕方、行ったが、新聞には、ガネーシュ・チャトゥルティーは夕方の6時15分から始まると出ていたのに、バラモンの神主が御開帳に来るのが7時半だという。まだ一時間以上あるので、帰宅した。明日また来るように言われた。多分、神主が少なく、あちこちの神社で御開帳のお祈りを上げているのであろう。そんな訳で、写真のガネーシュはまだ顔が布で覆われている。


太宰治の短編小説の初出単行本を調べる

2015年09月16日 | Weblog

太宰治の短篇小説「キリギリス」「桜桃」「満願」「家庭の幸福」をヒンディー語訳し、それぞれの執筆年を前書き、あとがきなどに書こうと思い、その訳し元の青空文庫を調べたが、「桜桃」は、初出:昭和23年5月1日「世界」初収単行本が『桜桃』と直ぐ分かり、「きりぎりす」の初出も昭和15年11月1日「新潮」で初収の単行本は『東京八景』と分かったが、「満願」が分からずにいた。

「青空文庫」版の太宰治の「満願」もヒンディー語訳していたが、その執筆年と雑誌が分からず、今日、ネットで調べたら、投稿している人がいて、分かった。初出は昭和13年9月1日で「文筆」に発表され、初版の所収の単行本は『女生徒』と出ていた。ここまで分かるネットの便利さが凄い。これは「太宰治事典(作品篇)太宰のことならおれにきけ(山岸)」というかたのを拝借である。
太宰が27歳の時に上梓した第一創作集は、まだ若い時の本なのに「晩年」という題でで昭和11年のことだった。
「家庭の幸福」は昭和23(1948)年2月末頃脱稿して、死後2ヵ月後に中央公論社から発表されたという。これは、「太宰治事典(作品篇)太宰のことならおれにきけ(山岸)」というかたのには載っていなかった。 


インドが、国連で安全保障理事会常任理事国入りか

2015年09月15日 | Weblog

今朝のヒンディー語新聞一面にインドが、国連で安全保障理事会常任理事国入りする可能性が高くなり、一年後にその結果が出ると報道していた。常任理事国は、前の大戦の五つの戦勝国で構成されているが、日本や、ブラジルもそれに立候補している。
他方、インド国内では、このマディヤ・プラデーシュ中央州の州境の町で、鉱山用ダイナマイトが爆発し、百名以上の人が亡くなっていて、その違法な保管に関与している人物が、与党の支持者であることが報じられている。
汽車がしょっちゅう事故を起こしているなど、国内は、ちゃんとしていない。 


マディヤ・プラデーシュの州首相が公務を全てヒンディー語にすると宣言

2015年09月14日 | Weblog

12日(土)までボーパールで開催されていた世界ヒンディー語大会に張り付いていたチョーハン州首相は、この中央州の公務で使われる言葉を全てヒンディー語にすると発表した。これまでは、英語であったし、中央政府も英語である。これまでの英語の書類を期限を決めて、廃止し、新たに、ヒンディー語で書類を作ることになるのだ。中央政府に送る書類もヒンディー語にすると言うから、かなり混乱するのではあるまいか。先ずもって、外国人登録所は、外国人登録所の大半がヒンディー語を知らないから、代書人が必要になる。係の警察官にとってますます、代書人紹介で、小遣い稼ぎが出来る好機到来だ。


日本の現政権も植民地宗主国の情報支配下に

2015年09月13日 | Weblog

今日、12日付TIMES OF INDIA 国内版に大きくスバーシ・チャンドラ・ボースのことが書かれていた。日本では、台湾上空で墜落死したことになっていて、兄スレシ・チャンドラ・ボースもそう主張しているが、その死については謎が残されている、インドの独立志士ということになっている。コルカタを中心とするベンガル人の間では、今も英雄視され、道路の名前や、銅像をよく見かける。日本との関係は、加藤コウチュウというインド人代理人を立てていて、インパール作戦では、インド側から数千のインド独立軍を参加させ、日本からは、6万とも7万ともいわれる兵隊が参戦して、そのほとんど戦死している。これなども牟田口司令官によれば、想定外の敗北であろうが、英米軍は勢いに乗って、太平洋までを完全支配した。しかし、この時すでに日本は情報戦で支配されていたのだ。
そのスバシ・チャンドラ・ボースが、英国政府の情報機関MI-6 の手先だったとソ連の情報機関KGBの資料で明らかにされている。さらに、台湾上空の墜落死は、嘘で、大連を経て、当時ドイツの侵略を避けてシベリアのオムスクにいたスターリンのもとに行ったという。1946年10月に、スターリンとモロトフ外相が、その処遇を巡って議論していることも同じ資料に残っている。その後、シベリアにいたサードゥーのグンマ—ニー・バーバがインドのファイザバードで匿っていたことが、サードゥーが1985年9月16日に死んでから分かってきている。他方、サードゥーがボース本人だとも言われているようだ。マハートマーガーンディーは、スバシ・チャンドラ・ボースが死んだとされるときに、弔文を送ることを拒否したというから、彼にも情報源があってスバシ・チャンドラ・ボースについて知っていたと思わる。
このように日本も敗戦後、植民地宗主国の情報機関によって支配されている政府を頂いてきていることは、いずれ多くの日本人の知るところとなるであろう。


モディー首相空港到着第1声挨拶は、政治演説

2015年09月12日 | Weblog

昨夜11時の交代で帰ったディネーシュが朝の勤務に来たので、新聞を返してもらってみたら、開会あいさつではなくて、空港到着第一声が政治に関するもので、この州政府の首相を持ち上げるのと、与党の政策の自画自賛であったので、昨夜書いた記事を下記のように訂正。
ボーパールで開かれた国際ヒンディー語大会の開会で述べたモディー首相の言葉をヒンディー語新聞ダイニック・バースカルの一面と12面に記し、ボーパール空港到着第一声を20分国会での野党からの攻撃をかわす演説にあてているのを一面トップで書かれていた。このヒンディー語新聞は、昨夜、守衛のディネーシュにわたしてあったので、細かいことは書けなかった。ここの英字新聞、Times of India は近所のアパートにいる、同僚のコンデカル教授が運転手を浄水器の水を汲みによこした時に、ついでに持っていってしまって、返してよこさない。この新聞は2紙とも、大学が宿舎のために取ってくれている物で、私も読むし、ここを大学のクリニックにして来ている女医さんも読んでいる。だから、皆の物ではあるが、浄水器の水は、どうであろうか。コンデカル教授は、アパートの部屋を買った持家であるから、浄水器も自前にすれば良いのではないかと思うが、インド的なやり方だと、出来るだけ、公的な物を使うということかも知れない。


マハートマーガーンディー国際ヒンディー語大学のラーイ氏の新聞寄稿

2015年09月11日 | Weblog

10日付ヒンディー語新聞「ダイニック・バースカル」にワルダのマハートマーガーンディー国際ヒンディー語大学で親しくしていたアンキット・クマール・ラーイ氏が今回の国際ヒンディー語大会に関して、寄稿していた。その奥さんが日本語の授業を優秀な成績で修了していて、私どもは彼らの家に何度も招かれていた。
ヒンディー語に不完全な面もあるが、国際語として通用するようになることを期待している文章だ。国際ヒンディー語大学という名称だから、今回の大会に一番関係の深い大学で当然招待されているとは思っていたが、思いがけずアンキット・クマール・ラーイ氏の写真入りの文章を見て懐かしくて、彼にメールをした。 


世界ヒンディー語大会か国際ヒンディー語大会か

2015年09月10日 | Weblog

今日から開かれる国際ヒンディー語大会は、元の言葉は宇宙を指す言葉ヴィシュワで、Times of India では、World としている。しかし、ヒンディー語を国際語にしようという意図であるから、国際としたが、世界ヒンディー語大会でもいい。何れにしろ、その望むところは由としなければならない。ただ、ヒンドゥー教徒至上主義の母体からでている現政権では、これを政治的に利用しているようで、ヒンディー語文学で、様々な授賞をしている人達が、この大会に招かれていないことや、バンガロールの詩人で、最近殺された事に対する調べをきちんとするように要求する記者会見がされていた。現政権とは違う自由な考えの人達が集まって抗議しているのをTimes of Indiaは掲載している。


来週は中間試験だというから日本語授業は休み

2015年09月09日 | Weblog

昼近くにインド銀行のキングズ・ウェイ支店に行って、お金をおろした。先月、近くの支店でおろそうとして通帳のある支店でないとできないと言われて、そのままにしておいたからだ。通帳のほかに小切手かカードを作っていれば、どこの支店でも引き出しができるようだが、ないために、そういう仕儀にあいなった。カードでは引き出すしかできない。記帳もできない。日本と比べるとかなり不便ではある。女性支店長が、更迭になり、男の支店長に代わっていた。昨年から病気がちで、午後だけ出てきたりしていたが、ついに、交代となったようだ。そのせいか、支店が暗い雰囲気に包まれていた。それで、女性支店長のことを聞きそびれてしまった。すいていたので、比較的早目に用が済んだが、全部1000ルピー札でよこされたので、使い勝手が悪い。お釣りがないことが多いからだ。取り敢えず、骨なし鶏肉2キロ400ルピー(約800円)のお釣りを600ルピー貰った。鶏肉屋は、金持ちで、500ルピー札をたくさん持っていた。八百屋ではそうはいかない。500ルピーでもおつりがないと言われる。
今日は授業が良く進み、11,12課の形容詞の活用を終わらせることができた。明後日の授業のあとは、来週が中間試験だというから休みにすることにした。