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秋のおでかけリポート2011年10月

2010-03-22 14:23:00 | 日記
2011/10/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(1)動物園めぐり

 夏のおでかけレポートの続編です。
 この夏、動物園水族園に何度も足を運びました。葛西臨海水族園3回、上野動物園2回、多摩動物園1回、井の頭文化園(動物園)1回。一生のうちで、こんなに集中して動物を見るのは今回が随一でしょう。
 絵と建物と動物と、とにかく「見ること」を徹底して、人様から見たら「毎日おでかけ、よほど暇人」をしていたと見えるだろうなあ、と自分でも思いながら毎日リュックを背負って東京を歩き回りました。

 葛西臨海水族園、招待券があったので娘といっしょに6月30日に行ったあと、ひとりで9月17日と9月26日に出かけました。上野動物園は、ひとりで9月17日に見に行ったら、この日は「敬老週間につき60歳以上は無料」でした。還暦過ぎて、たまにはいいこともある。このあと、「パンダ見ようよ」と娘息子を誘ってもう一度行きました。招待券2枚とぐるっとパスのチケットを使い、一家の行楽費は、黒船亭のランチ代のみ。多摩動物園は、9月24日ひとりで。井の頭文化園9月29日にひとりで。

 どうしてこんなに動物を見てまわったのか、自分でも理由はわからないのですが、ひとつ理由にしたのは、四ヶ所の動物園スタンプを集めると、抽選で何か当たるという「電車でおでかけ動物園スタンプラリー」というのを、「何にも完成することのない私の中途半端人生、せめてこのスタンプラリーをコンプリートするのだ!」という気分になったため。
 2度目の上野動物園や3度めの水族園は、スタンプを押すために出かけたようなものです。

 井の頭文化園、初めて行きました。象のハナコは、私より年上。日本で一番高齢のぞうさんですが、ゆったりと足を運び、飼育員に丁寧に世話されていました。

 葛西臨海水族園、おひとり様見学でしたが、飼育員による館内ガイドのグループに加わって、生き物の説明を聞くことができました。いつもなら、「あれ、この水槽には何もいないや」と、通り過ぎていたところ、ガイドさんが「よく見てください。水槽の底、砂の中に隠れている魚がいますよ」というので、目をこらすと、ほんとうに砂の中に魚を発見!など、これまで気づかなかったことをいっぱい知って楽しかったです。

 多摩動物園では、目玉のコアラ館のほか、2006年5月から公開されている「オランウータンのスカイウォーク」を見ました。もともとボルネオジャングルの20m~40mにもなる高木の間を、枝から枝へ移動していく習性を持っていたオランウータン(インドネシア語で「森の人」の意)。多摩動物園では、オランウータン舎から飛地放飼場までの約150mのスカイウォークを作りました。高さ12~18m、9基のタワーにかかったロープをたどり、移動できるようにしつらえてあります。
 このようすを、見物人は下から見上げて大喜びです。

 現在、動物園では、できる限り、動物のもともとの生息地に似た環境を整え、動物本来の行動をとらせる「行動展示」が主流になっています。オランウータンのロープを伝わっての高所移動、オランウータンの習性だから大丈夫とわかっているとはいえ、落ちやしないかとハラハラドキドキして、サーカスの綱渡りみたいに楽しんじゃいました。

 娘、息子と行った上野動物園。息子は小学校の遠足で行って以来、一度も来たことがなかったのだって。そんなに来ていなかったとは思いませんでした。思い返してみると、上野にしょっちゅう来ていたのは、娘が小学生のころ。息子は保育園。息子が小学生になると、5歳上の娘は中学生になって「家族で動物園に行くなんて、ダサイ」という年頃になってしまったので、家族で出かけたのは、科学博物館が多く、動物園には来たことがなかったのです。

 娘息子は久しぶりに見る象やキリン、猿山も楽しんでいました。パンダは「列に並ぶのはいやだ」というので、遊び場に出ているパンダをちょっと離れて見ました。パンダ舎に入っているときは列に並ばないと見ることができませんが、遊び場にいるときは、外から見えるので、ころころと動いているパンダ、十分ウォッチングできました。
 大人だけの動物園見学も楽しいものですね。

<つづく>
08:16 コメント(3) ページのトップへ
2011年10月23日


ぽかぽか春庭「郷土の森&神代植物園」
2011/10/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(2)郷土の森&神代植物園

 10月6日、府中郷土の森博物館で、移築復元されている旧府中市役所庁舎や府中尋常高等小学校校舎などを見ました。
http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/sisetsu/fukugen.html

 府中は、古代に国分寺が置かれて以来、長く武蔵国の中心地でした。国分寺の発掘現場を2005年5月に娘息子と見に行きました。
 http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d433#comment

 府中郷土の森博物館の常設展示は、府中の有名なお祭り「くらやみ祭り」と、古代からの府中の歴史を展示しています。
 6月の仕事帰りに寄ったときは、宮本常一の「土佐源氏」の展示を中心に見たので、10月6日は、府中の建物をゆっくり見たのです。

 旧市庁舎移築のようすがビデオにまとめられていたのも見ました。洋風木造の庁舎は、当時の役所建築の代表的な様式であり、国の重要文化財に指定されている福島県伊達郡桑折町の旧伊達郡役所役所などと共通する形式をもっているというビデオ解説を見ました。役所部分の洋風建築に付属して、職員用の休憩室や宿直室が和風で作られて接続しており、当時の日本人が、仕事をするには洋風の椅子や机で事務をとっても、休憩するには椅子ではくつろげず、囲炉裏などを備えた部屋でないと食事も落ち着いてとれない、という生活だったことがわかります。

 府中市旧役場庁舎は、1921(大正10)年の建築。
http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/sisetsu/fg04.html
旧伊達郡役所1883(明治16)年
http://maskweb.jp/b_datecounty_1_0.html

 10月10日、ぐるっとパス最後のおでかけに、神代植物園へいきました。前回、春バラの時期に行って、深大寺蕎麦をたべたのですが、今回は秋バラと蕎麦。「湧水」という評判の蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べて、前回の店と同じく「やっぱり父が打った蕎麦より美味い蕎麦はない」という感想。そりゃまあ、そうだろうと思います。

 秋バラは春バラより小ぶりですが、きれいに咲いていました。
 園内の「山野草コーナー」に「毎年ススキの根本に咲くナンバンギセルが今年も咲きました」という案内が出ていて、この花を初めて写真でなく実物にて観察。紫色の花で、ススキに寄生する植物です。パイプ(南蛮煙管)のような形。ススキの根本にひっそりと咲いているので、案内表示がなかったら見逃していたでしょう。

 体育の日の植物園の芝生では、傾いてきた秋の午後の日差しの中で、家族連れがフリスビーやバドミントンをして遊んでいます。動物も植物も人も、平和な環境でのびのび過ごしているように見える。戦争を知らない世代の私が、ここまで戦火に遭わずに生きてきた。この平和を守って次の世代に引き継ぐこと、「平和を守るには、自国が武装すること」などの言辞に惑わされず、真の平和を守るために何をすればいいのか、芝生広場のベンチに座り、マロンアイスをなめなめ考えました。考える時間は、アイス食べ終わったとたん終了です。ま、私の「平和について考える」ってなことは、アイス食べる時間程度のものです。

 自力では生き抜くことが難しいナンバンギセルとて大事な地球の自然の一部。寄生、パラサイトも自然の中のあたりまえの生き方。力のない者や声の小さい者が排斥されることのないように。重度障害児施設を見に行って「こういう人たちに、生きている意味がわかるのか」と言い放った知事のような感覚にはどうしてもなじめません。多様な生き方があっていい。寄生という生き方を選んだナンバンギセル、それもひとつの生き方として認めたい。足らないところは助け合って生きていける、そういう社会になったらいいなあと、午後の日差しのなかで、つらつらと寝ぼけ半分で考えながらすごしていられるのも、平和な10月10日だからこそ。
 1964年10月10日に「ぼろぼろになってしまった国が、たった20年で復興したこと」を世界に歌い上げたあの日を覚えている者として、バラも萩もナンバンギセルも、みんなそれぞれの色で咲いていてほしいと思いながら、植物園の小径を歩きました。

<つづく>
04:44 コメント(1) ページのトップへ
2011年10月25日


ぽかぽか春庭「江戸東京博物館&たてもの園」
2011/10/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(3)江戸東京博物館&たてもの園
 
 10月8日、江戸東京博物館で「日光東照宮と将軍社参」を見ました。江戸東京たてもの園が5時で閉園になったあと、大急ぎで両国駅へ行き、夜間開館の時間に行ったのです。学芸員がボランティア解説員にレクチャーしているところにいっしょになり、私も説明を聞きながら見てまわりました。

 二代秀忠の日光参拝は、文字通りの「父親の墓参」として始められたが、孫の三代目家光は、祖父の威光を最大限に利用して諸大名への将軍家権威付けを行っている、などのお話を聞きました。
 学芸員として博物館での研究に携わってきた方の熱心な説明を、ボランティアガイドにあたる人々がこれまた熱心にメモをとりながら聞いています。私はただ興味本位に日光社参を描いた屏風絵などを見ていて、少しも学術的な見方はできないのですが、ひとりでただ見てまわるより、ずっと面白かったです。

 10月8日午後は、江戸東京たてもの園へ。こちらは、江戸東京博物館の分館です。何度も来ているたてもの園ですが、移築復元された建物が二棟新しく公開されたので、行って見ました。
 新公開は、港区白金で営業していた大和屋乾物店1923(昭和3)年建築、と、青梅街道にあった万徳旅館(約150年前に建築)の二棟です。旅館や店舗の建築は、建物外観は古いままでも、内部は使い勝手がよいように改築されて昔の面影をとどめていないものが多いのですが、万徳旅館は、建物内部や、建具なども古いままで平成5年まで営業を続けていたので、建築当時のものが残されている貴重な旅館だそうです。

 たてもの園の中では、「江戸職人の技」実演販売中。「村山大島紬」の端切れ1枚500円をおみやげに買いました。紬で作ったブックカバーを2500円で、マウスパッドを1500円で売っていたのですが、自分で作れそうなので、端切れを買って手作りする予定。
 このたてもの園でもボランティア活動が盛んで、ガイドさんが説明してくれるほか、数珠玉ブレスレット作りとか、裂き織りなどの手仕事を教えるボランティアもいる。かやぶき屋根を維持するためには、屋内の囲炉裏で火をたく必要があるため、火をたくボランティアさんもいます。

 午後1時半からのボランティアガイド解説を聞きました。高橋是清邸、三井八郎右衛門邸、八王子千人同心組頭の家などの説明を受けました。
 「ここは、昭和初期の家です。テレビドラマ『華麗なる一族』ではキムタク出演場面でロケに使われました」とか「この子宝湯の通りは、ジブリの『千と千尋』の不思議な町のモデルになっています」などの説明を受けながら見てまわると、そうそう、こんな家でてきたっけなあ、と思います。

 武蔵野の農家の移築展示、昭和初期の商店の移築展示などについて、ボランティアガイドさんといっしょにまわっているとき、見学のおっさんが、ガイドさんと話しているのが聞こえました。自分の故郷でも、昔、こんな家があった、というような話をしています。おっさんは「群馬の生まれ」というので、「あら、私も群馬なんですよ」と、話に加わってみたら、ガイドさんと私は同年生まれ。おっさんは1歳若い。おっさんと私の出身地が同じとわかり、北小学校、北中学校の同窓生であることもわかりました。びっくり。
 おっさんは18歳で東京に出てきて、私は20歳で出てきたから、たぶん同じころ上京した。それ以来、東京で小学校中学校の同窓生と出会うことなど一度もなかったのに。

 おっさんも「いやあ、奇遇ですなあ」とびっくりしていて、ガイドツアーが終わったあと、しばらく道で立ち話をしました。おっさんは「夏に田舎に帰って、林屋のラーメンを食べましたよ」と言う。「林屋のラーメン」なつかしい。生まれ育ったところもすぐ近所の人でした。

 こういうとき、私がもすこし色っぽい女だったなら、「いやあ、奇遇ですなあ、どうですこれからビールでも」くらい言われるのだろうに。10月2日の文法研究会、コンパで酔った上のことですが、修士時代の指導教官から「あなたの論文はたいへんすぐれていたけれど、あなたには女性としての魅力がないっ」と言われてしまっていて、へこんでいたところでした。指導教官、「国立大学在任中は言えなかったことも、退職後は何でも本音で言える」境地になったとか。退職後の本音、「おまえには女としての魅力がないっ」という指導、よくわかりました。

 こんな魅力のない女からお誘いするのも気がひけて、そのまま「じゃ、またいつか会うことがあるかも」とか言って、さようならしました。
 園内のうどん屋で、おひとり様にて「武蔵野うどん」というのを食べました。600円。

<つづく>


2011/10/28
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(5)涼山イ族写真展

 10月27日、木曜日の午後、松岡映丘展を見に練馬区立美術館へ行ったら、1階の市民ギャラリーで「涼山彝(イ)族写真展」というのをやっていたので、ついでに見ました。そうしたら、こちらのほうが興味深く、松岡映丘展のほうをついでに見た、というくらいに見入ってしまいました。イ族の村の棚田や市場に集まる人々の民族衣装などが、中国と日本の写真家によって撮影され、展示されていました。
 http://www.gesanmedo.or.jp/photo111025.html

 イ族というのは、中国の少数民族です。少数といっても、11億人いる漢民族に対して少数ということで、約800万人いるのですから、ヨーロッパなどの小国、一国の国民数くらいの人口を擁しているのです。大陸中国に居住する56の民族のうち、第8位の人口です。中国南西部の山岳地帯、四川省雲南省などに分布しており、独自の文化社会を形成してきた歴史があります。たとえば、漢字とは別にイ語文字を持っており、イ語による詩や伝説がイ文字によって書かれてきました。
イ文字(ロロ文字)
http://www.aa.tufs.ac.jp/kanji/tenzihinA_13_hyou.html

 特異な社会であったことのひとつとして、中華人民共和国が1949年に成立したあとも閉鎖社会の中で独自の奴隷制度を残し、奴隷制度が廃止されたのは、1956年。おそらく、世界の中で最もおそくまで奴隷を使用して生活を維持した社会と言えるでしょう。農業牧畜業が奴隷労働によって経営されたほか、天文暦法、気象、医薬などでもイ族独自の文化を発達させてきました。
 道教や仏教の影響を受けつつ精霊信仰を残し、ピモという司祭が宗教生活を先導しています。貴族階級は黒彝と呼ばれイ族人口の6%のみ。奴隷階級の白彝や他部族を労働階級として支配してきました。
彝語は、ビルマ語と近い言語で、彝文字(ロロ文字)と呼ばれる表音文字によって表記されます。
 イ族についての参考文献、曽昭掄(1899-1867)『中国大凉山イ族区横断記』八巻佳子訳(築地書館)
http://www.mekong.ne.jp/books/explore/001201.htm

  展示されている写真は中国と日本の28人の写真家によって撮影されたものです。写真展を中心となって企画したのは、烏里烏沙(ウーリーウシャ)さん。日本に滞在して、NPO法人「チベット高原初等教育建設基金会」の理事長を勤め、雲南省四川省の子ども達が通うための小学校建設を進めています。基金会の略称は「ゲーサンメド」と言います。ゲーサンメドは、漢字表記は「格桑花」。チベット高原に咲く美しい花で、地元のことばでは「幸福の花」だそうです。
http://www.gesanmedo.or.jp/

 イ族写真展について書かれているブログ
http://www.kenichikomatsu.com/blog/
http://tanzawasanroku.at.webry.info/201110/article_6.html

 イ族の村の光景はとても美しく、人々の表情が生き生きしています。写真展事務局の紀田さんは、2月に基金によって設立された小学校の見学ツアーに参加し、写真を撮影してきたのだそうです。

 会場に展示してあった、彝文字と中国語漢字表記が対照表示されている詩の本をコピーさせてもらいました。彝文字は全然読めませし、中国語もおぼつかないですが、漢字をたどっていけば、意味はおおよそわかるんじゃないかなと思ってコピーさせてもらったのです。
 最初のページに出ている彝文字の詩には以下のような漢詩が対照されていました。漢文は苦手だったけれど、漢詩ならある程度意味が通じるんじゃないかと思ったのだけれど。
 「山林不相見 獐子帯来見 川水不相見 魚儿帯来見 蜜蜂不相見 山花帯来見 木嗄和基本喲 姑娘的婚礼上来見」
 あれま、やっぱり私の漢詩読解力じゃ、意味わかりません。どなたか漢詩に強い方、あるいは中国語得意な方、意味を教えて下さいまし。

<つづく>
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2011年10月29日


ぽかぽか春庭「ぐるっとパス総決算」
2011/10/29
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(6)ぐるっとパス総決算

 「ぐるっとパス」総決算。
 「ぐるっとパス」(2000円)には、東京都内の博物館美術館70館の入館券と入館割引き券が冊子になっています。
 入館割引き券を利用したのは、上野の奏楽堂のみ。木曜コンサート500円のところ、ぐるっとパスで200円割引きになりました。あとは入館券がついている所のみ行きました。
 入館券がある51館のうち、33館見て歩きました。ほんとはコンプリートめざしたかったのですが、「動物園水族園スタンプラリー」の四施設コンプリートでかなり満足できたので、ぐるっとパスコンプリートは無理しないことにしました。33館見たというのでも相当「活用!」したほうだろうと思います。

 パスは、使用開始から2ヶ月間使用できます。私のは、8月12日使用開始、10月11日期限切れ。2ヶ月間というと、土日の使用が中心の一般の勤務者にはなかなか全部は使えない。私は「今年の夏休み、遠出はしない」と決めて、リタイア後の暮らしの「毎日が日曜日」になったとしたら、どれくらい活用できるものなのか、という一種の実験のために歩きまわったのです。
 そもそも、ブリジストン美術館の青木繁展を見るときに購入して、ブリジストンのほかあと1館か2館入れば「モトはとれる」というところだったので、33館というのは、我ながらすごすぎっ!

 上野周辺エリア。東京芸術大学美術館、旧東京音楽学校奏楽堂、一葉記念館、書道博物館、飛鳥山博物館、上野動物園。
 東京皇居周辺エリア、近代美術館、松岡美術館、庭園美術館、写真美術館、科博付属自然教育園。
 目黒港周辺エリア、目黒美術館。
 世田谷新宿池袋練馬周辺エリア、新宿歴史博物館、文化学園服飾博物館、練馬区美術館、ちひろ美術館、オリエント博物館。
 両国深川エリア、現代美術館、深川江戸資料館。江戸東京博物館常設展
 臨海エリア、葛西臨海水族園、船の科学館、科学未来館。
 多摩エリア、府中郷土の森博物館、八王子夢美術館、三鷹市美術ギャラリー、吉祥寺美術館、江戸東京たてもの園、井の頭自然文化園、多摩動物園、多摩六都科学館、神代植物園。

 交通費は、1回のおでかけで午前中一ヶ所、午後一ヶ所をまわって1000~1500円程度。一番交通費が多かったのは、10月08日。「もう、期限が切れるから、3ヶ所まわろう」と思ったので、交通費も多かった。
8日朝、東京メトロ&西武新宿線で田無へ。400円。田無からコミュニティバス100円で多摩六都科学館着。科学館前からバス190円で小金井公園西口前。たてもの園を見たあと公園西口前から武蔵小金井行きバス170円。武蔵小金井から中央線総武線で乗り継ぎ両国下車450円。江戸東京博物館の夜間開館で「将軍の日光社参」展を見て大江戸線両国駅から地下鉄に乗ってメトロ乗り継ぎ440円で帰宅。合計1750円。
 10月08日の一日の行楽費、昼ご飯やおみやげ合計で2850円。

 一日遊んで3000円の出費なら、リタイア後も一ヶ月に一度くらいはおでかけが楽しめるのではないかと思います。国民年金がはたしてちゃんともらえるのかどうか、こころもとない昨今ではありますが。

 昔は、リタイア後は田舎に住んで山や川を眺めて暮らしたいと思っていたのですが、田舎は「病院が遠い」とか、「出歩くには自家用車が必要」だったり、持ち家がないと暮らしにくいことや隣人おつきあいのたいへんさなども見聞きします。私のような「人付き合いも悪い、家もない、車もない、国民年金で暮らすこともままならない」人間が、最低限の出費で暮らすには「田舎暮らし」は高嶺の花だとわかったので、「都会でお金をかけずに遊ぶ」方法を考えました。

 私、還暦すぎ、国民年金もらおうと思えば申請できる年齢になりましたけど、まだもうちょっと受給開始はしません。夫の計算によれば、80歳以上長生きするなら、受給開始を遅らせた方が、生涯受給金額は多くなるのですって。せいぜい長生きしてこれまで毎月とぼしい給与から払った年金のモトとらなきゃ。

 絵と建物と動物と花と風景を見るのが好きで、好奇心と歩き回れる丈夫な足を持っているなら、リタイア後もお金をかけずに毎日楽しく過ごせそうです。東京近辺の施設、65歳以上は無料または割引きのところも多い。図書館で借りる本とDVDがあって、ボランティアには週に1回ほどでかけることにして、ジャズダンスの練習は週2回くらい。これでリタイア後の生活もなんとかいけるんじゃないかしら。少なくとも退屈をもてあますことはなさそうです。

 ミサイルママは「2ヶ月に一回は山登り。来年は槍ヶ岳から北アルプス縦走。そのために70歳まで足腰鍛える」というのが目標とか。
 9月11日に出演したジャズダンス発表会のDVDをミサイルママから受け取り、さっそく見てみました。うん、私の太さ、後ろの列で前列ダンサーに隠れながら動いていればそんなに気にならない。よかったよかった。老後に希望が持てます。

<つづく>
07:53 コメント(3) ページのトップへ
2011年10月30日


ぽかぽか春庭「物見遊山徘徊始末」
2011/10/30
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(7)物見遊山徘徊始末

 8月~10月のおでかけ、失敗も多々。地下鉄の一日パス。最初に地下鉄に乗って、上着のポケットに券を入れ、暑くなったので上着を脱いで手に持ったときにはポケットに券が入っていることなどすっかり忘れていたから、たちまち落としてしまい、一日乗るはずが、最初の230円区間につかっただけで、一日券が終わり、、、、とか、ちゃんと傘を持って出た時は雨が降らず、傘を持っていないときに限って出先で雨が降るので、安物傘を何本も買うはめになったり。

 お台場の科学未来館。プラネタリウムに入って暗くなるとたちまち寝てしまい、目が覚めたらもうほとんど終わっていた。娘に「おひとり様で行くと、しゃべる相手がいないので、プラネタリウムで寝ちゃった」と話したら、「母は昔いっしょにプラネタリウム見たときだって、ソッコー寝てたよ」と言うのです。くやしいので、府中郷土の森博物館で、もう一度プラネタリウムに挑戦。しかし、やっぱり場内が暗くなって上映がはじまったら、すぐに寝てしまいました。よくよく「暗いところではすぐに寝る」というのが身についているのでしょう。いやいや、明るいところでも、電車に乗って座れればすぐに寝ますけど。

 10月29日に、庭園美術館の改修閉館前の特別夜間公開に出かけたら、5時に入場門に着いて入館券を買うのに20分待ちの列。さらに、玄関に入るまでに40分待ち。6時にやっと中に入ったら、それぞれの部屋を見るために一列になって待っている。2階ロビーの椅子に座ってしばらく待っていたけれど、7時になってますます混んできたので、あきらめて外に出ました。庭園美術館、今年は春に「森と芸術」展、夏休みには「ロシア皇帝の愛したガラス」展には2度も見に行って、旧朝香の宮邸、展示のない書斎などはたっぷり見ていたので、無理に人混みの中列に並ぶことはないと思って、そのまま帰ることにしました。入館料はもったいなかったけれど。ケチな私が、入館料払ったのに何も見ないで出てくるってのは、午前中、午後、2ヶ所徘徊してきて疲れていたからですけれど。 

 失敗も多々ありましたが、よかったこともいっぱい。
 淡島千景がお力を演じた映画『にごりえ』や浅丘ルリ子がお力を演じた舞台の『にごりえ』を録画で見たあと、一葉記念館に行ったら、ちょうど朗読の会の人たちが「にごりえ」の朗読発表会をやっているところに行きあって、朗読でも「にごりえ」を楽しむことができましたし、出かけた先々でいろいろ有意義な見もの聞き物に出会うことができました。

 「見てまわること」「物見遊山」ということについていろいろ考える契機も与えられて、この夏の「ぐるっとパス」めぐりは、大成功だったと思います。
 旅することは命がけであった時代から、江戸270年の太平の間に、庶民までがお伊勢参りなどの物見遊山を楽しむことができるようになり、21世紀の今では物見遊山に宇宙旅行を予約する人さえいる時代です。
 物見遊山が「ただの気晴らし」にとどまらず、「見ること」が何らかの変化をもたらすダイナミズムを持っていることに注目し、これからも徘徊を続けるつもりです。

 今日は、地球上の人口が70億人に達する日なのだそうです。70億人、多すぎると言われても、私が減るのはいやだし。人口ひとり減らすまで、せいぜい歩きまわりましょう。

<おわり>

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