2011/10/26
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(4)観劇『坩堝』
10月09日、大阪から友人のアコさんが上京し、いっしょに劇団昴のお芝居を観ました。
前回アコさんといっしょにおでかけしたのは、3月10日のことです。アコさんは、翌日の震災のさなか、たいへんな状況下に帰阪したのでした。またこうしていっしょに演劇鑑賞ができてうれしいです。
池袋駅から池袋グリーンシアターまでの視覚障害外出ヘルパー、相務めるために、まずは、下見にグリーンシアターまで歩きました。よし、このルートで案内しよう、と納得して待ち合わせの「池ふくろう」の前へ。
アコさんは茨城の実家に一泊してからの上京で、水戸市に住んでいるというお友達のエミさんが外出ヘルパーとして付き添っていました。エミさんは高校生の息子さんのお母さんとは思えないとてもかわいらしい人で、安達祐実そっくり。「安達祐実に似ているって、人から言われるでしょう」と尋ねると、安達祐実が子役でデビューしたころからずっと言われっぱなしだと言っていました。
アコさんの道案内をエミさんが担当し、私はアコさんの友人のワカコさんの案内をしました。腕につかまってもらったり、肩に手を置いてもらって案内する方法も、アコさんに教わりながら覚えたのです。しかし、途中、横断歩道の段差があるところでうっかり「段差があります」と声をかけるのを忘れてしまい、ワカコさんがちょっとよろけてしまうことがありました。わずか1.5cmほどの段差だったので、私には差が感じられずに通りすぎてしまったのです。どうも私は盲導犬より能力が低い。
劇団昴の公演は、アーサー・ミラーの『坩堝るつぼ』。映画化されたときは原題の「クルーシブル」で、ミラーが自ら脚本を担当しています。アメリカのニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で起きた魔女裁判を題材にして、1950年代米国のマッカーシズム「赤狩り」を思い起こさせるようにして、ミラーの激しい台詞が舞台を飛び交います。
さまざまな文化と思想がるつぼの中のように渦巻くアメリカ。
坩堝の中のものは解け合って溶融・合成を行う。金属だって解け合って合金ができるはず。果たして「人種のるつぼ」と呼ばれたアメリカは、解け合ったことがあるのか。
現在は、「混ぜても決して溶け合うことはない」という意味から、多民族が暮らす地域を、「サラダボウル(salad bowl)」と呼ぶそうです。並立共存の状態を強調しているのだというのですが、ほんとうに併存共存できているのか。
セイラム魔女裁判とは、1692年、セイラム村の200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死。無実の人々が次々と告発され、裁判にかけられた事件です。
現在では「集団心理の暴走」の例として広く知られています。ミラーの『るつぼ』はセイラムの魔女裁判を素材にしていますが、彼は、人間社会に起こりうる悲劇のひとつの姿としてこの魔女裁判を取り上げました。背景には、「現代の魔女狩り」として著名人が「赤狩り」によって次々に弾劾された1950年代のアメリカ社会があります。
裁判劇の進展を見ていると、人が人の罪を告発していくことのこわさが身に染みます。罪無き人もいったん罪人として追い詰められたとき、どれほど弱い立場になるのか。私など冤罪に巻き込まれたりしたとき、我が身の保身しか考えないような人間になるのではないかと恐ろしく思います。
終演後、アフターショウトークがあり、主役のジョン・プロクターや牧師役の俳優の、作品にかける思いなどを聞きました。また、次回作の前宣伝のための「リーディング・ショウ」もありました。昴の次回作音楽担当の坂本弘道のチェロ演奏をバックに、若手俳優が乙一の『暗いところで待ち合わせ』を朗読しました。
舞台に登場したチェロがボロボロなので、え~、人前で演奏するのに、こんなぼろいチェロ持ってこなくても、と思いました。と、見る間に、チェロは弓で弾く弦楽器としてだけでなくギターのように演奏したり、打楽器になったり。弓ではなくグラインダーで擦ったり、凄まじい演奏方法で、びっくり。チェロの坩堝って感じでした。
こんな感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=DNEaKn-vb14&feature=related
アコさんは赤羽のホテルに一泊するというので、ホテルのカンバンが見えるところまで案内し、あとはエミさんに任せました。
<つづく>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>秋のおでかけレポート(4)観劇『坩堝』
10月09日、大阪から友人のアコさんが上京し、いっしょに劇団昴のお芝居を観ました。
前回アコさんといっしょにおでかけしたのは、3月10日のことです。アコさんは、翌日の震災のさなか、たいへんな状況下に帰阪したのでした。またこうしていっしょに演劇鑑賞ができてうれしいです。
池袋駅から池袋グリーンシアターまでの視覚障害外出ヘルパー、相務めるために、まずは、下見にグリーンシアターまで歩きました。よし、このルートで案内しよう、と納得して待ち合わせの「池ふくろう」の前へ。
アコさんは茨城の実家に一泊してからの上京で、水戸市に住んでいるというお友達のエミさんが外出ヘルパーとして付き添っていました。エミさんは高校生の息子さんのお母さんとは思えないとてもかわいらしい人で、安達祐実そっくり。「安達祐実に似ているって、人から言われるでしょう」と尋ねると、安達祐実が子役でデビューしたころからずっと言われっぱなしだと言っていました。
アコさんの道案内をエミさんが担当し、私はアコさんの友人のワカコさんの案内をしました。腕につかまってもらったり、肩に手を置いてもらって案内する方法も、アコさんに教わりながら覚えたのです。しかし、途中、横断歩道の段差があるところでうっかり「段差があります」と声をかけるのを忘れてしまい、ワカコさんがちょっとよろけてしまうことがありました。わずか1.5cmほどの段差だったので、私には差が感じられずに通りすぎてしまったのです。どうも私は盲導犬より能力が低い。
劇団昴の公演は、アーサー・ミラーの『坩堝るつぼ』。映画化されたときは原題の「クルーシブル」で、ミラーが自ら脚本を担当しています。アメリカのニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で起きた魔女裁判を題材にして、1950年代米国のマッカーシズム「赤狩り」を思い起こさせるようにして、ミラーの激しい台詞が舞台を飛び交います。
さまざまな文化と思想がるつぼの中のように渦巻くアメリカ。
坩堝の中のものは解け合って溶融・合成を行う。金属だって解け合って合金ができるはず。果たして「人種のるつぼ」と呼ばれたアメリカは、解け合ったことがあるのか。
現在は、「混ぜても決して溶け合うことはない」という意味から、多民族が暮らす地域を、「サラダボウル(salad bowl)」と呼ぶそうです。並立共存の状態を強調しているのだというのですが、ほんとうに併存共存できているのか。
セイラム魔女裁判とは、1692年、セイラム村の200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死。無実の人々が次々と告発され、裁判にかけられた事件です。
現在では「集団心理の暴走」の例として広く知られています。ミラーの『るつぼ』はセイラムの魔女裁判を素材にしていますが、彼は、人間社会に起こりうる悲劇のひとつの姿としてこの魔女裁判を取り上げました。背景には、「現代の魔女狩り」として著名人が「赤狩り」によって次々に弾劾された1950年代のアメリカ社会があります。
裁判劇の進展を見ていると、人が人の罪を告発していくことのこわさが身に染みます。罪無き人もいったん罪人として追い詰められたとき、どれほど弱い立場になるのか。私など冤罪に巻き込まれたりしたとき、我が身の保身しか考えないような人間になるのではないかと恐ろしく思います。
終演後、アフターショウトークがあり、主役のジョン・プロクターや牧師役の俳優の、作品にかける思いなどを聞きました。また、次回作の前宣伝のための「リーディング・ショウ」もありました。昴の次回作音楽担当の坂本弘道のチェロ演奏をバックに、若手俳優が乙一の『暗いところで待ち合わせ』を朗読しました。
舞台に登場したチェロがボロボロなので、え~、人前で演奏するのに、こんなぼろいチェロ持ってこなくても、と思いました。と、見る間に、チェロは弓で弾く弦楽器としてだけでなくギターのように演奏したり、打楽器になったり。弓ではなくグラインダーで擦ったり、凄まじい演奏方法で、びっくり。チェロの坩堝って感じでした。
こんな感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=DNEaKn-vb14&feature=related
アコさんは赤羽のホテルに一泊するというので、ホテルのカンバンが見えるところまで案内し、あとはエミさんに任せました。
<つづく>