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夏のおでかけリポート2011年9月

2010-03-28 13:22:00 | 日記
2011/09/14
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>夏のおでかけリポート2011(1)パラサイト&スーパーよさこい

 2007年の夏と2009年の夏は中国で仕事をしたし、2008年の夏は5月の足の親指骨折が治りきっていなくてひとりで歩き回ることは控えました。2010年の夏は博論に行き詰まって、何をするでもないのに気分的に遊びに出ることもままなりませんでしたから、「夏のおでかけリポート」を書くのは5年ぶりのことです。
 5年前2006年のおでかけリポートはこちら
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200608A

 2011年の夏、ようやく出歩く気分になりました。ぐるっとパスで美術館博物館をめぐり歩き、今まで行ったことのなかった美術館、見たことのなかった画家を知って、充実した夏になりました。

 アート散歩以外にも、おもしろい所を訪ねてまわりました。
 8月25日、目黒駅から大鳥神社へ向かう方角にある目黒寄生虫館。これまで名前はよく聞いていたのだけれど、駅からちょっと歩くし、寄生虫、気持ち悪そうだし、積極的に出かけたい所とは思わなかったですが、目黒区美術館へ行ったついでに寄りました。

 1953年 医学博士亀谷了(かめがいさとる1909-2002)が私財を投じて研究機関を設立し、現在まで寄付によって運営維持されているそうです。開設以来入館料無料を続けている、ということなので、財布の小銭を募金箱へ。それから絵はがきを2枚買いました。寄生虫の写真と言わず「これ、最先端の現代アートの作品なの」と言われたら、そう思うような面白い造型です。鯨のお腹に寄生する虫だの、一番長いサナダ虫だの、いろいろ展示してありました。
 寄生虫(パラサイト)ファンという人たちもいます。私が見学しているとき、男子学生のグループがいて、中のひとりはパラサイト好きらしく、仲間に詳しく説明していました。

 宿主は寄生されて悪いことばかりではなく、宿主に利益もあります。たとえば、ヒトの腸内に住む腸内細菌叢(腸内フローラ)も一種の寄生ですが、ヒトの消化を助けたり、悪性細菌の増殖を抑えたりする重要な存在。また、戦後の日本人に花粉症が増えたのは、お腹に寄生虫がいなくなったせいだという説があります。「IgE抗体」は、ヒトの身体の異物を攻撃するのですが、寄生虫がいない人体の場合、杉花粉などを異物として過剰に反応してしまうため、くしゃみや強いかゆみなどの症状が出るそうです。花粉症のつらさに耐えかねて、寄生虫の卵を飲み込み、お腹に飼うことで花粉症症状を軽減した人もいるというニュースを見たことがあります。

 子どもの頃、毎年「検便」というのがあって、とても嫌でした。マッチ箱にウンチを入れて持って行くのが、女の子には恥ずかしい。おしりの穴にセロファンのような粘着ペーパーを当てて行う蟯虫検査というのもありました。
 現代の「清浄野菜」からは想像できないことですが、糞尿が主な肥料だった50~60年前の日本には、お腹に寄生虫がいる子どもが多かったのです。

 検査の結果「寄生虫駆除の必要」なんていう紙をもらった子は、そののちの1年間ずっと落ち込む気分にさせられます。私の母は、学校の健康検査が近づくと、事前に虫下しを子ども達に飲ませたこともありました。「こどもがクラスメートの面前でそんな紙を渡されて恥ずかしい思いをしないように」という配慮だったのでしょう。

 わが家のパラサイトたち。娘はこの夏も趣味の手芸であけくれ、息子は高野山へボランティアに出かけました。高野山のどこだかのお寺で古文書整理の手伝いをしたのだそうです。こちらのパラサイトたちは、虫下し飲んだくらいでは駆除できず、私は一生パラサイトの宿主です。

 8月27日28日、2日間連続で原宿へ出かけ、原宿表参道元氣祭スーパーよさこいを見ました。27日は明治神宮の中にある文化館ステージで。28日は表参道の道路に座ってパレードを見ました。どのチームも気合いが入っていて、練習の成果を十分に発揮していました。
 チーム紹介のとき「私たちは、どちらかといえば脱力系です。まあ、こんなグループも参加できるということで、気楽に見てください」と言うところもあるし、全員プロのダンサーかと思うようなすごい振り付けの踊りをするところもありました。

 10年ほど前、この原宿よさこいがはじまったばかりの頃、小学生くらいだった息子と見にきたときは、三分の一くらいが「脱力系」「ゆる踊り系」でした。それから見るとずいぶん各チームの踊りのレベルが上がっていると思います。振り付けは、盆踊り系のゆるい感じのものから、激しいジャズダンス系のものまで、さまざまです。車椅子に座って踊る人が参加しているグループもありました。
 たいていのグループにおチビダンサーがいるのですが、なかに「この子、天才じゃないか」と思うくらい振りのきれがいい子がいます。観客の目は、かわいらしく動く天才よさこいダンサーに釘付けです。
 
 28日は最後に原宿ステージで審査結果発表まで見ていました。全チームの踊りを見たわけではないのですが、自分が「このチームの踊りはすごい」と思ったところが入賞しているとうれしいです。自分たちが表彰されると思ってもいないのか、入賞したのに、だれも賞状を受け取りに来ないチームもありました。表彰されることより仲間との交流優先で、踊りが終わったらさっさと自分たちの打ち上げに行ってしまったのかもしれません。
 踊ることが好きでたまらないという人たちの参加によって盛り上がるよさこいソーラン。今回も90を超えるチームが参加しました。踊りが終わったあとのビール、うまいだろな。

<つづく>
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2011年09月16日


ぽかぽか春庭「百段階段&333m」
2011/09/16
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>夏のおでかけリポート2011(2)百段階段&333m

 8月29日、息子が高野山に出かけている留守に、娘とのおでかけ。「一日おのぼりさん東京観光」をしました。
 目黒雅叙園のクラブラウンジでランチ。2500円のランチブッフェは「まあ、普通。これがピカイチという食材はなかった」と、娘の評。
 テレビで紹介されていたのを見た、と娘がいう豪華トイレがレストランの隣にあったので、入りました。入り口には螺鈿の壁飾り。天井には絵がはめ込まれ、なんだかきんきらきんのトイレでした。雅叙園のコンセプトは「昭和お大尽の気分を味わう一日」なのですって。私はトイレが豪華なのより、食べ物が豪華な方がいいわ。

 ランチのあと、百段階段という東京都文化財指定になっている昭和の木造建築を見ました。撮影禁止とあったので、正直にカメラはしまい込みましたが、許可を得れば撮影できたらしいです。
 以下、百段階段の紹介サイト。
http://www.nakata-jp.org/photo/gajoen/index.html

 中国の観光客グループといっしょになりました。ガイドが説明し、通訳がお客に中国語で伝えたところによると「この床の間の柱、人の手でなでられています。この柱をなでると幸運を呼び、お金持ちになれるという言い伝えがあるからです」。中国の人はお金持ち大好きなので、かわるがわるなでていました。それでは、と私もなでたら、部屋の番人から「この建物は文化財指定なので、さわってはいけないのです。さきほどの人たちには、私、中国語で注意できないので言えませんでしたが」だそうで、私、中国の人にまぎれて柱をなでておいたので、お金持ちになれるかも。

 今回は、永青文庫改装中の間、細川家伝来の品の一部を雅叙園で展示公開するということでしたが、歴史的な文物は最初の二室だけで、ほとんどは細川護煕の創作陶磁器の展示でした。娘は、唯一知っている細川家の人物であるガラシャの遺物がない、と言って、それ以外の細川のトノサマは、誰がだれやら、とあまり興味なさそうでした。元首相のトノ様は、政界引退以来、優雅に作陶三昧の暮らしのようで、うらやましいこと。

 そのあと、御成門へ。東京タワーに行きました。娘は、小学校のときの遠足以来東京タワーに上ったことがない、と言うので行ってみたのです。東京タワー水族館にも寄りました。6月末に葛西臨海水族館へ行ってきたところだし、サンシャイン水族館がリニューアルされたので行きたいと思っている水族館大好き家族ですが、東京タワーの水族館は「かなりショーモナイ」という話なので、これまで娘は入ったことがありませんでした。でも「東京タワー水族館招待券」が2枚あったので、ついでですから。
 水族館大好き娘は「海水魚は水温管理などがたいへんで飼育がむずかしいから、ここは川魚が中心の展示であるのはしかたないね。でも、思ったほどショーモなくもなかった」と言っていました。

 特別展望台に行ってみました。特別展望台は250m。大展望台は150m。スカイツリーもぼんやり見えました。夜景は、節電の夏なので光量は4割引きになっています。それでも観光客は「きれい!」と写真を撮っていました。娘は「2月に横浜のランドマークタワーで夜景見たときと比べると、やっぱりちょっと貧弱だね。これからしばらくはこうなのかなあ」と、「はじめての東京タワーからの夜景」だったのにと少し残念そう。

 私は4回目の東京タワーです。小学校5年生の東京見物旅行。25歳のとき姉の一家と。50歳のとき小学生の息子と。そして、今回は娘と。この次は何歳になっているかしら、と思います。

 スカイツリーは、展望台料金ひとり3000円という強気なこと言っているので、まあ、当分は行かないでしょう。私は無料の東京都庁展望室からの眺めを楽しむことにします。

<つづく>
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2011年09月17日


ぽかぽか春庭「ダンスィングワカメちゃん」
2011/09/17
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>夏のおでかけリポート2011(3)ダンスィングワカメちゃん

 私の所属しているジャズダンスサークル、1年に1度の発表会、11日に文化センターで行われました。下手でも太めでも、楽しく踊るのがシロートのいいところ。

 私は振り付けを覚えず、前の列の人の動きを見ながら踊るという方針ですが、きちんと振り付けを覚えたい人もいます。発表の曲、コパカバーナに出演する新人のスエちゃんに、「振り付け覚えられないから、以前に発表会のDVDあったら貸してね。ビデオ見て振り付けを確認するから」と頼まれました。去年2010年のではなかったことは記憶しているのですが、はて、どの年の発表曲がコパカバーナだったのかさっぱりと覚えていないのです。2000年から2009年までのDVDをみな早送りでチェックしました。その結果わかったことは、「私は太い!!」

 ま、わかってはいることなのですが、改めてビデオを見てみると、我が体型、見れば見るほどぽっちゃりです。で、2005年のDVDにコパカバーナがあったので、スエちゃんに貸しました。私はコパカバーナを踊っておらず、2005年は監獄ロックを踊っていたので、スエちゃんが私の出演曲を見ることはないだろうからと思って貸しました。

 今年の発表会、練習の最後は、集中講義の日程と重なってたいへんでした。振り付けを覚えず、前の列の動きに半拍おくれでついていくいつものやり方なので、先生に「イーナちゃん、首の向きが違う!」と叱られながらの練習でした。首を横に向けなければならないときも、前列の人の踊りを見ているので、どうしても首は斜め前になってしまい、叱られてしまうのです。

 10時間働いてくたくたになったあとでも、夜練習に行って汗流したほうがストレス解消にはなるのですが、頭は働かず、どうしても動きの流れが脳細胞に定着しません。でも覚えられないことがあるってことが身に染みていると、きのう教えた「トータルフィジカルレスポンス教授法」についても「コロケーションを重視した言語教育」についても、学生がさっぱり覚えてはいないとしても、「ま、そんなもんか」という気になって、精神上よろしい。

 春庭のダンサーネームは、「e-Na」です。e-Mailの「e-」に、「Na形容詞のNa」です。「Na形容詞」というのは日本語教育文法の呼び方で、学校古典文法では「形容動詞」のこと。元気な人、静かな人、きれいな人、など、「な」がつく語が「ナ形容詞」です。頑固な人、強情な人、おバカな人、ダメな人、「ナ形容詞」もさまざまですが。

 サークルでは、コズちゃん、トモちゃん、など、お互いを「ダンサーネーム」で呼び合っています。ダンスをしているときには、日常の「○○ちゃんのお母さん」であったり、「親の介護に疲れている○○」であったりするのを忘れて、ダンサー○○なのです。K子さんは「ダンサー・パラちゃん」でしたが、残念ながら8月で退会し、今回は観客として会場に来てくれました。パラちゃんは、演劇活動のほうを強化していくことにしたのですって。

 私は、「コパカバーナ」のほか、「ペーパームーン」と「インザムード」を踊りました。シャンソン歌手のゆみさん、いっしょに出演したのですが、打ち上げの前にちょこっと話したとき、「イナちゃん、今回は太っているとかぜんぜん気にならなかったよ」と誉めてくれました。あら、これまでは太っていることが大いに気になったのね、とひがんだりせず、今回はそんなに太って見えなかったのだ、と喜びましょう。ゆみさんも私とおっつかっつの体型ですが、そこはプロのシャンソン歌手ですから、本番のときはきっちりと「補正下着を身につけている」のですって。

 文化センターの職員さん、「センター祭打ち合わせ会議」での私の質問や発言が気にさわっていたらしく「あの厳しい口調で発言する人が、同じ人とは思えなかった。踊っているときはお嬢さんに見えました」との感想。お嬢さんとは何歳までを表現して良いのやら、70歳のお嬢様だっているのですが、「とってもかわいいお嬢さんでした」との言葉を素直に受け取りましょう。8月31日に髪を「ワカメちゃん」のようなおかっぱにしたので、かわいらしく見えたのだ、と思うことにします。

 打ち上げは、駅前のイタリアンで。2時間飲み放題で窯焼きピザとスパゲティ、サラダなどで3000円というので、そこは「元とらなきゃ精神」で、生ビール2杯とビーチカクテルを3杯飲みました。去年の11月から節制をはじめて、ほとんどビールも飲んでこなかったので、久しぶりに酔っ払いました。

 自転車で来ている私が帰りに事故にでもあうとたいへんだ、と仲間達はおひらきのあと、コーヒータイムを作って、1時間ほどつきあってくれました。みんなやさしい仲間です。研究熱心でいっしょうけんめいに踊っていた新人スエちゃんは、実は大病をして手術を繰り返してきて、健康維持のためにサークルに参加したのだ、など、それぞれの打ち明け話。
 トモコさんは、10日にサンシャイン劇場での「ファンタジックステージ」というコンサートに合唱団の一員として出演し、11日はダンスの発表会、連続の出演となってとてもたいへんだったけれど、両方とも大成功の公演になってよかった、と言っていました。
 10日のコンサート、私も見に行ったのですが、藤原歌劇団準団員の若手オペラ歌手と合唱団でオペレッタやミュージカルのナンバーを歌い、とても楽しかったです。

 みな、それぞれの身体の調子や家族の問題を抱えながらも、踊ることでストレス発散し体調維持をはかっています。年をとって足が上がらなくなったり、ターンでふらつくのは自然なことですが、その中にも生き生きした身体と心でいられるよう、がんばっていこうね、と言い合っておひらきにしました。

<つづく>
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2011年09月18日


ぽかぽか春庭「恐竜博2011」
2011/09/18
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>夏のおでかけリポート2011(4)恐竜博2011
 
 9月14日、娘息子といっしょに、上野の科学博物館で恐竜博見物してきました。娘は小学校1年生のとき、バザーで恐竜についての解説マンガを100円のこずかいで買って以来、20年越しの恐竜&化石ファン。何はなくとも毎年恐竜展を見にいく一家です。出かける先は、科博だったり幕張メッセだったり、そのときどきの目玉も、翼竜だったり世界最大のティラノの大きさだったり。
 今回の目玉は、「獲物を待ち伏せする姿勢のティラノザウルスの姿の骨格復元」です。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2011/dinosaur/index.html

 これまで、体の色や骨の動きが明確ではなかった恐竜について、近年の研究進展がめざましく、骨の動きの研究により、ティラノザウルスの小さな前足は立ち上がるときの重心移動に役立つものであったことがわかったり、トリケラトプスの前足はトカゲやワニのように肘のところで曲げられているのではなく、前足がまっすぐに伸びていることがわかったので、新しい姿での骨格標本が展示されています。また、新たに羽毛恐竜の羽の色がわずかに残されているメラニン色素のコンピュータ解析により解明されました。
 新しい成果が続々出現し、研究者は学会誌などでそれらの研究成果をいち早く知ることができるのでしょうが、わが家のような「単なる恐竜ファン」も、わかりやすい展示によって「へぇ、アンキオルニスの翼はこんな色してたのか」と納得です。

 今回「トリケラトプスを襲うティラノザウルス」の復元CGが上映されていました。ティラノの姿は、背中側半身に獣毛が生えている姿での再現です。ティラノの身体は獣毛とウロコの両方に覆われていたらしいです。
 これまで生きた恐竜をティラノが襲うのかどうか、はっきりとはわかっていなかったのですが、ある化石の出現で解明されました。トリケラトプスの大きな頭部のひれのような部分の化石ににティラノの歯形が残されていたからです。生きているときにティラノザウルスに襲われて傷つき、それが治癒するまで生き残っていたことがはっきりわかったので、ティラノが生きている恐竜を襲った証拠となりました。

 今回、夏休みも終わったあとの平日だったので、そんなに混んではいないだろうと思って水曜日にでかけたのですが、思った以上の混み具合でした。出かけるまで知らなかったのですが、水曜レディス割引きデーだったのです。映画館には水曜日女性割引きが有ることを知っていましたが、科博にもあるとは知りませんでした。今回招待券が手に入らず、1500円はちょい高いんじゃないかい、と思って出かけたのですが、私と娘は女性割引きでひとり1000円、息子は大学が博物館メンバーズになっているので900円。
 ラウンジで「恐竜クッキー」を食べて一休みしてから、常設展示の全天周映画「恐竜」と「宇宙の歴史」を見て,日本館3階の展示も見て、満足の「科博の半日」でした。
 
 帰りは上野駅前のロシア料理店で、ピロシキやボルシチを食べて、これが「わが家の2011年夏の行楽」です。3人分の行楽費が全部で1万円。「遊んできたら、行楽費につかった分から東北復興支援寄付に当てる」という”私ルール”、春の行楽では「使った額と同額」でしたが、夏あたりから「使った額の何割か」になって、今回は恐竜博図録を買うとき寄付金付きトートバッグをいっしょに買いました。トートバック(ちょっとチャチな袋ですが、恐竜の絵が描かれている)の400円のうち100円は復興寄付金で、博物館からまとめて寄付されるそうです。

 1万円のうちの100円だと1%の寄付にしかなっていませんけれど、危険が指摘されていたのを無視して対策をとらなかった自社の怠慢を棚に上げて、フクシマ復興費に当てるために電気料金15%値上げ、ただし、社員の給与5%カットは3年で終了する、という、開いた口もふさがらないような復興対策を打ち出した東電に比べたら、ずっとマシでしょ。わが家、「楽しく遊んでチョッピリ寄付」を末永く続けるつもりです。

<つづく>
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2011年09月20日


ぽかぽか春庭「打楽器コンサート&パンダ見物」
2011/09/20
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011>夏のおでかけリポート2011(6)打楽器コンサート&パンダ見物

 9月15日、午前中は出講先での講師会議。文科省の予算がますます減ってきて、留学生数も減少という、留学生センター状況の説明などを受けました。とりあえず、今期は私の受け持ちは変わりなし。12時半までクラス担当教師の打ち合わせ。
 お昼ごはんも食べずに上野へ向かいました。上野の奏楽堂で芸大生による打楽器コンサートがあるので、14時の開演に間に合うよう、大急ぎだったのです。

 おなかはすいたけれど、開演10分前に奏楽堂の一番前の席に座りました。テレビなどで吉原すみれの演奏などは聴いてきたけれど、生で打楽器だけのコンサートを聞くのは初めてでした。
 芸大打楽器科の学部生と院生による打楽器演奏会。トムトム、コンガ&ボンゴ、カウベル、ギロ、マラカスなどをつかった軽快なリズムの曲が2曲。続いて、マリンバの曲。いろいろある楽器の中で、マリンバ大好きです。小学校の音楽部で私の担当楽器がマリンバでした。中学校ではアコーディオンになったのですが、今でも練習してみたいのは、ピアノとマリンバです。

 フレクサトーンというはじめて聞く打楽器の演奏もありました。とてもおもしろい音の響き。金属板をマレットで叩いたり弓でこすったりして音を出します。金属板を曲げることで音程が変わります。
 youtyubeの演奏でフレクサトーンという楽器の音色はおよそわかるのですが、私が聞いた坪能克裕の作曲の「フレクサトーン四重奏」はもっとメリハリがあって楽しい曲でした。
http://www.youtube.com/watch?v=ACyXnZEJ-U8&feature=related

 おなじみの2台のマリンバでの「クマンバチの飛行」、ルロイ・アンダーソンのシンコぺーティドクロックやタイプライター、そりすべりなどのおなじみの曲、とても楽しいコンサートでした。

 17日土曜日は、葛西臨海水族園と上野動物園をはしごしました。ぐるっとパスの入場券があるのでと思って水族園へ行ったら、敬老の日記念に60歳以上は1週間無料と掲示があり、そんなら動物園も無料だと思って、水族園はひとまわりしただけで、動物園へ。
 上野のパンダ見物は、夏休みあたりでも、1時間待ちとか2時間待ちという話があったので、9月の3連休の初日、どんなもんだろうと覗いてみると、行列というほどのものではなく、すぐにパンダ舎に入れました。

 3時半ころ。ちょうどパンダの夕食タイム。シンシン(真真)はおすわりして竹をむしゃむしゃ食べていました。係員は「写真はフラッシュ禁止。立ち止まらず、シンシン一枚、リーリー(力力)1枚撮ったら出口へ移動して下さい」と叫んでいます。シンシンは食べる姿がかわいかったですが、リーリーはもう食べ飽きたらしく、「たれパンダ」をやっていました。台にもたれて、グテ~ッとたれているのです。たれパンダはキャラクターであって、ほんとうにこんなふうにたれているとは思いませんでした。
 これまではパンダを見たと言っても、ほとんど昼間の見物だったので、こんなふうに食事したり歩き回ったりするパンダを見るのは久しぶりのことです。たれているのは初めて。

 一度出口へ出て、もう一度入り口へ。また、「立ち止まらないでください」という係員の大声を聞きながら、「大人用うしろの通路」を通過。子ども連れは前列で、よい角度で写真を撮れますが、大人おひとり様なので、前列には行けず、後列に並ぶチビの私は、前列の大人の頭がじゃまになってなかなかいい角度では撮れません。リーリーは、もうたれずに歩き回っていました。

 タケノコを食べる上野動物園のパンダ、リーリー
http://www.youtube.com/watch?v=eezTne-wraw

 池の中にできた「アイアイのすむ森」「レムールの森」を通って、マダガスカルに住むワオキツネザルやアイアイも見て、 西園でカバが大口あけているところを写真に撮りました。

 上野駅公園口から台東区のコミュニティバス「めぐりん」を利用して(100円)で浅草へ。「秋の野菜天丼」千円を食べて、浅草寺にお参りして帰りました。夜に来たことがなかったので、五重塔や本堂のライトアップをはじめて見ました。
 おひとり様でも楽しい東京見物。大人の遠足、まだまだ続く。

<つづく>
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2011年09月21日


ぽかぽか春庭「ブルーライト横浜たそがれ」
2011/09/21
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011>夏のおでかけリポート2011(7)ブルーライト横浜たそがれ

 9月19日は、敬老の日の姑訪問を予定していました。けれど、姑が「21日に先日の病院検査結果を聞きに行きたいから、結果を知って落ち着いてからのほうがいい」というので、敬老訪問は延期。私は21日は仕事なので病院へは同行できず、夫と娘がおばあちゃんの付き添いをすることになりました。よって、私の予定、19日がぽっかり空きました。

 そこで「夏休み大人の遠足東京めぐり」の拡大版、横浜まで足を伸ばしてみることにしました。朝早く家を出て、みなとみらい線でまず横浜中華街駅へ。19日は真夏のような暑さでした。ハマの太陽、遠慮もなく照りつける。
 山下公園では、ビッグイベント、横浜トライアスロンが行われています。「今は女子選手のランです」という案内ボランティアの話でしたが、本日の私のメインイベントは「西洋館&安野光雅」なので、港の見える丘公園へ。
 急な階段を上り、途中で元のフランス領事館の廃墟や井戸を見て、ちょっと一休み。
 
 10時開館と同時に大佛次郎記念館へ。私にとっては、大佛は『天皇の世紀』や『パリ燃ゆ』の作家。『赤穂浪士』はテレビで長谷川一夫が「おのおのがた」と言っていたのは覚えているけれど、原作読んだこと無し。大佛を一番身近に感じるのは、大佛次郎賞に傑出した作品が多くあることくらいかな。

 建物は、1978年度の神奈川県下建築コンクール最優秀賞や第20回建築業協会賞などを受賞したということで、港の見える丘公園周辺の西洋館とも調和している感じでした。
 猫が好きで、猫グッズを集めていたということで、記念館の中には猫グッズがたくさんありました。階段ロビーにある照明ランプの上にもひとつひとつ猫が座っています。写真を撮っていたら、係の人が「電気つけるともっとランプがきれいなんですが、節電なので。でも、写真とる間だけちょっとつけましょう」と言って、数分だけ点灯してくれました。
 隣の神奈川近代文学館で「安野光雅とアンデルセン」展を見ました。

 イギリス館と山手111号館も見学しました。明治の開港以後、外国人居留地など、横浜は西洋館が多く建てられた土地。外観もしゃれていますが、当時の日本人からみたら、キッチンや風呂場などもずいぶんとモダンで別世界のように思えたろうなあ。山手公園から港の見える丘公園周辺には、近代西洋館がたくさん残されています。

 今、私の専攻は「社会文化」「言語文化」ですが、そのほか興味を持っている「文化資源学」の面からも横浜はとても興味深い町です。文化資源学とは、有形無形の文化を調査発掘再評価記録・保存しようという学問です。一般には世界遺産や国宝・重文級の文化に注目が集まりますが、日常の暮らしの中に埋もれ、あまり注目されることのなかった事柄を新たな目で発見することが重要です。これまでの民俗学、観光学などが行ってきた研究にあらたな視野から知見を加えていくこともできます。

 文化資源学の立場から言うと、「鎮守の森」の保存を訴えた南方熊楠や、全国の漁民常民文化を記録した宮本常一は偉大な先駆者ですし、先日ユネスコの世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画家、山本作兵衛(1892-1984)の仕事、すばらしいものです。
 この夏、富岡製糸場を訪問されたとき、皇后が「よくぞ残して置いてくれました」という感想を伝えた、というニュースを見ました。古いものを捨て去り、より新しくより経済的生産的なものに換えていくのが20世紀でしたが、21世紀も10年過ぎ「人類の遺産はみんなの宝物」という考え方が一般にも浸透してきました。

 次は氷川丸見学。ものすごく久しぶりに乗船したのだけれど、ささっと見て回る。こちらも、すでに航海はできなくなった老船を観光資源として残したもの。今回の「ささっと見学で一番印象に残ったのは、氷川丸の重要な積み荷であった「輸出用絹の梱包」の展示。梱包用のアンペラは今では使われなくなっているため、当時の梱包材が現存していることは貴重、と解説が書かれていました。アンペラ藺(い)は、カヤツリグサ科の多年草(インド・マレー地方原産)で、行李やムシロを編みました。絹は大事な輸出品だったので、大切に梱包されて船で運ばれました。

 西洋館、氷川丸をまわって、一番横浜観光っぽい見学場所として、シーバスに乗ることにしました。横浜駅東口まで700円。
 そごうデパートの美術館で安野光雅展に寄ってから、桜木町駅へバスで。日が落ちてからランドマークタワー夜景、という「おのぼりさんコース」を満喫しました。

 私の世代には、横浜といえば、ブルーライト横浜、とか横浜たそがれ。鼻歌気分で夜景を楽しみ、デート中のカップルが多い中、おひとり様の遠足を割り込ませて、夜景の写真など撮りました。カップルの男性が「今日は敬老の日で無料だから、いつもよりジーサンバーサンが多いなあ」と言っていました。65歳以上は無料だけど、すみませんねぇ、まだ敬老にもなっていないのに、あんた達のなかにひとりで割り込んでしまって。ふん、いつまでも若いと思うなよ。横浜のたそがれは早い。「秋の日はつるべ落とし」な~ん言ったところで、「つるべ」も絶滅危惧語で若い人には通じない、とたそがれてみました。

<つづく>

2011/09/24
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011>夏のおでかけリポート2011(9)秋分の日下町散歩

 街歩きを続けています。秋分の日、23日は下町へ。水天宮からヤマサ醤油が建てたミユゼ濱口陽三ヤマサコレクションをちらりと見てから隅田川大橋へ。上流の清洲橋と下流の永代橋を見るのにとてもいい。
 清洲橋の真ん中からスカイツリーが見える構図で写真を一枚。船宿の屋形船も画面に入れて、いい感じ。

 仙台堀川にかかる清澄橋を渡りました。このあたりは、運河が縦横に走っている地域。江戸時代は運河が江戸交通の要だったのだけれど、中心部の運河の多くは埋め立てられてしまいました。うちの団地の裏道も元は掘でした。かっては、船が入ってきていた所だったのですが、今は地名に「掘」という文字が残されているのみ。

 下町は開発が遅れたおかげで、掘や橋が残っていて、「橋巡り」が大好きな私にとっては絶好のロケーション。今回は行かなかったのですが、私の好きな橋のひとつに八幡橋があります。赤いきれいな橋で、日本最古の鉄橋のひとつ、重要文化財です。富岡八幡宮の南にありますが、この橋がかかっていた八幡堀も現在は埋め立てられて遊歩道になっています。したがって、橋は川にかかるのではなく、遊歩道を跨いでいます。

 清澄橋から江戸深川資料館へ行こうとしていたのですが、ポストがあったので、青い鳥通信を投函。すると、女の人が「すみません、ボールペン持っていたら貸して」と言ってきました。「封筒に御中って書くのを忘れちゃって」と言うのです。ボールペンを貸したついでに「清澄公園って、こっちの方向でいいんですよね」とたずねました。清澄公園を通り抜けた先に江戸深川資料館があるはずです。

 私は地図を見ながら迷ってしまう方向音痴、近所の人に尋ねる方が、地図を見て「こっちだ」と思って歩き出すより確実です。先日もミサイルママの息子が出演している劇を見に行こうとして、1時間もぐるぐる地図を見ながら迷いました。
 女の人は「ええ、あそこを左に曲がるの」と、曲がり角までいっしょに歩いてくれました。あらま、私が地図を見て行こうとしていた方向と違っていました。ボールペン貸してよかった。

 女の人は歩きながら「今日2時からボランティアガイドが清澄庭園の説明をしますよ」と教えてくれました。それで江戸深川資料館ではなく清澄庭園へ行くことにしました。清澄公園に入ったことはあるのですが、清澄庭園は入ったことなかった。有料だから。でも、料金表を見たら有料といっても150円でした。

 女の人が言っていた通り、正門の中にボランティアガイドさんが待機していました。10人ほど人が集まってところでガイドツアー第1陣が出発。第1陣担当ガイドさんは、は定年退職したあと生き甲斐を求めてボランティアをしているとおぼしきロマンスグレー紳士。「神長です」と自己紹介していました。残念ながら声が小さい。すぐ目の前にいる人にしか説明が聞こえず、うしろの方に立っていると耳が遠くなっている私には聞こえない。私の後ろにいたおばさん二人組は「声ちいさいから、ガイドツアー第2陣のほうにしようか」と、こそこそ言っていたのですが、最後までいっしょでした。

 清澄庭園の来歴や、庭園内の見所をファイルを見ながら説明してくれました。3.11の地震のため、庭内の石灯籠などで倒れてしまった箇所がたくさんあり、危険もあるので気をつけて歩いて下さい、とのこと。庭内に集められた日本各地からの名石について、佐渡の赤石、伊予の青石などの説明がありました。ガイドさんは、「春には桜が、梅雨時には菖蒲が見頃になり、11月には紅葉がきれいなんですけれど、今時が一番園内に彩りがなくて」と言っていましたが、ところどころに赤い曼珠沙華が咲いています。

 清澄庭園の来歴。もと、ここには元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったのだけれど、文左衛門はお取りつぶしになり、江戸中期以後には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷。明治になって三菱財閥を築いた岩崎弥太郎のものに。三菱三代目の岩崎久弥から東京市に寄付され公園となりました。貞明皇后の葬場殿の材料を使った大正記念館とか、1909(明治42)年に建てられた数寄屋造りの涼亭などの建物の説明もありました。

 帰りは、地下鉄の清澄白河駅へ行こうとしてまた間違えた。花屋の奥さんに教えてもらいました。下町の人はみな親切です。この次はもっとゆっくり下町橋巡りをしたいです。

 群馬の大詩人萩原朔太郎は「大渡橋」など、故郷の橋を描いた詩があり、前橋文学館前の橋は「朔太郎橋」と命名されています。鉄橋を題材にした詩。

「鐵橋橋下」 萩原朔太郎
人のにくしといふことば/われの哀しといふことば/きのふ始めておぼえけり
この市(まち)の人なになれば/われを指さしあざけるか
生れしものはてんねんに/そのさびしさを守るのみ
母のいかりの烈しき日/あやしくさけび哀しみて/鐵橋の下を歩むなり
夕日にそむきわれひとり
(滯郷哀語篇より)

今朝、toliton717さんのところにおじゃましたら、竹内まりやの「人生の扉」が紹介されていました。そこで、私は故郷の橋と宿場町が紹介されているバージョンをお届けします。
http://www.youtube.com/watch?v=hgTJUOvrYiY&feature=related

<つづく>
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