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ぽかぽか春庭「父と暮らせば」

2012-08-07 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/08/07
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>女性と災厄(2)父と暮らせば

 本日、8月7日、午後1時からBSNHKプレミアムで映画『父と暮らせば』の放映があります。ぜひ、ごらんください。私も再度視聴します。

 『父と暮らせば』は、井上ひさしの舞台劇を、ほぼそのままの台詞での脚本で、映画化されています。
 舞台版では、登場人物は父(福吉竹造)と娘(福吉美津江)のふたりだけ。娘に思いを寄せる青年(木下正)は、台詞で語られるだけで、舞台に登場はしません。
2008こまつ座

 映画版では、娘(宮沢りえ)が働いている図書館のシーンがあり、図書館に資料を探しに来る青年(浅野忠信)が登場します。また、青年が原爆資料を運ぶリヤカーの移動の道筋として、焼け野原の広島の光景が再現され、原爆ドームや丸木夫妻が描いた原爆図が画面に登場します。
宮沢りえと浅野忠信
 
 広島・長崎の原爆投下は、人類がこれまでに被った最大の災厄です。地震も津波も大きな災厄ではありますが、人が人の上に人為的に成し遂げるという意味では、最大の災厄だったと言えます。1945年8月6日と9日、一瞬のうちに、20万人以上が無残な死を遂げ、原爆症での病死も入れると、広島長崎の死者は、40万人に及びます。
 その後70年近くたつ今でも、まだ、原爆症に苦しむ人がおり、被爆者に発がんリスクが高くなるという統計上の事実があります。

 アメリカでは、いまだに「戦争早期終結のために、原爆投下はやむを得なかった。この措置によって、日本本土決戦はなくなり、多くのアメリカ兵の命がムダにならずにすんだ」という、アメリカが最初に公式見解として流布した言説を信じている人も多い。

 しかし、数多くの証言や公文書情報公開によってオープンになったことから、「アメリカは、日本がポツダム宣言受諾準備をしていることを知っていた。B29の偵察により、日本にはすでに本土決戦の戦闘能力がないことも知っていた。アメリカ政府は、日本がソ連に和平工作を打診することを恐れ、トルーマン大統領は、戦後のヘゲモニー掌握のために原爆を落とした」ということが明らかになっています。
 アメリカが戦後世界の覇者となるために、広島長崎の40万人の罪のない女性や子ども、年寄りが地獄の苦しみを味わって死んでいったのです。

 そして、広島長崎で生き残った者にとっても、生き残ったこと自体が苦しみとなって、残された者の心をむしばみました。
 『父と暮らせば』は、父親と親友を原爆で失った娘美津江の長い苦しみと、その心を救い、娘を幸福に導きたいと願う父の切なる思いが交錯する物語です。以下、ネタバレを含む紹介です。未見の方、午後1時からの放映を見てからお読みください。
 
 戦後3年経つ広島で、図書館に勤めて一人暮らしを続けている美津江。
 美津江は最近「ときどき家に戻ってくるようになった父」との会話にも、何の不自然さも感じていません。戦争前、早くに亡くなった母に代わって美津江を育ててくれた父だから、今でも会話できて当然のように、仕事先の図書館のことも、昔の親友のことも話し合います。
 
 美津江の親友は、赴任先の学校の勤労動員で他市の工場勤めに配属されていました。しかし、8月6日、たまたま学校の用事のため広島に戻っていて被爆し、亡くなりました。親友の母は、「なぜ、うちの娘が死んで、あんたが生き残ったのか」と、美津江に言います。

 美津江の心の奥底には、生き残ったことへの罪悪感が澱のように沈んでいます。死んだ人のことを思えば、自分は幸福など求めてはいけないのだ、と常に言い聞かせて生きてきたのです。父と話すうち、親友の死以上に、つらい記憶で、これまでその記憶にフタをしてきたことも見つめるようになります。

 父竹造は、「幸福になることに後ろめたさなんぞ感じてはいけない。娘が幸福になることこそ、父への親孝行。わしは、娘の恋の応援団長だ」と、娘を励まし続けます。
 
 美津江が思いを寄せる木下正は、原爆の資料を集め続け、原爆の記憶を風化させまいと研究を続けている青年です。美津江もまた、親友と続けてきた「昔話を語り継ぐ」活動の先に、「原爆を語り継ぐことの大切さ」を、青年とのやりとりで、また父との会話で自分の使命として気づかされていきます。

 この作品での「父との会話」とは、美津江の心の中のふたつの内面による対話だと思います。美津江は、木下正に惹かれる思いと、多数の死者の間に生き残った自分は幸福など求めてはいけない存在だ、と自分に言い聞かせようとする罪悪感の板挟みになっています。自分の思いがふたつに分裂して、幸福を否定する自分と、幸福に向かう自分を祝福する父の会話になったのだと思われます。

 ラストに美津江が木下のために、かやくご飯を作るシーンがあります。美津江が人参を刻む包丁のリズムが、記憶を蘇らす刻印でもあるかのようにトントンと空に昇っていきます。そこは原爆ドームからのぞく青空があります。
 美津江は、晴れ晴れとした顔になり、「おとったん、ありがとありました」と、父への感謝を語ります。
 
 自分が経験し、見て来たことを次世代に伝えること。なんら付け加えたり改変したりせずに、ありのままを伝えること」この使命を自覚することで、美津江の思いは昇華していきます。

 多くの災害で、生き残った者が死んでしまった人に対して罪悪感を感じてしまうことは、社会心理学の研究でも明らかにされています。美津江が親友に対して感じたように、なぜ、あの人が死んで、自分の方が生き残ったのかと、思いは沈潜してしまいます。
 3年間、美津江が思いを封じ込めてきたのと同じように、災厄の記憶を封じ込めてしまった人もいるのではないかと思います。でも、美津江が到達したように、思いは封じ込めることでは決して消えてしまわない。語り継ぎ、真実を伝えることで、記憶は昇華するのです。

 映画ラストシーンでは、美津江の上へカメラがパンして昇っていくと、原爆ドームの屋根になります。内部からドームの屋根を見上げる映像です。

 以下の画像は原爆ドームを内部から見たというストリートビューからのものです。
 Googleは2011年8月に広島市の協力のもと、通常では立ち入りできない建物内部を360度撮影し、公開しました。
 原子爆弾投下から66年経った内部のストリートビュー公開によって、「日本のみならず世界中の人々が少しでも広島について興味を持ち、原爆ドームさらには平和について考えるきっかけになることを祈っています」というのが、Google社のコメント。去年の夏のことなのに、広島市とGoogle社がそんなコラボレーションをしていたなんて、私は知りませんでした。


 心の中に閉じ込めたままの思いがあるなら、どうぞ、心からそれを無理にでも引き出し、語り伝えてください。どのようなつらい記憶であっても、真実の心の叫びとして、さまざまな災厄の記憶を語り伝えてくださることで、亡くなった人も、ともに私たちとここにいることができます。



<つづく>

文蛇の足跡:
 宮沢りえ、ママと離れない限り、いつかは離婚すると思ったけれど、離婚協議は進んでいるのかしら。離れて暮らす夫よりも、女優業を優先させることを選んだりえちゃん、女優としてますます美しく大きく強く羽ばたいてください。
コメント (5)
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