2012/08/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>女性と災厄(3)灼熱の魂
死んだはずの父親が、主人公にずっと付き添っている、という『父と暮らせば』と同様の設定をした創作が、フランス語戯曲にもあります。ワジディ・ムアワッド作『沿岸(Littoral)頼むから静かに死んでくれ』
戯曲は、れんが書房新社 から出ています。(2010/06)
この作品は、「約束の血」第1部として1997年に発表され、日本では静岡芸術劇場にて、ワジディ・ムアワッド作・演出のフランス語劇として2010年6月に上演されました。翻訳の字幕は出たのでしょうが、フランス語での上演ですから、私のアンテナにはまったく入ってこなかった演劇でしたが、『灼熱の魂』の第一部ということなら、戯曲を読んでみようと思います。
ムアワッドは、1968年ベイルート(レバノン)生まれ。1975年、ムワマッドが7歳のときレバノン内戦が始まりました。レバノンには、キリスト教徒とイスラム教とがほぼ同数暮らしていましたが、独立を主導したキリスト教徒(マロン派)が政治的に優位であったため、周辺のイスラム教圏の国とさまざまな軋轢があり、ことにイスラエルとパレスチナの争いに大きな影響を受け、内戦へと進んでしまいました。
ムアマッドは、8歳のときに家族とともに、内戦が続く故国を離れフランスへ亡命します。1983年にカナダ・モントリオールに永住し、カナダ国立演劇学校を91年に卒業しました。
自らの劇団持って戯曲を発表、2002年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエを受勲するなど、戯曲執筆や演出など、多彩な演劇活動を続けています。
ムアワッドが「約束の血」第2部として書いたのが、『焼け焦げるたましい 原題:Incendies(火事)』です。(2003年初演)
四部作は、「約束の血」第3部『Forêt(森)』2006、「約束の血」第4部完結編『Ciels空』
カナダ映画『灼熱の魂』は、『Incendies(火事)焼け焦げるたましい』を原作としています。
フランス語圏ケベック州に住む双子の姉ジャンヌと弟シモンが、母ナワル・マルワンの遺言に従って、これまで知らされることのなかった実の父と兄をさがす物語。以下、ネタバレを含む紹介です。
主人公である母は、映画の冒頭、プールで倒れ亡くなります。母は、通常の母らしい親とはどこか違っており、とくに弟は、違和感を抱き続けて成長してきました。
母親は遺言として、双子に「父親と兄をさがすこと」を義務づけていましたが、弟は反発します。いままで一度だって、母は兄のことなど話したことはなく、父は死亡していると言われていたからです。
ジャンヌとシモン姉弟に2通の手紙が残されます。母ナワルは、自らの葬儀について、遺言します。
「葬儀について。棺には入れず祈りもなし、裸で埋葬してほしい。世の中に背を向け、うつぶせの状態で。
墓石と墓碑銘について。墓石はなし。私の名はどこにも刻まないこと。約束を守れぬ者に墓碑銘はない。
ジャンヌへ。その封筒はあなたの父親宛です。彼を見つけ、封筒を渡して。
シモンへ。その封筒はあなたの兄宛です。彼を見つけ、封筒を渡して。
2つの封筒が相手に渡されたら、あなたたちへの手紙を開封してよい。沈黙が破られ、約束が守られる。その時初めて私の墓に墓石が置かれ、名前が刻まれる。
つまり、ジャンヌとシモンが実の父と兄を捜し出して、ナワルからの手紙を渡さないことには、墓に名を刻むこともできない、遺言となる子ども達への手紙を読むこともできない、という内容でした。
姉ジャンヌは一足先に母の故郷の中東を訪ね、母が過ごした過酷な内戦の歴史を知っていきます。人と人が限りなく憎しみあい、宗教の違い民族の違いによって血で血を洗い、憎悪を増幅させていく中で、ナワルがどのようにしてこの憎しみの連鎖の中から脱出し、双子の子をカナダで成人させるまでの人生をたどってきたのか。ジャンヌは数々の人々の証言をもとに母の一生を知っていきます。
パスポートなどの遺品から、母が生まれた村を探し当てたジャンヌ。
ジャンヌが最初に訪れたのは、母の生まれ育った辺境の村でした。通訳を通して会話する村の女たちは、最初はジャンヌに好意的だったのに、ナワルの名を耳にしたとたん、態度を変え、村の名誉を穢した女の娘を村に入れるわけにはいかない、と言います。
ナワルは異教徒と恋に落ち、秘密裏に赤ん坊を産み落としたという過去を持っていました。その赤ん坊こそが、ジャンヌとシモンが母から手渡すよう手紙を託された兄でした。生みおとした息子を育てることを禁じられたナワルは、息子の踵に三つの星印を刻印してもらいます。いつか生きて会えるかも知れぬときの目印として。
ナワルは、「嫁には出せぬ体」になったゆえ、大学で学んで自立することを許されます。大学での生活のなかで、ナワルは民族と民族、宗教と宗教が対立する中東の問題点を知っていきます。
産み落としてすぐに引き裂かれた息子ニハドが、孤児院で暮らしていることを知ったナワルは、ようよう孤児院のあった場所を探しあてます。しかし、孤児院は襲撃され、子ども達は皆殺しにされたあとでした。
また、ナワルの乗ったバスの乗客も無差別に、女も子どもも殺されました。ナワルは、孤児院やバスを襲撃した一派に対して報復を誓い、テロリストとなります。
有力政治家暗殺を実行したナワルは、15年もの間、牢獄につながれます。
牢獄では、15年間、拷問が続きました。すべての女囚から最も恐れられた拷問は、看守による過酷な暴力とレイプでした。ナワルは、拷問の間、歌い続けることによって自らの心を守り、15年を堪え忍びました。
ジャンヌが政治犯の記録からたどり着いた場所は、テロリストなどの政治犯を収容する監獄でした。母ナワルは、かって中東で「歌う女」という呼び名で知られていました。15年間、牢獄につながれ、度重なる非道な拷問にも屈することなく、拷問の間中歌い続けることにより、「地獄を生き延びた女闘士」が、ナワルでした。
母の過去を辿ることを拒否していた弟シモンも、ジャンヌのもとにやってきます。しかし、実の父と兄にはたどりつかないままカナダに戻ることになりました。
カナダケベック州の地元で、ようやく双子が父と兄についての真実を知るときが来ます。
母が亡くなったプールでの出来事。恐ろしく悲しい、しかし人生のひとつの真実が明らかになります。プールサイドで知った真実のために母の魂は焼き尽くされ、ナワルは心身耗弱して亡くなったのでした。
ナワルがプールサイドで知った真実は、ギリシャ悲劇オイディプス王を思い出させるものでした。作者のムアワッドは、演出家として「オイディプス王」や「トロイアの女」を上演していますから、その作品に「オイディプス王」の悲劇を潜ませたことが、考えられます。
もちろん、ナワルはイオカステーそのままではありません。イオカステーは自らの意志で運命を選んだのではありません。一方、ナワルは、ただ運命に従って生きたのではなく、自らの意志で異教徒との恋の結果を産み落とし、自らの意志でテロリストとなったのです。
レイプの結果の双子を産んだあと、ナワルはレイプの相手である看守によって牢を脱出する機会を与えられます。
カナダに渡ったのち、ナワルは地味な生活を選び、女手ひとつで、ふたりの子を育て上げました。母としての意志によってです。
最後に、ナワルは手紙の中にこう書いたことが明らかになります。「ジャンヌとシモンの父となった男を、許す。彼を許し、愛し続ける」と。
ナワルからジャンヌとシモンへの手紙。
「どこから物語を始める?あなたたちの誕生?―それは恐ろしい物語。あなたたちの父親の誕生?―それはかけがえのない愛の物語。あなたたちの物語は約束から始まった。怒りの連鎖を断つために。あなたたちのおかげで約束は守られ、連鎖は断たれた。やっとあなたたちを腕に抱きしめ、子守歌を歌い、慰めてあげられる。共にいることが何よりも大切……。心から 愛してる」。
母ナワルの手紙で「自分たちの誕生によって、憎悪の連鎖を断ち切り、憎しみの増幅ではなく、愛と慰めが存在出来たのだ」と知らされた双子は、この真実の物語をどう受け止めたのでしょうか。ナワル自身でさえ、真実を知ったあと、心神耗弱して死に至ったほどの衝撃は、双子にとっていかほどのものだったのでしょうか。
母を埋葬するシーンの双子は、おだやかに母を見送っているように思えたのですが、私が子の立場なら、受け入れることがむずかしい事実だったと思います。
生み、育てる性=女性の強靱な美しさは、何ものによっても損なわれない。テロの嵐の中でも、残酷な真実の中でも。
ナワルは、真実の残酷さに心折れて亡くなりましたが、強い人生を生き抜いた女性だったと思います。双子は、母の一生を心に思い、受けた命を「憎しみの連鎖を断つ」ものとして、生き続けてほしいと思うのだけれど、双子のその後は、語られていません。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>女性と災厄(3)灼熱の魂
死んだはずの父親が、主人公にずっと付き添っている、という『父と暮らせば』と同様の設定をした創作が、フランス語戯曲にもあります。ワジディ・ムアワッド作『沿岸(Littoral)頼むから静かに死んでくれ』
戯曲は、れんが書房新社 から出ています。(2010/06)
この作品は、「約束の血」第1部として1997年に発表され、日本では静岡芸術劇場にて、ワジディ・ムアワッド作・演出のフランス語劇として2010年6月に上演されました。翻訳の字幕は出たのでしょうが、フランス語での上演ですから、私のアンテナにはまったく入ってこなかった演劇でしたが、『灼熱の魂』の第一部ということなら、戯曲を読んでみようと思います。
ムアワッドは、1968年ベイルート(レバノン)生まれ。1975年、ムワマッドが7歳のときレバノン内戦が始まりました。レバノンには、キリスト教徒とイスラム教とがほぼ同数暮らしていましたが、独立を主導したキリスト教徒(マロン派)が政治的に優位であったため、周辺のイスラム教圏の国とさまざまな軋轢があり、ことにイスラエルとパレスチナの争いに大きな影響を受け、内戦へと進んでしまいました。
ムアマッドは、8歳のときに家族とともに、内戦が続く故国を離れフランスへ亡命します。1983年にカナダ・モントリオールに永住し、カナダ国立演劇学校を91年に卒業しました。
自らの劇団持って戯曲を発表、2002年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエを受勲するなど、戯曲執筆や演出など、多彩な演劇活動を続けています。
ムアワッドが「約束の血」第2部として書いたのが、『焼け焦げるたましい 原題:Incendies(火事)』です。(2003年初演)
四部作は、「約束の血」第3部『Forêt(森)』2006、「約束の血」第4部完結編『Ciels空』
カナダ映画『灼熱の魂』は、『Incendies(火事)焼け焦げるたましい』を原作としています。
フランス語圏ケベック州に住む双子の姉ジャンヌと弟シモンが、母ナワル・マルワンの遺言に従って、これまで知らされることのなかった実の父と兄をさがす物語。以下、ネタバレを含む紹介です。
主人公である母は、映画の冒頭、プールで倒れ亡くなります。母は、通常の母らしい親とはどこか違っており、とくに弟は、違和感を抱き続けて成長してきました。
母親は遺言として、双子に「父親と兄をさがすこと」を義務づけていましたが、弟は反発します。いままで一度だって、母は兄のことなど話したことはなく、父は死亡していると言われていたからです。
ジャンヌとシモン姉弟に2通の手紙が残されます。母ナワルは、自らの葬儀について、遺言します。
「葬儀について。棺には入れず祈りもなし、裸で埋葬してほしい。世の中に背を向け、うつぶせの状態で。
墓石と墓碑銘について。墓石はなし。私の名はどこにも刻まないこと。約束を守れぬ者に墓碑銘はない。
ジャンヌへ。その封筒はあなたの父親宛です。彼を見つけ、封筒を渡して。
シモンへ。その封筒はあなたの兄宛です。彼を見つけ、封筒を渡して。
2つの封筒が相手に渡されたら、あなたたちへの手紙を開封してよい。沈黙が破られ、約束が守られる。その時初めて私の墓に墓石が置かれ、名前が刻まれる。
つまり、ジャンヌとシモンが実の父と兄を捜し出して、ナワルからの手紙を渡さないことには、墓に名を刻むこともできない、遺言となる子ども達への手紙を読むこともできない、という内容でした。
姉ジャンヌは一足先に母の故郷の中東を訪ね、母が過ごした過酷な内戦の歴史を知っていきます。人と人が限りなく憎しみあい、宗教の違い民族の違いによって血で血を洗い、憎悪を増幅させていく中で、ナワルがどのようにしてこの憎しみの連鎖の中から脱出し、双子の子をカナダで成人させるまでの人生をたどってきたのか。ジャンヌは数々の人々の証言をもとに母の一生を知っていきます。
パスポートなどの遺品から、母が生まれた村を探し当てたジャンヌ。
ジャンヌが最初に訪れたのは、母の生まれ育った辺境の村でした。通訳を通して会話する村の女たちは、最初はジャンヌに好意的だったのに、ナワルの名を耳にしたとたん、態度を変え、村の名誉を穢した女の娘を村に入れるわけにはいかない、と言います。
ナワルは異教徒と恋に落ち、秘密裏に赤ん坊を産み落としたという過去を持っていました。その赤ん坊こそが、ジャンヌとシモンが母から手渡すよう手紙を託された兄でした。生みおとした息子を育てることを禁じられたナワルは、息子の踵に三つの星印を刻印してもらいます。いつか生きて会えるかも知れぬときの目印として。
ナワルは、「嫁には出せぬ体」になったゆえ、大学で学んで自立することを許されます。大学での生活のなかで、ナワルは民族と民族、宗教と宗教が対立する中東の問題点を知っていきます。
産み落としてすぐに引き裂かれた息子ニハドが、孤児院で暮らしていることを知ったナワルは、ようよう孤児院のあった場所を探しあてます。しかし、孤児院は襲撃され、子ども達は皆殺しにされたあとでした。
また、ナワルの乗ったバスの乗客も無差別に、女も子どもも殺されました。ナワルは、孤児院やバスを襲撃した一派に対して報復を誓い、テロリストとなります。
有力政治家暗殺を実行したナワルは、15年もの間、牢獄につながれます。
牢獄では、15年間、拷問が続きました。すべての女囚から最も恐れられた拷問は、看守による過酷な暴力とレイプでした。ナワルは、拷問の間、歌い続けることによって自らの心を守り、15年を堪え忍びました。
ジャンヌが政治犯の記録からたどり着いた場所は、テロリストなどの政治犯を収容する監獄でした。母ナワルは、かって中東で「歌う女」という呼び名で知られていました。15年間、牢獄につながれ、度重なる非道な拷問にも屈することなく、拷問の間中歌い続けることにより、「地獄を生き延びた女闘士」が、ナワルでした。
母の過去を辿ることを拒否していた弟シモンも、ジャンヌのもとにやってきます。しかし、実の父と兄にはたどりつかないままカナダに戻ることになりました。
カナダケベック州の地元で、ようやく双子が父と兄についての真実を知るときが来ます。
母が亡くなったプールでの出来事。恐ろしく悲しい、しかし人生のひとつの真実が明らかになります。プールサイドで知った真実のために母の魂は焼き尽くされ、ナワルは心身耗弱して亡くなったのでした。
ナワルがプールサイドで知った真実は、ギリシャ悲劇オイディプス王を思い出させるものでした。作者のムアワッドは、演出家として「オイディプス王」や「トロイアの女」を上演していますから、その作品に「オイディプス王」の悲劇を潜ませたことが、考えられます。
もちろん、ナワルはイオカステーそのままではありません。イオカステーは自らの意志で運命を選んだのではありません。一方、ナワルは、ただ運命に従って生きたのではなく、自らの意志で異教徒との恋の結果を産み落とし、自らの意志でテロリストとなったのです。
レイプの結果の双子を産んだあと、ナワルはレイプの相手である看守によって牢を脱出する機会を与えられます。
カナダに渡ったのち、ナワルは地味な生活を選び、女手ひとつで、ふたりの子を育て上げました。母としての意志によってです。
最後に、ナワルは手紙の中にこう書いたことが明らかになります。「ジャンヌとシモンの父となった男を、許す。彼を許し、愛し続ける」と。
ナワルからジャンヌとシモンへの手紙。
「どこから物語を始める?あなたたちの誕生?―それは恐ろしい物語。あなたたちの父親の誕生?―それはかけがえのない愛の物語。あなたたちの物語は約束から始まった。怒りの連鎖を断つために。あなたたちのおかげで約束は守られ、連鎖は断たれた。やっとあなたたちを腕に抱きしめ、子守歌を歌い、慰めてあげられる。共にいることが何よりも大切……。心から 愛してる」。
母ナワルの手紙で「自分たちの誕生によって、憎悪の連鎖を断ち切り、憎しみの増幅ではなく、愛と慰めが存在出来たのだ」と知らされた双子は、この真実の物語をどう受け止めたのでしょうか。ナワル自身でさえ、真実を知ったあと、心神耗弱して死に至ったほどの衝撃は、双子にとっていかほどのものだったのでしょうか。
母を埋葬するシーンの双子は、おだやかに母を見送っているように思えたのですが、私が子の立場なら、受け入れることがむずかしい事実だったと思います。
生み、育てる性=女性の強靱な美しさは、何ものによっても損なわれない。テロの嵐の中でも、残酷な真実の中でも。
ナワルは、真実の残酷さに心折れて亡くなりましたが、強い人生を生き抜いた女性だったと思います。双子は、母の一生を心に思い、受けた命を「憎しみの連鎖を断つ」ものとして、生き続けてほしいと思うのだけれど、双子のその後は、語られていません。
<つづく>