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ぽかぽか春庭「英国王の植物園・大陽王の紋章」

2012-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/08/21
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(3)英国王の植物園・大陽王の紋章

 新大陸に咲いていたヒマワリが、スペイン人によってヨーロッパに紹介されたのち、ヒマワリについて書かれた最初の花譜は、モナルデスとフランプトン(Monardes & Frampton)が1569年にスペイン語で書いた『西インド諸国到来の薬草史“Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales 』という書です。ニコラス・モナルデスは医師として薬草の研究をしており、スペイン王立植物園でヒマワリを薬草として栽培していました。

 モナルデスの本に書かれたことはすぐに英国にも伝わり、1577年には翻訳されました。『新発見大陸からの有益なニュース“Ioyfull newes out of the New-found Worlde )』

 英国の園芸家ジェラルド(Gerarde)は、1597年に、“The Herball”という本に、自らの観察結果を書き、「太陽の花と名付けられたのは、花の形が太陽に似ているからであり、茎が太陽のほうを向いて回るということはない」と書き残しています。

 1629年には、ジョン・パーキンソン(John Parkinson 1567 - 1650)が、“Paradisi in Sole, Paradisus Terrestris ”という本を著し、王家の植物園で栽培されている植物について、詳しい花譜を残しています。パーキンソンはジェームズ1世の薬剤師として仕え、その息子チャールズ1世の代になると「王立植物園の園芸家」として植物栽培を行いました。イギリスでも薬剤師が薬草としてヒマワリ栽培を行ったことがわかります。

 パーキンソンの、“Paradisi in Sole, Paradisus Terrestris ”


 前回、「ヒマワリ絵画」で、チャールズ1世がヒマワリを愛好しただろう、と書きましたが、ヴァン・ダイクの自画像に描かれたヒマワリのほか、チャールズ1世お抱えの園芸家パーキンソンのくわしいヒマワリ花譜によっても、この花がどれほど英国王の心をとらえたかが推測されます。

 フランス絶対王政最盛期のルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、ベルサイユ宮殿を造営し、大陽をアレンジした紋章をベルサイユ宮殿にも飾りました。
ルイ14世の紋章

 ヒマワリがスペインからフランスに伝わったのは、太陽王の父ルイ13世の時代。ルイ13世は、薬草園を創設し、外来の植物を育てました。スペインやイギリスの王立植物園が、植民地の新種植物を有効利用するための実験室だったことを紹介しましたが、ルイ14世も王立アカデミーを設立し、植物栽培の研究をさせました。

 イギリス王チャールズ1世がヒマワリ好きだったろうと述べましたが、同時代のルイ14世もヒマワリを愛好したことでしょう。ルイ14世が大陽王と呼ばれたのは、バレエ好きで、自らが「大陽の王」という役に扮してバレエの舞台に立ち、踊ったからです。大陽のような形の花がおおいに気にいったであろうと推測されます。
 この推測を裏付ける本のひとつを紹介しましょう。

 ルーブル美術館が2000年に出版した『ルイ14世の植物図譜―王の植物』は、ルーブル美術館の銅版画室に残された植物画のうちから選んだ図版が美しい本です。値段は15000円と高くて、とても買えないので、図書館で探してみます。 銅版画(カルコグラフィー)による彩色の美しい植物画は、ボタニカルアートのお手本となりました。
 ルイ14世ゆかりのヒマワリの絵は、『ルイ14世の植物図譜―王の植物』の表紙に描かれています。


『ルイ14世の植物図譜 L'Herbier du Roy』著者アラン・ルノー 

<つづく>
コメント (2)
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