
ビュールレコレクション展ポスター「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
20180617
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アート歩き(3)ナチ武器商人アゲアゲ名画コレクター・ビュールレコレクション展 in 新国立美術館
ビュールレ美術館展のキャッチコピーは、「史上最強の美少女と、もっとも有名な少年」
ルノワールが描いた「かわいいイレーヌ嬢」とセザンヌの「赤いチョッキをきた少年」が目玉展示品です。
エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956 E. G. Bührle)は、武器商人として生き、莫大な富を築き上げました。ナチスに武器を売りつつ、その富を使って、印象派やポスト印象派を中心とした美術収集に取り組みました。ビュールレは、武器商人としてでなく美術品の擁護者として名を残したかったので、収集作品をまとめて美術館を公開しました。
しかし、個人美術館は警備が手薄であることを狙われ、2008年に収集品を強奪されました。幸い犯人は逮捕され、盗まれたゴッホやセザンヌの作品は奇跡的に取り戻すことができました。犯人が闇組織などに売りさばいていたら、150億円相当だったそうです。
盗難にあわないような有効な警備体制を敷くには莫大な費用がかかるために、2020年に公共のチューリッヒ美術館へ作品を移管することになりました。その準備が整うまでの間、作品の巡回展示が、新国立美術館で開催されました。(新国立のあと、九州、名古屋に巡回)
私は、4月28日日曜日に観覧。
新国立美術館(黒川紀章設計)館内

今回、盗まれて戻った4点も見ることができ、よかったよかった。
では、150億円分、モネの「ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑」、ゴッホの「花咲く栗の枝」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」、ドガの「ルドヴィック・レピックとその娘」を見ていきましょう。
モネ「ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑」

セザンヌ「赤いチョッキの少年」

ゴッホ「花咲く栗の枝」

ドガ「ルドヴィック・レピックとその娘

ゴッホの栗の枝、モネのひなげしなど、気に入った作品の絵葉書を購入しました。青い鳥さんへ、順次送信していきます。(6月末で870枚目になります)
ドガの「レピックとその娘」の絵葉書は買いませんでした。娘の顔、あんまりかわいく描けていないと感じたので。そりゃ、イレーヌという最強の美少女がいるので、ちょっと見劣りしちゃうわね。
絵葉書売り場でのこと。男の人がこの「レピックとその娘」を手にとったら、そのお連れ合いさんが「あ、それ、いらんわ。かわいないもん」と、言う。関西方面の方だったのかも。それで、私も「あら、私もこの女の子、あんまりかわいらしくないなあと思いました。有名な絵でも、気に入らないのはあるよね、同感者がいてよかった」と言いました。
全然知らない人。グッズ売り場で隣り合って立っただけだけど、作品の感想をちょこっと言い合うだけでも、アート巡りはずんと楽しくなります。
東博の名作誕生にも書いたけれど、観覧者同士、楽しくおしゃべりし合う観覧日があったらいいのに。
ツイッター、インスタグラムなどではリアルタイムで観覧者がやりとりしているのかもしれませんが、私はツイッター未登録だし、絵を見たその場でおしゃべりしたら楽しいだろうに。
コレクターにテーマを当てた展覧会。たとえば、東京都美術館のボストン美術館展では、個人で収集した美術作品をボストン美術館に寄贈したコレクターごとに作品を並べるという展示になっていました。アートには、作品を作る人、コレクター、そしてキュレーターの仕事もアートの一部なのだということを感じさせる展示、キュレーターの腕の見せ所です。
今回のビュールレコレクションのコレクター、エミール・ゲオルク・ビュールレの生涯についてい、しばし思いをはせました。
前半生をひたすら金儲けにあて、後半生はそのお金を使って、何事かを成し遂げた人生というと、ハインリッヒ・シュリーマンがすぐに脳裏に浮かびます。シュリーマンがトロイア発掘を始めたのは、少年の日の夢の実現、という自伝に書かれているのとはちがって、「事業でさんざん稼いだから、この金でなんか歴史に名を残すようなことをしようかなあ」と思いついてのことだったらしいけれど、お金を手に入れたあとは、勲章だの爵位だのほしがるか、歴史に名を残すか、そんなことをしたくなるもんなんですねぇ。お金手にいれたことないので、そういう人の気持ちはわからないけれど。
ビュールレは「ナチス協力者として武器を売って大儲け」という名を残すことを望みませんでした。稼いだお金を美術品コレクションに使い、アートコレクターとして名を残したいと考えました。
ことに、ヒットラーが「退廃芸術」と唾棄した印象派、野獣派などの作品をどんどん集めて、一大コレクションを形成。
このコレクションについて、「ナチに協力したお金で買い集めた」と思う人もいるでしょうし、「ビュールレが集めていなければ、ナチによって破壊されていたかもしれない絵を救い出した」と評価する人もいるのではないかと思います。
ナチがドイツの美術館に展示されていた「退廃芸術」作品の撤去を命じたあと、競売人フィッシャーらがオークションを開催して売りさばき、ビュールレは、ピカソ、マティス、ゴーギャンらの作品を手にいれました。
ビュールレが作品の価値を当時から認めて買い集めたのかどうか。
1920年代に最初に買い取った絵が、野獣派ヘッケルの水彩画だった、というから、彼の絵の選び方は、確かにヒットラーの好みとまったく異なることが感じられます。
もし、ビュールレが買い取っていなければ、現在コレクションで見られる印象派や野獣派、立体派らの「ヒットラー言うところの退廃芸術」が、このようにまとまった形では見ることができなかった、と思えば、オークションで作品を買うことなど夢のまた夢であるビンボー人にとっては、恩人ともいえるひとなのかと思います。
それにしても、ビュールレは、武器商人として名を残すこと、それほどいやだったのか。
アルチュール・ランボーは詩人であることをやめたのちは、アフリカで武器商人になりました。坂本竜馬は、幕末、グラバーらから銃を仕入れて、新式武器がほしい藩に売りさばいて活動資金を得ていました。明治に生き残っていたら、三菱の岩崎弥太郎以上の政商になって、武器でも軍艦でも売りまくっただろうと思いますが、維新の前に殺されたから、「新しい世の中を夢見て実現前に早世した人」として歴史に残りました。
だから、武器商人として名が残るのも、それはそれでひとつの人生と思いますけれど。
ビュールレ66年の生涯のあとは財団が設立され、彼のコレクションは散逸せずに残されました。(2020年のチューリヒ美術館移管後の展示方法はわかりませんが)
ビュールレは、念願かなって「ビュールレコレクション」の収集者として記録されました。
私がコレクターという生き方に目が向いたのは、『ハーブ&ドロシー』(2010)というコレクター夫妻のドキュメンタリーを見て以後のこと。
夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館司書、というヴォ―ゲル夫妻が、決して裕福とはいえない生活のなか、給料をつぎ込んで、長年収集を続けました。
居住している狭いアパートの一室に収まる現代美術作品を、4000点も集めたのです。
コレクターという人生。
「蝶と美女」を収集したコレクターの映画で「コレクター」という英語を覚えてしまったために、コレクターと聞くと、どうも偏執的な人柄を思い浮かべてしまいがちでした。しかし、「ハーブ&ドロシー」の生き方を見て、収集という情熱を持つことも、よい生涯の送り方だなあと思うようになりました。
ヴォ―ゲル夫妻はコレクションの全部を「人々が無料で見ることができる美術館」という条件を持つワシントンナショナルギャラリーに寄贈しました。現代美術の4000点にも及ぶ傑作ぞろいのコレクションです。
ハーブとドロシーの人生が充実したものだったのと同じように、ビュールレの生涯も、よい人生だったのだろうと思います。
美術に関して、絵を描くでもなく批評するでもなく収集するでもない私の楽しみ方。気ままな楽しみとしてぶらりと散歩して、勝手気ままに「この女の子、かわいくないなあ」程度の感想を持つ私も、これはこれでアートの享受者。「よい人生」といえるかどうかは定かではありませんが。
<つづく>