天気 晴
黄砂が来ているという空は一日ぼんやりした色で、朝、ベランダで少しプランターの花を片付けたらクシャミが止まらなくなった。目が痒い。
写真は、一昨年の今頃行った宮島の弥山(みせん)の展望台から。思い出してこの数日は、瀬戸内海の写真を飽かずに眺めている。広島は、夫と出かけた新幹線に乗った最後の旅行になった。なぜか夫は、出張やら旅行やらでほぼ全国へ行っているのに、広島に行っていなかった。ならば元気なうちに・・といっても2年前は私よりも元気だった・・と、私には三度目の広島行きとなった。
その当時から、海が見たくて仕方がかった。
海育ち、などと言っているけれど、良く考えると海に面した母の故郷の村に居たのは3歳から14歳まで。中学3年になる前に父の仕事の都合で四国へ行ってしまい、人生では短い間だったのに。
でも、四国でも海に面した町で暮らしたので、家からは見えなかったものの、海は近かった。学校の窓から、瀬戸内海が見渡せた。見たければいつでも見られた。
17歳で東京へ来てからは、当たり前だが海が見えない。ちょっと歩いて海岸へ・・ともいかない。毎日が不思議な感覚だったことを思い出す。
母が亡くなる1年半ほど前、がんに罹り、もう余命幾ばくもないと解ったとき、長兄の企画で両親を伴い、家族旅行に行った。その房総の海岸の宿は母の生家からは遠かったが、海を見たい、と言う母の希望に沿ったのだと兄の話。
そして、母の亡くなる前日、私と姉が一晩病院に泊まりの付き添いをした。頭はしっかりしていたしよく話すので、まさかそれが最後になるとは思わなかった。その夜、母が「海が見たい」と言い出した。「歩けるよになったら、また行こうね」と宥めた。
去年は一度も海を見ていない。今年もまだ見ていない。2年も海を見ていないのは3歳以後、初めてのことかもしれない。広島の写真でたっぷりと海の風景を見ていると、やはり海が見たい。潮風を浴びたい。・・と思いつつ、最晩年になってしまったのかなあ、と。新型コロナの影響は何年も続くという。生きている間に海を見られるかしらん?とまで、最近は考えるようになってしまった。
で、ネットで海の写真を探しては見るようになった。
40年前、夫が赴任していた小笠原母島の写真。tiwitterからお借りした。


私も夏冬の休みには休暇をとって片道40時間近くも船に乗り、4回も行ってこの風景を楽しんだが・・東京育ちの夫には辛い勤務だったらしい。
青葉闇抜ければ海の見えさうな KUMI
黄砂が来ているという空は一日ぼんやりした色で、朝、ベランダで少しプランターの花を片付けたらクシャミが止まらなくなった。目が痒い。
写真は、一昨年の今頃行った宮島の弥山(みせん)の展望台から。思い出してこの数日は、瀬戸内海の写真を飽かずに眺めている。広島は、夫と出かけた新幹線に乗った最後の旅行になった。なぜか夫は、出張やら旅行やらでほぼ全国へ行っているのに、広島に行っていなかった。ならば元気なうちに・・といっても2年前は私よりも元気だった・・と、私には三度目の広島行きとなった。
その当時から、海が見たくて仕方がかった。
海育ち、などと言っているけれど、良く考えると海に面した母の故郷の村に居たのは3歳から14歳まで。中学3年になる前に父の仕事の都合で四国へ行ってしまい、人生では短い間だったのに。
でも、四国でも海に面した町で暮らしたので、家からは見えなかったものの、海は近かった。学校の窓から、瀬戸内海が見渡せた。見たければいつでも見られた。
17歳で東京へ来てからは、当たり前だが海が見えない。ちょっと歩いて海岸へ・・ともいかない。毎日が不思議な感覚だったことを思い出す。
母が亡くなる1年半ほど前、がんに罹り、もう余命幾ばくもないと解ったとき、長兄の企画で両親を伴い、家族旅行に行った。その房総の海岸の宿は母の生家からは遠かったが、海を見たい、と言う母の希望に沿ったのだと兄の話。
そして、母の亡くなる前日、私と姉が一晩病院に泊まりの付き添いをした。頭はしっかりしていたしよく話すので、まさかそれが最後になるとは思わなかった。その夜、母が「海が見たい」と言い出した。「歩けるよになったら、また行こうね」と宥めた。
去年は一度も海を見ていない。今年もまだ見ていない。2年も海を見ていないのは3歳以後、初めてのことかもしれない。広島の写真でたっぷりと海の風景を見ていると、やはり海が見たい。潮風を浴びたい。・・と思いつつ、最晩年になってしまったのかなあ、と。新型コロナの影響は何年も続くという。生きている間に海を見られるかしらん?とまで、最近は考えるようになってしまった。
で、ネットで海の写真を探しては見るようになった。
40年前、夫が赴任していた小笠原母島の写真。tiwitterからお借りした。


私も夏冬の休みには休暇をとって片道40時間近くも船に乗り、4回も行ってこの風景を楽しんだが・・東京育ちの夫には辛い勤務だったらしい。
青葉闇抜ければ海の見えさうな KUMI