天気 曇のち雨
彼岸花の写真、上は古い一眼の最後の頃に写したもの。古いカメラなのでもう色が鮮明に出なくなっていたようだ。でも今になって見るとくすんだ色がとても良い。もう一枚。
結構高級なカメラだったようで、今愛用のカメラではとても及ばない絵になっている。
私の体調ばかり書いても読む人はうんざり・・になってしまいそうなので、今日は朝刊の記事から。
「二人孤独死」という見出しで、今日から連載するようだ。
え?二人暮らしでも一緒に亡くなって発見されたら「孤独死」と言うの?夫婦で助け合いながら暮らしてきて、最後まで夫婦一緒に全う出来たら、孤独な夫婦ではなかったでしょう。離れた家族とも連絡し合っていたのだし。
要は、単身の老人の状況は把握出来ていても、二人暮らしだと行政もあまり状況把握していないことが問題のようだ。
でも、簡単に「孤独死」などと言うのはどうにも私は納得できない。孤独かどうかは、周囲が決めることではなく本人がそう思うかどうかだ。たとえば、夫(妻)に先立たれて寂しくて寂しくて・・と嘆いている間は孤独なのかもしれない。でも、それが10年も続き、夫のことは脇に置くようになり楽しい寡婦(寡夫)暮らしを堪能しているある日、浴室で倒れた・・数日して見つけられた・・それが「孤独死」になるのだろうか。
もし、私だったら、「孤独だったのですねえ、お気の毒に」などと言われたら「孤独でも寂しくもなかったわよ~勝手に決めつけないでよ~」と化けて出てやる。
ここへ入居する前だった一年前、私はコロナ禍で誰とも会わない日が珍しくなかった。病気持ちの不安はあったものの孤独、と思ったことはない。人に直接会えなくてもパソコンやスマホで繋がれる人はたくさん居たし、体調さえ悪くなければ好きな散歩も自由に出来たし。ベランダへ来る鳥や蝶と会話出来たし。声をかければ近所にも友人知人は居たし。
誰が、一人暮らし=孤独、と決めたのだろう?
正直に言うと、マンションで一人暮らしをしていた時よりも、今の方が孤独を感じる。コロナ禍で会いたい人にも会えない、外出禁止の高齢者施設暮らし。パソコンとスマホの使える私はまだ良い、と慰めてはいるものの・・
雨強くなる木犀の香を鎮め KUMI