天気 曇
古い写真ばかり出してみて、昔のカメラも悪くなかった・・などと。一眼レフを使う前のカメラの写真なので、15年以上も前のもの。昭和記念公園、だと思う。
新聞はスマホで購読、週刊誌も買わないし、あとはネットの記事を読むだけになった。でも結構面白いものを時々は読むことが出来る。
どの雑誌からの出典かは解らなくなったが・・
高齢者施設への入居は何時が良いのか、みたいな記事があった。
自分で決める、というのが一番なのだが、実は、ここでも、私のように自分から情報を集めて率先して入所、という人はあまり居ないようだ。無論、聞いて回った訳ではないが。
単身生活で脳梗塞や心臓病などで入院治療し、退院した時にここを選んだ人が結構居るようだ。試用期間が3ヶ月あって、その間にやっぱり居宅生活続ける・・と帰宅する人も居る。子供と同居している人が、家を高齢者向に改造するまでの繋ぎに・・と利用していた人も居た。逆に、体力が回復したら又家に戻るつもりが、3ヶ月の間に元気にはなったものの家事不要の暮らしに慣れてしまい、もう単身生活は嫌、と思うようになった人も居る。足腰が弱いので、段差のないここの暮らしは天国のようなのだと言っていた。無論、先月のようなコロナ感染の隔離生活がなければ・・の話で。
問題は、自分で決める能力のなくなった人だ。
ネットの記事でも、そんな例が書かれていた。認知症が進み、離れて住む家族は引き取れない状況で、とても単身生活に戻せない・・説得して、というよりは何とか騙して入居させてみたものの・・解る、解る。ほんと、認知症の人たちのご家族、苦労されたことだろう。
だんだん諦めていく人も居るようだが、そうではない人も居る。旅行に来ていると思っているらしく、時々思い出しては「お金を払わないと・・でも財布がみつからない」などと大騒ぎしたり。
「帰るから、会社に電話して車を廻してもらって欲しい」と、元社長さん。通りすがりの私は笑って済ませても、職員は大変だ。あまり家族も来ない方が諦めさせるには良いらしい。
「支払いは、息子(娘)さんが今夜の分も済ませてあるから大丈夫、もう一泊しましょうね」と宥めて、その気になれば、もう忘れる。だんだん、その頻度が少なくなっていくらしい。
ここは、それなりにお金を支払えば入居出来る。でも、支払い能力のない人は、場合によっては鉄格子のある病院に入院して、特別養護ホームの入所を待つことになるのだろうか。
隔離暮らし以後、いつも一緒に食事をしている95歳のお姉さまは、何とか車椅子に頼らず歩行して頑張っている。とにかく気丈な方だ。普通なら、楽をしたくて車椅子に乗ってしまう状態なのに。
ここへ入所するのは、骨折治療が終わって退院のとき、娘さんに見学してもらって自分で決めたのだという。ここからはかなり離れた市の人で、アパート経営もしていて息子さんと二世帯住宅に住んでいて、恵まれているのに何でここへ?と思ったら・・
「家に戻ったら結局、嫁さんに毎日世話になる訳でしょ。ああイヤイヤ。ここから娘の家が近いから決めたの」と。
「ここに居れば何も困らないし」
なるほど。でも、とっても気の強い姑さんの決心に、嫁さんもほっとしたに違いない。
九十の媼(おうな)夜長を持てあます KUMI