天気 晴
自分が老人になってから敬老の日、なんて意識して過ごしたことなぞなかった。老人福祉法で定められている老人は65歳から。でも、60代は私に言わせれば「花の60代」で、人生ではいちばん楽しめる年代だ。齢をとった、と思ったこともないままに20年も気持だけは同じに生きてしまった。体は相当に壊れてきたというのに・・
で、今日は昼食が上のようなお赤飯入り松花堂弁当に茶碗蒸し。おやつは紅白饅頭。美味しくいただきました。
高齢化社会では、長生きもあまり歓迎されなくなっている。ここには100歳の方(最近、食事に出てこなくなった)、も居るし、100歳近くで元気な方は何人も居る。
「長生きするのも大変なのよ、お目出たいとは言えないわ」
とは、いつも食事をご一緒する95歳のお姉さまのことば。頭はとっても元気でも、確かに足腰を痛めていて歩行困難な彼女のことばには重みがある。車椅子になりたくない、と自立して頑張っているので要介護ではなく要支援。
私はここでは、若い方に分類されるのだろうが、75歳を過ぎたら生きていくのにもう、年齢は関係ない。
敬老の日、というと、○○歳でもこんなに元気に活躍しています、といったテレビ番組が多い。20年くらい前には、そういう高齢者の話が大好きだった。が、だんだん、その齢でそんなに元気な人って、稀なことではないの?普通の老人って、どこかに故障を持って生きるのがやっとの体なのではないの?と疑問に思ってきた。元気な人の話は若い世代を勇気づけるかもしれない、でももう元気な自分に戻れない高齢者は、私のようにしらける人も居るかもしれない。・・それとも、そう僻むのは私だけ?
あれこれと故障だらけの体になってからは「高齢でも五体満足でこんなに元気に活躍しています、凄いことです」みたいな話は見ない・聞かないようになってしまった。
イヤな性格ですねえ。単純に、元気で長生きの自信がなくなったから僻んでいる、と思えばいいのに。
浮雲を眺めて眠き敬老日 KUMI