天気 晴
写真の鯉幟は、上越国境の三国峠下にある赤谷湖に毎年流していたもの。7年も前の写真だが、今年も泳いでいるだろうか。
夏に入る日らしく日差しの溢れる薄暑の日となったらしい。情けないことに、私は昨日の午後からあまり体調良くなくて、免疫療法の副作用とは思うが熱っぽいのと、かったるいのと、その他色々で、建物から外へ出なかった。部屋は、いつも書くように日がまったく当たらない。昼間も体が冷え切ったままで、朝のうちはレイノー現象の発作も起きた。
とはいえ、こどもの日で、立夏で、今日からは歳時記は夏の部に入る。初夏がいちばん好き、と言う句友のことを思い出した。確かに、寒がりの私にも合う季節かもしれない。
昼食に、端午の節句の「節料理」らしきもの。
中華ちまき、鰆の木の芽焼き、筍と青菜の酢味噌、など。立ち上がらないと写真にならないのだが、食堂のど真ん中の席なので、立ち上がる勇気がない。
スマホで何気なく読んだネットの記事。「畳を知らない若者が畳生活をしてみたら・・」
え?あーそっか。今の30代以下になると、祖父母=私世代以上の家へ遊びに行ったときと、旅館に泊まったときくらいしか経験がないのだ。ましてや、トイレは洋式水洗、押し入れって何?下駄箱って?寝巻って旅館の浴衣のこと??
時代が違う、というよりも国が違うかと思うくらいのギャップを感じる。
修学旅行で和室に布団を敷き詰めて・・というお泊りがとっても珍しく新鮮なのだそうだ。畳にそういう経験しか持たない若者が、アパート探しで、畳の部屋のある古い物件の方が広くて安いと知った。で、生まれて初めて畳のある暮らしをしてみることにしたら、案外と良かった、という話が載っていた。
バアサンは、つい一年半前まで、6畳の和室が二つもあるマンション住まいでしたよ。ベッド暮らしはつい最近のこと。夫がベッドを嫌い、布団の上げ下ろしを厭がらなかったのでずっと布団だった。私は上げ下ろしをしてくれるなら布団でもベッドでも良かった訳で。布団をあげたあとの部屋はほぼ倒れる家具もなく、地震の時に安全を確保できるため「避難部屋」として、揺れたらそこへ逃げ込むことにしていた。避難袋も部屋に用意していた。
夏になると、足裏に畳のあの感触が懐かしくなる。それを「気持わる!」と言う子供が増えたのだそうだ。畳の上で死にたい・・も昭和で終わってしまった。
寝返りて目覚めととのふ立夏かな KUMI