天気 曇のち雨
久々に塗り絵を。
いつ頃から雨になっていたのか知らない。午前中はシャワーを浴びて、昼食を食べに部屋を出たらもう降っていた。
何しろこの天気の変化の早さは相変わらず体調に悪い。耳鳴りMAX。冷たい雨のあと、明日は夏日になるのだという。
午後、いつもの後輩が、小さな花束を持って面会に来てくれた。ベランダで育てている花、紫と白のタツナミソウもある。ベランダで育てるとは珍しいこと。マンション住まいを続けていたら、今頃は何を咲かせていただろう・・とふと考えた。
昨日のドクターとの続きを、明け方目覚めて考えたら、眠れなくなった。もう諦めましょ、になっているのだが、ふと、「手当」についての 話を思い出した。それが、どこで見たのかが思い出せない。右手でまともにペンを持てなくなってもう一年。文字のメモも取らないので「出どころ」の解らない話だ。多分、YouTubeで観ていた医師の話かもしれない。
「手当をする、と言うが、それは元々病人のためににする行為のこと。額に手を当てて熱を診る、痛いところに手をtw当てて治療する・・などなど、昔から手を当てることが医師の患者への大事な行動だった」というような。手当には金銭の意味に使うことも多いが、そういえば「傷の手当をしましょう」と言うのだから、元々は医療行為から始まったのかもしれない。医師や看護師が患者に手を当てることで、患者は安堵を感じる。
昨日のドクターはそれを忘れている。高齢の患者は、内科医が自分の病気を治してくれる、なんて思っていない。ただ、少しでも暮らしていく日々を楽に過ごせるようになりたい、と思っているだけだ。(今風に言えばQOLの向上)
そういえば・・
「失敗しない外科医」のドラマの主人公の女医さんは、手術を終わると、麻酔で眠っているベッドの患者の胸に無言で手を当てる。患者はまだ意識がないのに・・でも、どこかでドクターの手の温もりを感じるのだろうか・・と、ドラマを見るたびに思った。治療には全く意味のない無言のあの手の温もりこそが「手当」なのではないだろうか。昨日のドクターにないものは「手当」の心かも。
降り出して揺るる立浪草の花 KUMI