KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

花祭

2023年04月08日 | 俳句
天気 曇のち雨

写真の枝垂桜は、史跡公園の外れのもの。5年前?

昼食にちょっとした春のご馳走が出た。写真を撮り忘れて食べ始めてしまい残念。
ちらし寿司には珍しくイクラと生タラコが入っていて、天婦羅もキスとアスパラなど。蒸し物もお吸い物もいつもよりは華やかで。
でも、今日を花祭、と思っていた人がここですらどれだけ居たやら。
この町は、武蔵国分寺の歴史遺産で生き延びているような所だから(大袈裟過ぎる・・)お寺は無論、花祭を毎年行う。その釈迦生誕の祭に合わせ、市民の花祭も、広い寺院跡の史跡公園周辺で開かれる。今年は2年ぶりにこの前の日曜に開催されたらしい。ちょうど桜も見ごろで、賑わったと思う・・ここからは、元気でないと行けないけれど。

史跡の周り、木の本数はそうたくさんではないが、古木のソメイヨシノやら里桜、枝垂桜など、色々な桜が咲く。下は、本堂横の古木の山桜とその花吹雪。



前のマンションから近かったので、引っ越したばかりの頃は簡単なお弁当を作り、花見はそこで済ませた。今は整備されているが、30年前くらい、講堂跡、とかいう広い芝生の広場の桜が見事で、ちょうど良い所に座れる石が幾つか並んでいた。花見の人も殆どいなかったし、そこに腰を下ろし、ビールを飲んで・・
などとしていたら、その石は、武蔵国分寺の付属建物の礎石だった。知らないとはいえ、ゴメンナサイ。

花祭がお釈迦様の誕生日、と、何%の日本人が知っているのだろう?
クリスマスは盛大な行事になったのに、なぜ花祭は埋もれてしまったのか?多分、お金にならない行事だったから。


乾く間のなくて日暮るる甘茶仏  KUMI
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90歳は立っていて転ぶ

2023年04月07日 | 俳句
天気 曇

今朝のテレビで、国営昭和記念公園の映像が。
今年は桜が早かったのでチューリップとの競演が見られる、という。都心よりも桜の見ごろは数日遅れる地、今週末あたりは、花吹雪がチューリップ畑に舞うのだろう。写真は、2014年の4月15日。今年は花たちの見ごろが一週間も早いことになる。





「徹子の部屋」で、久々に樋口恵子さんのお元気な姿を拝することが出来た。90歳を越えられたとか。でも、まだまだお元気だ。私は90歳を元気で越えられるとは思っていないので眩しかった。最近は昭和を代表するような方たちが次々と去り、寂しい。その方たちのことを書くよりも、お元気な人生の先輩の方たちの話の方が前向きになれる。乳がんになられた、ということはお聞きしていた。見つけた時、患部はかなり大きかったので手術した。90歳で、全身麻酔で行ったのだそうだ。
凄い! 私の乳がんは小さかったけれど手術したのは63歳、それでも大騒ぎだった。リンパに転移の可能性あり、ということで小さくても全身麻酔だった。
それを樋口さんは90歳で・・というとびっくりする。心臓が丈夫な証拠。
今、私はステージのあまり進んでいない肺がんで、でも壊れた心臓ではちょっと無理・・ということになってしまった。樋口さん、体格もとても良いし、心臓が丈夫なのですねえ、長生きしますよ、きっと。まだまだお元気で高齢者の抱える問題を色々と発信してくださいね。
で、今日話されたことのなかに・・「70歳は石ころなどに躓いて転ぶ。90歳は立っているだけで転ぶ」という話。これ、よく解る。この施設内では、90歳前後の、一応歩行の出来ていた人が館内で(自室内が多い)転倒して圧迫骨折、車椅子生活になる。一時的に車椅子で済む人も居れば、そのまま認知症が進んで歩行出来なくなる人も居る。今は、背骨を圧迫骨折したくらいでは、余程のことがない限り長い入院にはならない。
そんな人を何人も見ている。目の前で、木が倒れるみたいに倒れ尻餅をついた人が居て、びっくりしたことがある。幸い、彼女は太っていたので骨折にはならなかったが、同じように尻餅をついた男性、杖で歩いていたのに、半年経った今は歩行器に掴まっての歩行になってしまった。近所に住む娘さんとランチデートをするのが楽しみだったのに、もう無理になった、と寂しそうだった。どちらも、90歳前後の年齢だ。

外出するとき、玄関そばの受付へ声をかけて出かける(徘徊者が居るので、真昼でも自由に外へは出られない)。その時、職員が私に言うのは「転ばないでくださいね」
子供が登校する時に「行ってきます!」「車に注意してね」と同じこと。
幸い、私は高齢になってから転倒をしたことがない。(去年の入院中に深夜、点滴台のコードに躓いて尻餅をついたが例外)
危ない、と躓きそうになっても地面に足腰を打ちつけたことがない。でも今までは運が良かっただけかもしれない。樋口さんも90歳過ぎてから「立っていて転倒」を経験したそうだ。目眩とか何か原因には思い当たらないという。
ともかく、転倒注意。私はどんなに体調悪くても、股関節の強化と、片足になる運動は、欠かさない。太極拳をしていた経験がとっても役に立っている。今、骨を強くするため「踵落し」が高齢者に勧められている。私も少しはしているが、YouTubeで覚えた片足での「踵落し」がとても良いらしいので、最近はそれを20回くらい。立ったまま出来るので、「散歩に行く体力も元気もない」と嘆き何もしない人はこれで充分なようだ。
ただ、目眩がひどいときは片足になるのは怖い。それこそ転倒しないよう椅子に掴まることにしている。転倒防止の運動をしていて転倒骨折したのでは笑い話にもならない。

わたくしは何処まで生きる花曇  KUMI
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ああ、耳栓

2023年04月06日 | 俳句
天気 晴

朝の桜のテレビ中継、今日は群馬県赤城山麓の桜並木を映していた。標高がちょっと高いので今頃が満開なのだ。
上の写真は謙信桜の近くの集落に咲く枝垂桜。川の改修工事をしたとき、土手に植えたもの。植えた頃は貧弱で、どうなるかと思ったが、この写真の頃は20年くらい過ぎている? みごとな風景になった。でも、もったいないくらい花見の人なぞ誰も居なかった。


今年の早すぎる桜、もう東北まで咲き始めてしまったという。
普段の年なら見ごろ、という時期に弘前まで桜を見に行き、まったく咲いていなかったのは、いつの年だった?本当に桜は気まぐれ。

今、耳栓をして三度の食事を摂っている。そんな人間、滅多に居ないと思うのでその愚痴を少し。
食事は、決められたテーブルに原則4人で食べることになっている。席は、車椅子の人も居るし常時介護の認知症の人も居るし、ま、施設側が「適材適所」に決めている。無論、クレームつければ替えざるを得ないこともあるようで。私は、二度も替えてもらった。ともかく、認知症と、夫婦連れと一緒に食べるのはゴメン。それと、耳のひどく遠い人。私は大声を出すと心臓に良くないので断っている。
で、今は、前に居るのは全盲車椅子の方。少し耳は遠いけれど、周りに迷惑をかけないよう努力しているしっかり者の方で、問題なし。視力障害者には慣れているので、かえって問題のある人よりも彼女の方が良い。その隣、私の斜め前の方は歩行が少し不自由で耳が少し遠いほかは全く問題なし。問題は・・私の右隣の方。2ヶ月くらい前からお隣になった。耳は遠くないようだし認知症もない。はたから見ていて、とくにに文句のある人とは思ってもいなかった。
その問題とは・・汁物を飲む時に、あの不愉快な音を立てること、菜っ葉など嚙み切れないものは、汁だけ吸ってお皿に戻し並べていること・・ま、後半の件は見なければ不快感から逃れられるが、音は何とも・・。おまけに同じダウンジャケットを4ヶ月くらい替えずに着ていたので、匂いが・・それはさすがに暖かくなったらベストを着るようになって解決。でも、セーターにしても毎日着るものが同じ、ってなぜ?
彼女、人付き合いが嫌いとの噂があって、食事時間の終わる頃に食堂へやってきていた。それを介護士さんに「早くして欲しい」と頼まれたようで、最近は遅れる時間が10分くらいになってしまった。遅れてくれば「音」に悩むこともなかったのに、これは私にとって大問題。
去年夏のクラスター以後、「黙食」が浸透してしまい、食事中は「まともな人」のテーブルは静かで、余計にお隣さんの「音」が聞こえる。
これ、三度の食事に聞かされるのはとっても苦痛です。彼女なりに遠慮した静かな音にしているようだが、それでも耳の良い私には不愉快です。前の席の人も、少し耳が遠いのに「嫌な音は聞こえるものなのよ」ということで我慢の限界のようだ。
昨日の昼食は、カレーうどんだったので悲劇だった。私は元々カレーうどん好きではないので、うどんだけ食べ終えてスープを飲もうかどうしようか、と悩んでいた。するとお隣からスープを飲む盛大なる音が・・うどんを食べる時は静かだったのに・・90歳を過ぎた方にマナーを説くことも出来ないし・・もう習慣は変えられないだろう。
吐き気がしたので、「お先に失礼します」と立ってしまった。

で、昨日の午後、ドラッグストアへ耳栓買いに行ってきた。
右耳だけに使っていて効果はあるけれど、めんどくさい。

花筏大河目指して暗渠へと  KUMI
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ソメイヨシノ回想

2023年04月05日 | 俳句
天気 曇がち

まさに花曇、なのだろう。昨日は一日花見日和だったのに、予報が少しずれて今日まで晴天は続かなかった。あちこちの桜の映像をテレビで見て、人の多さに仰天するほかなく、あんな人ごみで見る桜、楽しいのだろうか・・と思ってしまう。
で、写真は前回の上杉謙信の桜を眺めた同じ日の午前中に立ち寄った、沼田城址のソメイヨシノ。ちょうど満開の城址公園の桜ではなく、駐車場の向こうに見えた桜。こんなに立派に咲くソメイヨシノは見たことがない。桜並木としてたくさん並んだ風景とは違い、ともかく凄いボリュームだった。公園とは反対方角なので、そちらには行かなかった。
沼田は山が近い。残雪の上越国境の山並みと桜。こんなに雪山が近いと、さすが東京よりも桜は半月近くも遅い満開になるようだ。


半世紀前の東京は、今頃満開になるのが平年並みだったように思う。義務教育の入学式が桜の下で・・というのは常識だったし。
夫の母親が入院先で突然亡くなったのが4月4日。昨日は命日だった。父親は余命3ヶ月、と言われて入院していて、母親の方はその疲れもあって別の病院へ入院していた。とくに重病でもなく、私の勤務先からバスで15分ほどの病院だった。重病の義父の病院へは毎日のように寄っていたが、義母は心配するほどでもないので確か、週に1回くらいしか行かなかった。
その母の容体が突然悪くなったので家族に来て欲しい、と、病院からの要請があった、と夫から電話があった。夫は都心に勤めていたので、病院までは40分以上はかかる。私はとりあえず机の上を片付け、上司に「義母の病院へ行ってくる」と伝えて病院へ向かった。まだ20代の夫婦は、危篤状態だから病院が家族を呼んだ、という予測すらしていなかった。私は、職場の前からバスに乗った。あとで考えれば、普通、急ぎならタクシーに乗るでしょ・・と思ったが。呑気にもほどがある。
で、そのバスは、区内でも有名な桜並木の下を行く。桜、満開。もう見たことのないくらい美しい桜のトンネル・・病院前までそれが続いているのだ。
でも、病院で待っていたのは・・空っぽの病室のベッドだった。義母54歳。
吐血で亡くなるなんて医療ミスかもしれない・・などと言われたりしたが、その1ヶ月後には義父が亡くなり、医療ミス云々など考える余裕もなく若い夫婦は二つの葬儀に追いまくられた。

それから何年か、私は満開の桜の時期が嫌いになった。でも人間、桜の力にはいずれは負ける。いやな季節、と思いつつ花見をしているうちに、そうでもなくなっていった。

昨日今日、何だか忙しい。それでも、寒さを感じなくなったので出来る限りは買い物や用事に出て日光浴をするようにして。でも、今は2,500歩が限度かも。帰ってからの疲れ具合が・・だんだんキツくなる。チューリップは近所の花壇で眺めよう。


街の桜は、だんだん色褪せてきた。

いづこより飛びきし落花二三枚  KUMI
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師・「花を待つ」

2023年04月03日 | 俳句
本当は、師を失った結社のことなど書くのが、俳句のブログを表記している私の使命かもしれないけれど・・あまり書く元気が出て来ない。でも、主宰の選により編集された最後の結社誌・4月号はいつものように届いた。
内容もいつもと同じように・・詳細は省略
主宰の毎月の新作20句が、「花を待つ」句になっている。亡くなられたのが3月13日、今年の桜は異常に早かったので、もう咲き始めたものもあったようだ。今年も桜を眺めるつもりで詠んだ句の最後は

  満開の花巡りきし果報者  杏子

俳人となる前から、俳句とは別に全国の古木名木を巡り、本にされている。その古い本、私は古書店で手に入れて持っていたのだが、家を処分した時に本は全て処分した。何ともったいないことを・・と言われそうだが、余命2年、1年元気で居られるかどうか、と医師に言われていた身。夫には先立たれたばかり、おまけに何だか解らぬ恐怖のコロナ騒動の中にあって、もう病魔に襲われ始めていた。書籍の始末なぞ誰にどう頼めば良かったの?身内とすらあまり会えないような世の雰囲気で。
ということだったが、今は副作用に悩まされながらも、新しい薬の治療で命を永らえている。まさか、師の方が私より先に・・など夢にも思わなかった。
写真の「相俣の逆さ桜」にも、逢いに行っているという話をその本で知り、びっくりした。車なら便利な所、でもバスでは・・一日に何本のバスがあるのだろう?
この桜、上越国境の三国峠の上り口にあり、私は新潟へ遊びに行くのに何十回となく通ったところだった。国道の脇の、利根川上流の相俣ダムの畔にあり、咲いている時は駐車場へ入って眺めていったものだ。二十年前くらいまでは手入れが悪くてこのままでは枯れる・・と思っていたら、急に整備されてかえってびっくりした。

枝垂れ桜ではなく、小な濃い色の花が咲く。黄金週間前の前あたりが満開になる。でも、年々咲くのが早くなっていて、この年2015年は、4月15日に撮っている。


この年・・2015年は、とっても忙しい年だった。このあと、金婚式を迎え、そのあとすぐに福島の夫の叔母・祖母の墓参を兼ねて三春の滝桜を見に行き・・無論、滝桜は主宰の好きな木で、何度も見に行っているようだ。もう、盛りを過ぎていた。でも1000年の桜は迫力が違った。



帰京するとすぐ、夫はなぜか突然のように車を手放して我が家はレンタカー生活になった。そして夏には私は心臓が壊れて、まさかのペースメーカー植え込みの手術。車のない不自由さを味わった。
そんな話は別として・・

主宰の20句の最初の句は
  ダイヤモンド婚無事通過花を待つ  杏子
温厚な紳士の、ご主人を思い出す。

多分、桜は何百年経っても変わらずに咲くのだろう。人間の一生は短い。

生き延びて今年も眩し飛花落花  KUMI 
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