小川地区は、南魚沼市役所の東約9kmのところ
魚野川支流の三国川左岸を走る県道233号線を進みます
畦地地区の先で橋を渡って三国川の右岸へ、道なりに約800mすすむと
養徳寺前です、参道前に車を置かせていただきました
養徳寺入り口です
入り口わきに石仏が並びます
太郎兵衛の石仏です
説明版です
中部北陸自然歩道
太郎兵衛の石仏
今から百数十年前、江戸時代末期(文化文政~天保時代)は石仏作りが盛んで、当時の越後国魚沼郡五十沢
舞台村に太郎兵衛(1790~1850)という石工がおりました。
太郎兵衛は、20~60歳までの40年間、ひたすら石を刻み続け、石仏、石塔を始め石宮、石臼に至るま
で約3000点もの作品を残しました。その分布は、五十沢、城内地区を中心に散在しています。
作品は、量感にあふれ、ひ弱なところは見られません。そして、▲印が刻まれているのが特徴です。40年間
の製作記録「大福細工覚帳」など貴重な資料も数多く残っており、雪国の隠れた石仏師と言えるでしょう。
ここにある石像は、彼の代表的な作品です。
環境省・新潟県
鐘楼の手前、参道わきには形の良い杉が立っています、目的のカツラの木は右側の竹藪の陰です
モミの木です
参道石段に食い込むように立っています
保存樹に指定されています
本堂です
カツラの巨木ですが、大きさがわかりません、根回りの大きさだけがわかります
こちらにも説明版等はありませんでしたが、目通り幹周り5.8mの巨木です
では、次へ行きましょう
魚野川支流の三国川左岸を走る県道233号線を進みます
畦地地区の先で橋を渡って三国川の右岸へ、道なりに約800mすすむと
養徳寺前です、参道前に車を置かせていただきました
養徳寺入り口です
入り口わきに石仏が並びます
太郎兵衛の石仏です
説明版です
中部北陸自然歩道
太郎兵衛の石仏
今から百数十年前、江戸時代末期(文化文政~天保時代)は石仏作りが盛んで、当時の越後国魚沼郡五十沢
舞台村に太郎兵衛(1790~1850)という石工がおりました。
太郎兵衛は、20~60歳までの40年間、ひたすら石を刻み続け、石仏、石塔を始め石宮、石臼に至るま
で約3000点もの作品を残しました。その分布は、五十沢、城内地区を中心に散在しています。
作品は、量感にあふれ、ひ弱なところは見られません。そして、▲印が刻まれているのが特徴です。40年間
の製作記録「大福細工覚帳」など貴重な資料も数多く残っており、雪国の隠れた石仏師と言えるでしょう。
ここにある石像は、彼の代表的な作品です。
環境省・新潟県
鐘楼の手前、参道わきには形の良い杉が立っています、目的のカツラの木は右側の竹藪の陰です
モミの木です
参道石段に食い込むように立っています
保存樹に指定されています
本堂です
カツラの巨木ですが、大きさがわかりません、根回りの大きさだけがわかります
こちらにも説明版等はありませんでしたが、目通り幹周り5.8mの巨木です
では、次へ行きましょう