福性寺は、流山市役所の北約6kmのところ
県道5号の松戸野田線を北へ進むと
県道の直ぐ東側の道路に案内板が出ています
案内に従って進み、山門を通って本堂手前左手に駐車場があります
福性寺への案内板が有ります
参道入り口です、正面本堂前に大銀杏が見えています
山門脇に鐘楼が有ります
立派な鐘です
縁起の石碑です
福性寺縁起
開創縁起は不詳、正保年間中興とす。
本尊は大日如来、飛地境内は仙適坊、観音坊がある。仙適坊の本尊様は阿彌陀如来両脇将像
(高 江戸時代の作)であたが、貴重な仏像なので現在は本堂に移されて観音坊には
観音様がまつられていて、周辺住民の信仰を仰いでいる。明治の末期には大変栄え 天保柳
(鎌倉八幡宮の灰で練って造られ、お厨子に入った江戸時代の作)である その
面影もなく寺は荒れ果てた。
昭和60年流山七福神が発足し毘沙門天が境内に安置されている。七福神の起源は「仁王般
若 」の「七難即滅、七福即生、万性安楽、帝王歓喜」の語によるといわれています。
毘沙門天の神徳は開運招徳、七難即滅にあります。昭和61年より、ぼけ封じ関東三十三観
音霊場代八番札所となる。
累代中興の祖勝沼俊弘昭和十七年千葉市は住れ のち廣徳院俊教の室に入る。(父俊教は
真言宗豊山派代二十五世館長 総本山長谷寺ま 十九世化主)昭和48年流山市
となり庫裏客殿の建設、本堂の 再建の礎を築きまた宗務所
寺門興隆につとめた・・・・
南西側から
本堂です
毘沙門天像です
東側から
保存樹標識です
駐車場から見ました
では、次へ行きましょう
県道5号の松戸野田線を北へ進むと
県道の直ぐ東側の道路に案内板が出ています
案内に従って進み、山門を通って本堂手前左手に駐車場があります
福性寺への案内板が有ります
参道入り口です、正面本堂前に大銀杏が見えています
山門脇に鐘楼が有ります
立派な鐘です
縁起の石碑です
福性寺縁起
開創縁起は不詳、正保年間中興とす。
本尊は大日如来、飛地境内は仙適坊、観音坊がある。仙適坊の本尊様は阿彌陀如来両脇将像
(高 江戸時代の作)であたが、貴重な仏像なので現在は本堂に移されて観音坊には
観音様がまつられていて、周辺住民の信仰を仰いでいる。明治の末期には大変栄え 天保柳
(鎌倉八幡宮の灰で練って造られ、お厨子に入った江戸時代の作)である その
面影もなく寺は荒れ果てた。
昭和60年流山七福神が発足し毘沙門天が境内に安置されている。七福神の起源は「仁王般
若 」の「七難即滅、七福即生、万性安楽、帝王歓喜」の語によるといわれています。
毘沙門天の神徳は開運招徳、七難即滅にあります。昭和61年より、ぼけ封じ関東三十三観
音霊場代八番札所となる。
累代中興の祖勝沼俊弘昭和十七年千葉市は住れ のち廣徳院俊教の室に入る。(父俊教は
真言宗豊山派代二十五世館長 総本山長谷寺ま 十九世化主)昭和48年流山市
となり庫裏客殿の建設、本堂の 再建の礎を築きまた宗務所
寺門興隆につとめた・・・・
南西側から
本堂です
毘沙門天像です
東側から
保存樹標識です
駐車場から見ました
では、次へ行きましょう