法用寺は、会津美里町役場の北西約3kmのところ
会津盆地を見下ろす西側丘陵の中段に在ります

観音堂の南側に三重塔が有ります

福島県指定重要文化財の標柱です

説明版です
福島県指定重要文化財(建造物)
法用寺三重塔 一棟
昭和55年3月28日指定
所在地 大沼郡会津高田町大字雀林字三番山下3551
所有者 法用寺
木造・三層宝形造・銅板葺(もとこけら板葺)・方三間
会津地方に現存している唯一の塔構造で、禅宗様の三ツ斗・三手先斗栱・二重の繁棰を使用した
軒の深い建築である。繁棰は初層と二層を平行棰、三層を扇棰とし、また各組ごとに尾棰をおき、
斗栱の間にはそれぞれ間斗二個を詰めて配するなど、応用部分も多く、禅宗様の末期的手法によっ
たものである。
建立年代を示す棟札・・墨書銘などは見当たらないが、第二層には明和5年(1768)に飛騨
高山の二右衛門と越国仙七の描いた設計図板がある。
藩政時代に寺社奉行に提出した調書の写しといわれる天台宗「寺縁起」(会津若松市常光寺蔵)
および「新編会津風土記」などの記載によると、安永元年の起工で、同9年(1780)の竣工と
あり、寺の創立以来再々建にあたるといわれる。
なお初層には、内陣に後補の祭壇を組み、釈迦三尊を祀ってある。
福島県教育委員会


北東側から



正面東側から

南東側から

三重塔の裏側に石川啄木の歌碑が有ります

説明版です
石川啄木歌碑
敵として憎みし友と やや長く手をば握りき わかれというに
1907(明治40)年秋「小樽日報」の創刊に参画した事務長小林(のち中野)寅吉
会津高田町(現、会津美里町)雀林出身-と22歳の記者石川啄木はとの間に社の内紛
から来る対立があり、退社した啄木が翌年1月19日「釧路新聞」の記者として単身赴
任する。雪の吹き入る停車場に妻子が送る。寅吉も送る。別離の悲しみに憎悪の消えた
”わかれ”の一瞬を巧みにとらて詠んだ歌。
のちに啄木は文学へ、寅吉は政治の世界へとすすんでいくことになる。
三、四句の実感を大切にし、二人を記念する歌として選び、啄木の自筆集字拡大によ
る碑とした。
撰文 三留昭男
1985(昭和60)年10月27日
啄木誕生100年の日に 会津啄木会
では、次へ行きましょう
会津盆地を見下ろす西側丘陵の中段に在ります

観音堂の南側に三重塔が有ります


福島県指定重要文化財の標柱です


説明版です
福島県指定重要文化財(建造物)
法用寺三重塔 一棟
昭和55年3月28日指定
所在地 大沼郡会津高田町大字雀林字三番山下3551
所有者 法用寺
木造・三層宝形造・銅板葺(もとこけら板葺)・方三間
会津地方に現存している唯一の塔構造で、禅宗様の三ツ斗・三手先斗栱・二重の繁棰を使用した
軒の深い建築である。繁棰は初層と二層を平行棰、三層を扇棰とし、また各組ごとに尾棰をおき、
斗栱の間にはそれぞれ間斗二個を詰めて配するなど、応用部分も多く、禅宗様の末期的手法によっ
たものである。
建立年代を示す棟札・・墨書銘などは見当たらないが、第二層には明和5年(1768)に飛騨
高山の二右衛門と越国仙七の描いた設計図板がある。
藩政時代に寺社奉行に提出した調書の写しといわれる天台宗「寺縁起」(会津若松市常光寺蔵)
および「新編会津風土記」などの記載によると、安永元年の起工で、同9年(1780)の竣工と
あり、寺の創立以来再々建にあたるといわれる。
なお初層には、内陣に後補の祭壇を組み、釈迦三尊を祀ってある。
福島県教育委員会


北東側から




正面東側から


南東側から


三重塔の裏側に石川啄木の歌碑が有ります


説明版です
石川啄木歌碑
敵として憎みし友と やや長く手をば握りき わかれというに
1907(明治40)年秋「小樽日報」の創刊に参画した事務長小林(のち中野)寅吉
会津高田町(現、会津美里町)雀林出身-と22歳の記者石川啄木はとの間に社の内紛
から来る対立があり、退社した啄木が翌年1月19日「釧路新聞」の記者として単身赴
任する。雪の吹き入る停車場に妻子が送る。寅吉も送る。別離の悲しみに憎悪の消えた
”わかれ”の一瞬を巧みにとらて詠んだ歌。
のちに啄木は文学へ、寅吉は政治の世界へとすすんでいくことになる。
三、四句の実感を大切にし、二人を記念する歌として選び、啄木の自筆集字拡大によ
る碑とした。
撰文 三留昭男
1985(昭和60)年10月27日
啄木誕生100年の日に 会津啄木会
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