寒川神社は、寒川町役場の直ぐ北側にあります
大きな無料駐車場が周りに点在していますので便利です
ちょうど七五三の時期で、お詣りする家族連れで賑わっていました
参道鳥居前交差点です
相模國 一之宮 國幣中社寒川神社 です
神池橋記です
一の鳥居記です
参道を進みましょう
手水舎です
楼門です
立派な狛犬(高麗獅子?)です
御神木でしょうか
拝殿です
菊で作られた相模国の風景です
由緒記です
御由緒
御祭神 寒川比古命・寒川日女命 寒川大明神と総称す
例祭日 9月20日
宵宮祭 9月19日 流鏑馬神事
当神社の創始は古く日本総国風土記によれば今より約1600年前
雄略天皇の御代に奉幣されたことが記されており、当時より朝野遠近
の崇敬篤く著名の大社であったことが知られる。
其後桓武天皇の延暦7年を始めとして歴代奉幣のことがあり、亦、
任明天皇承和13年以来数次に亘り神階を奉受せられ、更に醍醐天皇
の御代に制定された延喜式神名帳に相模国の名神大社と定められ幣帛
を奉せられており、この地方の庶民信仰の中心をなしている。
後世、源頼朝・小田原北條氏累代社殿造営社領の寄進等あり、武田
信玄も信仰も特に篤く、徳川時代に至っては、徳川氏社殿再建のこと
、亦、社領の寄進等、古来武門武将の崇敬は鄭重きわめるものがあっ
た。
明治4年3月官国幣社制度の制定せられるや、国幣中社に列せられ
国費を以て幣帛料御奉納あらせられたるも、昭和20年12月神道指
令により神社の国家管理を廃止され、現在は神社本庁の別表神社とし
て全国崇敬者より神徳を敬仰されている。
本殿は屋根の千木が少しだけ見えていました
では、次へ行きましょう
大きな無料駐車場が周りに点在していますので便利です
ちょうど七五三の時期で、お詣りする家族連れで賑わっていました
参道鳥居前交差点です
相模國 一之宮 國幣中社寒川神社 です
神池橋記です
一の鳥居記です
参道を進みましょう
手水舎です
楼門です
立派な狛犬(高麗獅子?)です
御神木でしょうか
拝殿です
菊で作られた相模国の風景です
由緒記です
御由緒
御祭神 寒川比古命・寒川日女命 寒川大明神と総称す
例祭日 9月20日
宵宮祭 9月19日 流鏑馬神事
当神社の創始は古く日本総国風土記によれば今より約1600年前
雄略天皇の御代に奉幣されたことが記されており、当時より朝野遠近
の崇敬篤く著名の大社であったことが知られる。
其後桓武天皇の延暦7年を始めとして歴代奉幣のことがあり、亦、
任明天皇承和13年以来数次に亘り神階を奉受せられ、更に醍醐天皇
の御代に制定された延喜式神名帳に相模国の名神大社と定められ幣帛
を奉せられており、この地方の庶民信仰の中心をなしている。
後世、源頼朝・小田原北條氏累代社殿造営社領の寄進等あり、武田
信玄も信仰も特に篤く、徳川時代に至っては、徳川氏社殿再建のこと
、亦、社領の寄進等、古来武門武将の崇敬は鄭重きわめるものがあっ
た。
明治4年3月官国幣社制度の制定せられるや、国幣中社に列せられ
国費を以て幣帛料御奉納あらせられたるも、昭和20年12月神道指
令により神社の国家管理を廃止され、現在は神社本庁の別表神社とし
て全国崇敬者より神徳を敬仰されている。
本殿は屋根の千木が少しだけ見えていました
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