長福寺は、いすみ市役所の南西約4kmのところ
県道174号線が北側に大きく周り込んで南に向かう内側にあります
参道は西向に県道まで接続しています
山門脇に広い駐車スペースが有ります
参道を進むと波の伊八の看板が出ています
六地蔵様と色々な石像達がお堂の中にいらっしゃいます
山門です
長福寺です
宝篋印塔です
本堂です
本堂に向って左手の境内端に目的の槇の樹が在ります
南東側から
天然記念物 槇の石碑です
説明版です
千葉県指定天然記念物
長福寺の槇 一樹
平成10年12月24日指定
千葉県いすみ市下布施757
長福寺
このマキは、イヌマキ(Podocarpus macrophyla D.DON)と
言う種類に分類され、関東南部以西、東海道、近畿南部、四国、九州
沖縄まで広く分布しています。
イヌマキは暖かい地方の山林に自生する常緑の高木です。マキは雌
雄別株で長福寺のマキは雌株、5月に開花し、10月に暗赤色の甘い
実が熟します。
このマキには、源頼朝にまつわる伝説があります、それによれば、
頼朝がここを訪れた時に、このマキに筆を掛けたとされ、「筆掛けの
槇」とも呼ばれています。
伝説の古木ではありますが、今なお樹勢は衰えず、樹高12m、目
通り幹囲4,8mという巨姿から、いつのころからか、里人によって
このような古い時代からの木とみられるようになったのでしょう。
平成8年8月30日
いすみ市教育委員会
参道から
本堂前から
北西側から
説明版です
いすみ市指定有形文化財
硯山長福寺本堂欄間
平成10年5月15日指定
所在 いすみ市下布施757
所有・伝承 長福寺
本堂にある欄間は、初代の武志伊八郎(1751~1824)が寛政
元年に彫った波の浮き彫りである。
この欄間は、中央 縦74cm、横266cm、左右 縦86cm、
横171cmで、左右二面で麒麟、中央に龍のすかし彫り、いずれも堅
牢で、色彩も明瞭である。
欄間という定形の空間にとらわれず、自由自在に装飾彫刻を施してい
った特徴ある作で、初代伊八の作品変化を示す好例として貴重な作品で
ある、中央裏面に作者銘及び製作年が墨書してある。
銘 安房国長狭郡下打墨村住人
武志氏伊八郎信由作
弟子高梨氏伊曽八信房
寛政元 酉□冬 (□は判読不明)
平成16年12月24日
いすみ市教育委員会
手前の欄間のみ見ることができました
説明版です
では、次へ行きましょう
県道174号線が北側に大きく周り込んで南に向かう内側にあります
参道は西向に県道まで接続しています
山門脇に広い駐車スペースが有ります
参道を進むと波の伊八の看板が出ています
六地蔵様と色々な石像達がお堂の中にいらっしゃいます
山門です
長福寺です
宝篋印塔です
本堂です
本堂に向って左手の境内端に目的の槇の樹が在ります
南東側から
天然記念物 槇の石碑です
説明版です
千葉県指定天然記念物
長福寺の槇 一樹
平成10年12月24日指定
千葉県いすみ市下布施757
長福寺
このマキは、イヌマキ(Podocarpus macrophyla D.DON)と
言う種類に分類され、関東南部以西、東海道、近畿南部、四国、九州
沖縄まで広く分布しています。
イヌマキは暖かい地方の山林に自生する常緑の高木です。マキは雌
雄別株で長福寺のマキは雌株、5月に開花し、10月に暗赤色の甘い
実が熟します。
このマキには、源頼朝にまつわる伝説があります、それによれば、
頼朝がここを訪れた時に、このマキに筆を掛けたとされ、「筆掛けの
槇」とも呼ばれています。
伝説の古木ではありますが、今なお樹勢は衰えず、樹高12m、目
通り幹囲4,8mという巨姿から、いつのころからか、里人によって
このような古い時代からの木とみられるようになったのでしょう。
平成8年8月30日
いすみ市教育委員会
参道から
本堂前から
北西側から
説明版です
いすみ市指定有形文化財
硯山長福寺本堂欄間
平成10年5月15日指定
所在 いすみ市下布施757
所有・伝承 長福寺
本堂にある欄間は、初代の武志伊八郎(1751~1824)が寛政
元年に彫った波の浮き彫りである。
この欄間は、中央 縦74cm、横266cm、左右 縦86cm、
横171cmで、左右二面で麒麟、中央に龍のすかし彫り、いずれも堅
牢で、色彩も明瞭である。
欄間という定形の空間にとらわれず、自由自在に装飾彫刻を施してい
った特徴ある作で、初代伊八の作品変化を示す好例として貴重な作品で
ある、中央裏面に作者銘及び製作年が墨書してある。
銘 安房国長狭郡下打墨村住人
武志氏伊八郎信由作
弟子高梨氏伊曽八信房
寛政元 酉□冬 (□は判読不明)
平成16年12月24日
いすみ市教育委員会
手前の欄間のみ見ることができました
説明版です
では、次へ行きましょう