荻野地区は、厚木市役所の北西約7kmのところ
国道412号線を進むと「中山城址」という信号が有ります
信号を右に入って直ぐまた右に城跡公園の駐車場が有ります
国道412号線の山中城址信号を東へ入ります
北側からの入り口です、公園になってます
稲荷社があります
厚木市指定史跡 荻野山中藩陣屋跡の標柱が立っています
遊具が並ぶ地域の公園の雰囲気です
説明版です
山中陣屋跡史跡公園
公園整備について
私たちの住む厚木市には、遺跡、史跡など数多くの文化遺産が
残されています。こうした遺産を未来に大切に伝えていくことは
新たな市民文化の創造に当たって、非常に重要なことと思われま
す。
「荻野山中藩陣屋跡」は、昭和45年に厚木市指定史跡となり
県内においても、小田原城とともに城館跡として大変貴重なもの
です。
昭和8年には旧荻野村村民によってその歴史を刻む「山中城趾」
の碑が建立され、広く市民に親しまれてきました。
厚木市では、こうした歴史を物語る文化遺産が末永く、保護保
存され、広く郷土史学習の場として、また市民憩いの場として活
用されることを願い、平成8年史跡公園整備を行ないました。
荻野山中藩陣屋跡
陣屋は江戸時代中期天明3年(1783)頃築造されたとみら
れます。周囲の水田より一段高い半島状に突き出た低台地に位置
し、広さは1、5㌶程で、その概要は、寛政3年(1791)に
描かれた絵図面により知ることができます(「厚木市文化財調査
報告書第11集、荻野山中藩」所収)。
中央の建物が御殿と見られ、そのほか家臣の長屋・馬場・矢場
稲荷・清水(シミズ)、井戸、物置などが設けられています。
発掘調査によって、台地周辺の土堤部分は、当初の姿のままで
あることがわかり、また堀や古代の竪穴住居址などが地下に眠っ
ていることが確認されました。
今も残る稲荷社・清水などに往時をしのぶことができます。
厚木市文化財案内板が有ります
南側に降りてみました
南から陣屋跡を見ました
では、次へ行きましょう
国道412号線を進むと「中山城址」という信号が有ります
信号を右に入って直ぐまた右に城跡公園の駐車場が有ります
国道412号線の山中城址信号を東へ入ります
北側からの入り口です、公園になってます
稲荷社があります
厚木市指定史跡 荻野山中藩陣屋跡の標柱が立っています
遊具が並ぶ地域の公園の雰囲気です
説明版です
山中陣屋跡史跡公園
公園整備について
私たちの住む厚木市には、遺跡、史跡など数多くの文化遺産が
残されています。こうした遺産を未来に大切に伝えていくことは
新たな市民文化の創造に当たって、非常に重要なことと思われま
す。
「荻野山中藩陣屋跡」は、昭和45年に厚木市指定史跡となり
県内においても、小田原城とともに城館跡として大変貴重なもの
です。
昭和8年には旧荻野村村民によってその歴史を刻む「山中城趾」
の碑が建立され、広く市民に親しまれてきました。
厚木市では、こうした歴史を物語る文化遺産が末永く、保護保
存され、広く郷土史学習の場として、また市民憩いの場として活
用されることを願い、平成8年史跡公園整備を行ないました。
荻野山中藩陣屋跡
陣屋は江戸時代中期天明3年(1783)頃築造されたとみら
れます。周囲の水田より一段高い半島状に突き出た低台地に位置
し、広さは1、5㌶程で、その概要は、寛政3年(1791)に
描かれた絵図面により知ることができます(「厚木市文化財調査
報告書第11集、荻野山中藩」所収)。
中央の建物が御殿と見られ、そのほか家臣の長屋・馬場・矢場
稲荷・清水(シミズ)、井戸、物置などが設けられています。
発掘調査によって、台地周辺の土堤部分は、当初の姿のままで
あることがわかり、また堀や古代の竪穴住居址などが地下に眠っ
ていることが確認されました。
今も残る稲荷社・清水などに往時をしのぶことができます。
厚木市文化財案内板が有ります
南側に降りてみました
南から陣屋跡を見ました
では、次へ行きましょう