ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県志木市、敷島神社の田子山富士塚です!!

2017-12-24 06:51:20 | 文化財・寺社
敷島神社は、志木市役所の南約1kmのところ

県道36号線の本町1丁目信号の交差点を東へ入り

細田学園の手前から参道を左に進み境内に入ります

目的の富士塚の前に車が並んで止まっていますので並べました




手水舎です

水神様です


敷島神社社殿前では、入試合格祈願の式典が行なわれていました

社殿の北側に富士塚があります


埼玉県指定有形民俗文化財の標柱です

説明版です
   埼玉県指定有形民俗文化財 田子山富士塚
    【富士塚とは】
     江戸時代中期(18世紀後半)以降、富士山に対する信仰が広まり、
    富士山への登拝が盛んになりました。信仰のよりどころとして、また、
    山に登ることができない人も実際に参拝したのと同じご利益が得られと
    して、関東地方を中心に富士山を模した人工の塚が作られるようになり
    ました。
    【田子山富士塚の成り立ち】
     明治時代の初め、引又(現在の志木市本町)に住む高須庄吉が、田子
    山の頂上で、富士信仰に関わると言われる板碑を発見しました。富士山
    信仰に篤かった庄吉はここに富士塚を造ることを思い立ち、自身が属す
    る富士講の一派である丸吉講が中心となって明治5年(1872)に田
    子山富塚が完成しました。
     築造にあたっては、新河岸川の舟運で栄えた地元の商人・舟運関係者
    職人・農民はもちろん、東京・栃木・新潟・福島・岐阜などからも寄進
    がありました。塚に設置された石造物から、2400人を越える人々か
    ら寄進があったことが分かります。塚中腹にある経ヶ嶽附近の玉垣には
    明治時代のはじめに活躍した坂東三津五郎・尾上菊五郎・岩井半四郎な
    どの歌舞伎役者の名前も見られます。
     現在、田子山富士保存会を中心に7月最初の土曜日または日曜日に「
    山開き」、8月21日に「山仕舞い(お焚き上げ)」の行事を行ってい
    ます。
    【田子山富士塚について】
     田子山富士塚は、高さが8,7m、直径が約30mの楕円形をしてお
    り、江戸時代後期から明治時代にかけて関東地方を中心に築かれた富士
    塚の一つです。
     頂上には、木花咲耶姫命を祀った祠、中腹には小御嶽神社や烏帽子岩
    ふもとには里宮と呼ばれる浅間下社が建てられています。石造物の種類
    ・数がたいへん多く、中には優れた細工が施された石造物も見えること
    御胎内が現存していることが見どころです。
     平成16年に志木市有形民俗文化財、平成18年3月に、埼玉県指定
有形民俗文化財に指定されました。また、富士塚築造のきっかけとなっ
    たと言われる暦応3年(1340)板碑は、浅間下社のご神体として祀
    られています。
    


南側駐車場から離れてみました

富士塚の西斜面には、松尾神社の鳥居が有ります


境内西側にはお不動様が並んでいます

では、次へ行きましょう

コメント
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