善福寺です
地下鉄大江戸線と南北線の麻布十番駅の南西約1kmです
東向に参道を開いています
参道入り口です、大きな公孫樹の樹冠が見えます
参道の右手に綺麗な水の出ている柳の井戸が有ります
説明版です
柳の井戸
自然に地下から湧き出る清水である。
東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、売るくから
有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地
面に突きたてたところ、たたいまち噴出したものだとか、ある聖人が
柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれて
きた。
とくに現在のわれわれとしては、大正12年の関東大震災や昭和2
0年の空襲による大火災の際に、この良質な水が一般区民の困苦を救
ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心のはらうべきもの
と思われる。
昭和49年1月(平成26年12月建替) 港区養育委員会
麻布山 善福寺です
中門です
説明版です
麻布山善福寺勅使門
当山の中門は古くから勅使門と呼ばれ、伝承によれば、文永の役
(1274年)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされ
ている。
寺院の門として最も重要な位置にあり、幕末のアンベール著の絵
入り日本誌等に、その形が描写されていた。
当時の火災は免れたものの、昭和20年5月25日戦災を受けて
焼失し、昭和55年11月5日の再建によって、現在の形を再び現
わした。
山門前から見上げました
案内図です
手水舎でしょうか、井戸が有ります
本堂です
本堂前の境内のイチョウです、アメリカ公使宿館が有ったようです
ハリスのレリーフです
説明版です
最初のアメリカ公使宿館跡
所在地 港区元麻布1-6-21善福寺
史蹟指定 昭和28年11月3日
旧跡指定 昭和30年3月28日
安政5年(1858)6月に締結した日米修好通商条約により、
それまで下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、安政6年(
1859)善福寺をアメリカ公使館として8月に赴任します。当時
の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していましたが、文久
3年(1863)の水戸浪士の焼き討ちで書院などを焼失したため
本堂、開山堂なども使用しました。明治8年(1875)に築地の
外国人居留地へ移転します。当時の建物は戦災で焼失しています。
寺には「亜墨利加ミニストル旅宿記」(港区指定文化財)が残さ
れており、外国公使館に使用された寺の実態がよく伝えられていま
す。
平成24年3月建設 東京都教育委員会
境内墓地入り口の前から見上げました(墓地内は撮影禁止の様です)
墓地には親鸞聖人様の像が在ります
公孫樹です
天然記念物の石碑です
説明版です
国指定天然記念物
善福寺のイチョウ
所在地 港区元麻布1丁目6番21号麻布山善福寺境内
指定 大正15年10月20日
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、イチョウ科の落葉高木で、中国
原産といわれている。雌雄異株で、神社や寺院の境内樹・公園樹
庭園樹・街路樹として広く植栽されている。4月に開花し、10
月には種子(イチョウの実)は成熟して独特の臭気を放ち、黄葉
する。
この木は雄株で、幹の上部が既に損なわれているが、幹回りは
10,4mあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。樹令
は750年以上と推定される。
善福寺は、昭和20年の東京大空襲によって本堂が全焼した際
このイチョウの木にもかなりの被害があったが、いまなお往時の
偉観をうかがうことができる。
根がせり上がって、枝先が下に伸びていることから「逆さイチ
ョウ」ともいわれ、また、親鸞聖人が地に差した杖から成長した
との伝説から「杖イチョウ」の別名もある。
平成2年12月27日建設 東京都教育委員会
石碑には、開山弘法大師・親鸞叟人奮蹟地・初代米国公使館趾とります
では、次へ行きましょう
地下鉄大江戸線と南北線の麻布十番駅の南西約1kmです
東向に参道を開いています
参道入り口です、大きな公孫樹の樹冠が見えます
参道の右手に綺麗な水の出ている柳の井戸が有ります
説明版です
柳の井戸
自然に地下から湧き出る清水である。
東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、売るくから
有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地
面に突きたてたところ、たたいまち噴出したものだとか、ある聖人が
柳の枝を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれて
きた。
とくに現在のわれわれとしては、大正12年の関東大震災や昭和2
0年の空襲による大火災の際に、この良質な水が一般区民の困苦を救
ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの関心のはらうべきもの
と思われる。
昭和49年1月(平成26年12月建替) 港区養育委員会
麻布山 善福寺です
中門です
説明版です
麻布山善福寺勅使門
当山の中門は古くから勅使門と呼ばれ、伝承によれば、文永の役
(1274年)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされ
ている。
寺院の門として最も重要な位置にあり、幕末のアンベール著の絵
入り日本誌等に、その形が描写されていた。
当時の火災は免れたものの、昭和20年5月25日戦災を受けて
焼失し、昭和55年11月5日の再建によって、現在の形を再び現
わした。
山門前から見上げました
案内図です
手水舎でしょうか、井戸が有ります
本堂です
本堂前の境内のイチョウです、アメリカ公使宿館が有ったようです
ハリスのレリーフです
説明版です
最初のアメリカ公使宿館跡
所在地 港区元麻布1-6-21善福寺
史蹟指定 昭和28年11月3日
旧跡指定 昭和30年3月28日
安政5年(1858)6月に締結した日米修好通商条約により、
それまで下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、安政6年(
1859)善福寺をアメリカ公使館として8月に赴任します。当時
の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していましたが、文久
3年(1863)の水戸浪士の焼き討ちで書院などを焼失したため
本堂、開山堂なども使用しました。明治8年(1875)に築地の
外国人居留地へ移転します。当時の建物は戦災で焼失しています。
寺には「亜墨利加ミニストル旅宿記」(港区指定文化財)が残さ
れており、外国公使館に使用された寺の実態がよく伝えられていま
す。
平成24年3月建設 東京都教育委員会
境内墓地入り口の前から見上げました(墓地内は撮影禁止の様です)
墓地には親鸞聖人様の像が在ります
公孫樹です
天然記念物の石碑です
説明版です
国指定天然記念物
善福寺のイチョウ
所在地 港区元麻布1丁目6番21号麻布山善福寺境内
指定 大正15年10月20日
イチョウ(銀杏・公孫樹)は、イチョウ科の落葉高木で、中国
原産といわれている。雌雄異株で、神社や寺院の境内樹・公園樹
庭園樹・街路樹として広く植栽されている。4月に開花し、10
月には種子(イチョウの実)は成熟して独特の臭気を放ち、黄葉
する。
この木は雄株で、幹の上部が既に損なわれているが、幹回りは
10,4mあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。樹令
は750年以上と推定される。
善福寺は、昭和20年の東京大空襲によって本堂が全焼した際
このイチョウの木にもかなりの被害があったが、いまなお往時の
偉観をうかがうことができる。
根がせり上がって、枝先が下に伸びていることから「逆さイチ
ョウ」ともいわれ、また、親鸞聖人が地に差した杖から成長した
との伝説から「杖イチョウ」の別名もある。
平成2年12月27日建設 東京都教育委員会
石碑には、開山弘法大師・親鸞叟人奮蹟地・初代米国公使館趾とります
では、次へ行きましょう