松虫地区は印西市役所の南東約8kmのところ
県道65号線を南へ、嘗ての印旛村に入ります
JR北総線いんばにほんいだい駅の北側一帯です
南から近付きます、正面に大きなスダジイの樹冠が見えて来ます
松虫寺への曲がり角に立つ目通り幹回り5,2mの巨木です
松虫寺山門前に駐車場があります
駐車場脇の松虫寺といにしえの田園の案内板です
松虫寺です
駐車場から山門への間に目的の巨木が在ります
スダジイを西側から見ました目通り幹回り7,6mの巨木です
説明の石碑です
松虫寺の概要
松虫寺は奈良時代、聖武天皇の天平17年(745)僧行基の開創
と伝えられ、始め三論宗、のち天台宗、そして真言宗に所属し今日に
至っている。寺伝によれば、聖武天皇の皇女松虫姫、(不破内親王)
が重い病に患られた時、不思議な夢のお告により、下総に下向され、
萩原郷に祀られていた薬師仏を祈り、重患が平易したので、天皇は、
行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の御名をとって松虫寺
と名付けられたと言う。
現在の本尊、七仏薬師如来は榧材の一木造りで、平安後期の特色を
伝える優作として、昭和34年、国の重要文化財に指定された。
南面する仁王門、薬師堂は江戸時代、享保3年に改築されたもの、
山号額は儒者、佐々木文山、薬師堂の扁額は釈雲照の染筆である。
西面する本堂は、寛政11年の建立で、阿弥陀如来、不動明王、松
虫姫尊像をまつる。
薬師堂の裏手の松虫姫御廟は、御遺言により分骨埋葬されたものと
伝えている。
平成8年7月 摩尼珠山、医王院、松虫寺
房総の魅力500選です
山門の仁王門です
鐘楼です
昭和45年に建てられた堂宇の改修記念碑のようです
薬師堂です
宝篋印塔です
文化財説明版です
宝物庫です
松虫姫御廟所です
松虫姫伝説のパンフレットです
同じ境内に神社が在ります
松虫姫神社です
仁王門の東側の鳥居です
こちらは六所神社です
では、次へいきましょう
県道65号線を南へ、嘗ての印旛村に入ります
JR北総線いんばにほんいだい駅の北側一帯です
南から近付きます、正面に大きなスダジイの樹冠が見えて来ます
松虫寺への曲がり角に立つ目通り幹回り5,2mの巨木です
松虫寺山門前に駐車場があります
駐車場脇の松虫寺といにしえの田園の案内板です
松虫寺です
駐車場から山門への間に目的の巨木が在ります
スダジイを西側から見ました目通り幹回り7,6mの巨木です
説明の石碑です
松虫寺の概要
松虫寺は奈良時代、聖武天皇の天平17年(745)僧行基の開創
と伝えられ、始め三論宗、のち天台宗、そして真言宗に所属し今日に
至っている。寺伝によれば、聖武天皇の皇女松虫姫、(不破内親王)
が重い病に患られた時、不思議な夢のお告により、下総に下向され、
萩原郷に祀られていた薬師仏を祈り、重患が平易したので、天皇は、
行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の御名をとって松虫寺
と名付けられたと言う。
現在の本尊、七仏薬師如来は榧材の一木造りで、平安後期の特色を
伝える優作として、昭和34年、国の重要文化財に指定された。
南面する仁王門、薬師堂は江戸時代、享保3年に改築されたもの、
山号額は儒者、佐々木文山、薬師堂の扁額は釈雲照の染筆である。
西面する本堂は、寛政11年の建立で、阿弥陀如来、不動明王、松
虫姫尊像をまつる。
薬師堂の裏手の松虫姫御廟は、御遺言により分骨埋葬されたものと
伝えている。
平成8年7月 摩尼珠山、医王院、松虫寺
房総の魅力500選です
山門の仁王門です
鐘楼です
昭和45年に建てられた堂宇の改修記念碑のようです
薬師堂です
宝篋印塔です
文化財説明版です
宝物庫です
松虫姫御廟所です
松虫姫伝説のパンフレットです
同じ境内に神社が在ります
松虫姫神社です
仁王門の東側の鳥居です
こちらは六所神社です
では、次へいきましょう