ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

兵庫県姫路市、国宝「姫路城」の続きです!!

2018-12-27 09:04:08 | 城跡・館跡・陣屋跡
国宝姫路城の続きです

姫路市役所の北東約2kmのところ

JR山陽新幹線ひめじ駅の北東約1kmです

城の周りに数多くの駐車場が有ります

城の南東側の有料駐車場を利用しました

天守から出て来ました、備前丸曲輪に大きなエノキが在ります、城内最大の樹木です

備前丸の説明版です
  備前丸
 ここは備前丸という曲輪で、「御前丸」と呼ばれていた
時期もありました。もともと池田輝政の御殿がありました
が、本多忠政が城主になると、御殿は三の丸に移されたと
いわれます。敷地面積が狭いため、曲輪内には建物が密集
していたとみられ、昭和の大修理では、天守台石垣のすぐ
下で排水溝や建物の遺構が発掘されています。
 御殿が三の丸への移った後も、南側の石垣上には二重櫓
と長局、御対面所などが建ち並び、曲輪内には御台所と折
廻櫓がありました。御台所と長局など明治15年(188
2)に失火で焼失し、備前門の一部と折廻櫓だけが昔の姿
をとどめています。



天主を見上げるのに多くの観光客が集まっています

門の石垣の角には石棺が使われています

説明版です
  お菊井戸
 この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」
といわれています。
 永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職の執権青
山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていまし
た。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住
み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知した
お菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げ
て殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました
。お菊の動きを知った弾四郎は、お菊を助ける代わりに結
婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。
弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝の10枚揃いの
皿の一枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました
。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸
に投げ込まれました。
 その後、毎夜このいどから「1枚、2枚、3枚・・・・
9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたとい
います。やがて元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊
大明神」として、十二所神社内に祀られました。

お菊井戸です

備前丸越に天守を見ました

修理の際に石垣から強度不足のため外された石棺が並んでいます

天守の鯱鉾が年代別に並んでいます

説明版です

チケット売り場まで戻って来ました

西の丸へ行きましょう


説明版です

西の丸は百件廊下から化粧櫓まで時計回りに回る事ができます

百間廊下です

説明版です
  百件廊下
 西の丸を囲むように築かれた長屋の長さが約300mもあ
るので、とても長いという意味で「百間廊下」とも呼ばれ、
建物内は城外側が廊下、城内側が部屋になっています。その
うち、ヨの渡櫓には廊下に面して納戸のある小さな部屋が並
んでいました。これが長局で、西の丸御殿で働く女中の住ん
だ部屋とみられます。
 また、この建物には、城外からの攻撃に対する防御機能も
ありました。城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防
御上の弱点でした。そのため、城外側(西)に向けて格子窓
や挟間がいくつも備えられました。格子は、木芯に鉄板を張
りその上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られています。戦時
には廊下に鉄砲隊を配置すれば強力な防御線となり、雨天で
も火縄銃で射撃ができる利点がありました。通常は部屋を倉
庫として使用し、戦時には家臣の家財道具や家族を避難・収
容することもできました。一見すると特徴がなさそうですが
、実は姫路城の防御力を現している建物なのです。


化粧右櫓手前の百閒廊下から北東側の眺めです、堀に石垣と井戸が見えました


化粧櫓を出て来ました

姫路城の天守群と左側に化粧櫓を見ます

帰りは清水門から、城の東側から天守を見ました

では、次へ行きましょう
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